――目次―― 1,口絵,慈愍三蔵西方讃,印度指空三蔵将来梵筴八千頌般若経断片 2,文化科学としての宗教学,鈴木宗忠,Sōchū SUZUKI,pp.1-32. 3,使徒パウロの『聖霊』観(上),蘆田慶治,Keiji ASHIDA,pp.33-47. 4,仏陀時代の有神論(上),羽溪了諦,Ryōtai HATANI,pp.48-62. 5,松本博士の起信論支那撰述説の批評を読む,望月信亨,Shinkō MOCHIDSUKI,pp.63-75. 6,南岳大師と天台学,布施浩岳,Hirotake FUSE,pp.76-91. 7,北欧民間宗教の基督教化(下),松村武雄,Takeo MURAMATSU,pp.92-117. 8,三昧発得者の著書,慈愍三蔵の方西讃と法照禅師の五會法事儀,小野玄妙,Genmyō ONO,pp.118-131.
9,立国神話と歴史との関係,Marcel Granet, Danses et légendes de la Chine ancienne,
Paris 1926, 710 p.,赤松秀景,Shūkei AKAMATSU,pp.132-139.
10,朝鮮華蔵寺の梵筴と印度指空三蔵,岡教邃,Kyōsui OKA,pp.140-152.
11,最近の切支丹研究について,岸本英夫,Hideo KISHIMOTO,pp.153-158.
12,新刊紹介,pp.159-168.
諦︰坤 憾叫 鵜 川 醇 払
家=垣富還垂翌冨汽二感受遥転警笛法澄冨重苦
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︵勤諦密議脚尊弼沖︶
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¢77 l 宗教畢に関する〓個の問題 現今に於ける我陶の串間は、日本や支部に関するものを除いては、殆ど皆西洋から侍凍したもの である。宗教邸も亦基の一つである。尤もそれは侍沸してから、今日に至るまでに、多くの年月む 経て居るから、其の問に、我が国人に依って、殊に特殊な方南には、西洋の畢者にも劣らないやう な業琉を奉げたものがないとは云へぬ。けれ甘も宗教孝一般に閲し、特に宗教の本質如何と云ふや うな問題になると、今日も依然として西洋の思想に追従するの一で免れないやうに思はれる。 追従、必ゃしも不可ではない。嘩間の目的は、恥の奥を究めるのに存するとすれば、宗教嘩に於 ても、西洋の畢者の業績が、此の粘から見て、.立派なものでめ♭、邁常な凧のであるならば、昔々 が之に追従するのも、常然なことであらう。けれども吾々から見ると、岡澤の宗教耕究は.事の眞 を切にする鮎に於て、左程に立派なものでもなければ、叉除りに通蕾へ仏ものとは思はれぬ。然らば 如何いふ鮎が立派でないかと云ムに、帝一、西洋の宗政研究は、宗教と云ふ概念を作るのに、大磯 文化科挫ナてしての宗数学
文化科撃としての宗教学
忠 宗878 二 文他称畢亡Jて¢宗敬啓 王於て、韮替歌を基礎にした。固より基督教は、宗教の事象として、大切な領域を占めて居る。そ れ故に宗教串者が宗教を研究するに普って、それに重きを聡くのは萱雷である。併し票数の事象と しては、基督数の外に、偉大な沸教がある。勿論其の外にも、歴史に現れた宗教は坪山にあるけれ ども. 少くとも偶数が、宗致の串の眞を明にする鰯には、決して基督故に劣らない重要な悪銭を辞 って居ることは軍はれない。そうすると、基督敢を基礎にした宗教の概念で、其の事象の眞を明に することは、到底不可経であらう。 第二、かやうに西洋の宗教研究は、宗教の概念を作るのに.基替歌を基礎にするにも拘らす、不 思議な三とには、義隆致の研究は、所謂宗教邸の蹄外に存するのである。人の知る如く、基督敢の 研究は、一般に紳撃と挿せられる。我が国の大串に於ては.票数率は文率部の一革帯を成すに過ぎ ないけれども、西洋の大串に於ては、副挙は通常耐勢和と云ムー軍部を平石して居る。そして所謂 宗教準は、此の紳埋却の一隅に、僅に北ハの位脛を占めて居ることもめれば、又他の寧部の一準科に 屈することもあ一心。何れにしても、宗教興が大軍に現れるやうになつたのは.左礎に古いことでは ないが、之と同時に、若くは之より以前に、宗教燕的研究の影響は、既に釧寧の本土の上にも侵入 して雑た。即ち一方に於ては、歴史刷畢の上に、聖書批評の研究が現れて凍て、科蝉的に従妹の紳 準を一越したと共に、他方に於ては、組織加重の上に、宗教哲挙が起って凍て、宗教的油単を背
¢79 率的に改めようとして居る。かくして西洋に於ても.大挙に於ける神学が、宗教畢的にならうとす る傾向は、漸次に顕著になつて、既に或る固に於ては、油単部は大串の組織の上に府城した所もあ ト、又他の囲に於ては、消滅しょうとする所もある。結局は大串に於ける宗教率的研究は、世界を 通じて、日本に於けるが如くに、文革部の一単科になるだらうと恩はれる。けれども今日の所で見 ると、獅ほ西洋に於ける新邸は、宗教畢の玲外に存し、所謂宗政孝は、其の出費鈷を成す宗教の概 念を作るには、基替歌を韮礎にしたにも拘らず、其の括勒の舞姦は、基督致の拝外にあると云ふ奇 軌を丑して居る。此の粘から見ても、西洋に於ける宗教拳は、宗教の串の眞を明にするものとして は、荒浜であるとは思はれぬ。 節三、然らば現今に於ける南洋の宗教率は如何なるものであるかとこ石ふに、一方には紳邸から出 た宗故事挙があり、他方には、哲畢から出た宗致哲畢もある。此の二稀の宗故習畢は、其の起源に 遡ると、随分古くから存し、今日では特に狗逸に於て、可たアワに進んで居り、宗教研究としては、 有力なl部門を成すのであるが、併し殊に英米俳等に於て、普迫に宗教革と耕する場合には、この 稀のものを食まないやうに患はれる。今日宗教畢と云上のは、一の握まつた軌椅的な串間を指すの ではなくて、幾つかの宗教研究を紙耕して、喋然とさう云ふのではないかと考へられる。そしてか やうに組祁的に宗教撃と云ほれも宗教研究は、普池に解辞せられる所では、三秤若くは何種に包括 文牝科挙モLての宗数学 ∵
8き0 丈他科挙ミしくの宗教単 四 することが出水ると思ふ。一は、前世紀の後事に、英国に於て、†クそ、、エラー︵試買琵琶er︶の 創めたと云はれるもので、これは言語串の上から、文献に現れた宗教を研究tたのでみるが、今白 に於ては、此の系統を引いた研究は、大餞宗教虫として存在する。二は.一と殆ど同時代に、矢荻 り英観に於て、スペンサー︵H弓bま∽−空つer︶や、タイラー︵E・声ぜー弓︶の唱へ出したもので、こ れは人類率の上から、未開人に存すろ素数を研究したものでぁるが、此の派の宗教研究は、今日で は、一方に於て、宗教洗骨撃として存在し、他方に於ては、氏族心理撃として存在する。三は、宗 教研究としては、最も新しく、やつと前世紀の末に、水団に現れて凍たもので、現存の宗教をば、個 人心現畢的若くは欝放心埋寧的に研究する。普通に宗教心理葦と耕する。かやうに現今に於ける西 洋の所謂宗教邸には、三相若くは円浦存するが、其の節究の出費鮎としては、何れも基督致を基礎 にして作った宗教の概念に依ったと云ってよからうと思ふ。併し其の結果に於ては、宗教心理畢を 除き.他の二相邪くは三椰の宗教研究は、随分立替軟から離れて居る。そこで此等の研究の業績は 如何かと云ふに、霊感心理軍は、初めの聞は、恰程見込があるやうに思はれセが、か∼る研究は、 少くとも宗教研究としては、成功するものでないと云ふことが、次前に切になつて凍て、最近に於け る此の方而の傾向は、個人心理準的緬究から、敢食草的研究へ鐸化したやうに思はれる。之に反して、 宗教史、宗政敵食摩及び氏茨心職単になるとJそれぐ・l相皆の成蛮を貌げ、今日に於ては、締った
