新しい光 : 時代と創造 其の3
著者 長岡 宏
雑誌名 静岡大学教育学部研究報告. 人文・社会科学篇
巻 22
ページ 51‑60
発行年 1972‑03‑20
出版者 静岡大学教育学部
URL http://doi.org/10.14945/00007752
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新
しい 光 一時代と創造其の3一
New Light
Period and Creation Vol,3
長 岡
宏Hiroshi NAGAOKA
(昭和46年10月14日)
6,新しい光
ゴシック(Goth笥1の光,それは今日も尚シャルDレ(Chartres)にのみ純粋に宿っている。
ぺおハ
170以上のヴィhロ・・一(Vitraux仏)は,ここでは信じがたい運命の恩寵によoて,ほとんど 当時のままに残されているからである。この光の本質は,闇と光との両極性がもたらす輝きで ある。ここには,何と云う人間の光の根源えの憧れと,精神的なものからの働きかけとのダイ ナミック(dy皿amic)な統一が現われていることか。その光は,絶えず明るさを変え・その都 度新たに知覚され新たに体験される光である。それは現に息吹く中世そのものであり,このカ テドラル(Cathedral)ほどゴシックの雰囲気をよく保存している建物は他にないのである・
・それは壮大なる石の空聞であるが, それ以上に光の空間なのである。この空間に足を踏み入れ る者は,光(色彩ゴと云うものが,かくも輝かしく美し:く,・そして美しきものは,かくも聖な るもので鑓ことに全身の戦棟を覚えるのである。自然を越えた世界・鯨の驚きは余り菅こ大 きい。自分は余りにも小さく,これは余りにも偉大である。遠く時代を隔て・血を異にしなが ら尚かづ触れ合うもののあるのは,a or・Ptクの神秘と叡智が現実の根から天を指して伸びてい る生命の強靱さで我々をも抱擁する深さを持つからであろう。ここでは芸術は宗教であり・創 造は信仰の行為であるo
窓を透き入る彩色された光は.「神は光なり」と信ずる者,即ち中世の人々にとって.神の 体現の如き,単なる現象をはるかに越えた深く精神的な光として・その心を照らしたのであ る。従って,聖なるものは美しく光り輝く素材によってこそ表現され・現実化されたと云え る。この事は透過光線を莉用した絵ガラスが,カテドラルの聖なる空間を囲むもの・否・空間 を聖化するものとして,それ以前の壁画にも・・Eiザィク(Mo融ic)にもまして・最高のマティ
リアノレ(materia1)であったことなのである・そこで・1中世の絵ガラ獅に課せられ耀要な 問題は,色ガラスの組み合わせによ て,いかなる図像を表現すべきかと云うことよりも・い かにして輝く色彩の効果を高めるかと去うことであつた。 現に多くのヴィhローは・眼をこら
Lて熟視しないと,その描かれた図像(図1,ig)は読みとれず,そして図像を読みとろうとす る余裕を与鵠程,その色彩の輝きは一)見る者を圧倒して止まts・:V・のである・一方蟹ヲスに
蹴碓彩繰嫡髄坤の科学的ぽ術嶋慮がなされ・ための離嫌術ゆft e eそ・
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カテドラルの窓において,およそ光美術として考えうる極限の美のひとつが実現されたのであ る。特に聖堂の南北正面を飾る巨大な丸窓,いわゆるパ ラ窓(Rosewindow)(図2,9)はその最も典型的な表i現 であり,それは天界に輝く永遠の太陽であり,聖なる空 間を満たす,光の大交響詩でもある。「それは自己を越 えて,はるかに高く,みずからを引上げるために,感覚 の麻酔を試みる。それは陶酔のうちにおいてのみ永遠え の畏曜を感じる。こう云う崇高なヒステリ・一(hysteria)
こそ,何よりもいちじるしくゴシック現象の特色を示
すものなのである。(1)」
ゴシック建築は,ヴィトロー芸術のために生まれ,か つ発達したのだと云っても過言ではない。その窓は図像 表現の場である以上に彩られた光の壁なのである。それ は今だに新しい光なのである。絵ガラスは,其の意味で キリスト数的象徴性を内在した一一Pt独特な描象美術をこ の時代に提供したことになる。 、 1.苔刑の図 シャルトル大聖堂
