自 由 論 題
1 . はじめに
我が国の公的年金制度は、すべての国民が加 入し、原則として保険料の納付実績に応じて老 後に年金給付を受けるという社会保険方式によ る国民皆年金の仕組みとなっている。また、公 的年金の財政は、いわゆる積立方式でスタート したが、その後、現役世代が納めた保険料を原 資として老齢年金受給世代に給付するという賦 課方式に事実上移行した。賦課方式の場合、高 齢化の進展に伴って現役世代の負担が急激に上 昇することから、年金財政に対する不安が高ま り、公的年金への信頼も必ずしも万全ではない。 さらに、国民年金の第1号被保険者では保険料 の未納率が40%にも達しており、国民皆年金 の仕組みと本当に言えるのか、老後生活の基礎 的部分さえも保障できていないのではないかな ど、公的年金としての本質的な問題も提起され ている。 政府は、2004年改正において、高齢化が進 展しても年金財政が破たんしないよう、マクロ 経済スライドという仕組みを導入し、財政の健 全性をアピールしているが、この仕組みは給付 を実質的に削減して財政のバランスを保つ仕組 みであることから、将来の年金水準に対する不 安は消えていない。政府の説明では、モデル 世帯の所得代替率が50%を下回ることはなく、 長期的な財政のバランスが保たれることを強調 しているが、額面どおりとらえて大丈夫であろ うか。我が国の高齢化率は、欧米諸国と比べて も著しく高く、将来もその状況が変わらないと 見込まれている。世代間扶養の仕組みである公 的年金制度がこうした状況下で本当に持続可能 なのか、直感的にはなかなか理解しがたい。 そこで、本稿では、①年金制度の財政バラン スには本当に問題がないのか、②モデル世帯の 所得代替率が50%を超えていれば、公的年金 制度の役割(全国民の老後生活の主柱)が果た されているといえるのか、③厚生年金の適用拡 大が有力な制度改正オプションとされているが それほど大きな効果が望めるものなのか、とい う3つの論点から公的年金制度を考察した上 で、年金財政の観点から残されている問題を提 起したい。2 . 年金制度の財政バランス
公的年金制度は財政的に破たんするという論考 が多くみられている。その理由としてよくあげられ るものとしては、①経済前提が楽観的過ぎる、② 財政計算に問題がある、③保険料未納が財政破 たんを引き起こす、といったものがある。 (経済前提の問題) 超長期にわたる経済指標の見通しは、(短期 でも難しいが)一般的には困難であり、その見 通しが楽観的かどうかについては、おそらく主 観的な判断によらざるを得ないことになる。よ ほど極端な前提でない限り、適否の合意は得ら れないであろう。2014年財政検証では、経済 前提専門委員会において、専門家の議論の結果 得られた8通りの前提を利用しており、また、 これらは「シナリオ」であるので、そういう位 置づけで結果を読むべきである。シナリオに よっては破たんするかもしれないし、(年金財 政が)「100年安心」であるかもしれない。厚生年金の適用拡大がもたらす貧困率改善効果
稲垣 誠一* * 国際医療福祉大学 E-mail: s.inagaki@iuhm.ac.jp自 由 論 題
1 . はじめに
我が国の公的年金制度は、すべての国民が加 入し、原則として保険料の納付実績に応じて老 後に年金給付を受けるという社会保険方式によ る国民皆年金の仕組みとなっている。また、公 的年金の財政は、いわゆる積立方式でスタート したが、その後、現役世代が納めた保険料を原 資として老齢年金受給世代に給付するという賦 課方式に事実上移行した。賦課方式の場合、高 齢化の進展に伴って現役世代の負担が急激に上 昇することから、年金財政に対する不安が高ま り、公的年金への信頼も必ずしも万全ではない。 さらに、国民年金の第1号被保険者では保険料 の未納率が40%にも達しており、国民皆年金 の仕組みと本当に言えるのか、老後生活の基礎 的部分さえも保障できていないのではないかな ど、公的年金としての本質的な問題も提起され ている。 