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雑誌名 福井大学医学部研究雑誌

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著者 宮島 光志

雑誌名 福井大学医学部研究雑誌

巻 12

号 1.2

ページ 53‑71

発行年 2011‑12

URL http://hdl.handle.net/10098/5114

(2)

   三 木 清 と戦 時 下 の 出 版 文 化

全集未収の婦人論と哲学辞典の改訂をめぐって一

          宮 島 光 志

医学科  国 際社 会 医学講座 ・医療人 文学領域

MIKI Kiyoshi und die Veroffentlichungskultur der Kriegszeit in Japan Zu einem unbekannten Artikel fiber Frauen und zu seiner Neubearbeitung

eines philosophischen Worterbuchs —

MIYAJIMA, Mitsushi

Abteilung fur internationale Sozialwissenschaften (Bereich Hurnanwissenschaften),

Medizinische Fakultdt

Zusammenfassung :

Der japanische Philosoph MIKI Kiyoshi (1897-1945) widmete sich wahrend des sogenannten "funfzehnjahrigen Krieges" in Japan (1931-45) der journalistischen Tatigkeit und abte dadurch groBen Einflul3 auf breite Leserschaften aus. Bis heute ist die philologisch vollstandige Aufarbeitung dieser journalistischen Texte in der MIKI-Forschung allerdings leider nicht realisiert worden. Um diese Lucke zu fallen, bietet der vorliegende Beitrag zwei Materialien dar.

Erstens zeigt der Abdruck seines Artikels "Frauen und Bildung" (in: Fuzin-Gaho, Bildmagazin far Frauen, Jan. 1937), der in MIKIs Gesamtausgabe nicht aufgenommen ist, die Meinung MIKIs, dass far Frauen einerseits pragmatisch-technisches Wissen far die alltagliche Lebensfuhrung der Krigszeit und andererseits auch die eigentlich humanistische Gesinnung (Schonung des Lebens) wichtig ist. Zweitens wird Das moderne Worterbuch der Philosophie (Hrsg. MIKI et al., 1936) mit dessen durchgearbeiteter "Neue[n] Fassung" (1941) verglichen, und so eine Liste der wichtigsten Ersetzungen und Umschreibungen von ausgewahlten Artikeln zusammengestellt. Die Liste dokumentiert, dass MIKI komplizierte Mal3nahmen gegen die Zensur treffen musste. Diese zwei Dokumente sollen so neues Licht auf die Veroffentlichungskultur der Kriegszeit in Japan werfen.

Schhisselworter : MIKI Kiyoshi, der ftinfzehnjahrige Krieg in Japan, Veroffentlichungskultur, Frauen, Philosophie (Received 6 September, 2011 ; accepted 16 November, 2011)

(3)

は じめ に一 報告 者の 関心 と本 報告 の経 緯

昭 和期 の 日本 思 想 を再 検 討 す る機 運 が 高 ま っ て 久 し い。 そ の 具 体 的 な成 果 も多 種 多 様 で あ り,多 方 面 に及 ん で い る。 しか し,三 木 清 と戸 坂 潤 の場 合,思 想 研 究 の基 礎 資 料 と な るべ き個 人 全 集 の編 纂 が い ま な お 不 十 分 な状 態 に 止 ま っ て い る。 少 な く とも 西 田幾 多 郎 や 和 辻 哲 郎 の場 合 と比 べ れ ば,『 三 木 清 全集 』(全20巻,岩 波 書 店,1986年 完 結)と 『戸 坂 潤 全集 』(全5巻+別 巻, 勤 草 書 房,1979年 完 結)は 厳 密 な校 訂 を経 た決 定 版 と は言 い難 い 。 そ こ に は現 に 各 種 の遺 漏 や 不 徹 底 が 見 ら れ る が,当 時 の 編 者 た ち もま た,そ れ も 止 む な し と し て い た。 だ が,こ の こ とは 裏 を返 せ ば,三 木 や 戸 坂 に つ い て は,西 田や 和 辻 以 上 に,新 た な 資 料 を 発 見 す る 可 能 性 が 残 され て い て,そ の 必 要 性 も 高 い とい うこ と に な ろ う。

