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日本佛教學協會年報 第10号 009山口 益「聖提婆造四百観論に於ける諸法百義の要項」

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(1)

聖徒婆遣四百観論に於げる説法百義の要項

① 龍樹の弟子聖提婆の敬謬設が、遮法

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吊 臼

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︶を主要傾向とせる諸百論︵官官

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︶帥ち四百論と百 論と百字論とをその主要テキストとするととは、その三論者の内容一安回を大略比較封照するとき.そこに大凡相 似たる要項の論議せられたる跡を系統づけるととによって首肯せらる L のであるが‘そのととは既に論述提示せ ② られたるととろであり、叉息十回作に於てそれが承認せられたことともたつて居る o 乃ちその論述提示せられたると と ろ を 詳 言 す れ ば . ③ 一 、 前 に も 論 じ た 如 く 四 百 論 が ﹁ 言 単 位 ︵ 4 佐々。と所一百令官

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︶.印ち.空観を説く人と設かる L 宰敬墜との あるときは昼と一言ムべからや︵四百論第三七六備

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︶ ﹂ と 一 五 ふ 外 難 を 以 て 始 ま る 空 教 単 一 の 成 立 を 論 中 る 一 章 で 完結ぜられ、同様に百論も亦﹁汝一切法相︵日自性︶を破す。是破若し有らば一切法昼と言ふべからや、有を破 一臆左の三項から眺め得られる。 するを以て是破も有るが故に﹂なる外難に封する窓口樺︵匂島野宵ろとしての破空口川で完結せられてあり、百字論 の最後章も﹁諸法無自性で空ならば、一訟も亦室‘昼なる語を以て云何にして有なる諸法を無自性になし得るか﹂ なる外難に封する答鰐である。蓋し諸法無自性義を説く中概設は、諸法宰にして安立すべきもの無友るに諸法の 空を説く即ち安立するのであるから、多くの伺義

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目 白 P H F P ︶の星観を行使する空観詑そのもの L 審議を以て論 聖 提 婆 治 四 百 観 論 に 於 け る 説 法 百 義 の 要 項 三

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一 ニ

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日本仰教唆協合年報︵第十年︶ 0 四 2 の終結に置くことは首然の道行であるが、提婆に師せらる L 三論の終平が、かくの如く同じき論議で一致して居 るととは、提婆敬皐の形態主主主る昼敬意立の一章を以て完結せらる L と一五三標識と見地﹂れ得るであ らう。尤も百字論の最後章は註裡の上に於て西蔵謹が漢詩よりも詳細になって居り・プ l カ レ

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氏の如きは、そ の詳細になれる部分を以て後の附加であると一五ふのである。併しその一章の内容は龍樹が廻評論一容を以て論成 したやうな中観設としての重要課題が述べられてあるのであり‘そう云ふ敷島一白佼態は寧ろその附加のある事に 上って闇明せられ得るのであるから、縦ひそれが附加ぜられ・柿足せられたものであるにしても.そのやうに附 加せられ・補足せられたと一五ふととが、却ってテキストとしての営然な形態を構成すること L なったので、三論 封 校 上 、 能 く 承 認 せ

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? と と 主 は る 。 二.百字論研究の序及びその本文の詰に於て随底に法意した如く.百字論第十節以後の内容失第は、極めて簡 略ではあるが百論破紳口同第二以後の次第と一致ぜるものがある。而して百字論の第十節以前に就いて見るに、そ の中、第五節までを以ては一異有無を越して図中有泉佐⋮果沿を破し、第六節に於て巾翻詑の和依相待的因果説を 槙一不し、七百八、九の三節を以て.所立の有にてもあれ無にでもあれその何たるを問は子、所興の︷一万又は凶が有 自性的に成立すべからざるを説くから、此等第十節以前は、第十節以降即ち γ H 論 破 紳 口 間 以 降 を 以 て 詳 論 せ ら る L ゃう及百義本題の需の緒論とでも言はれ得ないではない。所詮百字論は百論破紳品以降の所論の一綱要書とも一五 ひ 得 る の 寸 あ ら う 。 三、四百論の後 AT と百論破一脚品以後とは内容を比較し℃も確かに多くの共油粕が護見し件られ、百品は四百論 ① の綱要書ならねかとは夙に宇井博士の註意せられた離であるが、今、雨論の品名を封比し表列すれば次の如くな

(3)

る の で あ ら う か 。 百 lll 九 S R ド バ 川 官 民 一1 1 ・ が れ H J J 品 m g n 丁 破 紳 品 丁 破 一 円 附 一 | 被 災 目 叩 一 波 情 品 孔 脚 ll

三 回 ﹁ 被 慶 同 開 |被附中有巣目同 被 闘 中 無 田 市 口 問 | 被 常 同 m

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被 空 口 開 の破一破異に相官す。 少しく註記すれば.四百論の破謹執口聞はその内容は一異の批判観察が中心となれるものであるから.此は百論 羅什語中論に於ても親六情日間と稿せらる t A ﹁情﹂とは焚械諸本によれば宮仏ユヨ柄であるから.今も同じく羅 什諜たる破情は破根と見るべきである。而して四百論第十三品宮︽

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ユ H H P H V E 明 申 告 m w は . ﹁ 根 の 境 を 悲 す ﹂ と 一 読 まれたとともあるが此は西臓器の示す如く﹁根と境とを遮す﹂と読むべきであるから.該第十三日聞は百論の破塵 破情の二品に相営する。 3 百論の破困中無果品は因中無果として特別に品を分つ丈の内容を具備せ守、無果品中にも有果の問題は見えて 一品別文の意味認め難きものであるが、その中には因中有果品にが、けると共に生住減なる有需の三相の論ぜられ 邸主提婆法四百概論に於ける説法百義の要項

= 一

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日 本 併 殺 事 協 舎 年 報 ハ 第 十 年 ︶

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六 4 たるものがある。同して四百論の破有話相品は、その始め二備を以て困中有果無果を論破し.次いでその品名の 示す如く有震の三相貰有を破するものであるから、とれ百論の因中有果無果の二品と相臆するものである。 四 百 論 の 破 時 口 聞 に は 時 論 Q P H P 4 出るの時常住論を破するものが見らる L から百論破常品中の一部に相官すペ きものではあるが、同時に破時品はまた、有銭の三相にも関係するを以て百論の破国中有巣無果品とも一部相臆 せ し め 得 る 。 四百論の第十二破見口聞は‘特別な一の句義・法︵空白 P H F P 一 ず V P 4 るについて論やるものではなく、或は﹁外教 悌道共に一切雑染法を拾離すべきととを説きながら師道には離・拾︵

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者相官︶の方便あり,外教にはそれ なき﹂とと‘或は﹁空無自性に封して人々が怖畏を有つから、空無我の理趣を説くについては穏々の用意.段階 の用ひられたる﹂とと、或は波羅門・尼乾子・牒迦牟出の相異等々。要するに昼無自性に封する見方$即時

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につき‘誤れる見解を是正して窓観行使の正しき見僻を提示せるものである。とう一五ふ内容の一章一

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設けられて あ る と 一 五 ふ と と は 、 所 謂 ﹁ 蹟 百 論 ﹂ と 一 五 は る L 所以として、その論述が百論よりも横充ぜられてある黙の一とし て詑意せられて良いであらう。 以上の如く大凡.百論の蹴一脚品以後と問百論後牛とは内容的に相照臆せるものと見らる。 然 る に そ と に 問 題 と し て 残 れ る も の は ‘ 繭 ら ぱ 百 論 拾 界 一 冊 品 第 一 、 ど 四 百 論 前 八 口 聞 と は 提 婆 敬 雄 一 ゐ 閥 系 上 一 五 何 に 取扱はる L かと言ふととであるが、此雨者が内安上何故一すかの闘係に於て置かれてある乙とが究明せらる L と と に 由って‘﹁百論もと二十品有り、後十品此土に益無しとして停はら中﹂一五々と一五はれて居る百論。現形態に関して も提沙宗教壊の内容と組織とから云って、よく整備せられ、且つ自然な原形態の見出されて来るとと L なるのであ

