大衆文化としてのマンガ論 : マンガに関する意識・行動調査を踏まえて
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(2) 【研究題目】. 大衆文化としてのマンガ論 一マンガに関する意識・行動調査を踏まえて一. 兵庫教育大学 大学院修士課程 学校教育研究科. 教科・領域教育専攻 社会系コース. M97509F 楠本健二 (第18期生 1997年度入学). 1998年12月21日.
(3) 目次.
(4) 目. 次. 序 章 本研究の動機・目的・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 1. 第1節動機・目的 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 1. 第2節 仮説のための4つのテーマ・・・・・・・・・・・・・…. 5. 1 大衆文化の視点から見たマンガ・・・・・・・・・・・…. 5. 2 メディア論の視点からのマンガ・・・・・・・・・・・…. 7. 3 教育におけるマンガ・・・・・・・・・・・・…. ”●●9. 4 シンボルとしてのマンガ・・・・・・・・・・・・・・…. 11. 補節問題点の指摘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 12. 序章脚註・・・・・・・・・・・・… ●●●”●●●●●’13 第1章大衆文化とマンガ・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 20. 第1節大衆文化の特徴・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 20. 1 大衆文化を知る文脈・・・・・・・・・・・・・・・・…. 20. 2 大衆文化と高級文化の関係・・・・・・・・・・・・・…. 24.
(5) 第2節大衆文化とマンガ・・・・・・・・・・・・・・・・・… 44. 1 マンガの質的なもの・・・・・・・・・・・・・・・・…. 44. 2 マンガからみた大衆文化とは・・・・・・・・・・・・…. 52. 3 高級文化の担い手とマンガとの接点・・・・・・・・・…. 58. 第1章 脚註・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 66. 第2章 マンガの社会に対する影響力について・・・・・・・・・… 69. 第1節今日のマンガについて・・・・・・・・・・・・・・・… 69. 第2節 マンガの影響力とは何か・・・・・・・・・・・・・・…. 76. 1 マンガの影響力の在り方・・・・・・・・・・・・・・…. 76. 2 「負(マイナス)の影響力」について・・・・・・・・…. 77. 3 「正(プラス)の影響力」について・・・・・・・・・…. 90. 第2章 脚註・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 96.
(6) 第3章 マンガの影響力についての調査・・・・・・・・・・・…. 第1節 調査・検証方法について・・・・・・・・・・・・・…. 1 調査・検証方法・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 2 参考資料・・・・・・…. 101. 101. 101. ”.●”.●●●●’●’104. 巻末資料1・2−A・2−B・3. 資料1:回顧調査用紙. 資料2:意識・行動調査用紙. A 小学生版. B 中高生版. 資料3:「SPSSj統計用紙 第2節 データの分析結果から・・・・・・・・・・・・・・・…. 105. 1 分析について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 105. 2 回顧調査についての分析・・・・・・・・・・・・・・…. 106. 3 意識・行動調査の分析・・・・・・・・・・・・・・・…. 108. 4 「:負(マイナス)の影響力」としてのマンガ表現と内容とは・108. 5 マンガの負(マイナス)の場面についての分析・・・・…. 111.
(7) 6 正(プラス)の影響力としてのマンガ表現と内容・・・…. 117. 7 意識・行動調査からの分析・・・・・・・・・・・・・…. 119. 8 仮説へ・・・・・・・・・・・・…. 一・・・・・…. 121. 第3節 仮説の検証・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 第3章 脚註・・・… 一・・・・・・・・・・・・・・・…. 130. 139. 終 章 マンガが抱える今後の問題点・・・・・・・・・・・・・…. 146. 第1節 マンガが抱える問題点の洗い出し・・・・・・・・・・…. 146. 第2節 マンガの影響力についての今後の問題点・・・・・・・…. 159. 第3節 結論としで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 163. 終 章 脚註・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 参考文献・・・・・・・・…. 謝辞. 巻末資料. ’164. ’●●●●’●”。。’”●●170.
(8) 序章.
(9) 序 章 本研究の動機・目的. 第1節動機・目的 筆者が、この論文テーマに着目したのは、ごく平凡な理由からであった。それは 筆者自身が幼い時からマンガωを好み、そこから受けた感銘や知識について深く 知りたいと願ったことからであった。また、筆者の生まれ年が昭和26年であり、昭 禾020年代前半に生まれた世代は「団塊の世代」といわれ、昭和40年代にマンガのブ. ームを大学生として迎えた世代であり、筆者もこの世代の終焉の時代に位置してい たからであった。そして昭和40年代における、彼ら「団塊の世代」が大学生として 行った就職活動についてであるが、彼らの就職活動の必携の書籍について、当時、 有識者と呼ばれた人々やマス・コミュニケーションから、 「右手に『ジャーナル』 や ゆ A左手に『マガジン』(3)」と椰楡されていたことを、筆者が実体験として知っ (2). ていたことも、マンガを論文テーマに選んだ一因であった。. この「団塊の世代」と同世代人で、マンガを読む習慣が身についており、現在で もごく日常的に、マンガとの接触が繰りかえされている人々にとっては、少年期、. 青年期のマンガを読む習慣によって獲得できたものは、成人した後においても、極 めて重要な意味を持つものではなかっただろうか。そして、筆者自身がこの指摘さ. れた対象そのものであり、他者にも、そういった経験を持つ者がいるのではとの疑 問を感じた。こうした筆者の経験と同じように、現代の子ども達に対して、 「マン. ガがもたらすものがある」と考え、そのもたらされるものとは、一体どの様なもの であるのか。また、いかなる経緯を経て、もたらされるものなのだろうか。このよ うな点について、筆者は疑問を持ち、考察を深めていくことを決意した。そして、 この動機について語ることを、本論文の導入としたい。. 筆者が考えるに、マンガによってもたらされるものとは、以下の要因によるもの ではないだろうか。まず、昭和20年代から昭和30年代において、戦後の復興の一端 をマンガは、文化的側面は勿論、経済的側面の一部をも、担っていたと考えられる のである。このことは、戦後すぐの時期でありながら、早くも出版界においては、. 数多くの出版物の刊行が行われていた。それは戦前、戦中における出版統制と無縁 ではないと考えられる。. 一1一.
(10) とりわけ、昭和20年代から昭和30年代にかけては、戦時下の統制に対する民主化 の一形態であるのか、数多くの月刊少年漫画雑誌が、発刊されていたことからも、. 確かなことであろう。残念ながら、当時のマンガを含む、出版物の明確な数値は明 らかではないのだが、『少年』 (1946年)(4)『ぼくら』 (1955年)(5)『漫画王』 (1952年)(6)『冒険王』 (1949年)〔7)『少年ブック』 (1949年)(8)『少年画報』. (1948年)(9)等が定期刊行されていたことからみて、そうした傾向があったと考. えられるのではないだろうか。その他にも、少女向けの月刊漫画雑誌が、何種類か は発行されてはいたが、少年漫画雑誌ほどブームとはならなかった。しかし、こう したマンガブームが、国民の消費活動の一つとして、国家の復興に対して、経済的 な面に、良く貢献をしていたという判断を下しても良いであろう。. それでは、月刊少年漫画雑誌やその後の週刊少年マンガ雑誌によるマンガブーム は、何故起こったのか。社会的な要因も踏まえて、考察してみたい。当時、戦後の 破壊されて、疲弊した社会において、子どもの心をときめかせるようなものが多く. なく、また、仮にあったとしても、マンガの存在ほどの衝撃を、子どもたちに与え られなかったのではないだろうか。それゆえ、戦後直後の時期で、食糧難の時代に も拘わらず、月刊少年漫画誌によるマンガブームが起こり、その後の少年週刊マン ガ雑誌の隆盛が訪れたと考えても良いのであろう。さらには、紙芝居(10)やメンコ a1). ネど、マンガと関連するようなものが、流行ったこともその一因となった。. しかし、月刊誌のマンガ作品の多くが、筆者を含めた当時の子どもたちの心をと きめかせた本当の理由は、何であったのだろうか。それは、マンガに表現された内 容を読み取ることによって、当時の子どもたちが、そこから何かを感じとったから であろう。また、そこから様々な知識やストーり一に対する感受性も入手すること. すら、可能であったと考えられる。ある意味においては、幼年期から少年期にかけ てのマンガとの接触そのものが、彼らの少年期の生活の全てであったと言えるので はないだろうか。. 特に、『少年』に掲載されていた、横山光輝の『鉄人28号』 (1956年∼1968年) と、手塚治虫の『鉄腕アトム』 (1951年∼1968年)の両作品は、マンガ自体が、戦. 後の科学技術の発達と経済復興の槌音を表現していたと感じられる内容であったこ とから、このマンガに対する子どもたちの人気は高く、当時、一大ブームとなって いたことは、筆者の記憶に鮮明に残っている。. 一2一.
