植民地時期台湾の繊維産業政策 : 大正期の蚕業奨励を中心として
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(2) 日本 植 民 地 時 代 台 湾 の 研 究 は 近 年 進 展 して き た が 、 主 要 産 業 で あ る糖 業 ・米 穀 業 ・茶 業 以 外 の 諸 産 業 に つ い て は 、 十 分 な 研 究 が な され て い な い 。 ま た 台 拓 は 、 注 目 こ そ され て い る も の の 、 (台 拓 が 実 際 に 行 っ た 事 業 の 中 心 は 、 『事 業 概 要 』 や 三 日月 の 回 顧 を 読 む 限 り にお い て 、 繊 維 産 業 を含 め た 農 林 産 業 や 土 地 開 拓 で あ る の に)台 湾 工 業 化 の た め の 組 織 で あ る との 理 解 が 先 立 っ て い る た め 、 台 拓 以 前 の 台 湾 産 業 像 の 理 解 や そ れ と台 拓 事 業 との 繋 が りが 不 明 確 な ま ま で あ り、研 究 成 果 が 得 られ て い る と は言 え な い 。 よ っ て 、本 論 に 取 り組 む こ とは 、 単 に 植 民 地 台 湾 に お け る 諸 産 業 政 策 の 実 態 解 明 に な る だ け で な く 、 台 拓 の 理 解 に も繋 が る こ と に な ろ う。. 1.大. 正 期の繊 維産 業. (1)繊. 維 産 業の概 要. 最 初 に 、 大 正 期 台 湾 の繊 維 産 業 の 概 要 を探 っ て み た い 。 台 湾 総 督 府 の 部 署 の うち 、 産 業 奨 励 を 広 く取 り扱 うの は 民 政 部 の 殖 産 局 で あ っ た2。 よ っ て 、 殖 産 局 の年 報 か ら繊 維 産 業 に 関 す る記 述 を 拾 っ て み よ う。 ま ず1912(大. 正 元)年 度 『台 湾 産 業 年 報 』 の 記 述 を 見 てみ る と、 「第 一 編. 業 」 に 記 載 され て い る の は 、 苧 麻 と黄 麻(と (と も に90-92頁)、 そ して 蚕 業(109-116頁)で 体 的 な 記 述 を 見 る と、 苧 麻 と黄 麻(ジ 作 付 面 積 ・収 穫 高 ・1甲(約1ヘ 地 方 庁 別(1912年. 度)と. も に87-90頁)、. 藺 草 と鳳 梨(パ. 農. イ ナ ップ ル)繊 維. あ る。 ま た 畜 産 の 中 に は 羊(116頁)が. あ る。 具. ュ ー ト)は 、 台 湾 全 体 で の 需 要 状 況 が 記 され 、 そ の 次 に 、. ク ター ル)平. 台 湾 全 体(過 去5年)の. 均 収 穫 高 が 、 表 形 式 で 報 告 され る。 こ の 表 に は 各 推 移 との 両 方 が 記 載 され て い る。 最 後 に 各 地 方. 庁 にお け る栽 培 の 増 減 や 特 記 事 項 な どが 報 告 され る とい う形 で あ る。 藺 草 と鳳 梨 繊 維 の 報 告 も同 様 の 形 で あ る 。 羊 は 台 湾 全 体 で の 頭 数 が 示 され て い る だ け で 、 牛 ・豚 ・山 羊 と違 い 牡 牝 な ど具 体 的 記 述 は な い3。 蚕 業 は 後 述 す る。 また 「 第五編 頁)が. 工 業 」 に は 、 織 物 業(302-304頁)、. 製 帽 業(309ー313頁)、. 製 蓆 業(313-315. あ る4。1915年 度 『台 湾 産 業 年 報 』 も 、 そ れ ぞ れ の 記 述 内 容 に 相 違 は あ る も の の 、 項 目に. 変 化 は な い。 下 っ て1919年 度 以 降 は 、『台 湾 農 業 年 報 』 と 『台 湾 商 工 年 報 』 に 殖 産 局 の 年 報 が 分 離 す る。 そ れ と と も に 記 載 方 法 も変 化 し、 文 章 記 述 の 割 合 が 低 下 して 、 統 計 が 過 半 を 占 め る よ うに な る。 そ れ で も例 え ば 、1924年 度 『台 湾 農 業 年 報 』 に 記 載 され て い る繊 維 関係 の 記 述 と して 、 苧 麻(73頁, 統 計 表 の 形 で 年 度 別 の 作 付 面 積 ・収 穫 高 ・価 額 ・1甲 当 収 穫 高 の 実数 と1902年 度 を100と した 指 数 を 示 す)、 黄 麻(74頁,統 76頁,同. 計 表 の 項 目は 苧 麻 と同 じ)、 鳳 梨 繊 維(74-75頁,同. 上)、 養 蚕(102-103頁,統. 上)、 藺 草(75-. 計 表 の 形 で年 度 別 の飼 養 戸 数 ・蚕 種 掃 立 枚 数 ・繭 の 種 類 一 一. 繭 ・玉 繭 ・出 殻 繭 ・屑 繭 ー ー別 の 産 額 の 実 数 と1902年 度 を100と した 産 額 の 指 数 を 示 す)と. いう. よ うに 、採 り上 げ られ て い る繊 維 の 項 目 自体 は 『台 湾 産 業 年 報 』 時 代 と変 化 は な い。 た だ 、 これ ら年 報 の 記 載 は 、 総 督 府 殖 産 局 が(試 作 で な く)本 格 生産 に 関 心 を持 ち 、地 方 庁 に.
