『源氏物語』研究 ─ 浮舟物語における女房について ─ 山 本 恭 子
はじめに
彼女らの行動が物語を進行させていくともいえるのである。 る中で、彼女らは主人公格の人物に大きな影響を与える。つまり うに、その行動や特徴も事細かに描写されている。詳しく描かれ に 述 べ ら れ る の が 第 三 部 の 一 つ の 特 徴 で あ る 。 」 と 述 べ て い る よ
注1第三部に多く登場し、玉上琢弥氏が「女房の活躍する場面が詳細 君と密接に関わり、姫君の性質を反映する存在である。とりわけ 『 源 氏 物 語 』 に は、 多 く の 女 房 が 登 場 す る。 彼 女 ら は 仕 え る 姫
そこで本論文では、宇治十帖の中でも特に女房と密接に関わる 浮 舟 に 焦 点 を 当 て、 彼 女 を と り ま く 女 房 に つ い て 考 察 し て い く。 浮舟、薫、匂宮の三角関係がひきおこす悲劇の中で、周辺の女房 たちはいかなる存在を発揮し、どのような物語の展開を招き寄せ たのだろうか。彼女らの性質や行動を研究し、物語上での役割を 明らかにしていきたい。
一、 大貴族の女房、没落貴族の女房、
中流貴族層の女房 宇治十帖に登場する女房たちでも、仕える家、主人である姫君 の地位によってその姿は大きく異なる。
薫 の 正 妻、 女 二 の 宮 に つ い て、 「 さ ぶ ら ふ 人 々 の な り、 姿 よ り は じ め、 た ゆ み な く、 時 々 に つ け つ つ、 と と の へ の 好 み、 い ま め か し く ゆ ゑ ゆ ゑ し き さ ま に も て な し た ま へ り 」( 宿 木・ 三 七 四
注2) と の 描 写 が あ る。 女 二 の 宮 の 趣 向 に つ い て の 描 写 で あ る が、 「 お 仕えしている女房たちの身なりや姿をはじめ」と書き始められて いる。女房たちの姿にも女二の宮の趣味嗜好や勢力が反映すると いうことである。このように、女房たちはただ主人に仕え身の回 りの世話をするだけではなく、主人の性質を反映する存在として
描かれることも多い。
夕霧の娘であり匂宮の正妻となる六の君と、匂宮の母であり今 上 帝 の 后 で あ る 明 石 の 中 宮 は、 と も に 美 し く 気 品 高 い 女 性 で あ る。六の君の女房については「よき若人ども三十人ばかり、童六 人 か た ほ な る な く 」( 宿 木・ 四 二 〇 )、 明 石 の 中 宮 に つ い て は「 さ ぶ ら ふ か ぎ り の 女 房 の 容 貌、 心 ざ ま、 い づ れ と わ ろ び た る な く、 め や す く と り ど り に を か し き 」( 総 角・ 二 七 八 ~ 二 七 九 ) と、 両 者とも仕えるすべての女房が美しいとの描写がある。
女一の宮は薫憧れの女性で、実の弟匂宮までもが色めかしく接 することもあるほどの女性である。周りには美しい女房たちが多 く仕えており、彼女らは匂宮の好色心をくすぐる存在だ。実際に め ぼ し い 女 性 を 見 つ け る と か り そ め に 情 を 交 わ す な ど し て い る。 六 の 君 の 女 房 た ち と 違 い、 あ ま り 器 量 の 良 く な い 者 も い た ら し い。しかしこのことについては「さぶらふ人々も、かたほにすこ し 飽 か ぬ と こ ろ あ る は は し た な げ な り 」( 総 角・ 三 〇 五 ) と、 あ くまで美しい者がその場にふさわしく、認められていたことが語 られる。高家の娘も女房になる者が多くなり、器量だけでなく位 も重要視されていたことが分かる。
そ の 女 一 の 宮 に 仕 え る 女 房 と し て 印 象 的 に 描 か れ る の が「 小 宰 相 の 君 」 で あ る。 彼 女 は 薫 と 特 に 親 交 の 深 い 召 人 の ひ と り で あ る が、 「 容 貌 な ど も き よ げ な り、 心 ば せ あ る 方 の 人 と 思 さ れ た り、 同 じ 琴 を 掻 き 鳴 ら す 爪 音、 撥 音 も 人 に は ま さ り、 文 を 書 き、 ものうち言ひたるも、よしあるふしをなむ添へたりける」 (蜻蛉・ 二 四 五 ) と、 そ の 気 品 の 高 さ が 詳 し く 描 か れ て い る。 召 名 か ら も、 近 親 が「 宰 相 」 で あ る と い う よ う な 出 自 の 高 さ を 推 測 さ せ る。 彼 女 は 匂 宮 か ら も 誘 い を 受 け て い る が、 こ れ に は な び か な い毅然とした態度を見せる。これも、女一宮の格を高めることに つながるのであろう。しかし、彼女は薫への歌で自らを「数なら ぬ身」と表す。つれない女歌という定型にのっとっているとは言 うものの、自らの召人としての立場を理解し嘆いているのだ。そ の他にも按察の君など薫の召人は多くいるが、そのいずれも薫に とって出家の絆になるような存在ではない。あくまで召人との関 係として割り切られるため、薫の道心を破綻させることも、彼が 世間から好色という評価を与えられることもないのだ。匂宮が中 の君を「なべてに思す人の際は、宮仕への筋にて、なかなか心や す げ な り、 さ や う の 並 々 に は 思 さ れ ず 」( 総 角・ 二 九 六 ) と「 召 人にさせることなどできない」と思うことからも、妻と召人との 大きな違いが読み取れる。大貴族の女房たちは、女主人の美質を 反映する品格と才知と美貌をもち、男君の誘いに対しても心深く 意志的な対応を見せる。しかし最後のところで、男君たちの妻や
