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岡正雄による日本神話・宗教論

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全文

(1)

岡正雄による日本神話・宗教論

著者

山田 仁史

雑誌名

論集

45

発行年

2018-12-31

URL

http://hdl.handle.net/10097/00130360

(2)

(

3

3

)

岡正雄による日本神話・宗教諭

山 田 仁 史

キーワード:岡正雄,日本神話,天地開閥,神観念,垂直的・水平的な神表象 1 序論 岡正雄

(

1

8

9

8

-1982

没)は日本における民族学のパイオニアである。

1

9

6

8

年には国際人類学民族学迎合・会議の会長を務めたほか,戦後ドイツ語圏民族 学におけるスタンダードな辞典(旧版)に日本人学者として唯一立項されるな ど[回目

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'.国際的にも著名だった。 彼がウィーン大学に提出した学位論文は [Oka

1

9

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長いこと「幻 の博士論文」と呼ばれてきたが,執筆から

8

0

年近くをへてボンでドイツ語のま ま出版された [Oka

2

0

1

2

;

B

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l

。本論

1

0

4

1

頁のうち半分強を占める

5

3

4

頁分の「第 5章精神文化」は日本の神話と宗教にかかわる。筆者は邦訳チームの一員と してこの章ほかを担当し,すでに訳稿をほぼ完成した。その過程で見えてきた こと二点を報告したい。 なお,以下では次の略号を用いる。ウィーン大学に提出された学位論文原本 (タイプライタ一打ち)を Wiと記す。そのコピー全 6冊が,東北大学の文化 人類学研究室に架蔵されている。全

2

巻のボン版の方は

Bo

と記す。ローマ数 字は巻数である。 Wiと

Bo

に大きな異同がある場合にはなるべく Wiに従った。 両者からの引用は全て拙訳による。 2 岡正雄の略歴と『古日本の文化層

J

岡は

1

8

9

8

6

5

日,長野県松本町(現松本市)に五男三女の末子として誕 生した九四男は後に出版社・岡書院を開いた岡茂雄である。松本中学校(現松 1 シュトレック編の民族学辞典(第2版)には, 日本人学者として松村瞭と岡正雄 の

2

人が立項されている

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]

2

以下,岡の略歴についてはいくつかの資料に依拠している[岡

1

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8

1

-

4

8

9

(詳 細な自選年譜).住谷

1

9

8

8

.

大林

2

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0

6

.

クライナー(編)

2

0

1

3

]

(3)

本深志高校),二高(仙台)を経て

1

9

2

0

年東京帝大文学部社会学科に入学,

2

4

年から柳田国男の知過を得る治宝

2

9

年に不和となり,渋沢敬三の厚意によって ウィーン大学へ留学する。博士論文「古日本の文化層』により学位を得て

1

9

3

5

年にいったん帰国。

3

8

年には再びウィーン大学客員教授として招かれ,

4

0

年に 帰国した。民族研究所や西北研究所にかかわり,戦後は東京都立大学・明治大 学などで教えるかたわらエスキモー調査などを実施,

1

9

8

2

1

2

1

5

日に逝去し た。享年

8

4

。 岡は

1

9

2

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年から

3

5

年にかけてウィーンに留学して民族学を学び,

3

2

年から

3

5

年の聞に博士論文『古日本の文化層

J

を執筆した。それは最終的に

5

1

4

5

3

頁, および附録の図冊を合わせた合計6冊に及ぶものとなった。彼ははじめ,最初 の

3

冊(序論・資料・研究史・物質文化・精神文化)と図冊を博士論文として 提出し学位を取得,残る

2

冊(社会および補遺・結論)は後から執筆した。 タイプライターによる Wi版原本には,岡自身が後から加えた修正や書込が 多数みられるが, Bo版 2巻には,これらが反映されている。また中国語の引 用については現行のピンインに表記が統一され,さらに Wiにはなかった引用 文献リストが附されているほか,編者であるヨーゼ 7 ・クライナー氏による詳 細な解説により,本論文執筆の背景を知ることができる。編者による注記も随 所に挿入されており,たとえば岡が「民俗学」の意味で“Folklore"ない L "folkloristisch"と記している部分には,“Volkskunde"および“volkskundlich"と 注記されている。このように, Boは原本の単なる活字化ではなく,非常に利 用価値の高い出版物となっている。 本論文 (Bo版)は 7章構成である。まず第 l章の序論では,日本文化が多 層構造をもつこと,そして柳田国男や折口信夫により民俗学的資料が増加した ことを踏まえ,従来の形質人類学・考古学・民族学の諸研究を総合しようとい う意欲が語られる。第

2

章では研究の資料として, とりわけ日本古代の古典を 重視する姿勢を示しており,ここには折口からの影響が見てとれる。また漢絡 や朝鮮の古典も紹介している。第

3

章は研究史であり,江戸期以来の人類学・ 民族学的研究の歩みが語られる。ことに,明治期に激しい論争を巻き起こした アイヌ民族の系諮問題については,多くの紙幅が曾jかれている。第

4

章は物質 文化を扱い,食・住・衣および身体装飾・武器・工芸が取り上げられるが,こ の章は

9

3

頁を占めるにすぎない。それに対し,本書の中心的テーマとされてい

1

7

5

(4)

岡正雄による日本神話宗教諭

(

3

5

)

るのは,続く第

5

章の精神文化(神話・昔話・宗教,計

5

3

4

頁)および第

6

章 の社会組織(言十

2

6

8

頁)であり,第

7

章が全体の結論をなす

[

c

f

.

山田

2

0

1

4

J

。 3 三グループの原初神:ダブル津田から原因敏明へ ここで報告したい一点目は,岡における日本神話論の変遷である。

1

9

3

3

年に 博士論文の最初の

3

冊分を提出した当初,彼の議論は津田左右吉『神代史の研 のりたけ 究j[1

9

2

4

J

と津田敬武「神代史と宗教思想の発達

J[

1

9

2

5

J

の影響下にあり, 錯雑していた。それが結品化したのは

1

9

3

4

年から

3

5

年になってからであり,新 たな見解はWi版第 5冊所収の補遺中に開陳されている。まずダブル津田の色 彩が濃い.

