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「よそり」の文字 ―東歌・文学論の試み―

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(1)

﹁よそり﹂の文字 ︱東歌・文学論の試み︱

  序  既に国文学などという季節ではないのではないか︒それでは以下

の文は何のつれづれなのか︒   一 ま遠くの野にも逢はなむ

 ま遠くの野にも逢はなむ心なく里の真中に逢へる背なかも︵三四

 六三︶ の歌について︑鮮かに異質な東歌解釈の書である﹃疏﹄でも  会ふ位ならば︑距離の遠いところにある野で︑会ってくれればよ

 い︒入の気もわからないで︑里の真中で︑私に会ったあなたよ︒

という︒ ﹁会ふ﹂を男から女への構図に一貫させていること︑それ

はとにかくとして︑︿私に会ったあなたよVという云い方に私は躊

躇を感ずる︒ここはその様に︿私が﹀︿背な﹀に対する表出として

あったのであろうか︒ ﹃疏﹂のいう様であればこれは万葉集全体の

中でも目立った親密な甘美さの表現である︒その場合は﹁心なく﹂

はく人の気もわからないで﹀と優しい恨み言葉の様になるのであろ

うが︑そうすると︑男から女への︑情緒的な一対一の﹁逢ふ﹂の構

図とは少しズレが出てくるのではなかろうか︒そうした男女の逢い

には当然﹁心なく﹂という状態は介在しないわけである︒東歌の前

句と後句をつ.なぐ︑一種のつなぎ言葉は第三句に多いわけだが︑か

かる第三句は東歌解釈上チェックポイントをなしているのではなか

ろうか︒  ﹁逢へる君かも﹂という表現は次の様に存在しているが︑ ﹁心な

﹁よそり﹂の文学1東歌・文学論の試み一︵渡部︶ く﹂というような云い方の介入を拒絶する心情からの表出である︒  秋の野のを花が末を押しなべて来しくもしるく逢へる君かも︵一  五七七︶  わが宿の花橘は散りにけり悔しき時に逢へる君がも︵︼九六九︶  ︵君が家の花橘は成りにけり花なる時に逢はましものを︵一四九  二︶  五月山花橘にほととぎす隠らふ時に逢へる君かも︵一九八○︶  すめろきの神の御門をかしこみと侍ふ時に逢へる君かも︵二五〇  八︶ がその全例で︑一九六九︑一五七七などは︑後者は勿論︑前者につ いても﹃代匠記﹄に﹁橘のにほひにこそ︑いやしき宿もまぎれつ れ︑それさへ散点たる比︑君がとへば︑何のいふかひなく︑くやし き時にもきましつるよとなり﹂とある様に︑主客の儀礼的な挨拶対 応の表現である︒参考に一四九二の歌を挙げてみた︒ 一九八○︑二 五〇八についても︑例えば﹃注釈﹂に﹁﹃こもらふ﹄は右の用例が 示しているように︑外へも出ず︑籠ってみる時に思ひかけず君がい らっしてこんなうれしい事は無い︑の意に解くべきである﹂とある 様に恋人闘の挨拶的な歌である︒一般に﹁逢へる君かも﹂と詠むこ とは親近性の基礎の上に立ち︑許容された甘さを含んでの表出のよ うである︒  右様の条件からは︑﹁心なく﹂というつなぎ言葉は異例であろ う︒ ﹃私注﹂では

