距離化のパトス : A portrait of the artist as a young manの研究
著者 浮田 義巨
雑誌名 Core
号 4
ページ 31‑55
発行年 1975‑04‑10
権利 同志社大学英文学会Core編集部
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016371
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距 離 化 の ノ 〈 ト ス
‑ ‑ A Portrait of the Artist as a Young Manの研究一一
浮 田 義 巨
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自伝的要素の多い小説で最も興味をひき,また複雑な問題は作家と被の 分身といえる登場人物, とりわけ主人公との関係であろう. しかも, そ の種の作品では作家が彼の分身を文学作品の素材としていかに扱っている か,いかなる態度で接しているかに,ほとんど例外なく,作品解釈の鍵が 潜んでいる.過去を作品に建らす作家の動機は過去への憧慣,感傷的な告 別,あるいは自己顕刺や告白的な働臨などという徴妙な創作心理に帰せら れるだろう.しかし,いずれにしても,自己の過去相を分身に形象化しよ うとする作家の表現意欲の志向性を見定めるζとは,自伝的な作品がその 後の創作活動にいかなる影響を及ぼしたかという他の作品全体との関連か らも,また,その作品自体の主調音を聞きわけるうえでも,重要な問題で あるといえる.
Jarnes Joyce (1882‑1941)の A Portrait of the Artist asαYoung Man (1916,以下 A Portraitと略〕は作家と彼の分身の形象化の問題を 極めて突出した形で反映している. 勿論,A Porかα1・tは単なる自伝的作 品として片付けることはできず, Rene Wellekが説いているように,一 作品として分解不可能な構成と秩序を保った虚構性を生命とした作品であ る. しかしながら ,A Portraitは伝記的に実証された Joyce自身の性格 や体験的事実と彼の分身である StephenDedalusの芸術的に変質・創造 されたものとを直接重ね合わせることなしに Joyce恒Stephenの 関 係 を 明
距離化のパトス
確にできる作品である. つまり A.Portraitを完成するまでに Joyce は A Portrait of the Artist (1904), Stephen Hero (1904‑06)と書き替 え, しかも, その三作いず、れもが青年期までの Joyceの私的経験を素材 にしている作品のため,彼が作家として自己の過去にその都度いかなる構 図を引こうとしたか,無機的で不条理な過去にいかなる目的で意味と秩序 と形態を与えようとしたか,その過程と全体犠を再構成できるのである:
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1904年, 妻 Noraを伴い, 執筆中の St
φ
henHeroの原請を手に大陸 に向けてダプリンを去った Joyceは,その時までに A Portrait of the Artist, "The Paris Notebook円 (1903) と題する Aristotle詩学に触発された美学に関する覚書や, Ibsenの影響下で社会に対する文学の目的と 芸術家の投割を情熱的に披濯し, 以後の Joyceの決定的信念となってい る Dramaand Life (1900)と題する論文をはじめとして, 数篇の書評 を手がけている.彼の芸術観と芸術家像を原理的に支えているこれらの断
かきもの
片的書物を骨格にしたうえで, Joyceは20歳前後までの彼の体験, とくに
エ シ テ レ ケ イ ア
人間社会の永久不変な諸法則を瞬間的に顕示し,円現したとおもわれる 意識体験を epiphanyと称する記録を中心に配列して, 自己を芸術家にな る運命の青年とみたてた肖像を以後10年間にわたって描き続けたわけであ る.
Joyceが芸術家の肖像を描く心境』こいたった理由は初期から肖像完成ま で変化していない.その一貫した執念と忍耐はカトリシズムから背教し,
ダプリンを去って芸術家となった彼の必然性を自己正当化ずる目的に主と して根ざしている.過去に向ってアイデンティティを探求していくなかで,
芸術の目的と芸術家の役割を再考し,それに関連して個人の倫理観と社会 の道徳観の批判的検討をせまられ,その結果,既成価値を遵守する社会か
セ ル フ エ グ ザ イ ル
ら疎外され, 白ら進んで自己追放せざるをえなくなった若き芸術家に焦点
距離化のパトス 33 を合わせて〈一市民としての芸術家〉とく芸術家としての芸術家〉の換の 総合化の不可能性を自己の肖像として再生しようと願った試みといえる.
アイデンティティを求めて過去相に向う Joyceは, 被に特有な過去の 想起法と再生方法を提示する.次に引用する一節は第一草稿,A Portrait of the Artistの冒頭部分である.そ乙で Joyceは肖像制作にあたる芸術 家の過去の認識態度を時間構造と記憶に関連させて自己確認している.
The features of infancy are not commonly reproduced in the adolescent portrait for, so capricious are we, that we cannot 01' ιrJill not conceive the past in any other than・ts iron mernorial aspect. Yet the past assuredly implたsa fluid succession of presents
,
the development of an entity of which our.αctual present is a phase only. Our world, again, recog‑ nises its acquaintanc巴 chieflyby the characters of beard and inches and is, for the most part, estranged from those of its members who seek through some art, by some process of the mind as yet untabulated, to liberate from the personalised lumps of matter that which is their individuating rhythm, the first or formal relation of their parts. But for such as these a portr万it is即 tan identijicative paper but rather the curve of an emotion. [Italics mineJJoyceは過去の時間構造を二つの相反する観点から把えている.ひとつ は Spencer流の進化論的認識であり,他は Bergson流の持続の哲学であ る.換言すれば, Joyceは物理的で chronologicalな時間を「内的生命の 連続性と混同」していたといえる.Bergsonの持続とは「後のものの中に 前のものを延長し, これらのものが絶えず再生する現在の中で現われたり,
消えたりする純粋に瞬間的なもの」であり9 メロディーの展開に聴きいる われわれの意識の流れに近い状態である Joyceが Yet the past as‑ suredly implies a fluid succession of presents, the development of an entity of which our actual present is a phase only.円と語るとき,
i
皮は距離化のパトス
Bergsonの持続の哲学の立場に非常に近く, 内的生命の流動性を the curve of an emotion円として表現しようとする彼の試みにも充分うなず
く乙とができる. ところが同時にまた, Joyceは内的持続を妨げる記憶か ら類推してつくられた chronologicalな時間の観念によって肖像を制作せ ざるをえないとも語る. この chronologicalな時間意識は,後節に述べる Bildungsroman (教養小説〉一一主人公が自己形成をとおして彼のアイデン ティティを探求する小説群一ーに特徴的にみられるものである.さらに,
chronologicalな時間の観念とは, 過去一現在未来にわたってあらわれ る存在様相の変転した全体像を,本来は無意味で非有機的なモザイク状に 断片化している内的生命の集合的な継続相を,そこに個々人の意味と価値 を読みこむことによって想起された因果関係にしたがって, 総 合 化 す る Spencer流の道化論の立場である.
