末 弘 厳 太 郎 責 任 編 輯 ﹃ 現 代 法 学 全 集
﹄ の 研 究
七 戸 克 彦
一 序 章 二 出 版 史的 考 察
︵一
︶
﹃社 会 経 済体 系
﹄の 発 刊経 緯
︵二
︶
﹃明 治 文 化全 集
﹄の 発 刊経 緯
︵三
︶
﹃現 代 法 学全 集
﹄の 発 刊経 緯
︵四
︶
﹃現 代 経 済学 全 集﹄ の 発刊 経 緯 三 文 献 学的 考 察
︵一
︶ 各巻 の 内訳 と 配本
︵二
︶ 執筆 者 と執 筆 項目 四 終 章
一 序 章
1 日 評 ア ー カ イ ブ ズ
﹂ の 特 別 企 画
日本 評論 社は︑ 創業 一〇
〇周 年 記念 事 業﹁ 日評 アー カ イブ ズ﹂ の
﹁特 別企 画﹂
復 刊希 望件 数に 関わ りな く 復刊 を行 う 企画
︶と して
︑ 平成 三〇
︵二
〇 一八
︶年 三月
︑
①﹃ 現代 法学 全 集﹄
全三 九 巻︶
︑②
﹃ 社会 経済 体系
﹄ 全二
〇巻
︶︑
③
﹃新 経 済 学全 集﹄
全二
〇 巻︶ の 三つ の全 集と
︑④ 雑誌
﹁ 日本 評論
﹂の 復刊 を開 始 し た︵
①
②
③ は 電 子書 籍
︵
P D F
︶と オ ンデ マン ド印 刷
︵
P O D
︶︑
④は 電子 書籍
︵
P D F
︶ のみ
︶︒
︵ 1
︶ ﹃ 社 会 経 済 体 系 ﹄
﹃ 現 代 法 学 全 集
﹄
なお︑右
①②
③
④の 順番 は︑
日評 アー カ イブ ズ﹂ の ホー ム ペー ジの 記載 をそ のま ま 転記 した もの であ り1
︑︶
今般 の復 刊 の順 番も この 順 序で 行わ れて い るが
︑原 本の 発 刊年 は︑ 三種 の 全集 に関 して い えば
︑
②↓
①↓
③の 順 であ る︵
②﹃ 社 会 経済 体系
﹄大 正 一五 年〜 昭和 三 年︑
①﹃ 現代 法 学全 集﹄ 昭和 三 年〜 昭和 六年
︑
③﹃ 新 経済 学全 集﹄ 昭 和一 四年
〜昭 和 二
〇年
︶︒ ここ で︑ 原典 の 発刊 の順 番に こ だわ った のに は
︑理 由が ある
︒ とい うの も︑
①
﹃現 代 法学 全集
﹄は
︑
②﹃ 社会 経済 体 系
﹄完 結に 引き 続 き︑ その ノウ ハ ウを 生か して 発 刊さ れた 後続 企 画だ った から で ある
︒ 末弘 厳太 郎の
﹁ 責任 編輯
﹂と 銘 打っ て刊 行さ れ た①
﹃現 代法 学 全集
﹄は
︑日 本 評論 社 が社 会科 学系 出 版社 とし ての 地 歩 を固 めた 記念 碑 的な 企画 であ っ たが
︑②
﹃社 会 経済 体系
﹄の 後 続の 全集 は︑ 実 際に は 二本 立て で企 画 され た︒ 双子 の 企 画の もう 一方 と は︑ 土方 成美
﹁ 責任 編輯
﹂の
﹃ 現代 経済 学全 集
﹄ 全三 一巻
︒昭 和 三年
〜昭 和八 年
︶で あり
︑そ し て︑ こ の全 集の ため に
︑①
﹃現 代法 学 全集
﹄の 売上 げ は相 殺さ れ︑ 日 本評 論社 は経 営 危機 に 陥る ので ある が
︑そ の経 緯に つ い ては
︑後 に改 め て触 れる こと と する
︵こ のほ か
︑﹃ 現代 法学 全集
﹄﹃ 現代 経済 学 全集
﹄ 発刊 の二 年後
︵ 昭和 五年 五月
︶
(法政研究 85‑1‑ )32 32
に は︑ 第三 の企 画 とし て﹃ 現代 政 治学 全集