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る。山って余は四百論前七円聞が大慨百九珊にが、ける拾罪耐なる内容を間賠として眺め得ることと、及びその休日埠一陥 悶聞によって用意せられて破榊品以後の空知自性の論議に引き入れられてゆく過程とは.どうしても四百論第一部 ⑦ ⑦ 説法百義が果たす使命に等同せらる L ものであらろととを‘極めて大憾ではあるが提諭したのであった。 此捉論に封して、より確宜た基礎を興へんが岱には四百論前八口川二百備の本文に針する完全なる珂解を要求す るととになるのであるが‘党文の大中 T 残飲して同蹴詳にのみ完本の停へらる L 本備の如きは‘それに封する月稿 鰐疏全文の誤解を先づ要請するものである。けれどもこれが遂行さる L にはまだ多少の時間を要するであらうか ら、今はそれに至るまでの中間的友一諭平として‘以前に提諭したその問題を少しく共閥的に殺越し、月稿耀疏 を参考としての間百論前牛説法百義の一妥項を抄録ぜんと力むるものである。乃ち﹁伸教研究﹂︵第一巻第一一抗︶掲 載の拙稿第四項の一後牛に述ぷるもの L 詳設となるであらう。尤も彼慮に殺越せられた事柄にして此鹿に再設の要 なきものは問よりそれ左省略する。 5 註 (}) 悌 数 研 究 第 一 巻 第 一 披 掲 載 拙 稿 の 第 四 項 に 月 間 停 誌 に て ヰ へ た &

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柱。の示す如にその三論には 遮遣の意味で諸百論と名けらる L 所 以 が あ る の で あ る 。 閥諜一切経中槻部.百字論に到する m 伺 渓 教 授 の 解 題 参 照 。 大 谷 隊 十 報 第 十 一 巻 第 二 務 掲 載 の 初 日 輪 . 漢 賊 劉 照 百 字 論 及 び 諜 誌 の 序 。 L P 何 回 忌

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・ に 於 げ る ゴ l カ νl ハ

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色 。 ︶ 民 の 英 語 百 字 論 。 前 上 の 詮 ③ に 闘 試 せ る 拙 稿 。 宇 井 伯 審 氏 著 印 度 哲 墜 研 究 第 一 一 に 於 け る ﹁ 提 婆 の 四 百 論 と 血 四 百 論 と 百 論 ﹂ 参 照 。 前上の設①に開設する拙稿の第ご及び四項参照。四百論前入品を﹁説法百義﹂主一五ふ意味は第二項に述べらる。 ⑦ ① ① ① ① ⑦ 聖提婆造四百翻論に於ける説法百義の要項

= 一

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日 本 体 掛 棋 風 下 協 合 年 報 ハ 第 十 年 υ コ 一

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入 6

四百論に於ける前半諸入口聞の内容概観

常執の断方便を説く第一口叩︵第一 Il 二 五 倍 ︶ 既に述べられたる如く説法百義中の初同品は次第の如く四鼠倒の遮断である。四百識別行本舗に於ては断常和 ︵ 昆 砕 い ﹃ P 活 必 −

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︶一五々と一五ふやうに執︿唱寄るの語を以て所簡の法が去はさる L が、月稿註に℃は﹁執﹂ に代ふるに正しく顕倒︵

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の 請 を 以 て 一 不 さ れ て 居 る 。 今 第 一 口 加 に が 、 て 、 そ の 常 想 顕 倒 を 川 慨 し て 世 間 法 ︵ ︻ 宮 EWP ゲ

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ろ の あ る べ き 相 の 無 常 性 を 一 諸 る に 常 り 、 先 づ い 批 ⋮ 常の最悪相なる死主︵

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守 口 匂 注 目 ︶ の怖長の避け難きを一川し、普通吠同人が我執故にその死主に顔を背けんとす る有且な憶想分別、印ち或は﹁若年死に透きが故に死の怖長たし﹂︵第三備の問起ゴ或は﹁薬剤を以て老病を遠 ざけ得るが故に、死の怖畏を遠ざけ符﹂︵第五備の問起可或は﹁勇気有るものには死の怖畏無し﹂︵第八備の問起三 或は﹁心は一刺那ならんも.その利那の継続は有り﹂︵第一一備の問起﹀等々に封して、その分別を批判是正する。 共に己れが生命に封ずる常執を児の上に分別して、﹁児の上に老死の襲ふ事は憂の囚であるが、自分には老死のあ るととも憂の因でない﹂︵第一一一偶備前の註︶と一式ふ児に封する盲目的愛清から無常性に於ける自己省察に疎かな ら ん と す る を 叱 陀 し ︵ 第 一 一 一

1

一 七 倍 ︶ 、 叉 親 し き 者 と の 別 離 に 闘 し て 、 ﹁ 別 離 と 一 五 ふ 事 は 畢 立 は 決 定 で あ る が 始 に 相曾ふととが長いのであるから別離など算ふ e へきでない﹂とするやうた分別

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青 山 町 内 乙 市 古 川 C の珂に非ることを誠 しむハ第一八!二四偽 v o かくの如く種々の方同から無常・死主の怖長の避け難きを語り、夫故に終りに来りて.死

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の性質ある人聞としては先づ作すべき事の直に作さねばならないととを述べる。印ち斗児に相績をさせ‘ z 援の重 荷を委せて後出家すペし﹂と一五ふ人に封して、﹁若し人かくの如く・我れ畢党ヤるに静閑虚︵宵

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︶ へ 行 く べ きであるが、或る事業の糟積ある故にそれを作し畢って行くべしと忠はんか、併し縦令その事業を了へても結局 それを棄てねばたらたいとならば、その一挙が先きに作されて何の功徳があるか。故にそれは作すべき事でない。 山りてか L る事に関係して時を過すぺきは道珂でないから.作すべきとと L 作すペからざるとと L を 簡 別 へ 胃 p

4 山 口 P 切ろするととを皐ばねばゑらぬ﹂︵第二阿備︶と数ム。乃ち断常執方便は無常性に到する噴慧︵思探力︶の修習 を勧帥ずるものである。而してかく思捧力の修習ぜられた心事を最後に述ぺて﹁自ら死の性質あるものと悟れば 静閑底へ行くととや児・親近者との別離にも恐怖無く死主に封しでも怖畏無し﹂︵第二五偶︶と一五ふ。 要するに第一品に述ぷる無常性に封する畳一誌の修習は.離性︵

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P ︶ ・ 調 離 相 ︵

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︶の修作であり それを敬ふる本品の根底となれるものは、回より四百論後牛に論議せらる L 無自性昼の概念である。 襲執の断方便を詑く第二品︵第二六!五

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偏 ︶ 次 に 柴 執 ︵ 由 Z W H H P

P F P ︶の断方便を説く第二口聞に於ては、肉身の上に柴を享交ぜんとする執着を破し、業が苦 の自性なる事を知らしめんとするものであるから、本章に於ける省察の中心は身が苦の自性である事である。由 って先づ﹁身は苦の器となれる根幹である﹂︵第二七備︶と云ひ、叉は﹁柴に現向︵与

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︶ し ・ な が ら 賓 に は 7 業は得難く人は苦を迫ふて走る﹂︵第二九倍︶と説く。而して第一品に於て‘無常・死主に封して多くの常想分別 の構へられんとするを批判是正せる如く、今も此の肉身の上に快紫を構へ設けんとする多くの業執、或は叉梁と 聖捉婆遁四百概論に於ける説法百義の要項 三

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日 本 仰 数 撃 協 品 百 年 報 ハ 第 十 年 ﹀ 三 一

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8 云ふ所得︵官官 u が目の官り存すると云ふ所見の数々が拳げられ、此が批判是五せらる。それらの業執とは、﹁柴は 得難いけれども害を作さピるが故に壊は身に属するもの、苦は車けを作すが故に身より別異たるもの

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﹀ ﹂ ︵第三五備の問起﹀と一五はれ、又は﹁此身に苦は本質的にはあるけれども柴の因もあるから身を厭ムペきでない﹂ ︵第三六備の問起︶等と一五はれ、業なる所得の目の営り存すると一五ふゃうた所見としては﹁柴を希ふ者は足にて歩 むことの苦を知りて乗物に乗る。それは梁と一耳ふものがあるからである﹂︵第四五備の問起\﹁荷持する人が一方 の屑より他方の肩へ荷物を持ち援へて柴の知費守口怠

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問起二百々と云ふ。 となるのは柴なる知費あるが故である﹂︵第四七備の それらの柴執・所見に封して夫々、﹁時が過ぎ去るに随って愈々苦は増長するが故に柴は此身にとりでは他のも の L 如 く 見 ゆ 一 ︵ 第 三 五 偏 ︶ 二 十 一 向 の 多 く の 肉 と し て 諸 病 及 び そ の 他 ︵ 袈 熱 等 ︶ が 見 ら る L 程には、人々の上に柴の因 は 見 ら れ や ﹂ ︵ 第 三 六 備 ︶ 、 ﹁ 一 来 物 等 に 於 け る 人 々 の 柴 は 常 に 有 ら や 。 常 初 に 始 作 ︵ 昨