681 構成のある普選もへ甘い謬ではない。例へば宗放出ほ就て云へば、猫文のオレリの宗放免 ︵C・Y昌 Ore−−−−A唇邑已邑督n肇各iつぎ岩丘元文のモーーアの宗敢禁G・ワッぎe−崇百コ⋮訂・ 官夢笥0訂︶の如き、又宗教赦食草に就ては、デュルケムの著沓︵申せaTk訂im−H論評⊇窃邑かmen・ 邑r貌de−p昇一已普罵、︶の如き、民放心理隼に就ては、ブントの著書︵ダントには宗教の民族心 理邸的研究に桝する潜沓が≡秤あるけれども、今の日的には、W・弓uニ声£詳er軍C︼岩−鼠。・N乱す 謬nd首t一一宏已鼓〓評言甘一Dを碍丁芦を奉げなければならぬ︶の如きがそれである。けれども宗 教史は、宗教の螢連を歴史的に述べたもので.基替歌は勿論のこと−彿数も、吾々の中に生きて居
るものとして、︼これを取扱って屠るのではないから、此の研究は、宗教の本貿如何と云ふや亨な間
超に射しでは、通常な解答を典へることは出凍ぬ。又宗教統合塾や民政心理寧は、未開人の宗教を
其の封象として居るが故に、韮頼政の巾に銑沼し、彿数の中に生前す皇冒の宗教事象を龍倒する
ことは出辣ぬ。かくの如くに考へて舐ると、西洋に於ける現今の所謂宗教挙が、宗教の箪の英を別
にするものとしては、立沢なものでなく、通常なものでないと云ふのも,強ち過ヤ・lではなからう。 元来㌫致寧は、申開的性質から云へば.倫理草や発揮と同列な位寧好古めると考へられる。けれ ども西洋に於ける現今の研究状態から云へば、宗放塾は.此の両軍問に封して、決して同日の諭で はないと思ふ。倫理邸や業畢に於ては.櫛成ある串老が、辟まつ佗僧系番を番いて居るやうに恩は 文化科邸ミLての療秋草 五682 れるから.書々は自ら学習するにしても、又他に軟投するにしても.之一ぜ教科書として、追従する ことが出水るし、又追従しても左程に不璃督とは思はれぬ?然るに宗教単に於ては、前述のやうに、 各分野に於ては、それハ1捉まつた書物もあるけれども.宗教孝一般に関しては、通常な教科書に すべきやう汀了ものはない。尤も宗教哲拳、殊に暫畢から出た宗教哲轟になると、最近燭逸に於ては、 澤山な著逓が現れ、宗教単一般に関するものと見らるべきものも碓にある。一九〇四年に.トレル チ︵T邑邑−︶が﹁二十世紀初頭の哲拳﹂に於て、﹁宗教哲塾﹂を論じた時には、近頃宗教の組織的研 究は振はないと云って居たが、現世紀の十年以後になつて、宗教哲単に関する事物が漸く現れて凍 て、最近には、メーデソ畢派にも、†−ルブル〆畢泥にも、又現象畢派にも、其の憶系書とも云は るべきものを番いて居る人々が、決して少くはない。特に、此の外に、リール︵Ric≡︶の系統を引 いたと思はれるキールのショルツ教授は、一九二二年に、其の﹁宗教哲学Lの二版を出して居るが︵H● 哲宮古∴野︼直吉旦一i−宰p︼一ie︶ 此の寄は三部に分れ、初に宗教の本栗を論じ.次に其の表現を論じ、 最後に其の輿理内容を論じて居る。此の啓などは、宗教串一般に圃するものとしては、先づ通常な 方であらう。けれども雷々から見一¢と、一般に燭逸の宗教哲率は、宗教率一般に関するものとして は 不十分な研がある。第一、それは宗教の問題を諭するに普って、科挙と背畢との厩別に故意し ない。固よb票数の本更に閲する問題を究先約に研究しょうと思へばロ吾々は結局哲畢へ這入らな 文化科挙ゴてしての宗教学
683 ければなら氾けれども、宗教の事の異を明にする眉には、先づ科挙から進むの必要がある。第二、 西洋の宗致哲率は、一般に、如何なる問題一で取扱ふにも、基督数を離れることが出凍ぬ。このこと は、否々が既に述べたやうな意味に於て、宗教の木偏を明にするとしては.不十分である。 かやうに考へて凍ると、西洋に於ける現今の宗教畢は、特に宗教の本質如何と云ふやうな問題に 関しては、不十分なものでふγり、不適雷なものであつで、吾々は之に追従して、自ら足れりとする ことの不可能なことは明であらう。果してそうであるならば、我図に於ける宗敷津究宕は、技に困 惑胱岱に陥らざるを得ないだらう。然らば此の困惑状態扇免れるの方法如何と云ふに、吾々の考で は.之を免れるの途は二つある。lは宗教畢の畢問的性貿を明にすることで、他は宗致邸の撃史的 研究をなすことである。此の二者は、宗教単に限らす、凡ての畢問に於て、それを立て直すの必要 がある場合には、是非とも解決しなければならない問題であると思ふ。如何に新しく立て正すにし ても、材料は古いものを用ゐなければならないこともあるし、又組立ての仕方も、古いものに学ばな ければならぬこともある。それ故に昔々が串間を立て直すに皆っては.光一従妹の研究を吟味し.取 るべきは取り.拾つべきは捨てなければなら駒。併し此際其の収拾には、標準を要する。これが串 間的性貿でぁる。串間的性肇を明にしなければ、如何に畢史的研究をしても、徒凍の研究の意義を 知ることは出水ぬ。そこで吾々は今宗教邸に閲し、此の二仰の問題有明にして、其の新建設む計ら ヽ 文化科拳ミJての宗秋型 七
84 うと思ふ。 貞V
〓 宗教垂の肇同約性質
宗教の研究、特に宗教の本質如何と云ふやうな問題を究克的に解説するには▼前にも慣れて置い
た如く、科寧の領域を越えて哲撃へ這入らなければならぬことは、昔々も之を認める。このことは、
㌫敢や市坪の概念一で如何やうに定めるにしても.殆ど凡ての畢者が、英存一ぞ挟まないであらうと‖心はれる。換言すれば、宗教の究克的研究は、宗教哲単になるのである。けれども宗教の本貿に捌す
る研究は、先つ科準として始めるのが、通常であると考へるじ換言すれば、宗教学ピば習撃として軌
範するのでなく、科塾として立てるのである。勿論か∼る見解には、典諭を挟む畢潜も少くないであらう。宗教は奥の意味に於け一エポ敢常畢でなければならぬと主張する人々もある。併し宗教邸は、
吾々が前節に逓べたやうに、其の現今に於ける胱騒は、大燈に於て、之ヤ科撃として研究して居る
のである。それ故に吾々が今宗教率の串間的性頃を明にするに際しては、少くとも北ハ打出費鮎とし
ては、之を科撃として見るのが邁茸であらうと考へるのである。
普通に科挙には二椰撤あると考へられる。此の二椰類の名碑に就ては、通俗的には理科の率、文
科の率と云つで屠るが、畢同約に云へば、理科の畢は自然料率と稲し、文科の畢は、椅紳科単著く
は文化科率と榊する。かくの如く科単に二抑類あることは、一般に認められて居るのであるが、此
文化科撃ミしての宗軟畢 八6$ぶ
