2001〜02年度総合ゼミの記録
2001年4月26日
検討論文:小国喜弘「再構築される国語一1930 年代津軽における方言詩教育と内地植民地主
義」(現代思想,1998.8)
報告者:廣田真紀子・藤田美佳(D院生)
2001年度に着任した小国教員の紹介も兼ね て、本論文の検討を行った。まず、廣田から論 文の概要、論点と疑問点が報告された。藤田は、
自らの研究関心に則して、在日外国人に関する 教育という見地から、本論文のテーマとの類似 点をあげ、論点を提起した。議論は、小国が本 論文の重要な特徴を述べた後、二人の報告者の 問題に回答し、随時院生からの問題提起に対し て議論を行うといった形で進められた。
小国は、本論文の特徴及び自らの問題関心を 次のように述べた。在日外国人などの問題は、
「マイノリティの文化に対するマジョリティの 抑圧」として捉えられることが多く、そこでは マジョリティとしての日本人が蹟罪意識のもと にマイノリティの問題について再検討せよとい う枠組みを持っていた。しかしながら、世界の 中での日本の位置(「Far East Asiaという西洋世 界から見た日本」)は、そもそもマイノリティと
して西洋人によって発見され、列強の帝国入り を果たしてから、世界のマジョリティの仲間入
りを果たすことになった。そのような複雑性と 共に、日本人内部の様々な民族や「××地方人」
といった他者の表象においても抑圧と被抑圧の 複雑な機制が働いていたのであり、そこに注意 深い視線を送るべきだという問題関心のもとに 本論文が構成されていることを述べた。
次に廣田の疑問点(「『日常生活の発話の多数 性』とは具体的にどのようなことを指すのか。
そして、『日常生活の発話の多数性』がナショナ リズムに対抗するのにどのように重要なのか」)
に小国は次のように答えている。「発話の多数 性とは例えばイントネーションなども含んだ微
細な差異」を示しており、「多数性を抑圧するこ とで、ナショナリズムを生成し、浸透させてき たこと」が歴史の裏に潜んでいると。この回答 と平行して、廣田の提起した第2の疑問点(小 国が「発話の多数性」を抑圧したひとつの形と して着目した「標準語」について、廣田は「『発 話の多数性』が抑圧されたのは『標準語』だけ ではなく、教科書に書かれたことを学ぶという ような『教科教育システム』の影響の方が強い と思われるが、あえて言葉に着目した理由 は?」と尋ねている)について、小国は次のよ うに述べている。当論文中にある方言詩は1930 年代の子どもの生活感情を描いたものであり、
標準語で言えないことが言える、つまり、標準 語を押し付けられる子どもや教師達にとって、
方言が、標準語教育を通して内面化された批判 や問題などを提起する手段になっていると捉え ることができるだろう。そして、この方言詩及 び三上が実践した方言詩教育は、ナショナリズ ムによる抑圧に対抗する手段として、検討の手 がかりとなると考えたためであると述べてい
る。この発言に対し、上間(D院生)は、1930 年代の農村の子ども達が書いた詩は、子ども達 の抱く生活感情を発露したと捉えるよりはむし ろ、教師である三上の思いや考えを子ども達が 学校という空間の中で察知し、記したものと捉 えることができるのではないか、と意見した。
小国は上間の考える1930年代の子ども像と実態 はかけ離れるものではないか、と意見を表明 し、その後、1930年代の農村の子ども像をどの ように捉えるのかについて議論が進められる。
その中で浜谷(教員)が、1930年代の農村の子 ども達の、当論文の詩にある「飢え」の感晴は、
三上が意識的に捉えた子どもの多様な感情のう ちのひとつだとしても、子どもにとって代表的 な生活感情であったかどうかは疑問があると述 べた。さらに、ヴィゴツキーの言うように、科
学的概念は論理的な枠組みのもとに構成される ものであり、より公的な言語である標準語に よって形成されるのであり、概念の内容とその 表現方法には結びつきがある。方言詩の可能性 と限界を検討するときに、表現されている内容 とその方法との結びつきに関して、三上はどの ように考えているのかと小国に質問をした。小 国は、標準語と方言といった表現方法と内容の 結びつきについて、方言は論理的な言葉ではな くて、感晴的な言葉であり、標準語の世界から こぼれ落ちるものを表現するのに、限界はある が、適したものであるということを当時の文芸 運動家達や三上は感じており、その区分けを三 上は表明していると答えた。
廣田の第3の疑問点(「『国語というシステム』
と『国語』、『標準語』『方言』、『国語教育』、『国
語という言語システム』という言葉の使い分け について」)に、小国は、1910年と1930年で「国 語とは何か」という考えが異なっていると発言
し、次のように続けた。「国語」という教科が出 来上がった当時は、「標準語」が「国語」であり、
「方言」は「国語」ではないという二分法で捉え られていたのに対し、柳田国男が「方言周圏論」
を唱え(1931年以降)、「方言」も「国語」のう ちのひとつであるという、「方言」を「国語」の 中に組み入れていく思想が徐々に普及し始め、
戦後、支配的な考えになっていった。その転換 点に三上の実践は位置つくものであると小国は
答えた。
廣田の疑問点4(「『方言に対する差別の主体 が実は国語というシステムそのものだ』と言う
なら、そのシステムの解明こそがナショナリズ ム浸透の構造解明に必要であり、三上実践を単 なる方言詩実践に回収しない評価ができるので はないか。」)について、小国はその通りである
と答え、解明する視点の多数性があるが、制度 的なレベルと実践的なレベルとを往復させなが ら、分析を加えていく点には弱さを感じている と率直に述べている。廣田の疑問点(藤田の論 点も交えながら)に対する小国の応答がさらに 続いたが、ここでは他の院生による質問を次に
まとめる。
小口(D院生)から、書き言葉も話し言葉も 含めて、三上実践において、方言と標準語の使 用割合はどうだったのか、全て方言だったの
