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近世信濃国における庶民教育

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

近世信濃国における庶民教育

著者 倉橋 めぐみ

雑誌名 高円史学

巻 23

ページ 23‑59

発行年 2007‑10‑01

その他のタイトル The Education of Ordinary Folks in Early‑Modern Shinano (信濃)

URL http://hdl.handle.net/10105/8846

(2)

近世信濃国における庶民教育

は じ め に

倉     橋     め   ぐ   み

︵1︶

近世から近代初頭にかけての庶民教育の場であったのが︑寺子屋である︒この寺子屋に関する先行研究はたくさんあり︑

これまで︑寺子屋の往来物をはじめとする教育内容や教育欲求を高めた状況などについての研究は多くなされてきた︒往来

物などの寺子屋のテキストに関する分析や文字教育の意味などについての研究は︑寺子屋の実態を知る上でも︑非常に重要

なものである︒しかし︑寺子屋は︑子どもたちに書︑読︑算などの学習の習得をさせるためだけの存在だったのだろうか︒

学習をするだけの場所だったのだろうか︒

現代の学校では︑教科などの勉強を教えるだけではなく︑家庭で行なうはずのしっけなども︑学校で行なうようになって

きており︑学習をするためだけの場所ではなくなってきている︒寺子屋でも︑読み書きなどの学習を習得させるためだけの

存在ではなく︑そこには︑外にも何らかの役割があったのではないだろうか︒そこで︑本稿では︑寺子屋か学習する以外に

どのような存在意義があったのかということを考察していきたいと考える︒

23

(3)

そのために︑本稿では︑以下二章にわたり︑史料の分析をもとにしながら︑考察をしていく︒まず︑第早では︑﹃松本

平手習師匠﹄を用い︑寺子屋の開業年代や地域分布︑手習師匠の身分などといった寺子屋の概要について述べ︑次いで︑第

二章では︑同じ松本平という地域で寺子屋を開いていた手習師匠が作成した﹁寺子屋規定﹂︑六点をもとに︑寺子屋の内情

に迫っていきたい︒そして︑これらを踏まえ︑おわりにでは︑寺子屋には文字などの学習を習得させるはかに︑どのような

存在意義があったのかということを明らかにしていきたいと考えている︒先行研究については︑各章で述べている︒

なお︑第早で扱っている手習師匠は︑﹃松本平手習師匠﹄を基本としているが︑手習師匠が一致している場合は︑﹃日本

教育史資料﹄も併用した︒ただし︑寺子屋の開業・廃業年代が異なっている場合や︑寺子屋が開かれた地域などが異なって

い た 場 合 は ︑ ﹃ 松 本 平 手 習 師 匠 ﹄   に 基 づ い て い る ︒

一﹃松本平手習師匠﹄からみる庶民教育

︵一︶松本平と﹃松本平手習師匠﹄について

松本平は︑信濃国中央部に位置する盆地で︑現在の東筑摩郡と南安曇郡︑北安曇郡の三郡で成り立っている︒東西一〇〜

. H

・ 1

一五キロメートル・南北約五〇キロメートルで︑面積は約四八〇キロ平方メートルである︒この松本平内には︑高遠藩領や

諏訪藩領︑幕領があったが︑大部分が松本藩領である︒

筑摩郡の石高と村数は︑﹁元禄郷帳﹂ で五万四〇八〇石余・二三一か村︵うち木曽は二九か村で無高︶︑﹁天保郷帳﹂ で

八万二〇八〇石余・二三三か村︵うち木曽は二九か村で無高︶︑﹁旧高旧領﹂ では筑摩郡と同郡木曽とを別記してあり︑筑摩

︵ 3

郡は八万四三五二石・二〇四か村でる︒安曇郡の石高と村数は︑﹁元禄郷帳﹂ で三万八九四四石余・一七九か村︑﹁天保郷帳﹂

(4)

︵4︶

で六万一二三石余・一八〇か村︑﹁旧高旧領﹂ では六万四二二四石余・一七九か村である︒

さて︑飯沼源次郎が編纂した﹃松本平手習師匠﹄ であるが︑﹁今や図人皆撃の日に在りて敢て手習師匠を語る者なく︑又

J l l 其碑家の何物たるを知る者稀なり︑満腔痛恨の至りなり︑﹂との思いから作成されたものであり︑一九二四︵大正十三︶年

に発行されたものである︒

︑ ト 1

この ﹃松本平手習師匠﹄は︑石川謙氏に︑﹁私塾と寺子屋とが混在してゐる﹂と指摘されている︒だが︑乙竹岩造氏は︑

私塾と寺子屋の区別は︑戟然と定めることは難しいと述べている︒通例は︑児童の通うところを寺子屋とし︑青年の学ぶと

ころを私塾とする︒しかし︑寺子屋でも青年が学び︑私塾でも児童を入れていたものもある︒また︑科目でも両者をわける

考えがあり︑読み︑書き︑算盤を教えるものが寺子屋で︑漢学や国学︑その他の専門学科を授けるものが私塾というもので

ある︒しかし︑これも私塾で読み書きの初歩から教えたところもあれば︑寺子屋で漢学などを教えたものもあり︑明確に区

別することはできない︒﹃日本教育史資料﹄所載の私塾寺子屋表も︑私塾と寺子屋に分けてはいるが︑個々に調べてみると︑

双方の問に若干の錯綜がある︒こういうわけであるので︑私塾を含めて広く寺子屋と呼んだ地域があっても︑誤診として指

. 1

1

摘するわけにはいかないと述べている︒

石川氏に指摘されていること以外にも︑そもそも︑この ﹃松本平手習師匠﹄は︑典拠したものが何かわかっていない︒ま

た︑これに記載されている上田友章翁は︑三六ページ・二三三ページの両ページに載っており︑記載内容も同一であった︒

このように︑明らかな誤植があったり︑目次や本編の中に誤字脱字が多くあったり︑手習師匠によって記載量が異なったり

もしている︒しかし︑手習師匠の出身地や教えた場所︑その場所で教えることになった経緯︑教授内容︑教授方法︑先祖や

子孫など︑微細にわたって書かれているものもあり︑信用に足る部分が多くある︒

25

(5)

この﹃松本平手習師匠﹄には︑全部で五九九人の手習師匠が目次に記載されているが︑各手習師匠のことか述べられた文

章の中に︑その手習師匠の親や子ども︑弟子などについても述べられており︑名前が確認できたそれらの人数も合わせ︑手

し1︑

習師匠の人数は︑六七四人にのぼる︒﹃日本教育史資料﹄では︑同じ松本平の手習師匠の人数は︑四〇五人である︒﹃松本平

手習師匠﹄ での手習師匠の人数は︑﹃日本教育史資料﹄ に記載されている人数の約一・七倍になっている︒ここでは︑この

六七四人を対象に︑以下分析を行なっていく︒

︵二︶信濃国松本平の寺子屋の成立と展開

①開業年代・地域分布について

寺子屋の開業年代がわかっている手習師匠は︑二三五

人である︒その中で︑最も早く寺子屋を開業したのは︑

松本城下で鍛冶屋を営んでいた今福治郎兵衛翁で︑正徳

︑ 1

年代に開業している ︵表一︶︒その後︑松本平では︑天

明年代から開業した寺子屋が増えはじめ︑天保を頂点と

して︑明治にむかっていくにつれ︑減少傾向となってい

る︒

﹃日本教育史資料﹄に載っている寺子屋の開業年代を

調べた石川謙氏は︑寺子屋隆盛の動きは︑﹁宝暦・明和

表一 開業年代

武 士 農 民 住職 神職 医者 女 性 その他: 不 明 計

正 徳 1

享 保 0

元 文 1 1

寛 保 0

延 享 1 1

寛 延 1 1

宝 暦 0

明 和 1 】

l

j 1

安 永 1 1

天 明 1 3 1 5

寛 政 1 4 1 2 8

亨 和 1 4 1 6

文 化 1 10 1 2 10 24

文 政 3 i 8 1 15 27

天 保 3 33 1 3 2 23 6 5

弘 化 1 8 1 1 2 1  13 2 7

嘉 永 3 7 1 16 27

安 政 6 1 4 1 7 19

万 延 [

l 2 2

文 久 6 3 9

元 冶 2 2 4

慶 応 1 4 5

明 治 1 1

言 十 14 9 5 5 11 2 2 5 10 1 23 5

(6)