の二椰凝の相違は・単に程度の差に過ぎないものでぁるか・若くは性質の差を意昧して居るかに就
ては.串間諭の上から見れば、意見が分れて居る。此の科挙の二椰茹は、程度の差に過ぎないものであるとして、串間諭の上から、之を基礎付けた
ものはカントである。勿論カント以前に於ても・利率のことを論じたものはあるけれども、異に串
間諭の立場から、科邸は性質上唯二椰叔のみであるとま張したのは、カントに始まる主諒なけれ
ばならぬ。カントの考では・串間の対象は唯自然のみでぁつて、これから自然科挙が起って凍るの
である。尤もカントも自然科率の外に、他の科率の存することを認めない謬ではない。併し学問ぬの
上から、科挙の性琴ぎ諭すれば・何れも常自然科寧的のものであると云ふのである。此の思想は、
カント以根購く行はれて、胃怨料率者は顛諭のこと、精神科串乃至文化科攣の研究に従軍する人々
も、大悦に於て、之に随って居たやうに思はれる。哲邸者に就いて去って見れば、新カント派の†
lルブル〆軍況の人々が・此の思想を澄展させ、更に徹底した見地から、之を基礎付けで屠るので ある。否々は此の思想を科挙上のい元重義︵dermetl岩d〇︼鼠se訂茅nisヨ息︶と名ける。科畔上の一元ま魂に対して・科率の二椰額は、畢に程度の差でなく、全く性貿の差であると詫張
する意見がある。吾々は之哲科嘩上の二元ま襲d2昌e旨dこl嵐㌢許せ㌢lぎus︶と名ける。此のm心恕は、
其の山水する朗ぉ尋ねれば、決して新しいとは云へない。カントも一元ま鶉
を産或はしたけれども、
文化科串ミLて¢宗教串686 一〇 文化科準与しての宗教学 十分に之を相成した評ではなく、見方に依っては、其の思想の中に、二元主義を容れる除地は存し たのである。けれども此の思想が、明に基の萌芽を現したのは、ヘーグ〝でぁると云へェう。紋は 自然新邸の外に、糀榊科準の存すること一ピま張して、此の両者は、畢悶の惟肇上薫ったものと考へ たやうである。近頃になつて、此の‖心想を後屈させて、明に精細科草の覇立をま張したのは、ブン トつ壬lld什︶やデルタイ︵Dニtご書こ等であらうと思ふ。併し科挙上の二元主義をば明白に主張して、 之を訟誠論の上から基礎付けたものほ二新カント汲のメーデン畢派である。〆−デン摩況に於ては、 二元ま或は、其の雄設着でぁるクインデルバンド︵Winde︼b呂︷︼︶が基礎を定めたのであるが、之を確 立したのは、リッカート︵−宇kま︶である。此の畢放では、自然科挙に対して.他の一方の科邸を ば、歴史嘩、歴史的利率、文化科寧などゝ耕する。 かくの如く、現今に於ては、科挙の性質に掬して、一元ま我と二元葺義とが行はれて居る。勿論 此の両者の重殺には、何れにも粕蕾な粗放は存する。吾々は今庄で委しく諭符することは出凍ない、 が、基の結ぬを虫げると、第一、紙質の上から見て、一元ま義は現存する凡ての科挙に、論理的基 礎を輿へることが山姥ない釦一軍考へ、第二、理論の上から見て、自然科学的方法には、越え難い限 界のあることを認め、山元或哉を拾て、二元ま鶉を政るのである。吾々が二元主我を取るに就いて は.大倍に於て.メーデソ畢泥の黄張一里認めるのであるが、之と同時に、其の映鮎をも見逃すこと
887
は出水ぬ。二元ま義と云ふ根本ま張を此の邸放から取♭、委曲の鮎に於ては、殆ど全部を改造して、
新しい形の二元ま鶉をま張するのである。今之を詳細に論述することは出家ぬから、其の概略空不
すことにする。第一、二元弐義の税政に就いては、クッカートは、兇つ科挙の対象である現欝界を
ば、構成的現賓形式︵詳邑it象くこくir︼ハーie芹ei−s評men︶に依って構成し、その上に方法論的認識形 式︵莞t−1已。︼。g訂︼−eErke⋮︼t−−iさr−dell︶に依って、自然科垂と歴史畢との対立を引き出さうとするのであるが、之に対しては、マールブル〆畢派からの批難もあ♭、其の他からの改革もあつて、現存
のまゝの形では、到底之を支持することは出水ない。之・ぎ改造するには、†−ルブル〆畢汲の改も、現象邸泥の改も、非常に貰献する所はめるが、それだけではまだ十分でないやうに思はれる。此の鮎
から見て∵;ラづハルトマン︵呂eOl已︼寧誓tmPun︶の立場は、詑としては随分如何はしい所もあるが、 一方に於て、それは†−γブルグ畢派の欠鮎を斥け、他方に於て、現象孝次の長所を捉へて、自己 の新しい立場を作らうとして居る研から見て.書々に塵考となることが少くないのである。何れにしても、二元ま鶉をま張する鰯めには、吾々はリッカートの詭を根底から改めなければならぬ。第
二、方法に就いては、リッカートは、自然科邸に対して歴史畢の問立を壷麗するのに、一カに於て
は、個別化的方法︵iロdi象邑試erelld︶をま敬すると共に、他方に於ては、僧侶舶係の方法︵Wert﹃ 卦−−end︶をま窮する。勿論此の二個の方法は、彼に在っても、結局は同一に締着するけれども、此 文化科畢モLての索敵さ658 一二 文牝科挙ミLての宗枚挙 の率説の欠鮎として、両者の聞係のそこに到るまでの経過が明でないことは、.寧はれない事賓であ ると恩ふ。それが焉めに、科邸の二椰斬の中で、一方の自然料率は、常に自然利率でぁるのに、之 に封立すべき他方の科塾は、帖には歴史邸、若くは脛史的科率と云ひ、時には文化科塾と銅せられ る。吾々は方法に閲するメーデソ邸況の此の暖味へ仏鮎を斥けて.自然科軍に封立すべき他方の科挙 は、一義的に侶偶脚係の方法を取るペきことをま現する。払って其の名揮の如きも、自然科寧に対 立すべき科軍は、何塵までも、文化科畢と云ふのである。自然料率は、何位′で離れた見方で、普追 的法則を朋たするのが目的であるが、之に反して、文化科串は、職位悌係の見方で、何位の現れた 串質一箪罪めるのが目的である。勿論自然科挙の対象である自然は、同一なものが幾たびも捜す起さ れ・Qのでぁるが、文化科邸の封象でぁる文化は、所謂一同起的︵e㌻m已ig︶なものである。換言すれ ば、自然には犀史はないが、文化には歴史がぁる。此の粘から見て、文化科塾を歴史的科撃と耕す るは、少しも差支へない.。けれども文化に尿史のあるのは、それが僧侶を食んで居るが男めであ る。それ故に其の未現の上から考へて、此の科塾を歴史的科塾と云ひ、其の方法一ざ個別化的と稀す るよりも、頻ろ其の根本に疑って、侶血細係の見方に依る文化科撃と挿する方が、応に通常であら うと〓心ふ。更に考へるに、文化にほ、歴史的に明にすべき方面がぁると共に、机椅的に究めなけれ ばならね方南がある。文化を握史的に別にするには、其の材料はぇを比較的に青々に泣い過去の文
