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精神分析誕生小史

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Academic year: 2021

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(1)精神分析誕生小史 切. Eineknrze. Geschichte. von. der. Masaaki. 正. 介. Entstehung. der Psychoanalyse. lwAKIRI*. 精神分析の祖ジークムント・フロイト(1856-1939)は,当時--プスブルク帝国の領 土であったモラヴィアの小村に生まれ,四歳からウィ-ソで過ごした.. 1938年ナチスのウ. ィ-ソ侵攻によりロンドンに亡命し,翌年生涯を閉じた。 ウィーン大学の医学部の学生時代,フロイトはほじめ動物解剖学に興味を抱き,当時学 界で存在が問題にされていたウナギの肇丸を確認した。さらにヤツメウナギやウナギ,ザ. リガニの神経組織についても新しい発見をした。いずれも発生学的な視点から研究したも のであった。解剖学者になるのが夢であったが,つまるところ経済的理由で断念し,開業 医(神経科)を目指し,ウィーン総合病院の研修医となり,各科の臨床研修を行ない,か たわら脳や神経系の損傷による珍らしい症例について死後解剖所見をともなう論文を書い た。当時の医学ほ,神経科の病気に限らず病気全般について,原因を器質の病変に求める のが主流であった。フロイトも研修医時代の論文ではその立場を踏襲した。 フロイトほ研修医であった二年間を通し,他方で,マイナート教授の脳解剖学研究所に. 所属し,そこで胎児や幼児,犬や猫の脳組織について解剖学的に研究し,やはり学術論文 をまとめた。. 神経科の専門開業医になろうとするフロイトが,このような研究論文を書いたのは,学 者になる道も残しておきたかったからであった。 二年間の研修を終える頃,フロイトほ二つの幸運に恵まれた。フロイトほ,プリユッケ. (生理学),ノートナ-ゲル(内科),クラフト=エーピング(精神医学)三教投甲推薦を 受け,ウィーン大学の私講師(神経病理学)の資格をうることができた。私講師は,給料 ほもらえなかったが,正規のカリキュラム外の科目について,学生から聴講料をとって講. 義を開くことができ,将来,員外教授さらに正教授になることも可能だった。フロイトは また将学金を受けることもでき,神経(病理)学の仕上げを目標に,パリのシャルコ-の もとに半年留学することになった。これが一つの転磯となった。 シャルコ-ほ当時のヨーロッパでもっとも有名な神経学老で,フロイトははじめ小児の 脳の標本などをもらって脳組織の研究をし,次に神経(病理)学の知識をまとめて論文を. 書こうとしたが,間もなくシャルコ-が講義で扱う神経症(ヒステリー)に興味を覚える *ドイツ語教室、(°ept.. of German).

