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閑吟集中誤寫の疑ひある語句(一)

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(1)

奈良教育大学学術リポジトリNEAR

閑吟集中誤寫の疑ひある語句(一)

著者 吾郷 寅之進

雑誌名 奈良学芸大学紀要

巻 2

号 1

ページ 41‑49

発行年 1953‑03‑25

URL http://hdl.handle.net/10105/5151

(2)

閑吟集中訣翳の疑ひある語句H

吾 郷 式 之 進

現存する閑吟袋の写本は、フ丁く戸彰考紆圭、宮内庁図書寮本、帯蓄堂文曝す及び志田裡義即膜 骨l)(旧抑披珂文囁本)の四本であるが、刷Lも・た永な年四月の奥キら右写本を降雪した畑T)

の系統に属するものである。これらの中薫噂しつ甘二就いては、筆者未見のため之は、本稿の考怒・こ 含まれない。前三宮の中、顎骨管寸二が匡一名丁ブ亡欠くことを除いては、本分珂訃こ且大きな相異が ない。捉ってト一本によって押∵によるかとリー、われろ調分が、他車によって訂mされるということ は金力多くない。ヰ描法、諸事こ相異l与る仲仕勿論、之のな叫紳斤も討『:の凝ひの存した的所 の「Pで、程棄獅芋と封tた語約についての私案を記して、諸家の御批正を仰ごうとするものであ

る。(以下各項の歌の頸わアラビヤ数字崇岩波文疎閑吟基の寺号である。)

I

林の螢(イ欝)に語らひて。(仮名序)

上記か「蛍の字は、同音斉木、彰考指事、問嘉苛奉ともに「資」となっている。しかし涜群書従 事では「蛍」となっている。写本でドニすべて「牽」でレDるから、之で問題はないようだが、諸刊本 中麿新て且つ黄も柁汀の闘密を朝口笛曲率音中華歌許窯及び新詫岡安学業吉窒町時代小歌賃の両 賞に寮いて、韓註著揖野氏H:「酎∴貨の課摘、」と話せられたが、「秋葉」の文字は現代の我々 に見馴れないため、読昭楚事の「貨」融雀かに関心をそそるものであった。ただし持野氏は先頃 羊者への私信で、安原打室の「㌣訂」雀罫の「からうじ∵秋の鐙よりけにかすかなるひとつ昔り 求めて」の文例によって、何机青」を肯′rl二された。「片言」は閑吟貨の福懐より百三十二年後プ)

慶安三年(一六五(〕年)に成ったもげrCおる。墳室の師貞徳にも「滝なみj二蛍とぶ花の涼しきは 露にふきしく町費の秋風」の和歌があって、秋の祭の用例の青春は確かに考えられる。握って以 下、緒論は同じであるが、閑吟貨以前から少し径までの鞘例を引いて駄姓を加えよう。

秋蛍の語注元来中師こ璃いられたもので満って、一方「秋貨」の語もあったが、後者は前者程 多くは庸いられていないようである。

秋螢押目安脚陽ヲオ之鼻(暢紆照映秋螢詩)

桝習暮秋螢 流寓埋昔憾(杜甫、橋陵請三十韻、国主県打諸官)

秋螢一点雨中飛(賛成耶

相思開貰密市去欺螢(季洞蓬従弟謂)

而して「秋の螢」の語性我が閑に於いて、発明時代以前にも用いられ和文、和歌で私の見た所 は攻のものである。

ったななき身を圃芸人,ろに秋の蛍の光をあつめずして、風月の望にくらく、春の篤のさへすり を学はざれ・は(十誹抄序文)

秋かぜをみつのみまきのまこもくさか狛こもつけてゆく螢かな(夫木和歌抄、確保三年名碑 貫首歌、和束卿)

伯し後者は貞徳の苗に引いた例と同機に直接「秋の螢」の語は含んでいないが、その再審即ち低

41

(3)

確を想俊せしめるものであろ。市電韓日ナこき照、この語が本邦五山の詩文に数多く使周封1.て レ、ることである。

秋螢何意照朕限 一遊天末五秋賢 山窓莫削叢々練 壮戯可動書万巻 一一別長安落莫秋 対巻不知靭日出

(幻雲冨手稿)

放飴凌探灯火青(島隠藁)

好化歌登照液書(獣雲詩稿)

山螢照間旧′勇秋(伺 ) 鍔蟹影冷旧言棲(宜竹環精)

孤光淡々似軟質(翰林別項票、雪景)

