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J.スチュアートと国家破産
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は じ め に イギリス公債史についての古典的著作をあらわしたE.L.ハーグリーブズ は,18世紀中葉から後半を国家破産に関する叙述がくりかえし表明された時期 として特徴づけている。そして国家破産の恐れを先駆的に表明した人物として D.ヒュームに注目し,他方,ヒューム的見解への反論として公債への楽観論 と国家破産がおこりえないことを主張した人物としてA.フックをあげてい わ る。このような国家破産をめく・る議論は,ハーグリーブズがいうように「7年 戦争とアメリカ独立戦争が完全な償還をほとんど不可能であるかのように思わ せるのみならず,国家破産(public bankruptcy)の恐れを生みだす程度にまで の公債元本を増大させた」という事実を背景にしているが,更にその事実は本源 的蓄積を推進してきた重商主義政策の矛盾を反映するものであった。したがっ て,国家破産をめぐる議論は,本源的蓄積の積拝としての公債をどのように評 価するかということのみならず,それによって生じた矛盾をどう考え,いかな る階層の利害のもとにいかなる階層を犠牲にして未来社会を展望するのかとい う内容をもつものであり,その理論の階級的立場を如実にあらわすものであっ たと言えよう。 すでに別稿で検討したように,国家破産論の先駆者といわれるD.ヒューム は,公債の累積を,アートとインダストリの危機,法の支配;自由の危機,勢︶︶︶
12りρ
E. L. Hargreaves, The National Debt, 1930, London, p. 15, Ibid., pp. 60, 78−79. Jbid., p. 60,26 力均衡の危機といういわば三層の危機をもたらすものと認識し,国家破産によ る公債の廃棄によって,重商主義政策の担い手である公債所有者=金融業者 (moneyed interst)を犠牲にし,そのもとでアートとインダストリの拡大によ る近代的生産力の展開と,その前提としての法の支配=自由と勢力均衡の世界 4) とを展望したのであった。したがって,国家破産をめぐるヒュームの所説は, 本源的蓄積の諸政策を姪楷に感じはじめた初期産業資本の立場を如実に反映し ているといえよう。 さて本稿でとりあげるのは,重商主義の理論家であり,小林昇氏の適切な表 らう 現にしたがえば「原始蓄積の一般理論」をうちたてた,サー・ジェイムズ・ス 6) テユアート(Sir James Steuart,1713−80)の主著『経済学原理』における国 家破産に関する所説である。『原理』において国家破産の問題は,第4篇第4 部門公信用について」の第9章「破産について」(Of Bankruptcies)の中で 詳細にあっかわれているが,国家破産については全巻冒頭の序文からすでに問 題とな:っているし,第4部「公信用について」の各章でもたえずふれられてい る。この点では,ヒェームより,更には後に検討を加えるA.スミスより,は るかに詳細に国家破産の問題をとりあつかったのがスチュアートであった。 4)拙稿,「D.ヒュームと国家破産」『経済論叢』第128巻第1・2号,1981年7・8月。 5)小林昇『J.スチュアート研究,小林昇経済学史著作集V』未来社,1977年,455ペ ージ。 6) Sir James Stetiart, An lngairbl into the PrineipJes of’Political Economy: being an Essay on the Science of Domestic Policy in Free Nations. ln which are consi− dered Population, Agriculture, Trade, Jndustry, Money, Coin, interest, Circulation, Banks, Exchange, Publie Credit, and Taxes,2vols.,1st ed., London,1767.なお本 稿において使用するテキストは,初版に著者自身が手を加えた著作集版(The VVorfes, Politicag, Metaphisicag, and Chronological, of the late Sir Ja7nes Steuart of Coltness, Bart.2>伽ガr5オcollected bツGeneraJ Sir James Steuart, Bart. his SOn, from his Farther’s Corrected Copies. To which are subj’oined Anecdotes of the Author, 6 vols., London,1805)である。邦訳は,著作出版を定本にし,現在第1篇および第2編第23 章まで刊行されている,加藤一夫訳『経済学原理』(1)(2),東大出版会,1980,1981年 を参照した。なお該当箇所は本文中に(1,p,154,訳(1)220ページ)(IV, p.362) のように記すことにする。
