吉 村 拓 三
は じめ に
文 革 期 に は さ ま ざ ま な 政 策 ・ス ロ ーガ ン が 打 ち 出 され た が,そ の 基 底 に 一一貫 して 流 れ て い た の は 「破 私 立 公 」 す な わ ち 「私 」 を 打 ち破 り 「公 」 を 樹 立 す る とい う思 想 で あ っ た 。 「私 」 は 諸 悪 の根 源 で あ り,「 公 」 は マ ル ク ス ・レ ー ニ ン主 義,毛 沢 東 思 想 の 精 髄 で あ る と宣 伝 され,強 調 され た 。 と こ ろが,建 前 と して の 「公 」 が 強 調 され れ ば され る ほ ど現 実 に は 「私 」 が 増 大 す る,つ ま り,「公 」 と 「私 」が 逆 転 す る現 象 が しば しば 出 現 した よ う に 思 わ れ る 。
本 論 文 で は,『 文 革 期 に お い て 「公 」 と 「私 」 が 逆 転 した 』 とい う事 象 に 着 目 して,ど の よ うな 形 で 「公 」 と 「私 」 が 逆 転 した の か,な ぜ 逆 転 が 起 き た の か を分 析 す る こ とを 通 じて,文 革 期 の 中 国 に お け る 「公 」 と 「私 」 の 位 相 を 提 示 す る こ と と した い.こ こ で 「逆 転 」 とは,① 「公 」 を 強 調 す れ ば す る ほ ど 「私 」 が 盛 ん に な る 。 ② 「公 」 が や る べ き こ とを 「私 」 が 代 行 して や る こ と に な る。 ③ 建 前 と し て の 「公 」 が 大 き い ほ ど実 際 の 「私 」 が 多 くな る よ うな 形 で 出現 す る 現 象 を い う。
そ の前 提 と して,1で は,中 国 にお け る 「私 」 と 「公 」 の概 念 を 説 明 し た 後,「 私 」 と 「公 」 を定 義 す る。Hで は,文 革 期 に お け る 「私 」 に 関 す る 用 語 の 出 現 頻 度 を統 計 的 に把 握 し,皿 で は,逆 転 の 諸 形 態 を分 析 し,IVで は,文 革 期 に 逆 転 が 起 こ っ た 原 因 を考 察 す る こ と と した い 。
中華 人 民 共 和 国 に お け る 「私 」 と 「公 」 に 関 す る 先 行 研 究 に は 溝 口雄 三 が あ り,中 国 明 末 清 初 か ら清 末 民 国 初 期 に 重 点 を置 い て 「公 」 と 「私 」 の 概 念 の あ り よ うを考 察 した 労 作 で あ る 。〔')研究 対 象 の 時 代 か らい って 当然
(1)溝 口 雄 三 『中国 の 公 と私 』,研 文 出版,1995年 。
の こ とな が ら民 国 中 期 以 降 中 華 人 民 共 和 国 に い た る 時 期 は 言 及 され て い な い 。
文 革 期 の 「私 」 と 「公 」 に つ い て は,楊 麗 君 が ユ ニ ー ク な観 点 を 提 示 し て い る。(2)彼 女 は,紅 衛 兵 や 造 反 派 組 織 に お け る派 閥 形 成 の メ カ ニ ズ ム と そ れ らの 間 で 発 生 した 集 団暴 力 の 背 景 を,社 会 主 義 体 制 が 構 築 され て 私 的 領 域 が ほ ぼ 消 失 した 中国 に お け る,国 家 と社 会 の 間 の 公 的 領 域 を 舞 台 と し た 公 民 権 を め ぐる配 分 ・獲 得 競 争 と して 位 置 づ け る。 しか し楊 の 著 作 で は, 私 的 領 域 が す で に な くな っ て い る の に,な ぜ 文 革 期 に あ れ ほ ど 「公 」 が 宣 伝 され,「 私 」 が 排 斥 され た か は説 明 して い な い 。
1中 国 に お け る 「私 」 と 「公 」 の 概 念
溝 口雄 三 に よれ ば,「 私 」の 原 義 は,戦 国 時 代 末 期 か ら後 漢 に か けて の 資 料 で み る と,「 自環 す な わ ち 自 ら囲 む 」 の 意,ま た 「姦 邪 す な わ ち よ こ し ま 」 の 意 で あ る。 「公 」 は,① 「背 私 す な わ ち 囲 い こみ を 開 く」 の 意 で あ り,「 衆 人 と共 す る,通 じる 」 意,さ らに 「平 分 す な わ ち 公 平 ・均 分 」 の意 を 持 つ 。 ② 「衆 人 の共 同 作 業 場 ・祭 事 場 お よび そ れ を 支 配 す る 族 長 」 さ ら に 「君 主 や 官 府 な ど支 配 機 構 」 を 意 味 す る 。 した が って,中 国 の 「公 」 と
「私 」 は 原 義 的 に は 背 反 の 関 係 に あ り,そ の背 反 に は 善 ・悪,正 ・不 正 の倫 理 性 が あ る 。 また 「公 」 につ い て は ① の方 が 価 値 的 に 優 位 で あ る 。
つ ま り,「 公 」 は 公 平,「 私 」 は か た よ り ・よ こ し ま とい う道 義 的 な 背 反 ・ 対 立 を含 む 概 念 で あ る 。(3)
仁 井 田 陞 に よれ ば,中 国古 代 以 来 の思 想 で は,儒 家 ・法 家 を とわ ず,公 は 私 に対 して 比 較 に な らな い ほ ど高 い 評 価 が 与 え られ て い た。公 は公 直(公 正 で ま っ す ぐ)・公 平 の 公 につ らな り,私 は 私 曲(自 分 勝 手 な不 正)の 私 に つ ら な る 。 しか も私 自身 の支 配 領 域 が 確 立 して い な い た め に,家 族 を越 え た 一 般 社 会 の 生 活 の うち で も 自他 の 支 配 区 分 限 界 が 不 明 瞭 で あ った 。 自分 と他 人 の 固 有 の 支 配 領 域 は 侵 し侵 され が ち で あ っ た 。(4)溝口,仁 井 田両 氏
(2)楊 麗 君 『文 化 大 革 命 と中 国 の 社 会 構 造 』,御 茶 の 水 書 房,2003年 。 (3)溝 口 雄 三,前 掲 書,3,4,7,43,47‑48頁 。
(4)仁 井 田 陞,『 中国 法 制 史 研 究 法 と慣 習 ・法 と道 徳 』,東 京 大 学 出 版 会,1991年,530,576頁 。
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の 説 明 で は,中 国 に お い て は,「 公 」 は 非 難 され るべ き要 素 は な い の に,
「私 」 は 非 難 に 値 す る ウ ェ イ トが 極 め て 高 い こ とが 指 摘 さ れ て い る。
ハ ー バ ー マ ス に よれ ば,私 的 領 域(民 間 領 域)と 公 的 領 域 の 分 割 線 は, 国 家 と社 会 の 間 に 引 か れ る,国 家 は 公 権 力 の 分 野 で あ り,社 会 は 私 人(民 間 人)の 生 活 圏 で あ り,市 民 社 会 と家 族 の空 間 か ら構 成 され る,と す る。(5)
ハ ー バ ー マ ス に 限 らず,西 洋 諸 国で は,「 私 」 も 「公 」 も善 悪 の 価 値 判 断 か ら中 立 的 な 意 味 を 持 つ 。 い っ ぽ う前 述 の ご と く伝 統 中 国 で は,「 私 」 と
「公 」 に は 価 値 の 高 低 が 与 え られ て い る 。 本 論 文 で は,「 私 」 と 「公 」 につ い て 価 値 中 立 性 に基 づ い て 論 ず る こ と と した い 。よ っ て本 論 文 にお い て は,
「私 」 とは 私 人(民 間 人)の 領 域 に 属 す 思 想 的 ・制 度 的 ・物 的 存 在,「 公 」 とは 公 権 力 の 場 に属 す と こ ろ の 思 想 的 ・制 度 的 ・物 的 存 在 と定 義 して お く。
皿 「私 」 に関す る用 語 の出現頻度
文 革 期 に お け る 「私 」 に 関 す る 言 説 の量 を 把 握 す る た め に,現 在 も っ と も資 料 の 収 容 量 が 多 く,か つ 電 子 検 索 が 可 能 な 『文 革 デ ー タ ベ ー ス 』(6)を 利 用 して,「 私 」に 関 す る用 語(私 とい う文 字 を含 む 言 葉)の 出 現 頻 度 を概 観 す る。