の頃から動き初めて︑天明・寛政頃から漸く顕著となって来た︒そして文化・文政と進んで天保・事水の寺子屋全盛期に到

︵ 川 ︶

達した﹂と述べている︒松本平の寺子屋も︑全国平均と同じような展開をしているといえるだろう︒また︑同調べで正徳ま

でに開業している寺子屋数は︑九四軒となっており︑松本平で正徳期から寺子屋があったのは︑比較的早いといえるだろう︒

次に︑寺子屋を開業した地域がわかっている手習師匠は︑六六六人おり︑それらの手習師匠が寺子屋を開いていた地域は︑

二六〇か所である︒これによると︑正徳から明治にかけ︑開業していた手習師匠数は︑神林村と波田村が一四人と最も多い

が︑松本城下や野村︑吾田村も一〇人以上と多くなっている︵表二︶︒その一方で︑これらの城下町や村の周囲の村々では︑

寺子屋を開いた手習師匠の人数は少ない︒これは︑周囲の村々に住んでいる子どもたちも︑城下町や神林村︑波田村︑野村︑

吾田村にある寺子屋に通っていたためではないかと考える︒

この地域分布をみると︑城下町に近いほど︑手習師匠がいる村が密集しており︑城下町から離れ︑山間部になるほど手習

師匠が存在する村は少なくなっている︒そして︑城下町から離れた村にいる手習師匠は中山道をはじめ︑善光寺や他の城下

町に続く街道︑越後に抜ける街道などの主な街道沿いの村に存在している︒

また︑この﹃松本平手習師匠﹄に出てきた地域の中で︑幕領は︑上井堀村︑下井堀村︑今井村︑岩垂村︑大池村︑麻績村︑

神林村︑小坂村︑小俣村︑洗馬宿︑竹田村︑東條村︑二子村︑水代村︑和田村の一五か所である︒その内の︑今井村︵六人︶︑

大池村︵六人︶︑神林村︵一四人︶︑小俣村︵五人︶︑竹田村︵五人︶︑和田村︵九人︶と︑六か村に五人以上の手習師匠が存

在 し

て い

た ︒

松本藩領安曇郡小室村には七人の手習師匠がおり︑小室村で寺子屋を開いていた︒手習師匠と開業時期は左記の通りであ

る︒

27

(7)

地域別分布

東 筑 摩 郡        (村 名  人 数 )

会 田 村 3 郷 原 村 1 下 西 條 村 1

赤 木 村 6 神 戸 村          4 西 の 宮 村         1

浅 間 村 2 小 坂 村 (*) 1 仁 熊 村 2

新 井 村 2 小 柴 村 1 野 口 村 2

井 刈 村 2 小 会 部 村 3 野 村 10

上 生 坂 村 2 小 俣 村 (*) 5 波 田 村 4

上 生 野 村 3 北 小 松 村 2 上 波 田 村 5

下 生 野 村 1 古 見 村 4  下 波 田 村 5

和泉 村       4 小 屋 村 2  原新 田村 1

稲倉 村 2 戌 敷 村 2 原 山村 2

上井 堀 村 (*) 2 三 ノ宮 村 1 針尾 村 5

下井 堀 村 (*) 2 潮 村 3 光村 4

今 井 村 (*) 6 塩 澤 村 3 日出塩 村 2

今 村 1 塩 尻 村 4 下平 廟 村 1

北 入 相 2 七 嵐 村 3 平 田 村 3

中入 相 1 執 田 光 村 2 平 出村 1

岩垂 村 (*) 2 下 嶋 村 1 藤井 村 1

北 内 田 村 3 自 川 村 2 藤池 村 3

南 内 田 村 5 赤 怒 田 村 3 二子 村 (*) 4

薄 町 村 3 瀬 黒 村 4 別所 村 1

大 地 村 (*) 6 洗 馬 宿 (*) 1 堀 の 内 村 1

大 足 村 1 庇 馬 町 村 1 堀米 村 1

大村 1 西 洗 馬 村 2 「松 岡村 1

岡 田 村 3  本 洗 馬 村 5 南方 村 1

下 岡 田 村 2 惣 社 村 2 水代 村 (*) 1

小 立 野 村 1 大 門 村 1 三才 山 村 2

落 水 村 3 高 山 村 3 三 膚 村 3

北 小 野 村 5 高 村 1 営淵 村 1

小 野 澤 村 1 竹 田 村 (*) 5 宮 本 村 1

麻 績 村 (*) 3 田 厚 相 6 村 井 町 村         5

柿 澤 村 2 反 町 村 2 本 山 村 1

堅 石 村 2 筑 摩 村 1 百廟 村 1

金 井 村 (塩 尻 組 ) 1 出 川 村 1 矢 倉 村 3

金 井 組 (会 田 組 ) 1 東 條 村 (*) 1 安坂 村 8

刈 谷 原 村 3 塔 原 村 2 矢 久 村 2

神 田 村 4 殿 の 入 村 2 床尾 村 1

湯 原 村 1

横川 付 1

吾 田村 11

1 L橋 村 1

両瀬 村 1

,和 田村 (*) 9

神 林 村 (*) 14 取 出 村 T l

上堀 金 村 5 埴 原 村 8

:下城 金村 2 永 井 村 3

l 北 山 村 1 中 挟 村 1

桐原 村 4 長 畝 村 1

北熊 井 村 6 中 村 (会 田 組 ) 4

南熊 井 村 2 中 村 (島 立 組 ) 1

北栗 林 村 3 膚 村 1

!南栗 林 村 2 並 柳 村 1

桑 山村 1 新 村 7

小池 村 6 西 條 村 2

小岩 井 村 2 L 西 條 村 1

1−−霊一一

*印は幕領

(8)

表二

松 本 城 下        13 人

安 曇 郡       (村 名  人 数 )

相 導 寺 村 1 演 出 見村 1 氷 室 村       5

青 木花 見村 3 嶋 々村 4 古 厩 村 4

青 島村 1 活 水 村 3 画 人 村 5

飯 田村 3 下 村 1 北 條 村 2

飯 森 村 3 】白駒 村 1 細 萱 村 1

他 田町 村 4 住 吉 村 2 細 野 村 1

板 取 村 1 左 右 村 1 原 澤 空 峠 村 2

稲 尾 村 1 干見 村 3 二 重 村 1

稲 核 村 1 平 村 1 二 木村 5

岩 岡 村 1 高 松 村 1 船 場 村 1

岩 原 村 3 嵩 下 村 3 保 高 村 7

鵜 山 村 1 田尻 村 4 穂 高 町 1

宇 留 賀 村 1 田 多井 村 4 上 二堀 金 村 5

大 久 保 村 1 立 田村 2 下 城 金 村 2

大 塩 村 1 立 足 村 1 堀 ノ内 村 (他 出組 ) 1

大 要 村 2 1 館 の 内 村 1 堀 ノ内 村 (大 町 組 ) 3

北 大 妻 村 4 再 爆 村      】 1 牧 村 5

南 大 妻 村 2 上 角 影 村 1 松 川 村 1

大 野 田 村 2 下 角 影 村 1 真 々 部 村 1

大 日向 村         2 十 日市 場 村 1  丸 田 村 3

大 町 2 等 々力 町 村 1 峯 方 村 4

小 斎 抒  ̄ 9 等 々力 村 3 耳 塚 村 1

上押 野 村 3 烏 羽 村 1 宮 本 村 2

下 押 野 村      l l 下 鳥 羽 村 2 焼 山 村 1

哀 木 村        3 富 田 新 田 村 2 l 矢 原 村 2

小 谷 村 1 内 鎌 村 3 構 澤 村 2

相 原 村 4 上 長 尾 村 2 書 野 村 4

L 一 本 木 村 1 下 長 尾 村     】 6

古 村 1 中 曽 根 村 4

木 崎 村 2 中 萱 村 6

北 山 村 1 中 土 村 1

狐 島 村       3 中 綱 村 2

木 船 村          1 中 城 村 2

切 明 新 田 村        1 中 村 (池 田 組 ) 4 葛 尾 村          1 中 村 (L 野 組 ) 2

熊 倉 村       5 七 日市 場 村 1

花 見 村 1 成 合 新 田 町 村 1

小 泉 村 6 成 相 新 田 村 1

神 戸 村       2 野 口 村          1

小 南 度 村 2 新 屋 村       4

′ ト宮 村 2 喩 村        2

小室 村 8 鼠 穴 村       2

佐 野 村 6  荻 原 村          3

渾 度 村 1 橋 爪 村 1

塩 嶋 村 2 半 在 家 相 2

竜 郷村 1 日岐村 1

寺 所村      [ 自 一 日市 場村 4

129−

(9)