か、芳澤からは1930年代を境目と見る理由は何 かといった質問がなされた。小口の質問には三 上の実践は方言と標準語の2本立てで行われて いたということを小国は述べた。芳澤による 1930年代を境目としてみるのは、世界大恐慌、
第1次世界大戦という歴史的背景のもとに、自 力更生運動が起こり、これが言説の転換点と なったと捉えたためであると小国は述べた。こ の自力更生運動とは農村といった地域の独自性 を媒介にして、国家を再構築しようとする新た なナショナリズムの登場を示している。例え ば、柳田国男が記した1910年の「民俗学」では、
日本を多民族国家として捉えているが、1930年 においては、日本人という単一民族国家と捉え なおしている。さらに具体的な史的事実をあげ ると、1899年に設立されたアイヌの旧土人学校 は、アイヌ人単独で通学させていたが、1930年 代にその学校は廃止されている。この史的事実 は表面上、旧土人学校がその教育内容の制限を 受けており、これはアイヌ人に対する差別であ ると捉え、廃止することで差別問題を解決した ように見える。ただ、実際には、学校内でのア イヌ人に対する日常的な差別が引き起こされて おり、この事実は史実として隠蔽されていた。
このアイヌ人の例は、標準語と方言を区別して いたものを、方言を国語の中に取り入れること によって、方言を微細な蔑視システムとして働 かせていたことと同様であると小国は述べた。
(以上のまとめの他に、多くの意見が出たが、割 愛させていただく。)
本ゼミでは、小国の論文を扱い、各参加者が 持つ興味・関心から、様々な視点で三上の実践
(方言詩教育)について、どのように読み解くこ とができるのかといった論点が主に提出され た。それに対し、小国は丁寧に応答し、自身の 視点を次のように強調していると思われる。表 面上、記されている社会的な歴史、教育史を背 景に、史実にあったことが実践レベルでどのよ うに影響し、何が起こっていたのかを1930年代 に活躍した三上という一人の実践家に着目し、
丹念に読み解いていくことで、日本の教育史に おける新たな視点が生まれるのではないか、と いうことであったと思う。また、記録者自身の 感想だが、小国が対象とした三上の実践をどの ように読むのかについて、多様な視点から考え
2001〜02年度総合ゼミの記録
ることができ、今後、文献を読む、研究を進め るといった日常的活動の参考になる部分も多
かった。
(文責:五十嵐元子)
2001年12月6日
「公共性」①
テキストは、齋藤純一『思考のフロンティア
公共性』(岩波,2000)。発表者は、児島(D院生)、
西村(D院生)、藤田(D院生)、鴨下(M院生)
検討箇所は、テキストの第一部「公共性一そ の理論/現実」、第二部「公共性の再定義」の第
1〜3章である。
第一部(担当児島)においては、公共性を国 民国家の延長として理解する現在の傾向の中 に、「閉鎖性」「同質性」の強調、排除の作用が 見られるため、公共性概念を再検討すべきだと 述べられている。第二部第1〜2章(担当鴨下)
においては、水平的次元で成立する公共性の要 素がハーバーマスとアーレントの理論から描き 出されている。第3章(担当西村)では、生命 の保障をめぐるニーズが公共的価値を有するも のとしてみなされるかは、公共的空間における 解釈の政治に委ねられるべきであると述べられ ている。問題関心(担当藤田)は、齋藤の公共 性概念をもとに公共性を整理・把握することに
あった。
(1)公共性概念について
児島(D院生)は齋藤の概念のあいまいさを 認める一方、齋藤の考えをいったん引き受ける ならば、公共性と共同体を区別する説明はでき ないが、理念的区別は可能であることを述べ た。小国(教員)は、「公共性」に対し「共同性」
ではなく「共同体」という言葉をもってきてい るところに齋藤の思考の表われがあるのではな いかと問題提起した。木戸口(D院生)は、齋 藤が公共性と共同体を分けて考えようとする背 景には、今の社会がsegmentalであり、共感不可 能なまでに分離している問題があるからであろ
うと述べた。
(2)資源格差問題一エンパワーメント問題
①専門性問題
浜谷(教員)は、公共的な言説空間への参入 には資源格差の問題があるとした。その問題の 解決には専門性が必要だが、専門性・専門家の
問題は齋藤の考えから立ち上がってこないこと を指摘した。西村(D院生)は、齋藤は資源格 差の問題の解決可能性を親密圏の在り方の中に 見出しているのではないかと述べた。鴨下(M 院生)は、齋藤はハーバーマス理論の問題点に 対する解決可能性をセンの理論に見ているが、
具体的なものを提示するに至っていないと述べ
た。
小国(教員)は、専門性を認めるにはなんら かの権威が必要となり、ひいては政治的権力と かかわらざるを得ないがその点に触れることを 齋藤が避けていること、齋藤の考えでは親密圏 内の専門性を認めることができても、親密圏と 別の親密圏を結びつける横断的な専門性を認め ることはできないのではないかと疑問を呈し た。越野(教員)は、ハーバーマスの理論が専 門性を一面的に否定するものではないこと、即 ち、そこではいわゆる「専門家」の発言は、は じめから特権的なものとして扱われることはな いが、発言が「より妥当な論拠」をもつと認め られる限りにおいて尊重されるはずであること を指摘した。
②新自由主義問題
小国は、言説空間への参加機会を与えるだけ ではもともとの資源格差の問題を切り抜けられ ないため、齋藤の考えは新自由主義を否定しな がらも新自由主義にかなり近づいているのでは ないかと論じた。木戸口は、学童保育や私立学 校への公的助成の拡大など、何を「みんなに
とって必要なもの」と定め、それに公的なお金 を出すか、ということへの社会的な「合意」自 身が歴史的に変化し拡張されてきたという経緯 があること、また現在の新自由主義的な社会改 変の中で、まさにこれまで公的に「必要」とさ れてきたさまざまな財政的な支援が、削減さ れ、あるいは「私的な」領域へと押しやられよ
