長 野 大学 紀要 第14巻 第4号 330-338頁 1993
コミュニケーシ ョン行為理論の論理構造
(
上)
The Logic in the Theory of Communicative Action
1 は じめ に
J
・--バマースの構想す るコミュニケー シ ョン 行為理論 とは、いかなるものなのか。 コ ミュニケ ー ション行為理論は どのような諸概念か ら構築 さ れてお り、そ うした諸概念のあいだの連関はいか なるもの として設定 されているのか。 まず本稿 で は、--バマース理論 を理解す るにあたってその 根幹にかかわるこうした論点 をあ らためて取 りあ げ、--バマースじしんの論理にそ くして、これ ら の点 を検討す ることにしたい。 こうした基礎 的な 作業 をつ うじて コミュニケー シ ョン行為理論の構 成 を解 明す ること。このことを、ここでの第1
の 課題 としたい。ついで、こうした基本的な論点の 確認 をふ まえた うえで、--バマースの構想す る 現代社会 の社会理論に、そ うしたコ ミュニケー シ ョン行為理論 の構成のあ り方がいかなる特徴 をき ざみこんでい るのか を検討す ることに したい。つ まり、コ ミュニケー ション行為理論の社会理論的 なインプ リケー ションを明 らかにす ることが、こ こでの第2の課題 となる(1)0 現代社会 をとらえうる社会理論 はいかなるもの として構成されなければな らないのか。--バマ ー スが Fコ ミュニ ケーション行為 の理論』(1981 午 )(2)で追究 しようとしたのは、まさしくこの問 いにほか な らなか った。- -バマ ースは、構造 転換 をとげたこの後期資本主義社会 を十全に とら えうる社会理論がみあたらない とい う基本認識に もとづ き、みずか らの手で現代社会の社会理論 を 構築 しようとす る。そうした社会理論のプログラ ム を呈示 しようとしたのが、まさしく 『コ ミュニ ケー シ ョン行為の理論』だった とい うことができ永 井
彰
Akira Nagai
る。 ところで、現代社会の社会理論 を構築 してい く にあたって--バマースがその出発点 としている のが、行為理論の再構成 とで もい うべ き仕事 であ る。--バマースの見地か らす ると、ウエーバー -パー ソンズ流のこれ までの行為理論においては、 目的活動 (Zwecktatigkeit)としての行為 を基軸 として行為理論が組み立て られていた。つ ま り、 さしあたっては孤立 した もの として とらえられた 行為主体が客体- とはた らきかけ る行為 を出発点 として、行為理論が構築 されていた とい うのであ る(3)。しか し、--バマースの観点か らすれば、そ の ような行為の とらえ方では行為の社会性 を十全 には理論化 しえず、それゆえ社会理論の基礎視角 としては不十分なものにとどまらざるをえない。 と ころで、このことは行為理論その ものの限界性 をし めすできごととみなすべ きなのだろうか。さらに はこのこ とか ら、行為理論的視角 を放棄 しなけれ ばならないとの結論が、ただちに導 きだされるのだ ろうか。周知の ようにN・ルーマ ンもまた、ウェー バー -パー ソンズ流の行為理論 を基礎視角 とす る か ぎり現代社会 をとらえうる社会理論 を構築 しえ ない とす る点において、--バマース と基本的に 認識を共有 している。だが、この問題点を突破 しよ うとする局面になると、ルーマ ンと--バマース と はまった く異なった戦略 をとることになる。という の もルーマ ンは、現代社会の社会理論 を構築す るに あたって、行為理論 ではな く自己準拠的システム 理論 を基礎視角 として選択す るか らである(4)。 つ ま り、ルーマ ンの観点か らすれば、ウェーバー -パー ソンズ流の行為理論の限界はいわば行為理論 その ものの限界であ り、それゆえシステム理論へ - 30-332 長野大学紀要 第14巻 第4号 1993 解す るうえで重要 なのは、この ような論点である ように思 われ る。これ らの点 を解明す ることによ っては じめて、コ ミュニケー シ ョン行為理論の社 会理論的な意義 を確認す るこ とができるし、j ミ ュニケ- シ ョン行為理論 その ものについて も、--バマー スの論理にそ くした理解 をえることがで きるように思われる。 本稿では、こうした視座か ら、できるかぎり--バ マースじしんの論理にそ くして、コミュニケーショ ン行為理論の論理構造 をつかみだす ようにつ とめ たい。そこでまず、 コミュニケー シ ョン行為 を基 点 とす る行為類型論について検討 を くわえ、この 行為類型論における基本的な論点が コ ミュニケー ション行為 と戦略的行為 とに社会的行為 を分け る その分類の仕方にあることをしめす ことに しよう (第
2