J.スチュアートと国家破産 27 ところでドイツ財政学における国家破産論研究の中でスチュアートはどのよ うに評価されてきたのであろうか。この点では今世紀初頭のC.A,フィッシャ ーが最も詳細にスチュアートをあつかっている。彼はスミス以前にあっては, ヒュームとスチュアートが「国家破産の理論問題を独自にかなり綿密にとりあ り っかっている」という。そしてヒュームの国家破産についての所説が同時代に 大きな論争をまきおこしたことを述べ,ヒュームの所説への反対者としてステ ユアートの検討に入るのであった。フィッシャーはスチュアートの国家破産に ついての叙述を次のように特門づける。 第一には,国家破産という用語は,外国人の公債所有者に対しての債務不履 行として用いることができるが,理論上は国内の公債所有者をこは用いることが できないということである。スチュアートによれば,どれほど巨額の公債であ れ,それが国内にとどまる場合には,租税を含む可能なかぎりの国家収入を動 員して利払を行うことができるし,もし国の全所得が公債所有者の手にもたら される場合には,全租税が今度は公債所有者に課されることになり,かかる過 程がくりかえされるという。すなわち「国民は,外国に多大の債務を負ってい るのでないかぎり,国内の信用の助けを借りて破産に陥る必要はないのであ のり,総じて真の破産はおこりえない」のである。 第二には,国家破産の影響についての分析を行いこれを利益にならぬものと している点である。これについてフィッシャーは「スチュアートのより広い考 10) 察は,外国人に対する国家破産にかかわっている」ことに着目する。他方,自 国民が所有する公債について,スチュアートは国家破産という用語を用いるこ とは理論的に矛盾するとのべつつも,現実には破産がおこりうることを認め, 7) Carl August Fischer, Vo”z Staatsbankrott, 2. Aufl,, Karlsruhe, 1922, S. 17. 8) フィッシャーはヒュームの公債と国家破産の所説への批判者としてスチュアートと 共に,ピントー(1.Pinto, Tγα擁54θla circulation et du cr6dit, Amsterdam,1771) と,ストルエンゼ(K.A. v. Struensee, Abhandlungen磁θr wichtige Gegenstbnde der Stαatswirtschaft, Berlin,1800)とをとりあげている(lbid., S.19)。 9) lbid., S, 20. 10) Jbid., S. 21.
その分類に注目する。すなわち,全般的な破産(利子および元本の完全な債務 不履行)と部分的な破産(利子および元本の部分的な債務不履行),やむを得 ぬ状態の結果としての破産と計画的な行動としての破産の二つの分類である。 第三には,国家破産を回避するために,とりわけ対外的な破産を回避するた めに,スチュアートが減債基金の設定と共に,国際収支の良好さを保ちつつ, 外債の削減に重点をおいていることである。 以上のフィッシャーの特徴づけは,スチュアート国家破産論の一面を確かに 適確にいいあらわしているといえよう。また他の論者にあっても,スチュアー トが国家破産を有用なものであるとはみなさかったこと,および,理論上の問 題としては,対外的な破産はみとめつつも,国内に対する破産は生じえぬと主 ユ 棄したことは,共通して指摘されてきたところであった。 しかし,国家破産をめぐるスチュアートの所説の検討を行う場合,フィッシ ャーのように単に国家破産への態度や国家破産の分類をどのように行っている かをみるだけでは十分とはいえない。我々は更に立ち入って,スチュアートの 公債に対する評価,国家破産を害悪とみなした彼の経済認識国家破産回避策 としての公債管理政策は,いかなる階層の利害への配慮のもとにおこなわれ, どのような経済体制を展望するものであったのかに分析のメスを入れなければ ならない。そうすることによってこそ,スチュアートの国家破産論と,それをめ ぐる議論の中にあらわれた彼の理論の特質を解明することができるであろう。 そしてそのことは,フィッシャーが述べる国家破産をめぐってのヒュームを起 点とすみ「一連の論争」におけるスチュアートの位置を明らかにするであろう。 まず,スチュアートの公債に対する評価から検討をはじめよう。 工 スチュアートは『原理』第1篇第2章「国民の精神について」の中で公債制 度の確立と近代社会成立との関係について興味深い叙述を行っている。 11) Alfred Manes, Staatsbankrotte−Wirtschaftliche und rechtliche Betrachtungen一, Berlin, 3. Aufl., 1922, S. 115一一116.
