電子マネーの導入と
効率的な決済システムの実現について
本西泰三
Abstract
Theadvancesininformationtechnologyareexpectedtohavealarge impactonpaymentsystems.Thispapershowsthecharactersofelec‑
tronicmoneyasamediaofexchangeandwhattypeofelectronicmoney isappropriatetorealizeefficientpaymentsystem.
Keywords:electronicmoney,liquidity,financialstability 電子マネー,流動性,金融システムの安定性
1はじめに
情報処理技術の発達と,それに伴う暗号技術の進化によって可能になった 電子マネーの登場が近年注目を集めている.電子マネーを支えるシステムは それ自体非常に興味深く,議論はどちらかといえばこうした技術的問題に集 中しがちである.しかし一方でこの金融取引技術の進化は,利潤を追求する 経済主体の行動を通じて経済の効率性,安定性に影響を与える可能性がある・
本稿ではさしあたって,電子マネーの導入に伴う技術的問題は捨象し,その 導入の影響と,効率的な決済システムを実現するうえで必要な条件について
*長崎大学経済学部 〒850−8506長崎市片淵4−2−1moto@net.nagasaki−u.aC.jp
考察する1)
新たな決済手段として今後本格的な導入が予想される電子マネーが,様々 な決済手段の中でどのように位置付けられるのかを考えるために,まず既存 の手段についてその性質を簡単に整理しておく必要がある.我々が経済上の 取引を行う場合に,現在利用可能な決済手段として,現金,クレジットカー ド,デビットカード,手形,小切手, MRF等を挙げることができる.これ らの中で現金は最も古くからある,馴染みの深い決済手段である.
現金の場合,政府によって発行された硬貨や紙幣を直接受け渡すことによ って価値の移転が行われる.ハイパーインフレーションが起きているような 特殊な時期を除いて,現金は最も確実な価値の移転手段であると考えられて きた.しかし交換の媒介物としての現金は,その素材自体に価値がある訳で はないし,また価値のある財や資産に対する請求権を伴ってもいない.現金 の価値を支えているのは,他の人もそれに価値があると考えるだろうという,
人々の予想である.中央銀行が保有する資産及び政府の徴税能力が価値の裏 付けになっていると考えることもできるが,現金をそれらの裏付け資産と交 換するよう要求することはできない.これは,現金以外の決済手段の場合に は,その裏付けになる財が必ず存在することとは対照的である.また一方で 現金の単位は,その他の様々な決済手段や財,金融資産の価値を表示する尺 度としても利用されている.このように,裏付けとなっている資産との交換 が保証されていなし、点と,価値の尺度になっているという点において,現金 は様々な決済手段の中で特別な地位を占めていると言える.
一方現金以外の決済手段,即ちクレジットカード,デビットカード,手形,
小切手, MRF等は,金融機関が維持している要求払い預金を決済の媒体と しており,預金口座間の付け替えによって決済が完了する.預金は金融機関 が保有する資産によって裏付けられており,預金者はいつでも自分の預金を
1 )技術的な問題については,竹村 (2000)を参照せよ.
現金と交換するよう,金融機関に請求することができる.また預金の残高を 表す場合には政府が発行する現金が尺度として用いられる.このように,現 金と現金以外の、決済手段の間には際立つた違いがある.
それでは電子マネーは,以上の決済手段の中でどのように位置付けること ができるのだろうか.電子マネーが流通するためには,それが政府によって 現金を代替する形で導入される場合を除いては,民間の電子マネー発行体に よって現金あるいは預金との交換を保証されることが必要になるの.そして,
電子マネーの価値の大きさを表す尺度は,現金以外には考えられない.従っ て,民聞が発行する電子マネーは,現金よりはむしろ,現金以外の既存の決 済手段に近いと考えることができる.
ただし,電子マネーが政府によって発行される場合には,それは現金に非 常に近い性質を持つことになる.Schreft (1997)も指摘しているように,政 府が既存の紙幣や硬貨を,自らが発行する電子マネーで置き換える思考実験 を行えば,このことは容易に確認できる.政府が管理する電子マネーシステ ムが,現在現金が果たしている役割を忠実に再現する場合には,携帯や保管 に要する費用が減少するいう便益をもたらす以外経済に影響を与えることは ないだろう.本稿ではこうした公的な電子マネーは念頭に置かずに,電子マ ネーが民間の経済主体によって導入され,発行した電子マネーに対する裏付 けを要求される場合に絞って議論する.
一方,電子マネーが導入される際に,電子マネー発行体という従来の金融 機関にはない特徴を持った主体が登場する点には注意を払う必要がある.電
2 )有名なヤヅプ島の石貨のように,裏付けが全くなく,政府も関わっていない貨幣が流 通した事例も過去には存在する.しかし現在先進国ではそうした決済手段は存在しない し,まして今後裏付けのない民開発行の電子マネーが流通する事態を想像するのは非常 に困難である.裏付けのない民開発行の貨幣を実現するのが困難であるという議論につ いては, Tobin (1985)を参照せよ.またヤップ島の石貨の事例については, Friedman (1992)を参照せよ.