姉妹である女主人たちとは一線を画した扱い、つまり召人でしか ない悲しさを抱えているのだ。
次に、没落貴族である八の宮家の女房について考えたい。もと もと八の宮は東宮候補であり、当然そこには選りすぐりの女房た ちが仕えていたが、彼が政争に敗れ没落すると優秀な女房たちは 次々と家を去っていった。残った女房は容姿・内面ともに優れな い も の ば か り で あ る。 本 文 に も、 「『 所 に つ け て は、 か か る 草 木 の け し き に 従 ひ て、 行 き か ふ 月 日 の し る し も 見 ゆ る こ そ を か し け れ 』 な ど、 人 々 の 言 ふ を、 何 の を か し き な ら む と 聞 き た ま ふ 」 ( 椎 本・ 二 一 三 ) と、 八 の 宮 を 亡 く し た 姫 君 た ち の 気 持 ち に 配 慮 せずあっけらかんとした態度をとったり、匂宮と中の君が結ばれ 一安心した途端にさっそく匂宮と薫の優劣について口にしたりす るなど、卑俗的な慎みのなさがことあるごとに描かれている。
ここに仕える女房として最も活躍するのは弁である。以前は柏 木の乳母子であったが、後に八の宮邸に引き取られ女房として生 活している。薫出生の秘密を知り、大君・中の君と薫との関係の 仲立ちもする、宇治十帖のキーパーソンのひとりとも言える人物 である。八の宮邸に残るほかの女房たちとは違い、嗜みのある一 流女房であった。八の宮は彼女に対し「人もいとやむごとなから ず、宮仕え馴れにたれど、心地なからぬものに宮も思して、姫君 た ち の 御 後 見 だ つ 人 に な し た ま へ る な り け り 」( 椎 本・ 二 〇 〇 ~ 二○一)と、ある程度の信頼を寄せていたことがわかる。しかし そ の 弁 で さ え も、 切 迫 す る 生 活 や 周 囲 の 女 房 た ち に 流 さ れ、 二 流・三流女房へと堕ちていくのである。 もうひとつの家、常陸の介邸についてもみていく。この家の姫 君、浮舟に仕える女房は右近・侍従である。右近は浮舟の乳母子 であり、彼女の側近くに仕える女房だ。侍従も「同じやうに睦ま し く 思 い た る 若 き 人 」( 浮 舟・ 一 四 九 ) と、 浮 舟 と 年 も 近 く、 彼 女との距離も近い。この二人は浮舟の真相を知っていたり直接助 言を与えられたりすることから、彼女とは大変近い立場にあった ことがうかがえる。中流貴族層の女房は、階級のかわらない者た ちが主従関係となることも多かった。そこに、高貴な姫君と女房 の関わりとは異なる、気安く近しい関係が生まれるのである。 女 房 た ち は、 仕 え る 家 次 第 で 自 分 た ち の 生 活 が 大 き く 変 わ る。 また、高貴な姫君に仕え都で生活することは高いステータスでも あった。よって、特に常陸の介邸や没落した八の宮邸など低い身 分 の 家 に 仕 え る 女 房 た ち は、 姫 君 が 高 貴 な 男 君 と 結 ば れ、 自 ら も そ の 側 に 仕 え る こ と を 望 ん で い た。 実 際 に、 「 い つ し か か ひ あ る 御 さ ま を 見 た て ま つ ら む と、 朝 夕 に 頼 み 聞 こ え つ る 」( 蜻 蛉・ 二〇六)の注釈として、新日本古典文学全集にも「浮舟の『かひ
ある御さま』は、自分たちの生きる支えでもあるとする。山里の わびしさから脱出して都の華麗な生活ぶりに変ることを望む、女 房らしい考え方」とあ る
注3。また、大君が出家をしようとした際女 房が必死で止めたり、中の君が薫と結ばれなかったことを女房た ちが残念がったりする場面からも読み取れる。
二、女房が描く浮舟の物語
~浮舟の心を代弁する二人の女房~
浮舟に仕える女房である「右近」と「侍従」は、浮舟と匂宮の 関係を知る、いわば同じ秘密を持った女房である。脇役としては 珍しく、その行動や人間性についての描写は比較的多い。これよ り、両者の性質についてみていきたい。
