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「道草」をめぐる二,三の問題について
角 田 旅 人 夏目漱石の「道草」という作品についていくつか心紅かかっている問題があ って,その中のニ,三をこの場を借りて考えてみたいと思う。(1) その一つは,「道草」という作品の中の時間に.ついてである。「一道革」はも ともといろいろ議論の多い作品でほある。しかし,たとえば,この作品が,健 三なる人物がその養父であった島田と十五・六年ぶりに出会い,ややこしい交 渉を持つこ.とになったあと一応の決着をつけるまでの経緯を筋としているとい う点に関して余り異論ほ.ないのだけれども,その事柄がどれはどの期間に捗っ ているかについてほ,言いかえるなら,この作品を流れる時間がどれはどであ るかについて.ほ,必ずしも明白なものとほなっていないというようなことがあ るのである。取り上げてみると,どうしてそんな基本的なことが今まで,とい うことになるのだが,「道草」に.はそうしたことが起る性格−−それにおいお い触れていくと.とになるわけだが−が具わっているということなのだ。そこ でまず,わたくしが考えようとする点を整理して魂ることにする。 「道草」ほ,健三が養父であった島田と十五・六年ぶりに出会うことをきっ かけ紅小説の現在の時間が流れ始め,そ・こに.いくつかの過去が飲めこまれると いう構造になっている。私見によれば,小説の現在の時間の流れは比較的きち んと設定されており,そこへ飲めこ.まれてくる過去のいくつかも相当によく整 理され(つまり充分に意図的紅)昏きこまれていて,作品世界の意味をすっきり と表現しているのに,別のある過去の時間はかなり混乱したままで組みこまれ ているように思える。従って,その混乱がそのまま入りこんでいるという所か ら,「道草」という作品についての作者の意図と作の性格,さらにほ主題につ いてのかなり重要な示唆を汲み取るこ.とができるのでほないかと考えたくなる ところがある。具体的紅言うと,健三の幼少年時の思い出の扱いと健三の岳父 との交渉過程の扱いと紅は違いがあるということなのだが,それを実際に考えようとすると,まず小説の現在の時間を確定しておかねばならないことになる ということなのである。 * 小宮豊隆ほ,決定版『激石全集』の「道草」の解説を<漱石は『■道草』に.釆 て,初めて自叙伝小説を書いた。>(『激石の芸衛』に.よる。以下決定版解説 については同じ)と作の性格規定をすることから書き始めている(2l。そして今 考えようとしている,作品に流れる時間紅ついては.少し先の所で次のように書 く。 『■道草』が置かれた特定の期間とほ,即ち漱石が,そ・の,暗いじめじめし た害の中に閉ぢ込められて,息ぐるしい月日を送らなければならなかっ・た期 間の謂ひである。・それは凡そ,漱石が留学から帰って来て,どしどし『猫』 を書き出すまでの期間,強ひて数字を用ひるとすれば,凡そ明治三十六年か ら明治三・1一八年(もしくは明治三十九年)に亙る,三年間(もしく は四年
間)である。漱石ほそれを,健三「三十六」の年の事に,総括した。(傍点引
用者) 傍点部分から明らかなように,ここでは「道草」にほはぼ一・年間の時間が流 れていることが指摘されている。ところが同じ小宮による新書版『漱石全集』の 解説(3)になると,こう変っている。 『道草』では健三が三十六の年から,事件が始まることになっている。漱 石がロンドン留学を絶えて日本に帰って来たのほ,明治三十六年(1905)一 ●● 月二十三日で,漱石≡十六歳の年のことである。『道草』でほ健三三十六の 年から何年経過することになっているか,はっきりしたところは一分からな い。