般若経における忍辱波羅蜜
鈴 木 健 太
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.はじめに
諸々の般若経の主題は般若波羅蜜であり,他の波羅蜜について詳説されること は多くない.また,他の波羅蜜が説かれる場合であっても,説明の力点は般若波 羅蜜との関係に置かれ,それらの実践内容に焦点が当たることはほとんどない. 三枝1971や平川1989において六波羅蜜説と般若波羅蜜説の先後関係が論じら れ,鈴木1996において般若経における六波羅蜜の体系化の経緯が論じられるな ど,これまでも般若波羅蜜以外の波羅蜜についての考察が全くなされなかったわ けではない.しかし,その具体的な実践内容については,充分に掘り下げて論じ られてこなかった.はたして般若波羅蜜以外の波羅蜜をなす場合,具体的にどの ような実践をなすと考えられていたのであろうか.本小論では小品系般若経にお ける忍辱波羅蜜を例に,その一端を明らかにすることを試みたい.2
.議論の前提
さて,小品系般若経に限った場合であっても,般若波羅蜜以外の五波羅蜜の扱 いは一様ではない.般若波羅蜜を他の五波羅蜜よりも突出したものとして示す箇 所もあれば,六波羅蜜を横並びに示す箇所もある.従来,こうした般若波羅蜜と 他の五波羅蜜の関係に関する教説の違いは,小品系般若経が段階的に形成された と想定することで,説明されることも少なくなかった.こうした想定は一定の説 得力を有しているが,まだ議論の余地があるように思われる1).そこで,本小論 では,『道行経』以前の原形を想定することはせず,『道行経』の原典が成立した 時点を出発点として考えていくことにしたい.3
.『道行経』において支婁 讖が用いた訳語
まず,『道行経』における訳語を確認しておきたい.この経において,訳者の支婁 讖は「kSAnti」という語を,意味等に応じて「 提」「忍辱」「楽」の3つに 訳し分けているようである.以下,例を示していきたい.
3.1. 「kSAntipAramitA」に対する訳語:「 提波羅蜜」
梵文『八千頌』には次のような用例が見られる. ①梵文『八千頌』第3章より(ASP 246.13–18)
atha khalv AyuSmAn Anando bhagavantam etad avocat/ na bhagavan dAnapAramitAyA varNaM bhASate na nAmadheyaM parikIrtayati/ na śIlapAramitAyA na kSAntipAramitAyA na vIryapAramitAyA na bhagavan dhyAnapAramitAyA varNaM bhASate na nAmadheyaM parikIrtayati/ api tu prajJApAramitAyA evaikasyA bhagavan varNaM bhASate nAmadheyaM ca parikIrtayati//(すると,尊者アーナンダは 世尊に次のように言った.「世尊よ,〔世尊は〕布施波羅蜜の称讃を語らず,名前も宣べて いません.持戒波羅蜜の,忍辱波羅蜜( 提波羅蜜)の,精進波羅蜜の,禅定波羅蜜の称 讃も語らず,名前も宣べないで,ただ般若波羅蜜一つの称讃を語り,〔その〕名前を宣べ ています」) この箇所に対応する『道行経』の記述は以下の通りである. ①′『道行経』(p. 86; 大正8巻434b3–6) 阿難白仏言: 無有説檀波羅蜜者; 亦不説尸波羅蜜; 亦不説 提波羅蜜; 亦不説惟逮波羅 蜜; 亦不説禅波羅蜜; 亦無有説是名者.但共説般若波羅蜜者.何以故?天中天! ここでは,「kSAntipAramitA」が「 提波羅蜜」と訳されていると理解できる. 3.2. 「kSAnti」に対する訳語:「忍辱」 次に「kSAntipAramitA」という複合語ではなく,「kSAnti」という言葉が単独で登 場する用例を確認しておきたい. ②梵文『八千頌』第4章より(ASP 280.20–281.8)
bhagavAn Aha/ ……bodhisattvasya mahAsattvasya dAnaM vA dadataH śIlaM vA rakSataH kSAntyA vA sampAdayamAnasya vIryaM vArabhamAnasya dhyAnaM vA samApadyamAnasya dharmAn vA vipaśyato bodhisattvasya mahAsattvasya prajJApAramitaivAtra pUrvaGgamA//(世尊は言った. 「……菩 摩訶 が布施を行っている時や,戒を守っている時や,忍辱によって成し遂げ
ている時や,精進にとりかかっている時や,禅定に入っている時や,諸法を観察する時, 菩 摩訶 にとって他ならぬ般若波羅蜜が,この場合先立つのです」)
これに対応する『道行経』の記述は以下の通りである. ②′『道行経』(p. 109; 大正8巻436b10–14)
仏言: ……菩 与布施,般若波羅蜜出上.持戒,忍辱,精進,一心,分布諸経教人,不及 菩 ・摩訶 行般若波羅蜜也.…… この箇所は,六波羅蜜の一つとして「kSAnti」を取り上げており,意味からす れば①および①′の用例と違いはないため,「 提」と訳されてもおかしくない ように思われる.しかし,実際は「 提」ではなく「忍辱」と訳されている.こ の点については,支婁 讖は意味する内容からだけではなく,「kSAntipAramitA」 という複合語になっているか否かで訳し分けている,と考えると説明がつく.