うとしていることなどを考えれば、何にお金を 出すかということへの合意自身が、公共性の再 構築をめぐる議論の中で実は極めて大きな争点 となっているのではないかと述べた。深見(教 員)は、齋藤の議論の要点は公共性概念が複数 次元あるとする点であり、国家が担う支援のあ り方を合意によって豊かにする可能性と同時 に、NPOなどの「市民社会」のアクターが異質 性を保持したまま支援をうけられる可能性の双
方を同時に追求する課題を模索しているのでは ないかとした。その点で、齋藤に寄りそうなら ば、彼の公共性概念の拡張の試みにおいて、ネ オリベラリズムと一線を画そうとする意図は明 瞭ではないかと述べた。
(文責 太田真紀)
2001年12月13日
「公共性」②
テキストは、齋藤純一著『公共性』(2章、3 章、4章、終章)、岩波書店(2000年)、報告者 は児島、西村、太田、渡辺(D院生)、鴨下(M
院生)
ゼミの流れは前半と後半に分けられ、前半は 児島、西村から、後半は鴨下、太田、渡辺から 報告される。
前半は児島が2章、西村が3章についての論 点を提起した。報告者の論点について、児島は 齋藤のハーバマスのアーレント理解について両 者の違いを強調しながらも、実は両者を接合し ているのではないかと指摘する。西村は齋藤の 注目する 能動的な活力ある市民社会 の 市 民社会とはどのようなものか 疑問を提起し
た。
はじめに黒崎から児島に対して、齋藤の公共 性の概念と、バー一一一バマスとアーレントの違った 公共性の概念の関係ををどうとらえるか、また 齋藤の公共性の定義に対して児島はどう評価す るのか質問がなされた。児島は齋藤の議論を読 む限りでは、ハーバマスとアーレントの理論的 差異は齋藤が思う以上に大きいのではないか。
つまり、どちらかといえば、ハーバマスはコ ミュニケーションにおける合意の可能性条件へ とその問題設定が向かっているのに対し、アー レントにとっては「表象の空間」の裂け目から こそ問題設定が立ち上がってくる。すなわちそ こでは「他者」や公共性をめぐる大きな差異が あるのではないだろうか。齋藤の定義に対する 評価としては以下のとおりである。齋藤は政治 や意味的な議論をいっしょにしているが、彼の 説を読む限りでは強引に感じる。同意性を目指 すならば、意味の範囲内において暫定的な同意 をしておく必要があり、少なくともアーレント は逆の意味で、表意やコミュニケーションを表
しているのであって、齋藤の意味のとらえ方は
難しいのではないかと述べた。
後半は鴨下が4章から、渡辺が「動くゲイと レズビアンの会(アカー)」、太田が「吃音者の セルフヘルプ・グループ(言友会)」の具体事例 から論点を提起している。鴨下はアーレントが 親密圏と公共圏を明確に区別しているのに対し て齋藤のそれは相対的な差によって生じている に過ぎないのではないかと指摘する。また齋藤 が親密圏に認める「複数性」、「他者性」とは何 であるのか疑問を呈している。渡辺は齋藤によ る「親密圏」と「公共圏」の「分析的区分」が、
事例に見られる「親密圏」の中にある公共性を 見えなくさせているのではないかと指摘する。
太田は親密圏に関わり続けることは、必ず同化 してしまうのではなく、会員一人ひとりが、ま た言友会自体がエンパワーメントされるという 可能性を齋藤の分析枠組みでは見落とされてし
まうのではないかと指摘する。
後半では「公共圏」、「親密圏」についての用 語に関する定義についての解釈をめぐって議論 が展開される。野元の自治会などは親密圏、セ ルフヘルプ・グループに入るのかという疑問を 呈した。この場合の親密圏は自治会のような制 度化されたものは含まれないのではないかとい う意見に対して、乾は親密圏の範囲を単純に区 切れないのではないかと次のように指摘する。
制度化のプロセスの中で、地縁的な関係はコ ミュナルな関係でありパブリックな関係ではな い。それがある段階で完全に構造転換してコ
ミュナルな関係からパブリックな関係になった とすることは単純である。コミュナルな地域が パブリックな形態になり継続している例は多数 あり、コミュナルな関係と親密圏がイコールか どうかは単純ではない。齋藤が示す親密圏は、
ここであげているようなコミュナルの関係では なく、もっと狭いとも考えられる。その場合、逆 にパブリック概念とコミュナルな親密圏の間に もう一つのコミュナルな空間、関係があるので はないかと述べた。
小国は我々が抱いている「公共圏」と「親密 圏」のイメージと齋藤が抱くイメージにおいて ズレがあるのではないかと次のように指摘す る。レポーターの使用している「親密圏」的機 能と「公共圏」的機能という表現は、齋藤の定 義にしたものとなっているのかどうか、可能に
2001〜02年度総合ゼミの記録
なるのか慎重に扱うべきである。太田と渡辺の セルフヘルプグループの事例から報告では「親 密圏だけではなく、公共圏の機能も存在するか ら齋藤の議論は単純である」としているようだ が、そもそも齋藤は両義的だとしているのだか ら、齋藤の議論とむしろ一致するのではない
か。
これに対して渡辺は、「公共圏は親密圏に転 化する」と述べていることから、齋藤は公共圏 の側面を外に向かって問題提起しており、「内 部における差違を見ていく」としたレポーター たちの「公共圏」的機能という解釈は齋藤の見 方とは異なると述べた。
「内部における差違と「公共圏」的空間そのも のではありえないとしながらも両義的な位置に おいて」(齋藤のテキスト)と述べているところ は内部における差違の問題を議論しているとと れないかと指摘した。さらに齋藤の批判の仕方 についても以下のように指摘する。齋藤の用語 の仕方にしたがって解釈した時に、論理的な矛 盾やほころびがあるという批判の仕方とこのよ うな事例にはこの問題からは解釈できないとい う二つの批判の仕方ができる。(レポーター側 の)「公共性」の解釈がこうであるから、(齋藤 の説)は違うとすると対話がし難いのではない かと指摘する。