その他「一瓢鍔登十月霜」(策葎和封詩蔑、)「日月星辰秋草螢」(翰林五鳳蒸、薪択)、「九曲愴花十 月債」(同、望嶺)も「秋萱」と同法の内膏のものを含んでいる。以上の如く見て乗ると、この

「秋草」は、だ陵文部相の藷でほこあろうが、本邦ではやはり五山文学の用語であると考えられ るのであって、眞名序に方さける「音灯夜雨」(9)その他多くの翫吾や集中の諸歌謡(参照、拙稿「

五山文学と閑吟貨歌論」泰良学頚と学紀要第二号)と同じくここにも五山文学の影響の一端が説 われる。

78、音龍の折えだ、つかつかつかやこりよ、つかひかるる。

この歌は朝議囲文学業者及び朝に古典五言で甘岩波文駄本と同標の和訂点が魔されているが、

日本古典登尭歌謡貨上では

青匿の折えだ、つがつがつがや、こりよっがひかる1。

とされていて、解釈の循其が窺われる。私点この歌の「やこりよ」を問題とするのであるが、そ れは一一首全体の解釈と持督するところがあるので、莞づ提嚢の諸説についてみよう。

青杭のついている折技を見て、唾液の出ることを、少し滑稽化して歌ったものである。此の場 金、妊娠といふ事などとはこ、少しも明柘がないと思ふ。男でも女でも誰でもよい。ただ苛椋の 折按を見て、ぐいと唾をのみこむ韓を歌ったものだ、(藤田徳太郎竃「装喝」第五巻第九号)。

「やこカよ」は勿論胡芦である。青匿のついた折枝を対象に、唾が出てたまらぬと云っている のか或は之を見たら唾が出てたまら九であらうが、と椰翰しているのであるか、姫張でない方 が署劇化でよいかも知れ亀。(玲木巣三氏、同)

「苛紅の折棟」、・青拓のなっている折按である。それを見ると、酸味を感じて唾が登るといふ意 である。単純すぎるので、何か外に應れた意味でもあるのではないかと思うたが、どうも別に

ありさうにもない。夫張り、唯これだけのもので、箪種で分りよく、「唾か唾が」の急き込ん で言ってある所に硬い滑稽を感じたのであらう。(松村英一氏、「酎民文学」砿和九年三′男 以上の如く諸説すべて略々同法の解である。総枠氏のいわれるように、閑吟藁と同時代又は之よ

り前の時代の文献には之に別の隠れた意味をノ巴わせる如きものは見当らないが、精々時代の下っ たもの特に民話や童話に法、杭、杭の花、杭に折枝、音推等につき蓼考すべきものが多い。これ らを、その含む意味から三つに天網すれば、その一一一且、之を票い女性(特坪の場合は男性)の意 に用いるものと、その二は、女性の衣服の摸法とするものである。後者の例には攻のようなもの がある。

山家の人はだてをする、ニ宙に乾の折桔(「ひなの一ふし」信濃田栢歌)

●●t°

衣類このまば十七八の、填てたもれや梁望どの、′呂に浪軋革、袖にや水仙百合の花、其の内 視の天守に、年々泉水、花の花(周、津軽の異佐ぶし)

● . ●

(4)

何二巧めてと紺屋に問へは(中略)九つ小棺をちらと隼かて(小歌書居票)

° °

何処で窄めたやら紺屋で染めて(FF亜)九つ小筋とちらちら燕めて(佐里の理詰)

° も

染めて下され紺屋さま(中略)かたすそに杵の挿枝、中上こうLやのそり僑(宝的明和頃rノ

v.JO

童話集、手瑳歌)

以上の中後の四歌は悸承の間の相異を示して、尊と同一一一歌に出たものて!二ることが知られ・ろ。而し て最後のものと略々同形の歌詩は近代 り藷施方の民話や童謡に睾く徴布して行融tた。明治以後 抹渡された数々の民謡藁によれば、歌詞1′こ′多少√当日、あってせ、「梶の所轄」の前後の部斜に 突きな票化はなく、「かたすそ」が「毘裾」叉且「肩と裾」となるものと「片裾」となったもの が見られ(尤も後事の「片桐」は後代LT)は接骨乃解釈であるとも考えられる0)、「こうLや」に、

多く「五條」となっているが、「夢帽紅 となろヰ′のもかなり多く、叉稀に且「こりよ−げ」或は

「小女郎」と歌われたものもある。(「五條」の例、岩代′J、沢、千葉県安靭描、長野県小県郡。「御 苗」の例、岡山県吉備郡、和歌山県熊野、愛媛県宇和島。以下略す)