(2) 64. 岩. 切. 正. 介. ようになり,病棟の患者も見学するようになった。シャルコ-は,公式には神経症の器質 原因説をとなえていたが,私的には心因性も認め,そのことをフロイトかこも話したoそれ. ち,性的なもの,として話した。フロイトは,器質性と心因性の患者の比較研究という構 想をシャルコ一に話したりした。 ウィーンに戻ったフロイトは神経科を開業し,患者の治療を始めたo器質的な原因で手 足の麻痔や歩行障害をおこしている患者は専門医-まわし. フロイトほ神経症(主にヒス. テリーと強迫神経症)の患者を中心に治療に当った。 ところがフロイトほ効果的な治療法を知らなかった。フロイトは当時一般的であった水. 治法,電気療法,マッサージなどを試みたが効果はなく,別の方法を考えなくてはならな かった。と同時にまだわからない神経症の原因をつきとめ,仕組みを解明する必要に迫ら れたo. フロイト独自の道はここから始まる.. フロイトは,フランスのナンシーのリ-ボー(開業医)やベルネーム(医学部教授)の 行なっていた催眠暗示法も試み,ベルネームのもと-学びに行った(1989年)。この方法 「あなた. ほ,たとえば,仕事中に梯子から落ちたショックで梯子に登れなくなった庭師に,. は梯子から落ちることはない」と反対暗示をかけ,原田観念を抑え込む方法だった。しか しこの方法でほ再発を防ぎきれないことがわかった。 フロイトは患者の生活史・病歴史・忘れられた記憶をさぐることに力を入れ,患者を催. 眠状態において忘れられた記憶を引き出す方法を試み,ある程度,成功したo催眠がかか らない患者もいるので,前額法(1892年)や自由連想法(1892年より)も併用した。前額 法は,フロイトが掌で(正確にはひろげた指で)患者の額を圧迫する瞬間に心に思い浮か ぶことを話してもらう方法で,自由連想法は,患者が限をつぶって横たわり,心に思い浮 かぶことを何でも話すという方法であった。患者は,とりわけ原因と覚しき体験や記憶を 思い出すことに強い抵抗をみせることもわかった。しかし,その体験がつきとめられ,意 識化されると,治癒への道が開かれることもわかった.忘れられた病因体験の記憶は一つ のときもあり複数のときもあり,過去の記憶層のなかに埋もれていた。患者ほふつう新し いものから順に古いものを思い出した。. 患者の忘れられた過去をさく小るフロイトの努力は続けられ,かつてプロイア-が試みた 「アンナ・. 0」の治療(1881-1882年)をプロイア-を誘って検討しなおし,神経症の原. 因と仕組みについて共同で論文を発表した(1893年)。ブロイア-ほ富裕な患者層をもつ 有名な内科開業医で,フロイトに金銭上の援助も惜しまず,十四歳上だったが親しく交際 してくれた,かけがえのない人物であった。 「アンナ・0」. (実名はベルタ・バッペン-イム)はしつこい咳がぬけず,ブロイア一. に診てもらうことになった女性であった.咳の他に,手脚の麻痔や言語と視覚の障害,聴 覚障害,意識の混濁など実に多くのヒステリー症状をもっていた。プロイア-ほ「アンナ ・. 0」が催眠状態で過去の体験を(その時覚えた)感情とともに語ると,その毎に,その. 時生じた(らしい)症状が,ひとつづつ消えていくのを発見し,. 1880年から1882年にかけ. て根気よくその治療を続けたのだった。 プロイア-がこうして取り出しては除去していった「アンナ・. 0」の体験記憶は250以.

(3) 65. 精神分析誕生小史. 上もあった。実はこの治療法は聡明な「アンナ」自身が自己催眠によって自ら始めたもの だったが,その治療効果に着目したプロイア-が意識的におよそ一年半続けたのであった。 フロイトは学生時代の終り頃(1882年)にこの話をブロイア-から聞いていたが,神経科 医となって改めて興味を覚えたのであった。. フロイトとブロイア-ほ前述の論文(1893年)で,神経症の原因は,心に強い衝撃を与 えた体験(外傷体験)にあり,それは(意図的に)忘れられているが,患者にそれをその 時の感情とともに再現・再体験させ,言葉で言わせると治る,とした。たとえば「アン ナ・. 0」の場合ほ,父の看病中,真夜中にみた蛇の幻覚から受けた恐怖や,女家庭教師が. コップから直に犬に水を飲ませたのを見たときに覚えた嫌悪感と非難などである。 ナ。. 「アン. 0」はいずれの場合も感情を口に出さず,抑え,呑み込んでいたのだった。しつこい. 咳ほ,看病中に隣家から聞えてきた楽しげな舞踏会の音楽を耳にして羨やましく思い,あ わてて咳をして自分をたしなめたことに由来するものであった。原田となった体験を感情 とともに外-吐き出してしまうことから,この療法はカタルシス療法と名づけられた。な お,. 「アンナ・. 0」ほ自分の療法を「談話療法」. talking. cureと呼んでいた。. - フロイトは,ブロイアーの「アンナ・0」の症例に自分の患者の症例研究四つを加え,. 著書『ヒステリー研究』 (1895年)としてブロイア-と共同で刊行した。ただ,フロイト の神経症の理解ほ,すでにブロイア-と少し異っていた。神経症患者は,本人にとって苦 痛な体験記憶を忘れようとする。しかしその抑えられた体験記憶は,心に浮かんでこなく なる代りに,身体症状となって現われる。感情の持つ(J亡J理的)エネルギーが転じて身体 -流れて行き,チック,痛み,麻痔,視力障害などを引き起す。自由連想法などによって 記憶からこの外傷体験を引き出し,患者に意識化させ,改めて自覚的に,合理的あるいは 現実的にそれに対処させる。. 『ヒステリー研究』には,フロイトがこの段階までにつきと. めた神経症の原因と仕組み,その療法がこのように記されている。. なおフランスでは,ブロイア-とフpイトの共同研究に先立ち,哲学者・精神科医のジ ャネが,過去の忘れられた衝撃的な体験が神経症の原因だとする考えをすでに1886年から いくつかの症例研究として発表していたo ジャネの治療法は,ベルネーム等に似た催眠暗 示療法に加え,精神能力の強化であった。おそらくブロイア-もフロイトも,ジャネの研 究を知っていただろうといわれている。 フロイトは治療経験をさらに深めていくうち,神経症の原田となる体験ほ,たんに怖か. ったり不快であったり苦痛であったりするものではなく,なお遡れば,幼児期の性的な体 験に行きつくと考えるようになった(1896年)o現在でもその正しさが主張されることもあ る誘惑理論である。幼時に両親,兄や姉あるいは当時ブルジョワの家庭で住み込みの形で. かなり一般的であった家庭教師や家事使用人などによって何らかの性の対象とされたこと が神経症の素因(真因)となり,思春期以降の(性的)外傷体験が発症のきっかけになる という考えである。この誘惑理論は,フロイトが,男女患者が治療の際に語ったことを基 に想定したものだが,やがてフロイトは,神経症の根源をこの性的誘惑からエディプス・. コンプレックスに変えた(1897年)。患者たちは真実でなく,ひそかに母あるいは父に対し て抱く願望を語ったのではないか。また,すべての神経症に見合うほど数多くの性的いた.