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︶無き慮には後にも増 長するとと何鹿にかある。就に官初より背の始まれるとと有る故に後に乗物を棄てたる時.そとに増上したる背 有るたり﹂︵第間五偶\﹁︹一方の肩へ持ち費へたる時の小苦の︺始作によりて、︹他方の店に有りし U 己生︹の大 苦︺止滅する乙となれば.苦の始作たる︹生︺に於てもバ始作によりて減したる己生の大苦ある時の如く︺一五何 ぞ紫有り得ぺき。故に牟尼は生滅の二共に苦なりと説き給ふ﹂︵第四七偏︶等々と、業として分別せられたるもの の 苦 性 を 述 ぷ 。 而して此背相は同より無常相の工に醸し起さる L ものであるから、人 7 白川に於ても第一品の思想と一連に出さる るものあり、印ち或は﹁諸行は剃那剃那に壊し死滅するもので、共の道理は三世に於て乱れないのであるから、

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死滅しつ L あ る 所 の 五 円 々 の 有 す る 時 ︵

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︶なるものは過ぎ去るもの︵官

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︶である。そう一五ふ三世を援ふ死 によりて死しつ L あるものに梁ありとは珂でない﹂︵第三九偶︶と述ペ、或は本章の格結備の如き正し︿第一口聞と 関連寸る思想の上にありて、﹁無常なる直には決定して害あり。害有る庭には柴有ら守.故に無常なるものは一切 苦 な り ﹂ ︵ 第 五

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偏︶と結請する。 浮執の断方便を説く第三品︵第五一

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七 五 倍 ︶ 共に浄執

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山 崎 円 岱 包 ︶ を 簡 や る 方 便 を 説 ︿ 第 三 口 問 は 所 謂 不 浄 観 を 敬 ふ る 一 章 で あ る が 、 そ の 不 浄 の 控 官 官 口 広 4P ︶ として本章に明す所のものは染法︹

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欲情︶であり、欲情を起す因の事慢の如く見ゆる外物︵ゲ住吉 a 詩

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︶ は 不 浮 と 一 式 ふ よ り も 寧 ろ m p 自

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旬 以 ︵

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ユちであり、欲情がその忠臣

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・9 なる外境を不浮なるもの に殊別ぜしむる合同

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るものであるとして、不静性を欲情︵吋 m F ぬるの上につきとめて観察せんとする。本章 の始め、第五三・五四・五五偶などに其の意は述べらる L が、殊に本章の格り第七四偶・樫に共の要旨を述べて H ふ。﹁欲情の因なる花と杏等が無いときは人はそれらに欲著せ−ないであらうから.花と香等乙そは欲情の困とし て直にあると思はる L で あ ら う が 、 そ れ は 爾 う で な く . 欲 情 の 因 守 山 花 一 島 忠 ロ ︶ な る べ き 浮 ︵

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広 4P ︶ と 一 五 は る L も のは白牲として確賓友存在性を有たたい。そは‘花と香等は滞と云はる L も . そ れ が 新 鮮 で な い 時 は 境 問 英 会 持 釦 富 ﹀ ず る 事 に よ っ て 相 異 せ る も の 守 山 田 ロ 臼 立 毛

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ゾル一たる。若し白性として浮性ならんか、白性︿国

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︶には止誠 ︵ ぺ

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山︶は無いから、相の費異するとと

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ろはないであらう。故に花香等に白性としての母性は ない。また若し花香等が決定的に欲情の因たるに於ては凡てが一時に欲情を起さしむるであらうが、而もそはそ 9 聖 提 婆 止 一 一 四 百 観 論 に 於 け る 説 法 百 義 の 要 項

(10)

日 本 併 殺 準 協 舎 年 報 ︵ 第 十 年 ︶

IO うでない。故

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花呑等は欲情の因たり得たい。由って訴はる﹄であらう。 ﹁同一のもので.その物の上に欲情の ある事あり欲情を離れたるとともあるから‘そのものは欲情の因︵

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︶として決定的に成立せるものでな い ﹂ と 。 かくの如く不洋観を立つるに嘗りて境界の不浮相を語ると一五ふ仕方を取ら中、却って欲情の因なる境界の無自 性昼を設き、以て浮執・浮顕倒なる欲情ハ志向 P︶の起るべからざる理を究はむると一再ふ如き仕方は、中論第二三 品第七

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九備の所論に跡づけらる。卸ち其虚には、色・聾・香・味・簡・法の六鹿が食・眠・痴三煩惜の根本 ︵

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たる事を説く外人が‘﹁貧等はそれらより生やるが故に B 又は其の上に在住するが故にその貧等の依事︵根 本︶所縁である所の六虚は.六根なるそれを分別︵官民

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品 目 じ す る 作 用 が 相 互 に 柏 具 す る か ら 六 種 と し て 存 す る ﹂ ︵ 第 七 偏 ︶ と 一 式 ふ に 封 し て 斗 そ れ ら 六 法 は ︹ 自 性 と ︺ 別 離 ︵

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︶であり、印ち唯遍計所執︵宮

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自 主 忠 一 乙 ゑる無自性︵巳 V E 4 Pず F m F 4 町 長 ︶ で あ り 、 無 自 性 な る が 故 に 一 五 何 に し て 知 得 ︵ ロ 旬 以 H E ヴ H H U ︶ せ ら る L か。それらは乾 建婆城等の如く・顕倒故に知得せらる L のである。か L る幻の士夫に等しく影像に等しきものにては.縦令それ が浮・不浮ハ

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げ 宮 古 げ

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たる困相︵

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﹀なるにしても、それは質義に於ける因相性ハロ吉広

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︶ではな くして虚誼のみ︵

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﹀ で あ る ﹂ ︵ 第 八

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九偽﹀と説くものである。また欲情因企

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︶とせらる るそれら外境たるもの L 上に費異があるよりしてそれらが欲情固としての堅貫性︵田町主 4 P あ る た し と 一 五 ふ 理 守口]註︶は‘中論第一三品第三偏.及び第四偏 G1d 、第一五品第八備 G I l d −及び第九備に﹁自性ある時は艶 異は何もの L 上にあるべきか﹂とか.又は﹁諸法は白性たし・賛同突を比るが故に﹂など一五ふと同じき到に立。も の で あ る 。

(11)

かくの如く浮性の賞義︵賢岳与

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るたるものが遂に立せらる L なく・云何たる場合にてもその浮性とは顛倒 分別よりする愚痴.愚痴より起る欲情、欲情剖ち浮性の享壊である事を論守るのが本事に於ける多牛敢の備に 一 不 さ る L 思想である。而して共の論述は前二章に於てもそうであった如く今拾にも亦.世間に於て活性の貰義 宏 司

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︶を認むる多くの場合を強想し‘それに封して浮性︵

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凶 作

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出 品 匂 注

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︶ 快楽のあり得 e へからざるを指摘する。その浮怒りとする心が欲情︵忌ぬ旦なるにより、その浮牲とされるものは従って多く︵五 六・五七・六

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・六二・六三・六五・六六等の諸備︶姉女に闘するものであるが特に共の槻察の仕方が先に一一一 H へ る中論観顕倒口聞の所論、及び本章所論の要旨として初めに掲げたものと内容上連絡ある一例目として、此第三章 第 一

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偽印ち四百論第六の備の如きを一不し得るであらう。その備は﹁姉女に肉る欲柴を欲界中の第一とたし‘その 欲業の因・封境︵ F O 件 同 a g 司

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︶ として婦女を執すペし﹂とたずに封するもので、それを難じて稗疏に失の如く一五 ふ。﹁欲界の婦女による欲棄なるものは不著なる人︵田

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ろにはい拙い。執著ハ

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ぬると云ふ事がぜられた時に 執 著 者 ︵

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︶によって執著せらる L 物 ︵

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﹀がそれの自性を有ってあるやうにたり、欲食︵

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︺ も 亦 事 館 ︵

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ロ︶に非るものが事時とせらる L によりて起るのである。印ち事宜上あらざるものが有るものとし て諜り認めらる L やろにたるのであるから、そは痴︵目。