伽9 化に取り、且つ其の際に関係せらるべき個億は、個々の侶僅でぁるが、文化を組玲的に究めるに は、現在の文化を材料とし、普遍的僧侶に関係させるのでぁる。勿論前の場合に於ても、個々の慣 伍は、普遍的職位一で玲恋して、始めて串間の客根性が成立するの・であるが、併し彼の場合とは、明 に英って居る。苑してそうでぁるならば、文化科率には、歴史挙があると共に、組織率の存するこ とも怨めなければなら温。此の粘から見て、吾々は文化科畢は、歴史塵で亜きて居るとし、自然科 挙に対立すべき他方・∽科畢を歴史撃と耕することには反射する。青々の考に依れば、科挙の醗系と しては、自然科邸は、其の性質から見て、唯組織率のみであるが、之に反して、文化科邸は、其の 木偏の上から見て、一方に歴史挙が在ると共に、他方に組織率が存する。 以上で雷々は科坪の性栗を概論したつもりであるが、然らば珪に問題とする宗教畢は、科畢の二 椰類の巾で、何れに屈するかと云ふに.多く諭するまでもなく、それは自然料率ではなくして、文 化科邸である。宗教は吾々の理想であつて、それが賓現せられた何れの形を取って見ても、其の中 には何位が合まれて居るのである。それ故に之を畢問の対象として構成する場合には、何位を耽れ ては考へることが出凍ない。此の粘から見て、宗数に関する科率は、文化科邸でなければならぬ。 既に宗故に関する科邸が、文化科畢であるとすれば、吾々が前に論じた所に従って、それは其の性 感として、脛史畢と組織学との二者を合むべきである。そこで書々は、宗教に閲する歴史寧を宗教 文化科争ミ︺て¢宗敢蓼
¢90 文化科畢亡Lての京扱醸 一日 史と補し、其の組織恕を宗教学と名ける。亨フすると書々が問題とする宗教畢は、結局宗教に脚す み約械的文化科撃£貰藷.下みふ。 宗教に関する歴史邸が宗教史と挿せられ、それが文化科邸として成立することには、串間諭の上 から見ても、別に典砥がぁらうとは思はれない。けれども組私邸としての宗教率が、果して文化科 畢として成立すべきか否かに就いては、大に攻究の伶地がぁるやうに考へられる。併し之一ど諭する には、先つ宗教率の軍史的考察をしなければならぬ。 三 宗教畢の畢史的考察 現今に於ける宗教研究は、既に吾々が節一節に述べたやうに、大憶に於て、之一三ボ敬啓草、宗教 史、宗教社食邸、宗教心理畢の四椰類となすことが出水よう。勿論此の四椰窺ほ、何れも菅宗教に 関する研究で、其の鮎に於ては、連絡するものでぁるが、串間として見れば、各特典の俄域を縛っ たもので、相互に猫立して居ると考へられる。併し他方面から見ると、此の四椰翫の研究は、或る 意昧に於ては、何れも竹宗教の本質如何と云ふ問題を解決しょうと自作して居るやうに思はれる。 即ち㌫教習寧ほ、暫挫的に㌫恋わ本褒一で究明しようとするもので、此の方法に依らなければ、此の 問題を解決することは出水ないと考へる。換言すれば、宗数哲学が奥の意眈に於け右京致畢である とま窮する。之と殆ど同様に、宗教史は歴史畢的に、宗教乱骨撃は政令革的に、宗放心理畢は心理
691 畢的に、宗致の本質・ど究明しょうと考へ.各宗教畢を以て自任して居る。かやうに考へると、此の 四椰類の宗教研究は、何れも皆,吾々が前節に述べたやうな意味に於て、組織的文化科邸としての 宗教塾であるやうにm心はれる。換言すれば、此の四縄類の研究は、宗教研究の狗嘉した分野で くして、何れも常宗教邸の軍派とな一ヱ評である。青々は此の四椰類を、仮にそれぐ暫撃汲、歴由 畢喝就骨坤喝心理坤派と名けることにイる。然らば此の四畢派は、普々の主張する組織的文化 科尊としての宗教堺に射し、如何に閲係し、如何なる寄輿をなすものであらうか。 宗教塾の革史的見地から考へると、此の四笹沢の中で、最初に現れて凍たのは、歴史笹沢であら ぅ。宗数嘩 Sni2n語ら謬葺i呂と云ふ名耕も、此の拳仮の建設者である†クで、、ユラーが、初めて 之を唱へ出したものであることは、人の舵く知る所である。尤も之より以前に、Seie︻lCed金relig5.己 と云ふ語が、彿街商に行はれて居たことは、彼も其の﹁宗教畢概論﹂の中に、之一で引いて居るので、 ヽ 明であると思ふが︵︼ハmi訂Prn2−︻は其の著ビ:乱e口語d畠reli官巳の初めに、彼臼身が此の語を始め て用ゆると言って居る︶∵これは﹁誹宗教の率﹂と云ふ意簸で、宗数学と云ふのとは、全く同一とは
ぐ
云へない。勿論†クで、、ユラーの宗教草も、諸宗教を比較研究したものではあ一心けれども、其の口 約は、宗教基の物の本質を切にしようとした所に存する。彼は宗教研究をば、理論紳準 芦彗etiO TF邑○喝と比較翻塾C呂つ弓註くeTll邑0喝とに分けて、比較醐畢を以て宗数嘩となしたのでぁる。弦 文化科郡モLての宗枚挙892 〓ハ 文化林学ミしての宗教争 に云ふ理論紳革は、彼自身も云ふやうに、宗教哲傘のことであら予比較朋輩は、彼以後一層別にな ったやうに、其の欝貿に於ては、宗致史と薫ったものとは思はれぬ。それ故に此の申派の宗款堪と耕 するものは、結局宗敢故に外ならない.。併し義教史哲以て宗教塾とするやうな考に射して、満足し ないもの∼起って凍るのは皆然のことで、既に†クそ、、ユラーに琉いた此の率液のチーレ ︵C・弓・ ゴe︼e︶の如きも、其の宗教学醗系一宮立てる場合には、形媛畢的部門呂Or与ご︼−︶gi己PPl・tと本隈費的 部門○−1邑凰已謬rtとを分け.宗致拳は此の両部門から成るとした。彼は所謂形腿邸的部門は、 †クで、、エラーの比較紳寧に普り、・本健率的部門は、其の理論紳単に常るものと思はれる。これ で見ても、チーレが宗教寧で以て宗敢率とすjことに不満足であつたことは判然すると肘心ふが、彼 自身も明に宗教邸は、英の意眈の宗教智串でゐむと言って居る。其の後になると、歴史率派に於て は、宗教史が宗教邸の公億であるか背かと云ふやうな問庖は、倣う考へることなく、翠に宗教史一で 宗教史として研究したのではなからうかと思はれる。 けれども宗故に用する科挙は、革問の性質から見て、文化科畢である以上は、吾々が前に論じた やうに、それはl方に歴史的方面があると同時に、∴他方に机紙的方面の存することは、其の本質上 の要求と云ってもよいのでぁるが故に、それが罪に宗教史だけで存在することの出水なくなるのは、 理の骨然と云はねばならぬ。更に之を革質に就いて調べて見ると▼宗教研究に於ては、其の組織的
693 方南の研究が、常に宗教史のそれと伴随して居るのである。そして此の二者の伴随は、書々の見る 所では、大櫻二の行き方がぁるやうに思はれる。一は英米彿等に行はれる謂はゞラチソ系統の行き 方で、他の一は弼乙等の謂はばゲル†ソ系統の行き方である。 先つ前者から述べると、英米俳等の詩的に於ては、宗教史の研究に件随して、一方に赴骨畢派の 宗教研究が起り、他方に心理邸派の宗教研究が起って水た。政令率涯の宗教研究は、昔々が麓一節 に述べたやうに、 スペンサーに依って、創められたものであるが、其の常時に於ては、人類畢派︵A, 已hrO凰凰eP−哲h邑︶の宗教研究と云はれた。蓋し歴史畢派の宗致研究が、言語の研究から起って水 た所から、言語畢汲︵P−1i−○︼凰c已S。−1邑︶と云はれたやうに、融合畢派の宗致研究は、人類嘩の研 究から起って水たので、人頻畢疾と云はれたのである。人類畢派の宗教研究は∵主として未開人の 宗教を以て原始宗致となし、之を人類邸的に研究するのであるが、此の畢況に於ては、宗教の特色 は、最もよく原始宗教に現れると考へるが故に、原始宗教の研究は、即ち宗教の本質に関する研究 であつて、これがやがて奥の滋味に於ける宗教畢となるのである。それ故に此の率派の研究は、既 に其の初めの時代に於ても、宗教の組織的研究を以て自任して居たことは明でぁると思ふが、此の 仰向は、それが近頃になつて、一方俳蘭画のデュルケムー涯の宗教配合率となト、他方狗泡のブソ ド一派の民族心理畢となつてから、轟々鼠若になつて水たと考へられる。勿論此の邸派の宗致研究 文化科孝一J・しての宗教畢