「そり橋」以下の歌詞は、その歌はれる土唖によって責厘様々であるが、安価として債も時代の 古い童話集(宝暦明和頃)に於いては、

そりはあLを凍るものとて、彼らぬものとて、こきにこっきらこと、ちよきにちよつきらこ と、そこで殿御の御こころこころ

となり、小歌悪童集で性、「十でとのさの心いき東めてヤンレ」となり、その他の民話でも天体 に於て、軍記の恋の歌となってレ、ると考えられ・る。更に大胆な推定が許されるなら、柘の析枝山 根廿は美しい衣服即ち之を環用する女性を示すものかとも考えられる。

攻に肝署の例をあぐれば、

盛よりつぼみに色やむめの托 し守武、法楽、永1千五年作)

つた引くや青梅よりも花さかり(貪債、「小町をどり」)

君は奉嗅く格の花(「松の菓」さわざ、「棟の落葉」全、「落巽東」問賓小六)

おかんお紋にお放女郎、苺につを引く客迫の(「法の落莫」今杖くどき)

花の先手の鐘槍や\白梅∵昇に紅魔の、これレこつをひく脊口(仝 仝)

抱の小樽を折ふとすりや、これこれ中へ且郵さん、折らせまいてはなけれども、否みし花や へ恥かしや今に嘆いたら旗枝も(小歌志童集)

腎の口論のそのむり酒をざます吾中の袖の拡(潮来風)

私は青拓よ一、拓の寡ごれてよ−、しそとなじゆんで色付いたよ−(但議運拾遺、受妨県湛 智郡、枠くり唄)

これ蕾んで開いて開いて蕾んだ柘の花が咲いても咲いても色に迷うたええ(対島民試薬、峯 村字音海、同村宇佐賀但し歌詞小異)

天劣る当のふるえ牒豆手捕りやすると婆洩る乾のなは惜しまるる花盛り(同、峯村等木城)

長閑にめぐる糊口川、さすかに信が技の色に辻ふらん(同、Jラ二酸付芋琴)

梅の小枝を折久瀬ふ大輔㌍路の′ト夜嵐、折も折とて琴の青に花も散るなり(同、 同)

以上の語例中はじめの二例甘果して女性の苛を含むものであるか否かは断定し雅いが、後の「松 の落葉」や愛媛県の枠くり唄などの例から考えれば、真!こ右の菅のこめられているとの解釈も可 能で法なかろうか。

攻に「つを引く」とほ諸掛つ如く唾液の出ることであるが、之は充奄生理的現象をさす語で、

苛椿のような酸性の購い食軌を見ての場合と羊味の食物を見るによって起る場合とがある。而し て叉他方に就いて、現代に戯けると仝じく、かなり古くから心理腔昆象に対してむ比喩的に用い

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られている。前引良性の句に輝子る「つを引く」は、いう食でもなく生理的現象と心理甘畏敬と の雨音に用いて技巧を示すものであって、「青梅」に対してに生理的に鶉卑唾液を催すのてある が、「花盛り」に対しては、その芙さしに惹かれる、魅力を感するという、電撃餌の婆のてある。

この有に前説のような宴の竜味が含まれないものとすれば、攻の

シピレヲ

見済雪肌英 如何成賢者切レ拝。対据花姿分 某日好唱真無し彫。寺中老岩共懸レノピ、。門晶男 女墳引レ津。(滑礪詩浪二)

t ●

は、美しい容色に対し魅力を遠することの苫て瀾いられている。この文のつを引かるる可象は美 少年であるが、前引「松の器楽」今宵:くどきの射ま女性に舅してつを引く場合である。

充釆粒の折枝は黄も莫なるものとし′て永月給貫故と庶民を間わす人々に芽好されたものであっ た。この閑吟集の歌は「薄給」と「晶の絹枝」とむ出来せしめることによって、貞樵の句に於け る如く、「つが引かるる」を生理的現象の訂右とノ已耳的現象のそれとの両君を交錯し交響せしめ る何に典味を感じ叉歌としての技巧を求めた旦のであろう。即ち提嚢の諾詮に反して恋の歌とす る叩以である。更に之は、閑吟要の投首の款の逆款的な配列淡から見て、この歌の凱歌が「庭の 丑睾しげらばしげれ、遇われはとてとふ人もな」であり、径の歌が「わご領う怠戊へばあのの洋 よりきた物を、をれふることはこりゃなに事」であって、何れも恋の歌であるという新にもその 真付けを見出し得ると一望、う。なは、鍔野茂は筆者への宏信で以上の栽解に晴々賛苛を表された上 で、相しこの歌は、苗歌の「封甘」や綾歌の「津」の語から考えて貫の景物を歌ひ込んだものと しては「青0棍」でなけ頼ばなら泊といわれ、叉「苛陥」の藷を含む攻のような語例を示ごれた。