(傍点原文) しかし,と小宮ほ続けて暫くのだが,作中に扱われる,原稿を書くことや養 父との問題(これが実際に片付くのは明治42年4月11日以後のことである)な道草をめぐるニ,三の問題について 21 どから考えると,<漱石が朝日新聞に入社して経済的には相当ゆとりができる やう紅なった明治四十年(1907)四月以前のことまでとして,芸術的な意味で 全体の構成をひきしめようとしたものに・相違ないと思う。>と結論する。 この小宮の考えの特徴ほ,「道草」を普く漱石のモチ・−フに「自叙伝小説」を 雷こうという意図があって,<芸術的な意味で,全体の構成をひきしめ>つつ 伝記的事実を並べていったのだとする点にある。これほ小宮が<『道草』の主人 公は,それをそのまま漱石と見徹して,少しも差支ないはど,漱石自身を直接 に,赤裸裸に表現する。少くとも『道草』の健三が体験した所のものは,漱石 自身がそのまま,自分で体験しなかったものほ,−・つもなかったと,言って可 いのである。>(決定版解説)と断言できるはどに漱石の生活を知っていた, 逆に知っていすぎたため紅「違背.」を「自叙伝小説」とより読めなかったこと から起ったに違いない。そのために,実ほ作品中においてほ.っきりしている作 中の時間を見定め損なったのだ。 サーなぉち,漱石は「道草」に.おいて「自叙伝小説」というようなものでは.な い,独自のモチーフの下に√一つの小説を審こうとして,その作品中にモチ・−フ の要求するものとして多くの体験(伝記的事実)を素材に散り入れたと逆転さ せて考えることがここで必要なのでほないか。そのように考える時,「一道革」 の中を流れる時間とその扱いが,作品のテーマ紅かかわって重大な意味を持つ ととが明らかになる篤だというのが,わたくしの意見であり,この小論のモチ ーフである。 * ところで,「道草」に流れる時間がどれほどかという問題に限って言うな ら,宮井−・郎の明快な断定がある。宵井は先に.引用した小宮の新書版解説の 意見を批判しながら<とこ.ろで,実際ほ,漱石ほもっと圧縮した時間を欲した のだ。三年も四年も賢しては,この苦渋に満ちた,しかも平板な世界は,読む に堪えないものになる。そこで作者ほ,これをおよそ八カ月に短縮したのであ る。>(『漱石の世界』)と言う。話がひどくこまかくなって,我ながら鼻白むの だが,ここが大切な所と思うので押して続けると,わたくしほ「八カ月」でほ 短いと考える。それでほ事柄が全般紅せわしないだけでなく入り切らなくなっ
てしまう。少くも十ケ月を設定していると考える時,主人公健三の生活も心の 変化もしつかりとした足取りで動いて‥いる稼が読み取れるよう紅思う。つまり 漱石はかなりよく時間を計算して物語を進行させているということなのだが, 意見の対立がある以上作中の記述軋よっでそれを確認することを先に.やらねば ならない。 * まず「道草」の終りがいつ頃かということは明白である。最終節「百ニ」の 冒頭に.<比田と兄が揃って健三の宅を訪問れたのは月の半ば頃であった。松飾 の取り払ほれた往来にはまだ何処となく新年の香がした。>とある。年が明け た一・月の単ほである。 次に,大体どれぐらいの期間かということもはっきり分る。時の早い方から 省くと,「二十九」節末尾に<さうして今ほ既紅三番目の子を胎内に宿してい た。>とあり,「五十三」節の中ばに.<其内細君の卸腹が段々大きくなって来 た。>とあって,「八十」節紅来て<初冬の暗い夜>に.<日取が狂って予期よ り早く産気づいた細君>がく「■もう生れます」>と夫(健三)に宣言して胎児 を分娩してしまうところがある。この後「八十五.」節の沓き出しに<細君の 床が上げられた時,冬はもう荒れ果てた彼等の庭に霜柱の錐を立てやうとして いた。>と時節を明らかに.する描写が入り,「■百一」節で<歳が改たま>る。 「三十節」より前紅正月ほないから,一・年以内であることには疑問の余地がな い。 問題ほ,始まりがいつか,である。全体を「八か月」と断草する宮井はそれ をこう考える。 まず第一回の島田との出合いほ,「ニ人の間には細い雨の糸が」と梅雨時 であることを示す。その島田の代理人から旧交を復するように求められたの ほ,長い雨が「からりと晴れた時,染付けられたような空から深い輝きが大 地の上紅落ちた」頃だから梅雨明けである。その後間もなく起った「折合の
