著者 山中 俊克
雑誌名 明治学院大学社会学・社会福祉学研究 = The Meiji
Gakuin sociology and social welfare review
巻 154
ページ 55‑66
発行年 2020‑02‑28
その他のタイトル Values in Social Work: A Christian Perspective
URL http://hdl.handle.net/10723/00003835
はじめに
日本の社会福祉は,児童福祉,障害者福祉,高齢者福祉のように支援の対象 領域ごとに専門分化した法制度に基づき,子どもや障害者,高齢者の生活課題 に対する施策や支援の内容について検討されてきた。しかし,生活課題の現状 は,貧困・生活困窮,虐待(児童・高齢者),家庭内暴力(ドメスティックバイ オレンス=D.V.),セルフ・ネグレクト(自己放任),ホームレス,社会的孤立 や社会的排除など,現行の制度では対応が困難な複雑で多様性のあるものが生 じている。そのため,制度や領域を横断した関係機関や組織,専門職種間の連 携および協働による対応が求められている。
2016年に厚生労働省は,既存の制度が対象としない生活課題や,複合的な課 題を抱える世帯に対応するために「地域共生社会」の実現を提起した。これは,
包括的相談支援システムを構築し,総合的な支援を提供していくために,地域 住民が支え合い,公的な福祉サービスと協働を目指すものである。
社会福祉サービスは,人間の尊厳や自己決定,自立支援という人権保障の理 念に基づいたものであり,複雑な生活課題を抱える人びとに対して公私にわた り提供される支援についても,この理念に基づくものでなければならない。生 活課題を抱えながらも人びとが住み慣れた地域で生活を継続していくために は,今後生活全般の総合的な支援を行う社会福祉士などのソーシャルワーカー による働きがより重要となると考えられる。ことにソーシャルワーカーは,当
──キリスト教の視点から──
山 中 俊 克
事者である利用者の立場に立ち支援を行い,人間の尊厳が守られるように権利 擁護の実践が欠かせないであろう。
「人間の尊厳」については,日本社会福祉士会の倫理綱領では「価値と原則」
に記されており,ソーシャルワーカーという支援の実践者にとって,その重要 性が明らかにされている。支援を必要としている当事者を全体的に捉え,生活 のすべてについて側面的に支えるソーシャルワーカーは,その人を尊重し,そ の人の日々の生活のさまざまな場面において人としての尊厳が守られるように 支援を展開していくことが求められている。しかし,「人間の尊厳」を保持す ることが支援において重要なものでありながら,その根拠についてはあまり示 されておらず,その重要性のみが掲げられ,強調されているように感じられる。
ソーシャルワークの専門性は知識,技術,価値である。その関係性は価値を基 盤として知識と技術が成り立っている。価値が実践を導くのである(Compton and Galaway, 1984)。ソーシャルワーカーにとって価値観の重要性が示されて いる。当然,価値観のみでは適切な支援はできないため,高い知識と技術の習 得が欠かせない。だが,いかに知識と技術を活用するのかは,ソーシャルワー カーの価値観が大きく関わっている。
上で述べた複雑な生活課題を抱えた人びとの権利擁護にむけた支援には,専 門性が求められ,社会福祉に関する知識,技術,そして価値に関する系統的か つ専門的な養成教育を受ける必要がある。そして,養成課程修了後,現場に出 ていき,実際に支援を必要とする当事者との支援関係を通して,さらに価値観 を高めていくソーシャルワーカーが求められている。
本稿では,社会福祉の実践におけるソーシャルワーカーの価値観の重要性に
ついて着目したい。なかでも「人間の尊厳」に焦点をあて,その根拠について
キリスト教による視点からみていきたいと思う。キリスト教社会福祉はこれま
で日本の社会福祉の発展に少なからず影響を与えており,論者はキリスト教と
いう宗教的な枠組みにおいて,その根拠を明らかにしていると考えるからであ