3.3. 「anutpattikeSu dharmeSu kSAntiH」に対する訳語:「無所従生法楽」2)
次に,「anutpattikeSu dharmeSu kSAntiH」(無生法忍)という熟語の一部として 「kSAnti」が登場する用例を確認しておきたい.
③梵文『八千頌』第16章より(ASP 644.1–3)
paJcabhiś ca devaputrasahasraiH pUrvaparikarmakRtair anutpattikeSu dharmeSu kSAntiH pratilabdhA(過去において準備をなした五千の天子たちは,無生法忍を得た.) この用例に対応する『道行経』の記述は以下のようになっている. ③′『道行経』(p. 295; 大正8巻453c1–2) 五百諸天人皆逮無所従生法楽, 支婁 讖は「anutpattikeSu」に「無所従生」,「dharmeSu」に「法」,「kSAntiH」に 「楽」の訳語をそれぞれ当てているようである. このように支婁 讖は「kSAnti」の語を意味や複合語の構成要素か否かという 点から,訳し分けていた.なお,このような訳し分けは,後代の異訳にも確認さ れており,たとえば『摩訶般若鈔経』は「kSAntipAramitA」「kSAnti」「anutpattikeSu dharmeSu kSAntiH」を「 波羅蜜」「忍辱」「無所従生法楽忍」と,『小品般若経』 は「 提波羅蜜」「忍辱」「無生法忍」と,それぞれ訳している3).
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.小品系般若経に説かれる「忍辱波羅蜜」「忍辱」の実践内容
小品系般若経には,それほど頻繁に「忍辱波羅蜜」もしくは「忍辱」という呼 称が登場するわけではない.しかし,それらの実践内容に言及する箇所が全く無 いわけではない.梵文『八千頌』では以下の3例が該当する. 4.1. 梵文『八千頌』の用例 ④梵文『八千頌』第6章より(ASP 374.12–16)anyeSv anyeSu gaGgAnadIvAlukopameSu trisAhasramahAsAhasreSu lokadhAtuSu sarvair ekaiko bodhisattva AkruSTo 'bhihataH paribhASitaH samAna eva sarve 'pi te upalambhasaMjJinaH kSAntiM samAdAya varteran/(あれこれのガンジス河の砂の数ほどの三千大千世界のなかで,ひとり ひとりの菩 が〔他の〕すべての者によって,そしられ,せめられ,ののしられているに もかかわらず,彼らすべてが認識による〔誤った〕思い込みを有しながら,忍辱を身につ けて暮らすとしよう.)
⑤梵文『八千頌』第23章より(ASP 805.21–25)
ye 'pi te bodhisattvA mahAsattvAH kSAntisampannA upaśamasampannA apratihatacittA antato dagdhasthUNAyAm apy AghAtacittam notpAdayanti prajJApAramitopAyakauśalyavirahitAs tAn api te sarvAn abhibhavanto gamiSyanti bodhisattvA mahAsattvAH /(忍辱を具え,静寂を具え,敵意を 抱かず,ついには,燃えた柱の上でも憎しみの心を生じないが,般若波羅蜜と善巧方便を 欠く菩 摩訶 たち,そのすべての者を,これらの〔般若波羅蜜を行じる〕菩 摩訶 た ちは圧倒することになるでしょう.)
