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心を二つに打ち割つて――近松の世話物における内的葛藤――

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心を二つに打ち割つて

ーー近松の世話物における内的葛藤I

「 硲 藤」 (conflict)は西洋 演削 論では とりわけ劇に関して使用 されるタームである。 それは、 争い、 対立を意味し、 劇の不可欠 の要素と言われてきた。葛藤は小説などにも見られる が、 削の場 合特に、 観客の関心を惹き続けるために、 このような対立が必要 だとされる。 たとえば、 福原談太郎•吉田正俊紺r文学用語辞典」(研究社、 一九七八年)には、 次のように説明されている。 conflict 「衝突、 葛藤」あらゆる 劇や小説は何らかのレペル で衝突・葛藤を含むものである。 登場人物たちと環境または 相互間のぶつかり合い(外的コンフリクト)、 あるいは自分自 身との争い(内的コンフリクト)があり、 さらにはこの両 conflictがからみ合う場合もある。 西洋演劇の最初の形態であるギリシャ悲劇においては原則とし て、 外的硲藤、 つまり、 人と人、 人と述命などの対立しか見られ ない。 そこでは登場人物の心境はとりたてて描写されることは な く、 その心境は、 外的対立によって理解される。内的慈藤が削の 狐要な要素になるのは、 イギリスのエリザペス朝削以降のことで ある。 そのことは、 たとえば、 アラダイス ・ ニnルr戯曲原絵入 門』(消野暢一郎・菅原太郎訳、 第一杏房、 一九三一年。原世一 九二三年原刊・一九六六年改訂)に次のように述べられている。 エリザベス時代の戯鼎にはじめて、 外的争闘と並んで巡展す る内的争閥の著想が見られ、 岡者が互ひに視合して悲削の本 質的価値に貢献しているのである。然し内的争闘の方が外的 争闘よりも重要な役目をなしている。であるから、「オセロ 」 ではオセロとイヤゴオの間の外的硲藤が人の注意を惹くが、 然しそれにも増し て、 そこにはオセロ自身の心があ る。 「オ セロ」をして抵界の芸術の傑作たらしめたものは心の中の激 しい戦ひである。同様に「ハムレット」に於いても、ハムレッ トと亡盆、 ハムレットとクローディアスの間に外的窮藤があ るが、 然しこの悲刺の本質はハムレットその人の心の中に存 するのである。 「リヤ王」にあっては外的争揺がもつと明瞭 であるが`2:クペス」には全然見られな い。 この脚本の価