る。社会福祉に関する人びとの意識も高まり,社会福祉が制度的な発展を遂げ てきたにもかかわらず,複合的な課題にみられるように,多くの対応が困難な 生活課題が生じている現状がある。このことから,社会福祉の基本的価値であ る人間の尊厳についてその根拠を示すとともに,キリスト教社会福祉による価 値を基盤としたソーシャルワークの実践が,困難な課題の解決にむけて手がか りにつながることを期待しているからである。
2 「人間の尊厳」─ソーシャルワークの価値として─
ソーシャルワーカーは支援の実践において,業務と役割を遂行するための判 断の基準が必要である。その判断基準が価値である。ソーシャルワークにおい ての価値とは,ソーシャルワーカーが支援を行うにあたり,支援者に対して何 が目的でいかに支援を行うことがよいのか,望ましいのかを選択・判断するた めの基準である。ソーシャルワーカーの価値観については, (社)日本社会福祉 士会の倫理綱領がある。
日本社会福祉士会の倫理綱領の前文の第1文には,「われわれ社会福祉士は,
すべての人が人間としての尊厳を有し,価値ある存在であり,平等であること を深く認識する」と述べられており,人間の尊厳の重要性が記されている。さ らに前文に続き,「価値と原則」の第一項の人間の尊厳については,「すべての 人間を出自,人種,性別,年齢,身体的精神的状況,宗教的文化的背景,社会 的地位,経済状況等の違いにかかわらず,かけがえのない存在として尊重する」
と書かれ,ソーシャルワーカーの価値観として「人間の尊厳」がいかに重要で あるかが示されている。
人間の尊厳とは,1人ひとりは生命のある人間であり,そのことが尊くて犯
しがたい存在とみなす理念であり思想である(星野 2003)。人間の生命という
普遍性を見いだし,そこに人間としての絶対的な価値を置くことである。そし
て,人間の差異をすべて捨象し,最も抽象化された人間に残るのは人間の生命 であるがゆえ,生命が宿る人間には絶対的な価値があるとする。
しかし,なぜ人間がそのように尊く,人間には絶対的な価値があるのか。な ぜ1人ひとりの人間には価値があり,かけがえのない存在であって,人間は皆 平等であるのか。これらの問いにここでは,キリスト教の視点から人間にある 尊厳の根拠についてみていきたい。
(1) 人間の尊厳 ─神の像(うつし)としての人間─
キリスト教の正典である聖書には,創世記に「創造物語」と呼ばれる部分が ある。そこには人間が神の像,神の似姿として神によって人間が創造されたこ とが記されている。
創世記第1章26~27節に, 「神は言われた。『我々にかたどり,我々に似せて,
人間を造ろう。そして海の魚,空の鳥,家畜,地の獣,地を這うものすべてを 支配させよう。』神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創 造された。男と女に創造された」と述べられている。ここでの「神の像」にあ たる「像」,つまり「人間」にあたる原語は,地位などによる序列性の意味を 含んでおらず,単数形の「人」であり,それはすべての人間を表す代表格とし て用いられている(志村 2008)。このことは,すべての人間が「神の像」とし て造られたとき,神は人間に上下関係や優劣の差がないことを聖書は説いてい る。
物語後半の創世記第1章 27節では,「男と女に創造された」という部分につ
いては,神が男と女を同時に創造したことを示しており,両者の優劣に関係な
く同等性を意味する。つまり,神はすべての人間をご自分の像として造られた
ことから,すべての人間は神の本質が反映された存在となり,平等な存在とさ
れたのである。また,神が「ご自身に似せて人間を造る」という行為から,神
の愛の対象はすべての人間であり,すべての人間に注がれていることも理解す
ることができる。すべての人間は神に呼ばれて造られ,その呼びに答えるとい う呼応関係にあずかっており,1人ひとりの人間は神との人格的なつながりが 許されているのである。神の本質的な存在と結びつくことのできるすべての人 間は,偉大なる神とのつながりを持っており,このことからも人間は尊厳のあ る存在である。