﹄の 刊 行も 開始 され た が︑ 全一 八巻 の 予定 が
︑昭 和九 年一 二 月第 一三 巻の 刊 行 で途 絶し た︶
︒ なお
︑ 責任 編輯
﹂ とい う言 葉は
︑ 日本 評論 社で は
︑右
①末 弘厳 太 郎﹃ 現代 法学 全 集﹄ と土 方成 美
﹃現 代経 済学 全 集﹄ の 両企 画の キャ ッ チフ レー ズに 始 まる
︒こ れに 対 して
︑先 行企 画 であ る②
﹃社 会 経済 体 系﹄ に関 して は
︑編 集担 当者 の 表 記が 存在 して い ない が︑ 編集 の 任に 当た った の は河 合栄 治郎 と する のが 大方 の 見方 で ある
︒
︵ 2
︶ ﹃ 新 経 済 学 全 集 ﹄
以上 に対 して︑
③﹃ 新経 済学 全 集﹄ の刊 行開 始 は︑ 河合 栄治 郎 と土 方成 美が 骨 肉の 争 いを 演じ た末
︑ 平賀 粛学 の喧 嘩 両 成敗 で東 京帝 国 大学 を追 われ た 年︵ 昭和 一 四年
︶ の一
〇月 のこ と で︑
責任 編輯
﹂は
︑ 東大 経済 学部 が平 賀 粛学 のた め 機能 停止 して い たこ とか ら︑ ド イツ
︵ボ ン大 学
︶留 学時 代シ ュ ンペ ータ ーの 下 で親 交 を深 めた 中山 伊 知郎
︵東 京商 科 大 学︵ 現・ 一橋 大 学︶ 教授
︶・ 東 畑精 一︵ 東京 帝 国大 学農 学部 教 授︶ 両名 に委 ね られ た
︒ この 全集 と対 に なっ てい る企 画 は︑ 昭和 一一 年 六月 に配 本が 開 始さ れ︑
③﹃ 新 経済 学 全集
﹄刊 行開 始 の翌 月︵ 昭和 一 四 年一 一月
︶に 本 巻が 完結 した 末 弘厳 太 郎﹁ 責 任編 輯﹂ の
﹃新 法 学 全集
﹄ 本 巻三 九 巻︒ そ の後
︑翌 昭 和一 五 年に 別巻
︵総 索 引︶ 刊行
︶で あ るが
︑未 完の 全 集で ある
﹃新 経 済学 全集
﹄ 当初 全三 二巻 予 定の と ころ 終戦 の年
︵ 昭和 二〇 年︶ 第 二
〇回 配本 を最 後 に途 絶︶ が先 行 して 復刊 の対 象 とさ れ︑ 学界 へ の影 響・ 出版 社 の売 上 げと も貢 献度 の 高か った
﹃新 法 学 全集
﹄の 復刊 が 後回 しに され た のか
︑そ の理 由 につ いて は不 明 であ る2
︒︶
︵ 3
︶ 雑 誌
﹁ 日 本 評 論
﹂
一方︑ 日本 評論
﹂ とい う名 の雑 誌 には
︑明 治二 三 年〜 明 治 二七 年に 東京 麹町 区三 番 町一
〇番 地︵ 後 に四 番 町四 番地 に 移転
︶の
﹁日 本 評論 社﹂ から 出 版さ れた
﹁日 本 評 論⎜
⎜政 治文 学 宗教 経済 社交 上の 要 報評 論﹂
一号
〜六 四号
︶ があ る が︑ これ は植 村 正久 が﹁ 福音 週 報﹂ とと もに 発 行し た啓 蒙雑 誌 で︵ 社会 思想 史 や日 本 キリ スト 教史 の 分野 では 著名 な
雑 誌で ある3
︶︶
︑ 現在 の 日本 評論 社と は まっ たく 関係 が ない
︒
① 東 京 評 論 ﹂
﹁ 第 三 帝 国 ﹂
﹁ 洪 水 以 後
﹂ ﹁ 日 本 評 論
﹂ 大 正 元 年
〜 大 正 八 年
︶
⎜⎜ 現在 の日 本評 論社 の雑 誌 刊行 の源 流 は︑ 初代 社長
・ 茅原 茂が 大正 元 年一 一月 に発 刊 した
﹁東 京評 論
﹂と
︑兄
・茅 原 華山
