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マンリィ・ラブの二つの顔 : 『ジョゼフと友達』 における戦略的欺瞞

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(1)

マンリィ・ラブの二つの顔 : 『ジョゼフと友達』

における戦略的欺瞞

著者 本合 陽

雑誌名 人文論集

巻 50

号 2

ページ A127‑A145

発行年 2000‑01‑31

出版者 静岡大学人文学部

URL http://doi.org/10.14945/00008879

(2)

マンリィ・ ラブの二つの顔

一『 ジ ョゼフと友達』における戦略的欺臓

ホモセ クシュアル の 「′醸理学 的・精神 医学 的・病理 学的範疇 が成 立 した」年 とフー コー が名指 した1870年1‑冊の小説 が一人 のア メ リカ人 の手 によつて書 かれ た。ベイヤー ド・ テイ ラー の『ジ ョゼ フ と友達』 である。2ぁま り注 目され

る こ とのない この作 品 を取 り上 げ論 じるのは、作 品に見 られ る混乱 に とて も興 味 を惹 かれ るか らだ。 当時 の時代背 景 と照 らし合 わせ る と、作者 と作 品の関係 が見 えて くる。 同性 間の愛情 を十分 に描 くと見せ なが ら、結末 で は意外 な結婚 を暗示す るのだが、 これ は作者 自身 のなかでの混乱 の結果 なのか、それ とも作 者 の仕組 んだ意 図 なのか。

今 で こそ忘れ られ た作 家 で あ るが、テイ ラー は 当時 「金 めっ き時代 の桂 冠詩 人」 と称 され 、旅行記 の作 家 として も、相 当の人気作 家 で あった。彼 はその勢 い にの り、小説 も書いたが、『ジ ョゼ フ と友達』が小説 としては事実上最後 の も の と考 えて も良いだ ろ う。

バ ー ン・ フォー ンがホイ ッ トマ ンの研究書 のなかで、興 味深 い事実 を指摘 し て くれ てい る。

In a notebook entry in 1854,Whitman said that Bayard Taylor's

poemsethave as attributes what nught be caned their psychology一

You

cannot see very plainly at tllnes what they lmean although the poet indirectly has a 

ΠLeaning''(Nυ Pν「

5:1771).(RIndirectly''indicates a special

hterary tongue,and this term is a definition ofthe constantly engaged

and experilnental discourse concerning the theories, practice, and

ilnphcations ofli宙 ng a homosexuallife thatis part of Whitman's special tongues.Taylor's indirect meanings and his ttpsychology"deal with that

same manly friendship Whitman hoped to see mentioned in print.3

合 本

‑127‑

(3)

男同士の愛を歌 う詩人 として、エ ドワー ド・カーペ ンターを始 め、多 くの同 性愛傾向のある人々を惹 きつ けてきたホイ ッ トマ ンが、テイ ラーに同 じ傾向を 見いだ している。ホイ ッ トマンが男性同士の愛情や、男性の肉体的な魅力を歌つ たのは事実だ としても、露骨な表現でそ ういつた主題 を歌えたわけではない。

テイ ラーの詩の中の 「間接的」な面を指摘 しているが、ホイ ッ トマ ン自身同 じ 側面を持 つていた。テイ ラーの小説『ジ ョゼフと友達』は、一見相矛盾す る方 向が共存 していると述べた。その矛盾 と、 この 「間接的」 との関係。私がこの 論文で明 らかに しよ うと思 うのは、 この点である。あま り知 られていない作品 なので、簡単な粗筋か ら始 めよ う。

I

主人公 ジ ョゼフは孤児であ り、親か ら譲 り受けた農場 に叔母の レイチェル と 共に暮 らしている。彼 は 自分のことを うまく表現できず、また 自分のことを客 観的に理解 している とは言えない少年だ。 ジ ョゼ フの性格 を定義 している箇所

を引用 してお こ う。

Joseph Asten's nature was shy and sensitive,but nOt merely from a habit ofintroversion.He saw no deeper into himseL in fact,than his moods and sensations,andthus quite failed to recognize whatit was that kept him apartiヒ om the society in which he should have teely lnoved.

He felt the difference of others,and constantly probed the paln and embarrassmentit gave him,butthe sources wherefrom it grew were the

last which he wOuld have guessed。

(22)

そんな彼 にも気心の知れ たエル ウッ ドとい う友人がお り、 また密かにルーシー とい う少女 に恋心 を抱 いてい る。 しか し友人 たちに誘 われ たパーテ ィの席上、

街 か ら来 た少 女 ジュ リア に、 田舎 の少女 にはない魅力 を感 じ、一 日見て恋 をす る。彼 女 の方 で も彼 に惹 かれ ていた こ とがわか る と、二人 は結婚す るこ とにな る。

ジュ リアに会い に街 に行 つた帰 り、 ジ ョゼ フは列車で フィ リップ とい う、彼 よ りも少 し年上 の男性 と知 り合 う。会 うや いなや彼 に惹 かれ 、 ジュ リア との結 婚 の是非 をめ ぐって相談 した り、同性 の愛情 に関す る議論 を した りす る。結局 彼 は結婚す るが、結婚 してみ る と、 ジュ リアは彼 よ りも随分 と年上 で、 しか も

(4)

金欠 に苦 しむ実家 を助 けるために彼の財産 を利用 しよ うとしている側面が見え てきて、ジ ョゼフは結婚の失敗 を思わないではい られない。

ある時、 ジ ョゼ フとジュ リアは喧嘩をす る。その時、以前ジ ョゼ フが好意 を 持 つてお り、また実は彼に密かに好意 を寄せていたルーシーが訪ねて来ていた。

常々ジュ リアの策略や見せかけの愛情に うん ざ りしていたジ ョゼフは、「ボクは 仮面には うん ざ りなんだ」

(304)と

叫んで しま う。シ ョックで 自室にこも り出 て こないジェ リアの様子 を見に行つてみると、彼女は砒素を飲んで死んでいた。

当初はジュ リアが夫 に嫌われたことを苦に 自殺 した と考 えられたが、彼女の 死の直前、ジ ョゼ フがルーシー と会 っていた ことがわかって くると、ジ ョゼフ による殺害ではないのか とい う疑いが生まれてきた。また砒素の入手経路に関 して も疑間を持たれた。訴 え られ る前に 自分の方か ら取 り調べ を受 ける方が良 い とい うフィ リップの助言に、ジ ョゼ フは従 う。それ以降フィ リップを始 め と す る友人たちによる、ジ ョゼ フの無実 を証拠す る努力が始 まる。