ヴィトロー 1155年頃 我々は作品に対した時,その創造の最初の心を把えそ こに当時を復活して同感するのである。彼らの強い意欲から鯉想えの願望から生まれた周到な 科学的創意と共に,限りなき詩のあることを忘れてはならない。その永遠性は,永遠を希求す る者によって初めて理解されることが可能なのではないだろうか。筆者は入類の各時代に存す る造型(創造)意志は,常にその時代と環境との関係を適切に表現したものであると論じてき た(前二編)。ここで扱う時代即ち日本人にとって異質な文明であるキリスト教(Christianity)
美術(ゴシック)もこの視点からのみ,よ りその内在するものが明確になるだろう。
錐者は,過去をふり返って,芸術と宗教と
:hs有史以前の禎寧暗い奥所から手に手を取っ て現われるのを見た。幾世紀もの間,それ は分ち難く結ばれているように思われる。
「芸術は人間の精神的な像の直接の尺度で ある。その像が公共的なものであれば,そ れは宗教となる。歴史の大部分を通じて,
芸術の生命力は,宗教の諸形式と密接に結 びついてきた。②」
中世美術も徹頭徹尾,宗教的世界観の上
2.北パラ窓 シャノレトノレ大聖堂 ウtイ 1・ロー 1194−−1220年
に築かれていたことについては,確かにくり返し指摘されている。しかしこの際大低看過され ていた点は,この宗教的世界感が,ただに消極的のみならず積極的にも芸術の発展の上に影響 をおよぼし,これによって中世美術に独自な,即ち前代の一切の美術からは測りがたい境地の 創造を成したこと,そして美術の流れからはそれ以後の近代,現代美術にさえ決定的影響をお
よぼしてきた故に,決して他の諸美術に比して低劣という評価を下すことを許されないところ の観点と評価とを創り出した,と云うことである。ゴシック美術の理想主義,それは古典美術 の理想主義とは違って,キリスト教的世界観の精神…主義を起源にし,かつ古典美術の形式的完
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全性に対する.抽象的,観念的価値の勝利,物質に対する精神の支配を基にしたものであっ た。「これらの芸術に対しては,ただ単に古代の伝統遺産の蕩尽であると見なしたり,あるい は自然主義的ないし実際的技術的解決を求める新しい試図や要求であると見なすだけにはとど まらず・他のあらゆる文化領域においてと同じく芸術においても,人類発展のために新しい価 値と地盤とを創造した偉大な精神的理想主義的芸術時期の独自な様相として㈲」,これを理解
しなければならない。
中世入における感覚的認識は,自然の体験ではなくて神の体験が一「すなわち地上の事物に おける神思想の映しに基づく奇蹟的な世界秩序を自覚するはたらき,およびこれを芸術的に自 覚させるはたらきが,あらゆる芸術創造の深い意味を包んでいなければならない。欝葉を変え れば自然の因果関係と合法則性とに代るものとして,別個の法則ω」一即ち主感的なものでは なくて,時間的,物質的限界のない全てのものに対する精神的なとらえ方から発する超自然的 なものなのである。そして,この事は,芸術上での最も著るしい点として,意識的に写実性や 自然描写から離れて行く方向を採るようにする。その結果これらは一般的な古典主義的美意識 から見れば,まるで無能と鳳われるような異質な作品として示される。この特徴は,中世紀の文 献には,芸術作品は自然以上に真実でなければならないということがいつも反復強調されてい るが,そのためにこそ,その大部分は十分な熟慮を経た芸術意図を意味するものなのである。