…=○●●●
悪い」健三夫妻の別居生活は,「斯うした巽中の出来事」として≡回想せら
れ,続いて健三の兄が「秋口から又風邪を引いて」勤めを休む。(中略)こ.道草をめぐるニ,三の問題紅ついて 25 のように「道草」ほ,梅雨時紅始まり,翌年の正月に終っている。その間僅 かに.八カ月に過ぎない。>・『漱石の世界』217ぺ−汐(傍点引周者) すなわち六月から翌年一月までであり,始まりを六月であるとする根拠の 「細かい雨の糸が.」の一句は大変説得的でもある。実際この意見を受入れて, その期間の随所に.過去の時間が組みこまれてくると考えを進めたいのだが,・そ・ うは問屋が卸さないところがあるのである。上の引周にも見られる<その後間 もなく>と時間的に前から続く形で起ったとされる健三夫婦別居の事は,<極 暑の頃>の賢の<一箇月>の出来事であって,これは「五十五」節に番かれて いる。島田との出会いを六月始めの事と見積り,別居の始まりを七月(八月は もう秋の始まりの季節でもある筈だ)の末とぎりぎりに長く取ってもこ箇月は ない。ところが「一・」から「■五十四」節までに起る出来事ほ,ニ箇月紅は納ま りきらないのである。これは「−・」から順に時間の経過を示す語句を抜き出し て確めるはかない。(節をアラビア数字で記す。) ●●●●●●●●●●
1.ある日小雨が降った。其時彼ほ外賓も雨具も着けずに,ただ傘を差した文
で,何時もの通りを本郷の方へ例刻に歩いて行った。(傍点引用者以下同じ) ●●● 2.次の日健三ほ又同じ時刻に.同じ所を通った。其次の日も通った。‥……… こ ●●●●● うした無事の日が五日続いた後,六日目の朝になって帽子を被らない男は… …現れて…… 5.次の日曜が釆た時,彼は不図途中で二度会った男の事を思い出した。さう して急紅思い立ったやうに姉の宅へ出掛けた。 ●●●●●●● 9.(5節から)一週間後の日曜が来た時……多少風邪気味であることに気が付いた。翌日限を覚した時は存外安静……(月)
1〔ト翌日ほ熱が猶高くなった。(火)
魔に襲ほれたやうな気分が二三日つづいた。 11.(10節の正気に帰った)晩,細君がトー・昨日」島田の代理人吉田が来たと 話す。 12,.健三の病気は日ならず全快した。活字に眼を曝したり,万年筆を走らせた ●●●●●●●●●● り,又ほ腕組をしてただ考えたりする時が再び続くやう紅なった頃……書田来る。 ●●●●●●●●●●●● 1占.待ち設けた日がやがて来た。吉田と島田とはある日の午後連れ立って健三 の玄関に現れた。 17.(1占の日の)黄昏の空から又雨が落ちて釆た。 ●●●●●●
18.雨の降る日が幾日も続いた。それがからりと晴れた時,染付けられたやう
な空から深い輝きが大地の上に落ちた。毎日鬱陶しい患いをして…・・・t・其日曜
の午後を健三は独り静かに暮らした。………=○●●
ニ三日経ってから細君は始めて某日外出した折の事を食事の暗譜題紅上せ た。 「一・」からここまで四週間と数日,すなわちまるまる−サ月は経過してい る。しかも−・番短かく見積っでである。 次の「十九」節で,細君の話から島田がどう出て来るか健三ほ不安にかられ るのだが,続く「二十」節の審き出しはこうなる。 20.其不安は多少彼の仕事に即いて廻った。けれども彼の仕事ほまた其不安の 影を何処かへ埋めてしまう程忙しかった。さうして島田が再び健三の玄関へ ■●●●■●●●●■ 現れる前に.,月は早くも未紅なった。(傍点引用者) この「月末」を,仮り紅六月(続く話題によって,それはほとんど考えられ ないのだけれども)と考えても,「一・」節ほ五月の中旬頃に相当すること紅な る。上の「続く話題」とは健三の夜間教師のアルバイトのことであるが,以下 もう少し作品に沿って時の経過の具合を見てみよう。 21.健三はもう少し働かうと決心した。その決心から来る努力が,日々幾枚か ●●●●●●●●● の紙幣に変形して,細君の手に.渡るやうになったのは,それから間もない事 であった。・…・・・ (健三が新たに受取ったものを細君に渡してから)二三日経 ってから,健三に一反の反物を見せた。……‥(そこで喧嘩して)。 細君とロを利く次の機会が釆た時……道草をめぐるニ,三の問題について 25
