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セッサ・アウルンカ大聖堂のシビュラ像について

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セッサ・アウルンカ大聖堂のシビュラ像について

伊 藤 博 明

1 セッサ・アウルンカ大聖堂 イタリア南部、現在はカンパーニャ州カゼルタ県に属するセッサ・アウル ンカ(Sessa Aurunca)は、かつての火山ロッカモンフィーナ(Roccamonfina) の南斜面の溶岩からできた傾斜地に位置する 1)。この町の成立はきわめて古 く、先史時代の遺跡が発掘され、また紀元前7世紀の墳墓跡が発見されてい る。この時代には、古いイタリアの民族であるアウルンキ族が一帯を支配し ており、「スエッサ」(Suessa)と呼ばれていた。紀元前4世紀にローマ人が 侵入し、それ以来、ローマの勢力下に置かれて植民も盛んだった。 地理的にはアッピア街道とローマ街道の間の有利な位置にあり、農業生産 物の中心地として機能し、それはローマやカプアへと移送された。キケロは、 『ピリッピカ』(13.18)の中で、スエッサを「かつては誉れある植民者たち の 、 現 在 は 市 民 た ち の き わ め て 美 し い 町 」(lautissimum oppidum nunc municipum honetissimorum, quondam colonorum)と呼んでいる。皇帝アウグス トゥス(ガイユス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス)は、退役軍人

を当地に住まわせて新しい植民都市として造成し、「コロニカ・ユリア・フェ

リックス・クラスィカ・スエッサ」(Colonia Julia Felix Classica Suessa)とい

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HOC OPVS EST STVDIO PANDVLFI PRESVLIS ACTVM. QVEM LOCET PROPRIO REGNO. VERBVM CARO FACTVM. 6)

この仕事は司教パンドルフォの熱意によって実行された。肉となられた 「ことば」は、彼を自らの王国に置くだろう。

また説教壇の階段上にあるアーチの片面には、次のような銘文が記されてい る。

HOC PRIVS INCEPTVM PANDVLFVS PRESVL AD APTVM FINEM PERDVXII. CVI CELICA CONCIO DVX SIT. 7)

この、すでに始められていたことを、司教パンドルフォは然るべき終わ りへと導いた。彼については、主が天で迎えるだろう。

アーチの別の面については、現在は文字が消えてしまっているが、1842 年に

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ルイージ・カタラーニが次のような銘文を記録している8)。

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壇の前面(南側)の2つのアーチを構築している4つのスパンドレル(三角 小間)にだけ、4人の人物が彫られている。これらの人物はいずれも、片手 に広げられた巻物をもちながら、激しい身振りで、観者に何かを訴えかけて いるように見える。これらの人物は3人の預言者とシビュラを表わしている。 本稿の目的は、セッサ・アウルンカ大聖堂の説教壇に彫られた4体の彫像に ついて、とりわけシビュラ像について、歴史的な背景と同時代的な文脈の中 で理解することである。 2 セッサ・アウルンカ大聖堂説教壇のスパンドレル 説教壇を正面から見て、最も左のアーチのスパンドレルには、若い男性が 彫られている。ゆったりした優雅な衣服に身を包み、顔を少し左に傾げて、 左手で開かれた巻物をもち、右手はその方を指さしている。巻物には次のよ うに記されている。

CVM VENERIT S[AN]C[TV]S S[AN]C[T]ORVM CE[SSABIT VNCTIO]

(最も聖なる者が来たとき、塗油は終わるだろう。)

この銘文は『ダニエル書』(9:24)の、ダニエルが御使いのガブリエルから幻

の説明を受ける部分に対応すると考えられる。ただし、ウルガタ版ラテン語 訳の表現は、次のようにきわめて異なっている。

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その中には “CVM VENERIT S[ANCTVS]” と書かれた巻物がもつ青年がい る。そして、彼の頭上には “DANIEL P[ROPHETA]”(預言者ダニエル)と明 記されている14)。 次の右側のスパンドレルでは、壮年の髭をたくわえた男性が、頭を左に向 けて、こちらを見ている[図3]。彼は、激しい身振りとともに、左手で開い た巻物をもち、人差し指を挙げて天上を指さしている。巻物には次のように 記されている。

ECCE VIR HORIENS NOM[EN EIVS]

(見よ、男を。彼の名は「上昇」である。)

この銘文に対応する聖書の箇所は、『ゼカリヤ書』(6:12)に見いだされ、そ れはゼカリヤが見た第8番目の幻における主の言葉である。

et loqueris ad eum dicens haec ait Dominus exercituum dicens ecce vir Oriens nomen eius et subter eum orietur et aedificabit templum Domino.