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ろなくしては起らない。置に痴あるによって境の自相 ︵

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山 富 対 話

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市 田 ﹀ は知られや‘自らの憶想分別によって慧が奪はれて痴迷せる境の自相の上に心が向けられたる 時は‘境は賓の如くに知られない。知られざるによって繋たるものは五魔知

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園 田 母

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﹀せらる L の で た い。壊の王畳知せらる L なきとき、顛倒分別︵

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印 刷

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︶ より以外に柴の起るべき所由は結え℃たいの II である。由って﹃婦女によって欲壊は生起せらる L が故広婦女を執すペし﹄とは理の宜しきものにあらや﹂と一五 聖提婆遺四百観論に於ける説法百義の要項

(12)

日 本 偽 救 撃 協 砕 百 年 報 ︵ 第 十 年 ︶

一 一

二 四

12 ふ の で あ る 。 本章中.浄執を断やる方便の本題は、以上の如く欲情の生起が必やしも封境安ユげるとしての浮性を因とする に非守、欲情が顕倒分別によりて増上せる離を論やるものであるが.向前第二章に於℃、共の梁執を断中る篤に 身の苦を連ペた、紋所論との関連を期する矯であらう。本章の終敢偽︵六八・六九・七

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・七一・七二倍等︶に 於ては浮執の遮断が身の不滞を素材として論越せらる LO その所連は先に婦女に就いて語るものに関連せしめ℃ 矢張り婦女の身の不浮が主題となって居るが.それは不浮たる相の上に欲食・浮想を起す事を難やるもので‘所 調不浄槻として常に見らる L 所設である。共の叙述の一例として第七一偶を拳示ぜょう。それは﹁若し身内に浮 たるものがあらざる時は.不浮たるものを棄つる事を人は作さ−ないであらうけれども.不浄たるものを棄つるの は浮たるものあるが故である﹂との外言に封して斗女人が体浴や軟骨等の方便を以て身の外部を装ふても身の内 部を浄化し得たい。内より流れ出づる不浮に繭された身中には浮は何虚にあるか。由って汝は内に向って努力を 友すペく.爾かく外に向って作すペきでたい﹂と述ペらる。 品 末 に 一 糸 り て 先 の 第 二 円 聞 の 品 末 に 於 て 第 一 品 よ り の 意 味 の 関 連 の 叙 べ ら れ た 如 く ・ 裁 に も 第 一 ・ 第 二 口 聞 を 承 け 、 またそれが第四品へとの連絡を一不す語を置く。日く、﹁縁起せる有得は利那減故に無常.無常たるものは厭離を起 す故に不浮、不浄たるものは容を作す故に苦.苦たるものは不自在たる故に無我と、爾様に要約する時は唯一物 の 上 に 同 不 蹴 倒 ︹ の 悟 了 ︺ が 得 ら る ︵ 第 七 瓦 偽 ︶ 。 但 、 顛 倒 ぜ る 願 者 は 此 が そ ろ で る る 通 り を 理 解 せ や ’ し ℃ 諸 法 を そ れ 、 、 、 、 ら不顕倒の相より全く反封に分別するから、相官有るものは諸法の無常相のあるま L を了解して無自性韮︵旦宮

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、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 ず r P 4 M F ︶ に 心 を 策 勤 ︵ ロ g p r M V ︶ す べ き で あ る ﹂ L L o 乃ち.そとには註樺者の語を以て‘四百論後八章なる宰無自性

(13)

論への勤行を指示するものとなして居る。 睦 ① 設 に 上 げ ら る L 言葉は.月稼が第七四偽の解轄を奥へ了って‘自らの偽言を以てその本偽の意柏田を別に表はさんと するものである o

か :

G 備の性質については、仰教研究第一巻第一蹴.一 0 2 一 一 具 に そ れ を 隣 試 し た o 此稿中後にも再 度注意するであらう。 我執の断方便を説示する第四品︵第七六

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偏 ︶ 断我執方便につき.設に云ふ我執︵

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︶とは、本章中﹁

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位 向

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品切我なり我所たりと賀 高する﹂貢高の話にて語られ.共の貢高︵向島司自︶の理たらざる所以を先づ第一偶︵七六偏︶に於て一切衆生共業 異熟の省察に於て究めんとする。日く﹁若し何誰かに不共根宮司包

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E 宮骨苛るたるものがあるたらば共の 一切境は我の所有︾一見るから、その根によって取得︵ C 匂己居間ゲ V ろすると一五ふ惜 根によりて、我は一切境の主、 慢もあり得るであらうが.生死に閲する限りか L る情慢はあり得たい。そは、色等の一切境は一切衆生の共業に よって生ぜらる L ものであるから。故に森林家屋等の共通︵ E P 目的自苫︶たものの如く,一切衆生共業の所受用

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。宮︶に封して、我執︵ p v m H M V W P E ︶ 我 所 執 ︵ 百 回 目 白 WUE ﹀して情るととは理でたい。縦ひ自在にして困満た 所受用を受けても.そは自分が自らに積集した幅徳によって得たものであるから世聞に出で L 我れ勝れたりと情 る乙とは理でたい﹂と。所謂﹁共是凡夫﹂︵聖徳太子憲法第十傑﹀たる語感に得らる L ものも爾様た省察の上に聯 想せらる L の で − な い で あ ら う か 。 13 扱て、前章に於ては不浮の本質を欲情︵

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︶に究め‘欲情の所縁として婦女の身が取り参げられたのである 事 一 ∼ 提 婆 遁 四 百 概 論 に 於 け る 説 法 百 義 の 要 項 一 一 一 一 五

(14)

日本悌数摩協合年報ハ第十年 υ 一 一 六 14 が‘今貢高

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吋宮﹀の場合にては印度に於ける王者たるものが主題役として出さる L 。克も、彼は婦女子が欲情 の封象であり‘今の王者は貢高︵合唱ろの主躍とせらる L ものではあるが。而して国王に闘して懐かれるであら う様な種々な世俗の妄想、例へば、﹁王者は財賓と運命とを取捨する自由があり、王者は施主なる故に王者には頁 高︵角高匂ろあって良しい﹂ハ第七八偽々前の外一言︶とか、﹁王無くば法則に従って人々が動かされ友いから人々は害 せられ、王者は世間の守護者であるから.王者は惜慢たるべし﹂︵第八

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倍々前の外言︶云々が枚撃せられては、 またそれを難守るとと前三章の致方と同じ。いま特殊な事項に古るものは且らく此を措き‘一般的友内容のもの に就て一二此を叙述するに‘直前に掲げた第八

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偏の備前の外言に封し℃日ふ。﹁若し王者が、世間の被守護者は する事があるならば、守護者なる我自らも亦世間に依存するから‘ 我に属する音色円

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︶として貢高包号宮︶ 我自らがまた守護せられねばならむと悟り℃何故に陥慢と離れないのであるか。世間に依て守護せられない王者 によりては世間は議られ得たいのである﹂ F第八

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偽︶と。また.﹁王は世間の主にして自在なるが故に、此人の我 慢は越はしき貌

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時国宝﹀である﹂とする見に封して日ふ。﹁他人に強びられて或る事を作し.自分の所見・ ト モ カによって作するに非る時は、此人は世間で愚鈍者と稿せらる L 。然るに王者の如きは他人に依り、多くの作人 に勧められ‘強ぴらる L ものであるから.そは堅買ならざる自性面白弘 H M g g H U 切るあるものである。他人に依り て存する

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依他起︶もの L 買高とは、走れ趨はしき貌

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注 目 H P H U 官︶あるものでない﹂︵第八二伯︶と。 相依相待︵

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俳 句 。

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﹀は縁起・無自性空の異名であるが‘先の第八

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備の如きは極めて世俗的た表現であ るとは云ひたがら、その相依相待の理趣に立って貢高心の不可得を教ゆるものと認めらる L であらう。また相依 相作は職伽行振の専門語としての依他起︵宮

22

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︶に等同せらる L が.後に出されたる第八三備の所連の如き

(15)

依他旭たるが故に瓦尚心の自性 b q − 件 ざ る と 一 五 ふ 附 却 が 注 目 せ ら る 。 共の他‘王者が仁慈あるに非るよりしては.王者は世間の守護者として資格付けらるべからぎる馳ペ第八一二・ 八六・八八・九三の諸偽﹀、持丸、王が非法の責任者として王位なるものは寧敬に慣するに非るものなるとと︵第 九