節 )。ついで、コ ミュニケー シ ョン行為 と戦 略的行為 との区分についてさらに検討 を深め、コ ミュニケー シ ョン行為の基本的特質 とは何かにつ いて解明す ることに したい(第3節)。 さらに、そ れまでの検討 で確認 されたことが らに もとづいて、 コミュニケー ション行為 の下位類型について、整 理 をおこなうとともに、コ ミュニケー シ ョン行為 の概念を理解す るうえで重要 ない くつかの論点に ついて検討 してお くことに したい(第 4節)。そ し て最後に、コ ミュニケー シ ョン行為理論が--バ マースの社会理論にたい していかなるインプ リケ ー シ ョンを有 しているのか を明 らかに したい (第 5節)0 2 行為 類型論 の設定 (1) 行為類型論の呈示 --バマースは行為理論のパ ラダイム転換 を提 唱 し、 目的活動か らコ ミュニケー ション行為へ と 行為理論の鍵概 念を移行 させ るべ きことを提案 し ている。(さしあたっては単独の)行為主体が客体 へ とはた らきかける目的活動 を原型に して行為 を とらえるのではな く、複数の行為者のあいだでの 意思疎通に もとづいて何 らかのはた らきかけ をお こな うコ ミュニケー シ ョン行為 を原型 として行為 をとらえるべ きだ、との提唱 を--バマースはおこ なっている。--バマースか らすれば、コ ミュニ ケー シ ョン行為 を出発点 とす ることによってのみ、 社会的行為の理論化 をはか ることが でき、社会理 論た りうる行為理論 を構築す ることができる。以 上の ような観点か ら--バマースは、コミュニケ ー シ ョン行為 を準拠点 とした行為類型論 を設定 し ている。ここではまず、--バマースが提唱す る この行為類型論の内容 につ いて、確認 してお くこ とに しよう。 --バマースは行為 とい うもの を、道具 的行為 (instrumentellesHandeln)、戦略的行為 (strate -gischesHandeln)お よびコ ミュニケー ション行為(kommunikativesHandeln)の三つの類型に分類 し、表1の行為類型論 を呈示 している。 --バマースは、こうした三つの行為 をさしあた た り以下の ように説明 している(7)0 (∋道具 的行為 成果 (Erforg)に指向 した行為 の うち、行為 の技術的規則に したが うとい う側面が とりあ げ られ、状態 とできごとの連関- と介入す る さい、その効果の程度が評価 され るとい うば あいの行為。 ②戦略的行為 成果に指向 した行為の うち、合理的選択の規 則に したが うとい う側面が とりあげ られ、合 理的な相手のお こな う決定にたい して影響力 を行使す るさい、その効 果の程度が評価 され るとい うばあいの行為。 (勤コ ミュニケー シ ョン行為 関与 している行為者たちの行為計画が、 自己 表1 ハーバマースの行為類型論
行
為
の
指
向
行
為
の
状
況
成果に指向した 意思疎通に指向した 非 社 会 的 道具的行為 -TKH,I,S.384.邦訳 (中)21頁、よ り作成。 - 32-永井彰 コ ミュニ ケー シ ョン行為理論 の論理 講造 (上 ) 中心 的な成果計算 をつ うじて整合 されてい る の ではな く、意思疎通 (verstandigung)の行 為 をつ うじて整合 されてい るばあいの行為 。 ところで、表
1
をみ ると、行為 とい うもの を分 類す るにあた って--バマースは二つの基準 を導 入 してい るこ とが わか る。す なわち、 まず第1
に は、行為状況が社会 的か そ うでないか とい う基準 であ り、第2
には、行為が成果に指 向 してい るか それ とも意思疎通 に指 向 してい るか とい う基準 で ある。そこで、 これ らの基準につ いて検討 を くわ えてお くこ とに しよう。 まず第1
の基準 につ いてみ ると、ここでは、行 為主体 が 自然- とはた らきかけて何 らかの成果 を えよ うとす る道具 的行為が、他者 との社会関係 の もとで何 らかの成果 を獲得 しようとす る戦略的行 為や コ ミュニケー シ ョン行為 と対比 されてい る。 道具 的行為 は社会 的行為 と結びつ くこ とが で きる けれ ども、道具 的行為 その ものは社会的行為 では ない(8)。これにたい して、戦略的行為や コ ミュニケ ー シ ョン行為 はそれ じたいが社会的行為 であ る。 そ うしてみ る と、さ しあた りここでは、他者 との 社会 関係 に よって媒介 されているか どうかに着 目 して、行為 とい うものが分類 されてい る とい うこ とが で きよう。 つ いで第2の基準についてみ ると、 ここでは、 成果 に指 向 した行為 としての道具 的行為や戦略的 行為が 、意思疎通 に指 向 した行為 としての コ ミュ ニケー シ ョン行為 と対比 されてい る(9)。 ところで --バマースに よれば、成果 とい う用語には次の ようなインプ リケ- シ ョンがあるのだ とい う.す なわち、行為 者はその所与の状況において、 目標 に指 向 して行為す るこ とに よってかれ じしんに と って望 ま しい事態 を因果的 にひ きお こす こ とがで きるわけだが 、成果 とは、そ うした望 ましい事態 の出現 の こ とにほか な らない とい うのである(1