69l 文化科拳童Lそ占宗秋型
一八
は.之に従姉する人々から見れば、唯一の宗教畢であつて、強ち宗教史を禰ふと云ふつもりはない かも知れぬが、書々が畢史的見地から考へて.、少くとも其の結果に就いて云へば、宗教史の研究が 宗教の歴史的方面に偏するのに封して此の研究が、宗致の組織的方面を研究して、其の足らない 朗を祁ふ役目を試じたと見ることも出水ようと思ふ。 心理串汲の宗教研究は、撃史的見地から考へると.最も遅く起って務たもので、其の筋聖地は亜 水利加に在った。宗教心埋邸と去‡名碑を初めて世に打ち出したものは、スターノック︵S什弓bPつk︶ であらうと思ふが、其の初期に於ては、應用的方面に蒐きを置くホール串派︵lI已lSeざu︼e︶と理論 的方面に傾いたゼームス畢派︵J呂窃筐11−−e︶とに分れて居たが、後になって細交叉して裁たと云っ てよからう。此の箪派の研究は、彿閲西に僻はヶ、狗泡にも樽はつたが、殊に弼泡に於ては、特典 の教逢をした。宗致史の研究が、過去の宗教を対象とするに対して、心理邸派の宗教研究は、主と して現在の宗敢、即ち現に普々の問に生きて居る韮督敢一でば、個人心狸塾の立場から、謂はゃ構断 的に研究しょぅとするが故に、それは飢琉的の宗数研究であると云はぬばなら氾。尤も此の邸沢の 研究も、叔近に於ては、其の方法が個人心椰学的から、敢命心環革的になつて凍たと共に、其の封象 も、現在の宗教から過去の宗数、特に原始宗教に建って凍たやうに思はれる。此の粘から見ると、 心理嬰涙の宗敢研究は、大に敢食邸泥のそれに接近し、多少宗教史の研究に一致する所もない評で695
はない。併し大慨の上から見れば、心理拳派の宗教研究は、少くとも其の動機に就いて云へば、組
織的研究であつて、宗教史の足らない所を補ったものと考へることが出凍る。
かやうに英米彿等に於ては、軋骨率派及び心理畢派の宗教研究があつて、共に宗教の組織的研究
をなし、宗敦史が宗教の歴史的方南の研究に偏するのを補つで居るが.他方から見ると、此等の観に於ても、此の目的の翁めに、多少暫笹沢の宗教研究も行はれて居る。併し宗教暫塾は、大憶に於
て、狗泡に猛に行はれて居るもので、英米傭等の暫畢派の宗教研究は、何れも覇逸の系統を引いた
ものと云ってよい。それ故にラチソ系統に於ける宗敢の組絞的研究は、一口に云へば、社食邸況及
び心理畢疲の研究で菰き一t居ると耕しても不常でなからうと思ふ。次に狗泡を始めダルマソ系統の諸国に於ては、歴史的方面の宗教研究に偏した宗教史の不足畝祁
ふ鰯めに、宗教の組織的研究は、まとして暫畢派に依って行はれて居る。勿論此等の固に於ても、
現今宗放出の研究は盛なもので、大串に於ても、赫畢部若くは哲邸部に.之に脱する堺門の教授も懸かれ、講義も開かれて居る。之と同時に、宗教史に関する著述も、個々の宗教に就いても、繹山
に存するが、又宗教史概説も、或は一人の手に依ってなされ、若くは多数単著の共同に依って作ら
れた。けれども此の宗教史の研究は、殆ど常宗教の歴史的方面に限られて居るのであつて、之に徒
節する嘩者も、明白に若くは暗猷の問に、之を怒めて居るやうに思はれる。それ故に出揃敦研究とし
文化科串モしての宗散華C8¢ 文北科挙ミJての宗散華 二〇 ては、此の外に、組織的研究がなければなら閃。これが即ち宗教哲串である。宗教哲塾は、書々が 第一節に述べたやうに、両軍から出た宗教哲革もぁり.哲塾から出た宗教哲串もあるが、概して云 ふと、大串の紳軍部に於て行はれる宗教薯轟は、前者に屈し、宮邸部に於て行はれる宗教哲畢は、 後者に屈するやうである。併し今日に於ては、何れの宗教背拳も、紳邸として研究せられるものは なく、常習轟として研究せられて居ると云ってよい。殊に股近の狗泡に於ては、何れの宮邸々汲も、 盛に宗教者隼を研究し、之に徒節する畢老は、之を似て暫率の一部門とすると共に、奥の意味の宗 教撃となして居る。換言すれば、彼等は宗教研究の歴史的万両一ざ宗教史となし、其の組織的方面を 宗教哲撃となし、此の二者で、宗教研究の仝慨は、.鋼凝せられると考へる。尤も猶逸に於ても、成 る方南には、宗敢の組絨的研究は、異に哲率的に行はれるのみでなく、科挙的にもしなければなら ぬとま張する人々も決してない評ではない。此の場合に於ては、宗教心埋畢が、宗教の組織的研究 となるやうに思はれる。一九〇四年に出たトレルチの﹁宗教単に於ける心理と認識論﹂と云ふ論文 は.最も好く此の傾向・ざ示すものと云ってよからう。これは一つは、文化の研究は、哲密約に行は れると共に、科学的にも注げなければなら氾と云ふ串間諭上の理由にも因るのであらうが、もう一 っは、猫泡に於て、並水利加の形琴で受けてから、殊に盛になつた宗教の心理塾的研究の刺激に負 ふと云ふ郡賓上の理由にも裁くのではなからうかと考へる。
69丁 以上で吾々は宗教学の性栗を明にする食めに、其の畢史的考察をしたが、進んで串間的性質の上 から、之を批評しながら、昔々自身の見解を逓ペようと思ふ。 宗教研究に於ては、始めに歴史率派が起って凍て、宗教史を以て、奥の意味に於ける宗致畢となし たのであるが、此の見解は、串間諭の上から考へても、或る意味に於ては、正常J認められないこ とはない。蓋し宗教邸は、自然科挙でないとすれば、リッカートの考へる如く、それは文化科畢と して、歴史拳でなければならぬからである。けれども吾々の考に依れば、文化科率には、一般に其 の本貿として、歴史螢と組織率とがあるが故に、宗教に関する科挙に於ても、宗教史の外に組比率 としての宗教学がなければならぬ。此のことは、文化科率一般に関しても、又宗教研究に就いても、 ヽい 侶櫨は.何等かの仕方に於て、普遍的な宗数的惜庇に聞典するか、それでなければ少くとも之を汲 今こ∼でもう一度宗敢研究に就いて、特に説いて記かうと思ふ。 奴に書々のしば︿論じた朗であるが、それは音々の所説登他に於て、重安な諭鮎と考へるが故に、 宗教に関する科挙が、宗教史だけで十分でないことは、宗致史の性貿を吟映して見れば、明にな る。宗教史は文化科邸として、宗教の郎質を決定するには、宗数的惜伍に関係させられる。けれども 此際に閲係させられる宗教的伯低は、個々の曹該宗教に含まれる宗教的職位であつて、普通的な宗 教的職位ではない。併し宗教史が、文化科邸として、客級性を有する焉めには、其の個々の宗教的 \ 文化科嬰ミLて¢某蔽由