従って彼らの知覚の出発点は,自然ではなく神の教であうた。神の教とは,単なる稲対的な自 然価値を越えて超感覚的秩序,使命,合目的性の世界が厳存し,この世界はただ内省的精神と 内面的経験とによってのみとらえられるという,神の恩寵によって人間に与えられた意識であ り,又真に実在する実体がそこに含まれ,かつ現実の世界もその立場から理解され評価されな ければならないというような,概念的存在の構造であった。芸術もまたこういう申世の唯心論 的世界観の根本特徴に合致して,自然の諸形体を通じて,超越的に定められた理想的概念の究 明に努力したのである。作家が現代において制作活動を行なう時,造形創作(行為)とは信ず る事だとの観点からすれば,彼にとってそれは,中世における宗教の如きものかも知れない。
その上,中世美術の抽象性,象徴性,概念性等の特色は,それ自体(中世キリスト教に対して 現代における各自の生)の方法論としては,現代のいわゆるアブストラクト(Abstract),シ ュール1!アリズム(Surrealisme仏),コンセプショナノレ(Conceptiona1)各アート(art)
のそれといかに似つかわしいことか。作家は信ずるもののみ追求する。しかも個人にとっての 具体的生の表現をめぎして。
カテドラルは,恩寵と啓示というキリスト教的見解に従えぱ,「他のすべてのものの上位に おかれるぺき,あのもっとも深遠で理想的な精神財の擁護者でありかつ媒介者である」(ヴt
リンガー)が,しかし又同時に,しかもほかならぬその故にこそ,あらゆる世俗的価値の完全 な価値変革の媒介者とされた。それは「神の国」という神秘的観念の上に彼岸恩想の.ヒに建て られている。無限な垂直性を持つゴシックのカテドラルは巨大であるが重苦しい印象は感じら れず,さながら地上から生えているような外観をもって都会にそびえ空間中にとけこんでい
る。そしてあたかも植物のように自由に仲びながら,しかも最先端の尖塔に至る迄一個の内在 的秩序をもって統率されている。この内在的秩序というのは,国家生活や教会生活における神 の旋と,これを代表する僧職的及び世俗的権威と同様に一切を支配L,かつそれを普遍的統一 体として総括する秩序であった。この垂直性をめざす線の運動,形態感の鋭さは建築における
ゴシックの特徴となっている。これらが中世初期から徐々と発展してきたロマネスク (Roma CE3)
皿esque)建築における諸技法を基にレて,シュジェー∫レ(Suger)のサン〔ドニ(St−・Denis)
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3.サン・ドニ修道院寺 1 1 40−44年パリ
.4.ポr−一一ヴェ1大聖堂内部.. .1 247−一一1576年
6.ラシス大聖堂 1225−99年頃
宏
修道院寺(図3)に於て,爆発的に開花す るのである。要するに尖頭アーチ(Poin七e
(tE・S〉
d−arch) (図4.5)オジ」ブ弩陛(ogive−
(注5) (註…6)
vault) (図4.5),.飛梁(arc−・boutant)
(図6.IDの使用と云う,各々必然的関連 性を持つ独特な性格の組合わせである。シ ャノレトル大聖堂(Cathedral of Chartres)
(図7)に於て,このゴシック精神は具体 化された。ここでは垂直方向への意志が性 急なる願望}こよって出現し,肋骨は床から
5.アミアン大聖堂内部 1220 一一 69年
7.シャルトノレ大聖堂・・1194−・1 220年
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55天井部迄防げられることなく・固有のリズム(rhythm)に従って伸びている。それに応じて 司教席(t「ibune)という水平方向にひろがる深い空間のマッス(mass)も今や排除されそび え立つアーケード(arcade)の上にはめまいのする程の商さに挟廊(triforium)だけが現わ れ・はげしい上昇のテンポ(tempo)に変化を与えている。そしてその上に勝利に満ちて高窓 が壁全体を・魔術的に輝かせるあのブ7v・・一(blue)の光の中に解消しつつ高く現われるのであ る。「世界は新しい崩芽やまたは古い残存物からでなく,むしろ一貫した中世精神主義という 観点からこれに原理的に新しい発見と解釈とが試みられ,新しい世俗的論理,学問,詩文,世 界観が生まれたが,その根本的特徴と見なされるものは,宗教,哲学および歴史上の相対主義 である。