• 検索結果がありません。

「日本国憲法」講義の概要

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "「日本国憲法」講義の概要"

Copied!
9
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

「日本国憲法」講義の概要

馬 場 昭 夫 は じめに 新潟中央短期大学幼児教育科 においては,基礎教育科 目に 「日本国憲法」がある。幼稚 園教諭二種免許取得の為には 「日本国憲法」が必修 (二単位)であるために,本学では, これを基礎教育科 目に配置 し,幼免取得希望者 には必修 としている。1年の後期に開講 し ているが, ほぼ全員が受講 している。私 は平成3年 (1991年度)以来担当 してきたが, 日 本国憲法をめ ぐる議論が活発化 してきてお り,文字通 り論憲の段階に入 ってきたので, こ れまでの講義について,概要を記 してみたい。 1.講義の内容 半期

1

5

回 (

1

9

0

分,実際には,出席をとった りす るために少 し短 くな る) (実際 には 実習等があるために補講を入れて も,13回程度である)の中で, これだけは話 しておかな ければな らないと思 って講義 にのぞんで きたことは次のことである。 1.日本国憲法の成立過程 2. 日本国憲法の基本理念

3.

民法,刑法等の基礎知識 4.日本国憲法の中の教育 に関す る条項,教育基本法,学校教育法 平成11年度のシラバス (講義概要) は次の通 りであった。 〔概 要 〕 昭和22年 (1947年) より, 日本の社会で現実 に効力を持つに至 った現在の日本国憲法は, 50年余の歴史を持っに至 った。授業では, 日本国憲法の国民主権,平和主義,基本的人権 の尊重 という基本理念を理解すると共 に,学校教育法,教育基本法,民法,刑法等を学ぶ。 又,時代の変化の中で,憲法改正の要望,試案が多々登場 している。 これ らの憲法改正を め ぐる動 きについて解説 し,適切な判断が持てるように したい。 〔授業計画 〕

1.

日本国憲法の制定過程 その

1

2.

同 上 その

2

3.

日本国憲法の基本理念 その

1

(2)

4.

同 上

5.

同 上

6.

同 上 7.同 上

8.

同 上 9.同 上 10.同 上 その

2

その

3

その

4

その5 その

6

その7 その8 ll.教育基本法,学校教育法 その1 1

2

.

同 上 その

2

13.同 上 その3 14.憲法改正の動 きについて その 1 1

5

.

同 上 その

2

教材 は教科書 と小型の六法, プ リン トであった。 過去 において使用 した教科書 は次の通 りである。 o 「法学入門 〔新版 〕 法学, 日本国憲法」 (有斐閣新書),遠藤 浩 ・久保田きぬ子編, 有斐閣 。 「わた くしたちの憲法」(有斐閣新書),宮沢俊義 ・国分一太郎著,有斐閣 o 「憲法入門

〔第3版 〕 (有斐閣双書),伊藤正 己著,有斐閣 o 「いちばんやさしい憲法入門」 (有斐閣アルマ),初宿正典 ・高橋正俊 ・米沢広一 ・棟居 快行著,有斐閣川 し -- 、ノ o 「目で見 る憲法」,初宿正典 ・大沢秀介 ・高橋正俊 ・堂本照樹 ・高井裕之編著,有斐閣(2) 六法 は,お もに,岩波書店のコンパク ト六法を使用 した。 2.日本国憲法の成立過程 私が講義を始めた

1

9

9

1

年 は,講義を している途中で ソヴィェ ト連邦が消滅 し,第二次大 戦後,長 く続 いた冷戦が終結, もう少 し正確にいうな らば,西側陣営の勝利, さらにその 後の事態 も考えるな らば,米国の勝利 という世界史の転換の時期であった。その後,現在 に至 る10年で,国内 ・国外共 に政治的,経済的,思想的,又,技術的に大 きな変容をとげ たが,

1

9

9

1

年か ら

2

,

3

年 は, まだ長 く続 いた,ある状況が存在 していた。それは,例え ば,戦前,戦後 といえば,第二次世界大戦の前 と後のことであ り,あの悲惨な戦争 といえ ば,多 くの人,それは若い学生 も含めてが, いちいち説明 した り,問いただ したりしな く ともうなず くような体験,伝聞, イメージを共有 していた。 社会主義 と資本主義を対置 して優劣を考える思考 は根強 くあ った し, 自由主義市場経済 化 に世界が押 し流 されてゆ くなど実感がなか った。

