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「金融資本」をめ ぐる一つの理論問題

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(1)

‑ 51

「 金融資本」をめ ぐる一つの理論問題

金融資本 と擬制資本 ・証券市場に関す る研究

( 1)

大 矢 繁 夫

じ め に

金融資本」 について論 じる多 くの論考の中で, 最近の本間要一郎氏の所説 (現代資本主義分析の 基礎理論』 〔岩波書店1984年〕, 第2章第3項 「金融資 本」)は,金融資本」を否定する見地を明示的に打 ち出されたものであり, と りわけ注 目されねばな らない。小稿は,本間氏の 「金融資本」否定論を追い, そこか らどのような事柄が問題 として提起 されて くるかを探ろうとするもので あるが, 他方で,金融資本」を肯定的に説いている最近のい くつかの所説で は,本間氏によって提起されて くる問題に十分応 じうるものとなっているかど うか, ということを併せてみてゆこうとするものである。

Ⅰではまず,本間氏の所論を追い,氏が 「金融資本」を否定する際,どのよ うな問題が検討すべき課題 として提起されて くることになるのか, ということ を考えてゆ く。そ して Ⅱでは, そのような課題に対 して,金融資本」を肯定 的に論 じる所説は, どのように 応 じうるものと なっているか否か, を検討す る。

( 1 )

本間氏の 「金融資本」否定論は

,

金融資本範暗」 と 「金融資本の蓄積 様式」 というタームのそれぞれについて検討が加え られ,打 ち出されている。

まず,氏の 「金融資本範暗」否定論か らみてゆ くことにする。

(2)

‑ 5 2‑

金融資本」をめぐる一つの理論問題

本 間氏 は, レーニ ンの規定 した金融資本 に対 しては, それが 「産業 における 独 占休 と銀行業 における独 占体 とが, その独 占的支配力を強化す るために結合 した, よ り高次の独 占的結合体 の ことで あ って,新 しい資本範晴を意味す るも のではない」 (本間,前掲書‑ 以下 同 じ‑ 192ページ) とされ, そのような 意味での 「金融資本」概念 は,独 占資本主義 の支配構造を特徴づけるものであ り,現代資本主義分析 にとって も 「必要 に して有効 な理論装置」 といわれ る。

つま り, レーニ ンの規定 した金融資本 は, このような もの として受 け とめ られ る限 り有効だ と肯定的 に捉えているわけである。本 間氏の 「金融資本範 噂」否 定論は, もっぱ らヒル ファデ ィングが規定 した金融資本 に向け られているので ある。

本 間氏 は, ヒル ファデ ィングの金融資本規定を次のように解 釈 され る。 ヒル ファディングの規定す る金融資本 は

,

資本 としての独 自の 流通方式」 を もつ が ゆえに商業資本や産業資本か ら区別 されている この 「独 自の流通方式」 と は,銀行資本が もはや G‑G′ という形態で はな く,Gb‑G‑W‑P・‑W ′

G′ ‑Gb 〝(

ここでは Gbは銀行 の所有す る貨幣資本を示す)とい う,現実の価 値増殖 過程 を包摂 した流通形式」 (本間,185ページ)を取 る, とい うことを指 す。そ して 「いまや,Gb‑G‑W

‑ p ‑W′ ‑G′ ‑Gb

〝が資本 にとって支配的な 流通方式 となる。 これがすなわち, ヒル ファデ ィングの規定す る 『金融資本』

なので ある」 (本間,185ページ) といわれ るのである。

G‑W‑p‑W′‑G′で もな く,商業資本 の G‑W‑G′ で もない独 自の流通 方式 Gb‑G‑W‑p

‑W′ ‑G′ ‑Gb

〝を取 るもの ,とい うことで ある1)O

1

) 本間氏によると,Gb‑G‑W・‑P...W′‑G′‑Gb〝ほ銀行による固定資本信用供 与の場合であり,他方で銀行による産業株の引受 ・発行ないし産業株への投資は,

A‑ G‑

W・

p‑W' ‑ G′

\// Gb‑ A

‑ G

という形式となる (現代資本主義分析の基礎理論』238ページ参照)。本間氏は, この両者を,銀行資本が産業に固定される二つのルー トとして,いわば並列的

に押

えられているようである。しかしながらこの両者は,等しく銀行が行う業務だとし ても,たんに並列的に捉えられて済むものでなく,銀行にとってどのような位置づ けをもつものなのか十分検討されねばならぬと考えられるこの点については次稿 以下で扱う予定である。

(3)

金融資本」をめぐる一つの理論問題 53 ‑

さて,本間氏は, ヒル ファデ ィングの金融資本概念の他 に レーニ ンのそれを も検討 したうえで,次のように結論す る。

「ヒル ファディングのい うように, 銀行 と産業 との 一般的関係が,前者 によ る固定資本の貸付を実体的基礎 として変化 し,銀行資本の運動を,産業資本の 運動を包摂す るものとして把えなければな らな くなったとしても,それだけの ことであれば,産業資本,銀行資本‑‑とい う一般的な範晴をもって処理 しう ることであって, とくに 『金融資本』 という範境を措定 しなければ把ええない ような新 たな諸関係が そこに折 出されているとは 考え られない」 (本間

,1 9 2

ページ)0

見 られるとお り, ヒル ファデ ィングによって措定 された 「金融資本範噂」 と い うものが,先 にみたような独 自の流通方式 によって特徴づけ られ るにす ぎな いものな らば,産業資本,銀行資本 という一般的範噂だけで事足 りる, とい う 見地である。 「金融資本範暗」を措定 してはじめて 捉え られ るような新 たな諸 関係などそこにはない, といわれ るのである。