芸術家としていまに至った Joyceを正当化するために過去相に向って アイデンティティを探求する肖像制作人にとっては, 一見して Spencer の立場が有利であることは疑いようがない.事実,多くのピルドウングも のは, 作家自身の生きざまを Spencer流の時間観に基づいて主人公の生 の軌跡上に集約的に全体化して投影し,それに作家自らが意味と因果の価 値を与えた作品で、ある.Joyceも基本的には他のピノレドウング作家と同じ 立場であるが,自己解釈した過去の像につけ加えて, the curve of an emotion"の表現による過去そのものの姿の再現も望む.第一草稿は,従
って, 以後の Joyceが克服していかねばならなかった表現技術上の難問 を, おそらく Joyce自身はあまり厳密に考えずに, 提題していたといえ る.
以下, Joyceが乙の提題をいかに消化していったか,その過程を Joyce と主人公 StephenDedalusの関係に焦点を含わせて, 第一,第二草稿,
そして完成稿の A Portraitと創作年代1]演に追ってみよう.
距離化のパトス 35
3
A Portr,αit of the Artistの主題は明確でない.肖像の主題について,
Joyceは theideas of et巴rnaldamnation, the necessity of penitence and the e伍cacyof prayer"と言っているところから, 中心主題は完成 稿の A Portl刀it,第3章に述べられている静修期間における Stephenの 回心の描写部分と同じであると想定できる.しかし, 2000語足らずの第一 草稿では, それに相当する部分は St. Augustineが魂の清らかさについ て述べた一節を引用して,肉体的に滅ぶべき定めにある人聞の美しさを語 る70語ばかりの個所だけであり,それも宗教家としてではなく,芸術家の 眼をとおして理解できる美しさに力点がおかれている.そのため,第一草 稿の肖像は, 芸術家として目覚めた後の ,A Portraitでいうならば, 第 5章の学生詩人 Stephenの宗教観・政治観・芸術観をほぼ全紙面を使っ て開陳しており ,A Portraitの Stephen像が幼少期から学生時代にかけ て平均的に描かれているのと著しい相違をみせている.しかも,肖像制作
グ イ ュ ・ ポ イ ン ト
人としての Joyceの視点は,モデルである主人公の学生と完全に同一 レヴzノレで,同じ姿勢で過去をみている.
Dearest of mortals! In spite of tributary verses and of the comedy of meetings here and in the foolish society of sleep the fountain of being (it seemed) had been interfused. Years before, in boyhood. . . . he had been made aware of thee. . . . Benehcent one! (the shrewdness of love was in the title) thou comest timely, as a witch to the agony of the self‑FV01m,an envoy from the おlr川 市 oflife
口 組
lics mineJAPortraitの第2章末にあたる,娼婦街で初めて罪の甘さを体験した場 面である.感嘆符の多い持
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育的文体や Yearsbefore, in boyhood門にみ られる過去相の想起法から Joyceは肖像の人物(未だStephenD(a)edalus36
の名はつけられていない〉と同じように感じ,考えていることがわかる.
というよりもむしろ Joyce自身の純粋な回想形式で書かれているため,
Joyceを敢えて He円と三人称化ぜずに I円と語ったところで, 伝わ る表現効果に大差はない.強いていえば,性体験を告白すること自体が当 時のアイルランドではタブー視されており,このタブーを破って告白する Joyceの屈折した表現心理が感嘆符の多用や擬古文まがいの持情的表現,
そして He円の使用となったと理解できる.
しかし Joyceがこの A Portrait
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the Artistを発表するつもりで いたアイルランドの定期雑誌 Da仰 の 編 集 者 JohnEglintonから,編集 者自身に理解できない作品を雑誌に載せられないと適切にもいわれたよう に, また Joyce 自身も A Portrai・tで文学表現の形式を the lyrical, epical, dramatic formと三段階に分類し,発生的な形式である thelyrical formを the artist presents his image in immediate relation to himself" (P. 213)と定義しているように,第一草稿の肖像はあまりにも 主観的な表現であって,その主観性が作品内に読者がはいることを劫げて いるのである.換言すれば, Joyceが彼の肖像画を自分にのみ呈示してい ることは,肖像制作人とモデルが〈書く〉という行為をとおして一体化し ていることを意味する.A Portrait
0 /
the Artistの肖像人物は,未だ A Portraitにみられる Icarusの名が示す象徴的芸術家として解釈されていないが, カトリシズ ムからの背教者, 芸術への殉教者のイメージは既に Luciferとして定着 されており,デッサン風なスケγチで描かれている.しかし,その粗い肖 像画は,Bergson 流の持続の意識に基づいた thecurve of an emotion円を Joyce本人には確認させたかもしれないが, 読者には主観的な持情性 が氾濫して輪郭線のぼやけたイメイジしか伝えない.肖像のモデルを形象 化するときに,モデ、ノレを客観視する匝離の意識が乏ししまた,モデルと 主情的に一体化してしまう Joyceは, 彼の過去相を chronologicalに再
距離化のパトス 37 構成する批判的な作業を未だ完了していなかったといえる.
4
第二草稿,Stφhen Heroは原稿にして1000頁余りにおよんだらしく,
383頁の現存原稿部分だけでも A Portrait全章の長さに匹敵する長編小 説であったらしい. 現存する部分は A Portraitの最終章 University Collegeでの Stephenの学生生活を描写した部分に相当する. その主題 は政治・宗教・性。家族e芸術から成る.アイルランドの独立を実現する ためにベンサミズムと愛国主義とを合体させる学生間の昂揚した政治意識 や主義の相違から生まれた Stephenの孤立意識, カトリシズムからの背 教,ベアトリーチヱ的な女性である EmmaCl切 と 言 語 の 娼 婦 に 別 際 な くおぼえる Stephenの人関愛と性の衝動, 家運の衰退とミサ祈蕗を懇願 する信仰厚い母との割歯~,そして Drama and LiJ告の校内機関誌への発 表や友人となされる一連の芸術論議が Stephen個人の倫理次元とアイル ランド全体を対象とした社会次元とにわたって錯綜したまま展開されてい る.
