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研究成果報告書(2)『浄土宗日常勤行式の総合的研究』

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研究成果報告書

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ISSN 1345

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2959

浄 土 宗 総 合 研 究 所

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浄土宗総合研究所研究成果報告書

2

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浄土宗総合研究所 研究成果報告書 l i 2

浄土宗総合研究所

研究成果報

告書

2

浄土宗日常勤行式の総合的研究

はじめに

大谷旭雄

第一篇浄土宗日常勤行式の偶文と礼讃の原典解明及び現代語訳

例説無量害経歎例頒 ・ 悌説無量欝経光明歎徳章 ・ 霊膳供養 ・ 献供児 ・ 献供偶 ・ 総 願 偶 松 潟 泰 雄 機悔偶 ・ 阿 弥陀経 平 岡 四 百 盲 偶 ・ 聞名得益偽 ・ 祝 聖 文 ・ 普済偶 山極伸之 広機悔 ・ 三 尊礼 ・ 称讃偶 ・ 本誓偶 ・ 広 開 偶 ・ 讃仏偶 ・ 自 信 偶 ・ 降魔偶 ・ 諦 護 念 偶 ・ 発願文 ・ 総 回 向 偶 ・ 三 帰礼 伊藤真宏 回向文 ・ 一 枚起請文 ・ 一 紙小消息 竹内真道 仏説観無 量寿緩第 九 真 身観文・敬礼偶 ・ 法楽偶(神祇) ・ 一 切精霊偶 ・ 歎仏偶 ・ 心 浄偶 ・ 摂益文 粛藤舜健 香偶(願此香煙雲) ・ 三 宝 礼 ・ 閉経偶 ・ 閉経偶(念念思聞浄土教) ・ 送仏偶 新井俊定 香偶 ・ 四奉請・ 三 奉 請 ・ 還相回向偶 ・ 勢至回向文・ 三 身 礼 福西賢雄

第二篇

浄土宗日常勤行式の源流と展開

第一章

浄土宗日常勤行式の源流

第 節 元祖時代の勤行 榊 泰 純 第 節 良忠時代の日常勤行式 小林尚英 6 聡 17 33 41 50 65

7

2

7

6

81 88

(5)

第二章

第 節 第 節

第三章

第 節 第 節

第四章

第 節 第 節

第五章

第 節 第 節 第 節 浄土宗日常勤行式の総合的研究

六時勤行式

に至る勤行の歴史

室 町時代から江 戸時代初期の勤行式につい て 忍激以降﹃六時勤行式﹄に至る各種勤行式の検討

観随の勤行

﹃蓮門六時勤行式﹄の制定と展開 ﹃ 蓮 門六時勤行式 ﹄の編者観随ーその足跡と業績│

大教院時代の勤行

大教院時代における宗政 大教院時代の勤行式

現在の宗定勤行式について

浄土宗宗務所認定﹃浄土宗法要集段啓明﹄と宗規﹃法式条例﹄の制定 ﹃宗定浄土宗法要集﹄の編纂大正十三年版﹃浄土宗法要集﹄までの変選 ﹃改訂浄土宗法要集﹄の編纂 大津亮我 清水秀浩 大 谷 旭 雄 大 谷 旭 雄 林田康順 大 谷 旭 雄 熊 井 康 雄 田中勝道 西城宗隆 123 104 150 140 211166 234 223 214

(6)

浄土宗総合研究所 研究成果報告書 │ 2

はじめに

大谷旭雄

我々宗門人にとって

﹁日常勤行式﹂を知らない人はなく

、それが布教教化活動の中枢をなす

重要な宗教儀礼であることは言うまでもない。現在放映されているテレビ放送の中に﹁知って

るつもり﹂という人気番組がある。いまそうした視点で﹁日常勤行式﹂をみると一見、多くを

知っているつもりであるが、事実は現行﹁勤行式﹂の起点に立つものは、どのような状況下で、

どのような目的をもって成立制定され、またいかなる変選をへて今日に至ったかなどについて

もほとんど確かめられないままに、いわば﹁知ってるつもり﹂で経過している面も少なくない

ように思われる

。いま、現

代人にむけて﹁勤行式﹂の時機相応なあり方が問われて

まず成

変遷等、現時点において知り得る限り適確に把握したうえで、そのような課題と取

り組む必要があることは

言う

ところで浄土宗における現行

は諸宗のそれと比較してもよ

く整備されたも

のとして、識者の評価も極めて高い。しかし、例えばその起点にたつものについても、つい最

近まで﹃浄土芯萄宝庫﹄に記載されている﹁勤行式﹂に始まると信じられてきたほどである。

(7)

昭和五十

年﹃蓮門六時勤行式﹄が発見されて以来、研究がかさねられ現行﹁勤行式﹂にみ

る差定は安政四年(一八五七)五月、増上寺学頭、即誉観随を中心とする学識経験者により編

纂制定された﹃蓮門六時勤行式﹄が、ひろく宗内に流布していたことが確かめられた。当時、

浄土宗における増上寺(総録所)の位置からみて、それは幕藩時代の浄土宗におけるいわば宗

定﹁勤行式﹂といって過言ではない

本研究成果報告は、この﹃蓮門六時勤行式﹄の制定を研究の中核とし、時機相応の﹁勤行式﹂

のあり方を探ることを念頭におきつつ、左記事項にそって分担研究を進め、その前提としての

基礎的研究を目指した。

篇﹁浄土宗日常勤行式の偶文と礼讃の原典解明及び現代語訳﹂では、﹁勤行式﹂に列記

される多くの偶文や礼讃などの典拠を求め、

勤行式﹂に採用される意義等を検討する。

篇﹁浄土宗日常勤行式の源流と展開﹂では、次の事項にそって浄土宗日常勤行式の成立

について検討する。

(

1

)

宗祖法然上人や

祖良忠上人時代の勤行から日常勤行式の源流を探る

(

2

)

鎌倉末期から室町時代を経て﹃六時勤行式﹄に至るまでの勤行法について検討する

(

3

)

﹃六時勤行式﹄の制定と展開について観随の足跡などと共に検討する

(

4

)

明治初期に成立した浄土宗大教院時代の宗政と大教院時代の勤行について検討する

(

5

)

明治

大正

昭和を経て現行浄土宗法要集に至る経過について検討する

もとより本報告は、途中経過ともいえるもので、今後

宗を挙げてのさらなる取り組みがな

されるべきことは

をまたない

大方のご叱正を乞う次第である

浄土宗日常勤 行 式の総 合 的研究 はじめに

(8)

浄 土 宗総合研究所

研究成果報告書

1

2

信 属

浄土宗日常勤行の偶文と礼讃の原典解明及び現代語訳

悌説無

量害

経歎悌頒・悌説無量害経光明歎徳章・

霊膳供

・献供児・献供偶・総願偶

( 原 文 ) 併 説 無 量 誇 経 歎 例 頒 光 顔 緑 樹 抽 珠 光 敏 耀 正 覚 大 立 日 殊 勝 希 有 無 明 欲 怒 智 慧 深 妙 願我作悌 戒 忍 精 進 一 切恐慢 数 如 恒 沙 威 神 無 極 皆悉隠蔽 響 流 十 方 深 諦 益 百 念 世尊永無 光 明 威 相 驚聖法王 如 是 三 昧 薦 作 大 安 供養 一 切 如 是 倣 明 猶 若 衆 墨 戒 聞 精 進 諸 例 法 海 人 雄 師 子 震 動 大 千 過 度 生 死 智慧馬上 俄使有働 斯等諸悌 無 輿 等 者 如 来 容 顔 三 昧 智 慧 窮深蓋奥 神 徳 無 量 麻 酔 不 解 脱 吾 誓 得 悌 百千億寓 不 知 求 道

日月摩尼 超世無倫 威 徳 無 侶 究 其 涯 底 功 勲 慶 大 布 施 調 意 普 行 此 願 無 量 大 聖 堅正不御 替 如 恒 沙 偏此諸国 其 衆 奇 妙 度脱 一 切 幸悌信明 智 慧 無 擬 我 行 精 進 ( 原 文 和 訳 ) 諸 悌 世 界 如 是 精 進 道場超絶 十 方 来 生 是 我 員 謹 常 令 此 尊 忍終不悔 復不可計 威 神 難 量 園如泥垣 心 悦 清 浄 後願於彼 知 我 心 行 無数利土 令我作悌 市無等隻 己到我園 力精所欲 偲令身止 光 明 悉 照 園土第 我 嘗 哀 感 快 楽 安 穏 十 方 世 尊 諸 苦 毒 中 如来の光り輝く顔は気高くすぐれていて、この上もない偉大なカをもってい ます。この光明に比べられるものはありません。太陽 ・ 月 ・ 如意珠の光が烈 しく輝いていたとしても、総てかくれてしまい墨のかたまりの様です 。 如 来 のお姿はこの世界のものとも思えず他に例をみません。正しい覚りをひらい た方(如来)の大きなお声は十方に響き渡ります。さらに如来は戒を保ち精

(9)