まず右近は、浮舟の最も近い場所で活躍する女房である。彼女 は、浮舟の寝所へ匂宮の侵入を許してしまうというミスを犯した 張本人である。匂宮が薫に成りすましていたとはいえ、教養のあ る女房であればその香りや仕草などから匂宮であることを見破る ことができたはずだ。この出来事は、田舎で育ったゆえの教養の 低さの表れである。浮舟物語前半で露呈した右近の「田舎育ちの 教養不足」ぶりは、主人である浮舟の姿に重なって読者に印象付 けられる。 とはいえ、右近はただの無教養な女房として描かれるわけでは ない。匂宮との密通を許してしまった後の右近は、その隠ぺいの ため無教養とは思えないほどの機転のきき具合を見せる。まず自 ら の 気 持 ち を 落 ち 着 か せ、 女 房 た ち に は「 殿 は、 さ る や う あ り て、いみじう忍びさせたまふ、気色見たてまつれば、道にていみ じきことのありけるなめり。御衣どもなど、夜さり忍びて持て参 る べ く な む 仰 せ ら れ つ る 」( 浮 舟・ 一 二 八 ~ 一 二 九 ) と す ぐ に 取 り繕い、母中将君へはもっともらしい便りを送る。弁の尼への事 前の忠告も忘れない。緊迫するこの場面で、右近のみが物語を動 かしていくのである。浮舟の入水後にも、遺骸のないまま速やか に 火 葬 を 行 い、 不 都 合 な こ と が 露 呈 す る こ と を 防 い だ。 右 近 は、 「 し っ か り も の で 頼 り に な る 女 房 」 と し て 私 た ち 読 者 に 認 識 さ れ る。これらの場面からも窺えるように、彼女は頭を使い、機転を きかせて物事に対応することが多い。知的で、理性的な女房とし て描かれている。逆に言えば、浮舟付きの心利く女房はこの程度 であり、後述の侍従の底の浅さを示唆していよう。 なお、新編日本古典文学全集の巻末解説で「右近と浮舟とは乳 きょうだいの関係となる」とあるように、右近には浮舟の乳母子 という説がある。他の女房と違って乳母を「まま」と呼び、遠慮 無 い 厳 し い 陰 口 を 叩 く こ と か ら の 推 測 で あ る。 こ う 考 え る 場 合、
右近は乳母子として最も長く浮舟の身近に居た女房ということに なる。当然八の宮に対する母中将君の複雑な胸中、母中将君や乳 母 が 浮 舟 に 寄 せ る 大 き な 期 待 等 を、 よ く 理 解 し て い た こ と だ ろ う。また、後に右近が語る、三角関係の果てに破滅した姉の悲劇 は、同時に「乳母の姉娘」の悲劇ということになる。母や乳母た ちの期待を背負う浮舟にとっては、自らの失敗が周囲を深く嘆か せる実例として、重くのしかかる逸話となろう。姉の悲劇と「ま ま」の悲嘆をみていた右近は薫を信頼し、浮舟にも薫と結ばれる よう強く願っている。
一方、侍従は右近よりも少し若い女房である。彼女は右近と違 い、おそらく少しあとから加わった女房と考えられる。少なくと も乳母子ではなく、昔からのつながりなどは右近よりはるかに乏 し い と い え る。 こ の 侍 従 を、 「 同 じ や う に 睦 ま し く 思 い た る 若 き 人 の、 心 ざ ま も 奥 な か ら ぬ 」( 浮 舟・ 一 四 九 ) と い う 理 由 で、 右 近は浮舟と匂宮との関係を隠すための協力者として選び出す。語 り 手 は、 浮 舟 の お 気 に 入 り と い う こ と に 加 え、 「 心 柄 が 行 き 届 い た 人 」 と し て 紹 介 し、 玉 上 琢 弥 氏 も、 「 も う ひ と り、 仲 間 を 作 っ た。女君お気に入りの同僚で、知恵もあり、口も固い。これぞと いうのが一人いたのである。宇治の、常陸殿の養女としては、女 房運にめぐまれた、と言える」と述べてい る
注4。しかし侍従は、隠 蔽のため宇治の山荘に残った右近に代わり、匂宮が浮舟を対岸の 家 に 連 れ 出 す 際 に 同 行 し、 即 座 に 匂 宮 の と り こ に な っ て し ま う。 緊迫した事態の中で匂宮側の従者である時方と恋愛関係を楽しん でしまったり、入水を決意し匂宮からの文を処分する浮舟に対し その心情をくみ取ることなく「などかくはせさせたまふ。あはれ なる御仲に、心とどめて書きかはしたまへる文は、人にこそ見さ せたまはざらめ、ものの底に置かせたまひて御覧ずるなんほどほ どにつけては、いとあはれにはべる。さばかりめでたき御紙づか ひ、かたじけなき御言の葉を尽くさせたまへるを、かくのみ破ら せ た ま ふ、 情 け な き こ と 」( 浮 舟・ 一 八 五 ~ 一 八 六 ) と 発 言 し た りするなど、やはり軽率で浅はかな女房として描かれている。 右近が機転を利かせて物事に対応することが多かった一方、侍 従は自ら現場に赴くことで物事に対応する場面が多い。匂宮と浮 舟の逢瀬に同行したことや、薫の警備により宇治に近づけない匂 宮のもとへ、時方に連れられ自らの足で向かったことなどがあげ られる。 このように、ふたりの女房は同じ秘密を守る共犯者という面を 持 ち な が ら、 全 く と い っ て い い ほ ど 逆 の 性 質 を 持 つ。 右 近 は 薫 に、侍従は匂宮に好感を持っていた。もちろん二人は、それぞれ 自らが好意を持つ男君と浮舟とが結ばれることを願っている。こ