⑥梵文『八千頌』第19章より(ASP 739.25–740.6)
tenaivaM cittam utpAdayitavyaM/ ……yadi cet mAM kecij jIvitAd vyaparopayeyus tatra na mayA vyApAdakrodharoSA utpAdayitavyAH/ teSAm api ca mayA na kAyena na vAcA na manasAparAddhavyaM/ evaM ca me tasmin samaye dAnapAramitA ca śIlapAramitA ca kSAntipAramitA ca paripUriM
gamiSyati anuttarA ca me samyaksambodhir abhyAsannIbhaviSyati/(彼(菩 摩訶 )は次のよ うに心を起こさなければなりません.「……たとえ誰かが私を命から奪い去ろうとしても, それに対して私は悪意や怒りや憤りを起こすべきではありません.また,彼らに対して私 は,身体によっても,言葉によっても,心によっても逆らってはなりません.このようで あるならば,その時,私の布施波羅蜜,持戒波羅蜜,忍辱波羅蜜は成就に至るでしょう. そして,無上正等覚は私に近づくでしょう.……」) 以上の3例から,そしられたり責めされたりしても耐えることや,燃えた柱の 上で苦しめられても憎しみをもたないことや,命を奪われても怒らないことなど が,忍辱の実践として考えられていたことを窺い知ることができる. 4.2. 対応する箇所の『道行経』の記述 一方,以上の梵文に対応する箇所の『道行経』の記述は以下の通りである. ④′『道行経』(p. 156; 大正8巻440b10–11) 須菩提!皆持戒,成忍辱,於精進而不懈,於禅悉得三昧, ⑤′『道行経』(pp. 396–397; 大正8巻463c2–5)
不独過檀波羅蜜,亦復乃至尸波羅蜜, 提波羅蜜,惟逮波羅蜜,禅波羅蜜,菩 ・摩訶 失般若波羅蜜,失漚惒拘舍羅,亦復過是上去. ⑥′『道行経』(p. 337; 大正8巻457c22–26) 菩 至賊中時,終不怖懼.設令於中死,心念言: 我身会当棄捐.正令我為賊所殺,我不当 有瞋恚.為具忍辱,行 提波羅蜜.当近阿惟三仏.…… 実は,④に対応する④′では「成忍辱」と説かれるのみで,その内容について の説明はなされていない.また⑤に対応する⑤′においても,「 提波羅蜜」と いう語が登場するものの4),その内容は語られていない.⑥に対応する⑥′のみ が,賊に殺されても怒らないという忍辱の実践内容を示している. このように,梵文『八千頌』で3例ほど見られた忍辱の実践に関する説明のう ち,結局『道行』までさかのぼることができるものはわずか1例であった.もと もと小品系般若経の中では忍辱の実践内容はほとんど説かれていなかった,とい うことになる5).また,唯一ごく簡単に説かれていた実践内容も本生譚等に見ら れるものと特に異なるものではない.
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.「波羅蜜」と呼ばれるための条件
忍辱の実践内容が小品系般若経の中でほとんど説かれておらず,既知のことが らとして説明がなされているということは何を意味するのだろうか.このことは 読み手が既にその内容を知っており,小品系般若経はそれを変更する意図がな かったことを意味するのではないだろうか.言い方を変えるならば,忍辱の実践 内容は従来のものがそのまま踏襲されていたということになる.ただし,実践す る際の意識のあり方については,以下のように変革が求められていたようである. ⑦梵文『八千頌』第3章より(ASP 247.2–248.1)bhagavAn Aha/ ……tat kiM manyase Ananda apariNAmitaM dAnaM sarvajJatAyAM dAnapArAmitAnAmadheyaM labhate// AyuSmAn Ananda Aha/ no hIdaM bhagavan// bhagavAn Aha/ tat kiM manyase Ananda apariNAmitaM śIlam apariNAmitA kSAntir apariNAmitaM vIryam apariNAmitaM dhyAnaM tat kiM manyase Ananda apariNAmitA prajJA sarvajJatAyAM prajJApAramitAnAmadheyaM labhate// Ananda Aha/ no hIdaM bhagavan//(世尊は言った.「……アーナンダよ,あなたはど う思うでしょうか.布施が一切智者性に 向されないならば,布施波羅蜜という名前を得 るでしょうか.」尊者アーナンダは言った.「そうではありません,世尊よ.」世尊は言っ た.「アーナンダよ,あなたはどう思うでしょうか. 向されない持戒, 向されない忍
しょうか.一切智者性に 向されない智慧(般若)は般若波羅蜜という名前を得るでしょ うか.」アーナンダは言った.「そうではありません,世尊よ.」) ここでは,同じ実践内容であっても,一切智者性に 向されているか否かに よって,「波羅蜜」と呼ばれるか否かが決められる,ということが述べられてい る6).一方,この梵文に対応する箇所の『道行経』の記述は以下の通りである. ⑦′『道行経』(pp. 86–87; 大正8巻434b6–17) 仏語阿難: ……云何,阿難!不作布施,当何縁為檀波羅蜜 芸若?不作戒,当何縁為尸波 羅蜜?不作忍辱,当何縁為 提波羅蜜?不作精進,当何縁為惟逮波羅蜜?不作一心,当何 縁為禅波羅蜜?不作智慧,当何縁為般若波羅蜜 芸若? 阿難言: 如是,天中天!……不行忍辱,不為 提波羅蜜……. この箇所における「不作」の「作」という語は「pariNAmayati」の訳語であると 解釈されている7).この点を踏まえると,「不作忍辱,当何縁為 提波羅蜜」は 「忍辱を 向しないならば,どうして 提波羅蜜となすことができようか」と理 解されることになる.また,「波羅蜜」に関する次の記述も確認しておきたい. ⑧梵文『八千頌』第7章より(ASP 383.27–384.5)