そ して迎えた裁判、お とな しいルーシー も自分の評判 もかな ぐり捨て証言 し、

フィ リップが何 とか連れて くることができたため、ジュ リアの父の証言 も得た。

その結果、当時顔色 を良 くす るために砒素 を利用す る習慣があ り、そ もそも顔 色の悪いのを気に していたジュ リアは砒素を常用 していたが、死の当 日、ジ ョ ゼ フの言葉 に衝撃 を受 け、誤つて致死量 を超 えた砒素を服用 したための事故で あるとわかる。

その後 ジ ョゼ フはこのよ うなことになったのも自分のいた らな さのためであ る と考え、故郷 を離れ旅 に出る決心を し、フィ リップの妹の助言 もあ り、フィ リップのた どった足跡 をた どる旅 に出る。 しば らくして 自分が子供であつたこ とを悟 ったジ ョゼフは故郷 に戻 つて くる。フィ リップは彼の帰郷 を喜ぶが、 し か しフィ リップの妹マデ ランとジ ョゼ フの結婚が暗示 され る。それ を見て、 自 分 とジ ョゼ フのた どるべ き道は別 々であ り、片一方 の性だ けでは不完全だ と思 い、フィ リップも結婚 を決意す る。

以上が作 品の粗筋である。妻 となった女性 の 「計略」や 「仮面」に気づ くこ とのできなかった 「イ ノセ ン ト」なジ ョゼフが、フィ リップ との出会いを通 し、

自分 自身 とい うものに 目覚めてい くとい う、一種 の成長物語になってい るのだ が、その成長 が 目指 した方向 と、最後の最後に暗示 され る二人のそれぞれの結 婚 とい う将来 との間には、埋めることのできない溝があると感 じられ る。そこ がこの作品の問題であると思 う。

‑129‑

(5)

そ もそ もテイ ラー は、 同性 愛的な傾 向の作 品 を残 していた こ とで、かな り前 か ら注 目を集 めていた らしい。 ゲイ・ スタデ ィーズ が盛 ん にな る前、1964年 書 かれ たエ グ リン トンの『 ギ リシ ャの愛』 に、「19世紀 にお けるボーイ・ ラブ」

と題 した章があ り、その中でホイ ッ トマ ンと同時代の作家 として、詩人テイ ラー の名前 が挙 がつてい る。4ロ̲卜 K・ マーテ ィンが『アメ リカ詩 にお ける同 性 愛 の伝 統』で書 いた、「テイ ラー は旅行記 とい う記述方法 を取 るこ とで、 ター キ ッシュ・ バ スや 、ハ ッシ ッシ吸飲 、踊 る少女、酔 っば らいの ドンチ ャン騒 ぎ、

かわいいア ラブの少年 を、検 閲 され る とい う恐怖 を感 じるこ とな く描 くこ とが で きた。彼 は単 に異 国の習俗 を報告 してい るだ けなのだ か ら。 この よ うに、彼 の旅行記 は初期 のポル ノグ ラフィ と同 じと言 つて も良い よ うな機能 を果 た した。

科 学 の偽装 の も とで、エ ロテ ィ ックな刺激 を提供 した」 とい う評価 は、5間違 っ

てい ないだ ろ う。

彼 が旅行記作家 として活躍 したのは1850年代 で あるか ら、 もちろん露骨 な描 写 が あ るわ けで はない。 しか しター キ ッシ ュ・ バ スの描 写 な どは、なかなか に 興 味深 い。話 が逸れ るが、 引用 してお こ う。芸術論 の よ うに書かれ てい る描写 の背後 にエ ロテ ィシズ ムが見 えて くる。

The bath is the tepecuhar institution"ofthe East。 ….but the bath,

thatsensuous elysium which cradledthe dreams ofPlatO,andthe visiOns ofZorOaster,andthe solemn meditations ofMahOmet,is only to be found

under an Oriental sky. The naked natives of the Torrid Zone are arrlphibious;they do not bathe,they hve in the water。

6

The brOwn sculptOr has nOw nearly corFlpleted his task.The

figure of clay which entered the bath is transformed into pohshed

marble. He turns the body fronl side to side,and lifts the limbs tO see whether the wOrhmanship is adequate to his conception. His satisfied

gaze proclallns his success. A skihl bath‐ attendant has a certain

aesthetic pleasure in his occupation. The bodies he poLshes becOme to some extent his own wOrlttnanship,and he feels responsible for the士 symmetry or deformity.  He experiences a degree of triumph in contemplating a beautiful form,which has grown inore attily hght and

(6)

beautiful under his hands.He is a great connoisseur ofbodies,and cotld pick you out the finest speclnens wlth as ready an eye as arl artist.

I envy those old Greek bathers,Into whose hands were dettvered

Pericles,and Alcibiades,and the perfect inodels of Phidias. They had daily before thett eyes the highest types of Beauty which the world has ever produced;for of an things that are beautttul,the human body isthe

crown.Now,since the delusion ofartists has been overthrown,and we

know that Grecian Artis but the simple reflex of Nature― ―that the old

masterpieces of sculpture were no mttaculous embodiments of a beα

Jdeα

みbut cOpies of h宙 ng forms―

we must admit thatin no other age of the world has the physical Man been so perfectly developed. 

rhe

nearest approach l have ever seen to the sy■

lrFletry of ancient sculpture

was among the Arab tribes of Ethiopia. Our Saxon race can supply the athlete,but not the Apono.7

さて、『ジ ョゼ フ と友達』だ。 この作 品には 「男 の女への愛 同様 、男 の男への 愛 の真実 と思いや りのあ る愛情 を信 じる (中

)人

々へ」(五

)と

い う言葉 を含む エ ピグラフが付いてい る。読者 はその言葉 を念頭 に置 いて読み進 めるわ けだか ら、男性 同士 の 肉体 的な接触 には敏感 になって も仕方 がない。初 めて ジ ョゼ フ が フィ リップ と出会 う列車 のなかの場面 で、 ジ ヨゼ フは フィ リップの肩 に もた れ かか って眠 りにつ くとい う描写 が あるが、実 は この二人、何 か ある と 「肩 に 手 をや る」 とか 「手 を取 る」 とい つた表現 で描 かれ 、二人 の肉体 的接触 が強調 され てい る。 この手 をめ ぐる議論 に関 して、実 は興味深 い見解 が ある。 同 じく 詩 人 で あ る友人 リチ ャー ド・ ヘ ン リー・ ス トダー ドがテイ ラー に詩 を捧 げたそ