0)
0 そ うしてみ る と、成果 に指 向 した行為 とは、そ う した意味 での成果の獲得 をまず第一 にめ ざす行為 の こ とだ とい うこ とになる。 このばあい、他 者 の 意向にはかか わ りな く、そ うした成果の達成がめ ざされ る とい う点に、 この タイプの行為 の特徴 が みいだ され る。それにたい して意思疎通に指 向 し た行為 とい うのは、他者 とまず意思疎通 をしよう 333 とし、そこで成立 した相互 了解 に もとづ いては じ めて、何 らかの成果 を獲得 しようとす る行為だ とい うこ とが で きる。 このばあい、個 々の行為者がは じめに設定 した 目標 を一方的に達成 しようとす る わけでは決 してない。行為者のあいだで成立 した 相互 了解 に もとづ いてのみ、何 らかの成果 の獲得 がめ ざされ るとい う点に、意思疎通 に指 向 した行 為 の特徴がみいだされ る(ll)0 ここで、道具 的行為が成果 に指 向 した行為 だ と い うのは、す ぐに理解 で きるこ とであろ う。す で にみた とお り道具 的行為 とは、行為 者がかれ じし んに とって望 ましい 目標 を設定 し、それ をめ ざし て 自然へ とはた らきかけ る行為 の こ とにほか な ら ない。 この行為 は、 さしあたっては他者 との社会 関係 に媒介 されていないため、成果の獲得 をめ ざ す とい うこ とが行為の基本的な構造 として明瞭に 読 み取 るこ とが で きる。そ うしてみ る と、論議の 対象 とな りうるのは、社会的行為 を成果 に指 向 し た行為 としての戦略的行為 と、意思疎通 に指 向 し た行為 としての コ ミュニケー シ ョン行為 とに分類 す るその仕方 だ とい うこ とにな るだ ろ う。--バ マー スか らすれば、戟略的行為 とコ ミュニケ- シ ョン行為 との違いは、さしあた り次の ように説明す ることができよう。すなわち、戦略的行為のばあい には、ある行為者が設定 した 目標の達成のために他 者 を利用す るとい うことが想定 されてお り、最初か らしか るべ き成果の獲得がめ ざされている。これに たい してコ ミュニケー ション行為のばあいには、ま ず行為者のあいだで意思疎通 をしようとし、そこで 成立 した相互了解にもとづいてのみ何 らかの成果 を 獲得 しようとしている。 ある行為者がいだいた 目 標 を一方的に達 成 しようとす るわけではない とい う点に、 コ ミュニケー シ ョン行為 の特徴が あ ると されているのである。 とりあえず ここまでの説明 をふ まえて、道具 的 行為 、戦略的行為 お よび コ ミュニケー シ ョン行為 とい う三つの行為 につ いて、われ われな りに敷桁 すれば、次の ように ま とめ るこ とが で きよう。 (∋道具 的行為 (さしあたっては単独 の)行為 者が 、 自己の 目 標達 成のために 自然へ とはた らきかけて何 ら かの成果 を獲得 しようとす る行為 。3
3
4
長 野大学紀要 第14巻 第 4号 1993 (卦戟略的行為 ある行為者が、他の行為者の行為 を自己の 目 標達成のための手段 として利用 しようとす る 行為。当の行為者は、他の行為者が どう行動 す るか を読み、そ うした予期 をふ まえて どの ようにはた らきかければ 自分の 目標 を達成で きるか を計算 し、他者- と影響力 を行使す る ことをつ うじて他者の側に何 らかの行動 を引 き起 こさせ 、そのことによって行為者 じしん に とって望 ましい事態 を生 じさせ ようとす る。 (卦コ ミュニケー ション行為 行為者のあいだでまず意思疎通 をしようとし、 そこで成立 した相互 了解に もとづ いて何 らか の成果 を獲得 しようとす る行為。 なお--バマースは、道具的行為 と戦略的行為 とい う二つの類型の行為 をあわせ て、 目的論的行 為(