報 告 者 は数 年 来,い わ ゆ る 「15年戦 争 」 当時,お よ び 戦 後 数 年 に わ た る思 想 状 況 に 関心 を持 っ て い る。 敗 戦 か らす で に3分 の2世 紀 が 過 ぎ よ う と して い る今 日, そ の 当 時 を 知 る人 々 も次 第 に少 な くな っ て き た 。 学 問 的 な レベ ル で は,現 代 日本 社 会 が い ま な お 戦 中戦 後 の 思 想 的 混 沌 を引 き摺 り続 け て い る の で は な い か とい う 疑 念 が,だ が も っ と身 近 な レベ ル で は,自 分 の 親 た ち の世 代 は そ の 当時 どん な 青 春 の 日々 を送 っ て い た の だ ろ うか とい う興 味 が,報 告 者 を動 機 づ け て い る。

戦 時 下 の 困 難 な時 代 状 況 と対 峙 しな が ら独 自の 思 想 を展 開 し,つ い に は等 し く悲 惨 な獄 死 を 強 い られ た 両 者,す な わ ち三 木 と戸 坂 の 生 涯 と思 想 は,当 時 の 混 沌

と した 思想 状 況 を 映 し出 す 鏡 で あ る。 両者 の 事 績 を辿 る さい に,報 告 者 は 〈思想 の リア リテ ィ 〉 へ の こ だ わ りか ら,彼 らが 活 躍 した 当 時 の 文 献 は で き るだ け 〈現 物 〉 に 当 っ て み る こ とを 心 が けて い る。 そ うした な か で報 告 者 は,一 方 で は 『三 木 清 全 集 』 に収 め られ ず に 今 日に 至 っ た 三 木 の 随筆 「婦 人 の 教 養 」 を 入 手 す る幸 運 に恵 ま れ,他 方 で は 当 初 の 編 集 とそ の後 の 改 訂 が謎 に包 まれ た 三 木 清 編 『新 編 現 代 哲 学 辞 典 』 の 問 題 性 に

目覚 め る こ とに な っ た。

な お,こ れ ら2点 に つ い て は,そ れ ぞ れ す で に学 会 や 研 究会 の 場 で 調 査 結 果 を 口頭 発 表 して い るが,そ の 要 旨 が残 され た のみ で,調 査 報 告 の全 体 像 は 文 書 化 さ れ て い な い 。 そ こ で,三 木 清 の 関連 の基 礎 資 料 と して 広 く研 究 者 の便 宜 に供 したい との想 い か ら,新 た に 「三 木 清 と戦 時 下 の 出版 文 化 」 とい う総 合 的 な 見 出 しの 下 に 両者 を 統 合 ・再 構 成 して,本 誌 面 を借 りて 公 表 す る こ とに した次 第 で あ る(1)。

【報 告1】 三 木 清 の 婦 人 論 一 時局 評論 とその彼 岸 以 下 で は,報 告 者 が翻 刻 した 随 筆 「婦 人 の 教 養 」 の 全 文 を 引 用 ・紹 介 しな が ら,三 木 清 の 「婦 人 論 」 お よ び 「女 性 観 」 を再 構 成 して み た い 。 こ の 随想 は 一 方 で

「時 局評 論 」 と い う性 格 を 強 く帯 び な が ら も,他 方 で はそ う した制 約 を超 え て,三 木 が 女性 に託 した 〈理 念 〉

とで も言 うべ き も の を い ま に 伝 え て い る。 報 告 の 副 題 に 「時 局 評 論 とそ の彼 岸 」 と掲 げ た所 以 で あ る。

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図 版1】 掲 載 誌 の 表 紙

5

譲は獲の嚢は職に甕欝の﹂.つと擦へられ

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図 版2】 婦 人 の 教 養 」 冒頭 部 の2段 落

(4)

1.周 辺 的 な 事 情 を 瞥 見 す る 一 時 代 背 景 と三 木 の 個 人 史

最 初 に,随 婦 人 の 教 養 」 の 書 誌 情 報 を,簡 単 に ま と め て お き た い 。 掲 載 誌 は 『婦 人 画 報 』(昭 和13年 新 年 号[1.月1日 発 行],全256頁,98‑99頁)で,見 き2頁 に 横3段 組 み で 掲 載 され て い る(約4,000字)。