進され 三 昧に入り智慧をみがき、偉大な力を持ち、それらは比べるものがな いほど特別に勝れています。深遠な諸仏の海にも比べられる法を憶念し究め て、その深奥に到達されました。知来は今まで愚かさと食りと怒りを持った ことはありません。如来は人中の雄者で獅子の知き人であり、聖なる徳は量 り し れません 。 如来のいさおは広大であり、智慧は深く勝れています。光明 の偉大な力は大千世界を震動させます。 どうぞ私もまた仏となり、師の世自在王如来と同じ様に、輪廻の世界から解 脱をしますように。そのための行として、布施 ・ 制 ・ 戒 ・ 忍辱 ・ 精 進 、 こ のような機定 ・ 智慧が大切です。私は誓います。仏になるまでは、すべてこ の願を行じ、総ての輪廻の苦しみに恐れおののいている者達を救い取りま しよう。たとえ仏がいて、その数が百千億万で無量あり、ガンジス河の砂の 数に等しいとして、これら総ての諸仏を供養することより、私は悟りの道を 求めて、堅固な正しい意志で修行より退かないことの方がすばらしいことで し ょ ︾ つ 。 たとえばガンジス河の砂の数に等しい諸仏の世界があり、その世界の数が数 えきれないほどであっても、私が仏となって放つ光明は総てを照し、あらゆ る国土にゆきわたるでありましょう。 この様に精進をして、限りない偉大な力を得て、私が仏となった時の仏国土 を 第 一 のものにいたしましょう。その仏国土に住する人々は勝れた者たちで あり、倍りを得る道場は特に勝れた所であって、この仏国土は悟りの世界で あり、他に比類なきものにいたしましょう。私は 一 切の人々を思んで、悟り 浄土宗日常勤行式の総合的研究 の世界に導き入れましょう。十方の世界よりこの仏国土に生まれて来る人々 は、清浄な悦びにひたり、この仏国土にや ってきている 人々は、清浄で安穏 であるようにいたしましょ う 。 どうぞ世自在王如来よ、私のこの決意は偽りでないことを証明して下さいま すように 。 如来がわたくしの本 当 の 証 人 で す 。 私 は 如来に対して誓願をおこ し、意欲充分に努力します 。 十 方 の 仏国の諸仏の智慧は妨げられないほどす ば らしいものです。私はこの諸 仏に私の願望を知 っ ていただきたいのです たとえ私の身、が種々の苦難を受けようとも、私は精進努力し忍耐して願をお ﹂ し た こ と を 悔 い る こ と は な い で し ょ う 。 ( 党 文 和 訳 ) 無量の光明をもつものよ。限りなく比べるもののない覚知をもつものよ。 ここでは他のどのような光明も輝きを失う。太陽や宝珠や山の王である スメールや月の光が燃えたにしても、それら[の光]で 一 切の世間にお いて輝くことはない。(二 生ける者の最上者の姿かたちは無限であり、また仏の音声も無限の響き がある 。また、戒や 三 昧や智慧や精進についても、この世ではおんみに 等しいものは他にだれもいない。( 二 ) 深遠で広大で微妙な法が得られ、すぐれた仏は卓越していて、あたかも 海のよ うである。しかし、その ことで師(仏)にはおごり高ぶりはない 第 編 浄土宗日常勤行式の偶文と礼讃の原典解明及、ひ現代語訳

(10)

浄土宗総合研究所 研究成果報告書 │ 2 頑固さと怒りとを捨てて、彼岸に渡られた 。 ( 三 ) あたかも卓越した仏が、無限の威光をも っ て 王 中の王として、すべての 方角を照らすように、私は法の主である仏となり、生あるものを老いと 死から解脱させよう 。 ( 四 ) 布施と自制と戒と忍耐と精進と禅と 三 昧とを、そしてこれらとともに同 じく、最高 ・ 最上であるもろもろの禁 誓 を受持して、私はすべての生け る者の救済者である仏となろう 。 ( 五 ) ガンジス河の砂のように数限りない幾百千コティの仏たち、それら主 たちすべてを、私は無比であるめでたいすぐれた覚りを求めて供養する でしょう 。 ( 六 ) ガ ン ジ ス 河の砂塵に等しい諸世界と、 それよりさらに多い無限の諸国、 それらすべてにあまねく光明を放とうとして、私はこの様に精進な始め ょ う 。 ( 七 ) 私の国土は、広大で最高で最上である。この世の有為なるものの内で最 勝 で あ り 、 [ 覚りの]座であり、比べるものがない浬繋の世界の安楽であ る 。 そしてそれを空無なるものであるとして私は清浄にしよう 。 ( 八 ) 十方から集まって来た有情たちは、その [ 私の国土 ] に 行 っ て、すぐさ まに安楽となる 。 これについては、仏は私 の 規準であ り 証人である 。 私 は偽りのない精進力のある意欲を起こす 。 ( 九 ) 十方の世間を知る方々、とらわれのない智をも っ 方々、それら(仏たち) も私の心を知りたまえ 。 私は阿鼻[地獄 ] に常に住むことになっても、誓 願の力をひるがすことは決してないだろう 。 ( 十 ) ( 註 )

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である 。 こ れ に相当する漢訳はない。﹁空無なるもの﹂と訳出したが、 ﹁ ( 他 に)ない ( 国 土 ) であるか ら ﹂ と も -訳 せ る 。 ( 解 説 ) ︿無量寿経﹀上に説かれる仏を讃歎する偶頒。法蔵比丘が発心して世自在 王 如来を讃歎した偶頒である 。 これは﹁歎仏偶﹂とも 言 われることがあ る が 、 ﹁ 如来妙色身 ﹂ で始まる歎仏偶と区別する時は特に ﹁ 歎仏頒 ﹂ と 呼 ばれる 。 サンスクリットの︿無量寿経﹀では十の偶頒として説かれている 。 康 僧 鎧訳では四 言 四 句 二 十偶となっており、これは異訳の内の ︿無量清浄平 等覚経 ﹀ も同じである。この 二 つの漢訳はほぼ逐語的にサンスクリ ッ ト 原典と対応する 。 一 方 ︿ 大宝積経 ﹀ は 、 七 言 四句の十偶とな っ て お り 、 ︿ 無 量寿荘厳経 ﹀ は 、 七 言 四句の九備となっている 。 無量寿経 ﹀ の文献として次のがある 。 サンスクリット原典

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﹁ 極楽の荘厳 ﹂ 明 。 ζ 白 河 玄 ロ

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巾 コ 巾 凶 -︿ 。 ] 戸 宮 ユ 戸 O H ﹃ O 丘 、 浄土宗全書、第お巻(焚蔵和英合壁浄土三部経 )1972 。 香川孝雄﹃無量寿経の諸本対照研究﹄、京都 1 i n y 口 6 A サ 。 翻 ' "

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< にD にD N 漢 訳 康僧鎧訳﹃例説無量寿経﹄(大正十 二

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二 六 七 浄全 一│五) 香川本八八

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九 ︽ 出典 ︾ サ ン ス ク リ ッ ト原典 浄全 二 三 │ 一 六

1

漢 訳 大正十 二 二 六七 浄 全 一 │ 五 ( 原 文 ) 例説無 量務経光 明歎徳 章 悌 告 阿難 諸 抽 脚 光 明 或千悌世界 南西北方 照子七尺 乃至照於 無 量 豊 町 例 所不能及 取要言之 四維上下 或照 一 由旬 一 例利土 威神光明 最尊第 或有悌光 照百例世界 乃照東方 恒沙例利 亦復如是 或有悌光 二三 四五由旬 如是轄倍 是故 無 量 豊 町 例 続無 量 光 悌 無 造 光 悌 清 浄 光 悌 難思光悌 遇斯光者 善 心 生駕 皆得休息 無 量 容 悌 莫不 聞 鷲 聾 聞 縁 覚 若有衆生 至心不断 聾 聞 大 衆 得例道時 亦如今也 謀説殊妙 (原文和訳) 無磁光悌 歓喜光悌 無稲光悌 三 垢消滅 若在 三塗 無復苦悩 光明願赫 不但我今 諸菩薩衆 聞其光明 随意所願 所 共 歎 血 管 普馬十方 { 弗 百 重夜 一 劫 無封光例 智慧光悌 超日月光悌 身意柔頼 勤苦之慮 欝終之 後 照耀十方 稿其光明 成共歎響 威神功徳 得生其園 稀其功徳 諸例菩薩 我 説 無 量 誇 悌 尚未能蓋 焔 王 光 悌 不断光悌 其有衆生 歓 喜 踊 躍 見 此 光 明 皆 蒙 解 脱 諸 悌 園 土 一 切諸悌 亦復如是 日夜稿説 馬 諸 菩 薩 至其然後 歎 其 光 明 光 明 威 神 釈 尊は 阿難にお 告げになっ た 。 ﹁ 阿弥陀仏(無 量寿 仏 )の偉大な 力をも っ 明 は 、 最も尊くて第一の ものであり、諸仏 のいかなる光明も及ぶことができ ない。ある時はこの仏の光明は 、 百の諸仏の世界を照らし、ある時は、千の 浄土宗日常勤行式の総合的研究 第 編 浄土宗日常勤行式の偶文と礼讃の原典解明及び現代語訳

(12)

