• 検索結果がありません。

EndymionにおけるGlaucus episodeの位置づけ : Glaucusの自我の変容をめぐって

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "EndymionにおけるGlaucus episodeの位置づけ : Glaucusの自我の変容をめぐって"

Copied!
18
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

EndymionにおけるGlaucus episodeの位置づけ : Glaucusの自我の変容をめぐって

著者 藪 友香子, 薮 友香子

雑誌名 主流

号 50

ページ 43‑59

発行年 1989‑03‑20

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014998

(2)

Endymion における G l a u c u se p i s o d e の位置づけ

一 一Glaucusの自我の変容をめぐって一一

薮 友 香 子

43 

KeatsのEndymionは,主人公Endymionの精神成長のアレゴリーである と解釈できる.そこには,真の幸福とは,人間愛を全うする中で達成される 自我の滅却を経験してのみ手に入れられるものだという K tsの主張が表 わされている.

そのBookIIIは, EndymionとGlaucusの友情を描いた巻である.その 中心的なテーマは,自己の苦しみにばかり捕われていたEndymionが友情 の印と LてGlaucusのために奇跡を行ない,利益を顧みず他人に尽力する 喜ぴを知るまでに成長するところにある.これは,多くの批評家の認めると

ころである

しかし, Book IIIの約三分の一(11.314‑711)を占めるGlaucusの身の上 話, Glaucus episodeの意味はあまり考えられていない.Judy Littleは, それは単なる主筋からの脱線であると評する 2 それに何らかの意味を認め る批評家でも, B. E. Mil1erは人間が肉欲に溺れる恐ろしさを 3 E. C  Pettetは人間だれしもが陥り易い俗悪な愛の危険性を 4 指摘するにとど まっている.従来の読み方では,それはEndymionがGlaucusを救うため に奇跡を行なう前提にすぎないのである.

しかしよく分析してみると, Glaucus episodeはGlaucusの自我の目ざめ からその崩壊までを描いた物語であることがわかる.

自我とは,ありのままの自己や自己の置かれている境遇を受容できず,た

(3)

44  Endymio匁におけるGlaucusepisodeの位置づけ

だ欲望のみを充足させたいという,人間の利己的な本質であり,あらゆる欲 望の源である.キリスト教では,自我は人間の原罪と考えられる.Adamと Eveが禁断の木の実を食べて以来,自我は人間の本質となる.

Glaucusの生涯は,自我に捕われながら目先の幸福に惑わされてそれを捨 てる努力を怠った人間の破滅と千年の蹟罪の後の救いを表わしている.そこ には,自我を処理する大切さが主筋におけるのとは違った形で提示され,そ れがこのepisodeに大きな意味を与えていると思われる.その意味は,En‑ d知的判全体の解釈にも影響を与える.安楽を貧り自我減却を経ることなく 滅び、に至ったGlaucusは自我を捨てようと苦しみながら着実に成長した Endymionと対照をなし, Book IIIのテーマである他者への同情と救済行 為の意味を聞い直すものである.

本稿では,自我の変容という観点から G1aucusの運命を分析し,その episodeは,

E

Iymionで主張されでいる,自我の問題をめぐる Keats独自 の哲学をいかに逆説的に伝え,いかに作品全体の解釈を変えるかを明らかに

したい.

G1aucus episodeの 分 析 に 入 る 前 に ま ずE

匁 の

mi側全体において自我の, 問題がどのように扱われているかを明らかにしなければならない.それが最 もはっきり打ち出されているのはBook1の1.1777‑842で, Endymionが 幸福とは何かについて論じる部分である.Keatsにとって,自我の問題は人 間の幸福と常に関わっている.Endymionは自我を捨てることで真の幸福を 得るのであり,彼の精神成長を通して提示されている自我の変容は,幸福と は何かを考えることなしには論じられない.

Endymionは,幸福には二種類あると言う.ひとつはBook1, 11. 777‑ 797で論じられている Afe110wship with essence" (1,  1.779)5  の中に得ら れるものであり,もうひとつは11.797‑842で主張されている,自我滅却

(4)

Enanzonにおける Glaucusepisodeの位置づけ 45  (self‑destroying") (1, . 1799)によるものである.いずれの場合弘幸福とは 苦悩から解き放たれた魂の平安な状態であり,実際に人聞が置かれている境 遇は問題ではない.幸福論で, Endymionは二種類の精神の在り方を論じて

いるのである.

第一の幸福は,魂と essence"の結合により与えられる.Endymionは次 のように語る.