イヴァナ

ミハイロヴィッ

- 22 - I l

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偵はその凶悪なる王の心情の中に明らかに認められる争闘に (l) 存するのである。(48頁) 念のために注釈しておくと` ニコル氏はここで、 内的硲藤は主 人公の心のなかに存在するものだと述べているが、 通常西洋演劇 においてはその内的葛藤は科白によって現わされるものである。 勿論、 内的硲藤が雰囲気的に感じられるにとどまる場合もあるが、 多くの場合、 その内的葛藤は会話、 およぴとりわけ登場人物のモ ノローグによって表現される。 さて、 ここでシェークスピアの諸作が具休例として取り上げら れているが、 近松とシェークスピアの比戟 は、 坪内逍遥以来、 近 松研究のなかで折々気にされ続けてきたことで あった。 そしてま た、 「内的窃藤」の語 もこれまで の近松研究のなか で使用され、 その楊合、 「義理と人梢」の対立とも関わって研究されてきた。 しかしながら、 近松世話物の研究史において「内的葛藤」の用語 は、 先に見た慈味とは少し異なる意味で使用されてき た。 その特 徴を述べれば、 これま での近松研究に見られる「内的岱藤」の語 は、 恋味がより広く、 削の構成の単位にもなっており、 そして、 意外なことに、 必ずしも対立を表す概念として使用されていない -2) ことである 。 本稿では、 近松の世話物における内的紡藤の様相を、 先に述べ たような西洋演劇綸の枠線から1すなわち、 ここでは、 それが 言表化されているかどうか、 それがストーリーの中で重要な位位 を占めているかどうか、 を判断の基準としてー�う一度観察し 直してみたい。 本稿では、 検討の都合上、 上演順ではなく、作品に含まれる局 面のバクーンごとに作品を取り上げるが、 まずは、 近松散初の批 話物『曾根崎心中」から検討を始めたいと思う。 先に記したような見 方をとった時、(意外に思われるかもしれ ないが、)『曾根崎心中』に内的岱膝はな く、 外的硲藤しか見られ な い 。 r生玉社の場」で、 徳兵衛がお初に語る科白を通じてまず、 徳 兵衛の主人でも叔父でもある平野屋の主人との硲藤が語ら れ、 そ れが解決になりそうなところで九平次が登場し、 徳兵衛は彼との 対立、 つまり新たな外的路藤に入る。 これらの外的対立において 徳兵衛は呆断に行動し、 心中一瞬たりとも迷いは生じないため、 内的硲藤は全く見られない。彼は自らr心の内はむしゃくしゃ」(新 紺日本古典文学全集75『近松門左衛門集②』、小学館 二000年、 20頁)と言 ってはいるが、 外から迫ってくる問題による混乱し た心理状態でありな がらも、 彼の心でr自分自身との争い」は行 われていない。平野屋の主との対立を見ればそのことは明白であ る 。 “んな hたくしがつてん ら," やあら間えぬ旦那殿。 私合点いたさぬを、 老母をたらし、 ないN) さ i た、き付け、 あんまりななされやう。 お内儀様も聞えませぬ。 今まで様に様を付け、崇まへた娘針に、 錐を付けて巾し受け、

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、."ん と,"ゃう� 一生女房の機鎌取り、 この徳兵衛が立つものか。いやと言ふ “やぢ からは、 死んだ親仁が、 生き返り申すとあって も、 いやでご ざる。(②22頁) “んな しゅ JJ をひ 「おれが旦那は主ながら、現在の叔父、 甥なれば、 ねんごろに も預かる」(@21頁)その主に対して恩義を感 じるはず のところ であるにもかかわらず、 その恩義を全く感じていないかのように、 徳兵術は勧められた結婚を固く断る。同様に、九平次と喧闘した 後も死ぬ党悟を迷わずするし、「蜆川新地天満屋の場」においては、 お初に問われると、.すぐに心中を約束する。 お初の態度や行動も 同様である。 要するに、『曾根崎心中」のすべての慈藤は外的である。つまり、 劇の中心となっている葱藤は、 主人公とその叔父である平野屋の 主、 そして、 特に金を取ろうと思って主人公をだました九兵次と の衝突である。 r曾根崎心中」に続く『薩庶歌』やr心中一一枚絵草紙』につい ても同様である。しかし、 『薩庶歌』以降近松は、 登場人物の心 中で行われる内的対立をわずかながらも導入し始める。r陸庶歌』 の場合、 主人公でない笹野三五兵衛の、 ストーリー上極めてマイ ナ ーな内的争いが描写され る。 その「小まんの部屋の場」 で、 林 女中になりすました侍三五兵術は、 元許婚小まんが源五兵衛と不 義を犯していると思って、一一人を殺したい が、 そうすれば殺され た父の敵を討てなくなるた め、 どうすればいいかと、 迷っている。 御用もやと立ち窺へば、 有明消えし襖 のあなた、 しめやか な男の声。 合点がいかぬ、 蚊の開く声か。 いや(人に紛れ ないと、 緑先見れば男の草履。サア悪性に極 まった。 男は 何者。 襖蹴破り、 飛ぴ入って、 二つ胴に斬り煎ねんと、 躍 り出でしが、ア 、さうでない(。征野三五兵術ともいはる、 身が、 他間は病死と披露して、非礼まで取り行ひ、 あらぬ女 ,. h しんさ の真似をして、 五年、 七年、 心気を砕くも、 大事を息ひ立つ たる故。 念願遂げず、 本名あらはし、 小事に大事を忘れては、 今までが皆うつけの沙汰。一家、 一門、 武門の名折れ。 堪忍 の楊、 思案の場。黙れ(、 人や見ると、 元の女で、 しやな ら(と、 立ち帰る。 お寝間はいよ/\声高く、今ぞ別れの さ、めごと。 エヽ妬ましく、 口惜しきに、下部の持ちたる拍 "らう のぞ 子木あり。 ム、ウ忍ぴ男は下郎 よな。 たとへ望み遂げたりと めがたさんのが も、 三五兵衛が、 女房を下郎に盗ま れ、 目前の女敵見逃し にならうか。(①叫頁) 父親の敵を討つ希望と、 不義の女とその愛人を殺す希望が心の なかで直接対立する以上、 典型的な内的窃藤とは言えるが、 三五 兵術は主人公でもないし、 その硲籐は瞬冊的な迷いに過ぎない。 硲蔽がストーリーの展開とほとんど関わらないと いう点から見れ ぱ、 本稿で内的硲藤と呼ぶものとは質を異にするものであ る。 し かしながら、 後の批話物でプロットの誼要な要素となる内的硲藤 に見られる巧妙な描写が、 ここですでに現れていることは注意し