これら五主題は同じく A Portraitの主題である. しかし ,A Portrait の主題構成は芸術家をめざす Stephenの自己形成を軸として, その軸を 中心に五主題を轄射状に配列している. 緊密な構成力を示す A Portrait と主題が錯綜して不統ーな Ste件。1Heroとを比較すると,設ephenHero は過去の事実事項の報告文書であるとかエピソード風に編集した自伝的作 品にすぎないとの手厳しい批評も無理からないとおもえる.例えば,
Stephenの内的意識を egoism"という概念で図式化し,過去の事実を chronologicalに忠実に回想した部分,
His family expected that he would at once fol1ow the path of remunerative respectabi1ity and save the situation but he could not satisfy his family. He thanked their intention: it
has first fulfilled him with egoism; and he rejoiced that his life had been so self‑centred̲ (SH̲ 53)
の心現描写と,年齢はずれるが, Stephen少年への父や先生の要求に対し て彼の揺れ動く心境を描写した A Porすα伐の部分,
. . he had heard about him the constant voices of his father and of his masters, urging him to be a gentleman above all things and urging him to be a good catholic above all things. (P. 84)
を比較すると ,A PortraitのStephen少年の感じる未来への不安と反抗 的なけだるさは,読者にまで伝わり, 読者は Stephenの生のリズムを聞 きながら似たような体験を想起できる. 第一草稿の A Portrait of the Artistは持情の氾濫が肖像制作人のそデノレに対する距離化の意識を不透明
にしたように ,Stephen Heroは chronologicalに忠実な事実報告が, 制 作人とモデルを凍結し,両作品とも読者の作品参加を難かしくしている.
Stephen Heroと A Portraitの主題配列の相違や Stephenのjfj象化 の変化は, Stephenに対する Joyceの関係意識の変化に還元できる. こ の変化の過程は StephenHero用につくられた覚書, The Pola Note帽 book" (1904)とA Portrait用の TheTrieste Notebook" (1907‑09) に書きとめられている Stephenに対する Joyceの批判的な批評精神であ る距離意識の形成過程として再構成できる.
青年時代のJoyceが一貫して興味を示していた美学はThomasAquinas のスコラ哲学用語を借用した美の認識作用一般に関する系統的な記述とな
り, ThePola Notebook"全体の三分のーの割合を占めるまでに中心的 な問題となっていた. ところが TriesteNotebook円では量も全体の十 分のーに満たず, Aquinasの用語は一切借用されておらず,また記述も系 統的な統一性に欠け,例えば, Thereis a morningimsp iration as there is a morning knowledge about the windless hour wh巴n the moth
距離化のパトス 39 escapes ftom the chrysails.・・・円に典型的に示されているように, ふと
した折とか迫這の道すがらに浮かんだ着想を断片的に書きとめたにすぎな いのが特徴となっている.
この覚書にあらわれた美学の占める比重の変化は, そのまま Stephen HeroとA Portraitの美学・芸術論議をする Stephenに反映している.
Stephen HeroではUniversityCollegeのLiteraryand Historical Society の機関誌に Dramaand L砕 を 発 表 し よ う 乙 し た Stephenは, その際,
当局側から論文の検問を受ける.抗議のため学長と直接交渉したStephen は,学長から道徳心を無視した芸術至上主義的傾向の論文と指摘される.
自己正当化する意味で, Stephenは教会の博士 Aquinasの Pulcrasunt 8・Uaevisa placent." (SH. 100, Those things ar巴 beautiful the appre‑ hension of whice pleases.)の一文を引用して自説を強化する Aquinas の権威を美学に利用することは教会権力の介入から自衛する Stephenの 巧智である. しかし, Stephenと学長の芸術論議は一種の重苦しさを生み 出す. この重圧感は同じく StephenHero中で Cranly相手に Stephen が美学・芸術論を語る場面でも主調音となり,閉塞情況にいる青年知識人 特有の一途さや焦燥心を感じさせる. ところが A Portraitになると,
Drama and L併については一切触れられていない. また,芸術論議の 相手も,憂愁な青年Cranlyから,性格の全く違った陽気で世
i
際的な友人 Lynchが務める.20) Lynchは Stephenの ス コ ラ 臭 さ が 鼻 に つ き 真 ・ 善。美」などの抽象語を形式的に組合わせた表現の愚劣さに業を煮やし,‑But what is beauty? asked Lynch impatiently. Out with another definition. Something we see and like! Is that the best you and Aquinas do ?‑Let us take woman, said Stephen.
‑Let us take her! said Lynch fervently. (P. 208)
スコラ臭い Stephenと世俗的な Lynchの並列描写は明らかにアイロニ カノレな効果を生みだしている. このアイロニーは,中村光夫が Balzacや
Flaubertらの自然主義作家にみられる創作態度として説く作家の批評精 神,即ち I作品の主人公に対して持った作者の人間的批判であり,言葉 をかえて云えば,彼の意識の限界を作者が明確に意識するζとによって,
他の作中人物に彼と対等なそれぞれ独自の生命を浮彫りすること
1
から生まれてくる.
Ste
ρ
hen J‑IeroとA Portraitにおける Stephenの変化は何を意味する のか,A Portraitの Stephenを asa young man円と描けるまでに 対象化していった Joyceの内部に何が起ったのか, それを調べる前にもう少し具体的に StephenHero中の Stephen像を描いてみよう.
The poet is the intense centre of the life of his age to which he stands in a relation than which none can be more vital. He alone is capable of absorbing himself the life that surrounds him and of flinging it abroad again amid planetary music. (SH. 85)
人間社会の不変法則を歌う Shel1ey風のロマン精神をもったこの芸術家像 を一方の極とすると,その対極にカトリシズムからの背教の像が結ばれる.
The Catholic husband and wife, the Catholic father and mother, are allowed to be natural at discretion but the same grace is not vouchsafed to Catholic children. . . . Stephen had felt impulses of pity for his mother, for his father, for Isabel, for W巴l1salso but he believed that he had done right in resisting them: he had first of all to save others unless his experiment with himself justified him. (SH. 132)
たとえミネノレヴァの棄になろうとも, この生の実験の手段として Stephen が選んだもの, それが芸術による自己表現に他ならない. 現 実 社 会 の 制 度・価値観の矛盾を告発する文学はBalzac,Flaubert, Ibsenらの影響であ る.そして, ζの芸術家像の背教者の決意、を媒介にして JoyceとStephen の距離はほとんどなくなっている.