Wherein 1ies happiness? In that which becks  Our ready minds to fel10wship divine,  A fellowship with essence; till we shine,  Ful1 alchemiz'd, and free of space. (1, 11.  777‑80) 

fellowship with essence"は,魂と essence"の合ーである.Endymionは その状態における魂の高揚を化学変化のイメージを用いて説明する.二つの 物質が化合して全く別のものに変化するように,魂は essence"と融合して 性質を変えられる. Fullalchemiz'd"で表わされるその変化は液体の気化 のようであり,それにより魂は, freeof space"とあるように,悩み多い地 上から自由な宇宙へ飛朔し,この世の現実に生きる自己への意識から解放さ れる.それは, westept/lnto a sort of oneness, and our state/1s like a  floating spirit's" (1, 1 1.795‑97)と簡潔に表わされもする.

essence"とは,事物に特有の物質が最も集約されている部分,事物の本 質や精髄を表わす.だから,第一の幸福の基礎をなす fellowshipwith es‑ sence" (1, . 1779)は,魂と美の本質の合ーである.essenceは魂に吸収され て融合し,それを苦痛のない天上へと導くのである.

Endymionは,理想、美Cynthiaと二度,夢で交わったときこの幸福を味 わう.一度目の夢では,彼は天上で初めて Cynthiaと会い,魂を彼女の美 しさに満たされる喜びだけを意識する. mydazzled soul!Comming1ing  wIth her argent spheres did ro1l!Trough clear and cloudy" , (111. 594‑96) 

(5)

46  End~πωπ における Glaucusepisodeの位置づけ

とのEndymionの言葉は,彼の魂と理想、美のessenceとが混じり合いひと つになる様子を表わす.こうしてessenceと一体になるうち,彼はこの世の 現実を忘れる. myspirit clings/ And p1ays about its fancy, till the stings/  01 human neighbourhood envenom al1" , 1(11. 620‑22)とさえ彼は言う.二 度目の夢では,彼はCynthiaと肉体交渉を持つれ彼女の美のessenceを 吸収して魂も美との合ーを果たす.彼は,旅の疲れも,現実に彼女を得るま でに耐えなければならない試練も忘れて,美と交わる幸福に酔っている.こ のように第一の幸福は,単に一時的な現実逃避の喜ぴに基づいているにすぎ ない.

第二の幸福は,友情と愛を通して得られる,自我減却と現実受容に基づい た真の幸福である.Endymionは次のように語る.

But there are  Richer entang1ements, enthralments far  More self‑destroying, leading, by degrees,  T 0 the chief intensity: the crown of these  Is made of 10ve and friendship, and sits high  Upon thforeheadof humanity. (1, 11. 797‑802) 

entanglements",enthra1ments"はいずれも,人間の心を捕え奪うものであ る. self‑destroying"は欲望を捨て自己を虚しくしてありのままの現実を受 容できる無我の境地になることを意味し,自我滅却と訳されるべきである.

"the chief intensity"は,魂を魅了し吸収する力である.essence以上に強く 魂を魅きつけ,その強い力で他者への同情と共感をもたらし,自我を除去す

る働きをするものとして,ここでは友情と愛か瀧示される.それらは人間性 の中で最も尊いものであると考えられている閉

Endymion は, Glaucusへの友情と lndianmaidへの愛を通して第二の幸 福へ導かれる.Glaucusの惨めな姿は, Endymionにこの世に生きる同じ人

(6)

Erymwnにおける Glaucusepisodeの位置づけ 47  間への苦痛に満ちた同情をかきたてる.それは, lndian maidへの純粋な人 間愛へと発展する.それを全うするには,現実を逃れて理想、美と結合したい という欲望を捨て,この世に生きる苦しみを甘受しなければならない.En‑

dymionは, lndian maidへの愛のために, Cynthiaを断念し,ついにこの 自我減却と現実受容を達成し,何ものにも執着しない真の精神の自由と平凡 な喜びを得るのである.

彼iま,第三の幸福を得て初めて永遠に理想、美と魂の合一する喜ぴを与えら れる.彼は祝福されて神になり, Cynthiaと共に天に迎えられる.この逆説 は,第一の幸福は第二のそれを経験して初めて本当に手に入れる価値がある という Keatsの考えを示している.

今度は, Glaucus episodeにおいて自我の問題がどのように提起されてい るかを考えたい.このepisodeでは, Glaucusの自我の発生が明確にされて いる.それは,彼の人格が自我の発生前後でいかに変わったかによって説明 される.