(3)

日本国憲法 は第二次世界大戦の産物である。 また,現在 にまだ続いている第

9

条や自衛 隊の創設,あるいは日米安全保障条約をめ ぐる議論 は,東西冷戦の産物である。

1

9

9

1

年か ら

2

,

3

年の間は,前記の日本国憲法が第二次世界大戦 との関係で成立 したこ とや,冷戦の結果引きおこされた深刻な議論 について,説明 し,解説することは比較的楽 であった。 私 は何 よりもポツダム宣言 について詳 しく話 した。 日本が主 として昭和

6

(

1

9

3

1

年) 以来たどった歴史を話 し, どこの国 と戟争 し, どのような経過で, ポツダム宣言を受諾 し て戦争が終結 したかを話 した。そ してポツダム宣言の全項 目について詳 しく解説 した。学 生 も非常 によ く理解 し, ある感動を持 って受 けとめた。私 は,新潟県長岡市で,昭和20年

8

1

日に米軍の空襲で家を焼かれた。記憶 に鮮やかである。そ して,戦後 は,空腹であ り,住居 は転々とした。そのような体験談 も国民の中に共有するものの一つ として,淡々 と語 ることができた。 日本国憲法の成立過程 については,昭和20年8月15日に, ポツダム宣言受諾の放送を し て,無条件降伏 した後,連合国軍の占領下で,マ ッカーサー元帥の指導の もと,昭和

2

1

1

1

3

日公布,昭和

2

2

5

3

日施行 されたといういきさつは当然一通 り話す. 現在,成立過程については,それが自主的な ものであったか,押 しつけられたものであっ たかが最大の争点 とな っているように見えるが,それ も重要であるが,私 は次のような点 を話 してきた。 ① 幣原喜重郎 という人物 について,又, この人を首相 に起用 した昭和天皇の思想 につい て ② 天皇制 (国体)の存続 と

9

条 との関係 ③ 昭和

2

1

4

1

0

日,憲法草案を争点 とする,

2

0

才以上の男女普通選挙実施 と,その結 果成立 した国会での議論 (丑について 歴史の推移をすなおに見 るな らば,昭和

2

0

1

0

月に幣原喜重郎が昭和天皇 によって首相 に起用 され,昭和

2

1

3

月に憲法草案を発表 し,

4

月の総選挙 に問 うていることか ら, 日 本国憲法の成立 には,連合国占領軍や,マ ッカーサー元帥等 と共に,昭和天皇,幣原が一 番深 くかかわ っているといってよいであろう。そ して, さらに,幣原の後を次 いだ吉田茂 が,何 よりも日本国憲法その ものの公布, さらに施行時の首相である。昭和天皇,幣原, 吉 田の, 日本国憲法 は産物であるといって も過言ではない。マ ッカーサーの示吹,指示は, 強力ではあったが, どこまで も圧力であって,直接,マ ッカーサーが日本国憲法を制定 し たということを主張す る論者 は, さすがにいないであろう。 従来,吉田については,冷戦の激化,朝鮮戦争の勃発以後の再軍備,単独講話, 日米安 保の政策の遂行の中で, 日本国憲法の否定者のように見 られてきたが,なによりもまず生

(4)