子マネ一発行体は電子マネーの裏付けを保証するだけではなく,電子マネー による決済システム全体に責任を負い,その開発,構築,維持に携わること になるという点で,既存の金融機関とは異なる.こうした電子マネー発行体 の性質に注目することは,電子マネーと既存の決済手段の違いを理解するう えで重要である3)
電子マネーの導入に際して生ずる大きな問題として,マネーサプライなど の金融指標が影響を受けたり,金融政策の有効性が低下する可能性がある点 が挙げられる.金融市場における技術革新が,こうした問題を引き起こす可 能性については以前から指摘されており,既に多くの分析がなされている4)
これらは重要な問題ではあるが,本稿は電子マネーが導入された場合に,効 率的な決済システムを実現するうえで必要な方策を分析することに主眼を置 き,こうした問題は扱わないものとする.ただし,金融政策の有効性を確保 する目的で規制が行われる場合に,これが決済システムの効率性や安定性に 影響を与える可能性があることは,ここで指摘しておきたい5)
次節では決済システムに求められる性質について理論的な観点から考察す る. 3節では決済システムの実例を紹介することを通じて,電子マネーの性 質を明らかにする. 4節では現代の決済システムを支えている銀行に対する
3 )この観点からすると電子マネーは,既存の決済手段よりはむしろ,プリペイドカード や商品券に近い性質を持っていると考えることもできる.プリペイドカードの場合もそ の裏付けとなる資産は発行会社自身によって独自に管理されていると考えられるし,ま た決済システム全体に責任を負うのも発行会社だからである.しかしプリペイドカード や商品券の場合,購入可能な財の種類や使用可能な場所がかなり限定されているため.r決 済手段」と呼べるような汎用性は求められていない.
4 )岩村(1996),石田(1999),伊藤・川本・谷口(1999),電子決済技術と金融政策運営 との関連を考えるフォーラム(1999),ECB(1998) , Tobin(1985)等を参照せよ.また 池尾(1999)は,圏内取引のドル建て化が進む可能性を指摘している.
5 )例えば金融政策の有効性を確保するために,銀行以外の金融機関にも法定準備を課す,
といった政策が考えられる.
規制や,民間による安定性確保の活動について説明し 5節では議論を整理 して,効率的な決済システムを実現するうえで必要な規制の方向性と,電子 マネーの将来像を探る.
2 理想的な決済システムとは
White (1984)が指摘しているように,商品の市場性に差がなく,どれで も容易に取り引きできるワルラス経済では,どのような財あるいは財の組み 合わせでも決済手段になりうると同時に,価値尺度としても用いることがで きる.この場合には特別な決済手段は必要なく,決済手段の善し悪しを議論 する意味が無くなってしまう.
しかしこのような考え方は,現実にはそぐわないものである.財の交換を 効率化するうえで,特別な決済手段は他の財では代替不可能な重要な役割を 果たしている.では決済システムが持つどのような性質が,経済の効率性向 上に貢献しているのだろうか.まず第 1に,決済手段は価値が安定していな ければならない.しかし決済システムは単に効率的な取引を実現するだけで なく,経済に流動性を供給するというもう lつの重要な役割も担っている.
そしてこれら2つの条件満たす決済手段が競争的に供給されることによっ て,取引コストの小さなシステムが実現し,十分な量の決済手段が保有され る状態が望ましい.以下では決済システムに特に求められる,価値の安定性 と流動性の供給という 2つの条件について説明する.
2.1 理想的な決済システムの条件
2. 1. 1 価値の安定性
決済手段の価値の安定性を考える場合には,名目価値の安定性と実質価値 の安定性を区別して議論する必要がある.そして決済手段の条件として最も 重要なのは,単位あたりの名目価値の安定性である.政府が発行する現金が 価格表示の尺度として既に広く用いられている以上,決済システムが現金を
尺度として採用し,現金で測った価値の安定性を維持することによって,情 報収集や計算にかかる費用を削減することは,決済の効率性を高めるうえで 決定的に重要であると言える.
また,決済手段の残高全体の名目金額が安定していることも,決済システ ムの効率性を高める役割を果たす.取引契約は名目金額で結ぼれる場合がほ とんどなので,決済に必要な残高が不足する事態を避けるためにはこの条件 が必要となる.
一方,決済手段の残高の購買能力を安定化するという観点からすると,残 高の実質価値が安定していることが望ましい.ただしこの条件は,インフレー ションやデフレーションが発生している場合には,上で述べた残高の名目金 額の安定性とは両立しない.
2. 1. 2 流動性の供給
要求払い預金を維持している銀行が,流動性を供給するという重要な機能 を果たしていることを示したのはDiamondand Dybvig (1983)である.こ のモデルは0‑2期の3期間にわたっており,財は1種類である.そしてO 期に投資を行って2期に収益があがる長期的投資機会と,財を次期に移転す る保存技術がある.長期的投資は2期まで待てば高い収益をあげることがで きるが期に途中で止めてしまうと収益率が下がってしまう.一方経済主 体は2タイプに分かれている.両者は0期の初期保有を将来消費することか ら効用を得ることができるが,タイプlは 期 の 収 益 だ け か ら し か 効 用 を 得ることができないのに対し,タイプ2は 期 と2期の両方の収益から効 用を得ることができる.ただし各経済主体がどちらのタイプなのかは 1期に なるまで,本人にも他人にもわからない.また l期以降も自らのタイプを立 証することはできないので,事前にタイプに依存した保険契約を結ぶことは できない.