(11) 当時、筆者自身が『少年』を愛読していたことや、筆者の少年期から青年期にか けての時期において、マンガブームとなったことが、上目における、筆者のマンガ に対する思いを、作り上げているのであろう。そして現在でもなお、マンガは筆者 に対して、新たなる思いを与え続けてくれる存在なのである。成人となった今、改 めて大人の視点で、横山光輝や手塚治虫のマンガに触れてみると、これらの作品の 中に表現されているものについて、筆者はその先見性や心理描写の巧みさに驚かさ れることが多い。. 勿論、内面的な心理描写もすばらしいのではあるが、それよりもマンガに表現さ れた科学技術の成果、それは空想であるのだが、その表現されているものがすばら しいと感じるのである。横山、手塚らが執筆していたこの当時には、科学技術が現. 在ほど、発達していなかったにも拘わらず、マンガに表現されていたものは、当時 としては画期的で、 「空想の産物」としか理解され得なかったもの、すなわち、近. 代的な街並みや高速道路や月ロケットやロボットといった類のものですら、既に表 現されていたのである。これらは、その後、実際に社会において発明され、具体化 されてきたことは、歴史が証明している。そしてこのことは、誰もが周知の事実で もある。筆者は、自身の成長とともに、これらを目の当たりにして、大いなる衝撃 と驚きを覚えた。. もちろん、実際に発明されたり、開発されたものは、空想上のマンガのそれとは 形態や機能が大きく異なるものではあるが、こうした事実の存在はあたかも、横山 や手塚が、単なるマンガ家ではなく、「科学の予言者」であったのではないかと思 える程である。彼らは専門家ではなくても、科学技術に対し、 「先進的な考え方」. を有していたと考えられるのである。それゆえ、こうした点が評価され、彼らの地 位が戦後マンガの世界において、中心に位置するものと多くのマンガ家や読者が指 摘をし、高く評価しているのであろう。もっとも、彼らが偉大であると評価される 理由は、そのことばかりではないのだが、この点がもっとも顕著なものであると、 筆者自身は感じるのである。. 前述の理由から筆者は彼らのマンガに惹かれ、今日に至るまで彼らのマンガを、. 折に触れて読み続けてきた。さらに、そのことが大きなきっかけとして、現在でも 毎週・毎月、彼らの作品以外にも、多くのマンガに接している。このことは、筆者 の生活の中で、ごく自然に位置づけられているばかりでなく、生活の一部として必 一3一.
(12) 要不可欠なものして、定着しているのである。それは、生活のリズムとして、マン ガを読むことが存在しているとも言えるのである。. 一般の書物と接した際に、有益なものを得たと感じることがあるが、それと同じ ような思いをマンガからも、受けるのである。そして、それは実に多くの示唆や感 銘であった。このことについて、関谷夏央をはじめとして、竹内オサムや呉智英な ど、多くの人がマンガの評論を著す際に、この様に表現をしていることと重なるの である。曰く、 「マンガにある独特の解読法を、無意識に学んだ最年長者を、1947. 年生まれあたりとする」q2)と。この論法に従えば、筆者も独特の解読法を学んだ 一人であり、現代マンガの創生期に位置する一員であって、身につけたその独特の 解読法により、・今もマンガを読み続けているのである。. 本研究は、こうした筆者自身の体験を元に、序章において論及するテーマを考案 し、マンガにまつわる問題を指摘し、解明していくことにする。しかるに、こうし た点についての先行研究ともいうべきものは皆無に等しく、それ故「マンガ評論」 を元に仮説の設定と論説の展開を行いたい。また、これと併行して、筆者の体験と リンクさせながら、さらに限られた筆者の体験にとどまらない、新たな理論を構築 していきたいと考える。そのために意識・行動調査を行い、その調査データを分析 し、検証することから調査対象者のマンガに関する傾向を求めていく方法をとりた い。. なお、具体的な調査については、筆者の勤務校の関係から、そのフィールドを、. 神戸近隣の小学校・中学校・高等学校の生徒及び教員に求めた。また、比較をする ことを前提として、より多くのサンプルを入手するために、この他にも大阪府下の 小学校、中学校の児童、生徒を調査の対象として位置づけ、データを求めた。. 序章のまとめとして、また本論文における仮説への一段階として、マンガについ ての簡単な提言を行った。この4つの提言は、いずれも現代社会におけるマンガの 存在を、明確にするものであり、このことから筆者としての仮説を提唱していきた いと考える。. 一4.
(13) 第2節 仮説のための4っのテーマ. 1 大衆文化の視点から見たマンガ ーマンガは如何に市民権を得たかのか、マンガブームの要因とは何か一. 戦後、 「ストーリーマンガ」(13)の担い手として登場した手塚治虫は、1955年. 以降の高度経済成長期において、一躍スポットライトを浴びることとなった。それ は、大人を対象とした一般週刊誌ブームに追随する形で、少年マンガ週刊誌である 『少年マガジン』『少年サンデー』が発行されるようになったからであろう。この. 時期のマンガブームは、前出の少年マンガ月刊誌によるマンガブームとリンクして おり、数少ない子供向け娯楽の紙芝居とともに、マンガは、多くの子ども達に受け 入れられていった。その支持者の多くは、地方から都会に出てきた階層、つまり当 時「金の卵」と評された、中学卒の少年達であった。彼らは、経済的な理由により. 戦前からの大衆文化の代表例であり、マス・メディアでもあった「映画」を、娯楽 として頻繁に見ることが出来ず、そのため休日の余暇を過ごす術をあまり持たなか ったのである。その彼らにとって、「映画」の代わりに支持されたのが、低廉な価 格で読むことの出来た「貸本マンガ」であろう。この貸本マンガは「劇画」とも呼 ばれ、衰退した紙芝居の作者の多くが、マンガ家として活躍し、ややシュールで、 暴力的な内容は、当時の担い手であった集団就職者である彼らの心に、大いにフィ ットし、貸本ブームが起こったのである。この貸本ブームも、その後のマンガブー ムに、多大な影響を与えることになったのはいうまでもない。. このような経緯で起こってきた「マンガ文化」と、戦前からの「映画文化」は、. 大衆文化としての存在価値を持ちっっ、昭和30年号には、共に一般大衆から大きな 支持を受けるようになった。特に映画は、メディアの中心でもあったが、すぐに新. しい文化メディアとなる「TV」に、取って替わられたのである。その理由として は、高度経済成長に伴う耐久消費財の普及と浸透であり、1959年の今上天皇(当時 は皇太子)の婚姻と、1964年に開催された第18回夏季オリンピック東京大会がきっ かけとなったのである。. こうしたメディアの立場の入れ替わりが、同じようにマンガとTV、マンガと映 画の間において起こったのであろうか。そして、もしそうだとしたら、この変化に 一5一.