さらに人間が尊厳のある存在であることは,創世記第1章31節の,「神はお 造りになったすべてのものをご覧になった。見よ,それは極めて良かった」と 述べられていることからも明らかにされている。神の目から見て「極めて良 かった」ものは1人ひとりの人間なのである。人間の出来栄えがいかに良かっ たのかは,創造物語のある創世記とは別の聖書箇所の詩編8編第5~6節から もうかがえる。「そのあなたが御心に留めてくださる人間は何ものなのでしょ う。人の子は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。神に僅かに 劣るものとして人を造りなお,栄光と威光を冠としていだかせ」と歌われてい る。人間が全知全能の創造主である神に劣る理由についてはだれもが容易に見 出だすことができる。しかし,その人間が「神よりも僅かに劣る」尊い存在で あることは,神の似姿として造られたすべての人間に対して,神は「極めて良 かった」と仰っているからに他ならない。人間という価値の高い,何ものにも 代えられない,かけがえのない人格的存在がここに示されている。
私たちは両親から命を受け,母の胎で成長して出産に至ることを経験や知識
として得ることができるが,聖書では,実際にはこのことを通じて,神が私た
ちを造られたことを告げている。私たち人間は,神の創造の御業である妊娠と
出産に関与させていただいているのである。そして生まれてきた子どもの出来
栄えは,「極めて良かった」と高く評価してくださっている。評価とは一般的
に,能力や功績がその対象となる。だが,神による人間の評価基準は,何かが
できるという秀でた能力があり,大きな功績を残すことではない。人間の価値
は,人間の存在そのものにあり,存在していること自体がすでに尊く,大きな
価値があるのである。
(2) 神による被創造物としての人間理解
神の本質が反映され,神により創造されたすべての人間は極めて良く,だれ もが存在そのものが尊い,人間の尊厳が神によって与えられたからという根拠 については確認することができた。神によって尊厳が与えられたから人間には 尊厳がある。しかし,尊厳を持った人間1人ひとりには,人格があり,その人 格は個別化されている。ここでは1人ひとり人格的に異なる人間について,そ の個別性や違いはどのように理解されるべきなのか,再び聖書の視点から見て いきたい。
マタイによる福音書第25章31~40節には「最も小さい者の一人のたとえ」が かかれている。これは「最後の審判」と呼ばれる箇所で,天国に入ることがで きる神の国の相続者を選ぶ場面が描かれている。このたとえの中では,神(キ リスト)は王として記されており,王は祝福を与えた人たちに対して,「お前た ちは,わたしが飢えていたときに食べさせ,のどが渇いていたときに飲ませ,
旅をしていたときに宿を貸し,裸のときに着せ,病気のときに見舞い,牢にい たときに訪ねてきてくれた」と言う。だが,祝福を受けた人びとは自分達が選 ばれ,なぜ祝福にあずかったのかは分からない。選ばれた人びとは,いつ王を お助けしたのか王に尋ねる。すると王は,「はっきり言っておく。わたしの兄 弟である最も小さい者の一人にしたのは,わたしにしてくれたことなのである」
と答えるのである。ここでは最も小さい者はキリストである。困難を経験して
いる人びとに対して仕える行為は,それを意図せずとも,その小さい人びとの
背後におられる神に仕えることであるという。つまり,小さい人びとに仕える
ことは,キリストに仕えることと同じであることが示されている。「飢えてい
る人」「のどが渇いている人」「旅をしている人」「裸の人」「病気の人」「牢に
いる人」がここでは最も小さい者とされており,このような人びとを大切に思
い,助けることは,キリストご自身に対してなされたことであると述べられて いる。いかに小さい者であっても,神により造られ,価値のある存在として生 まれてきたのであるならば,神を敬うことと同様に,敬意の念をもって関わっ ていくべき対象であることが示されている。いかに小さくても神が価値ある存 在とされている以上,人間として尊厳の対象から決して外れてはならない。そ して,最も小さい者に仕えることは,実は1人の「キリスト」に触れさせてい ただくことである。仕えさせていただくという恵にあずかることができるので ある。キリストの教えによって,他者に仕える者の,他者の存在に対する認識 が変えられていく。