U 朋 爪

佐原林禰翁 文政−天保

︵ 1

2 ︶

二村治右衛門翁 弘化1嘉永

︵ 1

3 ︶

佐原久右衛門翁 文政八年−

1 H ︑

佐原萬吉翁 弘化!嘉永

︵ 1

5 ︶

樽沼太左衛門翁 文化

︵ 娼 ︶

今井善右衛門翁 弘化−安政

︵ 1

7 ︶

佐原佐右衛門翁 天保−嘉永︵二〇年間︶

詳しく何年とは書かれていないが︑佐原林禰翁と佐原久右衛門翁は︑寺子屋を開業していた時期が重なる部分があり︑二

村治右衛門翁と佐原萬吾翁︑今井善右衛門翁︑佐原佐右衛門翁の開業時期が重なっている︒そして︑文化から安政まで︑こ

この小室村では︑複数の手習師匠が途絶えることなく︑存在しているのである︒このように︑一つの村に複数の手習師匠が

︵ 1 8

︶        

︵ 1 9

︶      

︵ 訟

︶      

︵ 融

︶      

︵ 忽

同時期に存在していたことを確認できる村は︑小室村だけではなく︑他にも南大要村︑上堀金村︑保高村︑安坂村︑赤怒村

な ど

が あ

る ︒

30

②名称について

近世において子どもが手習いや読み︑算術の学習のために通っていたところを寺子屋と呼ぶ︒しかし︑従来から︑文字学

習機関の呼称については︑様々な意見があった︒入江宏氏は︑﹁寺子屋﹂ いう用語が︑今日のように一般的に用いられるよ

うになったのは︑明治期に入ってからであり︑この種の学舎の本質︑その教育機能を直裁に示す学術用語としては︑むしろ

(10)

︵ お ︶

﹃手習塾﹄の方が妥当であると述べている︒その一方で︑近世の民衆の文字学習が寺院教育から自立して村役人や農民相互

の生業的な自主学習に変容してきたことは近世的変化として受け止める︒が︑しかし︑寺院の僧侶による読み書きの手ほど

きと教導活動は存在していたこと︑近世の文字学習期間の呼称は寺子屋︑手習所︑華子所など多様な呼称がされている実態

︵ 2

4 −

からみたとき︑当時呼称されていた多様な呼称に相応すべきとの立場から﹁寺子屋﹂と呼称するとの意見もある︒

さて︑﹃松本平手習師匠﹄ でも︑﹁寺子屋﹂以外の名称も使われていた ︵表三︶︒名称は一二種類あり︑最も多いものは︑

﹁家撃﹂ で一一四件︵全体の五九%︶ にも上り︑同じ﹁家﹂がつく﹁家塾﹂

も一九件︵全体の九%︶と三番目に多い︒

この ﹁家塾﹂については︑明治一六年一二月に調べられた﹁学制沿革・

崇教館取調べにつき長野県へ東筑摩郡進達﹂ の中の ﹁旧松本藩学制沿革取

調要目﹂ に︑﹁平民ノ子弟教育方法﹂という項目に使用されている︒そこ

︵ あ ︶

には︑﹁平民ノ子弟ハ各自ノ意向二任せ家塾寺子屋二於テ惰学スルノミ﹂

とある︒﹁家塾﹂という名称が使われているのは︑松本藩で︑﹁家塾﹂とい

表三 名称の種類

件 数 (件 ) 割 合 (%)

家  撃 114 5 9

郷  撃 26 13

家  塾 19 9

撃 問所 12 6

撃  室 5 3

寺 子屋 5 3

鳶  撃 5 3

家  道 3 2

教  室 1 0 5

郷  校 1 0 . 5

郷  塾 1 0 5

私  塾 1 0. 5

計 19 3 10 0

う言葉が使われており︑それが︑庶民にも浸透していたからではないだろうか︒

︵ 罰 ︶

一方︑﹁家撃﹂だが︑一七九〇年に出版された﹃近世崎人俸﹄の中に︑﹁萬葉集において家撃を成せり﹂と書かれている︒

﹁家撃﹂は︑平安時代中期以後︑大学寮教官職を世襲に近い形で継承した博士家に伝承した学問をいうが︑このように︑有

識者・歌学なども家撃の形で相伝されることが少なくなかった︒松本平で﹁家撃﹂という名称が多く使われていたのも︑こ

こからきているのではないだろうか︒﹁家撃﹂は︑他の名称のものに比べ︑手習師匠が一代限りで終わるのではなく︑代々

(11)

手習師匠をやっている割合が高く ︵表四︶︑手習師匠を

親︑子︑孫などという風に継承していっている︒世襲と

いう形で代々受け継がれているものが︑﹁家撃﹂と名乗っ

ていたのではないだろうか︒一代で終わっているものも︑

最初から一代で終わらせるつもりはなく︑代々受け継い

でいってもらいたいと思い︑この﹁家撃﹂という名称を

使ったのではないだろうか︒

ところで︑今日︑私たちに一番馴染み深い名称である

﹁寺子屋﹂だが︑これを使っていたのは︑左記の五件で

あ る

安曇郡中村泉光寺 ︒

筑摩郡塔原村五龍山雲龍寺

筑摩郡赤木村弘長寺

筑摩郡上生坂村照明寺

筑摩郡三溝村 住職 住職 住職 住職 住職 住職

住職

﹁ ㌘ ︶

隆賓法印

n r ︑ J − 高勇法印

︵ 汐 ︶

祐眞法印

︵∬︶ 文帝和尚

︑ H H ︑ 条賢和尚

∴ し ︑ 覚遺和尚

︵ ℃ ︶

教山和尚

表四 手習師匠の継承

家  撃 家  塾 郷  撃    撃  室 寺 子 屋 筆 問 所

代 々 一 代 代 々 上 代 代 々  一 代  代 々  一 代 代 々 一 代 代 々  一 代

武  士 0 2 0 2 0    0 0 0 0 0 0    2

農  民 15 50 3 8 1   9 1    3 0    0 1   4

住  職 0 1 0 0 0    2 0    0 0 5 0 0

神  職 0 0 0 0 0    2 0 0 0 0 0 0

女  性 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0

そ の 他 1 1 可  0 0 0 0 0 0 0 0 0

不  明 6 25 0    7 0 9 】 1 ) 0 0    0 0 0

計 22 79 3 1 8 1 22 2 3 0    5 1 9

家  道 教  室 郷  校 邸  塾 私  塾

代 々  一 代 代 々 上 代 代 々  一 代 代 々 一 代 代 々 一 代

武  士 0    0 0    0 0    0 0 0 0 0

農  民 0 1 0 0    3 0    0    0 0 0 0

住  職 可  0 0 0 0 0    0 0 0 0

神  職 O l o 0 0 0 0 0 0 0 0

女  性 0 0 0 0 0 0 0 0 0    0

その 他 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

不  明 0 1 0 0 0 1 0 1 1 0

計 0 1 0 3 0 1 0   1 1 [ 0

一32−

(12)