Neptuneの特権を望み始めるまでのGlaucusの生活は,自我に捕われる ことのない人間の穏やかな心境を具現している.彼は, Edenにおける Adamのように,欲望,プライド,野心などあらゆる罪とは無縁である.

Glaucusは 1was a lonely youth on desert shores". (III, 1.  339)と自分の 孤独さを認めながら,寂しいとは感じない.彼は漁師としての身分と海辺に 独り生きる境遇を抵抗せずに受け入れている.彼は遊ぴ仲間のイルカヤ海の 怪物と同等で、,海の住人の一員以上の者になりたいという欲望がない.

また,彼は自力で海を治めようと思い上がりもしない.嵐のときは海が荒 れるに任せて,彼は hollowrocks" (III, 1.  323)にとどまる.その洞窟に満 ちている silenthappiness" (III, 1.  324)は,自我に縛られない者の幸福であ

り,無我の境地で得られるものとして,第二の幸福と同種である.

(7)

48  E制IymzonにおけるGlaucusepisodeの位置づけ

More did 1 10ve to 1ie in cavern rude,/Keeping in wait who1e days for  Neptune's voice" (III, 11. 354‑55)と表わされるように, G1aucusはNep‑

tuneに敬慶に従うことを喜ぴとする.そこには,神の意志のままに生きる という謙虚な態度がある.洞窟は, G1aucusのNeptuneへの忠誠を示す所 でもあり,そこにとどまることはその支配下に満足して生きていることを表 わしている.

G1aucusの 1touch'd no 1ute, 1 sang not, trod no measures" (III,  1.338)  との言葉は,彼のまじめな暮らしぶりを伝えると同時に彼が恋愛を知らない ことをも暗示する.1uteは,かなわぬ恋をする者が弾く楽器という象徴的意 味がある Glaucusがそれに手も触れなかったのは,恋の嘆きを表現する 必要がなかったからだとも言える.無我の境地では,恋して身をこがす'情熱 に苦しむこともないのである.

しかし.Glaucusにも自我が芽生える.彼における自我の発生とは何か,

それは彼をどう変えるかを考えなければならない.

G1aucusは,自我の発生について語る.

1 began 

T 0 feel distemper' d 10ngings: to desire 

The utmost privi1ege that ocean's sire [Neptune]  Could grant in benediction: to be free 

Of all his kingdom. (III, 11. 374‑78) 

彼は,もはや漁師としての身分や境遇に甘んじていることができなくなり,

Neptuneへの敬農を失い,その支配から脱したいという欲望を抱く.神の 特権を望むことは自ら神のようになりたいという思い上がりであり,これこ そ自我である. ]. Bakerは,それをキリスト教的観点から見て,原罪のお こりと考えている 7 Neptuneの特権を求め始めたとき, G1aucusは自我に 目覚め,木の実を食べたAdamのように堕落し始めるのである.

(8)

Enめ澗zonにおけるGlaucusepisodeの位置づけ 49  Glaucusの心も生活も全く変わる. Longin misery/I wasted" (III, 11  378‑79)とあるように,彼は欲望を満たせない自己の惨めさを意識し,幸 福に満ちた避難所であり海神の声を忠実に待つ所であった洞窟にじっとして いられず,海に飛び出す.彼は海を意志通りに動き回る自由を得,海底の

"ceaseless wonders" (III, 1. 392)は彼の野心を満足させる.彼はNeptuneの 特権を手にし,その支配を逃れたのである.

しかし,自我から生じた欲望はそう簡単に充足させられない.Glaucusは, かなわぬ恋の悲嘆を知るようになる.彼の純粋な愛は Scy11aに通じず,

My passion grew/The more, the more 1 saw her dainty hue/Gleam de‑ licately through the azure clear:lUntil 'tw toofierce agony to bear" (lII,  11.  407‑10)と彼は告自する.彼のScy11aへの愛は, EndymionのCynthia へのそれとパラレルである.どちらも激しい情熱を伴う,邪心のない愛であ

るが,たやすく成就されない.それは,彼に再び、自己の惨めさを直視させる のである.

Glaucusに発生した自我は,その後彼と Circeとの生活の中で変容する.

彼らの愛は真実なものではない̲Circeは, Glaucusの誘惑者としての面 を強調されている.彼女のbowerには,彼女が彼を陥れようとしているこ とを暗示するイメージ、がいくつかある.

まず彼女は lyre"(III,. 1421)を弾いて吐息混じりに歌っている.竪琴は 魔力を象徴する 8 彼女の竪琴は Glaucusを魔法にかけて魅了し, How sweet, and sweeter1" (III, 1.  421)と感嘆させる.