『文 革 デ ー タベ ー ス 』 に収 録 され た1966年 か ら76年 ま で の11年 間 に わ た る文 献 総 数4021件 の うち 「私 」 に 関 す る 用 語 が 現 れ る 文 献 数 を 検 索 し た 結 果 は 第1表 の とお りで あ る 。
(第1表 「私 」 に 関 す る 用 語 の 出 現 頻 度(『 文 革 デ ー タ ベ ー ス 』 よ り筆 者 作 成) 上 部構 造 に 属 す 「私 」 の 関連 用 語 下 部構 造 に属 す 「私 」 の 関連 用 語
私 心121件 私 下11件 私有制50件
私 自89 私 憤10 私有財産6
自私 自利23 私欲2 私有化2
私利23 私情1 私 有経済1
私分14 計294(83.3%) 計59(16.7%)
*上 表 に 掲 載 され た 「私 」 の 関連 用 語 が 文 献 の 文 章 中 に一 度 以 上 出 現 す れ ば,文 献 数1件 とカ ウ ン トした
(5)ハ ー バ ー マ ス 『公 共 性 の 構 造 転 換 』,細 谷 貞 雄 訳,未 来 社,1973年,46,49‑50頁 。 (6)宋 永 毅 主 編,TheChineseCulturalRevolutionZ)atabase『 中 国 文 化 大 革 命 文 庫 光 諜 』,中 文 大 学
出 版 社(香 港),2002年 。(以 下 『文 革 デ ー タ ベ ー ス 』 と い う)
「私 」 に 関す る 用 語 の現 れ る文 献 数 は353件 で,そ の 内 訳13項 目の うち 政 治 ・思 想 ・文 化 な ど上 部 構 造 に 属 す る の は,9項 目,文 献 数 は294件
(83.3%),経 済 分 野 の 下 部 構 造 に属 す る の は私 有 制 ・私 有財 産 ・私 有 化 ・私 有 経 済 の4項 目,59件(16.7%)で あ る。 上 部 構 造 に 属 す る用 語 は す べ て 貝乏義 で あ る 。 「私 心 」(自 分 の利 益 の み を考 え る 心),「 私 自」(自 分 だ けで 勝 手 に),「 自私 自利 」(利 己 主 義),「 私 利 」(一 身 一 家 の 利 益),「 私 分 」(偏 っ て 不 公 平),「 私 下 」(こ っそ り),「私 憤 」(個 人 的 な利 害 に よ る怒 り と憤 り),
「私 欲 」(自 分 だ け利 益 を得 よ うとす る心),「 私 情 」(個 人 的 な 情 実)。 「私 」 に 関 す る用 語 の うち,上 部 構 造 に 属 す る 用 語 が8割 を越 え て い る 。 こ の デ ー タ か らみ る と,文 化 大 革 命 は そ の 「文 化 」 の 名 前 が 示 す よ うに 上 部 構 造 にお け る 政 治 運 動(キ ャ ンペ ー ン)で あ る色 彩 が 強 い こ と,ま た 文 革 期 に は,上 部 構 造 に お け る 「私 」 に 関 す る批 判 的 言 説 が 顕 著 で あ った こ とが わ か る。
シ ュ ラ ム は,な ぜ 「プ ロ レ タ リア 『文 化 』 大 革 命 」 な の か,に つ ぎ の よ うに答 え る 。 レ ー ニ ン に よれ ば 「資 本 主 義 社 会 の 階 級 は 生 産 関 係 の な か に あ る」 が,毛 沢 東 に よれ ば 「社 会 主 義 社 会 で は 階級 は イ デ オ ロギ ー お よび 文 化 の領 域 に あ る」。毛 沢 東 は 一 貫 して 文 化 大 革 命 の 「革 命 」は 文 化 領 域 に あ る こ とを 強 調 した,と い う。(7>
第1表 の デ ー タ とシ ュ ラ ム の 説 明 を敷 衛 す れ ば,文 革 の 発 動 者 か つ 推 進 者 た る毛 沢 東 の 主 観 的 意 図 は,文 革 は文 化 領 域 に お け る運 動 で あ って,私 有 財 産 と公 有 財 産 の 対 立 よ り も,私 心 と党 ・国家 の た め の 心 との 対 立 を強 調 して い る 。 さ らに 上 部 構 造 の 「私 」 の 関 連 用 語 が ほ とん ど貝乏義 で あ る こ
とは,文 革 期 にお い て,文 化 の領 域 に お け る 「私 」が 忌 む べ き 存 在 と され, 批 判 弾 圧 され た 情 況 の 証 左 に な り うる と思 わ れ る。
皿 文革期 に おけ る 「公 」 と 「私」 の逆転事 象
文 革 期 に お け る 「公 」 と 「私 」 の 逆 転 に 関 す る事 象 の 時 期 区 分 は 第2表 (7)StuartSchram.,"MaoTse‑tung'sThoughtfrom1949‑1976",RodericMacFarquharandJohnK.
Fairbanked.,TheCambridgeHistoryofChinaVolume15,Cambridge:CambridgeUniversityPress, 1991,p.89,93.
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の と お り で あ る 。
(第2表 文 革 期 の 「公 」 と 「私 」 の 逆 転 事 象 一 覧(時 期 別)[筆 者 作 成 〕) 時 期 「公 」 と 「私 」 の 逆転 事 象 運動 の実行者 ス ロ ー ガ ン ・事 件 1期
1966/5‑67/1
・「公 」 か ら 「私 」 へ独 裁 権 (刑事 制 裁 の権 限)の 譲 渡
・老紅 衛 兵
・造反 派 紅 衛兵
・四 旧打 破 ・破私 立 公
・抄 家,私 設 公 堂,牛 棚, 私 的 監獄
r【 期 1967/1‑68/3
・指 導 者 お よび 大 衆 の 「公 」 を掲 げ て,「私 」を 追 求す る 言 行 不 一 致
・造反 派 紅 衛兵
・造反 派 労働 者
・闘 私批 修
・奪権 ・大 連 合
・軍 事管 制
皿 期
1968/3‑71/9
・強 者 と弱 者 に よる 「公 」と
「私 」 へ の対 応 の 差
・党 ,国 家 に指 導 され た 工 農兵
・革 命 隊列 の 純潔 化運 動
・革 命委 員 会 の成 立
・紅 衛兵 の農 村 下放
1.文 革 期 の 時 期 区分
1981年6月27日,中 国 共 産 党 第 十 一 期 中 央 委 員 会 第 六 回 全 体 会 議(第 十 一 期 六 中 全 会)に お い て 採 択 され た 「建 国 以 来 の 党 の 若 干 の歴 史 的 問題 に つ い て の 決 議 」(以 下 『歴 史 決 議 』 と い う。)は 文 革 を1966年5月 か ら 1976年10月 に至 る 期 間 とす る。 そ して 第 一 段 階 を1966年5月(文 革 発 動)か ら1969年4月(九 全 大 会)。 第 二 段 階 を1969年4月 か ら1973年8 月(十 全 大 会),第 三 段 階 を1973年8月 か ら1976年10月(四 人 組 逮 捕) に 区 分 して い る。
こ の 時期 区 分 は 日本 の 文 革 研 究 者 た とえ ば 矢 吹 晋 な ど も踏 襲 して い る 。(8) しか し,「 歴 史 決 議 」 の 区 分 も,国 分 良 成 教 授 の 指 摘 さ れ る よ うに,「 ま ず,な ぜ 文 革 が1966年5月 か ら1976年10月 ま で の 十 年 間 な の か に つ い て の 具 体 的 説 明 は な い 。 ま た,こ の 時 期 区 分 が 党大 会 を 基 準 に した 便 宜 的 な も の で あ る こ とが 容 易 に推 察 で き る。 文 革 は そ れ を どの よ うな 視 点 で 見
るか に よ っ て,時 期 区 分 は い か よ うに も可 能 な の で あ る」。(9)
国分 教 授 は,文 革 を 前 期(1966年5月 一71年)と 後 期(脱 文 革 期 ・1971 年 一76年)に 分 け,文 革 の最 大 の 功 労 者 と して 毛 沢 東 の後 継 者 と規 定 され た 林 彪 が71年 に 失 脚 す る林 彪 事 件 を 分 水 嶺 と して い る。 さ ら に前 期 に お
