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日英バイリンガルの言語と情意に関する一考察 : 複言語主義的観点から

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日英バイリンガルの言語と情意に関する一考察 

─複言語主義的観点から─

小泉 聡子 要 旨  複数の言語を持つバイリンガルが言語を使用・維持する要因とは何であろうか。その要 因は言語能力だけなのだろうか。二言語もしくは多言語話者について、言語能力ではなく、 複数の言語が並存している状態と、それらの言語を尊重する概念は、近年、複言語主義と して広まりつつある。本研究は、この複言語主義の概念を前提に、成人バイリンガルの言 語能力ではなく情意に着目し、情意が言語の使用や維持に与える影響を明らかにすること を目的とする。そして、情意という従来のバイリンガル研究とは異なる観点から、バイリ ンガルをより多角的にとらえることを目指す。調査の結果、バイリンガルの言語使用に対 する意欲や言語の維持には、個人の生まれ育った言語環境や言語能力だけでなく、情意が 密接に関係していることが明らかになった。また複数の言語に触れながら育つことで、バ イリンガルが潜在的に複言語主義に通ずる意識を育む可能性も示唆された。  【キーワード】 バイリンガル 情意 複言語主義 言語維持 言語使用 1.はじめに  従来のバイリンガル研究では、人がどのようにしてバイリンガルになるのかを問う研究 が多くなされてきた。そうしたバイリンガル研究の多くは、年少者を対象としたものであ ったため、年少者の二言語能力の伸長や、バイリンガル教育に有効な言語学習環境等に関 する議論が中心に据えられてきた。そのため、バイリンガルという語は、特に成長過程に ある子どもを対象に「2つの言語を使用する能力を持つ人」(山本1991)、「2つのことばをき ちんと使い分ける力を持った人」(中島2001)などと定義され、使用されてきた。  しかし近年では、人の空間的移動にともなう言語間の移動の増加により、一個人が複数 の言語を使用することも決して珍しいことではなくなりつつある。このような状況下にお いて、バイリンガルを主に能力を重視してきた従来の概念のみによって理解することが適 切であるといえるだろうか。バイリンガルの言語能力という側面だけを追究するのではな く、バイリンガルの社会における言語とのかかわりや、言語の選択および使用の背景に存 在する情意などに着目し、バイリンガルをより多角的にとらえる必要があるのではないだ うか。これが本研究の出発点である。  「バイリンガル」や「マルチリンガル」の言語の選択と使用については、近年、さまざま な観点から多くの研究がなされつつある。小野原・大原(2004)は、複数の言語を持つ人た ちの言語の選択と使用についてさまざまな角度から調査し、言語選択の背景には能力だけ

─研究論文─

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でなく、社会的立場やアイデンティティなど複雑な要因が存在することを明らかにした。 奥村他(2006)もまた、民族的・言語的に多様な背景を持つ人々が共生する多言語・多文化 社会では、民族意識といった私的レベルから政治的・経済的理由など公的レベルまでの広 範囲にわたり、言語の選択と使用にかかわる要因が存在すると指摘している。また、金 (2009)は「バイリンガル」を「好むと好まざるとに関わらず二つの言葉、またはそれ以上の 言葉を操れる人達」と説明し、中朝二重母語話者の言語の選択と使用には主に言語・民族・ 国に対する意識が大きく影響するとしている。八木(2006)は、日本語非母語話者が、日本 語教育の文脈では誤用と見なされる語彙を繰り返し選択し続けることの背景に、言語能力 の観点では測ることのできない「人としての世界」があると述べている。  これらの研究では、バイリンガルを言語能力のみによって説明しようとするのではなく、 彼らの言語の選択と使用を、個人の言語に対する嗜好や意識、情意と関連付けて論じてい る。これにより、バイリンガルの言語の選択と使用が、必ずしも能力だけによらないこと、 そして、複数の言語の使用には能力だけでなく、さまざまな要素が複雑かつ密接に関係し ていることが明らかになった。  本稿では、空間的・地理的移動によりいくつかの異なる言語・文化を背景に「移動する 子ども」(川上2006)として育った成人バイリンガルの言語に関する語りを分析・考察する。 特に、成人バイリンガルの社会における言語とのかかわりや、言語と情意に関する語りに 焦点を当て、能力ではなく情意が彼らの二言語の使用や維持にもたらす影響を、複言語主 義的観点から探ることを目的とする。 2.用語の定義  本稿において特に重要であると思われる語を挙げ、その定義を行う。 2.1 バイリンガル  先述のように、これまで「バイリンガル」という語は、特に個人の二言語能力に焦点を当 て用いられてきた。しかし昨今では、個人の二言語もしくは多言語使用の増加により、バ イリンガルという語を能力だけによって定義することが難しくなっている。ベーカー (1996)は、「誰がバイリンガルで誰がそうでないかを決めることは、基本的にわかりにくく、 結局は不可能である」と述べている。そして、バイリンガルという語を「能力」と「使用」と いう2つの側面を内包する語としてとらえることがより重要であると指摘し、「能力」ばか りに注目しがちであった従来のバイリンガルの定義に疑問を呈している。