人生は義しい行為がなされる舞台としての新らしい固有価値を獲得し,自然は神の全 能と全知の証としての新しい意義を獲得した。自然や社会や政治の機構とそのさまざまな義務 や権利は神意の所産であり二かつ超地上的使命をうけて発達する人類の必然杓固変契曹とし て,教会という最終的に完成された世俗的営造物の中に編み込まれた。この教会は,よしんば それがもろもろQ対立を強制的ないし読弁的に融合させる役割を果さざるを得ないことはあっ たにせよジ実に最初に実現された。そしてその遂行の大胆さと精力とにおいてはこれを凌駕す るものがない程偉大な試図であり,また唯心的地盤の上で,しかも理想主義的世界観という観 点から文化全体の自然的歴史的制約を包容して人類の統一的精神的体制をうちたてようとする 試図であったといってよい。㈲」
ここで教会建立とその種々の発展の大概を示さなければならない。この時期,フランスでは ルイ6世(Le style LouisW仏)(llO8−ll38)の治世に該当し,シェジェールによるサン・
ドニ修道院寺再建の工事は1137年頃から開始された。フランス各地からシュジェールが呼び集 めたあらゆる美術家の協力によってわずか数年で,この大事i業はみごと完遂しゴシックは誕生
した。つぎのルイ7世(Le style LoUis孤仏)(l l 37−1180)の治世は政治的事件が重なった がいわゆるイール・ド・フランス(il−de−France仏)ct「・7)にゴシックの傑作が生まれたのはまさ にこの時期に当っている。まず最初,1150年頃シャルトル大聖堂の王の扉口,西正面の二基の 塔・南の尖塔,西正面の三つの扉口の彫刻・西側の三つのヴィトローが築かれた。ll60年頃に
8.パリ大聖堂(ノート7v・ダム)
1210−35年
はランス大聖堂(Cathedral of Rheims)(図6)のサ ン・レミ(St. Remi), l l63年,パリではノ・・Dレダム
,(Cathedral of Notre−Dame)(図8)の最初の礎石が 置かれたのである。ll80一ユ236年の時期は一群の大聖堂 が建設され・その偉容を最も大胆に実現した時期であ る。パリのノ三トルダムがその西正面の装飾と共に完成 された。ここでは彫刻たよって豊かに飾られた三つの扉 口の上方に配された巨大なバラ窓(図9)が,正面の構
・図の中心優位置を占め,全体の構成にも細部の均衝にも 状大な調和を与えている。他方シャルトルの翼廊扉口,
ランスの頭部及び翼廊の低部,高部,あるいはプミアン 大聖堂(Cathedral of A血iens)(図10)西正面の諸扉 口,腰壁,アーチ(arch)列の並ぶギャラリー(gallery)
などに加えられた装飾彫刻は,この時以来それぞれの建 築を完成すぺく活動が始まった。・聖ルイ(St.LoUis)の 治世(1236−1270)は前時代におとらぬ多数の大規模な
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9.北パラ窓パリ大聖堂 1260年頃
11. ポーヴェ大聖堂 1247−−1576年
10アミアン大聖堂 1220−1402年
教会堂が建てられた。この時代,アミアン大聖 堂内陣部,ポーヴェ大聖堂(Cathedral of Be au▽ais)(図11)内陣部ヴィbロJ・一に飾られた パリのサンシャペル(Sainte−℃hapelle)(図12)
12.サンシャペル教会堂内部 1245−48年 パリ
彫刻装飾と巨大なパラ窓を有するパリのノートルダムの 側面諸扉口,サンドニ修道院寺の身廊部をあげることが 出来る。ランス大聖堂においても,外部,内部ともにさ まざまな彫刻で飾られた西正面の諸扉の工事が続行され る。14世紀のコ シック美術はフランスにおいてよりいっ そうフランス的特徴をそなえた美術に成長するが,まこ とに驚くべきことは,この「パリ地方のフランス様式」
が外国に呼び起した熱狂的な反応である。ドイツのケル ン大聖堂(Cathedral of Cologne)(図13)のホーノレチ ャーチ(Hal1 Church),イギリスのウェストミンスタ 寺院(Westminster Abbey)(図14)の垂れ飾弩匿,