1

9

3

3

年時点の議論から見てみよう。 [引用

1

1

五・ー・ーより 最重要の日本神話資料は.

r

古事記

J

(Florenz

1

9

1

9

a

:

1

0

-

8

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)

と『日本紀』 (Florenz

1

9

1

9

b

:

1

2

3

2

2

1

)

の「神代

J

3に収められている。よ益重ネよ主主 の物語は すでに様々な要素から構成されており 統一的な神話体系は課 められない。一見したところ統一的な神話体系のよ弓に見える「神代

J

の 物語を 我々は可能なかぎり個々の要素に分解せねばならない。しかしま ず私は,日本神話の構成に関する梗概を示し,それにより諸要素を結び付 けている糸の発見を容易にしたく思う。『古事記』と『日本紀』に伝承さ れている様々な異伝はもちろん.可能なかぎり統一的な叙述を行うために は,まずもって無視せざるをえない。よって,私はそれらを後から,個々 に採り上げたい。さらに私は,体系的叙述のため,下記においては主とし て『古事記』の伝承に依拠する。本文と直接に関係しない諸伝承は,まっ たく無視することとする [WiII・

2

2

5

~ Bo

1

:

2

0

9

J

こう述べた岡は,まず日本神話を

1

4

のエピソードに分けて要約している。そ れはつまり a) 天地関閥.b) 神世七代. c) イザナギ・イザナミの園生み. d) 下界(黄泉国). e) 日神・月神・スサノヲ神の誕生. f) 7,テラスとスサ ノヲの争い. g) 天岩屋戸の物語. h) スサノヲの追放. i) オホクニヌシの

3

7ローレンツについては別稿[山田

2

0

1

8

J

を参照のこと。 4 下線は引用者(山田)。以下同様。

(5)

結婚.

j)オホクニヌシ諸国を統治. k) 中つ国の統治. 1) 天孫降臨. m) ホデリノミコトとホヲリノミコト.n)神武東征である [WiJI:225-236= Bo 1 209-216]。 つづいて.二人の津田から受けた影響がよく分かる箇所をいくつか紹介しょ う。

[

5

1

2

1

五・ー・ごより 日本の創世神話には,主として序論で告げた神話 (a) (b) (c) が含 まれる。これらの神話は『古事記』に諮られるが.

r

日本紀』には様々な 異伝が見えている。そこで私はまず,これらの異伝を引きながら創世神話 の原型を分析しよう。 天地の発生について.

r

日本紀』にはまず本文および五つの異伝で,三 神が報じられている。第四の異伝にのみ.

1

また日く.[...]Jの匂がある。 注目すべきは,アメノミナカヌシ,タカミムスピ,カミムスピの三神が神 話全体の中で占める位置である。これら三神のうち,タカミムスピが他の 二神に対して上位を占める。彼は様々な伝承に現れるが,アメノミナカヌ シは諸伝承にまったく現れず,カミムスピの名はオホゲツヒメの話と出雲 神話においてのみ言及される。さて,タカミムスピが{也の二神に対して占 めるこの上位は,いかに説明されるだろうか。この聞いに答えるのは難し い。津田左右吉(一九二四:四O 四一)によればこのト位はーアマテラ スの子であるオシホミミの妻が タカミムスピの娘と見られていたことに 担盟主主L しかし,タカミムスピはまさにその高位ゆえに,神統諮におい てオシホミミの妾の父に選ばれたと考える方がよさそうだ。後から詳述す るつもりだが,彼の太陽神としての属性もまた,これを支持する。 この伝承の形成,あるいは日本神話川のその受容は,私の考えではかな り遅くに行われたようである。名の形態がその一つの証拠である。アメノ ミナカヌシとは「天の中心にいる主」を意味する。さて,後述するつもり の天信仰と天神話は,比較的後世に日本に移入されたらしい。さらに,タ カミムスピとカミムスピの名については.

1

高い」の意のタカおよびカミ は神名の尊称であり,ムスピは「生産する,産出する」を意味し,これら の神の驚異的活動にかかわる。二つの異なる尊称によって同一の概念を分

(6)

-173-岡正雄による日本神話・宗教諭 (37) イkきせ 二 神 を 形 成 す る の は 日 本 神 話 の ー 特 徴 で あ る ( 津 田 井 右 吉 一 九 二 四 四 こ し よ っ て これら二神が最初から二つの異なる存存であっ たか それとも元来は単一の柿であったかは疑わしいのまた,この神話が 次の創世神話とはまったく有機的連関なく語られていることにも注意せね ばならない【

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五・ー・二より この創世神話以外にも重要な園生み神話がある。それは序論で(c )と して引用したイザナギ・イザナミ神話である。この神話は日本神話におけ る最重要のものだが,そこには様々な神話要素が含まれているので,これ を統一的な神話ととらえるのは疑わしい。そこで私はこれを,主として創 世神話とのかかわりで扱おう。 きて,この神話がいったい一種の創世神話か否かは問題である。私見で は,この神話はおそらく三つのモチーフ〔天浮橋とオノゴロ島,島での結 婚,園生み〕から成る。 第三のモチーフに挙げられた島名について 「古事記

I

と「日本記』は 多少の異聞を示すが令体としては当時の日本より正確には当時の皐宰 による支配領域であるn この神話における島名は 宇に日本の内海島 当 時の政治的中心である大和朝廷に地理的に近い領域を示す。これは この 伝承が政治的動機により潤色されていた証拠である。よってこの伝承は 天に対する地の起源を説明するものではなく したがって令体的に純粋な 創世神話であるかは不確かであるn むしろ私は これらイザナギ・イザナ ミの二神は創世神というより 始祖ととらえるべ主だと県う。私見では 日本国の成立を説明するとい弓政治的動機が 第二のモチーフ つまり当 時広まっていた結婚諒により潤色されたのだろうの 第一と第三の伝承が,当初から緊密に結びついていたのを確かめるのは, 困難であるう。第一の伝承には,不明瞭ながら創世神話の痕跡が認められ る。おそらく第三のモチーフを,神話的・合理的な装いで覆うために,当 時広まっていた創世神話がつなげられたのだろう。このことは.

r

日本紀

J

の本文および十の異伝には,第一のモチーフが異伝一・二・三・四にしか 現れておらず,残る六異伝には欠けていることからも,明らかである。ょっ

(7)