0

・九一・九二の諸偽︶を極論し‘格りに同姓中の王位の種姓性︵

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巳 4 ろとして許すべからざるを論やる ︵第九瓦・九六・九七・九八の諸偽 U 。印ち荷姓を具する王子とそ王道に泊する故に王者は貢古川たるべしとの所見 を難巳て日ふ。﹁凡ての自在性︵

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印 ち 一 脳 集 果 報 ハ 与 げ 。 ∞ ろ は 幅 徳

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己︶によりて成ぜらるべきであ るのに、一耐徳所生の自在性に繰らやして間姓に依れるものなりとするは理でない。故に穂姓に依りて貢高友るは 不道珂である︵第九五倍︶。また穂姓は、もと人類が繁殖して生活上の作業︿

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の差別が要求せらる L 底に差 異し来れるものであって、敦化ぜんとする人が構成ある請を成ぜん需に出家した慮に波羅門左稿せられ、屠殺等 の悪業に闘はる者が首陀羅とせられた如くであるから. 一切衆生中に於て純姓によって作られた差異は有り得ペ か ら ざ る 理 で あ る ︵ 第 九 六 偶 ︶ o 殊に種姓がかくの如く差異し来れる迄には長期間を要し.その問、女には乱心あ りの動いて飴の種姓と相合ふて子は生れ、震に種姓は否認せられ居るととであるから、巌密に王種と一五はるべき ものは穂姓中にあり得ない︵第九七倍︶。また間々か︿の如く作業によって差別し来れるものであるから、首陀羅 と難も王種たるべく、波羅門たるべしと考へられ得ない理はない︵第九八倍どと。 断我執の方便としては此種姓論の如きは明か本題より特殊な題目に亙った所謂随陣論守口口官

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︶と見ら る L が、其の随鹿論に痛烈友る言都の見出さる L のは、波提婆菩薩惇に﹁外道法を曾信せる王朝の中に進み入り 遂に王朝を化して悌遣に蹄せしめたとと﹂を一五ふ停設と照臨せしめて、聖提婆が法に背き義に遣した営代の王朝 15 聖提婆遺四百観論に於ける説法百義の要項 一 一 二 七

(16)

日 本 悌 教 問 時 十 協 舎 年 報 ︵ 第 十 年 u 三一入 16 を批判せる跡と認め得るものでなからうか。 以上、常柴浮我の四顕倒を遮断すると一疋ふととは.曾ても言へる如く︵悌教研究第一巻第一一読.第九七頁可﹁罪﹂ なる十悪業道と有漏の幅業とを.顛倒と一五ふより本源的な位相に於て断やると一匹ふ意味に於て、それは百論の﹁拾 罪﹂なる語の表はすものに相臨せしめ符るのである。 下 一 口 薩 行 の 説 一 不 第 五 品 ハ 第 一

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一 ー ー 一 二 五 倍 ︶ 第五品はヂ月稀の総義に於て一五ふ如く・世間的なる法が世間的なるが佐に顕はれ︵旬

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− 常 義 浮 去 見 ら れ て 居 る ︵ 身 日

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︶爾う云ふ四鼠倒を離れた怖陀性守口白色 w p才ろを得る矯の菩薩行を顕はすもので あるから.それは先行する問章の問顕倒を離る L 方 向 を 説 示 す る と 一 五 ふ と と L 別反事柄ではない。帆‘同顕倒を 離れて物が如賓に見られてゆく相は‘菩薩行の本質が畳知せらる a A ととによって去はし出さる L から、敢にそれ が設かれんとする。 い ま 、 か L る無常乃至無我なる.法の顕倒ゑき相を悟了せる悌陀性は一切相性︵出向 4 白 山 田 三 4P ︶として.営然此 世間の何時何ぃ院に存する常喋洋我の顕倒をも除去せんとするものであるから、か L る 怖 陀 性 は 、 常 融 市 浮 我 に 間 期 倒 ぜる人々がそれら常襲等 1 ど蹴倒ぜる朕態から出で得るやうな行.それによって出でしめ得るやろな言説を所有す る も の で あ る 。 本 章 の 一 初 第 一

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三偏にそのととが越ベらる L が、之は‘十四無記訟の存するととを以て俳の一切

(17)

智性を担否せんとする外論に封して尖の如く興へらる。日く﹁無控なる行にて殊別せられた有情の親集に於て、 その無連なる行を有する有情のあるがま L に陪碍せらる L たく初動する様な智有る人は‘際行︵

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﹁ P ︶ ・ 非 雁 行 ︵

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︶ ・ 肱 一 一 一 日 ︵

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・ 非 臆 言 ︵

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ろを具有する。印、臨行を雁行性として賓の如くに知

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.非臆行を非 膝 行 性 と し て . 乃 至 陸 一 一 首 を 際 言 性 と し て 、 非 膝 一 寸 一 口 を 非 腔 一 一 一 日 性 と し て 知 る . か L る 如 質 見 者 ︵

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︸ げ ま 包

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ユ ︶ は 有 怖 の 意 柴 ︵ ︵ p q p 匂 P ︶に腔じて彼等を並口趣と解院との凶に立たしむる事をその本行とするものであるから、非 膝 一 一 白 の 義 ︵

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︶を設かざればとて‘それが一切知口性にあらやと決定し得る様な因由︵

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︶とはたらな い﹂と。乃ち一切智性とは有情利徒に向ふて行動するものであるから‘本章の努頭︵第一

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一 倍 ︶ に は 、 共 の 一 切智性の勤行︵

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芯 ︶ を 述 べ て 、 ﹁ 諸 怖 の 勤 行

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芯︶にはい出国なるもの何等あるにあらや。呼吸を作す事すらも 呼吸有る者︵衆生︶そ障するが需にのみ起る﹂と一五ひ、木章所連の要領はその一切智性の正行︵

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官 注 目 市 弘 氏 ︶ た る 有 情 利 益 の 一 隅 業

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同じにあるととを顕はし.以て菩薩行

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山 田

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﹃との本質 を 一 不 さ ん と す る 。 本 章 の 大 時 ‘ 印 ち 第 一

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四備三二備は北ハの幅徳行の精神を叙述するのである。 然るに一耐業と云っても、それは四不顕倒智︵顛倒・執著の断除︶印ち、空観の勤行売る離性︵

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曲 者 P ﹀ 従 つ て無自性室の解了を其の素地とするものであり、そのことは貫修的には、諸訟の諸相を有と執ヒ常柴等と執じて 迷暗を重一ぬる我々の心識が明浮︵匂吉田記るにせられ、愛著の偉に起る意が征服せらる L 事を其の貰依︵

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︶ とするものであるから、庚く幅業を叙するに先立ち、先づその賠を力説する。謂くベ心を悟る︵

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︶ ととなくしては、去来・進止等の作事︵ W H q p ︶に於て、其の−

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が殺生等の悪業を浦す震に鑑作

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ヴ げ る ぜる非一帽なるか、又は.それを断やる得に造作せる隔たるかピ定立せちれないから、凡ての業に於ては意︵巨

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︶ 17 島 一 高 恥 婆 諮 問 百 観 論 に 於 け ろ 説 法 百 義 の 要 項 一 ニ 一 九

(18)

日 本 偽 数 臨 下 協 合 年 報 ハ 第 十 年 u 一 ニ 二

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18 ⑦ が主に︵ M M E 九 回

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− ︶ 正 修 せ ら れ ね ば な ら む 趣 と の 異 熟 を 有 す る 不 義 口 げ い て も . 叉 柴 と 韮 口 脇 陣 と の 異 熟 を 有 す る 聾 口 げ い て も 、 そ れ が 共 に 伎 の 意 柴 ハ p d P 3 ︶ に 従 円 J て 勝 善 ︵

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主旨︶とせらる Lo 世間は心が征御せられてないから心に依存︵

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︶して心の通りに起るけ れども.菩薩にとりては心が降伏︵ 4 思

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︶ぜられてあるから.一切の身口意の勤行︵

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き が 生 老 死 等 の 苦を生成する事なく、生死の止滅する因としての勝善に一味とたるのである﹂︵第一

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五 偏 ︶ と 。 裁 に 去 来 ・ 進 止 等 の 作 事 ︵ W

P ︶が幅業・非隔業として立せらる L と云ひ.叉一切の身口意の勤行︵ o g f p ︶が勝 善とせらる L と云ふ。。。叩詰とは中論観去来品の第二偽に於て.観去来品一章の所論が庚く展開せらる L に 至 る 動機として提起せられた外論 Q P 5 4 p a p ︶に見ゆる所目であっ℃、去来口聞は共の。

