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「ひっかかり読み」を用いてーー
「夢十夜」
日はじめに 三省堂発行の高校三年生用教科笞「新国語3」では、 文学教材 として夏目漱石の「夢十夜」を採用して いる。そ し て、採用の「ね らい」として、 第一に 「拶十夜」には「漱石の原液が 混くつめら れており、 何よりも駐にみ らた問国作である」こと、 第二に漱石 の他作品に比べると「部分抄出、 大半カットとい った弱点を免れ ている」こと、 第三に「作品について の決定的な定説的解釈」が ないため、 かえって生徒 各自の呪み取りを中心にした授菜が進め やすく、 それは 「定式化され、 体制化されかねないような国語教 育観を一歩進める」契機にもなり得るであろ う、 といった諸点を 挙げている。 右の「ねらい」に限らず文学教材を扱う場合に は、 本来定式化 された授業を行うことは不可能であ る。 ”文学IIの持つ本質的な 性格上、 教師側から個定的な作品解釈 を生徒に押し付けるのは誤 りであろう。もちろんそこには”読み ” の深さの問題がある。残 陪な況解しかできない生徒た らに、 より深い読解を経 験させてやを読む
るの は教師の仕事である。 そこで生徒 自身の”読み ” を尊重しな がら 、 読解を探めて行くための一っの方 法として「ひ っかかり読 み」という方法を用い た。 この稿では、 文学教材の一読解法とし ての 「ひっか かり読み」の紹介と、 この続み方に よっ て涵ェ+夜」 を分析・解釈した結果とを述べてみたい。 . U ひ っかかり院み 現代の麻校生たらは、 生まれ落らた時から映像文化の中に没り 切って成位して来ている。 そしてこの目まぐるしい社会 の中で 、 次から次へと新しい、 より強烈な刺激を与えられ、 外から与えら れ、 自分の心の中で 自分なりのイメージの世界をゆっくりと構築 すること、 更にはその世界に没って遊ぶという経験に乏し い。 は なはだしい場合には、 自分 の中に自分独自のイメージの世界を創 ったことがないので はないか、 と疑いたくなるような生徒もいる のである。 つまり、 一方的に流される映像と音とによ って、 既成 の固定されたイメージを受け身で受け取り、 自分で想像すること がで きなくなっているのであろ。越
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-165-¥^▲..一っ―つの言葉が内包するイ、.ージを自 そうした生徒 たちに 、 分な りに捉えさせ、 そのふくらませ た言葉を通して文学を享受さ ・ せる ことを目的として始めたのが「ひっかかり続み」である。即
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ち、 活字化された酋巣―つーつにひっかか り、その言葉を 自分な りに阻咽し、 イメージ化することによって、 各自に言業を素材と したイメージの世界を 削造するこ との訓純をさせたい、 という試 み な のであ る。簡単に言えば、精読の訓純と言って も良い。こ の読み 方は我校の出射克祐先生の始められたもの で、「ひっかかり読み」 という名称も先生の付けられたものである。 私は出射先生からそ の方法を御教授いただいた。 さて、 その「ひっかかり読み」の方法であ るが、 次に具体例を あげて説明したい。 この方法を生徒たちが始めて使ったのは、 一年時の文学教材、 芥川閲之介の「羅生門」においてであった。 最初は方法説明のた めに、 「言菜にひっかかる 」 とはどうすることなのか を、 教師が 実際にやってみせる。 「ひっかかり」は基本的には、 「なぜ00 と宙いてあるのか」という形であ る。 従って「羅生門’一の冒頭の 第一文、 「ある日の経れ月のことである。」 の場合には、い「なぜ II ある日 II という言菓で始めたのだろ うか。」①「なぜ II 悪れ方” にしたのだろうか。」