さらに小国はアカーと言友会の吃音者宣言を セルフヘルプグループという範疇でとらえられ るのか次のように疑問を投げかける。たばこを 止めたい人たちや麻薬中毒者たちがたばこや麻 薬をどうやって止めるかなど、自分たちで集
まって話し合いながら克服していく例などはセ ルフグループといえる。たしかにアカーも自分 たちの苦しみを解放していくという部分もある が、同時に、同性愛者を嫌悪する人たちに対し て、抗議していく側面も強いので、それはセル フヘルプグループといえるのか。そのような活 動は、行政、政府、マスコミに対してどうやっ て抗議するのかという運動団体ではないかと指 摘を続けた。
それに対して渡辺は、そのような外に向かっ て政治的に活動をする動きもアカーは持ってい るが、同性愛者である自分自身を嫌悪している 人たちが集まって語り合うことで、自分たちの 存在を認め合うという活動の部分ではセルフへ
ルプグループといえるとしている。渡辺の発言 に対して小国は太田と渡辺の「公共圏」的機能 についての定義のズレについて次のように指摘 する。太田は「公共圏」的機能を「外に働きか けている」としているが、渡辺は内面化された 差別意識をどこからどうやって解放するのか、
つまり中にも同質に見えるが実は違うという差 異を顕在化させるという意味における「公共 圏」的機能である。さらに2人の発言ともに内 側の問題に向かっているように感じられ、齋藤 の批判をとりながら意識は内向化していると指
摘する。
これに対して渡辺は次のように答える。これ らのグループはどのように、どの部分をエンパ ワーメントさせたらよいのかという観点から問 題提起した。外に向かう公共的機能はあると記 したが、その内部の中の差違を見ていくと、親 密圏は公共圏として、そしてそれが親密圏とし て公共圏としてと繰り返し広がりを持てるので はないか。そこをエンパワーメントとしたら解 決の糸口が見えるのではないかということで
「卒業」をどう見ていくかということを扱った
と答えた。
小国は「卒業」を扱うことに関して納得がい かないとし、親密圏を卒業すべきということは 齋藤の論からは出てこないこと疑問とした。乾 は、渡辺に対して、個体性として共同性の中で 認知され合うという部分が、親密圏の中に含ま れなければならないのではないか。親子関係の 中で親子がお互いに自立した関係の中でどう認 め合うことが可能かという問題などは、そうい う認識が成立すると親子関係的に自立した関係 をすべてが機能的関係に転化するというような ものではない。つまりそのようなお互い人格性 に関わることを公共的な関係として押しやるこ とはできないのではないか。渡辺は両義性を閉 じられた空間に強く引っ張り込んだのではない かと指摘した。
(文責 漆畑充)
2002年5月9日
文献:東京発達相談研究会十浜谷直人編著『保 育を支援する発達臨床コンサルテーション』
(ミネルヴァ書房、2002年)/平成12年度東京 都立大学特定研究費研究成果報告書『地域教育
機関を支援する発達臨床的コンサルテーショ ン』(研究代表者浜谷直人)
報告:太田(D2)・椎林(Ml)・代田(Dl)・比 嘉(D1)、司会:児島(D2)記録:杉田(D1)
まず四人の担当者から報告があった。保育園 における発達障害児の保育を支援した実践
(『保育を〜』第5章)を報告した比嘉は、最初 に浜谷によるコンサルテーションの定義を確認 した。コンサルテーションとは、専門家(コン サルタント)が相談者である他の専門家(コン サルティ)のいる現場に出かけていき、対等な 関係を構築しながら支援することである。その 上で、この浜谷実践の場合コンサルタントが現 場に要請されて出向く際にはすでに職員集団が 形成され、その間で問題が問題として意識され ていることが前提であるということに注目し、
三つの疑問・論点を提示した。一つは、保育者 の力量には差異があり、支援を求めるまでには 至らない現場があることも考えられる点であ
る。二つ目は、上述の前提があるとはいえ、コ ンサルタントが現場に入ることによって現場の 組織化がうながされたのではないかという点で
ある。三つ目は、コンサルタントは公的機関を 通して依頼を受けてから現場に出向いており、
コンサルテーションが成立する条件には現場の 違いだけでなく自治体による支援制度の違いも 関わっているという点である。加えて、実践に おいて様々な「保育資源」が用いられながら「人 的ネットワーク」が現場内外に形成されている ことにも注目しつつ、横断的なだけではなく子 どもの学校への移行を見すえた保護者への支援 という縦断的な視点も必要であると述べた。
次に太田が、発達障害児が在籍する小学校の 通常学級の担任を支援した実践(『地域〜』)に 関わって報告した。まず、担任と親へのコンサ ルテーションは、障害児教育という専門性を持 ち\子どものアセスメント・個別指導・保護者 との話し合いを通して子どもの状態を把握して いる通級の教師の役割であると主張した。その 上で担任への支援としてコンサルテー一一ションに 可能性を見るならば、担任へのコンサルテー
ション能力を高めるために通級の教師にコンサ ルテーションを行うか、通級の教師の能力の向 上を配慮しながら担任へのコンサルテーション を行うという二つの方法があると述べた。それ
からこの実践の成功の最大の要因は、浜谷が要 因であると考える「関係者が一同に会するカン ファレンス」を持つ前の段階で、通級指導を きっかけとして通級の教師・保護者・担任の間 にカンファレンスを持つことができる関係性が 築かれていたからであるとした。そして、一人 のコンサルタントによるコンサルテーションで は無く、養護教諭・教育相談主任・スクールカ ウンセラーなど学校内の複数の専門家が互いの 専門性を生かしてコンサルテーションを行う体 制の構築が必要であると主張した。