夫婦仲のよい証拠が抑堪る。告ごう田此申し′きりに青掟を好きますろ。(狂言「庖丁空円)

杭なれば夏の青括、殿御となお売㌧誓いの、砦けれ・ばまだもできよもの、やせるHね主の妨げ、

妨げとは申すけれども子甘末代の宝(「日本民話七重」描津住吉神田栂式の間舞)

和泉庄のねしよう(女性)甘盗み貪ひする音櫨を(「佐波の民謡」金択柑盆踊唄)

之等乃卸によれば青梅法懐胎と関係慄い語となる。之に対して私は、穂ではあるが、愛媛県の苗 引枠くり唄では、音杭が直ちに砦い女性の電′こ加、られる例もあることを注首したいし、叉閑吟 其の歌は能狂言や民謡!こ於ける「青佑」ではなく、「青柘の好枝」である点が其っている所にも

°t°●

注目したく思うのである。

さて漸く本項冒頭に記した「やこりよ」の間凰こ喋る。程粟の諸説では殆どすべての人が「キ こりよ」を一語と解して居る。伯し志田氏みのは、前.摘日本古典全集歌論集閑吟集に於ける句読 点の施し標からすると、別の解釈をされたものと軋れれる。鈴木氏は敵引の如く之を掛声だとさ れた。叉小林武治氏は、之を囁子言葉で「キこりゃ」などと同じてはなかろうかとし、岩木研攻 氏は、唾の引かれる掠態語と、或は囁をも懸けるかとされた。(「こもり沼」等二巷筍七号)「やこ

りよ」の「りよ」が拗音であるとすれば前記諸兄のように、「やこりよ」は掛声噴詞の澤と考え られる。「ヤこりよ」の語は他に研見なく、現代でも闇かないものごあるが、鞠代の語感から推 せば「やつこり車」などに近く、牽く動はむしろ滑樺感を起させる語のようにノ習、われる。藤田氏 等前記三氏がすべて、この一首の歌から滑稽味を惑ぜられたのはその故ではないだろうか。しか し私は前述のようにこのh一首を恋の歌と解するので、この歌から浦帝を感じ得ない。尤も閑吟集 に於けるこの歌の後の歌「わどれうノ且へばあのの津より釆たものを俺ふることはこりゃ何ごと」

は、同じく恋歌ではあっても確かに一軒の滑稽を感ぜしめる。その点からすれば、この「苛掟の 歌に も滑持味があるのかも知れない。叉この歌の前の歌「庭の夏草茂らば茂れ、道あればとて間 ふ人もな」は眞面目なむしろ悲しみのこせ,る恋歌である。従ってその中間に配列されたこの歌は 何れにも解されそうである。しかし、青梅に対して唾がひかれるとしても、「やこりよ」汀やつ

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(6)

こト」;こ亡、′へ且と ̄才二えて)引かれるということ且考え報い表現でふる。況んや、稔の前段一優美 な王朝の美意識の倍杭のこめられている坤の、(3)又庶民に在っても永らく農村の趣味を菟ひ且 つ彼等の信仰生活とも密接に結ぶ斯く11の桔距折庸一に唾を引かれる状態が、「やこわよ」と擬態 され叉は職されるとは一盾解し灘1ハところである。現在閑吟其の諸本ではすべて「やこりよ」と なっているから、之を適うの牲美肌にすぎるが、全くささやかな一私共は、後の歌忙l歌詞との関 係から、「や」は「わ」の書体琴似から憩った誤写ではないかということである。何となれば債 歌との連続性、勿論恋の苛に在るが、言寒にも同相こ叉は顆似のものはないかという虹、浅野氏や 岩木氏のように、「つがひかるる」の「つ」と「あのの津」の「津」とがそれであるとも考えら れよう。しかし、この両君の「つ」は音義上全く別語であるから連輩語としては無哩ではないだ ろうか。そうすると、後歌と前歌との連魔i語があるとすれば「わどれう」で法ないかと考えるの である。前歌の「やこりよ」を「わこりよ」の誤写だとすれば、之は142番240番及び301番等 の歌に於ける「わごりよ」と同じく、「わごれう」の少し変化した形であって閑吟集時代に両者