(3) 報 告 を 求 め て い た も の に 限 られ る よ うだ 。 例 え ば 綿 花 に つ い て の 記 載 は 大 正 時 代 を通 して 『台 湾 産 業 年 報 』 に も 『台 湾 農 業 年 報 』 に もな い。 で は 台 湾 で は 綿 花 は 全 く栽 培 され て い な か っ た か と 言 えば 、 そ うで は な か っ た 。 台 湾 綿 花 栽 培 組 合 と言 う組 合 が 台 南 に あ り 、『台 湾 に 於 け る綿 花 』 とい う報 告 書 を 「第 ○ 回 綿 花 栽 培 事 業 報 告 」 とい う副 題 で 大 正 時 代 に 数 回 刊 行 して い た5。 た だ し、綿 花 は1906年 か ら1910年 ま で 台 北 農 事 試 験 場 な ど各 地 で試 作 され た も の の 不 成 績 に 終 わ り、 1912年 時 点 で は 総 督 府 殖 産 局 や 地 方 庁 の 手 を 離 れ 、 上 記 の 台 湾 綿 作 栽 培 組 合 の 主 導 で 試 作 され て い る に 過 ぎ な か っ た6。 よ っ て 、 殖 産 局 は 綿 花 の 本 格 生 産 に は ま だ 関 心 が な い の で 、 『台 湾 産 業 年 報 』 に 記 載 しな か っ た よ うで あ る。. (2)繊. 維産 業の 類型. 年 報 な ど で わ か る通 り、1912年 の 台 湾 にお け る繊 維 産 業 に は 、 幾 つ か 違 っ た 類 型 の繊 維 が あ っ た こ とが わ か る。 第 一 に 、 苧 麻 ・黄 麻 や パ イ ナ ップ ル 繊 維 な ど亜 熱 帯 ・熱 帯 の 作 物 を原 料 と した 麻 系 の繊 維 が あ る。 台 拓 営 業 当時 は 南 方 特 殊 資 源 と称 され た 、 日本 本 土 で は あ ま り採 れ ず に 輸 入 に 頼 っ て い た 種 類 の 繊 維 で あ る。 第 二 に 、 綿 花 の よ うに 日本 で も 江 戸 時 代 は 多 数 栽 培 され た が 、 明 治 以 降 は 輸 入 品 に 押 され て(日. 本 国 内 で の 消 費 量 は 増 加 して い っ た に も か か わ らず 、 商 品 作 物. と して は)日 本 本 土 か ら駆 逐 され て い っ た 繊 維 が あ る 。 第 三 に 、 カ イ コ(蚕 業)の. よ うに 日本 本. 土 の 農 村 で 盛 ん に飼 育 ・製 造 され て い た(第 二 の 類 型 と は 反 対 に 明 治 以 降 に 増 産 され 、 生 産 地 域 も拡 大 して い っ た)繊 維 が あ る。 第 四 に 、 羊 の よ うな(哺 乳 類 の体 毛 か ら得 る)動 物 性 繊 維 が あ る。 羊 は 日本 本 土 で も飼 育 され た が 、 あ ま り盛 ん で は な い 。 これ ら 四類 型 の うち 大 正 初 期 に 台 湾 で 盛 ん に 栽 培 され て お り、 製 品 の加 工 も行 わ れ て い た繊 維 は 、 第 一 の類 型 に 属 す る もの で あ っ た 。 一方. 、20数 年 後 に 台 拓 が 資 本 を 投 入 した の は 、 第 一 の 類 型 に加 え て 、 第 二 の 類 型 に属 す る も の で. あった。 た だ 興 味 深 い こ とは 、 大 正 期 に 総 督 府 が 注 目 した の は 、 第 三 類 型 に 属 す る養 蚕 で あ っ た。 上 記 の 通 り1912年 度 『台 湾 産 業 年 報 』 は 、 「 第 一編. 農 業 」 にて 蚕業 の 項 目をた てて い るが 、そ の記. 述 は 、 以 下 で 始 ま っ て い る(109頁)。 養 蚕 業 二 関 シ テ ハ 領 台 以 来 農 事 試 験 場 其 他 各 地 ニ 於 テ 屡 々 試 験 飼 育 セ ラ レ其 成 績 ノ 見 ル ヘ キ モ ノ ア リ明 治 四 十 三 年 度 ヨ リ之 力奨 励 ノ端 緒 ヲ開 キ 桑 苗 養 成 蚕 業 試 験 及 講 習 ヲ開 始 シ 大 正 元 年 九.月ニ 十 日府 令 第 二 十 一 号 ヲ以 テ 蚕 業 奨 励 規 則 ヲ 発 布 シ桑 苗 、 肥 料 、 蚕 種 及 蚕 具 ノ無 償 配 布 、 桑 園 、 稚 蚕 共 同 飼 育 場 ノ設 置 、 蚕 業 教 師 ノ配 置 、 奨 励 金 ノ 下 付 又 ハ 蚕 繭 、 蚕 綜 若 ハ 真 綿7ノ 買 収 ヲ 開 始 シ タル ヲ以 テ 各 庁 及 各 農 会 ニ 於 テ 亦 之 力 奨 励 ニ 着 手 セ リ す な わ ち 、 台 湾 総 督 府 殖 産 局 は 、1910(明. 治43)年. 度 か ら養 蚕 の 奨 励 に 取 りか か り、1912年 度 か. ら本 格 的 に 蚕 業 の 奨 励 を 始 め た の で あ る。 総 督 府 は 、 日本 本 土 で は 経 済 的 な 栽 培 を 期 待 で き な い 繊 維 だ け を求 め ず に 、 日本 本 土 で 多 数 製 造 され る の と 同 じ繊 維 を、 台 湾 で 作 らせ よ うと した わ け で あ る。 も ち ろ ん 、 人 件 費 が 安 い こ とや 、暖 か い 気 候 に よ る カ イ コや 餌 の 桑 の 生 育 の 速 さな ど比.
(4) 較 優 位 は 考 慮 して い た で あ ろ う8。 ま た 広 東 や 上 海 近 郊 な ど中 国 で も蚕 業 が 盛 ん で あ った こ と も 念 頭 に あ っ た で あ ろ う9。 次 節 で は 、総 督 府 や 地 方 庁 の 蚕 業 振 興 策 を 見 て み た い。. 2.総. 督府 の蚕 業奨励. (1)総. 督府 の蚕 業奨 励機構. 前 節 に あ る 通 り、 総 督 府 の 蚕 業 奨 励 は 、1912年 度 か ら本 格 的 に 行 わ れ た 。 本 節 で は そ の 概 要 を 見 て み よ う。 殖 産 局 に は 、 庶 務 ・農 務 ・糖 務 ・林 務 ・鉱 務 ・商 工 ・権 度 ・移 民 ・林 野 調 査 の9課 が 存 在 した が 、 そ の うち蚕 業 奨 励 を 担 当 した の は農 務 課 で あ っ た 。 そ して 、 農 務 課 の 下 で 蚕 業 奨 励 に 当た る 機 関 と して 、 養 蚕 所 が 台 北 に設 置 され た 。 蚕 業 奨 励 に 携 わ る 具 体 的 人 数 は 、1912年5月. の 「 蚕業. 奨 励 に 関 ス ル 事 務 ニ 従 事 セ シ ム ル 為 台 湾 総 督 府 ニ 臨 時 職 員 ヲ 置 ク」(公 文 類 聚 ・第36編 ・明 治45 年 ∼ 大 正 元 年 ・第4巻 1912年5月. ・官 職3・ 官 制3)か. ら見 い だせ る。 こ れ は総 督 府 殖 産 局 の 官 制 変 更 が 、. の 勅 令 第112号 と して 内 閣 か ら認 め られ た もの で あ る が 、 内 容 は蚕 業 奨 励 に 従 事 す る. 技 師(高 級 技 術 官 僚)2人10、. 技 手(技 術 官)7人. 、 属(中 級 職 員)2人. を 新 た に 農 務 課 に配 置. す る も の で あ っ た。 次 年 で あ る1913年7月. の 殖 産 局 に お け る 専 任 の 技 師 配 置 は 、農 務 課9人(他. に他 所 属 者 の 兼 務3人)、. に兼 務5人)、. 人(他. に 兼 務2人)、. 林 野 調 査 課0人(他. 糖 務 課2人(他. 商 工 課1人(他. に 兼 務2人)、. に兼 務4人)の19人. 林 務 課4人(他. 権 度 課1人. に兼 務2人. 、 移 民 課0人(他. 〉、 鉱 務 課2. に兼 務2人)、. に過 ぎ な い。 ま た 各 技 師 は 、 例 えば 同 じ1913年7月. 時点. にお い て 、 権 度 課 長 で あ っ た 野 呂 寧 が移 民 課 長 と林 野 整 理 課 技 師 を 兼 務 して い た よ うに 、 それ ぞ れ 多 数 の仕 事 を兼 ね て 抱 え て い たll。 よ っ て 、 蚕 業 と職 務 が 明 記 され た 技 師 を 、 専 門 機 関 お よ び 部 下 に複 数 の 技 手 を つ け て 配 置 す る よ う決 め た こ とは 、 台 湾 総 督 府 が 蚕 業 に つ い て 強 く奨 励 す る 意 志 を持 っ て い た こ と に な る。 「 蚕 業 奨 励 に 関 ス ル 事 務 ニ 従 事 」 した 人 員 個 々 の 役 割 は 、1917年 時 点 で あ る が 「明 治 四 十 五 年 勅 令 第 百 十 二 号 蚕 業 奨 励 ニ 関 ス ル 事 務 二 従 事 セ シ ム ル 為 台 湾 総 督 府 ニ 臨 時 職 員 ヲ置 ク ノ件 中 ヲ 改 正 ス 」(公 文 類 聚 ・第41編. ・大 正6年. ・第6巻. ・官 職5・. 官 制5)か. 「 蚕 業 従 事 者 左 ノ 如 シ 」 と して 、 以 下 の 通 り掲 載 され て い る。. 蚕業行政主任. 養蚕所長. 技師. 堀内. 同所技師. 同. 霜. 実習及奨励事務. 属. 長谷川. 益次郎. 同. 同. 佐久間. 不二雄. 養蚕所一般事務. 同. 水谷. 岩三郎. 講習事務. 技手. 中野. 八郎. 桑苗養成及試験. 政一 新八郎. ら わ か る。 こ の 文 書 中 に.