︵ 廉太 郎︒ 吉野 作 造よ り早 く﹁ 民 本 主義
﹂を 唱え た ジャ ーナ リス ト
︶が 翌大 正二 年 一〇 月に 創刊 し た﹁ 第三 帝国
﹂ であ る
︒こ のう ち﹁ 第 三帝 国﹂ は内 紛 に より 崩壊 し︑ 華 山は 大正 五年 一 月﹁ 洪水 以後
﹂ を創 刊︑ 同年 七 月に 誌名 を﹁ 日 本評 論
﹂に 改め た後
︑ 翌大 正六 年一 二 月 に﹁ 東京 評論
﹂ と合 併 した
︒合 併 後 の誌 名は 兄の 雑誌
﹁日 本評 論﹂ を 名乗 った が
︑表 紙に は﹁
﹃東 京 評 論﹄ 改 題﹂ と あ り︑ 号 数 も﹁ 東 京評 論﹂ の 号数 を 引き 継い でい るこ と から
︑ 実質 的に は弟 の 雑誌
﹁ 東京 評 論﹂ へ の吸 収 合 併 であ る
︵兄
・ 華山 は︑ 文才 は あっ たが
︑経 営 の才 能に 欠け
︑ 弟・ 茂は
︑経 営 能力 に長 けて い たが
︑文 才が な かっ た︶
︒ しか し︑ この
﹁ 日本 評論
﹂は
︑ 大正 八年 五月 発 行の 九六 号を 最 後に 廃刊 とな る
︒
② 経 済 往 来 ﹂ 一 巻 一 号 〜 一 〇 巻 九 号
︵ 大 正 一 五 年 〜 昭 和 一 〇 年
︶
⎜⎜大 正一 四 年初 代社 長・ 茅 原茂 が病 死し た 後︑ 日 本評 論 社の 第二 代社 長 に 就 任し た 鈴 木 利貞
︵ 東 京評 論﹂ 時 代か ら の 茅 原茂 の 腹 心︶ は
︑翌 大 正 一五 年 三 月 に雑 誌
﹁経 済 往来
﹂を 発刊 す る︒ 同誌 は︑ 実 質的 には 大正 八 年廃 刊と なっ た
①旧
﹁日 本評 論
﹂の 復刊 であ る
︒
③ 日 本 評 論 ﹂ 一
〇 巻 一 〇 号 〜 二 六 巻 六 号 ︵ 昭 和 一
〇 年 〜 昭 和 二 六 年
︶
⎜⎜
②﹁ 経 済往 来﹂ は
︑そ の 後︑ 昭和 一〇 年 一〇 月発 刊の 一
〇巻 一〇 号よ り
︑誌 名を かつ て の﹁ 日本 評論
﹂ に改 題す る︒ 同 誌は
︑ 一時 は﹁ 中央 公 論﹂
﹁ 改造
﹂﹁ 文 芸 春秋
﹂と 肩を 並 べる 四大 総合 雑 誌と して 一世 を 風靡 した が︑ 終 戦後 の社 の経 営 危機 に より
︑昭 和二 六 年六 月号
︵二 六 巻 六号
︶を もっ て 廃刊 とな った
︵ 社は
︑翌 昭和 二 七年 清算 を結 了 して
﹁日 本評 論 新社
﹂ に移 行し た︶
︒
④ 日 本 評 論 ﹂ 二 七 巻 一 号
〜 二 号 ︵ 昭 和 三 一 年
︶
⎜⎜だ が︑ その 後も 第二 代社 長・ 鈴木 利貞 は︑ 雑 誌刊 行 に執 念を 燃 やし
︑五 年後 の 昭和 三一 年一 月
︑社 員の 猛反 対 を押 し切 って
﹁ 日本 評論
﹂の 復 刊を 断 行す る︒ しか し なが ら︑ この 試 み は大 失敗 に終 わ り︑ 多額 の借 財 を作 って 雑誌 は 二号
︵二 七巻 一 号〜 二号
︶で 廃 刊︑ 社 は再 び経 営危 機 に陥 り︑ 鈴木 は
(法政研究 85‑1‑ )34 34
雑 誌廃 刊の 二月 に 社長 を引 責辞 任
︑保 有株 式を す べて 処分 し︑ 箱 根の 別邸 も売 却 して 社 を去 った4
︒︶
これ らの 諸雑 誌 のう ち︑
①﹁ 東 京評 論﹂ は稀
本中 の稀
本で
︑全 冊︵ 一号
〜 七八 号