このとき銀行がO期の初期保有を集めて長期的投資を行う一方 o期に払 い込みをした主体との間で預金契約を結ぶことによって,銀行がない場合に
比べて経済主体の効用水準が高い均衡を実現することができる.これは銀行 が,タイプ2の主体からタイプ1の主体に所得を移転することによって,タ イプが不確実であることから生ずるリスクを軽減する機能を果たすからであ る.この意味で銀行は預金者に流動性を供給する役割を担っていることがわ かる.
た だ し こ の 均 衡 は 期 に タ イ プlの預金者以外は預金の引き出しを行わ ないことによって支えられている点に注意する必要がある.Diamond = Dyb‑ vigモデルにはもう 1つの悪い均衡が存在し,このとき預金者全員がl期に 競って預金を引き出そうとするために,銀行は当初の預金契約を守ることが できなくなってしまう.これは銀行に対する取り付け (BankRun)を表し ている.こうした取り付けの危険にさらされない限りは,銀行は流動性供給 の機能を果たすことができない.ただ取り付けの費用が発生することを計算 に入れても,その発生確率が十分に低ければ,流動性供給の便益がこれを上 回るので,銀行は経済厚生を高めることができる.
Diamond = Dybvigモデ、ルの意義は,現代の決済システムに不可欠な要求 払預金を支えている銀行が,流動性を供給するという重要な役割を担ってき たことを示しているところにある.決済システムは単に経済取引を効率化す るだけでなく,決済手段の裏付け資産を用いた流動性供給を通じて,経済厚 生を高める役割も担っているのである.
2.2 決済機能と流動性の供給
前節で理想的な決済システムの条件を2つ挙げた.最初の条件は決済手段 の機能と直接関わっているものであるが, 2つ目の流動性供給の条件は,決 済とは間接的な繋がりしか持っていないため,見逃されがちである.しかし 銀行が昔から,決済に必要な預金を供給する一方で,集めた資金を貸し付け るという業務も兼ねてきたことは,決済と流動性供給という2つの業務に密 接な繋がりがあることを示している.しかし流動性の供給を行うことは,
Diamond = Dybvigモデルが示しているように,取り付けの危険性を生むこ とによって決済システムの不安定性を増大させるので番目に挙げた条件 である,価値の安定性を損なってしまうという側面も持っている.この損失 を重視する研究者の中には,決済手段を供給する銀行はその安定性の維持に 特化すべきであり,流動性供給機能を果たすべきではないという意見も見受 けられる.これは「狭義銀行」と呼ばれる制度である.例えばTobin(1985) は,預金通貨に対して100%準備率を課すと同時に,銀行が預金を維持する 費用を賄うために,政府が補助金を与えても良いとしている.この場合,価 値の安定性の条件をほぼ完全に満たすことができる.狭義銀行に見られるよ
うに決済手段から流動性供給機能を切り離すのは正しいのであろうか.
Wallace (1996)は,狭義銀行の考え方を, Diamond and Dybvigのモデル に類似した枠組みを用いて批判している.即ち,既存の銀行が取り付けに道 うことを恐れて,銀行の保有資産の流動性を高めるような規制が課されると,
銀行は流動性供給の機能を果たすことができなくなるために,経済の厚生水 準が下がってしまうというのである.従ってこの場合は,銀行による決済手 段の供給と,流動性の供給を切り離すべきではない.しかし銀行部門が流動 性供給を行うべきか,あるいは決済手段の価値の安定性維持に特化すべきか
という問題は,一般的なケースについて明確な答えは得られていない.
更に将来的に,決済手段を供給する主体が銀行だけでなく,証券会社や電 子マネ一発行体など複数存在するようになった場合には,一部の決済システ ムは決済手段の価値の安定性維持に特化し,他の決済システムが流動性供給 を行うという棲み分けが実現し易くなる可能性もある.例えば,銀行が流動 性の供給に特化する一方,電子マネ一発行体は流動性を全く供給せずに,価 値の安定性の確保と取引費用の削減だけを目指す,といったケースも考えら れる.Tobin (1985)も,銀行の資産を負債の種類に応じて仕分けすること によって,銀行の内部でこうした棲み分けを行うことを提唱している.また Wallace (1996)も,銀行による最適な流動性の供給が,銀行の外における
長期,短期の資産の保有と両立し得ることも示しているので,この短期資産 を裏付けに電子マネーを発行すれば,銀行の流動性供給機能を損なうことな く,効率的な決済手段を導入することは可能である.現実にこのような棲み 分けがうまく行われるかどうかという問題については本稿では明確な判断を 下すことはできないが,棲み分けの可否に応じて電子マネー将来像も変化す
る可能性がある点に注意して頂きたい.
3 決済システムの実例
前節では理想的な決済システムの条件について議論したが,本節では決済 システムの3つの実例を取り上げて,電子マネーと対比して紹介し,これら の機能を分析する.3.1節で紹介する,民間銀行による紙幣発行が自由であ った「フリーバンキング」の時代は,民間による電子マネーの発行が自由に なる状況と類似しており,電子マネーの登場に伴って最近注目が集まってい る.ただし,当時と現在では決済システムの技術的条件がかなり異なるため に,その性質にも違いが出てくる点には注意しなければならない.3.2節で は,現代の決済システムの実例として,クレジットカードによる決済のシス テムについて説明する.これは銀行預金を利用する決済システムであり,同 じ現代の技術水準の下における決済手段という点で,電子マネーと共通点が 多い.3.3節では証券会社によって供給される決済手段としてMRFと MMFを取り上げる.特にMRFの場合には決済機能が強化されており,決 済システムに組み込まれた場合銀行預金に近い機能を果たすことができる.