椎林は、発達障害児だけでなく普通学級にい る困難を抱えた子どもに対する適用も見越し て、コンサルテーションの有効性を①教師の バックアップの役割②教師への新しい視点の提 示③学校内の協力体制の強化の三つであるとま とめ、さらに三つの論点を提出した。第一に、教 師が抱える問題には、生徒指導などの学校文化 に関わるものと子ども本人や家庭に起因するも のとがあり、前者はできるだけ学校内で対処し 後者は学校外の機関との連携も視野に入れて対 処することが考えられるが、前者の問題にコン サルテーションはどれほど関わることができる かという点である。第二に、コンサルテーショ
ンへのアクセスのしやすさは校内の協力体制の あり方に依っており、コンサルテーションを
「年間行事」にするという提案はどれほどアク セスを容易にするのかという点である。第三 は、コンサルテーションの効果はコンサルタン
トとコンサルティの間の個人的な信頼関係にか かっており、局外者のコンサルタントはコンサ ルティに近い存在であると認識されなければな
らないという点である。
代田は、日本語習得のための支援を必要とす る外国人児童・生徒が在籍する学校でコンサル テーションを行うことを想定し、利点と限界を 考察した。利点としては、外国人児童・生徒が 抱える問題の把握を助けるとともに、教職員間 の連携、更には保護者・日本人生徒・地域など 学校内外の関係の改善を促すことが考えられ る。限界としては、現状ではコンサルテーショ ンを求められるような協力体制が無いこと、コ ンサルテーションにおいて重要なアセスメント が外国人児童・生徒の場合は抱える問題の複雑
さから容易ではないこと、そしてコンサルティ
2001〜OZ年度総合ゼミの記録
となる国際教室担当教師や担任が異文化教育の 専門性を持っているとは限らないことがあると 考えられる。現段階では日本の学校教育システ ムに彼らに対する教育支援体制やノウハウの蓄 積がないため、コンサルテーションに至るまで の課題は多く、その理論と実践は外国人児童・
生徒への支援を考える手がかりにはなっても実 際に行うのは困難であると述べた。
議論に入る前に浜谷から以下のコメントが あった。永く相談活動に携わってきた。初期は 発達保障理念で行っていたが、しだいに参加、
関係という理念を考えて行うようになった。保 育園や学校は発達障害に関する専門の療育を行 なう機関ではないので、とりわけ参加という理 念が重要である。アセスメントが大事だと本書 で主張しているのは、参加や関係という視点が 重要だとしてもその前提として子どもの発達の 状態を把握することが重要だと強調したいため である。外国人や不登校の児童・生徒のように 教師が指導に困難を抱えているケースは多様に あり、支援のニーズもある。しかしそのような 子どもに対しては、障害児のような医学的な診 断などが無いためにサービスの支給要件が不明 確で、我々はなかなか学校に入っていきづら い。また子どもの人権の問題、保護者の承諾や 教師集団の合意の問題もあり、問題をどうとら え、どのような枠組みで支援するかを整理する 必要がある。それから、子どもにこうはたらき かけたらこんな力がついたというだけではな く、多様な保育資源が存在し、それらがつなが ると大きな力となるという点も本書でやや強調
した。
ここで報告者が出した疑問・論点の確認があ り、浜谷が回答した。比嘉と太田の論点に対し ては、コンサルテーションでは職員間に協力関 係ができるよう援助している。例えば校内委員 会のようなものを設け、教育相談係やスクール カウンセラーも入って事例検討をし、そのうえ でアセスメントが必要だという時に外部の専門 家が入るというような方式がありうると述べ た。更に太田の論点に対しては、今回検討した 実践では通級の教師の認識は担任に伝わらな かったのだが、おそらく一般的に、現状では通 級の教師が担任教諭をコンサルテーションする には多くの困難がある。また、通級の教師の役
割のなかに通常学級を支援することは規定され ていないので、時間を持てず、また太田が主張 するようなコンサルテーションの構想において は通級指導教室の位置づけが改めて問題となる と述べた。椎林の論点に対しては、子どもをめ ぐる複雑な人間関係があるので子ども本人や家 庭に起因する問題の方に関わるのは難iしいと述 べた。代田の論点に対しては、コンサルテー ションが可能となるのはアセスメントができる からであるが、外国人児童・生徒や高校生の問 題状況をアセスメントすることに関する学問的
な蓄積が無いので難しいだろうと述べた。
この後は全体の議論となった。まずは深見 が、学校内での利害関係を持たない外部の専門 家の介入のメリットは何かと問い、浜谷は内部 で意見を出し合いながらも内部の枠内で思考す る傾向があるところに外部の専門家が意見して 問題の解決を探るとこたえた。乾は、教職員集 団が有する外部とは異なる性格をとらえ、外部 に頼らなくてはいけないという現実的な問題は ありながらも将来的にはどこまで教職員の中で 対処するのかを考え、コンサルテーションが将 来的にも残ると考えるならばその性格を明らか にする必要があると発言した。更に黒崎は、外 部の専門家の役割としては例えば医者などが子 どもの障害を診断しているというようなことが 一つの典型ではないか発言し、浜谷は外部の専 門家が本当に問題を見ることができるのかとい う問題があると答えた。越野は、特定の事例に おいて必要とされる専門性が発達心理学のみで あるとは限らず、場合によってはコンサルタン トが異なる専門性間の橋渡し的な役割を担うこ とがあると思うが、そうしたいわばコーディ ネータ的な役割に求められる専門性とはどのよ うなものであるかと問い、この点が明確にされ ないままコンサルタントが外部の専門家として 実際には自己の専門領域を超えた活動を行うこ とには疑問があると述べた。荒井は、教育委員 会の指導主事とコンサルタントとの違いは何か という問題があると発言し、浜谷は、指導主事 はスーパービジョンであり、コンサルテーショ ンはいつでもやめられるという自由な形でする べきだと考えると述べた。
