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『トマス・アクィナスの政治思想』

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Academic year: 2021

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目  次

 

  次

凡     例 プロローグ ── 〈キリスト教共同体〉 の知の巨人、 あるいは 〈聖なる教え〉 の具現者  ………   1

第一部

 

人と時代

第一章

 

書物に殉じた

〈鈍牛〉

── トマス・アクィナスの思想世界  ………   9 一   黙り牛 ( bos mutus )   9 二   『学習法に関する訓戒の手紙』    15

第二章

 

歴史舞台の上のトマス

── 中世の夏=一三世紀  ………   31 一   教科書の中のトマス    31 二   〈中世の夏〉 ──一三世紀    39 三   歴史舞台の上のトマス    44

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第二部

 

知の枠組み

第三章

  『神学大全』

── 思想のゴシック建築  ………   59 一   『神学大全』 ── 意図と動機    59 二   大全 ( Summa ) とは何か    64 三   思想のゴシック建築    67 四   『神学大全』 の全体構造 ── 神学と哲学    73

第四章

 

神の善性としてのこの世と人間

── トマス政治思想の神学的=形而上学的基礎  ………   85 一   秩序の全体構造    86 二   恩寵と自然    93 三   自然法    104 四   普遍の概念    113 インテルメッツォ ── 〈一三世紀アリストテレス革命〉 史観と トマス・アクィナス  ………   125

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目  次

第三部

 

トマス政治思想の全体像

第五章

  〈社会的および政治的動物〉

としての人間

── 人間・社会・国家  ………   139 一   「社会的および政治的動物」    139 二   人間と社会 ── その構成原理    154 三   「完全共同体 (社会) 」 としての 「国家」    164 四   「共通善」 としての政治 ── 君主の職務    172

第六章

 

混合政体論

── 最善の国制とは何か  ………   181 一   混合政体論と君主政論    182 二   トマス政体論の諸解釈    190 三   トマス政体論理解の基礎視角    198 四   『君主の統治について』 ── 混合政体への示唆    210 五   『神学大全』 における混合政体論    219

第七章

 

暴君放伐論

── 共通善としての暴君殺害  ………   237 一   私人による暴君殺害の承認 ── 『命題集注解』 (一二五六年)    238 二   公的権威による暴君殺害の承認 (一) ── 『君主の統治について』 (一二六五─六七年)    249 三   公的権威による暴君殺害の承認 (二) ── 『神学大全』 第二部 (一二六九─七二年)    261

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四   トマスの最終意思 ── 暴君放伐論から政体論へ    277

第八章

 

正戦論

── 人間の罪としての戦争と平和  ………   287 一   『神学大全』 第二 ─ 二部第四〇問題の内容分析    288 二   共通善としての平和    299 三   トマス正戦論の神学的枠組み    304 四   トマスにおける戦争と平和    316

第九章

  〈神の統治〉

と〈人間の統治〉

── 「教会」 と 「国家」 の関係構造  ………   323 一   『君主の統治について』 第一巻第一四章    324 二   『神学大全』 と 『命題集注解』    330 三   トマス両剣論の諸解釈    339 四   トマスの真意とは何か    348 エピローグ ── 〈キリスト教共同体〉 の終焉、あるいは 〈黄昏に飛び立つミネルヴァの梟〉 ………   357 注    365 あとがき    419 文献表    5 人名索引    1

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プロローグ──〈キリスト教共同体〉の知の巨人,あるいは… プロローグ ──