3. 1 フリーバンキング
3.1.1 フリーバンキング時代の貨幣発行
アメリカでは1837年から1863年にかけて政府が発行する紙幣はなく,民間 銀行が州、法の定める制約の下で自由に紙幣を発行でき,これが流通したため
「フリーバンキング」の時代と呼ばれている.1836年まで安定した銀行券を
供給することを目的とした第二合衆国銀行が機能していたが,発券を制限さ れていた州法銀行の反対や,その他の政治的理由により廃止された.これに 伴い銀行券の発行量増大を目的としたFreeBanking Lawが各州で制定,施 行された.
Rolnick and Weber(1983)によれば,このFreeBanking Lawの下にお ける銀行は,それ以前の銀行と2つの大きな違いがあった.まず,以前は銀 行を作るためには,銀行の必要性と経営能力が十分にあることを州に認めら れなければならなかったが, Free Banking Lawの下では最低資本金を用意 しさえすれば銀行設立が可能になった.また,以前は紙幣の裏付けは特に求 められず,正貨(金貨や銀貨)で払い戻すことも要求されていなかったが,
Free Banking Lawの下では,州債や連邦債を州に預託することと,要求に 応じて即時に正貨で額面通り払い戻すことが定められた.rフリーバンキン
グ」の下の銀行は,実は以前より厳しく,資産の裏付けや要求払いの確実性 を求められていた点に注意する必要がある.
フリーバンキングの時代には多くの種類の銀行券が発行されたが,それら は全てが対等に交換された訳ではなかった.このため発行銀行の信用度と発 行銀行からの距離に応じて銀行券を格付けし,また紙幣の偽造や銀行の破産 に関する情報を集める住事が生まれた.こうした情報を載せた刊行物として Bank N ote Reporters"が良く知られている.しかし倒産する銀行は多く,
また中には正貨との先換請求を免れるためにわざと遠隔地に支庖を構えて銀 行券を発行したうえで,意図的に閉鎖する悪質な行為 CWi1dcatBanking) を行う銀行も存在した.
しかしRockoffC 1974)によれば,ごのWi1dcatBankingによる損失はそ れほど大きくなかった.Wi1dcat Bankingだけでなく,経営上の失敗や,不 運に見舞われたことによって生じた損失を含めて考えても,それは健全な Free Banking Lawの下にある州では非常に小さかった.また対等な交換が 実現できなかったとはいえ,免換が停止された期間を除けば割引率は小さか
った6) そしてこの割引率は次第に減少していったが,これは輸送や情報伝 達の改善によるものではないかとしている.
この時代の銀行の健全な経営を保証するうえでFreeBanking Lawは重要 な役割を果たしたが,民間による銀行券の取引所も決済システムの健全性を 維持する機能を果たしていた.元々取引所は,数多くの銀行が一対ーで取引 をする代わりに,これをーカ所に集中させることによって,取引や情報収集 にかかる費用を削減することを目的として生まれたものである.この取引所 は,立場上銀行券に関するt情報を集めるのが容易であった.こうした信用情 報は,銀行券の保有者や預金者が必要としていたものであると同時に,銀行 自身も自らの健全性をアピールするうえでこの情報を伝達しなければならな いことを認識していた.そして更に取引所は情報を収集し易い立場を生かし て,本来の費用削減の役割を越えて銀行を監督するようになった (Gordon and Mullineaux (1987)) .取引所は会員銀行から会費を徴収する一方,銀行 の自己資本に規制を課し,定期的な監査を実施した.規制に従わない銀行は 罰金を科したり除名したりする場合もあった.また一時的に流動性が不足す る事態が発生すると, I取引所証書」を発行してこれを決済に利用させ,事 態の悪化を防ぐという,現代の中央銀行の最後の貸し手機能に類似した役割 を果たすまでになった.
3.1.2サフォークシステム7)
このフリーバンキングの時代にあって,会員銀行間で銀行券の対等な交換 を実現したのが,サフォークシステムと呼ばれる組織である.19世紀初めの ボストンの州法銀行は,ボストン以外の銀行が発行した銀行券の流入が自分 達の利益を損なっていると考えていた.これを防ぐために,ボストンの銀行
6) Rockoff (1974)は, 1845‑58年のフィラデルフィアにおけるアメリカ全土の銀行券の割 引率は,ほとんどの場合1%前後であることを示している.
7)本節の記述は, Calmoris and Kahn(1996)及 びRolnick,Smith and Weber(1998)を参 考にしている.
は協調して,他州の銀行券は受け付けないことをとりきめた.しかしこの方 針は当初の目的を達成できないばかりか,ボストンに流入してきた他州の銀 行券を安く買い上げてこれを発行銀行に運び,額面通り正貨で償還を受けて 利益をあげるブローカーの登場を手助けする結果に終わる.