これらはすべて住職である︒住職が手習師匠の場合のみ﹁寺子屋﹂という名称を使っており︑住職以外の手習師匠がこの

﹁寺子屋﹂という名称を使っていることはなかった︒これは︑近世の人々は︑近世の庶民教育が︑中世に寺院で世俗教育と

して読み書きが行なわれていた教育とは違うものとしてとらえていたのではないかと考える︒

③教科内容

松本平の寺子屋で教えていた教科内容は︑主として書︑読︑謡曲︑道徳︑礼儀作法︑算数︑珠算があり︑他にも漢学や儒

学︑古典などにも及ぶ ︵表五︶︒現在の学校教育の体育科の要素として︑柔術や剣術︑水泳なども行なわれていた︒主な教

科 比

率 を

み る

と ︑

書 五

〇 %

  ︵

三 〇

五 人

︶ ︑

読 一

九 %

  ︵

一 一

四 人

︶ ︑

謡 曲

一 二

%  

︵ 七

三 人

︶ ︑

遺 徳

三 %

  ︵

一 六

人 ︶

︑ 礼

儀 作

法 九

% 表五 教科内容

教 科 内 容 人 数 ( 人 )

書 105

書 ・読 57

書 ・古 典 1

書 ・算 数 1 1

書 ・珠 算 5

書 ・謡 曲 12

書 ・道 徳 10

書 ・礼 儀 作 法 10

書 ・詩 歌 2

書 ・剣 術 2

書 ・読 ・算 数 4

書 ・読 ・珠 算 2

書 ・読 ・謡 曲 1 1

書 ・読 ・遺 徳 1

書 ・読 ・礼 儀 作 法 14

書 ・読 ・詩 歌 1

書 ・読 ・四 書 講 義 1

書 ・算 数 ・謡 曲 9

書 ・算 数 ・道 徳 1

書 ・算 数 ・礼 儀 作 底 1

書 ・算 数 ・道 徳 1

書 ・算 数 ・柔 術 1

書 ・珠 算 ・謡 曲 1

書 ・謡 曲 ・礼 儀 作 慮 9

書 ・謡 曲 ・水 泳 3

書 ・謡 曲 ・詩 歌 1

書 ・道 徳 ・礼 儀 作 成 2

書 ・礼 儀 作 成 ・水 泳 1

書 ・読 ・算 数 ・謡 曲 4

書 ・読 ・珠 算 ・礼 儀 作 底 1

書 ・読 ・謡 曲 ・道 徳 1

書 ・読 ・謡 曲 ・礼 儀 作 癌 9

雷 ・読 ・謡 曲 ・水 泳 1

書 ・読 ・講 義 ・礼儀 作 法 2

書 ・読 ・道 徳 ・礼 儀 作 法 1

書 ・算 数 ・謡 曲 ・礼 儀 作 法 1

書 ・珠 算 ・謡 曲 ・道 徳 1

苫 ・珠 算 ・謡 曲 ・水 泳 1

苫 ・謡 曲 ・道 徳 ・礼 儀 作 成 1

書 ・読 ・算 数 ・謡 曲 ・礼 儀 作 法 1 書 ・読 ・珠 算 ・謡 曲 ・礼 儀 作 法 1

漢  学 2

儒  学 2

読 2

算  数 3

珠  算 2

謡  曲 3

実  学 1

算 数 ・謡 曲 2

算 数 ・礼 儀 作 法 1

謡 曲 ・礼 儀 作 法 1

算 数 ・謡 曲 ・詩 歌 ・管 弦 1

言 十 3 24

(13)

︵ 五

七 人

︶ ︑

算 数

五 %

  ︵

二 九

人 ︶

︑ 珠

算 二

%  

︵ 一

四 人

︶  

と な

っ て

い る

  ︵

表 六

︶ ︒

書 が

半 数

を 占

ており︑寺子屋は書が中心科目となっている︒

︵ 朗 ︶

安曇郡青島村の川船愛十が教えた教科内容は次の通りである︒

教科として習字はいろはより名頑︑村名︑国名︑諸往来等︑讃物には賓語数︑童子教より

四書女子には女今川女大挙を授け︑十露盤は八算相場割︑尚希望に依り挿花謡曲諸祀式に

師たり このように︑一人の手習師匠が一教科を教えるだけでなく︑複数の教科を教え︑中には︑五

教科を教える手習師匠も存在し︑寺子屋の教科内容は多岐に渡った︒

表六 教科比率

教 科 内 容 人 数 (人 ) 割 合 (%)

会 田 3 05 50

読 114 19

謡  曲 73 12

道  徳 16 3

礼 儀 作 法 57 9

算  数 29 5

珠  算 14 2

ー34−

︵三︶信濃国松本平における手習師匠

①手習師匠の身分

松本平の手習師匠の身分比率をみると︑武士四%︵二五人︶︑農民五一%︵三四七人︶︑

住職四% ︵二七人︶︑神職五%︵三五人︶︑医者三%︵一七人︶︑女性一%︵四人︶︑その

他一%︵六人︶︑不明三一%︵二一三人︶となっている ︵表七︶︒これにより︑松本平の

手習師匠の身分の割合は︑農民が半数以上を占めていることになっているが︑庄屋や名

主︑組頭などの村役が手習師匠となっているばかりではなく︑平百姓も︑手習師匠とし

て︑寺子屋を開いていたものも多くいた︒

表七 身分別の人数・割合

身  分 武  士

人 数 ぐ人 ) 2 5

割 合 (% ) 4

農  民 34 7 5 0

住  職 2 7 4

神  職 3 5 5

医  者 17 3

女  性 4 1

そ の 他 6 1

不  明 2 13 3 2

計 6 74 1 00

(14)

長野県下では︑農民・町人五七%︵三五〇九人︶︑武士一〇%︵五八六人︶ であった︒﹃日本教育史資料﹄調査の全国平均

では︑農民・町人が四〇%︑武士が二六%である︒手習師匠の過半数を農民が占め︑武士の割合が低いことは長野県の手習

︵ 芯 ︶

師匠の特色といえるだろう︒

手習師匠が農民の場合は︑農業や村務の仕事の合間や農閑期に教えるものが多く︑農民以外の住職や神職︑医者などの場

合もそれぞれの仕事の合間に教えているものが多い︒また︑自ら寺子屋を開いていた手習師匠もいただろうが︑村人から請

われて手習師匠となったものも多くみられた︒

②手習師匠の修学

手習師匠の修学の道筋をみると︑江戸や京都︑松本城下などで学んでいる手習師匠がいる︵表八︶︒太田耕造翁︵農民︶

へ 寄

は︑﹁壮なるに及び出で〜江戸に遊び︑経史を修め園撃を講ず︑兼て歌人井上文雄に師事して歌道に通﹂じた︒このように︑

始めから︑江戸や京都で学んでいるものもいる︒その一方で︑﹁始め松本藩儒者松原氏に就きて綬義を修め︑後出で1東都

︵ ぷ ︶

に遊び︑福澤先生に撃びて近世史の大要︑且欧米の事情を聞けり翁先生の門を酎﹂した手塚普吾翁︵農民︶ のように︑松本

35

で学んだ後に︑江戸や京都に遊学しているものもいる︒また︑務嘉伴語翁︵農民︶ は︑﹁撃を

熊本の人横川指山に︑書法を江戸の関其寧に︑謡曲を高遠の熊谷氏に︑俳詩を京師の梅窒素芯

︵ 濾 ︶

に︑挿花を松本の松露賓に撃﹂んだ︒このように︑複数の場所で学んだものもいる︒これらは︑

彼らの知識欲求が強い表れではないだろうか︒また︑武士だけではなく︑農民が土地を離れ︑

学びに行っていたということは︑注目すべきことだろう︒

表八 修学場所別

修 学 場 所 人数 (人 )

江 戸 2 7

京 都 1 7

長 崎 4

藩 学 4

松 本 城 下 7

家 庭 24

そ の他 7

(15)