………=…=○●
= 彼が其余分の仕草を片付けて家に帰るときは何時でも夕暮に.なった。/成
日彼ほ渡れた足を急がせて,自分の家の玄関の格子を手荒く開けた。(する と細君が,「あなたあの人が釆ましたよ」と健三の留守中に.島田が来たこ.と を報告する。) 22,(21から続いて細君が健三に.伝えることばとして)「とうにイ司う筈だった けれども,少し旅行していたものだから御無沙汰をして済みませんって」 念を押すまでもないのだが,ここ.は健三がアルバイトなやり始めて,月払い の給料を受取っているのだから,一サ月は縫っていると見なければならないと ころである。そして島田はその間旅行していたことになっている。 23.(21の最後「格子を手荒く開けた」晩から)中一・日置いた後の事,細男が 比田からの端書を持ってくる。 24.健三は返事の端書を章いて,指定の日が来た時,樺の守坂へ出掛ける○ (用件ほ,健三に島田姓へ戻って欲しいという要望が島田から出をれたこ と) 27.健三ほ鼓初に吉田が釆た時の談話を思い出した。次に・吉田と島田が山所に ○●● 釆た時の光景を思い出した。最後に彼の留守に旅先から帰ったといって,島 田が山人で訪ねて釆た時の言菓を思い出した。(傍点引用者。以下同じ) ●● 29,(24のこ.とがあった後の)或日彼ほ異常年の−㌧人に誘ほれて・…… 5ロ.家へ帰ると細君は寝ている。・……「先程御留守に御兄いさんが入らっしや いましてね」・……(ほかまを借りに来たこと。書付の束を持って来たこと。) ●●●●●● 55二三日経って健三の兄は袴を返しに来た。 5‘7.兄は此間の相談(24以下)通り島田の要求を断った旨を健三に話した。 ●●●●●●●●●●■●● 58.事件のない日が又少し続いた。事件のない日は,彼に取って沈黙の日に過 ぎなかった。 ●●●●●●○ 舶.健三の心を不愉快な過去に.捲き込む端緒匿なった島田ほ,それから五六日 程して,ついに又彼の座敷に.あらほれた。 ●●●●● 47.彼は三日程して又健三の玄関を閃けた。(この晩,細君病気を起す。(49))52.その次島田は来た時,例よりは忙しい頭を抱へている紅も拘らず,つひに 面会を拒絶する訳紀行かなかった。(金を渡す。)
55.翌日例刻に帰った健三は,何時もの所に儲かれた昨日の紙入れ紅眼を付け
た。……… (そ・の紙入れに.)手も触れず幾日かを過ごした。/其内何かで金 の要る日が釆た。 其内細君の御腹が段々大きくなって来た。 54.……細君も動かなかった。大きな腹を畳へ着けたなり打つとも蹴るとも勝 手にしろという態度をとった。 これに続く「五十五」節で,「ぢや当分子供を伴れて宅へ行っていませう」 という事件が起り,健三は「八宜の座敷の真申にノJ、さな餉台を据ゑて其上で朝 から夕方迄ノートを書いた。」という夏休みの生活をするこ.とになる。それほ 「極暑の頃」の「夏中の出来事.」であって,「−・箇月」は続いたのである。 夫婦別居の事件が「−・」から「五十四」までの期間のどこかに.重なって起き ることはありえないことほ,これまでくどくどと辿って来た物語の展開から見 て明らかである。細君が−・週間と続けて健三の傍に.姿を見せなかったことはな かった。事件は物語の進行順に.起ったと考えるほかない。 要は「■ニ十」節冒頭紅届かれる「月末」が何月の「月末」と考えられるかと いうことになろう。 