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マイナーな内面的対立の一っとして、 『生玉心中」の、 烈龍に 隠れた嘉平次の局面が挙げられる。すなわち、 主人公嘉乎次が熟 煎に阻れ、 敵役長作と恋人のさがとの会話によって、 長作にだま されたとわかるが、 そこ にいる姉と弟の前に出るのが恥ずかしく て、 濶龍を出るか出ないかを述う、 という場而である。 驚椛の中、 くわっとせき上げ、 身をもがき、 エ、無念や、 環 か ち I( られた。姉の手前が恥.つかしい。 いつそ駆け出で、 跨んで服 を居ようか、 出ては姉の恥辱か。早う帰つてくだされかしと、 云楽の飛巴ー隠れ場所のバターンの展閲としての内的葛暉 ておいてよい。 同様のバターン、 つまり、 他の登場人物たちの会話を立ち開き する登場人物が、「悪人」とみなす人物を殺すか殺すまいかと瞬 間的に迷ヽつ�すなわち、 ストーリーの展開と関わらない形での、 マイナーな内的対立が『心中二枚絵ヰ紙』(「蜆川天満届の楊」で 魯善次郎を殺したい市郎右循門)またはr心中天の網島』(r, 根崎河庄の楊」で、自分を設切ったと思う小春を殺したい治兵衛) などにも見られるし、 何らかのマイナーな内的対立は、 原則とし て世話物のほとんどに見 られる。 それらの描写の長さやストー リーの展開に対する葛藤の重要度には多少の差異はあるが、 『薩 庶歌』に見られたマイナーな内而的対立と同 様、 それらは本格的 な内的葛藤と呼ぶことができないものである。 千万砕く気の拗き。胸のふいごに怒りの火 焔、 粥罷もゆらめ �んじんよくり くばかりなり。(中略)嘉平次は、 もうこれまで、 堪忍袋も やぶれかぶれ、 飛んで出でんとするところへ、 約の内より迎 ひの丁稚(②邸 I Iil頁 ) がやってくる。 これは『9根紺・心中』(r蜆川新地天潤屈の場」)の天涵因の様 の下に隠れた徳兵術の苦悩を描く局面の系熟に屈する。徳兵衛も 同様に、 自分をだました人と直面したいが、 それができないので、 也をくいしばり、 体を従わせる。外から見たこの徳兵衛の行動に よって内而的対立が我われる が、 先の引用と異なり、 徳兵術の心 内は酋菜によっては述べられない U このように、 『行根絞心中 J と比較してみると、 後の世話物において近松は人物の心挽を記述 することにより関心を持ち、 それをより煎視したということにな る。 上記のような局面は『冥途の飛騨」 においても用いられるが、 前の場合と異なりそれが本格的な内的葛藤に達するし、 この内面 的葛藤の結果はストーリーの主流 となり、 肛接に筋を展開させる。 その屈而は「新町越後歴の楊」の有名な「封印 切」 の直前の楊 面である。 主人公忠兵衛は、 越後昼の外にいて、 八右衛門という 彼の仲間が自分の熔を流すところを立ち開きする。 たんさ +んさ りぃ"い くがいヽn hくさ がh 短気は損気の忠兵術、 栢城は広界者、 五十両の目腐り銀取り かへた僭上、 若い者に恥か 、 せ、 川が間いたら死にたかろ。