距離化のパトス 41 宗教と芸術の結びつきは A Portraitになると暗喰的説明に変わる.
nationality, language, religion"を魂を束縛するネザトとみなして飛び 越そうとする Stephenは,その理由をただ Irelandis the old sow that eats her farrow." (P. 203)とだけ示す.先に引用した Stephenl‑Iero中 の具体的な説明から A Portrait中のζの暗11議的な説明への移行は, Joyce の生立や過去に対する, また Stephen像に対する匝離意識の深化以外に 何を説明するであろうか.つまり,価値観の変草をめざして現実社会の矛 盾を暴露する作家〔詩人〉の視野は一個人の私的な体験から家族関係・性‑
宗教そして究極的には国家の理念にまで拡大される.そのような作家は,
the world of his experience and the world of his dream円 (Sl‑I.82) に懸けて黙想する人であり, 現実世界を車構世界へと変客する a sele町 ctive faculty and a reproductive faculty円(Sl‑I.82) を特権的に賦与さ れた人である. しかし ,St
φ
hen l‑Ieroの具体的な説明描写がともすれば 過剰な事実報告にすぎなくなる原因は,この選択・再構成する想像力にと んだ批評精神が乏しいことに求められる. ことばを換えていえば,書きき ざむべきおびただしい過去の事実をまえにして, Joyceは過去相の chron司 ologicalな再生にあまりにも忠実でありすぎたといえる.想像力をともなわない chronologicalな時間意識は Joyceが Stephen に寄せる近親者意識の高まりに比例して強固になっている .A Portraitの エピグ、ラフ, Etignotas ani.刀m mdimittit in artes: OVID, }Aetanω F phoses, VIII, 188円(P.5)が二人の関係の決定的な転機を示している.
Metamoゅんosesからこの一文が抜書きされた覚書は A F.ω'trait用の The Trieste Notebook円であり Stephenl‑Ier・0 用 の The Pola Notebook円にはStephenの顕著な特性はなにも記されていない.Stephen l‑Iero執筆の時点では,従って, Stephen Daedalusは Joyceと異質な人 間として対象的に把握されていない近親的存在であると推定できる. The Pola Notebook円 の Stephen Daedalus と対照的に, The Triest巴
Notebook円 の S.D.円 項 に は MetaJ陶'phosesからのヲ
I
用に続いて,He dreaded the sea that would drown his body and the crowd that
23)
would drown his soul."が書きとめられている. このことから A POr‑ traitの Dedalusは古代ギリシアの工匠 Daedalusの息子,父の命に背き 海に堕ちた Icarusと重なることは明らかである.
Stephen Dedalusの名は聞き慣れない名前であり, JoyceもA Portrait のなかで読者の注意、を主人公名に向けるよう工夫している.そして,その 名の示す象散の起源を, 多くの Joyceanは, キリスト教徒の中で最初の 追放者であり殉教者 Stephenと, 古の工匠 Daedalusの息子 Icarusと に求めている.しかし,その象徴は A Portraitにそってのみ解釈可能な
24)
のであり ,Stephen Heroの同名の主人公にまでその象徴を重ねる解釈は,
Joyceの意図に反するといえ, さらには Joyceの10年間にわたる肖援制 作の過程を歪めるζとにもなりかねない.
Theodore Spencerは CardinalPaulが創立した CatholicUniversity
お〕
of Irelandを StephenDaedalus's Universityと注釈しており, また,
青年期の Joyce自身も手紙や作品のペンネームに StephenDaedalusを 用いている事実から考えて ,Stephen Hero執筆時の Joyceは Stephen Daedalusの名を聖書やMetamoゆhosesの表現世界の人物と象徴的に重ね 合わぜる意図はなく, Jesuit教育により形成された,芸術家資質に富む,
感受性の強い青年知識人のアイルランド的典型を現実世界の人物として形 象化したものとおもわれる.Stephen Daedalusは Joyceその人だとは言 いきれないし,言ったところで作品解釈のためには無益であろう.しかし,
St
φ
hen Heroの主人公は A Portraitの StephenDedalusよりもずっ とJoyceに身近な存在であったことは確かである. そしてこの近親者意271
識が, たとえ Hero円に調刺がこめられていようともj本質的には,モ デル Stephenに対する肖像制作人 Joyceの批評精神に基づいた想像力の 活動,距離意識を凍結していたのである .Steρhen Heroの芸術家像はあ
距離化のパトス
まりにも chronogicalに忠実な細密画である.
5
43
Stephen Heroと A Portraitの主人公像はその名の由来をめぐって分 裂した.Stephen Her・0 の Stephenはダプリンの街角に住む青年知識の アイノレランド的典型であった.A POlγaitのStephenは,Stephen Hero の現実的な主人公像につけ加えて Metarnorlうおsesの神話的ともいえる 人物像が重なる.
A voice jト'Ornbeyond the wοrld was calling. HelloラStephanos!
‑Here comes The Dedalus!
. . . . Now, as never beforeヲ his strange name seemed to him a prophecy. So tirneless seemed the grey warm air, 80
:
fluid and in
ψ
ersonal his own mood, that a1l ages were as one to him. A moment before the ghost of the ancient kingdorn of the Danes had looked forth through the vesture of the hazewrapped city. Now, at the narne of the fabulous artがcer. . . to see a winged form :fling above the waves and slowly climbing the air. [Italics mineJ (P. 168‑9)海辺で波の音をききながら, Stephenは彼の固有時 (Kairos)を体験す る. アイルランドの青年知識人としての Stephenは祖国の歴史や物語の 幻想に束縛されたく歴史一内一存在〉する人間である. この歴史上の観念 的束縛は StephenHeroの主人公の姿そのものである. しかし ,A Por‑ traitではく超歴史一存在〉する人物が Stephenに呼びかける.その召 喚は彼岸からの超歴史的な刻印を帯びている.時間性は消滅し,古典世界 の秩序がエーテルのように広がる. 無時間性の支配した秩序の中へ Ste同 phenは揮発し, chronologicalな彼の容貌は非個性化する.
しかし ,Stephen HeroとA Portraitの二つの肖像画は, アイデンテ ィティの探求による自己正当化という Joyceの創作動機に照らして比較
すると,さほど相異った容貌を示さない.引用した海辺での固有時体験も,
アイデンティティ探求の一過程,しかも彼を実存に導く「時満ちた時機J である Jesuit教団からの勧誘により Stephenは未来の被を The Reverend Stephen Dedalus, S. J.円(P.161)と夢みる. しかし前節で Stephenの背教経緯をみたように,カトリザク教会とアイルランド国家の 歴史の重層構造に耐えきれない青年知識人 Stephenは, 教会の召喚を拒 否する. 海辺に出てヨーロヅパの歴史を考える Stephenに彼岸からの召 喚が届く,古の工匠の幻影が披を浸す.
