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子ども同士で「考え討論する」道徳授業の可能性

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研究ノート

子ども同士で「考え討論する」道徳授業の可能性

―コールバーグの道徳性発達理論とモラルジレンマを出発点として―

創価大学教職大学院 教職研究科教職専攻

は じ め に

「道徳は教えられるか―」ということはソクラテスの時代からの重要な命題として 論じられてきているものである。このような大きな問いにはすべての人間の同意を得 られるような明確な解答は存在しないのかもしれないが,道徳教育について考えてい く上では十分有意義なものとなるであろう。しかし,こういったことについて思索を している間にも,教育改革という名の波に押される形で様々な改革は歩みを止めるこ となく進んで行く。

今回の学習指導要領の改訂にあたっては,平成20年1月の中央教育審議会答申を踏 まえ「生きる力」の育成を大きな柱としており,その根幹として知育としての「確か な学力」,体育としての「健やかな体」,そして徳育としての「豊かな心」の育成を強 調している。道徳性と知識との関連性が明らかにされているとは言えないような現状 の中,知育と徳育を完全に別なものとして切り離して論じる節にはいくらかの抵抗も あるが,今回の学習指導要領の改訂においては道徳教育(道徳の時間も含む)につい て以前にも増して大きな変化が求められている。道徳教育の方針として「『道徳の時 間を要として学校の教育活動全体を通じて行うもの』であるとし,『要』という表現 を用いて道徳の時間の道徳教育における中核的な役割や性格を明確にした」1)ことや,

各教科等における道徳教育について学習指導要領の「指導計画の作成と内容の取扱 い」という箇所において「道徳の時間などとの関連を考慮しながら,第3章道徳の第 2に示す内容について,○○(各教科等の具体的名称)の特質に応じて適切な指導を すること」2)と明記されたこと,さらに「各学校においては,校長の方針の下に,道徳 教育の推進を主に担当する教師(以下『道徳推進教師』という)を中心に,全教師が 協力して道徳教育を展開するため(以下省略)3)として,道徳推進教師の位置づけを 明確にすることで学校全体をあげての協力体制を構築し,組織的・計画的に道徳教育 に取り組むことを促している。このように今回の学習指導要領の改訂は,道徳教育を 進めていくうえで今まで以上に多くの示唆を与えている。目標や内容といった中身の

−13−

(2)

部分については大幅な変更は見られないものの,取り扱いについては道徳の時間以外 にもそれぞれ各教科においても言及がなされるなど実に大きな改訂がなされており,

まさに今回の学習指導要領の改定の核は「道徳教育」にあるといっても過言ではな い。

道徳教育の課題(「道徳の時間」の指導の問題点)

平成19年に政府主導で行われた「教育再生会議」の中で「徳育化」の新設が議題に 挙げられた。結局は見送りとなったものの,現代の学校現場が抱えている道徳教育の 課題について一石を投じた出来事となった。現代の道徳教育にはどのような課題があ るのだろうか。その中でも,道徳教育の要ともいわれている「道徳の時間」が抱える 現代的な課題について述べていく。

平成15年に実施した「道徳教育推進状況調査」によると,道徳の時間について「『楽 しい』もしくは『ためになる』と感じている児童生徒が『ほぼ全員』又は『3分の2 くらい』いると考えられる学校の割合を合わせると,小学校の低学年では87.9%,中 学年では76.8%,高学年では60.7%と 学 年 と な っ て お り,中 学 校 の 第1学 年 で は 9.8%,第2学年では40.8%,第3学年では39.7%」となっており,学年が上がるに つれて減少の一途を辿っている4)。ここで注意すべきなのが,これは教師への意識調 査であって子どもに直接アンケート調査を行ったものではないということである。そ のため,子どもたちの実態の把握という点ではデータの信憑性にやや疑問なところも ある。しかし,ここで問題として取り上げるべきなのは子どもの実態ではなく教師の 実態である。つまり, 子どもたちは道徳の時間を楽しく感じたり,ためになってい ると思っていないのではないか という懸念を多くの教師が抱きながら現場では道徳 教育が行われているのである。さらには,子どもたちが道徳の時間を楽しくないと感 じる理由について「いつもおなじような授業だから」「……こうしなければならない ということが多いから」「資料や話がつまらないから」「始めからわかっていること なので,感動したり考えたりすることが少ないから」5)などといった現場の声が聞こえ てきている。