みの親であることはまちがいない。 また,昭和天皇 については,天皇の役割を無視, また は過小 に評価 しようとす る風潮の中で,大権を保持 していた大 日本帝国憲法下で, 日本国 憲法を成立 させたということの歴史的現実を直視 しなければな らない。幣原 については, "Lでは ら" という読み方が難 しいためで もないであろうが,憲法の教科書を初めとして, その人物 に言及す ることが少ない。 マ ッカーサーの圧力 に直面 しなが ら, 日本国憲法の成 立,公布,施行 にこぎっけた,昭和天皇,幣原,吉田について,その実像,思想が もう少 し,明 らかにされ,関心が持たれ,その評価について もっと議論 されて もよいのではない か と思 う。 昭和天皇 については,その受 けられた教育,青少年時代の大正期の影響,皇太子時代の 欧米への外遊等か ら, 自由主義的,進歩的,開明的な思想的土台を有 してお られたとの指 摘 もある。幣原 は外交官であ り,大正 ・昭和初期の平和外交を推進 した。英米 日を中心 と す る体制の上 に乗 っての平和を目ざ した ものとはいえ, "殺 し合い" という意味での戦争 についての嫌悪感 は心底持 っていた人であったといってよい。 それは, また,三井,三菱 等の財閥の通商の世界を擁護す るものであった。吉田は幣原の外務省での後輩であ り,同 じような思想か ら,軍,特 に陸軍 と衝突 し,外交官 としては傍流を歩 き, また,三国同盟 に反対 して,逮捕 されたく3). ここに共通す ることは,親英米, 自由主義である。 ② について 第二次大戦前か ら, 日本の政治の中心的課題 は,国体 (天皇制)の問題であった。国体 護持,国体 に反する者 は最高死刑を もって罰せ られた し,国体明徴運動 もあった。 ポツダ ム宣言を受諾す る時にも,国体 は維持 されるのかどうかが最大の関心 とされたt, また, その点についてい うな らば, よ く確かめる時間的余裕がないままに,原子爆弾, ソ連の進 攻の中で,受諾 し,無条件降伏 して,戦争 は終結 した。 このような状況であったので,戟 前支配的であった人達 にとっては国体の護持が何よりも最大の関心事であった。 一方,勝利 した連合国側 としては, 日本の軍国主義 は軍隊 という軍事力 と国体 (天皇制) が結 びついていたところに強 さがあったと見ていたか ら,当然,戦後, 日本 にこの二つを ともに認 めることは しようとしなか ったのである。マ ッカーサー個人の親天皇,厭戦が天 皇制,象徴天皇制 という形ではあるが,を存置 し,憲法

9

条の戦争放棄,軍事力放棄 とい うこととの組み合わせを作 り出 したともいえるが, しか し,単 なるマ ッカーサー個人に帰 せ られる偶然の産物 とは思えない。む しろ私 は,天皇制 と軍備の二者択一を迫 られた時に 天皇制の存置を優先 した結果 と見 ることもで きるのではないか と思 う0 ③ について 日本国憲法の成立が押 しつけられた ものであるかどうか ということについて,抽象的に 議論す るのではな く,成立の過程を見 るな らば,民意 に問 うという過程があることがわか

(5)

る。確かに占領下であるか ら,独立 した後 には,あ らためて, 自主的に制定すべ きである という論 は傾聴すべ きである。 しか し, ひるがえ ってみるな らば, 占領下で,旧軍国主義 者が追放 され, 占領 目的を阻害 しない範囲ではあるが,出版の 自由が保障 され,婦人参政 権が実現 して,大多数 の国民 の自由な意思が表明 されたと見 ることもで きないわけではな い。 日本国憲法の草案の国会での審議 について も, それが真 に自主的で, 自由であ ったと いえるか どうかは難 しい問題である。公開 された議事録 によって も,一字一句,詳細 に検 討 されているので, 自主的のよ うに見えるが,大 きくは占領軍 の監視があ った ことは否定 で きないであろう。 私 はむ しろ次のように考える。 日本国憲法 は昭和

2

0

年,

2

1

年 の激変の中にあって, しか し,大 日本帝国憲法 (明治憲法) の改正 という形を とった。押 しつ け られた ものだか ら, そ もそ も無効であ った という議論 は現在 となっては不毛ではないか と思 う。 これか ら先を 見 るな らば,新 しい憲法を制定す るか,現在の憲法を改正す るかである。 どち らも否定 さ れ るものではないが,少 な くとも次の ことはいえると思 う。民主主義 という点か らするな らば,その時その時の民意が最大限反映 されるべ きであ り,改正 の発議の条件は再検討 し, 国民投票 は維持すべ きである。 あるいは新憲法制定を望むな らば, その手続法を制定 しな ければな らない。 また次の ことも付 け加 えてお きたい。昭和

2

6

年,

2

7

年 に講和 して, 日本 は独立を回復 し たか ら, 自主的な憲法を制定すべ きという論があるが,同時に実現 した米軍の駐留 による 日米安全保障体制の もとで, はた して, 占領下 とどのような, どの程度の差があるのかは, 慎重 に検討 しなければな らない(4)0

3.