また彼女は涙と徹笑と甘い言葉で net"(III,  .1427)を編む. net"は人を 捕えるわなのイメージがあり,ずるさを意味する魔女の猿掃さで彼女は Glaucusを捕えて自分の獲物にする.

Circe は, Ifsmiles, if  dimples, tongues for ardour mute,lHang in thy  vision like a tempting fruit,lO let me pluck it  for thee" (III, 11.  441‑43)と Glaucusに語りかける. temptingfruit"を摘むという行為は,まさに

(9)

50  E:dY1耳目犯におけるGlaucusepisodeの位置づけ

Glaucusを誘惑することであり,微笑やえくぽで表わされる, Circeの皮相 的な美で彼を捕えることである.

Glaucusの誘惑者としての役割を担う彼女は,彼を慰み物として弄ぶだけ ですぐ彼に飽きるにもかかわらず,彼が他の女を愛するのを許さず,嫉妬心 から Scy11aを殺す.CirceにとってGlaucusは,一時の気晴らしと独占欲 の対象であるにすぎない.

GlaucusもCirceを真剣に愛してはいない.彼が彼女を求めた原因は,

Scy11aへの激しい恋の苦悩の中でCirceから somerelief" (III, . 1412)を期 待したことである.彼は, Endymionのように辛い恋を耐え抜くだけの忍耐 力がないため, Circeの誘惑に抵抗できず安易な道に陥ってしまう.多くの 批評家はGlaucusがCirceに抱くのはScy11aへの忠実さを失った邪悪な愛 だと述べているが 10 かなわぬ恋の苦しみを紛わす悦楽だけを求める,

GlaucusのCirceへの感情は愛と呼ばれるにさえ値しない.

GlaucusとCirceの関係は, Endymionの語る二種類の幸福と関連づけて 考えられる.Circeに熱中している間, Glaucusは第ーの幸福を味わってい るといえる.彼は,彼女の誘惑の言葉が自分の魂にまで浸み入る様子を Thus she link'd/Her charming syl1ables, till  indistinct/Their music came  to  my o'ersweeten'd soul" (III, 11.  443‑45)と表現する. Hercharming  sy11ables"は, Circeの魅惑的な美のmetonymyである.彼の言葉は,彼女 の美の essenceが魂に流れ込む状態, fe110wshipwith essence" (1,  1.779)  を示す.Circeの声が音楽にたとえられているのも,第一の幸福は音楽の美 しさを鑑賞することで得られるという Keatsの主張があるからである.そ して,その融合により Glaucusの精神はすっかり変えられる."The current  of my former life was stemm'd" (III,  1.458)との告白通り,彼はCirceの美 へ の 悦 惚 の 中 に 一 切 の 苦 悩 か ら 解 放 さ れ る . 1was freof haunts  umbrageous" (III, . 1467)は,魂が悩み多い地上に生きる苦しみから自由に なる, freeof space" (1, . 1780)の状態を表わしている.

(10)

EndymionにおけるGlaucuspisodeの位置づけ 51  Endymionが二度の夢で味わう第一の幸福は,彼のCynthiaへの真剣な 愛のために,価値あるもののように思える. しかし,それは現実逃避にすぎ ず,自我に縛られた惨めな自己の忘却であり,決っして真の幸福には結びつ かない.第一の幸福に浸っている関に自我はますます人間を束縛するように なる.

G1aucusも, Circeの魅力に埋没するうちに自我の抑制を忘れる.彼は,

Endymionのように辛い恋に耐えることで自我に縛られた自己を凝視し,そ の自我を他人を哀れみ助けることで次第に抑制していく経験をしない.

しかも, EndymionとCynthiaの交わりが夢の中でほんの一時で終わる のに対して, G1aucusとCirceの悦楽は長く続く.長く続く第一の幸福は,

人簡を幼児化する.Circeは,彼女のbowerでGlaucusを赤ん坊のように 扱う. She[Circe] took m1ikea chi1d of suckling time,l And crad1ed me  in roses." (III, 1. 1456‑57)と彼は語る.彼がその中であやされ, ascreen  of roses" (III, . 1425)の名の通り彼のベッドの雌を作っているばらは,母性 原理の象徴でもある 11 S. M. SperryはCirceを anenbodiment of fa1se  sensual attraction12  と評しているが, Circeは肉欲と共に母性をも具現し ている.