t °

典行われ「こいる。右の推定を支持するものとして捕虜摘勺ではあるが、諸本すべて同じく誤写した 字を別に推定することのごきた例が閑吟集中にある。その一例は、263龍のは今は名はもるると も、の歌である。この歌の輩一句は諸本「龍のハ」・:又は「龍のハし」)となっていて、歌意も不明と ごれたが、洋野氏は「龍」を「新」の茸体の誤りと考え、第一句は「しのはし」を正しい形として 改められた(朝日古典全書等)。私も昭和十二年に之と同株の推定を記したことがある。は第二 の例は、91たモよおきやうこつ、ぬしあるををしむるはくひつくは(下略)の歌である。この歌 の「ぬしあるををしノむる」の箇新は諸本すべて一致しているが、浅野氏は「を」を街と見て除かれ た。(前指貫)之についても私は洞見を以て推定詮を「しのばド」の歌とともに述べた。(6)こ のように閑吟農の現存写本がすべて同様の誤写を示している場合があるから前記の如き推定の必 要がある。又この二つの歌の誤字推定は恐らく誤りないであろう。当面の76番の「やこりよ」に ついての私の推宝は前二歌程にはその正好さを確信できるものではないが、一私案として諸家の 研一示談を仰ぎたいと思う。佃この場合「わごりよ」の、一首中に於ける位置は281つlほいのう、

せい!やう、つぼやわもせいごねむかるらう、の歌の「せいLやう」などと同様であって、「わ ごりよよ」の竜亡あろう。

77あごれう忠もへばあの1津よりきた物を、をれふることはこりゃなに事。

上記は図書寮本の歌詞である。その「をれ.ぶること」は、彰考棺及び帯嘉党文庫本では「をれ

ふりこと」となっている。叉刊本を見ると、続群書顆堤本では、「をれふること」であり、近華

°      °

文望農吉本では当然謳嘉堂文庫本と同じであるが、「ふむことは」を「ふりことい」としていて、

●       ●

「レ、」且字体しつ梓似から釆た「は」の誤読と思われる。

さ三、「をれふる罫」を正しい本文と考えたらしく患われるものは、大言海、翻す英一一氏(閑

吟展起解)、藤田、小林、岩木の諸氏(閑吟集研究)である。之に対する私の疑勘ま、三写本の 中二本が「ふりこと」となっていることである。当時の用例から「をれぶりこと」叉揉之と同形

°

の言悪が′存在し得たいことが明際であるならば論外であろうが、略々同時代に、「をれふりこと」

と同じような形、即ち「代語+動詞適職形+名詞(就中「こと」)の語形が青春した。滝沢幸吉郎 氏の抄物から挙げられた実例を私の調べたものと合わせて墨げれ.ば、

飛力一合ヲ三三ハ(持場)ヲ不知ソ(史記二)

博ハ只サイヲヱヱヤウ(投株)こヨルソ(同)

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喪ヲハカリ審ハカナウマイ(同 寸−)

秋ノ声ヲウラミ事無ソ (古文一下)

シシテノノチッカエンコトヲ上皇(間)コ1、ハムヤク下云(論語先進)

二姓二生工事ハイヤトテ(苗文一)

其先ノ諸侯テアルヲ五清三王ト同シ標ニエコトハイワレモナイソ(史記三)

此四字ニカキリテ音二品テヱヱコトハ不審ソ(周 六)

ツナカレク標ニシティ(居)苛ハ恩モ不寄罫ソ(同十)

他人を塾生事は本意では無ぞ(毛詩二)

葦リ事は磋リなれども(同 同)

一に去主事はえこころえぬぞ(同 同)

幽谷からでて喬木に遽てあそふときの査ヱ事ぞ(同 九)

身共は今まで肱を上皇立寄がなひが(虎明本能狂言かみなり)

アンヲンニヨ(世)ニヱヱ(居)ゴ1、カタヰカナ(論語陽貸)

天子ノ夢ヲ哲シゴトハ無勿体ソ(若木)

大道ヲ乱17ゴトハハヅカシイ1、ヲモへバ(同)

保菜後の三例等から揚択氏は、か1る場合の「コト」ほ「ゴ1・」と発音したものらしいとして屠 られる。(同氏「室町時代の言語研究」八三頁)彩考給本閑吟集に於ける本歌のこの部分は「ふ りごと」となっている。伺し濁点のみは、苛濱となっている。青書の記入者は何人であるかわから ないが、揚択氏詮の如き知識を持った著か、叉は現雪にかかる葦音を聞き叉は行った時代の人で あろうか。何れにせよ此の青苗は逆に揚択氏誼を確める一一一状班とも看傲されるであろう。