二 二

(2)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二二号

 遠くの野に於いてでも会ひたいのを︑思ひなくに︑里のまん中で

 会った背子であることかな

とそのまま云って﹁常套的な民謡である﹂とする︒右の解釈以上に

も以下にも立ち入らないわけで︑﹁心なく﹂は誰にも所属しない様

な扱いなのである︒ ﹃注釈﹂でも

 人里離れた野ででも逢ってほしい︒無分別にも︑里のまん中で逢

 つた背子であることよ

とそう違いはない︒前者が﹁会ひたい﹂であるに対し︑後者は﹁逢

ってほしい﹂だから逢ふ意志主体に違いがみられる︒ ﹃大系﹂では

そこを﹁逢はなむ一逢いたい﹂とするが︑ ﹁心なく﹂ ︵思いやりな

く︶は相手の心を指してのものと推測される︒古い注釈でもあまり

はっきりしない︒ ﹃童蒙抄﹂に

 里の中にて︑人目繁き所にて逢ひしを︑心よからず思ふ意也

とし︑ ﹃古義﹂に

 安波奈牟は︑逢へかしとの意なり

とある︒ ﹁なむ﹂を他人への﹂希求とみたのは古義あたりかららし

い︒先例の﹁逢へる君かも﹂からも判る様に﹁逢ふ﹂には我と彼と

の相互性があって︑必ずしも一方に偏しないから﹁逢はなむ﹂はく

逢いたいVともく逢ってほしい﹀ともなり得る︒しかし﹁逢ふ﹂に

我と彼との相互性があるとして︑終句の﹁逢ふ﹂はどうなるだろう

か︒

  逢いたいのに  ①②逢へる背なかも

  逢ってほしいのに

という構図で①と②の﹁逢ふ﹂は異質なのではないか︒というのは

﹁逢ふ﹂はとにかく︑我・彼のく心の希求・継続Vの上に成立して

くるものだから︑そうした①から﹁心なく﹂を経て︑それと同質の 二四

②に接続しはしまい︒即ち①的表現・発想者にとっては﹁心なく里

の真中に﹂という表出は可能性として存在しないだろう︒別に云え

ば下句の﹁心なく⁝⁝逢ふ﹂という云い方には︑ ﹁逢はなむ﹂に条

件としてあった希求の性質が含まれていないのである︒このことは

﹁逢ふ﹂の彼我・一対一の状況に固執しては﹁心なく﹂は一般性を しか示し得ないということであろう︒即ち︿心なく﹀は先にみた様

に︑他者11男への所属というわけではなく︑そうした個別性はない

ものとみられるのである︒

 例えば次の様な歌がある︒

 上毛野畑度の多言里が川路にも児らは逢はなも一人のみして︵三

 四〇五︶  上毛野小野の多仔里が安波路にも夫なは逢はなも見る人なしに

 ︵或本歌︶

ここでは﹁逢はなも﹂の﹁なも﹂は希求であって︿逢ってほしい﹀

と訳されるところである︒男女の︿逢い﹀が一対一を原則とするな

らばコ人のみして﹂はそれに抵触する︒これは余計な表現なので

ある︒ ﹁逢ふ﹂にはく一人のみして﹀が確実な条件としてあるはず

なのに︑ここではそれを忘れでもした様な前提で発想・表現されて

いる︒その様に歌が作られている︒ということは﹁逢ふ﹂という表

出が東国では一般性に略奪されていたということである︒集団が背

景に据えられている︒集団の基礎に立つ歌だから﹁一人のみして﹂

或はその云い替えである﹁見る人なしに﹂が付加されなければなら

ない︒東国では︑恋の相聞に含まれていた男女の﹁逢い﹂が一般性

に︑即ち︿出合う﹀にまで薄められて来ているのである︒

 利根川の川瀬も知らずただ渡り波にあふのす逢へる君かも︵二四

 =二︶ の﹁波にあふ﹂は出会うほどの意味である︒

(3)