(汝は、彼に語って、告げよ。万軍の主は言う。見よ、男を。彼の名は

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「上昇」である。彼は彼[その男]のもとから昇って、主の神殿を建て るだろう。) “Oriens” は「上昇(昇るもの)」と訳したが、この箇所で対応しているヘ ブライ語の “usemah” は「若枝」を意味する。それをギリシア語訳(「セプチュ アギンタ」版)は “᾿Ανατολὴ”と訳し、ウルガタ版はそれを踏襲している。新 共同訳聖書では以下のように訳出されている。「万軍の主はこう言われる。見 よ、これが『若枝』という名の人である。その足もとから若枝が萌えいでる。 彼は主の神殿を建て直す」。 この人物像がゼカリヤを表わしていることに疑念の余地はないように思わ れるが、ヴァレンティーノ・パーチェはエレミヤと同定している15)。パーチェ はその根拠を示してはいないが、この指摘は図像プログラムの典拠を探る点 からは一考する価値がある。というのは、上述したテアーノ大聖堂の説教壇

には、“ECCE VIR ORIE[NS]” と書かれた巻物をもつ人物が彫られており、彼

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印としての「罪の裸体」(nuditas criminalis)である17)。この中で最も近いの は「世俗の裸体」と思われるが、人物を同定することは困難である。カポマッ チョはダビデと見なしているが、彼の議論は説得力を欠いている18)。 裸体像の右側のスパンドレルに表わされているのは、明らかに女性の形姿 で、緩やかな衣服をまとい、頭を後ろに少し傾げ、頭の覆いからは長い髪が 外側に出ている[図3]。彼女は身を捩るようにして、右手で衣服をつかみ、 左手で巻物を掲げている。巻物には次のように記されている。 IVDICII SI[G]N[V]M(裁きの徴) この短い銘文は、旧約聖書の中には見いだされず、またいかなる預言者に 帰されているものでもない。それは、『シビュラの託宣』(Oracula sibyllina) 第8巻に含まれており、教父アウグスティヌス(Augustinus, 354-430)が『神 の国』(De civitate Dei)第 18 巻第 23 章において、ラテン語によって引用し ている託宣の冒頭部に対応する。

Iudicii signum tellus sudore mandescet. 19)

(裁きの徴として、大地は汗で濡れるだろう。)

「シビュラ」または「シビュレー」とは、古代ギリシアにおいてアポロン

の神託を狂乱状態で告げる巫女のことであった。その名声が高まるにつれて、

さまざまな土地と結びつけられ、ローマの文人ウァロ(Marcus Terentius Varro,

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巻、第11 巻から 14 巻、断片1~7が含まれている22)。この中で第1巻から 8巻は、6世紀にビザンティンにおいて「序文」を付されて編纂されたもの と考えられ、したがって、この託宣集は全体として統一された作品ではない。 各巻およびその内部のテクストは執筆年代も作者も意図も一様ではなく、研 究者の間で多数の議論が存在している23)。概略的に言えば、第1巻と2巻は ユダヤ教的なテクストがキリスト教的な変容を蒙っている。キリスト教的な 視点がより明確なのは第6巻から8巻であり、これらの巻は2世紀中葉から 3世紀初頭に作成されたと考えられている24)。他方、第3~5巻、および断 片はユダヤ人によって書かれたもので、第3巻は紀元前140 年頃、第4巻は 80 年頃、第5巻は 120 年代にそれぞれ成立している25)。第11 巻以降の諸巻 はユダヤ教的で、成立は9世紀以降と見なされている。 さて、アウグスティヌスは『神の国』第18 巻 23 章において、ラクタンティ

ウス(Lactantius, c.240 - c.320)の『神学教理』(Divinae instituiones)からウァ

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ライのシビュラの名とともに『神の国』を通して中世に伝えられた。 セッサ・アウルンカ大聖堂の説教壇に彫られた銘文が、アウグスティヌス の著作から直接取られたのであれば、あるいは、このアクロスティックを忠 実に伝えている、ラバン・マウル(Raban Maur, 776-856)の『万象について』 (De universo)の記述30) に拠っているならば、スパンドレルの女性は「エリュ トライのシビュラ」と見なすことができるだろう。その確証を得ることは困 難であるが、他方、セッサ・アウルンカ大聖堂の図像プログラムを作成した 者は、同聖堂から数十キロ離れたところに位置する、サンタンジェロ・イン・ フォルミス(Santa’Angelo in Formis)聖堂にシビュラの形姿とともに、「裁き の徴」という銘文を見いだすことができた31) サンタンジェロ・イン・フォルミス聖堂は、1072 年から 1086 年にかけて、 当時モンテ・カッシーノ修道院長を務めていたデジデリウス(Desiderius 在 職1058-86 年)の指揮の下で全面的に改築された。そして、身廊の左右の壁 面の下にはアーケードが設けられ、それらがつくる計18 のスパンドレル(三 角小間)には、十字架上のキリストの下部が描かれた1箇所を除いて、旧約 聖書に登場する預言者と王たち、そして、ローマの予言者であったシビュラ が描かれている。これらの者たちは立像であり、手に預言を記した巻物をもっ ており、その背後に人物を同定する名称が記されている。壁画は破損が激し い箇所もあり、確実に同定できるのは、イザヤ、エゼキエル、ミカ、バラム、 マラキ、ゼカリヤ、モーセ、シビュラ、ダビデ、ソロモン、ホセア、ゼファ ニヤ、ダニエルの13 名である。 「預言者シビュラ」(SIBILA P[ROPHETA])は、西壁の「最後の審判」に 最も近い、北側のスパンドレルに描かれており、彼女が手にしている開かれ