J.スチュアートと国家破産 29 「ヨーロッパの事情は,ここ三世紀の間に大きく変化した。それをもたらし たのはアメリカやインドの発見,インダストリと学問の勃興,トレイドと奢修 的な技芸の導入,公信用制度の確立,それに広範な租税体系の成立である。そ してこの変化がいたるところで政治の方式を全面的に変えてしまったのであ る。 それは封建的で軍事的なものから,自由で商業的なものになった。」(1[,p. 13,訳(1)43ページ) 更に第1篇の要約をおこなっている第21章の当該の箇所では次のようにのべ られている。 「封建的な政治形態の崩壊によってヨーロッパにもたらされた市民的ならび に国内的な自由はトレイドとインダストリを起したが,これらは富と信用を生 みだし,それらはまた公債と租税を生み出し,そしてこれらすべてがあいとも に政治経済のまったく新しい体系を確立した。」(1,pp.200−201,訳(1)277 ページ) これらの叙述は,Hsグロスマン以来,スチュアートにおける進化論的ある いは歴史的アプローチを典型的に示すものとしてたびたび引用されてきた周知 ユ のセンテンスである。スチュアートはここにおいて社会発展の原動力を経済的 諸要因にもとめているのであるが,我々は公債制度の確立を「自由で商業的 な」近代社会形成の結果であり同時に原因でもあると彼が把握していることに 注目しておこう。すなわちスチュアートにおいて,公債は近代社会の形成にと もなって成立してきたという発生史的認識と,他方そのように成立してきた公 債が「政治経済のまったく新しい体系」の確立に寄与し,近代社会の発展を促 進してきたという認識との両面が把握されている点についてである。 しかしこの場合留意しておかねばならないことは,スチュアートのいう「自 !2) Henryk Grossman, The Evolutionist Revolt against Classical Economics, in The Journal of Political Economy, vol. LI,!943, p.507;S. R. Sen, The Economzcs of Sir Jαη昭5 Steuart, London,!957, pp.20−21;R. L Meek, Economics and Jdeolog:y and Other Essaンs−Studies in the DevelOPment of ECOnomic Thought一, London, /967,時永淑訳『経済学とイデオロギー」法政大学出版局,1969年,16−17ページ。
30 由で商業的な」近代社会の含意するところであろう。r原理』は,封建的束縛 をのがれた自由な農…民(farmers)を社会の前提にして,農工分離が促進される 過程として近代社会の発展をとらえる。すなわち独立小生産者のモデルでの農 工分離であり,この点においてスチュアートはヒュームの『政治論集』の世界 ユヨラ を受けつぐ。しかし他方,「自由な精神は優れた政体を作り上げることができる し,また自由な精神が同じ政体をばらばらに解体しうる」(工,p.179,訳(1)250 ページ)という認識が示すように,自由な近代社会は不安定な社会であり,そ こには絶えず為政者(statesman)の介入が必要であるとスチュアートは考え る。そして,彼が「生まれながらの為政者」として高く評価するのが,コル ベール,ロー,ウォルポールという英仏両国の重商主義政策の典型的な担当者 であったのである(1,p.88,訳(1)137ページ)。スチュアートは,農工分離・ 商品経済の発展を,すなわちジ本源的蓄積の諸過程を,政治経済学の諸法則を ふまえた為政者の絶えざる介入によって推進してゆこうとするのである。更に 近代社会の画期としては市民革命の意義が見おと一ざれ,もっぱら経済的諸変革 にその力点がおかれる。これらの点から明らかなように,スチュアートのいう 近代社会とは,大陸の絶対主義諸国を含み,本源的蓄積過程にある過渡期社会 14) に他ならないのである。 したがって,スチュアートの公債についての歴史認識を,同じく公債を近代 の産物としながらも,近代的生産力の把握を基礎に「自由政体の堕落の源泉」 とみなしたヒューム,更に資本蓄積の立場から公債を資本の収入への転化とし て批判したスミスと対比する場合,その理論の歴史的意i義のちがいを忘れては ならない。すなわち,スチュアートの意図する所は本源的蓄積の推進による 「近代社会」の発展であったのに対し,ヒュームにあっては,本源的蓄積の諸 政策の解体が,スミスにあってはその解体の上に資本制蓄積が展望されていた 13)小林昇,前掲書:,38ページ。 14)大森郁夫「ジェイムズ・スチュアートにおける『国民の精神』について」『早稲田 商学』第274・275合併号,1978年,99−101ページ,参照。
J.スチュアートと国家破産 31 ユ5) のである。 以上の点を確認した上で,公債を近代社会形成の結果でありかつ原因である とみなしたスチュアートの公債の評価についての検討に入ろう。 まず,近代社会の形成過程の中でいかにして公債が生みだされてきたとステー ユアートは考えているのだろうか。この点については,すでに木村元一氏が 「近代的公債の発生に関するスミスの議論がスチュアートから影響されてい ユの る」として,その先駆性を高く評価したところであった。それは,第4篇第4 部の第2章「公信用の発生と進歩について」および第3章「先借り,すなわち 元本償還と利払のために税を割り当て貨幣を借り入れること,およびこの問題 についてのダブナント氏の見解について」の中で主としてのべられている。ス チュアートによれば,公的費用が財宝や強奪によってまかなわれている間は公 信用は知られずまた存在しえない。インダストリや流通が存在していない所で は信用そのものが必要ではない。