Was it. . . . a hawk‑like man fiying sunward above the sea, a prophecy of the end he had been born to sel勺eaηd had been jちゐwingthrough the加 ;stsof childhood and boyhood
,
a symbol of the artist forging anew in his workshop out of the sluggish matter of the earth a new soaring impalpable being? [Italics mineJ (P. 169)幼少年期を通じてのアイデンティティの探求は人生の目的を見出すことに よってひとつのサイクルを完了する. このサイクノレは「父との対決J,
r
父 の探求」という形で「父」をめぐって進行する.r
父Jとは, この場合,個人的,社会的な双方の父をさす.カトリヅク教会の召喚の拒否は「父と の対決Jであり,古の工匠 Daedalusに彼のアイデンティティを求めるこ とは,日記の中で Oldfather, old artificer円と Stephenが叫ぶこと から 1父の探求」であるといえる.そして,この父をめぐって描かれる Stephen像は,Stephen HeroとA Portraitを通じて, Joyceの肖像制 作動機の同一性を示している.
Stephen Hero, A Portraitは Bildungsromanと総称できる小説群の 中に等しく位置づけられる作品である .Bildμngsromanとは, Goetheの 況なlhelmJl.1eisterに貼られたレヅテル名であることが示すように,本来,
主人公が市民社会に参加するまでの彼の自己形成,人格の陶冶を描いた小 説である.それがイギリス小説界 lこ輸入され,David COjψerfieldなどを
距離化のパトス 45 原型的及作品として1850年頃から急速に発展し, 早くも1921年の Crome
Yellowでは社会環境に抵抗しながら芸術家をめざすピルドゥングものを
30)
郷捻するまでに隆盛した. この Bildungsromanに共通したテーマのひと つに「父との対決J,I父の探求Jのテーマがあげられる. 可
v .
Y. Tindall や HarryLevinをはじめ多くの批評家が注目しているように,社会的に 疎外された芸術家像を描く Joyceは, 他のピ、ルドヮング作家と同じく,芸術家としての自己の立場を正当化する目的のほかに,彼本来の新価値を 追求し,発見した結果,それを実践するために社会に復帰する夢〈あるい は敗北〉を叶えさすピルドヮングの形式を不可避なものとしたことは確か であろう. このことは,従って I父」をめぐって闘われる主人公のピソレ ドヮングが小説の筋の展開を支えるために設定されたひとつのテーマとし てあるばかりでなく,創作活動の必然性とその意味,目的をたえず自問白 答しつづける作家自身の〈書く〉姿勢をも反映していること,というより むしろ, <書く〉姿そのものを書きこもうとする作家の祈りにも似た気持 を語っている.Joyceの場合,前節でみたように,新価値の追求とそれに 捧げる生の実験の手段として Stephenに芸術を選ばせた緊迫感が,Bild園 ungsroman形式で肖像を描いた彼の姿勢を何よりもよく説明している,
Steρhen Hero, A Portraitの両作品とも Stephenの個人的な父である Simon Dedalusへ対する痛烈な否定はなく, とくに A Portl沼itでは,
むしろ父の権威失墜が Stephenの自l朝をまじえた無関心な口ぶりで紹介 される.だが社会的父の象徴である教会権力に対しては,
1 am a product of Catholicism. 1 was sold to Rom巴before my birth. Now 1 have broken my slavery.... 1 will not submit to Church. (SH. 144)
と撤底した不服従の姿勢を示す A Portraitになると対決はより劇的に 宣言されるだけで, 少しも譲歩の兆をみせない.St
φ
hen I‑Ieroでの「父 の探求」は教会を去った Stephenによって芸術の祭壇に柁られた見知らぬ神に轍えられる.
Civi1ization may be said indeed to be the creation of its out1aws. . . . These inhabit a church apart; they lifted their thurib1es wearily before their deserted altars; they lived beyond the region of mortality, having chosen to fu1fil the 1aw of their being. (SH. 183)
この見知らぬ神を芸術の祭壇に記札 香炉を捧げもつ Stephenの姿は Bildungsromanの「父探し」像の典型といえる.
しかし皮肉なことに,未だ知られぬ新価値の探求とその発見によるアイ デンティティ確立を希うこの美しすぎる像をめぐって,一般的にBildungs‑ roman作家が陥りやすい欠点があらわれてしまう. 象徴的な父を探す主 人公の姿は,本来,作家の〈書く〉姿勢の形象化であるために,作家が彼 の分身といえる主人公の姿に感傷的な愛情をょせ,必要とする距離感を失 って主人公と主観的に一体化してしまい,その結果,主人公へ対する読者 の共感を殺ぎ,追体験を阻んでしまう危険性である.Stephenが Stephen Hero, A Portraitの両作品で、「父探し」像として同じように扱われてい ながら,その相貌を異ならせる理由は,実はこの Bildungsroman作家と しての Joyceの姿勢の変化に求められる.
The Longest Journeyと題する Bildungsrom仰を自身でも書いている E. M. Forsterが A Portraitの Joyceについて, he [JoyceJ und‑ ermines the universe in too workmanlike a manner, 100king round for this to01 or that. . . . it [A Portrait] is ta1k, ta1k, never song."と 手厳しい批評を下しているが Forsterの意見は Bildungsroman作家 Joyceの姿勢の変化にある種の照明を与えてくれる.本来,作家の精神的
34)
自己弁明の性格が強く, 気真面目な内容をもったピルドゥングものを,
Joyce は職人的な腕の冴でその形式的側面のみ換骨奪胎したのではなかろ うかという推測である.換言すれば,芸術家の肖像を描くことで自己弁明
距離化のパトス 47 を試みる StephenHeroは,結果論的にみて Bildungsromanの形式を踏 まえていたという不可避な,自然発生的なピルドゥングものであったのに 反し ,A Pm・traitは, Joyceがあらかじめ意識的・投巧的にピルドヮン グものに共通してみられる主人公の性格・主題・筋の展開などを設定した 目的論的なビ、ルドヮングものではなかろうかとの推測である.五主題の不 統一と散漫な展開, Joyce自身の体験に忠実な,詳細を極めた具体的な説
36)
明描写, 劇的な臨場感を欠いたまま年代1]買に語られるストーリーなどの St
φ
hen Heroの特徴と ,A Portraitにみられる芸術家像を中心とした主 題の統一,一連の birdimageryにみられる暗喰の駆使, Stephenが社会 全体に対し芸術家「個人」の至高性を限りなく主張しながらパリに出発す る場面でクライマックスを迎える計算された緊密な構成など,要するに,37)
芸術家像の原型 Bildungsrom正mの芸術家像の完成と目される Stephen を創造した A Portraitとを比較すると A Portraitの自伝的要素の虚 構化への変容指数は StφhenHeroより格段に上昇しているため,両作品 聞の非連続・飛躍が非常に顕著になりd その聞に Joyceの創作態度に根 本的な変化,あるいは,新しい地平が聞けたのではなかろうかと想定した
くなる.