(5) 同. 同. 山本. 博翠. 蚕繭買収事務. 同. 川崎. 喜代平. 南部ニ於ケル桑 ノ木栽培及養蚕試験. 同. 富樫. 謙. 蚕種事務. 同. 浜井. 寿七. ま た 、1920年 度 版 『台 湾 農 業 年 報 』 に も160頁 で 「 殖 産 局 附 属 養 蚕 所 」 の 説 明 と して 台 北 市 頂 内 哺 に 在 り大 正 二 年 の 設 立 に係 る 、庶 務 係 ・事 業 係 に 分 ち庶 務 係 に在 りて は庶 務 ・会 計 及 産 繭 買収 に 関 す る事 務 に 従 事 し事 業 係 に 在 りて は 養 蚕 及 桑 樹 の 試 験 拉 に蚕 種 及 桑 苗 の 生 産 配 布 に 関 す る 事 務 を 分 掌 しつ つ あ り と して 養 蚕 奨 励 に 関係 した 人 員 の 分 担 を記 して い る 。 す な わ ち 、 技 師 の 指 導 下 、 蚕 業 の 実 習 、 桑 苗 の 試 験 、 さ ら に で き た 繭 の 買 収 ま で を 分 担 して 行 っ て い た 。 な お 、 官 制 上 の 蚕 業 奨 励 職 員 の 定 員 は 、 技 師2人. 、属 と技 手 を あ わ せ て9人. だが、実際 に は属. 3人 と技 手5人 で1人 欠 員 とな っ て い る。 ま た 、 技 師 の う ち養 蚕 所 長 は 、 農 務 課 で 他 の 業務 を 兼 任 す る技 師 で あ り12、蚕 業 専 任 の 技 師 は 実 際 に は1人 で あ っ た 。 属 は 殖 産 局 農 務 課 に 配 置 され 、 技 手 は養 蚕 所 に配 置 され て い た 。 こ の 「明 治 四十 五 年 勅 令 第 百 十 二 号 蚕 業 奨 励 ニ 関 ス ル 事 務 ニ 従 事 セ シ ム ル 為 台 湾 総 督 府 ニ 臨 時 職 員 ヲ置 ク ノ件 中 ヲ改 正 ス 」 は 属 の1人 減 員 を 内 閣 に 提 案 した 文 書 で あ る が 、 そ の後 しば ら く変 化 な く 、1920年 の 「 台 湾 総 督 府 部 内 臨 時 職 員 ヲ設 置 ス 」(公 文 類 聚 ・第 四 十 四 編 ・大 正 九 年 ・第 十 巻 ・官 職 九 ・官 制 九(台 湾 総 督 府))で. も、 第1条. 第5項. に. 蚕 業奨励 ニ 関スル事務 ニ従 事 スル者 技師. 専任. 二人. 専任. 八人. 属 技手 と して 、 蚕 業 関係 の職 員 定 員 は そ の ま ま維 持 され て い た 。. (2)総. 督府 の蚕 業奨励機 構の 活動. 続 い て 総 督 府 の 実 際 の蚕 業 奨 励 を 見 て み よ う。 総 督 府 の 蚕 業 奨 励 は 、 前 述 の 通 り、 「大 正 元 年 九 月 二 十 日府 令 第 二 十 一 号 ヲ以 テ 」 発 布 され た 「 蚕業 奨励 規則」 に従 って行 われ た。 そ の規則 第一 条 の第一 項 に、 台 湾 総 督 ハ 蚕 業 奨 励 ノ為 メ 本 令 ニ 依 リ適 当 ト認 ム ル 者 ニ 桑 苗 、 肥 料 、 蚕 種 及 蚕 具 ノ無 償 配 布 、 桑 園 、 稚 蚕 共 同 飼 育 場 ノ設 置 蚕 業 教 師 ノ配 置 奨 励 金 ノ下 付 又 ハ 蚕 繭 、蚕 綜 若 ハ 真 綿 ノ買 収 ヲ為 ス コ トア ル ヘ シ とあ る。 これ が 奨 励 の 手 段 で あ っ た 。 ま ず 最 初 に 注 目 した い の が 、 桑 園 設 置 と蚕 種(蚕. の 卵)の 配 布 で あ る。 前 述 の1912年 度 『台 湾.
(6) 産 業 年 報 』 を 見 よ う。 こ こ の 記 述 は 、 前 節 に 引 用 し た 文 章 に 続 い て 、 各 地 方 庁 に 対 す る 補 助 の 表 (109-110頁)、. 最 近4力. 別 蚕 種 掃 き 立 て 数(親 告(112ー116頁)か. 年 に お け る 台 湾 全 島 の 桑 園 面 積 表(110ー111頁)、 蛾 の 数 と 幼 虫 の 数)お. 最 近2年. よ び 繭 糸 の 産 額 表13(112頁)、. 間 に お け る庁. そ して 各 地 方 庁 の 報. ら な っ て い る。 こ こ で 総 督 府 の 具 体 的 な 奨 励 策 が わ か る の は 、 最 初 の 各 地 方. 庁 に 対 す る 補 助 の 表 で あ る 。 表 の 項 目 と な っ て い る の は 、 「桑 園 設 置 補 助 金 」 「桑 苗 補 助(数)」 「 蚕 種 補 助(数)」. で あ る。 ま た. 「(設置 補 助 金 の 対 象 と な っ た)桑. 園 面 積 」 も示 され て い る。 蚕. の 餌 と し て 、 台 湾 に も 自 生 し て い る 野 桑 ・山 桑 を 与 え る こ と も で き る が 、 桑 園 で 刈 り取 っ た 桑 を 安 定 的 か つ 十 分 に 与 え る 方 が 、 蚕 は よ り多 く の 絹 糸 を 吐 き 出 す 。 よ っ て 、 桑 園 の 設 置 は 養 蚕 に と っ て重 要 で あ る。 ま た 養 蚕 を行 っ て い な い と こ ろ に 、 蚕 を普 及 させ る に は 、 蚕 自体 の 配 布 が 欠 か せ な い 。 同 表 に よ る と 、 大 正 元 年 度 に は 台 北 庁 へ の3,445円9銭 80銭 の. 「桑 園 設 置 補 助 金 」 を 総 督 府 は 各 地 方 庁 へ 補 助 し 、 そ れ に よ り 台 北 庁 の68.7甲. 台 湾 全 体 で265.38甲. を最 高 に 、. の 桑 園 を 開 設 設 置 させ て い る。 蚕 種 の 方 は 、蚕 の 卵 の つ い た 紙 を 配 布 す る と. い う形 で 行 わ れ 、 台 北 庁 へ の239枚 欄外 に. を 最 高 に 、 台 湾 全 体 で13,266円. を 最 高 に 、 台 湾 全 体 で954枚. 「本 表 ノ 外 台 北 庁 へ 蚕 具 費1,210円. を 配 布 して い る。 そ の他 、 同 表 の. ヲ補 助 セ リ」 とあ る。. 桑 園 設 置 と 蚕 種 の 配 布 の 次 に 注 目 し た い の は 、 稚 蚕(1齢. 、2齢. な ど の 初 期 の 幼 虫)共. 同飼 育. で あ る。 生 き物 の 死 亡 率 は 幼 少 の 段 階 が 高 い 。 これ は 蚕 も例 外 で な く 、初 期 の幼 虫 を き ちん と管 理 す れ ば死 亡 率 を 下 げ 、 よ り多 くの 幼 虫 を 繭 の 段 階 ま で 到 達 させ る こ とが で き る 。 そ の た め に 専 任 の 飼 育 担 当者 をつ け て 共 同飼 育 をす る こ とが 日本 本 土 で も行 わ れ た。 台 湾 で も この 方 法 が 導 入 され た わ け で あ る 。 