ボストンの銀行は,これを見て方針転換し,自らこのブローカー業務に参 入して,ボストン以外の銀行券を追い出すことを試みたが,いくら送り返し てもボストン以外の銀行券が無くなることはなかった.1825年には,この目 標を諦め,遠隔地の銀行がサフォーク銀行に無利子の預金を持つことを条件 に,その銀行券を送り返すことなく,額面通り割りヲ│かずにヲiき受け,決済 する役割を担うようになった.このシステムは,民間の銀行が管理していた にも関わらず,多くの種類の銀行券について対等な交換を実現したという点 で,画期的なものであった.
サフォーク銀行は決済業務を執り行うだけでなく,加盟銀行に当座貸越の 権利を与えて,他の銀行に対する主要な貸し手としても機能するようになっ た.サフォークシステムでも,前節で議論した決済システムと流動性供給の 結合が見られる.
サフォークシステムを維持するうえで重要な役割を果たしたのが,サフ ォーク銀行が持っていた会員銀行に対する監督機能である.サフォーク銀行 は会員銀行に無利子の預金を要求する以外にも,会員銀行の資産内容に注文 を付けたり,会員銀行に対する貸付をコントロールしたりする方法で会員銀 行を常に監視,制御していた.この点に注目すれば,サフォーク銀行及びそ の会員銀行が一体となってつのサフォークシステムという企業体として 機能していたと解釈することも可能であろう.
こうしたサフォークシステムの立場が独占的なものであったか否かという 点については,評価が研究者によって分かれている.Calmoris and Kahn
(1996)によれば,サフォークシステム非常にうまく機能した.それは効率 的であり,競争を阻害することはなく,サフォークシステムの担い手で
ある銀行が決済システムを独占していることからレントを得たこともなかっ た.一方Rolnick,Smith and Weber0998a)はCalmorisand Kahnとは逆 に,サフォーク銀行が長年にわたって高利潤をあげていたことは,自然独占 の結果かもしれないとしている8)
サフォークシステムが決済市場をコントロールしている間,他の銀行がこ の市場独占に反対して,サフォークシステムに対抗する決済システムを構築 する企てがあったのも事実である.ただ実際に競争相手が現れるまでには30 年かかった.こうしたことがサフォークシステムの独占力がそれほど強くな かったことを意味するのか,あるいは独占はあったが何らかの理由で参入で
きなかったことを意味するのかは明らかにされていない.
3.1.3 フリーバンキンゲと電子マネーシステム
フリーバンキングの時代の私的貨幣と電子マネーは,どちらも名義が存在 しない決済手段であるという共通点を持っており,これは要求払預金にはな い特徴であるの.名義がないということは,持参人払の証券 (bearersecuri‑ ty)であると言い換えることもでき,この場合証券の発行者は,証券を持参
したものならそれが誰であっても,償還の要求に応じなければならない.こ うした名義がないことから生じる問題については, 3.2.3節で名義のある決 済手段であるクレジットカードと対比させながら詳しく議論する.
一方,フリーバンキングの時代と今日では科学技術水準が全く異なる点に は注意が必要である.発行される貨幣の形態は,フリーバンキングの時代は 紙幣,電子マネーは,電気的信号で表された「紙幣」と全く異なる.このこ とは民間による貨幣発行の下では,以下のような無視できない影響を決済シ ステムに与える可能性がある.
8 )ただしRolnick,Smith and Weberは,サフォークシステムが決済を独占していたから といって,それが非効率的であったとは限らないとしている.
9 )実際にどの程度の匿名性が実現されるのかは,システムの設計にかかっている.電子 マネーの匿名性を達成する技術に関する議論は,岩村(1996),竹村 (2000)を参照せよ.
まず技術の進化と利潤追求行動が,貨幣発行主体が享受するシニョレッジ に影響を与える可能性がある.ここでシニョレッジとは,無利子の負債で集 めた資金から得られる運用益のことを指す10) フリーバンキングの時代の銀 行券発行主体や,現在銀行券の供給を独占している中央銀行は,発行に際し て払い込まれる資産の運用益を全て自分のものにすることができたが11),こ の原因は,銀行券の保有者を特定して配当を行うのが技術的に困難であった ことと,貨幣供給主体が独占力を持っていたことに原因があると考えられる.
銀行券が紙幣の形態を取っている場合には,保有金額と期間に応じて収益を 分配するのは技術的に困難である12) また免換率を調節することによって配 当を行おうとすれば,単位あたりの名目価値の安定性が損なわれ,決済手段
としての利便性が損なわれてしまう.
White(l987)は,技術進歩によってマイクロチップが安くなり,これが 貨幣に埋め込まれ,日々自身の価値を表示することによって付利が可能にな る状況を想像した.しかしチップを埋め込んだ貨幣は分割できないため,こ の方法も単位あたりの名目価値の安定性が損なわれてしまうという欠点があ る.電子マネーシステムがどのような形で実現されるか,またそれがどのよ うに発展していくかは現段階では未だ確定していない部分が多いが,電子マ ネーであれば,単位あたりの名目価値の安定性を損なわずに配当を行う仕組 みを,以下のような形で作り上げることは技術的に可能である.