圏「なぜ文末を ” ーである”と現在形で終止 しているのだろうか」 といったひっかかり をしてみせるのであるり つまり「ひっかかる 」とは、 なぜ作者はこ こでこういう言葉を使 ったのだろうか、 こ ういう言策を使うことでどのような効果があ るのだろうか、 自分ならばわざわざこういう言菓は使 わないのだ がなぜ作者は ...... ?等々の疑問を発することである。 このひっか かり(疑問)は、 生徒各自のそれまでの言語生活に碁づいて、 自 分にと っての意外な話・非日常的な 語・難語などを手がかりに、 注目したい言葉を挙げれば良いのである。 この「ひっかかり」は、 先にも述ぺたように一言一言の言葉に 足を留め、 注目し、吟味することによって 言葉から各自のイメー ジを創り上げる 訓糾に於ける「足留め」 の働きをするものである。 従って、 最初に方 法を説明する際には語句を単位に して、その「ひ っかかり」を示して見せる が、 実際に生徒がひっかかる場合には、 66 ー 単語・語句・表現・そ の他、単位には制限なく 「 ひ っかかり」を — 出せば良いのは言うまでもな い。 実際に生徒に やらせてみると、 彼らは自 由に種々の点において「ひっか かり」(疑問点)を発し てみせる。 その実例については後述する。 こうして、 ある範囲の文章の中から「ひっかかり」点を抜き出 し終わると、 次にその「ひっかかり」 を、 それぞれについて個々 に検討して行く。 「なぜ00と也い てあるのか」という 疑問に対 する解答を各 自が考えるわけである。 それを「ひっかかり」を 「解く」と称している。 この作業が「ひっかかり読み」の眼目で ある 。 「なぜ00か」を「解く」ということはその00!,!あたる語句「解く」作菜に入る際に、作品中の他の部分との関辿を頭に四 〗なり、 表現なりがその作品の中で如何なる意味を持たされている か、その意味づけを各自のそ れまで の体験・個性に応じて考え る ことであろ。文学作品の中で使われた語句な り、 表現なりの意味 づけであ る以上、それらの言菓によって自 分の中に創り上げられ たイメージを発召する ことになるため、 基本的には「そのさ衷で xxな感じを出すため 」という形である。その際の「感じ 」とい うのは、 「ひっかか り」のあり方(種類)によって、作品の背毀 に対するものであったり、 その場の情景であ ったり、登湯人物の 心理を説明するものであったりする。それらは一っの完成さ れに 作品の中で用いられているのであるから、作品中の他の去現や描 写、 全体像との関連の中 で解か れることが 望ましい。したが って、 この「ひっか かり読み」は、 生徒にとって作品の全体像がつかみ やす い短編小説や、詩といった教材において毎も効果のあがるも のと思われる。 いて考えるように、 という指示を出してはおくが、そうしたOO迎 が説明されにくい出合に は、単発的に、その「ひっかか り」が自 分に与えた印象なり、 イメージなりを「xxの感じがする」と答 えれ ば良い。そうした瓜発的な解も、 l つの「ひっかかり」に対 して数名の別な個性から多様な解を求めたり、複数の「ひっかか り」を考えて行くうらに何ら かのOO迎 が兄つかり、解 決されて行 くものである。 従って、 生徒の各個性から出される団々の云巴は、それが「そ ぅ宙くのがおもしろいから」とか 、 「作者がそう宙きたかったか ら」とかいった、 言菜の意味づけが何らなされ ていない、つまり 何も考えようと していない投げ迅りの、流行語を借りて 口え ば 「カラスの勝手でしょ」式の解でない限り、すべて認め、 様々の 角度から出された「解」の中からより適切なものを紐り上げて行 く。その加り上げ の過程で、作品の以髄へ近づいて 行くことがで きる のである。 また、 ある「ひっかかり」が、その作品の 中で解決されない場 合、つまりその作品の作り出す世界とのOO迎での意味づけがうま く行かない均合には、作者の文体上の特 色、 作者自身の性質や作 品の発表された時代・時期との関迎で、 文学史的に解決されるこ ともある。