まず「■一」の時期ほ,健三の勤務ぶり(健三は大学の教師である)と,前に 引用もした「共時彼は外賓も雨具も着けずに,ただ傘を差した文で」という服 装から,四月より前でほないと推測される。そして「月末」までは一ケ月以上 は経過する。 次に,その「月末」から夫婦別居の安までほ,一サ月以上は見なけれはなら ないし,むしろ島田の要求をめぐる往来や島田の来訪,細君のヒステリー・など の事件を考え,さらに.「事件のない日」なども加えるとこか月を越えそうな日 数を見なければならなくなりそうである。すなわち,その「月末」は恐らく五 月のことであり,島田との出会いは四月の学期始まって早々紅起ったのであろ う。「−・」の雨は四月の雨であり,「十八」の天気ほ.五月晴れという見当にな道草をめぐるニ,三の問題紅ついて 27 ろうか。つま−り四月から翌年一月までの十ケ月間ということ紅なる。 * さて,わたくしほ途轍もなく迂遠の作業に手間取って来たようだが,実は全 くの徒労に似た仕事をしたわけでほない。というのほ,漱石が,物語中の進行 とそれに要する日時のこともかなりよく計静しているということを,同時紅確 認できたと思うからだ。そして今ほ,この,漱石が時間の処理を注意深く行っ ている,という点がわたくしの手紅入れたい根拠なのだ。(41 わたくしほ前に,この十ケ月に捗る時間の流れの随所に二つの種類の過去が 組みこまれているということを書いた。その−・つは,健三の幼少年時の思い出 であり,それは今物語の進行を辿るこ.とで明らかになったものと同質のきちん とした整理がなされた過去である。しかしこの過去軋関する問題ほここで取り 上げる余裕がない。ただ心残りにどうしても書き留めておきたいのほ,「九十一.」 節という物語も終りに.近い部分で,<彼ほ始めて新しい世界紅臨む人の鋭い 眼をもって>とかなり大仰な身振りを伴ないつつ<実家へ引き取られた>時の ことを回想する部分をめぐってである。ここで回想されることほ,実父にほ愛 想をつかし蕃父紅は酷薄という感じを懐き,海にも住めず山にも居られない自 分を目覚したということである。恐らく健三の生涯の中で自己の境遇について 最も痛切の思いをした時期であろうし,健三ほその中でく何でも長い間の修業 ●●●●● をして立派な人間になって世間に出なければならないといふ慾>(傍点引用者) を心中に.離していた。それ程の体験を,終り紅近くなって,<始めて新しい世 界>を見る人のように見るというのはどういうことか,という問題である。し かし今はこれに深入りする余裕がない。わたくしが取り上げたいのはもうーつ の過去,すなわち岳父−お住の父と健三との交渉の過程である。 岳父は「七十−・」で,健三に金策を顧みに来ることから登場する。「七十 二」の書き出し紅お住の言葉として<今日父が来ました時,外套がなくって寒 さうでしたから,負方の古いのを出して造りました>とあって,手順よく舞台 に出て来る。ところがこの後,ニ人が全く異質の人間であり,事ごとに対立し 歯車が噛み合わない成行きを説明して行く段紅なると,それがどういう時期に 起り,これまでの健三の生活とどう重なるのかまるで判らないことになってし
まう。例は次々にあるのだが,殆ど決定的なものを一つだけ挙げる。「七十
七」にこう書かれている。健三ほ正月に父の所へ礼に行かなかった。恭賀.新年という端書文を出した○
父ほそれを寛慨さなかった。表向それを冬める事をしなかった。彼は十二三
になる末の子に,同じく恭賀新年といふ曲りくねった字を書かして,其子の
名前で健三に賀状の返しをした。(傍点引用者)