長複に此の歌はもと安濃津の住民のうたった歌として陪わったものと考えられる。多分に野趣 を含み且つ滑稽味をも感じさせるところの民話的な小歌である。閑吟先取丈にいう「都部逆墳」

の部叉は近境の歌である。従ってこの歌が流行の問に語句を変じたとしても大きな変化はないで あろう。重体として方言を含んだものではないかとノ甲、われるが、すくなくとも、「わごれう」「を れ」「こりゃなにごと」などの語からも、例へば集中の206「君釆すば小紫」の歌や早歌に属する歌

その他前代より倍わる歌とは異った、室町時代特有の小歌であると考えられる。従って、「をれ ふりごと」も「ふる事」ではなくて「ふりごと」である方が、前記諸語を含むこの時代的の叉地

●      ●

方的の素朴な小歌にふさわしいのではなかろうか。以上の如く、私は本歌の問題の部分を「をれ ふりごと」と定めたく思うのである。

豹3とてもおりやらばよひよりもおりやらで鳥がなくぞレ、」\ハく程あぢきなや

上の「ぞレ、1いく」の部分は図書寮本の本文である。(但し日本古典全集の顧刻では「そいく バく」となっている0)彰端本ごは「ういしわく」、静嘉堂文庫本では「そくいか」、融学部戸 堤本では「うつ1いく」となっている。

上のように「ぞレ、」いく程」の部分が諸本それぞれ異っているが、「ぞ」と「う」とは明らか に、「そ」と「う」の古体類似から起ったものと思われ、意味から考えて「ぞ」が了Eしいとして 誤りないであろう。≡欠に「レ、」いく」に就いては、払甥捉「つ1いく」はその特異さと、電暁の 上とから考えても無理であって、「つ」と「い」の書体顆似から棄た誤記と見られる。彰考館本 の「レ、1わく」の「わ」は、右の「つ」の場合と同檻の理由によって、「レ、」の誤写と考えられ る。かように考えてくると、兢後には、図番寮本の「レ、⊥いく」と静嘉堂率の「〈いか」と何

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(8)

れか正しいか或封可れも差しくないか、ということか問題となる。魯持氏ド:、国責寮本の「レ、」

いく躍」では如何にも解しようがないと考えられて、意味からいうと轟嘉党本に従って「鳥が鳴 くぞ鳥が鳴くぞいか程」として解釈された。汀珂艮文学」昭和九年九月号)攻に古典査苗の頭 誌には「レ、く程は茂程か」とある。彰考絹本つ「レ、」わく」の「わ」を「レ、」の誤写と考えれば

この部刹ま静嘉堂文晦末のみが特認の本文となるわけであるから、「レ、1いくほど」で意味が適 すれば多数の本文即ち之に従うべきであろう。而してこの本文でも、松村氏のいわれるように解

しようがないとはいえないと悪、う。克づ「レ、1いく程」を「レ、1」と「レ、く程」との二つに分け て考えれば、「レ、く程」は、古典全音では悼買鳩、や1疑問の形で前記のように話せられている が、之は「茂程」と断定してよいと思う。「レ、く程」は「いか程」と同意であって近古晴代に・は 多数の用例が見られる。その若干を記せば

まことに義にそむける故にや、無翼の七駄なりしかども、ことなる勧賞もなく、結局いく程

° °

なくして、身をほろぼしけるこそあさましけれ(保元物語)

大炊提帝のうつされて、思弘にたへず、いく程なくうせ鎗ひけん宜にこそと、昔余所にきこ

● °

しめしかども(同)

信俊(中略)御蔵後の御有機をも見蓼らせんと申しければ、預りの武士、如何にも叶ふまじ き由を申す問、大納言、いくほども延びざらんもの故に、唯とう怖れとこそ宜ひけれ(平家

●  ●

物語二)

堀河院御曙に、右天弁忠長に題をめしたりければ、夢中曙馬と云題を奉わけるに、これまた いくほどを繹す、院かくれさせたまひにけり(十訓抄)

● t

近くは中御門痛政殴、「眠遊覚不レ開L窓」と云詩をつくりたまひて、いくほどなく卿とのご

●●

もりながら頓死せさせたま払にけると問えき(同)

春の花ながむろままの心にていくほどもなき世をすぐさばや(工業彗十四、墓′顕)