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とも呼 ん でいる。 まず--バマー スは、 目的論的行為 を次の ように 規定 している。すなわち、 目的論的行為 をい とな むばあいの行為者は、ある所与の状況のなかで、 成果 を期待 できる手段 を選択 し、適切 なや り方で この手段 を用いることによって、かれに とって望 ましい事態の出現 を引き起 こそ うとす る(12)。いま あげたこの規定は、さしあた り道具的行為のこと を念豆削こおいたものであるが、このモデルを拡張 し、 目標指向的に行為する(少なくとも)もう一人の行為 者をこのモデルに組み込むことができるのであり、そ のばあいには、戦略的行為 もこの行為類型のなか に含 まれ ることになる(13)。ともあれ--バマース のい うところの 目的論的行為 とは、道具的行為 と 戟略的行為の両方 を含む概念だ とい うことを確認 してお きたい。 (2)行為類型論の特徴 さてここまでの検討 をふ まえて、--バマース が構想す るこうした行為類型論の特徴 を列挙 して みることに しよう。 まず第1に、この行為類型論の最大の ポイン ト は、行為指向の違 いによって、社会的行為 を戦略 的行為 とコ ミュニケー ション行為 とに分類す ると いう点にあるとい うことができる(14)。すでにのべ た とお り、道具 的行為 を成果に指向 した行為 と呼 ぶことには、何 ら問題がない。行為者が 自然- とはた らきかけるとい う行為か らは、成果の獲得 とい う 構造 を明瞭に読み取 ることが できるか らである。 これにたいして、他者 との社会関係の もとでいとな まれる社会的行為のばあいには、事情が異なってい る。戦略的行為のばあいには、ある行為者が成果の 獲得 をめ ざし、そのために他者の行為 を利用 しよう とす る。それにたい してコ ミュニケー シ ョン行為 のばあいには、そ うした成果の獲得 を一方的にめ ざすのでな く、関与す る行為者のあいだでまず意 思疎通 をしようとし、その うえで何 らかの成果の 獲得がめ ざされる。--バマース理論においては、 戦略的行為 とコミュニケー シ ョン行為 とを区別す る基準は、こうした行為指 向の違 いであるとされ ているわけである。 第2に、戦略的行為 とコ ミュニケー シ ョン行為 を分類す るにあたっては、行為者 じしんのパース ペ クテ イヴが前提 とされてい るとい うことをあげ ておこう(15)。この点は、行為指向の違いによって行 為 を分類 しようという第1
の特徴 と密接に関連 して いるのだが、ある行為が成果に指向 しているのかそ れ とも意思疎通に指向 しているのかは、関与者 じ しんの直観的知識に もとづ いてのみ確認 され うる のだ という。つ ま り、 日常生活においてわれわれ は、ある行為が成果に指向 しているかそれ とも意 思疎通に指向 しているか とい うことを暗黙の うち に区別 しているのであ り、そ うした区別 を利用す ることによってのみ、戦略的行為 とコ ミュニケー シ ョン行為 とを区別す るこ とがで きるとい うので ある。そうした意味において、ここにおいては行 為者 じしんのパースペ クテ ィヴが前提 とされてい るのであ り、観察者ないしは第三者のパースペ ク テ イヴか らでは、この区別 は導入されえない。そ うしてみると、 日常生活のなかで 自明なこ ととし ておこなわれている区別 を学的に再構成す るとい うのが、ここでの--バマー スの方法だ というこ とができる。 第3
に、--バマースは、これ ら三つの行為が まさしく 「類型」であるこ とを強調 している。つ ま り、これ らが類型である以上 、行為 とい うもの は じっさいにこれ ら三つの類型に分類 され うると 主張 しているのである(16)。この論点において も重 要 なのは、やは り戦略的行為 とコ ミュニケ- シ ョ-
3 4-永井彰 コ ミュニケ- シ ョン行為理 論 の論理 諸道 (上 ) ン行為 との区別 であ る。--バマースに よれば、 戟略的行為 とコ ミュニケー シ ョン行為 とい うのは、 同一 の行為 の分析 的な二側面 とい うのでは決 して ない。個 々の具体 的な社会的行為 は、戦略的行為 か コ ミュニケー シ ョン行為かのいずれかに分類 さ れ うるとい うのである。 第 4に、成果の獲得 とい うこ とそれ じたいは、 これ ら三つ の行為 のそれ ぞれに共通す る契機 とな っている とい う点に注意 してお きたい。 そ もそ も 道具 的行為 と戟略的行為 とは成果の獲得 をは じめ か らめ ざす もの であ るか ら、当然の こ となが ら成 果の獲得が その行為 の契機 となっている(17)。ここ で見誤 ってはな らないのは、 コ ミュニケー シ ョン 行為 に もまた成果 の獲得 とい う契機が含 まれてい る とい うこ とであ る0--バマー スのい うコ ミュ ニケー シ ョン行為 は、意思疎通 の行為 その もので はない(18)。コ ミュニケー シ ョン行為 とは、関与す る行為者のあいだで意思疎通 をお こない、そこで 成立 した相互 了解 に もとづ き何 らかのはた らきか け をお こな う行為 の こ とだ とされている(19)。こ う した--バマー スの定義 に もとづけば、 コ ミュニ ケー シ ョン行為 は、行為 におけ る意思疎通 の側面 と、成果 を獲得 しようとす る目的活動 の側面 とを 綜合 した概 念だ とい うこ とがで きる(20)。