すぐ気付くことだが,健三ほ物語の現在において,岳父の住む東京で正月を 過していないのである。「一∴」ほ,<健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に・ 世帯を持ったのは.東京を出てから何年目になるだらう。>と始まっていた。島 田と出会うのは四月であることほ上に見た通りだが,駒込に居を据えたのはそ れより前,少くも正月に遡るはど前でほないことは、冒頭に続く叙述に明らか である。そして健三が結婚したのは,東京を離れている時期になのだ。どうし てこういうことが起ったのか。それは多分,小宮豊隆が言う通りなので,漱石 ほ自分の岳父中根重一との間で長年に捗ってあったことをここにひっくるめ て−・気呵成に健三と岳父との間柄のことにぶちこんでしまったのだ。そのため に.事柄の組み立てに混乱としか読みようのない事態がでて来てしまったのだ。 わたくしが言いたいことはこういうことである。あれはど物語の進行紅つい てほ整然とといってよい配慮を示していた漱石が,なぜここでこうした混乱を 「敢て」しているのかというこ.とだ。わたくしの考えほ.,健三と岳父とのあの ような交渉は「七十−・」の後半から「七十九」まで九節に捗って描かれている けれども,最初からの計算に入っていなかった,突発的に溢れ出てしまった問 題,けれども漱石の「道草」のモチーフにほ充分補強材料となると考えられた 問題ではなかったかということである。ここで大急ぎで言い添えるのだが, 細君の里のこと,すなわち細君の父の境遇自体が計算外だと言うのでは決して ない。わたくしが言うのは「仕事本位の立場からばかり人を評価しようとする 人間」と「そういう立場から評価されては因る立場の人間」との相剋葛藤とい うテ・−マのことである。道草をめぐるニ,三の問題について 29 漱石ほ,別居までする健三お住夫婦の不一致を,気質的なものをからませな がらも基本的にほこの「役に立つもの」と「役に立たないもの」との対立のバ ターンを骨組みにして,その枠内での生き方の対立という形で消化そうとして いる。こ・のお住の生き方に絡まるまでにふくらまされて来ている問題が, 「道草」において副次的なテーマであるということになるなら,−・方の健三のこ だわり続けるものがますます重い比重を持つこと紅なるということに.なる。 * 冒頭の記述に付して注記したわたくしの「覚書き」の申で,「一道草.」のテー マは,日常の生活の中で他人,しかも叡も激烈な他人セある肉親縁者に取り巻 かれて了生きている自分が−・体何者であるかを問いつめ,そこ.に出てく るもの が結局「心の底に異様の熟塊.」を懐きつつそれを鹿焼させることができないま ま魚立ち続けて生きるしかないことを自覚サる経緯にあると番いた。その時, 健三の岳父の意味を充分紅考える余裕のないまま紅筆を慣かざるをえなかった ことが心残りであった。併せて,「梅にも住めず山に.も屠られない」と自覚し た若い日の健三が抱える問題についても,もう少しよく考えたかった。今回宿 題を果そうとしたのだが,また中途半端のまま終るはかない。+・−−1977.1.51.− 〔注〕 (1)昨年「F道草J覚書き」(「文学年誌2」197占.12)と題して,「道草」についての私の 考えを総体的に整理する文章を書いた。ここでほ,その時追求しそこねた問題について 明らかにしたいという志である。 (2)この性格規定が正しくないことは,すでに相原和邦「r道草」の成立について」が論 証しきっている。しかし時間の問題紅ついては,そのままにされており,こノこでの小宮 の論及がやほり出発点となる。 (3)決定版『漱石全集jは漱石没後20周年を記念し,昭和10年10月から同12年10月にかけ て刊行されたが,その解説をまとめたr漱石の芸術』ほ昭和17年刊,新書版『漱石全 集Jの「道学」を収録する弟十三巻は昭和52年刊。 (4)このことは作者として当然の配慮であると言うべきだが,「彼岸過迄」「行人」「心J と「道草」の前に書かれた漱石の小説の構成は,−・般には鍼が多いと,やぼり言うぺき だとわたくしほ考えている。むしろ溢れ出るように憲きこんでいってしまう点に漱石の 特徴があるとさえ言いたいくらい・で,以下指摘する岳父にまつわる記述の混乱も,欠点 として指摘するのではない。と.こほ,そういう漱石の一層がありながらよく構想されて いる点を見たいというのである。