(3) 他者に対するやさしさ ─隣人愛の実践─「善いサマリア人のたとえ」から─
ルカによる福音書第10章30~37節には「善いサマリア人のたとえ」としてイ エスによる隣人愛についての教えが書かれている。
「イエスはお答えになった。『ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途 中,追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り,殴りつけ,半殺 しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが,その人 を見ると,道の向こう側を通っていった。同じように,レビ人もその場所にやっ て来たが,その人を見ると,道の向こう側を通って行った。ところが,旅をし ていたあるサマリア人は,そばに来ると,その人を見て憐れに思い,近寄って 傷に油とぶどう酒を注ぎ,包帯をして,自分のろばに乗せ,宿屋に連れて行っ て介抱した。そして,翌日になると,デナリオン銀貨二枚を取り出し,宿屋の 主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら,
帰りがけ払います。』さて,あなたはこの三人の中で,だれが追いはぎに襲わ れた人の隣人になったと思うか。』律法の専門家は言った。『その人を助けた人 です。』そこでイエスは言われた。『行って,あなたも同じようにしなさい。』」
イエスは律法学者との問答を行う中で,このたとえ話をされた。追いはぎに半
殺しにされた旅人に宗教家として高位にある祭司や,祭司を助けるレビ人は,
旅人に対して知らぬふりをして通り過ぎた。ところが,ユダヤ人とは絶縁状態 にあったサマリア人が通りかかったとき,道端の旅人を見つけると自ら進んで 近寄って,介抱を施し,さらにろばに乗せて宿屋まで連れて行き,旅人の宿代 も支払ったのである。さらにサマリア人は宿屋に着くと介抱をするように頼み,
宿屋の主人をも巻き込んでいった。このたとえの最後に,「だれがこの追いは ぎに襲われた人の隣人になったのか」とイエスは尋ねられ,「行ってあなたも 同じようにしなさい。」と命じている。
このたとえの中心的な教えは,助けを必要としている旅人に対していかに関 わるのかということである。倒れている旅人を通り過ぎて行った祭司もレビ人 もそれぞれ言い分があったのかもしれない。一方,サマリア人は立ち止まり,
旅人を助けたのである。ユダヤ人は,サマリア人を異教徒として蔑視していた。
そのような関係にある中で,ユダヤ人にとってはよそ者であり差別の対象とさ れているサマリア人が隣人として,このたとえ話の主人公として用いられてい る。これは,イエスが人間を差別している自分達ユダヤ人に対する厳しく批判 的な見方を示している。さらに,差別を行なっている人間に対しても,サマリ ア人のように自分の隣人として受け入れることの必要性を諭している。
サマリア人が行動したように他者の隣人となるためには自ら積極的に関わり
を持たなければならない。隣人をじっと待つのではなく,自分の側から隣人と
なるために行動を起こすことが求められている。旅人を助けて宿屋に連れて
行った通りすがりのサマリア人は,自分自身も追いはぎたちに襲われて半殺し
にされる危険もあったかと思われる。あるいはサマリア人がユダヤ地方での宿
屋に行き,宿屋の主人に旅人の介抱をお願いすることによって差別を受け,自
分が傷つけられしまう危険にも晒されていたかもしれない。このたとえにおけ
るサマリア人の他者に対して隣人となる行為は,自分の身の危険を顧みず,善
行をはるかに超えた自己を犠牲にする愛の実践であったのである。そしてその
実践は,いかなる人間であっても神によって造られた尊い存在であるという事 実に基づいている。イエスは,「行って,あなたも同じようにしなさい。」と私 たちにサマリア人に倣って,そのような隣人になるようにと命じられる。
3 1人ひとりをかけがえのない存在として ─社会福祉における価値の体現にむけて─