その問題の中心として挙げられるのが「教え込み型」の道徳の授業方式についてで あろう。日本における道徳の時間の基本的な指導方式としては,次のような流れが挙 げられる。

①導入でねらいとする価値への方向付けをする。

②展開において物語を読み,そこに出てくる登場人物(特に主人公・視点人物)の 心情の変化や思いを共感的に感じたり,察したりすることでねらいとする価値に 気付かせ,それを間接的に獲得する。

③終末で教師の説話などによってねらいとする価値を整理したりまとめたりする。

−14−

(3)

このような典型的な道徳授業の指導法は「心情主義的道徳教育」などとも呼ばれ,

その指導方法や効果について多方面から疑問視する声も挙がっている。

渡辺は従来型の日本の道徳の指導を「価値伝達(インカルケーション)」と捉え,

そのような教育方法について,教師と子どもの関係を主体―客体関係としてとらえか ねないことなどから「価値の教え込み(インドクトリネーション)」に陥る危険性を 孕んでいることや,価値項目の選別について教師の独善に陥りやすい危険性などを指 摘している6)

また,他にも「学習すべき道徳的価値が最初から一本にしぼられ」ていることや「ど う答えるとよいかが資料を読むとわかるようになっている」ために,子どもたちの多 様な考え方を保障できず,結果として価値の押し付けになりかねない7)などの声もあ る。また,徳目主義的な道徳教育の批判については「ある価値の重要さを単に言葉の レベルでとらえ,そこに終始する道徳の授業は,白々しく,無力である」8)として, 特 定の価値項目を教える という特定の価値に縛られた資料での道徳教育についてはそ の是非について多くの議論が巻き起こっている。

このように,従来の道徳の時間の指導方式にはいくつもの問題点がある。価値につ いては,ねらいとする価値の選別と,伝達から注入へというベクトルへの危惧。そし て一辺倒な指導方式による子どもたちの道徳教育への関心の低下や教師の意欲の減少 などさまざまである。では,それらの問題について学習指導要領にはどのような記載 があるのだろうか。実のところ学習指導要領においてもそれらについての明確な言及 はなされていない。『道徳の時間』の指導で網羅的に指導すべきであるということは 記述されていない。また,指導の基本型と称して,指導内容を心情を媒介として伝達 しなければならないなどという記述もない。つまり,道徳教育の方法については,

個々の学校や教師の自発性に委ねられている」9)のである。また,平成20年1月の中央 教育審議会答申においても「小・中学校の道徳の時間については,指導が形式化して いる,学年の段階が上がるにつれて子どもたちの受け止めがよくないとの指摘がなさ れており,何よりも実効性が上がるよう改善を行うことが重要である」0)と明記され ている。

こういった動きの中において,道徳教育の要とも言われている「道徳の時間」の指 導についても当然のように大きな変化が求められるべきである。道徳の時間のマンネ リ化や形骸化を打破するものとしていくつかの取り組みが道徳教育の時間に取り入れ られてきているが,その数は未だ多くない。そのような中で,現代の停滞ともいえる ような道徳教育の現状に新たな活力を与えるものとして

L.

コールバーグが提唱する

「モラルジレンマ」について述べていく。

−15−

(4)

L.コールバーグとモラルジレンマについて

1 コールバーグと道徳性の発達理論について

L.

コールバーグ(Lawrence

Kohlberg)は,教育学者・社会心理学者としてシカゴ

大学で教鞭をとった後にハーバード大学教授,同道徳教育研究センターの所長を務め た。コールバーグは,ピアジェの認知的発達,中でも道徳性の発達段階をさらに発展 させて自身の道徳性の発達段階論を展開した。

発達とは順序性や連続性に従って起こる一定の規則に基づく連続的な変化であり,

いくつかのまとまりのある 段階 にわけることができる。発達をいくつかの段階に 分けて分類したものを「発達段階」という。各段階は他の段階とは質的に明確に区分 することができ,一定以上の移行期間があり,ある段階を飛び越えてその上に達する ということはなく,また特別な状況を除いて段階を逆戻りするということもない。つ まり,不可逆的である。

ピアジェはこういった観点から認知的な発達段階と同様に道徳性の発達段階を定義 し,それを発展させてより詳細なものとして示したとされるのが表1のコールバーグ の道徳性の発達段階である。