︶を 所蔵 して い る大 学図 書館
・ 公 共図 書館 は皆 無 であ るか ら︑ も し全 冊保 存さ れ てい るの であ れ ば︑ その 復刻 に は大 変 な価 値が ある
︒ だが
︑こ れに 対 し て︑
第三 帝 国﹂
﹁洪 水以 後﹂ と 旧﹁ 日本 評論
﹂ につ いて は︑ す でに 不二 出版 か ら復 刻 版が 刊行 され て いる ので
︑重 ね て 復刊 する 意義 は 少な い︒ 一方
︑ 今般 の﹁ 日 評 アー カ イブ ズ﹂ の 復刊 対 象 が︑
③
﹁経 済 往来
﹂改 題 後 の﹁ 日 本 評 論﹂ だ け な のか
︑② 改 題前 の
﹁経 済 往来
﹂も 復刊 さ れる のか
︑さ ら に︑ 第二 代社 長・ 鈴木 利 貞が 社を 追わ れ る原 因と なっ た
④昭 和三 一年 一 月・ 二月 刊 行 の二 冊も 復刊 さ れる のか
︑現 時 点で 得ら れる 情 報か らは 明ら か では ない
︒
2
﹃ 現 代 法 学 全 集
﹄ 成 功 の 理 由
⎜
⎜ 関 係 者 の 証 言
以上 のよ うに︑ 今般
﹁日 評ア ー カイ ブズ
﹂か ら 復刊 され る全 集
・雑 誌に は︑ そ れぞ れ に曰 く因 縁が 存 在し てい るの で あ るが
︑本 稿で は
︑そ の中 でも
﹃ 現代 法学 全集
﹄ に焦 点を 当て て 考察 を進 める
︒
︵ 1
︶ 美 作 太 郎 の 証 言
この 全集 の赫 々 たる 成功 に関 し て︑ 編集 を担 当 した 美作 太郎 は︑次 のよ うに 追 懐し て いる5
︒︶
﹃現 代 法学 全 集﹄ は
︑一 九 二 八︵ 昭 和三
︶ 年の 一 月早 々 に 創刊 を 公表 し
︑月 一 回 の 配 本 で 翌 年 一 二 月︑ 全 二 十 五 巻 の 刊 行 を 終 了 する 予 定で 始 め ら れ た︒ と こ ろ が 宣 伝 し て み る と︑ 予 約 購 読 者 が 十 万 を 軽 く 越 え たの で
︑ 気 を よ く し た 社 は︑ 全 集 の 内 容 を 充 実 させ て 十四 巻 の 増冊 を 企画 し
︑全 三 十九 巻 と して 募 集を 継 続し た
︒ 末 弘 教授 は そ の
﹁ 発 刊 の 趣 旨﹂ の 中 で
︑普 通 選 挙 の 年 で あ る 昭 和 三 年 の 意 義 を 強調 す る こ と か ら 筆 を 起 こ し
︑民 衆 が
﹁ 彼 等 の 政 治 を〟 吾 々の 為 め の 政 治
〝 たら し む べ く 努 力 し な け れ ば な ら な い
﹂と し
︑ そ れ に必 要 な 準 備 と し て
︑ 今 まで
﹁ 専 ら 法 律 家 と 役 人と の 独占
﹂ に 委さ れ てい た 法律 知 識の 獲 得 の急 務 を説 き
︑ひ ろ く 学 生
︑実 務 家
︑ 一 般 読 者に 訴 え て い る
︒ そ れ は︑ 法 律 の 社 会
化﹂
・
﹁法 科 大 学の 開 放﹂ と いう 二 本立 て の キャ ッ チフ レ ーズ に よっ て
︑ ひろ く 読者 に 宣伝 さ れる こ と にな っ た︹ 原 注︵ 1
︶︺
︒
︹ 原 注︵ 1
︶︺ こ の 引用 は
︑出 版 ニュ ー ス社 の 清 田義 昭 氏の コ レ ク シ ョ ンの 中 の
﹃ 現 代 法 学 全 集﹄ の 内 容 見 本 か ら の も の で あ る︒ 同 氏に 謝 意を 表 した い