て.この神話のうちまずは第三のモチ

- 7

が形成され,その後におそらく 第二モチーフが付加された。しかしながら,事実上の成立時期について言 えば,第一モチーフが第三より古く,第三モチーフが日本神話体系におい て最も若く産み出されたのは確実である。 さらに,イザナギ・イザナミ神話の筋書きが進行する舞台も重要である。 両神が天つ神の命令で天から降ったことは,

r

古事記』および『日本紀j の巽伝ーにしか報じられていなし」よって,この筋書きの本来の舞台は「中 つ国」に外ならない。筋書きが進むにつれても,両神は天つ神と特に関連 を有していない。後述するように,イザナギとイザナミはともに地上で活 動しこの地で生を終える。

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[

日本紀

J

本文でのみ,イザナギはその死後 天に上り,ヒノワカミヤという宮殿に住んだと言われる)。天の神々,日神, 月神も,

I

中つ国」で生まれた。したがって,これらイザナギ・イザナミ 両神を天と結び付けるのは疑問である。津田左右吉(一九二四 七

O

一 七ー)によれば二神はおそらく「地上に存在した神│である。 これによれば,神話の語り部ないし編纂者はおそらく序論の伝承(a ) と (b) を可いに結びつけ その目的のために「天つ神の命令!とい弓決 まり文句を挿入した。さらには.伝承(c )宇モチー 7 (川に付加し そのようにしてこの神話を日本神話の大枠に組み込もうとしたのである。 高天原神話の令体が.おそらくイザナギ・イザナミの伝承(c )と本来的 には関係なかったという仮説もまた,ある点において先述した主張を裏づ ける

[

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五・ー・六より 十分な資料は欠けているが,私の考えでは,ワクムスピはオホゲツヒメ

(ないしウケモチとトヨウケピメ)とは塁主亙狙盟に属する。この推測 が正しければ,まずオホゲツヒメが?次にワクムスピが,そして最後にそ の子としてトヨウケピメが生まれたという『古事記』の箇所も,二0(/)塁 な

d

i

首主主語ら混合に帰因するものだろう。私見では,オホゲツヒ人ウ ケモチ. トヨウケピメはもともと同ーの神であり,神統諮におけるオホゲ ツヒメの元来の位置が後にワクムスピないしトヨウケピメに移されたのだ ろう。これを支持するのは,様々な名前形成とともに,神話構成の全体で

(8)

-171-岡正雄による日本神話宗教諭 (39) あるD さて先に引いた農耕神誕生神話のモチーフについては次のことが注目さ れる。「古事記』の伝承では,オホゲツヒメの誕生後,さらに火神,土神, 鉱物神,水神が生じたという。中国の五行説によれば,万物は木・火・土・ 金・水という五つの元素(五行)に分解される。これらの協調と不調から, 世界万物が説明される。よって研究者の中には.

r

古事記』のこの神話に は中国の五行説の表出を含むと主張する者もいるのすでに[木の

1

神とし てはイザナギとイザナミの子たるククヌチが現れているのである(津田敬 武一九二五:一一一)。また この神誕牛神話は中国の盤古神話と似てい ると考える者もいるが この神話が中国の五行説の影響下に発生したとい 弓考呈に 私はまったく替成できない。確実な証拠を挙げることはできな いものの,次のことに注意を促したい。すなわち農耕神ないし食物神であ るワクムスピないしオホゲツヒメなどが,火神カグヅチと土神ハニヤマヒ メから生まれていることだ。古代には,作物の生長を助けるため,冬また は春の初めに特定の場所で火を焚く呪術的慣習があった。これは今も初春 の火祭という形で行われている地域がある。よって私見では当時,農耕神・ 食物神の神話的誕生はある呪術儀礼と結び付けて考えられたのだろう。 さて,農耕神の殺害揮についてである。この話のモチーフは『古事記

J

でも『日本紀

J

でも同様である。ただ,構成および登場する人物と事物は, まったく異なる。殺される神はオホゲツヒメであったり,ウケモチであっ たりする。既述のごとく,両神の名は同一の意味を有するから,両神は同 ーであったと私は考える。しかし重要なのは.

r

古事記』ではスサノヲノ ミコトが.

r

日本紀』ではツクヨミが神を殺す事実だ。この神話における 両神のうち,どちらの方が考慮に値するだろうか。ことに月神と作物の 関係が文化史的に確定されていることに,注意せねばならない。よって私 見では,ツクヨミノミコトがこの神話で果たす役割

l

の方が,客観的にはス サノヲよりも妥当性を持っている。だがなぜ,スサノヲもこの神話の主役 になったのだろうか。「高天原」神話において彼はふつう荒ぶる神であり, とくに

7

"'7テラスの作物にその怒りをぶちまける。私にはこれも,スサノ ヲが食物神オホゲツヒメの殺害者と見られるようになった理由ではないか と思われる。繰り返し述べたように.

r

古事記』では出雲神話が『日本紀

J

(9)

におけるよりずっと広範な位置を占めており.

I

高天原」神話におけるス サノヲの行為も,後者よりずっと大きな役割を呆たす。つまりこれが意味 するのは.

r

日本紀jの伝承の方が恐らく本来的なものだろう.というこ とだ。よってスサノヲがこの食物神殺害神話に登場するのは,盆堂笠鍾.lf 時における修正に起因すると恵われる。形態から見ても.

r

日本紀』の伝 承の方が農耕起源を説明する神話として完全な形を示す。最後に注意すべ きは,この神話が「高天原」を舞台としないことである。つまりアマテラ スは高天原にいて,中つ固にウケモチの神がいると聞き,月神を降らせた。 『古事記』でもまた,スサノヲは出雲への旅の途中,オホゲツヒメを殺し たとされる。つまりこの神話はいわゆる「高天原│神話にも 出雲神話巳 ミAーテン歩ライス も属さず.別の神話聞に属していたに遣いないn 私見ではある意味,月 神神話と有機的に関係するようだ [WiII: 294-297= Bo 1: 254

256J。 これらを読めばわかるように,岡は日本神話「編纂者」の「政治的動機」に よる「潤色

J

(ausgeschmuckt)に着目している。これは津田左右吉による大正 リベラリズム的な神話研究法と通底するものだ [cf.上田(編)1974J。また神 圏 (Kami-Kreis).神話圏 (Mythenkreis)などという把握のしかたも注目に値 する。 さて,津田敬武『神代史と宗教思想の発達j[1925Jに対しては,原田敏明5 が書評を『宗教研究j誌に寄せていた。そこには興味深い指摘がある。 [引用

5

]