(14) ついてどのように考えればよいのであろうか。また、これを大衆文化の視点から見 れば、この変化した理由をどの様にとらえることが出来るのであろうか。社会学者 であり、熱烈なマンガ読者でもある副田義也は、その著書『マンガ文化』(15)にお いて、このメディアとしての関わり方の違いについて、. 「製作主体と享受主体の在り方、及び関わり方の差異によるものである」. 引用文献:副田義也『マンガ文化』紀伊国屋書店P31∼P411988年. という状況分析をしている。勿論、この分析における現代社会のマンガ文化とT V文化の関わり合いについては、副田の言説がそのまま当てはまるとは限らないで あろう。なぜなら、副田の言説が示された後、昭和50年代以降のビデオ機器の普及 とそれを前提としたレンタルビデオ屋の激増の影響が考えられるからだ。とはいえ. 少なくとも、当時における大衆文化の在り方については、副田の指摘通りであった のではないか。彼の視点の詳しいところについては、このようなものであった。次 節に彼の指摘を2っのテーマとして、要約を示しておく。. 一6一.
(15) 2 メディア論の視点からのマンガ. 一「マンガ」と「TV」 「映画」との相関性と対立点一. ここではマンガを他の代表的なメディア、「TV」及び「映画」との比較を定義 づけたい。そして、それにより、マンガというメディアが、マス・メディア化して きた理由を明らかにすることが出来るものと考える。つまり、それは前述の副田に よる言説の1つでもあり、メディアとの対し方について、. 「メディアに対して、享受主体として、自己の行動に基づいて、そのメディ. アとの接触を行えるのか否かによることにより、そのメディアとの相関性 が明らかになる」. 引用文献:副田義也『マンガ文化』紀伊国屋書店P31∼P411988年. と指摘した。そして、この事を理由として、マンガの今日のメディアとしての隆 盛が起こり、映画が衰退し、TVが発達してきたと考えてよいのではないか。 つまり、マンガは自己の都合で接触したり、その事を中断したり、終了したりす ることが容易にできるのである。これは、他のメディアにおいては成立しがたいも. のである。少なくとも、マンガ以外のメディア自身が持つ、時間的制約という呪縛 から、 「享受主体」は逃れられないと、考えているのである。つまり映画は、映画. 館での上映時間という場所・時間という二重の制約を受け、TVは放送時間にTV のある場所で見るという若干の場所的制約と時間的制約を受けるのである。しかし. ながら、副田の研究において、「TV」・「映画」というメディアに対して、「独 立変数」としては存在し得なかった「レンタルビデオ屋」と呼ばれるものの発生と その激増、及び家庭における「TV」 「ビデオデッキ」の、飛躍的な普及による、 「パーソナルTV化」 「カセットビデオテープの一般化」という要素も、介在して. きており、研究テーマとしてのマンガについての調査において、読書時間・TVの 視聴時間・レンタルカセットビデオテープなどについての視点も設定し、これらの メディアについても、検証すべきものであろう。そして、それを踏まえた、論及を 展開していくことが必要であると考える。. 一7一.
(16) 本論文において、マンガをテーマとして取り上げ、論文完成に向けての研究を続 けていく過程で、どうしても無視することの出来ないメディア主体として、取り上 げられなければならないのが、マンガと同じルーツであり、同じ文化形態の一つで ある、 「アニメーション (∂刀ゴ加∂孟ゴ0刀)」〔16)「アニメ」とも呼ぶものである。. 映画の一技法でもあるアニメーションであるが、その歴史は1914年に「動画」つ まり、「動く画」と言われた作品が輸入されたことに始まる。その後、日本におい てもアニメーションの製作が開始されるようになったが、大衆文化として強くアピ ールできるようになったのは、「白蛇伝」uηからであり、この作品を手がけた手. 塚治虫がこの経験を生かし、TV界では初の、国産アニメーションである「鉄腕ア トム」{18)を製作したことはよく知られている。そして、この「鉄腕アトム」が大 ヒットして、その後のアニメーションブームを創り上げたのである。. アニメーション作品の創生期においては、その殆どがマンガそのものを原作とし て誕生してきたのであるが、今日ではアニメーション製作、それ自体を目的として 原作が創作され、そこからアニメーションが作り上げられることが、多くなってお り、映画・TVに限らず、様々なヒット作が製作されている。アニメーションは、. マンガとリンクされたTVアニメーションと、映画のみで製作された映画アニメー ションの二つに分類されることがあるが、近年においては、その両方において人気 を博したアニメーションも多く存在する。例えば、 「ドラえもん」 (藤子不二雄原. 作)や「ドラゴンボール」 (鳥山 明原作)等のように、毎年、数回(主に冬休み. ・春休み・夏休みの3回)、観客の主体を占める小学生低学年の学校生活に合わせ て、製作されることが多い。このことは、マンガを語る上においては、極めて重要 なことであろう。何故ならこうしたアニメーションを親と共に観た子どもたちが、. やがてマンガへとその興味を移してくることも考えられるからである。それは、マ ンガからアニメーションへという興味パターンを大きく変えるものであり、今後の マンガの在り方にも、その内容が刺激的なものであるなら、子どもたちの考え方に 対して大きな影響を及ぼす可能性があり得るものであろう。. 一8一.
(17) 3 教育におけるマンガ 一教材としてのマンガの活用法、その可能性を探る一. この代表的実例としては、石ノ森章太郎の『マンガ日本経済入門』 (1990年)等. に見られる。この書は日本だけでなく、欧米や東南アジアにおいても、現地の言葉 に翻訳されて紹介されているのである。このことは専門教養としてだけでなく、一 般教養としても、これまで一般大衆や子どもにとって難解であった「経済」という テーマを、 「わかりやすく」というコンセプトのもと、マンガで表現しているので. あり、このことがきっかけとなり、その後のこうしたマンガのテーマの範囲は、あ らゆるジャンルにわたって描かれるようになった。そして、その著作の数も増加の 一途である。いわゆる「マンガ○○」の類である。. またその執筆についてであるが、こうした教材マンガの場合、かつては新人マン ガ家や一線を退いたマンガ家が主体であったのに対して、近年は売れっ子のマンガ 家が書いたり、その作成において、マンガ家以外に原作者がついているものの例も 見られるのである。それは、この類のマンガの社会的認知度の向上を示しているの だ。そして、この類のマンガの範疇として、享受主体を十分に考慮して作成された のは教育を目的とするマンガである。事実、既刊の書籍文献目録には、数多くの教 育マンガの著作が掲載されている。そしてその範囲は、文学・古典・政治・経済な ど、様々なテーマで描かれているのである。. 例えば一般大衆や子どもの中でも、「古典」に興味のない者にとっては、解釈が 困難であった紫式部の『源氏物語』ですら、マンガによる表現によって内容の把握 が容易となるのである。また、教育の目的におけるマンガ利用の他の例であるが、. かって国立信州大学の「一芸入試」において行われた形態でのマンガ利用がそれで ある。それは、 「ストーリーマンガ」の数コマを呈示し、そこに表現されている登 場人物の心の動きや:葛藤について、質問する形である。このことは文を読むことが. 出来たとしても、マンガを読むための技法に、精通していなければ、困難なことで あろう。さらに、我が国で初めて「飛び級」制度を取り入れ、高校2年生修了時点 での大学入試を実施している、千葉大学工学部の物理科目の1998年度入試では、マ ンガにおける『ドラえもん』の中から引用した問題を課している。それは、『ドラ えもん』にでてくる道具についての可否を問うもので、可否の理由についても問う. 一9一.