yadA punaH kauśika dAnaM śIlaM kSAntir vIryaM dhyAnaM ca prajJApAramitAparigRhItaM bhavati tadA pAramitAnAmadheyaM pAramitAśabdaM labhate tadA hy AsAM cakSuHpratilambho bhavati paJcAnAM pAramitAnAM sarvajJatAmArgAvatArAya sarvajJatAnuprAptaye//(しかし,カウシカよ. 布施,持戒,忍辱,精進,禅定が般若波羅蜜によって護られている時に,その時に「波羅 蜜」という名前,「波羅蜜」という言葉を得るのです.その時に,これら五つの波羅蜜は一 切智者性への道に入るための,また一切智者性に到達するための眼をもつに至るのです) ここでは,般若波羅蜜に護られているか否かによって,「波羅蜜」と呼ばれる か否かが決められる,ということが述べられている.一方,対応する箇所の『道 行経』の記述は以下の通りである. ⑧′『道行経』(p. 160; 大正8巻440c10–12) 般若波羅蜜者,即五波羅蜜之護,悉与眼目.般若波羅蜜是護,令五波羅蜜各得名字. ここでは,個別の波羅蜜の名称ではなく,五波羅蜜がまとめて論じられている が,その一つである忍辱( 提)が「波羅蜜」という名前を得るか否かは,梵文 同様,般若波羅蜜に護られているか否かにかかわっていたことがわかる8). 以上のことから,「波羅蜜」と呼ばれるか否かの基準は,その実践と一切智者 性との関係性,および般若波羅蜜との関係性にあることが分かる.つまり,何を
実践するかについて直接的には問われていないのである.この点からも,小品系 般若経が従来の実践内容を踏襲していたと考えることができる.
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.おわりに
本小論では支婁 讖による「kSAnti」の訳し分けを整理した上で,小品系般若経 で忍辱の実践内容がほとんど述べられていないことを確認した.また,そのこと は,小品系において,従来の忍辱の実践内容がそのまま踏襲されていたことを意 味する,という指摘をした.ただし,「波羅蜜」という言葉が付されるためには, 実践内容はそのままでも,それが一切智者性に向けられること,般若波羅蜜に護 られることが必要とされていた.つまり小品系においては,実践内容はそのまま で,実践をする上での心構えの変革が求められていたと理解することができる. 1)鈴木2015参照. 2)宮崎(2012, 158)参照. 3)『摩訶般若鈔経』(大正8巻 516b9, 518a25, 525c3等),『小品般若経』(大正8巻544a27, 545c26, 562c29–30等)参照. 4)『道行経』では「kSAntipAramitA」を予想させる「 提波羅蜜」が用いられているが,梵 本では「kSAntisampannA」となっている.大幅に増広されている箇所であるため,増広の過 程で言葉が変化したと考えられる. 5)『道行経』において忍辱波羅蜜の実践内容が ほとんど説かれていないことは妹尾(1980,48)が既に指摘しているが,本小論のように 従来の実践内容を踏襲したとまでは述べていない. 6)鈴木(1996, 67)参照. 7)『道行経』p. 87参照. 8)妹尾(1980, 44)参照. 〈略号表〉ASP Aṣṭasāhasrikā prajñāpāramitā. AbhisamayālaṃkārālokāPrajñāpāramitāvyākhyā:The Work of Haribhadra. Ed. Unrai Wogihara. Tokyo: Toyo Bunko, 1932–35.
『道行経』:A Critical Edition of LokakSema’s Translation of the ASTasAhasrikA PrajJApAramitA (道行般若経校注).Ed. Seishi Karashima. Bibliotheca Philologica et Philosophica Buddhica XII.
Tokyo: Soka University, 2011; 大正8,no. 224. 〈参考文献〉 三枝充悳 1971『般若経の真理』春秋社. 鈴木健太 2015「小品系般若経について」『印度学仏教学研究』63(2): (174)–(180). 鈴木広隆 1996「六波羅蜜の実践について」『印度哲学仏教学』11: 59–76. 妹尾匡海 1980「般若経における六波羅蜜説」『仏教大学大学院研究紀要』8: 39–64. 平川彰 1989『初期大乗仏教の研究―その編纂過程の解明を中心として―』1, 春秋社. 宮崎展昌 2012『阿闍世王経の研究』インド学仏教学叢書編集委員会. 〈キーワード〉 忍辱波羅蜜,『道行般若経』,般若経 (北海道武蔵女子短期大学准教授,博士(文学))