このように︑外で学んだ手習師匠がいるが︑家庭で学んだものも多くいた︒市川源四郎翁︵農民・庄屋︶ は︑﹁家庭に撃

︵ 刃 ︶

びて群書を播き︑常に経書を諭して書法を善く﹂した︒このように︑家庭で学んだものたちは︑彼らの父親が寺子屋を開業

していたり︑父親が村務に関わっていたりした家庭の子どもが多い︒

③相伝・招曙の師匠

第二節第二項でも触れたが︑多くの寺子屋が一代で終わってしまったが︑寺子屋の師匠を父子孫と継いだり︑住職が代々

継いだりしていることもあった︒

︵ 棚 ︶

筑摩郡野村で農民として暮らしていた野村家では︑輿源次・輿七郎・仁十郎・輿七郎と四代も手習師匠を代々継承し︑筑

じ 川

摩郡北熊井村諏訪社の神主だった塩川家では︑吉良・吾達と二代続いている︒

また︑中には︑他地域から手習師匠を招脾している村も存在した︒左記は︑安曇郡中萱村で手習師匠を行なっていたもの

た ち

で あ

る ︒

36

岩本善十郎翁

竹内市郎兵衛翁

相馬古庭翁

近藤輿兵衛翁

宮澤茂兵衛翁

宮澤甚兵衛翁

︼ Ⅳ ︻

松本藩士

︵ 鳴 ︶

農 民

  ︹

大 庄

屋 ︺

︵ 劇 ︶

医者

︵ 亜 ︶

松本藩士

︵ 鵡 ︶

農民

︵ 4

7 ︶

農民

(16)

この六人のうち︑他地域から招脾されてきたのは︑岩本善十郎・相馬古虞・近藤興兵衛の三人で︑中萱村の手習師匠の半

数を占める︒寺子屋を行なっていた時期は不明だが︑他地域から招碑しているのは︑中萱村に手習師匠がたえずいるように

し︑村に寺子屋がない状態を作らないためだったのではないだろうか︒

二 寺子屋規定からみる庶民教育

︵一︶寺子屋規定の先行研究

さて︑今回︑寺子屋について調べていく中で︑﹁寺子屋規定﹂というものがあった︒この ﹁寺子屋規定﹂ に関する先行研

究は以下のとおりである︒

へ 綿

石川謙氏は︑篠山藩の ﹁養正斎警童子条目﹂と﹁成始斎法則﹂の二つをあげ︑これらを習字稽古のための心得としている︒

4

9

5

1

﹃愛媛県の教育史﹄︑﹃岡山藩の教育史﹄︑﹃島根県の教育史﹄にも︑寺子屋規定は載っていたが︑こういうものがあったと

いう紹介程度で終わってしまい︑分析にまで至っていない︒

﹃長野県教育史﹄では︑寺子屋の仕切り・規則は︑明文化されなくても︑師匠が慣行に即して寺子の振る舞いを律していっ

たが︑師匠も代を重ね︑寺子の数が増えていったり︑師匠を専業とする寺子屋では︑規則・綱領を成文化するようになって

いったりしたと述べている︒それを︑﹁寺子定書・寺子掟・制詞・壁書・範式﹂などといっている︒これらは︑多く学習の心

W 訊 爪

得と躾について書いているが︑学問するものの心構えを説くものもあったと述べている︒

37

(17)

︵二︶﹁今井村学問所規定﹂からみる庶民教育の内情

︑ 1

.山 ︑

筑摩郡今井村で手習師匠を行なっていた筒井庄之助満重は︑一八三九︵天保一〇︶年に﹁学林禁制之条々﹂という規定を

つくり︑それは︑二五条と奥書から成り立っている︒

﹁ 天

満 宮

感應相博学文所行事

手習子捉記之

玉 林

賓 拍

︵ 表

紙 ︶

天保十己亥年

正月大書日 此時相認申候

学林禁制之条々

︻ 1

︼                             カ ラ カ ヒ

一第一万賭ノ勝負事或者喧嘩口論争柘等堅相慎可申事

︻ ・ こ

一用事無して乱に庭へ不可出︑勿論小便者一日四度つ1︑出る時者其日に当る番仕に相断出可申事

︻ 3

︼                         ウ ワ 叶             マ ネ           ア サ ワ ラ ヒ

一我億に小歌高咄し大笑ひ人之噂惣て差出口物似口まね又者 岬 等急度相慎可申事

︻ 1

︼ 一早朝に起て手水ヲ遣ひ︑先東にむかひて神仏を拝み︑朝飯済候ハ1父母に告︑亦帰の節も右に同し可傲事

︻ 5

︼                                             ナ ト

一手習に往来路筋︑田畑之耕作物者尚以︑亦者千菜杯踏荒し所々の垣根を無理に押破り︑人之家軒場に有逢ふ棒杯振り散

(18)

ナ ケ                           り サ

し︑薪等引抜持参り散々に投打致︑甚だ見苦仕方態等不宜事

︻ 6

︼                     ズ モ ク         モ ギ ト リ

一道筋の桑椿乱に折取︑猶又樹木成等打落し椀取種々坊等不致様可相慎事

7 ︼ 一師匠之家へ参可致礼儀︑亦帰りの節も可焉同L にも不礼を不働行儀正しく可致事

︻ べ

一学文所の座跡者︑或者廻り座又者日々先乗の者5順に座頭究可申事

︻ 9

︼                                                                                         ナ ケ

一毎日ノ手習に行帰の通にて踊り狂ひ飛走︑亦者高声致︑石段︑人に悪口致間敷事

︻ 川 ︼

一番仕者古参新参二不限廻り順に致︑仲間之内こて相勤可申候事

︻ 1 1

︼                           ミ ダ り   ノ カ

一白紙者御手本清書紙より外二者乱法に仕不可︑猶又反古鹿略に致間敷候事

︻ ほ

︼                                       キ リ                                                                                                     イ サ サ カ

一手習所に於て一切刃物或者錐針釘其外紙鉄砲又者銭杯厳敷相成不申候︑若乱に持扱ふもの吟味を遂抄無之様に取上可

申候事 ︻

1 3

︼           7 ケ タ テ                           ケ サ ノ

一戸障子荒々敷開閉致︑壁柱へ墨付又ハ爪筋等︑尚又圧尺を以打榔候族相憤可事

︻ H

一手習着座二諸事相傭へ︑其上手本札寄揃素読致︑夫5修行可致候事 ︼

︻ 1 5

︼               ヒ ル ス ギ

一午前に壱度休ミ︑午後も同前︑則何れも線番半本焼候間也︑右休之内二悪作致問敷候事

︻ 1

6 ︼ 一春長閑二相成候節者昼飯過し暫く昼休ミ可致︑尤其内に碁将棋等可然候間︑何れにも心静にして学文化致事

︻ n

一七ツ時には静にして清書を致︑一同に書揃へ仕舞候ハ1相揃へ置可申出候事 ︼

︻ 1

8 ︼ 一清書不致連も乱に人之邪魔不致様にし︑一同に静にして卓机を始末可致事

︻ 1

9 ︼ 一卓机︑文庫奇麗に積重ね︑跡形附候てそうじ致可申候事

︻ 孤 ︼

一清書の義ハ手本の字形を能々空に書き覚へ︑尚亦清書の直し等相考へ︑違ひ字︑字落無之様神妙に清書可致候事

39

(19)

2

1

一清書上り候節其手本の読︑直二読終り候上者︑後ノ手本貰候時ハ空に跡手本書可申︑万一無覚束不出来に候ハ1︑空に

覚へ候迄ハ精々相考手習可致事

︻ 2

︼ 一番使机を直し︑其上に清書を揃へ置直し︑硯筆等相備へ置可申出事

▲ 瑚

一謡の節ハ席順に並ひ居て︑両手を膝に置て余所見を不致︑行儀を正して唱へき事 ▼

︻ 別

︼                                                   ノ

︑ メ

一師匠之留守の時者別て古参にて万事世話致︑新参に教ゑ︑仕制等厳敷致︑惣て新参の者へ弐廻つ1手を取指南可致事

7

一何事によらす人の所へ相不障様︑又者家之内歩行に静にして足声せさる様敦へく︑猪又客人者尚以て其外近所余所の人

来り居り候人の前を無礼に踊り通るべからす︑態勲にして一礼致遠くを隔て通るへし︑成丈ハ脇を静に通ふへき事

ノ h ノ                                                                           ノ ワ ザ       ト ノ ダ ケ