 Li(2007)はバイリンガルを “someone with the possession of two languages” と定義し ている。同様に、Myers-Scotton(2006)も、言語能力の熟達度を測る明確な基準が未だ存 在しないことや、個人の言語能力の四技能には偏りがあることを前提に、バイリンガルを “a person speaking at least two languages” と定義している。これらの定義は、「バイリン ガル」という語を個人の言語能力に依拠して説明してきた従来の定義では説明することが 困難であった二言語使用者を、より包括的かつ柔軟にとらえようとするものである。また、

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こうした定義は、多様化する二言語話者への汎用性も高いと考えられる。  本研究は2つの言語を持つ人たちの発音の流暢さや文法の正確さなどの言語の熟達度す なわち能力のみに着目するものではない。言語能力そのものよりもむしろ、2つの言語を 使用する人がいつ、どこで、だれとその言語を使うのか、そして言語使用の際にどのよう な感情を持つのか、といった社会における言語の使用にかかわる側面を重視し、情意や意 識が言語の選択と使用に及ぼす影響を探り、複数の言語を使用する人をより多角的にとら えることを目的とする。よって本稿では、個人の言語について能力ではなく使用を重視す る立場をとり、バイリンガルという語を、Myers-Scottonの定義に沿って用いる。 2.2 複言語主義  複言語主義(plurilingualism)とは、欧州評議会が提唱した概念で、個人レベルで複数の 言語が並存している状態を指す。吉島他(2004)によれば、複言語主義では、ある言語能力 を一定の熟達度に到達させることを具体的な目標とするのではなく、仮に言語に対する知 識が十分でない場合にも、個人の持つあらゆる言語知識や経験を利用しコミュニケーショ ンを成立させようとすることに重きを置く。福田(2007)は複言語主義を、言語能力を問題 にせず、個人が持つすべての言語知識と経験が相互に作用し合い、新たなコミュニケーシ ョン能力の形成に寄与するものであると説明し、その概念においては、言語の熟達度では なく、言語やそれに付随する多様な文化的背景に対する寛容さも重視されるとしている。  このような複言語主義の概念は、主に個人の言語能力について議論してきた従来のバイ リンガル研究とはその方向性が異なるものである。先に述べたように、本稿は、バイリン ガルの言語能力を測ることを目指すのではなく、個人が2つの言語とどのようにかかわっ てきたのか、言い換えれば、社会の中で、いつ、だれと、どのように言語を使用し、そう した言語にまつわるさまざまな経験をどのように解釈してきたのかを明らかにしようとす るものである。この点において複言語主義は、バイリンガルを言語能力だけによらずより 多角的に分析しようと試みる本研究において重要な役割を担う概念であるといえる。よっ て、本研究ではこの複言語主義を前提に、分析と考察を行う。 3.調査概要 3.1 調査内容  調査は2007年9月から、約1年間にわたり筆者の当時の勤務校であったアメリカの大学 で、インタビュー調査を中心として断続的に行われた。調査協力者には事前に調査目的と 調査内容を説明し、書面で調査協力に同意を得た。村岡(2002)によると、インタビュー調 査には3種類ある。その中で、質的研究に向くとされる非構造化インタビューは、情緒的 内容を含む調査協力者の自発的な語りに重点をおくもので、異文化体験等の経験と意識を 探る場合に有効である。また、半構造化インタビューは、調査者が事前に質問を用意するが、 調査協力者の意識の流れを重視しながら、柔軟にインタビュー調査をコントロールしてい くものである。本研究では、成人バイリンガルの言語にまつわる経験や情意を探ることを