共 同 飼 育 に つ い て も 詳 し い 記 述 を し て い る の が 、1916年 て 記 し て い る 『蚕 業 奨 励 成 績 報 告 』(台 湾 総 督 府 殖 産 局,1918年10月,殖 る 。 同 報 告 に よ れ ば 、 共 同 飼 育 は 全 島 で 、1914年 係)費30,800円 2,450円. 、 飼 育 場 費1,950円. 、 蚕 具 費1,180円. 度 を 合 計 し て519.19甲. た の で 、1916年 島 で 、1915年. 度 に123.85甲. 、1916年. 種 類 だ け で 総 督 府 は40,000円. 、1915年. に わ た っ た 。1甲. 度 は 桑 園 だ け で 全 島 に3,000円. 度 に9,451枚. 、1915年. 〉 であ. の飼 育 方 法 を 人 々 に 教 授 す る. 度 に 蚕 業 教 師 費33,900円. 、飼 育場 費. が 各 地 方 庁 に支 給 され た。. ま た 、 桑 園 設 置 は 全 島 で 、1914年 行 わ れ 、3年. 産 局 出 版 第211号. 度 に 蚕 業 教 師(蚕. 、 蚕 具 費980円. 度 の 蚕 業 奨 励 につ い. 度 に8,862枚. 度 に198.39甲. 、1916年. 度 に196.95甲. で. に つ き15円 の 奨 励 金 を 総 督 府 は 支 払 っ て い. 弱 の 奨 励 金 を支 払 っ て い た こ とに な る。 蚕 種 は 全 が 配 布 さ れ た 。1915年. 度 の 蚕 業 奨 励 と して こ の3. 強 を 投 入 し た こ と に な る 。 こ れ だ け で 総 督 府 の 補 助 金 と して は 、 米. 穀 改 良 奨 励 並 の 投 入 で あ っ た14。. (3)地. 方 での 蚕業 奨励. 次 に 地 方 の 動 向 を 見 よ う。 総 督 府 の 指 示 に 基 づ き 実 際 に 地 方 で は ど の よ う な 蚕 業 奨 励 を 行 っ て い た の だ ろ うか。 大 正 期 台 湾 の 地 方 制 度 は 、1920年9月. を 境 に 、 前 は 庁 制 、 後 は 州 制 ・市 街 庄 制 度 と な る 。 こ の.
(7) 前後 で 行 政 区 画 ・権 限 ・役 人 数 な どに 大 き な 違 い が あ るが 、 庁 制 時 期 に つ い て 見 て る と、 地 方 農 政 は 技 師(技 師 の 配 置 され て い な い 庁 で は 、 上級 の 技 手)が 技 手 ・属(中. 級 職 員)・ 雇(下. 級 職 員)を. 、 庁 と庁 農 会 そ れ ぞ れ に配 属 され た. 指 揮 しな が ら、 警 察 の 協 力 を 得 て 行 っ て い た 。 庁 は. (財政 制 度 上 の 都 合 で)地 方 税 を独 自 に利 用 で きず 、 技 手 や 属 の 人 数 に も制 約(配 置 換 え は で き る が 、 増 員 は 内 閣 の 了 承 が 必 要)が. あ る な ど 、機 動 的 な農 政 に は 支 障 が あ っ た た め 、 地 方 農 政 は. 主 と して(庁 の 全 面 的 な 指 導 下 に あ り、 独 自の 人 事 権 と会 費 徴 収 権 を持 っ た)庁 農 会 が 行 っ て い た。 総 督 府 の 補 助 金 も、 庁 を通 じて農 会 へ 渡 して 執 行 す る形 が 多 か っ た 。 よ っ て 、庁 制 時 期 の 地 方農 政 の動 向 は 、 庁 農 会 の 動 き を 見 る とわ か りや す い 。 庁 農 会 の 動 向 は 、 ま ず 概 要 が 前 述 の 『台 湾 産 業 年 報 』 に 報 告 され て い る。 例 え ば 、1912年 度 『台 湾 産 業 年 報 』 に は 「 第 一編. 農 業」 にて 「 第 八章. 農 会 」 とい う章 を も うけ(152-181頁)、. 各庁 農 会 の 、経 費(農 会 自体 の経 費 ・農 会 の 経 営 す る農 場 の経 費)と. 、 米 作 ・麦 作 ・蔗 作 ・茶 園. ・園 芸 ・養 蚕 そ れ ぞれ の 改 良 活 動 の 動 向 、 そ して 肥 料 共 同 購 入 に つ い て 紹 介 して い る。 各農 会 の 養 蚕 へ の 取 り組 み も こ こ(169-171頁)で. 報 告 され て い る。 前 述 の 地 方 庁 の 報 告(112-116頁)に. よ る一 般 概 況 と あ わせ 、 各 地 方 で の 取 り組 み の 概 要 を知 る こ とが で き る。 よ り詳 細 な庁 農 会 の 動 向 は 、 各 農 会 が 出 して い た 農 会 報 を 見 る こ とで わ か る。 総 督 府 か ら最 も 補 助 の 多 か っ た 台 北 庁 農 会 の 蚕 業 奨 励 を 、 『台 北 庁 農 会 報 』 か ら見 て み よ う。1912年 度 『台 北 庁 農 会報』 には 、 「 養 蚕 ノ試 験 及 其 ノ 指 導 奨 励 」 と言 う節(24-58頁)が. あ る。 同 節 は 冒 頭 で 、 「 養. 蚕 ハ 本 島 ニ 於 テ 最 モ 有 望 ナ ル 事 業 ノー トシテ 最 近 遽 カ ニ 振 興 発 展 ノ概 ヲ示 セ リ」 と指 摘 した 後 で 、 総 督 府 か ら以 下 の よ うな 蚕 業 発 達 の た め に 補 助 を 受 け 、 活 用 した こ と を 記 して い る(25-26頁)。 (イ)蚕 業 教 師 配 置 奨 励 3,690円 本 会 ハ 奨 励 金 ヲ以 テ 技 手 木 村 畦 院 、 技 手 山 崎 幸 雄 、 技 手佐 藤 勝 治 、 技 手 池 上 喜 兵 衛 、 技 手 斎 藤 雅 一 、 助 手 鄭 河 南 、助 手 林 阿 譲 、助 手 劉 宗 意 、 嘱 託 萩 原 泰 男 、 嘱 託 阪 本 倉 蔵 ノ十 一 名 ヲ採 用 シ 現 ニ蚕 業 ノ指 導 奨 励 ニ 膺 ヲ シ メ ツヽ ア リ (ロ)稚 蚕 共 同飼 育 場 設 置 奨 励 300円 本 会 ハ 台 北 、 栃 橋 、 頂 埔 、 安 坑 、 福 隆 山及 景 尾 ノ 六 箇 所 ニ 稚 蚕 飼 育 場 ヲ設 ケ技 術 員 ヲ 派 遣 シ テ 稚 蚕 ヲ飼 育 セ シ メ ニ 齢 乃 至 四 齢 ニ 至 ル 蚕 児 ヲ 附 近 ニ 配 布 シ タ リ (ハ)稚 蚕 共 同 飼 育 場 用 蚕 具 費 1,210円 年 度 末 ニ 迫 リテ 下 付 ヲ 受 ケ備 付 クヘ キ余 日ナ キ ニ ヨ リ経 費 ヲ 翌 年 度 二 繰 越 シ 次 年 度 早 〃蚕 架 、蚕 箔 、 蚕 網 其 他 ノ蚕 具 ヲ備 付 タ リ (ニ)桑 苗 広 東 荊 桑450本 農 場 内 桑 園 ニ 栽 植 シ試 育 中 (ホ)大 豆 粕135塊 農 場 内 桑 園 施 用 ノ分 (へ)蚕 種267枚.