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懐の三百両、 五十両引き抜いて、 而へ打ちつけ、 存分言ひ、 我が身の一分、 川が而目、 す、いでやらう。 ア、されども、 これは武士の銀。 ことに急用、 こ、が大事の堪忍と、手を懐 へいくたぴか、 とやせんかくや、 しやうげ烏。 別の術の食 ひ述ふ心を知らぬぞ是非もなき。(①129,130頁) だまされた、 無罪の主人公が隈れ場所を出て、 敵役の極悪人と 直面するかしないかを迷う、 すなわちr生玉心中」の主人公と異 なり、 忠兵術は仲間に裏切られたと誤解す る。 この場面で彼の隊 をする八右衛門という人物は、 プラスイメージの人物ではないに しても、 マイナスイメージのそれでもない。 しかも、 彼は、 忠兵 衛を助けようとし ているようにも思われる。 近松も、 忠兵衛が八 右術門の行動を誤解したと地の文において言っている。(「殿の "2, 》 術の食ひ迩ふ心を知らぬぞ是非もなき」)いずれにせよ、 忠兵術 をだまして金を盗むようなタイプの人物ではない。 そして、 この ょうに誤解することがまた、 忠兵術の性格の弱点を表現すること にもなっているし、 そして、 他の悪い行い(封印切すなわち横領、 および養母や女中に対する嘘やごまかしなど)と共に首尾一貰し た性格を作りあげるのである。徳兵衛や邪平次と異な り、 忠兵衛 は自ら破局をもた らし、 自分の運命を決定した。 したがって、 筋 の転換と直接関わるこの内的路藤は、 ドラマにおいて中心的な位 囮を占めていると言ってよいだろう。 忠兵衛の争いは自分との争 いで、 この作品は外的硲藤を欠くと言ってよいように思われる。 続いて、 忠兵衛の内的葛藤の性質につい て述べておく必要があ る。 基本的には、 彼は他人の金を盗みたいという循動と戦ってい る。 盗みはあらゆる文化において悪い行為とされるから、 これは 道徳性をめぐる、 つまり、 晋遥的な人間の価値観に関する慈藤で ある。 金を使いたいという欲求は、自分と梅川の面目を守ること から生じる。 その上に、 削の開碓から、 梅川を身睛けしたいとい う希望が忠兵衛の行動を駆り立てていること、 そして彼は畢党梅 川を身請けしてしまうことから判断す ると、 やはりこの希望も金 を使ってしまった動機となったように思われる。 一方、 忠兵衛は なぜ金をすぐ使おうとはしないのか?金を盗むと厳しい処罰を受 けることを彼は意識しているのでもあろうし、 また、 金を盗む行 為は「悪い」という彼の意識も働いていると言えるだろう。 このように、 r冥途の飛脚」の内的慈藤は、 筋を展開させる、 いわば劇のメカニズムとしての役割にとどまら ず、 人間の心にお ける普と悪の争いという普遍的な問題をも提示するも のとなった。 母途の飛脚」の「内的硲藤」 は、 まさ しくそう呼ばれるにふさ わしい問題をめぐって行われているものなのである。 r心中煎井筒』、 r心中刃は氷の朔日』、 r心中万年草』、 r今宮の 心中』、 r生至心中』、 r心中天の網島」においては、 誓文を立て、 それを破るというパターンが現れる。 r心中宵庚申』においても、