第二章には閑闘の神話を取扱ってあるが,元来,日本書紀神代巻には, 出来るだけ多くの異伝を挙げて参考に供しである。従ってそれらの記事は 各々多少なりと,その内容を異にしてゐる。之らの異伝の存するのは,地 理的に,民族的に,その他時代の差異等によって生じたのであらうから, 何等かの方法でそれらの事背が明かにされるならば,誠に面白い問題がそ れから開展して来るのである。今本書を見るに,所々之れに触れた処があ って誠に面白い。これに類することはもと---旧約聖書の本文批評で早〈 5 原田敏明 (1893生-1983没)の生涯と学問および著作目録などについては石井 [1985]と東海大学大学院日本史学友会口986]を参照。 -169

(10)

岡正雄による日本神話・宗教諭

(

4

1

)

から試みられてゐる九その場合に於ても天地開闘の本文批評が,最も有名 になってゐるやうであるが,丁度本書の場合にも,第一に神代史に表はれ た関閥神話から興味の端緒が始まってゐるやうである。…… 兎に角,我が神代史の研究にかやうな方法を加味して行ったといふこと は,あまり聞かないことで誠に興味ある問題であると思ふ[原因

1

9

2

5

3

2

9

J

そしてこの方法論を実践したのが

.

1

9

3

0

年の『宗教研究

J

誌に掲載された「開 閥神話の構成と神々の追加

J

[原田

1

9

3

0

J

であった。彼は次のように述べている。 [引用

6

J

もと---..神々に関する伝承は,その氏族を異にするに従って自ら多少の 差異があり得るのであるが,それらの氏族の社会関係殊に政治関係によっ て,ーの統一ある物語と構成されるのが一般である…-かくして書紀本久〔文カ〕の如き主宰の神としての図常立尊が,そのも との役目を失って天常立尊や天御中主神に,その地位を譲らねばならなく なるのである。而してこれは人間思想の発展に伴って逐次に添加され,添 加されるに従って種々の異伝が生じたものと考「られるが,併しこれを古 事記に就いて見るとき,古事記はか、る意味でそれまで余旬統ーな〈発生 した種々の異伝の総てを綜合して.ーの統一ある神電盆丞』三盤底

L

主主主

2

と見ることが出来るのである[原因

1

9

3

0

:2

8

1

-

2

8

2

J

。 そして原因は,その上で次の表を示した。

6

この類似については,筆者(山田)も独立に指摘したことがある[山田

2

0

1

3

:2

7

4

-

2

7

5

J

(11)

1

開聞神話にみえる神々[原田

1

9

3

0

:2

8

2

-

2

8

3

(一部改変一山田

)

J

紀本文 第一 第ー 第ェ 時四 第五 m~、 古事記 主御中主格 高神克之御産御産県県中日神主日神神 高皇産盤移 阜神産量略 究官立格 字麻志向斯詞 可英米牙摩 可主主程牙彦 可読~牙躍 備比古遇神 D1略 田島与 田尊 王之常立神 国市立部 国常立尊 国常立格 国庇立J!ji 国常立尊 国r,'立~j 国常立毒事 国之常立神 国狭槌略 国狭槌尊 固執槌棒 国回目先相尊 盟信持滞路孝 盟国主尊 豊富野神 さて岡は,この原田論文を知っていたか明らかでないが.

1

9

3

5

年に書かれた 神話論への補遺

[

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Bo 1

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-

2

7

3

J

では,まず冒頭で

[

5

1

7)

五・ー・七より 最初の草稿を執筆して以来,すでに二年が経過した。この期間,私〔岡〕 は多くの補足・修正が必要だと思った。ことに「神話」の節については, 根本的に変えねばならない必要も生まれた。この部分を新たに書き直す には時間が足りないし,ことによるとそんなことは是が非でも必須でも ないと思われるので,私は古い草稿をそのままにしそこに示した資料 の助けも借りながら,次の補遣をまとめ,最新の私見を包括することと した

[

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:

1

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=

Bo 1

:

2

5

7

J

と述べた上で,次のように記す。これは原田説と全く合致している。 [引用8)五・ー・七・ーより 『古事記』には異伝がないので.

J

古事記

1

の伝承はふつう 『日本紀

1

本文および様々な異伝からの編纂集成物と見なされているのよって創世神 話にも. [日本紀

1

に集められた様々な伝承が神話として怖が踊るよう 人工的に結合されており.我々は三つの複合を得る。それらは, アメノミナカヌシ=タカミムスピ=カミムスピ複合

ウマシアシカピヒコジ=アメノトコタチ複合

-

1

6

7

(12)

岡 正 雄 に よ る 日 本 神 話 宗教諭

(

4

3

)

=

クニノトコタチからイザナギ・イザナミまでの神世七代複合 である

[

W

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:

1

3

9

4

~

Bo 1

2

:

6

0

J

。 なお大林太良『日本神話の起源j[1

9

6

1

J

は先行研究に言及することなく, 次のように同じ説を展開した。

[

5

I

9

1

・・世界の起源に関するような重要な問題について,なぜこんなにたく さんのいろいろな説があったのであろうか? これは,いろいろの家や氏 がそれぞれ別々の言い伝えをもっていたのを寄せ集めたからであろう。 もっとさかのぼって考えてみると,民族文化の混成のせいかも知れない。 ところが,この混沌としてクラゲのような材料を整理してみると,世界 の最初の神は,大体三つのグループにまとまってしまう[大林

1

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1

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。 表

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原初神は誰か

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[大林

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lアメノミナカヌシ

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紀l番4ノl伝,記 クニノトコタチ

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紀本文,

1

書1.

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伝 ウマシアシカピヒコジ │紀

l

2

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さらにまた,国文学では西郷信綱『古事記注釈

J[

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0

5

J

が,原田敏明『日 本古代宗教

J

所収の図表から改変した表を載せている。 表

3

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記紀神名比較

J

[西郷

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(一部改変一山田

)

J

古事記 瞥紀本文 一 合 ( 第 ) 一番(前ー) 一書(第ニ) -ß~( 措四) 一容(第五) 一世l(第六) 克之御中主 王御中主 高御産巣日 高皇~霊 神産品目 神阜睦霊 字勝志阿揃 可美空監牙彦 可聾l¥1'牙彦 夫常立 前例比古連 却 田 可美重苦牙唐 天之常立 車 国之官立 国常立 回常立 国?;¥" 国成立 国常立 国官立 国常立 回狭担 固侠槌 国狭槌 豊富野 盟僻滞 盟国主

(13)

