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1節 欧米の進出と日本の開国

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Academic year: 2021

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全文

(1)

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解説

★★★ (1)

★★★★ (2) プロテスタントの中でも、カルバンの教えを忠実に守ろうとする人のことをピューリタン(清教徒)という。

★★★ (3) 「権利章典」はロックの社会契約説と抵抗権にもとづいたもので、立憲君主制と議会政治が確立した。

★★★ (4)

★★★ (5) このころベルサイユ宮殿が建設され、言論は規制され、身分による貧富の差も大きかった。

★★★ (6) 人権宣言によって、身分の特権が廃止され、自由、平等、人民主権、私有財産の不可侵がうたわれた。

★★ (7)

★★★ (8)

★★★ (9)

★★★★★ (10)

★★★★ (11) ドイツでは国家の保護のもとで化学工業や医学などが発達した。

★★★ (12)

ルターはドイツの宗教家で16世紀に宗教改革に関わった人物。ヨーロッパの啓蒙思想家について下の表にまとめ たので参考にしよう!

アメリカは、人民主権、連邦制、三権分立を柱とする合衆国憲法を定め、初代大統領にはジョージ・ワシントンが 就任した。

フランス革命によってできた政権は経済を統制したが、それに対す るクーデターによって、政治は不安定であった。このときに軍人の

「ナポレオン」が権力を握り、1804年に皇帝の位についた。

19世紀のイギリスは「世界の工場」と呼ばれ、蒸気機関で動く、機 械が使われるなど、産業革命が起きた。

資本主義によって、経済は成長したが、貧富の差は大きく、労働災 害などさまざま社会問題が起きた。

ア ルターはドイツの宗教家で16世紀に宗教改革に関わった人物、

イ マルクス(答え)  ウ 中江兆民はフランスに留学し、東洋のル ソーと呼ばれた、エ クロムウェル清教徒革命を指導した人物であ 1869年には大西洋岸と太平洋岸とを結ぶ大陸横断鉄道が建設さ れ、アメリカは民主主義と資本主義の大国へと、急成長をとげた。

1

目標時間

30

★・・・簡単 ★★・・・少し簡単 ★★★・・・標準 ★★★★・・・少し難しい ★★★★★・・・難しい ★★★★★★・・・かなり難しい 合計

日付

1節 欧米の進出と日本の開国

第4章 開国と近代日本の歩み

① ② ③

(10)

(6)

語句 宣言

フランス革命 人権宣言

世界の工場

(9)

資本主義

独立宣言

(5)

絶対王政

(7)

ナポレオン

(1) (2) (3)

ピューリタン革命 名誉革命

(4)

(12)

語句 大統領

南北戦争 リンカン

(11)

ビスマルク

(8)

語句 何と呼ばれたか

産業革命

【ヨーロッパの啓蒙思想家について】

人物 国 内容

ロック イギリス 社会契約説と抵抗権を唱えた モンテスキュー フランス 法の精神と三権分立を唱えた ルソー フランス 社会契約説と人民主権を唱えた

※社会契約説:社会はそもそも個人の契約で成り立っているという説。権力者が個 人の意見に反する行動を起こした場合、委託は取り消され、権力はなくなるとして、

近代革命の指導的原理となった。

人権宣言(一部要約)

第1条(自由・権利の平等) 人は、自由 で平等な権利を持つ。社会的区別は、た だ公共の利益に関係する場合にしか、

設けられない。

第3条(国民主権) すべての主権の源 は、本質的に国民にある。いかなる団体 も、いかなる個人も、国民から明示的に 発しない権威を行使することはできない。

第11条(表現の自由) 思想および意見 の自由な伝達は、人の最も貴重な権利 の一つである。したがって、すべての市 民は、法律によって定められた場合にそ の自由の濫用について責任を負うほか は、自由に、話し、書き、印刷することが できる。

(2)

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解説

★★★ (1)

★★★★ (2)

★★★★ (3)

★★★ (4)

★ (5) ペリーは1853年、日本に開国を求める大統領の国書を、江戸幕府に差し出した。

★★★★ (6)

★★★ (7)

★★★ (8)

★★★★★ (9)

★★★★ (10)