(8) 一小 部分ハ 本 会養蚕 室 ニ於 ケル試 育用 ニ供 シ大部 分ハ 会員 ニ配布 シ飼育 セ シメタ リ こ の よ うな 総 督 府 の 補 助 を得 て 、 台 北 庁 農 会 は 、 蚕 業 の 指 導 奨 励 を行 っ た。 そ の 内 容 は 以 下の 通 りで あ る(50-57頁)。 (一)教 師 ノ巡 回 指 導 (二)伝 習 生 ノ養 成 (三) 蚕 室 新 築 補 助 (四)桑 苗 ノ配 布 (五)蚕 種 ノ 配 布 (六〉 蚕 具 ノ 配 布 (七)稚 蚕 共 同 飼 育 及 其 ノ配 布 この うち 、(一)・(四)∼(七)は. 、 本 小 節 や 前 小 節 で 記 した よ うな 総 督 府 の 補 助 に 、 さ らに農. 会 独 自の 経 費 を 加 え て 行 っ た 施 策 で あ る。 例 え ば 、(四)桑. 苗 ノ 配 布 につ い て は 、 具 体 的 に は 以. 下 の 通 り行 っ て い る(52-53頁)。 桑 苗 ノ無償配 布総 数ハ 十 四万 九千三 百本 ニ シテ其 内十 三 万二千二 百本ハ 本会農 場 ニ於テ養成 シ 総 督 府 へ 買 上 ヲ請 ヒ 更 ニ 会 員 へ 下 付 ヲ受 ケ タル モ ノニ 係 レ リ其 ノ 詳 細 ハ 掲 ケ テ 「 一 、 桑 苗 圃」 ノ 部 ニ ア リ苑 ニ 之 ヲ省 略 ス 前 ニ 掲 クル モ ノ ノ外 本 年 度 ニ 於 テ 総 督 府 ヨ リ台 湾 蚕 業 奨 励 規 則 ニ 拠 リ会 員 ニ 魯 桑 十 万 二 千 本 、 魯 桑 実 生 三 十 万 四 千 三 百 十 本 及 広 東 荊 桑 二 十 ニ 万 九 千 五 百 五 十 本 ノ下 付 ア リ、栃 橋 、新 店 、小 基 隆 、 深 坑 、 新 庄 ノ各 支 会 区域 及 直 轄 ニ 亘 リテ 栽 植 シ 大 ニ 桑 園 ノ増 殖 ヲ 見 ル ヲ得 タ リ す な わ ち 、 この1912年 度 だ け で 、 魯 桑(西 要 養 蚕 地 帯 で あ っ た 広 東 か ら輸 入 した 桑)な. 日本 で 主 に栽 培 され て い た桑)や. 広 東 荊 桑(中 国 の 主. ど、 合 計 して77万 本 以 上 の 桑 を 庁 内各 所 に配 布 した. の で あ る。 ま た 農 会 独 自の 施 策 と して は 、(二)(三)が. あ る。 例 え ば(二)は. 、 以 下 の 通 りで あ り、 この. 3名 を皮 切 りに 、 毎 年 の よ うに伝 習 生 を養 成 して 、農 村 へ 蚕 業 技 術 の 普 及 を 図 った(51頁). 。15. 初 メ 本 年 度 ニ 於 テ ハ 手 当 ヲ 給 与 シ伝 習 生 三 名 ヲ教 養 スル 見 込 ナ リ シ カ蚕 業 ノ著 シ キ 発 展 ノ結 果 進 ンテ 自費 ヲ 以 テ 当 業 ノ伝 習 ヲ 受 ケ ン トス ル 者 出ル ニ 至 リ五 月 一 日 ヨ リー 名 、 七 .月一 日 ヨ リー 名 ヲ本 会 附 属 養 蚕 室 ニ 於 テ 教 養 ヲ主 トシ テ 実 地 ニ就 キ伝 習 シ 妾 ラ 簡 易 ナ ル 学 理 ヲ授 ケ タル カ 其 内 一 名 ハ 家 事 ノ都 合 上 中 途 退 所 シ ー 名 ハ 翌 年 一 月 迄 伝 習 ヲ継 続 セ リ尚 此 外 農 事 試 験 場 卒 業 生 ニ シテ 蚕 業 ヲ 実 習 セ ム トス ル モ ノ ー 名 出 テ タル ニ ヨ リ見 習 ヲ命 シ手 当 ヲ給 シ 九 月 一 日 ヨ リ伝 習 ヲ 始 メ 二 月 末 ニ至 リテ 助 手 二 採 用 セ リ 他 に 、 台 北 庁 農 会 は 、 こ の1912年 度 だ け で も 、 桑 苗 圃(26一27頁 、 桑 苗 養 成 施 設)・ 試 験 桑 園 (27-33頁 、 台 湾 在 来 の 桑 や 日本 本 土 の 桑 を植 え て 特 性 を試 験 す る)・ 飼 育 用 桑 園(34頁 蚕 室 に て 飼 料 とす る桑 葉 を 生 産 す る)の 経 営 、 養 蚕 試 験(34ー50頁. 、附属 養. 、 日本 本 土 か ら各 種 の蚕 を 取. り寄 せ て 、 気 候 の 違 う台 湾 で の 特 性 を試 験 す る)の 実 施 を 行 い 、 原 蚕 飼 育 室 を 建 設(58頁. 、庁 内.
(9) に 配 布 す る 蚕 の 親 を 飼 育 す る)す. る な ど 、(例 え ば 、 米 穀 改 良 奨 励 が 米 穀 の選 択 淘 汰 に 事 業 を 集. 中 して い た の と比 べ)手 広 く蚕 業 奨 励 に 当 た っ て い た 。. 3.蚕. (1)総. 業奨励 の帰 結. 督 府 の 蚕 業 奨励 活 動 の 停 止. 台 湾 総 督 府 の 蚕 業 奨励 は 、 前 節 の よ うに 組 織 的 に も 、 内 容 的 に も本 格 的 な もの で あ った 。 ま た 地 方 の 庁 農 会 で も 、 総 督 府 の 意 を受 け て 本 格 的 な奨 励 に 取 り組 ん で い っ た 。 前 節 で 見 た 奨 励 策 は 毎 年継 続 して 行 わ れ た 。 技 師 の 給 与 な ど を含 め る と蚕 業 奨 励 に総 督 府 が 毎 年 度 費 や した経 費 は 、 表1の 通 りで あ る。. しか しな が ら蚕 業 奨 励 の 成 果 は 、 期 待 通 りで は な か っ た 。 繭 の 生 産 高 は 、 表2の 度 か ら1921年 度 ま で 停 滞 を 続 け 、 同 時 期 に 蚕 業 奨 励 を 開 始 した 朝 鮮(1910年 朝 鮮 総 督 府 の 統 治 下 に 置 か れ る)に お い て 、 繭 の 生 産 高 が 表3の. よ うに1914年. の 日韓 併 合 に よ り、. よ うに順 調 に増 加 して い っ た の. とは 、 対 照 的 で あ っ た 。 蚕 業 奨 励 本 格 化 か ら10年 余 た っ た1923年 、 そ して 翌 年 の1924年 に 行 政 整 理 を行 っ て 、 台 湾 総 督 府 は 奨 励 施 策 を整 理 した。 蚕 業 奨 励 規 則 は1923年 の 府 令 第39号 で 、 同年3月31日. 限 りで 廃 止 され. た 。1924年 版 『台 湾 農 業 年 報 』 は 「 本 年 度 よ りは 専 ら蚕 種 製 造 配 布 に 意 を 用 ゐ 、 殖 産 局 養 蚕 所 に 於 て採 製 せ る蚕 種 三 千 四 百 枚 を配 布 せ り。」(169頁)と. 記 して い る 。 要 す る に蚕 種 の 配 布 の み を. 継 続 して 、 繭 の 買 い 上 げ を含 む 他 の施 策 を 全 廃 した の で あ る。 殖 産 局 附 属 の 養 蚕 所 は残 した も の の人 員 を 削 減 し、蚕 業 専 任 の 技 師 も辞 職 させ た16。台 湾 総 督 府 は 蚕 業 奨 励 を あ き らめ た の で あ る 。.
