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武田泰淳『上海の蛍』

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Academic year: 2021

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中国のほんの話 51

中国のほんの話(51)

蔭山 達弥

武田泰淳『上海の蛍』

研究者と図書館

5  「上海の蛍。上陸したばかりの私を出迎えて

くれた、異国の蛍。それに感動しているには、

私は、あまりにも、もの珍しい生活のはじまり にとり紛れていた。でも、たしかに蛍の光が街 路に流れていたのだ。六月の中頃だった。息ぐ るしい、悩ましいような暑熱が、近寄りつつあ った」(武田泰淳『上海の蛍』)

 武田泰淳は旧姓名を大島覚といい、1912年(明 治45年)に東京本郷に生まれた。家は浄土宗 の僧侶である。父、武田芳淳の後を継ぐために 成人後に現在の姓名に改めた。しかし結局、職 は継がなかった。

 1931年(昭和6年)に東京帝国大学文学部 支那文学科に入学した。同級生に竹内好がいた。

翌年、退学したが、この頃からいくつかの同人 雑誌に関係し、習作を発表した。また、周作人 の来日を機会に、現代中国文学を研究しようと の、かねてからの気運が仲間うちで急速に具体 化し、竹内好、岡崎俊夫、増田渉、松枝茂夫と

「中国文学研究会」をつくり、新しい学風をお こすことにつとめた。

 1937年(昭和12年)から満二年間、召集さ れて中国華中に従軍した。「はげしい戦地生活 を送るうち、長い年月生きのびた古典の強さが、

しみじみと身にしみてきて、漢代歴史の世界が、

現代のことのように感じられた。歴史のきびし さ、世界のきびしさ、つまり現実のきびしさを 考える場合に、何かよりどころとなり得るもの が、『史記』には有る、と思われた。」(武田 泰淳『司馬遷』初版自序)

 1939年(昭和14年)10月、上等兵で除隊。「司 馬遷論」執筆の構想をたて、1943年(昭和18年)

4月、書き下ろし評論『司馬遷』を日本評論社 より刊行。翌年6月、上海に渡り、中日文化協 会に就職。国際文化協会にいた堀田善衛を知る。

 『上海の蛍』は『目まいのする散歩』に続く 散歩シリーズとして文芸誌『海』に連載され(昭 和51年2月〜9月)、あと一篇で完結する予 定であったが、著者が逝去し未完となった。単 行本『上海の蛍』は1976年(昭和51年)12月、

中央公論社から刊行された。著者が32歳で上 海に渡ってからの約二年間の体験が、克明に綴 られている。

 「壁が汗をかくような暑い夏がつづいていた。

洋館の内部の壁は、どこも塗料が塗られてあっ

た。蛙の背のように青く塗られた壁には、湿気 の激しいときには、水滴が浮かんだ。蛙のイボ のような水滴は、やがてすじをなして、地下室 でも、二階でも、壁を濡らしていた。私が到着 の日に、フランス租界でみかけた蛍の光も、そ の湿気のおかげで生まれたものだった。」(武 田泰淳「汗をかく壁」、『上海の蛍』所収)

 「私は、なるべく短時間の間に、普通の上海 人が食べるものを食べ、歩く場所を歩き、見ら れるだけのものを見、上海の喧噪の中に溶けこ むことを心がけた。街には、朝早くから、京劇 のレコードのかん高い響きが流れていた。上海 の青少年は自転車を走らせながらも、京劇の歌 曲を口ずさんでいた。「何日君再来」という歌 が流行していた。麻雀の牌をかきまぜる音が、

裏町を歩くたびに、どこの窓からも戸口からも 聞こえていた。そして、上海の主婦や子供たち は、飯を山盛りにした丼をかかえて箸を動かし ながら、口のあたりを飯粒だらけにして、貪り 食べていた。食べることが難しくなっている人々 は、人前で眼につくように食べることが、むし ろ誇らし気だった」(同上)

 文芸誌『海』武田泰淳追悼特集(1976年12 月)、『対談 上海時代』(堀田善衛・開高健)

で、堀田善衛は武田泰淳と酒について、「酒は あれば朝からでも飲むほうでね、飲まなきゃ風 景は美しくないと言ったよ。ぼくは一時、武田 先生の家に同居していたこともあるんですよ。

あるイギリス人の家を接収したもので、これも 三階建の立派な洋館でした。それが武田先生の 創作でいえば『F花園十九号』」と述べている。

酒に酔うと、必ず高い所に登りたがった武田泰 淳の小説『上海の蛍』は、敗戦前後の上海を記 録した貴重な史料である。

 かげやま たつや(教授・中国文学)

参照

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