事前に決めている免換率のスケジュールat円に従う電子マネーを発行す る場合,電子マネー発行体は o期の時点でx枚の電子マネーをx円の現 金と引き換えに発行する.電子マネーを保存しておく財布には,残高がt期
10)シニョレッジの定義については,電子決済技術と金融政策運営との関連を考えるフォー ラム(1999)を参照せよ.
11)欧州中央銀行は準備預金に対して付利を行っている.
12)これまでに考えられてきた様々な貨幣への利払い方法については, White(1987)を見 よ.
の時点でatX円と表示される.そして電子マネー保有者は電子マネー発行 体に対して,この表示額 l単位あたり l円の現金との免換を請求する権利を 持つ.この仕組みでは,電子マネー保有者は電子マネー l単位あたりの名目 金額の変化によって混乱することがない.実際には電子マネー 1枚あたりの 価値がatに従って変化しているために対等な交換を維持できていないのだ が,それを電子マネーの保有者に意識させないことによって事実上対等な交 換を維持しているのである.ただしこのとき電子マネーの保有者に価値の変 化を意識させないために,残高atX円を表示する,マイクロチップが埋め 込まれた専用の財布が必要になる.
上に述べたのは市場の変化に連動しない利益分配の方法だが,市場に連動 した利益の分配を行う仕組みも考えられる.電子マネー発行体は,自分が発 行する電子マネーl単位あたりの免換率at円を日々発表する. 0期の時点で x単位の電子マネーをx円の現金と引き換えに発行すると,電子マネーの保 有者の財布は,日々財布にatの情報を取り込むことによって残高がatX円 であると表示する.この場合実際には常に電子マネー l単位あたりの免換率 が市場の動きに応じて変化しているのだが,電子マネーの保有者はそれを意 識ことがなく,財布の中の電子マネーが増減していると感じるだけである13) このような方式で電子マネーに対する付利が可能になると,電子マネー保 有者への配当でも競争が生じるため,電子マネー発行企業が受け取るシニョ レッジは減少する.一方電子マネー保有者の立場からすると,付利される結 果利益の分配を受け,また流動資産の保有量を増やすことができるために厚 生が上がる.ただし電子マネー発行体同土の競争が過度に行われてしまうと,
電子マネー発行企業がリスクプレミアムや流動性プレミアムを過度に追求す る結果,電子マネーの裏付けとなる資産の安定性が脅かされる事態も予想さ
13)これは, Fama(1983)の方法に非常に近いが,貨幣の保有者に単位あたりの価値の変 動を意識させずに済む点が大きく違う.
れる.
利子がないか,あるいは固定されている,市場非連動型の電子マネーは,
利子が変動する市場連動型の電子マネーに比べると,フリーバンキングの時 代の私的貨幣に近い存在である.従ってフリーバンキング時代の紙幣価値の 不安定さは,このタイプの電子マネーにも受け継がれる可能性がある.銀行 に問題が発生した場合に,直ちに取り付けが起きるのではなしその銀行が 発行する紙幣の価値が下がるという現象が起きたのは,遠くの銀行が発行し た紙幣を免換するのに費用がかかるという地理的な問題によるものと考えら れる.現在ではこうした障壁は当時よりもずっと低くなっているが,同時に 証券を取引する費用もずっと小さくなっている.従ってフリーバンキングの 時代に比べれば程度は軽いものの,交換比率が一定しない状態が生ずる可能 性は残っている.また免換停止の事態に陥れば,電子マネーも大きな価値の 変動に見舞われることは間違いないだろう.一方取引費用の減少は,電子マ ネーの免換を要求するのが容易になることも意味する.例えば何らかの理由 で電子マネーの裏付けに不安が生じると,これが電子マネーの免換を一気に 進めてしまうことになる.このときDiamond= Dybvigモデルで見られたよ
うな取り付けが発生し易くなってしまう可能性がある.
一方市場連動型の電子マネーの場合には,市場非連動型と異なり,対等な 交換が損なわれる可能性が非常に小さいという利点がある.裏付け資産の価 値の変動が,利子の変化に正しく反映されていれば,電子マネーl/at単 位 あたりの裏付け資産の価値は全く変化しないからである.ただし市場連動型 の電子マネーでは, Diamond = Dybvig型の流動性供給を実現するのは困難 である.このモデ、ルの中で、金融機関が行う,タイプの異なる主体間での利益 の付け替えは,免換率を裏付け資産の市場価値から離れて操作しなければ不 可能だからである14)
14)ただし後述するように,市場非連動型電子マネーの場合も,別の理由でDiamond
= Dybvig型の流動性供給は困難である.
フリーバンキングの時代に,サフォークシステムのように民間企業による 厳重な監督の下で,銀行券の対等な交換を実現した民間の決済システムが存 在したことは,政府の介入を最小限にとどめた決済システムの実例として注 目されている.しかしこうした民間企業による監視活動が果たす役割は,フ リーバンキングの時代よりも現在のほうが小さくなる可能性が高く,フリー バンキング時代の経験をそのまま電子マネーに当てはめることはできない.