(4) 66. 岩. 切. 正. 介. ずらや暴行が,実際に家庭で大人により子供に加えられていると思えない,とフロイトは 考えたo決定的だったのは!フロイトの自己分析であった。フロイトは父の死(1896年) 弓乳 自称「神経症(ヒステリー)」の状態におちいり,自己治療もしなくてはならず,自分 を対象に,患者と同じ療法を試み,夢を手掛りに幼時記憶をさく・.り出したoそこで自分の 中にも「母を愛し父を憎む」感情のあったことを発見した(1897年)oフロイトにこの感情 の発見のヒントを与えたのは,ある強迫神経症に悩む若い男性患者であったoこの患者は, 父の死後「夢の中で母と寝た」と語ったのであった。幼時に芽生えるこの感情は,文学作 品ではギリシャ悲劇『エディプス王』やシェイクスピアの『-ムレット』にもみられた。. フロイトはこの感情をエディプス・コンプレックスと命名し,一般性を確信した.こうし て,フロイトが神経症の病因を求めて個人的過去-遡る探求は,個人の過去の体験層をつ きぬけて,エディプス・コンプレックスという人みな有する一般的な基本感情に達したo ちなみにフロイトのこの時の自己分析の経過は,友人フリース宛の手紙に残されている。 この自己分析でえられた結果ほ,エディプス・コンプレックスの他に,いわゆる症病利. 得や(治療への)抵抗,さらに性欲動(リビドー)の段階的発達など実り多いもので,い ずれもフロイトの精神分析理論の大切な内容となった。とりわけフロイトの重視したもの がエディプス・コンプレックスで,これは後年その存在や一般性について種々の批判を浴 びることになったが,フロイトは変更しなかった。自己分析そのものほ,. 1903年頃まで続 1897年であった。この時の自己分析以降,過去の忘れら れた体験やエディプス・コンプレックスなど心の深層をさく"る方法はもっばら自由連想法 けられたが,集中的だったのほ, になったo. 神経症の素因になるのはエディプス・コンプレックス,発症のきっか桝ま(性的)外傷 体験,そして忘れられた過去の記憶など心の深層(無意識)をさく.,るのは自由連想法という精神分析の骨子は,こうして1897年の自己分析を経て形を整えた。 フロイトの自己分析は夢を手掛りに行なわれたが,夢はそれ以前からフロイトが患者の 治療で利用してきたものであった。フロイト自身,もともと,夢という現象に興味を持っ. ていたが,自由連想法(1892年より)を使うようになってから,患者がよく夢を話すよう になった。夢にはきっと意味があり,何かを語っているはずであった。. 夢ほ古来,未来の予知や神のお告げとされ,アレキサンダー大王も遠征には夢占師をか ならず連れていったという。中世,近世でも夢占いの伝統ほ続いていた。 19世紀になると 科学者たちは,夢から意味を奪った。夢とはたんに半覚醒状態(睡眠)でおこる生理現象 にすぎない,夢の荒唐無梧や不統一は睡眠中の脳機能(精神椀能)が低下する結果である などとした。それに対しフロイトは,臨床上この夢に着目し,経験科学的に夢の仕組みと 意味を-3きとめようとした.. フロイトがほじめて夢の解釈に成功したのは自己分析に先立つ1895年の夏である。この 年フロイトは自分のみた「イルマの夢」を分析し,その夢の核心は, 「イルマ」 (患者)の 身体症状がなかなか直らないのは,フロイトの責任ではないといいが,という願望にある とした。. 「イルマ」はフロイトの親しい知人の娘であった。フロイトの治療をうけ,. マ」のヒステリー性不安は消えたが,体の不調と吐気tJbelkeit. und. 「イル. Ekelがなかなかと.