うだ が、そ の献辞 のなかで書 かれ た言葉 をめ ぐる議論 だ。

Stoddard haddedicated his Poο ]%sto Taylorin 1852,and in his dedication he asked Taylor to踊 oin our hands,/And knit our souls in Friendship's holy bands."As Marth polnts out,eth。

ly barlds"inev■ tably recans eth。 ly

bonds''ofwedlock,which suggests thatteStoddardis estabhshing a model for friendship(which he Platonica■ y capitalizes)that win be parallel to,

and perhaps even superior to,the love ofrnan for woman."8

‑131‑

(7)

私 が ここで繰 り広 げ る議論 に これ を直接 当てはめ るのには多少 の無理 があ る として も、 この作 品での二人 の体 の接触 に同性愛的 なニ ュア ンス を読み込む方 が 自然 であ るのは明 らかで ある。その意味で も、最 も注 目すべ き場面 は、 ジ ョ ゼ フが結婚 し、その結婚 が破局 に向か う時期 、彼 が フィ リップに相談 に行 つた 場 面 で見 られ る ものだ。

Yes,we will wa量

,"said Philip,after a lOng pause."You came

to rne,Joseph,as you said,inweakness andconfusiOn:I have been talking of your innocence and ignorance. Let us not rneasure ourselves in this

way. It is not experience alone which creates inanhood. What will

become of us l cannotten,butl win not,I dare not,say you are wrong!''

They took each Other's hands.The day wasfa《

ng,the landscape

was silent,and only the twitter ofnesting bttds was heard in the boughs

above them.Each gave way to theimpulse ofhis manly love,rarer,alas!

but as tender and true as the love of woman,and they drew nearer and kissed each Other.As they walked and parted on the highway,each felt that life was not wholly unkind, and that happiness was not yet

llnpossible。 (217)

この場面 を読んで、男 同士 のキスシー ンに単 なる友情 しか感 じなかった とし た らど うか してい るだ ろ う。 さ らに、妻殺 しとい うジ ョゼ フヘの嫌疑 が無事晴 れ た後 、 ジ ョゼ フ とフィ リップの こ とを描 く場面 に も同様 の言葉 が見 られ る。

Meanwhile,Joseph and his guests sat on the veranda,in the stin,

mild air.He drew his chair near to Philip's,their hands c10sed upon

each other,and theywere entttely happylrlthe tender and perfect manly love which united them。 (340)

ここでは 「優 しく完全 なマ ン リィな愛」 とい うフ レーズ に注 目したいのだが、

この文脈で見る場合、男 らしい愛 とは、ホイ ッ トマ ンの描 くようなホモエ ロティッ クな愛情 を指 してい るだ ろ う。「手」 を重ね るこ とでその愛 を成就す るかのよ う に描 かれ てい るので ある。テイ ラーの比較 的最近 に書 かれ た唯一の評伝 の作者 ポール・

C・

ワーマス も、「マ ン リィ・ ラブ」 とい うフ レーズ に注 目し、ホイ ッ

(8)

トマ ンを連想 させ る と書いてい る。9ちなみ にホイ ッ トマ ンが この 「マ ン リィ・

ラブ」 とい うフ レーズ を用 いてい る箇所 はい くつ か あるよ うだ が、その 中で有 名 な ものは 「カ ラマス」詩編 の 「君、デモ クラシー に」で あ り、次の よ うになっ てい る。「仲 間の愛」 を 「仲 間のマ ン リィな愛」 と置 き換 えてい るわ けだか ら、

仲 間 同士互 い にマ ン リィな愛 を持つ こ とにな り、従 つて 「男 らしい愛」 はまた

「男の愛」、「男の間の愛」 となってい く。

COME,I Will make the continent indissoluble,

I win make the lnost splendid race the sun ever shone upon, I win rnake divine lnagnetic lands,

With the love of conlrades,

With the l」

ie‐

long love of corrlrades.

I win plant companionship thick as trees along an the rivers of

America,and along the shores of the great lakes,and an over the pratties,

I win rnake inseparable cities with their arms about each other's necks,

By the love of comrades,

By the manly love of comrades.

再 々引用す ることにな るが、 ロバー ト・

K・

マーティンが書いてい るよ う に、 この作品では同性愛者の生きる権利 を擁護 していると取ることのできる発 言がある。フィ リップが採鉱 をしていた ときのことを話 し、「ロッキー・マ ウン テ ンでの生活で学んだ良い ことの一つなんだ。高級でも低劣でもな く、知識が あるってわけでも無知 ってわけでもない。ただ集 まつて くる男たちの必要に当 てはまるものがあるだけなんだ。だか ら多 くの男が持 つてお り、生涯かかつて 求 める必要なものがあるんだ よ、だ ってある特定の形でその必要が満た され る ことを願 うか らね」 00と 語 る。後 に述べ る言葉 にはさらに明確 な主張が込 め られている。

"Is there no way out of this labyrinth of wrong?" Philip exclaimed. "Two natures, as ftar apafi. as Truth and Falsehood,

-133-

(9)

monstrously held together in the rnost intimate,the hohest of bonds,一 two natures destined for each other monstrously kept apai by the same bonds!Is hfe to be so sacrificed tO habit and prdudiCe?I said that Faith, hke Law,was fashioned for the average manithen there rnust be a loftier faith,a juster law,for the men― and the wOmen― who cannot shape

themselves according to the common‐

place pattern of society,一

who

were borrl with instincts,needs,knOwledge,and rights― ―

ay,月

ごλ漁 5′ ― ofthett ownF'(214)

「あ りふれた世間の型に従つて自分たちを形成できない」者 とは同性愛者の ことだろ う。それ故、ここでは、「あ りふれた世間の型によって自分たちを形成」

できる者、つま りいわゆる異性愛者 とは別 の生き方にも真実が存在す ることを 主張 しているわけである。

フィ リップは 自分たちに とっての真実が存在す る理想郷 を夢見たのかもしれ ない。ジ ョゼフが 自分の結婚のことでフィ リップ と話 しているときに、「もし君 がもつ とすば らしい世界 を知 っていたな ら、た とえ君の知識の一部が邪悪なも のであっても、この致命的な結婚か ら逃れ ることができたのに」