の二人の女房それぞれの特性は、浮舟の、匂宮・薫両者に惹かれ る心をそのまま表しているといえるのだ。
浮舟は、薫と匂宮のどちらも選べずに二人の女房によって「流 されていた」と考えられている。しかし、浮舟が薫と匂宮のどち らも選ぶことができなかったのは、相反する強い二つの思いを抱 えていたからと評するべきではないか。右近・侍従は、浮舟の心 のうちの二つの思いを、人物という形で具現化した存在というわ けである。一見ふらふら流されているように見える浮舟だが、女 房たちによって矛盾する強い思いを抱えた人間性が表されている のだ。また右近・侍従の二人の女房は、浮舟を挟んで繰り広げら れる薫・匂宮の競争と対比を、よりいきいきと印象的に描く役割 も果たしていよう。
ところが浮舟入水後の二人は、単なる浮舟の心の代弁者という に留まらない姿を見せる。以下は浮舟の葬儀後、それぞれが味方 する男君に真相を語りに行く場面である。 ① 侍 従 ぞ、 あ り し 御 さ ま も い と 恋 し う 思 ひ き こ ゆ る に、 い か な ら む 世 に か は 見 た て ま つ ら む か か る を り に と 思 ひ な し て 参りける(蜻蛉・二二七) ② か く ま め や か な る 御 気 色 に さ し 向 ひ き こ え て は、 か ね て と 言 は む か く 言 は む と ま う け し 言 葉 も 忘 れ、 わ づ ら は し う お ぼ え け れ ば、 あ り し さ ま の こ と ど も を 聞 こ え つ( 蜻 蛉・ 二三〇~二三一)
①は侍従が匂宮のもとへ向かおうと決心する場面である。匂宮 から呼ばれた右近が、侍従へ代わりに行くよう提案した。侍従は こ れ に 対 し、 「 今 を の が し て は い つ に な っ た ら 宮 を お 見 上 げ 申 す こ と が で き よ う 」 と、 匂 宮 を 恋 す る 気 持 ち か ら 二 条 院 へ 向 か う。 ② は 真 相 を 聞 く た め 宇 治 に 来 た 薫 に 右 近 が 対 応 し た 場 面 で あ る。 右近は薫の誠実さに心うたれ、もともと話そうと思っていたこと を忘れて事実を話してしまう。
侍従と右近がそれぞれ薫と匂宮へ好感を持っていたことは明ら か で あ り、 こ こ で の 二 人 の 行 動 は 決 し て 不 自 然 な こ と で は な い。 新編日本古典文学全集の頭注でも「かつての匂宮の宇治訪問の際 もそうであったが、薫びいきの右近と匂宮びいきの侍従との相違 がここでも物語の展開を促していく。匂宮をひそかに思慕する侍 従が、それゆえに宮への情報提供者とな る
注5」、 「匂宮びいきの侍従 が宮の情熱的思慕に感動して真相を語ったのとは対照的に、薫び いきの右近はその誠実さに感動して事の次第を明か す
注6」と述べら れており、前の考察との矛盾もない。しかしながら、このふたつ の行動の動機がどちらも右近・侍従 本人の
000「好意」にあるという 点で、いささか以前とは違ってきているのではないか。二人は浮
舟物語において活躍しさまざまな行動を起こしてきたが、その目 的は浮舟と匂宮の密通の漏えいを阻むためであった。ゆえにその 場しのぎの取り繕いの繰り返しに留まり、決定的な悲劇を招くこ とにもなった。しかし蜻蛉巻においては、先の場面をはじめとし て 右 近 と 侍 従 の 男 君 に 抱 く 好 意 が 目 立 つ よ う に 思 う。 特 に 侍 従 は、あからさまな恋心を持って匂宮と接し、入水の事実や最後に 浮舟が巻数に書き付けた歌など浮舟の心情を匂宮に披露してしま う。最終的には浮舟のよすがを欲する匂宮の求めに乗じて、匂宮 の伝手で明石中宮のもとに仕えることとなるのだ。まるで浮舟の 入水を自分の恋心を満たし、華やかな宮中暮らしを手に入れる道 具として利用しているかのようである。右近には薫への恋心とい う ほ ど の も の は な い が、 真 面 目 な 薫 を 前 に 嘘 を つ く こ と が 出 来 ず、もともと用意しておいた「取り繕い」の言葉を忘れて事実を 打ち明けてしまうという、浮舟巻までの右近には考えられない行 動を取る。入水前と比べて右近・侍従の感情の揺れは明らかに大 き く な っ て お り、 そ れ が 二 人 の 行 動 の 原 動 力 と な っ て い る。 「 浮 舟入水」という大きな悲劇のその後を語る蜻蛉巻で、なぜいきな り二人の女房の人間性がこれほど生々しく描かれる必要があった のだろうか。