Glaucusは彼女の母性愛を食札幼児のように愛されるままで,自ら愛そ うとはしない.これは,愛に対する完全な受身の姿勢である.

Keatsは,愛には犠牲的なものが伴うという考えを持つ.Endymionは幸 福論の中で,魂が愛と結びついたときの人間をペリカンにたとえている.

Life's  self  is  nourish'd by its  proper pith,l And we are  nurtured like  a  pelican brood." (1, 11.  814‑15)と彼は言う.ペリカンは自分の生き血でひな を養う.真実の愛を抱くとき,人聞は自己を犠牲にする覚悟が必要なのであ る.自己犠牲は,他人のために自我を捨てる行為である.Glaucusの幼児性 は,彼をさらに自我滅却から遠ざける.

Keatsは, Glaucusの愚かさをうまく描いている.Glaucusの魂と Circe

(11)

52  End戸別聞における Glaucusepisodeの位置づけ

の美の合ーは,.EndymionとCynthiaのそれと比べると,かなり滑稽な面 がある.Circe はCynthiaのような理想美の象徴ではなく,美女の仮面をか ぶった醜い魔女である.Glaucusの幸福は,上べだけの美のessenc告に魂を 奪われて得られたのである.それに, EndymionがCynthiaの美に我を忘 れながらも,彼女の美の鑑賞者として主体性を失わないのに対し, Glaucus  はCirc巴の魔力のために冷静に彼女を観察する意志さえ奪われる.彼は a tranced vassal" (III, 1. 460)として彼女に仕える.同じように美のessence と魂の合ーの喜ぴでも,理想美は皮相的な美に,美の鑑賞は美への隷属にな る.

これは,EndymionとCynthiaの味わう第一の幸福のカリカチュアである.

Keats は, GlaucusがCirceから得ている第一の幸福をカリカチュアとして 提示することで,主筋ではあまり強調されなかった,第一の幸福にのめりこ

むことの浅はかさ,それが自我を強めてしまう危険性を訴えている.

Circeの美を魂と融合させる喜びの中で、すっかり強まったGlaucusの自我 は,ついに彼を破滅させる.しかし,本来なら永遠の死に至るべき彼の運命 に救いの希望が与えられる.この章では, Circeの呪いを受けた長い年月に,

Glaucusがいかに苦しみ,その中でいかに自我を抑制していき,それが彼の 救いとどう関わるかをたどりたい.

Keatsは,人間は自我によって滅ぴることを主張している.森でCirceに 毒を塗られて悶死させられる多くの動物は, Glaucusのように彼女の誘惑に 陥ってその魅力に耽溺していた者である.彼女の魔法で動物に変えられた挙 句殺されるのは,彼らが第一の幸福の中で現実を逃れ,他人への思いやりを 忘れ,自分を甘やかせた罰である.自我の抑制を怠った人間は,必ず滅ぼさ れるのである.

GlaucusもCirceの呪いを受け,千年の老いの後タ死ぬことになる.彼女

(12)

EndymionにおけるGlaucusepisodeの位置づけ 53  は次のように語る.

Thou hast thews  Immortal, for thou art of heaven1y race:  But such a 10ve is  mine, that here 1 chase  Eternally away from thee all bloom 

Of youth, and destine thee towards a tomb. (III, 11. 588‑92) 

最も注意しなければならないのは,神である G1aucusが人間にされ,死す べき運命を負わされたこと,つまり彼のmorta1izationである.それは,披 がScyllaへの誠実な愛を忘れたことへの罰だとも考えられる.恋の苦悩に 耐えきれず安楽に溺れた者が罰を受けるのは当然である.

しかし,彼の運命を Endymionのそれと比較すると, G1aucusのmorta‑ lizationはもっと深い意味を持つことが明らかになる.人間であるEndy‑

mionは,Cynthiaへの恋に耐え抜いて,最後に彼女と結ぼれて神格化される.

忍耐の末の彼のimmortalizationは,恋の苦しさに負けたGlaucusのmorta‑ lizationと対照的であるe

だが,よく読んでみると, Endymionのimmorta1izationは,彼のCynth‑ laへの忠誠の結果ではないことがわかる.彼は,不幸な人々の幸福を願う 思いやりから生じた愛を Indianmaidへ向け,彼女のためにCynthiaを断 念したとき,初めて二人の女性が同一人物であると知り, Indian maidから 変貌したCynthiaと天に迎えられる.彼は, Indian maidに別の愛を抱くよ

うになったがゆえに, Cynthiaを捨てたのである.