以上のところではまだ,本間氏が 「金融資本範噂」を否定す る根拠がなお具 体的でな く,いまひ とつはっきりしないように思える。ただ, ここで注 目して おきたいのは,氏が,今や産業資本 の運動を包摂 した銀行資本のかの運動形式 (固定資本信用 や産業株の引受 ・発行)を, たん に銀行資本の運動 というだけ でよ く新 たな諸 関係を意味す るものでない, とする点である。結局,本間氏の 見地 には,銀行資本のかか る運動は独 占期 に質的に新 しいものではな く,いわ ば銀行資本が本来的に備えている業務 ・運動 ・機能 として理解すべ きであり, それがたかだが量的に目立 って くるにすぎない, とい うような認識が潜んでい ると思われるのである。

このような本間氏の認識 は,氏が 「金融資本の蓄積様式」 というタームを問 題 とする箇所でより具体的に窺えるように思われる。そこで次に, この問題 に ついての氏の所論を追 ってゆ くことにす る。

( 2)

本間氏 はまず

,

金融資本の蓄積様式」 といういい方 について,多 くの 場合 その意味は不明確であ り,具体的に規定 されている場合 もきわめて内容が 乏 しく, 「蓄積様式」 というにふ さわ しいものなのかど うか, と擬念を表 明さ

(4)

‑ 5 4 ‑

金融資本」をめぐる一つの理論問題 れる。

そして

,

金融資本の蓄積様式」 というタームを 早 くか ら用いた宇野弘蔵氏 の所説を批評 しつつ次のように述べ られる。すなわち,商人資本の蓄積 と産業 資本の蓄積 とは,剰余価値の生産を自らの運動 として展開するか否かで本質的 に区別されるが

,

金融資本の蓄積」 はそのような 区別立て と並んで置かれる ようなものではな く,それは,産業資本の蓄積を基礎として可能 となるところ の資本蓄積機構上の 「上部構造」をなす, と。 さらに,宇野氏の場合は

,

融資本の蓄積様式」 といいなが ら,その具体的内容は事実上 「株式会社の蓄積 様式」 となっている, と批評する。

本間氏は, さらにすすんで

,

金融資本の蓄積様式」 について次のように明 示的に決論づけ られる。すなわち,産業や商業や銀行業 における独占体が結合 することによって新たな形態の利得が発生するが,それは 「独占的支配による 蓄積」であって

,

産業資本の蓄積様式 とか 銀行資本の蓄積様式などと対比さ れる意味での, 何か特別の 『蓄積様式」(本間

,2 3 2

ページ)がそこにあるわ けでな く, したが って 「金融資本に 固有の蓄積様式 (それは多 くの場合,『 式会社の蓄積様式』の別名にす ぎないのだが)なるものを規定することはでき ない」 (本間

,2 3 2

ページ) と。

以上のようにして本間氏は

,

金融資本の蓄積様式」 というタームを否定す るわけであるが,氏が続けてヴィクタ一 ・パーロの 「支配の利潤」の諸形態を 取 りあげなが ら次のように 述べ られる時, そこには 氏の 「金融資本の 蓄積様 式」否定論の要点がいっそう具体的に窺えるのである。

これ らの利潤あるいは利得 (パーロの 『支配の利潤』のこと,すなわち,金 融的収奪など,銀行独占と産業独占との癒着によって生み出されて くる種 々の 利益のこと‑ 引用者)は,直接には産業資本あるいは銀行資本のもとで蓄積 されるのであって,それが,彼 らの属する金融資本集団の全体 としての経済力 を強化するか らといって,産業資本や銀行資本 と軍晴を異にする何 らかの蓄積 主体が出現するわけではない。金融資本集団としての結合は,銀行 と産業企業 における,それぞれの様式による蓄積を強化するものとして機能するにす ぎな い。 この種の利得は,金融資本集団のもとでの蓄積にはちがいないが,そ

(5)

「 金融資本」をめ ぐる一つの理論問題 ‑ 5 5‑

何 らか の特定 の 『様式』 を見 出す こ とはむず か しい

」 ( 本 間 ,2 3 3 ペ ー ジ。 )

引用文

にみ られ るよ うに,本 間氏 が 「金融 資本 の蓄積 様式」 とい うター ムを 否 定 す る際 の具体 的要 点 は, 「 金 融 資本 」 な る新 たな 蓄積主 体 が存 在 す るわ け で はない, とい う こと, 同 じ ことで あ るが, 「 金 融資本 の蓄積」 とい って もそ れ は産業や銀行 の それ ぞれ の蓄積 が強 化 され た もの にす ぎな い, とい うこ とで あ る

2)0

さて,本 間氏 の 「 金融資本 の蓄積 様式」否 定 論 は以上 の とお りで あ るが, こ こで は氏 の この所 論 自体 ‑ の 批 評 は措 くと して3 ) ,氏 の この よ うな見 地 は次 の よ うな理解 と密接 につ なが って い るので はな いか, と思 え るので あ る。す なわ ちそれ は,金 融資本 によ る金 融 的収奪 とか, よ り具体 的 には銀行 の株 式 擬 制資 本 との関わ りとい うよ うな問題 領 域 は,結 局 は銀行資 本 の従 来 か らの運動 あ る

2 ) この点に関し,例えば,保住敏彦氏の最近の所説では, ヒルファディングが語る

「 金融資本の蓄積様式」の内容は, 銀行の信用や株式会社制度 という資本集中方法 を利用した産業資本蓄積の拡充である,と押え られている ( 保住敏彦 『ヒルファデ ィングの経済理論』梓出版社