トレイドとインダストリの展開と,それによ る信用制度の発展こそが公信用の起源である。スチュアートは,ヴェニスやジ ェノアやハンザの諸都市を分析し,公信用の起源をあとづける。 公信用の第一の段階は,土地を担保にして借り入れるというやり方である。 15) ステヅトナーは,同時代人の中ではスチュアートのみが,公債の経済的・社会的役 割を正しく認識し,ヒュームやスミスは公債を恐れ,その現実に近づくことができな かったと評価する(W.F. Stettner, Sir James Steuart on the Public Debt, in The guarterly Journαl of Economics, voL LIX,!945, p.452)。しかし両者の理論の歴史 的役割の差異を見失なってはいけない。 更に,この点にかかわってあらかじめ注目しておくべきことは,スチュアートが公 債論を展開する際批判的にとりあげるのは,主として半世紀前のトーリー・ブリ 一・トレイダーの一人であるC.ダブナントでありヒュームではないことである。第 1篇の人口論においてヒューム・ウォーレス論争をとりあつかうにあたっては,近代 社会の本質という点においてヒュームの立場を継承し,第2篇の貨幣・貿易論におい ては重商主義の立場からヒュームの所説を徹底的に批判したスチュアートが,公債に 関して対立的立場に立つヒュームの所説にまったく言及していないのである。 16)木村元一「ジュームス・スチュアートとその財政論 その一」『一橋論叢』第25巻 第3号,1951年3月,20ページ。
32 この場合国王は,私的信用(private credit)の諸原則にもとづいて行動するの である。 第二の段階は,「元本と利子の返済のために,貸し手に税金の一部門を割り あて,資金を調達することである。」(IV, p.8)しかしこの方法は多くの乱用 と抑圧とをもたらすことになった。したがって租税は当該公債の償還と共に廃 止されるものであり,短期に元本を償還する借り入れが望ましくなる。それは 17世紀末までイギリスで行われてきたやり方であり,ダブナントの見解はまさ にこの段階にあてはまるものであるが,現在の状況にはあてはまらないとのべ るのであった。 第三のそして現在の段階は, 「貨幣が有金年金か永久年金という形で借り入 れられ,この目的のために基金が設定され,元本の償還は多くの場合,債権者 が選択するのではなく政府の選択にまかせられているのである。」(IV, p.8) そしてスチュアートは第二段階と現段階との相違の原因を,信用制度の発見に 伴う「流通の状態の違いと貨幣量の増大のおかげで今日生じている便宜」(IV, p.365)にもとめているのである。 このようにスチュアートは,トレイドとインダストリの展開と,そこから生 ずる信用制度に公信用の起源を求め,更に公信用制度そのものの発展を,信用 制度の確立に伴う流通貨幣量の増大に注目してあとづけているのである。 以上のような公債についての発生史的認識とともに,スチュアートは,公債 を近代社会発展の「強力なエンジン」(IV, p.7)であるとみなしている。その 点の検討に入ろう。 「公債は,市民から借りられたものであるとすれば,総じて負担であるとい うよりはむしろ有益である。公債は諸個人の間に,新たな流通の一部門を作り だす。」(IV, p 362) 「スチュアートの財政理論は,彼の流通の理論と緊密にむすびついており, ヱわ 本質的にはそこから導きだされる」とはセンの言であるが,公債が「新たな流 !7) Sen, oP. cit., p. 106.
J.スチュアートと国家破産 33 通の一部門」を創りだすことは,スチュアートが公債の経済的機能を評価する 第一の点である。では何故に,公債による流通の拡大は有利と考えられたので あろうか。その点を明らかにするために『原理』の基本構成をふりかえり,セ ンの言う「流通の理論」の内容を概括しておこう。 前述したようにr原理』は,農工分離に伴う商品経済の発展として近代社会 の形成を把握する。スチュアートによればこの過程を促進する鍵は社会的剰余 (superfluitles)に対する,等価物としての貨幣をもつものの需要,すなわち 有効需要(effectual demand)の存在であるという。そして近代社会の不安定 性を認識するスチュアートは,かかる有効需要が為政者のたえざる努力によっ て確保され,「仕事と需要のバランス」を通し,生産者に就業(erllployment) がもたらされると考える。しかも有効需要としてスチュアートが主として注目 するのは,大衆のそれではなく,富者(地主と貨幣所有者)の奢修であった。し たがって為政者は,富者の貨幣の退蔵を防ぎ,またあらゆる手段を用いて流通 に貨幣をみたし,それによって有効需要を確保しなければならない。そのため には,まず貿易差額のプラスの確保が重要であり,更には鋳貨の不足を補う信 ユ ラ 用制度を活用することが必要である。スチュアートは信用制度として,私的信 用,商業信用,公信用をあとづける。そして公信用を論ずる前において, 「私 的信用にもとつく流通の銀行」としての土地銀行に詳細な検討を加える。それ は,土地を担保にして紙幣を発行し,地主の奢忍男消費を拡大するという構想 ユの をもつものであった。 公信用もまた信用制度の一展開として,流通を拡大するものとしてまずは把 握されていたのであった。 「公信用は経済の流れをよどみなくし,トレイドと インダストリのために資金を供給するという重要な機能において,私的信用に ヨの 対する強力な補完罪なのである。」 このように,公債は国内にとどまるかぎり 18) 小林昇,前掲書,43−45ページ,参照。 19) スチュアートの信用論1こついては,川島信義『スチュアート研究』未来社,1972 年,第6章,第7章を参照。 20) Sen, oP. cit., p 108.