浄土宗総合研究所 研究成果報告書 │ 2 諸仏の世界を照らす。これを要約すれば、東方にあるガンジス河の砂の数に も等しい無数の仏の国を照らしているのであり、同様に南方、西方、北方、 四隅、上下の十方にある無数の国々を照らしているのである 。 また時には七 尺 の 距 離 を 照 ら し 、 ま た は 一 由 旬 、 二 由 旬 、 三 由 旬 ・ 四 由 旬 ・ 五由旬を照ら し 、 だ ん だ ん と 範 囲 を 広 げ て い っ て 、 一 仏の国土を照らすこととなる。この ようなわけで阿弥陀仏を無量光仏、無辺光仏、無擬光仏、無対光仏、焔王光 仏、清浄光仏、歓喜光仏、智慧光仏 、 不断光仏、難思光仏、無称光仏 、 超日 月光仏と呼びたてまつる 。 も し 人 が い て 、 阿 弥 陀 仏 の 光 明 に 照 、 り さ れ た な ら ば 、 そ の 人 の 食 り 、 怒 り 、 愚かさの 三 つの煩悩が消滅して、身も心もおだやかになって、悦びの心に満 ちあふれ、善い心が生じてくる。またもし[ 地 獄 、 餓 鬼 、 畜 生 ] の 三 悪 道 に 落ちて苦しんでいるものがあって、この仏の光明に照らされれば、その苦し みが休息し、ふたたび苦しむことはなくなる。そして三悪道での命が終れ ば 、 [ 浄土に往生して]悟りをひらくことができる。 阿弥陀仏(無量寿仏)の光明は赫々として、十万の諸仏の国土を照らし輝く ので、諸仏の国土ではこの光明がすばらしいことがよく知られている。今こ こでただ私だけが阿弥陀仏の光明を称賛しているだけではなく、 一 切の諸仏 や声聞や縁覚や菩薩まで、すべてのものが同じ様に讃歎している。さらにま たもし人がいて、阿弥陀仏の光明の偉大な力と功徳とを聞いて、 日夜にわ たって偉大な力と功徳を讃歎し、真実の心で名号を称え続ければ、その人の 願いどおりに浄土に往生することができる 。 浄土に往生してからは浄土にい る菩薩や声聞の人々にその功徳を称歎されるだろう。そしてその人は成仏し て光明を身につけると、十万の世界の諸仏 ・ 菩薩からその光明を讃歎され る。それはあたかも仏の光明を今 、 讃歎しているのと同じ様に讃歎されるの で あ る 。 ﹂ と 。 さらに仏が 言 われた 。 ﹁ 私が阿弥 陀 仏の光明の偉大な力が、高くそびえ優れ ているのを説くのに、夜に日をついで 一 劫という長い時間をかけても、説き つ く す こ と は で き な い 。 ﹂ と 。 言 主 ( 1 ) 由旬 サンスクリッ ト 語の音写語で、距離を表わす。 一 由旬は 約七キロメートルである。 ( 2 ) 劫 サンスクリッ ト 語の音写語で、想像を絶するほど永い時間 の こ と 。 ( 党 文 和 訳 ) ( 世 尊 は 言 わ れ た 。 ) ﹁ ま た か の ( 如 来 の ) 光 明 は 無 量 で あ る 。 ﹃ ( 如 来 ) は 、 こ れ こ れ の 仏 国 土 、 幾百の仏国土、幾千の仏国土、幾百千の仏国土、幾億の仏国土、幾百億 の仏国土、幾千億の仏国士、幾百千億の仏国土、幾百千億 ・ 百万の仏国 土を照らしながら住している。﹄といっても、その(光明の)量の限度を 知ることは簡単なことではないのだ。しかしながら、ア ーナンダ よ、略

(13)

して言えば、世尊 ・ 無量光如来のその光明は、常に東方においてガンジ ス河の砂の数に等しい幾百千億 ・ 百万の仏国土を照らしている。同じ様 に 南 ・ 西 ・ 北 ・ 下 ・ 上 ・ (四)維の一々の方角で、あまねくガンジス河の 砂に等しい幾百千億 ・ 百 万 の 仏国土を償 尊 ・ 無量光如来の光明が照らし てしいる。ただし以前に立てた誓願の力によって、 一 尋の光明 、

.

.

三 ・ 四 ・ 五・十 ・ 二 十 ・ 三 十・四十ヨ 1 ジャナ(由旬)の光明、百ヨ

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ジャナ(由旬) の光明、千ヨ │ ジヤナ(由旬) の光明、百千ヨ

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ジヤナ ( 由 旬 ) の 光 明 、 な い し 幾 百 千 億 ・ 百 万 ・ ヨ

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ジャナ(由旬)の光明によっ て、(この)世界を照らしながら住している諸仏 ・ 世 尊は除くのである。 ア ー ナンダよ、かの無量光如来の光明の量を理解できるような醤喰を示 すことはできない。 ア

l

ナンダよ、この様なわけでかの如来はアミタ

l

パ ( 無 量の光をもっ もの)と呼ばれる。アミタ ・ プラパ(無量の光明をもつもの)、 アミタ ・ プラパ

l

サ(無量の光輝をもつもの)、アサマ

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プタ ・ プラパ(終りのな い光明をもつもの)、アサンガ・プラパ(障害のない光明をもつもの)、ア プラティハタ ・ プラパ(さまたげられない光明をもつものでニティヨ

l

トゥスリシユタ・プラパ(常に放たれた光明をもつもの)、ディヴィヤ・ マ ニ ・ プラパ(天の宝珠の光明をもつもの)、アプラティハタ ・ ラ シ ユ ミ ・ ラ ー ジ ャ ・ プラパ(さまたげられない光線の王の光明をもつもの)、ラン ジ ャ ニ

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ヤ ・ プラパ(喜ぶべき光明をもつもの)、 。 フレーマニ

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ヤ ・ プラ パ(愛されるべき光明をもつものでプラ l モ│ダニ l ヤ ・ プラバ(歓喜 浄土宗日常勤行式の総合的研究 第 編 浄土宗日常勤行式の偏文と礼讃の原典解明及、ひ現代語訳 させる光明をもつもの)、プラフラ 1 ダ ニ

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ヤ ・ プラパ(愉快にさせる光 明 を も つ も の ) 、 ウ ツ ロ

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カ ニ

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ヤ ・ プラパ( 仰 ぎ見られるべき光明をも つ も の ) 、 ニ パ ン ダ ニ l ヤ ・ プラパ(ひきつけるべき光 明 を も つ も の ) 、 ア チンティヤ ・ プラパ(不可思議な光明をもつもの)、アトゥリヤ ・プラパ (比べるものがない光明をもつもので アビブ

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ヤ ・ ナ レ

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ンドラ

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レーンドラ ・ プラパ(人王 ・ 阿修繕王に打ち勝つ光明をもつもの)、アビ ブ

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ヤ ・ チャンドラ・ス

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リ ヤ ・ ジフミ

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カラナ ・ プラパ(月や太陽に 打ち勝つ光明をもつもの)、アビブ

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ヤ ・ 口

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カ パ

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ラ ・ シャクラ ・ブラ フ マ ・ シユツダ

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ヴ ァ

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サ ・ マ ヘ

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シヴアラ ・ サルヴアデ

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ヴァ・ジフ ミ l カラナ ・ プ ラ パ ( 世界の守護神や帝釈天や焚 天や浄居天や大自在天 やすべての諸天に 打ち勝ってくもらせる光明をも つ も の ) 、 サ ル ヴ ァ ・ ラ パ

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・ パ

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ラ ガ タ ( 一 切の光明のかなたに到 達したもの)と呼ばれる。 またかの(如来の)その光明は無垢であって、広大であり、身体に安楽 を生じさせ、心に喜びを生ぜしめ、天や阿修羅や龍や夜叉やガンダル ヴアやガルダやマホ l ラガやキンナラや人と人でないものたちに喜びと 歓喜と安楽をもたらし、また他の無辺 ・ 無限の仏国土においても、よい 意向をもったものたちの賢さ・軽妙さ ・ 理解力 ・ 聡明さ ・ 覚智 ・ 歓喜を も た ら す 。 ま た 、 ア

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ナンダよ、この様なわけで如来(釈尊)が満(一)劫の問、光 明についてかの無 量 寿如来の名をあげて説 明したとしても、その光明の 功徳の際限に到ることはできない。さらに無量寿如来の自信が断絶する

(14)

浄土宗総合研究所 研究成果報告書│2 ことはない 。それはなぜかと言えば、 アナンダよ、かの(無量寿)如 来の光明の功徳の力と、如来の智慧の弁才とは、両方とも無量・無数・ 不可思議・無限であるからだ。 言 主 ( 1 ) 尋 長さを表わす単位で、両腕をのばした長さ。

(

2

)

夜叉 サンスクリ ッ ト語苫宮山の 音 写 。

(

3

)

ガンダルヴア 天界の音楽神。 ( 4 ) ガルダ 龍を食う怪鳥。

(

5

)

蛇神 。 マ ホ ラ ガ

(

6

)

キンナラ 半人半獣の音楽神。 ( 7 ) 人と人でないもの 人の七魂と人でない魔神。 ( 解 説 ) 光明歎徳章は無量寿経中四十八願の第十 二 願(光明無量の願)の成就文 である。ここでは阿弥陀仏の有する光明の徳をあげる。つまり、阿弥陀 仏の別名を無量光(仏)より、超日月光(仏)まで十 二 あるとする。(サ ンスクリット原典では 二 十 あ げ る 。 ) ︽ 出典 ︾ サンスクリット原典 浄全 二 三 五 香川本 一 七 二

1

一 七 七 八

1

六 漢 訳 大 正 十 七

浄 全 霊膳供養 ( 原 文 ) 一 心奉請 阿弥陀仏等 願入道場 一 切 三 宝 受我供養 ( 原 文 和 訳 ) 心安二つにしてお願い申し上げます 。どうぞ 阿弥陀仏などのすべての三 け取りください。 宝がこの道場にお入りになり ますように。どうぞ私の供養の飯食をお受 ( 解 説 ) 原 典 不 明 。 献供児 ノ

l

マクサラパ

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タタギヤタ

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パロ

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キテイ オ ン サンパラ フ ウ ン ( 原 文 ) ロ 白 ヨ 印 } 戸 印 国 ﹃ ︿ 色 白 門 y u ∞ 白 向 山 ︿ 白 ] O E S o g g g σ 町田円印印印ヨ σ E ﹃ 田 町 ロ ヨ サンパ