1984

,126

ページ以下参周) 。そして,このようなヒ ルファディングの 「 金融資本蓄積論」は, 「 産業資本の資本蓄積論の 理論的拡充, あるいはもっと明確に言えば,論理的上向と見 られる理論的内実を持つと言えるの ではないか」( 保住,前掲書 「はしがき 」 ) と肯定的 ・積極的に評価される。保住民 のこのような見地は,銀行の信用や株式会社制度という資本集中方法が独占期に固 有で新 しい, とでもいわない限 り, 「 金融資本の蓄積」といって もそれはやはり本 間氏がいうように, 産業資本の蓄積の 強化にすぎず,「 金融資本」といわなければ 捉え られないような新 しさはない, ということになろう。 もっとも保住民は

,

「 金 融資本の蓄積」を検討する際,その独 自的な新 しさを振るというよりは,マルクス 段階の 「 産業資本の蓄積」との連続性を捉えるという視点か らヒルファディングを 追っているので,上記の点が強調されて くることは当然ともいえるのだが。

3 ) 私見でも,金融資本 とは,産業資本や銀行資本が独占資本 として実際に運動する 際の具体的実存形態であると考え られ,したがって本間氏のいうように,金融資本 は産業資本や銀行資本 と並列 して置かれるようなものでな く,いわば 「 上部構造」

だ,という点は領ける。 しかしなが ら,そのような金融資本の運動は,もはや産業 資本の運動でも銀行資本の運動でもな く,それ らの枠をはみ出している,という点 が重要だと思われるのである。本間氏がいうように,結局は銀行と産業企業のそれ ぞれの蓄積様式の強化だとするならば,どうして もこの点が弱められてしまうので

はないか。

(6)

‑ 5 6‑

金融資本」をめぐる一つの理論問題

いは本来的な信用関係の枠内の事柄であ り, その量的拡大ない し延長の問題で ある, とす る理解である。

さ らに本間氏の説 くところを追 ってみよう。 問題は, 氏が

,

金融資本の蓄

積様式」を肯定的に論 じる見解 を批判 してゆ く箇所である。そこには,上記の ような理解が明白に出て くるように思えるのである。

本間氏 は

,

金融資本の蓄積様式」 について論 じる多 くの論者 は, その主要 形態 として創業者利得 とキ ャピタル ・ゲ インを取 りあげているとして,次の2 点 にわ たって批判す る。

1

,

金融資本の蓄積」の内容は, その主 たるものとして創業者利得 と キ ャピタル ・ゲインが取 り出された場合,結局は,剰余価値の生産 ・実現 には ふれないその取得だけに関わるもの として理解 されて しまう恐れがある, とい うこと。つまり,現実資本の蓄積 と 「金融市場を通 しての擬制資本の蓄積」の うち,後者だけを 「金融資本の蓄積」の内容 として しまう危険がある, との批 判的指摘である (本間

,2 3 4 ‑2 3 5

ページ参照).

第 2

は,創業者利得やキ ャピタル ・ゲインは 「かな らず Lも金融資本の成立 を前提す るものではない」 といわれる点である。 創業者利得 については

,

式会社制度のもとで一般的に規定 しうる経済的範晴 としてまず とらえ られなけ ればな らない」 (本間

,2 3 5

ページ) し,金融資本的結合がその発生をは じめて 可能 にするわけではな く,ただ 「よ り大 きな創業者利得を確実 に取得」 (本間 ,

2 3 6

ページ, 傍点‑原文)せ しめる役割を担 うにす ぎない, とされる.また, キ ャピタル ・ゲインについて も同様であ り,その取得を可能 な らしめる証券流 通市場の機能 そのものは

,

株式会社制度 に固有のものであって, 金融資本の 成立を前提す るものではない」 (本間

,2 3 6

ページ) と述べ られ る。要す るに, 創業者利得やキ ャピタル ・ゲイ ンに代表 される 「金融市場を通 しての擬制資本 の蓄積」は,株式会社制度 ・証券流通市場が存在すれば一般的に可能な事態で あ り,何 も金融資本の成立をまつ必要 はない, とい うことである

4

)0

4 )

たんに 「独占資本」というだけでなく 「金融資本」というタームを用いなければ ならない,とする積極的主張は,森岡孝二氏の所説 (森岡孝二 『現代資本主義分析 と独占理論』青木書

店1 9 8 2 年)

にみられる。森岡氏は

,

金融資本」を 「産業市場と

(7)

金融資本」をめぐる一つの理論問題

‑ 57‑

本間氏 による

,

金融資本の蓄積様式」論者 に対す る 批判 は上記の どと くで あるが,こで着 目したいのは,氏 の第

2

の批判論点 についてである。そ こで は,創業者利得やキ ャピタル ・ゲイ ンの取得を主要 内容 とす る金融的収奪 とい う事態 も, いわば擬制資本 ・証券市場 に本来的に 備わ る機能 によるものであ り,金融資本 に固有 の新 しい事柄ではない, とされていた5)0

さて,本間氏 のこのような見地 は,既 にみた ところの,金融的収奪を可能 に す る 「金融資本集 団」 としての結合 も結局 は 「銀行 と産業企業 における, それ ぞれの様式 による蓄積を強化す るもの」 だ とい う氏 の捉え方 と重ね合わせてみ るとき,必然的 に次のような事 にな らざるをえない。すなわち,例 えば,銀行 が擬制資本 ・証券市場 と関わ り, それ によって金融的収奪を な しうるとして ち, そのような事柄は,金融資本 の措定 によっては じめて捉え られ るわけでは な く, したが って銀行 にとって も質 的 に新 しい事態ではな く,銀行資本 の本来 の蓄積の問題であるにす ぎない, とい うこと。つま り本間氏 によると,一方で 擬制資本 ・証券市場の機能 は何 も独 占期 に固有 の新 しいものではな く, また, これ と関わ り, これを利用 す ることによ って な しうる銀行の 金融的収奪 も,

金融資本 の成立」 を前提す る必要 のない本来 の銀行資本 の蓄積の問題であ り, したが って本来的 に銀行 に備わる業務 ・活動である, となるのでないか とい う のである。