フリーバンキングの時代には,取引や情報収集にかかる費用を削減する要請 から取引所が発生し,これが監督機能を持つようになった.一方電子マネー は,こうした費用が地理的な要因に依存する程度は小さいから,取引がある 程度分散する可能性が高く,取引所が監督機能を果たすのが難しくなる.サ フォーク銀行のように,銀行券の対等な交換を維持することによって利益を あげる民間の主体が登場する可能性も低くなるだろう.従って電子マネーの 場合には,フリーバンキング命の時代に比べると政府による監督の重要性が一 層高まるものと考えられる.
3.2 クレジットカードシステム
3.2.1 システムの概要
ここでは近年急速に普及したクレジットカードシステムを取り上げる.ク レジットカード会社の多くが,電子マネー事業にも乗り出そうとしているこ とからもわかるように,クレジットカードシステムは電子マネーによる決済 システムと類似点が多い.まずクレジットカードによる決済の仕組みを概観
したうえで,電子マネーシステムとの関連について考察する.
クレジットカードシステムは,クレジットカード会社と複数の銀行,及び その聞を繋ぐネットワークで構成されている15) 銀行は決済に用いられる要
15)以下のクレジットカードシステムに関する記述は, Brooking(下回 訳 1998)を参考 にしている.
求払い預金を維持しており,クレジットカード会社はこれらの預金聞の付け 替えを指示する.以下でみるようにクレジットカード会社は,銀行預金聞の 付け替えを機械的に行うだけでなく,決済の安定性,確実性を維持するうえ で必要な様々な活動を行っている.
クレジットカード取引に関する業務は大きく分けて,クレジットカードを 使用する消費者に関わるものと,クレジットカードによる販売を行う加盟庖 に関わるものの2種類がある.VisaやMasterCardのような決済機関の場合,
この2種類の業務は決済機関の加盟企業が別々に行っている.カードを発行 する銀行は,消費者の信用度に基づいてカードを発行し,購買が行われた場 合消費者の銀行口座から代金を引き落とす役割を担う.
一方で,クレジットカード会社にはクレジットカードを受け付けて販売を 行う加盟屈を,加盟銀行を通じて募集,管理するという役割がある.加盟銀 行は加盟屈による詐欺的な取引の被害に遭わないよう前もってこれを十分に 審査する必要がある.加盟庖でクレジットカードによる支払が行われると,
クレジットカード会社は加盟庖からこの売上伝票を割りヲ│いて買い取ること によって入金を行う.
クレジットカードによる決済システムは,消費者と販売庖が代金を受け渡 すのにかかる費用が小さいので,近年現金に代わって多く使用されるように なってきた.クレジットカード会社は,この取引費用の小さな価値の移転手 段を供給する対価として,カード保有者から年会費を,加盟庖からは年会費 や取引手数料を徴収している.
クレジットカードによる決済システムは,欠陥も指摘されている.特に,
安易なカード使用による自己破産の急増は社会問題化している.ただこうし た問題を抱えてはいるものの,クレジットカードによる決済システムは,少 なくとも現在のところ決済システム全体に影響を与えるような問題を起こす ことなく機能していると言って良いだろう.
3.2.2クレジッ卜カード市場の構造
クレジットカードシステムを構成するクレジットカード会社や銀行は,会 社組織としては独立しているが,実際には一体であると考えられる場合も多 い.例えば,クレジットカードを使用する消費者や加盟庖の観点からすると,
彼らが普段目にしているのは, VisaやMasterCardといったシステム全体 を表す「ブランド名」だけであり,システムを作り上げている個々の銀行や,
ネットワークについて意識することはほとんどない.McAndrews (1997) は,クレジットカード市場を,このブランドによる競争という観点から分析 している.クレジットカードシステムがフランドとして認識される場合,仮 に取引上何か障害が生じたとしても,それはシステムを構成する個々の銀行 や通信システムの問題としてではなく,フランド自体の問題として捉えられ ることになる.このときクレジットカード会社にはブランドイメージを守る という新たな役割が生ずる.システムのほころびが,ブランド全体にダメー ジを与えることがわかると,それを防ぐために,クレジットカード会社は消 費者だけでなく,システムを監視する役割を進んで担うようになる.
McAndrews (1997)によれば, VisaやMasterCardは商業銀行が加盟庖 に対して数千万ドルの負債を抱たまま倒産するという事態に直面したとき,
ブランドを守るためにその負債を肩代わりすることをためらわなかったとい う.クレジットカード会社は銀行預金の聞の付け替えを行う機械的な存在で はなく,システム全体をとりまとめる主体として行動するようになることが わかる.
あるクレジットカードシステム全体を lつの企業と見なした場合,これは 規模の経済性を持つと考えられる.クレジットカードシステムは,取引内容 や信用情報を管理するコンビュータ,及びそれらを繋ぐネットワークといっ た一定の固定費用を必要とするからである.またカード使用者の側から見て も,そのカードを利用する人が多く,使える庖が多いことはカードの利便性 を高めるうえで大変重要である.このために規模の大きなクレジットカード
会社は競争上一層有利になる.現実に競争の結果,少数のクレジットカード 会社による寡占化が進んでいる.このようにクレジットカード会社が独占力 を持つために,決済システムに非効率性が生じてしまう可能性もある.クレ ジットカード会社同士の競争だけでなく,他の決済手段との競争も考えられ るが,クレジットカードシステムは,デビットカードや電子マネー等,他の 決済システムと似通っているため,クレジットカード会社はすでにこれらの 新たな決済システム市場に参入している.従ってやはり競争が十分に行われ ない可能性がある.