★★★★★ (11) 外国からは、毛織物、綿織物、武器、艦船などが輸入され、日本からは生糸や茶などが輸出された。

★★★★ (12) このときの最大の貿易港は横浜で、相手国はイギリスが中心だった。

1854年に日米和親条約によって、下田(静岡県)と函館(北海道)の2港を開き、アメリカの船に食料や水、石炭な どを供給することを認めた。

幕府は1858年に日米修好通商条約を結び、函館、神奈川(横浜)、長崎、新潟、兵庫(神戸)の5港を開いて自由 貿易を行うことを認めた。

安政の五か国条約は、領事裁判権を認め、関税自主権がないなど、日本に不利な不平等条約であった。

1842年に結ばれた南京条約によって、イギリスは清に上海など五つの港を開かせ、香港を手に入れたうえに、賠 償金を支払わせた。

19世紀前半のイギリス、中国(清)、インドの間で行われた三角貿易における 品物の流れについて右図に表した。イギリスは工業製品をインドに輸入し、イン ドで栽培しやアヘンを清に持ち込んで売り、茶などを買うようにした(三角貿 易)。

太平天国の乱の中、イギリスとフランスはふたたび清を攻めて、首都北京を占 領し、清に市場の開放やキリスト教の布教を認めさせた。

インド大反乱を鎮圧した、イギリスは、インドの皇帝を退位させ、イギリス国王を 皇帝として、インドを世界に広がる植民地支配の拠点とした。

2 (2)

(11)

輸入したもの 輸出したもの 毛織物、綿織物、武器、

艦船など 生糸、茶

領事裁判権 関税自主権

安政の五か国条約

(12)

貿易港 相手国

横浜 イギリス

(5)

ペリー

(7)

日米修好通商条約

(10)

a b

日米和親条約 下田 函館

開いた港

(6)

(1) (4)

太平天国の乱 インド大反乱

条約名

戦争名 条約名

アヘン戦争 南京条約

(3)

(8)

イ、オ

(9)

(3)

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解説

★★★★ (1)

★★★ (2)

★★★★ (3)

★★★★ (4) 木戸孝允は、欧米の軍事力を目の当たりにし、列強に対抗できる統一国家をつくることが重要だと考えた。

★★★★ (5)

★★★★ (6) 坂本龍馬の仲立ちで薩長同盟が結ばれ、倒幕を目指した。

★★ (7) ア 徳川家康(初代)  イ 徳川家光(三代目)   ウ 徳川綱吉(五代目)   エ 徳川 慶喜(十五代目)

★★★ (8) 1867年10月に、政権を朝廷に返したことを大政奉還という。

★★★ (9)

★★★ (10)

★★★★ (11) ア(1864年ごろ)、イ(1858年)、ウ(1860年)、エ(1853年)

1868年1月、鳥羽・伏見(京都市)で新政府側と旧幕府側が戦争した。江戸城を明けわたせ、函館で最後の旧幕 府軍を降伏させ、国内を平定した。

天皇を尊ぶ考えを尊王論、外国の勢力を排除しようとする考えを攘夷論といい、これを合わせて尊王攘夷運動と いう。

ア 井伊直弼は、彦根(滋賀県)出身の藩主で、1858年に大老に就任し、幕府に反対する人々を弾圧した。直弼 の暗殺により、幕府の権威は落ち、崩壊を速めた。  イ 松平定信は寛政の改革を行った老中。  ウ 田沼意次 は松平定信の前に改革を行った老中。  エ 水野忠邦は天保の改革を行った老中。

安政の大獄によって、処刑された人物として、吉田松陰などがいる。長州藩士として、おじの開いた私塾、松下村 塾で人材の育成を行った。

ア 大久保利通(薩摩藩)  イ 坂本龍馬(土佐藩)   ウ 岩倉具視(公家)  エ 西郷隆盛(薩摩藩)

オ 板垣退助(土佐藩)

王政復古の大号令では、天皇を中心とする政治にもどすことを宣言すると同時に、将軍の政治的影響力を除くた め、官僚や領地の返上を命じた。

(2)

(7)

(5)

(9)

王政復古の大号令

(10)

戊辰戦争

(11)

エ、イ、ウ、ア

(6)

薩摩藩と同盟を結び幕府を倒す計画を進めた。

(8)

大政奉還

(1)

尊王攘夷運動

(3)

安政の大獄

(4)

木戸孝允

3

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