また,コールバーグはこの道徳性の発達段階を用いて普遍的道徳の存在を主張し,

基本的な道徳的価値が普遍的であることを証明するために,アメリカにおいて12年間 にわたって道徳判断と品性の発達について追跡研究を行った2)。さらにアメリカ国内 で行われたこの研究を補うものして,アメリカ以外の文化圏においても同じような道 徳的思考段階の移行が存在することを証明する実験的研究を行いその解明を試みた。

表1 コールバーグによる道徳性発達段階1)

Ⅰ 慣習以前の水準

子 ど も は,「善 い」「悪 い」

「正 し い」「正 し く な い」と いった個々の文化の中で意味づ けられた規則や言葉に反応する が,これらの言葉の意味を,行 為のもたらす物理的 結 果 や,

快・不快の程度(罰,報酬,好 意のやりとり)によって考えた り,そのような規則や言葉を発 する人物の物理的な力によって 考える。

1 罰と服従志向

行為の結果が人間にとってどのような意味や価値をも とうとも,その行為がもたらす物理的結果によって,行 為の善悪が決まる。罰の回避と力への絶対的服従が,た だそれだけで価値あることと考えられる。それは,罰や 権威が支持する根本的な道徳秩序に対する尊重からでは ない(後者の場合は第4段階)

2 道具主義的相対主義者志向

正しい行為とは,自分自身の必要と,ときに他者の必 要を満たすことに役立つ行為である。人間関係は,市場 の取引関係に似たものと考えられる。公正,相互性,等 しい分け前等の要素が存在するが,常に物理的な有用性 の面から考えられる。相互性も「あなたが私の背中をか いてくれたら,私もあなたの背中をかいてあげるの」式 の問題であって,忠誠や感謝や正義の問題ではない。

−16−

(5)

コールバーグは図1のような実験結果により「段階の概念は,文化的条件がまちまち であっても,その連続性は普遍的であることを意味します。(中略)…概して,ここ で説明されている道徳判断の段階は,文化の違いを超えて普遍的である」3)として,

文化を越えた発達の継時性,順序性の存在を明らかにした。さらに,ほかの研究者ら の手によって西欧圏に限らずアジアや中近東などを含め45もの研究がなされており,

「道徳判断の発達は大筋で文化的を越えて普遍であるという仮説を確認」4)すること ができている。

このような結果を受けて,この道徳判断の段階というものが日本においても当ては まるのか,ということを明らかにするために山岸明子が行った実証的研究がある5)

Ⅱ 慣習的水準

個人の属する家族,集団,あ るいは国の期待に添うことが,

それだけで価値があると認識さ れ,それがどのような明白な直 接的結果をもたらすかは問われ ない。その態度は,個人的な期 待や社会の秩序に一致するとい うだけでなく,社会の秩序に対 する忠誠と,その秩序を積極的 に維持し,正当化し,かつその 中に存在する個人や集団と一体 になろうとする態度である。

3 対人関係の調和あるいは「良い子」志向

善い行動とは,人を喜ばせ,人を助け,また人から承 認される行動である。多数意見や「自然な」行動につい ての紋切り型のイメージに従うことが多い。行動は,し ばしばその動機によって判断される。「彼は善意でやっ ている」ということが初めて重要になる。「良い子」で あることによって承認をかちえる。

4 「法と秩序」志向

権威,定められた規則,社会秩序の維持等への意向が 見られる。正しい行動とは,自分の義務を果たし,権威 を尊重し,既存の社会秩序を,秩序そのもののために維 持することにある。

Ⅲ 慣習以後の自律的,原理的 水準

道徳的価値や道徳原理を,集 団の権威や道徳原理を唱えてい る人間の権威から区別し,また 個人が抱く集団との一体感から も区別し て,な お 妥 当 性 を も ち,適用されるようなものとし て規定しようとする明確な努力 が見られる。

5 社会契約的尊法主義志向

概してこの段階には,功利主義的なところがある。正 しい行為は,一般的な個人の権利や,社会全体により批 判的に吟味され,合意された基準によって規定される傾 向がある。個人的価値や意見の相対性が明瞭に認識さ れ,それに呼応して,合意に至るための手続き上の規則 が重視される。正しさは,憲法に基づいて民主的に合意 されたもの以外は,個人的な「価値」や「意見」の問題 とされる。その結果,「法の観点」が重視されるが,(第 四段落の「法と秩序」によって,法を固定的に考えるの ではなく)社会的効用を合理的に勘案することにより,