とすれば﹁逢へる君かも﹂も出会うほどの意味にとってよいだろ

う︒序から本意へ︑内容の転換があるのは普通であるが︑この序か

らはく男女の逢い﹀を導くのは無理であろう︒この歌では単に現象

的な︿出合い﹀に焦点がしぼられよう︒︿出会うVということをこ

の歌は言上げしたがったのである︒それが言上げされるのは集団を

基礎とする故である︒  万葉集では勿論︑東歌でも﹁あふ﹂には二様の意味がある︒  ①は男女がく逢ふVことであり  ②はく出会う﹀ことである

もともと出会うから男女の逢いへ文学的表現として定着したもので

あろう︒東歌でも︑それが短歌形式というれっきとした文学系譜に

立つ限り︑①のく逢ふVが共通認識としてあり︑集団の基盤の上で

②のく出会う﹀と交錯しているのだという具合であろう︒コ人の

みして﹂や﹁見る人なしに﹂が余計であるのは︑︿逢ふ﹀にその意

味がある故であり︑その余計が書かれたのは集団に必要の故であ

る︒

 この⁝様な前提において②の性質の﹁逢へる君がも﹂という一般性

が滑稽的なもの︑客体的なものとして享受される︒いや︑それより

も︑歌一首は①と②との立体構造を設定すべく発想されるのであ

り︑この構図が民謡的構図なのである︒

 ﹁間遠くの﹂の歌を舞台設定してみると         ①.の逢いを欲しているのに

 ②の会いになった

というのが即ち民謡の構図なのであろう︒こうした客体性に基づい

て﹁心なく﹂がある︒即ち二つの要素を併せ持つが故にドラマチッ

クである舞台の底に︿心なく﹀があるのである︒︿心なく﹀は男に

属しているのではなく︑ドラマを成立させる支え︑回転軸である︒

﹁よそり﹂の文学一東歌・文学論の試み一︵渡部︶  折口氏は﹃疏﹄の︹鑑賞︺で  男の為打ちに軽い怨みを叙べたのか︑それとも﹁心なく﹂は︑男  の意志でなく︑自然さうなった廻り合せに遺憾を表してみるとも  とれるという︒  これは八心なく﹀を他に云い替えるしかないすべての解釈に比し て雲泥の相違がある︒語句の云い替えでは歌文学の解釈にはなら ないという一例である︒  かかるく心なくVは第三句目に位置する︒第三句目︑この廻り舞台 の回転軸は他にも重要な役割をもって現われているのではないか︒  筑波嶺に雪かも降らる否をかもかなしき児うが布乾さるかも︵三  三五一︶ の﹁否をかも﹂も単に内省的な云い替えで済ませる様なものとはそ の実質を異にするだろう︒これまた前件と後件との回転軸ではない か︒媒介詞とか接続詞とか考えるよりも︑これは小学校でいう︿つ なぎ言葉﹀とでも考えた方がよい︒東歌では小学校的理解の方が正 当的である︒そこには素朴な始源的状態への配慮がある︒即ちここ では前件と後件をつなぐことに焦点があり︑そこに歌の表出の基本 があったのであり︑そしてこれが歌い掛けの現実ではなかったろう か︒ ﹁否をかも﹂が府部的疑問ではなくて︑却って歌そのものの本 質的歌い掛けであることは︑例えば犬養孝氏はその﹃万葉の心﹂ で︑甲斐の風俗歌  甲斐が嶺に白きは雪かや いなをさの  甲斐のけ衣や さらす手作りさらす手作り を三三五一と三三七三の合体とみられ︑︿いなをさの﹀を難言葉11 音調的効果への変化とされていることからも推測出来る︒もともと 第三旬︿否をかも﹀に歌い掛けの性質があったことが証明されよ う︒万葉全体についてみても第三句の持つ役割は似ている︒