以上,本間氏 の 「金融資本範噂」・「金融資本 の蓄積様式」否定論を追 ってみ たが, そ こか ら次のよ うな

,

金融資本」 を廻 る一 つの理論問題が提起 されて 資本市場との両部面から独占利潤を取得して増殖していく資本」と押えられたうえ で,たんに 「独占資本」というだけならば蓄積のこの後者の領域が看過されてしま う,と指摘する (森岡,前掲書

,2 0

ページ以下参照)。すなわち,創業者利得やキ ャピタル ・ゲインなどの金融的収奪を重視する立場であるQこのような指摘自体は 領けるが,本間氏流にいえば,金融的収奪は 「金融資本」の措定によってはじめて 捉えられる事柄である,とどのように説 くか,ということが問題となろう。

5 )

この点に閑し,擬制資本 ・証券市場の十全な機能 自体が独占期以降に固有の事柄 だとする見解も他方で存在し,果して本間氏がいうように疑制資本 ・証券市場の機 能を資本主義一般の枠内で捉えうるものなのかどうかは,独自に検討を要する問題 だといえるが,ここでは問題を指摘するに留める。

(8)

‑ 58‑

「 金融資本」をめ ぐる‑つの理論問題

くる こ とにな るで あ ろ う。す なわ ち,銀 行 が擬 制資本 ・証 券 市 場 と関 わ りを も ち, そ の機能 を利 用 して行 う金 融 的 収奪 は,銀 行 の本来 的業務 , つ ま りは 「信 用 」 の枠 内の事 柄 と して処理 しうる もの な のか ど うか, とい う問題 で あ る。

そ こで次 に,本 間氏 とは異 な って 「 金 融 資本」 を肯定 的 に説 く諸説 の うち最 近 の ものを取 りあ げ,上 記 の問題 が どの よ うに( 考 え られて い るか否 か, を み て ゆ くこ とにす る。 繰 り返 す こ とにな るが問題 は

,

「 金 融 資本」 が説 かれ る際 , 銀 行 が擬 制資本 ・証券 市 場 と関 わ りを もち, そ して それ に よ って なす金 融 的収 奪 は, どの よ うな もの と考 え られて い るの か, や は り本来 的 な銀 行業 務 とい う に留 ま って しま って い るのか, それ とも, それ を超 え る,銀行 に とって は何 か 質 的 に新 しい もの と論定 しえて い るのか, とい うこ とで あ る。以 下 で は, こ う したテー マ と直接 関 わ りあ う最 近 の もの と して , 中 田常男 氏 と野 田弘 英 氏 の所 説 を取 りあげ る6 ) .

問題 は,既 に示 したよ うに, 銀行 が 擬 制資 本 ・証券 市場 と関わ りを もち, そ

6 ) このような問題に関する信用理論の側か らのアプローチについては,行論の都合 上,次稿で取 りあげる。 本稿では , 「 金融資本規定」を直接扱 っている所説の中で は,本文に記 したような問題がどの地点まで考察 されているか香かを検討 しよう, というのである。 なお , 「 金融資本規定 」 , 「 金融資本の蓄積様式」についての最近 の論考 として, 既に注でふれた 保住氏や森岡氏のそれの他に, 宇野理論を 継承す る立場か らの 馬場宏二氏の所説 ( 「 不均等発展の問題一 金融資本 と帝国主義 〔 ‑〕

『 社会科学研究』算31 巻第 6 号1 98 0 年,「 株式会社の問題‑ 金融資本 と帝国

主義〔 二〕 ‑ 」同算3 2 巻第 1 号1 9 8 0 年, 「 金融資本の 蓄積様式‑ 金融資本 と帝国

主義〔 三〕 ‑ 」同第3 2 巻第 3 号 1 9 8 0 年)がある。 馬場氏は, 「 金融資本規定 」 に関

する限 り , 「 金融資本は, 株式会社制度にもとづ く資本の商品化を一般的基礎 とし

て成立する」 という見地であり

,

この点では,金融資本を株式資本ないし株式会社

( 制度) として捉えているという, 宇野氏に対する本間氏の批評が当てはまる。 ま

た, ヒルファディング 『 金融資本論』の詳細な解説と論争整理か らなる松井安信編

著 『 金融資本論研究, コメンタール .論争点』 (北大図書刊行会1 9 8 3 年)では,本

文で記 したテーマと直接関わ りあうもの として竹中英泰氏による論争整理を挙げる

ことができるが, そこでは , 「 金融資本」把握の要点を株式会社 ( 制度)の支配集

中機能 に置いているように窺える。

(9)

金融資本」をめぐる一つの理論問題

‑ 5 9 ‑

れによって な しうる金融的収奪は, どのような ものとして 考え られているの か, ということである。 本来的銀行業務 と い うに 留まっているのか,それ と ち, 銀行 にとって 質的に 新 たなものと論定 しえているのか, という問題であ る。

だが,多 くの場合,直接このような形で問題が立て られているわけではな い。 ヒル ファデ ィングの金融資本規定を検討 しなが ら,金融資本規定 における 銀行,すなわち,産業株 の引受 ・発行や株式投資 という業務を今や全面 に展開 し,そこか ら金融的収奪をな しうる銀行が,従来か らの本来的銀行 に留まるも のなのか,それと もその規定性をすで に超えたものなのか, という形で論 じら れることになる。論 じ方は異なって も問題 は同 じである。つまり,問題 となる 銀行 業務 ・活動が 従前か らの銀行 の 本来的機能であるか否か, を論 じること と, この業務 ・活動を全面 に展開する銀行 は本来的銀行なのか否か,を論 じる ことは,同じ問題を扱 っていることになる。

