時勤行式
﹄ に 至
る 各 種 勤 行
式の検 討
清 水 秀浩
江戸時代初期から中期に至る橋渡し役に︑先ず忍激(正保二1正徳一)
が挙げられる︒彼は大蔵経の対校者として︑また戒律の研究家であり遵
守者として京都獅子谷に法然院を聞き︑後進の育成に努めた学僧として
知ら
れる
︒
多くの著書の中︑法式に関して﹃別時念仏三昧法諺註﹄と
﹃浄 業課 諦﹄
が挙げられる︒前者は明和六年刊︑別時念仏の心得と行儀作法について
も言及する箇所があり
六時ゴトニ仏ヲ礼讃シ阿弥陀経ヲ読ムナドハ常ノ行法ナリ別時ノ問ハ
コ レ ヲ 制 ス
J
というところからも︑常の勤めは礼讃・
諦経
・念仏であったことに変わ
りなく︑後者において︑当時説諭されていた経典の種類が︑﹁阿弥陀経﹂
はじめ︑党網菩薩戒経十無尽戒法品︑観経形像観(第八観)︑同真身観文︑
大経四醤偶︑同流通分(仏止口弥勅其有得聞彼仏名号以下を歎経勧学文と
して挙げる)︑首携厳経勢至円通章(このなかに我本園地云云の勢至
回向文が出る)︑発願帰敬偶(十四行偶)など︑各種あったことが判る︒
この﹃浄業課諦﹄は忍激が天
和 元 年 (
一六
八
一)撰集したもので︑享保
十 九 年
(一七三四)から
翌二
十年にかけて彼の門下︑宝洲によ
って
翻刻
浄土
宗日
常勤
行式
の総
合的
研究
﹃六時勤行式﹄
に至
る勤
行の
歴史
第二篇
第 章
され
てい
る︒
就中︑六時の礼讃には重構造による音の高さが示され︑
初重甲←二重乙←三重甲←二重乙←三
重甲←
二重
乙
と変化するのは恰も﹃新訂法要集﹄の知く︑これより前︑延宝二
年 (
一
六七四)増上寺前松村十兵衛開版の礼讃本においては
下音←中音←上音←下音←上音←下音
の順で︑旧版折本﹃法要集﹄と同様であって︑礼讃の音変化に古来二様
あったことになる
︒ ﹃
課諦﹄にはこのほか﹃法事讃﹄による浄業呪願(別
回向のような文)や七礼敬︑﹃往生要集﹄に基づく五種田向や四弘憾願(今
の総願偶に同じ)などが記載されている︒
七二八宝洲
( 1
元文三)は持律の生活者として︑また学僧として︑﹃無能和尚
行業記﹄の著者として知られるばかりでなく︑法式面では忍激の﹃課諦﹄
の続編である﹃浄業課諦附録﹄を享保十九年(一七三四)に著わして補
足とした︒
威儀・健稚をはじめ︑食作法・施食・盆供・放生などの儀式の次第につ
いて
も触
れ︑
日常の次第と考えられるものに仏名礼俄会式の
香讃・三宝礼・凹奉請・七敬礼・広機悔
或いは半斉供儀に
ノ
λ L l J
︑〆
¥〆
町︑
ノ
挙香讃唱礼三宝如恒規・・・次諦弥陀経或弥陀大呪唱西方四聖号
(波
線筆
者)
ともあり︑以下諸霊回向偶(一切精霊生極楽)から
浄土宗総合研究所
研究成果報告書
│2
次念仏一会主本日特薦雷名民群霊回凧唱念 〆四弘
醤三任 退民
まで︑この頃の恒規とされた次第が垣間見られる︒
偶文についても焼香讃(願我身浄ほか三
種 ) ︑
三宝
礼︑
四奉
請︑
甲念
仏︑
後唄︑舎利礼文は墨譜付で︑略現在通りの名称が使用されている︒ほか
にも毎日早農の諭念を促す六念︑閉経偶︑神祇念諦(清浄慈門・諸仏救
世者・神力演大光)︑念仏降魔讃(門門不同八万四)︑俄悔文(我昔所造・
無始巳来無量罪)︑奉請伽陀(先請弥陀)︑歎仏偶(如来妙色身・天上天
下無如仏・天地此界多聞室)︑普礼伽陀(我此道場如帝珠)などが列ねら
れていることから︑現在使用する経偶の殆どは﹃
諸廻
向宝
鑑﹄
﹃浄
業課
諦﹄
及び﹃課諦附録﹄の出来た時代︑即ち元禄から享保にかけて︑一七
OO
年初め迄には出揃っていたことになる︒
更にこの﹃附録﹄には︑各々の出典に就ても明らかにしながら︑備文
を改作して応用した部分が見られる