例えば芥川や閾外が 、 し ばしば作品中に用いる横文字 などに つい ては、作者の経歴や償性とOO辿づけて解けば、 文学史 の印象的な学習としても効果的である。 先の「趾生門」の第一文の「ひっかかり」に対して、 生徒たら は次のように解いた。まず第いの「あ る日」に対し ては、日「ぶ る日、 ある所に、 おじいさ んとおばあさんが・・・・・・と紐く感じ。」と か、口「0月X日とはっきり日時が示されるより、 II ある日 II の 方が夢がある感じ。」、回「 II ある日 II だと日時が涙然としていて、 これから何 が起こ るかわ から ない感じ」といった解が出た。日の 解は芥川の、 古典を素材にして新たな小説世界を創り出すという
-167-初期の創作方法を、 前もって説明し ていた結果として出て来た解 ではない。 「羅生門」が説話集「今昔物語」か ら取材されたもの であるということは全然知らずに、 生徒が感じ取ったのである。 教師はこの偶然の「ひっかかり」を足掛 りにし て、 芥川の創作限 度•その方法を 解説することができ た。口の「拶がある感じ」と いうのは、 空想を拡げることができる、自分なりの自由な想像が 描きやす いと いう意味である。回は作品全体の持つ事件性、 その 不気味な予感のようなものを解 として表わしたものであろ。巳口 回ともに、 「ある日」という語句の持っていろ世界を、それぞれ に別な角度から読み取り、 自 分のものとしていろ 。こう した函巳 はすぺて良い解として認め板困しておく。 第①の「昨れ方」については、 「苅暗い感じ」「淋 しい 感じ」 「冷たい感じ」といった解が出て来 た。 これらの肝は表現の差は あろも ののそれぞれに、作品全体をおおう陰惨な雰囲気を、 第一 文ですでに芥川が背扱 として用い た語の中に込めていることを読 み取ったものである。 第圏の、 文末を「ーであろ」と現在形で終止して いることに対 すろ「ひっか かり」につい ては、 「今、 自分の目の前のことのよ うな感じ」という昭が出た。そこで教師がその解を敷行して、「自 分の目の前のこと」↓「自分たちの存在している現在」↓「現代 の自分の問面として茄むことができる」という解説を付け加えた。 この 様にして 、なろぺく細かく樋々の語句・表現に注目し、 つ i つ何らかの理由づけを考えるのである。 どうしても適当な解 のみつからない場合は教師が解釈して やる場合 も稀にあるが、 た いていの場合生徒が、 生徒どうしで互いに知思を出し合いながら、 ほとんど自分 たらで解を見出して行く。 そし て、この II 生徒が互いに知思を出 し合う ”という点が、 こ の学習法の評価されろぺきもうーつの点である。 前にも述ぺたよ うに、 「ひっかかり」点を見出す場合 にしろ、 その「解」を考え 出す掛合にしろ、生徒一人一人が それまでに過
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して来た営語生 活に基づいて、低性的な自分なりのものを出せば 良いのであるか ら、 高学力者 と 低学力者との差がほとんど出 ない。 少なくとも知 識の多少には影靱されない授業が可能である。 つまり、 すべ ての 生徒が対等に授業に参加することができ るのである。 もらろん、 深く雹菜を拙み収り、物事を自分のものとして把握する習佃のつ いている生徒か ら良い意見が出されろという事はある が、 それ以 外にこの方法の良い点は、 閥性豊かなユニークな発想をする生徒、 変わっ た経験を持つ生徒の恋見から、 思いもかけぬおもしろい解 釈が出る場合がしばしばあるこ と。 そして低学力と言わ れる生徒 からも、 それなりに十分評佃のできるものが出て来る ことである。 こうし た研々の発想・意見・感想を包括し認め合って行く中で、 生徒どうしの相 互尊韮も見 られるようになり 、多様なものの見方 ・考え方を認め評価し合いながら、それらの中から怒逗的なもの や、より深い人閥の哀実を純り上げて行くという学習、 一見ばら-1&3-ば.