〈キリスト教共同体〉

の知の巨人、

あるいは

〈聖なる教え〉

の具現者

  本 書 は、 西 欧 中 世 の 絶 頂 期 で あ る 一 三 世 紀 を 代 表 し、 〈キ リ ス ト 教 共 同 体〉 ( Respublica Christiana ) と 称 せ ら れ る 中 世 の 宗 教 = 政 治 世 界 理 念 を 一 身 に 体 現 す る と さ れ る 神 学 者 ・ 哲 学 者 ト マ ス ・ ア ク ィ ナ ス (一 二 二 四/ 五─ 七 四 年) を 取 り 上 げ、その政治思想の特質と全体像を浮き彫りにさせようとするものである。   従来、トマスの研究はもっぱら彼の「神学」や「哲学」に焦点が定められてきた。その結果、その研究は神学史・ 哲学史、あるいは教会史の文脈の中で行われ、 「政治思想」の側面は二次的なものという扱いを受けてきたといえる。   そのような扱いは、そもそも西欧中世の政治思想なるものに対する長年にわたる先験的な無視や軽視に起因する。 つまり、かつて西欧政治思想史研究の泰斗カーライル兄弟らが指摘したよう に )( ( 、西欧の政治思想史において、政治思 想や政治学的思惟は古代のアリストテレスからルネサンスのマキアヴェリに直結し、その間の一千年の時間を挟む中 世には見るべき積極的な政治思想など存在しないという思いこみが支配していたのである。したがって、中世全体を 代 表 し、 中 世 神 学 ・ 哲 学 の 集 大 成 と も い う べ き『神 学 大 全』 を 完 成 さ せ た (実 際 に は 未 完 に 終 わ り、 最 後 部 の 残 余 の 部 分 は 終 生 の 僚 友 ピ ペ ル ノ の レ ギ ナ ル ド ゥ ス に よ っ て 書 か れ た) ト マ ス は ど こ ま で も 神 学 者 ・ 哲 学 者 で あ り、 政 治 思 想 家 で は な かったのである。   しかし近年、西欧中世社会への関心の一般的高まりとともに、こういう予断は払拭されつつある。トマスを中世封 建社会の位階構造を正当化する教会イデオローグと単純に断ずるような従来の評価はもはや通用しない。しかし、そ れにもかかわらず、トマス政治思想の研究それ自体は、少なくともわが国においては、いまだ緒に就いたばかりであ

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る。   では、トマス・アクィナスが中世の独特な宗教 = 政治世界理念を一身に体現する神学者・哲学者といわれる場合の、 その 〈キリスト教共同体〉 とは、いったいどのようなものであり、そのことの真の含意はどこにあるのか。それを明ら かにするために、少々迂回的になるが、C・シュミットの有名な次の言葉から始めよう。   「現 代 国 家 理 論 の 重 要 概 念 は、 す べ て 世 俗 化 さ れ た 神 学 概 念 で あ る。 例 え ば、 全 能 な る 神 が 万 能 の 立 法 者 に 転 化 し たように、諸概念が神学から国家理論に導入されたという歴史的展開によってばかりでなく、その体系的構成からし てそうなのであ る )( ( 」 (『政治神学』 ) 。   いかにもC・シュミットらしい、鋭いが、いささか奇を衒うかのような言辞ではある。しかし、これは決して根も 葉 も な い 断 定 的 虚 言 で は な い。 な ぜ な ら、 「ピ ュ シ ス」 (自 然) ─「ノ モ ス」 (人 為) の 二 項 対 立 か ら、 自 然 現 象 (ピ ュ シ ス) を 抜 け 出 て 意 識 的、 自 覚 的 な 行 為 (ノ モ ス) に よ る「政 治 的 な る も の」 の 構 築 を め ざ し た 古 代 ギ リ シ ア の 現 世 的、 合 理 的なポリス的政治世界の崩壊を受けて歴史に登場した中世という時代は、一二、一三世紀の絶頂期において、キリス ト教という宗教を唯一の精神的紐帯として統合された一つの普遍的な 〈キリスト教共同体〉 にまで到達した時代だった か ら で あ る。 そ こ に お い て 思 想 の 世 界 を 主 導 し た の は、 神 へ の 信 仰 を 聖 書 の 教 義 や 信 仰 箇 条 の 解 釈 と 教 育 に よ っ て 人 々 に 理 解 さ せ よ う と す る 神 学 で あ り、 そ の 神 学 か ら 独 立 し た 哲 学 (信 仰 で は な く、 人 間 の 理 性 に よ っ て 物 事 を 理 解 し よ う と す る 学) は、 当 然 の こ と に 神 学 の 下 位 に 置 か れ て い た (こ の 絶 対 的 な 従 属 関 係 =「哲 学 は 神 学 の 侍 女」 に 対 し て、 神 学 か ら の 哲学の相対的自律化によって、両者の関係の再構築を図ったのがトマスであることはいうまでもない) 。   この中世神学の精緻な構成が現代国家理論に重大なヒントを与えているというのがC・シュミットの指摘であるが、 とすると、ここで問題となるのは、この中世の 〈キリスト教共同体〉 なる普遍的世界のことである。歴史にあらわれた 政 治 社 会 の 基 本 型 を 考 え る と、 古 代 の「都 市 国 家」 ( polis ) ─ 中 世 の「キ リ ス ト 教 共 同 体」─ 近 代 の「国 民 国 家」 ( nation