4 神の垂直表象と水平表象:折口の髭寵論とまれびと論から 次に,少し時間をさかのぼってみよう。岡正雄が初めて書いた本格的な論文 は「異人その他

J

[岡

1

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2

8

J

である。そこでは「異人」のメルクマールが次の ように列挙された。 [~I 用 10) 1 )異人が幾度にか又季節を定めて訪来したこと。 2) 異人は先住民より 亡魂又は死者そのものと考へられたこと。 3) 異人は海の彼方から来るも のと信じられたこと。後には山中の叢林より来るとも信じられるに至った こと。 4) 異人は畏敬されつ、も平和的に款待されたこと。 5) 異人は食 物の饗応殊に初成物を受けたこと。 6) 異人は海岸地に住まずして山中の 叢林中に住みしこと。 7) 異人は dualorganizationの構成の原因となりし こと。 8) 異人が土民の女と結婚する必要のありしこと。 9) 異人とその 女との間に出来た子供が特殊な社会的宗教的性質を有せしこと。

1

0

)

異人 は入社式,男子集会所の起源をなした事。

1

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)

異人はその異人たることを 表徴する杖及び「音」を有せしこと。

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)

仮面が男女二つあること。女異 人が山中に住むといふ事。

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)

呉人が訓戒,悪事摘発をなし,豊作を粛し 又は驚きしめんことを任務としたこと。 14) 異人が季節殊に収穫季,冬至 に関係したこと。 15)異人は季節が来るとその出現を期待されたこと。

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)

異人若しくは神は常に村にとずまらないと信じられたこと。

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)

異人 の出現の際は女子,子供は閉居したこと。

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)

異人のタブーが財産の起源 となったこと。

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)

異人がフォークロア化して遊行歌舞団となったこと。

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)

遊行人は長装し,杖と音とを有し,饗応を強制し,或は綜奪を敢へて し得ること。

2

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)

遊行人が神話,神の系譜を語り,或は之を演伎〔ママ〕 で表現すること。多く季節と関係して。 22)遊行歌謡聞から伊達者 (man -woman)が発生したこと。 23)彼等は民間信仰に於ては,侮蔑されつ、も 亦高き階級に属すとされたこと[岡

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70 そして岡はこれらの項目を立てるにあたり •

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柳田先生の諸研究,折口先生 の『まれびと』の考説」から示唆を受けたと述べた[岡

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J

。ここで 7 番号を算用数字と1.-.

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J

を加え改行を省いた。 165

(14)

-岡正雄による日本神話・宗教諭 (45) の問題関心は,ウィーンで著した博士論文でさらに展開される。実際,岡自身 の著作で学位論文に引用されたのは,この一編のみなのだ。 それとともに,折口信夫「聾誌の話」および柳田国男「柱松考」に始まる接 持

.

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持論からも決定的な影響を受けている8。とくに折口の諸論考を集めた『古 代研究

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[折口

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]

が出版されたことの意義は絶大だった。岡はその博 士論文で,この大作曲、ら繰り返し引用しているのである。

[

5

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]

五・三・二・四・六「カミが降る高所」より 日本の宗教観念には,カミが地上へ天降るというものも属する。多くの 場合,この降臨は特定の場所と結びついているらしく,大抵は準えた場所, すなわち山岳や丘陵である。 『古事記』・『日本紀』はたとえば,ニニギノミコトは天神の命を受け. 筑紫の日向国,高千穂のクシフルの峰に降ったと報ずる

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。 紀伊国南牟婁郡の村々では.そこに杷られる苔品様・天王様

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覧様など の神々は いずれも高い峰の松の頂に降ると信じられているのこうした松 の小枝には,いわゆる切り掛け(図八三,すなわち神道で用いられ,アイ ヌのイナウに似た,薄い房付きの木製の供物)が掛けられ,こうした木々 自体が崇拝されている。 し.やま 古来,神社の祭紀にはいわゆる標山が用いられる。標山は「神が占める 柱の山」を意味する。それは,神々が天降る山のことである。よって祭犯 で用いられる件の標山は,神が天降るという観念に遡る。さらに崩れた形 では,祭百

E

で装飾に用いられる品主ゃだいがくなどがある。本来これらは, その上に標識として棒や柱が立てられた,標山の模倣物だったらしい。現 今,祭杷で用いられるこの種の物は,さまざまな観念と結びついており, 多様な装飾がなされている。 こうした標山として聖なる山を崇拝することは, 日本における山岳信仰 の一つの特色である

[

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]

。 8 両者の議論が確執をへながら展開された過程は,すでに明らかにきれている[岩 田

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-

3

8

J

(15)

今の引用では明示されないが,熊野の事例の典拠は折口である[1929-301 (1): 237-238J。そして日本古代の宗教観念についてのまとめは,次のように なっている。 [引用12]五・三・三・五より 以上, 日本古代における様々な宗教的観念を抽出しようと試みた。これ ら異なる宗教的観念は全て,相互影響と相互混請を示している。こうした 混靖と相互影響とは,歴史時代の初めから三・四世紀まで,統一的な宗教 すなわちいわゆる古神道の発展へ向かった。この事育から,そうした発展 の分析はきわめて難しい。よって,図式的分析は私には不可能であった。 とは言え私の研究に基づけば,四群の宗教観念すなわち カミ信仰 モノ 信仰 タマ信仰 マレピト信仰を区別できると思う。これら四つの異なる 宗教観念が,どれくらい異なる宗教団体圏に属したかは,別の機会に詳述 したいが,ここではただ,カミ信仰とマレピト信仰が互いに鋭〈灰別きれ 盆盟主主主ど」とだけ言っておこう。 カミ信仰の本質は 神が天にいますと想像し この神々が天から降下寸 る左信ずるところにあるのこの観念から 多数¢儀礼や宗教的行為が発展 した。この信仰に典剖的な現象は 柱や隼をめぐる儀礼であるn カミ信仰 は恐らく垂直的観念と称することがで告 マレピト信仰は水平的観合とし て対情される。後者は.時を安めて水平線の彼方の枇の固から訪れる神々 主主主盤金&1lとづ

c

この来訪を期待し歓迎する儀礼から さらにはこ の信仰による儀礼・儀式が様々に分化したのカミ信仰にはカミを「おぐ

J

(招き.呼ぶ)ことが属し マレピト信仰にはカミを「まつ

I

(待つ)こ とが属する。「まつり

i

の詩左「祭│はつまりーマレピト信仰に基づいて おりーこれに属するものであろ弓n 後述するよろに カミ信仰とその担い 主主旦主主ゑ者たちは 父権的要素を多く有していたのに対し マレピト 信仰は明らかに母格的要素を示す。カミ信仰に属する神話の中心に位置す る 太陽神タカミムスピは弱い形ではあるが宇布1'のメルクマーlレも示 しているの対してマレピト信仰に属する神話の辱場者たもは 恐らく族祖 と呼んでよかろ弓n この仮説が正しければ,私見ではイザナギ・イザナミ 神話も後者に加えてよかろう。琉球のアマミキヨ・シネリキヨ神話もこれ ー163