た巻物には、“IVDICII SIGNVM TELLVS SVDORE MADESCET”(裁きの徴と

して、大地は汗で濡れるだろう)と記されている。このシビュラ像は中世イ タリアの聖堂における、その最初期の作例であり、預言者たちとともに登場 している点でもきわめて興味ぶかい。セッサ・アウルンカ大聖堂の説教壇と 同様に、ここにもダニエルとゼカリヤが描かれている。しかし、それぞれの

巻 物 に 記 さ れ た 銘 文 は 、“POST EBDOMADAS SEXAGINTA DVAS

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ちとともに表現されたシビュラ像の解明のために、これらをめぐる中世の文 学的・宗教的伝統について考察しなければならない。 3 中世における「預言者たちとシビュラ」の伝統35) 中世におけるシビュラ、および、彼女に帰される託宣(アクロスティック) の伝承においてとくに重要であった作品は、アウグスティヌスの『神の国』 とともに、またアウグスティヌスの著作として流通していた『ユダヤ教徒、

異教徒、アリウス派駁論』(Contra Iudaeos, Paganos et Arrianos)である。現

在、この著作は、アウグスティヌスの同時代人で、カルタゴ教会の助祭を務 めていたクウォドウルトデウス(Quodvultdeus)に帰せられている。彼とア ウグスティヌスは親交があったようで、2通の往復書簡が残されている 36)。 彼の活動の詳細は知られておらず、454 年に亡命先のナポリで死去したと考 えられている。ブラウンの校訂による著作集には10 編あまりの著作が収めら れている37)。 『ユダヤ教徒、異教徒、アリウス派駁論』全体は護教論的な説教であるが、 後代への影響という観点から重要な箇所は、第11 章から第 16 章までであ る38)。この部分は12 世紀以降、すべてが、あるいは部分的に取り出されて、 クリスマスの時期の説教として読み上げられた。たとえば、アルルではクリ スマス当日の朝課、6時課に、ローマではその前夜の朝課、4時課に読まれ た。またイングランドでは、一般的に、降誕節の第4日曜日に読まれた 39)。 たとえば、アルルに由来する12 世紀の日課表に見いだされる、当該のテクス ト40) は、『主の生誕についての、司教聖アウグスティヌスの説教 第6講話』

Sermo beati Augusti Episcopi de natale Domini Lectio Sexta)というタイトルを

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prophetarum)と一般的に呼ばれる、新しい典礼劇のジャンルが作成された45) 問いかける者と答える者との対話から構成される典礼劇という形式は、いわ ゆるグレゴリオ聖歌の発展の中で誕生した。 7世紀初頭に、聖コルンバヌスの弟子の聖ガルスによって創立されたザン クト・ガレン修道院(現在のスイス北東部に位置する)は、8世紀にベネディ クト戒律に則して組織化された。9世紀にはルートヴィヒ敬虔帝の庇護下で 発展し、学問と学芸が開花し、カロリング・ルネサンスを担う中心地の一つ となる。この過程で、「トロープス」と呼ばれる、グレゴリオ聖歌に新たな旋 律や歌詞を付け加える装飾部分が生みだされた。その中には、復活祭のミサ の最初に歌われる入祭唱冒頭に付加されるトロープスが含まれており、そこ では、イエスが埋葬された墓を訪れたマリアたちと天使との会話がなされる。 最古のトロープスの一つであるザンクト・ガレンのものは以下のとおりであ る。 [問い]あなた方は誰を探しているのですか、キリストを信じる者たち よ。 [答え]十字架にかけられたナザレのイエスです、天に住む者よ。 [天使]彼はここにはいません。予告していたように、彼は復活しまし た。行きなさい。そして、彼が墓から復活したことを告げ知らせなさい。 ハレルヤ46)。 このトロープスの形式が、『ユダヤ教徒、異教徒、アリウス派駁論』(第11 ~16 章)の説教に応用されていくのであるが、『預言者たちの行列』へと発 展する途上にあると考えられる興味深いテクストが、サレルノ大聖堂に伝え られている。それは『生誕の夜に、最初のミサの後に、司教聖アウグスティ ヌスの説教が、サレルノ式に読まれる』(In Nativitatis Nocte post Primam Missama

legitur Sermo Sancti Augustini Episcopi, More Salernitano)と題されている47)。こ

の説教は1594 年にナポリで刊行された説教集に収められているが48)、序文で

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る神を」68)。このように、ヨーロッパの中世末期までシビュラの名称は、種々 の『預言者の行列』の中で、預言者や王とともに伝えられていった。 4 セッサ・アウルンカ大聖堂におけるシビュラ像 これまでの考察を踏まえて、セッサ・アウルンカ大聖堂の説教壇に表わさ れた預言者とシビュラの図像プログラムの典拠について、あらためて検討す ることにしたい。4つのスパンドレルはそれぞれ人物像が彫られており、名 前は記されていないが、3人は旧約聖書の預言者、1人は女性のシビュラと 考えることができる。その中で2人の預言者とシビュラは銘文が書かれた巻 物を開いて示している。 上述したように、ダニエルの巻物には “CVM VENERIT S[AN]C[TV]S S[AN]C[T]ORVM CE[SSABIT VNCTIO]”(最も聖なる者が来たとき、塗油は