(15)

( 和 訳 ) 一 切の如来なる観音に帰命する。オーン。養え。養え。 フ

l

ン 。 ( 解 説 ) 原 典 不空訳﹃救抜焔口餓鬼陀羅尼経﹄(大正 二 十 一 │四六四

1

四 六 七 ) 賓叉難阿訳﹃救面然餓鬼陀縫尼神呪経﹄(大正 二 十 一 │ 四 六 五

1

四六六) 不空訳﹃施諸餓鬼飲食及水法井手印﹄(大正 二 十 一 │ 四六六

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四六八) ( 説 明 ) 経典を要約する 。 阿難尊者が焔口餓鬼に 、 お前は命っきて餓鬼として生 まれると、そして、それより逃れるには餓鬼達に多くの飯食を施さねば ならないと告げられた 。 仏に教えを乞うと、この陀羅尼を諭せば、すば らしい飯食が獲られ、それによって餓鬼達が満足すると教綬された。本 尊および十万の諸仏に飲食物などの霊膳を供養する時に唱える陀羅尼で ある 。 献供偶 ( 原 文 ) 此食色香味 供養奉請尊 A n 今施主得 浄 土 宗 日 常 勤 行 式 の 総 合 的 研 究 無量波羅密 供養 三 宝 哀感納受 百味飯食 自然盈密 哀感納受 ( 和 訳 ) この飯食の色かたちと香りと味とを尊者(仏)に供養しお願い申し上げ ます。この飯食を施す者に無量の般若波羅多を得させてください。私は 三 宝に供養いたします。仏よ、哀感なさってお受け取り下さい。 百の味のあるこの飯食は自然に満ちあふれできます。仏よ、哀感なさっ てお受け取り下さい。 ( 解 説 ) 原典不明 。 総願偶 ( 原 文 ) 衆生無辺誓願度 煩悩無辺誓願断 法門無尽誓願知 無上菩提誓願証 自 他 法界同利益 共生極楽成 仏 道 ( 原 文 和 訳 ) 人の数は限りなく多いが、誓って必ず悟りの彼岸に渡らせたいと願いま 第 編 浄 土 宗 日 常 勤 行 式 の 偏 文 と 礼 讃 の 原 典 解 明 及 び 現 代 語 訳

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浄土宗総合研究所 研究成果報告書 2 す 。 煩悩は数限りがなく多いが、 醤 っ て断滅したいと願います。仏教の 教えの門は数限りがなく多いが、留 っ て学び知りたいと願います 。 仏 の 悟りはこの上ないものであるが、 醤 っ て到達したいと願います 。 自分も 他の人も同じように念仏の御利益を得て、皆共々に極楽に往生して仏の 道を達成しましょう。 ( 解 説 ) 総ての仏菩薩がはじめて発心する時には、必ず﹁度 ﹂ ﹁ 断 ﹂ ﹁ 知 ﹂ ﹁ 証 ﹂ と いう四つの根本的な願

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四弘誓願)をおこすとされる 。 ﹃ 摩 詞 止 観 ﹄ ( 天 台大師著)にある四弘 醤 願を源信が﹃往生要集﹄に引用し、浄土教的解 釈を加え総願偶とな っ た 。 ( 原 典 )

四弘誓願 ﹃摩詞止観﹄(正蔵四六│五六) ( 原 文 対 照 ) 1 正蔵四六巻 衆生無辺誓願度 十 一 行目 煩悩無数誓願断 十 一 │ 十 二 行目 法門無量誓願知 二 十九行目 無上仏道誓願成

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正蔵八四巻 衆生 度 四 八

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十行目 煩 悩 断 十 三 行目 法 門 気l 十五行目 自他法界::利益 四 九

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二 十行目 共 生 - ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 仏 道 二 十 二 十 一 行目

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浄全十五巻 衆 生 七 O ( 三 四 ) 度

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二 行目 煩 悩 断 四 I 五行目 法 門 知 六行目 無上 証 七行目

総願偶 ﹃ 往生要集 ﹄ 巻 上 (正蔵八四四八

1

四九 浄全十五 │ 七十) (書き下し文) 光顔説々として威神きわまりなし 。 是の如き焔明ともに等しきものなし 。 日月摩尼の珠光焔耀なるも、皆悉く隠蔽して、猶し衆墨のごとし 。 如来 の容顔は世に超えて倫なし、正覚の大音響十方に流る。戒聞精進 三 味知 慧威徳ともがらなく殊勝希有なり 。 深諦として善く諸仰の法海を念じ、 深を窮め奥を議してその涯底を究む 。 無明と欲と怒とを世尊は永く無し、

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人雄師子神徳無量なり。功勲慶大にして智慧深妙なり。光明の威相大千 を震動したもう。願わくは我れ作併して聖法王に斉しく、生死を過度し て解脱せずということなからん。布施と調意と戒と精進と是の如きの 三 昧と智慧とを上れたりとす 。 五 口 れ 誓 う 。 併を得るまでに普くこの願を行じて 一 切の恐慢の篤めに大安をなさん。 たとえ悌ありて百千億万無量にして大聖の数恒沙のごとくならんに、一 切のこれらの諸仰を供養せんより道を求めて堅正にして御かざるにはし かじ。答えば恒沙のごとくなる諸例世界、また不可計無数の利土ありて 光明ことごとく照らして此の諸の園に遍からん。是の知く精進にして威 神はかり難からんに、我が作例の園土をして第一ならしめん。その衆奇 妙にして道場超絶し、園泥垣のごとくにして等隻なからん。我れまさに 一 切を哀感し度脱すべし 。 十方より来生せんもの心悦清浄にしてすでに 我が固に到らば、快楽安穏ならしめん。幸わくはほとけ信明したまえ、是 れ我が員設なり。願を彼れに接して所欲を力精せん 。 十方の世尊智慧無 磁なり、常にこの尊をして我が心行を知らしめん。たとえ身を諸の苦毒 の中に止むとも、我が行は精進にして忍んで終に悔いざらん。 ( 註 ) ( 一 )礼調法の書き下し文 ﹁ 布施と調意戒と忍と精進と是の如きの 三 昧とは智慧を上れたりとす 。 ﹂ とあるのを読みかえた 。 浄 土 宗 日 常 勤 行 式 の 総 合 的 研 究 第 編 浄 土 宗 日 常 勤 行 式 の 偏 文 と 礼 讃 の 原 典 解 明 及 、 ひ 現 代 語 訳 ( 書 き 下 し 文 ) ほとけ阿難に 告げたまはく。無量誇 悌の威神光明は、最尊第 一 に し て 、 諸 仰の光明もよく及 、 ば ざ る と ころなり、或は悌光あり、百悌世界或は千悌 世界を照らす、要を取りてこれを 言はば、乃ち東方恒沙の 悌 剰 を 照 ら す 、 南西北方四維上下も亦また是のごとし。或は悌光あり、七尺を照らし、或 は 一 由旬 二 三 四五由旬を照らす。是のごとく縛倍して乃至 一 例利土を照 らす。是のゆえに無量誇仰をば無量光例、無溢光例、無擬光例、無対光 倒、焔 王光 悦、清海光例、歓 喜 光悌、智慧光例、不断光例、難思光側、無 裕光併、超日月光例、と競したてまつる。其れ衆生ありて、斯の光りに 遇うものは 三 垢消滅し、身意柔軟なり、歓喜踊躍して善心生ず。もし 塗勘苦の慮にありて、 此の光明を見たてまつれば、みな休息を得て、ま た苦悩なし、議終の後みな解脱を蒙る。無量諮仰の光明顧赫にして、十 方を照躍す 。 諸仰の園土に聞こえざることなし 。 ただ我れ、今その光明 を稿するのみにあらず、 一 切の諸例、聾問、縁党、もろもろの菩薩衆も、 成く共に歓馨したまふこと、亦また是のごとし 。 もし衆生ありて、其の 光明の威神功徳を聞きて、日夜に稿説して、至心不断なれば、意の所願 に随ひて、其の固に生ずることを得て、諸の菩薩、聾聞、大衆の震に、共 に歎審して其 の功徳を稀せらる。其の然してのち、例道 を得る時に至り て、普く十方の諸悌菩薩の篤に、其の光明を歓ぜられむこと、亦いまの ごとくならむ 。 仰の 言 たまはく、我れ無量議悌の光明威神の綴殊妙なる を説くこと、主夜 一 劫すとも、なほ未だ蓋くすことあたはじ。

(18)

浄土宗総合研究所 研究成果報告書

2

( 書 き 下 し 文 ) 此の食 の色と香と味とを尊に供養し奉請したてまつる。今施主に無量波 羅蜜を得せしめん。 三 宝 に供差す。哀感して納受したまえ。 百味の飯食は自然に盈満す。哀思して納受したまえ。 ( 書 き 下 し 文 ) 衆生は無辺なれども誓って度せんことを願う。煩悩は無辺なれども、 誓って断ぜんことを願う。法 門は無 尽なれども、誓って知らんことを願 う。菩薩は無上なれども、誓って証せんことを願う。 自他法界は利益を同じくし、共に極楽に生じて仏道を成ぜん。 ( 書 き 下 し 文 ) 一 心に 奉請したてまつる。願わくは 阿弥陀仏等の 一 切の三宝が道場に入 らんことを 。 我供養を受けたまえ。