34 は流通を拡大し,有効需要を生みだし,就業を確保し,それによって近代社会 の発展に寄与すると認識されていたのである。 では,流通の拡大という機能をもつ公債は,社会的にはどのような影響を与 えるとスチュアートは考えるのであろうか。 「公債の増大の結果は,それに対応して私有財産からの租税の増大をひきお こす。この結果はまた富のバランスの振動をもたらすことになる。これは貨幣 所有者(monied interest)を創出し,彼らは公債が増大するにつれてふくれあ がり,国全体の所得が名目上の財産所有者から公債所有者の手に移される程に まで増大するであろう。」(IV, p.363) このように公債が富のバランスの振動をもたらし,それは貨幣所有者の手に 国の富を移転することになる。かかる過程は,トレイドの利害が支配的な国で は不利益ではないとスチュアートは考える(IV, p.4)。というのは「国民の精 神」がそれをうけ入れ,更には富のバランスの振動そのものが有効需要をも たらすからである。更に,公債の増大によって公債所有者に一国の収入がすべ て集中すれば,今度は彼ら公債所有者に税が課され,富のバランスの振動がく りかえされるとのべる。このような公信用を媒介とした富のバランスの振動 は,土地銀行による地主の土地の溶解(melt down)を通しての地主の貨幣所 お 有者化を一層促進し,他方,貨幣所有者的資質をもった地主を生みだすことに なる。 彼は次のようにのべる。「このことは,以前は貨幣所有者であったものを新 たな地主に転化させ,地主の大部分に貨幣所有者と類似した感情をふきこまな いだろうか。」(IV, p.121) 更に,「公信用の確立は,国民の二大階級の間に相互の親密な感情をつくり だし,それによって両者の間のバランスを維持するという著しい傾向がある。 貨幣所有者は地主の繁栄を促進しようと望み,地主は信用が確固としているこ とを望む。そして両者の福利は,トレイドとインダストリの成功に依存してい 21)小林昇,前掲書,50ページ,参照。
J.スチュアートと国家破産 35 るのである。」(IV, p・123) 公債制度の確立による地主と貨幣所有者の緊密な関係の樹立というスチュア ートの主張は,地主の貨幣所有者化を,貨幣所有者的資質をもった地主の創出を 展望するものに他な:らなかったのである。そして,スチュアートがここでのべ る貨幣所有者(monied interst, moneyed interest, monied men)とは,富のバ ランスの振動という用語が如実に示すように,資本の蓄積の可能性をもたず, 前期的性格を脱却しえぬ金融業者,大商人,その他の貨幣所有者なのであった。 以.とのべてぎたような経済的かつ社会的機能をもつ公債に対して,国家破産 という行為はどのような結果をもたらすことになるのだろうか。 『原理』冒頭の序文の中で,スチュアートは,すでに国家破産の問題につい て関心を示している。彼は諸原理の解明にもとづいて社会の多くの重要な問題 に検討を加えるべぎであるとし,その一つとして,公債の累積と国家破産との 関係をとりあげる。すなわち「公債の増加はどの程度までわれわれを全般的な 破産に巻き込むにいたるか」(1,p. XIX,訳(1)19ページ)である。第4篇第 4部「公信用について」に入ると,第1章より国家破産に対して並々ならぬ関 心が示され,第9章「破産について」の中で詳細な検討が加えられるのである。 スチュアートは,公的債務の不履行としての国家破産を論ずる基本姿勢を次 のようにのべている。 「私は,国家破産(public bankruptcy)の計画が国家によって自発的に行わ れる場合に,それが合法的だとか,名誉あるものだとか,好都合だとかいうこ とを明らかにしょうとして議論をすすめるつもりはない。というのは国家破産 がよき統治のあらゆる原則にまったく反するものであると考えるからである。」 (N, p. 136) では何故に,国家破産は「よき統治」にまったく反するのであろうか。ステ ユァートはまず,一般論として当事者どうしで結ぼれた契約の遵守はくつがえ しえない原則であることを確認しつつも,国家破産が実際にどのような悪しき
36 結果をもたらすことになるかに叙述の力点をおく。彼は国家破産を (1)避け がたい状態の結果としての破産と,(2)政府の熟慮された行為としての破産と に分類している。国家破産の結果生ずる害悪を強調するのは,品々にして「公 共の利益(public good)」が超法規的原則として,熟慮された行為としての破 産を合理化しがちであるからである。スチュアートは,国家破産から生ずる害 悪を明示することによって,やむを得ぬ状態の結果としての破産を回避し,他 方,熟慮された行為としての破産によって不都合をさけうるという馬鹿げた考 えを払拭させようとするのである。 国家破産がおこりうるのは次の場合であるという。第一には,インダストリ とトレイドが衰退し,その結果税収が減少して,公債の利払を行ったり,政府 の費用をまかなったりできなくなる場合である。第二には,国民が税の支払に 対して反抗の精神を示す場合である。この場合いかなる事態がおこるのであろ うか。 「第一には,すべての公債所有者は,彼の所得の減少に応じて貧しくなるで あろう。 