以下では,中田氏 と野 田氏の所説を取 りあげ,両氏が,金融資本規定におけ る銀行 の 質を どのように捉えているのか, そ してそれを 十分 に論定 しえてい るのかどうか, ということを 検討 してゆ くことにする。 まず, 中田氏 の所説 (金融資本の蓄積様式」 〔

Ⅰ 〕〔 Ⅱ

〕,『高知大学学術研究報告』第31巻 〔社会科 学〕1982年 ;同32巻 〔社会科学〕1983年)か らみてゆ く。

( 1 )

中田氏は, ヒル ファディングの金融資本規定, すなわち

,

銀行資本 と 産業資本の緊密化」 ない し 「銀行資本の 産業資本‑の 転化」の過程を,銀行 が産業企業 に信用を与」 える場合 と,銀行が 産業企業の株式を引き受」 ける 場合 というように, いわば 原理的に 区別 され る二様 としてまず 把握 されてい る。銀行の 「信用的業務」 と 「金融的業務」 とい う区分である (中田,前掲論 文‑ 以下 同じ‑

Ⅱ〕,22ページ参照)0

「信用的業務」 は, いうまで もな く 「貸付」 のことであるが, ただ しこの中 には,株式会社制度 ・資本流動化機構を前提 したうえでの,固定資本信用‑産 業企業 自身の増資 による信用返済, という事態まで含め られて考え られている (中田

,〔 Ⅱ

,12ページ参照)。 他方 の 「金融的業務」 とは,「産業企業の株式 会社化 と証券市場の展開を前提 とし, それをふまえてはじめて,銀行 の機能 の

(10)

‑ 6 0

金融資本」をめぐる一つの理論問題

一つとして措定される」 (中田, 〔Ⅱ〕

,4 6

ページ) ところの, 産業株の引受 ・ 発行業務のことである。 これによる 「転化」は,株式の引受‑永続的所有」

という事態であり,貸付」 とは根本的に区別 される銀行の 「出資」 によって, 銀行がいわば 「産業企業の共同所有者」 となるもの, とされる (中田,〔Ⅱ〕,

1 2

ページ参照)0

さて,中田氏は,上記のように,銀行の 「貸付」 と 「出資」あるいは 「信用 的業務」 と 「金融的業務」 というように,等 しく銀行業務だとしてもそこには 根本的区別立てを置いたうえで,次にはこの両者を統合させて捉えてゆ く。す なわも,実際の成行 として,株式発行が銀行 に依存せ ざるをえないようになれ ,対銀行債務を増資 (株式発行) によって 返済するという産業企業の本来 的な機能過程 (固定資本信用の借入‑株式発行 による返済)は,逆に,銀行の 発行活動の過程 (固定資本信用供与‑その証券化 ・流動化による回収) にとっ て代 られる」 (中田,〔Ⅱ〕

,1 2

ページ) と。 つまり, 固定資本信用を増資 によ って企業 自らが返済するという関係が,返済過程をも銀行 自らが引き取 って し まう関係へ と変る, という事態である このような事態を中田氏が総括的にい うとき,銀行の信用業務はその金融的業務 と内的 ・有機的に結合 した業務 と して,統一的に遂行 されている」 (中田, 〔Ⅱ〕

,1 4

ページ) となる。

ところで,上記のように今や 「信用的業務」 と 「金融的業務」を統合 して行 う銀行 とは,中配氏によればどのような質をもつ として捉え られているのか。

さしあたって注 目したいのはこの点である。 この点 についての氏の論述を取 り 出せば次のようなものである。すなわち,銀行資本 と 産業資本 との緊密化」

の論理段階では 「株式会社制度の成立を媒介 して信用 ・銀行制度が構造的変化 を とげ,従来のたんなる信用機関か ら新たに金融的業務を遂行する金融機関と しての機能をも包摂 した 『兼営的』な信用 ・銀行制度へ と構造的 な転 換」 (

,〔

Ⅰ〕

,8 3

ページ)をとげている, というのである。そ して, このように銀 行が構造的変化をとげて兼営銀行へ と至 った場合,銀行は本来の 活動領域を の り超えて資本の擬制資本化を媒介 ・担当することによって,一方では金融的 業務を遂行 し,また他方では 固定資本信用を 可能な らしめる」 (中田, 〔Ⅰ,

8 8

ページ)のであり

,

「かかる二側面の統一的過程の展開を通 じて,『銀行資本

(11)

金融資本」をめぐる一つの理論問題

‑ 61‑

と産業資本の緊密化』 は 『出資』形態 と 『信用』形態 とに基づ く結合諸関係の 成立を通 じてよ り高次の 展 開形態を 示す ことになる」 (中田, 〔Ⅰ〕

,8 8

ペー

ジ,傍点一原文) と述べ られる。

以上要す るに,緊密化」 における銀行 とは, もはや本来の信用を営むたん なる信用機関ではな く,株式会社制度を前提 とし,それ と関わることによって

金融的業務を 遂行す る金融機関」 としての 機能的側面をも有す る兼営銀行で あ り,すなわち 「信用」 と 「出資」を統合 した業務を行 うものであ り,それは 銀行本来の活動領域を乗 り超えた 「銀行」である, ということであるO このよ うに中田氏は,「緊密化」を もた らす ところの

,

信用的業務」 と 「金融的業

務」を統合 して行 う銀行,すなわち,兼営銀行を,銀行本来の活動領域を乗 り 超えたものとして 把握 しているわけであ り, この点 に, いわば銀行の 質的変 化,質的新 しさをみている, といえよう。兼営銀行 は,質的に新 しい銀行 と押 え られているのである。

そ して, 中田氏のこのような

,

「緊密化」をもた らす銀行 についての本質把 握は,従来か らの 「支配的見解」 に対置されて もいるOすなわち,従来の 「 配的見解」 は,銀行資本 の産業資本への転化」を,中田氏のように金融機