もちろん、 意思疎通 をはか るこ とそれ じたい を目標 に して行 為 をお こな うこ ともで きるし、そ うした行為 もま た コ ミュニケー シ ョン行為 のなか に含 まれ る(21)0 しか し、 コ ミュニケー シ ョン行為 は、意思疎通の 行為 と同一 でないの であ り、ここではその こ とを 確 認 してお きたい。 第5に、それだか らこそ、 コ ミュニケー シ ョン 行為 を原型に して行為 とい うもの を考 えなければ な らない、と--バマースは主張す るのである。 コ ミュニケー シ ョン行為 とは、行為 におけ る意思疎 通 の側面 と目的活動 の側面 とを綜合 した概 念 であ る。 もしこの概 念 を出発点 としなければ、行為 に おけ る意思疎通 の側面 を十全 に とらえるこ とはで きない。 目的活動 としての行為 を原型 として行為 をとらえて しまうと、行為 とい うものは客体へ の はた らきかけ としてのみ表象 され るこ とにな り、 そ うした認識枠組 を前提 とす れば、他者へ の影響 力行使 としての戦略 的行為 は とらえ られて も、他 者 との意思疎通 に もとづ くコ ミュニケー シ ョン行 335 為はその視野に入ってこないことになる。いっけん す ると、客体へ とはた らきかけて何 らかの成果 を獲 得す るというのは、すべての行為の原型であるかの ように もみえよう(22)。すでに確認 したように、 じっ さい--バマースの行為類型論において も、成果の 獲得 はすべ ての行為 に共通す る要 因 とされている。 しか しなが ら、そ うした 目的活動 を原型 として行 為 をとらえて しまうと社会的行為 の全域 を理論化 しえず 、それゆえ目的活動 を出発点 としてはな ら ない、 とい うのが--バマー スの主張 なのである。 だか らこそ--バマースは、行為理論のパ ラダイム 転換 を提唱 し、 目的活動か らコ ミュニケー シ ョン 行為へ と行為理論の鍵概念 を移行 させ ようとす る の であ る。 第
6
に、す でにこれ までの検討 のなか で も触れ られて もい るのだが 、ここであ らためて、--バ マー スのい うところの コ ミュニケー シ ョン行為は コミュニケ-ションその ものではない、とい う点 を 確 認 してお くこ とに したい。 しか もその さい、 コ ミュニケー シ ョン行為 は コ ミュニケー シ ョンその ものではない とい うこ とは、次の ような二つの局 面 にお いて 明示化 しておか なけ れ ば な らない。 まず第1
に、す でにのべ た とお り、 コ ミュニケー シ ョン行為 は行為 におけ る意思疎通の側面 と目的 活動の側面 とを含む概念だ とされている。対象への はた らきかけ とい う要素 を含む とい う点において、 コ ミュニケー シ ョン行為 はす でに コ ミュニケー シ ョンその もの とは異なってい る。 さらに第2には、 他者- と何 らかの情報 を提供す る とい った一般的 な意味 での コ ミュニケー シ ョンは、 コ ミュニケー シ ョン行為 ばか りでな く戦略的行 為 において も必 要 とされ る(23)。他者に何 らかの影響力行使 をおこ なお うとして も、 もしコ ミュニケー シ ョンが成立 しなければ、そ うした影響力行使はそもそも成 り立 たないか らであ る。 こうした点か らして も、 コ ミ ュニケー シ ョンその もの とコ ミュニケー シ ョン行 為 とは峻別 されなければな らない。 よ り精確 にい えば、 コ ミュニケー シ ョン行為 において前提 とさ れてい る意思疎通 とい うもの とコ ミュニケー シ ョ ンその もの とは、明確 に区別 され なければな らな い. そ うしなければ、--バマースが意思疎通 と い う概 念にこめ たインプ リケー シ ョンを見落 とす こ とになるだろ う(24)0336 長 野 大学 紀要 第14巻 第4号 1993 そ して第
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に、こうした行為 の類型論 は、--バマース じしんの理論発展史のなかに位 置づけて みれば、労働(Arbeit)と相互行為(Ⅰnteraktion) とい う行為類型論 を展開 させ た ものだ とい うこ と が で きる。--バマースは Fイデ オロギー として の技術 と科学』(1968年 )の なか で 、 人間が 自然 にたい しておこな う労働 と、ひ とび とのあいだの 相互行為 とを峻別すべ きこ とを提案 している(25). その さい--バマースは、労働 を目的合理的行為 として とらえた うえで、それ をシンボルに媒介 さ れた相互行為 と対比 させ ている(26)。