(10) 表2 台湾 の繭生産 高. 表3 朝鮮 の繭生 産高.
(11) (2)蚕. 業不活 性の要 因. 上 述 の よ うに 、 大 正 期 台 湾 の 蚕 業 は 、総 督 府 や 各 地 方 庁 農 会 が 奨 励 に 尽 力 した もの の 、 日本 本 土や 朝 鮮 と違 っ て 十 分 な 発 展 を 見 せ な か っ た 。 た だ し、 表2に. 見 え る よ うに 、 総 督 府 が 蚕 業 奨 励. を あ き らめ 、 繭 の 買 い 上 げ を 中 止 した1924年 以 降 も蚕 業 は 衰 退 しな か っ た 。 こ こ で は なぜ 発 展 を 見せ な か っ た か 、 そ して 奨 励 を や め て も 衰 退 しな か っ た か を 考 え て み た い 。 こ こで 考 え た い の は 、 総 督 府 の 蚕 業 奨 励 の 目的 は 何 で あ っ た か で あ る。 台 湾 の 主 力 産 業 が 、 製 糖 業 ・米 穀 業 ・茶 業 で あ っ た こ と はす で に 述 べ た 。 蚕 業 は そ れ ら と主 力産 業 と取 っ て 代 わ る もの と考 え られ て い た わ け で は な い。 で は 、 蚕 業 は そ もそ も誰 を 対 象 と して 、 どの よ うな 産 業 と して 考 え られ て た の で あ ろ うか 。 蚕業 は 日本 本 土 で も朝 鮮 で も、 農 閑 期 の 余 剰 労 働 力 を 有 効 活 用 させ 、 水 田 に は 向 か な い傾 斜 地 や 河 川 敷 、 ま た 畦 や 庭 先 な どの 半 端 な 土 地 を有 効 活 用 させ て 、 農 家 に 比 較 的 多額 の 現 金 収 入 を 得 させ る こ とを 狙 っ た もの で あ っ た 。 す な わ ち 、 そ れ が 農 家 の 主 た る事 業 とい う こ と を希 望 した わ け で な く 、 有 望 な 副 業 に な る こ と を欲 した も の で あ っ た。 も ち ろ ん 、 蚕 業 専 業 化 ・準 専 業 化 す る 農 家 も存 在 した が 、 あ く ま で も 多 数 の 米 作 農 家 の 中 で 、 一 部 の(例. え ば 米 作 の 困 難 な 地 域 の)農. 家 が 専 業 化 を 選 択 す る とい うも の で あ っ た。 台 湾 の 蚕 業 は ど うで あ っ た ろ うか 。 台 湾 も 、 米 穀 業 ・製 糖 業 ・茶 業 を 主 た る 産 業 とす る 中 で 、 農 閑 期 の 余 剰 労 働 力 や 余 剰 土 地 の 有 効 活 用 を狙 っ た も の で あ っ た の だ ろ うか 。 そ して 、 大 正 期 台 湾 の 農 家 に と っ て 、 新 た に 蚕 業 とい う副 業 を行 う こ と が 魅 力 的 で あ っ た か 、 そ して そ の 副 業 を 行 うの に 必 要 な 投 資 が 副 業 の 利 益 に 見 合 うも の で あ っ た の だ ろ うか 。 こ こ で 、 南 投 庁 農 会 が 刊 行 した1916年 度 『南 投 庁 農 会 報 』 の (113-114頁)は. 「 蚕 業 ノ奨 励 」 の以 下 の 記 述. 注 目 に値 す る。. 林 杞 埔 支 庁 及 埔 里 社 支 庁 ノ 如 キ 生 産 ノ 中 心 タ ル 可 キ 婦 女 子 ノ 多 クハ 従 来 ノ慣 行 ニ 依 ル 手 工 的 副 業 ヲ 有 シ俄 カ ニ 不 慣 ノ 蚕 業 ヲ試 ル ム モ ノ 砂 ナ ク予 定 ノ 成 績 ヲ 挙 ク ル 事 ヲ得 サ ル す な わ ち、 蚕 業 の 奨 励 対 象 と して 、 南 投 庁 農 会 は 、農 村 の婦 女 子 の 副 業 を念 頭 に 置 い て い た 。 し か しな が ら、 す で に 他 の 副 業 を持 つ 地 域(林 杞 埔 支 庁 及 埔 里 社 支 庁)の. 人 々 に とっ て 、 養 蚕 は 必. ず しも 飛 び つ き た く な る も の で は な か っ た。 台 湾 の農 村 の 副 業 に つ い て は 、 後 に な る が 台 湾 総 督 府 殖 産 局 か ら 『台 湾 の 副 業 』(同 局,1936 年3月)と. 言 う調 査 報 告 が 出 て い る。 台 湾 の 各 市 街 庄(市. 町 村 に 相 当)で. どの よ うな 副 業 が 行 わ. れ て い る か 、 そ の 沿 革 ・従 業 人 数 ・生 産 方 法 ・市 場 ・収 支 な ど を調 査 した もの で あ る。 これ を 見 る と、 多 い 副 業 は 、 藁加 工 品 製 造 ・木 竹 加 工 品 製 造 な ど 、 米 作 の 副 産 物 や 農 村 周 囲 に 自生 して い る材 料 を利 用 し、 資 本 も い らず 時 間 的 に も融 通 可 能 な 簡 易 な加 工 が 主 で あ っ た。 つ ま り、 桑 園 が 必 要 で(し か も桑 園 を 維 持 す る た め の 肥 料 代 金 も必 要 で)、 蚕 の 成 長 に 合 わ せ て忙 し く給 餌 す る な ど管 理 も大 変 な 蚕 業 は 、 時 間 的 に 比 較 的 容 易 な 副 業 に 従 事 で き る地 域 に は 、 (た と え金 銭 的 に 多 く儲 か る もの だ っ た と して も)あ ま り歓 迎 され な い 副 業 で あ った の で あ る。.