第二には,消費と仕事に対する需要とが,公債所有者が毎年このために費し てぎた所得がさしひかえられるに応じて減少するであろう。 第三には,トレイドは,これまで公債所有老によって毎年投じられてきた上 述の所得の減少に応じて,直接に損害をうけようし,結局は破産の結果から私 的信用にもたらされる傷によって損害をうけることになろう。 公債所有者はすべてを失い,イングランドのトレイドは行われなくなり,一 方ならびに他方からのインダストリへの需要によって生計をたてている多数の 人々が貧困へとおとし入れられるであろう。」(】:V,pp.137−138) このように国家破産によって生ずるのは,公信用の破壊,公債所有者の没落 にとどまらず,公信用によって担われてきた需要をなくし,流通を停止させ, そのことはトレイドとインダストリの破滅となって,国民の大多数を貧困にお とし入れることになるのであった。 更に国家破産は,公債の基金として発展してきた租税の廃止という事態をま
」.スチュアートと国家破産 37 ねき,それが公債の破棄と共に重大な害悪をもたらすことになるという。 「破産の結果としての租税の突然の廃止は,抵当つきの債権者と怠惰な人間 以外のどの集団に対しても利益とはならないであろう。地主にとっては,彼ら の所得は現在の地租額以上に減少するであろう。少くとも土地の改善が妨げら れ,地代が不十分にしか支払われなくなるであろう。製造業者にとっても利益 ではない。というのは現在彼らは税を支払ってはいないのだから。……貨幣所 有者,彼らの財産は土地にもとづいているのではないので,消滅することにな ろう。そして,トレイドと信用はおしまいとなろう。その際利益をうるのは, 土地にもとつく貨幣を所有している人に限定されよう。このような状況では, 利子はあらゆる制限をこえて増大し,以前はささいなものとみなされていた債 務が財産を奪いさるであろう。……慈善によってささえられてきた貧民は苦し み,公共作業場や病院における労働のための施設はすべて崩壊してしまうであ ろう。…… 一言でいえば,全般的な破産と税の廃止とは,税も公債も知られなかった状 態へこの国をひぎもどすことになろう。」(IV, pp.140−141) スチュアートは,租税を公債の利払基金であると共に,流通の拡大に寄与 ヨ し,遊休貨幣を有効需要に転化するものと考えていた。すなわち「イングラン ドのトレイドを活性化しているのは租税からの貨幣の大きな流れなのである。」 (W,p.142)国家破産はかかる機能をもつ租税を廃止することにより,租税か らの大きな流通,それによる有効需要をなくし,トレイドやインダストリに多 大の害悪を及ぼすことになる。 以上のように,スチュアートにとって国家破産は,公債と税の廃止をもたら し,両者はともに流通を止め,有効需要を縮少させ,トレイドとインダストリ を破滅においやるものとしてとらえられているのである。国家破産から生ずる 害悪についてスチュアートは簡潔にこうのべる。「破産から生ずるすべての不 22)スチュアートの租税論については,木村元一「重商主義租税論の一体系一ジェーム ズ・スチュアートとその財政論 そのニー」『一橋論叢』第31巻第4号.1954年4月, 大川政三「重商主義における消費税の諸根拠一ジェームズ・スチュアートの所論を中 心として一」『茨木大学文理学部紀要(社会科学)』第9号.!959年2月,参照。
都合の中で最大のものは,インダストリの破滅であり,流通の停止である。」 (IV, p. 147) さて,これまでの所では,考察は国内の問題に限定されてきた。スチュアー トは考察を更に,公債が外国人に所有されている場合に広げる。 「長期のそして費用のかかる戦争を遂行しつづけることによって外国人に支 払われる利払額が,トレイドによってその国が得られる総額を超過する場合を 考えてみよう。この場合,支払の総バランスは毎年不利となり,ただちにその ことは最も致命的な結果となってあらわれるであろう。 イングランド銀行がまずそのことを鋳貨および貴金属の喪失によって気づく であろう。次にトレイドがそれに気づき,そうして一般的となる。 そのような場合に,私は破産を避けるどんな手段をも見いだしえないことを 正当に認める。」(IV, pp.143−144) このようにスチュアートは,外債によって外国にもたらされる利払額が,貿 易差額との対比において全体としてその国にとって不利益となる場合には,国 家破産による外債の破棄もやむを得ないことを,原則として認めることにやぶ さかではない。このことを彼は,内債であるかぎり,国家破産という用語法は 矛盾を含むということとの対比で次のようにも述べるのであった。 「一国の公債が,その国の臣民に負っているのであるかぎり,そしてその国 にとって良好な貿易差額が維持されているかぎり,公債の増大が必然的に破産 につながるということはありえない。一国民が自らに対して破産しうると想定 することは一つの矛盾である。しかし一国と世界との間の支払の一般的状態に おいて,年々の差額が支払超過となり,それが支払か信用かによって補填され なければ,その際には破産が不可避である。」(IV, p.375) しかし,スチュアートが国内に対する破産という矛盾した用語法に比べて, 外国に対する破産という表現が合理的であるとみなしているからといって,そ れを利益のあるものとして賞賛しているのでは決してない。彼は次のようにの べる。 「ある国が隣国すべてに対しての裏切りの計画をまぎれもなく行って,トレ