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プロローグ──〈キリスト教共同体〉の知の巨人,あるいは… state ) と い う の は 常 識 で あ る が、 こ の〈キ リ ス ト 教 共 同 体〉 と い う 宗 教 = 政 治 社 会 の 枠 組 み (観 念) の 勃 興 ・ 発 展 ・ 崩 壊 の過程を叙述するのが、中世政治思想史の本質を抽出しようとする場合の基本的方法として適っていよう。いまでも よ く 引 用 さ れ る 西 欧 政 治 思 想 史 の 代 表 的 概 説 書 で あ る G ・ H ・ セ イ バ イ ン の『政 治 理 論 史』 (一 九 三 七 年 )( ( )は 古 代─ 中 世 ─ 近 代 の 政 治 思 想 の 流 れ── プ ラ ト ン か ら フ ァ シ ズ ム お よ び 国 家 社 会 主 義 ま で── を そ れ ぞ れ、 「都 市 国 家 の 理 論」 ─「普遍的共同体の理論」─「国民国家の理論」の三段階に分けて叙述している。ここには、福田歓一氏がつとに指 摘 し た よ う に、 「い か な る 実 体 に つ い て 議 論 し て い る か を 判 別 し な い で、 現 在 の 概 念 を 過 去 に 投 影 し、 そ れ に よ っ て 政治社会に関する過去の学説を論ずることへの鋭い自戒が認められ る )( ( 」。   そして、この 〈キリスト教共同体〉 の観念の勃興・発展・崩壊の過程を叙述することを基本方法とする中世政治思想 史 の 代 表 的 な 概 説 書 の 一 つ が J ・ B ・ モ ラ ル の『中 世 の 政 治 思 想』 (一 九 五 八 年 )( ( )で あ り、 こ の 発 想 は A ・ P ・ ダ ン ト レ ー ヴ の『政 治 思 想 へ の 中 世 の 貢 献』 (一 九 三 九 年 )(( )に す で に 提 起 さ れ て い た。 で は、 こ の〈キ リ ス ト 教 共 同 体〉 な る 中 世 の 宗教 = 政治社会とはいったいどのような概念であり、それはどのようにして生起していったのだろうか。それは通常、 次のように説明される。すなわち、   ──中世がキリスト教という宗教の時代であったということ、それは、 ( ()それまでのギリシアの「政治」世界が 知らなかったもう一つ別の世界、つまり人間の魂の救いという「非政治」的世界が人々に「神の国」として開示され た と い う こ と (イ エ ス の 言 明、 例 え ば「私 の 国 は こ の 世 の も の で は な い」 や、 パ ウ ロ の 言 葉「人 間 に 従 う よ り は 神 に 従 え」 等 々) で あ り、 そ こ か ら、 ( ()「政 治」 と「非 政 治」 (宗 教) ── そ れ は 現 実 の 可 視 的 な 実 体 と し て は、 「国 家」 と「教 会」 と い う 形 態 と な り、 思 想 表 象 と し て は 権 力 と 道 徳 と い う、 と も に 人 々 に 強 い 忠 誠 を 求 め て や ま な い も の の 対 立 と な る ── と の 間 に 絶 え ざ る 緊 張 関 係 が 再 生 産 さ れ 続 け て い き、 や が て、 ( ()こ の 二 つ の 原 理 ・ 領 域 (教 権( sacerdotium )と 世 俗 権( regnum, Imperium )) を「権 威」 ( auctoritas ) ─「権 力」 ( potestas ) の 拮 抗 関 係 と し て 内 に 含 む 一 つ の「普 遍」 的 な〈キ