︒ 全集 が全 二五 巻 から 全三 九巻 に 増冊 され た理 由 は︑ 実際 には
︑ 売れ 行き 好調 の ため だ けと は必 ずし も 思わ れな いの で あ るが
︑こ の点 に つい ては 後に 検 討す る︒ 一方
︑末 弘厳 太 郎の
﹁発 刊の 趣 旨﹂ の内 容に つ いて は︑ 右美 作 の文 章だ けで は 隔靴 掻 痒の 感を 否め な いの で︑ 以下 に 末 弘の 文章 の全 文 を転 記し てお く
︵旧 漢字 は新 漢 字に 改め た︒ 以 下同 様6
︶︶
︒ 現代 法 学 全集
・ 発刊 の 趣旨
編輯 責 任者
末弘 厳 太郎 昭 和 三年 は 吾 国 の 歴 史 上 永 く 子 孫 の 間 に 記 念 せ ら る べ き 有意 義 な 年 で あ る
︒ そ れ は﹁ 普 通 選 挙
﹂と
﹁ 陪 審制 度
﹂ と が 新 に 実 施 を見 る べき 年 だ から で ある
︒ 永 い 間の 因 習 で︑ 長い も の には 捲 かれ ろ
﹂と 言 ふや う な 無関 心 乃至 は 受働 的 態 度 を 以 て 政 治 に 臨 ん で ゐ た民 衆 も
︑ 今 や 一 面 立 法 権 に 参 与し 他 面 又 司 法 権 に 干 与 す る こ と を 許 さ るゝ に 至 った 機 会 に 於 て
︑ 彼 等 の 政 治を
﹁ 吾 々の 政 治
﹂ たら し め
﹁ 吾々 の 為 め の政 治
﹂た ら し む べ く 努 力 せ ね ば な ら な い
︒否 其 の 機 運 は 今 や 既 に 盛 に 動 き つゝ あ る
︒吾 々 は 此 機 運 を し て益 々 盛 な ら し め ね ば なら な い︒ さ う して 今 や行 き 詰ま り つゝ あ る 吾国 の 政治 を して 目 醒ま し い 一大 転 回を 遂 げし め ねば な ら ない
︒ 然 し それ に は 準 備 が 必 要 で あ る
︒綿 密 周 到 な 準 備 が 必 要 で あ る
︒然 ら ば 民 衆 は 何 を 準 備 す べ き か︑ 吾 々 は其 一 と し て
︑ 否 其 最 も重 要 なも の の 一と し て法 律 知識 の 獲得 を 挙 げざ る を得 な いの で ある
︒ 従 来
︑法 律 の 知 識 は
⎜
⎜僧 侶 が お 経 を 独 占 し て ゐ る と 同 じ や う に⎜
⎜ 専 ら 法 律 家と 役 人 と の 独 占 す る 所 で あ った
︒ 徳 川 治 下 に 於け る が如 き 秘 密法 の 時代 は 既 に 制 度 上 遠 く 過 ぎ 去 った に も 拘 ら ず 実 質 的 に は ま だ 尚 秘 密 法 の時 代 と 殆 ど 択 ぶ べ き も の が な い
︑
(法政研究 85‑1‑ )36 36
法律 は 今尚 神 秘 の殿 に 蔵 さ れ て 民 衆 の 知 識 の 外 に 置 か れ つゝ あ る
︒か く の 如 き 状 態 に 於 て 人 々は 果 し て 立 法 に 参 与 し 司 法 に 干 与 しつ ゝ 尚能 く 其 任務 を 果た す こと が 出来 る の であ ら うか そ れ なら ば
︑ 民衆 は 如 何 に せ ば 容 易 に 法律 知 識 に 近 付 き 得 る で あ ら う か 官 私 の 法 科 大 学 は 全 国 に 沢 山あ る
︒ 法 律 を 説 い た 著書 も 亦い く ら で も あ る︒ け れ ど も