蜻蛉巻では、行方知れずになった浮舟は登場せず、その後物語 を進めていくのは当然ながら右近たち浮舟を取り巻く人物たちで あ る。 し か し、 浮 舟 の 心 を 具 現 化 す る と い う 役 割 を 担 っ た 右 近・ 侍従二人のあり方は、浮舟が登場しないことでおのずと変化して いくはずだ。今までは浮舟という外殻に縛られる形で、その「心 の具現化」としての二人の行動や感情があった。しかし、蜻蛉巻 ではその浮舟が消失し、必然的に彼女たち自体が動き出すことと なった。二人はそれぞれの個性と感情をもって行動し始めるので ある。浮舟失踪後、匂宮は浮舟の腹心であり一番長く接してきた 右近に事情を聞こうとするが、右近は決して匂宮のもとには赴か な い。 な び く そ ぶ り さ え も 見 せ な い。 代 わ り に 侍 従 が 進 ん で 赴 き、浮舟の失踪までを、匂宮に心酔する侍従自身の思いを重ねた 形で語る。一方右近は薫と対面し、浮舟の失踪までを、継子の身 の不安定、宇治で薫を待つ不安、母中将の君たちの喜びなどから 始めて、右近自身の薫への好意を重ねる形で語る。右近と薫、侍 従 と 匂 宮 と い う 構 図 は こ れ ま で を 引 き 継 ぎ、 崩 れ る こ と は な い。 だが、浮舟巻までは「浮舟の心をより強く印象づける」という役 割にとどまっていた二人は、浮舟の入水後には彼女の「分身」と して、さらに物語に介入してゆくのである。右近は彼女自身の薫 びいきもあり、浮舟の匂宮への恋情を過小に、また母中将君をは じめ薫を頼みとする浮舟の不安を詳しく語る。結果的に、浮舟の
裏切りに対する薫の怒りを静めてゆくのだ。居なくなった浮舟の 代わりに、あるいは浮舟巻までの人間関係を排除し続ける手習巻 以降の浮舟の代わりに、活き活きとした姿で右近・侍従がその思 いを引き継ぎ、拡大してゆくのである。
こ の こ と は、 両 者 の そ の 後 か ら も よ み と れ る。 入 水 騒 動 の 後、 右近は山荘に残り、落ち着いた生活を送る。浮舟の生い立ちとそ の不安、母たちの悲しみにまで踏み込んだ右近の語りは、薫の心 をつかんで常陸介家への援助を引き出し、乳母や中将の君の面目 を施すことに成功したのだ。一方侍従は、先のことや周りのこと は深く考えず、華やかな匂宮の居る世界、内裏の暮らしを選んで ゆ く。 浮 舟 自 身 は、 こ う し た 相 反 す る ふ た つ の 思 い を 持 ち な が ら、それゆえにどちらの思いも叶えることができなかった。その 願いを分身として二人の女房が叶え、それぞれに生きていったの である。
三、女房が描く浮舟物語
~意図せず悲劇を生みだす女房~
ここで、一つの疑問点が生まれよう。それは、そもそも浮舟の も と へ 匂 宮 侵 入 を 許 し た 張 本 人 が 右 近 だ と い う こ と で あ る。 ま ず 匂 宮 は、 「 も の へ 渡 り た ま ふ べ か な り と 仲 信 が 言 ひ つ れ ば、 お ど ろ か れ つ る ま ま に 出 で 立 ち て 」( 浮 舟・ 一 二 三 ) と、 薫 の 家 司 の 名 前 を 出 し て 右 近 を 油 断 さ せ、 次 に、 「 道 に て、 い と わ り な く 恐 ろ し き こ と の あ り つ れ ば、 あ や し き 姿 に な り て な む 」( 浮 舟・ 一 二 四 )「 我 人 に 見 す な よ。 来 た り と て、 人 お ど ろ か す な 」( 浮 舟・ 一 二 四 ) と、 姿 を 見 な い よ う に 仕 向 け る。 そ れ に 加 え、 「 も と よ り も ほ の か に 似 た る 御 声 を、 た だ か の 御 け は ひ に ま ね び て 入 り た ま ふ 」( 浮 舟・ 一 二 四 ) と 声 ま で 似 せ て、 右 近 を 騙 す の だ。 こ れ は 作 者 で さ え も「 い と ら う ら う じ き 御 心 に て 」( 浮 舟・ 一二四)と皮肉るほどの才能である。しかし、右近はただ騙され た 被 害 者 と も 言 え な い だ ろ う。 彼 女 に は 決 定 的 な ミ ス が あ っ た。 そ れ は、 「 香 り 」 を 見 抜 け な か っ た、 と い う も の だ。 匂 宮 は 生 ま れつき芳しい香りを身につけている薫に対抗し、自ら香を焚きし めている。どちらも芳しい香りを身につけているとはいえ、香の 知 識 さ え あ れ ば 嗅 ぎ わ け る こ と が で き た は ず だ。 し か し 右 近 は、 なんの疑いもなく受け入れてしまった。匂宮の侵入は、明らかに 右近のミスによって生じたものなのである。しかし、浮舟物語に おいて右近・侍従の性質は分担されており、その性質から考えれ ば、侍従の方が軽率なはずである。なぜ作者は、右近・侍従二人 の女房の対照性をやや犠牲にする形で、はじめのあやまちを右近 に担わせたのだろうか。