法を変更する可能性が重視される。法の範囲外では,自 由意思に基づく合意と契約が,人間を拘束する義務の要 素となる。これは,アメリカ合衆国政府と憲法のよって 立つ「公的」道徳である。

6 普遍的な倫理的原理志向

正しさは,論理的包括性,普遍性,一貫性に訴えて自 ら選択した倫理的原理に一致する良心の決定によって規 定される。これらの原理は,抽象的かつ倫理的であり

(黄金律,定言命法),十戒のような具体的道徳律では ない。もともとこれらの原理は,人間の権利の相互性と 平等性,一人ひとりの人間の尊厳性の尊重など,正義の 普遍的諸原理である。

−17−

(6)

60

50

40

30

20

10

0

年齢 10 13 16

ア メリ カ 合 衆 国

10 13 16

台 湾

10 13 16

メ キ シ コ 1

2

3

4

4

5.6

1

2 2

2 3

4 5.6

1

2

3 4

5.6 6

6

1

5 5

5 5

1 2

2 4

3

6 6

1 1

4

4 3

3

2 2

5

5 6

6 1 1

4 4

3 3

3

山岸はコールバーグが道徳性の発達の判断に用いた例話(「ハインツのジレンマ」な どの翻訳)を用いて小学生から大学院生までを対象に13年の9月〜11月にかけて実 験調査研究を行った。図2,図3はその結果をそれぞれ表とグラフで表したものであ る。この結果から「日本における年齢による発達段階の傾向は

Kohlberg

の論理的な 順序とほぼ一致しており,発達段階の順序性は,日本においても妥当性をもつことが 明らかにされた」6)として,日本においてもコールバーグの理論が適用されうるとい うことを実証した。

ステージ 年齢

小5

中2

高2

大学生

〈注〉 副スコアを除き,主スコアのみで集計したもの。(つまり ,2も純粋な2と共にステージ2としてある)

図2 年齢別,性別の分布

図1 道徳教育の基礎としての道徳性の発達段階

−18−

(7)

ステージ ステージ2

5 ステージ

ステージ2

ステージ ステージ4

ステージ ステージ4

ステージ ステージ4

ステージ

ステージ4 ステージステージ5

ステージ2

5

ステージ3 ステージ2

ステージ3 ステージ4

ステージ3 ステージ4

ステージ4

ステージ4 ステージ5

ステージ3 小   5

中   2

高   2

大 学 生

0 1 0 2 0 3 0 4 0 5 0 6 0 7 0 8 0 9 0 1 0 0( % )

2 モラルジレンマについて

コールバーグは,先のピアジェからの道徳性の発達理論の系譜に基づき,道徳的葛 藤により不均衡を均衡化する働きの中で今の自分の認知構造をより高次の認知的構造 へと変化させることができ,それを獲得することができると考えた。つまり,「子ど もたちを不均衡な状態におく方法としてモラルジレンマを提唱し,ソクラテス方式の 討論授業を展開することを提唱した」7)ものがモラルジレンマ授業である。このよう な「道徳的認知的葛藤の経験」が道徳性を発達させるための核として位置づけられて いる。また,モラルジレンマ授業のもう一つ重要な要件として「役割取得の機会」が 挙げられる。これは,他者の立場にたって考えてみたり,他者の考え方や感情につい て思いを及ぼすことで,自己のみではなく広く社会へと視点を広げることが出来る。

コールバーグはこの「役割取得」も「道徳性発達段階以降の中核的な役割として位置 付けている」8)のである。

モラルジレンマ授業を成立させる要件として当然のことながら学習環境についても 配慮するようにとの指摘もある。具体的には「オープンエンドのモラルジレンマ資料 を用いた討論型の道徳教育を行うに当たって,個人の権利や人間性を軽視した教師に よる価値の押し付けを排し,民主主義に立脚したディスカッションを通して,児童・

生徒自らが主体的に道徳性の発達に関与できる学習環境の整備として,公平な学習環 境を説いている」9)とし,道徳の時間以前の学級経営としての留意点にも言及がある。

こういった民主主義的風土の醸成による道徳教育については,後期コールバーグ理論 として有名な「ジャスト・コミュニティ」があるが,モラルジレンマ授業の中にも既 にそういった学習環境の整備といったものへも視点が向けられていた。