『心中重井筒』1誓文を破るパターン

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少し相違したそのヴァリアントが見られるから 期心中物の特 徴だとも言えるであろう。パターンを箭単に説明する と、 恋人の 遊女また は(r,心中宵庚申」のみ)要と緑を切 ることを、 親方や 父親や要などに迫られた主人公は、 縁を切ると誓文を立てるが、 その後は女と一緒に心中する。 このパター ンの 背後にあるのは、 いわゆるr義理と人惜」の対 立である。そして、 『心中宵庚申』やr生玉心中』を除けば、 る種の内而的対立を窺うことができるが、 それは内的葛藤には及 ぱない。なぜなら、 主人公は、 どうしても あきらめたくないと思 う好きな女と縁を切ることを他人によって弛いられるた め、 それ は内的硲藤より、 外的葛藤と呼んだ方が正確であろうからである。 しかし、 『心中重井筒』にのみは内的硲藤が見られるように思 このバターンの他の主人公が親方や父親などに叱貨されるよう に、r.心中重井筒』の主人公徳兵術も要おたつに叱られる。 しかし、 その直接のきっかけは、 彼が恋人おふさに必要な金をおたつや他 の人をだまして取ろうとしていることである。 それほど不追徳な 自分を父親の前でかばってくれる要に感動させら れ、 徳兵衛は改 心して自発的におふさと緑を切ることを決意し、 牲文を立てる。 ぃりhん11つさ 徳兵衛一念発起して、 ハツア、 あ、あやまった(。悪人と も、 業人とも、 盗人とも、 闊りとも、 われな がら煎罪人 今までもそなたに恥ぢ、 止めう(と思ひしが、 これほどの われる。 しんしん`ぅ し げ 瀬戸がなうて、 うか/\とつくした。我一人思ひ切れば、 なた、 子供、 隠居のため、 兄貸の身上、 我が身のため、 のり さめが後のため もよい。そこを知らぬ身でもなし。(中略) ふつ、と思ひ切つたぞ。今日の 女もふさではない。人匠きの いつかく たの a 娘を一角で穎うだ。証拠には、 その銀こ、にありと取り出だ し、 明日すぐに返弁し、 向後ふさとは 通路せぬ。今まで心 を無下にした恨みも、 つらみも、 許してたも。(②lID頁) この引用から も理解できるように、 おふさをあきらめたい気持 ちは徳兵衛の心にはすでにあった。 つまり、 妾に対するうしろめ たさとおふ さに対する愛梢が、彼の内面に前から対立していた(今 までもそなたに恥ぢ、 止めう/\と思ひしが)。 そして、 要に頼まれ、 義理の父である阻居にその誓文について 開かせるために家 を出る。しか し、 辻に立つと、 心が揺れ始める。 つじ さ^"う によう"' "りふ 辻にてふつと思ひ出し、南無三宝、義理 に詰った 女房の台詞、 もっとも胸に応へしより、 ふさが大事をはったりと忘れたり。 ぃりあひか S てU 入相限りに待て、 待たう、 この手筈が述うて は、 生き死にの せいし人 できる銀、 いや/\親仁は明日のこと。 ちょっ と逢うてと、 立ち戻る。 ア、さうもなるまいか。たった今誓文立て、 こと か" かb し”u に銀も手放したり。まづこちらを しまうてのけうか ア、 かは いや、 ふさがどうぞ銀の首尾なって(中略)辻を越えて はまた戻り、 辻に立ったり、 つくばうたり、 行くも、 帰るも 定まらず どうせうか、 かうしやうが酒、 煎りつくやうに気