右此ヶ条者学文所之仕制也︑第一心神妙にして其身を慎ミ可嗜行儀於事肝要奈利︑依若年の仕態に依て年関以後の人柄相

顕る者也︑依て此恥を恩ひ善悪常々分別可有之︑於手習所に徒に日月をすごし手習稽古致油断︑其上不時成身拝に相成︑

′ ネ

︑         コ ノ ア タ リ                 ト カ

終にハ人々の憎を受事眼前なり︑依之其科を厳敷相改め︑掟通りに行ひ可申者也︑依て天満宮於御神前に掛心文に置き

モ ノ ロ モ ウ

奉捧誓約行事可致候︑萄盛葬に聞怠る則者生涯其神罰不可通る︑可恐々々一事云

︵ 以

下 省

略 ︶

40

この ﹁学林禁制之条々﹂は︑一八四五︵弘化二︶年に清書して︑天満宮祭に神前に捧げ︑誓約行事を寺子とともに行なっ

︵ 封 ︶

て い

る ︒

全二五条から成り立っているこれら条項は︑︵1︶ 日常生活の決まり ︵条項︻1︼・︻3︼・︻4︼・︻5︼・︻6︼・︻9︼・

︻ 1 3

︻ 2 5

︵ 2

︶ 寺 子 屋 生 活 の 決 ま り

︻ 2

︻ 7

︻ 8

︻ 1 0

︻ 1 2

︻ 1 5

︻ 1 6

︻ 1 8

︻ 1 9

︻ 2 2

︻ 2 4

︵ 3

(20)

学習上の決まり︵︻11︼・︻田︼・︻17︼・︻20︼・︻21︼・︻23︼︶ と内容ごとに三 つに分類することができる︒寺子屋で学んだり︑生活したりするための決 まり以外にも︑日常生活の決まりまで規定しているのが非常に興味深い︒

この ︵1︶ 日常生活の決まり︑はa習慣︵条項︻1︼・︻3︼・︻4︼・︻5︼・

︻6︼・︻9︼・︻13︼︶ とb作法︵条項︻25︼︶ の二つに分類することができ

る︒

︵三︶寺子屋規定の比較検討

①他の寺子屋規定

この今井村の ﹁学問所規定﹂以外にも︑岡田町︑林村︑浅間村︑池田町

の手習師匠が作った﹁寺子屋規定﹂がある︒

筑摩郡岡田町番所で寺子屋を開いた所要之助は︑一八一三 ︵文化一〇︶

︵ 5

年に﹁寺子屋規定﹂を作成している︒この ﹁寺子屋規定﹂も︵1︶ 日常生

活の決まり ︵a習慣︑C道徳︶︑︵2︶寺子屋生活の決まり︑︵3︶学習上

の 決

ま り

に わ

け る

こ と

が で

き る

  ︵

表 九

︶ ︒

︼ 照 ︻

筑摩郡林村の ﹁学問所定め﹂は︑一八二九 ︵文政一二︶年に作られた︒

この規定は︑日常生活の決まりはなく︑︵2︶寺子屋生活の決まり︑︵3︶

衷九 岡田町の寺子屋規定

① 日常 生 店 の決 ま り a 習 慣

日 々終 始 別 て静 譜 た るへ き事

付  往 来 の道 中 随 分静 誼 に 致 し、 若 し心 得 違 い の者 これ有 り騒 笥 な と 企 て候 と も一 向取 合 は ず して、 其 趣 相 届 け 申 す べ き事

C 遺 徳 徳 義 を 第一 と して平 日柔 和 た る へ き事 先 学 は後 学 を書 き 善道 に導 くべ き事

② 寺 子 屋 生 店 の決 ま

声 高高 芙堅 く停 止 の 事  付  稽 古 の 題 詩 会 候 儀 は格 別 、 其 外 雑 談 無 用 の事

来 帰 の時 節 は 勿 論、 拠 無 く他 出 候 節 は、 吃 度 面 謁 有 る べ き事  付  出 人 の節 は用 礼 致 すべ し、 持 参 非 雑 用 の節 境 外 へ 出 す べ か らざ る事 り 初 学 校 及 び途 中 二て も高 書 一 切 停 止 の事  付  礫 粒 堅 く これ 無 き事

昼 食 の外 樹 葉 の楽 持 参 、 堅 く停 止 の事  付  翫 の類 持 参一 切 無 用 の 事 初 学 佼 及 ひ途 中 こ て も売 買 ハ 勿 論 、 替 換 堅 く停 止 の事  付  余 儀 な く 売 買 替 換 し度 儀 、 こ れ有 る節 は即 二 届 け 申 す へ き事

( 診学 習 L の決 ま り

手 習 井 読 書 統 て稽 古 の 類 、 出 精 専 一 の 事 、 付  仕 度書 こ れ無 き 内 ハ 活 書 堅 く無 用 た る べ く、 且 つ 昼 前 後 共 二八 冊 宛 の 讐 紙 吃 皮 相 い習 い 申 す べ き事

手 本 数 及 ひ三 拾 枚 は相 届 申 す べ き事  付  臨 事跡 雷 の事

註)原文にあたれなかったため、註55)『松本市史研究』に掲載された通り書き下し文のまま引用。

−41−

(21)

学習上の決まりの二分頬ができる ︵表十︶︒

▼ 1 い

筑摩郡浅間村の手習師匠だった二木道悪は︑一八五四 ︵嘉永七︶年に﹁手習制詞壁書﹂を作

成している︒この規定も ︵1︶ 日常生活の決まり︑︵2︶寺子屋生活の決まり︑︵3︶学習上の

決まりの三つに分類することができる ︵表十一︶︒︵1︶ 日常生活の決まりは︑a習慣︑C遺徳

に分類することができる︒奥書では︑寺子屋で学ぶ子どもたちに対しての心得と手習師匠自身

に対しての心得が述べられている︒

﹁ 誠 ︶

安曇郡池田町で手習師匠を行なっていた内堀氏もまた︑﹁学文所捉﹂を作成した︒この規定

も︑︵1︶ 日常生活の決まり︵a習慣︑C道徳︶︑︵2︶寺子屋生活の決まり︑︵3︶学習上の決

まりに分類することができる ︵表十二︶︒ただし︑︵2︶ の寺子屋生活の決まりに書かれている

ことは︑寺子屋生活だけでなく︑日常生活に対してもいえることが多くある︒

このように︑林村を除く三地域は︑いずれも今井村の ﹁寺子屋規定﹂と同じ分類をすること

ができ︑共通した特徴をもっている︒これらの規定には︑日常生活の決まりが必ず存在し︑し

かも日常生活の狭まりが書かれている条項が多いことから︑日常生活の狭まりについて︑寺子

屋では重視していたのだろう︒

表十 林村学問所定め

②寺子屋規定の比較

第一項でみた寺子屋規定には︑それぞれ似たようなことが書かれている部分がある︒ここで

② 寺 子 屋 生 店 の決 ま り

学 問 所 二而 高 音 高 笑 或 ハ 喧言 花口 論 物 々 売 買 契 約 貰 引 堅 相 慎 へ く候 帰 り候節 道 二 而 随 分 お とな し く して う た ひ手 本 之 よ み を よ み 田畑 等 踏 荒 さ ざ る様 二可 帰 事