J.スチュアートと国家破産 39 イドの面で依然として隣国と友好を維持できると想定できょうか。そんなこと はありえないのである。すべての外国貿易が直ちに停止するとすれば,何と大 きな変動が生じようか。外国貿易からの流通は,ロンドンという町だけでもお そらく全租税額をうわまわることになる。このような流通の停止は停滞をもた らし,国を破滅させるであろう。」(IV, p.147) 外国に対する国家破産,すなわち外債の破棄は,外国貿易の喪失をもたら し,それは国内においては流通の突然の停止と,インダストリの破滅をもたら す,スチュアートはこのように考えるのであった。彼は,以上の国家破産につ いての考察を総括して,第9章の最後のパラグラフを次の文章でしめくくるの である。 「私は,国家の信用(public faith)を公然と侵害することによっては何もの も得られないことを十分に明白にしてきたと考える。したがって,国民がとり うべき最良の解決策は,国家の信用を最後まで固く守り,それに矛盾するであ ろうあらゆる考えを追放することである。」(W,p,148) では,国家破産という致命的手段をとらず,公債を近代社会発展の「強力な エンジン」として活用しつづけるためにはいかなる方策が必要とされるのであ ろうかQ スチュアートは,第4部第1章の結論の一つとして次のようにのべている。 「体系的借入れ計画(systematical plan of borrowing)なしに,自然の諸原 因がその効果を表わすままにしておかれるとすれぽ,その結果は破産であろう し,少くともしばらくの聞は公信用の全面的崩壊であろう。」(IV, p.4) このように為政者による体系的借入れ計画がなければ国家破産に陥るという 立場にスチュアートは立つのである。では,国家破産回避の体系的借入れ計画 =公債管理政策としてスチュアートはどのようなことを考えていたのだろう か。 まず,為政者は公債制度を樹立する際には,次の点に注視する必要がある。
40 「公信用制度を確立するに際して,為政者が注意しておくべき第一の対象 は,国家の制度および国内状況からみて,国の収入を貨幣所有者(moneyed interest)の手にどの程度もたらすことが便宜であるのかを計算しておくこと である。まさにこのことが,為政者が最も熟慮しておくべき重要点なのであ る。というのは,この点に公信用の強さがかかっているからである。」(IV, p.3) スチュアートによれば,国の利益が正しく考えられるとすれば,トレイドの 利害が支配的となり,したがって貨幣所有者を大きくすることは不都合ではな い。しかし君主国においては,地主が最も支配的階級であるべきだから,貨幣 所有者を地主に対立する勢力にすることは危険であるという。したがって有期 年金による短期の借入れに限定しておくべきなのである。すなわち,政体のち がいおよび「国民の精神」にあらかじめ注意しておかねばならないというので ある。このことを前提にした上で,体系的な:公債管理策として次の諸点をあげ ている。 「公債を発行する場合第一に必要なことは,公的とりきめを履行する基金を 設定することである。これは貸し手の信頼を獲得することになろう。次に必要 なことは,国内における信用の広範な計画を確立することである。それによっ て常に流通を満たしておくことができよう。」(IV, p.375) まず,確実で十分な公債基金を設定すること,そして次に,広範な信用制度 の確立によって十分な流通貨幣量を維持しておくことである。公債基金の設定 は,政府への信頼を確保することになろうし,国民に負担をかけることも少な いという。他方,広範な信用制度の確立による流通貨幣量の増大の直接の目的 は,公債利子率の低下である。しかしこの点は『原理』の基本的性格にかかわ る問題を含んでいる。少し長くなるがスチュアートの言うところに耳を傾けて みよう。 「鋳貨のみが貨幣として用いられ,この鋳貨が借入れられて国外にもちださ 23)本稿では詳しくふれることはでぎないが,イギリス,フランスの両政体における公 債の比較研究は,第4部「公信用について」の中で大きなウェイトを占めている。な おこの点については,Stettner, o?. ctt., pp.466−472,参照,
J.スチュアートと国家破産 41 れ,それが自由に他のものにおきかえられないとすれば,貨幣を増加する計画 は実行不可能となる。貨幣は日々稀少となり,調達することが困難となり,利 子は日々上昇するにちがいない。象微貨幣(symbolical money)・紙幣が,す なわち信用が強固な基盤のもとに国内において確立されねばならない。これに よってすべての人が,支払うべきものを支払うことができるようになる。その 結果,税が支払われるようになり,公債所有者は恒常的に彼らに支払われるべ きものをうけとるようになり,公債が引きうけられるに応じて毎年貨幣が増大 することになろう。借入れがこの比率以上tlこ増加しなければ,利子は上昇しな いであろうし,借入れがその比率以下であれば,利子は下がるであろう。… 貨幣の増加によって,元本はあまり重要なものではなくなる。