ここで、右近が東国の悲話を浮舟に語る場面が想起される。薫 に匂宮との密会があばかれた際、右近は浮舟に、似た境遇にあっ た 姉 の 話 を 長 々 と 語 る( 五 四 九 字 に も わ た る )。 窮 地 に 立 た さ れ た浮舟を、右近が全力を尽くして守ろうとしている様のあらわれ で あ る の だ ろ う。 し か し、 薫、 匂 宮 の 両 者 を 深 く 愛 し、 状 況 的 に は 薫 を 選 ん だ 方 が い い こ と は 理 解 し つ つ 匂 宮 を 切 り 捨 て る こ と が で き な い と い う 悩 み に さ い な ま れ る 浮 舟 に と っ て、 「 ど ち ら か を 選 べ 」 と い う 助 言 は さ ら に 彼 女 を 苦 し め る も の で し か な い。 右 近 の 姉 の 話 が 乳 母 の 姉 娘 の 話 で あ り 、 三 角 関 係 の 果 て に 破 滅 し た 娘 へ の 嘆 き が そ のま ま 乳 母 の 嘆 き で あ る と いう な ら な お さ ら で あ る 。 そ し て 致 命 的 な こ と に 、 右 近 は そ の こ と に 気 が つ い て い な い 。 や や 私 欲 に 走 る 面 も 見 られ る 侍 従 に 対 し 、 右 近 は い か なる 時 も 浮 舟 の ため に 最 善 を 尽 く し て い るは ず で あ っ た 。 し か し そ の 右 近 が 、 良 か れ と 思 っ た 行 動 で 浮 舟 を 追 い 詰 め て し ま っ て い る の だ 。
この「すれ違い」は、随所で浮舟物語の展開の契機になってい る。たとえば浮舟が匂宮と関係を持った後、彼女のもとを訪れた 薫 は、 匂 宮 の こ と で 思 い 悩 む 浮 舟 の 気 持 ち に 気 が つ か ず、 「 し ば らく逢わない間に、たいそう人の情けが分かってきて、ずっと大 人らしくなったものよ」とひとりよがりに思う。そのことは、浮 舟との距離を徐々に広げることになる。また、弁の尼と語ってい た 時 の 浮 舟 の 母、 中 将 の 君 の、 「 浮 舟 が 中 君 を 裏 切 っ て 匂 宮 に な びくならばもはや娘とは思わない」という発言だ。このとき中将 の君は匂宮と浮舟の関係を知っていたわけではなく、浮舟のこと を思って発した言葉であろう。にもかかわらず、この発言が匂宮 とすでに関係を持っていた浮舟を決定的に追い詰める。この後浮 舟 は「 な ほ、 わ が 身 を 失 ひ て ば や 」( 浮 舟・ 一 六 七 ) と 死 を 意 識 するのである。 誰も望んでいないにも関わらず、浮舟の周囲の人々のよかれと 思った行為、無意識の行為がすれ違いを生み、思いもかけぬ方に 展 開 す る。 浮 舟 物 語 で は、 「 す れ 違 い 」 が 悲 劇 と し て の 物 語 を 加 速させてゆくのだ。しかも、薫や母中将の君のような物語の主要 な 人 物 の み な ら ず、 本 来 な ら ば 単 な る 脇 役 で あ っ た は ず の 右 近・ 侍従といった女房たちの「すれ違い」がとりわけ重要な鍵となっ ている。そもそも匂宮と浮舟の関係は、右近の失態が直接のきっ かけであった。その右近は、匂宮侵入の際、匂宮の発言ひとつひ と つ を 素 直 に 受 け 取 り 行 動 し て い た。 人 に 対 し て 真 摯 に 向 き 合 い、普段から責任感の強い人物だったのだろう。事実、薫に匂宮 と浮舟の関係が知られてしまった後の「右近はべらば、おほけな きこともたばかり出だしはべらば、かばかり小さき御身ひとつは 空 よ り 率 て た て ま つ ら せ た ま ひ な む 」( 浮 舟・ 一 八 七 ) と い う 発
言には、何としてでも浮舟に尽くす忠誠心がうかがえる。匂宮の 侵入を許したのは右近の無教養のせいだったが、その後は浮舟の ために常に最善を尽くす、気が利く人物として描かれていた。入 水 し 蘇 生 し た 後 の 浮 舟 も、 「 よ ろ づ 隔 つ る こ と な く 語 ら ひ 見 馴 れ た り し 右 近 な ど も を り を り は 思 ひ 出 で ら る 」( 手 習・ 三 〇 三 ) と 彼女を思い出している。浮舟の心にも、右近の優しさ、誠実さは 印象強く残っていた。だがその誠実さ、あるいは右近の頑張りこ そが逆に浮舟を追い詰めていったのである。右近が賢く有能であ り、みごと自分の失態ごと密通を隠し通せたことで、逆に浮舟は 乳母にも母にも打ち明けることができずに周囲から孤立していっ た の だ。 も し も 早 い 段 階 で 乳 母 や 中 将 の 君 の 力 を 借 り て い れ ば、 例えば三条の小家に身を隠すなどして、事を穏便に済ませること ができたかもしれない。だが浮舟は、分別ある大人に打ち明けら れないままに右近の姉の話を聞き、密通は周囲の悲嘆と苦悩の種 と思い詰め、全てが知られる前に死ぬことを選んでしまったので ある。浮舟への忠誠心が右近自身の思いと絡んでいたことは、蜻 蛉 巻 で の 右 近 が、 「 三 角 関 係 の な か で も 実 は 薫 を こ そ 頼 り に し て いた」という、微妙に右近の望む浮舟像を語ったことからも推察 さ れ る。 