イタリアのミラーノ大聖堂(Catedral of Milan)(図15)
ではその装飾性,そしで最大等々の特色を発輝してゴシ
ックに呼応したのである。この時期にパリの諸工房の活 13.ケルン大聖堂 1248年起工
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14.ウエストミンスター寺院内部 1394−1402勾三 ロンドン
15.ミラーノ大聖堂 1386年起工
躍は正にその頂点に到達し,主都の王領に所属 する建築家,彫刻家,ヴィトロー制作家,織物 業者,指物師,鉄細工師,金工及びエマイユ(
enamel)細工師,写本挿絵画家たちは,当時 世界的な名声を博しており,彼らの作品は広く ヨーロッパの全地域から求められていたのである。カテドラル建築は,その完成後も生成の状 態をっづけ,いわば人々の眼前で出来上って行く。それは結果ではなくて過程なのである。
「物質がすべて,力の遊戯に変化し,固定したものや調和をえているものがすべて機能と手段 の弁証法に解体され,もろもろのエネルギーがこのように渦巻き,上昇し,循環し,変形して 行く趣きは,まるで何か劇的な葛藤が我々の眼前で展開され結末えと導かれるのではないかと c6)
云うような気がしてくる」。そしてこのダイナミック(dynamic)な効果の与える印象は非常 に強烈であるから,これと並ぶと,その他のものは一切,この目的のための手段にすぎないよ
うに見える・それ故・そのような建築物は未完であることによって,その印象が損われるどζ うか,かえって力と権力を増すのである。そして「ゴシックの建築物は,みずからの内に動き をはらんだ美術品であるばかりでなく,鑑賞者の心をも動かすのであって,芸術鑑賞と云う行 為を,一定の方向と段階的な発展を伴った・・一一・つの過程に転化せしめる(7)」のである。
中世の民衆は,ほとんど文盲であったと云われる(修道院附属の教育施設があったのだが)。
中世社会においては文字ないし観念を媒介とする教育あるいは,思想伝達よりも,形を以てす る思想伝達あるいは眼による教育が,さらに重要な意味をもっていたものと思われる。日常の 生活技術から特殊な専門技術にいたる迄が視覚的に習得されて行った。我々が今日中世美術と 称するものは,実は中世人にとっては「文字」に他ならなかった。それは形象化された文字で あり概念であった。美術とは単に眼を楽しませるためのものではなく,それはむしろ先づ知識 を与えるための重要な手毅であった。そもそも「美術」なる観念は近代の所産なのであって,
中世においては美術品はすべて何よりもまず実用的目的をもつものであった。今日,デザイン
(design),建築(architecture)の分野でしきりと云われる機能主義は,中世においては美 術の全分野を支配していたと考えられる。一方今に残る中世のカテドラルを訪ねる時,そこに 一見して宗教と無関係な様々の図像が見られることに奇異な感を持つ。そこには天地創造から 最後の審判にいたる世界史(宗教的)がある以外に,哲学に支配される七学芸,暦学,倫理学
,地誌学,動物学などの全体系の可視的表現があり,さらに我が国の「職人絵尽し」に相当す
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るような各種の技芸の描写まである。
このような「百科全書的」図像表現は,すでにロマネスクの聖堂にもある程度見られるが,
12世紀末よりゴシックカテドラルに於て大々的に発展する。カテドラルは膨大な知識の宝庫で あった。近代美術に於いては美術品は何よりも先づ美を生命とし,その表現内容は二の次であ るが中世美術においては作品は言語と同様まず意を表わすものなのである。その意味で機能的 なのであるeかくて彼らの美は意味内容を表現する力なのである。例えば聖堂内部に置かれる 聖母子像は,空間の暗さ,距離などに耐えるための強い表現力を要求され,当然形態のある部 分の誇張,ある部分の省略が行なわれる。つまりその機能に即応した形態の創造が行なわれ,