(18) ているのだ。出題意図については、若者が興味を持つマンガを取り上げ、彼らの自 由な発想と柔らかな思考を求めるものであるとのことであった。また、言語表現の せりふ 研究においての大学の講義では、 「科白」のないマンガの数コマを呈示し、そのコ せりふ. マに最も適当な「科白」を当てはめさせる指導がなされた。このようなマンガ利用 の例も多く見受けられるのである。. 無論、ここにおいても、主人公や描かれている人物の心の動きを思いやるという マンガの解釈上の技法が用いられており、同時にその能力が問われているものでも. ある。また、京都精華大学において、1972年には既に「マンガコース」が設けられ ていたが、さらに発展させるものとして、「マンガ学科」と「日本漫画学会」の設 立が計画されている。このことは、文化全体の中におけるマンガの重要な役割に注 目し、 「学問」として正面から捉えようとするものである。現在、文部省へ認可申. 請中(平成10年12,月21旨現在)であり、これらの事象はまさしく、教育におけるマ ンガの利用と役割を明確にしたものであろう。. いずれにせよ、マンガは教育において不可欠な存在になりつつあることは、こう した例が如実に示していると言えるのではないだろうか。. 10一.
(19) 4 シンボルとしてのマンガ 一そこに表現されているものは何か。そこに何が強調されているか一. マンガのテーマ、内容が今日の社会の動きに対して対応しているものであること は、善本におけるマンガの歴史を見れば、明確であろう。かつて岡本一平が主張し た「漫画」とは、社会世相を表す風刺であった。その技法を用いた漫画が「一コマ 漫画」であり、一般に「カツーン」(19)と呼ばれるものである。このような「一コ. マ漫画」は、政治や社会を風刺し、その動きや変化を「写し出す鏡」であるとされ ているが、ここにおいてのマンガは最早、かっての知識層がマンガに与えた評価で もある「大衆文化」 「低俗文化(ロー・カルチャー)」と呼ばれる表現だけではな く、 「対抗文化(カウンター・カルチャー)」としての地位も、獲得していたと考 えられる。. では、マンガが表現し、主張するものは何であるのか。それを考察し、もたらさ れるものの形を想像することは、マンガへの再評価を行うことであり、社会に対す るマンガの重要な位置づけともなるであろう。そして、このマンガのもたらすもの の形態についての検証であるが、その方法としては、後述のようなマンガにおける 独特な表現技法について、その約束事への理解を深めることである。. そこでは、現代マンガの創生期(明治・大正期)の漫画はもちろんのこと、戦後 のマンガ、主に「ストーリーマンガ」において、より詳細に研究され、結果として 多種多様にわたるマンガの表現技法が考案されてきたのである。例えば、マンガの おんゆ ある1コマにおいて、 「オノマトペ(音喩)」(20)と呼ばれる技法が用いられる場. 合、「シーン」という語句が描かれたことによって、表現された情景は、実際の静 寂の情景よりも、よりリアルで、研ぎすまされた「無音」の情景が演出されるので けいゆ ある。また、登場人物の様々な顔の表現においては、 「形喩」と呼ばれる「汗」や 「斜線」や「くま」が描かれることがあるが、これによって、登場人物の独特な心. の動き、それは大抵の場合》心の動揺・焦り・喜び・怒り・悲しみといったもので あろうが、そのことがよく表現されていると、マンガの読み方に特に精通している. 人は、感じることであろう。人の心情やその心の変化、こういつたものは、表現法 といった面では、現実生活よりもマンガの方が表現しやすいと考えられているので ある。. 一11一.
(20) マンガに示された登場人物の行為は、人間社会における心や行動の変化を、 「デ フォルメ」し、より強く映し出していると思って良いだろう。そして、そのことこ そが、マンガにおける「象徴」そのものであり、共通の理解をするための「言語」 となるのではないだろうか。まさしく、 「百聞は一見にしかず」である。マンガの. 各々のコマが、この様な技法により、多弁である時、そこには実に多くの心の:葛藤 や現象が存在していると考えてよいであろう。. 補 節 問題点の指摘. 序章の締めとして、また以上の4つのテーマへの補足的なものとして、さらに仮 説への提言として、マンガ文化の持つ問題点と、今後のマンガの変容について指摘 しておきたい。そしてそれによって、本論文での論及のきっかけとしたい。その問 題点とは、大雑把に指摘すると、以下のようなものであろう。. ◎マンガ本全体に及ぶ出版部数の減少 ◎ 「オタク」(21)(カルト的マンガ愛好家)の増加. ◎マンガの社会的影響度の拡大 ◎ 「ピカチュー」に代表されるマンガのキャラクターにまつわる問題. ◎マンガ愛読者の多様化、拡散化について ◎マンガの長期的愛読者(年齢進行に伴う変化)の出現. ◎出版社のマンガ出版の戦略の変化 このような多くの問題を抱えながらも、今日のマンガは、新たに「マス・メディ アとしてのマンガ」という地位を確立し、さらに新たなるマンガの表現法の開発に も進化しているのである。それは、コンピュータの活用による「コンピューター・ グラフィック(o.6=6b吻θ孟θr 6■ヨPカゴ。)」である。このようなマンガの機能構. 造の変化と論理、これらのマンガの新しい分野での理論が台頭してくることに対し え せ. や ゆ. て、一般大衆の反感や、知識人や似非知識人達によるマンガへの批判や椰楡が、数 多く存在することは、厳然たる事実である。しかし、マンガの存在する理由の解明 と、反対の立場をとる人々に対してのマンガの方向からの釈明や啓蒙は、必要であ ろう。そしてそのためのマンガについての考察は、可能ではないか。筆者は、本論 文において、このように考えているのである。. 一玉2一.
(21) 脚. 註. (1) マンガには多くの呼び名があるが、マンガと他の呼称、まんが・漫画・萬画. ・こみっく・コミック・Comic各々との間の明確な差異はない。出版社や著者 が適宜、呼称の使い分けを行っているのみである。但し、戦前は漫画と呼ばれ ることが一般的であり、戦後になると、手塚治虫の出現を境にマンガと呼ばれ ることが普通となった。但し、石ノ森章太郎(石森章太郎)は、 「マンガは、 万物、森羅万象、全てを表現する」という視点から、 「萬画」という呼称を好 んで使用した。 (石ノ森章太郎『石ノ森章太郎の青春』ノ」・学館文庫1998年). 出典:石子順造『戦後マンガ史ノート』紀伊戦国屋新書 P111994年他. (2) 『朝日ジャーナル』朝日新聞社により、1959年から発刊された、国際関係・ 政治・経済・社会の諸問題を扱い、良識ある世論の形成を狙いとした高級誌と された。. 出典:石川弘義・吉見俊也他8名『大衆文化事典』弘文堂 P161991年. (3) 『週刊少年マガジン』講談社により、1959年に発刊された日本初の週刊少年. 雑誌。小学校高学年であった「団塊の世代」をターゲットとしたもの。社会に 進行しっっあったTVを意識して編集された。. 出典:米澤嘉博『別冊太陽 少年マンガの世界2一子どもの昭和史 昭和35年レ昭和64年』平凡社 P10 1996年. (4) 『少年』光文社 1946年創刊. 出典:米澤嘉博『別冊太陽 少年マンガの世界1一子どもの昭和史. 昭和20年レ昭和35年』平凡社 P138∼P1431996年. 13.
(22) (5) 『ぼくら』講談社 1955年創刊. 出典:米澤嘉:博『別冊太陽 少年マンガの世界1一子どもの昭和史. 昭和20年レ昭和35年』平凡社 P138∼P1431996年. (6) 『漫画王』秋田書店 1952年創刊. 出典:米澤嘉博『別冊太陽 少年マンガの世界1一子どもの昭和史. 昭和20年レ昭和35年』平凡社 P138∼P1431996年. (7) 『冒険王』秋田書店 1949年創刊. 出典:米澤嘉博『別冊太陽 少年マンガの世界1一子どもの昭和史 昭和20年レ昭和35年』平凡社 P138∼P143 1996年. (8) 『少年ブック」集英社 1949年創刊. 出典:米澤嘉博『別冊太陽 少年マンガの世界1一子どもの昭和史. 昭和20年レ昭和35年』平凡社 P138∼P1431996年. (9) 『少年画報』少年画報社 1948年創刊. 出典:米澤嘉博『別冊太陽 少年マンガの世界1一子どもの昭和史 昭和20年1レ昭和35年』平凡社 P138∼P143 1996年. (10) 「紙芝居」、江戸末期にガラスに手書きで人物を書き、数人で動いているよ. うに見せるスライドがあった。その「写し絵」が紙芝居の元である。そして明 治37年頃、一人で演じる「写し絵」、小型の団扇の表裏に描いた紙人形による 芝居を、 「紙芝居」と呼んだ。失業者が、多く紙芝居屋に転職したことから、. 昭和初期の不況期、昭和12年頃には全国に3万人の紙芝居屋がいた。その後、. 一14一.