日本国憲法の基本理念 日本国憲法の基本理念 は,

1

国民主権,

2

基本的人権の尊重,

3

平和主義,であるとい われている。国民主権 については,確かに,明治憲法 における天皇主権か ら転換 しようと したが,象徴天皇制 とい う形で,最終的な国家意思の決定 には,世襲で, しか も男系の男 子 だけがなる天皇が形 の上でかかわることとなっている。国会 における憲法の審議の中で 主権在民を明記 させたとされる当時の共産党議員野坂参三氏 は,近年最晩年 にな って種 々 の理由で党か ら除名 され,歴史か ら抹殺 されようとしている。戦前か ら,特別高等警察の スパイの うわさがあった。戦前,戦 中,戦後,近年 にいたるまでの共産党,野坂参三氏の 果 た した役割を考え ると,不可思議 な歴史の謎を感ぜずにはお られない。象徴天皇制の も とでの国民主権 (民主主義) とは何か,そ して, いわゆる護憲勢力 は何をまもろうとして いるのか。 基本的人権の尊重 については,種々の権利 については,明治憲法が 「法律の範囲内で」 と条件をっけていたことに較べ ると無条件 になった。 しか し,現実運用上 は公共の福祉 に

(6)

よる制限が多 くっ くこととなった。 平和主義については,軍国主義を標梼 していないことは確かであるが,国際協調を唱え, 戦争放棄を唱え,戦力を持たず,交戦権を放棄 したか らといって平和が維持で きるとは限 らないことは明 らかである。 明治以来,純粋な非武装主義の主張があったことは確かであ るが,その主張 に基づいて,少な くとも吉 田茂が 日本国憲法を制定 したとは思えない。当 時のさまざまな打算,計算の産物 と考え られる。現 に数年を置かず して,吉田は武装を主 張 し,実際に実現 したのである。 このように考えると,従来,疑 いな く繰 り返 されてきた三っの基本理念 も再検討 しなけ ればな らない点があるように思われる。 次のように考えることも可能である。立法,制定 にたず さわった昭和天皇,幣原,吉田 と,解説普及 した文部省,法曹関係者,あるいは解説書,体系書を書 いた宮沢俊義など学 者 との間に理念上の相違があったと考えてみることである。前者 は広い意味での国体 (天 皇制)護持, 自由主義,親英米で一貫 している。それに対 して,宮沢俊義 はフランス憲法 の研究をおこなってフランス語 に堪能であ り,文部大臣田中耕太郎 は ドイツ法に通 じてい た。特 に宮沢俊義の著書 は大 きな影響を与 えた。 私 は,前文 にある,「わが国全土 にわた って自由の もた らす恵沢を確保 し

,

に注 目して いる。

1

9

9

0

年代, ソヴィエ ト連邦の崩壊,東西 ドイツの統一 によって,東西冷戦の終結が確実 になった現在,

1

9

5

0

年前後か らの厳 しい冷戦の谷間で,ゆがみにゆがめ られてきた日本国 憲法をめ ぐる事態を解 きほぐし,将来を展望す るためには,憲法制定時のいきさつを もっ と細か く研究 しなければな らないのではないか と思 う。その際に関係者か ら-の聞 き取 りが 重要である。

4.

民法,刑法等の基礎知識 高等学校 までの教育 において, 日本国憲法については広 く教え られている。 しか し,法 律で,現 に日本人の日常生活 に深 くかかわ り,社会の土台をな しているともいえる民法, 刑法 については, ほとんど教え られていない。中学,高校で (商業科の商業法規や,衛生 看護科の関係法規 はあるが)民法,刑法を基礎か ら教える教育内容 は皆無である。ここに, 法律 と聞 くと難 しい,わか らないという国民常識の一つの原因があると思われる。法律の 世界では,直接 には,憲法よりは,民法,刑法, さらにそれ らの特別法,通達,判例など が 日常生活 に関係が深い。法 とは何か,権利義務関係の理解,契約 についての理解,刑罰 の種類,犯罪の種類など基礎的なことについて, どこかで しっか り時間を とって教えなけ ればな らないと思 う。中学で も高校で も教 えるべ きだと日頃思 い, また主張 してきた。講 義の中では, これ らの ことについて少 しで も時間の許す範囲で詳 しく触れるように してき