こ の 随 筆 は イ ン テ リ ゼ ン ス 」 欄 の 冒 頭 を 飾 り,菊 寛 の 随 筆 「幸 福 な る 結 婚 」(100‑103頁)が そ れ に 続 く。

ち な み に,時 代 状 況 を 反 映 し た 座 談 会 「女 は ど う変 わ る か 一 戦 争 と 女 性 を 語 る 座 談 会 」(出 席 者:[評 論 家]

神 近 市 子,[温 知 氏 夫 人,歌 人]阿 部 静 枝,[小 説 家]

高 見 順,[日 本 主 義 評 論 家]浅 野 晃,[婦 人 問 題 研 究 科]

玉 城 肇;130‑139頁)も,目 次 上 で は 同 じ 「イ ン テ リゼ ン ス 」 欄 の 企 画 と し て 位 置 づ け られ て い る 。

次 に 三 木 清 の 婦 人 雑 誌 へ の 寄 稿 に つ い て,『 三 木 清 全 集 』(第20巻)の 著 作 年 譜 」 か ら拾 っ て み る と, 下 の 【表1】 の とお り で あ る(な お,没 後 に 掲 載 され た2点 は 省 略)。 意 外 な こ と に,有 名 な2編 の 西 田 論 は, と も に 婦 人 雑 誌 へ の 寄 稿 で あ っ た 。 「西 田 幾 多 郎 先 生 の こ と」(西 田 論)と 「婦 人 の 教 養 」(教 養 論)と を 『婦 人 画 報 』 に 相 前 後 し て 掲 載 す る に 当 た り,(雑 誌 編 集 者 か ら の 求 め に 応 じ た に せ よ)三 木 な り の 配 慮 が 働 い て い た の か も 知 れ な い 。

そ し て こ の 『婦 人 画 報 』 と い う婦 人 雑 誌 で あ る が, い わ ゆ る 戦 前 の 「4大 婦 人 雑 誌 」 の 草 分 け と し て1905 年 に 創 刊 され て い る 。同 誌 に 『婦 人 公 論 』(1916年 創 刊) が 続 き,さ ら に 『主 婦 の 友 』(1917年 創 刊)と 『婦 人

倶 楽 部 』(1920年 創 刊)と が それ らの後 を追 っ た と され る(2)。そ れ らの うちで 『婦 人 画報 』 は,政 治 性 や 思 想 性 に 乏 し く,む しろ画 報 と して そ の親 しみ 易 さ を売 り し て い た と され る(創 刊 当 初 は 国 木 田独 歩 が そ の 編 集 長 を務 め て お り,現 在 で も同 誌 は ア シ ェ ッ ト婦 人 画 報 社

(1999年 設 立)か ら刊 行 され て い る)。

それ で は 「婦 人 」 とい う論 題 は,三 木 の 著 作 活 動 を 通 じて,ど の く らい 取 り上 げ らた の で あ ろ うか 。 先 の

「著 作 年 譜 」 に よれ ば,は っ き り と 「婦 人 」 とい う語 を掲 げ た文 章 は意 外 に も少 な く,【表2】 の3点 に 限 ら れ て い る。 周 知 の よ うに,三 木 は折 に触 れ て 「青年 論 」 や 「イ ンテ リゲ ンチ ャ論 」 を書 い て い る が,「 婦 人 論 」

とな る と ご く限 られ て い た こ とが 分 か る。 しか も 「婦 人 の教 養 」以 外 の2編 は 新 聞 の コ ラム に す ぎな い の で, 以 下 で 取 り上 げ る 「婦 人 の 教 養 」 こ そ は,三 木 が 女 性 の読 者 を 明確 に意 識 して 書 い た 〈唯 一 の本 格 的 な婦 人 論 〉 と言 っ て よ か ろ う。