● e ● ●

°

°

い ・ い ・ い ・

ほどへざる華の車の\重く定めたる妻子は持つべからす(曾物熱四)

ほどとおもはざりせば薯の身のなみだのはてをいかでしらまし(甘阿潤、翠丼一献)

ほどの身ぞと恩へば世の中の重きをなぐさむ老のタ暮(繹竹、文花應仁記)

いにLへはただ夢の間の凍るの雨になは降りまさる浜いくほど(同、円満井原法式)

○ °

伯し、右の諸例の中、世阿昭の歌については、能甥博士は「いくほどと一日分の生きてゐる 問だと。自分の生命のつづいて居る限りだと。」と解された。(7)「いく」(生く)は、古くは四段 に活用した譜であるが、平安時代末期から以後は上二段活用が用いられるようになったものであ る。従って、世阿輔の「レ、くほど」の「いく」にしても、之を苗代と同じく四段活用の連体形と解 するためには、今少しく詮明を必要とするように且う。「レ、く」を連体形の「生く」とすること は無理であろう。三大に、「レ、くほど」(茂程の音の 語は浜松中納言物語にも見え(大言薄)、平安 時代にも行れれた語であるが、前掲近苗時代の語例でも「茂程」の意で通じないものはない。叉 酬耶蘭の歌を含めて、語例何れも「生く程」(生きている問)と解するのが無理ならば、「茂程」

以外に.解しようがないのではなかろうか。

攻に「レ、1いく程」の上の「レ、」」ごある。之爾紅キ解し粗い語であるが、「いく程」という ところが口ごもったような表現となって、第一晋が二回繰返されたところを現わしたものと解せ られる。琴似の例は同じく閑吟集の

くすむ人は見られぬ、夢の夢の夢の華をうつつがほして

°● 4°●●

忍ぶ軒端に瓢箪は枯えてな、おいてな、這!コ、せてならすな、心のつれてひよひよらひよひよ

° ● ● ● ● ● ● ● t

めくに

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(9)

ただ人には脚れまじもの宙や、馴れてけ紗こ誹る1為るるるる為が大事ぢやるもの

tt●●°°

乗る塞る乗るとは枕こそ知れのう し下滝)

°°°●°°

上初の中の、正紅に拝位といえるの私第三例のみであるが、他の例も、同語を三回や繰返すとこ ろが、程束の歌謡と異っていて、「い」」屯軋いての私見の一一枚鍵と見ることがごきると思う。

なは、この一首の歌には前句に省略があ之、と見られ、後句には右の「い1」と口ご紅るような感 を出し、「怠りやる」という時代語もあって、時代の特色が極めて濃厚なものである。

註(1)旧阿波固文庫本閑吟寛。化斗知られていrJかつ′こものてあるが、最近忘F延荻民の衛所蔵に一掃した ものてある。之は近刊(つ改訂版岩没文庫閑吟萱に於いて本文が元されると詠ってい一三。琵琶によっ て、私の本稿Cつ所説もいくらか訂正せらるべき所が生ずるかと思う。

(2)真名序Lつ「意灯夜雨」に就いて:よ、参照、拙稿「閑吟集Cつ成立に馬する若干¢蘭語仁一)」(天理 大学々報第一号)。但し慧論文に於いて、私は、この語が、本邦石山詩に塙まったものと記したカこ、

起源としてに更に、古く、中国五山に次(つような例があるので、この前会に補足する。

送僧帰湖南      蓬州西巌恵和尚

白紙聾端黒聖書 分調一一句却摸潮音遠夜雨柑江上 昂得平沙落階回 (江湖風月庄)

t. ° °

送 入 帰 萄      四明末宗本和尚

崖得身形似鶴噂 精金高煤出征媚巴山花雨石畳下 仏法南方一一点無 ( 同 )

°  t°

(3)悶邦の如く′古今和歌寛をはじめ歴代の訊藁「梅〔折板を贈って和歌㌃瀾笠をする伽よすいが、和 歌以外Cつもので、閑吟集成立の顎の例を元÷う。た「よって苺、栖仁一折枝に対すて時代の好偉力玩わ

ilよう。

至福讐晴陰雨下(摘)舶式即乱亜柏J梅積送之、視著こ由金返答

t °

二月廿四日 晴陰、梅枝大内左京兆江遣之、視著之由有返答

° ●

三月一日.情(小路)従大内左京兆、以沼問右京亮、綿貫∴桶、菱喰一一一、梅枝一一端呈之、令月画、

° °

視署之由念返答、給一芸、追舌状、内内依記聞串也 (役法成寺猫這忍記)