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リ ス ト 教 共 同 体〉 ── 二 つ の 中 心 を も つ い わ ゆ る 楕 円 的 統 一── が 現 出 す る こ と に な る。 こ れ の 絶 頂 期 は 一 二、 一 三 世 紀 で あ る が、 こ の 両 者 (教 権 の 長 た る ロ ー マ 教 皇 と 世 俗 権 の 長 た る 神 聖 ロ ー マ 帝 国 皇 帝 と の 間 の 主 導 権 争 い が 五 世 紀 の ロ ー マ 教皇ゲラシウス一世の言明以来、中世最大の政治イッシュー、いわゆる「両剣論」として両者から主張される) の対立抗争を軸に、 中 世 の 政 治 論 も さ ま ざ ま に 展 開 さ れ る。 そ し て、 ( ()こ の「普 遍」 (現 実 的 実 体、 観 念 双 方 の) が、 中 世 末 期 に な る に つ れて次第に「個」の自己主張に取って代わられてゆき、そこから近代を予兆する個別的「世俗国家」への道が始まる こととなる。中世の終焉である。   結 果 と し て 見 れ ば、 中 世 後 期 (一 四、 一 五 世 紀) に お い て、 こ の「普 遍」 に 対 抗 し て、 「個」 の 立 場 に 沿 っ て 中 世 の 政 治 思 想 の 解 体 を 推 し 進 め る 役 割 を 果 た す こ と と な る の は、 『平 和 の 擁 護 者』 の 著 者 マ ル シ リ ウ ス ・ パ ド ヴ ァ で あ り、 『教 皇 権 に 対 す る 八 つ の 提 題』 の 著 者 ウ ィ リ ア ム ・ オ ッ カ ム で あ る。 あ る い は、 同 じ く「普 遍」 を 表 象 す る ロ ー マ 教 皇の至上権に対抗して教会を構成するすべての信仰者の集合体こそが真の「普遍」を代表すると主張した公会議主義 の 運 動 (ニ コ ラ ウ ス ・ ク ザ ー ヌ ス、 ピ エ ー ル ・ ダ イ イ、 ジ ャ ン ・ ジ ェ ル ソ ン ら) も、 中 世 後 期 の 政 治 思 想 の 重 要 な ア ク タ ー で あるが、いずれにせよ、これらの政治思想・運動を通じて「普遍」に対する「個」という中世の宗教 = 政治枠組みが、 「実在 (念) 論」 ( realism ) に対する「唯名論」 ( nominalism ) という知の枠組みと重なっていることはいうまでもない。   さて、中世後期の政治思想の諸相については、ここでは深入りしない。問題は彼らより一世紀前の、一三世紀とい う中世盛期に生きたトマス・アクィナスという神学者・哲学者のことでなければならない。一言でいえば、彼こそは その一身において、この中世の普遍的な 〈キリスト教共同体〉 を体現する人物であり、その彼の政治思想の全体像を問 う こ と は そ の ま ま、 中 世 政 治 思 想 と は い か な る 特 質── 古 代 の そ れ と も 近 代 の そ れ と も 異 な る も の が あ る と す れ ば ──をもっているかを問うことにほかならないのである。   ここで、本書の接近方法をアト・ランダムに箇条書きしておきたい。

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プロローグ──〈キリスト教共同体〉の知の巨人,あるいは…   ( () ト マ ス の 主 著 は『神 学 大 全』 で あ り、 そ こ に 彼 の 壮 大 な 思 想 体 系 が 表 明 さ れ て い る。 従 来、 こ の 大 部 の テ ク ストの中に散見される政治的言及のみを全体の文脈や前後の文脈から切り離し、その断片を拡大解釈してトマスの政 治思想に対する一定の結論とするような傾向が多く見られた。この傾向を増長させたのは、トマス自身に、政治に関 す る プ ロ パ ー の 著 作 が ほ と ん ど 存 在 し な い (例 外 的 に、 ア リ ス ト テ レ ス の『ニ コ マ コ ス 倫 理 学』 と『政 治 学』 の 注 解、 『君 主 の 統 治 に つ い て』 、『ユ ダ ヤ 人 の 統 治 に つ い て』 ) と い う 事 実 で あ る。 つ ま り、 こ れ ら の 小 品 (『神 学 大 全』 と 比 較 し て) は、 『神 学 大 全』 の 圧 倒 的 な 存 在 感 の 前 に 霞 ん で、 『神 学 大 全』 の 中 に 表 明 さ れ て い る 彼 の 思 想 体 系 全 体 と の 有 機 的 連 関 を 問 う 姿勢をとりにくくさせてきたように思われる。したがって、この両者のテクストの内的連関を意識してテクスト読解 を行った。   ( ()『神 学 大 全』 に 表 明 さ れ て い る 思 想 は た し か に 抽 象 度 が 高 く、 現 実 感 に 乏 し い 傾 向 が あ る。 そ こ か ら、 ト マ ス の現実超越的思考性が強調されやすい。しかも、彼の生涯を見ていくと、例えばアウグスティヌスのような劇的な生 の体験も軌跡も見られない。そこで、彼の抽象性はいや増すこととなる。だが、イタリア中南部の大封建領主の末子 というその出自や、パリ大学での彼の最初の講義が当時の学園紛争──すなわち、教区所属の教授と、修道会所属の 教授 (トマスはその一員) との間の対立──のさなかにあって「スト破り」の強行という形でなされた事実などを想起す ると、彼に現実感覚が乏しいという評価は再考すべきである。したがって、トマスの政治思想を、同時代の歴史的文 脈の中に位置づけることを意識しておくように努めた。   ( () ト マ ス の 現 実 に 対 す る 鋭 敏 な 感 覚 は、 当 時、 洪 水 の よ う に 押 し 寄 せ た ア リ ス ト テ レ ス『政 治 学』 の 影 響 に 対 す る 彼 の 対 応 に 鮮 や か に 見 て と れ る。 す な わ ち、 こ の 異 教 の 政 治 哲 学 は、 「政 治」 を「罪 に 対 す る 罰 と 矯 正」 ( poena et remedium peccati ) と し て し か 認 め て こ な か っ た 伝 統 的 な キ リ ス ト 教 政 治 理 論 (ア ウ グ ス テ ィ ヌ ス に 代 表 さ れ る) に 対 す る 強 烈 な 反 措 定 で あ り、 こ れ を 全 面 的 に 受 容 し よ う と す る い わ ゆ る「ラ テ ン ・ ア ヴ ェ ロ エ ス 派」 (パ リ 大 学 人 文 学 部 が 拠 点)