キリスト教は,すべての人間が神によって,神の像として造られたことを,
人間の尊厳の根拠としてあげている。神は人間を愛するがゆえ人間をご自身の 似姿に造り,神に僅かに劣るほど尊い存在とされた。さらに,キリストはこの 世で最も小さい者と思われるものの存在価値をご自身との関わりとみ言葉を通 して明らかにした。これによって隣人である小さい者に対して隣人愛を注ぐこ との重要性を説かれたのである。同時にキリストは,最も小さい者である隣人 を神の似姿である貴重な存在であるとして,これらの最も小さい人びとに仕え ることが,神に仕えることであることを示された
(1)。ここに,人間が神のよう に尊いという人間の尊厳の基盤を見出すことができる。人間をこのように見て 理解することが,社会福祉における支援の対象者に理解につながる。
先に見たマタイによる福音書の最も小さい者とは,飢えている人,のどが渇 いた人,裸の人,病気の人,牢にいる人である。これらの人びとは,助けが必 要であり,人間としての尊厳が冒されそうな危機状態,あるいはすでに冒され ている状況にあった。「善いサマリア人のたとえ」のなかの瀕死状態の旅人も 同じような境遇に置かれていた。たとえ話にとどまらずイエスご自身も実際に,
このような助けを必要とする最も小さい者に対して隣人となって仕え,いかに
隣人となりうるのかを自ら行動をもって教えられたのである
(2)。イエスのはた
らきは,人間らしさから疎外された者を神の前に平等である人間相互の関係に
回復させることであったと考える。
人間は数えることができる数的な存在といえるが,1人ひとりの人間は神の 像であり,人格を有する人格的存在である。このことは1人の人間が,何をもっ ても代えることができないかけがえのない存在であることを意味する。1人ひ とりの人間の人格を重んじて,すべての人びとが積極的に参加し,貢献できる 環境を整えなければ共生社会は形成されない。1人の人間は社会全体のために 必要とされる存在であり,1人を失うことで社会全体が傷ついてしまう。阿部 は,「ひとりにアイデンティティをおき,多数に架橋するのが社会福祉の基底 をなす思想」と述べ,「一人が全体のために生きるのではなく,一人そのもの が全体であって,一人の中に全体が含まれている」と,人と社会全体とのある べき関係について解き明かしている(阿部1998, p.216)。
1人の人間と社会全体の関係性については,糸賀も社会福祉を次のように定 義している。「社会福祉といっても,社会という集団が全体として『福祉的』
でありさえすればよいということではない。つまり社会が豊かであり,富んで いさえすれば,そのなかに生きている個人のひとりひとりは貧しく苦しんでい るものがいてもかまわないというのではない。社会福祉というのは,社会の福 祉の単なる総量をいうのではなくて,そのなかでの個人の福祉が保障される姿 を指すのである」 (糸賀1968, p.67)。糸賀は,1人ひとりの人間に価値を置き,
社会福祉は社会という集団においての個人のしあわせであることを示してい る。さらに,若林は社会福祉の問題について社会と個人との関係を以下のよう に述べている。「『社会福祉』の問題は『社会一般の福祉』への問題でもありま すが,『社会の最も小さいもののひとりの福祉』でもあるからであります。あ るいは『社会一般の福祉』の問題も大切であって,それらの解決がなければ社 会の中のひとりの福祉の問題も解決しないのでありますけれども,しかし『社 会一般』のためにひとりの幸福が犠牲にされてはなりません」 (若林1979, p.5)。
阿部,糸賀,若林らによる社会福祉の捉えかたは,社会と個人の関係のなかで,
社会で生活する1人ひとりの人間の尊厳に絶対的な価値を置き,いかなる場合
であっても社会のために1人の人間をも犠牲にし,手段化してはならないと主 張している点で一致している。これが真の共生社会の形成につながる社会福祉 の思想であり,このような社会の実現化にむけた社会福祉実践のあり方への問 いかけに他ならない。
おわりに