関』 としての機能的側面 と 『信用機 関』 としての機能的側面 との統一的機構‑

兼営』的銀行 と株式会社形態を とる 産業企業 との関係 としてではな く, もっ ぱ ら 『信用機関』 としての銀行の側面か らのみ,産業資本 との関係を理解 され るにとどま」 (中田

,〔

Ⅰ〕

,8 6

ページ) と批判す るのである。 つまり,従来 の 「支配的見解」 は

,

「緊密化」イ転化」 における銀行を

,

信用機関」 として

の銀行 として把握 しているが, 中田氏 はそうではな く,信用的業務」 と 「 融的業務」を統合 して行 うところの, したが って今や銀行本来の活動領域を乗 り超えているところの,質的に新 しい兼営銀行 として把捉す る, とい うのであ る。

以上 のように して中田氏の所論は,金融資本規定 における銀行を,従来のそ れ とは質的に異なる新 たな兼営銀行 として把握す るわけであるが, しか しなが ら, このことを十分 に論定 しえているかどうかは,若干の検討を要す るように 思われる。兼営銀行の質的新 しさを,果 してどのように説 きえているか否か,

(12)

6 2 金融資本」をめぐる一つの理論問題

という問題である。以下では, この点 について検討を加えてみることにす る。

中田氏がまずいわれてるように,銀行 の質的変化 ・新 しさは,今や銀行 は本 来の 「信用的業務」 とは原理的 に 区別 され る 「金融的業務」 をも併せ もつも の, とす る点では 明示的に主張 しうるだろう。 というのは

,

金融的業務」 と は,産業株 の引受 ・発行業務であり

,

貸付」 とは根本的に区別 され る 「出資」

であ り,それによって 「産業企業の共 同所有者」‑ と至るような業務だか らで ある。銀行が本 旨とする信用の枠を超える業務だか らである。

ところが, この根本的に区別 され る二様の業務が

,

「内的 ・有機的に 結合 し た業務 として統一的に遂行」 される, とい うことだった。さて, このような二 様の業務が統合 されたもの とは,具体的にはどのようなものなのか。それは, それ 自体 としては本来不可能 とはいえないに して も現実化は しに くい固定資本 信用が,株式の引受 ・発行業務 と結びつ くことにより全面展開す る, という事 態を指すだろうO この点は, 中田氏の 〔補論〕 (中田, 〔Ⅰ〕,92

ペ ージ)

に窺 えるところである。要す るに,銀行は固定資本信用を与えるが,併せて当該企 業の株式の引受 ・発行を行 い,それによって今や当該企業の株式の保有 とい う 形で固定資本信用の回収の手立てを確保 している, という事態であ り,か くし て銀行 にとっては

G‑G

′とい うその運動形態が確保 されることになり,固定 資本信用が全面展開 しうる, ということである。

ここで注意を要す るのは,中田氏 にあってもやは り,銀行 による株式の引受

・発行が,固定資本信用の回収 ・返済の手立て として位置づけ られている点で ある。氏 にあっては

,

信用的業務」 とは根本的に 区別 されていた産業株の引 受 ・発行が,「内的 ・有機的 に聴合 した業務」 の内容を 語 るとき,結局は固定 資本信用の回収 ・返済の手立て として位置づけ られて しまうのである。引受 ・ 発行業務がそのように位置づ くことは,他面で固定資本信用が信用 としての規 定性を獲得す る, とい うことを意味するだろう。信用 とは厳 に区別され るべき 引受 ・発行業務の異質性 は強調 しえな くな り,いわば信用に包摂 されたもの と な らざるをえないのである。

このようにみて くると,中田氏のいう,今や質的に新 たなはずの,兼営銀行 たる銀行は

,

信用的業務」 と 「金融的業務」を統合 して行 うがために,そこ

(13)

金融資本」をめぐる一つの理論問題

‑ 63‑

では引受 ・発行業務の信用 との異質性 は後景 に退いて しまって結局は固定資本 信用が信用関係 として展開す ることにな り,依然 として本来の銀行の規定性を 維持 して運動 していることになる。か くして,氏 にあっては, その意図すると ころに反 して,銀行の質的変化 ・新 しさを明示的に論定 しえな くな っているの でないか, と思えるのである。

〔 2 )

次 に野 田氏の所説 (金融資本の 構造』新評論

1 9 8 1

年)をみてゆ くこと にす る。

野田氏は, ヒルファデ ィングの金融資本理論 には

2

つの筋道がある, と把握 される。

1

の筋道 とは,銀行 と産業 の新 たな関係を 「交互計算取引における両者の 恒常的な関係」か ら説 くものであ り, そこでは

,

交互計算取引 (または当座

預金取引)を軸点 とす る銀行 と産業の 業務結合の態様」が捉え られ

,

銀行 と

産業の人的結合を導び く要因は,両者間の規則的 ・継続的な機能 的結合 に他な らない

(野 田,前掲書‑ 以下 同 じ‑

,23 3

ページ) とされ る。そ して, こ

のような結合においては銀行が優位 に立つが, それは

,

銀行が貨幣市場の独 占的支配者 として産業へ相対す るところか ら,生起す る傾向

(野 田

,2 3 4

ペー ジ)であり, この金融的支配は

,

預金銀行を中核 とす る金融団によってのみ 担われる

(野 田

,23 4

ページ,傍点一原文) といわれる。要す るに金融資本理 論の第

1

の筋道 とは,預金銀行 の当座預金取引 とい ういわば本来的銀行 の本来 的な信用の 累積 によって 銀行 と産業の 結合が もた らされる, とい うことであ る。つまり,純然たる信用の延長上 に生 じる結合であり,その際,産業株の引 受 ・発行は主要な契機をなさない, とい うことでもある。