(12) 1916年 度 『南 投 庁 農 会 報 』 は 、 上 記 の 引 用 に 続 け て114頁 に 「 彪 大 ナ ル 奨 励 区域 ヲ縮 少 シ集 団 主 義 ヲ採 リ全 力 ヲ 山頂 地 方 ニ傾 注 シ 」 と記 して い る。 つ ま り、 南 投 庁 農 会 は 、 市 場 が 遠 くて適 切 な 副 業 を得 る こ との 難 しい 山 地 に 養 蚕 奨 励 工 作 を集 中 した の で あ っ た 。 一方で. 、 交 通 が 不 便 で 現 金 収 入 に 乏 しい 「蕃 地 」(原 住 民 居 住 地 域)で. は 、1920年 代 後 半 で も 、. 現 場(理 蕃 の 警 察 官)の 判 断 で 、 原 住 民 へ の 養 蚕 指 導 が 行 わ れ た17。 ま た 「 蕃地 」以 外で も、山 間 部 や 東 部 台 湾 の 現 金 収 入 の 乏 し い と こ ろで は 、 軽 くて 出 荷 輸 送 に 便 利 な 蚕 は 喜 ばれ た。 日本 の 繭 需 要 は 旺 盛 で あ り、 台 湾 産 繭 の 質 も悪 くな か っ た18。 よ っ て 、 総 督 府 の 繭 購 入 が な くな っ て も 、 日本 へ 繭 を 販 売 す る こ とで 、 蚕 業 は 維 持 で き た の で あ る。. お わ りに 代 え て. 植 民 地 時 代 台 湾 の 繊 維 産 業 は 、 苧 麻 ・黄 麻 や パ イ ナ ップ ル 繊 維 な ど亜 熱 帯 ・熱 帯 の 作 物 を 原 料 に した麻 系 が 繊 維 が 中 心 で あ っ た 。 と は い え 台 湾 総 督 府 で 農 工 業 を担 当 して い た民 生 部 殖 産 局 は 、 これ ら麻 系 繊 維 以 外 の 繊 維 に つ い て も振 興 策 を打 ち出 した 。 そ の 中 で 、 大 正 期 台 湾 の10年 余 の 間 、 奨 励 が 行 わ れ た の が 蚕 業 で あ っ た。 こ の 蚕 業 奨 励 政 策 は 附 属 養 蚕 所 お よ び 各 地 方 庁 ・庁 農 会 を 駆 使 した 組 織 的 ・大 規 模 ・網 羅 的 な も の で あ っ た。 しか しな が ら、 大 規模 な 奨 励 策 に も か か わ らず 、蚕 業 は 大 正 期 台 湾 で は 十 分 な 成 長 を示 す こ と は な か っ た。 これ は 、 蚕 業 が 台 湾 人 農 民 に は 必 ず し も魅 力 あ る も の で は な か っ た こ と原 因 と思 わ れ る。 も ち ろ ん 、 蚕 業 技 術 が 改 良 され て 、 よ り利 益 が 初 期 投 資 や 手 間 に 見 合 うよ うに な れ ば、 話 は違 っ た か も知 れ な い。 技 術 改 良 が 着 々進 ん だ こ とが 、 殖 産 局 が 奨 励 を あ き らめ た 後 も蚕 業 を維 持 す る こ と に 繋 が っ た で あ ろ う し 、戦 後 の 蚕 業 に も繋 が っ て 行 っ た の だ ろ う。 た だ し、 大 正 期 の 蚕 業 は 、 平 地 の 台 湾 人 に は 利 益 が 十 分 見 合 っ た も の で は な か っ た の で あ ろ う。 台 拓 が取 り組 ん だ繊 維 産 業 の あ り方 は 、 こ の 大 正 期 蚕 業 奨 励 の経 験 か ら 、 ど う して そ の よ うな 形 態 に な っ た か が 推 測 で き る。 す な わ ち 、 苧 麻 の よ うな 従 来 か らの 熱 帯 繊 維 に加 え て 新 た な繊 維 産 業 を 導 入 す る の に 際 して バ ナ ナ 繊 維 を加 え た の は 、(日 本 本 土 で もで き る もの よ り も)台 湾 の 気 候 特 性 を活 か した 繊 維 産 業 を推 進 す る の が 適 切 だ と考 え た か ら と推 測 で き る。 ま た 、(大 部 分 を 輸 入 に 頼 っ て い た 綿 花 を 栽 培 す る こ と に した 時 も)綿 花 を専 用 綿 花 畑 で な く、 サ トウ キ ビの裏 作 と して 行 う方 針 を立 て た こ とや 、 蚕 は飼 育 種 で な く野 蚕 を放 し飼 い にす る こ とに した こ とは 、 大 正 期 蚕 業 で 蚕 専 用 の桑 畑 の 造 園 奨 励 を 行 っ た こ との 反 省 を踏 ま え た 、 従 来 の生 産 体 系 に僅 か な 追 加 を行 うだ け で 済 む 低 コ ス トの 施 策 だ っ た こ と と推 測 で き る。 そ して 東 部 台 湾 で 直 営 農 場 を経 営 す る こ と も 、(農 会 農 場 の よ うな 実 験 場 を 除 け ば)直 営 農 場 を持 たず 、 農 民 へ の奨 励 の み だ っ た こ とが 、 思 うよ うな 生 産 拡 大 を もた らせ な か っ た 蚕 業 へ の 反 省 を踏 ま え た も の で あ っ た ろ う。 本 論 は 、 ま だ植 民 地 期 台 湾 の 繊 維 産 業 に つ い て の 初 歩 的 な 解 明 に過 ぎな い。 蚕 業 だ け を と って も 、 日本 本 土 は も ち ろ ん 、 同 じ条 件 で 大 々 的 な 発 展 を 遂 げ た 朝 鮮 と 、 よ り詳 細 な 比 較 を今 後 行 う.
(13) 必 要 が あ る 。 ま た 、 蚕 業 不 活 性 の 要 因 の よ り具 体 的 な 分 析 や. 「蕃 地 」 蚕 業 の 実 態 、 そ して 台 拓 が. 取 り組 ん だ 繊 維 産 業 の 踏 み 込 ん だ 理 解 な ど 、 本 論 を 通 じ て 今 後 考 え た い 問 題 を 多 々 見 い だ せ た 。. 1本 論 で 産 業 と言 う場 合 は 、原 料 の 製 造 とそ の 加 工 の 両 方 を 含 む。 例 え ば 糖 業 は 、 製 糖 原 料 で あ るサ トウキ ビの栽 培(農. 業)と. 、 サ トウキ ビの 粗 糖 へ の 加 工(工. 業)と. 両 方 を 含 む 。 繊 維 産 業 も繊 維 原 料 の製 造(農. 業)と そ の 繊 維 へ の 加 工(工 業)と 両 方 を 含 む 。 21912年4月 時点 で 、 台 湾 総 督 府 の 民 政 部 に は 、 財 務 局 ・通 信 局 ・殖 産 局 ・土 木 局 ・警 察 本 署 ・蕃 務 本 署 ・ 地 方 部 ・法 務 部 ・学 務 部 の4局2署3部 が あ っ た。 3後1919年 に 「 緬 羊 飼 育 試 験 ニ 関 ス ル 事 務 ニ 従 事 セ シ ム ル 為 台 湾 総 督 府 ニ 臨 時 職 員 ヲ 置 ク 」(公 文類 聚 ・第 四 十 三 編 ・大 正 八 年 ・第 九 巻 ・官 職 七 ・官 制 七(台. 湾 総 督 府 一))の. 文 書 が 示 す よ うに 、総 督 府 は 綿 羊 の. 試 験 を 始 め て い る。 4他 に 染 料 と して の 藍 の 記 述 が 、農 業(86-87頁)・ 5第5回 6(臨. 報 告 は 、1915年7月 時 産 業 調 査 局 技 師)岡. 工 業(328-329頁)と. もに あ る。. に 出 され た 。 