③ 学 習 上 の決 ま り

毎 日朝 五 ッ時 致 着 机

文 匝 ヲ直 し水 を 汲 向 机 二墨 ヲ摺 小 昔 二 而唱 を よ ミ五 札宛 習 候 ハ 、 暫休

此 間 二札 を廻 シ大 便 小便 或 ハ 無 水 候 ハ 、 水 を 改 札廻 り仕

坦 候 ハ 、早 々 華 を 取 中 音 二而 習 五 札 ソ、 習 候 ハ 、 昼 支 度 い た し暫 休 又 々 昼前 之 通 りこ 習 清書 ヲ出

七 ソ時 仕廻 古 山 よ り順 二 直 り謡 を うた ひ 朝 着 順 に可 帰 事

−42−

(22)

表十一 浅間村の手習制詞壁書

① 日常 生 活 の決 ま り a 習 慣

好 閑 静 相 撲 楽 無 益 遊 興 事 客 来 則 摺 空 墨 不 致 給 仕 事 於 辻 小 路 致 縄 張 令 累 往 来 之 人 事

C 道 徳

不 達 文 筆 而 諸 道 終 不 得 自由 事 不 弁 我 手 之 善 悪 不 正 誹 言 事 我 悪 筆 之 拙 如 知 之 亦 可 為 同 前 事 企 過 言 両 説 以 樺 礫 傷 身 事 先 人 之 筆 致 雑 言 剰 笥 権 柄 事 嫌 賢 友 愛 野 夫 習 悪 知 恵 事 羨 器 用 而 不 可誹 劣 事 長 山 野 海 辺 殺 生 忘 毛 雑 事 迷 己器 量 就 諸 芸 嘲 友 達 事 不 弁 起 居 躾 方 持 身 自堕 落 事

② 寺 子 屋 生 活 の 決 ま

少 年 之 輩 不 礼 敬 居 座 席 事 長 年 之 族 僻 怠 僻 虐 初 心 之 児 事 鼻 紙 令 投 倒 机 文 庫 極 放 均 事 り 師 匠 之 居 席 障 子 以 下 破 壊 瑚 墨 事

令 忘 却 師 匠 之 厚 恩 猥 礼 儀 事 好 強 戯 不 能 師 敬 令 緩 怠 事

③ 学 習 上の 決 ま り

軽 学 問 重 私 遊 不 恐 師 命 慰 事 不 知 手 之 分 際 或 色 紙 或 楽 書 事 墨 筆 紙 等 己 過 分 而 膚 書 見 苦 事 山 家 社 人 専 令 近 習 一 字 成 共 可 学 事

奥 書

子 と もた ち に 対 して

手 習 学 問 を 嗜 事 は幼 稚 之 時 急 務 た る間 専 可 破 執 行 事 第 一 也 可書 事 無 精 力 而 は不 可 有 上 達 候

幼 少之 時 よ り筆 の 正 しき流 を な らひ 仮 初 に もあ し き手 本 を学 ふ へか らす 華 は書 手 の 好 に した か ひ 手 ふ りハ 善 悪 の 僻 に よ る とい う事 実 哉 愛 以 華道 執 心 之 人 は愛 能 書 日用 を足 迄 之 人ハ 手 本 を 不按 の由 申 伝 ゆ る也 欲 知 筆 の 心 は先 其 師 の 流 儀 に叶 ひ筆 を 究 め 随 分 そ の 手 筋 を可 知 事 也 己 に勝 れ る師 匠 を 好 み 我 に 劣 れ る手 本 を 不 好 は生 得 お と な し き児 な り 一 期 一 巻 を 守 る身 に不 限 華 道 嗜 み な くて 諸 道 成 就 しか た し

先 我 手 の善 悪 を 可知 給 に は 筆 垢 な く して 優 な る時 は 好 と恩 ふ へ し いか 程 習 ふ と云 と も早 筆 に して墨 色 出 さ る 時 は 己 か 習 ひ の た ら さ る と し るへ し

L は ら く も間 断 な く情 を出 して習 ふ と 叉手 習嫌 ひ に して 師 を 欺 く謀 略 之 輩 邪 の あ そ ひ に時 刻 を 移 す 横 着 の振 舞 な らひ た る ふ りを 先 為 に 机 に 寄 か ゝ り反 古 に墨 を塗 事 有 之  如 此 之 境 を能 ゝ穿 賀 して 不 行儀 を 正 し き手 脚 貌 衣 装 の よ これ た る に ま か せ て 竹 箆 の 沙 汰 あ るへ し

師 匠 に対 して

朝 夕 指 南 して 人 の 憎 さむ 遠 慮 を 廻 ら し其 児 に 随 て 教 え ら るへ き也 諸 道 嗜 事学 問 精 力 な く令慨 怠 別 は世 上 之 輩 に 破 批 判 事 可 多 之 仁 義 礼 智信 を も不 弁 して は 生 應 危 事 な るへ し

精 に 入 て 手 の 宜 か らぬ は恨 な し油 断 を構 て無 筆 同 然 た る 事其 欺 ふ か し 然 ハ 善 悪其 意 を 不 可 免

氏 姓 生 長 を 分 別 して 恥 を 可 知 事 専 要 也

無 益 の 遊 に 日用 を か まへ 手 習 慣 怠 か ち に して 師 匠 を 嘲 る輩 に 朝 夕 を 養 ひ 衣 装 を着 せ て 育 事 無詮 哉

既 に 人 並 に 支 離 な らす 生 れ 来 て 徒 に送 年 月 己 か名 を も不 見 分 公 界 に 恥 を か く事偏 に 可 口 惜 次 第 也

ー43−

(23)

表十二 池田町学文所掟

( 9 日常 生 店 の決 ま り a 習 慣

宿 元 二而 茂 向 父 母 に師 匠 同 意 二朝 夕 一 礼 不 怠 可 中 上候 事 手 習 の 日ハ 不 申及 下 参 候 て 致 成 長 候 共 博 突 竪 停 止 二候

C 道 徳

父 をハ 天 の こ と く可 拝 母 をハ 地 の こ と く大 切 に可 致 兄 をハ 親 の替 り と可 恩 ふ 弟 をハ 己か 子 と思 ひ可 憐 む 師 匠 ハ 日月 の 如 く可 敬

他 人 ハ 剃 刀 を懐 江 滴 れ るか 人 ゝの 気 に 応 而 附 合 可 致 事

無情 二而 成長 巳後師 匠併 二親 を不可 恨 ミ様 二若 輩之 内に教戒 を相 守出憎 之事 日 ゝの 休 息 こ も無 益 の遊 徒 に送 光 陰 を 申 間 敷 候

( 診寺子 屋 生 痛 の 決 ま

寺 庄 朝 夕 登 下 の 節 一 礼 急 度 可 申 上 候

手 習 友 達 は肉 縁 の兄 弟 に同 し  古 山 ヲハ 兄 と可 敬  新 山 を 弟 と して 可 憐 む  一 生 之 間 睦 敷 無 隔 意 互 二厚 志 二 可 敬 事

初 登 山 の 子 供 バ ー 年 の 内 万端 宥 免 の 事 喧  口 論 徒 党 の 者 有 之 ハ 古 山 の 不 屈 二 相 椿 事 於 学 文 所 に高 声 大 笑 投 打 之 類 接 に 飛 走 禁 制 之 事

春 夏 休 息 一 日 二二 度 秋 は一 度 掛 こ境 内 よ り外 へ 罷 出 不 可 遊 事 毎 月 十 五 日不 怠 登 山 跡 習 空 読 終 日吟 味 仕 合 可 習 事

毎 月 極 月 跡 書 申 附 る間 常 ゝ心 懸 ヶ油 断 仕 間 敷 革

毎 月 廿 五 日天 神 講 不 残 無 償 怠 打 寄 大 切 に相 勤 可 申  若 無 拠用 事 有 之 ハ 仲 間 之 者 江 相 頼 ミ通 し可申 候  漫 に不 相 成 様 二心 懸 疎 に 不可 致  其 日 ハ お とな し く可 遊 事

古 山 の もの 新 山 之 者 二 日に 一度 宛教 へ へ き事

向 師 匠 二 用 事 等 二乍 立 申 上 ヶ答 へ鹿 言 不埼 無之 様 二 急 度 可慎候 古山 の もの学文所 仕舞次 第毎晩 掃除 可致  若不参 候ハ ゝ次席 の もの可動仕 事 古 山 の もの 留 主 ニハ 師 匠 二成 替 り世 話 役 申付 る間 何 二 而 茂利 非 を 勘 弁