かくて聖母子像として見るものに強く迫るのである。そしてその表現力が単に形だけでなく宗 教的な内容,聖性を見る者の視覚を通り抜けて心の奥にまで伝達するのである。この二つの総 合的な表現力が作者の志向するとごろなのである。
このような前提のもとに中世彫刻も建築といわば有機的関係を結んで,これと密接な一体を 構成して作られる。かくて彫刻は,構造⊥の諸機能を強彫する純粋な装飾彫刻として,あるい は扉口,その他の諸部分に配された彫像や,情景を表わすモニュメンタル(mo皿m enta1)な 彫刻として展開されて行く。ところがロマネスク彫刻特有のわく組みの法則は,次第に内面か
16,側壁彫{象シャルトル大聖堂西扉口 1 194−1 220年
171聖告『ランス大聖堂西扉口1 225−一 45年頃
らわき上る彫像の生命力とi自然に対する 愛が目ざめると同時に,打ち破られ,建築 の与える線や面とは無関係な,神の姿には 似せているが理想的な丸彫の人間像が登場 する(図16)。ゴシック彫刻独特の人像柱
(図17,18)の利用がこの傾向を促進した。
これはみずみずしい自然感,新しい人間感 によって裏づけされていた。人間,動物,
植物,地上の生命あるものすぺてに各々正 しい秩序を与え,世界に調和をもたらす神
18.シナゴ.ク像ストラスブール大聖堂1277−98年
1
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がこの時代を統治した。神と人間と自然との間にみのり豊かな調和を具現する理想的な姿を人
友はカテドラノレ正面め彫刻に見いだU−tcのである。 1 :一. 、i: 一 . 一・・・… 一
カテドラル外面において彫刻が演じているのと同様の役割を,その内部においてはたしてい るのがヴィトローである(図1,19)。彫刻とヴィトローと去う二つの美術形態は,同一の図像
19.毛皮商人シャノレトル大聖堂ヴィトロ」1210一二20年
の単純なランセットL(lancettes)型あ開m 部におV・そは,
が;様々な形をしたメダイヨン(m6danle{A)を格子状にとリカ1こんでいるd円形その他のメ ダイヨンの周辺eg,は元デッサンー(dessi11)・色彩ともに美しい枠かざりや隅迫持ちの装飾が認
あら2Z・メダイヨ湘鍋も燈の浮彫の主題とよく、似た様媒小さ纏嚇あらわされて
いる。さらにその全体がみごとな唐草文をあしら竺た巾広の握飾りによっ1てとりかヒま箏てい る。画像のデッサンほ・ガラスを焼きあげる前に激しい筆使いピよっで対『よ壬?蝉障描い蝉色ガラス片裸めて得られ越ので鑓・強醐つ澄明な脳亘熟煕多く2尊獅
も?わけではないが,赤と緑,澄黄と青というような対比色4)巧妙な対置によつて十分な効果 を発揮しているq殊に深遠な純度を示す青色は,汐陽¢)輝きに照らされると,.たとえようもな い美しさをかもし出す。、「黄昏頃にゴシックの×教会の内部から感得きれゐ印象ほど力強い情 趣は,この可視的世界のどこにも存在しない。一その時刻は,空間にあるすべてのものがた父 ぼんやりと薄暮め中に輝き,我々人間の眼にば西方高くに厳粛で荘重な列iをなし/あるいは神 秘的な線の混合をなして浮んでいるあの明るく輝く人像の外何もめ電見えなy詩刻であり,
また夕陽が燃えるようにその上に落ちかかる時刻である。そこでは灼熱した火の様な感情が燃 えあがり,そして一切の色彩は歌い,歓声をあげ,畷り泣ぐ。それは本当にこの世とは全く別 の世界なのだ。(9)」と中世のヴィトローに関するみごとな特徴描写において我勺こ役1『立?り は,ユリウス・ランゲ(JuHu5 Lange)ρこの文章である。かくてガラスと云う脆弱な物質や,
季節あるいは刻々の日の光の変化にまっ記て観ず剛恒療に熟か泌ず, 恒離逗串
篁禁罫講㌫蒜㌶籠懸;灘灘灘1蓮穰霧嵩差ζき:
聖母子裡者(図1)の傭を描漬窓ぱi「読繕きの出来ないものの聖割であっ辻}カピ
その主題に立ち至る前に,まずそのさんぜんたる輝き自体が見る者9〜貝をとらえる。そして窓は漣築内部を照らすこと以上にそれ自体の鑓域あた酷雌縞め滞犬競あ瀦夫、