政府は、2004年改正において、高齢化が進 展しても年金財政が破たんしないよう、マクロ 経済スライドという仕組みを導入し、財政の健 全性をアピールしているが、この仕組みは給付 を実質的に削減して財政のバランスを保つ仕組 みであることから、将来の年金水準に対する不 安は消えていない。政府の説明では、モデル 世帯の所得代替率が50%を下回ることはなく、 長期的な財政のバランスが保たれることを強調 しているが、額面どおりとらえて大丈夫であろ うか。我が国の高齢化率は、欧米諸国と比べて も著しく高く、将来もその状況が変わらないと 見込まれている。世代間扶養の仕組みである公 的年金制度がこうした状況下で本当に持続可能 なのか、直感的にはなかなか理解しがたい。 そこで、本稿では、①年金制度の財政バラン スには本当に問題がないのか、②モデル世帯の 所得代替率が50%を超えていれば、公的年金 制度の役割(全国民の老後生活の主柱)が果た されているといえるのか、③厚生年金の適用拡 大が有力な制度改正オプションとされているが それほど大きな効果が望めるものなのか、とい う3つの論点から公的年金制度を考察した上 で、年金財政の観点から残されている問題を提 起したい。2 . 年金制度の財政バランス
公的年金制度は財政的に破たんするという論考 が多くみられている。その理由としてよくあげられ るものとしては、①経済前提が楽観的過ぎる、② 財政計算に問題がある、③保険料未納が財政破 たんを引き起こす、といったものがある。 (経済前提の問題) 超長期にわたる経済指標の見通しは、(短期 でも難しいが)一般的には困難であり、その見 通しが楽観的かどうかについては、おそらく主 観的な判断によらざるを得ないことになる。よ ほど極端な前提でない限り、適否の合意は得ら れないであろう。2014年財政検証では、経済 前提専門委員会において、専門家の議論の結果 得られた8通りの前提を利用しており、また、 これらは「シナリオ」であるので、そういう位 置づけで結果を読むべきである。シナリオに よっては破たんするかもしれないし、(年金財 政が)「100年安心」であるかもしれない。厚生年金の適用拡大がもたらす貧困率改善効果
稲垣 誠一* * 国際医療福祉大学 E-mail: s.inagaki@iuhm.ac.jp (財政計算の問題) 2004年財政再計算以降は、計算プログラム がデータとともにほとんど公開されており、お そらく、計算プログラム上の大きな問題はない と考えてよいであろう。ただし、膨大なプログ ラムであり、本来の意味での仕様書は公開され ておらず、完全に正しいかどうかの検証を行う ことは容易ではない。もちろん、大規模なプロ グラムであり、軽微なバグが全くないというこ とはないかもしれないが、それよりも、基礎率 の精度(有効数字)の問題の方に留意すべきで あろう。たとえば、有効数字の長い死亡率でも 高々5桁であり、3桁程度のものも多い。 (保険料未納の問題) 第1号被保険者の保険料の未納率が40%と 高く、その結果財政破たんを起こすのではない かとの懸念である。強制加入の制度で40%も の者が法令を順守していないという制度上の問 題は深刻であるとしても、財政上の問題はこれ とは別に考える必要がある。正確には、未納率 (納付猶予や免除は「未納」にカウントされない) ではなく、第1号被保険者に占める保険料納付 者の割合が財政上問題となるが、ここでは議論 をわかりやすくするため、未納率の高低で議論 する。 まず、国民年金第1号被保険者の保険料は、 公的年金制度全体の保険料収入のごく一部であ ること1から、公的年金制度全体の財政からみ ると、未納率の上昇の影響は、マイナスである としても軽微である。 ただし、この問題は単純ではない。公的年金 制度は、国民年金勘定(第1号被保険者)と 厚生年金勘定(第2号・第3号被保険者)に 財政単位が区分されており、それぞれで財政バ ランスを図る必要があるという仕組みであるこ とに加え、両勘定の財政調整が行われているた めである。