さて,上記のように第

1

の筋道では,銀行 と産業の結合が本来の信用の延長

・拡大のもとで生 じる, ということであるが,それ と比べて第

2

の筋道は,何 よりも株式会社に対す る 銀行 の関わ りという 問題で 捉え られ るもの, といえ る。 この関わ り方 は,銀行が,株式会社制度 による資本流動化を前提 した うえ で固定資本信用を供与す る場合 と,創業‑発行業務を行 う場合 とにこっに分け られるが,いずれ も株式会社制度の存在を前提 したうえでの銀行 と産業の結合 への道, と押え られる (野 田

,2 3 0‑23 1

ページ参照)。すなわち

,

交互計算業

(14)

‑ 6 4‑

金融資本」をめぐる一つの理論問題

務を礎石 とす る業務結合ではな く,創業‑発行業務を要石 とす る資本 の産業的 固定 そのもの」 (野 田

,2 3 5

ページ) とい うことで ある。 そ して,野 田氏 によれ ば, このような 第

2

の筋道 における銀行 は,預金鋭行 とい うよ りも,む しろ 媒介的な 金融機関であ り, あるいは 『あたか も持株会社の ごとき』銀行」 (

2 3 3

ページ)で あ り

,

「貨幣取引 と貸付取 引を合体す る本来 の銀行取引の担 い手 とい うよ り,投資的金融機関の性格が濃 く,む しろ参与会社

( Bet e i l i gungs

‑g es e l l s c haf t )

や発起金融会社

( Fi nanz i er ungs g e s e l l s c baf t )

などに 近 い」

(野 田

,2 3 6

ページ) とい うので ある。

さ らに野 田氏 は,上記 のような第

1

の筋道 と第

2

の筋道が, ヒル ファデ ィン グにあっては混在 しているに して も,戟然 と区別 されねばな らぬ ことを強調 さ れ る。現実 には 「預金銀行 と参与‑金融会社の ごとき機 関」が混然一体 化 して 存在す るとして も 「銀行 制度 と株式会社制度 との区別 までが無視」 されて はい けない, ともいわれ るのである (野 田

,2 3 6

ページ参照)。

ヒル ファデ ィングの金融資本理論 についての野 田氏 の把捉 は以上 の とお りで あるが,氏 の所論で注 目したいのは,第

2

の筋道における銀行 の本質把捉 につ いてである。野 田氏 は,株式会社制度 を前提 した固定資本信用供与 と創業‑栄 行業務を行 う銀行 は,本来的な銀行 (預金銀行) か らは裁然 と区別 され るべ き

参与会社や発起金融会社」 に近 い機 関で あるとされた。 そ してそれは,銀行 制度」ではな く 「株式会社制度」 の事柄 に属す る, とい うようにも述べ られて いた。つま り,第2の筋道 によって説 かれ る金融資本では,その要因 として本 来的銀行 は 入 り込 まず, あ くまで銀行 に類似 した 「参与会社」 のどとき金融 機 関が問題 とな っている わけで ある。 とい って も現実的 には, 野 田氏がい う よ うに,発展 とともに, 預金銀行 じたいが 投資的媒介的機関 としての性格 を 濃厚化 してゆき, 預金銀行 と参与‑金融会社の ごとき 機関 とが 緊密化 して ゆ く」 (野 田

,2 3 6

ページ) という事態なので あろ うが。 ともあれ, 氏 の場合 に は, このように,株式会社制度 を前提 と しそれ と関わ りをもつ銀行 は,本来 の 鈍行 の規定性 を逸脱ない し超え るもの として 明示的 に 説 かれているわけであ る。

しか しなが ら氏の このよ うな把握 は,他 の箇所で,株式擬制資本 ・証券市場

(15)

金融資本」をめぐる一つの理論問題 ‑ 65‑

の形成 に関与する銀行が問題 とされるとき,やや不明瞭になって くるように思 えるのである。

野田氏は,株式擬制資本の成立について次のように説かれる。株式へ市場流 通性を付与 し, 「その流通性を確定するのは,利子 うみ資本を管理する 信用制 度の介入である。‑‑銀行の介与によって初めて株式流通は社会化 し,銀行の 管理する利子 うみ資本の投下 によって,初めて株価は客観的市場価格の性格を 確定される」 (野田

,5 7

ページ) と。 そして, このような信用制度の介入,つ まりは銀行運用資本が株式投下 される際の動機 として, 「貨幣市場 利子率 と株 式利回りとの比較考量」 ということの他に, 「資本信用流動化のための 株式市 場育成」 という目的などが挙げ られる (野田

,5 7

ページ参照)。

さて問題は,株式擬制資本 ・証券市場を成立せ しめる信用制度の介入,すな わち銀行の株式投下なる活動は,銀行がその本来的規定性の範囲を逸脱 してな していることなのか,それ ともその範囲内の事柄なのか,つまりは信用 とは異 なるものか信用なのか, という点である。

株式凝乳資本を成立せ しめるべ く,銀行が株式へ買い向う場合,その動機 ・ 目的を野田氏は 挙げていた。 まず,「資本信用流動化のための株式市場育成

という動機 ・目的についてであるが,それは具体的には,企業が資本信用の返 済を増資 によってな しうるように,企業の増資を可能にすべ く市場強化を銀行 が志向 し,そのために銀行は株式投資へ と赴む く, という事態であろう。 この ような目的をもってなす銀行の株式投資は,もちろん信用 と関連する事柄だと しても,それ 自体信用 とはいいえないと思われるが, この点 については野田氏 は明示的に述べ られてはいない。また, もう一つの動機 ・目的についても,す なわち,銀行が利子率 と利回りを比較 しなが ら有利な株式の方へ と買い向う場 合 についても,それは信用 とは異質の事柄なのか否か,氏の所論では判然 とし ないのである。