(16)

岡正雄による日本神話・宗教諭 (47) を支持する。 日本の祖先崇拝は,二つの宗教圏から発したものと思われるが,主とし てマレピト信仰に属する。恐らく,カミが特定時ないし一時的に天から降 下するという観念も,マレピト信仰からの影響に由来しよう。 カミ信仰は後に,マレピト信仰として日本に入った。日本における無数 に異なる宗教祭儀の多くは,マレピト信仰から発したものだ。カミ信仰に よる重層化は,表面的なものにすぎなかった。 日本の宗教内部におけるモノ信仰の位置づけは確定しがたいが,いずれ にせよタマ信仰と異なっていたのは確かである。私見では,モノ信仰はア ニミズム観念から発

L

,後にタマ信仰から影響された。日本にアニミズム が存したことは,疑いえない。カミ信仰が日本に侵入する以前から,すで にそれが広まっていたことも確かである。ただしモノ信仰とタマ信仰の聞 における文化史的関係は,確かめがたい。両者とも.もとは同ーの文化圏 に属したか,または二つの文化圏に属

L

,異なる時代に移入されたかした が,文化圏説の立場からは,本質上まったく異なるところはないと思う [Wi II:617-620= Bo 1: 485-487]

この垂直的カミ信仰と水平的マレピト信仰という着想は,戦後さらに展開さ れてゆく。すなわち1948年 5月,御茶の水の喫茶脂で閲かれた座談会「日本民 族=文化の源流と日本国家の形成」においては,岡は日本古代の宗教観念を(1) モまたはモノ信仰, (II)タマ信仰もふくめた4つに分類したうえで (III)マ レピト信仰と (IV) カミ信仰の相違について, [引用

1

3

1

白川の所謂マレピト信仰は 前に云ったように折口きんの業績を基礎 として考えたのです。即ち神,あるいは神か人聞か表象の明白でない存在, 死者,祖先,妖怪,霊魂等が時を定めて枇々の国,海の彼方.死者の国. 常世の国等から人間の世界,村を訪ねて来て,村人を寿ぎ,村人に迎え祭 られて帰って行く,という信仰で,この宗教的表象を考えて見ると,崇拝 の対象は非常に具体的であり,神か人か,表象の分離が明確でなく,死者 祖先の形に於て表象されていることが多い。これ等のものの聞が批々の

(17)

ホリゾンタ】ル 国その他彼岸 Jenseit[ママ〕と考えられ,その出現は水平的に考えられ ている。これに反し (IV) の信仰は,神は天上にあり,天上から人間界 へ降臨する時は,山の峰とか樹梢に降りてくる。神観念の表象は比較的純 ヴγーチカル 粋である。その人間界への出現が垂直的であることが前者と対照的である。 一応このような分類が可能として見ると,いろいろのことがこのこっの宗 教型にグルッピーレン出来ると思う。所謂古神道といわれているものが, 云って見れば,この二つの宗教形態の混合から成立しているとも思われる のです。 (IV) の形態では神の降臨場所が山上とか森とか樹梢とかであり, 神道における依代の観念,祭事に於ける樹木や樹枝の重要性等は元来はこ の形態に固有のものであったと考えられはしないか。従ってこの宗教形態 には,必ずしも神の居所としての神社は元来は存在しなかったのではない かと思われる。これに対し(II1)では神は Je即時〔ママ〕から旅をして 来る。そして神の姿を神 人間 妖怪の姿において表象し,神事化しては 仮面仮装の人々に来訪の神々の出現を表象する。(II1)には旅所,神社等 の神の居所が固有であったのではないかと考える。祖先崇拝にしても (IV) の場合では父系的,英雄神的傾向が強く, (m) では死者崇拝,母系的色 彩をもっ血縁的祖先崇拝の傾向が著しいと思う。まだいろいろ問題にする ことがあるのだが,とにかくこの二つの宗教形態を一応分析し得ると思う。 (IV) の形態が神話の所調高天原神話固と併行 L,(m) が母格的農業的 な文化図的色彩の濃厚なことも見出し得ると恩う[岡/八幡/江上/石田

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の岡発言]。 さらに

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年代,

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宗教の重層・混合性」について論じる中では,次のよう にかなり体系化された。

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仏教渡来以前に日本島に居住した人々によって信じられていた宗教を包 括して神道というならば,神道はまたいくつかの異系宗教形態の重層・混 合体としてみられる。 神出現の表象に,いちじるしく対照的な二つの型,すなわち,神の出現 色(ー)垂直的に表象するものと, (ニ)水平的に表象するものとの二つ ー

1

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1

(18)

岡正雄による日本神話・宗教論

(

4

9

)

の形態がある。(ー)の形態では,神は天上にあり,人間界への出現は降 臨の形をとり.山上・森・樹梢に降下してくるという垂直的表象である。 神観念は比較的純粋である。神道における依り代や招き代の観念,祭事に おける樹木・柱・樹枝の重要性は,この森や樹梢への神降下の信仰に基づ くものと考えられ,神の座所としての洞や神社は,元来はこの宗教形態に は固有のものではなかったと恩われるのである。これに対し(二)の形 態は,神は批の国あるいは地下界にあり,彼方・彼岸から村々に訪れてく るという水平的出現表象である。神を神ー祖霊ー妖怪の姿において表象し, 水平的出現に,旅をしてくる,あるいは訪れてくるという印象を伴なって いる。神事化しては仮面・仮装の人々に来訪出現の神々を表象する。この 信仰形態には神の居所としての旅所・洞・神社が固有であったのではない かと思う。祖先崇拝についても二型が考えられ, (ー)の天神信仰に基づ く祖先崇拝は,父系祖先的および英雄神的傾向が強<, (二)では.死者 崇拝・祖霊崇拝,特に母系祖先的色彩の強い血縁的祖先崇拝の傾向が著し い。(一)の垂直的表象に類似するものは,朝鮮半島から中央アジア・シ ベリアの諸民族に顕著に現われているのに対し, (二)の水平的表象,母 祖先崇拝・女神崇拝・霊魂崇拝などは,東南アジアおよびオセアニアの古 層文化にみられるところである。また仮面・仮装の異形の来訪者を祖先・ 祖霊とみる,いわゆる原始秘密結社的な宗教・社会的形態はメラネシアや ニュー=ギニアに分布している。ふつうに神道といわれるものも.かくの ごとく,少なくとも二つの宗教形態の重層・混合から成立しているのであ る[岡

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-

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8

J

。 以上のように,岡が論じた日本の神の垂直表象と水平表象,というアイデイ アは,もとをたどれば折口の霧鎚論とまれぴと論を発展させたものである。そ して前者は騎馬文化に伴って日本列島に入った可能性が今も批判的に検討され ており[白石ほか(編)

2

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4

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]

.