(8)矢 吹 晋 『文 化 大 革 命 』,講 談 社,1989年,21‑27頁 。
(9)国 分 良 成 「『歴 史 』 と して の 文 化 大 革 命 」,国 分 良 成 編 『中 国文 化 大 革 命 再 論 』,慶 慮 義 塾 大 学 出 版 会,2003年,3‑5頁 。
い て も,① 文 革 が 発 動 され,紅 衛 兵 運 動 が 最 高 潮 に達 す る1966年 か ら67 年 まで の 時 期,② 文 革 が 混 乱 を生 み,鎮 圧 の た め に 人 民 解 放 軍 が 投 入 され, 事 態 が 収 拾 され,九 全 大 会 を経 て 林 彪 事 件 に 至 る1976年 か ら71年 まで の 時 期 に 区 分 して い る 。('°)
2.本 論 文 に お け る 時 期 区分
本 論 文 の 論 点 か ら考 え る と,「公 」 と 「私 」 の逆 転 事 象 に基 づ い て 時 期 を 区 分 す べ き で あ る。 しか し,こ の 逆 転 事 象 は,強 弱 ・濃 淡 の差 は あ れ,文 革 期 全 般,少 な く と も文 革 前 半 期 に わ た っ て 出 現 して お り,組 織 ・制 度, 会 議,事 件,文 書 な どの よ うに 出 現 時 期 を 明 確 にす る こ と は 困 難 で あ る。
そ こで,論 点 を よ り明 確 にす る た め に,国 分 教 授 の 時 期 区 分 に 準 拠 し若 干 の 修 正 を加 え て,第2表 に掲 げ た 三 つ の 時 期 区 分 に 分 けて 論 ず る 。
【第1期 】 「公 」 か ら 「私 」 へ 独 裁 権 を行 使 す る権 力 の 譲 渡 (1966年5月 一67年1月)
(1)「 公 」 か ら 「私 」 へ の 独 裁 権 力(刑 事 制 裁 の権 限)の 譲 渡 の 経 緯 1966年5月,中 国共 産 党 中央 委 員 会 は 毛 沢 東 の指 導 の も とに,『 五 ・一 六 通 知 』を 決 議 した 。これ は文 革 を 発 動 し,か つ 指 導 す る綱 領 的 文 書 で あ っ た 。 さ らに 同 月,陳 伯 達 を組 長,江 青 を副 組 長,康 生 を 顧 問 とす る 中央 文 化 大 革 命 小 組 が 成 立 し,こ こ に 文 革 は 正 式 に 発 動 され た 。 ほ ぼ 同 時 期 の 1966年5月,北 京 の 老 紅 衛 兵 が 文 化 大 革 命 の 実 行 部 隊 と して登 場 した 。(11)
彼 らは 「破 私 立 公 」(「私 」 を 打 ち破 り 「公 」 を樹 立 す る),「 四 旧打 破 」 (旧 い 思 想 ・文 化 ・風 俗 ・習 慣 を打 ち 破 る)を ス ロー ガ ン に 黒 五 類(地 主 ・ 富 農 ・反 革 命 分 子 ・悪 質 分 子 ・右 派)の 独 裁 対 象 者 を つ る し上 げ,財 産 を 略 奪 し,死 傷 させ た 。
こ の 時 期 に は,「 公 」の 代 表 的 組 織 で あ る法 律 機 関 す な わ ち 警 察[公 安]・
検 察 ・裁 判 所 ・監 獄 の 機 能 の 相 当 部 分 を紅 衛 兵 が 代 行 した 。 紅 衛 兵 の 各 組
(10)国 分 良 成 「文 化 大 革 命 の発 動 と紅 衛 兵 運 動 」,毛 利 和 子 ・国 分 良 成 編 『原 典 中 国 現 代 史 第 一 巻 政 治 上 』,岩 波 書 店,1994年,236‑237頁 。
(11)「 老 紅 衛 兵 」 とは,紅 五 類(労 働 者 ・貧 農 下 層 中 農 ・革 命 幹 部 ・革 命 軍 人 ・革 命 烈 士)を メ ン バ ー と し,共 産 党 幹 部 の子 弟 を 中 核 と し,高 級 幹 部 の 子 弟 を リー ダ ー とす る紅 衛 兵 組 織 を い う。1966年5月29日 清 華 大 学 附 属 中学 に最 初 の紅 衛 兵 が 登 場 した 。老 紅 衛 兵 は1966年5月 か ら10月 ご ろ ま で 運 動 の主 力部 隊 で あ っ た 。
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織 は そ れ ぞ れ 個 別 に,私 的 家 宅 捜 索[抄 家],私 的 留 置 所[牛 棚],私 設 裁 判 所[私 設 公 堂],私 的 監 獄 を 運 営 して い た 。つ ま り,破 した の は 「公 」 た る従 来 の 法 律 機 関 で あ って,立 した の は 「私 」 た る 紅 衛 兵 の運 営 す る私 的 刑 事 制 裁 機 関 で あ り,「公 」 と 「私 」が 逆 転 した の で あ る 。
しか し紅 衛 兵 は 自 らの 組 織 と行 動 を 「私 」 で は な く,「 官 方 」 の 立 場 に 立 っ て い る と認 識 して い た 。 官 方 とは,旧 時 「お 上 に よ り任 命 され た 者 」 あ る い は 「官 辺 筋 ・政 府 筋 」 を 意 味 す る言 葉 で あ っ た 。 紅 衛 兵 に と っ て は 私 的 拘 置 所,私 設 裁 判 所 な どで は な く,「公 」す な わ ち 国 家 の そ れ で あ る と 思 っ て い た 。紅 衛 兵 を教 唆 した 文 革 推 進 派 の認 識 も 同 じ で あ った 。した が っ て 紅 衛 兵 に よ る法 律 機 関 の破 壊 と私 的 刑 事 制 裁 は,彼 ら に とっ て は な ん ら 非 難 す べ き こ とで は な か っ た の で あ る。(12)
国家 機 関 で な い私 的 組 織 で あ る 紅 衛 兵 が,何 らの 法 的 根 拠 もな い ま ま に, 黒 五 類 とみ な した 大 衆 や 学 術 権 威 者 に対 して,監 禁,吊 し上 げ,拷 問,暴 行,殺 人 等 を 行 い,さ ら に個 人 の 住 宅 の 家 宅 捜 索,私 有 財 産 の 没 収,公 共 施 設 の破 壊,公 共 の財 産 ・物 資 ・デ ー タ の 強 奪 等 を 行 った 。
な ぜ 紅 衛 兵 へ 独 裁 の 行 使 の権 限 が 譲 渡 され た の か 。紅 衛 兵 組 織 は 自発 的, 自然 発 生 的 に 成 立 して ま た た くま に各 校 に広 が っ た 。 毛 沢 東 を は じ め とす る 中央 文 革 推 進 派 に と って も予 想 外 の 出 来 事 だ った と思 わ れ る 。(13)非 合 法 組 織,非 常 識 な 行 動,予 想 を 超 えた 動 員 力,熱 狂 的 な 毛 沢 東 崇 拝 な ど の 特 徴 を備 え た 紅 衛 兵 は 毛 沢 東,中 央 文 革 小 組,林 彪 に と っ て は格 好 の 武 器
とな っ た 。
そ の 当 時,毛 沢 東 は 党 中央 内 で 孤 立 して い た 。 彼 は つ ぎ の よ うに 述 べ て い る。 「当 時,多 数 が わ た しの 意 見 に 同 意 せ ず,し ば ら くわ た しだ けが と り 残 され た 。 わ た しの 見 方 は 時 代 お くれ だ とい うの で,や む な くわ た しの 見 方 を八 期 十 一 中 全 会(1966,8)に 持 ち込 ん で 討 論 した 。 論 争 を経 て,わ た
しは よ うや く半 数 よ りわ ず か に 多 い 同意 を 得 た 」。('4)
文 革 導 入 期 に は,毛 沢 東 は 名 目上 の最 高権 力 者 で は あ るが,党 内 で 孤 立 し,自 分 の 方 針 に賛 成 を得 る の に,相 当苦 労 した こ とが うか が わ れ る。 そ
(12)「 官 方 」 の 概 念 につ い て は 西 村 成 雄 教 授 の ご教 示 に よ る(2006.10.28,文 責 筆 者)。
(13)竹 内実 編 訳 『毛 沢 東 文 化 大 革 命 を語 る 』,現 代 評 論 社,1974年,132頁 。 (14)同 上,150頁 。
の な か で,紅 衛 兵 が 組 織 され,活 動 を始 め た こ とは,毛 沢 東 に と って 予 想 外 の 出来 事 で あ り,こ の た め,当 時 は紅 衛 兵 を高 く評 価 し,そ の 力 を利 用
し,そ の 力 に 頼 る戦 術 を採 用 した も の と思 わ れ る。