Stephen HeroとA Portraitの非連続をあまりにも強調しすぎたかも しれないが, この非連続線は Ovidの Metamorρhosesの人物,古の工匠 Daedal us‑Icarus父子の関係を基にした Stephenの「父探しJのテーマ 設定によって
5 1
かれる.つまり, Joyceは父 Daedalusの忠告に背いて海 に墜落し, 溺死した IcarusとStephenを同一視するアイロニカルな視 点の獲得によって, Bilduηgsr,ωηan作家が陥る主観的な表現から免れ,Stephenを充分な距離を保って客観的に形象化できたといえる.
38)
Joyce (Stephen)はAristotleの『詩学』を念頭におきながら,審美的 な感情を次のように定義している.
. . . . The feelings excited by improper art are kinetic, desire
or loathing. Desire urges us to possess, to go to something;
loathing urges us to abandon, to go from something. The arts which excite them, pornographical or didactic, are there‑ fore improper arts. The esthetic emotion (I used the general term) is therefore static. (P. 205)
審美的感情は作家の呈示するイメージに反応して生まれるが,読者と作家 自身の精神的一感覚的相互反応の緊張関係において,このイメージの呈示
39)
を考える Joyceは, 読者に動的で粗野な感情をおこさないように, イメ ージにまといついた作家自身の主観的な要素の排除,非個性化を表現技術 の洗練とみなして,作家のめざすべき理想的な表現姿勢を likethe God of creation" (P. 215)と喰えている. 非個性化した作家により呈示され
たイメージが支配する表現の形式は, he[the artist] presents his image in immediate relation to others.円(P.213) という thedramatic form である. この thedramatic formにいたるまでの表現形式は A Portrait of the Artistを規定した thelyrical form円即ち theartist pr邑sents his image in immediate relation to himself円 (P.213) と he [the artistJ presents his image in mediate relation to himself and to others円
(P. 213)と定義される theepical formが段階的に分類されている. と ころで, これらの定義に続いて St
φ
henHeroの Joyceは whethera portrait was a work of epical art or not. . . ." (SH. 82)と迷っており,彼の肖像を theepical formで表現したいと望んでいた痕跡が認められる.
アイルランド(ダプリン)の悲惨な歴史のひとこまを生きた Joyceが彼 の過去の軌跡の確認と芸術家となった必然性を正当化するために,過去の 彼を青年知識人のアイルランド的典型として形象化した Stephenを通し て同国人に呈示した StephenHeroはJoyceの定義する theepical form の表現形式を踏まえているといえるだろう. しかし, chronologicalに忠 実な過去像を再現しようとしたあまり, Stephen像を呈示する Joyceは 日常世界の時間形式と虚構性を本質とする表現世界の非時間形式とを混同
距離化のパトス 49 したまま,疎外された芸術家像をめぐって, Stephenに彼のアイデンティ ティを求めていたといえる. このような Joyceの表現姿勢は, 前節で指 摘したように, Stephenへの批評精神に欠け, Stephenをアイノレランド の地方
i
生の枠にとじこめてしまい,芸術家像は普遍性を勝ち得ぬまま呈示 され,延いては,当時のアイルランドの歴史的一社会的諸事情に通じてい ない読者の作品参加,追体験を難しくしてしまうものといえる.生々しい彼の過去相を表現世界に転移する JoyceがOvidのAletamor司
ρ
hosesの虚構世界, 歴史の推移に浸蝕されずに人間の精神に沈澱してい る古代の秩序世界を混沌とした現代世界と意図的に重ねるとき Stephen HeroとAPorかaitの非連続線が明確に浮かびあがってくる. 創作行為を thephenomena of artistic conception, artistIc gestation, and artistIc reproduction円(P.209)と母のイメージに喰える Joyceは,海の波音に 世界の時間が止まり,現に生きている歴史的な世界が彼岸の秩序世界に吸 収される固有時のなかで歴史のかなたへと非個性化される Stephenの感 情の昂揚を媒介にし‑C,彼自身のimpersonalな語り方, <(書く〉姿勢を告 白している.イメージを読者に直接呈示するために Joyceは Aletarrωr‑ phosesの虚構世界を劇場に選んだのである.生々しいばかりで捕処のない
現代世界に生きた Joyceは,そのような過去の彼を Stephenに形象化し,
その Stephenをさらに Icarusと重ねることによって, Ulysses,Order and Myth円の T.S. Eliotが現代世界の臓蹄をえぐるー視点として説く,
現代世界と古典世界の絶対的な平行関係を提示し, 日常世界の事物の背後 にひそむ amalevolent reality" (P. 243)を語り得たのである.
「意味と秩序と形態」を求めて自己の過去を Stephenに形象化するた めに Ovidの Metarrωrphosesを劇場にした Joyceの表現姿勢は距離化 のパトスで充溢する.それは chronologicalに認識された過去相を時間形 式の呪縛から表現世界の虚構の秩序へと想像力でもって解き放つエネルギ ーである .Stephen Heroは Spencer流の進化論的立場から Joyceの過
去相を合理主義的な解釈で整合化した Bildungsr仰 Ulnであったが, 日常 世界と表現世界の時間形式を混同して形象化された,いたずらに詳細を極 めた肖像画は,初期の目的であった thecurve of an emotion円の表現 による過去そのものを再現できなかった. たとえ自己調刺の批評精神で もって Joyce自身の内面を解剖し, 自己批判と自己弁明からその成果を Stephenに形象化したとしても,青年知識人のアイルランド的典型として の Stephenに近親者の意識を向けているかぎり, Joyceは nationality, languag,巴religion円に象徴されるアイルランドの歴史から, Stephenと 同じく, 飛び去れなかった lVIetamorアhosesの劇場を A Portraitに建 てることによって, Joyceは allages were as one to him [Stephen]円
という, いわば subspecie aetenitatisで神のように観想ずる超一歴史的 視点を虚構的に設定し, その高みから Stephenとアイルランドを眺めお ろしたのである.しかし subspecie aetenitatisで観想する Joyceは,人 間批判の旗印のもとで作中人物の意識と行動のみを冷静に外科解剖する近 代小説家とちがい,神のような impersonali tyと裏腹な自我意識の極度に 肥大化した Joyce自身の素顔を表現行為という人間精神の不変的な営の 相の下に顕かにする.Dublin, 1904/ Trieste, 1914, A Portraitの結語を こう結んだ Joyceは古の工匠 Daedalusがミノスの支配を逃がれたよう に,新しい表現技術によって,海に囲まれたアイルランドの歴史の榔から 自由になったであろうが,息子を失くした Daedalusと同じく, Stephen を失ったのである.Stephenは Metαnωrphosesの劇場で thecurve of an emotion"を歌う impersonalな過去そのものになり,観劇すらでき ない Joyceはさらにアイデンティティを求めて街をさまようのであろう.