(5) 精神分析誕生小史. れず,フロノィトは悩んでいた。夢は,. 67. 「イルマ」がなかなか直らないのは,. 「イルマ」が愚. かすぎてフロイトの療法(精神分析)を受けいれないからではないか,また,同僚の「オ ットー」がよく消毒されていない注射器で,しかもプロビュールなどという不適当なもの 「イルマ」の身体症状ほ心因性でなく器質性のものではない. を注射したからではないか,. か,あるいはまた,若くして未亡人になった性的不満のためではないか-すべてこれ,. 「イルマ」が直らないのほフロイトの責任ではないのではないか,を間接的に偽装した形 で表現したものだ,とフロイトは解釈した。 夢は人間の心の深層(無意識)を語るものであった。夢が生まれてくる仕組みは,神経 症と同じであることもわかった.だから夢の研究は神経症の理解にも役立つ.しかも夢は ふつうの人も見るから,一般性もあるo人間の心の仕組みの究明にも役立つであろう.夢. 現象そのものも大変におもしろい。こうしてフロイトほ,自己分析で夢を使ったのをきっ か桝こ,夢の本を書こうと決心する。自分の夢,患者の夢,知人や子供の夢など,手がけ. た千はどの夢の解釈を基礎に,フロイトはおよそ二年(1897年7月-1899年9月)をかけ て夢の本を書いた。実際の出版は1899年12月だったが,新世紀のはじめの1900年と印刷し た.フロイト自身も主著とみなす『夢の解釈』である. フロイトはさらに,日常生活のなかでよく起こる,ちょっとした思い違い,言い間違い, 聞き違いや読み違い,置き間違いや物忘れなど,一見偶然や注意力の欠如などが原因とさ れる現象にも,やはり隠れた心理的原因と仕組みがあり,それが神経症や夢と同じもので あることに気づいたoさらに機知,冗談,ウィットも実は,本心の隠蔽された間接表現で ある点で,同じであろうoこれらの例を集め,似た現象であることを解き明かしたものが 『日常生活の錯誤行為』. (1901年,単行本としては1904年)と『機知と無意識との関係』. (1905年)である. フロイトはこうして,神経症(心の病い)の治療という道を通って,ひろく人間一般に 通ずる心の仕組みと力動を明らかにした。神経症は病む老の現象かもしれないが,夢や錯 誤行為,機知は人間一般のものである. この稿を書くにあたって,とくに細部については次のものを参照した。 参 a. Didier 1959,. b. Anzieu Nouvelle. :. L'auto-analyse idition. Sigmund. Freud/Josef. (Fischer. Taschenbucb). de. 考. Freud. et. 文. 献. la d占couverte. de. la psychanalyse,. 1975. Breuer:Studien. tiber Hysterie,. Frankfurt. a.. M.. 1970.. 2. vol.,. Paris.

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参照

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