財産の溶解に よって,まさにその元本が,国家の手においてではあるが,公債所有者によっ て貨幣にかえられることになろう。」(IV, pp.150−151) 更にスチュアートは次のようにものべる。 「為政者はあらゆる手段を用いて彼が統治している国内において,流通して いる等価物をすべての用途に一野分間に合うように保っておくのを怠るとすれ ぽ,国民の繁栄を促進し,自らの信用制度を発展させるための最も重要な資格 に欠けているのである。」(IV, p.376) 象徴貨幣,土地銀行による不動産の溶解,公信用,このような広範な信用制 度の全面的活用によって流通貨幣量を十分に維i持しておくことが,国の繁栄に とって不可欠であるとスチュアートは考えるのであり,体系的な公債管理政策 はその一環を担うのであった。 さて,公債の償還についてはどのように考えているのであろうか。 公債の初期の時代には,前述したように短期で借入れ償還することが,経済 の発展段階からみても,国民に不満なく公債をうけ入れさせるためにも必要で あった。しかし貨幣め増加した現在においては元本の償還は重要性をもたなく なる。むしろ「長期にわたって存在してきた巨額の公債が一度に償還されると するならば,それは突然の暴力的な変動をもたらし,常に大きな不便を伴うこ とになる。」(IV, p・160)したがって,償還の時期と手段の慎重な配慮こそを
42 為政者にもとめるのである。スチュアートは公債償還の方法として6通りを掲 げているが,これは減債基金の莇けをかりて行われるべきものである。更に 「公債によってもたらされた負担を減少しうる最:良の時期」(IV, p・166)は戦 争が終結した時であるという。なぜならば,戦後は流通が過剰になっている時 ;期だからである。 それでは公債の限度は何によってきまるのであろうか。 「公債の正確な限度を決定する方法,この問題への解答は以下の通りであ る。すなわち,公債は国内の人々に負っているかぎり,その増大によって公信 用が崩壊することはない。国民がすべての輸入品と外債の額に等しい商品を輸 出することがまったくできなくなるか,収支を好ましくするのに十分な程度の 公債元本を償還できなくなれば,ただちに公信用は崩壊するにちがいないので ある。 ・ 「 この命題から二つの系論がひきだされる。 第一に,公債を償還する最も重要な対象は,外国人の所有する公債から自由 になることである。 第二に,外債の負担を減少する傾向がある場合には,その状況が促進される べきである。」(IV, P.146) このように,外債の量と貿易差額との関係こそが公債の限度をきめるのであ り,この点に為政者は絶えず注意を払うべきだとのべるのであった。そしてこ のことがr原理』の巻頭の序文であたえられた問題「公債の増加はどの程度ま でわれわれを全般的な破産状態に巻き込むにいたるか」(1,p. XIX,訳(1>19 ページ)に対するスチュアートの回答に他ならなかったのである。したがっ て,公債の償還にあたっては外債に優先順位がおかれるべきであった。 以上のようにスチュアートは,まず政体のちがいを含む「国民の精神」をよ く見きわめることを前提に,公債基金の設定,広範な信用制度の確立による流 通の拡大,それによる利子率の低下,減債基金の設定と償還時期の慎重な配慮, 外債と貿易差額とのたえざる比較,外債の優先的償還などを柱とした体系的な 公債管理政策を提示し,それを為政者にもとめるのであった。
J.スチュアートと国家破産 43 お わ り に スアユアートにとって公債は,流通の新たな一部門をつくりだし有効需要を もたらすことによって,近代社会を発展させる,換言すれぽ本源的蓄積過程を 推進する「強力なエンジン」にほかならなかった。したがって国家破産をめぐ るスチュアートの議論は,国家破産がこの過程にもたらす重大な害悪を指摘し, それを回避するための体系的公債管理政策はいかなるものかを提示するという 視角のもとに展開されているのである。そこでは,国家破産が公債のみならず 税の廃止をまねき,流通の停止とインダストリの破滅をもたらすことが示され る。そして,このような事態を回避して,近代社会発展の「強力なエンジン」 としての公債を全面的に活用するための体系的公債管理政策が,広範な信用制 度の確立,外債と貿易差額の対比などを柱にして提示されるのであった。 他方,このような公債管理政策の中で重視されるのは貨幣所有者の利害であ った。公債の増大による貨幣所有者の増加は,土地銀行による地主の貨幣所有 者化とあいまって,貨幣所有者の利害を社会において支配的なものにするので ある。 国家破産を回避し,公債の全面的活用を目ざす為政者による体系的な公債政 策,かかる過程における貨幣所有者の利害の貫徹,国家破産をめぐるスチュア ートの議論はこのことを明瞭に示している。そしてこの点は,国家破産につい てのヒュームおよびスミスの所論と対比すれば,スチュアートの重商主義者と しての立場を鮮明にあらわすものであった。すなわち,ヒュームは国家破産に よる公債の廃棄と貨幣所有者(金融業者)の犠牲のもとに近代的生産力の展開 を構想し,スミスはヒュームの立場を継承しつつ,資本蓄積=生産力の体系に よって新たな展開を行うのである。 24) 前掲拙稿,!08−109ページ,参照。