終わるだろう)と記されており、『ダニエル書』(9:24)に対応すると思われ るが、銘文の内容はウルガタ版とは異なっている69)。サンタンジェロ・イン・ フォルミス聖堂のアーチにも預言者たちの1人として描かれているが、そこ に記されているのは『ダニエル書』の異なる箇所(9:26)である。他方、テ アーノ大聖堂説教壇に彫られたダニエルには、まさに同じ銘文が刻まれてい る。そして、これもすでに指摘したように、この銘文は『ユダヤ教徒、異教 徒、アリウス派駁論』、およびサレルノ大聖堂の説教におけるダニエルの言葉 と完全に一致するのであり、リモージュの『預言者たちの行列』の場合とは 少し異なっている70)

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は登場していない。

テアーノ大聖堂説教壇の預言者について補足すると、そこに刻まれている

他の2人は、 “YAIAS P[ROPHETA]”(預言者イザヤ)と “AMOS P[ROPHETA]”

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ランス国王ルイ9世の弟シャルル・ダンジューに授封した。シャルルは 66 年、ベネヴェントの戦いでマンフレーディを殺害し、68 年には、ドイツから 遠征してきたコンラートの息子コンラーディンを打ち破って、彼をナポリで 処刑した。こうしてホーエンシュタウフェン家は断絶した。この間に、セッ サの町は1251 年、コンラート4世によって占領されたが、翌年にはインノケ ンティウス4世に従属を誓った。そして、ナポリ王国がシャルルの軍門に入 ると、セッサもシャルルの勢力下に入ることになった。 このような政治的な動乱は、当時の人々の日常的生活を困難とするだけで はなく、また精神的生活にも深く暗い影を投げかけた。一種の終末論的な情 況が意識される一方で、新たな霊的世界の到来が待望された。このような運 動の中心となったのが、フィオーレのヨアキム(Joachim de Floris, Giocchino da Fiore, c.1135-1201)の聖書解釈と歴史神学から強い影響を受けた人々(とり わけ、フランチェスコ会士)である80)。 ヨアキムは1135 年頃に、南イタリアのカラブリアの小村チェーリコに生ま れた。67 年から聖地巡礼の旅に出て、隠遁の修道者となって帰国し、その後、 シトー会に加わって修道院長に選ばれている。89 年にはフィオーレに新修道 会を設立し、96 年に教皇から認可された。彼の歴史哲学は独特なもので、歴 史を3つの発展的段階に区別する。第1の段階は「律法の下」にある「父」 の、畏怖すべき時代であり、第2の段階は「恩寵の内」にある「子」の、従 順な信仰の時代であり、第3の段階は、「満ち溢れる恩寵の内」にある「聖霊」 の、自由な愛の時代であり、これは1260 年から始まるとされた。 ヨーロッパの中世は、上述した紀元前後に成立した『シビュラの託宣』と は別に、シビュラの名を冠した新しい託宣集を生みだした 81)。12 世紀から 13 世紀に流布した託宣集の代表的なものは、ラテン語版が 10 世紀に成立し た、通称『ティブルのシビュラの託宣』(表題が欠けている)82) と、13 世紀に

編まれた『エリュトライのシビュラの託宣』(Vaticinium Sibyllae Erythorae)

である83)。この著作の冒頭部の記述から窺われるように、オリジナルのギリ

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「アルベルゴ・カルーゾ・ベルヴェデーレ」(Albergo Caruso Belvedere)―― の入口に再利用されている。 その中には、ライオンの柱礎、玄関の脇柱とともに、レリーフで人物像を 描いた二つのスパンドレルが含まれている。向かって左側の人物[図6]は、 セッサ・アウルンカ大聖堂の預言者たちのような姿勢で、左手に開かれた巻 物をもっている。右側の人物[図7]もまた同様な姿勢をとっているが、巻 物は閉じられたままのように見える。前者の巻物には、“CVM VENERIT SCS

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碩学アドルフォ・ヴェントゥーリは、1904 年に、すでにこれらの人物像に注 目しており、インスクリプションも正確に引用しているが、「ラヴェッロのシ ビュラは、セッサ[・アウルンカ]のシビュラと同じ文字を手にしている」89) と 述べている。この同定は、アンジェリカ・ロッシ(1915 年)にも引き継がれ ている(彼女の場合は「シビュラ?」と疑問符がついているが)90)。しかし、 引用された銘文を参照するならば、この人物は預言者ダニエルと考えるべき であろう。この点については、ガンドルフォ(1999 年)およびグラス(1987 年;1991 年)も同意見である91) もう一方の人物について特定することは困難であるが、グラスは、現在の ホテルのファサードは「疲れ切ったシビュラと預言者から構成されている」92) と述べている。彼はダニエルについては正しく同定しているので、右側の人 物をシビュラと見なしていると思われる。しかし、彫られている形姿からも 女性とは思われず、別の預言者と考える方が合理的だろう93)。その候補とな るのは、たとえば、テアーノ大聖堂の説教壇のスパンドレルに刻まれた、ダ ニエルを除いた、イザヤ、アモス、ゼカリヤである。 註

1) セッサ・アウルンカの歴史については以下を参照。Antonio Marcello Villucci, Sessa Aurunca. Storia ed arte, Mirina di Minturno (LT): Armando Caramanca Editore, 1995;

Brandisio Andolfi, Sessa Aurunca. I luoghi della memoria, Sessa Aurunca: Corrado Zano Editore, 2005; Pasquale Cominale, Claudia Gentile, Raffaele Giglio (edd.), Sessa Aurunca.