(7)

た。 その時々の関心の深 いことを導入部 と して話すように努力 して きた。例えば夫婦別姓 の立法化の動 き,神戸少年殺傷事件等。私が刑法学 も専門 としていることもあって, どう して も刑法 についての話 に力が入 って しまうこともあったが, とにか く,少な くとも刑罰 の種類だけは,詳 しく教えるように してきた。 それに,殺人罪,傷害罪について も具体的 に教えた。 また故意 と過失 について も触れるように して きた(5J。 私の経験では,死刑,懲役,禁鏑,罰金,その他,刑罰の種類 について, しっか りと教 えると,法律の話 は,話 しやす くなるし, また学生が しっか りして くるように思 う。 5.日本国憲法の中の教育 に関する条項,教育基本法,学校教育法 講義の最後 の2時間 は必ず憲法26条,教育基本法,学校教育法の説明にあててきた。 教育基本法 については, 日本国憲法 と共 に戦後長 い間議論 の対象 となって きた。 いわゆ る改憲,護憲勢力 に対応 して,教育基本法 に対す る憎悪 と,賞賛があった。 私 は昭和24年4月に小学校 に入学 している。講義で も,毎年話 して きたが,戦後の 6

3制の教育制度が完全 に実施 されたのは昭和24年か らであ り,私 はその第一期生であった. 昭和22年施行の教育基本法の精神で教育を受 けてきたのである。教育勅語 については全 く 知 らなか った し,知 らされなか った.男女共学であ り,平和尊重であ り,一人一人の意見 を発表 し,聞いた上での多数決 による決定であった。私 は家が空襲で焼 け,お もちゃも本 も焼 けてな くな り,長岡の街 も焼 け野原 にな ったところで,新 しい生活,街の建設 は日本 国憲法の下,教育基本法の下でお こなわれたので,生活感覚 として 日本国憲法や教育基本 法 に対 して,大 きな違和感がない。それが,後 に現在 に至 るまでの,我々の世代 に対す る パ ッシングになるのであろ う。昭和30年中学入学,昭和33年高等学校入学,昭和36年大学 入学,昭和41年大学院入学。 その頃か ら大学紛争 に直面す るのである。 また法律の世界, 法学部関係 についていえば,司法試験 も含めて法曹養成制度の問題が大 きな問題 になって いた。 その頃か ら30年余,平成11年 において,ついに事態 は流動化 し始 めた。 教育基本法 については,議義では,前文 と第6条 (学校教育) までをよ く読んで解説 し て きた。学生 の反応 は,ある感動,感激を与 えるよ うに思えた。 どうして, これが批判 さ れているのか, という疑問 も出た。私 は,国家 とか,家庭 とかの ことが,全 く落ちている と言われていると話 した りした。 国会での憲法 についての調査,議論 に続 いて森内閣 は,教育基本法の改正 を提起 してい る。個人の尊重,平和教育,教育の機会均等等 は現在の教育基本法 によって実現 した こと で決 して悪 いことではないと思 う。 これ らの上 に, さらに良 い もの,補 うものがあるな ら ば,実現 してゆ くべ きである。 学校教育法 は,1条 (学校の範囲),11条 (学生生徒等の懲戒),第七章幼稚園 (77条か ら82条)をや って きた。

(8)

1

条 については,学校教育法上の学校 とい う概念 を説明 した。 このような話 を通 して, 法律の世界では, 日常的な用語 (例えば 「学校」)が 日常使われている意味 とは異 なって, 定義 されて法律用語 として使われることがあることを教えた。 第七章幼稚園 については,