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の 良 性 が ︹ 去 ︺ 者 ・ ︹ 去 U 訟 ・ 所︹去い庭とし℃不可得なる三輪清浮に於て極はめらる L と と を 論 定 す る 。 共 の ︹ 去 ︺ 者 ・ ︹ 去 U 法 ・ 所 ︹ 去 ︺ 慮 な る 三 者不可件の論理は更に、﹁作者

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歪 ︶ ・ 作

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作 業 ︵ W 号 店 ロ ロ ︶ が 宜 有 ︵ 盟 主 ず げ 耳 目 ︶ に て も 非 賓 有 ︵

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︶ に て も ] 同 円

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︵作事﹀は成ぜられや。作事の不成立なる所には法

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司 自

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︶・非法︵

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一 白 ︶ ・ 一 耐 ︵ 宮 弔 問 V ︶ ・ 非 踊 ︵ P M M J M門戸苫︶の成立あらや﹂とする中論第八品の所論に経過するのであるが、共の作者・作・作業の相依相待・ 自性不可得に於ての。

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芯の施設・論立が、誌には質修門の方規に於て心明海ハロ目立名門器包 P ︶の上に極はめら れたと云ふペきであらう。査し、第八四川の格第一一一備に於て‘作者︵

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︶ の 作 者 た る 義 ︵ 附 糾

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守 P ︶は作者 が業に相待︵

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日 判 官

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︶する所にあり、業性︵宮司自主 4 P ︶もまた作者に因って

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円 宮

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島 宮 ︶ あ る と 一 五 ふ 、 印ち作者と業との帽依相待するととに出りて︵匂回

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] 包 忌 官 官 山 町 ︶ 作 者 と 業 と の 施 設 ・ 白

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の成立が設かる L ︷ 刈 さ が 、 か L る施設が所取・能取の遮遺︵育祭 Z o a v p ︶の上にも臨用せらる L からである。印ち.此の作者と業との

(19)

有れに封する執符の遮泣は.職伽唯識に於て内削倒的に宜修せられたる我執と法執との遮遣に他なく・我法印ち能 取・所取としての執者の遮遣は所取・能取を離れたる﹁心に於ける無垢なる智の正修行

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白 骨 広 目 。 荏 P

Pふ 仏 曽 ︶ ﹂ となると理解ぜらる L からである。而してその執者たき故に白夜なる心の上に正しく共の一附徳の口怠包は許さる る の で あ る 。 かくの如く本草に於ては今述べた第一

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五 偽 を 格 り て 以 下 、 望 日 躍 の 一 服 業 に つ い ℃ 叙 述 す る 。 耐 業 と 一 五 ふ て も . そは上に一五ふ如き第一義諦無自性空に於℃眺められた一耐業の勤行を一五ふから.そは二取を拾離した初地以上の菩 躍の嗣業を意味し‘そとには初地の踊業が輪王のそれよりも勝れ︵第一

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六備\一耐業の精紳は醤士たるものが憤 怒の病に捕へられたる病人に命日ふて困難せざる如く︵第一

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九偶可母たるものが病身の子に封して慈惑の情、深 きが如く︵第一一一偏︶と讃嘆し.か h h る精神の勤行としては、布施の徳が聾高く呼ぱるべき事を連ペハ第一一九 偶

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而も.その布施が大果ありとして受者と施者との理想せらる L は非難すべきであると説く。そして日ふ。 ﹁施が食眠と離れ、器の上にも器に非るもの L 上 に も 等 し く 拾 ︵ ロ 句 。

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包︶の思を以て拾てらる L 時の‘彼施者の 心は自在にして施清浄なり﹂︵第一二

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偶 ︶ と 。 本章の格︵第一一一一一・一二三倍︶に米りてベかくの如く生死海中にありて、その一大浪を心とし、無漫の悲心を 以℃無謹の有情の岱に一耐業の積集せられる者は、生死海中にあっても.生老病死等の害によりて心怖れたいから 三有と浬繋との差別なく、想びの佳に有を取るから一切時に心自在にして世間の支配者となる﹂と一五ふ。無謹の 19 有 情 の 震 に 一 脂 業 の 積 集 ぜ ら る k と 一 疋 ふ 事 は 、 無 蓬 の 有 情 剖 ち 十 方 法 界 に 封 し て 己 が 所 修 の や 品 川 根 を 廻 向 す る 事 で あ り.無建の有情界に廻向すると一五ふ事は、己れが所修の善根・幅徳を己れ一人にて享受する心.例へば十議口業道 息 一 長 提 婆 蓬 四 百 観 論 に 於 け る 説 法 百 義 の 要 項

(20)

日本傍敬準協舎年報ハ第十年︶

20 の異熟を享受して世の支配者・守護者なりと貢高する彼王者の我慢の如きもの L 釘治であると見られ、裁に前第 四章よりの所論の流れを概取し得と一五ふべきであらう。 以上の如く本章中には.不善は国より、善にても人天の生老病の苦ある果報を招くものを棄て L 勝 善 を 設 ︿ 。 主口薩の勝善は無差の有情を封象とするから、それは我執、我所執を離れたる無自性昼の勤行であり、それは百論 の所謂﹁拾幅﹂である。 置①傍教研究第一巻第一就に記載した月解の四百観論総義参照。 ②膝行は有情を善趣と解除との図に回入せしむる行.非膝行は他の人々に害を作すこ在、感一育は他の人に利金を成就 す る 語 . 非 際 一 再 一 回 は 他 人 に 害 を 起 す 語 。 ①偽数研究第一港第一蹴に叙述した如︿月曜榊許蒋には本備に謝する註蒋を奥へ了って、その偽の意味を自らの偏にて 結ぶ。第一

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四偏に針する月構造のその偽は﹁若し心明浄ハ

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︶ならんか諸業も極明浄なり。きれば賢者 は清浄心っさ H

白 書

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﹀にて誇業を作るベし﹂と云ふ。心の悟了ハ島

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ー 当 与 C Q V ろが心の明坤庁公立宮 I M M g a E C なることの銭に此偽を引用する。 ①安慧大乗中観蝿仲論品位七︵大正取、第三

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倉 一 五 三 頁 ︶ 。 断煩憾の方便説示第六品︵第一二六

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一 五

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備 ︶ 前第五章に於ては、一切智性と、一一切智性の正行としての菩薩行に就いて述べられたの色あるが、か k る無建 の有情に封する無謹の幅業の五修行︵育長一句伊豆︶されてゆくと云ふ事は、作者と業とが相依相待なる縁起定性故 に作者と業とが施設されて行く勤行︵白

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芯︶に於て可能せられるのであった。然るに.さろ一五ふ菩際行の完成理

(21)

趣たる兆一深の縁起性は愚夫の解了せざるととろであり.愚夫の解了せぎるは.正しくは合眠の煩悩に心映奪せらる るが得であり、食眠の起りは痴をその所伏

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︶とするものと矯し.由って芥陸行の完成を断煩悩に於て再 論定ぜんとして、誌に第六不断煩悩の方便の説一不が聞出せらる L と と L な る o 本章の主たる論項は共の第一一二町備に一五ふ如く斗コ一煩慌のへ差別へ官 P ゲ H H O 含 ︶ と . b 、 過 失 ︵ 包 円 5 4 P と . 0 .依事たること︵ 42a ロ オ P ︶ と ‘ d .断方便

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宮 市 右 目 ︶ と を 知 り て ‘ そ れ の 封 治 ︵ 官 町 民 同 市 佐 官 ︶ を 設 か ば . 諸 般 悩 を 根 本 よ り 断 純 す る ︵ 自 己 主 唱 質 問

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出 向 島 ︶ に よ り て 畢 党 じ て 除 く ︵ 出 向 島

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どと云ふ黙にありと想はる。 a . . 差別

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︶ L r 一 は 第 一 一 一 七 偽 に 、 ﹁ 貨 は 現 著 ︵ 島 区

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︶ ぜることに依りて有情数。非情教の物を執 持 し 積 集 ︵ 由

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自 己

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河 内 V ︶するが業であり.眠は背向

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乱 世 田 口 ︼ 岡 山

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︶するととに依りて闘争するが業であり、痴は 彼風大が火等の諸大関を増長せしめて火の熱性・水の冷性を明らかならしむる如く‘合眠のこを増長せしむるが 業である﹂と一五ふ如きもの。或は第一一一九偶に﹁痴に於ては食と眠とが同時に令する︵