ら に出され た憫々の感想から 何らかのつ ながりを見出し、一っ の作品解釈をまとめ上げて行くという学習をも同時に行うことが できる 。. 実際の授菜で「ひっかかり説み」を実施する掛合、その方法は 前述のような教師の「ひっかかり」を生徒が「解く」万法以外に . 匝 々のパターンが考えられる。座席の 列別に「ひっかかり」列と 「解く」列とを作 り板むさせ たり、グループ討謡の中で「ひっか かり」を出し、それを自分たちで「耕く」形を取ったり、カード を用いて 上段に 各自の「ひっかかり」を記し、それを別の生徒に 配布し下段に「解」をさせ たり、傾々の生徒を教師が任意に当て、 早い者勝ちに前へ出て黒板を用いて「ひっかかり 」と「解く」を やらせてみたり、とい った方法である。梱々の方法でパラエティ ーを持たせ、飽きない方法を取りなが ら恨れさせて行くことが大 切である。そして最終的には、自分で「ひっかかり」点を発見し、 それを自分の力で「解く 」ということが出来る ようになれば良い のである。こ れが出来るようにな れば、、作品を自分の力で"nlc鮒す ることができるようになったと言って良いであろう。 以上のような訓純を禎み瓜ねると、三年生ともなればかなり自 由自在に個人の力で「 ひっかかり」を出し、それを自力で「昭く」 ことができるようになる。 こうして邑久高校の生徒たらと共に 「ひっかかり紐み」の方法を用いて節んだ夏目激石の「押グ十夜」 の中か ら、第七夜•第八夜について、その結渠を「炒十夜」の一 つの 解釈とし て次に紹介したい。
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「夢十夜」を院む 「第七夜」を茄んで生徒た ちが出した「 ひっか かり点」とそれ に対すろ「解」を、作品 にそ って、順序よく整迎して挙げると後 の表のようになろ。 「ひっかかり」については、先に述ぺた「なぜ00とむいてあ ろの か」という疑問の「00」にあたる本文だけを卒げていろ。 その際、木文だけでは 生徒の砲いたひっか かり点がはっきりしな い楊合には、多少の説明を「」の外に付け加えた。 表の「孵く」に述ぺられ た生徒たちの感想・意見をまとめなが ら「第七夜」を考察してみると、「第七夜」は次のように酢釈で きよう。 第七夜 激石は、すさまじい勢い(®®⑥b)で西洋文明を取り入れ、 焦りに 焦って(⑥a®)西 洋化して行く日本の社会、そ の流れ (②)に不安(⑤⑦)を感じていた。彼は西洋文明の持つ力強さ、 その素睛らしさ(⑫⑯ぷ)⑳品})を決して否定し ていた訳では なく、それらに対す る佃れ命)) は人一倍弥く持っていた。しか し、自己内省をくり返し、社会の流れを見定め、よ り望ましく正 しい日本社会の発展を希求せずにはいられない知識人(@A3) の一人として、漱石は日本 の急述な 西洋 化を一般民衆(⑭))のよ うに無条件に受け入れ(⑲ぷ3b⑪店))、その悩れに身をまかせ、-169-⑯⑮⑭⑬
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[ A正 か 」 尉 ・ ロ ・ ? い い る。 「焼け火箸」 「大きな船」 「なんでも」 ひっかかり 「第七夜」 解 < 陽気に謳歌する訳にはいかなかった(® ⑰)。彼は西洋の素昭らしさが見えると 同時に、その反映として自らの姿のみじ めさ、矮小さ(®⑳⑮a)、自分たらの 罹固とした日本人としての自我磁立のな さ(⑤®)などを見ないではいられなか った。 その上、彼にはそうした劣等感以上に 心を悩ませる問題があった。それは無条 件に西洋文明を最良のものとして受け入 れることに対する疑問(®b⑮C)と不 安である。彼は日本を含めたアジアの国 々が、西洋から圧倒され(⑳))、衷面的 な西洋化(⑳C)をgに若けながらも、 内面的には空虚であること、外から押し つけられ、受け入れた西洋的なものと身 に没みついている東洋の生活・風土との 閥のアンバランス、その歪(⑳a⑪b ) を兄のがしてはいなかった。 そ して更には、そうした歪のもたらす 原因不明の悲しみ、近代の孤独感・憂鬱 (⑲)といったものを「一人の女」の上 -170-⑯