(215)と

フィ リップが言 うと、ジ ョゼ フはフィ リップの言葉 を全面的に受け入れたい とい う 希望を、「ボクは君の言葉 に大 きな誘惑を感 じるんだ。その言葉に従 えばボクの 鎖 は切れ、ボクの過去、現在の生活か らはスパ ッと別れ ることができ、意志 と 本能的欲望に身を任せ ることができる。ああフィ リップ。 もしも僕たちの人生 を完全に僕たちだけのものにす ることができた らなあ。 もしボクが場所を見つ けることができた ら」

(215)と

、熱烈な言葉で応 じる。す ると即座 にフィ リッ プが 「そのよ うな場所な ら知 っているよ」 と答え、「一緒に行こうよ」 とまで言

う (216)。 そこは 「谷」であるとい う。妻殺 しの容疑が晴れ、フィリップの辿っ

た ところをめ ぐる旅 に出て、ジ ョゼ フが発見す るのもこの 「谷」である。

.a great va■ ey,bOlnded by a hundred miles of snowy peaks;lakes in

its bed;enOrnous hinsides,dOtted with groves of」

ex and pine;orchards

of orange and oLve;a perfect climate,where it is bliss enough jllst to

breathe,and ieedom iom the distorted laws Of men,fOr nOne are near

enough to enforce them!Ifthere is no legal way of escape for you,here, at least,thereis no force which can drag yoll back,once you are there.(216)

(10)

どうや ら同性を愛す る者たちの楽園を暗示す るかのようなこの 「谷」に関 し、

・ フォー ンはホモエ ロティックなテキス ト特有の主題 を指摘 し、その一つに 「同 性愛の男性 が安全 に自分たちの愛 を表明 し実践できるユー トピア世界の記述が

ある」 と述べ、 この作品をその伝統に位置づ けている。 H

フィリップが現実に存在す るもの として語 る 「谷」ではあるが、語 られ るそ の世界は、 どうも 「神」 と結びつき、「上」に位置す るように思われ る。例 えば、

ジ ョゼフが 「私たちは私たちの人生 を私たちの下にあるのではな く、上にある 法則に従 つて形成 しなければな らない」 (228)と 言い、一方 フィ リップは、「ボ クたちは別れてはいるけれ ど、二人の魂 が同 じよ うに明るく暖か くお互いに向 かつて開いているのがわかるんだ。そ して神への道は男の愛に通 じていると感 じるんだ」

(353)と

述べ る。まるでイデアの世界 を 目指す プラ トンのよ うです らある。

「谷」を発見 した と報告 した後、ジ ョゼフはこんな言葉 を加 えている。

Yes,but we win only go there on one of these idle epicurean iOurneys of which we dream,and then to ettOy the wit and wisdom of

our generous friend,not to seek a refuge from the perversions of the world!For l have learned another thttLg,Philip:the freedoln we craved is not a thing to be found in this or that place.Unless we bring it with us,we shau not find it。 (355)

幸せの 「谷」の存在 を自分で確認 した上で このよ うに語 るのを聞けば、その 自由を携 えて今生 きている世界で生 きてい くのか と思つて しま うが、 ところが そ うではない。

作 品の最後はフィ リップの独 自で終わる。独 自の直前、フィ リップはジ ョゼ フが 自分の妹のマデランといるのを 目撃 し、二人が親 しくなると決めつ け、 自 分が将来の生活 と思い描いていた、「マデランが家を作 リボクのためにピカ ピカ に して くれ、ジ ョゼフがボクに男の愛 とい う貴重な親交、女の愛 とはまるで違 うが、 とても純粋で完全な愛を与えて くれ る」生活 を、二人が破壊 し、 しか し、

「どちらの性 も片一方では不完全であ り、人の完全な生活 こそボクのもの とな るのだ」 とい う決意 と共に、 自らも結婚 を決意す る。 (360‑61)

Ah,you unconscious lovers,you sunple‐ souled children,that know not

‑135‑

(11)

what you are doing,I sha■ be even with you in the end!  rhe world is a failure,God's wonderful system is llnperfect,ifthere is not now hving

a noble woman to bless rFle With her love,strengthen rrle with her

selisacrifice,purtt me with her sweeter and clearer faith!I win wa量 :

but l shan find her!(361)

フィ リップが見いだ し、ジ ョゼフも存在 を確認 したのだか ら、幸せの 「谷」

はそこにあったはずだ。なのに知 らず知 らずの内に遠 ざかって行 き、最後には フィ リップの独 りよが りに思われ る結論で、幕 を閉 じている。 しか し、結婚 を 失敗に至 らせ ることになった囚われていた状態か ら目覚め、実は求めていた 「友 愛」の世界 を発 見す るのであれば、その世界ヘー挙 に旅立つ ことを読者が期待 しても無理はない、そ うい う論理展開であるはずだった。その意味で、この作 品は、少な くとも現代の読者の期待 を裏切 るものである。 しか し、最後の土壇 場で裏切 るのか とい うと、実はそ うではない。その点 こそがこの作 品の興味深 い ところなのだ。

この作品に用い られる言葉のなかで、「イ ノセンス」 と「マンリィ」は重要だ。

何故重要か とい うと、同 じ言葉が持ち うる異なる意味を、最大限に作者が利用 していると思われ るか らである。

「イノセンス」はこの作品中、「純潔」、「無邪気」、「無知」、「無実」 と、この

言葉が含意す る様々な意味で用い られているように思える。 しかもこの言葉は

ほ とん どの場合、ジ ョゼ フを形容す る言葉 として用い られている。例 えば友人

のエル ウッ ドはジョゼフを評 し、「彼は一歳の赤ん坊のようにイ ノセン トだ。ジョ

ゼフ・ アスタンほ どいい奴はいない。でも彼の育ち方は男の子 とい うよ り女の

子 にピッタ リだ」 (48)と 評す る。この言葉などは 「純潔」、「無邪気」 と解釈で

きるだろ う。 しか し、「もしも彼がそれほどイ ノセ ン トでなければ、 もしも外部

に現れた 自己に意識過剰であるほ ど自分の内面の本性に無意識でなければ、彼

の思いがジュ リア・ ブ レッシングではな くフィ リップ・ヘル ドに向かつていた

と気づいていただろ う」 (96)と い う箇所では、む しろ 「無知」の意味で用い ら

れている。 さらに、ジュ リアの 「仮面」にだまされた と悟 った ときのジ ョゼフ

は、 自分が今まで 「イ ノセ ン トに、イ グノラン トに」生きてきた と語 り、 自分

で 自分の無知を認める。そ して裁判の場面になると、ジョゼフの友人たちが、「み

(12)