浮 舟 物 語 で は、 よ か れ と 思 っ た 行 為、 無 意 識 の 行 為 が、 実は女房たち自身の思いや欲望の表れでもあり、思わぬ形で事態 を 重 く 暗 い 方 向 へ と 導 い て し ま う。 実 は 蜻 蛉 巻 以 前 か ら、 右 近・ 侍従はそれぞれの思惑で動いており、浮舟自身も気づかなかった 欲望に向けて積極的に行動していたのではないか。 そ う し た 女 房 像 の 変 化 は、 「 意 外 性 」 を も っ て 読 者 の 印 象 に 残 る。右近は匂宮侵入の前からも登場していたが、物語上で目立っ た 行 動 を し は じ め る の は こ こ か ら で あ る。 当 初 読 者 は 右 近 に 対 し、眠気に負けて侵入を許した、ミスをした女房という第一印象 を持つ。しかしその直後からそれを挽回するかのように、隠蔽に 向けて活躍しはじめる。立ち返ってみると、侍従もはじめは「心 ざまも奥なからぬ」と紹介されていた。第一印象ではしっかり者 でありながら、徐々にその浅はかさを露呈させ、浮舟以上に匂宮 に心酔し、浮舟の後戻りできない恋情を後押ししてゆく。浮舟の そばに仕えるこの二人が同じように性質を露呈させていったこと は偶然ではないだろう。浮舟物語は、浮舟の心の一端を担う女房 たちの善意と思惑のなかで、思わぬ形で浮舟の心をそれぞれの方 向 に 拡 大 さ せ て ゆ き、 収 拾 が 付 か な い 破 綻 へ と 導 く。 そ の 意 味 で、この物語に最も活躍する右近こそが、物語の幕開けに関わる ことが重要だったのだろう。 そして同じような現象は、浮舟の乳母にも認め得るのではなか ろうか。彼女が目立った活躍を見せるのは、中の君邸で匂宮に見
出された浮舟を守り抜く場面である。中の君の洗髪中、手持ちぶ さ た に な り あ ち こ ち 行 き 来 し て い た 匂 宮 が 偶 然 浮 舟 を 見 つ け る が、 乳 母 は 高 貴 な 身 分 の 匂 宮 に 対 し て ま っ た く 遠 慮 す る こ と な く 徹 底 的 に 彼 を 拒 む 姿 勢 を 見 せ、 結 局 匂 宮 は そ の 場 で 浮 舟 に 手 を 出 す こ と は な か っ た。 ち ょ う ど 明 石 中 宮 の 病 気 を 告 げ る 使 者 が 訪 れ た と は い え、 乳 母 の 対 応 が 浮 舟 を 助 け た の で あ る。 そ れ 以 後 も そ の 乳 母 の 気 質 は「 か の 乳 母 こ そ お ず ま し か り け れ 」( 東 屋・ 六 四 )、 「 降 魔 の 相 を 出 だ し て 」( 東 屋・ 六 六 )、 「 乳 母 の い と さ か し け れ ば 」( 浮 舟・ 一 六 三 )、 「 乳 母 の い ざ と き こ と 」( 浮 舟・ 一八九)など何度も語られる。これについて吉海直人氏は、以下 のように述べてい る
注7。 これによって一応の基本ラインが確立したと見たい。偶然が 重なったにせよ浮舟の乳母は匂宮から浮舟を守り通したので あり、そのモチーフが以後の物語展開に継承される。つまり 浮舟の側に乳母がいるときは匂宮との問題は全く生ぜず、逆 に乳母の不在が設定されたとき、匂宮の闖入が可能となる仕 掛けになっているのである。
ま た 吉 海 氏 は 匂 宮 の 二 度 に わ た る 浮 舟 と の 逢 瀬 に お い て、 一 度 目 に は「 な ど て、 こ の ま ま を と ど め た て ま つ ら ず な り に け む 」 (浮舟・一二一) 、二度目にも補足的にではあるが「かのさかしき 乳 母、 む す め の 子 産 む と こ ろ に 出 で た り け る、 帰 り 来 に け れ ば、 心 や す く も え 見 ず 」( 浮 舟・ 一 五 六 ) と 乳 母 の 不 在 が 記 さ れ て い る こ と に 加 え、 逆 に 匂 宮 が 浮 舟 に 会 え な い 時 に は、 「 乳 母 の い ざ と き こ と な ど も 語 る 」( 浮 舟・ 一 八 九 ) と 乳 母 の 存 在 が 明 ら か に されていることも指摘してい る
注8。乳母は、浮舟の最も近くで仕え ていた人物の一人であり、だからこそ入水前には「あやしく心ば し り の す る か な 」( 浮 舟・ 一 九 六 ) と 浮 舟 の 異 変 を 察 知 し て い た。 ま た 入 水 後 の 浮 舟 も 乳 母 の こ と を 思 い 出 し 胸 を 痛 め て い た ほ ど、 乳母は浮舟にとって重要な人物なのである。その乳母が匂宮の侵 入という一大事に二度も不在が明記されるのだ。この「不在」が 必要不可欠のものだったことのあらわれであろう。つまり、右近 と 侍 従 が「 存 在 」 す る こ と で 浮 舟 物 語 を 進 行 さ せ た の に 対 し て、 乳母は自らが「不在」となることで浮舟物語を進行させているの だ。また、乳母は匂宮から浮舟を「守った」ことで、逆に匂宮の 浮 舟 へ の 関 心 を 掻 き 立 て た と も 言 え る。 も と も と 匂 宮 の 関 心 は、 妻の周りのちょっと美しい新参女房のつまみ食いにあり、乳母の 守りがなかったなら、単なる「遊び」として大した記憶には残ら なかったろう。右近が匂宮密通につながる扉を開けたこと(匂宮 侵入許可)でその役割をスタートさせたのであれば、乳母は匂宮 を一度拒否したことで、浮舟と匂宮の関係を深刻な密通関係に誘