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目的とするため、この2つのインタビュー調査を併用した。  調査では、まず、非構造化インタビューで調査協力者の言語にまつわるエピソードとし て生い立ち・言語生活・友人関係などについて語ってもらい、そこで得られた回答をもと に半構造化インタビューを行った。そこでは、移動する立場にあった調査協力者の越境経 験・異文化体験・言語使用などについてのコメントが得られた。インタビューで使用する 言語は、調査協力者に決定を委ねた。インタビューはすべて録音し、のちにデータとして 文字化した。 3.2 調査協力者  調査協力者は、調査当時、20代前半の大学生であったBF1・BF2・BF3の3名である。 調査のフィールドとなった大学に筆者が赴任した後に知り合った。調査協力者と筆者は学 生と教師という師弟関係にはなく、日本という共通の言語的・文化的背景を持つ友人とし て付き合い、調査開始時までにある程度の信頼関係が構築されていた。これは、調査協力 者の言語能力ではなく、言語にまつわる感情や情意を調査協力者の語りから明らかにしよ うとする本研究において、インタビュー調査の信頼性を高めるうえで重要な点であると考 えられる。  3名の調査協力者は皆、英語と日本語の二言語を使用できるが、その学習経験や方法、 また言語の習得過程はそれぞれ異なっている。本研究はバイリンガル個人の言語能力を測 ることは目的としないが、調査協力者の語りには二言語に対する自己評価も含まれており、 それらの評価についても個人差が見られた。以下、表1に調査協力者3 名の調査時のプロ フィールを示す。「居住経験」については、国名に続けて括弧内に調査協力者たちがその土 地で在籍した教育機関を記した。現地校は「現」、補習校は「補」、インターナショナルスク ールは「イ」と省略した。特に記述がない場合は、その土地で教育機関に属さなかったこと を表す。 表1 調査協力者のプロフィール(調査時)   BF1 BF2 BF3 年  齢 22歳 22歳 21歳 性  別 女性 女性 女性 出 生 地 アメリカ合衆国 A州 アメリカ合衆国 B州 日本 C県 居住経験 アメリカ(現・補) 日本(現) フランス・タイ 中国(現) アメリカ(現・補) 日本(現) イギリス(現・補) 日本(現・イ) アメリカ(現) スコットランド(現) 使用言語 英語・日本語・中国語・フランス語 英語・日本語 英語・日本語

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4.語りの記述と分析  以下、3名の調査協力者の英語と日本語についての語りを記述し、分析を行う。なお、 調査協力者の語りは原則として発話時のものをそのまま引用したが、語りの意味や意図を より明確化するため筆者が補足した部分は< >で示した。 4.1 BF1の語り 4.1.1 英語  BF1はアメリカA州で生まれ育った。父親がアメリカ人、母親が日本人であったため、 父親とは英語を話し、母親とは主に日本語を使用し、二言語に触れながら育った。当然の ことながらA州では英語が主要言語であり、BF1は学齢期になると現地の幼稚園に入園し たため、英語との接触は極めて日常的なものであった。現地の小学校への入学と同時に補 習校にも在籍したが、英語との接触量が圧倒的に多かったため、母親との会話にも徐々に 英語で受け答えをするようになっていった。ほぼすべての教育をアメリカで受けたBF1に とって、英語は「一番便利な、自分の言いたいことを一番早くはっきり言える言葉」である。 また、「英語をしゃべっているときが、一番自分が堂々と言いたいことをはっきり言って、 自分が選びたい言葉を苦労なく、本当に細かいところまで選んで使える言葉」であると述 べている。 4.1.2 日本語  上述のようにBF1の母親は日本人であり、結婚後A州へ移り住んでからも「1年に一度 は必ず日本に帰る」と決めていたため、BF1は母親とともにたびたび日本を訪れている。 母親はBF1が幼いころから、家庭内で日本語を使用するよう努力していた。成長するにつ れて増加する英語使用に対しても、日本から子ども向けのビデオを送ってもらうなどして、 なるべく日本語との接触機会を増やすよう注意していたという。その結果、BF1は2歳ご ろにアメリカ人の父親から英語で話しかけられても、英語で答えることができない状態で あったという。BF1は子ども時代の自身の日本語とのかかわりを振り返り、「日本に帰る とそのときは全部日本語になって、それが自由にしゃべれるようになるとアメリカに帰っ て、日本語がなくなって」と説明している。また、補習校で日本語と日本語を使用した教 科学習を経験したことについては、「勉強したことはほとんど忘れても、そういう日本人 の人たちと、アメリカに住んで英語ばっかり聞いているそういう中で日本語をしゃべれた、 そういう経験があったのがすごいよかった」と語っている。BF1は小学4年のとき、日本 の祖母から受け取った手紙の漢字が読めなかったことにショックを受け、単身日本へと移 動し、日本の家族と1年間を過ごした。それは、BF1自ら両親に懇願したことであり、そ の結果、「前ほど簡単に日本語を忘れたりはしなくなった」。高校卒業後、母親が仕事の都 合で日本へ一時帰国することになったときも、BF1は迷わず同行することにした。約7カ 月間、日本でアルバイトをしながら過ごし「自然に出てくる言葉も夢に出てくる言葉も全 部日本語」になったという。今、BF1は「日本語がない自分は全然想像できない」という。