698 文化科畢ミしての宗政塾 二二 想するものでなければならぬ。そして宗致史が文化科畢として成立する超めに、普遍的な宗数的岱 伍を汲想することは、か∼る億低の蟹現せらるべき宗敬一般の串欝を汲想することである。而かも 此の宗教一般の串賓は−票数率に依って組織せらるべきものではなからうか。果してそうであるな らば、宗教史が歴史的文化科撃として存在する袋めには、既に軌耗的文化科邸としての宗教畢を汲 想すると云はねばなら閃。勿論普遍的な宗数的憤伍の賓現せらるべき宗教一般の箪賓を研究するこ とは.個々の宗数的串賃の研究が完成せられて後に、始めて可能であると考へられないことはない。 けれども個々の宗教的那智を研究するには、其の根底に於て、宗教一般の新野を像想する。換言す れば、飢餓串としての票数邸は、歴史塾としての宗教史の研究の特典として始めて起って魂ムので はなくしで、宗教史は既に其の出費鮎に於て、宗教率を汲想するのである。 宗教史の外に、組織率としての宗教挙が存しなければならぬと云ふ此のま張は、宗致率の畢史に 於て、宗教史の偏狭を祁ふが男めに、一方ラチノ系統の宗教研究に於て、宗教敢曾邸と宗教心埋撃 とが起♭、他方ゲル†ソ系統の宗教研究に於て、宗教哲挙が起ったと云ふ韓穿からも、詑明せられ ることゝ思ふ。然らば宗教就食草、宗教心理学、宗故習畢の三者は、宗致の組織的文化科撃として、 串間論の上からも、果して正常と認められるかと云ふに、事々は之に対して、然りと答へろことは 出水ぬ。
票数心理嬰は、少くとも其の初期に於ては、個人心理畢的方法を用ゐて、宗致の本質を明にしよ ぅとしたと考へられる。弦に云ふ個人心理率的方法は、自然科挙的方法であつて、慣臆一宮離れた見 方に依って、普過的法則を究めようとするのである。それ故に宗敢の輯欝が論じられても、それは 質例として引合に出されるのに過ぎないので、其の日的とする併は、宗敢猫自の事賓一で明にするの に存するのではなく、之を謂はJ遊具として、心理一般の法則を明にしようとするのである。そう して見ると、宗教心聖撃は自然科畢としての心理学の一部でみつて、組織的文化科撃としての宗敦 畢と云ふことは出水ぬ。勿論此の解辞は、初期の宗致心埋畢に関して論じたもので、之一で以て宗歓 心理邸仝憩を律しょうとするのではない。心理塾は箪に自然科挙として春立するのみでなく、他の 方法ぉも取b得るのである。それ故に若しそう云ふ心理革的方法に逝く㌫放心理軍があらとすれば、 青々の今の識諭はそれには懲らない。それはさて龍き、宗放心埋率の北ハの彼の鞍連に就いて見ると、 それは個人心理畢的なものから、洗骨心理畢的なものに担った。之に関する批評は、次に宗教配合 率を諭する時に法る。 宗教敢食草は、主として未閑人の宗教を材料とし敢骨心理畢的方法に依って、宗敢の本栗を明に しょうとするやうに恩はれる。此の宗教研究は、之を宗教史の神助草科として見れば、其の二叩分 ㈱ とも見るべき宗致の起顕、若くは原始宗教の解明に貫献する桝の多いことは軍はれない。けれど も 失地耕拳ミ・しての宗秋拳
700 文化科摩ごJての宗軟撃 二田 之を宗教に園守る組織率として見れば、串間恋の上から考へで、少くとも二個の欠凱がある。一は 宗教敵脅塾が其の材料車用飴宗教から取ることであるが、宗致は文化として一回剋的な牲栗を有す るが故に、.未開人の宗教は、文化人の宗教と同一ではない。此の畢泥の人々の考に依れば、原始人 の宗教は、一般に宗教の特栗を敢も好く現して居ると云ふのであるが、これは宗教が文化であるこ とゑ慧竃い研から起って凍るのであつて、宗教研究者としては、根本的な誤謬であると恩ふ。未 開人の宗教を如何に研究したからと云って、文化の進んだ現在の書々の宗教の性貿を明にすること は出水ぬ。.此の鮎から見ても、吾々は宗教就骨撃を以て、軌織的文化科邸としての宗教螢となすこ とは不可瀧である。次に宗数政令串は、宗教を以て統合現象であると考へ、之一ざ牡曾心理邸の上か ら研究しょうとするのでぁる。吾々も宗教が敢行現象でぁることは、之を認める。併し政令現象を ば、軋曾心理率的方法に依って明にしようとすることは、結局は政令邸を心理畢の一部分とするこ とであつて.敢合鍵の方法としては通常であるとは思はれない。仮に一歩を譲って、心理畢的方法 が灘骨邸の方法として通皆であるとしても、之に依って研究した宗教軋骨塾は、敢骨畢の一部分で あ.つて、ふポ故に関する組織的文化科畢としての宗教畢でぁるとは考へられない。 最後に衰激常邸は、票数の脛虹的方南は、宗教史が之七研究し、其の組織的方而は、宗教哲畢が 之奇跡廃するものであるとま窮する。前にも述べたやうに.吾々も宗教の究克的研究は、哲邸の鶴城
701
に進ヤべき牒のであると考へる。けれどもこのことから直に宗教に関する科畢は、宗致史だけであ
って、其の組織率は、宗敢哲塾でなければならぬとは云へない。科挙と哲畢との芯別に就いては、
郁々の意見がぁって、容易に之を断定することは出水ないが、潜らく番々の考を述べると、科畢は
設臼を諭するもので、哲塾は芝lcnを研究すろものではないかと思ふ。之を宗教に就いて云へば、 \ヽ・\\ 普遍的ぢ宗教的僧侶袈物一で研究するのが宗教督邸で、か∼る宗数的侶伍の賓現せられる串賓を研究するのが宗教科率となるのでぁる。勿論普遍的な宗教的慨伍の賓現せられるのは、個々の宗教的串
欝でぁつて、此の宗教的串聾む決定寸るのが宗教史であると思ふが、宗教史が串間として客観性を
和する男めには、一方に於て、それは普逼的な宗数的職位を扱恕すると共に、他方に於て、此の普
遍的葱芸的侶位の欝現せらるべき㌫数山般の郡質を孜想すると考へる。か、る宗警般の革質を
研究するには、罪に之を決定するに止まらないで、之一ど組織しなければならぬ。此の研究は、慣位
其物に関するものではなくして、億孤の鱈貌せらるペき串賓に関するが故に.それは西軍でなくして、・利率である。これが組織的文化科準としての宗教捌である。果してそうであるならば、宗故に
関する料率は、決して山ポ放出に限らるペきものでなく、組織率としての宗教革も存しなければなら
ぬ。か.くの如くに考へて、吾々は㌫放出が正接に汲想するものは、宗教哲学ではなくして、組織的文化科邸としての宗教畢であると詫張する。
文化科串ミLての宗敢邸文化科寧ミしての宗叡盛 二六 摘 要するに宗教に関する科嘩は.宗教史の外に、組織率としての宗教嬰が存するのであるが.かゝ る宗教革は、其の邸炎の上に現れて.今口も狗は存在す・ヱポ政敵骨攣宗放心埋草▼宗致循邸に之 を求めることは出水ない。こわが即ち組織的文化科撃としての宗数理であるが、市々は今之を新し く建設しなければならぬ。 四 組織的文化科螢としての宗教笹 宗致革の新建設を諭するには、今までに拉た紡糸を顧みるの必要がある。此の鮮某を概粥すると、 第一は、宗教邸は常串でなくして、料率である。第二は、科草である宗敦軍は、歴史塾でなくして、 組摸辟である。第三は、組織率でぁる宗教学は、宗教軋曾撃や宗教心理学に於ては、之を求めろこと が出水ない。以上の三郎は吾々が前節に於て大略述べた所で、之一三ロに云ふと.現在の㌫致研究 の中に宗教串を求めで、結局は得られなかつたと云ふに蹄嘉するのであるが、此の立場から見て、狩 ほ一つ残された可醗位がぁる。それは組琉辟でぁる宗教率は、現在に於ける科隼的丹ポ数研究の個々 の閉域に於ては、之を求めることは出水ないけれども、其の二桐若くは三脚の閉域を綜合したならば、 或は所沢の宗教邸が得られないかと云ふのである。例へば嘉数赦愈堺や、㌫放心理嘩を以て、その ま∼之を宗教串とすることは山水ないにしても、心和畢的方法と靴昏蝉約方法とを併せ用ゐて、宗 教の串質を組織したならば、組織率としての宗教挙が成立するであらうと考へられちし、又材料を