1966年8月21日,中 共 中央 は 軍 に 対 して,『 軍 隊 を 使 っ て革 命 的 学 生 を 武 力 鎮 圧 す る こ と を絶 対 に禁 止 す る 規 定 』 を,同 月22日 に 公 安 部 に 対 し て,『警 察 を 出動 させ 革 命 的 学 生 を鎮 圧 す る こ とを厳 禁 す る規 定 』を 通 達 し た 。(15)こ れ らの 通 達 は 中共 中央 が 公 的 独 裁 機 関 に 代 わ っ て,私 的 組 織 に 独 裁 権 の 行 使 を 譲 渡 す る こ とを 明 文 で 許 可 した 証 拠 で あ る 。 同月26口 に は,毛 沢 東 が,公 安 部 長 謝 富 治 の 公 安 部 の 人 員 を 削 減 して 大 衆 に 業 務 を譲 渡 す る提 案 に 賛 成 して い る こ とか らも裏 付 け られ る 。(16)
警 察 部 門 の 最 高 責 任 者 で あ る公 安 部 長 謝 富 治 は,1966年8月 北 京 市 の 警 察 部 門 の 会 議 の席 上,「警 察 官 は 紅 衛 兵 の 側 に立 ち 彼 ら と連 携 を と り,彼
ら と心 を 通 わ せ,彼 ら に情 報 を 与 え,彼 らに 黒 五 類 の 情 報 を紹 介 しな けれ ば な らな い 」 と述 べ た 。(17)
上 記 か ら見 て,毛 沢 東 お よ び 中央 文 革 小 組 の意 向 を 受 け て,公 安 部 長 謝 富 治 は警 察 機 関 を あ げ て,紅 衛 兵 の 行 動 を 「支 持 ・支 援 」 した こ とは 明 白 で あ る。
い っ ぽ う,紅 衛 兵 の 破 壊 行 動 を 党 ・政 府 が,ラ ジ オ ・新 聞 を 通 じて 大 々 的 に 「宣 伝 」 した 。 宣 伝 の 力 に よ って 破 壊 運 動 が 全 国 に 向か っ て 拡 散 され た ば か りで な く,北 京 の 破 壊 運 動 が さ らに 新 た な高 潮 に 突 入 した 。
要 す る に,毛 沢 東 を か し ら とす る 中共 中 央 文 革 推 進 派 の 紅 衛 兵 の 行 動 に 対 す る黙 認 ・支 持 ・宣 伝 が,国 家 機 関 に よ る正 規 の 独 裁 ・制 裁 制 度 を変 質 させ て,非 公 式 組 織 に 対 す る独 裁 と刑 事 制 裁 の権 限 を 譲 渡 す る 契 機 にな っ た と思 わ れ る 。
(2)「 公 」 と 「私 」 の 実 相
こ の 時 期 に は 林 彪 は 「私 」 と 「公 」 に つ い て さ か ん に 言 及 して い る。 文
(15)陳 東 林 ・苗 標 ・李 丹 慧 主 編 『中 国文 化 大 革 命 事 典 』,中 国 書 店,1997年,758‑759頁 。 (16)中 共 中央 文 献 研 究 室 編 「対 謝 富 治 関 與 精 簡 設 想 的 批 語 」,『建 国以 来 毛 沢 東 文 稿 第12冊 』,
中 央 文 献 出 版 社(北 京),1998年,110頁 。
(17)厳 家 其 ・高 墓 『「文 化 大 革 命 」 十 年 史 』,潮 流 出 版 社(香 港),1989年,110頁 。
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革 が は じま った 直 後 の1966年5月 の 中央 政 治 局 拡 大 会 議 で は,「 私 有 制 と 私 有 観 念 は 修 正 主 義 の 主 要 な要 素 で あ り,非 常 に広 範 に,深 く普 及 浸 透 し て い る 」 と述 べ た 。 同 じ年 の10月12日 の 中 央 工 作 会 議 に お い て は,「 私 有 制 意 識 を 打 ち倒 さな けれ ば,公 有 経 済,プ ロ レ タ リア 階 級 の 政 治 は 変 質 す る可 能 性 が あ る」 と述 べ た 。そ して,「 文 化 大 革 命 の 運 動 はす な わ ち私 有 観 念 を取 り除 くこ とで あ る」 か ら して,除 去 で き な け れ ば,社 会 主 義 は停 滞 し,「後 退 変 質 さ え し,修 正 主 義 に な る 」重 大 な 問 題 で あ る と警 告 した 。 10月25日,林 彪 は 中央 工 作 会 議 で 「破 私 立 公 」 につ い て 次 の よ うに述 べ た 。「わ れ わ れ は か な らず 大 い に 旧 い思 想 を 打 ち破 り,大 い に新 しい 思 想 を 打 ち立 て な けれ ば な らな い 。旧 い 文 化,旧 い 思 想 は,概 括 して い え ば,『 私 』 の 一 字 に 旧 さが 存 在 す る。 新 しい も の,新 しい 思 想 は 『公 』 の 一 字 に新 し
さが あ る 」。(18)
しか し高 文 謙 に よれ ば,林 彪 は 「公 」 を 強 調 す る 裏 で,み ず か らの 私 的 権 力 と私 的 利 益 を確 保 す る行 動 を 行 っ て い た 。「林 彪 は,文 革 が 混 乱 に乗 じ て み ず か らの 力 を拡 大 す る絶 好 の チ ャ ン ス で あ る こ とを しっ か り と見 抜 い て い た。 そ こで 彼 は 毛 沢 東 に 付 き 従 い,毛 の 劉 少 奇 打 倒 に協 力 す る だ け で な く,党 軍 に お け る み ず か らの 勢 力 を 拡 大 す る こ と に も大 き な 力 を注 い だ 。 林 彪 は か っ て 本 音 を語 って い る 。 『文 革 は 一 部 を 打 倒 し,一 部 を 引 き 込 み, 一 部 を保 護 す る も のだ 。支持 して くれ る者 は保護 し,反 対 する者 は打 倒 し, 中間 の 者 は 引 き込 む 』(高 文 謙 が 呉 法 憲 に イ ン タ ー ビ ュ ー した 記 録 に よ る, 1983.11.18‑25)。 ど さ く さ に ま ぎ れ て 私 利 を 得 よ う とす る点 で は 林 彪 グル ー プ も江 青 グ ル ー プ も気 脈 を通 じて お り,お 互 い 利 用 しあ っ て い た 」。(19)
こ の 時 期,林 彪 は 軍 内 の ラ イ バ ル た とえ ば 羅 瑞 卿や 賀 竜 を追 い 落 とす た め に,私 的 組 織 で あ る 紅 衛 兵 や 造 反 派 を利 用 した。 林 彪 は 紅 衛 兵 に 教 唆 あ るい は 暗 黙 の 支 持 を 与 えて,① 大 字 報,紅 衛 兵 小 報 な ど を利 用 した 宣 伝 に よ る批 判,② 家 宅 捜 索[抄 家]③ 自宅 監 禁,④ 吊 し上 げ 大 会 で 拷 問,⑤ 負 傷,健 康 を 損 ね させ る 情 況 に 陥 ら せ,し か る 後 に,⑥ 薬 や 医 療 を与 え な い,⑦ 隔 離 審 査,⑧ 党 か らの排 除 の 手 順 で 彼 ら を 追 い 落 と した 。
1966年10月 か らは,「 ブ ル ジ ョ ワ反 動 路 線 批 判 」 を 旗 印 に,造 反 派 紅 衛
(18)『 文 革 デ ー タベ ー ス』,前 掲 。
(19)高 文 謙 『周 恩来 秘録 上 』,上 村 幸 治 訳,文 藝 春 秋,2007年,320‑321頁 。
兵 や 労 働 者 か らな る造 反 派 が 先 頭 に立 っ て 党 内実 権 派 に 対 して 批 判 ・奪 権 闘 争 を展 開 した 。⑳
【第H期 】 「公 」 と 「私 」 を め ぐる 指 導 者 と大 衆 の言 行 不 一 致 (1967年1月 一68年3月)
1967年 か らは 党 内実 権 派 か ら の奪 権 闘 争 が 本 格 化 し,上 海 は じめ 各 地 で 奪 権 が 行 わ れ た 。 しか し,各 紅 衛 兵 ・造 反 派 組 織 の 間 の 抗 争 が 激 化 し,武 闘 が 狙 獄 を き わ め た 。こ の 対 策 と して 中 共 中央 は 人 民 解 放 軍 を 主 要 な組 織 ・ 機 関 に介 入 させ 治 安 を確 保 し よ うと した 。中 国 は これ 以 後 軍 事 管 制 下 に入 っ た 。 そ れ に あ わ せ て毛 沢 東 は 「大 連 合 」 を 提 唱 して 武 闘 の 沈 静 化 を は か ろ