(文責・杉田真衣)
2002年5月23日
テキスト:民主教育研究所年報2002(第3号)
『学校と地域をむすぶ.特集大都市周辺部にお ける地域形成と学校システム』
報告者:田中、杉田、関(D院生)、宮島、庄司
(M院生)。司会:比嘉(D院生)。
今回のゼミにおいては文献の内容確認を、次 回のゼミにおいてはそれをもとに議論を行なっ た。内容確認については主に、報告者が内容報 告および質問を行い、年報調査にかかわった 乾・荒井(教員)、芳澤・木戸口(D院生)が説 明する形で行なわれ、以下のやりとりがあっ
た。
第II部2節:調査対象B市における20代の 市内就労率は県外就労率と変わらず約3割だが、
15〜19才の市内就労率が5割である事実に対 し、筆者は10代は学校の仲間がいるから地元に 残っていると解釈する。田中はその現実に対
し、彼らは仕事がないため地元に残っていると いう解釈の可能性を指摘した。大串(教員)は 田中の指摘にかかわり、10代が地元に残ってい ることに関し「滞留」という否定的ニュアンス を持つことばを用いている意図、そのことばが カッコづけされている意味を筆者に質問した。
木戸口は、地元に残っている要因をデータから 明らかにできなかったために、地元に残ってい ることに対して滞留ということばを用いたが、
その言葉がもつ価値を弱めるためにカッコづけ したと説明した。乾は、報告書において積極的 な意味での「地元志向」ということばではなく
「地元定着」ということばを敢えて用いたこと、
「就労地域」と「居住地域」はということばは完 全に一致するものではなく区別して用いている
ことを説明した。
第m部2節:杉田は、H2高校の実践に関わっ て、①教員が学校づくりに取り組むにつれ抱い た「引き裂かれた感覚(Pp.85−86)」による行動、
②近隣中学校に説明した市内高校への進学メ リットの解釈について説明を求めた。木戸口 は、実践は意図と異なる方向に進んでいるこ と、大変な生徒が入ってきていることの認識が 希薄ながらも教員にはあったが、基礎学力の保 障や行事を中心とした学校づくりを積極的に取 り組もうとするほどではなかったこと、にもか かわらず一方で、進学のメリットを地域に対し
て打ち出す場合には「学習意欲の向上」や「非 行・脱落防止」を目玉とせざるを得ないという 認識があったことが、市内高校への進学メリッ
トの説明に表れていると説明した。また木戸口 は、高校教員と中学校教員との情報交換は記述
した以上に多く見られ、その関係は重層的で あったことが執筆後明らかになったことを報告
した。
第皿部:1節に関して、関は学校建設過程で
「地域内再投資力」を高める方法がとられたと いう記述(p.72)についてより詳しい説明を求 めた。木戸口の説明は以下の通りであった。人 口急増に伴う生活関連資本の急速な整備の必要 に迫られたB市当局は、予想される財政の負担 を長期的・計画的に確保することを迫られた。
その対策の一つとして、B市は小中学校・高校、
保育所などの建設を意識的に市内の業者に発注 することで市内業者・産業の活性化を図り、市 の税収基盤を強化するという方策をとった。ま た関は3節について、教員がすすめようとした 地元優先の進路指導は小学区制と同義と考えら れること、小中学校校長会は小学区制を反対し ていたことから、校長と教員に軋礫があったと 考えるが、実際はどのようであったかと質問し た。乾は、校長と教員との間に軋礫はなかった こと、さらに地元優先という進路指導を現場で も否定するような校長会の合意はなかったと考 えられることを述べた。
第IV部0〜1部:宮島は、地元層卒業生は高 校に満足して、地元で生活しているという記述 に対して(p.167)、70年代型共同が成立する以 前の地元青年層と比較してどのような違いが あったかという質問を行った。荒井は、確かに 70年代以前との比較が必要であると考えるが、
その当時B市内に高校がなかったことから比較 することはできなかったと述べた。さらに宮島 は、学校設置の満足度の調査は高校を居場所と して評価するものであったが、高校らしい基準 も設けるべきではなかったかと述べた。荒井 は、高校設置の評価は教育実践とのつながりを 見ておくべきだったと考えていると述べた。
第IV部:庄司は3節に関して、地域の中心的存 在とみなされていない地元出身の女性や団地新 住民男性の地域とのかかわりの実態について詳 しい説明を求めた。芳澤は、彼らを聞き取りの
2001〜02年度総合ゼミの記録
対象としてすくい取れなかったが、聞き取り調 査全体を見たとき、団地新住民男性の地域との 関わりは見えにくく、地元出身女性についても 地域運動の主要なアクターになっていなかった
ように感じていると述べた。また庄司は、調査 報告が地域社会像を再構築する可能性を示唆し ている点を評価する一方、ジェンダーの視点を 強く意識して地域再構成ビジョンを考えるべき ではないかと意見を述べた。芳澤はその意見に 同意できると応じた。4節に関わって、庄司は 市外への転出層の転出先について詳しい説明を 求めた。木戸口は、B市以北地域への移動が多 く見られたと答えた。芳澤は、B市内での持ち 家獲得を断念した層が市外に出ていた可能性が あると答えた。
(文責:太田真紀)
2002年6月13日
民主教育研究所/編『学校と地域をむすぶ』第2 回
報告者は、杉田、関、田中(以上D院生)、庄司、
宮島(以上M院生)。司会は、鴨下(M院生)。
まず田中は、住民が地域に「定着・滞留」す る根拠となる資料がインタビュー調査に限定さ れているが、このサンプルはどれだけ住民全体 を代表しているのか、定着率が高いという事実 を「満足」に結びつけたのは何故かと述べ、さ らに満足因子を各住民や外部へ流出した者の視 点から調査する必要があると報告した。それに 対して木戸口(D院生)は、住民の代表として のインタビュー調査ではないこと、「市内継続 居住率」を問題にしているのは市内卒業生であ ることを確認した。市内卒業者の同窓会名簿で 確認した市内在住者比率と、同世代の国勢調査 の(「5年前居住地」が「現住地+自市町村内」