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機悔偶・阿弥陀経

( 一 )俄悔偶 ( 二 )阿弥陀経 ( 一 )俄悔偶 ︹ 原 文 ︺ 我 品 目 所 造 諸 悪 業 皆由無始貧膿疲 従身語意之所生 一 切我今皆織悔 ︹ 原 文 和 訳 ︺ 私が昔から造 っ た諸々の悪業は、総て無始からの食り ・ 怒 り ・ 無知のた めに、身体 ・ 言 語 ・ 意識より生じたものであるが、 その総てを今悉く機 悔 し ま す 。 ︹ 原 典 和 訳 ︺ 私は、食り 、 怒り、無知のために、身体、 言 語 、 そして意識を通して悪 ︹ 業 ︺ を行 っ てきたが、私はその総てを俄悔します 。 ︹ 解説 ︺ 俄悔偶の原典はサンスクリットで現存して い る 。 原典の名前は∞冨 己 ﹃

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( 普 賢 ︹ 菩薩の ︺ 行 ) と 言 い、漢訳では﹃華厳経﹄(大正九│ 二 九五上、大 正 一 O │ 一 中)の中で普賢菩薩が諸菩薩や善財童子に対して十種類の 醤 願を修すべきことを教える箇所があるが、その十大願の第四番目にこの 浄 土 宗 日 常 勤 行 式 の 総 合 的 研 究 偶が見られる。原典和訳に見られる﹁私は﹂の﹁私﹂は、 その醤願を立 てる本人に 当 たる。この部分に対応する漢訳としては、﹃文殊師利発願 経 ﹄ ( 大 正 一 一 │八七八下)や﹃普賢行願讃﹄(大正 二 │八八 O 上)が挙 げられる。サンスクリット原典としては次のものを用いた。 ∞ ヱ ﹀ ロ 刀 ﹀ 円 ﹀

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白石真道) 、 ﹃ 山梨 大学学芸部研究報告﹄第 日号、昭和幻年 一 ー ー 一 八 頁 。 ( 二 )阿弥陀経 序 ﹃ 阿 弥 陀 経 ﹄ は、﹃無量寿経﹄﹃観無量寿経﹄と共に﹁浄土 三 部経﹂とし て、古くから日本における浄土の諸 宗 にお い て 重 要視されてきた経典の 一 つである 。 ﹃ 観無量 寿 経 ﹄ のサンスクリット原典は現在のところ発見さ れて い ないため、本経のインド撰述は疑問視されており、いまだ決着を 見て い な い が 、 ﹃ 無 量寿 経 ﹄ と﹃阿弥陀経﹄とはそのサンスクリット原典 が現存するために、この両経は イ ンドの浄土教を考える上での重要な文 献資料とな っ て い る 。 サ ン ス ク リット原典の名前は、 ︿ 無量寿経 ﹀ ︿ 阿弥 陀経 ﹀ ともに

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白(極楽の荘厳)となっているので 、 世 界 で 始めてこの両経の校訂本を世に出したマックス・ミユラ

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と区別して呼んだのである 。 今ここにその邦訳を試みたのは、鳩 第一編 浄 土 宗 日 常 勤 行 式 の 偏 文 と 礼 讃 の 原 典 解 明 及 、 ひ 現 代 語 訳

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浄 土 宗 総 合 研 究 所 研 究 成 果 報 告 書

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摩羅什の訳出による﹃阿弥陀経﹄と、そのサンスクリット原典である 吋

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白 ( 極 楽 の 荘 厳 ) と で あ る 。 ︿ 阿 弥 陀 経﹀の文献に関しては、藤田宏遠の優れた業績があり、ここで 改めてそれに触れなくても、 その研究を紹介すれば充分であろう 。 藤田宏達﹃原始浄土思想の 研究 ﹄ ( 東 京 岩波書店、昭和四五年)九 七 一 一 五 頁 藤田宏達﹃党文和訳 無量寿経 ・ 阿 弥陀経﹄(京都 法蔵館、昭和 五

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年 ) 四 頁 両 本 で は 、 (阿弥陀経 ﹀ の サ ンスクリット本(悉曇本および刊本) 、 チ ベ ツ 卜 訳、そして漢訳に関する詳細な考察や情報が盛り込まれている 。 特 に ﹃ 焚 文 和 訳 無量寿経 ・ 阿 弥 陀 経 ﹄ は 、 そのチベット訳と漢訳とを対照し 、 サンスクリット原典からの批判的な和訳がなされており、また注も極め て詳細であるため、今回の翻訳においてもこれを大 いに参照 し た 。 翻訳に際して 漢訳﹃ 阿弥陀 経﹄(鳩摩羅什訳)は 大正 二 一 │ 三 四六中 浄全 一 │ 五 二 に収められているが、今回の翻訳に際しては﹃大正新惰大蔵経﹄所収の ものを使用する。また、 ︿ 阿弥陀経 ﹀ に関しては、この 他 に玄装の訳出に よる異訳﹃称讃浄土仏摂受経 ﹄ が あ り 、 大 正 二 一

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二 四八中 浄 全 一 │ 一 八五 に収められているが、これに関しても﹃大正新惰大蔵経﹄所収のものを 必要 に応じて参照し 、 鳩 摩羅什訳﹃阿弥 陀 経﹄との異同を示す。 次にサンスクリッ ト 原典であるが 、刊本 として次のものを用いるは、 ω z r z u F ︿ 白 ロ ︿ て DY 白 -口 市 山 山 門 門 戸 ℃ 20 コ O ﹃ ω c r y 削 ︿ 出 口 ・ 円 宮 市 戸 白 ロ 己 O ﹃ ∞ -Z 印 J 巾 門 出 円 四円 凶 σ ︺ ﹃ 日 り -一 孟 同

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のサンスクリット刊本に付されているもので、ここでは これを漢訳にも適応することによ り 、 サ ンスクリット原典と漢訳 との比 較を容易ならしめた。では以下、﹃阿弥 陀 経﹄の原文、書き下し文、原文 和 訳 サンスクリット原典和訳の順に記す 。

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︹ 原 文 ︺ 省 略 ︹ 原 文 和 訳 ︺ [ 1 ︼ こ のように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国(シユラ

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ヴアス テ ィ │ )の祇樹(ジエ│夕)︹太子の︺圏という、給孤独(アナ

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タピン ダ ダ ) ︹ 長 者 ︺ の園におられて、千 二 百五十人の偉大な比丘達と 一 緒で あ っ た 。 彼らは総て偉大な阿羅漢で、大勢の人々によく知られていた。︹即ち︺ 長老の舎利弗(シャ

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リフトラ)、偉大な目乾連(マウドガリヤ │ヤ ナ ) 、 偉大な迦業(カ

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シャパ)、偉大な迦栴延(カ │ ティヤ │ ヤ ナ ) 、 偉 大 な 倶締羅(コ

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シユティラ)、離婆多( レ

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ヴ ア タ ) 、周梨般陀迦 ( チ ユ │ ダ -パンタカ)、難陀(ナンダ)、阿難陀(ア

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ナンダ) 、 羅喉羅(ラ

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フ フ 僑 林 凡 波 堤 ( ガ ヴ ァ

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ンパテイ)、賓頭慮頗羅堕(パラドウヴア│ ジ ヤ ) 、 迦 留 陀 夷 ( カ 1 ローダイン)、偉大な劫賓那(カッピナ)、薄倶羅 (ヴアツクラ)、阿完楼駄(アニルッダ)等、このような多くの優れた弟 子、さらに多くの菩薩大士、文殊師利(マンジユシユリ!)法王子、阿 逸多(アジタ)菩薩、乾陀詞堤(ガンダハステイン)菩薩、常精進(ニ テ ィ ヨ

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ディユクタ)菩薩のような多くの偉大な菩薩、及び帝釈天等、無 量の諸天や大衆も 一 一 緒 だ っ た の で あ る 。 ︻ 2 ] その時、仏陀は長老の舎利弗にお告げになられた 。 浄 土 宗 日 常 勤 行 式 の 総 合 的 研 究 ここから西の方向へ十万億の仏国土を過ぎた所に 一 つの世界があり、そ れを極楽と呼んでいる。その 地 に仏がおられて阿弥陀と称しているが、 今でも現に︹そこに︺おられて法を説かれているのだ。舎利弗よ、その 地 は どうして極楽と呼ばれているのか。その国の衆生は多くの苦しみも なく、ただ様々な楽しみを享受している。だから極楽と呼んでいるのだ。 { 3 ︼ また舎利弗よ、極楽国土には、 七重に巡らした欄干と七重の珠で 飾 った網とがある七重の並木が あって、それら総てを、四種の宝石でぐ るりと遍ねく取り囲んでいる。だからこの国を極楽と呼ぶのである。

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4

︼ また舎 利 弗よ、極楽園土には七種の宝石で飾られた池があり、八つ の功徳を具えた水がその中に満ち満ちている。池の底には金の砂だけが 敷 か れ て お り 、 ︹ 池 の ︺ 四辺にある階段は、金 ・ 銀・瑠璃 ・ 破潔合わせ て仕上がっているのだ。上には高殿があり、これも金 ・瑠璃 ・ 破潔 陣藤 ・ 赤珠 ・ 璃硲によって美しく飾られている 。 池の中の蓮華の花は車 輪のように︹大きく ︺ 、青色︹の蓮華︺は青い光、黄色 ︹ の 蓮華︺は黄い 光、赤色︹の蓮華 ︺ は赤い光、白色︹の蓮華︺は白い光 ︹ を放ち ︺ 、 何 と も 言 えず清らかで芳しい。舎利弗よ、極楽園土はこのような功徳による 荘厳を完成しているのである。 ︻