Territorio storia tradizioni cultura, Napoli: Edizioni Senza Torchi, 2015.

2) Michele Monaco, Sanctuarium capuanum: opus in quo sacrae res Capuae, & per occasionem plura, tàm ad diversas civitates regni pertinentia, quàm per se curiosa continentur,

Part.2, Napoli: Ottavio Beltrano, 1630, p.581.

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Valentono Pace, Francesco Aceto, La cattedrale di Sessa Aurunca, Mariana di Miturno (LT): Caramanica Editore, 1983; Cosma Capomaccio, La basilica cattedrale di Sessa Aurunca, Terza edizione riveduta e ampliata, Sessa Aurunca: Zano Editore, 2011. 筆者は 2015 年2月 13 日に 現地調査をおこなった。調査にあたっては、山本真司氏(天理大学)の協力を得た。 記して感謝申し上げたい。

5) 説教壇については、註4で挙げた文献に加えて以下を参照。Francesco Gandolfo, La scultura normanno-sveva in Campania. Botteghe e modelli, Roma: Editori Laterza, 1999,

pp.111-135; Dorothy F. Glass, “Pseudo-Augustine, Prophets, and Pulpits in Campania,”

Dumberton Oak Papers, 41 (1987), pp.215-226; Idem, Romanesque Sculpture in Campania,

Universtiy Park, PA: Pennnsylvania State University Press, 1991, pp.159-214; Manuel Castiñeriras, “Da Virgilio al Medioevo: Postille sulla rinascita della Sibilla in Campania (XI-XIII secolo),” Arte medievale, 4 ser. 6 (2016), pp.97-110.

6) Cf. Heinrich Wilhelm Shulz und Ferdinand von Quast, Denkmäler der Kunst des Mittelalters in Unteritalien, Band 2, Dresden, 1860, p. 149; Émile Bertaux, L’Italie méridionale, tom.1,

Paris: Albert Fontemong, 1904, p.603; Glass, “Pseudo-Augustine, Prophets, and Pulpits in Campania,” p.215: Idem, Romanesque Sculpture in Campania, p.149; Capomaccio, op.cit., p.112.

7) Schulz und Quast, op.cit., p.149; Bertaux, op.cit., p.603; Glass, Romanesque Sculpture in Campania, p.149; Capomaccio, op.cit., p.140.

8) Luigi Catalani, Discorso su’ monumenti patria dell’architetto, Napoli, 1842, p.32.

9) Cf. Schulz und Quast, op.cit., p.149; Bertaux, op.cit., p.603; Glass, “Pseudo-Augustine,

Prophets, and Pulpits in Campania,” p.215; Idem, Romanesque Sculpture in Campania, p.149.

10) Cf. Bertaux, op.cit., p.603; Pace, op.cit., p.171; D’Onofrio e Pace, op.cit., p.80; Capomaccio, op.cit., p.112.

11) Norbert Kamp, Kirche und Monarchie im staufischen Königreich Sizilien. I. Abruzzen und Kampanien, München: Fink, 1973, pp.187-188.

12) Glass, “Pseudo-Augustine, Prophets, and Pulpits in Campania,” p.215; Idem, Romanesque Sculpture in Campania, p.155.

13) Cf. Gandolfo, op.cit., p.111; Castiñeriras, op.cit., p.104.

14) Cf. Glass, “Pseudo-Augustine, Prophets, and Pulpits in Campania,” p.224; Idem, Romanesque Sculpture in Campania, p.217, Fig.190.

15) Pace, op.cit., p.172; Mario D’Onofirio e Valentino Pace, op.cit., p.80.

16) Cf. Glass, “Pseudo-Augustine, Prophets, and Pulpits in Campania,” p.224, Fig.4; Idem, Romanesque Sculpture in Campania, p.217, Fig.190.

17) Ervin Panofsky, Studies in Iconology: Humanistic Themes in the Art of Renaissance, New

York: Harper & Row, 1972, p.156.[エルヴィン・パノフスキー『イコノロジー研究――

ルネサンス美術における人文主義の諸テーマ』、浅野徹・阿天坊耀・塚田孝雄・永澤峻・

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18) Cf. Capomaccio, Monumentum resurrectionis, pp.100, 136-137.

19) Augustinus, De civitate Dei, 18, 23, edd. B. Dombart et A. Kalb, Corpus Christianorum

Series Latina, 47-48, Turnhout: Brepolis, 1955, p.613.

20) Lactantius, Divinae institutiones, 1, 6, 8, ed. S. Brandt, Corpus Scriptorum Ecclessasticorum

Latinorum, vol.19, Wien, 1890, p.20; Lactance, Institutions divines, ed. P. Monat, Sources chrétiennes, n.204, livre 1, Paris, 1973, p.76.

21) シビュラの伝承と図像的変遷の概略については以下を参照。伊藤博明『ヘルメスと

シビュラのイコノロジー――シエナ大聖堂に見るルネサンス期イタリアのシンクレ ティズム研究』、ありな書房、1992 年。

22) Oracula Sibyllina, ed. Johannes Geffcken, Leipzig, 1902 .9・10 巻の内容は他の巻に見い

だされるために、ゲフケンはそれらを削除して欠番扱いにしている。

23) 研究動向については以下を参照。 John Joseph Collins, “The Development of the

Sibylline Tradition,” Aufstieg und Niedergang der römischen Welt, II 20.1, eds. Wolfgang Hasse & Hildegard Temporini, Berlin - New York, 1983, pp.421-453.