最 後 に,三 木 の個 人 史 お よび 当時 の歴 史 状 況 につ い て も,最 低 限 の事 柄 を確 認 して お き た い。 三 木 は最 初 の妻,喜 美 子 を 昭和11年8 .月6日 に喪 い,一 人 娘 の洋 子(昭 和5年 生)を 抱 え て 父 子 家 庭 の苦 労 を味 わ っ て い る。 そ うした な か で 喜 美 子 の 一 周 忌 に は,愛 娘 の た め に 亡 き 母(自 分 の妻)の 想 い 出 を綴 っ た 「幼 き者 の 為 に 」 を残 して も い る(追 悼 文 集 『影 な き影 』 所 収)。

婦 人 雑 誌 へ の寄 稿 が 昭和12年6月 か ら始 ま るの は,そ う した個 人 的 な事 情 とも無 関係 で は な か ろ う。

【表1】 三 木 清 の 婦 人 雑 誌 へ の 寄 稿 実 績

・「時 代 の 感 覚 と知 性 」(昭 和12年6 .月 『婦 人 公 論 』,全 集 第13巻,391‑401頁)

・「西 田幾 多 郎 先 生 の こ と」(昭 和12年12 .月 『婦 人 画 報 』,全 集 第17巻,245‑247頁)

・「婦 人 の 教 養 」(昭 和13年1月 『婦 人 画 報 』,全 集 未 収)← 本 報 告 の 対 象

・「生 活 文 化 と 生 活 技 術 」(昭 和16年1月 『婦 人 公 論 』,全 集 第14巻,384‑401頁)

・「西 田先 生 の こ と ど も 」(昭 和16年8月 『婦 人 公 論 』,全 集 第17巻,295‑312頁)

・「新 しい 環 境 に 処 して 」(昭 和18年5 .月 『婦 人 公 論 』,全 集 第15巻,559‑571頁)

【表2】 三 木 清 の 「婦 人 」 に 関 す る 執 筆

・「婦 人 と 学 校 」(昭 和12年1 .月 『現 代 の 記 録 』 〔〈 『読 売 新 聞 』〕,全 集 第16巻,201‑203頁)

・「婦 人 の 教 養 」(昭 和13年1月 『婦 人 画 報 』,全 集 未 収)← 本 報 告 の 対 象

・「婦 人 の 進 出 」(昭 和13年10月 東 京 だ よ り」 〔〈 『大 新 京 日報 』〕,全 集 第16巻,543‑545頁)

(5)

さ らに そ の後,三 木 は 昭和14年11.月 に小 林 い と子 と再 婚 す るが,不 幸 に も,5年 を経 ず して この2人 目 の妻 ま で 喪 うこ とに な る。 とか く若 い 頃 の 女 性 ス キ ャ ン ダル が取 り沙 汰 され る三 木 で は あ る が(3),実生 活 で は, 最 も身 近 な 女 性 で あ る配 偶 者 の 死 に2度 も際 会 す る こ

とに な っ た 。 これ は女 性 観 の 問 題 を超 え て,三 木 の死 生 観 に 関 わ る重 要 な 出来 事 とな っ た と され る(4)。

そ うした 私 生 活 上 の 苦難 も さ る こ とな が ら,当 時 の 日本 が 直 面 して い た歴 史 的 状 況 に 目を 向 け るな らば, 昭和12年7月7日 の盧 溝 橋 事 件 に端 を発 す る 日中戦 争 が,そ の 後 の 三 木 の執 筆 活 動 に深 い影 を 落 とす こ とに な る。 早 くも 「事 変 と生 活 」(昭 和12年9月 『現 代 の 記 録 』,全 集 第16巻)で は 「生 活 の合 理 化 」 を訴 え か け,ま た 「日本 の現 実 」(同 年11月 『中央 公 論 』,全 集 第13巻)で も(霧 しい伏 字 か ら も窺 え る よ うに)時 局 に対 す る批 判 的 な姿 勢 が 貫 か れ て い る 三木 で は あ るが, 翌 年 の 「事 変 の進 歩 的意 義 」(昭 和13年11.月 『現 代 の 記 録 』,全集 第16巻)で は,「 東 亜 協 同 体 論 」を掲 げ て, 時局 の進 展 を思 想 的 に 正 当 化 しよ う とす る発 言 が 目立 っ よ うに な っ て い る。