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そして「お母さんの言葉」である日本語を「ずっと持っているものだけど、大切なこと」だ と感じ、「お母さんが小さいときから日本語がしゃべれるように育ててくれたから、それ を台無しにするのはもったいない」と思っている。また「日本語をしゃべれなくても日本の 家族は受け入れてくれるけど、やっぱり(中略)<日本語でのコミュニケーションに>つい ていけるように頑張ろう」、「日本の家族との近い関係が(中略)日本語を忘れたらそれもな くなっちゃうんだろうな」というBF1の語りからは、BF1にとって日本語が家族とのつな がりを維持するために重要な意味を持つものであることがわかる。 4.1.3 分析  BF1の語りからは、BF1が英語と日本語の二言語に対して異なる感情を持っていること がわかる。英語に対してはより現実的で具体的な、言語の実用性に言及するコメントが多 く聞かれたが、一方で日本語に対しては特に母親や日本の家族との関係を保つ意味合いを 持つコメントが多く聞かれた。こうしたことから、BF1にとって英語は利便性と実用性を 兼ね備えた実用的・道具的側面を持つ言語であり、日本語は日本の家族に対する感情や言 語そのものに対する深い愛着など情意的・統合的側面を持つ言語であると推測される。 BF1が日本語に対して持つ情意的側面が、BF1の意識的かつ積極的な日本語学習と日本語 使用へとつながり、日本語を維持する上で重要な役割を担っていると考えられる。 4.2 BF2の語り 4.2.1 英語  BF2は、アメリカB州で生まれ育った。B州は昔から多くの移民を受け入れてきた歴史 があり、日常的に多言語が使用される、多文化色の非常に濃い地域である。「世界中の人が いっぱいごろごろいる」環境の中で、日本人の両親を持つBF2はアメリカ社会との接点を 持ちながら、日本人および日系人コミュニティとも多くの接触を持って生活してきた。 BF2の両親は日本からB州へと移住したため、日本への頻繁な帰国はしないが、両親の意 向で家庭内では主に日本語を使用している。移民が多い土地柄のため、公立学校にもESL (English as a second language)クラスが設置されており、BF2自身も小学3年までESLに 在籍していた。大学卒業までのほぼすべての教育を英語で受けたBF2は「英語しゃべって るときの方がもっといろいろ言える気がする」と述べ、「英語の方が強く」「もっと簡単」で 「しゃべりやすい言葉」だと感じると同時に、「英語の方が圧倒的にvocabularyが広い〔マ マ〕」とも思っている。また、世界中で英語の使用が著しく増加していることについては、「コ ミュニケーションを広げるためにはいいんじゃないか」と述べつつも、そこに「アメリカの “imperialistic presence”(帝国主義的な態度)」が存在するのではないかとの考えを示し、世 界言語としての地位を高めつつある英語の背景に対して、ある種の危機感を抱いている。 4.2.2 日本語  多言語・多文化に囲まれて育ったBF2にとって、自身の持つ日本語という言語を強く意