︑法 科 大 学 ヘ の 出 入 は 唯 限 ら れ た 僅 か の 人々 に の み 許 さ れ て 居 る︒ 坊 間 の 法 律 書 は 多 く 無 用 にア カ デミ ッ ク であ り 唯 法 律専 門 家 の 間 に の み 通 用 し 得 べ き 形 式 と 内 容 と を 以 て 書き 記 さ れ て ゐ る
︒ 成 程 法律 講 義 録 も あ る
︒ し かし 其 内容 は 或 は 甚 し く 杜 撰 であ り
︑ さ な く と も 現 に 行 はれ つ ゝ あ る 法 律 書 と 大 差な き も の で あ っ て 到 底 専門 家 以 外 の 人 々 の 間 に通 用 し得 べ き もの で ない
︒ 玆 に 於て 吾 々 法律 教 育に 従 事 す る 者 は ど う し て も 此際 此 缺 陥 を 補 填 せ ね ば な ら な い 重 い 責 任 を 感 ず る︒ 而 し て 其 や み が た き 責 任心 の 産み 出 し たも の が正 に 此﹁ 現 代法 学 全 集﹂ で ある
︒ 現 代 法学 全 集﹂ は 法科 大 学 の開 放 であ る
︑其 拡 張で あ る
︒そ れ は法 科 大学 の 講 座 を 民 衆 聴 衆の 前 に 開 放 せ ん と す る 企 で あ る
︒ 読者 は 之 に よ って 現 在 得 ら れ 得 べ き 最
︹も
︺ 新 し く 且 最︹ も
︺信 頼 す る に 足 る べ き 法 律 知 識 を 得 る こ と が 出来 る
︒ 而 も 容 易 に 且 興味 を もっ て 之 を得 る こと が 出来 る
︒ 無 論 民衆 の 為 め に す る 講 義 は民 衆 に 向 っ て 引 き 下 げ ら れた 議 論 で あ っ て は な ら ない
︒ 民 衆 を 引 上 げ る こ そ正 に 吾 々 の 任 務 で な けれ ば なら な い
︒ 其 意 味 に 於 て﹁ 現 代 法 学 全 集﹂ は 大 学 の 講 義 そ の も の で あ る︒ 吾 々は 聊 か た り と も 程 度 を 引 下 げ ず 又 調 子 を 下 すこ と をし て ゐ ない
︒ 唯従 来 多 数 の 法 律 書 が 無 用 の 形式 に 充 ち て ゐ た の に 対 し て 吾 々は 活 き た 法 律 の 生 命 を 説 か う と す る の で あ る︒ 現 代の 最 も 進歩 し た法 律 知識 を 最も 活 々 した 而 も最 も 理解 し 易き 形 式 に於 て 説か う とす る ので あ る
︒ 其 意 味に 於 て 吾々 は
︑先 づ 第一 に 憲法
・ 行 政法
・ 民法
・ 商法
・ 刑法
・訴 訟 法等 主 要法 典 に 関す る 講義 を 現に 諸 大学 に 於 て其 等 の 科目 を 担当 し つ ゝあ る 最 も 権 威 あ る 諸 教 授 に 委 嘱 し た︒ 第 二 に 又 此 等 以 外 の 諸 法 に関 す る 講 義 を
︑ そ れ〴 〵 専 門 の 最 も 権 威 あ る 学者 に お願 ひ し た︒ 第 三に 従 来の 法 律 講 義 録 等 が 徒 に 法 律 の 形 式 的 知 識 を 秩 序 なく 又 精 神 な く 与 へ 得 る に 過 ぎ な い と 云 ふ 缺 点 に
鑑み