う役割をスタートさせたのだ。浮舟への忠誠心の塊のようであり ながら、宇治で薫を待つ暮らしに耐えられず石山寺詣でを企画す る た め に 不 在 に な り( 一 度 目 の 侵 入 )、 娘 の 出 産 時 に は 浮 舟 を 放 置 し て 家 に 戻 る( 二 度 目 の 侵 入 )。 乳 母 は「 存 在 」 に よ っ て 薫 へ の対抗意識につながる匂宮の欲望を掻き立て、また彼女個人の思 惑による「不在」によって匂宮侵入を招き寄せ、その後はふたた び「存在」によって周囲の期待を裏切れないという思いを浮舟に 植え付け、追い詰められた関係を導くのである。
以 上 に よ り、 「 乳 母 」 と「 右 近・ 侍 従 」 は 同 じ 浮 舟 の 味 方 で あ り な が ら、 物 語 上 で は 対 照 的 な 関 係 と な っ て い る こ と が 分 か る。 匂宮が浮舟と密通するには、乳母の不在と二人の女房の存在が併 せて必要不可欠だったのだ。三者は本質的には互いに対立し複雑 に絡み合って、浮舟物語を動かしていたのである。これをふまえ る と、 「 浮 舟 と は 無 関 係 の 女 房 ─ 浮 舟 周 辺 の 女 房 」 と い う 対 照 関 係、その「浮舟周辺の女房」の中では「乳母─右近・侍従」とい う 対 照 関 係、 さ ら に は「 右 近・ 侍 従 」 の 二 人 に も「 右 近 ─ 侍 従 」 という対照関係、と入れ子構造的な対照関係がみてとれる。浮舟 の周りにいる女房たちは、極めて複雑な関係のもとに配置されて いたと考えられるのである。 おわりに
違いに揺り動かされ加速していく物語であった。 面に代表されるように、宇治十帖における浮舟物語は人々のすれ の空間だが、二人の思いは決して重なり合うことはない。この場 ら同じ月を眺めている場面である。一見美しく、優雅に見えるそ 一 四 五 )。 薫 と 浮 舟 が、 互 い に 全 く 相 違 す る 思 い を 胸 に 秘 め な が ひ た る 身 の う さ を 嘆 き 加 へ て、 か た み に も の 思 は し 」( 浮 舟・ 「 男 は、 過 ぎ に し 方 の あ は れ を も 思 し 出 で、 女 は、 今 よ り 添 浮 舟 物 語 の 主 人 公 で あ る 浮 舟 は、 そ の す れ 違 い を 一 身 に 受 け、 いったんは入水という形で破滅にまで追いやられてしまう。それ ほどまでに強く激しいすれ違いは、誰も悪者にすることなく、不 気味さを伴いながら静かに進行していくことでその悲劇性を増し ていく。そして皮肉なことに、その残酷なすれ違いこそが確実に 浮舟物語を進行させる原動力となっていくのだ。水面下で起きて こそ効果を発揮するこのすれ違いは、読者に悟られることなく物 語に浸透させる必要があった。そこで、この「すれ違い」を担わ せ る の に 適 任 だ っ た の が 一 見 主 人 の か げ に 隠 れ て い る か に 見 え、 実はなくてはならない存在である女房たちだったのである。
女房たちは、主人の性質を反映する存在であり、分身としての
機能を果たしている。その上で確実にそれぞれの個性・思惑を持 ち、主人と女房は互いに影響し合っているのだ。とりわけ浮舟の ように女房との距離が異常に近い者となれば、その分強く影響し 合うといえる。浮舟の女房たちは彼女の欲望を担いながらそれぞ れに人格を持ち、主人である浮舟自身の欲望はその分身により気 づかぬうちに拡大していったのである。
時には自らの身体をもって主人の心の内をあらわし、時には物 語の扉を開く。普段はあまりスポットライトを浴びることのない 女房が、したたかに私たちの目を欺きながら、確実に浮舟物語の 進行を担っていたのである。
注注1玉上琢弥『源氏物語評釈 第十二巻』角川書店、昭和四十三年、五五頁注2『源氏物語』の本文引用、現代語訳、および頁数は、阿部秋生ら『新編日本古典文学全集 源氏物語』小学館、一九九四~一九九八年による。( )内は、順に巻名、頁数とした。注3阿部秋生ら『新編日本古典文学全集 源氏物語⑥』四年~一九九四年~一九九八年注4玉上琢弥 前掲書(注1)、一〇六頁 注5阿部秋生ら 前掲書(注2)、二二七頁注6阿部秋生ら 前掲書(注2)、二三〇~二三一頁注7吉海直人『源氏物語の乳母学─乳母のいる風景を読む─』世界思想社、二〇〇八年、二三五頁注8吉海直人 前掲書(注7)