ん なで彼 のイ ノセ ンスを確 立せねばな らない」

(300)と

、「無実」の意味で用い られ る。

さ らに言 えば、 ジ ヨゼ フのイ ノセ ンスは多 くの登場人物 に よつて も確 認 され る。 まず は彼 の死んだ母。続いて育てて くれ た叔母。友人のエル ウッ ド。妻 ジュ リア。そ して最愛 の友人 フィ リップ。何 よ りも、彼 は 自分 自身 をイ ノセ ン トと 規 定 してい る。

彼 の 「無実」 が確 定 した後 、 ジ ョゼ フは旅 に出たが、「谷 」 を見いだす前 、 こ ん な内容 の手紙 をフィ リップに書 き送 つてい る。

One weakness is left,and you will understand it.I blush to lnyser,一

I am ashamed of my early innocence and ignorance.This is wrong;yet,

Philip,I seelm to have been so unlrlanly,一 at least so unrrlascuhne! I looked for love,and fidehty,and an the virtues,on the surface of life;

beheved that a gentle tongue was the sign ofa tender heart;felt a wound

when some strong and positive, yet differently moulded being approached me!  Now, here are fe■

ows prickly as a cactus, with

something at the core as true and tender as you wlllfind in a woman's heart. 

hey would stake thett hves for lne sooner than some persons (whom We knOw)would lend me a hundred donars,without security!

Even your speculator,whom l have lnet in every form,is by no lneans

the purely lnercenary and dangerous lnan l had supposed.

In short,Philip,I am on very good terrrls with hurrlan nature;the other nature does not suit lne so well.(350)

この 中で、 自分 の 「イ ノセ ンス とイ グ ノラ ンスを恥 じてい る」 とある。彼 が 本 当に 自分 のイ ノセ ンスに気づ き、それ か らある意味 で脱 却 で きたので あれ ば、

先程 引用 しておい たイ ノセ ンス の少 な くとも一つ の方 向、つ ま り、 自分 の 中の 本 当の性 質 に 目覚 め るはず で あ る。 日覚 め る とす れ ば、 フィ リップ を選 ぶ はず なのだ。 ところが結果 は知 っての通 りで あ り、 しか もそ の結果 を語 るのは、実 は ジ ョゼ フで も二人称 の語 り手 で もな く、選 ばれ るはず だ つた フィ リップなの で あ る。 ここには明 らかに作者 の意 図が ある。

今 の引用 に も見 られ た 「マ ン リィ」 とい う言葉 に、今度 は注 目しよ う。 この 言葉 は前 にホイ ッ トマ ンを彿 彿 させ る とい って紹 介 した 「マ ン リィ・ ラブ」 と

‑137‑

(13)

い うフレーズで用い られていた。この場合、「男性同士の」 とむ しろ訳 したい く らいだ。また、 ジュ リア との関係が悪化 し、彼女に反論す るときにジ ョゼフは、

「ボクにはもう一つ別の面があることを忘れないで くれたまえ、マンリーな 自 尊心だ」 (257)と 言 うが、 この ときは 「男 としての」 と訳 しておこう。そ して、

先程引用 したフィリップヘの手紙では、「アンマンリィ」を 「アンマスキュリン」

と自分で置 き換 えている。 この場合は 「男 らしい」であろ う。

少 し時代が下るが、エ ドワー ド

0プ

ライ ム・ ステ ィーブンソンとい うアメ リ カ人が、ザ ビア・ メイ ンとい う偽名で出版 した『イム レ :覚 え書き』

(1906)な

どにおいても、男性の魅力がやは り「マ ンリィ」 とい う言葉で語 られ る。12こ の 作品は、女つぱい男 との間に しか同性同士の愛情が存在 しない ことを嘆いてい た主人公が、同 じよ うに男 つぱい男性 同士の愛情の存在 を確認す るとい う物語 で、 ロジャー・ ォースティンによれば、「これまでに知 られている限 りで、同情 的で明確なゲイ

0ノ

ベル を最初に書き出版 したアメ リカ人男性」による、その 最初の作品である。 13ホ ィ ッ トマンにおいてもそ うであるが、「マンリィ」 とは、

「男 らしい」であると共に 「男性同士の」である。従 つて、「男 らしい」「男性 同士の」愛情 こそが理想の愛情なのである。 ところがその意味で、テイ ラーの 場合、「男 らしい」には時 として 「男性同士」のニュアンスをわざと欠落 させ る 用い方が されている。

怒 ったジュ リアがジ ョゼ フにい う言葉に、「いいこと、フィリップ・ヘル ドは ね、あなたのあの友達、英雄、おそ らくはあなたの美徳 と性格の鑑であ り、マ ンリィで高貴そのもののあのフィ リップ

0ヘ

ル ドはね、いい、 ミセス・ ホープ トンにぞっこんなのよ」

(165)と

い うものがある。マ ンリィなフィ リップが女 性 に恋 を していると述べ ることで、「男性 同士の」 とい うニュアンスをはず し、

「マンリィ」であれば対象を女に求めるはずだ とい う前提が持ち込まれている。

「男 らしい」「男性同士の」 とい う二重の意味の上で成立する 「マンリィ・ラブ」

を、 どうもテイ ラーは成立 させつつず らしているよ うに思 えるのである。

今までに見てきた二つの言葉 とは違 うが、似たよ うな意味のずれ を示す例 を

も う一つ挙げよう。 この作 品の題は『ジ ョゼフと友達』である。「友達」は単数

形で書かれてお り、エ ピグラフにあった 「男の男への愛」の対象 を意味す ると

考 え られ る。最初はエル ウッ ドを指す ことが多かつたが、出会い以来、作品の

途 中、ジ ョゼフの裁判 の場面あた りまでは主にフィ リップを指 してお り、従 つ

て単数形が用い られていた。 しか し裁判 の場面以降、 この 「友達」 とい う言葉

は複数形で用い られ ることが多 くな り、その中にはルーシーやマデ ランな ど女

(14)