さらに、加入種別が第1号から第2 1 平成 26 年度の保険料収入は、国民年金(第1号被保険者)が1.6 兆円、厚生年金被保険が26.3 兆円である(平成26 年度厚生 年金保険・国民年金事業の概況(厚生労働省年金局))。 号に変更になったとき、当該変更者の積立分に 相当する資産を、国民年金勘定から厚生年金勘 定に移管する仕組みになっていないことが、未 納率の上昇の財政影響の問題を非常に複雑にし ている(図 1 公的年金の財政構造(概念図))。 図 1 公的年金の財政構造(概念図) 公的年金制度は積立方式ではないが、一定水 準の積立金を有している。現在未納であっても、 かつて第1号被保険者として保険料を納付し ていた者の保険料の一部は、将来の給付に備え るために国民年金勘定の積立金として積み立て られている。しかしながら、基礎年金給付のた めの拠出金は、給付(拠出)が行われる時点で 保険料を納付している者の人数で、国民年金勘 定と厚生年金勘定の負担に按分されるため、こ の者が積み立てた分は使われない形になってい る。すなわち、かつては保険料を納付していた が、未納や免除になったり、第2号被保険者に 移行したりした場合には、その分だけ国民年金 勘定の財政が改善することになる。 稲垣[1]が示しているとおり、現実的な経済 前提等のもとでは、未納率の上昇は、国民年金 勘定の財政を改善させ、未納率の低下は、国民 年金勘定の財政を悪化させる。その結果、未納 率が低下すると基礎年金部分の所得代替率が低 下する結果となる(社会保障審議会年金部会 [2])。この不合理さは、基礎年金の財政調整の 仕組み等に起因するものであり、基礎制度発足 時から生じている問題である。 以上のことから、基礎年金財政の仕組みの不合理さはあるにしても、その不合理さが国民年 金勘定にプラスに働くことによって、財政上の 問題は生じにくいと考えてよい。もちろん、経 済前提が想定したシナリオよりも大きく悪化す ると、財政破たんが起きることはありうる。な お、基礎年金の2分の1について国庫負担が なされることが所与の前提とされているが、今 日の国家財政の状況に鑑みると、その持続可能 性について留意した方が良いかもしれない。
3 . モデル世帯の所得代替率
公的年金は、老後生活の所得保障の柱とされ ている。もちろん、老後生活のすべてを支える 必要はないが、確かな支えとなるべきものでな ければならない。そのため、必要な年金水準を 定め、それを賄うために必要な保険料を現役世 代から徴収するという基本的な考え方のもとに 制度が創設された。しかしながら、この考え方 のままでは、高齢化の進行とともに、保険料が 著しく上昇し、現役世代の理解が得られないこ とが危惧されたことから、当初必要とされた水 準を自動的に削減するシステム「マクロ経済ス ライド」が2004年改正において導入された。 しかしながら、財政の事情だけを考慮して給 付水準を引き下げた場合、老後生活の保障とい う公的年金の本来の目的が達成されなくなる恐 れがあるため、チェック基準として、「標準的 な夫婦の所得代替率(新規裁定時)が50%を 下回らないこと」という基準が導入された。た だし、①ここでいう夫婦が標準的なのかという 問題、②第2号被保険者を基準とした指標であ り、非正規雇用者などもっぱら第1号被保険 者であった者の年金水準を示す指標でないこと、 ③新規裁定時に50%であったとしても受給開 始後はその水準が低下していくことなどが、問 題点として提起されている。 (標準的な夫婦) 所得代替率の算定に用いられる「標準的な夫 婦」は、同年齢で20歳で結婚し、夫は40年 間正社員(第2号被保険者)として働き、妻は 生涯専業主婦(第3号被保険者)というモデル である。かつての日本社会では典型的なライフ スタイルであったが、現在ではライフスタイル の一つに過ぎない。女性の第3号被保険者の比 率も、28.8%(2013年度)にとどまっており、 第3号被保険者制度が導入された1980年前半 では「標準的」であったかもしれないが、その 後のライフスタイルの変容に伴い、今日では、 標準どころか少数派に過ぎない。 (第 1 号被保険者であった者の年金水準) かつては、自営業者・農業者などが多く、第 1号被保険者としてはそのような就業形態が想 定されていた。これらの者は、所得の把握が必 ずしも十分でなく、サラリーマンと違って定年 がなく、高齢になっても働くケースが多かった ため、所得代替率のような給付水準の指標はな じまないものであった。 しかしながら、その後の経済就業構造の変化 によって、自営業者・農業者は著しく減少し、 一方、サラリーマンであっても厚生年金の適用 にならない者、いわゆる非正規就業といった雇 用形態が増えてきた。これらの者は、正規雇用 のサラリーマンと同様に、老後は公的年金に頼 らざるを得ないケースが多いが、給付水準が全 く考慮されていない。 (新規裁定後の年金水準) 年金額は、新規裁定までは賃金スライド、裁 定後は物価スライドという仕組みになっている。 一般に賃金上昇率は物価上昇率よりも高いこと から、所得代替率で給付水準を測定すると、年 齢が高くなるにしたがって給付水準が低下して いく。2014年財政検証の前提では、実質賃金 上昇率が0.7~2.3%とされており、経済前提 にもよるが、80歳くらいまでに給付水準が2 割程度は低下することになる。 このように、モデル世帯の新規裁定時の所得 代替率をもって年金水準の十分性を判断すること については、一面的であり、問題が多い。さらに、 この水準が50%を超えればよいという基準値につ いても、特段の根拠はない。国民全体をカバーす合理さはあるにしても、その不合理さが国民年 金勘定にプラスに働くことによって、財政上の 問題は生じにくいと考えてよい。もちろん、経 済前提が想定したシナリオよりも大きく悪化す ると、財政破たんが起きることはありうる。な お、基礎年金の2分の1について国庫負担が なされることが所与の前提とされているが、今 日の国家財政の状況に鑑みると、その持続可能 性について留意した方が良いかもしれない。
3 . モデル世帯の所得代替率
公的年金は、老後生活の所得保障の柱とされ ている。もちろん、老後生活のすべてを支える 必要はないが、確かな支えとなるべきものでな ければならない。そのため、必要な年金水準を 定め、それを賄うために必要な保険料を現役世 代から徴収するという基本的な考え方のもとに 制度が創設された。しかしながら、この考え方 のままでは、高齢化の進行とともに、保険料が 著しく上昇し、現役世代の理解が得られないこ とが危惧されたことから、当初必要とされた水 準を自動的に削減するシステム「マクロ経済ス ライド」が2004年改正において導入された。 しかしながら、財政の事情だけを考慮して給 付水準を引き下げた場合、老後生活の保障とい う公的年金の本来の目的が達成されなくなる恐 れがあるため、チェック基準として、「標準的 な夫婦の所得代替率(新規裁定時)が50%を 下回らないこと」という基準が導入された。た だし、①ここでいう夫婦が標準的なのかという 問題、②第2号被保険者を基準とした指標であ り、非正規雇用者などもっぱら第1号被保険 者であった者の年金水準を示す指標でないこと、 ③新規裁定時に50%であったとしても受給開 始後はその水準が低下していくことなどが、問 題点として提起されている。 (標準的な夫婦) 所得代替率の算定に用いられる「標準的な夫 婦」は、同年齢で20歳で結婚し、夫は40年 間正社員(第2号被保険者)として働き、妻は 生涯専業主婦(第3号被保険者)というモデル である。かつての日本社会では典型的なライフ スタイルであったが、現在ではライフスタイル の一つに過ぎない。女性の第3号被保険者の比 率も、28.8%(2013年度)にとどまっており、 第3号被保険者制度が導入された1980年前半 では「標準的」であったかもしれないが、その 後のライフスタイルの変容に伴い、今日では、 標準どころか少数派に過ぎない。 (第 1 号被保険者であった者の年金水準) かつては、自営業者・農業者などが多く、第 1号被保険者としてはそのような就業形態が想 定されていた。