彼のimmortalizatIonは,彼がいかに自我を処理したかという問題と深く 関わっている.Cynthiaよりも不幸なIndianmaidを選んだことは,彼が現 実を忘れて自分だけが理想美と融合する第一の幸福を得ょうとする欲を捨て たことを意味する.そうして己を虚しくして人聞の身分を受け入れたとき,

彼は神となる資格を与えられる.彼のimmortalizationは,完全な自我の抑

(13)

54  E叩 戸 別onにおけるGlaucusepisodeの位置づけ 制のうえに成り立つのである.

Keatsにとって, mortalityは自我を抱えているがゆえに人間に付闘し,

immortalityはそれを捨てきって罪から清められた人間に与えられるもので あると考えられる.

だから, Glaucusのmortalizationは,権力欲という形で発生し, Scylla  への愛によっても抑制されず, Circeとの交わりのうちに強められた自我の

もたらした結果である.Scyllaを忘れた罰ではなく,安楽に耽るうちに他 人への愛を忘れて自我の抑制を怠ったことへの罰である.Endymionとは逆 に, Glaucusの自我は増強の一途をたどり,ついに披を神から人間へと格下 げした.彼のmortalizationは, Keatsの言う自我滅却の大切さを逆説的に f云えている.

破滅したGlaucusが呪われた自己の無力さと惨めさに最も苦悩し絶望す るのは,彼が難破を目撃したときである.彼は,沈む船の上で人々がふるえ もがくのを見,叫ぶのを聞きながら,老齢で弱り果てた身体のため全く救助 できない.彼は,そのときの様子を語る.

they had all been sav' d but crazed eld  Annu11'd my vigorous cravings: and thus quell'd  And curb'd, think on't, 0 Latmian! did 1 sit  Writhing with pity, and a cursing fit 

Against that hell‑born Circe. (III, 11.  661‑65) 

溺れる人々に同情し救助したいと意志しつつ,手も足も出せなかった Glaucusは,彼を哀れみ,その同情の念を実際に彼を呪いから救うという行 為に示したEndymionと対照をなす.長い聞に自我をすっかり強められた Glaucusに負わされた老いは,彼を他者のために何ひとつ役立てないほど無 力にしたのである.

彼は自己の無力さを十分に意識し、無念さに岬吟する。このときこそ彼は、

(14)

Enゐ 棚 田nにおけるGlucusepisodeの位置づけ 55  千年の老いを死に向けて衰えゆくありのままの自己を直視する.海のwon‑

derやCirceの美しさで自分をごまかすことはもうできない.徹底的な自己 認識を強いられて,被は最も深い絶望に陥る.

しかし,このときが彼の救いの始まりでもある.白己の無力さと惨めさに 対する組望の中で彼は救いを予言した巻き物と魔法の杖を与えられる.この アイロニーは,自己を最も低めたとき人聞は祝福を受けるべく引き上げられ るという Keats独自の哲学を表わしている.

それに,難破者を救うという行為はなし得なかったものの, Glaucusは初 めて他人に哀れみを感じる. pity"(III,  .1664)は,彼が自我に捕われて以 来ついぞ抱いたことのない感情である.他者への同情は,自己の欲望充足に 夢中であった彼の初めての自己中心主義からの離脱を意味する.それは,自 我の抑制の第一歩なのである固救いの希望は,強められた自我が初めて抑制

されたときに与えられたのである.

それから,彼の救いのための労働が始まる.溺死した恋人らの死体を水品 宮に整然と並べるという,彼か敦いの日までにすべき仕事は,彼が縛られて いた自我,すなわち原罪を除くための購罪だと考えられる.こうして,死に 定められたGlaucusが他の死者をも蘇えりの喜びにあずからせるために労

を惜しまず働くうちに,被の自我は遅まきながらも抑制される.

千年を経てGlaucusは生まれ変わる."the new born God" (III, 1. 807)と いう語は,彼が自我に縛られた過去の彼からすっかり脱却して新しい人格に なったことを表わす.千年間の蹟罪で自我は滅却された.蘇った今,彼は共 に再生した恋人らと喜びを分かち合い, Neptuneへの敬慶を取り戻してそ の宮殿へ挨拶に赴くのである.Glaucus episodeは,他者への同情や愛こそ が自我滅却の基盤であり,永遠の至福につながることを一度は自我ゆえに滅 びた者の再生という形で教えている.