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﹀が、貧 と眠とは平気なると気むづかしさとの如く・同時に命日するとと無し﹂と一五ふ如きもの。 b 、過失︵

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︶とは第一三四偶 alb に一五ふ如く﹁眠は他に封して害をたし、多くの害︵

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﹀を生 起し.悪趣の果あり B 無開業等の大過ある故に‘貧よりも過失大なり﹂等と一五へるもの。 0 .依事たること︵

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君あとは第一二八備の如く、﹁食は所欲境︵包

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︶の得られざるが故に苦‘ 眠は力を具するものが破られざる故に苦、痴は徴細たる封境︵由。 H S B P

V ろが能く知られざるに依りて苦.何れ も苦の事鰭︵ 4 p a ロ ︶ と 一 和 辻 ら る t A ものである﹂と話す如きそれである。 21 最後に d .断方便は本章の品名が既にそれである如く本章中の主要目であるから、夫が詩に多くの語を費すと 由主提婆遁四百観論に於ける説法百義の要項

(22)

日 本 岬 開 放 感 協 合 年 報 ハ 第 十 年 ﹀ 三二四 22 とろであり、先づ貨の封治としてベ諸併は食ある者︵

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まるに食物と三衣と位向と一切の勝善︵

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︶ ・と常に師長の近くに位する事を説く﹂︵第一三八偏︶と一五はれて居る。煙疏に依れば.家に執著する者の封治とし ては静閑鹿・樹下・墓場等、食物に執存ずる者に封しては乞食と非時食を取らざる乙と.衣服に執著する者には 一 二 衣 ・ 糞 掠 衣 等 で あ る と 云 ふ 。 然るに、たに、三煩悩の差別を一説ける場合‘痴が主動的地位を取れるととの叙述せられたる貼にても知らる L が、誠に、痴は身に於ての身根の如く、凡ての煩悩の所依︵ m v d E Wろであるから、それを征服する事に依て凡て は征服せられると稲せられ.夫故に此断煩悩の方便の根本として裁に総起の観察が提詑せられて J l 紘超の見らる る時.愚痴は超らや y o 夫故に、凡ての勤勇を以て‘設四百論に於ては縁組に閲する論説︵

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︶のみを語らざる べからや﹂︵第一三六偶︶と一五ふ。相依相特せる法の如買なる相を正見ずる時に賞有と執やる妄想分別なく‘郎ち 蹴倒なく.蹴倒滅するが故に痴減し、彼滅するが故に、それを所伏とする貧眠減すとなするものである。中論第 ① 二三円山第二・二二偶.店七十命第六四 i 六 五 倍 . 第 七 一 一 一 備 a l l −

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むなど特に此賄を叙ぷるものとして法意ぜら る 。 断煩悩の方便としては此にて悲きたるものと式へよろ。然るに先にも過失

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︶を叙ペて斗眠の過失は食 のそれよりも大なり﹂と語られたるにても知らる L 如く、限に閲する断方便の特に一向稿せらる L 要ありとせられ たる清か、本平の後午以後に於ては眠の封治に開局する数々の備が穿へられ即ち忍一年行を高稿ずる。そは前市に 於て一附業として布施の特説吃られたるにも相到肱せしむべきか。今‘共の一例を第一四一備に於て求むるに、ル﹄ と に 弐 の 如 く 一 五 ふ 。 ﹁ 悪 口 一 等 の 不 如 意 な る 撃 は 自 性 と し て 害 を 生 起 す る 困 と は な ら な い 。 凡 そ 悪 一 一 一 に 依 る 害 は 、 自

(23)

分で此人が白分に害を作すと分別する時に害として起れるものである。故に自分の分別より害せらる L ものなれ ① ば何故に他人に封して怒る事あるべきか。日く、語を聞いて心迷乱せるによりて愚有は擾さる L も、心竪問にし てそれを知れる人は聞いて擾されや J ﹂と。共の一五ふ所.彼法句経第一倍以来語らる L ﹁諸法は心に導かれ.心に 総べられ、心に作らる﹂の意味に師せしめ、前第五立が耐業・非耐業の安立を心の悟了ハロ広

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− ︸ 。 白 V P ︶ ・ 心 の 明浮︵

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芯 白 白 ︶ に 於 て 究 め た る も 亦 同 じ 。 此﹁心の悟了﹂に立つ所識が先に一一丙った所の﹁法の総超相を見るよりして顕倒減す﹂と一五ふ所論に基礎づけら れて本章の結末は告げらる。即ち第一

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備に於℃・識の無自性・空を談じ‘無白性定なるその法性を知れば鼠 倒見なき故に.蹴倒見より起さる L 食等の一煩悩も亦止滅する事を一五ふもので.それは煩悩断を識の減に於て究め ③ ③ んとするのである。龍樹の六十朗如理論第三同備の唯識無境的説越がそれであり.大乗二十政論︵第十九

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二 十 ﹀ ③ がまたそれである。四百論の他の佃底で一五へば第三五

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備が例示ぜらる L であらう。印ち、所取・能取として分 別する識が分別する故に遍計執せられたる︵官民

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︶執・印ち頴倒として起り、顕倒に縁りて痴起り痴を所 依として食眠起るのであるから.その識の躍の自性空を知れる時は識の分別柑たる所取・能取に於ける有自性的 執著としての顛倒は断ぜられ、便ち三煩悩は断ぜらる L とする。此は中親・議伽が共に同じく意を向ける所の断 煩悩方便の方規たるべきものである。 此品中、眠は他の二より罪過

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︶犬たりと一五び、煩悩を罪過と云ふ。断煩悩方便は、印ち百論の﹁拾罪﹂ が意味するととろなるは云ふ迄もない。 23 語 ① 大 谷 大 墜 ﹁ 例 数 研 究 ﹂ 第 六 経 第 一 務 参 照 。 砲 士 提 婆 遺 四 百 観 論 に 於 け る 説 法 百 義 の 要 項 一 一 一 二 五

(24)

日本偽数撃協曾年報︿第十年︶ 一 一 一 六 24 ① ﹁誇を開いて﹂云々の諮は、前第五ロ聞の詮⑦に関説せる月稽が第一四一備を解懇し了づて解明仲の然に奥へた月曜榊の偽 で あ る 。 大谷大墜﹁悌教研究﹂第七巻第三時制参照。 中 塗 分 別 論 懇 疏 謬 詰 . 序 論 第 四

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頁 。 中 論 第 二 一 一 一 同 町 第 二 偽 に 説 池 。 ① ③ ① 人間の欲端末亨受に劃する執着を断守る方便の説一不第七口問︵第一五一ーー一七五偶︶ 先の第六品に一五ふ所の煩悩の断ぜられてゆくと一五ふ.その煩惜の起り増上する因としての封境を伺察するのが ① なる語は皐者の 第七口聞であるが、その封境が今は欲柴享交の依庭ハ百回 P ヴ

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句 P と 一 五 は る 。 然 る に 既に出意せる如く・掃大乗論所知依分に異門の巴

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として閥設ぜらる L 所の﹁如来出現功徳経﹂中の包P3 の如きに就ても.共鹿に能作のPHP3印ち貧著し愛著する貼と.所作のPHPヨ印ち漢詩にて巣矯叉は三界の錆 宅と鐸越せらる L 愛着慮・所依止蕗なるとのこ面があり、正しく揖大乗論の説越で一五へば、包 P 苫 が 包 宮 P ︵ 執 包 m v u E 持︶とも一式はれて共の邑

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が 町 民

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− た る 所 以 と し て の 染 汚 意 ︵

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PEP 凶 器 ︶ たる角度から見らる L と と ろ と ‘ 所 葉 剤 口 蕗 と 一 五 は る L 貼とのこ面であるが.今も本口聞にが、て煩怖が起り増上する因としての封境守山富山冨︶が 伺察せらる L に 蛍 り 、 そ れ が w m E P v o m H P H p u d と 換 言 せ ら れ て 、 所 作 の 己 P 河 川 ? な る 一 面 と し て は 現 世 有 G E Y

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と 来 秋 有 ︵ 吉 岡 信 a ゲ げ

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﹀とが考慮せられ.共の現枇有及び来世有なる所愛斎慮に封ずる能作の愛着が断 ぜられん一惑を語るもの色ある。共の場合.能作の山 r H m q p とは山ち前第六品の煩悩を指示する事となる。 かくの如く知悩の起る国なる封境とは