ところで、こ こで確認 してお きたいのは、道具 的行為 、戦略的 行為お よび コ ミュニケー シ ョン行為 とい う行為 の 類型論 それ じたいは、す でにこの時期 において提 起されていたということである。つ ま り、『イデオ ロギー としての技術 と科学』においては、労働 とい うカテ ゴ リーには道具 的行為 と戦略的行為が含 ま れるとされてお り、相互行為はコ ミュニケー ション 行為 ともいいかえられているのである(27)。ただし、 これ らの行為 を分類す る基準 は必ず しも明瞭だ と はいえず 、行為 にかんす るその ような記述は、あ くまで も着想 を呈示す るとい うレヴェルに とどま っていた といわなければな らない。現時点か らふ り かえってみ ると、この時期の--バマース理論にお いては、コ ミュニケーション行為 とい う概念に言語 理論的な基礎づけが欠けてお り、そのため説得的な 行為類型論 を構築 しえなかった、ということができる だろう。行為 を三つに分類す るとい うアイデ ィアを 首肯性のある行為類型論へ ときたえあげるためには、 言語行為論 にかんす る検討 をしたのでたのであ り、 そうした着想が実 を結んだのが、『コミュニケーショ ン行為の理論』 だ った とい うこ とがで きる(28)0 ところで、この ように検討 を くわえてみ る と、 社会的行為 を戦略的行為 とコ ミュニケー シ ョン行 為 とに分類す る ところに、この行為類型論 の最大 のポイン トがあ る とい うこ とが で きる。 じつは、 こうした--バマースの分類の仕方がはた して妥 当なのか どうか こそが 、コ ミュニケー シ ョン行為 理論 その ものの妥当性 いかん を左右す る重大 な争 点だ とい うことが できる(29)0--バマースか らす ると、 コ ミュニケー シ ョン行為理論の妥 当性 を主 張 しうるためには、まず この社会 的行為 の類型論 を根拠づ け、コ ミュニケー シ ョン行為 の特徴づけ を明示化 してお くことが必要 となる。 ところでそ の さい、ハ-バマ- ろの論理 を妥 当な もの と評価 しうるためには、次の ような疑念 を晴 らしてお く こ とが不可欠だろう。す なわち、 コ ミュニケー シ ョン行為 もまた、戦略的行為 と同様 に一種 の 目的 活動 として とらえられ るの ではないか 、 とい う疑 念である。 す でに確認 した とお り、-ーバマー スのい うコ ミュニケー シ ョン行為 の概 念は、行為 におけ る意 思疎通 の側面 と目的活動 の側面 とを綜合 した もの だ とされている。つ ま り、 コ ミュニケー シ ョン行 為 とは、関与す る行為者のあいだで意思疎通 をお こない、そこで成立 した相互 了解 に もとづ いて何 らかのはた らきかけ をお こな うこ とだ とされてい るのである。そのさい、--バマースのこの論理が 首肯性 を有す るためには、ハ一六マー スのい うと ころの意思疎通が 目的活動 には環元 されえない と い うことをしめす必要がある。 とい うの も、意思 疎通 もまた一種の 目的活動 として とらえ うるので あれば、 コ ミュニケー シ ョン行為 は行為 におけ る 行為 者間の 目的活動 と自然にたいす る 目的活動 と を接続 したこ とにす ぎず、結局 の ところ 目的活動 その ものだ とい うこ とになるか らである。か りに そ うだ とす れ ば 、 コ ミュニ ケー シ ョン行為 も、 意思疎通 とい う媒介 をへ てはい るけれ ども、その 基本的な構造 において、戦略的行為や道具 的行為 と何 ら変 わ らない もの として とらえ られ うるこ と になる。 もしその よ うに とらえて よいのであれば 、 - -バマースの提唱す る行為理論 のパ ラダイム転 換は、まった く無意味な もの と化 して しま うにち が いない。 というの も、か りにそ うだ とすれば、 目 的合理的行為 を範型 とす る行為理論 で何 らさしつか えないか らである。そ うしてみ ると、意思疎通 とい うものが 目的活動には環元されえないことをしめ し、 コ ミュニケー シ ョン行為 と戦略的行為 との概念上 の区別 を明確 にす るこ とこそが 、--バマー スの 理論戦略上 きわめて重要 だ とい うこ とが で きる。 コ ミュニケー シ ョン行為 と戦略 的行為 との区別 は、 どの ように して根拠づ け られ るのか。 コ ミュ ニケー シ ョン行為 が 目的活動 には還元 され えない とい うこ とは、 どの ように して しめ され うるのか。 次に こうした点にかんす る--バマー スの論議 を 検討 し、コ ミュニケー シ ョン行為 と戦略的行為 と 一36-永井彰 コミュニケーション行為理論の論理講造(上) の分 類 の仕 方 を よ り精確 に と らえ なおす こ とに し よ う。 (つ づ く) (なが い あ き ら 講師 ) (1993.1.9受理 ) 言主 (1)- -バマー スの コ ミュニケー シ ョン行 為 理 論 が いか なる ものなのか とい うこ とにつ いては、す でに 数 多 くの研 究が公表 されている。 したが って、 コ ミ ュニケー シ ョン行為理論 の構成のあ り方 を検討す る な ど とい う課題 は、す でに解決ずみ である とい うべ きなのか もしれない。 しか しなが ら、少な くともわ れわれがみ るか ぎ りでは、そ うしたこれ までの研究 にお いて、 コ ミュニケ- シ ョン行為理論が有す る社 会理論の基礎視角 としてのインプ リケー シ ョンにか ん して、十分 に検討 しつ くされているわけではない ように思 われ る。だが、 コ ミュニケー シ ョン行為理 論 を--バマー ス じしんの論理 にそ くして理解す る ためには、そ うした角度か らの検討が不可欠だ とい わ ざるをえない。の ちに もみ るように、--バマー スはあ くまで も社会理論の基礎視角 としての役割 を はた しうる行為理論 を構築す るために、 コ ミュニケ ー シ ョン行為理論 を構想 しているか らであ る。本研 究は、ノ、-バマ- ス研究 におけ るそ うした欠落部分 を埋め るこ とをめ ざした ものである。なおわれわれ は、この課題意識か らコ ミュニケー シ ョン行為理論 の基本的特徴 を解 明 しようとしたこ とがあ る。それ につ いては、拙稿 「コ ミュニケー シ ョン行為理論 の 戦略 的課題」『社会学研究』第53号 、東北社会学研 究 会、1988年 、 を参照 されたい。本稿 は、そこで提起 した論点 をよ り詳細に展 開 し、 コ ミュニケー シ ョン 行為理論 の内実 をよ り深 く解明 しようとした もので ある。 (2) J.Habermas, Theorie des kommunikatiuen
Handelns,BandI,II,FrankfurtamMain,1981. (以下TKHと略記 )。河上他訳『コ ミュニケー シ ョン 的行為の理論』(上 )、(中)、(下 )、未来社、1985年 、 1986年、1987年 。 (3)--バマー スに よるウェーバー行 為 理 論 の 特 徴 づ けにか ん しては、TKHエS.377-384.邦訳 (中)、 15-21頁、を参照 されたい。 また、--バマー スに よ るパ ー ソンズ行為 理論 の特徴 づ け にか ん して は、 TKH,ⅠⅠ,S.306-308.邦訳 (下 )、139-141頁 、を参 照 さ 337 れたい。 (4)そ う し た 立 場 か らの社会理論の構 想 を明 らか に しているのが、『社会 システム』である.N.Luhmann, SozialeS3JSteme,FrankfurtamMain,1984. (5) J.Habermas, "E
r
l去uterungen zum Begriffdeskommunikativen Handelns",in Vorstudien und Ergdnzungen Bum Theoriedeskommuni -kativen Handelns,Frankfurtam Main,1984,S. 571.(以下VEと略記)0 (6)た と え ば尾 関 周 二 氏 は、言語的 コ ミュニケー シ ョン と労働 との内的で積極的なつ なが りについての 考慮が弱 い とい う点において、--バマー スには基 本的な弱点があ ると主張 してい る (尾関周二 『言語 的 コ ミュニケー シ ョンと労働の弁証法』大 月書店 、 1989年、19頁)。 また、西阪仰氏や森元孝氏は、それ ぞれの立場か ら、コ ミュニケー シ ョン行為 を語用論 的に基礎づけ ようとす る--バマー スの立論 におい ては、 コ ミュニケー シ ョンをとらえそこな うこ とに な る とみている。 こうした主張については、以下 の 論考 を参照 されたい.西阪仰 「普遍語用論の周縁 一 発話行為論 と--バーマス-」(藤原 ・三 島 ・木前編 『--バーマ ス と現代』新評論、1987年 )161-181頁。 森元孝 「どうして普遍的語用論だ ったか ?一社会学 的行為論か らの誘惑 -」『社会科学討究』 第99号 、早 稲 EEI大学社会科学研究所、1988年 。同 「コ ミュニケ ー シ ョン的行為 の基本単位 は可能か ?」 『社会学年 誌』 第31号 、早稲 田大学社会学会、1990年。 (7) TKH
,Ⅰ
,S.385.邦訳(中)、22頁。 (8)TKH,I
,S.385.邦訳(中)、22頁。 (9) TKH,Ⅰ
,S.386.邦訳 (中)、22頁。 (10)TKH,Ⅰ,S.385.邦訳(中)、21頁。 (ll)TKH,Ⅰ,S.385.邦訳(中)、22頁。 (12)TKH,Ⅰ,S.126f.邦訳(上 )、132頁。VE,S.575. (13)TKH,I,S.127.邦訳 (上 )、132頁.VE,S.576f
.