性 も含まれてい く。特定の一対一関係 を示 していた言葉が意味の変化 を受け、

不特定の関係 を示す言葉になってい く。

今まで見てきたよ うに、この作 品でキー ワー ドにな りうる語は、使用 されて い く過程で、意味が収飲 し、明確なイ メージを結ぶ方向には進 まず、む しろ拡 散 してい き、そもそ もの意味す ら解体 してい くよ うな用い方がな されてい る。

オースティンが指摘す るように、

14レ

ス リー・フィー ドラーは『アメ リカ小説 における愛 と死』の中で、「しか し結局の ところ、男性性対象倒錯への激烈な否 認がその本 当の性質への無知 を促進 した。同性愛の 「罪」や 「犯罪」は最 も下 卑た肉体的な用語においてのみ想像 され、その結果、ダ ンテのベア トリーチェ に対す るような、 (も しくはシェイ クス ピアの貴族的な少年 に対す るような )抽

象的で成就 していない愛は非常にお上品な人には申し分のない ものに思 えた。

事実母親たちは、息子たちの間の『害のない』 ロマ ンティ ックな執着 を、肉の 誘惑への防御物 と考 え喜んだ ものだ。誘惑に負 ければ性病か全 く望 ましくない 下層階級の少女の妊娠につながるか らである」 と書いているが、

15「

促進」 され るべき 「無知」を、テイ ラーはまるで利用 しているかのよ うな描 き方なのだ。

ここで考え得る仮定は二つある。読者の無知を利用 して、実はホモエ ロティッ クな関係 を描 けるところまで描いた とい うもの と、その逆 に、ホモエ ロティッ クな関係 を描 くことだけが本来の 目的ではない とい う安全弁 をつけておきたかつ た とい う二つである。ただ少な くとも言えることは、用語の混乱 と思 えるこの 描 き方は、実は最後 に唐突 に語 られ る結婚の暗示 を、実は準備 してお くことで もあつた とい うことだ。 これ がテイ ラーの意図 した ものである とすれば、最初 に紹介 したよ うに、ホイ ッ トマ ンが彼 の詩に 「間接的」な描 き方 を見いだ した

と言つた言葉 にも、ある程度以上の納得がい く。

テイラーの小説の処女作は『ハ ンナ・サース トン』

(1864)で

ある。この作品 は女権運動家の女性が最終的には女権運動の価値 を認めない男性 と結婚 し、 自 分の主張を捨てる物語 と言 つてもいいだ ろ うが、ホー ソー ンに評価 された らし ぃ。

16実

は 「マンリィ」 もしくは 「マンフッ ド」 とい う言葉 を考えるとき、この 作品が とても興味深い鍵 を与 えて くれ る。

粗筋は省略す るが、主人公のハ ンナがマ ックス とい う男の求婚に最終的に応 じ、彼に恋 をす ることが 自分の信念 を捨てることになるとい う発言 をし、事実 上今 まで信 じてきたことをまるで捨て去 つて彼 との結婚 を選ぶかのような決断 をす ると、「その一瞥において、マ ンフッ ドの強い魂がその女性 と直面 し征服 し た。彼は 自分の勝禾

Jを

見て取 つたが、見て取 つた ことを表 に出 さない よ う覆い

‑139‑

(15)

隠 し、彼女が怯えないように勝 ち誇つた幸福感を抑えた」 とあ り、

17女

性に恋は す るが打 ち負かすのは男性であるとい う、いわゆる男性的な性質を、 どうや ら マ ンフッ ドとい う言葉で表 しているのがわかる。 しかも、彼女の女権運動への 信念喪失に追い打ちをかけるよ うに、結婚後、音の同士か ら女権運動の演説 を 依頼 された折、すつか り信念 も自信 も失った彼女は、夫マ ックスの提案に従い、

彼が代わ りに行 うことを了承す るのであるが、その夫の演説に関 してこのよ う に書かれている。「彼は妻 との間でかわ していて私たちもすでに聞き知っている あの同 じマ ンリィな見解 を繰 り返 した」 (452)

男であることに、いかに作者がこだわっていたかこの作品を読む とよくわか るのだが、ここで用い られ る 「マ ンリィ」 とい う言葉には、「マ ンリィ・ ラブ」

とい うフレーズにおいて見ることのできた言葉のニュアンスは感 じられない。

今 までに見てきたよ うな曖味 さ、 もしくは混乱は、実は作者 自身の心を反映 している可能性 は拭 えない。つま り、結婚 とい うヴェールで偽装 してホモエ ロ テ ィックな関係 を描 くことが 目的であるとすれば、執拗 に結婚につながるよう な言葉の意味のずれ を作品に持 ち込む こともなかっただろ うし、逆 に最終的に は結婚す るのが正 しい と本 当に信 じていたのだ とすれば、なにや ら恨み辛みを 述べた後でジ ョゼフ と妹の結婚 を最後の最後にポ ロッとフィ リップに暗示 させ る とい うよ うなラス トにす るのではな く、ジ ョゼフが、そ して時折顔 を出す作 者 自身、 も しくは 「私たち」 とい う語 り手に、客観的な事実 として結婚を示 さ せても良かったわけだ。 この どっちつかずの描 き方は、何かを意図的に隠そ う

とす る姿勢に思えてな らない。

テイ ラーは

25歳

の時、幼な じみの恋人メア リー・アグニュー との結婚を経済 的な基盤ができるまで と延ば し延ば しに していたがギ病気 を患っていた彼女の 様態が思わ しくな く、先が長 くない と危ぶまれたため、せ めて数 日でもテイラー の名前にな りたい とい う彼女の最後の願いに応 じて結婚 している。

18彼

女は結婚 後間もな く他界す る。テイ ラーはその後 も各地に旅行す るが、その旅先で出会 い、アフ リカ旅行 を共に したオーガスタ・ ブフレブ とい う年上の ドイツ人男性 に関 し、テイ ラーが書き記 している手紙の内容は本 当に面 白い。実は三度 目の 妻マ リー・ハ ンセ ンはこの男の姪であ り、彼 を通 して知 り合 つている。最初の 妻の死、年上の男 との友情、そ してその男 を通 して知 り合 つた女性 との結婚。

なにや ら『ジ ョゼフと友達』の筋立て と似ていないだろ うか。

.