(23) 戦争で数は減少するが、戦後は全国に5万人を数えた。代表的な子ども文化、. 路地裏文化であり、娯楽の少なかった子ども達に、町角の空き地で、酢昆布や 駄菓子を5円(昭和30年代当時)で販売し、厚紙に描かれた絵物語を独特の口 調で語ったもの。特に、この時代に多く見受けられ、 「鞍馬天狗」 「黄金バッ. ト」等がよく知られていた。昭和30年代、全国に5万人の「紙芝居屋」がいた が、やがてTVの普及で、昭和33年頃から急速に衰退していった。. 出典:鶴見俊輔『戦後日本の大衆文化史一1945年∼1980年』岩波書店. P76∼P78 1991年. :藤島宇策『たかがマンガされどマンガーマンガの世紀』清水書院 P8∼P16. 1984年. :藤島宇策『戦後マンガ民俗史』河合出版 P2∼P18 1990年. (11)ペーごま、ビー玉とともに、駄菓子屋・路地裏文化全盛期の勝負事の男児用. 玩具。紙製小物玩具の代表的存在であり、明治期からあったが、昭和期に大流 行した。その絵柄は、初期には役者絵などが中心であったが、戦後はマンガの 主人公などが人気の中心となった。. 出典:藤島宇策「戦後マンガ民俗史」河合出版 P19∼P20 1990年. :石川弘義・吉見俊也他8名『大衆文化:事典』弘文堂 P7841991年. (12) 「団塊の世代」(前出)とかぶさり、マンガでの取り決めを、少年期からのマ. ンガとの接触において身につけた世代である。. 出典:関川:夏央『知識的大衆諸君、これもマンガだ』文藝春秋P91991年. 15.
(24) (13) 現代のマンガ、 「劇画」 「コミック」と呼ばれる分野で、物語性を強く持つ. た種類のマンガである。特に、登場人物の感情やアクションを表現するために 「顔のクローズアップ」や「誇張されたアクション」を描き、物語性を盛り上 げる要素となっている。 「犬の目」 (ローアングルからのもの)や「鳥の目」. (空からのアングルのもの)という映画の表現手殺に近いものを取り入れたマ ンガの表現法。∼般には戦後、手塚治虫が1947年に発表した『新宝島』の冒頭 シーンに取り入れられたのが最初であると言われたが、厳密には明治期の岡本 一平が始めた技法である。しかし、映画の技法を取り入れたのは手塚が最初で あり、彼の影響を受けた石ノ森章太郎や藤子不二雄が技法を広めていった。. 出典:手塚治虫『マンガの心』光文社P64 1994年. :清水 勲『漫画と小説のはざまで』文芸春秋社 P31994年. :清水 勲『漫画空間散策』教育社 P28 1989年. :小山昌宏『まんがの玉手箱』リーベル出版 P3∼P4 1992年. (14) 『少年サンデー』小学館刊、『少年マガジン』に10日遅れて、1959年に発刊. された週刊少年雑誌。先発の『少年マガジン』と同じく、小学校高学年となつ た「団塊の世代」をターゲットとして、発刊されたもの。社会に浸透しつつあ. つたTVを意識して編集された。. 出典:米澤嘉博『別冊太陽少年マンガの世界1一子どもの昭和史 昭和20年レ昭和35年』 平凡社 P12 1996年. (15) 副田義也『マンガ文化』紀伊國国屋書店P31∼P41 1gS8年. 16一.
(25) (16) 2次平面に描かれた絵、あるいは人形のような立体物を、少しずつ変化させ て何枚ものフィルムに写し、それらのフィルムを連続的に映写することによっ て、静止した画面をあたかも動いているように錯覚させることが、映画の創生 期において考えられた技法のひとつである。基本的には映画も連続した写真の コマを映写することにより、写真の被写体が動いているかのような錯覚を起こ させるもので、この意味では映画とアニメーションとは、同じ手法によるもの である。そして、アニメーション (∂ηゴ〃∂が0η)という言葉の由来であるが、. 全く何も存在しない「白い紙」に、自由な線分を書き入れるということが「ア ニミズム(∂η加ゴzα仰)」と深く関係づけられたからである。周知のように、 「ア. ニミズム(∂η加ゴzα吻」とは自然物に、「精霊」が宿るという自然崇拝の考え方. である。それゆえ、何も存在しない無の状況下において、有形のものを創り出 すところがら、アニメーションはアニミズムと関係づけられ、こう呼ばれたの である。それは、映画の仕組みが、以下のような原理に基づくことからも明ら かであろう。すなわち、映画の原形は、回転する円筒状の物の内側に描かれた 人の姿が、その形を少しずつ変えることにより、反対側の覗いている穴からは 動いているように見えることを利用したものである。こうして映画の原形が完 成したように、紙上の線分に少しずつ動きを加え、変化を与え、それをコマご とに撮影し、連続して映写することから、絵が動いているように表現されアニ メーションが作られたのである。. 出典:山本瑛一『虫プロ興亡記一安仁明太の青春』1989年 新潮社. :石川弘義・吉見俊也他8名『大衆文化事典』弘文堂P211991年. :マイクロソフト編集部『マルチメディア百科事典』. マイクロソフト1997年. (17) 「白蛇伝」1958年に公開された東映動画. 出典:山本瑛一『虫プロ興亡記一安仁明太の青春』1989年半新潮社 一17一.
(26) (18) 「鉄腕アトム」1962年,虫プロダクション. 出典:山本瑛一『虫プロ興亡記一安仁明太の青春』1989年 新潮社. (19) 「カツーン」は多くの解釈の仕方があるが、今年で20年を迎える「読売国際. 漫画大賞」では、英文で「}㎜解∫」W㎜π0惚五ατ00Vα目凹7]と表記さ れ、昨年で世界70ヶ国以上、一万点の参加があった。内容は多岐にわたるが、. 応募規定として「一 の 品として古結 となっている。この事から考えると 「カツーン」とは一枚の紙の上で、社会を批判・風刺した作品である。多くの 場合、一コマで表現されているものである。. 出典:文芸春秋編集部『文芸春秋デラックス』文芸春秋社 1978年. :清水 勲『漫画の歴史』岩波書店 P1∼P10 1991年. :清水 勲『漫画空間散策』教育社 P29 1989年. おんゆ. せりふ. (20) 「オノマトペ(音喩)」マンガにおいて、科白以外に書き入れられた文字。. 多くは擬音語・擬態語などであるが、時には表現上の効果を狙い、音にならな いものを書き入れることも多い。. 出典:宝島社編集部『別冊宝島EX マンガの読み方』宝島社P126 1994年. :夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか一その表現と文法』. NHK出版 P110∼P124 1997年. 18一.
(27) (21) 「オタク」とは、SF(空想科学物語)のファン同士が互いを呼び合う二人称. として生まれた言葉。この「オタク」と呼び合う人のことを、中森明夫が昭和 58年にロリコン(ロリータ・コンプレックスの略・幼女への劣等感的性愛の持 ち主の意)マンガ誌のコラムにおいて、「オタク族」と呼んだ。つまり、根暗 な人間の意で使用されたが、海外ではこのイメージはなく、日本アニメ、マン ガファンとして「OTAKUjと明るく自称している。. 出典:宝島社編集部『別冊宝島104 おたくの本』宝島社1989年. 19一.
(28) 第一章.