である)比率とを比較して継続居住率が高いの であって、住民の居住率が一般に高いという意 図でサンプリングしたのではないと回答した。
また乾(教員)は、インタビュー対象者は、主に
①市内中学の状況を知るために70年代前後から 通す形で中学校教員への聞取りを行った際に紹 介頂いた卒業生と、②数校の中学卒業生名簿に 基づくアンケートの際にインタビュ・一一一依頼を受 けた卒業生。アンケート自体は住所変更などで 回収率が低く、集計は行ったが報告書では用い
なかった。データ上の定着率の高さに積極的理 由があると仮定した典型調査であり、かつ「満 足」は全体でも少数の地元層データに関する記 述で、その定着率が高くても市内高校卒業生の 説明にはならない。また若年層就業状況で20代 後半の県外就業率が・定高まるのは、四年制大 卒が就業者に加わるのと家族持ちの流入によ る。むしろ80年代末以降の全体的県外就業率は 低下しており、滞留といえる。居住と就業は別 と考えており、居住が高いから満足していると の評価はしていない。地域設定だが、大都市圏 内での地域の定義は論争的であり、B市を当初 から念頭にしたのではない。B市・D市・E町が 戦前からの伝統的地域との地元住民認識を経 て、高校増設や住民の流動など歴史的に地域形 成に市政が積極的な役割を果たした地域という 特色からB市に絞った。満足度をサンプル抽出 するなら他の方法もありえただろうが、焦点の 枠づけが調査後半になされたため系統的アン
ケートが困難であり、一定仮設的定義になった と述べた。その回答を受け越野(教員)は、田中 が問題とした代表性に対し乾は典型性の回答だ が、典型調査の必要条件とは何か。インタ ビューは引用が短く、回答者がなぜ「典型」と 言えるのかが十分に伝わってこないのだが、執 筆者の仮説との適合部分だけ引用したのでない といかに証明するのかと述べた。木戸口は、地 域形成主体の中で①「地元層」、②「新住民層」
を抽出したのは、B市の形成過程、高校増設の 中で歴史的役割の中心を誰が担ったかによる。
①は合併前の旧町村からの住民で、農業・中小 商業層が中心、②は70年前後の新住民/80年 代マンション住民が中心の層。分けた上で各層
の子ども世代の学校体験はどうだったのか、何 故市内に住み続けているかを市内に残っている 人々に絞って調査。方法論的制約や、サンプル の接近へある種バイアスがかかっていると自覚 しつつ調査したと述べた。乾は、量的に少ない から典型調査にならないのでなく、操作的な定 義の中で現実を表すこともあると答えた。関 は、調査(インタビューなど)の接近方法が不鮮 明なために、経済的困難、底辺層の閉鎖的団結 や不満を自覚させない構造づくりなどの消極的 滞留を考慮に入れていないと疑われる可能性は ないのかと述べ、将来感の不安を解消する人的
ネットワークとして市内高校の役割があるとし ても、「どうせ自分たちはいいや」という消極的 意識を生む危険性はないのかと問うた。
木戸口は、報告書の後半で、70年代にこの地 域の様々な共同的な取り組みを担った住民各層 の階層分化とその下での生活困難を描いてい る。自分としては、そのことを地域コミュニ ティの必要性、地域と学校との歴史的な結びつ きへの肯定的評価の根拠として引き取って良い と考えていると答えた上で、「閉鎖的な団結」と 言うならどのような形を望むのかと質問した。
乾は、一定の根拠を持つ仮設的定義であり、危 険と指摘されるような価値判断ではないと答え た。荒井(教員)は、底辺校にコミュニティは存 在しないという一般的認識に対し、本調査はB 市の70年代共同から80年代に崩れていくまで の重要な何かを示すものであると答えた。ここ で大串は、成績不良や「底辺校」という学歴要 因が市内に留まる背景にないのかと問うた。木 戸口は学歴と異なる要因の例として、東京で就 業する大卒女性が市内で就業するH3高卒の弟
を「地元に根づいている。(中略)うらやましい」
とするインタビューを示した。乾は、序列的に
「底辺校」だから市内残留が高いと言う議論も ありうるが、少なくともこのインタビュー調査 では市内居住率が積極的か消極的かの評価自体 していないと答えた。次に庄司は、子育て環境 の良さで知られるB市の「地元男性層」と「団 地女性層」の「70年代共同」による地域形成の 裏には、地域のジェンダー意識により共同から 疎外された家族の存在が推察されるが、性役割 分業の再生産に結びつく地域づくりは問題でな いか。今後は施設だけでなく、他地域との交流 も含めたより広い視点の子育て形態が必要では ないかと述べた。木戸口は、B市内でも90年代 以降は住民が育児サークルをつくって交流して いる。「地域づくり」へのこだわりは団地住民層 等が歴史的に形成してきた近隣住民ネットワー
クをどう生かすかという課題意識があったか ら。基本的に子育てが個別化する状況で、自治 体が媒介になることで「子育て」という共同的 課題を通して新たな住民同士のつながりが出来 る可能性はあるように思うと答えた。乾は、市 内高卒者の定着率は高いが、人口総体での分析 では80年代人口急増期での流動率はむしろ平均
より高い。芳澤によるB市のベッドタウン分析 にあるように、産業地域と異なり居住形態が軸 である。団地女性層と地元男性層を出したの は、B市革新自治体の革新意識は、主には勤労 住民を中心とした「新住民層」によって形成さ れたという中大社会学グループの調査結果とは 異なる知見の提示、ということがある。文化的 距離が遠いはずの地域住民と新住民層が共に形 成したという歴史的特色から抽出した。庄司の 問いには、男性の東京への通勤時間の長さとい う構造的制約もあり課題認識以上に動けていな いと答えた。芳澤(D院生)は、B市が歴史的に子 育て条件を作ってきており、それを維持しよう
としていることに注目した発言を行った。80?