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識したのは、大学入学によりB州を離れたあとだった。それまでは「世界中からいろんな 人たち来てる」という環境のB州で「自分が日本語しゃべれることが特に普通じゃないこと とは考えて、感じてなかった」が、B州外への移動はBF2に「日本語しゃべるのが恋しくな ってた」という感情をもたらすほどの、極めて大きな変化だった。「日本語なくなるまでそ れほど重要なものだったんだなって気づかなかった」というBF2は、この経験を通して自 身にとっての日本語の存在の大きさを再認識するに至った。BF2は自身の日本語について 「おかしい日本語使ってるかもしれない」と懸念しつつも、日本語を「自分からは切り離せ ない」ものだと感じ、「日本語でしかわからない感覚」や「自分の好きなものとかコミュニ ケートするのに」日本語が必要不可欠であると考えている。「家族の会話、全部日本語だか ら、自分が家族作って日本語で会話できないのってすごいさみしいなって思うし(中略)い ろんな意味で日本語の中でのコミュニケーションで(中略)自分でもしっくりくるようなと こある」という理由から、BF2は将来、自らが築く家庭でも日本語を使っていきたいと強 く望んでいる。 4.2.3 分析  BF2の語りからは、BF2の英語と日本語に対する対照的な感情をかいま見ることができ る。BF2は英語の言語能力については絶対的な自信を持っているが、日本語についてはそ の能力が十分でないということを示すようなコメントをしている。BF2自身が、語彙が豊 富であると説明した英語については、言語としての実用性に関する語りが中心的であった 一方で、日本語については家族との絆やコミュニケーションなど、情意面に関する語りが 中心となっていた。さらに、日本語を自分自身の一部ととらえているような発言もあり、 これはBF2の日本語に対する強い感情の表れであると考えられる。こうしたことから、言 語の能力や熟達度だけがBF2の言語の使用・維持に直接的に影響しているのではなく、情 意が言語の使用と維持に大きな影響を及ぼしているものと推測される。さらに、多言語・ 多文化色の濃いB州で生まれ育ち、ESLクラスにも在籍していたBF2は、一個人が複数の 言語を持つことや、複数の言語を持つ人にとっての言語の意味を経験的に理解しているも のと思われる。これは、個人の持つ言語をその能力にかかわらず尊重し受け入れる複言語 主義的言語観を、BF2が無意識的にではあっても確実に育んできたことを示唆しているの ではないだろうか。 4.3 BF3の語り 4.3.1 英語  BF3は2歳半で父親の海外赴任に伴われ、母親とともに渡英した。両親は家庭内では日 本語を話し、母親もBF3に積極的に日本語を教えたが、同時にイギリスで「幼稚園ぐらい 行って、少し英語覚えて帰ってきたらいいなっていう軽い両親の気持ちで」BF3は現地の 幼稚園へ入園した。BF3の母親は英語があまり得意ではなかったため、BF3が現地の小学 校に入学したあとは、BF3に「翻訳・通訳」を依頼することも多かったという。たとえば、

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学校からの配布物の内容説明や、家族旅行でのホテルなどでの対応もBF3がした。BF3は 「子どものときはすごいそれがいやだった。(中略)緊張するし、こわいからやりたくない」 と思いながらも、「<私がしなければ>家族みんなが困る」というプレッシャーにも似た責 任感からその役割を引き受けていたという。このように、幼いころから社会の中で英語を 使用してきたBF3は、英語という言語を「イギリスで社会からもらった言葉」と位置付け ている。BF3が小学3年のとき、一家は日本に帰国した。BF3も一旦は日本の公立小学校 に編入したが、日本語と英語が「五分五分くらいで、すごい中途半端だった」ため、結局、 日本国内のインターナショナルスクール(以下インター)へと編入した。しかし、BF3がイ ギリスで身につけた英語力はインターでの学習には十分とは言えず、BF3は「自分のサバ イバルのため」に「そのころから英語に打ち込んだ」。しかし、家庭内で英語を話せるのは 父親だけだったため、BF3は家庭内でのコミュニケーションにも苦労した。BF3はこれを “language barrier” と呼び、それにより家族の中で自分だけが「どうしても別の存在になっ ちゃう」と感じたと説明している。一方、インターでは学習面でも友人関係においても英 語が主要言語として使用されていたため、BF3は日本の学校では得ることが難しかった心 から打ち解けることのできる多くの友人に恵まれた。BF3 はインターの友人を “My friends became more my family than my family was my family.(本当の家族よりも家族 に近い友人)”であると述べているが、これはBF3とインターで英語を介して出会った友人 たちとの心的距離の近さを示している。このように、英語はBF3にとって学習場面のみな らず、社交場面でも実用性の高い言語となっている。 4.3.2 日本語  渡英時、2歳半だったBF3はちょうど日本語の単語を少しずつ口にし始めたところだっ たという。イギリスで現地の幼稚園と小学校に在籍したBF3だったが、小学校入学と同時 に補習校へも通学し始めた。それは「私は行きたくなかった。だけど親からしたら、せめ て日本語を週一でもいいからっていうので、行かされた」ものだったという。BF3の両親 は日本への帰国を視野に入れ、週に一度の補習校への通学、家庭内での可能な限りの日本 語の使用などにより、英語が圧倒的に優勢な環境の中でBF3に日本語の維持を強く促した。 しかし、「小学校にあがったくらいから(中略)学校にいる時間が長くなるし、そうなると(中 略)英語しゃべってる時間が長くなる。そうなると日本語しゃべってる時間が減る」という 状況になり、小学3年で日本に帰国した時、BF3は「1/3(三分の一)」をどう読むのかがわ からず、「〒(郵便)」マークが何を意味するのかわからなかった。イギリス社会の教育シス テムで育ったBF3には日本語という言語を筆頭に理解できないことが多く、それはやがて BF3に対する「転校生、何もできない」というレッテルと化した。BF3は当時のことを「勉 強もできない、漢字が遅れてたから(中略)音読は読めないし」「友人関係がうまくいかな くて、誤解されることが多かった」と振り返っている。その後、インターへと編入し、英 語中心の生活をしたBF3は「中学校くらいから、もう日本語がストップした」と述べている。 BF3は日本語について「家族からもらったもの」であり、家族とのつながりを維持するため