モラルジレンマ資料の備えるべき要件として荒木は9点挙げている0)が,盛岡によ れば海外でのコールバーグのモラルジレンマの実践的な研究者であるベイヤーと,ガ ルブレイスとジョウンズの二つのグループもそれぞれモラルジレンマ資料の要件を掲 げている。そして,三者に共通するモラルジレンマ資料の要件として以下の3点を挙 げている1)

①中心人物のとるべき行動を意思決定させること。

図3 年齢毎の発達段階の分布

−19−

(8)

②道徳的価値に関する葛藤を扱っていること。

③内容が中心価値の二者択一的な葛藤とならないこと。

また,モラルジレンマ授業の有用性を主張するものの一つとして「他者理解」が挙 げられる。モラルジレンマ授業をすることで,自分の素直な考えや意見を主張できる ようになるのを望むことはもちろんであるが,さらにそうすることで他者の意見につ いても耳を傾け,心を寄り添わせることができるようになる。荒木はモラルジレンマ 授業によって「…自分と人のどこが同じでどこが違うかが分かってくる。自分と人の 考えが同じ時もあれば,違う時もあることに気づく。それに留まらず,自分と異なる 人の気持ちを知ってそれを受け入れ,場合によってはそれに合わせることを学ばせた い」2)と述べている。認知的不均衡を均衡化する・調節をすることが他人の考えや意 見を受け入れる素地ともなり他者理解の中心的な概念ともなると考えられるが,それ 以外にも,自分は自分,他人は他人でそれぞれが違っても良いのだという 分かりあ うことができない他者理解 というものも獲得することができる。人と人は必ずしも 分かり合うことが出来るものではないし,意志や信念,信仰などによってもそういっ たことが起こりうることは自明の理である。それを認め,分かり合えないことが悪な のではなく,「分かり合えないこともある」ということを出発点とすることで新たな 共通の理解や課題解決の方途が見えてくることがあるのではないだろうか。それは,

多様な価値観が乱立し今後さらに混迷を極めるであろうこれからの時代を生きていく 上で,今後ますます切実に求められてくる人間像の要素の一つではないだろうか。

モラルジレンマ授業の実際としては,先に挙げたベイヤーや,ガルブレイスとジョ ウンズなどがアメリカでの実践などを通じていくつかの授業過程モデルを提示してい るが,ここではその詳細については触れずに,一般的なモラルジレンマ授業形態の特 徴として主な二つの点を挙げるに留める。

①あらかじめ「正答」が決められていないオープンエンド型の授業。

②子どもたち自身による相互の話し合い・討論が授業展開の中心。

このような特徴を踏まえた上で,道徳の時間の指導に使われている資料を用いてモ ラルジレンマ的授業を試みた実践を紹介する。

授 業 実 践

1 モラルジレンマ「的」授業(「手品師」,6年生,東京書籍の実践)

モラルジレンマの実践については,荒木を中心としたグループによりいくつもの実 践が行われており,その実践事例をまとめたいくつもの著書が出版されている。ここ では,筆者が行ったモラルジレンマ的授業の実践を紹介する。本単元では「手品師」

(6年生)を資料として,荒木らの提唱する「1主題2時間」3)扱いとして授業を構 想した。

−10−

(9)

一次…指導案に沿って「手品師」の授業を行い,授業の最後に『手品師は「男の子 との約束を守る」と「大劇場に行って夢をかなえる」のどちらを選ぶ方が良 かったのでしょうか。判断の理由も書きましょう。』という文が書かれた ワークシートに自分の選択と判断の理由を書き込む。

二次…前回の判断した内容を基に全体でのディスカッションを中心として授業を展 開していく。

2 考察(ワークシート,逐語記録より)

一次の最後に書いたワークシート記述によれば「男の子との約束を守る」(以降「A 判断」)が20人,「大劇場に行って夢をかなえる」(以降「B判断」)が9人という結果 だった。