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玄は がなつて、 胸掻き回す玉子酒。 心を二つに打ち割つて、 きみ が方へと走り行<。(②110ー171頁) しかしながら、 こうして一度おふさの方へ走ってしまった徳兵 術の内面にはもはや内的怒藤は見られない。換言すれば、 内面的 迩藤は削全体を幽いていない。 とはいえ、 前半における内的硲藉 は巧妙に設定されている。すなわち、 近松は主人公の要も恋人も 平等に取り扱い、彼女たちの立場を二つとも見事に描写する。我々 読者または観客は、 これらの二人の女が削の設定では対立するに もかかわらず、 彼女たちそれぞれの気持ちゃ惑梢を理解し、 双方 共に感梢移入することができる。 したがって、 そのIUJで迷う主人 公の気持ちも充分理解できる。 こうして近松は、 観客が内的葛藤 を自ら感じられるような設定を創造することに成功している。 r心中天の網烏」についても、 内的硲藤に関して一言断ってお かねばならない。 その設定は原則として『心中煎井筒』に似通っている。 つまり、 要子のある主人公が遊女と恋仲である設定になっている。 しかし、 r心中瓜井筒』との瓜要な相述は、 瑛おさんが遊女小春に手紙を 柑き、主人と緑を切ることを頼むことである。小春は「義理合ひ」、 すなわち、 女同士の助け合いの気持ち故にこの懇諧を断ることが できずに、 治兵衛との仲を切る。後の展開で 小春の行為に感動さ せられ、 おさんも同様の「義理合ひ」から小春を助け るために子 供の服までも売ろうとする。 『心中瓜井筒」と比較すれば、 筋の 複雑さは容易に目に付く。その複雑さによって、r.心中天の網島』 はr心中重井筒』よりドラマチック であり、 意外な転換によって 観客をおどろかせたり、 次々と起こる事件で我々の関心を惹き続 けたりする。 しかしながら、 同時にこの ことに よって、 r心中天 の網烏』は内的硲藤を埋めてしまっているのである。 具体的に説明すると、 特にお さんの言葉を通して小春の内的硲 と" 藤を窺うことができるが(「身にも命にもかへぬ大tJiの殿なれど、 引かれぬ義理合ひ、 思ひ切るとの返事」②411頁)、 小春の、 治兵 術に対する愛梢とおさんに対する「義理合ひ」を描写することは、 ある時まで隠されていた手紙の内容をある時点で明らかにするこ とによる転換ー�つまり、 劇のクライマックスーーを造るために、 不可能となった。 おさんの内的紹藤も窺われるが(夫に対する愛 と小春に対する義理)、それも記 述されてはいない。気が弱くなっ たただの一瞬と言える、内的葛藤の断片のみが垣間見られる。(「ア ツアさうぢや。 ハテなんとせう、 了供の乳母か、 飯炊か。隠居な りともしませうと、 わっと叫ぴ、 伏し沈む」②船頁)。要するに、 r心中天の網島』では近松は内的硲藤を描写せ ず、 それが窺われ る設定を創造したにもかかわらず、畢党ストーリーの展開をはる かに菰視したように 思われる。