703
宗敦史に取り、方法を宗教心規準と宗政敵曾率とに取ったならば、立波な宗教畢が出水るであらう
とも考へられる。若し宗数社骨邸や宗教心理畢を以て仮に罫一宗教畢と云ふことが出水るならば、
今云ふ宗改革は、綜合宗致率とも補すべきもので、殊に後者は、私自身も、或る時期に於ては、之
をま張したこともあつた。併し快く考へて見ると、かやうな宗数畢は、寄せ集め的なものであつて、
特典な方法を抽った碕白の宗教邸ではないのである。
凡て尋問が、一の邸問として、覇立に存在し得る食めには、特典な封象を宥し、随って之に相席
する方法を持たねばならぬ。眈に宗政孝も、宗教一般の串歴と云ふ特典な対象を有する以上は、之
に粕應する方法を持つことなく、擢に心理塾約分法や軌骨塾的方法一ピつなぎ合せたのでは、狗自な
串間と診押することは出水ない。それが弼自の串間となる虐めには、其の特典な封象に舶臆するや
うな方法が提供せられなければならぬ。窺致串の対象であろ宗教一般の醇欝は、文化の串耳でぁつ
て、自怨の恥欝ではない。それ故に之に舶臆する方法も、偶人心理邸伯方法や軌食心理率的方法の
やうな、自然科邸約分漬でなくして、文化科揮的方法でぁるべきは無論のことである。文化科螢的
方法と云っても、前にも論じたやうに、之には歴史畢的方法と組織率的方法とがある。然らば宗敢
畢の方法は、何れに屈するかと云ふに、基の封象である浣致一般の串質は、個々の宗致の恥質とは
興るが故に、之に和臆するカはも、児奴邸的のものでなくして、組織率的のものでなければならぬ。
失地科挙モJての完秋草TO4 眈に論じたやうに、文化科革の方法は、個伍関係の方法である。けれども歴史恕である宗教史は、 個々の宗教の革質を封象とし、組織率である宗教畢は、宗教一般の串琴曾封象とするが故に、基際 に桝係せられる侶伍も.自ら同一ではない。宗教史に於ては、それは個々の宗教に含まれた個々の ヽヽヽヽ 宗教的職位である。例へば偶数に合まれた宗教的僧侶とか、立替故に含まれた宗数的侶低とか㌧ 宗教史の原理となるのである。之に反して宗教単に於て関係せられる侶伍は、沸教や基督放と云ふ やうな個々の宗教に合まれた宗教的惜伍ではなくして普遍的であ♭客観的である宗教的億偵である。 此の鮎に於て、宗教堺の方法は、宗教史のそれに、根本的に典ることを牢記しなければならぬ。 既に其の関係せられる愕位に於て、宗散華は宗教史と典るが故に、其の材料となる票数も、自ら 違って凍るのを免れることは出水ぬ。宗敢史は個々の宗教的侶伍を毘埋とするが故に、如何なる宗 数でも、其の材料lなるべきである。然るに宗教塾は、普過的な宗教的職位一里祝理とするが故に、か 、、、、 少く現れたものに勝るのは無論である。 随って或る氏族や、或る同氏に限られた票数は、宗教恕の材料としては、必ずしも之を用ゐなけれ ばならぬことはないと思はれるが、凡ての氏族や、凡ての国民に、共通に行はれる宗教は、是非と も之を材料に供しなければならぬ。換言すれば、宗教学の材料として必要なも由は、民族宗致や、 文化科撃ミJての宗飲嬰 一口に云へば、狗自の宗政孝は、組織的文化科畢として雄設せられなければなら闘。 二八
705 同氏宗教でなくして、所謂他界的宗放であると考へる。何れだけを世界的宗教とすべきかに就いて は、積極的に之を断言することは柳か固難でぁると思ふが、少くとも滑極的に、韮替歌と沸教とを 之より除くことは出水ないと信する。果してさうでめるならば、青々が組織的文化科畢と七ての新 宗教準を雄設するには、先づ此の二大宗教一軍材料として出費すべきであらう。 けれども弦に注意すべきは、宗教畢の材料として偶数や韮督致を用ゆると云っても、それは過去 の係数や基軒数でなくして、現在の沸教や基督数であると云ふことである。偶数や基替歌を過去の 宗放として取扱ふときには、それは宗教史として、偶数史となむ,基督敢妃となる。此の場合に於 ては、昏々はそれぐの宗教に食まれた個々の宗数的惜位を原理とするが故に、偶数の特色が現れ て郡▼韮術数の特色が現れて凍る。けれども宗敢畢に於て、偶数を材料とし、韮督教を材料とする のは、偶数の船色■ざ別にするのが目的でもなければ、基階数の特色を別にするのが目的でもない。 其の目的とする所は、宗教と云ふ文化の特殊串賓を明にしようとするに存する。そして此際に閥係 せられる昭偵は、此=滝的な宗教的厩鹿でぁるが故に.共塵に構成せられる串賓は、彿致や基督放と 云ふ特殊宗致の弔野ではなく、宗教一般の串賓基物である。普遍的な宗教的職位は、それが欝現せ られるときには、畔聞の揮過に依るのであるが、個低共物としては、時間を超越し、常に現在の吾 々に.理想として存在する。それ故に之を原理とする場合に於ては、其の概念構成は、過去の沸教 文化科畢ご・しての宗敬隼
70(; 文他称拳ミJての宗牧草 三〇 や韮督数を射手とすることなく、只管現在の俳教や基督故に向ふのである。現在の併致や、現在の 基衡数は、過去の件数や、過去の基督致の昔流したもので.其の背放としては、それぐ・過去の倣 敦を文辞し,過去り韮懲敷を支持す一り。それ故に之を縦に見て.それん\の宗教的職位に闘係する ときは、過去の宗教が裁となつて、宗教史となり、彿致の樺色が現れて水、先哲数の特色が現れて 凍る。之に反して、之を偏に見て、普遍的な宗教的職位に関係するときは、現在の宗教が立となつ て、宗教撃となり、共踵に現れて凍るものは、偶数や基督敢の特色ではなくして、宗教一般の弔賓 其物である。換言すれば、沸教や基替歌を過去の宗教として取扱へば.宗教史となり、現在の宗放 として取扱へば、宗教学となるのである。 以上で宗教畢を新しく建設する要綱を述べたと恩ふが、若し此の新地設が許され一匂ならば、青々 は之に依って、現在に於ける西洋の宗教畢の不完全を祁ひ、故凱を正すことが出水ようかと考へる。 古い宗教畢の不完全や映鮎に就いては、吾々は第一節に於て、之かユニ鮎に抑めて聡いたが、今琵で 其の補正を冊罫に論じて忠かう。北ハの第一の映翫は、宗教の概念を作るのに、韮替歌を兆礎にする ことであるが、吾々の宗教単に於ては、普遍的な宗数的憤伍を原理として、韮督敦を材料とすると 同校に、偶数をも基の材料とするが故に、此の翫に於で、それは古い宗教邸の駄瓢を祁ふことが出 水ると恩ふ。古い宗教畢の第二の映翫は、をれが基督敢を基礎にして、宗敢の概念を作るにも係ら
TOT
す、韮督敦は紳撃として之を特別扱ににし、苑督致以外の宗敦のみを其の範囲としたことでぁるが、
吾々の宗致単に於ては、彿致と共に、韮督敦にも正而して、之を中心の問題とするのである。尤も
醐串に於て、韮督致を収扱ふのが、小義畢の上から見て、悉く無意義なものとは云へない。それが
基階数を歴史塾的に取扱って居る桝は、或る忠味に於ては、之ゑポ敢史と見ることが出水る。けれ