「A判断」で多かった理由は「男の子と(先に)約束をしたから」「約束を破るの はよくない」「ウソを突くのはよくない」など 約束 という言葉に関連したものが 2個と最も多い割合であった。次に「男の子が喜ぶ」または「喜ばせたい」「男の子 が悲しむ」などの意見が10個あり,男の子の心情についての推察するものが二番目に 多かった。「B判断」については「お金がもらえるから」「生きていくため,生活する ため」という意見が5個と最も多く,「自分の夢だったから」という意見はわずかに 4個だけであった。

第二次では,クラスの全体でのディスカッションを中心に挙手による指名を通して 自分の意見や考えを全体で共有した。二次の結果は「A判断」が10人,「B判断」が 0人となり,一次とは人数の割合が逆転した(一次と二次では欠席者の関係があるた め人数の不一致がある)。また,判断の変化の変遷についても「B判断」から「A 断」に変化した子どもはおらず,一次で「A判断」をした子どものみが二次の授業を 終えて「B判断」へと移った。

授業を終えての子どもたちの判断の主な理由は以下の通りである。

「男の子との約束を守る」

・男の子はお母さんも,お父さんもいなくて寂しいし,大劇場に出れるチャンスは また今度あるかもしれないから。

・やっぱり男の子の方が悲しむのは手品師もいやだと思うから男の子との約束を守 ると思う。

「大劇場に行って夢をかなえる」

・大劇場に行って夢をかなえて,お金をたくさんもらって幸せになる。

・自分の夢だし男の子はわかってくれるはず。

・幸せよりも生命の方が大事だから。

二時間の授業を終えての子どもたちの感想としては次のようなものがあった。

「手品師を勉強してみんながどう思っているのかがわかった。道徳は答えがない

−11−

(10)

から,自分で考えて書くのはおもしろい。

「男の子との約束を守る」でも,「大劇場に行く」のどっちも間違ってはいないと 思う。

「とってもいろんな人の気持ちがわかった。 3 課題・問題点

個人差や偏りはあっても,子どもたちの積極的な参加の姿勢や意欲の高さについて は,発言の機会の増加と板書等によって自分の考えが反映されやすいという授業スタ イルにより十分に喚起することができた。しかし,子どもたちの感想や発言の中に は,手品師の身に起こったことは自分とは関係のないことである,と捉えているよう なものが少なくなかった。例としては「私がもし手品師だったら,どっちにしてるだ ろうと思います」などの記述が何人かの感想の中に見受けられた。元々モラルジレン マ資料ではない副読本の資料を用いた試みであったことが要因として考えられる。し かし,そうであるならば子どもの実態に即したモラルジレンマ資料を探すことの困難 さや教師が自作で資料を作ることの労力や苦労といったものが換算されることによ り,負担が増大することが考えられる。そういった意味においても,モラルジレンマ 資料の鍵ともいうべきジレンマ資料をどのように選別するのかということが,現場で 実際に指導に当たる教師の一つの問題点,課題意識としてあがってくると考える。

今後の展望と課題

本研究では,モラルジレンマ授業の有効性を明確に示すことができなかったが,今 回の実践で得たデータを基に相互作用過程分析や

S-T

授業分析などによって数値化・

視覚化をし,実証的なデータとして示していくことが今後の課題である。

また,本稿では 道徳性 そのものについての言及が十分ではない。本稿で扱って いるのは道徳性の中でも「知」としての認知的な側面とそれと関連した判断の部分に ついてのみ述べたものであり,あくまで道徳性を一側面から限定的にとらえたものに 過ぎない。 道徳性 を総体として捉えたときに,それがいくつの側面を持ちどのよ うに関わり合っているのかという議論と並行して,その中でも果たして認知的側面が どれだけの影響を与え得るのか,などの点についても自身の課題として今後考えてい かなければならない。

実際の教育現場ではモラルジレンマのような子ども同士の話し合いを授業の中心に 据えて展開したり,物語りや実際の生活経験などを基にして課題を解決させるための 葛藤を共有し合ったりするような実践は,実は非常に多く存在する。さらに直接的な 言い方をすれば「モラルジレンマ」でなくても似たような授業を構想している研究者 や,実践をしている教師は数多くいる。しかしそれがどのような理論的な枠組みのも とに成り立っており,そしてどのような理論的・方法論的な正当性を有するのか明ら

−12−

(11)

かにされていないと考える。

そこで,今回このようにコールバーグのモラルジレンマを検証することで,そう いった話し合いや課題解決型道徳の授業の有効性や正当性を証明し,新たな道徳教育 の取り組みを活性化することができればとの思いで本研究を進めてきた。