︑ 吾々 は 教 科書 的 形式 に 捉 は る ゝこ と な く 読 者 を し て 自 ら 法 律 の 活 き た 生 命と 精 神 と を 体 得 せ し む る 目 的 を 以 て 例 へ ば 牧 野
︹ 英一
︺ 博士 の
﹁法 律 講話
﹂︑ 穂積
︹ 重遠
︺ 博 士の
﹁ 判例 小 話﹂ の 如き も の を本 計 画中 に 加へ る こと に し た︒ 此 故に
︑ 現代 法学 全集
﹂は
︑先 づ 第一 に現 に法 学の 研究 に従 事し つゝ ある 学生 諸君 によ って 読ま るべ き もの であ る︒ 第二 に文 官高 等 試験 普通 試験 等の 受験 者に とっ ても 極め て有 力な 準備 資料 とな る べき もの であ る
︒第 三 に又 既 に法 学を 修め て 現に 実務 に従 事 しつ ゝ あ る人 々に とっ ても 有益 なる 参考 書と なり
︑又 諸君 が新 に法 律知 識を 練り 直す べ き良 き読 物と な り得 るで あら う
︒さ う して 最後 に 一般 普 通の 読者 も従 来一 般の 法律 書に 見る が如 き難 解と 晦渋 とを 免れ つゝ 興味 を以 て最 も 新し く且 権威 ある 法律 知識 を得 られ るで あら う︒ 此 故 に 読 め
︑法 律 学 者 も
︑ 実務 者 も
︑ 学 生 も︑ 受 験 者 も
︑実 業 家 も
︑ 農 業 家 も其 他 苟 も 新 し き 時 代 に 目 醒 め て 新 し き 法 律 の 何 たる か を 知 ら む と す る 人々 は す べ て 読 め
︒吾 々 は 弘 く 此 等の 人 々 の 机 上 に﹁ 現 代 法 学 全 集
﹂の 一 本 が 備 へ ら れ む こ と を 希 望 し て 已ま な いも の で ある
︒ 右の 文章 のう ち
︑ 従来 多数 の法 律 書が 無用 の形 式 に充 ち て ゐた のに 対し て吾 々は 活き た法 律の 生命 を説 か うと する の で あ る﹂ と の 言 説 は︑ 末 弘 が 留学 か ら 帰 朝 した 翌 年 に 刊行 し た﹃ 物権 法
・上 巻﹄
有 斐 閣︑ 大 正 一
〇年 一
〇 月︶ の
﹁自 序
﹂や
︑同 年七 月 に組 織し た﹁ 民 法判 例研 究会
﹂ が刊 行し た﹃ 判 例民 法﹄
最 初の 巻
︵大 正十 年度
︶ の刊 行は 大正 一 二 年一
〇月7
︶︶
の﹁ 序﹂ にも 認め ら れる 末弘 の持 論 であ る︒ 一方
︑ 法科 大学 の 開放
﹂と いう 全集 のキ ャ ッチ コピ ー も︑ 末 弘の 右 文章 から 引か れた もの で あろ うが
︑た だ
︑︹ 法 科
︺大 学の 開放 で ある
︒其 拡張 で ある
﹂と いう 発 想そ れ自 体が 末 弘の オリ ジナ ル かと い えば
︑そ れは 違 う︵ 後述 する
︶︒
︵ 2
︶ 田 中 二 郎 の 証 言
なお︑美 作太 郎 は︑
当時 の 法律 学 生︑ 法曹 関係
︑ 国家 試 験 受験 者の 数を 合わ せて も︑ おそ らく は一 万に も 達し ない 状 況の もと での 成 功で あっ た︒ 自 分の 法律 学ア レ ルギ ーの せい も あっ て︑ とか く 消極 的 に考 えが ちで あ った 私に とっ て は
︑そ れは 一層 の 驚き であ った
﹂ と述 懐し てい る が8
︑︶
これ に対 し て︑ 法律 学ア レ ルギ ー とは 対極 の人 物 であ る田 中二 郎
(法政研究 85‑1‑ )38 38