二五

(4)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二二号

 み心する雁羽の小野の⁝櫟柴の慣れはまさらず恋こそまされ︵三〇

 四八︶ の第三句︑

 足ひきの山菅の根のねもころに止まず思はば妹に会はむかも︵三

 〇五三︶

の第三句なども同様である︒

  ご まことかもわれに寄すとふ

 ﹁否をかも﹂が内向的疑問ではないと考えると︑例えば

 葛飾の真間の男児奈をまことかもわれに寄すとふ真聞の手切奈を

 ︵三三八四︶

の第三句も少し趣が違ったものとしてあるだろう︒ ﹁まことかも⁝

⁝とふ﹂という表出は元来内向的なものである︒しかしそこに﹁真

間の手記奈﹂と出てくるとこの内向的性質が崩壊する︒ ﹁注釈﹂で

は珍らしくこの歌を民謡らしい民謡というのであるが︑その様に︑

第二旬は伝説上の美人について云い︑それと﹁われに寄す﹂という

現実への橋渡しがこの﹁まことかも﹂である︒かかる疑聞句が常に

前件と後件を連絡して︑一首の支えになっているのは歌い掛けの性

質によるのではないか︒内的な疑いより︑歌い掛けの方が集団に対

する在り方としては妥当である︒従ってこの歌は滑稽に向かって解

消して行く歌で︑内的に嬉しさを籠らせている歌ではない︒こうし

て東歌には疑問的歌い掛けで歌をドラマチックに構築する方法が割

合多い︒三句目にくることも四句目にくることもあるが︑同様な役

割を果すものと思われる︒

 高麗錦紐解き放けて寝るが上に何ど為うとかもあやに愛しき︵三

 四六五︶

の﹁あどせろ﹂の場合の在り様も叙上のものに似ているだろう︒

﹃代匠記・初﹂に ご六

 もろともに心とけてぬるかうへにも猶あかぬ心の切なるをみつか

 らあやしみてよめるなり とあるように﹁みつからあやしみて﹂と受けとれば作者の内面に属

するものとなるが︑東歌でそうした内質を考えることに私は躊躇す

る︒ ﹃疏﹄では﹁寝るがへに﹂の﹁がへに﹂を﹁なべ﹂の逆作用と

みて  ⁝⁝⁝寝てみるに拘らず︑一体︑どう言ふわけで⁝:・⁝

と口訳している︒こうなると﹁何ど為うとかも﹂は先述の歌と同

様︑前件と後件の︿つなぎ紅葉﹀となり︑歌いかけの様相を呈す

る︒この歌いかけ性ということを主に一首をみてみると︑この表現

は歌の在り様にとって男女の区別を越えた発想であることがわか

る︒

 ﹁あどせうとかも﹂と云ったのは前の﹁あどか吾がせむ﹂ ︵三四

 〇四︶と云ったのを同じ情熱的な心境である

と﹃注釈﹄にはいうのであるが︑こうした表出は︑相聞画面におけ

る相互性の下に言葉を云い替えて解釈してみるよりは︑男女の性へ

の客観的︑第三者的発想とみた方が妥当であろう︒個人の情熱性と

いったものではない︒ここを︿お前をどうせよというのであろうか

﹀とでも訳してみればいい︒︿お前を﹀などという語は多分含まれ

ない歌である︒

 ﹁何ど為ろ﹂という云い方は︑ 一対一の対応などではないもの

︵女ではないもの︶から歌謡主体にやってくる︒彼はそれを外へ向

かって云い返しているのである︒というより︑ ﹁何ど為ろ﹂といっ

た表出は︑そうした構図を作るための慣用句ではなかったか︒ ﹃私

注﹄では  アドセロは︑相手の言葉の如くも見えるが︑或は此の一句で︑一

 つの感動的表白なのかも知れない︒

(5)

という︒万葉をどの様に学問の対象にするかは人間に関わるのであ

るが︑土屋氏の右の受取り方は面幽い︒ ﹁アドセロ﹂をこの様に独

立的に見得る感覚は文学者・作家のものであろう︒これは芸者や流

行歌手の民謡理解とも︑学者のそれとも異質である︒学者は文法的

言い替えで処理するところであるが︑この﹁アドセロ﹂はどうやら

そうした平面性とは違うと感ずるのが文学のものである︒一体この

﹁アドセロ﹂はどの様な歌謡的表現であろうか︑と気づくところが

ら︑この一句が自らの力を主張してくる︒云わばこの一首におい

て︑それだけのものをこの一句は本来持つのである︒同時にこの一

句の在り様が一首の質を決定もする︒

 ︿感動的表臼﹀がどの様な形で存在したかにすべてがかかってい

る訳であるが︑三句目に使ったものに次の愚なものがある︒

 白雲の絶えにし妹を何為うと心に乗りてここば愛しげ︵三五一七︶

﹃注釈﹄では﹁絶えてしまった妹であるに︑何とせよといふのか﹂

と訳している︒これが水準でもあり︑妥当でもあることはいうまで

もない︒ ﹁何ぜせろ﹂というのは形式的には︿妹が私に﹀である︒

けれども妹は存在しない︒とすればこれは自己の内部にある伝統的

表出形である︒他を自己の内部に構築出来るのは真に内部的なこと

であるが︑その表出形が伝統によっているとすると事は一変しよ

う︒それはまた外部的︑一般的であった︒既に共有された形式的表

出であった︒例えば疑問表出は次の様に存在する︒

 三三六九あぜかまかさむ/三三九七あどか絶えせむ/三四〇四あ  どか吾がせむ/三四三四あぜか絶えせむ/三四六一あぜと云へか  /三四六五あどせうとかも/三四六九あぜそも今夜/三四七二あ

 ぜか其をいはむ/三四九四あどか思ふ/三五一三あぜか絶えむ/

 三五一七あぜ為うと/三五五六あどかも為む/三五六四あどすす

 か/三五七二あど思へか/三五七六あぜか愛しげ

﹁よそり﹂の文学−東歌・文学論の試み一︵渡部︶ この中で表面上からでもよみとれるはっきりした歌いかけは三四九 四の﹁汝はあどか云ふ﹂である︒﹃全註釈﹄で﹁歌垣の会などで歌 いかけた歌らしい形を持っている﹂という︒すれば当然集団的な背 景を持つ歌い掛けとなろう︒ ﹁大系﹄では  三三六九⁝⁝⁝⁝なぜしているのかね︒  三四九四⁝⁝⁝⁝お前はどう思う︒  三五五六⁝⁝⁝⁝お前をどうしょうQ などを歌いかけのように訳している︒これらは歌の形式上からもそ うなるわけであるが︑それと共に︑東歌の疑間表出はすべて︑内側