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「知る必要が ない 」 「黙っていた」月
“g] 「 ]無 限 な 感 じ。不 安 が だんだん葬っ ている。孤独 な 感 じ。 に も な」り「真っ白に 泡を吹いて」いろ海 「異人」 ―外国人 よりも災様。別世界の人。恐れ と 悩れ の感じ。 「自分」 のことを気にも かけない人々。「自分 」だけが孤独な感じ。. 孤独。原因不明の悲しみ。近代の憂鬱 白 人 の象徴。西洋に泣かされていろ。 「一人の女」の泣く姿 「目をふくハンケチの 色が白」 「しかし身体には更小 のような洋服」 「天文学」 「神を信仰する かと ねた」 のに「黙って い た 」 「派手な衣装」で「洋 琴」を弾 いている女 3アジアが泣い ている。ハンカチの白とは対照的な色のつい た服 『⑪「眼に白」 対「身体に更紗」 。「しかし」 が「更紗」を強 潤。頭と身体とのアンパランス。西洋思想と東洋生活との ご‘れ 、歪゜ 3派手。表面だけの甜美、自由。 宇宙的で広大。スケールの大きい 知識。西洋の方が文明、 文化が進んでいろ。 鎖因的 人間。 日本人の小ささ。あ き らめている感じ。 自分だけの殻に閉じこもっていろ。 西洋 に同化することを 拒 む 。 3信仰のない 日本人。信念のない自分の劣等感。 吋西洋文化(文明)に追随するかどうか決めか ねている。r
Cキリスト教信仰にひき入れようとす ることに立服 し て いる。 西洋人。自由で恋愛中。 に描き出して い る のである。 そし て巌後に漱石 は、右のような日本 の 西洋化の勁きに対すろ不償・不安・危 機惑を抱き(®b)ながら、その流れを 支えろ(⑮)当時の一般大衆から遊陪し てし まっている(⑫a®a)自分に孤独 を 感 じる(®⑭)と同時に、 彼には自分 一人が どうあがいてみ ても、結局現実の 大きな力(⑮⑮)、その流れをどうする こともできないとい う絶望感(⑫b®b ) を抱きながら、無 限 にこの苦悩(⑭)を 続けざるを得ない自分の姿が見え てい た (麿)と言って良いであろう。 第八夜 「第 八夜」に対して は、後掲の表のよ うな「ひっかかり続み」になった。 この表の 「解く」の部分を整理して、 漱石が「第八夜」で描き出 そう とし た世 界を考察してみると、その 特色 として第 一にあげな ければならないこ とは、作品 全体に現実からは遊離した、四角な部屋 171-⑱®
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[[At[〗〗〗A[[<[[M[ た」 「大変高くできていた笑学教授(インテリ)と小説家(庶民 ) と の間には格段 日` の に時 ご”いい感 、 落ち沼 きのな さ 、中ぶらりん の 状態 。 「足は容易に水に瑶かa
足が地(水) に着かない。インテリの弱み。 ない」⑮自分が落ちていろのはわかっていても何もできない、見 ているだけ。日本 がよくない方向に流れてい るのがわか っているのに自分は何もできずにいろ。 「水の色は黒」無限の懲じ>不安・死•おしまいの感じ 。 絶望感。知らぬ 世界への恐怖、苦悩。「自分」が孤独である。 祠の通り」伺とともなかった感じ。一人の人間があがいても何も変わらぬ。 「黒い煙を吐いて、巨大な力で個人を無祝。どうにもならない時代の動き。 り過ぎてしまった。 「悟り」宗教的。思想的。 悟りを利用頭だけで考えてもダメ。 ができず」からは 逃がれられない。 (②)と不気味な白い男( ⑪))に代表さ れる別世界を設け、更にその中の鋭に映 った「影」の世界を問題にす るという、 実体の伴わない、生き生きとした現実的 存在の肉感が全く感じられない世界を設 定していることである。