(15)

56  EIymionにおけるGlaucusepisodeの位置づけ

以上分析してきたように, Glaucus episodeは, Glaucusの自我の変容の 物語と考えられる.主筋には描かれていない自我に捕われたゆえの破滅の恐 ろしさは,難破船救助をできなかったGlaucusの無力さに最もよく表わさ れている.そして,彼が千年の瞳罪の後救われることは,他者への愛が自我 を抑制することを明らかにする.Glaucuspisodeは,自我の問題をめぐっ てのKeatsの哲学を集約していて,第一の幸福に潜む危険性と他者との関 わりの重要性を示すという,ひとつのepisodeとしての独立した意味を持っ ていると考えられる.

それでは最後に,その独立した意味がE問Iymion全体とどう関わるかを考 えたい.

まず第一に, GlaucusはEndymionの比較の対象という役割を持つ.

GlaucusもEndymionも自我滅却の大切さという共通のテーマを表わして いるのだが,二人の生き方は対照的である.自我の抑制を怠って人聞に格下 げされた敗者, Glaucusの姿は, Endymionの忍耐と誠実をうきたたせる.

それだけではなく, episodeの持つ意味はBookIIIのテーマである En‑

dymionの友情による Glaucusの救済行為の再評価をせまり,それによって Endymionの成長過程に関する従来の解釈を聞い直すのである.

従来の批評では, Book IIIにおけるEndymionのGlaucusへの友情は,

Book II結末部でEndymionがAlpheusとArethusaに初めて抱く同情と同 種のものであると見,彼がそれを Glaucusの救済という行動に表わすとこ ろに彼の成長を読みとる 13 そして,彼のAlpheusとArethusaとの出会い が初めて彼の関心を白雪己の内面から他者へも向けさせたと解釈し,そこに Endymionの自己中心主義からの最初の脱却,つまり自我滅却へ向けての成 長の第一歩があるとする 14 こうした今までの読み方では, Alpheusと Arethusaに会うまでのEndymionはCynthiaへの情熱ゆえに自我に捕われ

(16)

EymwnにおけるGlaucusepisodeの位置づけ 57  ているばかりで,その滅却への努力はなされていないと考えられる.実際,

Book 1は,彼の恋愛憂うつ症を描く単なる導入部にすぎないとされている

15 

しかし, Glaucusが老齢のため難破者を救おうとして救えなかったのは彼 が第一の幸福に浸って自我を強めた結果だと考えると, Endymionが G1aucusの救済をなし得たのは,彼がしっかりと自我を抑制してきたからだ と考えられる,その抑制は,もちろん, AlpheusとArethusaへの同情によっ てもなされる. しかし, Endymionと第一の幸福の関わり方に焦点を当てる

と,彼らに出会う以前にすでに彼の自我の抑制を見ることができる.

彼はBook1とIIで二回Cynthiaの美のessenceと魂の合ーを経験する が,それは束の間の夢の中で得られるにすぎない.そして,夢から現実へと 目覚めるとき,いつも彼は幻滅に苦しむ.これはまだ彼が己を虚しくして現 実を受容していない証拠であるが,幻滅するたびに彼は第一の幸福の中で増 強されかけた自我を抑制しているとも解釈できる.彼は,夢の後の幻滅によっ て第一の幸福の虚しさを知り,自我を捨てて現実を受け入れる訓練をする.

それゆえ,二度目の夢では彼はそれはいずれさめるものだという意識を持 つ. Thou[Cynthia]  wi1t  be gone away, and wi1t  not heed/My 1one1y  madness." (II, 11. 747‑48)という彼の言葉は,彼が第一の幸福は真のもので はないことを理解している証拠である.現実に引き戻された後も,彼はいつ までも幻滅に捕われていず,辛い運命を甘受しようとする. no10nger did  he [Endymion] wage/ A rough‑voic'd war against the dooming stars" (II, 11.  863‑64)という描写は,彼が自我を抑えて導かれるままに生きることがで

きるようになりつつあることを示している.

このように,自我の変容という独立した意味を持つものとしてのG1aucus episodeに照らし合わせると,これまで¥Endymionが自我に捕われたまま で成長していないと考えられていたBookIIの結末部以前の部分にも彼が

自我を滅却する苦しみが読みとれ,彼のGlaucus救済はその滅却の成果で

(17)

58  E匁ゐ朋必托におけるGlaucusepisodeの位置づけ あると考えることができる.

また, Glaucus episodeは, Glaucusを救ったEndymionが従来考えられ てきた以上に大きく成長することをも証明する.

これまでのように,そのepisodeの意味がGlaucusの誠実な愛の忘却と 肉体的欲望の充足に対する罰とそれからの救いであるとすれば, Endymion  は単に友情によって Glaucusを呪いから救ったというだけのことになる.