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と、 全 面 的 に 否 定 し よ う と す る 守 旧 派 (主 に フ ラ ン シ ス コ 会) と の 間 に 立 っ て、 ド ミ ニ コ 会 士 た る ト マ ス が 示 し た 中 間 の 立 場 に 対 し、 歴 史 的、 思 想 的 に ア プ ロ ー チ す る こ と に よ っ て そ の 意 味 の 再 考 察 を 行 っ た。 そ の 結 果、 こ の「中 間 の 道」 ( via media ) の 中 か ら、 ト マ ス が い か に ア リ ス ト テ レ ス に 学 び つ つ〈共 通 善〉 ( bonum commune ) の 政 治 思 想 を 展 開 し ていったかを知ることができるであろう。   以上を要約すれば、本書はトマスの政治思想をあくまでもテクストを中心に読みこんでいくことであるが、そのテ クストを成立させている歴史的文脈を十分に考慮しつつ読みこむこと、つまりいうところのテクスト主義とコンテク スト主義との融合を図ろうとするものである。このことは今日、思想史研究の常識的態度にすぎないが、こと中世政 治思想、それゆえトマス政治思想の研究に関するかぎり、いまだこの常識に達していない段階にある。トマスの思想 の神学的、哲学的パラダイムはいかなるものか、を確認し、その上でこの世の政治的事柄がそのパラダイムの中でど の よ う に 位 置 づ け ら れ て い る か、 そ し て そ の 上 で さ ら に、 そ う し た 政 治 的 事 象 の 現 実 の あ ら わ れ (思 想 ・ 制 度) を 彼 は どのように評価していたかを問うことが本書の意図である。   最 後 に あ え て 念 押 し を し て お き た い の は、 ト マ ス の 主 著『神 学 大 全』 と は、 彼 が〈聖 な る 教 え〉 ( sacra doctrina ) と 呼 んだ神学と哲学の途轍もなく巨大な総合体系であり、彼はその体系の構築を彼自身の巨軀をもって見事になしとげた ということである。痩身痩軀のイメージこそ知の人にふさわしいという予断が存在するとすれば、それはトマスによ って瞬時に裏切られるに違いない。しかもトマスは、その巨大な外貌の内側に、細やかな神経と犀利な洞察力を備え ていた。それらが両両相俟って、世界の仕組みがその骨格だけでなく、その細部の隅々にいたるまで詳細に腑分けさ れ、そうしてのち豊かに再構成されるにいたったのである。中世の 〈キリスト教共同体〉 は、こうしてトマスによって 歴史に記憶されるものとなった。それでは、その彼の歩んだ道筋をたどることにしよう。

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第一部

 

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第 1 章 書物に殉じた〈鈍牛〉

第一章

 