迂
1) A Portraitにおける StephenDedalusとJoy伐の関係を論じた批評を大 別すると,
1. StephenをJoyceの自伝的な肖像とみなし両者の差異より一致する面を
距離化のパトス 51
強調.
2. Stephenを年上の Joyceによって asa young man"と虚構的jこ措か れた肖像とみなし.Joyceのartisticditachment, ironical attitudeを強調.
3. Stephenを Joyceの自画像と文学的伝統が提供する様々な主人公像とが 複雑に合された肖像とみなし.Joyceのambiguousattitudeを強調.
代表的批評家としては1はWyndhamLewis, 2はWilliamY ork Tindall, 3は RichardElImannがあげられる.また,順次1. 2. 3と辿ることによっ て,A Portraitをめぐる批評史も構成できる.これら三者の見解はいずれも伝 記的事実〔事実無根の感情的虚妄もあるが〕と文学の伝統に基づいた解釈であ る.最近の研究は,Wayne Boothや RobertScholesらを代表とする Sty1istic approachが優勢である. 以上のように ,A Portraitの批評・研究は What is the attitude of James Joyce toward Stephen Dedalus?"という作家と主 人公の距離関係の測定を基本的作業としている.
(Chester G. Anderson,The Question of Esthetic Distance," A Portrait of the Artist as a Young A'vlan: TexムCriticism,and Notes, ed. Chester G. Anderson (New Y ork: Th巴VikingPress, 1972), pp. 446‑54.). 2) Even when且 work of art contains elements which can be surely
identi五巴das biographical, those elements will be so rearranged and trans. formed in a work that they los巴 all th巴ir sp巴Cl五cally personal meaning and become simple concret巴humanmaterial, integral elements of a work."
(Austin Warren and Rene Wellek, Theory of Literature (New Y ork : A Harvest Book, 1956), p. 78.)
3) …this marvellous life, wherein he had annihilated and rebuilt exper‑ ience, laboured and despaired, he came forth at last with a single purpose
‑to reunite the children of the spirit, jealous and long.divided.圃..against fraud and principality." CJam巴s Joyce, A Portrait of the Artist," The '
vVorkshojうofDaedalus, co l.and ed. Richard M. Kain and Robert Scholes (Evanston: Northwestern University Press, 1965), p. 64.)
4) James Joyce, A Portrait of the Artist as a You河gJ.VIan (Harmondworth : Penguin Books, 1971), p. 253.以下, 本書からの引用はすべて Penguin版 からとし,引用頁数は (P. )で引用直後に示すことにする.
5) Epiphanyの定義は Stephen Da巴dalusによると By an epiphany he (Stephen) meant a sudden spiritual manifestation, whether in th己vulgarity of speech or of g巴sture or in a memorable phase of the mind itself.円 CJames Joyce, Stφhen Hero, ed. Theodore Spencer (London: Jonathan
Cape, 1969), p. 216.)定義そのものの変化については, S. L. Goldberg, The Classical Te1刀~per (London: Chatto and Windus, 1961), pp. 51‑2.を参照.
尚,以下 StephenHeroからの引用はすべて JonathanCap巴版からとし,引 用頁数は (SH. )で引用直後に示すことにする.
6) At th巴ageof twenty‑one Joyce had found he could be become an artist by writing about the process of becoming an artist, his life legitirrト
izing his portrait by supplying the sitter, while the portarit vindicated the sitter by its evident admiration for him." (Richard El1mann, James Joyce CLondon: Oxford University Press. 1965), p. 149.) また A Portraitの 創作動機については,同書 p.306を参照.
7) S. L. Goldberg, The Classical Temper,・p. 60.
8) Jam巴sJoyce, A Portrait of the Artist," The vVorkshop of Daedalus, p.60.
9) アンリベルグソン,
r
持続と同時性」花田圭介ヲ 加藤精司共訳,u
ペノレグソ ン全集Jl (東京:白水社, 1973), p.200.10) ~I司書J], p.200.
11) Margaret Church, Time and Reality (Chapel Hi1l: The University of North Carolina Press, 1963), pp. 27‑38.
12)
r
スペンサーの方法のいつもの技巧は3 すでに進化したものの諸断片をもっ‑c,進化を再構成するところにある……私がボール紙に一枚の絵を貼りつけ,
ついでこのボール紙をいくつもの細片に切り分けるとしよう.それらの細片を しかるべくまとめるならば,私はもとの絵を再現することができるであろう.
はめえ
子供はこうして依絵の一片一片をもてあっかい,形の崩れた絵の断片を並べ,
ついには美しい彩色画を手に入れる.おそらくこの子供は,構図も色彩も自分 で生み出したと思うだろう,それにしても,図を描き色を塗る行為は,すでに 彩どられた絵の断片を寄せ集める行為と,何の関係もない.J Chronologicalな 時間意識で過去を現在と結びつけ統一像を得たと思い満足する認識能力は,最 i
i会を再構成する子供の推理能力と本質的に同じものである. (アンリベノレクゃソ ン
,
r
創造的進化J],松浪信三郎,高橋充昭共訳(東京:河出書房新社, 1969), p.387.13) James Joyc巴, A Portrait of the Artist," The VVorkshop of Daedalus, p.60.
14) Ibi・d.,p. 65. 15) Ibid., p. 56.
16) the lyricrl, epical, dramatic formは通常ジャンル上の分類と理解され A
距離化のパトス 53
Portraitをlyrical,Ulyssesをepical,Finnegans Wakeをdramaticに対応 さぜて応用されている. しかしう これらの文学形式の分類は, 作品の表現形 式よりも表現者の表現対象に対する態度を規定, 分類したものだといえる.