そし て、このあ らゆるもの を実体のないものと設定した 上で、大きく分けて四つのことを描き出 していると思われろ。 その第一は、日本古来の古いは界と、 西洋化されつつあろ新しい世界との対比 を通して捉えた時代の変化である。それ は明治にな って 西洋から輸入されたハイ カラな乗り物である自転車(⑯)と、日 本の伝統の流れの 中で用いられて来た人 力車(⑰)とが、ぷつかり合う所に典型 的に示されているが、その他、鏡の中に 次々に衷われる人物の 中にも対比が見ら れる。即ち、一方ではOO来品のパナマ帽 (⑦)をかぶり得意滋面な庄太郎が歩い ておりながら、一方では今だに古い世界 にが ん じがらめにされ、逼塞していろ不⑭
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遊ば ぴ 格場子 来 内 る に 「第八夜」 健康な芸者( ⑧)が弱々しく歩いている 姿を持って来 て いるのである。 第二には、 現 在「自分」の悶かれてい る空間 、つ まり西洋化されつつある新し い世界 (① )の中に、次から次へと腰か ら上( ⑤) だけを映して、又は音だけを 響かせて現 われては消えて行く夢のよう な世界 に、過去の臭いを描き出している 事である。 それは縞の闘にかすかに映ろ「帳場格 子のうらに」突如として表われ、幻のビ とくに消える「色の浅黒い」、「銀杏返 し」に髪を結い、「黒稲子の半襟」(⑲)) をつけた女に最も詳しく見られろ描写で ある。この帳場格子の女は、行儀の謳い はすっばな様子(⑳))や、負けん気の強 そうな顔つき(@)、そして金にうるさ そうないやみな感じ( ⑳)が細かに描写 されているところから 、このような印象 を漱石の心深くに残し た女(@a)とし て投母の姿が思い出されていろのではな いかと思われる。-173-そして、その古い世界と対照される(®b)新しい雰囲気を 持つパナマ相の男には、庄太郎(⑥)と名付けら れて いる。こ
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の固有名詞は、 「硝子戸の中」その十七 に、床屋の主人と交わされた昔話として 描かれている「東屋」という芸者屋の向 いの宅でぷらぶらし てい た「母方の従兄」 の「庄さん」と同じ名である。毎日ぶら ぷら遊んでいられる御身分であった従兄 の庄さんも、おそらくはII道楽者の新し ずき”といった一面を持っていたであろ rつ 。 こうした漱石の過去の思い出の中の、 向いの宅で兄や従兄といっしょにトラン••
プ遊びをした「芸者」の姿や、その時共.
..
に遊んだ「庄さん」という従兄の名を出 していること、また 幼い頃からなじみの.
深い「豆腐屋」の往来、 「子供の時に見 た」「粟既屋」(⑱P)の往来、そして 養母らしい古めかしい女(@)の姿など を考え合わせると、この鋭の中へ表われ ては消える世界は、新しい世界と対比さ れた過去の古いは界、特に漱石の成長し た 11 江戸IIの 囲気(®)を多分に残していた下町の世界への 漱石の郷愁の表われではないかと思われるのである。⑮
-174-第三は、実体のない世界をながめ ている自分自身の 存在感のな さ、 自己存在への 不安である。 先にも述ぺたように、漱石は第八夜全体を実感される現実世界 からはかけ離れた、存在感のない世界として描き出している。そ して更に、そうし た世界の中で「自分」は、自分の存在に確固と .した自信が持てない人物として登場して いろのである。 「自分」は、自分が世問から注目されていろエリートであると いうことへの自負(@) は持らながらも、自分 が自己存在をかけ て取り組も うと していろ小説が如何なろ存在価伯を持って いるの か、また世閥にどのよ うに受け入れられ、評価される のだろうか という不安(⑩) に、ぐらぐらとIiすぶられている。権威を象徴 するかのような「髭」(しか もその髭は「薄い」のであるが)を ひねりながらも、 「どうだろう物になろだろうか」と尋ねずには いられない のである。 