3.2.3 クレジッ卜力一ドシステムと電子マネーシステム
以上現代のクレジットカード市場について概観したが,本節では電子マ ネーシステムとの比較を行う.既に指摘したように,これら2つの業務には 類似点が多い.いずれもコンビュータや通信ネットワークなどの固定費用を 必要としており,クレジットカード会社は既存のシステムを利用することに よって容易に電子マネー市場に参入できる.従ってクレジットカード市場で 見られる寡占化の問題は,そのまま電子マネー市場でも発生する可能性が高 い.とりわけ電子マネーのようにまだ技術が発展途上にある決済手段につい ては,競争を通じてシステムの効率化を図ることが重要だから,競争が十分 に行われない場合の問題は深刻である.電子マネーのように,多くの人が使 用することで利便性が増す商品の場合,いったんある規格が広まってしまう
と,たとえそれが非効率的なものであっても定着してしまう可能性があるの で,標準になる技術が定まっていない段階では,こうした事態を防ぐ何らか の方策が必要である.
しかし電子マネー市場で競争が激しくなった場合には,更に別の問題が発 生する可能性がある.クレジットカードシステムは,全体をブランドとして 認識されることによって,クレジットカード会社を中心に一体化する傾向が 見られるものの,会社組織としてはこの2つは別々である.一方電子マネ一 発行体は,クレジットカード会社が持つ決済機能と銀行が持つ資産管理機能
の両方を兼ね備えており,規制が課されない限りはこの両方に責任を負うこ とになる可能性がある.従って決済機能をめぐる技術的な競争は,電子マネー の裏付けとなる資産の管理にも影響を与えうる.例えば,決済システム開発 競争に敗れた電子マネ一発行体がその事業から撤退する場合,電子マネーシ ステムをどのように移行するかという問題だけでなく,電子マネーの裏付け となる資産を処分,移管する方法も検討しなければならない.とりわけ運用 資産の流動性が低い場合には問題は深刻になる.電子マネーを全て償還する 場合には資産が不足する可能性があるうえ,他の電子マネー発行体に資産を 引き継ぐ場合はその評価に手間取り,利用者の経済活動を阻害してしまうか らである.電子マネー発行体が市場から撤退する場合には,こうした費用が 非常に大きくなることに注意しなければならない.
ところでクレジットカードの場合,決済手段として用いられる銀行預金に は,その所有者の名義が付随しており,銀行に知られずにその所有者を変更 することができないが,電子マネーには名義がない,という違いがあるのも 注目すべき点である.このため従来から,電子マネーは犯罪に悪用され易か ったり,盗難に遭い易いと指摘されてきた.しかし以下で述べるように,そ れ以外の点でも匠名性は,電子マネーの性質を考えるうえで,重要な意味を 持っている.
まず,名義がある銀行預金の場合には,これを勝手に他人と売買すること ができないため,その単位あたりの価値が,銀行が知らない間に変動するこ とは有り得ない.これに対してフリーバンキング時代の私的貨幣や,市場非 連動型の電子マネーの場合には,発行者以外の第3者と自由に取引ができる ので,他の決済手段との交換比率がわずかに不安定になる可能性が残ってし まう.更に電子マネー発行体は,誰に対して債務を負っているか知ることが できないために,免換のスピードを予測できないという問題もある.例えば ある市場非連動型電子マネー発行体の裏付け資産に不安が生じた場合につい て考えてみよう.電子マネーの保有者は,電子マネー発行体に対して免換請
求をする手間を惜しんで,これを電子マネ一発行体が提示する免換率より少 し安く他の主体に譲り渡すことを選ぶかもしれない.またこのようにして安 く大量の電子マネーを手に入れた主体は,一気に大量の免換請求するかもし れない.この場合電子マネ一発行体が流動性供給を行っていれば,流動性不 足が深刻な問題になる可能性がある.医名性から生じるこうした事態は銀行 預金では発生し得ないものなので,電子マネーの導入に際して特に配慮する 必要があると思われる.
電子マネーの匿名性は,発行体の流動性供給機能にも影響を与える可能性 がある.]acklin(1987)は, Diamond = Dybvigモデルと,これを修正した モデルを用いて,要求払預金自体を取引することができる場合には(言い換 えれば預金証書持参人払の場合には),銀行は流動性供給機能を果たすこと ができなくなると指摘している.Diamond = Dybvigモデルの場合,要求払 預金自体の取引が可能になると,銀行が預金者と結ぶ契約がこの新たな取引 によって崩されないという制約が加わるために,要求払預金の取引が不可能 な場合の均衡を達成する契約が結べなくなってしまうのである.電子マネー でこの議論に当てはまる可能性があるのは,事前に利益の分配スケジュール が決まっている,市場非連動型のものである.]acklinの議論が,多様な形 態を取りうる流動性供給活動においてどの程度の一般性を持っているのかは 明らかではないが16),名義の有無が,クレジットカードシステムと電子マネー 発行体の活動に大きな違いをもたらす可能性がある点には,注意が必要であ
る.
16)例えばHo1mstromand Tirole(1998)のモデルで示されるような流動性供給は, Jack‑ 1
inが考えたような新たな取引によって損なわれることはない.