うと した が,武 闘 は 収 ま る ど ころ か 激 烈 に な る ば か りで あ っ た 。
こ の 時 期 に お け る 「公 」 と 「私 」 の 逆 転 現 象 の特 色 は,指 導 者 の 「公 」 を 宣 伝 す る 言 説 と,「私 」を 追 求 す る 現 実 の行 動 の き わ だ った 乖 離 で あ る 。
1967年7月 か ら9月 に か け て,毛 沢 東 が 地 方 を 視 察 した さい,「 私 心 と 闘 い 修 正 主 義 を批 判 しな けれ ば な らな い」 と指 示 した 。(21)
10月1日,林 彪 は 国 慶 節 の 集 会 で こ の 指 示 を 明 らか に し,か つ これ を解 釈 してつ ぎ の よ うに 述 べ た 。 「『闘 私 』 とは マ ル ク ス ・レー ニ ン 主 義,毛 沢 東 思 想 を用 い て 自分 の 頭 の な か の 『私 』 とい う字 と闘 うこ とだ 。 批 修 とは マ ル ク ス ・レー ニ ン 主 義,毛 沢 東 思 想 を用 い て,修 正 主 義 に反 対 し,資 本 主 義 の道 を 歩 む 党 内 の 一 握 りの 実 権 派 と闘 争 す る こ とだ 」。(22)
(1)指 導 者 層 に お け る 「公 」 と 「私 」 の 逆 転 事 象 しか し現 実 の 行 動 は 建 前 とは 相 当異 な って い た。
た とえ ば,江 青 は1934年10月 上 海 で 国 民 党 の特 務 に 逮 捕 さ れ,同 年12 月 に釈 放 され た 。1968年 初 め,江 青 は 林 彪 腹 心 の空 軍 の呉 法 憲 を通 じて,
この 間 の 事 情 を記 した 梢 案 管 理 に 関 係 す る 上 海 の政 法 部 門 の書 記,公 安 局 長,警 務 局 長 は じ め 二 十 数 人 を 北 京 に護 送 して 監 獄 に 入 れ た。 ま た,彼 女
(20)「 造 反 派 紅 衛 兵 」 とは,老 紅 衛 兵 に対 抗 して 生 まれ た,主 と して 非 紅 五 類 出 身 者 か らな る紅 衛 兵 組 織 。1966年10月 以 降,紅 衛 兵 運動 の 主 導 権 を 握 っ た。
(21)中 共 中央 文 献 研 究 室 編 「視 察 華 北,中 南 和 華 東 地 区 時 的 談 話 」,『建 国 以 来 毛 沢 東 文 稿 第12 冊 』,前 掲 書,389頁 。
(22)『 文 革 デ ー タベ ー ス』,前 掲 。
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は 上 海 の 女 優 時 代 の 暗 い 過 去 を 知 る人 ・々 とそ の家 族 を 吊 し上 げ,陵 辱 と折 橿 を加 え,葬 り去 っ た 。(23)
文 革 初 期,紅 衛 兵 は 「四 旧 を 打 倒 す る」 と称 して,大 量 の文 化 財 を没 収 した 。 林 彪 ・江 青 グ ル ー プ の メ ン バ ー は そ の 没 収 品 の うちか ら多 くの 貴 重 な 品 を横 領 した ば か りか,さ ま ざ ま な 手 段 で,国 の 保 管 す る文 化 財 まで 公 然 とか す め 取 っ て私 の も の と した 。(24)康 生 は,1967年,若 い秘 密 警 察 官 を 紅 衛 兵 に 化 け させ て,故 宮 博 物 館 に送 り込 み,数 千 点 も の展 示 品 を持 ち 出 し た。 そ して 皇 帝 の 使 っ た イ ン ク壷,香 水 時 計,機 械 仕 掛 け の 玩 具,絵 画,書,漢 籍 な ど貴 重 な 文 化財 を 私 物 化 した 。(25)
毛 沢 東 の呼 び か け に応 じて 文 革 に 参 加 した 青 年 を もっ と も驚 か せ た の は, 紅 衛 兵 や 造 反 派 組 織 が 書 い た 大 字 報 に よる 党 政 幹 部 に 対 す る告 発,と くに 彼 ら の私 生 活 と個 人 の 品 性 に 対 す る暴 露 と攻 撃 で あ った 。 青 年 た ち は 以 前 は 過 度 に 純 潔 で,禁 欲 主 義 の雰 囲 気 の な か で 暮 ら して い た の で,あ の 人 格 高 潔 で あ る と され た指 導 者 が 大 衆 に無 私 無 欲 を呼 び か けな が ら,自 分 は腐 敗 堕 落 す る の を知 っ て 失 望 と怒 りを禁 じ得 な か っ た,と い う。(26)
た とえ ば 『文 革 大 字 報 精 選 』 に は,「 フ ル シ チ ョフ 流 劉 少 奇(の 贅 沢 三 昧)」 「登区小 平 個 人 医ル ポ 」 「彰 真 腐 朽 生 活 罪 行 」 「陳毅 を 頭 とす る 外 交 部 特 権 階 層 」 「賀 龍 式 宴 会 」な どの タイ トル で,各 地 各 組 織 の 紅 衛 兵 が 中共 指 導 者 が い か に 贅 沢 で,燗 れ た,不 道 徳 な 生 活 を して き た か を提 示 した 内容 が 掲 載 され て い る。(27>
文 革 直 前 ま で,至 高 の 道 徳 的 生 活 を して い た と喧 伝 され て き た 劉 少 奇 ・ 登ド小 平 ・彰 真 達 の最 高 指 導 者 が 突 然 不 道 徳 の 権 化 に され た こ とは,中 華 人 民 共 和 国 の 人 民 大 衆 に と って も不 可 解 の 極 み で あ っ た 思 わ れ る 。 筆 者 は, 当時 の人 民 大 衆 が 大 字 報 で 告 発 され た 実 権 派 の指 導 者 と,文 革 推 進 派 の指 導 者 た ち とは 大 同小 異 の 行 為 を して い る と推 測 す る こ とは き わ め て 合 理 性
(23)陳 丁 顕 『陳丁 顕 回 憶 録 一 在 「一 月 風 暴 」 的 中 心 』,上 海 人 民 出 版 社,2005年,19頁 。 (24)陳 東 林,前 掲 書,635頁 。
(25)楊 威 理 『豚 と対 話 が で き た こ ろ』,岩 波 書 店,1994年,73‑75頁 。
(26)徐 友 漁 「異 端 思 想 和 紅 衛 兵 的 思 想 転 向」,劉 青 峰 編 『文 化 大 革 命:史 実 与 研 究 』,中 文 大 学 出 版 社(香 港),1996年,278頁 。
(27)課 放 ・趙 無 眠 選 輯 『文 革 大 字 報 精 選 』,明 鏡 出版 社(香 萢 他),1996年,480‑483,485‑487, 492‑506,525‑538,539‑541頁 。
が あ る と考 え る。
(2)大 衆 レベ ル に お け る 「公 」 と 「私 」 の逆 転 事 象
こ の 時 期 の 「公 」 と 「私 」 の 逆 転 現 象 は 指 導 者 ば か りで な く,私 的 領 域 が ほ とん ど消 滅 し,か つ 奉 公 を つ ね に要 求 され る社 会 で 生 活 して い る人 民 大 衆 に も当 て は ま る 。 こ の 時 期 の 運 動 の主 力 部 隊 は,共 産 党 幹 部 の 子 弟 を 構 成 要 員 とす る老 紅 衛 兵 あ る い は 機 関幹 部 や 模 範 労 働 者 を 中心 とす る 「保 守 派 」 「保 皇 派 」の 造 反 派 で は な く,そ れ ま で 党 と国 家 か ら迫 害 を 受 け て き た 大 衆 か らな る 「造 反 派 紅 衛 兵 」 「造 反 派 労 働 者 」 で あ っ た 。
1966年10月 毛 沢 東 が 発 動 した 「党 内 の ブル ジ ョワ 階 級 反 動 路 線 を批 判 す る運 動 」 は,そ れ ま で 攻 撃 と排 斥 を受 け て き た大 衆 に 権 力者 に 反 抗 す る 権 利 を与 え,彼 らに権 力 者 へ の 不 満 を発 散 す る機 会 を 与 え た。 大 衆 は 「奉 公 」 の旗 を 掲 げ て,「 み ず か ら の利 益 」 の た め に,競 っ て 造 反 派 に参 加 し, 権 力 機 構 と幹 部 を攻 撃 す る広 範 な 造 反 運 動 を 形 成 した の で あ る 。(28)
華 林 山 に よれ ば,1967年1月 か らは じ ま っ た 「軍 事 管 制 」 にお い て,造 反 派 紅 衛 兵 と造 反 派 労 働 者 は管 制 に派 遣 され た 軍 人 か ら容 赦 の な い 弾 圧 と 迫 害 を こ うむ った 。各 地 の組 織 の 多 くが 瓦 解 し,メ ンバ ー の 流 失 率 は80‑90