生活課題の現状に対してソーシャルワーカーは領域を横断した幅広い制度の 利用方法や,関係機関や組織,専門職との連携および協働にむけて専門的知識 と援助技術が求められている。ソーシャルワークの専門性は知識,技術,価値 の総体であるが,ソーシャルワーカーはそれらを自在に駆使して,利用者に利 用者にとって有効で適切な支援を展開していく。そのためには常に専門性向上 にむけてスーパービジョンや研修などを活用し,研鑽していかなければならな い。ソーシャルワークの知識と技術は,価値の基盤のうえに成り立っている。
支援の実践においていかに専門的自己を有効かつ適切に活用するのか,その選 択・判断が求められるソーシャルワーカーには高い価値観が求められている。
このことは決して知識および技術を軽視するのではなく,これからのソーシャ ルワーカーにとってさらなる知識と技術の向上の目指すためには,価値観を高 めていく必要性があることを述べているのである。
拙稿では,ソーシャルワークの価値の核となる人間の尊厳の根拠についてキ リスト教的人間理解の視点からみてきた。前段で社会福祉における一人の人間 の絶対的な価値を説いた阿部,糸賀,若林はいずれもキリスト者である。また 著名な社会福祉の研究者であり,キリスト教社会福祉を実践してきた方々であ る。これらの実践者による社会福祉の思想は,生活課題の現状に鑑みるとき,
多くの示唆を与え,社会福祉が目指すべき指針を示している。
註
(1) マタイによる福音書第22章37~39節には以下のように書かれている。「イエスは言 われた。『心を尽くし,精神を尽くし,思いを尽くして,あなたの神である主を愛し なさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も,これと同じように重要である。『隣 人を自分のように愛しなさい。』」第一の神を愛する掟と,第二の隣人を愛する掟は「こ れと同じように重要である」ことから,神を愛することと隣人を愛することとの重要 性は同等の高さであることが理解できる。このことからも,最も小さい者である隣人 を愛することは神を愛することにつながる。
(2) マルコによる福音書第10章43~45節には,「あなたがたの中で偉くなりたい者は,
皆に仕える者になり,いちばん上になりたい者は,すべての人の僕となりなさい。人 の子は仕えられるためではなく仕えるために,また多くの人の身代金として自分の 命を献げるために来たのである。」と書かれている。イエスは神の御子でありながら,
病にかかった人びと,差別の対象になっていた人びと,悪霊に憑りつかれた人びとの ところに積極的に出向いて癒された。そして,十字架にかかり,信仰により私たちが 永遠の命を得るために仕えて下さったのである。
参考文献一覧
阿部志郎,2003,「『最も小さい者のひとり』へ」石居正巳,熊澤義宣監修,江藤直純,市 川一宏編集,1998,「社会福祉と聖書 福祉の心を生きる」リトン pp.216-217.
阿部志郎,岡本榮一監修,日本キリスト教社会福祉学会編,2014,「日本キリスト教社会 福祉の歴史」ミネルヴァ書房.
Compton, B. and B. Galaway, 1984, Social Work Process, Third Edition, The Dorsey Press.
Dubois, B. and K. K. Miley, 2019, Social Work, An Empowering Profession, Ninth, Pearson.
星野貞一郎,2003,「社会福祉原論」有斐閣.
石居正巳,熊澤義宣監修,江藤直純,市川一宏編集,2003,「社会福祉と聖書 福祉の こころを生きる」リトン.
糸賀一雄,2003,「福祉の思想」日本放送出版協会.
門脇聖子,1997,「ディアコニア・その思想と実践 愛と働きの源流」キリスト新聞社.
京極髙宣,1998,「改訂社会福祉学とは何か─新・社会福祉原論」全国社会福祉協議会 日本基督教社会福祉学会,日本基督教社会事業同盟編,1979,「キリスト教社会福祉概説」
日本基督教団出版局.
日本聖書協会,2016,「新共同訳聖書」星共社.
志村 真,2008,「イエス・キリストの人間観」角川学芸出版.
若林龍夫,1979,「『最も小さい者』のひとりに」明治学院大学社会学部50周年記念事業委 員会,「記念樹とともに」山田正幸堂 pp.4-5.