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この劇は近松の姦通物の三作の最後の一組である。r堀川波鼓」 では、 過去において内面的対立があったことを知るが(「好みし ぜん" ごふ し人 C9 酒も、今思へば、 前世の業の琲の酒。無明の酒の酔ひ醒めて、 害せんと思ひしが、 夫の顔を今一度見たい/\と思ふより、今日 は“ と延ぴ、 明Hと硲れ、 枇間に恥を さらすこと、 我が身に悪腐の 魅入りか」(②510頁)、 それ は過去のことを思い返してのことに過 ぎないし、 ストーリーの展開に生かされているわけでもないから、 内的硲栢とは習えな い。 次の『大経師昔暦』で は、 近松は新しい 工夫として、 ストーリーを展開させる要因として要のぶ児ざを 用いるが、 そこでも 内的窃藤を記述して いない。 しかし、 r鑓の 権三重帷子」になると、 彼は内的怒藤を通し て、 主人公おさいの 洛気に焦点を協く。 おさいは、 権三が自分の娘と結婚する約束をしたにもかかわら ず、実はその時すでに他の女性と婚約していた、ということを知っ たその瞬間、 格気の感梢を噴き出させる。 "た たいてい 工、思案するほど妬ましい。大抵の男をかはい、娘に添はせ うか。我が身が巡れ添ふ心にて、 吟味に吟味。 思ひ込うだ稀 ればこそ、 大事の娘に添はするも の、 搭気せずにおか ばば ないしよう うか。 昼の婆めがぬかしづら、 お酋様と権三様と内証しや りんさ 11 ふかい んと締めてある。 二、股が立つ、 妬ましい。格気者とも法界 『鑓の権三重帷子』責任を負わせないバターン とも言ひたか言へ。(②607ー郎頁) このおさいの心理描写では、 搭気の感惰しか表れないが、 もは や次の瞬間では、 その格気を抑えようとするおさいの努力が見ら れる いんぐゎ 19 ぷか ハアウ、 アヽ、 思へぱ倍気も因果か病ひか れほど格気深 うては、 我が男を手放して海山開ててよう殴くぞ。 よ</\ Le .iiは 、ふ'、 Lうとめ お主は怖いもの。 みな心の気随から。 姑が婿の格気とは 人(みやう U 悪名の種。 さらりと思ひ忘れうと、 払へども なほ胸焦がす、 涙は癖となりにけり。(②608頁) おさいのモノローグを権三の登場が遮断する。 おさいは、 その 彼に対して格気や恨みを示さないが、結局我役できなくなり、わっ と服を立てる。 しうと" ,ん‘、 これ、 宵から、 くら/\燃えかへるを、 姑が妍の格気と、 9 さな 上が" 浮名がいやさに笑頗つくつて、堪へ袋ふつ、りと絣が切れた。 これ見よがしのその帯は、 定紋の三つ引と班菊 と、 こじた、 ”》 るい引ん並べ、 誰が縫うた。 誰がやった。噛みちぎつてのけ うと、 飛びか、り、 むしやぶりつ<。(②610ー611頁) ここでは、 おさいの内部に、 搭気の感惜と、 それを抑えようと する恩いが、 権三との会話の間も、 絶えず対立していたことが理 肝される。 この内的葛藤自体は削のなかにそれほど長い時間を占 めるわけではないが、 しかし後のストーリーの展関において破局 の原因の一っとして拗くのである。 内的硲藉の結果として、 おさ

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いは搭気の感惰にまけて、 自分の帯と権三の帯を解いて庭に捨て るが、 それらの帯が悪役の伴之丞に拾われて、不義の証拠となっ てしまう。すなわち、 内的恣藤を設定して、 近松は成り行きに対 する費任の(非常に小さいが)その一部をおさいに負わせる。 しかしながら、 他の姦通物は勿論、 r鑓の権三煎帷子」の設定 からも、 シェークスピア、 ラシーヌなどとの作測法上の差異が明 らかになる。姦通物の三人のなかで一_人は姦通を犯す。しかし、「罪 のある」二人も意図的にそれをしようとしたわけではなく、 主に お酒のせいか、 完全な誤解によっ て災いが起きる。 おさ いのみは 姦通を犯さない。彼女の内的葛藤は、 彼女が無罪であるにもかか わらずどうして滸れ衣を負わせられたかー—その過程 4� 明瞭 にする。先述のように、 内的慈藤を通して近松はおさいにも賀任 を負わせるが、 これは姦通の既任ではなく、 姦通したと思われた 爽任である。 もしシェークスピア、 またはラシーヌが『鑓の権三重帷子」を 杏いたとすれば、 逆に、 姦通を犯したいが、 同時にそれは不道徳 だからやっ てはならないというヒロインの内的葛藤を創造したで あろう。 近松のヒロインたちは、弱点を持っても(お酒が好きな ことや格気を抱くこと)、 そして、 その弱点は筋の展開に影椰を 与えても、 結局のところ、 悲惨な述命となった買任を負わない。 あるいは、 近松は貢任を負わせない。 以上、 内的葛藤を見出すことができたのは、 r冥途の飛脚』『心 中瓜井筒』r鎚の権 l 二煎帷子」の三つの作品に過ぎなかっ た。 こ れ以外にも、 『丹波与作待夜のこむろぶし』やr冥途の飛脚』な どにある種の内的怒藤が存在するが、 脇役の内而に行われるもの であるから、 本稿では触れなかった。 結論的に言うと、 近松の世話物に見られる内的愁藤は、 シェー クスピア劇やラシーヌ劇などのそれと比べてみると、 色の泄いも のである o r鑓の権三煎帷子』の場合、 それ が劇の中心的な問悶 とはなって いなかった。 r心中煎井筒』では、 削の前半にしか見 られない。 r 冥途の飛脚」の楊合のみストーリーを押し辿めるカ となっているし、単純化しすぎた言い方かもしれないが、結局盆ざ

..