%に 達 した 。 彼 らは これ を 「二 月 逆 流 」 と呼 ん だ 。 この 迫 害 に 戦 標 を覚 え た 造 反 派 紅 衛 兵 や 造 反 派 労 働 者 は,同 年3月,毛 沢 東 が 「二 月 逆 流 に反 撃 す る運 動 」を 発 動 す る と,激 烈 に 反 応 し,熱 情 的 に 参 加 した 。 とい うの は, 造 反 運 動 の 主 要 な イ ン セ ンテ ィ ブ は 反 迫 害 で あ り,わ が 身 とそ の 子 孫 の生 存 空 間 を 守 る こ とで あ った か らで あ る。(29)
林 秀 光 は,1967年1月 に 第 一 軽 工 業 部 で 発 生 した 造 反 派 に よ る 「黒 材 料 」 の 強 奪 事 件(3°〉の 資 料 を 分 析 して,強 奪 事 件 に か か っ た 造 反 派 の 動 機 は,ま ず 自 ら に 関す る 「黒 材 料 」 が 梢 案 に 入 れ られ る こ とへ の 恐 怖 ・不 安 か らわ が 身 を 守 る とい う保 身,も う一 つ は,消 極 的 な 動 機 で は な く,「黒 材
(28)印 紅 標 「批 判 資 産 階 級 反 動 路線:造 反 運 動 的興 起 」,劉 青 峰 編 『文 化 大 革 命:史 実 与 研 究 』, 前 掲 書,185頁 。
(29)華 林 山 「政 治 迫 害 与 造 反 運 動 」,劉 青 峰 編 『文 化 大 革 命:史 実 与 研 究 』,前 掲 書,223‑224頁 。 (30)文 革 初 期 に 各 単 位 で 作 成 編 集 され た 大 衆 を懲 ら しめ る[整 群 衆]梢 案 資料 を 「黒 材 料 」 と呼 ぶ 。1966年11月 中 共 中央 は,こ れ ら の梢 案 資 料 は す べ て 無 効 と し,一 律 に 公 衆 の 面 前 で焼 却 す べ し との 指 令 を発 した 。 この た め,各 単 位 で 黒 材 料 強 奪 事 件 が 発 生 した。
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料 」 の入 手 を 通 して 何 らか の政 治 的 目的 を 達 成 し よ う とい う積 極 的 な 面 で あ る,と 述 べ て い る 。(31)
上 記 の 印,華,林 各 氏 の分 析 と認 識 か ら明 らか な よ うに,文 革 期 の 各 種 運 動 へ の 大 衆 の 対 応 は,① 権 益 の 確 保 ② 保 身 ③ 反 迫 害 の た め,す な わ ち わ が 身 と家 族 の 私 的 生 存 空 間 の 防 衛 と拡 張 に 向 け られ て い る。 つ ま り,大 衆 が 文 革 に 参 加 す る の は,当 時 の ス ロー ガ ンが 示 す よ うに,「 公 」の 樹 立 の た め あ る い は 私 心 と闘争 す る た め で は な く,も っ ぱ ら 「私 」 を ま もる た め で あ り,こ こで も 「公 」 と 「私 」 が 逆 転 して い る。
漏 験 才 が ご く普 通 の 大 衆 に イ ン タ ビ ュ ー して ま とめ た 『庶 民 が 語 る 中 国 文 化 大 革 命 』 に赤 裸 々 に語 られ て い る よ うに,文 革 を 利 用 して 不 正 な 手 段 に よ り,ひ との 財 産 の 横 領,恨 み や ね たみ に よ る復 讐,出 世 欲 の 実 現,子 分 の 抜 擢 等 が 大 衆 レベ ル で も狙獄 を極 め た 。
「革 命 の 実 態 が わ か っ た と こ ろ で,一 部 の 人 問が 意 識 的 に,自 ら進 ん で こ の 革 命 を 利 用 し始 め た 。 奪 権 は 個 人 の利 益 と結 び つ く。 も し も,文 革 の は じ め を聖 戦 とい う こ とが で き る とす る な ら,あ とは は ま っ た くの 奪 権 闘 争 ・ 権 力 の再 配 分 だ っ た(1966年 当時20歳,男,某 師範 大 学 学 生)」。(32)
「私 を 殴 っ た 連 中は,あ る 者 は 臨 時 工 だ った か ら,革 命 を 口実 に 正 社 員 に な りた か っ た 。 ま た 労 働 者 で は い た くな い,管 理 部 門 の 幹 部 に な りた くて や っ た者 もい る。 文 革 は み ん な に,そ れ ぞ れ の 目標 に 向 か っ て死 に も の ぐ るい に な る チ ャ ン ス を 与 え ただ け で す 。 上 に の しあ が りた い とい う人 間 が い れ ば,当 然,犠 牲 に しな け りゃ な らな い 人 間 が 出 て き ま す 。『四 人 組 』な ど一 般 の 人 間 か らは 遠 い 存 在 で す 。 実 際 に 迫 害 を 行 った も の,そ れ は や は り各 地 域 の 各 職 場 の こ うい った 連 中 で す(1966年 当時25歳,男,某 工 場 生 産 幹 部 」。(33>
上 記 の 現 象 を総 括 す る と,大 衆 レベ ル に お い て も,文 革 期 に盛 ん に宣 伝 され た 「個 人 の 利 益 や 小 集 団 の 利 益 か ら出 発 しな い で す べ て人 民 の 利 益 か ら 出発 す る 」,「す こ し も私 利 私 欲 の な い 精 神 を 保 つ 」な ど の奉 公 の 「理 念 」
(31)林 秀 光 「造 反 派 組 織 の連 携 と対 立 」,国 分 良 成 編 『中 国文 化 大 革 命 再 論 』,前 掲 書,270,273, 275頁 。
(32)漏 験 才 『庶 民 が語 る 中 国 文 化 大 革 命 』,田 口佐 紀 子 訳,講 談 社,1988年,169頁 。 (33)同 上,199,203頁 。
が,私 利 私 欲 の 典 型 と して 徹 底 的 に批 判 され た 「頭 の 中 に は個 人 の 利 益 し か な く,功 名 を争 っ て,集 団 を 忘 れ,な に ご と も 『私 』 か ら出 発 す る」 な どの 私 的 利 益 追 求 の 行 動 の 「現 実 」(34)によ っ て取 って 代 わ られ て い る。 す な わ ち 「公 」 と 「私 」 が 逆 転 して い る。 この 現 象 は 指 導 者 層 で も人 民 大 衆 の 間 で も共 通 で あ る 。
【第 皿 期 】 強 者 と弱 者 に よ る 「公 」 と 「私 」 へ の 対 応 の 差 (1968年3月 一71年9月)
毛 沢 東 を か し ら とす る文 革 推 進 派 と劉 少 奇 ・登ド小 平 を リー ダ ー とす る実 権 派 との 闘 争 は,毛 沢 東 の優 勢 裏 に進 展 した 。1968年9月 に は,半 身 不 随 に 陥 っ た 共 産 党 組 織 に 代 わ っ て,革 命 委 員 会 が 全 中 国 に 設 立 され,10月 に は 八 期 十 二 中全 会 で劉 少 奇 の 党 除 名 を決 定 した 。12月 か らは,紅 衛 兵 の農 村 へ の下 放 が 始 ま り,紅 衛 兵 の活 動 は 息 の根 を 止 め られ た 。そ して1969年 4月 の九 全 大 会 で は,中 共 党 規 約 で 林 彪 を 毛 沢 東 の 後 継 者 に 明記 し,文 革 の 勝 利 を 宣 言 した 。 そ の 後1971年9月11日,林 彪 の 毛 沢 東 に 対 す る ク ー デ タ ー失 敗 に よ る死 亡 を分 水 嶺 と して,文 革 は 後 半 期(脱 文 革 期)に 入 る 。
こ の 時 期,党 組 織 の 再 建 に連 動 した 典 型 的 運 動 は,1968年 春 に 始 ま っ た
「革 命 隊 列 の純 潔 化 運 動 」で あ る 。革 命 委 員 会 成 立 後,整 党 建 党 に 先 立 っ て 行 わ れ る こ と とされ た 。 そ の 内 容 は,広 範 な 大 衆 や 幹 部 の な か か ら 「裏 切 り者 」・「ス パ イ 」・「死 ん で も悔 い 改 め な い 走 資 派 」・「反 革 命 分 子 」 な ど の