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に「必要性から」身につけた言語であるとしている。さらに「使いたいからとか、そういう 願望があったらもうちょっとちゃんと勉強してたと思う」と述べ、自身の日本語能力に対 しても肯定的な評価はしていない。 4.3.3 分析  BF3は両親が日本人であり、9歳から18歳までを日本で過ごしている。しかし、BF3の 語りからは日本での長期にわたる滞在がBF3の日本語能力の伸長や言語の積極的な使用お よび維持に影響を与えている様子は見られない。BF3にとって英語は幼いころからイギリ ス社会で使用してきた言語であり、インターでの学習や友人関係に必要不可欠な言語であ る。そして、英語でコミュニケーションできる非常に親しい友人たちをインターで得たこ とが、BF3に英語に対する肯定的な情意をもたらした1つの要因であると考えられる。そ れとは対照的に日本語は、家庭内で使用してきたものであるが、渡英中も日本への帰国後 も多くの時間を英語環境の中で生活してきたBF3にとっては、英語ほどの重要性を持たな い言語であると推測される。また、BF3は日本への帰国後、日本語やそれに付随する社会 文化的な理解の不足により、さまざまなネガティブな経験をしたが、それらはBF3にとっ てのいわゆる「日本語の価値」を下げるに十分なものであったのではないだろうか。このよ うに、BF3の語りからは、英語と日本語はBF3にとって共に使用機会があり、使用できる 言語であるにも関わらず、それぞれの言語に対する思いや感情といった情意的側面に大き な隔たりがあることが明らかになった。 5.考察  本研究では特に、成人バイリンガルの言語にかかわる情意的側面に関する語りに着目し、 分析を行った。その結果、研究の目的に対して以下の点が明らかになった。  まず、成人バイリンガルの言語使用および維持の要因は、個人の情意と密接に関係して いることが明らかになった。具体的には、家族との関係の保持への意欲、家庭内でのコミ ュニケーションに対する嗜好、また家族への心的距離や感情が、主に英語が使用される環 境下においても積極的な日本語の使用を促し、日本語の維持に深くかかわっていることが 明らかになった。また、主に日本語が使用される環境にあっても、自分をよりよく理解し てくれる心的距離の近いグループが日常的に英語を用いる場合、日本語よりもむしろ英語 を重要視する可能性が高いこともわかった。このことから、言語に対する強い感情や情意 は、時に言語そのものの能力や熟達度以上に、バイリンガルの言語の選択と使用および維 持に多大な影響を与えることがわかった。  ベーカー(1996)は、従来のバイリンガル研究は言語能力を重視する傾向があったと指 摘しているが、本研究で明らかにされたバイリンガルの情意と言語使用および維持との関 係については、主に言語能力やその伸長に着目していたこれまでのバイリンガル研究の観 点からはとらえることが難しく、十分な分析や考察が困難な側面であったと考えられる。 この点において、複言語主義を前提にバイリンガルの情意と言語の使用・維持とのかかわ