コールバーグやモラルジレンマ授業の実践者などは自律による道徳や道徳的判断と いうものを強調しているが,ピアジェやコールバーグの道徳性の発達観にも記されて あるとおり,道徳性の萌芽期としての他者からの注入や強制というものを否定してい るわけではない。それどころか,むしろ発達段階によってはそういった時期を経てこ ないうちに道徳的な葛藤を引き起こし,それを判断させるということは彼らの理論か らいっても妥当ではない。今回の学習指導要領の道徳教育改訂の要点にも「児童の発 達の段階を考慮して」と示されているように,学年や個々の発達段階などに応じて,

それぞれの抱える発達的課題や現状に即して適切に指導を進める必要性を強調してい 4)。そういった意味でも,今回のようにコールバーグの発達観や授業理論などにつ いての理解を進め,そのような理論的・方法論的土台に基づいた授業を展開していく という姿勢は,道徳の授業に限らず他の教科においても必要であることは言うまでも ない。

道徳の授業の今後の展望について永田は「授業のフレームに固執せず,多様なスタ イルを生み出し,そのよさを生かし合うことで道徳授業に活力がもたらされる。…

(中略)当初より全否定する主張はタブーを増大させ,道徳授業の形骸化への道を広 くしてしまうことにしかならない」「今日,指導方法そのものにも多様さが求められ ている。したがって,それぞれのプログラムのもつ多彩な持ち味を授業の中に織り込 むことを恐れてはならない」5)と述べている。このような取り組みを進めていくこと が道徳授業のさらなる活性化につながり,また,そういった過程で生じてくる問題を 解決していくことで,新たな道徳教育の地平を切り開いていくことができると考えて いる。

引 用 文 献

1)文部科学省「小学校学習指導要領解説 道徳編」東洋館出版,28年,p.7。

2)押谷・小寺編「小学校学習指導要領の解説と展開 道徳編」教育出版株式会社,28年,

p.5。

3)前掲「小学校学習指導要領 道徳編」p.3。

4)文部科学省「道徳教育推進状況調査について」平成16年11月1日,p.3。

5)文部科学省「中央教育審議会中間報告―幼児期からの心の教育在り方について―」『文 部時報』18年,4月臨時増刊号,p.2。

6)渡辺・斉藤「道徳の伝達から道徳の創造へ―コミュニケーション的行為の理論に基づく

−13−

(12)

劇化の工夫を通して―」兵庫教育大学研究紀要,18巻,18年,p.5―18。

7)片上宗二「道徳授業のオープンエンド化に活路を!」『現代教育科学』63号,28年,

p.4―16。

8)山田 一「現状から論争について考える」『現代教育科学』63号,28年,p.4―27。

9)前掲「道徳の伝達から道徳の創造へ―コミュニケーション的行為の理論に基づく劇化の 工夫を通して―」

0)文部科学省「幼稚園,小学校,中学校,高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の 改善に つ い て」http : //www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/news/20080117,2010/12/10 在。

1)岩佐信道訳「道徳性の発達と道徳教育」広池学園出版部,17年。p.1を表にしたも の。

2)同上,p.4。

3)同上,p.8。

4)荒木紀幸「道徳教育はこうすればおもしろい」北大路書房,18年,p.8。

5)山岸明子「道徳判断の発達」教育心理学研究,第24巻,第2号,16年,p.9―38。

6)同上。

7)荒木紀幸「子どもたちの道徳的実践力を育てる」現代教育科学,68号,28年,p.1―

5。

8)前掲「道徳教育はこうすればおもしろい」p.9。

9)荒木紀幸「子どもたちの道徳的実践力を育てる」現代教育科学,67号,28年,p.1―

5。

0)前掲「道徳教育はこうすればおもしろい」p.1。

1)盛岡卓也「日本におけるコールバーグ派道徳授業の検討―モラルジレンマと役割取得

―」大阪教育大学紀要,第40巻,第2号,12年,p.7―18。

2)前掲「子どもたちの道徳的実践力を育てる」現代教育科学,68号,28年,p.1―95。

3)前掲「道徳教育はこうすればおもしろい」p.1。

4)前掲「学習指導要領解説 道徳編」p.7。

5)永田繁雄「道徳と特別活動」38巻,29年,p.0―41。

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参照

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