田 鴻 三 郎 『台 湾 ノ綿 作 ニ 関 ス ル 調 査 復 命 書 』(発 行 年 不 明 ,東 京 大 学 経 済 学 部. 所 蔵)。 な お 未 見 だ が 、 南 方 農 業 協 会 『台 湾 農 業 関 係 文 献 目録 』(同 協 会,1969年3.月)83頁 臨 時 産 業 調 査 局 『台 湾 に 於 け る綿 花 に 関 す る調 査 成 績 』(同 局,1918年)は. に載 ってい る、. 、 この 岡 田 の 調 査 復 命 書 と同. じ もの か も知 れ な い 。 7繭 か ら副 産 物 と して 採 る雑 繊 維 を 言 う。 綿 と言 っ て も綿 花 か ら採 る繊 維 で は な い 。 8蚕 の 飼 育 は 、 蚕 の成 長 速 度 と桑 の生 長 速 度 の 双 方 に規 定 され る。 日本 本 土 は 戦 前 、せ い ぜ い 年3回(春 ・夏 蚕 ・秋 蚕 、 ま た は春 蚕 ・初 秋 蚕 ・晩 秋 蚕)の. 蚕. 飼 育 が 限 度 で あ っ た 。 一 方 、 台 湾 は 気 候 に 適 応 した 品 種. を選 べ ば 、 よ り多 回 数 の 飼 育 が 可 能 と な り、 桑 園 の 土 地 生 産 性 や 、 蚕 飼 育 施 設 の 利 用 率 向 上 を期 待 で き た 。 あ い に く戦 前 台 湾 で 多 回 数 の 飼 育 を した とい う資 料 は残 っ て お らず 、1970年 代 に な る が 、 大 迫 輝 通 『蚕 糸 業 地 域 の 比 較 研 究 . 温 帯 日本 と熱 帯. 年 間 に8回 飼 育 し、 桑 も1年. 』(古 今 書 院,1983年10月)241頁. 間 に4回 収 穫 して い た(桑. に よ れ ば 、 台 湾 で は 蚕 を1. 園 を2系 列 に 分 け れ ば 、8回. 飼 育の蚕 に対応 で き. る)。 91910年. 前 後 に 、 広 東 の 蚕 業 に つ い て の 調 査 報 告 が 『台 湾 農 事 報 』 に 幾 つ か 掲 載 され て い る。 0同 書 類 の 説 明 に 、 「技 師 二 人 ノ 中一 人 ハ 純 粋 技 術 ノ研 究 指 導 ニ 任 シ 他 ノ一 人 ハ 経 済 的 見 地1 ヨ リ諸 般 計 画 施 設 ノ任 ニ 当 ラ シ ム」 と して 技 師2人. の 役 割 分 担 が 記 され て い る。. こ の配 置 が 認 め られ た こ と に 基 づ き 、 熊 本 県 技 師 で あ っ た 安 達 健 三 郎 が 、1912年8月9日 に 「蚕 業 試 験 ニ 関 ス ル 技 師 」 と して 任 用 され 、 殖 産 局 農 務 課 に 配 属 され た(台 年 ・第7巻. ・第1門. 土 地 の選 定 と測 量)、 林 野 整 理(林. 野 の 測 量 と用 途 決 定)の. ・第1門. ・高 等 官 進 退 ・第4頁. 量 衡)、 移 民(移. 民に支給 す る. それぞれ に必 要な人 材で あった。. 2最 初 に 養 蚕 所 長 に な っ た 蚕 業 技 師 の 安 達 健 三 郎 は 、1916年5月17日 ・第5巻. 湾 総 督 府 公 文 類 纂 ・明 治45. ・高 等 官 進 退 ・第11頁 ・秘 甲 第1187号)。. も ち ろ ん 無 意 味 な 兼 務 で は な い 。 野 呂寧 は 測 量 の11専 門 家 で あ り 、 権 度(度. ・大 正5年. に台湾総 督府. 1 督府公 文類 纂 に 総 督 府 を 辞 め(台 湾 総. ・秘 甲 第634号)、 後 任 の 養 蚕 所 長 は蚕 業 の 専 門 家 外 か. ら選 ば れ た 。 も ち ろ ん これ も 無 意 味 な 人 事 で は な い 。 堀 内 養 蚕 所 長 の 専 門 分 野 は 肥 料 で あ るの で(『 台 湾 農 事 報 』 第 39号,1910年. に 「 施 肥 の 効 果 に 及 ぼ す べ き 土 壌 水 分 の 影 響 、 同 じ く 『台 湾 農 事 報 』 第43号,1910年. に 「肥. 料 の 配 合 と反 応 」 とい う論 文 が あ る)、 桑 へ の 施 肥 が 増 産 上 重 要 な 要 素 を しめ る 蚕 業 に と っ て は 、 全 く の 門 外 漢 で は な い。 ま た 、 総 督 府 で の 技 師 歴 も長 く 、 前 掲 「蚕 業 奨 励 に 関 ス ル 事 務 ニ 従 事 セ シ ム ル 為 台 湾 総 督 府 ニ 臨 時 職 員 ヲ 置 ク」 の 説 明 に よ る 「技 師 二 人 ノ 中一 人 ハ 純 粋 技 術 ノ研 究 指 導 ニ 任 シ 他 ノ一 人 ハ 経 済 的 見 地 ヨ リ諸 般 計 画 施 設 ノ任 ニ 当 ラ シ ム」 と あ る うち 「 経 済 的 見 地 ヨ リ諸 般 計 画 施 設 ノ 任 ニ 当 」 た る の は適.
(14) 任 で あ ろ う。 3掃 き 立 て とは 1. 、孵 化 した 蚕 を 飼 育 場 に拡 げ る こ と を 言 う。 親 蛾 の 数 と、 幼 虫 の 蚕 の 数 と 、 で きた 繭 糸 の 産. 額 が わ か れ ば 、 飼 育 効 率(よ. り少 な い 親 蛾 や 幼 虫 で 、 よ り多 額 の 繭 糸 を 得 る こ とが で きれ ば 、 効 率 が 良. い)が わ か る。 徐 照 彦 『日本14 帝 国 主 義 下 の 台 湾 』(東 大 出 版 会,1975年)p.81(表15)参. 照。 なお 米穀 改良奨励 は、台 湾. の米 穀 業 の 姿 を 大 き く 変 えた 事 業 で あ っ た 。 15藤 本 実 也 『台 湾 の 蚕 綜 業 』(丸 山 舎 書 籍 部. ,1924年8月)66-69頁. は 、 台 北 州(旧. ・台 北 庁)の. 養蚕伝習所. の 内 規 を掲 載 して い る。 ま た 、 各 州 の 養 蚕 伝 習 所 終 了者 が 、 台 北 州120人 、 台 中 州208人 、 台 南 州293人 、 高 雄 州135人 、 合 計756人 で あ る と記 して い る。 16蚕 業 専 任 の 技 師 で あ っ た 霜 新 八 郎 は 、1923年3月7日. を も っ て 「依願 免 本 官 」 とな っ た。 こ の とき 喜 多 孝. 治 殖 産 局 長 か ら 田健 治 郎 総 督 へ の 内 申 に は 「右 ハ 大 正 十 二 年 度 予 算 節 減 ニ 依 リ整 理 ヲ要 スヘ キ 者 」 とあ っ た(大 正12年,台. 湾 総 督 府 公 文 類 纂,第1門,高. 『台 湾 総 督 府 職 員 録 』1924年7月1日 残 りは 兼 任(所. 長 技 師1人. ・属1人. 等 官 進 退,第17頁,秘. 現 在 に よ る と、 養 蚕 所 の 人 員 は 、 専 任 が 嘱 託1人 ・技 手2人)と. 師 であって蚕業 の専門家 で はない。 17郡 是 製 糸株 式 会 社 養 蚕 所 『台 湾 蕃 地 養 蚕 法 』(同 所 8大 迫 前 掲 書. ,225頁. 甲 第264号) 。 と雇2人. のみで、. な ってい る。所長 技師 は網野 一寿だ が、一般農 業の技. ,1929年2月) 1.
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