︒一
例を挙げれば施餓鬼法の中の
普 死
一 一切餓鬼断除三障町得が生町一肌陀仏民帰命
d m t
至心ぽ眠衆鬼
所造諸悪業(中一切餓鬼皆儀悔機悔己至心帰命阿弥陀仏
目 高
ゃ︑放生儀に
仏子所造諸悪業云云
とあるが知きもので︑礼讃の後偶や俄悔偶に
一工
夫が凝︑りされているこ
とは
一目陳然である︒
また宝
洲は
︑
享保十一
年 (
一七二六)﹃浄土日用念諦﹄を刊行してい
るが︑坤の巻に震昏礼諦として次のような順を示している︒
初 敬 礼
(一
切恭敬
次散華(奉請弥陀世尊入道場散華楽f過現諸仏の文)
次焼香(願此香煙雲の文)
次礼讃
次訴経或観経弥陀経無量寿経菩薩戒経等
次念仏
次回向
次別回向・・・・普回向己至心帰命極楽世界大慈大悲阿弥陀仏稽首
次説偶発願(
礼儀諸功徳の文)
次三
帰礼
次無常偶
次発願而退 一心敬礼十方法界常住仏の文)
礼讃が諦経の前後に本文と後偶が分かれたりし
てい
て︑
一見して現在の
次第と大差あるように思われるが︑敬礼・散華・焼香・
礼讃
・諦
経
・念
仏・回向・三礼
等の儀
礼の構成要素は変わっていない︒
この﹃日用念諦﹄は元治元年(一八六四)にも再刊されて︑先の﹃宝
鑑 ﹄
﹃課諦﹄と共に広く宗内に浸透していたものである︒農昏の
礼請
のほ
かに斎供儀が次の如く載せられている︒
初焼香三拝
次 奉 請
(一
心奉
請阿
弥陀
仏等
・・
・・ )
次呪食(ナウマクサラパの呪二十一
軍玖七種
次呪願(此食色香味)
次諦経菩薩戒経或諦
十霊
祭或
至四
十八
軽戒
次念仏
百 戸
次回向(所修善品皆悉回向
一 五
五
)唱巳如常三拝市退
これは朝夕の勤行に加えて日中の法儀と見なされるから︑当時は朝夕の
二座立て︑或いは昼を加えた三座立ての勤行が普通であったらしい︒
﹃課諦附録﹄には農朝発願の後帰敬讃念仏︑日没発願後に般舟讃念仏︑
後夜発願の後には法事讃念仏を指示して︑それぞれに博士が付してあり︑
初重甲←二重乙←三重甲←二重乙の重変化があって
︑特
に般舟讃念仏の
中に︑現行称讃偶の原形が見られることは注目すべきことである︒
また
︑
﹃日用念講﹄に於て特筆すべき点は︑三身礼が初出することで︑略礼
讃と
し
若有縁故事為急務及須斯法或唱七礼否則必当依上礼諦 て
と方法を明示した後︑
一心敬礼極楽世界本願成就身阿弥陀仏一f
の三句が並べられている︒ここでは﹃法事讃﹄の七礼(本師釈迦牟尼仏
はじめ尽十方虚空法界一
切の
三宝︑西方極楽世界の弥陀三尊等を礼する
讃文)と共に略礼
の扱
い乍
ら︑
一 二
部経や﹃選択集﹄の教説によって阿弥
陀仏の徳相を三句に集約して表現されている︒編者宝洲の創案に係るも
のか︑先師忍激や無能の作になるものか︑未だ考案者は不詳である︒
なお略礼讃には敬礼
・焼
香・礼仏(七礼又は三身礼)のあと︑讃嘆と
浄土宗日常勤行式の総合的研究﹁
六時
勤行
式
﹄
に至
る勤
行の
歴史
第 篇
第二章
して
三尊礼のうち弥陀身色の一尊と哀感偶が長脆合掌にて指示され︑続
いて俄悔五悔或要憾悔・読経・念仏・回向で拝退することになっている︒
一尊︑哀感という略法は江戸時代に既に行われていた
ので
ある
︒
これらと並んで︑浄土宗の法要に必要な諸経要備の集大成であり︑
つ法要儀式の解説書的性質をもっ﹃諸廻向宝鑑﹄五巻が元禄十一
年(
一
六九八)に刊行される︒著者の必夢については︑巻頭の自序に捺する香
炉印などより︑読誉竜山の号が読み取れ︑越前敦賀の江帰山羊歩軒の住
僧という以外︑伝歴は判ら
ない
︒
主に巻一は諸経を集め︑巻二には諸偶を集めてありそれには阿弥陀
経・舎利礼文・歎仏之偶・四醤之偶・讃重頒・真身観・後夜之偶・広俄