24) 邦訳は、『シビュラの託宣』、柴田有訳、『聖書外典偽典』3、教文館、1975 年に所

収。

25) 邦訳は、『シビュラの託宣』、佐竹明訳、『聖書外典偽典』6、教文館、1976 年に所

収。

26) Augustinus, De civitate Dei, 18:23, eds. Dombart et Kalb, p.613. ラクタンティウスとシ

ビュラの伝承については以下を参照。「ラクタンティウスと『シビュラの託宣』」、『埼 玉大学紀要(教養学部)』、第46 巻第 2 号(2010 年)、21-37 ページ。

27) Cf. Ubaldo Pizzani, “L’acrostico cristologico della Sibilla (Or. Sib. 8, 217-250) e la sua

versione latina (Augst. Civ. Dei 18, 23),” in Cristianesimo Latino e Cultura Greca sino al sec.

IV, Roma, 1993, pp.379-390.

28) “ut carnem praesens, ut iudicet orbem.” 複数の写本においては “in carne” となってお

り、その場合は「身体において、地上を裁くために現われる」と訳出しうるだろう。 ギリシア語テクストは “ut carnem” を支持している。“Σίρκα παρὼν πᾶσαν κρῖναι καὶ κόσμον ἃπαντα”(Oracula Sibyllina, VIII, 219, ed. Geffcken, p.154).

29) Augustinus, De civitate Dei, 18, 23, edd. Dombart et Kalb, p.613. Cf. Oracula Sibyllina, 8,

217-250, ed. Geffcken, pp.153-157. ギリシア語からの邦訳、およびラテン語版との相違 については以下を参照。伊藤博明「シビュラの行方――アウグスティヌスからパラッ ツォ・オルシーニまで――」、『西洋中世研究』(西洋中世学会)、第6号(2014 年)、90-94 ページ。

30) Raban Maur, De universo, 15, 3, ed. J.-P. Migne, Patrologiae latinae, tom. 111, col.420b.

31) 詳しくは以下を参照。伊藤博明「サンタンジェロ・イン・フォルミス聖堂のシビュ

ラ像について」、『専修人文論集』102(2018 年)に所収予定。

(32)

34) Cf. Glass, “Pseudo-Augustine, Prophets, and Pulpits in Campania,” p.225, Figs.7,8; Idem, Romanesque Sculpture in Campania, p.219, Figg.57, 58.

35) 本章の記述は、上記の伊藤「サンタンジェロ・イン・フォルミス聖堂のシビュラ像

について」中の、「2 中世キリスト教世界におけるシビュラの伝承」および「3 サ

ンタンジェロ・イン・フォルミス聖堂におけるシビュラ」と重複している箇所がある ことをお断りしたい。

36) Augustinus, Epistolae, 222-224, Corpus Scriptorum Ecclesiasticorum Latinorum 54, Wien,

1910, pp.446-454.

37) Quodvultdeus, Contra Iudaeos, Paganos et Arrianos, in Opera Quodvultdeo Carthaginiensi episcopo tributa, ed. René Braun, Corpus Christianorum, Series Latina 60, 1976. クウォドウ

ルトデウスについては以下を参照。René Braun, “Quodvultdeus,” Dictionnaire de la

spitualité, Paris, 1970 sqq., tom.15/2, pp.2882-2889; V. Rossi, “Adversaries and Friends of

Augustine,” in Patrology, ed. Angelo di Berardino, trans. P. Solari, Westminster, MD: Christian Classics Inc., 1987, vol.4, pp.501-503; Michael P. McHugh, “Quodvultdeus,” Augustine

through the Ages: An Encyclopedia, Grand Rapids, Cambridge: Eerdmans Pub. Co., 1999,

pp.693-694. 伊藤博明「クウォドウルトデウスと『シビュラの託宣』」、『埼玉大学紀要 (教養学部)』、第51 巻1号(2015 年)、33~48 ページ。

38) Quodvultdeus, op.cit., pp.241-250. 邦訳は、伊藤、前掲論文、41~48 ページ。 39) Cf. Karl Young, “Ordo prophetarum,” Transactions of the Wisconsin Academy of Science, Arts and Letters, 20 (1922), p.4; Idem, The Drama of the Medieval Church, 2vols., Oxford:

Clarendon Press, 1933, vol.2, p.125; Émile Mâle, L’Art religieux du XIIe siècle en France.

Étude sur l’iconographie du Moyen Âge et sur ses sources d’inspirations, Paris: Librarie

Armand Colin, 1922, pp.141-143.[ロマネスクの図像学』(上・下)、田中仁彦・池田健二・ 磯貝辰典・成瀬駒男・細田直孝訳、国書刊行会、1996 年]

40) Young, “Ordo prophetarum,” pp.5-10, Idem, The Drama of the Medieval Church, vol.2,

pp.126-131.