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︼ また舎利弗よ、その仏国土では、いつも天上の音楽が奏でられてい 第 編 浄 土 宗 日 常 勤 行 式 の 偏 文 と 礼 讃 の 原 典 解 明 及 び 現 代 語 訳

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浄土宗総合研究所 研究成果報告書 2 る。黄金を大地とし、昼夜六時の問、霊陀羅の華を降らし、その国の衆 生はいつも夜明けに、それぞれ花を入れる器に多くの美しい花を盛って、 ︹ 極 楽 ︺ 以外 の十万億という 仏 を 供 養 し 、 ︹ 昼 の ︺食事時には自分の国(極 楽)に帰ってくると、食事を取り、散歩をするのである。舎利弗よ、極 楽国土はこのような功徳による荘厳を完成しているのである。 { 6 ︼ さらにまた舎利弗よ、その国にはいつも︹種類も︺様々で不思議な 色とりどりの鳥がいる。︹即ち︺白鵠、孔雀、嬰鵡、舎利、迦陵頻伽、共 命鳥であるが、こうした様々な鳥は、昼も夜も六時の間、美しい調和の 八聖道分等この法 とれた音で鳴き、その声は、五根、五力、 七 菩 提 分 、 を説き明かしている。その国の衆生は、この︹鳥の︺声を聞き終わると、 みな仏を念じ、法を念じ、僧を念じるのである。舎利弗よ、お前はこれ らの鳥が罪︹業︺の果報によって生まれたと考えてはならない。 何故か と い う と 、 その仏国土には︹地獄 ・ 餓鬼・畜生という ︺三悪趣がないか らである。舎利弗よ 、その仏 国土には﹁三悪道﹂という名前すらないの だ 。 どうして実際の ︹ 三 悪道︺があろうか。これらの色々な多くの鳥は 総て、阿弥陀仏が法(真理)の音を ︹ 極楽の衆生に︺聞かせようとして、 ︹ 仏の力で仮に ︺ 作り出されたものなのである。 { 7 ︺ 舎 利弗よ、そ の 仏国土にはそよ風が吹いてお り、様々な宝石で飾ら れた並木や宝石で飾った網が ︹ その風に︺なびいて何とも言えない音を 出している 。たとえ て 言えば 、何百 ・ 何千の楽器が時を同じくして 一 斉 に演奏されるようなものなのだ。この音を聞けば、みな自然に仏を念じ、 法を念じ、僧を念じる心が生まれるのである。舎利弗よ、その仏国土は ﹂のような功徳による荘厳を完成しているのである。 ︻

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︼ 舎 利弗よ、あなたはどう思うか 。 そ の 仏をどうして ﹁ 阿弥陀﹂と 呼ぶのか 。 A 一 口 利 弗 よ 、 その仏の光明は無量であり、十方の国を照らして 妨げられることがない。だから﹁阿弥陀﹂と呼ぶのである。 ︻

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︼ また舎利弗よ、その仏の寿命やその ︹国の︺人々︹の寿命︺は無量 にして無辺であり、限り無く永遠に続くものである。だから﹁阿弥陀﹂と 呼ぶのである 。 舎 利弗よ、阿弥陀仏は悟りを聞いてから現在まで十劫 ︹ と いう長い時間が経過しているの︺ で あ る 。

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︼ ま た 舎 利 弗 よ 、 その仏には無量にして無辺なる声聞の弟子がい る。みな阿緩漢であるが、 ︹ その数を︺計算で知ることは到底不可能であ る。多くの菩薩達もまた同じことなのだ。舎利弗よ、その仏国土はこの ような功徳による荘厳を完成しているのである 。 { 叩 ︼ また舎利弗よ、極楽国土に生まれた衆生はみな不退転の者であり、 その中の多くは一生補処の者である。その数は非常に多く、計算で︹そ

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の数を︺知ることは到底不可能である。ただ無量・無辺であり、限り無 く永遠に続くものとして説く 他はないのである 。 舎利弗よ、︹極楽や阿弥陀 仏のことを ︺聞いたならば、衆生は必ず願い を起こし、その国に生まれたいと願うべきである。伺故かというと、こ のように色々な優れた善き人々と、同じ場所で共に会うことが出来るか らである。舎利弗よ、︹人は︺ごく僅かな善根や福徳を因や縁としてその 国に生まれることは出来ないのである。 舎 利弗よ、もしも善き男性や 善き女性がいて、阿弥陀仏︹の名前︺が 説かれるのを聞きいて 一 目 、 あるいは 二 日、あるいは 三 日、あるいは 四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日︹の問︺、 その名前を執持するならば、その人の命が尽きる時に、阿弥陀仏は諸々 一 心不乱に の聖者達とその人の面前に現れるであろう。この人が死ぬ時、心が動揺 することなく、阿弥陀仏の極楽国土に往生することが出来るであろう。 舎利弗よ、私はこうした優れた点を知っているからこそ次のように言う のである。﹁もしもこの教えを聞いたならば、衆生は必ず願いを起こし、 その国土に生まれるべきである﹂と。 { 日 ] 舎利弗よ、私が今、阿弥陀仏の不可思議な功徳を称賛したように、 東方にも阿閲斡仏、須弥相仏、大須弥仏、須弥光仏、妙音仏がいる。こ れらガンジス河の砂の如く数の多い諸仏が、それぞれ自分の国で、広く て長い舌を出し、︹その舌で︺遍ねく 三 千大千世界を覆って、真実の 言 葉 浄土宗日常勤行式の総合的研究 を発するのである。﹁汝ら衆生よ、ちょうどこの﹃不可思議な功徳を称賛 し 一 切諸仏が擁護せる経﹄を信じなさい﹂と 。 ︹ 日 ︼ 肩 仏 、 須弥灯仏、無量精進仏がいる。これらガンジス河の砂の如く数の 舎利弗よ、 南 方 の 世 界 に は 大 熔 日月灯仏、 名聞光仏、 多い諸仏、が、それぞれ自分の国で、広くて長い舌を出し、 ︹ そ の 舌 で ︺ 遍 ねく 三 千大千世界を覆って、真実の 言葉 を発するのである。﹁汝ら衆生 ょ、ちょうどこの﹃不可思議な功徳を称賛し、 一 切諸仏が擁護せる経﹄を 信 じ な さ い ﹂ と ︻ 日 ︺ 舎 利弗よ、西方 の世界には 、無 量寿仏、無量相仏、無量憧仏、大光 仏、大明仏、宝相仏、浄光仏がいる。これらガンジス河の砂の如く数の 多い諸仏が、それぞれ自分の国で、広くて長い舌を出し、(その舌で ︺ 遍 ねく 三 千大千世界を覆って、真実の言葉を発するのである。﹁汝ら衆生 ょ、ちょうどこの﹃不可思議な功徳を称賛し、 一 切諸仏が擁護せる経﹄を 信じなさい﹂と。 ︻ 日 ︼ 舎利弗よ、北方の世界には、大焔肩仏、最勝音仏、難祖仏、日生仏、 網明仏がいる 。 これらガンジス河の砂の知く数の多い諸仏が、それぞれ 自分の国で、広くて長い舌を出し ︹ そ の 舌 で ︺遍 ねく 三 千大千世界を 覆って、真実の言葉を発するのである。 ﹁ 汝ら衆生よ、ちょうどこの﹃不 第 編 浄土宗日常勤行式の燭文と礼讃の原典解明及び現代語訳

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浄土宗総合研究所 研究成果報告書

1

2

可思議な功徳を称賛し 一 切諸仏が擁護せる経﹄を信じなさい ﹂ と ︻ 日 ︼ 舎利弗よ、下方の世界には、師子仏、名聞仏、名光仏、達摩仏、法 憧仏、持法仏がいる 。 これらガンジス河の砂の知く数の多い諸仏が、そ れぞれ自分の国で、広くて長い舌を出し、︹その舌で︺遍ねく 三 千大千世 界を覆って、真実の 言葉を発 するのである 。 ﹁ 汝 ら 衆 生 よ、ちょうどこの ﹃不可思議な功徳を称賛し 一 切諸仏が擁護せる経﹄を信じなさい﹂と 。 ︻ 同 ︼ 舎利弗よ、上方の世界には、党音仏、宿王仏、香上仏、香光仏、大 焔肩仏、雑色宝華厳身仏、裟緩樹王仏、宝華徳仏、見 一 切義仏、如須弥 山仏がいる 。これらガンジス 河の砂の如く数の多い諸仏が、それぞれ自 分の国で、広くて長い舌を出し、︹その舌で︺遍ねく三千大千世界を覆つ て、真実の言葉を発するのである。﹁汝ら衆生よ、ちょうどこの﹃不可思 議な功徳を称賛し 、 一 切諸仏が擁護せる経 ﹄を信じなさい﹂と。 [ げ ︺ 舎利弗よ、あなたはどう思うか。どうして二切諸仏が擁護せる経﹂ と 言うのか。舎 利弗よ、もしも 善き男 性 や 善 き 女性が、これら諸仏の説 く名とこの経の名とを聞いて心に留めておくならば、この善き男性や善 き女性は皆 一 緒に 一 切の諸仏に擁護されることになり、無上正等菩提 (この上なく完全で正しい悟り) から退転することはないだろう 。だか ら、舎利弗よ、あなた達は皆、私の 言 葉と諸仏の説くこととを信じて受 け入れるべきである 。 舎利弗よ、すでに願いを起こした人、今願いを立てつつある人、これ から願いを起こそうとする人で、阿弥陀仏の国に生まれようと願うなら ば、これらの人々は皆、無上正等菩提から退転することなく、その国土 にすでに生まれ、今生まれつつあり、これから生まれることになるだろ う。だから、舎利弗よ、様々な善き男性や善き女性で、信ずる心がある ならば、当然、願いを起こして、その国土に生まれるべきでなのである。 ︻ 同 ]舎利弗よ、私が今、諸仏の不可思議なる功徳を称讃しているように、 その諸仏もまた私の不可思議なる功徳を褒め讃え、そして次のように 言 う。﹁釈迦牟尼仏はまことに困難で滅多にないことを為し遂げ、裟婆国土 ( 現 実 の 世 界 ) 、 ︹ 即 ち ︺ 時 代 の 汚 れ 、 見解の汚れ、煩悩の汚れ、衆生の汚 れ、寿命の汚れという五つの汚れで穣された︹この世︺で、無上正等菩 提を得て、様々な衆 生 の ために、こ の総ての 世間 ︹の人々︺が信じら れ ないような法を説かれた﹂と。 [ 悶 ] 舎 利 弗 よ 、 ︹ あなたは次のことを︺知るべきである。私は五つの汚 れで検された ︹ この︺世で、この為し難きことを実行し、無上正等菩提 を得て 一 切の世間 ︹ の 人 々 ︺ の た め に 、この信じ難い法を説いたが、こ れは極めて困難なことである、と 。