野田氏の所論におけるこのような不明瞭さは,他の箇所で,やはり株式擬制 資本の成立について 述べるとき, 同様に窺えるのである。 否, そこではむ し ろ,株式擬制資本 ・証券市場を成立させ る銀行の活動は,結局は信用の枠内で 押えられているかにみえるのである。氏 によれば,証券市場で運動する貨幣資

(16)

‑ 6 6

金融資本」をめぐる一つの理論問題

本は,確定利子ではな く不確定な配当収入を得 るにすぎないという点, そして 価格変動が不可避につきまとうという点か らみて,あ くまで 「派生的 ・擬制的」

な貸付資本の運動にす ぎないとして,擬制資本をめ ぐる投下 ・回収運動は賃付 資本の貸付 ・還流 (返済) 運動 とは区別 されるべ き, とまずはいわれ る (

,1 3 8

ページ参照)。 しか しなが ら続いて, この区別性は,配当安定化 と株価 変動抑制が もた らされることによって薄 まるとし,結局は擬制資本をめ ぐる投 下 ・回収 と貸付資本の貸付 ・還流 (返済) とい う両運動の無区別性が強調 され てゆ くことにな

(野田

,1 3 8

ページ参照)。結局,野田氏にあっては,擬制資 本をめ ぐる投下 ・回収 と貸付資本の貸付 ・還流 (返済) という両運動の区別性 を指摘 しなが らも,他方で銀行 ・信用制度が擬制資本を成立せ しめるといい, そして両運動の無区別性が強調 されてゆ くとき,擬制資本の運動は信用制度の 枠内に定在せ しめ られ,つまるところ銀行の信用 という枠組みに包摂 されて し まうように思われるのである。

以上でみて きたように,野 田氏の所論では,株式擬制資本 ・証券市場 と関わ る銀行活動 (具体的には銀行 の引受 .発行業務や株式投資)は,信用の枠組み を逸脱 したものなのか,それ とも信用なのか,必ず しも判然 とは していない。

氏のこのような不明瞭さは,後藤泰二氏の所論を検討 しつつ銀行の発行活動に ついて次のように述べるとき,端的に表われて くる。

銀行は,信用によらない』発行業務を担 うときにも,当該産業企業 に対す る本来的 に固定的な出資者へ転化す るのではない。銀行は,高次の形態の 『 資本 の移動』を担いつつ

,

動員』の担 い手 となりうるのである。 なによりも まず 『銀行 にとっては返済されることのない資本の拠 出』(後藤 『理論

』1 3 5

ージ)を行 うどとき銀行 とは,近代約 ・一般的な銀行ではありえないだろう。 (野 田

,1 6 2

ペ‑ジ)O

野 田氏 は, 一方では, 銀行の発行業務が 信用でないことを半ば 認めつつ, しか しなが ら他方で同時に, それは,固定的出資でもな く,返済の手立てを確 保 した, したが って信用関係を確保 した銀行の資本供給である, とい うのであ る。信用ではないが信用のどときもの, とい うことであろうか。

(17)

金融資本」をめぐる一つの理論問題 ‑ 67‑

本間要一郎氏の 「金融資本」否定論を追 ってみた結果,そこか ら提起されて きた問題は,産業株の引受 ・発行や株式投資 という銀行業務 もしくは金融的収 奪 という銀行活動は,本来的銀行業務,つまりは信用の枠内の事柄 として処理

しうるのか否か, ということであった。

このような視点か ら, ヒルファディングの金融資本規定を検討 している最近 の所説 として,中田常男氏 と野田弘英氏のそれを取 りあげた。上記の問題が, 両氏の所論では,どこまで明 らかにされているか否かを探ろうとしたわけであ る。その際,問題は,金融資本規定における銀行,とりわけ株式会社制度を前 提 としそれ と関わる銀行 について,その質がどのように捉え られているか, と いうことだった。 この点 について,中田氏,野田氏の所説ではともに,質的に 新たな 「兼営銀行」ない し 「参与会社や発起金融会社などに近い」 というよう に,「預金銀行」や 「商業銀行」 に 代表される本来的な 銀行 とは敢然 と区別さ れて捉え られていた。

しか しなが ら, 中田氏の所論では, 既 にみたように

,

信用的業務」 と 「

融的業務」が統合されるがために後者の比重が低め られ,結局は,固定資本信 用が信用 として展開する, ということになり

,

兼営銀行」の, 本来的な銀行 とは区別される異質性,新 しさは,明示的には論定 しえな くなっているのでは ないか, ということだった。

他方,野田氏の所論でも

,

預金銀行」 とは質的に 区別されるべき 「参与会 社」のどとき機関という把握は,必ず しも一貫 して堅持されてはいないように みえた。 というのは,氏が,株式擬制資本の成立に関与する銀行について述べ るとき,その場合の銀行の活動は信用の範囲を逸脱 したものなのか,そうでな いのか,やや不明瞭になっていたか らである。否む しろ, この不明瞭さは,銀 行 ・信用制度が擬制資本を成立せ しめるといい,擬制資本をめ ぐる投下 ・回収 運動 と貸付資本の貸付 ・還流 (返済) 運動 との無区別性が 強調 されてゆ くと き,擬制資本 と関わる銀行業務を信用の枠内で捉える見地へ と,容易に連なっ

(18)

‑68‑ 金融資本」をめぐる一つの理論問題 てゆ くように思えるのである。

以上要するに,中田氏,野田氏の所説ではともに,金融資本規定で問題 とな るところの,株式会社制度を前提 としそれ と関わる銀行 について,それは本来 の銀行の規定性を超えた質的に新 しいもの, と十分 には論定 しえてないという ことである。本間氏が,本来の銀行資本の蓄積の問題である, とするのに対 し て,半ば首肯せ ざるをえないのであろうか。

(本稿は, 昭和60年度文部省科学研究費補助金一奨励研究(A)一による研究成 果 の一部である〕

参照

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