41) ‘Iam noua proles demittitur alto.’ ウェルギリウスのテクストでは ‘iam noua progenies

caelo demittitur alto.’

42) Ibid., 15, 4, p.247. 43) Ibid., 16, 4-5, p.249.

44) Cf. Augustinus, De civitate Dei, 18, 23, edd. Dombart et Kalb, p.612.

45) 典礼劇については、ヤングの研究(註 39)に加えて、次を参照せよ。Carl J. Stratman, Bibliography of Medieval Drama, 2nd ed., vol.1, New York: F. Unger, 1972, pp.124-126; L.R.

Muir, The Biblical Drama of Medieval Europe, Cambridge: Cambridge University Press, 1995.

46) Vincenzo De Bartholomaeis, Laude drammatiche e rappresentazioni sacre, vol.1, Firenze:

Le Monnier, 1943, p.X.

47) Young, op.cit., pp.133-137.

(33)

49) Young, op.cit., p.133.

50) Cf. Glass, “Pseudo-Augustine, Prophets, and Pulpits in Campania,” p.225; Idem, Romanesque Sculpture in Campania, pp.219-220.

51) Quodvultdeus, op.cit., 13, 2-4, ed. Braun, p.241. 52) Young, op.cit. p.134.

53) Quodvultdeus, op.cit., 15, 7-8, ed. Braun, p.247. 54) Ibid., 16, 1-2, ed. Braun,p.248.

55) Young, op.cit., p.136. 56) 註 30 を参照。

57) Raban Maur, op.cit., 15, 3, col.420b.

58) Young, op.cit., p.138-145. Cf. Muir, op.cit., p.84. 59) Young, op.cit., p.139.

60) Quodvultdeus, op.cit., 13,1, p.243.

61) Ibid., 12, 2, p.234: “Cum uenerit sanctum sanctorum, cessabit unctio.” Cf. Young, op.cit.,

pp.126-127: “Cum uenerit, inquit, Sanctus Sanctorum, cessabit unctio.”

62) Young, op.cit., p.140: “ Sanctus Sanctorum uenit,/ et unctio deficiet.” 63) Daniel, 9:24: “… unguatur sanctus sanctorum.”

64) Cf. Glass, “Pseudo-Augustine, Prophets, and Pulpits in Campania,” p.218,; Idem, Romanesque Sculpture in Campania, p.216.

65) Young, op.cit., p.140:“Iuditii signum: Tellus sudore madescet;/ E celo rex adueniet per secla

futurus,/ Scilicet in carne presens, ut iudicet orbem.”

66) Cf. Ibid., p.145-170. 67) Ibid., p.145. 68) Ibid., pp.149-150. 69) 註 30 を参照。 70) 註 61~63 を参照。

71) Cf. Glass, “Pseudo-Augustine, Prophets, and Pulpits in Campania,” p.224; Idem, Romanesque Sculpture in Campania, p.217, Figg.191, 192.

72) Quodvultdeus, op.cit., p.241. 73) Young, op.cit., p.157.

74) ヨーロッパ中世におけるシビュラの図像全般については以下を参照。Angelica Rossi,

“Le Sibille nelle arti figurative italiane,” L’Arte, 18 (1915), pp.209-221, 272-285, 427-458; Louis Réau, Iconolographie de l’art chrétien, Tome 2, Paris: Presses Universitaires de France, 1956, pp.420-430; G. Seib, “Sibyllen,” in Lexikon der christlichen Ikonographie, ed. Engelbert Kirschbaum S.J., Band 4, Rom – Freiburg – Basel – Wien: Herder, 1972, coll.150-154.

75) Émile Mâle, L’Art religieux du XIIIe siècle en France. Étude sur l’iconographie du Moyen Âge et sur ses sources d’inspirations, Paris: Librarie Armand Colin, 1910, pp.391-395.[『ゴ

(34)

会、1998 年]

76) Dies irae, vv.1-8, in Filippo Ermani, Il “Dies irae”, Genève: Leo S. Olshki, 1928,

pp.141-143.

77) Cf. Ermani, op.cit.; Alfonso Maria Kurfess, “Dies Irae,” Historisches Jahrbuch, 77 (1957),

pp.328-338.

78) Augustinus, op.cit., p.613. 79) Mâle, op.cit., p.494.

80) ヨアキムについては以下を参照。Bernard McGinn, The Calabrian Abbot: Joachim of Fiore in the History of Western Thought, New York: Macmillan, 1985.[バーナード・マッギ

ン『フィオーレのヨアキム――西欧思想と黙示的終末論』、宮本陽子訳、平凡社、1997

年];Marjorie Reeves, The Influence of Prophecy in the Later Middle Ages. A Study in

Joachimism, Notre Dame – London: University of Notre Dame Press, 1993.[マージョリ・

リーヴス『中世の預言とその影響――ヨアキム主義の研究』、大橋善之訳、八坂書房、

2006 年];坂口昂吉『中世の人間観と歴史――フランシスコ・ヨアキム・ボナヴェントゥ

ラ』、創文社1992 年;フィオーレのヨアキム『新約と旧訳の調和の書』、宮本陽子訳、

『フランシスコ会学派』、「中世思想原典集成12」、上智大学中世思想研究所編訳・監修、

平凡社、2001 年に所収。

81) 中世に現われたシビュラの託宣集については以下を参照。Ernst Sackur, Sibyllinische Texte und Forschungen, Halle: Max Niemeyer, 1898; Berhard Bischoff, “Die latenischen