後者は来訪神や異人といったテーマへ と拡がっていった[福田ほか(編)

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(19)

5

結論 ここまで述べてきたように,岡正雄の日本神話研究は [cf.山田 2012:19 -21]. はじめ津田左右吉・津田敬武の大正リベラリズム的な史料批判の色が濃 かったが,後におそらく原田敏明のアイデイアを直接ないし間接に受容し,原 初神を三グループに分類した。この分類は戦後の民族学・国文学における日本 開聞神話研究にも受け継がれている。原田敏明の論文 [1930J が有していた先 駆性を再評価することも必要だろう。 他方で日本の宗教とりわけ神観念については,岡は折口信夫の欝鑑論とまれ ぴと論を基礎におきつつ,垂直表象と水平表象として体系的にとらえる道を聞 いた。このユニークな視点は今後さらに見なおしてよかろうと思われる。 ところが岡の博士論文については本人みずから,補遺・結論の巻 (WiV) 表紙に,次のように手書きで記している。 "Der Verfasser sagt ... zu schematisch ... frag1ichl ... fraglich ... Fragezeichen! Ok“a' 「筆者申す・・・・図式的すぎる…-疑わしい

1

.

.

.

“疑わしい…疑問符

l

岡」 このように,彼自身が限界を感じていたのも確かだろう。しかし 1930年代初頭 に,当時入手可能だった諸分野の資料を集大成し,統一的な幅広い視点から日 本古代の文化要素をいったん分解し,再構成しようとした試みとして,比類な いものと言えるのである。 付 記 本稿は初め2017年 9月16日,東京大学本郷キャンパスで聞かれた日本宗教学 会第76回学術大会において「岡正雄の日本神話・宗教研究」と題し口頭発表し たものである。『宗教研究J第91巻別冊 (2018年 3

月刊.

168-169頁)には要旨 が掲載されている。 引用文献 略号 Bo= Oka 2012, Wi = Oka 1933-35

(20)

-159-阿正雄による日本神話・宗教諭 (51)

• Florenz, K.rl.1919.. Kojiki oder "Geschichte der Begebenheiten im Altertum“

In: Die historischen Quellen derShinto-Religion. Aus dem Al

apanischenund Chinesischen ubersetzt und erklart von Dr.Karl Florenz. (Quellen der Religionsgeschichte; 7)・1-120.Gottingen: Vandenhoeck und Ruprecht

・一一一一一一 1919b.Nihongi oder ,,Japanische Annalen

In: Die historischen Quellen der Shinto-Religion. Aus dem Alりapanischenund Chinesischen ubersetzt und erklart von Dr. Karl Florenz. (Quellen der Religionsgeschichte; 7): 121-411. Gottingen: Vandenhoeck und Ruprecht ・福田アジオほか(編)2000

r

日本民俗大辞典』下,東京・古川弘文館 ・原因敏明 1925

r

[

書評1

r

神代史と宗教思想の発達』津田敬武氏著J

.

r

宗教研 究』新2(2)[22J: 328-332 ・一一一ーー 1930

r

閲閥神話の構成と神々の追加J

r

宗教研究j新7(3)[54J: 177 -198, (4) [55J・277【288. (のち『日本古代宗教j: 244-277 [東京 中央公論社, 1948年]さらに「日本古代宗教』増補改訂版:229-255 [東京:中央公論社, 1970年]に再録) • Hirschberg, Walter (Hrsg.) 1988. Neues Worterbuch der Volkerkunde. Berlin: Reimer. -石井研士 1985

r

原田敏明の宗教社会学.宗教と社会の一般理論を求めて」 田丸徳善(編)

r

日本の宗教学説jII: 214-230東京東京大学宗教学研究室 ・岩田重則 2003

r

墓の民俗学1東 京 音 川 弘 文 館 . ・クライナー,ヨーゼ7(編)20日「日本民族学の戦前と戦後:岡正雄と日本 民族学の草分け

J

東京:東京堂出版. ・大林太良 1961

r

日本神話の起源j (角川新書;151) 東 京 角 川 書 庖 (1973 年角川選書として増補再刊, 1990年徳間文庫として加筆・訂正のうえ再刊) ・一一一一 2006

r

岡正雄 一八九八 一九人二」今谷明/大演徹也/尾形勇 /樺山紘一(編)[20世紀の歴史家たち (5) 日本編続j (刀水歴史全書; 45) : 149-159.東京:刀水書房. ・岡正雄 1928

r

異人その他.古代経済史研究序説草案の控へJ

r

民族j3(6): 1069-1109. (のち『異人その他 日本民族=文化の源流と日本国家の形成j: 117-146 [東京:言叢社. 1979年 ] さ ら に 『 岡 正 雄 論 文 集 異 人 そ の 他 他 十二篤』岩波文庫,大林太良編・77-121 [東京岩波書庖. 1994年]に再録)

(21)

• Oka, Masao, 1933-35. Kulturschichtell iIlAlt-Japall, 6 Bde.DissertalIon Wien.