(16)

テイ ラーは旅先か ら母 に宛て、手紙 を再々書いているが、その中のい くつか の手紙にこの男について記 している。まずは

1851年12月

3日 付のもので、そ の男性が 「裕福 な ドイツ人地主であ り、

45歳

、体重は

220ポ

ン ドあ り、 どこを

とつてもボクとは正反対」 と言 つた上で、次のよ うに続 けている。

But a more honest,marlly nature,a warmer and more generous heart,

I never knew. 1 love the lnan hke a brother,and it win be a sore trial

to part with hin.His companionship and sympathy have strengthened me forthe whole of myjourney.… 。  I do notthink two such happy and

harrrlonious travelers were ever on the Nile.Ifhe had nota wlfe at home, he would go with lrrle to the White Nile,to Palestine and Nivebeh.19

同 じく母 に宛てた

1851年 12月

11日 の手紙では、「数 日した らお別れだね と い う話をす ると、二人の 日に涙が溢れてきた」 とまで報告 し、20さ らに

1851年 12月 19日

の手紙では、この男が どんなことをしてくれたのか、事細かに描き出 している。その上で、彼 に 自分の写真 を見せ ると、彼が泣 き出 して しまい、別 れ際にも う一度その写真を見せて くれ と言つた と書いている。「彼はなだめるよ うに、だ けど慰 めを与えるわけではな く、 どんな風 にボクに話せばいいのか熟 知 していたので、今まで と比ベボクは強 くなったのだ と感 じるのである」 と続

け、 さらに彼 との再会を約束 したことを記 している。 21

この 日付の手紙には、編者 (二 人の内一人はテイ ラーの妻、ブフレブの姪で ある )に よる注が付いていて、ブフ レブが 自分の妻に書いた手紙が紹介 されて お り、「輝か しい若者なんだ。君がいなかった ら彼 と一緒に行って しまっていた よ」 とブフレブの側でも書いているのである。 22

この手紙の内容もさることながら、こういった手紙を母に書き送つていた事 実はどうだろうか。実は『ジョゼフと友達』で、ジョゼフと母との関係に触れ た部分は、なにやら暗示的だ。

The五

gid piety of JOSeph's mother was warmed and softened by

her tenderness towards hiln,and he never felt it as a yoke.His nature instinctively took the imprlrlt of hers,and she was happy lrl seeing so clear a reflection of herselfin his innOcent young hearto She prolonged

his childhood,perhaps wlthout intending it,into the years when the

‑141‑

(17)

unrest of approaching manhood should have led him to severer studies and lustier sports. Her death transferred his guardianship to other hands, but did not change its character. (22-23\

実はこの引用のす ぐ前の部分、母の愛のよ うな愛であま りに愛 され ると、「本 当のマ ン リィネスに備 える出会いか ら後込みす る」 とある。小説の中の言葉 と 現実の作者の言葉 を混同す るのは問題ではあるが、「マンリィ」な男 と出会った ことを喜ぶテイ ラー と、母の愛によつて 「マ ンリィネス」に至る術 を失ってい たジョゼフとの間に、ある種の共通項を見いだせ るだろ う。 この作品の問題は、

実はこの作者 と作 中人物 の距離の問題なのかもしれない。 さらに言 えば、その 距離 とい うものを十分に知 った上で、作者がそれ を利用 していた と言 つても良 いだろ うか。

またさらに、当時の親 しい友人ジ ョージ・ボーカーに宛てた

1852年

4月 4日 付 の手紙にもこんな風に記 している。

Ith k ISpoke to you,in my note from Assouan,of my German fe■

ow=

traveler,to whOse sympathy and noble nature l owe the best part of my eniOyment Ofthe Nile.I find here two letters fro]m httn― letters so in of devotion to IIle and care for iny safety that l have been strangely affected bythemo His wife also writesto rne the rnost sweet and beautiful of letters,thanking ine for my friendship towards her husband.It is a new phase of human affection,which l have never known before.As

l said,he is a lnan of fifty,proud and self=wined,and accustomed an

his life to wealth and authority.But he clungto me with alove■ ke that

of woman.He had no secrets for me;an his past life,good and bad,was

revealed to rrle. 1 looked into the recesses of his nature which he had never before exposed to the eye of another. He entered into rny sorrow asifit had been his own,and wept,as a mother nlight have done,at the recital of my history. In these letters which l have received iorrl him,

he asks me the same questions which you have asked,and begs lrle,if

l have not found peace,to come at once to hiln and pass the sunllner lrl his house.He says that Nature has no longer an intenigible language to him, since we partedo  Have you ever known so remarkable an

(18)

experience? I ask myself continuany:

How have l deserved this?["]

Certainly not by lny lrlad outcries against the will of God,the justice of Destiny.― With restored health,the joy of mere physical e対 stence is restored to lne. 

rhe fee life of the lDesert,the perfect absence of all

restraint or authOrity,the cominand l was obhged to assume over lny

ship or my caravan, the excitement of seeing a wonderful and comparatively unknOwn cOuntry‐―an these contributed to restore a healthy tone to my nature.My own instincts pointed outto rrle the rlght

path.Nothing else than these very experiences could have wrought

such a nliracle,forthe resignation which l had only hopedfor after many years,is already lnine. There are tllnes when the old pang returns,and must ever be,but the great struggle is over.23

テイ ラー に とってブ フ レブ との友情 が、「今 まで に知 らない」「人 間の愛情 の 新 しい局 面」で あ る と規定 し、その上 で、ブ フ レブの方 がテイ ラー に 「女 の愛 の よ うな愛 で しがみつ いて くる」 とす る。 しか もブ フ レブの態度 は 「母親だ っ た らす るよ うな」態度 なのである。一方 で この男 を 「マ ン リィ」で ある と言い、

も う一方 で は 「母 」 の よ うな 「女 の愛」 で接 して くる と言 う。

ここまで来れ ば言 つて も良いだ ろ う。テイ ラー は 「マ ン リィ」 で あるこ とに こだわった。 こだわ らないではい られ なか った。一方 で男 同士 の間の愛情 をホ イ ッ トマ ンの よ うに 「マ ン リィ・ ラブ」 とい う言葉で とらえよ うとも してみた。