しかし, Glaucusが救われたのは,自我による破滅からであり,また千年間 の瞳罪としての労働の後であると解釈すると, Endymionの救済行為はもっ と深い意味を持つ.それは,原罪ゆえに死に定められたGlaucusのあがな いであり,千年の悔い改めへの報いである.Endymionの出現は予言書に記 されており, Glaucusはどんなに労働しでも Endymionが現われなければ 救われない.Endymionは,永遠に滅びるべき人間を救うメシヤになぞらえ られる.メシヤは,人間の悔い改めに報いるべく自ら十字架にかかる.他者 をあがなうことは自己を犠牲にすることであり,自己犠牲とは一切の自我を 捨て去ることである.

だから, EndymionのGlaucusへの友情による救済行為は, Endymion自 身に大きく自我滅却をひきおこすものであり, Cynthiaを断念してでも In‑ dian maidを思いやった彼の人間愛の基盤となっていると考えられる.

以上のように, Glaucus episodeにGlaucusの自我の発生と増強,それに よる滅びと腫罪による救いという従来認められなかった意味づけをすると,

Book IIIのテーマである Endymionの救済行為がBook1から積み重ねら れた自我の抑制の結果であり,その行為自身もまた,これまで考えられてき た以上に,大きい自我滅却の契機となるものだと解釈できる.Glaucus epi‑ sodeの独立した意味は Endymion全体の読み方をも変え得るものなのであ

る.

1 Edyωnをアレゴリカルに解釈する批評家は, Book IIIのテーマを友情による

(18)

E加 yηηにおけるGlaucusepisodeの位置づけ 59  Endymionの成長であるとする 以下の三人の例を挙げる.

Sidney Colvin, Keats (New York: AMS Press, 1968), p.  103. 

M. M. Bhattacherje, Keats andやenser(n.  p.:  University of  Calcutta, 1978), p.  121

Wolf Z. Hirst, John Keats (Boston: Twayne, 1981), p.  66. 

2 ]udy Little, Keats as a Narrative Poet (Lincoln: University of Nebraska, 1975),  p53 

3 Bruce E. Miller,On the Meaning of Keats's Enanw明 "KeaShell,Jouwl, XIV (1965), 46. 

4 E.  C.  Pettet,仇lthe Poetyof Keats (Cambridge: Cambridge University Press, 

1970), p. 184

5 ]ohn Keats, Endyion:A Poetic Romance, Book 1, 1.  779 in John K掃 除, Complete Poems, ed. ]ack Stillinger (Cambridge, Massachusetts: Harvard UnivrsityPress,  1982), p. 83.以下Endymπからの引用はすべてこの版によるものとし,末尾の括 弧内にその巻数と行数を示す.

6 Ad de Vries (ed.), Dic抑 制ryof 

: s

bolsand Inwgery (Tokyo: Taishukan, 1987) 

7 ]effrey Baker, John Keats and S)bolism(Sussex: The Harvester Press, 1986), p  66 

8 Ad de Vries (ed.)  9 lbid. 

10  Stuart M. Sperry, Keats the Poet (Princeton: Princeton University Press, 1973),  p. 107 

11  Ad de Vries (ed.)  12  Stuart M. Sperry, p.  107  13  E. C. Pettet, p. 179

14  Takeshi Saito, Keats' View of Poetry(New York: AMS Press, 1976), pp. 74‑75  15  Sidney Colvin, John Keats (London: Macmillan, 1920), pp. 175‑76 

参照

関連したドキュメント

これはつまり十進法ではなく、一進法を用いて自然数を表記するということである。とは いえ数が大きくなると見にくくなるので、.. 0, 1,

Frauwallner [1937:287] は下す( Kataoka (forthcoming1) 参照).本質において両者に意見の相違は ないと言うのである( Frauwallner [1937:280, n.1]

とディグナーガが考えていると Pind は言うのである(このような見解はダルマキールティなら十分に 可能である). Pind [1999:327]: “The underlying argument seems to be

参加者は自分が HLAB で感じたことをアラムナイに ぶつけたり、アラムナイは自分の体験を参加者に語っ たりと、両者にとって自分の

賠償請求が認められている︒ 強姦罪の改正をめぐる状況について顕著な変化はない︒

けることには問題はないであろう︒

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

【フリーア】 CIPFA の役割の一つは、地方自治体が従うべきガイダンスをつくるというもの になっております。それもあって、我々、