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りに着目した本研究では、バイリンガルをより柔軟に、新たな角度からとらえることが可 能になったといえる。  また、調査協力者の語りからは、バイリンガルたちが自身の持つ言語を能力やその実用 性といった観点からのみとらえるのではなく、言語の周辺に存在する人間の感情やコミュ ニケーションといった側面をより重視する傾向があることがわかった。これは、言語能力 だけではなく、言語に伴う文化的・社会的知識とその理解、また、言語を通した実際の経 験やコミュニケーションそのものに重きを置き、それらを柔軟かつ寛容にとらえようとす る複言語主義の概念に通ずるものであると思われる。このことは、幼いころから多様な言 語に触れながら育った調査協力者たちが、異なる言語やそれに付随する文化を受け入れ、 理解・解釈してきたことにより、無意識的に複言語主義的言語観を養ってきた可能性を示 唆しているものと考えられる。 6.まとめと今後の課題  本研究では、複言語主義的観点からバイリンガルの言語に関する情意の分析と考察を試 みた。その結果、バイリンガルの言語の使用と維持には、言語に対する個人のさまざまな 情意が密接にかかわっていること、また、バイリンガルが多言語・多文化との接触により、 言語やコミュニケーションに対して、複言語主義的な意識を持つ可能性があることが明ら かになった。  本研究では、個人の言語能力を重視してきた従来のバイリンガル研究では扱われること が少なかった成人バイリンガルについての事例をとりあげた。そして複言語主義という概 念をとり入れながら、バイリンガルの言語の使用と維持を能力という観点からではなく、 情意という観点からとらえ直した。これにより、言語能力や言語の熟達度といった側面か らはうかがい知ることのできない、バイリンガルの言語使用と維持に対する意識が浮き彫 りになった。このことは、多様化するバイリンガルをより柔軟かつ多角的にとらえる上で、 大きな意味をもつといえる。  本研究は、結果の一般化を目的としない3名の事例研究であるが、データとその分析に、 より客観性をもたせる方法を検討することを今後の課題としたい。また、インタビュー調 査では、バイリンガルの言語の情意的側面に言語意識やアイデンティティが密接にかかわ っていると推測される語りも多く見られたため、これらの要素も考慮しながらバイリンガ ルの言語の選択および使用と情意の関係について、さらなる分析と考察を深めることも今 後の課題に挙げたい。 謝辞  本研究は3名の調査協力者の協力なしには実現しなかった。調査を快諾し、積極的にイ ンタビューに応じてくれたことをここに記し、感謝の意を表す。

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参考文献 奥村みさ他(2006)『多民族社会の言語政治学‐英語をモノにしたシンガポール人のゆらぐ アイデンティティ』ひつじ書房 小野原信善・大原始子(2004)『ことばとアイデンティティ ことばの選択と使用を通して 見る現代人の自分探し』三元社 川上郁雄(2006)『「移動する子どもたち」と日本語教育 ─日本語を母語としない子どもへ のことばの教育を考える』明石書店 金英実(2009)「『ことば・みんぞく・くに』─この三つに対する中朝二重母語話者の意識─」 『言語文化教育研究 第1号』東京言語文化教育研究会 中島和子(2001)『バイリンガル教育の方法 12歳までに親と教師ができること 増補改訂 版』アルク 福田浩子(2007)「複言語主義における言語意識教育─イギリスの言語意識運動の新たな可 能性─」『異文化コミュニケーション研究 第19号』神田外国語大学異文化コミュニケ ーション研究所 ベーカー、コリン(1996)『バイリンガル教育と第二言語習得』大修館書店(岡秀夫訳・編) 村岡英裕(2002)「2-8 質問調査:インタビューとアンケート」J. V. ネウストプニー・宮崎 里司編『言語研究の方法 言語学・日本語学・日本語教育に携わる人のために』くろし お出版 八木真奈美(2006)「多言語使用と感情という観点からみる、ある『誤用』」『WEB版リテラ シーズ 第3巻2号』くろしお出版 山本雅代(1999)『バイリンガル─その実像と問題点─』大修館書店 吉島茂他(2004)『外国語教育Ⅱ─外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照 枠─』朝日出版社

Li, W. (2007). Dimensions of bilingualism. In Li. W (ed.) The bilingualism Reader (Second Edition),

Routledge. New York.

Myers-Scotton, C. (2006). Multiple Voices; An Introduction to Bilingualism, Blackwell Publishing,

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