空にひびかせ,人はこの輝きの導きによって信仰の高みK≒誘われてMくのである。13世紀・バ カテドラル建築の隆盛とともに高大な窓は「光め壁」 と花t∴〆ごの笹紀は質量をもたT尭の芸)
術」頒金献であつた。 −ill:1 1 i..:1 / , .−N誤・::沁・㌔鵠撤下糖パう (写真は筆者撮影一1.2.9.19以外)
体系にしたがった同一教義を,謙虚な信者 たちの眼前に提示する。;つ¢相異った方
.法によってではあるがぼれも直接感覚に 訴えかける素材を用いて信徒たちめ想像力 を次タとめざめさせていくρ籏る・
シャルトル酉正面の1.1,50年頃制作された 三つの大ガラス窓(シュジェr− 〜ピがサン・
ドニで完成させたヴィトロe・一・を正確に写し たものと云われる)において,F我々は突 如として,もっども美しい創造が,すでに 実現されたごとを知らされる(8)」云これら 平行な格子を描く金属性め縁どり
60 畏 岡 宏
注
(1}Gothic・一・中世美術においてロマネスク(10−−12世紀)に次いで起った様式。この表示はヴァサーリ が中世における黄術の堕落をゴート人によると考えたところから由来する。元来建築様式の名称であ るが,現在はゴシック建築様式の行なわれた中世の後半,大体12−15世紀に亘る美術の画期として用 いられる。
2}Vltraば(仏)……Staind glass.。種々の金属成分によって着色した半透明の硝子板片を各様の大き さ,形にして鉛の細長い片で熔接結舎して作られた装飾や絵の表現。ゴシック様式による教会建築の 窓ガラスに用いられたが,元来は近東に起源をもつガラス製造法であり,イタリア北部に伝わった技 法が10世紀ヴエネツィアで盛んとなる。次いでフランスに入リゴシックの特色を表現した。
{3)Suger……12世紀のパリ郊外サンドニ修道院の院長で,始めて12世紀申葉,その修道院の教会堂の内 陣部,正面部の建築と彫刻をゴシック式様式をもって改築し,ゴyック芸術の形成に貢献した。農民 の出であるが,モの修道院で育てられ,フランス国王ルイ了世の信任あつく国政の顧問としても活躍 した。
(4)pointed−arch……ゴシヅク嬢築において活用された尖頭形のアr・・ チ。正方形の平面の上に肋窒産を 架する場合,各辺上の4本の半円形アーチの頂点と対角線上の2本の半円形アーチの頂点とはその高 さを異にするため,窟耀の重量は4辺のアーチにかかり肋離の利点が発揮されない。ヒモれを解決す るために4辺のアーチを尖頭形にすることが考案されたが,同時に教会堂の内部及び外部の開口部も またこの形式に調和するために尖頭ア・・ 一チ形式をとるにいたり,ゴシック建築の重要な要素となっ た。 1
㈲ogive−vaUlt……肋奪笹の筋違骨。即ち交叉鷺庭の稜線に沿って対角線に交る太い切石のアーチをか けることによって肋弩窪が成立するが,この補強アーチをオジープと云う。その機能は胃塵の璽量を 四隅の支柱に導く点にある。オジープはすでにロマネスクの教会堂にあらわれているが特にゴシック においては構造上の利点と明蜥な視覚効果とのために広く用いられた。
⑥arc−boutant……裁石によって築かれた大アーチで,建物の他め部分とは独立に,外観にはっきりと モの姿を現わし,異った高さのいくつかの身邸からなる建物の中央身廊をいわは側廊をまたいだ恰好 で横から支える役割をはたしている。これは,しだいにma 〈築かれるようになった中央身廊の窒隆が 課す横圧力を,これとは反対の圧力を身廊の側面に加えることによって解消しようとした結果考案さ れたe
(7)il−de−France(仏)……Parisを首都とする古代フランス(フランク王クロヴィスが所轄していた地 方)の州名。現在もこの名称は使用されるe
引用文献
a)
〔2]
㈲
(4)
㈲
⑥
(7)
{8)
{9)
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同上
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