これらの者は、所得の把握が必 ずしも十分でなく、サラリーマンと違って定年 がなく、高齢になっても働くケースが多かった ため、所得代替率のような給付水準の指標はな じまないものであった。 しかしながら、その後の経済就業構造の変化 によって、自営業者・農業者は著しく減少し、 一方、サラリーマンであっても厚生年金の適用 にならない者、いわゆる非正規就業といった雇 用形態が増えてきた。これらの者は、正規雇用 のサラリーマンと同様に、老後は公的年金に頼 らざるを得ないケースが多いが、給付水準が全 く考慮されていない。 (新規裁定後の年金水準) 年金額は、新規裁定までは賃金スライド、裁 定後は物価スライドという仕組みになっている。 一般に賃金上昇率は物価上昇率よりも高いこと から、所得代替率で給付水準を測定すると、年 齢が高くなるにしたがって給付水準が低下して いく。2014年財政検証の前提では、実質賃金 上昇率が0.7~2.3%とされており、経済前提 にもよるが、80歳くらいまでに給付水準が2 割程度は低下することになる。 このように、モデル世帯の新規裁定時の所得 代替率をもって年金水準の十分性を判断すること については、一面的であり、問題が多い。さらに、 この水準が50%を超えればよいという基準値につ いても、特段の根拠はない。国民全体をカバーす るような指標、あるいは複数の指標で十分性から 総合的に判断していく必要があろう。4 . 厚生年金の適用拡大の効果
現在の年金制度は、伝統的な家族を想定した 仕組みになっている。伝統的な家族といっても、 戦後の高度成長期だけのものであるが、男女は 結婚して離婚はせず、夫が終身雇用の正社員で 妻が専業主婦、子どもは二人といったライフス タイルを指している。したがって、遺族年金や 専業主婦(第3号被保険者)に対しては手厚い 給付が行われ、所得代替率のモデルもこうした 夫婦を想定している。 今日では、これらのライフスタイルはいずれ も過去のものとなっているが、ここでは、これ らのうち、「夫が終身雇用の正社員」という条 件がもはや成り立たなくなっていることに注目 する。近年増加している非正規雇用者は、厚生 年金に加入することができないために、公的年 金制度からは、十分な年金給付を得ることがで きない。これらの者の多くは、まだ年金受給世 代に達していないので、潜在化したリスクにと どまっているが、今後顕在化して大きな社会問 題になろうことは論を待たない。 そこで、これらの非正規雇用者に厚生年金を 適用拡大しようとの改革案が提起され、2014 年財政検証ではオプション試算としてその改革 の効果が定量的に示された。オプション試算で は、被用者保険の適用対象となっていない雇用 者1500万人の う ち、2024年4月 か ら220万 人(週20時間以上の短時間労働者を適用)ま たは1200万人(一定以上の収入のある全雇用 者を適用)を新たに適用拡大するケースが示さ れた。いずれも、その改革効果は標準的な世帯 の所得代替率として測定されている。前者では、 0.5ポイント程度にとどまるが、後者では5~ 6ポイント程度の効果があるとしている。 一見して、被保険者の立場からは望ましい改 革であり、また、その改革効果も大きい。しか しながら、本当に目を見張るような効果が得ら れるのであろうか。 重要な問題は、適用拡大したとしても、それ は、2024年以降の期間のみに適用されるため、 すでに中高年になっている非正規雇用者には、 その恩恵が極めて限定的であるという事実であ る。これは、現在の公的年金制度が基礎年金部 分を含めて「社会保険」の仕組みになっている からである。要するに、これらの者はすでに低 年金あるいは無年金になることがほぼ確定して いるからである。所得代替率による改革効果の 測定は、遠い将来の高齢者の年金水準にかかる ものであり、近未来、2020年代の高齢者の年 金水準は全く考慮されていない。 さらに、マクロ経済スライドによる毎年の年 金の削減率には、当分の間、影響を及ぼすこと はない。