(25)

︻ 初 ︼ 仏 陀がこの経を説き終わると、舎利弗や諸々の出家者、︹そして ︺ あ ら ゆ る 世間 の 神・人・阿修羅 等 は 、 仏 陀 のお説きになられた ことを聞 い て歓喜し、信じて受け入れると、 礼 拝して︹その場を︺立ち去ったので あ っ た 。 ︹ 以 上 ︺ ﹃ 仏 説阿弥 陀 経 ﹄ ︹ 終 わ る ︺ 注 ( 1 ) 五根とは、悟りに至るための五つの力または能力のことで、信、 精進、念、定、恵の五つを 言う。五 力も五根と同じ内容である が 、 ﹃ 倶 A 一 口 論 ﹄ に よ る と 、 ﹁ 根 ﹂ は 加行道の第 三 ( 忍 位 ) に あ る ものを 言 い 、 ﹁ 力 ﹂ は世第 一 法位にある者を 言 う 。 七 菩提分と は、悟りを得るのに役立つ七つの事がらで、択法、精進、 喜 、 軽 安、捨、定、念の七つを 言 う 。 また八聖道分とは、 四聖諦のう ち 、 最後の道諦の中で説かれ、悟りに至るための八つの実践道 を指し 正見、正思 正語 、 正業、正命 正念 正 精 進 正 定 の八支を 言 う 。 こ れ ら は 、 四 念 処 、 四正勤 、四神足と 共に 三 十 七 菩 提分(悟りの知恵を獲得するための 実 践修行法)に含めら れ て い る 。 ( 2 ) 以 下 、 ω r 一と縫什訳との聞に相違が見られる。 即 ち、羅 什 訳 で は 、

ω

宮 ・ の [ 9 ︼ の中間に ︻ 8 } が入り込む恰好となり、今は 便 宜 上

[

9

]

{

9

A

︼ と [ 9 B ︺ とに分けた 。 浄 土 宗 日 常 勤 行 式 の 総 合 的 研 究 第 編 浄 土 宗 日 常 勤 行 式 の 偏 文 と 礼 讃 の 原 典 解 明 及 、 ひ 現 代 語 訳 ( 3 ) 漢訳で ﹁ 阿弥陀 ﹂と音写さ れ る 原 語 に は 、

5

-s

g

と 釦 呂 志 吉 田 と の 二 つがあり、いずれも 自 己

g

と 与

Z

・ 白 ヨ

E

と 身

5

と に 分 解 出来る 。 白 ヨ ロ 色 は ﹁ 無 量 の ﹂ と い う 形 容 詞 で あ り 、 思 冨 は ﹁ 光 明 ﹂

35

は ﹁ 寿 命 ﹂ を 意 味 す る か ら 、 白 ヨ

55

白 は ﹁ 無 量 の 光 明 ﹂ 、 白

g

g

苫 ∞ は ﹁ 無量の寿命﹂という意味になる 。 し か し、漢訳ではただ ﹁ 阿 弥 陀 ﹂ と し 、 白 ヨ

- s

σ g

と 白 ヨ ロ 々 己 的 の 前 半 だ け を 翻 訳 し た 形 に な っ ているから、どちらの訳語が明確ではない。或いは、この両方 の意味を含ませて 、どち らにも解釈できる﹁阿弥陀﹂という訳 語 を 作 り 出した のかもしれないが 、 と にかくここでの﹁阿 弥 陀 ﹂ は

5

5

5

白 ﹁ 無 量 の 光明 ﹂ を 、また次の { 8 ︺ に見られる﹁阿 弥陀 ﹂ は 白 コ ニ 門 書

5

﹁ 無 量 の 寿 命 ﹂ を前提にしている。 ( 4 ) あ と 一 回の生涯だけ、この世に縛られるだけで、次の生涯には 仏陀と な る こ と が確定している位の こ と 。 一 生 を過ぎれば仏処 を 補 う べ き 位 、 と いう意 味である 。 ( 5 ) ﹁ その名を執持する ﹂ とは、浄土宗の伝統的解釈によると、 ﹁ 阿 弥陀仏の名を唱える ﹂ ことであ る と す る 。 ( 6 ) 羅 什 訳の﹁妙音﹂に相当する ω は ヨ 宮 川 } 豆 町 ︿ ﹄ } 白 ﹁ 妙な る 憧 を 持つ者 ﹂であり 、両者は 一 致しないが、玄装訳では﹁ 妙 憧 ﹂ ( 一 二 五

O

上 二 三 ) と し 、 ω E に 一 致する。しかし、] コ σ 訳を見てみる と 、

V

S

∞ ∞ E( ℃ ω ム ∞ -吋 ) ﹁ 妙 声 ﹂ と あ り 、 またその直後に . ﹂ 白 ﹃ 己 己 σ 苫 ロ ∞ 凶 ( ち ω ム ∞ -∞ ) ﹁ 妙 立 回 ﹂ と あ る の で 、 斗 号 訳は緩什訳

(26)

浄 土 宗 総 合 研 究 所 研究成果報告書 │ 2 に 一 致する。中村元は、ぜヨ ω ∞S の ω E e としてヨ包

E

Z

︿

g

-を 想定する(中村元﹃浄土 三 部経﹄下、東京一岩波書庖 一 ム 九 六 四 年 、 一 三 九 頁 ) 。 ま た 池 田 澄 達 は 。 の ω E を 以 自 己 門 日 σ ) ﹃ 同 ロ ∞ 日 5 5 -z m z o g と推定し、これを羅什訳の﹁妙音﹂としている(池 田澄達﹃初等西蔵語読本﹄東京一山喜房仏書林、昭和七年、辞 書 一 四 頁 ) 。 ( 7 ) 羅 什 訳 の ﹁ 大 焔 肩 ﹂ は 、

ω

E

ではヨ与智

g

E

E

E

であり、この 印

r

g

ι

E

と い う 語 に は 、 ﹁ 肩 ﹂ 、 ﹁ か た ま り ﹂ の 両 方 の 意 味 を 持 つ 。 これに関して干潟龍祥は、羅什が亀草地方で肩から焔の出てい る仏像を実際に見ていたために、このような訳語を与えたとす る(干潟龍祥﹁阿弥陀仏の焔肩仏について﹂﹃山口博士還暦記 念・印度学仏教学論集﹄昭和 三

O

年 、 一 一 一 四

l

一 三 五 頁 ) 。 な お 、 玄装訳ではこれを ﹁ 大光焔﹂( 三 五

O

上 二 九)とする。これと同 様の名前を持つ仏は、北方世界と上方世界にも見られる。 ( 8 ) 原 語 は 白 ヨ ロ ぞ

5

であり、所調極楽国土の﹁阿弥陀仏﹂と同名 と言うことになる 。 羅什訳では、この箇所だけ﹁阿弥陀仏﹂と 訳さずに﹁無量寿仏﹂としいることから、羅 什はこ の 白 ヨ

E

苫 印 を極楽国土の ﹁ 阿弥陀仏 ﹂ と区別しているようである 。 藤田に よ る と 、 西 方 段 に 、 ミ タ

l

ユス如来の名があげられているのは、 仏名経類か らの転用によるものと推察している(﹃原始浄土思想 の 研 究 ﹄ 一 二 六頁以下) 。 ( 9 ) 縫什訳の ﹁ 無 量 相﹂に相当する

F

E

E

S

E H

吋 丘

E

﹁ 無 量 の か たまりを持つ者﹂であり、羅什の訳語がこの∞宮に相当するか どうかは疑問である。玄装訳には﹁無量種﹂( 三 五

O

中 七 ) と し 、 ω Z に 一 致 す る 。 ( 叩 ) ω Z・は﹁大明仏﹂に相当する仏名を欠くが、叶吾訳には、 . o a N 巾 ﹃ 自 由 ロ ∞

E

(

三 五

0

・ 六﹁光線を発する者﹂、また玄装訳ではこれ を﹁光焔﹂( 三 五

O

中八)としているので、本来はこれに相当す る

ω

宏、があったのかもしれない。 ( 日 ) 注

(

3

)