Übersetzungen und Bearbeitungen aus den Oracula Sibyllina,” in Mélanges Joseph de

Ghellinck, S.J., ed. by L. Lebon, Gembloux: J. Duculot, 1951, vol.1, pp.121-147; Bernard

McGinn, “Teste David cum Sibylla: The Significance of the Sibylline Tradition in the Middle Ages,” in Women of the Medieval World: Essays in Honor of John H. Mundey, ed. Julius Kirshner and Suzanne F. Wemple, Oxford: Basil Blackwell, pp.7-35; Peter Dronke, “Hermes and Sibyls: Continuations and Creations,” in Idem, Intellectuals and Poets in Medieval Europe, Roma: Edizioni di storia e letteratura, 1992, pp.219-244; Idem,“Medieval Sibyls: Their Character and their Auctoritas,” Studi medievali, 36, 2 (1995), pp.581-615.

82) テクストは以下に所収。Sackur, op.cit., pp.177-187. 邦訳は以下に所収。伊藤博明

「ティブルのシビュラ――中世シビュラ文献の紹介と翻訳(1)」、『埼玉大学紀要(教

養学部)』、第45 巻第1号(2009 年)、1~12 ページ。Cf. Paul J. Alexander, The Oracle

of Baalbek: The Tiburtine Sibyl in Greek Dress, Washington, DC: Dumbarton Oaks Center for

Byzantine Studies, 1967; Anke Holdenried, The Sibyl and Her Scribes. Manuscripts and

Interpretation of the Latin Sybylla Tiburtina c.1050-1500, Aldershot - Birlington: Routledge,

2006. 伊藤「シビュラの行方」、102-104 ページ。

83) テクストは以下に所収。O. Holder-Egger, “Italienische Propheten des 13. Jahrhunderts,” Neues Archive der Gesellschaft für ältere deutsch Geschichtskunde,15 (1890), pp.155-173; 30

(1905), pp.328-335. Cf. Reeves, op.cit., pp.56, 520; McGinn, op.cit., pp.30-34; Idem, Visions

(35)

1979, pp.123-125; Evelyn Jamison, Admiral Eugenius of Sicily: His Life and Work, London: Oxford University Press, 1957, pp.21-32; Paul Alexander, “Diffusion of Byzantine Apocalypses in the Medieval West and the Beginnings of Joachism,” in Prophecy and Millenarianism: Essays in

Honor of Majorie Reeves, Harlow, Essex: Longman, 1980, pp.71-19, 87-93.

84) Cf. Bernard McGinn, “Joachim and the Sibyl,” Citeau. Commentariis Cisterciensis, 24

(1973), pp.129-138.

85) Cf. Lactantius, op.cit., ed. Brandt, p.21; ed. Monat, p.76.

86) Luce Wadding, Annales Minorum seu trium ordinum A.S. Francisco institutorum, Roma,

tom.3, 1732, pp.380-381. Cf. Reeves, op.cit., p.146.

87) Ibid., p.55.

88) サンテスタキオ聖堂については以下を参照。D’Onofrio e Pace, op.cit., p.346; Gandolfo, op.cit.,p.84; A. Venditti, “Scala e i suoi borghi. II. Un villaggio rudere: Pontone d’Amalfi,” Napoli nobilissima, 3a Ser., 2 (1962-63), pp.153-176; Idem, Architettura bizantina nell’Italia meridionale. Campana – Calabria - Lucania, Napoli: Edizioni scienftifiche italiane, 1967,

vol.2, pp.600-601; Jill Caskey, Art and Patronage in the Medieval Mediterranean. Merchant

Culture in the Region of Amalfi, Cambridge: Cambridge University Press, 2004, pp.128-133. 89) Adolfo Venturi, Storia dell’arte italiana. III. L’arte romanica, Milano: Ulrico Heopli, 1904,

p.555.

90) Rossi, op.cit., p.220.

91) Gandolfo, op.cit., p.84; Glass, “Pseudo-Augustine, Prophets, and Pulpits in Campania,’

pp.224; Idem, Romanesque Sculpture in Campania, p.218. Cf. Adriano Prandi (ed.), L’art dans

l’Italie méridionale. Aggiornamento dell’opera di Emile Beraux, 3 tomes (Tomes 4-6 de

Beraux), Rome: École française de Rome Palais Farnese, 1978, p.778.

92) Glass, Romanesque Sculpture in Campania, p.120. 93) Cf. Gondolfo, op.cit., p.84.

図版典拠一覧

図1 山本真司氏撮影。2015 年 2 月 13 日。

図2 From Wikipedia Commons(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sessa_ Aurunca05.jpg)

図3 筆者撮影。2015 年 2 月 13 日。

図4 筆者撮影。2015 年 2 月 13 日。

図5 Jill Caskey, Art and Patronage in the Medieval Mediterranean. Merchant Culture in the Region of Amalfi, Cambridge: Cambridge University Press,

(36)

図6 Dorothy F. Glass, Romanesque Sculpture in Campania. Patrons, Programs,

and Style, University Park, Pennsylvania: The Pennsylvania State University

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