(Robert S. Ryf, A
ル ^
w Approach to Joyce (Berkeley: University of California Press, 1966), pp. 107‑9.17) Theodore Spencer, 'Introduction," Stephen Hero, pp. 15‑6. 18) Robert S. Ryf, 0ρcit., p. 55.
19) James Joyce, The Trieste Notebook," The W町長shop of Daedalus, p・ 97.
20) Joyceはパリ滞在中に Byrne(Cranly in .A Portrait)とCosgrave(Lynch in A Portrait)にそれぞれ葉書を送っている.Byrneは都会生活の spleenを 物悲しく縁った詩を送られ感動し, パリの Joyceを誰よりも詳しく知ってい ると誇らしげに葉書を Cosgraveにみせる Cosgraveは彼宛の葉書を差し出 し, 'Perhaps that's something you didn't know.' Byrne read Joyce's description in dog‑Latin of Paris whoredom with constermation; he had explicity warned J oyce not to con五dein Cosgrave … " (Richard El1mann, Ja庁lesJoyce, p. 120.)
21) 中村光夫, r風俗小説諭~ (東京:新潮社, 1973), p・41.
22) The Pola Not巴book"を書いた時点が1904年で,Stφhen Hero中断時が 1906年のため,その間に JoyceのStephen像に変化もありえるが,少なくと もIcarusと重ね合わす試みはStephenHeroではなされていない .A Portrait の終末でStephenは古の工匠Daedalusに父と呼びかけるためStephen‑Iearus の重なりが生まれるが, Stφhen Heroでは Stephenがアイノレランドの民衆 に呼びかける場面でしかない.(cf. James Joyce, Stephen Hero, p. 240). 23) James Joyce, The Trieste Notebook," The Workshop of Daedalus, p.
95.
24) Richard El1mann, op. cit., pp. 153‑4.
25) Paul Cullen (1803‑78)は1866年にアイルランド人で初の枢機卿になった人 物である. 彼の政治政策は親英・反独立主義で, 独立運動をめざす National Movementには,終始,反対の立場をとった .A PortraitのChristmasdinner の論争場面で, 独立運動の勇士 Parnel1(1846‑91)のシンパである Simon Dedalusに見之される人物である.Parnel1を尊敬する Joyceが, Cul1enと彼 の熱意の結晶である CatholicUniversity of Irelandに抱いた反感は, For thirty years 1 have studied the revolution on the continent, and for nearly thirty years 1 have watched the Nationaal movement in Ireland.... H
any attempt is made to abridge the rights and liberties of the Catholic Church in Ireland, it will not be by the English government nor by a
No Popery' cry in England, but by the r巴volutionary and irreligious Nationalists in lreland."と語った Cullen自身のことばから, 容易に想像で
きるだろう.(Edward Purcell, Life of Manniπg, ii, 610, quoted in Cullen Paul," Encyclopaedia Brita冗nica,Vol. VI (1950).)
26) cf. Stanisl乱usJoyce, ¥そ1yBrothe〆sKeφer (New Y ork: The Viking Press, 1969), pp. 243‑4.
27) Richard Ellmann, op. cit., p. 200.
28) Margaret Church, Time and Realiか, p. 35.
29) 川本静子, riイギワス教養小説の系譜JJ(東京:研究社, 1973), pp. 17‑20. 30) Maurice Beebe,Ivory Towers and Sacred Fonnts," A. Portrait of the
Artist as a Young Man,' Text, Criticism, and Notes, pp. 340‑1.
31) William Y ork Tindall, James Joyce,' His Way of 1ηterpreting The Alodern Wor,μ(New Y ork: Charles Scribner's Sons, c. 1950), pp. '8‑9.
Harry Levin, James Joyce,' A Critical Introduction (London: Faber and Faber, 1960), pp. 47‑8.
32) William Y ork Tindall, op. cit., p. 16.
33) E. M. Forster, Aspects of the Novel (Harmondsworth: Penguin Books, 1971), p. 141.
34) 川本静子, ir前掲書~, p.12.
35) William Y ork Tindall, op. cit., p. 9. Richard Ellmann, James Joyce, p. 153 n. 36) cf. James Joyce, Steρhen 昆ro,pp. 240‑53.
A PortraitはStephenの Departure for Paris"で終わるが Stephen Heroではその後も Mu11igarという片田舎に旅行した挿話が続く.
37) JIl本静子, Ir前掲書~, p.275.
38) Stephenが語る美学・芸術論は基本的lこJoyce自身のものであると理解し てさしっかえない .Drama and Life, The Day of the Rabblentの芸術論,
The Paris Notebook," The Pola Notebook"に書かれた美学 Daily Exρressに寄稿した書評等をみると, St巴phenの用語表現方法は Joyce自身 がそれらに書き留めたものと同一であことがわかる. ただ Lynchと芸術論 議をする Stephenが審美的快感の寂滅境を theenchantment of the heart"
と喰えながらも,口をつぐんだあとに余韻として生まれた静寂を "athought‑ enchanted silence (P. 213)と描写しているところから, Joyceは相当なアイ
距離化のパトス 55 ロニーをこめて Stephenのスコラ哲学者根性を祁捻しているといえるだろう.
(cf. Robert S. Ryf, A New Alうproachto Joyce, p. 106)
39) James Joyce, A Portrait of the Arti・'stas a Young 1¥11an, p. 213. 40) T. S. Eliot, Ulysses, Order and乱!J:yth,"James Joyce: The Critical
Heritage V 0 .1I, ed. Robert H. D巴ming (London; Routledge & Kegan Paul, 1970), p. 270.
41) Joyceは芸術家と言葉の関係を神と被造世界の関係に喰えている. …the Father contemplating from all eternity as in a mirror His Divine Perfections プ(P.149)と …wasit that, being乱sweal王ofsight as he was shy of mind, he drew less pleasure from the re宜ectionof the growing sensible world through th色prismof a language many司coloured and richly storied than from the cont巴mplation of an inner world of individual emotions mirrored perfectly in '1 lucid supple p巴riodicprose?" (P. 197)の対応関係
The artist, like the God of creation, remains within or behind or beyond or above his handiwork, invisible, re五ned out of existence, indi百erent, paring his五ngernai1s."(P. 215)にみられる impersonalartistのイメージな
ど, Flaubertの影響も考慮しなければならないが, Joyceの創作態度を考える うえで重要な表現である.