7

7

条か ら

8

2

条 まで準用規定 も含めて全文読み,解説 した

。7

7

秦 (幼稚園の目的)で は,幼稚園 は学校教育法上 の学校であるが,「幼児を保育 し」となっ ていることを確認 した。 おわ りに 教育免許取得 に日本国憲法の学習が必修 とな っていることは悪 いことではないと思 うが, 表面的な扱 いで終わ って しまわないように しなければな らないと思 う。 また, 日本国憲法 の科 目があることで,法律科 目はすでにあるか らとの理由で,例 えば基礎教育科 目に法学 を置 くことは,二重 になるといわれることがあるが,諸般の事情 の中で,やむを得ない場 合 もあるが,理想 としては法学が別 に置かれ ることが望 ま しい と思 う。 日本国憲法 について は,天皇制 も含めて活発 に議論 され,新 しい時代 に即 した憲法が実 現す ることを願 ってやまない。 注 (1)(2) 「いちばんやさ しい憲法入門」 それに続 く 「目で見 る憲法」 は,戦後生 まれ の憲法学者 によ る,わか りやすい憲法の書を目ざ したとい う点で画期的であ ったが,次の点を指摘 してお きたい。 1・憲法の制定,成立過程等 に, 自らの体験,経験 に もとづ く歴史認識が反映 され な早 ことはい た しかたがないとして も, これまでの研究成果を批判的に受 けついでゆ く姿勢 が ほ しい。 日本 の大学 は年功序列であ り,定年 もあることで,現職 の教員が執筆す るとなると, 世 代交代 もい た しかたがないか もわか らないが,戦後生 まれだけで思考す ることは無理があ る し, 危険で も ある。 2.日本国憲法 は, その条文の字句 も含めて,歴史的産物である。法の安定性 とい うことか らす ると, ひとまず, この字句を前提 として,解釈で全てに対応す ることは必要で もあ るが, ど こ まで もひたす らこの字句の範囲か ら全てに対処 しようとす ることは安易であ り,無理である。 総 じて現在の憲法学者 は, 日本国憲法を成立のいきさつか ら切 り離 して, それぞれの 自 らの 思想,国家観 に合わせて解釈 し,体系化 しようとしているが, その事が,かえ って混乱 を深 め ていることもあるのではないか と思 う。 (3)幣原 は目黒真澄 と親友であ った。 目黒 は新潟県の現在の広神村 の出身で英米文学者 で あ り, 東 京高等商船学校の教授であ った.「武士の娘」 (杉本賊子著)の最初の翻訳者である (昭和4年). また, 目黒 は,山本五十六 (旧姓高野五十六) と旧制長岡中学で同級であ り,終生 の親友 であ っ た。 なお, 目黒 は筆者馬場の遠縁である。私の実父 (山岸義三) の母 (ヨシ) (旧姓 内山 ヨシ) の長兄が内山愚童 (内山慶吉,小千谷市出身,大逆事件で刑死)であ り,慶吉, ヨシ等4人 の父 親直吉の妹 テルの長兄が目黒真澄である。

(9)

(4) 近時 2, 3年,学生の意識,あるいは学力に大 きな変化が生 じ,従来,当然 に前提 と して きた 日本人の戦争体験 とか, また戦後の日米関係などが, はっきりとわか らない学生 が多 いよ うに思 われ, それ らの説明に以前 よりも多 くの時間をさかなければな らな くなった0 (5)私の刑法 についての研究 については, 「刑法学入門」馬場昭夫著,慶友杜,1996年

J

・S・ミルの刑事思想 の考察に向けて」馬場昭夫

(

「民衆司法 と刑事法学」, 庭 山英雄先生古 稀祝賀記念論文集,現代人文社,1999年,所収) 参照。

参照

関連したドキュメント

しい昨今ではある。オコゼの美味には 心ひかれるところであるが,その猛毒には要 注意である。仄聞 そくぶん

従って、こ こでは「嬉 しい」と「 楽しい」の 間にも差が あると考え られる。こ のような差 は語を区別 するために 決しておざ

私たちの行動には 5W1H

春から初夏に多く見られます。クマは餌がたくさんあ

各テーマ領域ではすべての変数につきできるだけ連続変量に表現してある。そのため

論に対する批判的なまなざしに因るものであると考えられるのである︒

する ︵1︶ ︒ そ し て ︑﹁ 国際的﹂ である こ と が あら ゆる試みを保証し て い

Limited Processor Sharing は,現実的なウェブシステムの有効なモデル化の手法の一つである ため,十分検討がなされるべきである.しかしながら,