へ向うよりは︑外側へ向かっての歌い掛けの性質を持つのではない

かと私は推測する︒とすると﹃注釈﹂でみた三五一七の﹁妹を﹂へ

の逆説解釈が対象格のようになる︒

  三  ﹁よそり﹂の文学

 葛飾の真間の手児奈をまことかもわれに寄すとふ真間の手工奈を

の歌で﹁まことかも﹂を外向的に受取ったのは﹁塁間の手児奈﹂ ﹁

われに寄すとふ﹂などの表現があった故である︒その﹁寄す﹂とい

うのはく噂するVことであるとされる︒

 ⁝⁝⁝⁝つつじ花 香小女  桜花栄少女

         

 汝をそも われに寄すとふ

 われをもそ 汝に寄すとふ          荒山も齢し寄すれば

 ヨソルとそ云ふ 汝が心ゆめ︵三三〇五︶

について﹃大系﹂の頭注には︑・寄す一親しい仲だと噂する︒とあ

って︹大意︺に

 ⁝⁝⁝⁝少女よ︒お前と私と伸がいいと噂しているそうだ︒私と

 お前と仲よしだと噂しているそうだ︒あの人気もない荒山です

二七

(6)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第一ご一号

ら︑仲がいいと誰かが噂を立てるとひどく評判になるというから

と訳している︒ ﹁ヨソル﹂について﹃注釈﹄では﹃大系﹄の頭注に

︒寄そる一自然に寄せられる︒とあるのによって﹁荒山も人が寄せ

ると自然に寄って来ると云ひます﹂と解釈を変化させてしまってい

る︒当然東歌でも  三〇四八吾によそり一私に寄り添ふ

 三四六八汝によそり一お前さんに心を寄せた

などの様に︿自然﹀に訳している︒右にみたように﹃大系﹂では﹁

ひどく評判になる﹂とあるのだから解釈は二手に分かれてくる︒﹃

東歌新注﹂でも二様に分ける︒この二つに分ける最初は北条忠雄氏

の﹃上代東国方言の研究﹄あたりのようである︒氏は﹁ヨソル﹂を

﹁依︵寄︶セテア︵井︶ル﹂という存在態と説明される︒ ﹃時代別

国語大辞典上代﹄では

 ①心を寄せている︒関係があるなどと︑噂を立てられる︵三四〇

 八︶︒  ②自然に引き寄せられる︒自然ないし可能をあらはす︵三三〇

 五︶︒ と二様に出ている︒これは多分木下正俊氏が﹁﹃所依﹂ ﹁所縁﹂試

訓﹂ ︵万葉︶で行われた﹁ヨソル・ヨサル﹂の﹁言ひ寄せるという

意味の下二段のヨスに対する被動を表はす語﹂という一貫性からの

後退であった︒そしてそれは多分﹁大系﹂の頭注によっている︒

﹃古典全集﹄では﹁ヨソルは関係があるように言い立てる意の下二

段ヨスの受身動詞﹂とだけあって①の前半と②は含まれていない︒  なるほど﹁所依・所縁﹂などの﹁所1﹂はく受身・自然.可能V

などを示している︒また二一二五二﹁所感﹂ ︵てらせる︶︑ ﹁輝光﹂

︵てれる︶などは存在態という云い方も可能になり︑また一一四五 二八

﹁所浩之﹂ ︵ぬれにし﹀︑二五六三﹁所沽﹂ ︵ぬれぬ︶の様に完了

に訓まれることも出来る︒ ﹁所+自動詞﹂という文字面を一応離れ

て﹁ヨソリ﹂の実態から考え直した方がよいように思う︒

 木下氏が前掲論考で  ﹁言ひ寄せる﹂という意味の下二段のヨスに対する被動を表はす  語はなんであったかといふに︑それはヨソルまたはヨサルといふ

 動詞であった︒

とされるのは︑東歌などにみられる﹁ヨソリ﹂を︿言ひ寄せられる

﹀︿噂される﹀などと訳す前提に立っての発言である︒前述したよ

うに﹁ヨソル﹂には二様の受け取り方がある︒この﹁ヨソル﹂の内

容がはっきりしなければ所依︵縁・因︶に結びつけられるわけもな

いのである︒ ﹁ヨソル﹂の実相をみてみよう︒

 荒山も人し寄すれば

 ヨソルとそ云ふ 汝が・19ゆめ

においてく人が寄せると自然に寄ってくるVという様なはずはない

という理屈はとにかくとして︑荒山でも︑人が噂を立てるとi樽に

なる︑評判になる︑とみる以外に文脈は存在しないだろう︒ 瓢騰くヤーゆめ

という型では①②は不可能であろう︒ ﹃大系﹄のいう様に︑寄シ←

寄ソル︑起キ←起コル︑落チ←劣ル︑込ミ←隠ル︑添ヒ←添ホル︑

伸ビ←登ルといった語法かも知れないにしても︑実は﹁寄す﹂その

ものが﹁言寄す﹂の意味︑即ち︿噂する﹀までに文学的・慣用的転

化を遂げているのである︒だから﹁ヨソル﹂はく文学的表出﹀とし

て︑あるいは慣用語として︿噂される﹀︿評判になるVになってし

まっていると推定した方がよいだろう︒即ち﹁ヨス﹂i﹁ヨソル

(7)