書物に殉じた

〈鈍牛〉

── トマス・アクィナスの思想世界   西欧中世を代表する神学者にして哲学者トマス・アクィナスについて、いまさら何を語ることがあるのか。その決 して長くはない生涯、それに比しての信じ難い膨大な仕事量と内実、そしてその影響のいまにいたる広がりの大きさ 等々に関してものされた書物には事欠きはしな い (1 ( 。筆者がこれから取り組もうとしているのはそんなトマスの巨大な 思想体系の中のほんの一部、すなわちその社会・政治思想に関してである。こと政治思想史の中では、トマス思想の 全貌はまだすっかり明らかにされたとは言い難 い (( ( 。   トマスの社会・政治思想に入る準備段階の一つとして、まずは彼が西欧一三世紀当時の知的世界にあっていかなる 生の形を示したか、その問題から始めることにする。 一   黙り牛 ( bos mutus )   「聖 ト マ ス は 大 き く て 重 い 牛 の よ う な 人 物 で あ っ た。 太 っ て 悠 然 と し て、 物 静 か で、 非 常 に 穏 や か で、 太 っ 腹 で あ るのに、非常に社交的というわけでもなく、聖なる謙遜とは別に内気であり、ときどき訪れるけれども注意深く秘め ていた脱魂・恍惚の状態とは無関係にぼんやりしていた。聖フランチェスコは、火のように激しく、せかせかした人 柄でもあったので、突然彼が姿を現わせば、そこにいあわせた聖職者たちは彼を狂人だと考えた。聖トマスは非常に のろまであったので、彼が規則正しく出席した学校の生徒たちは彼をうす馬鹿と考えた。こういう人物はままいるも

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のだが、自分より活発で元気盛んなうす馬鹿どもに自分の夢を邪魔されるよりは、自らうす馬鹿と思われていた方が はるかにいいと考えるたちの生徒だったのである。この外面的コントラストは二人の人柄のほとんどすべての点にま で及ぶのである。情熱的で詩を愛しながら、書物にどちらかといって信用を置かなかったのは、聖フランチェスコの 逆説だった。聖トマスに関する顕著な事実をいえば、書物を愛し、書物によって生き、また、この世が与えるどんな 富よりもアリストテレスとその哲学に関する百冊の書物の方を望んだ『カンタベリ物語』の中の、オックスフォード で聖職修行中の学生そのままの生活を送ったのである。神に対して何を最も感謝するかと問われたとき、彼はただ、 ﹁いままで読んだ書物のすべての頁を理解できたことです﹂と答えたのであ る (( ( 」。   右 に 挙 げ た の は 独 特 の 逆 説 と 諧 謔 を も っ て 知 ら れ る イ ギ リ ス の 作 家 G ・ K ・ チ ェ ス タ ト ン に よ る「聖 ト マ ス ・ ア ク ィ ナ ス 伝」 (一 九 三 三 年 ( の 一 節 で あ る。 見 て の 通 り、 こ こ で は ト マ ス は 一 三 世 紀 を 代 表 す る も う 一 人 の 人 物 フ ラ ン シ スコ会の創始者アッシジのフランチェスコとの比較において取り上げられている。この両者の比較の視点には、考え てみるとそれなりの問題があるが、いまは問うまい。それに、両者が十分に比較の対象となりうる、一三世紀を彩る 枢 要 な 人 物 で あ る こ と は、 チ ェ ス タ ト ン よ り も 後 輩 の 同 じ イ ギ リ ス の 中 世 史 家 D ・ ノ ウ ル ズ が、 「黄 金 時 代 (一 三 世 紀 ( の四人の代表的人物」としてフランチェスコ、フランス王聖ルイ、トマス・アクィナス、ダンテ・アリギエーリを挙 げて論じている点からも首肯できよ う (( ( 。   多くの識者が認めていることだが、チェスタトンのトマス伝はまことに示唆に富むもので、読む者に豊かな想像力 を喚起させる力をもっている。 「聖トマス・アクィナスの研究にすでに二、 三十年を費やしており、たぶんこの主題に つ い て 二、 三 の 書 物 を 公 に し た こ と の あ る 少 数 の 読 者 な ら ば、 必 ず や チ ェ ス タ ト ン の い わ ゆ る﹁機 知﹂ の 前 に 自 分 た ちの学識の面目が丸つぶれにされていることに気づくであろ う (( ( 」とは、フランスの中世哲学史家E・ジルソンの言だ。 この評価は現在にいたるも揺らぐことはない。

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