(4)梅の折枝は梓∩人たちの年久しい趣味であって、起源は信仰上(つもPであった。是を二布の蹟様に まで染めるやうになったのほ成程人の心を動かすべき新しい環象てあ∵「たらうと思ふ。

(柳田回買氏「ひなの−ふし」附苫)

村の御礼の祭の口などに和こ御幣を以て採物とし、他の何物を以ても代へることは成らぬ桜に思っ て居る人が今は多くなったが(中略)榊や笹の菜の琵いられることに誰ても知る。其他には梅蹄の

°

折枝の如き季節の花又に作間Eなどを執る祭ももろ。(同氏「人形とおしら神」)

Lは神送神事。(上略)梅の末枚をHて地を打ってムrL二押送の神事を行う。(「民情芸術」二の五)

°°●°

白山比陀御社(中略)の例祭て梅の枝を献ずる式があるので、梅ケ苦労三ともいふ。(同 同)

一 ° °

山城等つ宇治班笹八幡(今に雪二澹刊」計)の六倍神事(中貼)。県封の常置て梅と紅布の佃供をし終 って大常を倒し地を曳いて来る。(同 二Cl六)

(5)参照、拙稿「閑吟集中難虹の小説について」(「堵」第一一号)。私は、一一、「冒巨」と「訂」との草体 の謀似 二、「完Hが「し」(「古を買わすに柘いられた例に近世(「「とりかへばや物語」の写本等 にもある。 三、こ(つ訳しつ前提Cつ数首はすべて恋の歌であって且つすべて一首中に「しのぶ」の語 を含んでいる。以上の三点から、この「冒巨」を「新」即ち「し」と推EL∴二C「てある。

(6)参照、前掲蒜。一、影考朗本では「をを」の二手にこ行Ilこ亘って苫かれている。二、「をしむる」

は「惜しむる」としても、「変しむる」としても活冗形として普過てない。三、「しむる」という 語は閑吟集中の他の歌をほじあ、中世歌謡に多く見られる。

(7)能勢博士注、この駅の−一首の解として「この老CT身の涙が鼠き乾く勘を竃へて見ると、モ1は自分 の死の時である。その時にはじめて悲しみも消えるわけだが、さう恩はないとしたら、涙の巣は何

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(10)

略だといことを、どうして知り怨られよう」と述べておられるpそのような鮎も可能かlように思わ れるが、やはり野望なところかあるのではないたアっうか。こr歌の解を最も痴単な軒て示してみる と、博士の御解釈では「涙の果ては生きている問だと忠になカったならば」又に「茨で克てば生命

のつづいている限りだと忠はなかったならば」となるが、之で㍍「見て」という、口早つ一一一戸が「限 り」(又は問)という時間の綜過と等しいことになって野性てある。従レつて一首C「猫としてに、r

°

死の轄」という語を打いられたものと恩わる0之は省路カあるとみるべきて、結局こ㌃駁てに「い くほどが経過し/こ1ら夜の果てがある」の肯置文か「いくほどが経過したら証の果てがあるか」〇「

… …       … ° 一

疑問文かの問題になると思うが、前者なら、「生きてる間か紆過したなら一死の時には一老人ブ三 からあと長くほない−」というような儲詫劉こなり、後者ならば、「どれくらい打ったら−老人だか らあと長くない−」となる。前者でに粛々否定的猿情「弱い訳になるよ に恩。ケ訂.。こ「重訳 はこの一首については必ずしも否足し去ることはでき′ないように思うが。世杜翻「影嘗下に成つノここ

らしく思われる禅竹の文正應仁記n「いくほどの身ぞと思い、は」の歌cT、場含、夏の身(つ否定的反語 的な表現としては「どれ程(生きる)身ぞ」と白試する√ ̄ノか薯通で、「生きている置jo身ぞ」と首 琵的な形は押野Cはないブ三ろうか。更に円満井圧腹式C瓢は旺睦で、「板はどれ仁ふりまさモこと

° t .

か」といっておる歌で「いく丘ご」は「幾程」である。なは、末文に於ける保元物語その他の例文の 詔kすべて「幾程」と解すべき語である。lL)52.10.27

瞞記 本稿作製には浅野建二氏、鈴木一男氏の祖元教に負う所老きを記して謝意を芸する。討平素老害論 文を通して学恩を蒙ることの多大な諸先輩に刈し批評的な辞を用いた失礼に対し軌先客と魯批正と

を乞うものである。

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参照

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