とらえないで はい られ ない 自分 をよ くわか っていたか らだ。 しか し、い くらそ う願 つて も彼 の中ではその愛 が 「マ ン リィ」 とな るこ とはなか ったのだ。 自分 に とって本 当に愛情 を感 じるこ とので きる男性への愛 も、「マ ン リィ」であるた めにはかな ぐ り捨 てね ばな らなか ったのだ。そ うい つた彼 自身 の心 の中の欺 哺 が、 この作 品に投影 され た と考 えて も良いのではないだ ろ うか。ただ あ くまで もテイ ラー が くせ者 なのは、 ジ ョゼ フの性格付 けな どを思 いだ して も らえばわ か るよ うに、実 は この欺購 に彼 自身気 づ いて、かな り自覚 的に操作 しよ うとし ていた可能性 が否定で きない点 で あ る。 この作 品の語 りには、作者 の戦 略的欺 購 が あ る と言 つて もいいだ ろ う。

V

テイラーはホイットマンに、自分の書いた詩を同封した手紙を送つている。

‑143‑

(19)

しか しその後二人の関係で私たちに知 り得 るのは、マーティンが教 えて くれ る ように、「

1876年

にテイ ラーは『 トリビュー ン』紙にホイ ッ トマ ンを攻撃す る連 載記事を書いた」事実 と、

241877年

3月 23日 に友人ポール・ハ ミル トン・ヘイ ンに宛てた手紙の中で、「先 日、通 りを歩いていた らウォル ト・ホイ ッ トマンに 出会ったが、 とても元気そ うだつた。彼の崇拝者 によって語 られ る哀れなお話 にもかかわ らずね」 とい う言葉だけだ。

25こ

れだ けの事実か ら推察す ると、「男 性同士」の 「男 らしい」愛をどうや ら体現できたホイ ットマンに比べ、テイラー は二つの意味の狭間に落 ち込んで しまった と言 えるかもしれない。

1.ミ シェル・ フー コー、『性の歴史

I:知

への意志』、渡辺守章訳 (東 京 :新 潮社、

1986年

)、

55‑56。 ただ し、 これについては、ホモセクシュアル とい う言葉が初めて活字 として見 られ

るのは、正確 には

1869年

、オー不 トリア系ハ ンガ リー人翻訳家、

 Karl Maria Kertbenyに

よつて書かれた二冊の匿名のパ ンフレッ トにおいてであると、

 Byme RoS.Foneが

指摘 し てレヽ る。

(Bvme R.S.Fone,μ

Lsc JJEc Lα ttdscapesf lM2Jι  Wttι れαπ   αη」′ んθ  Fo屁ο

aro′

Jc

tは

'(CarbOndale and Edwadsvtte:Southern mlinois tJP,1992),267).

2.Bayard Taylor,Josttλ

  α

ttd月

7s Fだ θ π J(New York:G.P,Putnam&Sons,1870).

3.Fone,脆scじ

JJん c Lα

ttdsccPct 222.

4. J.Z.Eglinton,G″

θ λ  Lο υ c(New York:Ohver Layton Press,1964),364‐ 405.

5。 Robert Ko Martin,■ ん

c lo屁 osa

α J 7詭

dJι

jο tt Jん

Attcガ

π  Pocι ry(Austin and London:

U of Texas P,1979),98.

6.Bayard Taylor, Chapter XI:A Dissertation on Batlling and Bodies,"in l%c Lα zds oF ι λ e Sα

ttsc″

0「 RC′ 肥 s oF R2た Sι れら AsJα   И λοら SJcJれ αれ d ttα Jπ

(New York:G.P.

Putnam,1855),149.

7. Ibid。 ,154.

8.Fone,施sc

JJttc Lα π

JsccPct 223.

9.Paul C.Werlnuth,Bcycだ λ

yJοr(New York:Twayne Pubhshers,1973),98.

10:A/1artin,7%θ

 ttbttο

α

J lレ

α

dJι

Jο π

 jれ

Attθ だ ん Poc,ry9 103.

1l Byrne RoS.Fone,A Roα

」′ ο  Sι οπ c″ α Jル ル盈 zル 肋 脇ο

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α J滉 フα

ttd 10zopん

ο

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 jπ  EzgJjsλ απ」

Aacだ

tt Lj′

θ ttα ι弓 1750‐

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07.

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me‐ Stevenson),I脇 に A Mθ

ttο

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New York:Amo Press,.1975).

13.Roger Austen,PJaジ

んθ働 れα rん θ施 滋。 s α J N,υ θ J Jtt Attθ ガ

(Indianapols&

(20)

New York:The Bobbs‐ Me」

1l Company,1977),20.

14.Austen,PJαyJ″

g ι λθ  ttπ q 3.

1ユ Leslie A.Fiedler,Lο

υ θ   αん d Dec′ ん j屁 ′ ん c Attθ

ttcα

ん N♭ υ

cJ(New York:C五

tenon Books, 1960),346.

16.ホ

ー ソー ンに評価 された とい う事実は とて も興味深い。ホー ソー ン自身、私見によると「隠 蔽」の作家であったか らである。 (本 合陽、「女があかす二人の作家― クーパー とホー ソー

ンの場合」岡山大学教養部紀要、第

25号

、  1989年 、参照。 )

17.Bayard Taylor,比

厖んαλ

 l%

rsι οん

r Sι

ο

ry oF AZCttcα

L承

9(1864;rpt。

,Upper Saddle

River,N.J.:The Gregg Press,1968),403.

18。

Wennuth,Bcyctt」

rayJ。

.42.

19 Marie Hansen―

Taylor and Horace E.Scudder,eds.,L″

しαん d LC′ ι ers oFBα yCng rayJor

(Boston and New York:IIoughton,Minin and company:1884),222.

20. Ibid.,222.

21. Ibid.,223‐ 24.

22. Ibid.,224.

23.Paul C.Werlrnuth,ed.,ScJccι

c」 Lcι ι

ars 

ο′ yCrd rα

yJο

(London:Associated

University Press,1997),96‐ 97.

24。

Martin,Tん

θ  ttbzο

s(夕

αJ ttα

jο π

 Jπ

 Attericα π  Poo′ 覗 lo4.

25。 税 ル cι θ J Lθ ′ ι ers oFBCyc力 ;TcyJο ■ 466.

‑145‑

参照

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