﹂が対心的に噂についていうのである︑ということである︒こうし

て﹁ヨソル﹂を﹁言寄す﹂の被動にまとめると東歌にみられる

 三四〇心底によそり間なる児らし

 三四六八汝に寄そりけめ

 三五一二寄そり妻はも

も﹁噂﹂の方に解して矛盾はみられない︒この﹁ヨソリ﹂が﹁二﹂

格を取るのは﹁ヨス﹂からの形を受けるためであろう︒

 こうして巻十三︑十四には﹁ヨソリ﹂の明確な表示がみられるの

であるが︑果してこの﹁ヨソル︵リ︶﹂は所依・所縁・所期と同一

のものであるかどうかが次の問題である︒依︑縁︑因にヨス︑ヨル

の訓があるこというまでもない︒それに自然︑自発︑可能︑受身は どを示す﹁所﹂字を冠するわけである︒︿ヨサユ︑ヨレル︑ヨリヌ

Vなどの訓みは一応考えられよう︒木下氏が挙げられる﹁ヨソル︵

リ︶﹂臨みば次の様である︒

 五六四 率爾所依  ︺九二六所因友好  二七〇八名耳所縁之

 ︵一々 名耳所縁而︶

 二七三一所依之君

 二七五五所縁之君

 三︼六七吾爾所依児等

 他に一例三八二〇諾所因来

がある︒これらが先述の様に過去形やまた二二四七﹁所縁片縁﹂︑

二三五三﹁所光月夜﹂の様に存在態に訓まれ得ることは推測され

る︒また自然︑可能︑受身などに訓まれることも推測出来︑古訓に

そうであるのは一理あろう︒  それを﹁ヨスの被動﹂︑五十三︑十四にだけある﹁ヨソル﹂とす

﹁よそり﹂の文学−東歌・文学論の試み一︵渡部︶ るためには︑巻十一︑十二が東歌に近い発想を割合多く持っている ことを含んでいるにしても︑何かの媒介がなければなるまい︒簡単 な図式に戻していうと︑ ﹁ヨセル︵ヨル︶﹂と﹁ヨセラレル﹂の 中︑巻十三でみた様に︑それは﹁ヨセル﹂ではなく﹁ヨセラレル﹂ なのだと云わなければならないのである︒巻十一に次の様な三首が 並ぶ︒ ①霰降り遠つ大浦に寄する波よしも寄すとも憎からなくに︵二七二  九︶ ②紀の海の名高の浦に寄する波音高きかも逢はぬ子ゆゑに︵二七三  〇︶ ⑧牛窓の波の潮騒島とよみ所依之君は逢はずかもあらむ︵二七三一︶ この三首はたまたま関連的に解釈出来よう︒①の﹁寄する波﹂まで は﹁寄す﹂を導く序であるが︑次の歌をみると︑これは﹁寄す﹂ 噂さの激しさを含んでいる︒②の﹁寄する波﹂はそのまま噂でもあ

って︑その噂が高い﹁音高き﹂を導いている︒このことは③の﹁潮

騒島とよみ﹂も同様で噂の激しいことを云っている︒即ち③の三句

までは噂11言寄すU寄す等の内容をいっていることに聞違いはな

い︒とすれば﹁所依之君﹂はその噂を受けている状態であることも

間違いないであろう︒受身の﹁ヨサエシ﹂ ︵大系など︶の例がない

としたら︑ここは﹁ヨソリシ﹂と訓んで悪いことはあるまい︒ ﹁ヨ

リニシ﹂という過去態︑ ﹁ヨリタル﹂という存在態では﹁潮騒島と

よみ﹂にどうしても適合しない様に思われる︒即ち﹁ヨル﹂ ﹁ヨセ

ル﹂では文脈上ぴたりとしないところである︒

 君にはしゑや所構ともよし︵一九二六︶

はく心を寄せる﹀とはならないだろうし

 名のみ所縁し︵二七〇八︶

はく名だけでも心を寄せる﹀とはならず

二九

(8)