90年代、様々な条件をもつ多様な層が流入し、
今日、各社会層の共同は難しいとも思われ、ま たこうした流入層は、性役割分業を維持する可 能性が高い層であるため、その再生産の問題の 克服は難しいかもしれない。が、同時に、流入 層は、その多くが子育て層になっている。そう
した層の子育てに対する意識と、それまでB市 において歴史的に形成された子育てならB市と いう意識を、対話の中で再生しようと言う動き もある。例えば、隣i接市との合併問題について、
市民各層で話し合ったジョイント・ミーティン グでは、子育てするならB市という歴史の確認 とその再生を一つの理由にしながら、合併を回 避するということが起こった。性役割分業の問 題やニーズの異なる層同士の関係づくりは困難 かもしれないが、こうした動きの中に、子育て を基軸にしながらジェンダーの問題に取り組ん でいく可能性はあると思いたいとした。大串 は、スムーズに地域定住出来ない現実が本文中 に示されているが、地域定住には子育ての実家 指向などジェンダー意識が関係するだろうと述 べた。次に杉田は、地域における市内高校の存 在が現代を生きる若者の抱える困難に関わって どのような意味があるかについて二点発言し た。まず、地域とむすびついた学校づくり・教 育実践は高校生のアイデンティティ形成とコ
ミュニケーション能力の向上をはかって構想さ れ得ると述べた。次に、「底辺校」において生徒 の現実を認識したところから代表的な実践が生 まれてきた事実があるが、H3高校も調査者も
「幅の広い生徒」の入学を希望するならば、その
2001〜02年度総合ゼミの記録
希望は「底辺校」化している市内高校の実践を 生徒の現実からズレたものにするのではないか と問うた。しかし、市内の階層再生産問題と生 徒募集の厳しさを考慮し、学校を地域に開いて
「底辺校」イメージを払拭した結果、「幅の広い 生徒」が入学して実質的な小学区制が実現する という想定があるのではないかとも考えた、と 杉田が述べた。乾は、個別の高校を想定するの
と五つの高校全体を想定するのとでは違ってく る。H3高校は、幅広く生徒がいた方が実践が豊 かになり得るし、少なくとも同程度の学力なら 近隣の生徒のほうが問題を起こしづらく起きて も対処しやすいということがあって、小学区制 的なイメージの原型を持っていた。その上で、
今どうするか。B市の現状を考えた時に言える ことは限られてくる。市内高校の量的キャパシ ティーは多いが、市内高校生は輪切りにあって それほど多くなく、その割合を増やすとすれば どういう形態があり得るかである。その時、五 校横並び的にするのかは議論がわかれる。五校
とも底辺校に固有の実践というわけにはいかな い、とした。次に宮島は、B市の高校は地域の 要望で創立され今日も地域とのつながりを求め ているのは地域依存と感じるが、地域と学校そ れぞれの主体性として今後いかなるスタイルが 必要かと問うた。乾は、一般的に県立高校は制 度上県全体と学区全体に位置するとされるが、
H5高校は類型制・コース制でありB市を最初か ら想定していない。留意すべき点は、70年代地 域と学校それぞれで問題を抱えたためでなく、
問題を抱えた学校が自律化し立て直して外部と の結びつきが破綻した点だと回答した。
(文責・大家律子)
2002年11月14日
上間陽子「現代女子高校生のアイデンティティ 形成」『教育学研究』第69巻第3号2002年9月 報告者:大家律子(M院生)小向英敬(M院生)
今回の総合ゼミでは、上間陽子「現代女子高 校生のアイデンテイテイ形成」(教育学研究,
2002)が検討された。
はじめに、コメンテーターの小向(M院生)か ら(1)卒業後の彼女らはどのような生活を 送っているか?(2)普遍的な概念としての「再 帰的プロジェクト」がA校という特殊な学校状
況に当てはめられるのか?(3)トップ=高階 層と考えるのであれば、3名だけでサンプルが 十分なのか?(4)オタクの生徒達にも焦点化 する必要性があるのではないか?という質問が なされた。それに対し上間(OD)からは(1)
専門学校入学後にフリーターになった1名と、
卒業後そのままフリーターになった1名の計2 名に対する追跡インタビューの概要が述べられ た。(2)女子高校生は自分自身が何者なのかに ついて考えることを迫られている。彼女らに
とって自分が何者かを語っていく際に「サブカ ルチャー」の存在は大きいと考える。(3)
ティーンエイジカルチャーに対するアクセスは 全ての階層に可能であるが 、それを創りかえ るのは高階層であると考える。カルチャーの伝 達が、資本の高い方から低い方へ流れる、とい うブルデューの『ディスタンクション』の概念 をここでは援用している。(4)オタクの4人組 は卒業後も連絡を取り合っている。オタクグ ループと調査者自身に距離が出来てしまったと いうフィールドリサーチでの限界によって、彼 女らについての検討が十分になされていない、
といった説明がなされた。また大家(M院生)か らは、調査の中心でない1グループを「オタク」
と表現したことが、その生徒たちに何か影響 を与えたか、といった問題が出された。それに 対し上間は、フィールドに入る際に、コギャル グループに仲間として認知された。それに対して オタクグループが萎縮したのは事実。ただ、
フィールドワーカーは無色透明の存在になり、
現場に参加することは出来ず、自らとの関わり を生み出さざるを得ない点で、実践でもあると いえる。そのため、自分のキャラクターや居ず まいをこのように明記することによって、テキ ストを開く、まさに大家の指摘したような読み が多様にできることを試みた、と答えた。
次に小国(教員)から(1)本論でアイデン ティティの拠り所とされている「コギャル」意 識を彼女ら自身持っていたのか。またトップや オタクといった言葉は日常的に用いられていた のか?(2)彼女らを「コギャル文化」を持つ 集団と呼び得るのか?(3)コギャル意識の生 成の場としての学校の役割とは何か?といった 質問がなされた。上間からの回答は、(1)コ ギャルという呼び名は余り使われていない。本