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ヲであり、その巴弔問ザとはまた今言ふ如く有︵ず FPS ︶として語ら

(25)

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な の で あ る か ら 、 話 常 . 欲 ・ 色 ・ 無 色 た る 一 一 一 界 の 存 在 と 一 五 は る L 共 の ﹁ 有 ﹂ も . 先 の 包 包 い ﹃ P の如く所愛着底・能愛着者の雨両から解耀せられたるを注意すべきである。則ち十二縁起支中の一支 る L 所 で あ る が . としての共の﹁有﹂は常に﹁取によりて有あり﹂と一五はれ、三界の存在と一足ふ事も﹁欲と閥係し・色と関係する﹂ 、 、 、

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− 守 山

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﹀と一五ひ、叉は﹁欲食の随増せる・色食の随きる﹂︵

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と も 一 五 は る L のであるから.それは三界の何れかに於ける主口々の生存であり‘それは愛取ある事に由 って存在する有である。倶合論に此有を説明して﹁取を縁、と作すに由って‘種々に後有を招く業を積集するを説 ① いて有と名付く﹂と一五へるものは‘此の愛着ぜられ執ぜらる k 有が、有の執・有に封する愛着と一式ふ方面から解 回押せられんとしたものとして荏意せらる L で あ ら う 。 今第七品中に於ては、か L る意味の封境 1 愛着慮 1 有︵

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|包弓

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を伺察するものであるが.既 日ピ一一へる如く・共鹿にはハ一︶現世有の質相を賓の如くに知らしめんとするものと、︵二︶現世有は苦にして何等執 著すべきものたきも来世有に快柴の笠をかけんとする有執を遮せんとするとのこの殊別ある設建ありと見らる。 先 づ ︵ 一 ﹀ に 部 類 せ ら る L も の L 一・二に就て叙ベんに、青春の惰に迷はされて此の有︵ず

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︶が柊謹たき苦 の大海なる事に怖畏︵

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︶を持たざる者に封して、﹁此青春と一五ふものは老死と競争して遣を念ぐとと、恰も 競争で急ぐ者が我が先にと道を念ぐ如くであり、共虚に青春と一五ふ位態︵

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﹀ の定まれるに非や﹂と述べ ︵第一五二偶三或は﹁此生死中.彼々に漂泊する時は自らの欲する偉に人天等の道へ趣くものに非れば.共鹿に は 自 在 ︵ 国

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︶たく、自在無きに自在ある如く思ひ、有に封して怖畏を有たざるは.其れより勝れて愚迷た る者は無いから、智有る者は

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︵他によりて支配せられた法の無謹なる﹁ったがり﹂を概取︶し.此 25 翠提婆透四百観論に於ける説恋百義の要項 一 ニ 二 七

(26)

日 本 傍 数 凪 平 協 合 年 報 ハ 第 十 年 ︶ 一 一 一 二 入 26 絡謹たき有に劃して怖長せざるととなきものである﹂と一五ひ﹁第一五三倍

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或は叉﹁此有には善趣︵

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に 於ても根の不兵足・慧の薄弱等なる歓ばしからざる経験︵

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︶有るものであるから、勝れたる人々は此有 を殺人蕗︵包ロ宮吾古 P ︶左等しと見る﹂と云ひ︵第一五七偶︶.叉は﹁此有は自性として動揺し、共の起るや.定 住たき邪たる心の執着に依りて酔狂ぜらる L から.聖人等に依りては醇狂底︵ロ回目包

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︶であるとせらる L ﹂ ︵ 第 一 五 八 倍 ﹀ 等 と 説 く 。 斯くの如く定まれる位態︵

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︶たく.不自在︵

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︶であり酔狂露であると云はる L 有であるから 此有の世界に於ける世間法

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︶たるものは、理と非理

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とを簡別し得ない愚者に とりては必要するが、それは買には無益︵

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﹀たるものであり、有且にして究覚的︵巳 u

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︶な意味の無 いものである事に就いて語る。日く、﹁

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︵世間法︶は世間の困・紐族・家門・慣習等に依りて定められ. 婚姻等の規定守一設定ぜんとするに従って起れるもので、夫々の規定︵色︼毘︶を法

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片 岡 、 ︶ と 稿 し て 居 る が 、 それは場所︵

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︶と時︵

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︶との主別に依りて相異し来るものであるから、自性︵

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︶ の決定せる をして怖畏たからしむべく 律し得・?とするものである。斯くして畢に此有の生担に怖山誌を生ぜしめんとして云ふ

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く ベ 一 の 事 ・ 県 ︵

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法 定 r p H B m v ︶の規定たるもの L 有り得らる L 諜でない。故に法規に封し玉県に傘敬すべきでない﹂︵第二ハ九

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一 七一偶︶と。即ち、外的な保件から規定されてゆく法規によりでは、此有︵ず

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︶ に就いて見おに、それが大和所建︵ず広ロ

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︶のものにせよ、心所起︵。配

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回 目

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︶のものにぜよ.共第民縛して 其の始 t f 視察するに、共の一事︵

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に就いてすら共の始閃

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忍 ろ と 一 耳 、 ふ も の は 見 ら れ な 一 一 事 に 就 て も 、 北 ハ の 民 に 侃 ⋮ 控 な る 延 長 ︵

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︶ h f 一 見 て 怖 長 と 一 五 ふ 事 の 僻 了 せ ら れ た 人 に は 、 い の で あ る か ら 、

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此世界への生起へす尚早官民 4 1 5 ︶ を 見 て 一 五 何 ぞ 共 由 胞 に 怖 畏 が 無 い で あ ら う か ﹂ ︵ 第 一 六

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偶﹀と。此は以て.此 有

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に封する概黙を衆生生死に往来して本際不可件︵中論胤本際品十一、 第 一

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︶と一五ふ様な無始空 ︵

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同 H H U 1 H V S︶に於て究はめられたものと見らる LO それは有

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︶を怖川氏の上に眺めて有執遮断の方便と ⑦ する。その有執は無始以来の界︵穂子日初日米︶であるからも有執の根本が脅かさる L や、それは無塗の深坑に陥 入るの怖畏となる寸あらう。怖畏の心が動くと一五ふ事は既に有執の脅かさる L 相寸あるから.それは空観の五修 行せられてゆく貌と見られよう。夫故に﹁無畏︵ P ず 宮 山 ﹃ P ど と 一 五 は る L 時は.空削仙の完成し有執の根絶した境地が 理念せられ指示せらる k わけである。本品中、有に封ずる怖長を提設して止まざるものは、か L る意味に於て

P の遮断たる空税五修行の方便と見らる LC つ一︶然るに共に本品中今一の有執︵ FP42 ∞忌宮︶正して注意せらる L 底 は 、 北 九 の 有 執 が 苔 趣 ︵ 盟 国

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に 封 ③ する執著として出さる L ものであって.註煙にそれを共の如くに叙述する。﹁悪趣

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官 岱 ︶ は、難︵

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吉 宮 ﹀ たると種々たる苦守山由民内乱見守げるあるとの故に、まのあたり歓喜すべきの庭でないが J 耐 徳 の 門 ︵ 匂 同 信 吉 自 己 WF

によりて到達せらる L 善趣は悪趣の危険と離れたる存ぶべきの道であり、故に善趣は厭拾すべきでたい﹂と。他 の倒鹿に於ける所越と合せ見るに、それは先に言へる如く来世有に封する執であって本章中には其の善趣をも厭 ふべきものとたし、共の執の断︵唱 m F F 守 H V 円

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︶の方便が繰返し緯越ぜらる L ものありと見らる L 。印ち.天上 換 の 需 に ふ 小 中 日 業 を 修 す べ し と た す 者 に 封 し て は 、 ﹁ 賢 者 に は 天 上 も 亦 地 獄 と 等 し く 怖 長 を 生 や 。 賢 者 に は 有 ︵

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︶ が怖畏を生ぜざるや稀﹂ハ第一六四偶︶と云ひ‘或は、繁愛の納領︵由ロ

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︶ の 得 ら る L 所愛の境 を 求 め ん と せ ば 一 耐

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﹃ る た る 洋 法 ︵ 占 ロ ヴ げ る を 作 す べ し と 思 ふ 者 に 封 し て は 、 ﹁ 可 愛 の 境 ︵ 日 明 言 4 山 富 匂 P ︶ は 謹 口 業 27 聖提婆法四百翻論に於ける説法百義の要項 三二九

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