(29) 第1章 大衆文化とマンガ. 第1節 大衆文化の特徴. 1大衆文化を知る文脈. 大衆文化を論じようとする場合、「大衆」という文脈と、 「文化」という文脈の 二つに分けて、論じることがある。まず、「大衆」についてであるが、このような. 定義付けが行なわれている。それは、各種イベントやスポーツ競技等において、観 客として大声で騒ぐ者と、その姿を冷ややかに眺めながら、騒ぐ者を軽蔑する者と や ゆ に分ける。つまり、観客として大声で騒ぐの者が「ミーハー」(nと追撃されて呼. ばれる対象であり、また「大衆(マス)」と呼ばれる対象なのである。そして、彼 ら「ミーハー」を軽蔑する者が、 「選良(エリート)」と、呼ばれる存在なのであ. る。この「マス」と「エリート」の対比における大衆の定義は、固定されるものな のだろうか。大衆社会や大衆文化を論じる場合に、 「大衆とは・・」という定義づ. けが行われるのであるが、その際の「大衆」の定義付けが、正確に何を指し示して いるのか、はっきりとしない。それはある研究において、 「一定の条件」の下に、. 「大衆」という定義付けを行ったとしても、その定義が必ずしも明らかではない上 に、その輪郭もはっきりとはしていない。それゆえ、限定された条件と環境におい てのみ、 「大衆」という定義付けがなされ、明示されているのが現状である。. また、もう一つの文脈である「文化」についてであるが、人問の生活における文 化を、正面から概念化するならば、人間の活動において作られたもの全てが対象で あり、生活そのものや生活様式全般ですら、「文化」と呼ばれることになる。すな わち、このことを明確に指摘すれば、『人間の存在の全ての場面が、「文化」であ るのだ』と言える。従ってこの二つの定義、「大衆」と「文化」に関する定義をあ わせれば大衆文化となるのだが、次のような論理も成り立つと中野は述べている。. 「大衆という特定の社会層が存在するならば、その存在、行動、意識の全体. が文化であると言って良いし、論理的にはおかしくない。しかし、通常は 大衆の生活や生活様式や大衆の存在形態を、大衆文化とは呼ばない」. 一20一.
(30) 引用文献:仲村祥一・中野 収『大衆の文化』有斐閣選書 P3 1985年. 参照文献:井上 宏『テレビ文化の社会学』世界思想社 1987年. それでは、大衆文化とは何だろうか。この定義は、いくつかの約束事によって、 成立するものであろうが、大衆文化は、次のように考えられるものなのであろう。. そこで、大衆文化を明瞭に示すために、筆者は大衆文化のモデルを示し、論を進め ていきたい。. 【図1:大衆文化のモデル】. 物質的 知 的 (少 数). 精神的. エリート. 権力的. 任意の線分. *極端でない位置 (多. 数). 大. 衆. 参考文献:仲村祥一・中野 収『大衆の文化』有斐閣選書 P3∼P4 1985年を参考に筆者作成. 一21一.
(31) この大衆文化のモデル図は、まず、社会階層構造形態をピラミッド型であると仮 定する。但し、この形が必ずしも社会の実態を反映しているとは限らない。しかし あえて、ピラミッド型として作成してみた。そして、頂点には、知的・精神的・物 質的なエリートが少数だけ存在し、大衆を圧倒しているのである。この身分階層構 造は、普通、底辺へ向かって拡大していくのであり、相対的人口量は増加していく. ものである。そして、ピラミッドの底辺に平行な任意の線引きをして、その線以下 をもって「大衆」と定義づける。勿論、この線が、極端に底辺に近いところで、線 引きされない限り、全体に対して、大衆は常に多数派を占めているのである。 また、このピラミッドは権力・富・知識量・社会的、文化的機会の大小、多寡、. 高低により、構成されている。ゆえに、社会そのものが近代化し、高度化する事に よって、これまで、大衆とエリートとを隔てていた条件が、なくなっていくものと すれば、. 【図2:近代民主社会での変化した大衆文化モデル】. 社会的富・機会の平準化*. 低廉化・大量化の促進 ↓. ↓. アウラの喪失** コピー(情報化). *富と機会の社会成員への平等配分が起こったことによる変化のため ** アウラ(希少性・一回性). 参考文献:仲村祥一・中野 収『大衆の文化』有斐閣選書P3∼P4 1985年を基に筆者作成のモデル図. 上記のようなモデル図が成立するであろう。しかし、近代民主社会は、一人一人の 権利の確保のため、社会的な富と機会の平準化・低廉化・大量化を大幅に促進させ た上に、かってのエリートの所有物であった富と機会は、アウラを失い、コピー化 して、情報となった。そしてそれは、社会の成員へ平等に分配され、変化せざるを. 一22一.
(32) 得なかったのであろう。. そして、社会のあらゆるものが情報化という形で進行していった。つまり、大衆 文化とは、この面では大量化した情報の形態のことであり、相対的に多量に存在す る情報そのもののことである。つまり、現代社会においてはマス・コミュニケーシ ョンが、大量に流出させる情報全てが、大衆文化と言って良いのである。マス・メ. ディアによって流布されるこれらの情報には、アウラも存在しないし、コピーされ た多量で同質の文化だと言える。. 一23一.
(33) 2.大衆文化と高級文化の関係. 前項の大衆文化についての定義を踏まえた上で、大衆文化と高級文化を対比させ て考えてみたい。すなわち誰にでも入手しやすく、多量に存在する情報が、大衆文 化であるならば、当然の事ながら、相対的に情報入手において制約を受ける、希少 な情報も存在しうるのである。それらは高級文化として、エリートが、アウラを有 する価値と知識として、積極的に受け入れるものである。ここで、やや粗雑ではあ るが、その例を明示してみたい。. 【表1 大衆文化と高級文化の分類】. 大衆文化. 大衆が受動的に受け入れる. 高級文化. 高価・稀少・アウラを持つものを. Gリートが積極的に受容する. レコード. コンサート. 読み聞くだけのラジオ・栽聞. 批判的に聴かれ、読まれるラジオ・. V聞 大衆小説. 純文学. 大衆雑誌. 総合雑誌. 既製服. オーダーメード・ブランド商品. 団体旅行. 個人の海外旅行. 参考文献:仲村祥一・中野 収『大衆の文化』有斐閣選書 P3 1985年を参考に筆者作成の図表. 一24一.
(34) こうした大衆文化の日本における成立は、昭和初期と考えられている。その普及 は、大衆文化以外の、エリートに支持されてきた高級文化などの抵抗が、微弱であ ったため、高級文化が一般化・平準化して、大衆文化へと、変容していったのであ る。この事が、日本における大衆文化の性格を、よく表している。そして、大衆文 化が情報といった性格を有していることは、その普及において、情報消費が行なわ れたことを示している。大衆文化のこの特性は、20世紀の文化そのものであり、社 会全体と深く関わっていると言えるのであろう。. 大衆文化の本格的な完成は、第二次大戦以降であると考えられているのだが、大 衆が「ある生活様式」を享受するための条件とは、つまり、都市化・大衆における 生活パターンの確立・経済発達と産業構造の発達による耐久消費財の生産拡大と普 及・高等教育の普及・余暇時間の発生と存在と享受が必要であった。その上で、高 級文化として、大衆に享受されなかったものが、情報として伝えられ、改めて大衆 によって消費されるにいたったのである。. また、大衆文化と高級文化について、異なった視点から捉えてみたい。ドワイト ・マクドナルド(吻αわ刀∂14伽ゴ8力亡)は. 「文化は大きく分類をして二つのものが存在する。すなわち、文化とは、伝. 統的な文化一歴史の教科書に年代別に載っているもの一それを高級文化と 呼ぶことにしよう一とマーケットに卸売りをするために作られる大衆文化. がそれである。… 略… そして、大衆文化はそれ自身で、新しいメ ディアを発達させた。そこにはまじめな芸術家達は、殆ど、乗り込もうと しない。そのメディアとは、ラジオ、映画、漫画本、探偵小説、科学小説. TV等がこの類である。… 略…. これらはチューインガムのように. 大衆消費のための直接的な商品であるからだ」. 引用文献:南 博『マス・レジャー叢書第三巻. マス・カルチャー』. 紀伊國国屋書店 P58 1963年. 参照文献:井上 宏『テレビ文化の社会学』世界思想社 1987年. 一25一.