悔・十四行偶・発願文などが記載されており︑当時読請の小経の様子が
判るが︑中でも阿弥陀経は漢音に拠る仮名付けがなされて︑この頃は
台や西山などの様に漢音で読むことがあった為か︑或いは呉音で常用し
ていたので︑特例の漢音読みを参考として載せたのか︒これに続く施餓
鬼と盆供の
偶文
も︑
呉漢別々に用いていることもあり︑興味深い問題で
ある
︒
さて
︑
日常勤行に関して現在なお用いられているのは次の通り︒
焼香回向文(戒香定香解脱香・願我身浄如香炉ほか二
例)
三礼の偶(能札所礼性空寂・我此道場如帝珠ほか五例)
釈迦回向文(敬礼天人大覚尊・処世界如虚空ほか二
例)
釈迦歎仏之偶(如来妙色身)
浄土
宗総
合研
究所
研究 成果 報告 書
ll2
弥陀回向文(願我臨欲命終時・弥陀本醤願ほか三例
勢至回向(我本園地)
極楽聖衆回向文(哀感覆護我)
祖師団向文(自信教人信ほか二
例)
精霊回向文(其仏本願力・門門不同八万四ほか六例)
一切精霊回向文(
一切精霊生極楽ほか一例)
俄悔回向文(我昔所造諸悪業)
念仏開闘文(光明遍照)
念仏回向文(願以此功徳平等施
一切
) 諸宗回向文(願以此功徳普及於
一切
)
巻二では以上のほか︑我々が常日頃聞き慣れたり見慣れたりしているも
のでは時食儀(食作法)の偶文や︑袈裟を掛くる文(大哉解脱服)︑打鐘
の文(願此鐘声超法界)︑鳴鐘偶(願諸賢聖)等が出揃い︑巻三に於いて
は葬礼の導師︑脇導師の式法︑書式などがほぼ現在のような形であった
ことが窺える︒巻四では諸神回向文(神力演大光)や天下泰平回向文(天
下和順)も見られる︒必夢と宝洲︑それぞれの刊行に三十六年の隔たり
があるが︑香偶を前者は焼香回向文︑後者は焼香讃といい︑俄悔偶を俄
悔回向文・繊悔文と呼ぶなど︑偶文名称は必ずしも一
致し
てい
ない
︒
この﹃宝鑑﹄には各法要についての詳しい次第は書かれていないが︑断
片的に表われているところは半斉儀(巻二)に︑上香上華︑三拝の後維
那の句頭によって四奉請を入道場から唱和し︑続いて甲念仏・拍香呪食
(ナ モサ ルパ
J)此食色香味・弥陀経・尊号若干編・
後唄
(処
世界
)・
回向
・
三拝・諸仏随縁乃至願仏慈悲遥護念の記述︑或いは入仏略式(巻
一 二
)の
導
師三礼茶湯伽陀護念経念仏回向などを見出すことが出来る︒
この四奉請は恵一譜から︑天台の声明例時の譜であり︑次の甲念仏も声
明であるから︑当時節物に於いては多分に天台声明の影響があったこと
は確かであり︑更にはこの甲念仏(三遍の節付念仏)が賛念仏・三念仏
として鎮西・西山ともに法要に用いられてゆくこととも関連して︑声明
が与えた影響を見逃す訳にはいかない︒
一六 四 七︒七一七
また
︑﹃ 宝鑑
﹄の出された元禄時代前後は︑義山(正保四
1
享保
二)
や
一 七 五 七 一 八 コ コ 一
立日
激(
宝暦
七
1
天保四)などが出て︑三部経や法事讃などの音訓を正し︑八 仁 一 八 七 六 一 八 五 二
やがてこれが大雲(文化十四
1
明治九)に至って︑嘉永五年版﹃浄土三部経
﹄
!俗に云う大雲点本ーとして句読・四声・返り点・送り仮名など
が検討されて︑読語法の基本となっていくのである︒
徳川中期の学僧であり︑日課称名六万八万の行者といわれる四休庵貞
極(延宝五
1
宝暦六)は︑﹃浄土寺院朝夕勤行並回向文﹄のなかで︑浄土宗大小寺院︒朝夕二時三四時等之勤行︒第二祖鎮西上人善導寺
法則勤行︒初夜︑後夜︑始焼香︑次三拝︑初︑礼讃︒次弥陀経︒次︑
念仏
︒後
︑
回向
︒
右即以五種正行︒亦讃嘆正行︒亦是助正兼行也︒謂礼讃礼拝正行亦
是讃嘆正行也︒読経読諦正行也︒所称之名号選択本願称名正行也
︒ 能
称調声亦是讃嘆門当︒一仏二菩薩等壇上位次︑第八像観指南依︒