マクロ経済スライドの終了年のみが前 倒しになるので、2020年代には顕在化するで あろう貧困高齢者の問題には効果がないといっ てよい。 稲垣[3]は、適用拡大の効果について、マイ クロシミュレーションモデルを用いて、2100 年までの高齢者の年金額の第1四分位値と中央 値(図2)の将来見通しを示すとともに、生活 扶助基準を貧困ラインとしたときの高齢者の貧 困率の将来見通し(図3)を示している。 これによると、220万人への適用拡大では効 果は限定的であるが、1200万人への適用拡大 は貧困率の改善に大きな効果があるとしてい る。しかしながら、顕著な効果がみられるのは 2030年代後半以降であり、それまでの間はほ とんど効果が見られない。これは、すでに中高 年となっている非正規雇用者では、低年金・無 年金が確定しており、適用拡大の効果が及ばな いことを示している。図 2 適用拡大の効果 (年金額の第 1 四分位値・中央値) 出所:稲垣 [3] 図 3 適用拡大の効果(高齢者の貧困率) 出所:稲垣 [3]
5 . 結びにかえて
本稿では、年金財政に関して、必ずしも正し く理解されていないと考えられる問題を取り上 げた。超高齢社会においても年金制度が持続可 能という政府の説明は、直感的には理解しがた い。これは、政府の言う「持続可能」の定義と、 一般国民の考える「持続可能」との間には大き な隔たりがあるからではないであろうか。少な くとも、現在の高齢者が享受しているような、 生活の支えとなる年金は、若い世代では全く期 待できない。 この隔たりが、政府の財政検証の正確性に対 する不信感につながっていると考えられる。お そらく、政府の財政検証は、細かいバグ等はあ るかもしれないが、正確に計算されていると考 えてよい。ただし、計算の前提条件が、必ずし も正しく理解されていないことが、その背景に あるかもしれない。 国民年金の未納問題が財政に与える影響につ いても、ほとんど正しく理解されていない。専 門家であっても、「未納者は年金が受給できな いので財政影響はない」、「未納の影響は深刻で、 財政破綻する」という誤った理解がある。 正確には、本稿で述べたように、公的年金全 体をみるとマイナスの影響はあるが、国民年金 勘定の財政だけをみると、プラスの影響があり、 所得代替率でもプラスの効果があるというのが 正しい説明である。これは基礎年金の財政調整 の仕組みが不合理なために起きる事象であり、 本来は修正すべきものと考えるが、未納率が 数%変動する程度であれば、影響は小さく、気 にする必要はない。ただし、1200万人もの第 1号被保険者が第2号被保険者に移行する場合 には、この仕組みで問題がないかどうか再検討 する必要があろう。 公的年金制度が、今日の高齢者の生活の大き な支えとなっていることは、事実であり、とり わけ1990年代以降、成熟した公的年金制度が 大きな実を結んだと考えて間違いはない。 これは、伝統的な家族を想定した仕組み、す なわち、男女は結婚して離婚はせず、夫が終身 雇用の正社員で妻が専業主婦、子どもは二人と いったライフスタイルが想定されており、現在 の高齢者は、まさにこの典型的なライフスタイ ルを歩んできたため、非常にうまく機能してい るわけである。 しかしながら、これらのライフスタイルはい ずれも過去のものとなっており、新しいライフ スタイルの世代が、2020年代には高齢者とな り年金受給世代となるわけである。ところが、 本稿で述べたように、現在の年金制度は、著し い高齢化については考慮されているが、これら のライフスタイルの劇的な変化は十分に考慮さ れていない。 すなわち、2020年代には顕在化するであろ う潜在的なリスクは残されたままである。仮に 厚生年金の適用拡大が実現したとしても、この リスクが解消されることはない。現在の高齢者 の状況と遠い将来の所得代替率の数字のみを議図 2 適用拡大の効果 (年金額の第 1 四分位値・中央値) 出所:稲垣 [3] 図 3 適用拡大の効果(高齢者の貧困率) 出所:稲垣 [3]