と「普」のどちらかを、 主人公は主体的に選択し、 自分の運命を 決める。 しかしながら、 この内的窃藤とても持続されるものでは なく、 瞬問的なものに過ぎず、 その後は原則として外的事件がス トーリーの中心となる。 この作品の内的硲藤の意義は主として筋 の展開にとって決定的な要素であることにあ り、 ストーリーの展 開に奉仕し、 従属することにあるものと思われる。結局、 近松世 話物において、 内的窃藤が劇の主俎となることはなかったものと 思われる。近松にとって重要なことは 、 劇 のストーリーを組み立 てることの方にあった。

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とはいえ、 本稿で見て来たような内的葛藤ないし対立を抱える 人物は、 近松の批話物における主人公のなかでは、 とりわけ存在 感にあふれ、 その内的葛藤はストーリーの主題とまではならな かったが、 人間存在の複雑さを体現することには成功しているよ うに思われる。 注 (l)原旧字体を通行の字体に改めた。 (2)松崎仁r近松心中物の中之巻」『日本演劇学会紀要』七、 一九 六五年六月、 信多純一「近松世話浄瑠璃の方法ーー心中物を中心 としてー」r近松の世界』平凡社、 一九九一年(初出r帝塚山 演劇ぎニー一、 一九六九年五月〉、 諏訪春雄r戯曲作法とその 類型」 f 近松世 話浄瑠璃の方法笠問由院、 一九七四年、 白石由 芙「近松心中物の構造�昼から夜へ 人目をしのぶ構造論ー�」 『山口国文』二三、 二000"1-三月、 を参照。「心理的恣藤」あ るいは「惰緒的怠藤」とも呼ばれる(諏訪氏)。 上述の研究者の 取り扱いには差述があるものの、 原則として、「内的姑藤」は、 登場人物の「心のなかに行われる自分自身との争い」にとどまら ず、 情緒を表す場面や巻に関しても用いられるようである。残念 ながら、「内的巡藉」の語の具体的な意味ないし内容の説用は、 信多氏の論文を除いて、 なされていない。但多氏は自分が用いる 「内的葛藤」と、(ここで紐者が使用する)西洋演削論の一般的 概念との相異に関して触れている。 それによれば、 信多氏の概念 は、「主人公の心の中の対立」をも意味するが、それにとどまらず、 九 旭川国文(北海道教育大学旭川校国屈国文学会)十七、 冑山匝文(青山学院大学日本文学会)三四 愛知大學國文半(愛知大學國文染合)四三 愛知県立大学文学部論集(愛知県立大学文学部)五一 十八、 十 + 誌〉 愛知教育大学大学院国語研究(愛知教育大学大学院国語教育専攻) 〈雑 研究室受贈図書雑誌目録ー 〈単行本〉 古事記の真実 神代福の梵話解(愛育社/二宮陸雄氏寄贈) 文脈をたどって読む 更級日記(第二回卒業生・山田耕作氏寄贈) (平成十六年一月1十二月) L . r → Er 、孔,"" ... H..し・り「",、 r主人公と女主人公の間の、 あるいは主人公と肉親の人々の間の 心的硲藤など」をも含む。 このように、 少なくとも信多氏のこの 概念は、 本稿で用いるところのそれよりもずっと広い意味で使用 されるものと酋ってよい。 (3)以下、 本稿における近松世話浄瑠璃作品からの引用は本杏およ ぴ同全集74『近松門左衛門集①』(小学館、 二000年)によっ て行うが、引用に際しては、 それぞれ②およぴ①とのみ記す。 なお、 読みやすさを考慇して、 もとの.を句読点に改めた。 ([v ana Mihajlovic岡山大学大学院文化科学研究科)

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