こうした仕事上での不安に代表されろ自己存在に対する不安は、 +全な感覚的把迎ができない状況にズ自分」が沼かれているとい う場面設定にも表現されている。つま り、この「自分」は、鋭に 映る世界を実感として つかむため の感党を十分には与えられてお らず、常に何ら かの気がかりや、不安が残される。しっかり見定 めようと思った庄太郎の連れの 女はよく見えないうちに「通り過 ぎ」 、豆腐母は頬を庇らせたまま過ぎてしま ったので「気がかり でたまらな い。」また、芸者の相手は「どうしても」見えず(®)、 自転車と人力車と の街突もはっきりしな いうちに「まるで見えな くな」ろ。「粟餅屋」は声と杵の音だけ(⑲)a)で姿は見えず、 俵屯格子の女も見定めようと「振り返って見た」途砧に消えてい ろ、といった具合である。 そして漱石には、自己の存 在を他者によって確めようとしても、 他者は何の解決も与えてはくれない(⑪)a)、 と いうことがわか っていたと苫って良かろう。. 第四は、明治の西洋化された新しい社会も、やはり確固とした 実体を 持ってはいない根なし草であること への不安である。 西洋文明の移入によ ろ、明治の文明開化を象徴するかのような 5 「ザンギリ領」を作り出す理綬店 で、西洋を 思わせる「白い沼物」 ― 7 (①)を空て、「琥珀色の櫛」(⑫)を持った男の使う「鋏」は、7 受け入れ側であろ「自分」を無 視して、有無を言 わせ ず(⑬)b) 圧迫して来る力を感じさせ る。その鋏は「ちゃきらゃき」(⑰)) と活発に、せ わしな く動き、その力と勢いと に「自分」は恐怖を 感じ、眼を閉じてしまう。ここで漱石は、すさまじい勢いで押し 寄せ て来る西洋文明に対する不安を描くと同時iC、その圧迫のた めに、 「錢に映る影を一っ残らず 見るつもり で」「みはっていた」 「目を 」閉じざるを得ないこと、 つまりは先に考察した、錢に映 ろ彩に象徴される日本古来の古い伝統世界と、断絶させられざる を得ない ことを述ぺているのではないだろうか。 そして、 その盲滅法に取り入れ日本古来の伝統世界(漱石の言
. 菓 を借りれば内発的に進んで来た世界)と断絶した新しい社会も、 やはり実体のないものであることは 、 こ の西洋風の理髪店である 「四角い部屋」自体が、そもそも「窓が二方に開いていて、 残る 二方に鏡が懸っている」という寄態で不安定な構造をしていろこ とや、 「自分」の問には一切口をきかない、 幽霊のような「白い 男」の実体のなさの中に描き出されている。 更には、 この西洋風の白い男は「金魚売」を問迎にしている (⑮)。 ここにも西洋風の男が、日本独特の「金魚売」を気にす るという新旧の対比が見られろ。 そして、 古来の日本を象徴するかのような「金魚売」は、召 I 分」 の心を惹きつけるもの(⑳)を持っていた。それは「自分」が得 ようとしても得られないもの、 また西洋化の波に次から次へと呑 み込まれながら流されて行く新しい社会に欠如 しているもの、つ まり確固とした II 存在の安定感”ではないだろうか。 この「金魚 売」は、 周囲の一切のものに頓着なく(⑳a)、ずっしりとしゃ がみ込んだまま「ちっとも動かない」(⑳)b)のである。 以上、 為校生たちとの共同作菜を通して考察した「夢十夜」第 七夜•第八夜の 1 つの解釈を紹介した。 これはあくまで今回の 「ひっかかり読み j によって出て米た解釈であっ て、 まだまだ多 くの「ひっかかり」点を残しているし、 また全く別の「解」が考 え得るということもあろう。 長年「ひっかかり読み」を実践して (昭和五十五年三月大学院修了、岡山県立邑久高等学校教諭) おられろ出射先生は、 「同じ教材でも読むたびに 、 新 しい生徒の 新しい発想から、 今まで気付かなかった新発見が出され、 読みが 深められて行く。」と言われる。一人一人の頭は小さくとも、それ が寄り集まった時に、一人だけではとても考え及ばないような読 解ができろ、 ということである。 このことも「ひっかかり読み」 の大きな意義の一っであると思う。