「階 級 敵 」 を摘 発 す る も の で あ っ た 。70年 か らは 同 類 の 「一 打 三 反 運 動 」 お よび 「5・16洗 い 出 し運 動 」 が 連 続 して 起 こ っ た 。(35)
と くに この 時 期 に お い て は,「 公 」 と 「私 」 の 位 相 が 「強 者 」 と 「弱 者 」 に よ っ て 正 反 対 に な る こ とが 顕 著 で あ っ た 。
(1)強 者 の場 合
党 政 幹 部 や,大 衆 の な か で共 産 党 の文 革 推 進 派 を バ ッ ク に持 つ 者,紅 五 類 な ど 出 身 の よい 者,野 心 を持 つ 者 な ど の強 者 は,そ の 力 の 強 さ に応 じて,
(34)東 方 書 店 編 『中 国 プ ロ レ タ リア 文 化 大 革 命 資 料 集成 第4巻 』(任 立 新 「プ ロ レ タ リア 階級 の 世 界 観 か,ブ ル ジ ョワ 階級 の 世 界 観 か 」),1971年,93頁 。
(35)陳 東 林,前 掲 書,604‑605頁 。
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「公 」が 宣 伝 され れ ば され る ほ ど,私 的 権 益 を手 に 入 れ る機 会 が 増 え る 。す な わ ち 「化 公 為 私 」(公 共 の 財 産 を私 の も の とす る),「 弱 者 の私 有 財 産 を奪 い 取 る」,「ライ バ ル を 引 き 吊 りお ろ して 出 世 す る」,「恨 み の あ る もの に報 復 す る」 な どの 方 法 が 利 用 され る 。
た とえ ば あ る工 場 に 派 遣 され た 軍 事 管 制 委 員 会 の 軍 人 が,そ の 工 場 の革 命 委 員 会 の 主 任 と結 託 して,打 倒 され て刑 務 所 に入 って い る そ の 工 場 の生 産 幹 部 の 妻 に 離 婚 して 自分 と結 婚 す る よ う強 要 した 。 軍 人 は都 会 の 女 性 と 結 婚 す れ ば,復 員 に な って も農 村 に戻 る 必 要 は な い 。 革 命 委 員 会 の 主 任 は この こ とで 軍 人 を助 け て お け ば 自分 の地 位 も安 泰 だ し,も っ と 出世 で き る。
この 二 人 は 後 に工 場 の 「お 偉 い さん 」 に な った 。(36)
軍 事 管 制 員 会 に 出 向 した 軍 人 の 多 くは 出 世 し,金 を も うけ た 。 住 宅 や 自 動 車 は彼 らの も の に な った 。家 族 はみ な 都 市 の 戸籍 を 持 つ よ うに な っ た 。(37)
(2)弱 者 の場 合
文 革 推 進 派 か ら批 判 され て い る 者,「 官 方 」の バ ッ ク を持 た な い 者,黒 五 類 な ど 出 身 の 悪 い 者,気 の弱 い 者 な ど弱 者 の 場 合 は,そ の 力 の 弱 さ に比 例 して,「 公 」が 懲 悪 され れ ば され る ほ ど 「私 」 が 減 少 す る。 す な わ ち 「家 宅 捜 索 に よ っ て 私 有 財 産 を奪 わ れ る 」,「農 村 へ の追 放 に よ っ て都 市 戸 籍 と私 有 の 住 宅 を 奪 わ れ る 」,「批 判 告 発 を受 け て 幹 部 の地 位 か ら労 働 者 の 地 位 に 落 と され る 」 な どみ ず か らの私 的 権 益 を剥 奪 され る 。 さ ら に弱 者 は 自主 的 に み ず か らの 私 的 領 域 を犠 牲 に す る こ とに よ っ て,迫 害 か ら逃 れ よ う とす る。 これ らの 運 動 は,大 衆 の 保 有 す る最 後 の 私 的 領 域 で あ る家 庭 を も破 壊 した 。 大 衆 は 自 己保 存 を確 実 に す るた め に は,党 に 対 して 忠 実 で あ る とい うこ とを 身 を も っ て示 す 必 要 が あ る。 そ の 最 も有 効 な 方 法 が 一 人 で も多 く の 階 級 敵 を 発 見 して 手 柄 を立 て る こ とで あ る。 そ して そ の 典 型 的 な 方 法 が 告 発 ・密 告 ・摘 発 で あ る。 夫 は 妻 を,妻 は 夫 を,子 は 親 を密 告 し,告 発 し た 。 関 門 の 通 過 の た め,あ る い は 類 が 自分 に 及 ぶ の を 避 け る た め に,離 婚
も多 く利 用 され た 。
紅 衛 兵 とな り農 村 へ 下 放 した 邸 海 涛 は つ ぎ の よ うに 述 べ て い る 。 「当 時
(36)漏 験 才,前 掲 書,63‑66頁 。
(37)王 力 『現 場 歴 史:文 化 大 革 命 紀 事 』,牛 津 大 学 出版 社(香 港),1993年,37頁 。
『夫 婦 の 愛 よ り,肉 親 の情 よ り階 級 闘争 』 とい う言 葉 が あ り,夫 婦 間,肉 親 間 で も,密 告 が 日常茶 飯 事 の よ うに行 わ れ て い た … 当 時 の 『革 命 理 論 』 に よれ ば,革 命 者 夫 婦 の セ ック ス は 奨 励 され る い っ ぽ う,革 命 者 と反 革 命 者 夫 婦 の セ ッ ク ス は 禁 止 され て い た うえ に,ふ た りは 離 婚 す べ き もの と さ れ る。 夫 婦 と も に反 革 命 者 な らば,セ ック ス す る こ と 自体 が 反 革 命 運 動 で あ り,さ らな る革 命 へ の 謀 反 が 企 ま れ る もの だ とみ な され た」。㈹
関 門 を く ぐ り抜 け る 方 法 の 一 つ に 「縁 切 り」[画 清 界 線]が あ る。 レ ッテ ル を貼 られ た か,ま た は 貼 られ る 可 能 性 の あ る人 との 「縁 切 り」 が 頻 繁 に 行 わ れ た 。 た とえ ば劉 濤 は 父 の 劉 少 奇 と母 の 王 光美 と 「縁 切 り」 を した 。 中 国人 は も と も と,国 家 に頼 らず,親 子 兄 弟,親 族,同 郷 人,義 兄 弟 等 の 相 互 扶 助 を す る絆,す な わ ち 私 的 領 域 を 尊 重 す る 気 風 が 強 い と言 わ れ て き た 。 しか し これ らの 運 動 は この 私 的 領 域 を 無 惨 に 浸 食 した。
1V「 公 」 と 「私 」 の 逆 転 の 原 因
1.文 革 期 に お い て 「公 」 の 宣 伝 と 「私 」 の 排 撃 が 激 烈 で あ っ た 理 由 本 論 文1に 記 載 した 溝 口雄 三,仁 井 田 陞 両 氏 の 解 明 で わ か る よ うに,「公 」 を 重 視 し,「私 」を 軽 視 す る 文 化 は伝 統 中 国以 来 の 長 い 伝 統 で あ る。 こ の よ
うに 「公 」 を も ち あ げ,「 私 」 を けな す 伝 統 を 持 つ 中 国 で あ っ て も,文 革 期 に な っ て な ぜ あ れ ほ ど激 し く 「私 」が 排 撃 され,「 公 」が 宣 伝 さ れ る よ うに な っ た の か 。
シ ュ ラ ム の 認 識 に よれ ば,毛 沢 東 は,社 会 主 義 社 会 で は 階級 矛 盾 は 生 産 手 段 に対 す る 関 係(下 部 構 造)よ りは む し ろ思 想 ・政 治 ・文 化 の 分 野(上 部 構 造)に 現 出す る,中 国 で は ブ ル ジ ョ ワ階 級 は主 と して 党 内 に 見 い だ さ れ る,そ れ が 資 本 主 義 の 道 を 歩 む 実 権 派 で あ り,社 会 主 義 社 会 の 党 国家 体 制 を通 じて 労 働 者 と農 民 を搾 取 す る と考 え た 。(39)つま り文 革 とは,生 産 手 段 にお け る 公 有 ・私 有 関 係 の矛 盾 よ りも,公 共 の た め の 心(奉 公)・ 利 己 的 な 思 想(私 心)の 矛盾 を解 決 す る た め の政 治 運 動(キ ャ ンペ ー ン)で あ っ た,と い うの で あ る 。
(38)邸 海 涛 『中 国 セ ッ ク ス 文 化 大 革 命 』,新 潮 社,2007年,27‑28,38‑39頁 。 (39)Schram,ibid.,p.89.