(14) TKH,Ⅰ,S.386.邦訳 (中)、22頁。 (15)TKH,Ⅰ,S.386.邦訳(中)、22-23頁。 (16)TKH,Ⅰ,S.385f.邦訳(中)、22-23頁。 (17)TKH,I,S.385.邦訳(中)、22頁o (18) TKH,Ⅰ
,S.151.邦訳 (上 )、152頁O (19)TKH,Ⅰ,S.385.邦訳 (中)、22頁. (zo) TKH,ⅠⅠ,S.193.邦訳 (下 )、29頁. (21)ハ-バマースは、そ うした行為 を会話 (Konver -sation)と呼び、コ ミュニケー シ ョン行為 の下位類型338 長 野大学 紀要 第14巻 第4号 1993 の一つ として位置づけている (TKH,Ⅰ,S.438.邦 訳(中)、73頁)0 622)TKH,Ⅰ,S.150f.邦訳(上 )、151頁. (23)VE,S.602. cz4)こ の 点 に つ いて は、次節 で よ り詳細に検討す る こ とに したい。
(25)J.Habermas,Technik und l椛ssenschajials )Ideologie(,Frankfurtam Main,1968,S.44-47, 62f.(以下TWIと略記)。長 谷川宏訳 Fイデオロギー としての技術 と科学』紀伊 国屋書店、1970年、3 9-41、59-61頁。 (26) TWI,S,62f.邦訳、59-60頁。 (27) TWI,S,62f.邦訳、59-60頁0 628) じつ は、- -バ マ ー スが労働 と相互行為 とを区 別 した さいに問題だったのは、その カテゴ リー上の あい まいさだけではなか った。む しろよ り重大なの は、--バマースが労働 と相互行為 とを区別 した う えで、社会 とい うシステムは 目的合理 的行為が優勢 であるか相互行為が優勢 であ るかに もとづ いて区別 され る とした点である(TWI,S.63.邦訳、61頁)。 ここで--バマースは、行為 の類型 と社会の類型 と を直接 的に結 びつけたのだが、のちにかれ じしんそ れは誤 りであった と自己批判 している(∫,Habem as,
"Entgegnung",inA.HonnethundH.Joas(Hg.),
KommunikatiuesHandeln,Frankfurtam Main,
1986,S.377・383.)。なお、 Fイデ オロギー として の 技術 と科学』 におけ るこ うした問題点については, A・ホネ ッ トによって も指摘 されている (A.Hometh, Kn'tikderMacht,Frankfurtam Main,1989,S. 2761283.河上倫逸監訳 F権力の批判』法政大学出版 局、1992年、316-324頁)0 ところで- -バマースは、Fコ ミュニケー シ ョン行 為の理論』においては、この点についての反省に もとづ き、生活世界 とシステム とい う二層的な社会概念を提 出しているということができる。このことをふ まえる なら、『コ ミュニケー ション行為の理論』における行為 の類型論 と社会の類型諭 とを無媒介的に結びつけよう とする解釈は、少な くとも--バマースの意図には反 しているといわなければな らない。すなわち、生活世 界には コ ミュニケー シ ョン行為 を、システムには戦 略的行為 を直接 に対応 させ ようとす る解釈は、--バマース じしんの論理か らす ると、誤 りだ とい うこ とになるだろ う(vgl.VE,S.602-604.)。しか し、そ うした解釈がひ ろ く通用 しているこ とも、事実 だ と 思われる。そ うした解釈 としては、た とえば以下の も の を参照 されたい。A.Honneth,KritikderMacht, S.320f.邦訳、367頁。∫.Berger,"DieVersprac h-1ichungdesSakralenunddieEntsprachlichungder Okonomie",ZeitschriftfarSoziologie,Jg.ll,Heft 4,1982,S.360.森元孝 「システム と生活世 界一ルー マ ンと--バーマ ス-」 (藤原 ・三 島 .木前編 、前掲 書)134-135頁。 619) じじつ、J・-C・ア レクザ ンダーやJ・ベルガーは、 こ うした行為の区分の妥 当性 にか ん して疑念 を提 出 している。まずア レクザ ンダーは、理解 (underst and-ing)も戦略的考量 (strategicconsideration)もあ らゆる行為の構成要素 であ るこ とを強調 し、コ ミュ ニケー シ ョン行為 と戦略的行為 との二分法は妥当で ない と主張す る
(
∫.
C.
Alexander,"Habermas's NewCriticalTheory:ItsPromiseandProblems",AmericanJournalofSociology,vol.91-2,1985,pp. 413-418.)。またベ ル ガーは、 コ ミュニケー シ ョン行 為 と戦略的行為 とに具体 的 な行為が分類 され うるこ とに疑念 をさしは さむ とともに、--バマース理論 のなかではその ときどきにおいて、 コ ミュニケー シ ョン行為 と戦略的行為 との境 界線がゆれ うごいてい る の で は な い か 、と-ーバ マー ス を批判 している
(J・Berger,"DieVersprachlichung desSakralen unddieEntsprachlichungderbkonomi e",S.359.)