長崎大三教育学部人文科学研究報告 第二二号

 空言も所縁し君が︵二七五五︶

はく空言にても心を寄せたVとはならないだろうと思われる︒

 こうして巻十一︑十二の所+縁・依・因を巻十三︑十四の﹁ヨソ

ル﹂と訓む可能性は出てくるように思われる︒逆にいうと十四の発

想には十一︑十二に似た所があるのである︒

 そして三四︑五六四坂上郎女の歌に

 吾に所依言はれし君

という表現がある︒これは右の十一︑十二の系諾であろう︒ ﹁ヨソ

リ﹂十﹁言はれし﹂と二重の構造になっているのは︑ ﹁ヨソリ﹂が

文芸用語独立観念となってーヨソリの持つ集団的基盤から個三拝

情に吸引されてしまって一それに﹁言われし﹂を加えることによっ

て動的復活をはかったものであろう︒

     巻十−−−二−−−巻四

面ソル︷ 巻十一

巻十二⁝ ︸⁝巻十三︑ +し人言︵事︶

 ヨス→←ヨソルの噂の世界はまた﹁人言﹂の世界に接しよう︒し かしこのヨス→←ヨソルの世界と人言の世界.は違っている様であ

る︒

       ▼       ▲  人事を繁みと君に玉梓の使も遣らず贈ると思ふな︵二五八六︶          ヤム  人事の繁き間守ると逢はずあらば終にや子らが面忘れなむ︵二五  九こ

といった形からみて判る様に︿人事﹀は男女二人︵の逢い︑恋い︶

に対立としてある︒男女の外側にあるのである︒人言の繁きにより

てよどむ︵ゴニ〇九︶︑人言の繁くしあらば君も吾も絶えむといひ

て︵三一一〇︶︑人言を繁み逢はずて︵二九二三︶などの例から右

の傾向を云うことは可能である︒

 人言のヨコスをききて首題の道にも逢はじと言ひてし吾妹︵二八 三〇

 七一︶ とあるヨコス︵正しくないことをいう︶の性質が︿人言﹀の内容だ

ということが出来る様に思われる︒これに対して﹁人の言︑言の繁

けく﹂という云い方がある︒

 君によりてし言の繁けく︵二三九八︶

 わが思ふ妹が言の繁けく︵二四三九︶

との様に表現されるのが典型であるが︑この場合は男女の一方面︿

人言﹀がかかる傾向にある︒

 人言の繁き間守りて逢ふともやさらにわが上に言の弾けむ︵二五

 六一︶ にみられる様に﹁人言﹂は二人の上に関わり︑﹁言の繁﹂きは吾が

上に関わるのである︒とにかく﹁人言・言﹂の繁きは自らの外側に

対立・障害・﹁ヨコス﹂の状態で存在することが表われている︒

 この系列に対して﹁ヨス﹂→←﹁ヨソル﹂の系列は次の様に現わ

れている︒

 ①霰降り遠つ大浦に寄する波よしも寄すとも憎からなくに  ②紀の海の名高の浦に寄する波音高きかも逢はぬ子ゆゑに  ③大船のともにもへにも寄する波よすともわれは君がまにまに

最後の例だけが初出であるが︑例えば①では﹁寄す﹂を肯定してい

る︒②では男女は逢っていない︒恋とは関係ない状態︒③ではやは

り﹁寄す﹂を肯定し︑その中に自分が入り込んでゆく様相を示して

いる︒即ち無責任な噂の性質があって︑当事者も世間もこだわらず

土ハ

ノ亡んでいる様子がみられる︒

 朝東風に井堤越す波の外目にも逢はぬものゆゑ滝もとどろに︵二

 七一七︶

ともあるように︑噂一寄すの世界には男女の逢いや恋いなどなくて

よいのである︒勝手に︑仮構的に男女を肯定的に含んでしまう︒︿

(9)