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林 彪 は 毛 沢 東 の認 識 につ い て つ ぎ の よ うに 講 話 した:党 内 の 実 権 派 は 資 本 主 義 を復 活 し,修 正 主 義 を 行 お う と して い る。 彼 らが 命 が け で 守 っ て い るの は私 心 一 私 有 観 念 で あ る 。 そ れ は利 己 主 義 で あ り,ブ ル ジ ョワ階 級 の 価 値 観 で あ る 。 私 心 と闘 う とは 私 有 観 念 の私 と 闘 うこ とで あ り,「 私 利 私 欲 」 の私 と闘 うこ とで あ る。 ブ ル ジ ョワ 階 級 の 旧 い 思 想 ・文 化 ・風 俗 ・習 慣(四 旧)の 本 質 は私 有 観 念 す な わ ち 「私 」 で あ り,プ ロ レ タ リア 階 級 の 新 しい思 想 ・文 化 ・風 俗 ・習 慣 は 「公 」 とい う字 に概 括 で き る 。 これ が す な わ ち文 化 大 革 命 の 大 きな 潮 流 とな っ た 「破 私 立 公 」 運 動 ・「旧 四 打 破 」 運 動 ・「闘 私 批 修 」 運 動 の精 神 で あ っ た 。
「私 」 を排 撃 し 「公 」 を樹 立 す るた め に,毛 沢 東 は 闘 争 と 自 己 批 判 を通 じ て 「人 闇 の精 神 を改 造 す る」方 法 を 採 用 して そ の 目 的 を 達 成 し よ うと した 。 そ の 具 体 的 方 法 と して,広 範 な 人 民 を動 員 して,下 か ら上 へ 向 け た 大 民 主 の 運 動 に よ って,党 内 に巣 く う実 権 派 を暴 露 し打 倒 し よ う と した 。 これ は 文 化 大 革 命 の 重 要 な使 命 のひ とつ で あ っ た 。
上 述 の 事 情 に よ っ て,文 革 期 に は 「私 」 の 排 撃 と 「公 」 の宣 伝 が 激 烈 を 極 め た の で あ る。
2.「 公 」 と 「私 」 の 逆 転 の 原 因
で は こ の よ うな 情 況 に もか か わ らず,な ぜ 「公 」 と 「私 」 が 逆 転 した の か 。 私 見 に よれ ば 以 下 五 点 の 原 因 が 提 示 で き る。
第 一 に は,文 化 大 革 命 が 上 部 構 造(政 治 ・文 化 ・イ デ オ ロ ギ ー の 領 域) に お け る政 治 運 動 で あ る点 に あ る 。 下 部 構 造(経 済 領 域)は フ ィ ジカ ル な もの で あ る か ら 「公 」(公 有)か 「私 」(私 有)か は 見 て は っ き りわ か る。
しか し,上 部 構 造 は メ タ フ ィ ジ カ ル(形 而 上)で あ る か ら,人 の 心 が 公 共 の た め の 心 で 占 め られ て い る か 私 心 に 支 配 され て い る か は 見 て わ か らな い 。
した が っ て 「公 」 を 掲 げ て 「私 」 を 求 め る行 動 が や りや す い 。 公 私 の 逆 転 が 上 部 構 造 で の 「公 」 が 極 端 に 強 調 され た 文 革 期 に 起 こ っ た こ と も理 解 で き る。
ダ ニ エ ル ・チ リオ ッ トは,冷 戦 期 末 期 の 東 欧 の独 裁 国 家 に お け る 支 配 者 達 の 行 動 様 式 を研 究 して つ ぎ の よ うに述 べ て い る。 「最 高 指 導 者 を頂 点 に, 権 力 の ピ ラ ミ ッ ドの 各 層 に 大 中 小 の ボ ス 達 が 存 在 す る。 彼 ら は 専 断 的 に,
か つ 狭 い 自己 利 益 を 求 め て 行 動 す る。 最 高 指 導 者 は,大 中小 ボ ス が い な け れ ば み ず か らの 意 思 を 強 制 す る こ とは で き な い 。彼 ら の協 力 を 得 る た め に, 最 高 指 導 者 は 大 中小 の ボ ス達 が 利 権 の果 実 を 享 受 す る の を許 さ な けれ ば な
らな い。」(4°)
チ リオ ッ トの 指 摘 した 支 配 者 達 の 行 動 様 式 は,「 公 」 の宣 伝 が 異 常 に高 ま っ た文 革 期 の 中 国 に も 当 て は ま る。指 導 者 は,下 部 の 者 に は 「無 私 の 忠 」 あ る い は 「滅 私 奉 公 」を要 求 しな が ら,自 らは 私 的権 力 と利 益 を 追 求 す る 。
ラ ン ク の 下 の 者 は それ を見 習 っ て,そ の地 位 に応 じて 自分 の利 益 を 確 保 し な が ら 自分 よ り地 位 の 低 い者 に は 無 私 の奉 公 を要 求 した 。 こ の よ うに して ヒエ ラル ヒー の 全 て の 段 階 を通 じて,建 前 上 の 「公 」 の 懲 漁 に もか か わ ら ず,現 実 に は 「私 」 が 狙 薇 す る こ とに な った 。 これ らの 現 象 は,上 部 構 造 の 政 治 運 動 で あ り,か つ 「公 」 が 極 端 に強 調 され た 文 革 期 で あ った か ら こ そ い っ そ う強 烈 に な った の で あ る 。
文 革 期 に は,毛 沢 東,林 彪 は じめ す べ て の 指 導 者 が 「破 私 立 公 」 を宣 伝 して い た 。 しか し,第1期 ・第H期 を通 じて,林 彪,江 青,康 生 な ど の例 か らわ か る よ うに,「 公 」を 強 調 す る 裏 で,み ず か らの 私 的 権 力 と私 的 利 益 を 確 保 す る 行 動 を行 って い た 。 これ は高 文 謙,楊 威 理 達 が 指 摘 して い る。
第 二 に は,文 革 期 に は 私 的領 域 が 極 端 に 小 さ くな って い た こ とが あ げ ら れ る。
楊 麗 君 が 指 摘 す る よ うに,私 的 領 域 が 存 在 して お らず,公 的 領 域 しか 存 在 し て い な い 社 会 主 義 体 制 下 に お い て,国 家 は あ らゆ る政 治 ・経 済 ・文 化 資 源 一 公 民 権 一 お よび そ の配 分 権 力 を独 占 した 。 彼 女 は,文 革 期 の 集 団行 為 は,上 述 の よ うな 体 制 の 中で 行 わ れ た 公 民 権 の 獲 得 競 争 で あ り,し た が っ て,派 閥 の リー ダ ー に せ よ,一 般 の 参 加 者 に しろ,彼 らは 公 的 領 域 にお い て,最 大 限 の 利 益 を 追 求 す る道 しか な か った,と 主 張 して い る 。(41)
筆 者 の 思 うに,楊 の 言 う 「獲 得 され た公 民 権 」 とは 最 終 的 に は 各 個 人 の 占有 に属 す る 私 的 財 産 に他 な らな い 。 正 当 な 行 為 に よ って 個 人 の 権 益 を確
(40)DannielChiriot.,"WhatHappenedinEasternEuropein1989?",JeffreyN.Wasserstromand ElizabethJ.Perryed.,PopularProtestandPoliticalCultureinModernChina,Boulder,Colorado WestviewPress,1994,p.226.
(41)楊 麗 君,前 掲 書,332‑333頁 。
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