を 参 照 せ よ 。 ( は ) 注 ( 3 ) を 参 照 せ よ 。 (日)﹁聞是諸仏所説名﹂の訳であるが、ここでの ﹁ 名﹂は阿弥陀仏 の名とするのが浄土宗の伝統的解釈である。 ︹ 原 典 和 訳 ︺ 斗 宮 市

ω

ヨ 白 口 市 ﹃ ∞ 己 r z 雪 印 ロ ミ

D

E

(

極楽の荘厳) 一 切智者に帰命し奉る。 ︻ 1 ︼ こ のように私は聞いた。ある時、世尊はシュラ

l

ヴ アスティ

l(

舎 衛国)にあるジェ

l

タ ( 祇 樹 ) ︹ 太 子 ︺ の 林 、 ︹ 即ち)アナ│タピ ンダダ ( 給 孤 独 ) ︹ 長 者 ︺ の 園 林 で 、 千 二 百五十人からなる大勢の比丘の僧団と 共に時を過ごしておられた。 ︹ この比丘達 ︺ は非常に有名であり、長老で あり、偉大な声聞であり、総て阿羅漢であった。即ち、長老シャ

l

(27)

トラ(舎利弗)、偉大なマウドカリヤ

l

ヤナ(目乾連)、偉大なカ

l

シ ヤ パ(迦葉)、偉大なカツピナ(劫賓那)、偉大なカ

l

ティヤ

l

ヤナ(迦栴 延 ) 、 偉 大 な コ

l

シユティラ(倶綿羅) 、レ! ヴ ァ タ ( 離 婆 多 ) 、 チ ュ

l

ダ ・ パンタカ(周梨般陀迦)、ナンダ(難陀)、ア

l

ナ ン ダ ( 阿 難 陀 ) 、 ラ

l

フ ラ ( 羅 喉 羅 ) 、 ガ ヴ ア │ ン パ テ イ ( 僑 称 凡 波 堤 ) 、 パ ラ ド ゥ ヴ ァ

l

ジヤ(賓 頭 慮 頗 羅 堕 ) 、 カ

l

1 1 ダイン(迦留陀夷)、ヴアツクラ(薄倶羅)、そし てアニルッダ(阿亮楼駄)であった。彼ら︹声聞達︺と、他にも多くの 偉大な声聞達とが 一 緒であった。また多くの菩薩大士達、即ち王子の位 にあったマンジユシユリ│(文殊師利)、アジタ(阿逸多)菩薩、ガンダ ハステイン(乾陀詞堤)菩薩、ニティヨ

l

ディユクタ(常精進)菩薩、そ してアニクシプタドゥラ(不休息)菩薩であるが、これら︹の菩薩大士 達︺と、他にも多くの菩薩大士達とが 一 緒であった。また、神々の主シヤ クラ(帝釈天)と、裟婆の主ブラフマン(焚天)、これら︹の神々︺と、 他にも十 万 ・ 百万の多くの天 子達とが 一 緒 だ っ た の で あ る 。 ︻ 2 ︼ ちょうどその時、世尊は尊者シャ 1 リプトラに告げられた。 シ ャ

l

リプトラよ、この仏国土から西方に、十万・千万の仏国土を越え 行くと、極楽と呼ばれる世界があ る。そこにはアミタ

l

ユスと呼ばれる 如来 ・ 阿 羅漢・正等覚者が今(現に︺住し、留まって、時を過ごし、 して法を説いている。シャ

l

リプトラよ、︹お前︺はこれをどう思うか。 いかなる理由で、かの世界は﹁極楽﹂と言われるのか。実に、シャ

l

リ 浄土宗日常勤行式の総合的研究 第 編 浄土宗日常勤行式の偶文と礼讃の原典解明及び現代語訳 プトラよ 、 か の極楽世界にいる衆生達には身体の苦しみもなく、心の苦 しみもなく、ただ無量の安楽の原因だけがあるのだ 。 こ の よ う な 理 由 で 、 その世界は﹁極楽﹂と 言 われるのである 。 ︻ 3 ︼ また、次に、シャ

i

リ フ ト ラよ、極楽世界は、七︹重︺の欄干、七 ︹ 重 ︺ に な っ た夕│ラ樹の並木、鈴の つ い た 網によって見 事 に 飾られ、ぐ るりと巡らされ、四つの宝石、即ち金・銀 ・ 瑠 璃 ・ 水 品 か ら で き て お り 、 きらびやかで、麗しい。シャ!リプトラよ、かの仏国土はこのような仏 国土の功徳の荘厳によって見事に飾られているのである。 { 4 ︺ また、次に、シャ!リプトラよ、極楽世界には、七つの宝石、即ち 金 ・ 銀・瑠璃・水晶 ・ 赤珠 ・ 璃瑞、第七番目の宝石である暁泊から成る 蓮 池 が あ り 、 八つの特 性を具えた水が一杯に満ちてお り 、 ︹ 水 面 は ︺ 岸 の 高さに等しく、鳥が飲めるほどであり、黄金の砂が撒かれているのであ る。また、これらの蓮池の周囲四方には四つの階段があって、 四つの宝 石、即ち金・銀 ・ 瑠 璃 ・ 水 晶からできており、きらびやかで、麗しい。ま たこれらの蓮池の周囲には、宝石の木々が繁り、 七 つ の 宝 石 、即ち金・ 銀 ・ 瑠 璃 ・ 水晶・赤珠 ・ 璃磁、第七番目の宝石である琉拍からできてお そ り、きらびやかで、麗しい。またこれらの蓮池には蓮華が生じており、青 い ︹蓮華︺は青い色で、育く輝き、青く見え、黄色い︹蓮華︺は黄色い 色で、黄色く輝き、黄色く見え、赤い︹蓮華︺は赤い色で、赤く輝き、赤

(28)

浄土宗総合研究所 研究成果報告書 2 く見え、白い 蓮華︺は白い色で、白く輝き、白く見え、色とりどりの ︹ 蓮 華 ︺ は色とりどりの色で、色とりどりの色に輝き、色とりどりの色に 見え、︹蓮華の︺周囲は車輪ほどの大きさなのである。シャ

l

リ プ ト ラ よ 、 かの仏国土はこのような仏国土の功徳の荘厳によって見事に飾られてい る の で あ る 。 {5 ︺ また、次に、シャ

l

リプトラよ、かの仏国土では、天界の楽器が常 に奏でられており、また大地は金色で 美 し い 。 またその仏国土では、夜 に 三 度、昼に 三 度、天界のマ

l

ン ダ

l

ラヴアの花が雨と降る。そこに生 まれかわった衆生達は ︹ 朝 ︺ 食 前 の 聞に、他の世界に行って、十万 千万という仏達を礼拝し、そして 一 々の如来に十万 ・ 千万の花の雨を降 らし、再びまた昼の休息のために、その同じ︹極楽︺世界へ戻ってくる のである。シャ

l

リプトラよ、かの仏国土はこのような仏国土の功徳の 荘厳によって見事に飾られているのである。 ︻ 6 ] また、次に、シャ

l

リプトラよ、かの仏国土には白鳥や帝釈鴫や孔 雀がおり、それらは、夜に三度、昼に三度、より集まって来て合唱し、ま た各々の調べをさえずる 。それらがさ え ず る 時 、 ︹ 五 ︺ 根 ・ ︹ 五 ︺ 力 ・ ︹ 七 ︺ 菩提分の声が流れ出る。その声を聞くと、そこに︹生まれかわった︺衆 生達には、仏に対する思念が生じ、法に対する思念が生じ、僧団に対す る思念が生じるのである 。 シ ャ

l

リ プ ト ラ よ 、 ︹ お 前 ︺ はこれをどう思う か。その衆生達は畜生の胎内に宿るものとなったのであろうか。決して そのように見てはならない。それは何故かというと、シャ

l

リ プ ト ラ よ 、 その仏国土では﹁地獄﹂という名前すらなく、﹁畜生﹂︹という名前︺や ﹁ ヤマの世界 ﹂ ︹ と い う 名 前も ︺ないからである。 しかもそれらの 鳥 の 群 は、かのアミタ│ユス如来に化作されたものであり、法の声を発してい る︹だけなのである︺。シャ

l

リプトラよ、かの仏国土はこのような仏国 土の功徳の荘厳によって見事に飾られているのである。 {7 ︺ また、次に、シャ

l

リプトラよ、かの仏国土では、そのタ

l

ラ 樹 の 並木や、その鈴のついた網が風に揺り動かされると、甘美で心地好い音 が流れ出てくる。シャ

l

リフトラよ、例えば、十万 ・ 千万もの種類から なる天界の楽器が聖者達によって合奏されると、甘美で心地好い音が流 れ 出 て く る が 、 ︹ こ れ と ︺全く同じ ように、シャ

l

リプトラよ、その夕│ ラ樹の並木や、その鈴のついた網が風に揺り動かされると、甘美で心地 好い音が流れ出てくるのである 。 その音を聞くと、そこに ︹ 生 まれかわ っ た︺衆生達には、仏に対する随念が身に起こり、法に対する随念が起こ り、僧団に対する随念が起こる。シャ

l

リプトラよ、かの仏国土はこの ような仏国土の功徳の荘厳によって見事に飾られているのだ 。

{

8

︼ シ ャ

l

リプトラよ、これをどう思うか。いかなる理由で、かの如来 は﹁アミタ

l

ユス(無量の寿命ごと名づけられるのであろうか。実に、

参照

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