(35) :伽ゴ功孟吻0〃0η∂ノゴ勿肪θ0η・of吻∬ω1オαZθ, fro〆0ゴ㎎づ. ηθζ梅畠5α㎜θ鰐!953(入谷敏男 訳). また、もう一つの大衆文化と高級文化の対比から、大衆文化のもう一つの捉え方 を行ってみたい。古田暁は文化を定義して、以下のように二つの文化についての論 及を行っている。. 「文化は、一般に高等文化(高級文化)と一般文化に分けられ、前者は後者 の基盤の上に成立し、機能すると考えられる。高等文化は、高度の思想、. 科学、芸術の活動と成果を意味し、長年の研究や修練を積んだ一部の学者 や芸術家などが関与する文化である。文化の日、文化勲章、文化功労者、. 文化人などは、高等文化の代表的な例である。日本社会では、文化はこの ように高等文化の意味で理解されることが多い。これに対して、一般文化 (大衆文化)については、このような指摘をしている。それは、一般文化. は、いわば文化人類学的な文化の概念によるもので、一般市民が営む日常 の総体を意味するものである」. 引用文献:古田 暁『異文化コミュニケーションキーワード』. 有斐閣双書P21990年. 参照文献:仲村祥一・中野 収『大衆の文化』有斐閣選書 1985年. :井上 宏『テレビ文化の社会学』世界思想社. 1987年. :小関三平『文化批判の社会学』ミネルヴァ書房 1974年. 一26一.
(36) と前述のような定義づけを行った。このことは、またエドワード・バネット・タ イラー(ル10乃甜肥躍βα塑θ朔の古典的な定義によると、. 「文化または文明とは、民族史学的な意味では、知識、信仰、芸術、道徳、. 法律、慣習、その他社会の構成員としての人間よって習得されたすべての 能力と習慣の複合総体である」. 引用文献=古田 暁『異文化コミュニケーションキーワード』. 有斐閣双書P21990年. 参照文献:江藤文夫他『講座・コミュニケーション4大衆文化の創造』 研究社 1973年. :井上 宏『テレビ文化の社会学』世界思想社. 1987年. :小関三平『文化批判の社会学』ミネルヴァ書房 1974年. このエドワード・バネット・タイラー(徊。勇甜旧躍β砿加切の定義は、やが て包括的で抽象的ということで、批判にさらされるが、文化そのものを、「日常生 活の複合総体」として定義づけた点において、高く評価されたと考えて良いのでは ないか。勿論、彼らの指摘を待つまでもなく、大衆文化の反対側に位置しているの が、高級文化であり、美術、建築、音楽、文学などの伝統的な芸術がそれにあたる. ことも周知の事実である。しかし、歴史的な推移について触れるならば、高級文化 の衰退と大衆文化の成長は、西洋において、18世紀初頭にその傾向が現れたと言え るのである。勿論、東洋においても、若干の歴史的な時間のずれはあったものの、. 同様な文化における劇的な変化が起こっていた。この文化の歴史的なものについて は、後の節において、論じることにする。しかし、ここでは大衆文化そのものにつ いて、もう少し論及しておきたい。. ここに、以下のような大衆文化について語る文脈についての論評がある。それは 2っの文脈からの視点であるが、文化の担い手と文化の媒体や普及性に関するもの. 一27一.
(37) であり、こう指摘をしている。. 「大衆文化を論じる2つの文脈がある。第1は、文化の担い手という点に着 目する文脈である。この場合、大衆文化は、大衆が生み出した文化、大衆. が担う文化として、理解される。第2は文化の媒体や普及性に着目する文 脈である。この場合、大衆文化とは、マス・メディアを媒介にして、大量 に伝達される文化、社会の広範囲に普及した文化として、理解されるので ある。しかし、第1の場合、大衆を肯定的に捉えるか、否定的に捉えるか により、大衆文化の概念は大きく異なるであろう。そして、大衆社会論に よれば、多くの現代人は社会構造的制約ゆえに、経済的・文化的において は受動的・従属的な存在である。すなわち、大衆として捉えられているの. であり、この場合、真の文化の創造者・担い手となり得るのは、生産手毅 と文化をたしなむ教養に恵まれた、少数のエリートのみであり、大衆は、. 単にその恩恵の享受者に過ぎないとされている。そのために、大衆が創造 し、支持し得る文化があるとすれば、それは通俗的で価値の低いモノでし. かないと、見られているのだ。大衆文化とは、まさしくそのような、文化 的存在価値の低いものであった」. 引用文献:石川弘義・吉見俊也他8名『大衆文化辞典』弘文社. P4581991年. 参照文献:南 博『マス・レジャー叢書第三巻 マス・カルチャー』 紀伊千国屋書店 1963年. :仲村祥一・中野 収『大衆の文化』有斐閣選書 1985年. :井上 宏『テレビ文化の社会学』世界思想社. 1987年. :小関三平『文化批判の社会学』ミネルヴァ書房 1974年. 一28一.
(38) ところが一方において、大衆文化の担い手に対して、この様な指摘もなされてい る。それはまったく相対立する文脈であり、以下のように大衆文化を評価している のである。すなわち、. 「労働者・大衆こそが、歴史の積極的な創造者であり、こうした大衆の生み 出す文化は、エリートの創るあだ花の平なそれとは異なり、歴史を創造し うる真の文化、価値の高い文化である」. 引用文献:石川弘義・吉見俊也他8名『大衆文化辞典』弘文社. P4581991年 参照文献:南 博『マス・レジャー叢書第三巻. マス・カルチャー』. 紀伊國国屋書店 1963年. :仲村祥一・中野 収『大衆の文化』有斐閣選書 1985年. :井上 宏『テレビ文化の社会学』世界思想社 1987年. :小関三平『文化批判の社会学』ミネルヴァ書房 1974年. といったような見方も成立すると、指摘されている。後者のような大衆文化の捉 え方をした場合、特に「文化の媒体や普及性」に着目するという文脈から考えてみ れば、 「大衆文化は大量生産され、大量消費されるモノとしての文化」というよう. に指摘され、その画一性や平準性がクローズアップされることとなる。そして、当 然のことながら、以下のような指摘を受けることとなるのである。すなわち、. 「可能な限り、最大多数の人々に享受されている、平易な娯楽的特性を持つ. 文化が、大衆文化と呼ばれることになるのであろう。従って、第1の文脈 における、通俗的な大衆文化という概念と、第2の文脈における、画一的 で安直な大衆文化という概念との二律背反がここに生じるのである。ラザ. 一29一.
(39) 一ズフェルド(加z∂∬θ属%厨君θ万x)とマートン(漉鉱α紹。加rオ痘刀功. は、マス・メディアが提供し続ける内容が(勿論、大衆文化もその一つで はあるが)文化の受け手や社会に対して、麻酔的逆機能(2)を与えるとし た。そしてそれは、大衆が文化の受け手でありながら、同時に文化の担い 手でもあるという混乱、すなわち『二律背反』といえる状況を、引き起こ すような文化の提供が行なわれた結果であろう」. 引用文献:石川弘義・吉見俊也他8名『大衆文化辞典』弘文社 P458 1991年. 参考文献:森岡清美・塩原. 勉・本間康平『新社会学事典』有斐閣. 1993年. :南 博『マス・レジャー叢書第三巻. マス・カルチャー』. 紀伊國国屋書店 1963年. :仲村祥一・中野 収『大衆の文化』有斐閣選書 1985年. :井上 宏『テレビ文化の社:会学』世界思想社. 1987年. :小関三平『文化批判の社会学』ミネルヴァ書房 1974年. と述べている。そのことは、マス・メディア、特に、TV、新聞、ラジオの各メ ディアにおけるニュース報道やニュース番組での拙速主義やセンセーショナリズム に象徴される。その結果、マス・コミュニケーションとしての報道内容そのものに 対して、人々の批判的な思考の意欲を減退させる。さらには、大衆自身が自己の主 張を省みず、無気力にマス・コミュニケーション報道に対して、付和雷同的に同調 する傾向を益々、助長させるばかりでなく、社会における積極的な行動に対する大 衆の意欲をも麻痺させ、減退させるしまうものであると言えるのではないか。. 一30一.