人言﹀が男女の一対に対立として存在していたのとは性質を異にす

る︒ ﹁ヨソル﹂の場合もヨスと同一の性質である︒右の三首の寄す

は実は寄せられる1ーヨソルの状態で.あった︒  春山の馬酔木の花の憎からぬ君にはしゑやよそるともよし︵一九

 二六︶  浅茅原刈り標さして空言もよそりし君が言をし待たむ︵二七五五︶

のように﹁ヨソル﹂を肯定し︑ ﹁ヨソリ﹂の中に入り込んでしまっ

ている︒これは﹁ヨスーヨソル﹂が集団の無責任な善意なのだから

なのだろうし︑逆に﹁人言﹂は悪意なのである︒ ﹁ヨスーヨソル﹂

は一つのくおせっかい﹀なのであり︑この︿おせっかい﹀はその本

質に︑積極的な人聞の滑稽性︑集団の善意を含んでいる︒

 東歌にも﹁人言﹂と﹁ヨスーヨソル﹂の二系列がある︒

   あしとひとごと

ωムま

ω斜㎝ぴωま鉢

ωまぴ

ωムcon

ω斜ミ

ω㎝ま

やそことのへは ひとごとの ぬればことにつ ことたかりつも ことにでにしか

ひとごとしげし ωωco刈 われによすとふ ω合︒︒ わによそり

(ω

部ォつまよしこせね︶ ωミco なにこそよされ

。っ

ソ誌 よそりつまはも

ω㎝ま ひとさへよすも

(ω

ヨ切α おとだかしもな︶

 この東歌の﹁寄す﹂を噂の世界のもの︑或は噂を構成する︑そう

いった環境のものと見ることはそれほど難くない︒

 葛飾の真間の手児奈をまことかもわれに寄すとふ真黒の手署奈を

の歌で︑﹃注釈﹂に﹁これは民謡である﹂というのは先に挙げた

が︑それはこの歌の構図が拝情詩としては不可能であるという理由

に基づくだろうが︑ ﹁寄す﹂をここまで持って来たのは東歌であ

る︒そうなり得る条件が既に﹁寄す﹂の中に存在したことは右に見

た通りである︒それを可能にするほどの環境をまた東歌はもってい

﹁よそり﹂の文学−東歌・文学論の試みi︵渡部︶ たわけである︒  そしてまた右の歌が幻想的︑仮構的な設定であるとすると  人皆の言は絶ゆとも埴科の石井の手児が言な絶えそね︵三三九八︶ も同様に考えてよいだろう︒ということはまた﹁言な絶えそね﹂と いう一般的好情の世界をもこの仮構性が侵略してしまって︑吾i妹 の関係とだけ考える必要がなくなってこよう︒そして﹁言な絶えそ ね﹂が幻想性の構築要素でもあり得たとすれば東歌の様相はもっと 変る︒万葉集では  =二六三いまだふふめり  三三八○つなはたゆともi  三三九八石井の手量が とあるが︑少くとも東歌ではこれは個の無情関係でなくともよいこ とになろう︒と共に﹁吾にな絶えそね﹂もこの一連であり﹁吾﹂が 必ずしも個性的な個人を意味しなくてもよいことになろう︒  こうして﹁ヨス﹂が構築された噂の世界に関わる︑ある文学表現 の用語であるとすると︑東国での﹁人言﹂もその趣に少異があろう︒  川上の根絶高草あやにあやにさ寝さ寝てこそ言に出にしか︵三四  九七︶ について折口氏は次の様にいう︒  この歌︑言に出たに対しての感じを歌ってみるのだが︑其点は︑  歌の上に出て来ない︒覚悟の前だと︑潔く人のそしりを受ける心  持をいふのらしいが︑尚疑問がある︒ こうしたことを言い得るのは折口氏をおいてないのだが︑︿言に出 たに対しての感じ﹀というのは巻十一︑十二にみられる様に︑男女 の恋に対して﹁人言﹂が対立的︑障害的に存在しなければならない ことを云っている︒即ち﹁人言﹂に対しては本質上苦悩の表現が普 通であるというのである︒そうしてみればこの歌は変だ︑︿尚︑疑

==

(10)

長崎大三教育学部人文科学研究報告 第二二号

三二

問があるVというのである︒事実ここには﹁人言﹂への対立︑防禦

といった心情は読みとれない︒室伏秀平氏は

 当事者の歌とも思われるが︑第三者の世評と見た方がよいようで

 ある︵万葉東歌︶

と云われるが︑この第三者というのは﹁ヨスーヨソル﹂関係の噂︑

世評の方へ作者が移行している状態である︒即ちこの歌は噂そのも

のの表出としてあるような具合なのである︒噂が歌で︑歌が噂の様

な具合なのである︒

 東歌というのは歌そのものが噂の役割をなしていて︑そうした仮

構の中で遊んでいる様な状態ではないだろうか︒

 ﹁人言﹂が自己︵男女の恋︶の世界を確保していて︑それに対立

する社会への拝情表出であったに対して︑東歌では﹁人言﹂の世界

にも自己が存在していて︑人言も歌も仮構なのだという世界︑そう

した在り様があったのではなかろうか︒即ち﹁人言﹂が﹁ヨスーヨ

ソル﹂の世界に接近しているのである︒

参照

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