ども紳率に於ける逃散敢の楳史畢的批扱は、一方に敏和史を立で、他方に散骨史を立てるが、吾々
の考に依れば、宗教史の目的は、常該宗教一宮ば、生きた宗致として、其の特色を明にするにあると
倍するが故に、教職史と散骨史に分けることなく、二者を一宿して基督救出として研究するのが、
通常であると思ふ。又榊串に於て、韮督致を組織率的に取扱って居る場合には、之を宗義塾若くは
組織醐撃と耕するが、これは桝護的なもの、傾向的なもので、客軌的な邸問と云ふことは出水ぬ。
悌教の研究に於ても、基密教の組織紳畢に比按せらるペき宗乗が、背から行れて凍たが、之と共に、
近頃になつて、其の雁史的方南も、韮督故に倣って数理史︵敢邸北署くは思想史などとも云ふ︶と散骨史とに分けて研究しょうとするものもあるやに見受けられる。併し吾々から見ると▼組織
湘軍が客軌的な串間でないと同校に、宗教も客観的な拳闘と云ふことは出水ぬ。それと共に、傭敦
の煤史的研究も、致埋克と敢食史とに舟つべきものでなく、一宿して偶数史として研究すべきもの
であると考へる。それは何れにしても、吾々の宗教串に於ては、基衡致を聴別なものとすることな
文化粁串モLての宗散申708
文化科隼亨しての宗秋型
三二
く、他の宗放、少くとも傭放とは同一に取扱ふのでぁる。古い宗教邸の第三の故鮎は、それが料率
として、十分に宗教の本葉を明にしないことに存するのであYるが、吾々の宗教単に於ては、普遍的な宗教的僧侶を原理としで、現在の件数や苑督敏一ぎ組織率的に取扱ふが故に、之に依って宗教一般
の姉賓が組織せられ、弦に初めて宗致の木賃も、明にせられると考へる。
獅ほ最後に述べて聴きたいのは、組織的文化科串としての宗赦畢を新しく雄没するに就いては.日本の畢者が最も好位羅にあると云ふことである。薪宗政孝の中心鮎は、現在の俳数や、現在の韮
督故に直面する併に存するのでぁるが、此の鮎に於ては、吾々は最も通して居る。偶数は印度に起
り.支那を経て、日本に侍はつたのであるが▼それが忠敬として最も特色を語麗したのは、我国であると云っても不皆ではなからう。少くとも俳敢は、現在の日本に於て、宗教として吾々の問に生
きて居る。韮替歌も日本に樽はつて細皆の年月一ざ経て、十分に消化せられ、西洋諸国にも劣らない
程に、今日の書々の間には生きた宗教として存在する。かやうに現在の我国に於ては、沸教も韮督
改も、共に生きた宗教として行はれて居るが故に、宗教の研究に徒歩する邸宕は、此の両者を正し
く押解することは、決して難い串ではない。勿論塾者に依っては、偶数に傾いた人もあわ、基軒故
に向つた人もあらうが、之を西洋紙観に校べて見れば、宗教拳老として好位碇に居ることは寧はれ
ぬ。此の粘から見ても.軌織的文化科撃としての新宗教畢を建設するのは日本畢者の任務であらうっTO9
澄 田 慶 治
∴ ﹁発電﹄に閲する使徒バクpの政義は、云ふまでもなく彼自らの宗放種倣に本つくものである。彼 の宗教軽歯に対して彼覇得の見解を加へた信念の一である。彼の宗教生活の ー 現代の暫率的用語 ブラ’サイツシュガスマフート を用ふれば 一 層二段的あ準である。しかも夫は彼の宗教的な、同時に倫理的な生活の螢動力と なつて居た中心的信念であつた。 基督数の歴史に於て、使徒直後以凍、﹃華麗﹂の敦吐は閑却せられ勝となつた。と云のは、某軒数 は、いはゆる英側菜耕一ぜ過ぎ.既に一緒の組織制度とへ仏り、それも時としては皆時へレ一三スト文化 的思想運動との交渉わ必要から、或は時としてローマ政治制度の影響を蒙った結果として、﹁韮麗﹄ 倍仰の中心的忠義が、常時の数食に由て、なさるべきはどに理解されす、畢に三一︵Tri阜︶数理と して残され、侶傭的閃葛藤の一問過として取扱はれたのでぁつた。韮曾数々理の歴史に於て、﹁堂慰﹂ の信仰をば注い宗教的概喩に由て低く捕捉し、そこに潜む宗教的生命を活用し得たものは、恐らく 俺彼パウロのr卑賎﹄叔 ︵上︶使徒パウロの﹃聖蛋卜親︵上︶
710 使徒パウロの還琵転︵上︶
三日
使徒バク℡の右に出る老はなからう。如何なる意味に於て、基替歌の中心的生命が、﹁碧空の数理に
ぉ古りふさ 渡られてぁるか1否なこの数理が、何故に歴史的宗教の霹駿内容を表明するに最も加越はしいか・ 此間題を諭する前に允づ、使徒バクpの﹁慧彗信仰の考察の辣怖として、覇約辟典殊七へブル投首者の﹁基姉巴又は﹁ヤーブヱの麗﹂の信仰一三暫しょう。
〓
﹁聖整﹂或は﹁紳聖の信仰は定吉訪民族の問に行はれた着である。唯だへブル民族の基信仰は
紳の﹁堅の信仰思想の衰遊に於て注意すべき老が今Q。甲り﹁笠﹂の思想が、基意眈に於て物的から精細的へ、ヌた擬人的悪意的からもつと純宗教的さらに倫理的公共的意哉のものへの進化でぁ
る。.之には他宗教の信仰思想にて類例がないでなからう。唯だこの鮎頗る顕著なることが注意に伍ひする。
﹁窒﹂とは、ヘブル語の蔓即ち﹁吹く≡いきする﹂てふ語から出てrぎ註︵動ける気又は凪 の鶉︶と耕せらる∼新である。大審尊仲條渾︵ネスートJツヤ況の埴相和敢帥︶が撰した瀧敢碑文中に二東野二三尋凰﹂と繹出したのは、封筒薪の効果如何は知らず、原語を字辞したことに於て
少からぬ興味がぁる。されば出域及記綽蔚中には時として、⋮垂邑・’註0︸−ぎの語を以て言ヒム 榊の迫り給へる夙或は暴風︵和評貢の息﹂と打了り︶を意妹し、以碁亜番約有紀中之に類した簡応Tll
がある。ヤーグヱ紳の怒、その威力の鱒不が、その気息、烈風と併記されてある。その他ヤーブヱ
紳の﹁登Lの思想は人ぉして超人的武功乃至狂暴を追うせしめ、或は御託を語らしめるなど幼祁未開の宗教にあらふれた怪奇的信仰として見ゆることもある。然し紀元前人世期及びその以後諮預言
者の碍出するに及んで、ヤーグヱ紳一でば、正鶉公中慈愛を以てイモフヱル民族に臨む所の紳とな
し.それら性徳の螢勒を似て、ヤーブヱの﹃即駁旨働を見るに至った。無詮古家の意義が除かれたの ではない。ヤーデュ紳の威力潤カを象徴する忠昧は盛々に見ゆる。ユダ民澱のバビロン停囚期︵紀 元前六位期︶の作と惟は・心∼約古記中にすら共通例一宮見出す︵四ノ九︶。或は以穿亜審中紀元前八世 期作と椎はるゝ部分にヤーク.ヱの﹃琴︼をば、荒野を鼻じて沃田となし五穀母機の福祉を捕球する 紳穂と見なす研もぁる︵升二ノ十茄以下︶遂には物質的鋤赴と敢骨倫理の賓現との二楼の意吸の結て 合を費見することが髄きよう。又た同番中、紀元聖ハ世期ユダの伴因氏等が、ペルシャ王ク三の
バビロン征服と共に、購に解放の室を受けんとする頃、即ち紀元前五首四十年頃わ作と見るペき同
四十章にも偶ほヤーデュの﹃露﹂は草木をも枯死せしむるカにして同時に不忠講なる宇宙的秩序を
混沌世界よb蕉起せしめた創造的叡智となされてめる︵以罪責四十ノ七及十三︶。之は創楷記⋮茸の 天地開閉物市中の﹁堅の思想と酷似してゐる。この物諒には、エロヒム紳の﹁嘉﹂︵rl−WPdl︶が、かたも むな
∼ み おは hだ かけ ﹁定形なく囁姦しき払偶め韮へる抑﹂︵Teど且浮動不定なる﹁水﹂︵訂mpぎ︶の上を環ひ庇ひて、 使雀パウロ¢︻鳶駐h叔 ︵上︶712 任礎パウロの冒讐税︵上︶