(40) またドワイト・マクドナルドは、高級文化について、このように指摘している。. 「大衆文化の影響を受けた高級文化は、『グレシャム(のθ5字置窃。%5)の. 法則』が働き、正当ならざる大衆文化によって、正当なる高級文化が影響 を強く受け、高級文化の「大衆文化」化が起こることにより、高級文化が キッチュ化(3)していくことになる」. 引用文献:石川弘義・吉見俊也他8名『大衆文化辞典』弘文社 P458 1991年. 参考文献:森岡清美・塩原. 勉・本間康平『新社会学事典』有斐閣. 1993年. :南 博『マス・レジャー叢書第三巻. マス・カルチャー』. 紀伊國国屋書店 1963年. :仲村祥一・中野 収『大衆の文化』有斐閣選書 1985年. それは、まさしく、大衆文化と高級文化の融合への指摘であり、高級文化自身の 変容でもあった。近年はこの融合化がより進化してしまい、最早その境界となるべ き壁すらも崩壊してきているとの主張が、頻繁になされているように考えられる。. それはまた、新しい文化の枠組みの誕生でもあった。そして社会学者の稲増は、こ の文化の融合化に関して、このような指摘をしている。. 「・・絶対的な影響力を持つカリスマ的な若者文化などはなく、小さな神々. が沢山出てきているのが現状である。・・略・・こうしたものは、小さな うねりとなるが、他に影響を与えず、散発的ブームで終わり、みな自分の. こだわりの世界に戻ってしまう。時として幻の共同体が生まれるが、生成 と消滅を繰り返す。・・略・・サブカルチャーがメインカルチャーを侵食 しこれらを隔ててきた基準がなくなった。かつてあったメイン社会システ. 一31一.
(41) ムとそこからこぼれた逸脱のシステムの対立が、社会の緊張感を作り出し ていた。しかし、1980年代以降既存の価値体系が崩壊し、ライフスタイル の変化と共に、メインの文化がバラバラになり、総サブカルチャー化した。 これを『棲み分け社会』呼ぶ、若者文化において、この棲み分けが急速に 起こっているのである。」. 引用文献:『読売新聞100人インタビュー21世紀の視点一稲増龍夫さん と考える一若者文化の行方』1998年10月29日付け朝刊. もっとも、彼の指摘は大衆文化と高級文化ではなく、高級文化と若者文化(サブ カルチャー)における指摘であるが、高級なもの以外の全ての文化を大衆文化と位 置づけることにより、彼の指摘が、この境界の消滅に対して、一定の説得力を持つ ものである。筆者が、本論文において語るべきマンガの中には、まさしくこうした 高級文化と大衆文化における、融合の接点に位置する文化としての評価を持つもの もあったのであろう。そのことの検証は、マンガの成立及び発達の歴史をたどるこ とにより、明確な事実として理解され、認知されていくものであると考える。すな わち、マンガとはこのような文化間のリンクをもたらすものであったとも言える。. ここで、二つの文化の接点についての考察を行うため、大衆文化を歴史的な視点 から捉えてみたい。既に、大衆文化における歴史的なものについては、前節におい て、簡単に触れているが、ここで再度論及したい。. まず、大衆文化の成長についてであるが、18世紀初頭における大衆文化発展の歴 史的理由については、このような指摘がされている。それは、おおむね以下のよう なものである。. 「すなわち、産業革命以降、種々の力をつけてきた大衆が、民主主義政治と. 民衆教育の台頭により、文化における伝統的な上流階級による独占的支配 を打ち破ってきた。また、市場の拡大と商取引の企業化は、大衆による新 たな文化の需要に対しては、十分な満足感を与えたと考えられる。また、. 科学技術の発達も、彼ら大衆の需要を満足させる文化の創造を可能ならし めた。大衆文化はその成立の基本において、近代資本主義経済システムの. 一32一.
(42) 高度な発展を前提として生まれてきた。それは、産業革命と階級制度の崩 壊を起因とする、資本主義経済の発達によるもので、大衆が労働者として 登場し、経済力を蓄え、労働者としての経済的自立が、大衆文化の発展を 可能ならしめたのである。とりわけ、労働者による、階級社会への影響力 と文化の差異についての影響力は、そのまま大衆文化の成立そのものに、. 深く関わっているといっても良いのではないだろうか。そして、その影響 力とは、二重の境界侵犯力すなわち、旧来の身分の隔壁を壊し、階層的・. 地域的差異を平準化してゆくカと、文化の市場化・商品化という交換関係 の拡張のなかで、文化現象に対して新しい意味を与えていく力は、大衆文 化形成の重要な前提でもあった」. 引用文献:石川弘義・吉見俊也他8名『大衆文化辞典』弘文社 P458 1991年. 参照文献:南 博『マス・レジャー叢書第三巻. マス・カルチャー』. 紀伊國国屋書店 1963年. :井上 俊『現代文化を学ぶ人のために』世界思想社 1993年. :森岡清美・塩原. 勉・本間康平『新社会学事典』有斐閣. 1991年. :仲村祥一・中野 収『大衆の文化』有斐閣選書. :井上 宏『テレビ文化の社会学』世界思想社. 1985年. 1987年. :小関三平『文化批判の社会学』ミネルヴァ書房 1974年. :梅沢孝『大衆の社会学一民衆的大衆論の構築一』 世界思想社 1987年. 一33一.
(43) 従って、既に前述のように、産業革命以降の欧米における大工場組織の成立や労 働者の組織化・集団化は、活版印刷術の発明以降のマス・コミュニケーションによ る、情報メディアとしての複製機能及び通信伝達機能の高度化や鉄道・自動車をは じめとする交通手段の技術革新と発達が、大衆文化の「境界侵犯力」を増幅させ、. 大衆文化が形成される歴史的な基礎を、構成してきたともいえる。それは大衆文化 に対する最初の分析が、 「高級文化VS大衆文化」という対立構造から取り組まれ たからであり、産業化の進展は、労働者を中産階級としての地位を持たせ、これま. で文化問の交流や互いの反目から、隔てられていたエリートの文化、すなわち高級 文化に対するアプローチが行われるようになったのである。それを象徴しているも のが、高級文化である純粋芸術とマンガであり、すなわちここで、庶民の文化=大 衆文化とエリートの文化=高級文化との運命的な交流がもたらされたことの要因と. もなったのである。そしてその結果、大衆文化に関して以下のような指摘がなされ たのである。. 「社会自身が、これまで相対的に遠く、隔絶されていた生活様式における身 分的な障壁を打ち破り、人口の大部分を国家という中枢を持つ諸制度や、. 平等制を理想として掲げる価値体系の中に編入し始めた。それは民衆が国 家という枠組みの中で、一定の力を発揮し始めたという事に他ならないの である」. 引用文献:南 博『マス・レジャー叢書第三巻. マス・カルチャー』. 紀伊國国屋書店 P59∼P60 1963年. 参考文献:石川弘義・吉見俊也他8名『大衆文化辞典』弘文社1991年. :井上 俊『現代文化を学ぶ人のために』世界思想社 1993年. :森岡清美・塩原 勉・本間康平 『新社会学事典』有斐閣 1993年. 一34一.
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