して 常 ゝ長 敷 心 得 肝 要 之 事

新 山年 下 之 もの 二 は常 ゝ何 二而 も加愛 憐 を 遺 す か らも睦 敷往 行 可 致 侯事 り 古 山 之 者 師 匠 留 主 二新 山 年 下 の もの を非 道 之 修 底 仕 掠 申 問敷 随 分 深 切

ニ 指 南 可 申 候 事

師 匠 留 主 ニハ 古 山の 申儀 背 申 間 敷 師 匠 同 意 二心 得 口答 杯 甚不 時 二 候 面 ゝの 身 ノ為 二 俣 故 長敷 可相 嗜候 事

師 匠 留 主 二 而 猥 に騒 き 申候 もの ハ 台 所 へ 差 出 し習 せ 可 申候  尤 新 山 こ ハ 古 法 の 道 理 を 得 と言 聞 せ長 敷 い た し候 様 二教 訓 可 致 候 事

紙 等 切 散 し戸 障 子 壁 に落 書 或 ハ 小 刀 細 工 友 達 の妨 仲 間 の座 へ入 込 落 書 互 二悪 口 相 押 杯 於 有 之 は先 達 の もの 不 屈 二 相 定 る事

朝 晩 寺 江 出 入 之 節 往 還 道 筋 二 而 耕 作 の 中 へ 不 可入 或 ハ 途 中 二而 木 登 石 杯 二落書 或 闘 繹 或 ハ 川 場 り長 遊 不走 不 狂 神 妙 二可 致

仲 間之 留 主 二 而文 庫 を古 山江 も無 断用 事 有 之 とて も猥 二開 き申間 敷 候事 於 学 文 所 二 何 二 而 茂 紛 失候 ハ 、 古 山 の もの へ 相願 詮 議 可 致 候事 於 手 習所 二通 貨 倍 貸無 用 に候

庭 江 草紙 千 に 壱 人 宛 参 可 申候  双紙 ヲ名付 に長 遊 ひ停 止 之 事 脱 水 政 ハ 新 山 年 下 之 もの に汲 せ 申間 敷 古 山年 重 政 可 申事 大 小 便 に 参 り候 節 皆 ゝ相心 得 手 洗 を退 ひ寄 麗 こ可 致 候 事 従 他 所客 御 出 手 習 場 へ 破参 候 ハ ゝ皆 ゝ一 礼可 申 伸候

御来客 有之節 ハ別而 不行 儀無之様 二互 こ 申合 猶又 古山 の もの気 を付 ヶ可 申候

③ 学 習上 の 決 ま り

先 向 机 に 心 静 に して 硯 に水 を滴 れ墨 を摺 手本 を能 ゝ見合 可 習事 学 文 仕 舞 七 ツ時 清 書 い た し可 申候  直 シ請 揃 次 第 に双 紙 に不 依 何 ニ テ

も大 切 に不 取 散 片 付 静 に帰 可 申 候事

清 書 不 致 小 供 ハ 直 し請 揃 迄 ハ 急 度 不 乱 座 を相 習 可 申  若 飛 走 候 得 ハ 清 書 之 もの心 散 乱 二柏 成 候 間密 に可 致 事

毎 月 廿 五 日 目 ゝの休 息 二茂 寄 合 古 山 の も の先 輩 よ り相 並 ひ古 山之 内 こ 奥嘗

而 仲 間江 読 聞 せ 猥 り ヶ間敷 無 之 様

師 匠 之 留 主 こ は古 山 新 山 惣 し而 不 届 き有 之 ハ 師 匠 帰 り次 第 仲 間 よ り急 度 其 沙汰 可 訴 出

此 制 禁之 旨 古 山 能 ゝ相 心 得 無 断 絶 可中 間  若 不 相 守 ハ 師 匠詮 義 之 上 厳 垂 之 答 申 付 候 問 依 事 品 ゝ候 得 ハ 無拠 親 江柏 断 無 余 義 下 参 も為致 申候

一44一

(24)

は︑その共通部分をとりあげていく︒

︹ 往来に関する禁止事項

ナト ・手習に往来路筋︑田畑之耕作物者尚以︑亦者千葉杯踏荒し所々の垣根を無理に押破り︑人之家軒場に有逢ふ棒杯振り散

ナ ゲ                     り サ

し︑薪等引抜持参り散々に投打致︑甚だ見苦仕方態等不宜事      ︵今井村学問所規定︶

ズ モ ク             モ ギ ト リ

・道筋の桑椿乱に折取︑猶又樹木戒等打落し椀取種々坊等不致様可相慎事       ︵今井村学問所規定︶

・︵省略︶往来の道中随分静譜に致し︑若し心得遠の者これ有り騒笥など企て候とも一向取合はずして︑其趣相届け申す

べき事       ︵岡田町寺子屋規定︶

・︵省略︶帰り候節道二而随分おとなしくしてうたひ手本之よみをよみ田畑等踏荒さざる様二可帰事 ︵林村学問所定め︶

・於辻小路致縄張令累往来之人事      ︵浅間村手習制詞壁書︶

・朝晩寺江出入之節往還道筋二而耕作の中へ不可入或ハ途中二而木登石杯二落書或闘鐸或ハ川堰り長遊不達不狂神妙二可

致︵省略︶      ︵池田町学文所綻︶

往来では︑静かにすること︑また︑田畑の中に立ち入って︑荒らしたり︑作物や木々を荒らしたりしてほいけないことな

どが述べられている︒

︹ 二

︺  

物 の

持 込

や 売

買 の

禁 止

キ リ                                                                             イ サ サ カ

・手習所に於て一切刃物或者錐針釘其外紙鉄砲又者銭杯厳敷相成不申候︑若乱に持扱ふもの吟味を遂妙無之様に取上可

45

申候事

︵ 今

井 村

学 問

所 規

定 ︶

(25)

・昼食の外樹菜の楽持参︑堅く停止の事

付 翫の類持参一切無用の事

・初学校及び途中こても売買ハ勿論︑替換堅く停止の事

付 余儀なく売買替換し度儀︑これ有る節は即二相届け申すべき事

・︵省略︶物々売買契約貰引堅相慎へく候︵省略︶

・於学問所二何二而茂紛失候ハ1古山のものへ相願詮議可致候事

・於手習所二道貰借賃無用に候︵省略︶

︵ 岡

田 町

寺 子

屋 規

定 ︶

︵ 岡

田 町

寺 子

屋 規

定 ︶

︵ 林

村 学

問 所

定 め

︵ 池

田 町

学 文

所 掟

︵ 池

田 町

学 文

所 掟

寺子屋では︑刃物や銭︑菓子類︑玩具などをもってきてはいけない︒もし︑寺子屋でものかなくなた場合は︑届け出なけ

ればならない︒また︑ものの売買や交換をもしてはいけないことが述べられている︒

46

︹ 三

︺  

物 の

扱 い

ア ケ タ テ                                         ケ サ ノ

・戸障子荒々敷開閉致︑壁柱へ墨付又ハ爪筋等︑尚又圧尺を以打榔候族相慎可事

・卓机︑文庫奇麗に積重ね︑跡形附候てそうじ致可申候

・番使机を直し︑其上に清書を揃へ置直し︑硯筆等相備へ置可申出事

・初学校及び途中こても落書一切停止の事

付 礫類堅くこれ無き事

・貪紙令没倒机文庫極放時事

・師匠之居席障子以下破壊欄墨事

︵ 今

井 村

学 問

所 規

定 ︶

︵ 今

井 村

学 問

所 規

定 ︶

︵ 今

井 村

学 問

所 規

定 ︶

︵ 岡

田 町

寺 子

屋 規

定 ︶

︵ 浅 間 相 手 習 制 詞 壁 書 ︶

︵ 浅 間 相 手 習 制 詞 壁 書 ︶

参照

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