[

=

WiJ ・岡正雄 1956

I

日本民族文化の形成」斎藤忠(編)

r

縄文・弥生・古墳時代

J

(図説日本文化史大系,第 1巻) : 106-116.東京:小学館. (のち『異人その 他ー日本民族=文化の源流と日本国家の形成

J

:3-17 [東京:言叢杜, 1979年] さらに『岡正雄論文集 異人その他他十二篇』岩波文庫,大林太良編:

5

-41[東京:岩波書庖, 1994年]に再録) ・一一一ー 1979[異人その他ー日本民族=文化の源流と日本国家の形成j東京: 言叢社 ([岡正雄論文集ー異人その他他十二筒

J

岩波文庫,大林太良編[東 京:岩波書庖. 1994年])

Oka,Masao. 2012. Kulturschichtell ill Altイα'pall,2 Bde. Herausgegeben und mit einer Einleitung versehen von Josef Kreiner. (JapanArchiv. Schriftenreihe der Forschungsstelle Modernes Japan; Bd. 10). Bonn: Bier'sche Verlagsanstalt.[= BoJ ・岡正雄/八幡一郎/江上波夫はす談と討論)石田英一郎(司会) 1949

I

日本 民族=文化の源流と日本国家の形成

J

r

民族学研究

J

13(3): 207-277.(のち石 田英一郎/江上波夫/岡正雄/八幡一郎『日本民族の起源:対談と討論

J

[東 京 平凡社, 1958年]さらに江上波夫編『日本民族の源流』講談社学術文庫 1162[東京:講談社, 1995年

J

)

・折口信夫 1929-30

r

古代研究

J

全3巻,東京 大岡山書庖 (第 1部民俗学 編

1

2

,第

2

部国文学編) ・西郷信網 2005

r

古事記注釈』第

l

巻(ちくま学芸文庫)東京:筑摩書房 ・白石太一郎ほか(編) 2016

r

騎馬文化と古代のイノベーション

J

(発見・検 証日本の古代;1I)東京 KADOKAWA.

• Streck

Bernhard (Hrsg.) 2000. Warterbuch der Ethllologie, 2. und erweiterte Aufl. Wuppertal: Peter Hammer Verlag ・住谷一彦 1988

I

岡正雄日本における民族学の歴史の体現者」綾部恒雄(編) 『文化人類学群像 3 日本編

J

(学問の群像シリーズ) : 273-292京都 アカ デミア出版会. ・東海大学大学院日本史学友会(編) 1986

r

原田敏明先生追悼号j (湘南史学;

7

8

)

平塚・東海大学大学院日本史学友会.

(22)

-157-岡正雄による日本神話・宗教諭 -津田敬武

1

9

2

5

r

神代史と宗教思想の発達

J

東京'内外書房. ・津田左右吉

1

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2

4

r

神代史の研究

J

東 京 岩 波 書 庖 ・上田正昭(編)

1

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r

人 と 思 想 津 田 左 右 吉

J

東 京 三 一 番 房

(

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)

・山田仁史

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環太平洋の日本神話:一三0年の研究史」丸山顕徳(編)

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古 事記:環太平洋の日本神話j (アジア遊学;

1

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)

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.

束京:勉誠出版. ・一一一ー-

2

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r

オーストロネシアから見た出雲神話」三浦佑之(編)

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出雲 古事記,風土記,遜宮・・よみがえる神話世界j (現代思想,第

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号)

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東 京 青 土 社 ・一一一一一

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r

[

書 評JOka, Masao,“Kulturschichten in Alt-J apan唱 Bde.), herausgegeben und mit einer Einleitung versehen von Josef KreinerJ

r

文化人類 学j

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)

:

1

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・一一一一

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カール・フローレンツの比較神話論」石井正己(編)

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外国 人の発見したニッポン j (アジア遊学;

2

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)

:

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東 京 勉 誠 出 版

(23)

Masao Okas T

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Hitoshi Y AMADA

Masao Oka (1898-1982) was one of the pioneering ethnologists in Japan. His dissertation KultHrschichten in Alt-Japan (Cultural Layers in Ancient Japan) submitted at Vienna University had remained unpublished for years uotil it finally appeared as two volumes in Bonn eighty years after its submission. About half of the contents are concerned with Japanese mythology and religion, which 1 have translated. In the CQurse of translation 1 became aware of tWQ poin也 The日rstis the change of Ok出 views00 Japanese mythology.wh叩 hefinished the日目t three volumes of his dissertation in 1933, his discussion was deeply influenced by Sokichi Tsuda and Noritake Tsuda. Thus Oka employed such concepts as Kami-Kreis (divine cycle) and Mythenkreis(myth cycle), and paid attention to political intentions held by the compilers of Japanese mythology.百lisviewpoint had much in common with the liberal methodology developing in Taisho Era.

Itis noteworthy that Toshiaki Harada attempted for the日rsttime to classify出edeities in Japanese creation myth into th問egroups. Masao Oka adopted this idea in the appendix to

his dissertation in 1935 without mentioning Harada. The same idea was also represented after the Wor1d刊arII by Ta叩oObayashi (1961) and Nobutsuna Saigδ(2005). 1 sugg田tthat

one should reassess Haradas or甲nalcontr血 山onto the subj田t

The second point is Oka旨theoryon Japanese kami concept.In the 1910s Shinobu Orikuchi and Kunio Yanagita coined such terms as )'orishiroand ogishiroas media between the human and the divine. Of special significance was Orikuchi's Kodai Kenkyii(Studi田onthe Ancient

Time, 1929-30), which Oka repeatedly cites in his dissertation. Oka then proceeded to distinguish four re1igious concepts: kami, mono, tama and marebito, of which he sharply contrasted kami and marebito

According to Oka, the e田enceof kami lies in the idea that the kami resides in the sky and

descends from it.Thus it is a vertical idea, wh1ie marebito is児gardedas a horizontal one,

where deities visit Qur world regularly from the other world. Oka attributes also patriarchal elements to the formeれandmatriarchal elements to the latter complex. This juxtaposition of

vertical and horizontal divine representation was further elaborated in the postwar time Though altogether Oka's dissertation was restricted by available data at that time, it was a valuable synthesis of various disciplines and many culture traits found in Japanese history.

表 1 開聞神話にみえる神々[原田 1 9 3 0 :2 8 2 ‑ 2 8 3   (一部改変一山田 ) J 紀本文 第一 第ー 第ェ 時四 第五 m~、 古事記 主御中主格 高 神 克 之 御 産 御 産 県 県 中 日 神 主 日 神神 高皇産盤移 阜神産量略 究官立格 字麻志向斯詞 可英米牙摩 可主主程牙彦 可読~牙躍 備比古遇神 D 1 略 田 島 与 田尊 王之常立神 国市立部 国常立尊 国常立格 国庇立J!ji 国常立尊 国r,'立~j 国常立毒事 国之常立神 国狭槌略 国狭槌尊 固執槌棒 国

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