そ の 後 の 戦 線 の拡 大 は,そ う した思 想 の 展 開 とは無 関係 に,も っ と身 近 な 不 幸 と して,三 木 自身 に も跳 ね 返 っ て き た。 昭和15年4月 に,末 弟 の健 が 中 国 で戦 死 した の で あ る。 そ れ で は,そ の よ うな過 酷 な 時 代 状 況 に身 を 置 き な が ら,三 木 は 「婦 人 の教 養 」 と題 して, い っ た い何 を語 っ た の で あ ろ うか。

2.時 局 か ら見 た教 養 の形 骸 化 一 「婦 人の教養」導入部

随筆 「婦 人 の 教 養 」 は連 続 す る9段 落 か ら成 り,内 容 か ら見 れ ば,導 入 部 か ら展 開 部 へ,そ して 終 結 部 に 至 る3部 構 成 を取 っ て い る。 表 記 上,実 際 の 誌 面 で は 漢 字 にす べ てル ビが付 され て い る が 【図版2】,こ う し た配 慮 は,当 時 の 婦 人雑 誌 に 一 般 的 な こ とで あ る。(以 下 で 実 際 に 三 木 の文 章 を 引 用 ・紹 介 す る が,丸 囲 み の 数 字 ① か ら⑨ ま で は,報 告 者 が 便 宜 的 に 補 っ た も の で あ り,も ち ろ ん原 文 に は付 され て い な い。)

① 近 年 わ が 国 にお い て も,婦 人 の教 養 とい ふ も の に次 第 に 変 化 が 生 じて きた 。 か よ うな 変 化 は 恐 ら く今 度 の 支 那 事 変 を機 と して 更 に著 し くな るの で

は な か ら うか と思 う。 実 際 こ の事 変 は 日本 人 に と つ て種 々 の 意 味 に お い て 全 く画 期 的 な 重 要 性 を も つ て い る。 そ れ に よ つ て 今 後 ひ き起 こ され る多 く の変 化 に 対 して誰 も 十 分 な 用 意 を も つ こ とが 大 切 で あ る。

② 以 前 は 婦 人 の教 養 は 単 に 嫁 入 道 具 の 一 つ と考 へ られ た。 道 具 といっ て も実 際 に役 に 立 て る とい ふ の で な く,単 に形 式 的 な 意 味 にお け る資 格,或 ひ は装 飾 に 過 ぎ な かつ た 。 男 子 が 婦 人 に 対 して 要 求 した の もか や うな資 格 と して の装 飾 と して の 教 養 で あ つ た 。 そ れ は形 式 的 な 資 格 で あ つ た 故 に,卒 業 証 書 だ けで 足 りた の で あ る。 しか し資 格 はや か ま し く云 は れ た。 何 事 に 依 らず,わ が 国 で は資 格 をや か ま し く云 ふ 。

③ そ して 入 る に難 く,い つ た ん 入 つ て しま へ ばル ー ズ で あ る とい うの は,何 事 に依 らず,わ が 国 に お け る弊 風 の 一 つ で あ つ た 。 男 子 に して も,高 等 文 官 試 験 にパ スす る ま で は い ろい ろや か ま しい こ とが あ る。 しか し一 度 そ の 試 験 に通 つ て 官 吏 に な つ て しま へ ば,あ とは た い て い 年 功 に よつ て 昇 進 し,こ れ とい ふ 試 験 を す る必 要 も な い。 婦 人 の場 合 に お い て も,結 婚 す るま で は資 格 の こ とが や か ま し く云 はれ る けれ ども,一 旦 結婚 して しま へ ば, そ の後 に お い て 自分 の 教養 を高 め て ゆ く とい ふ こ とは必 要 とせ られ な い の が つ ね で あ り,む しろ多 くの人 は 学 校 で学 ん だ こ とす ら忘 れ て しま つ て 平 気 で あつ た。

この よ うに,導 入 部 で は,当 時 の所 謂 「支 那 事 変 」 の歴 史 的 な 重 要 性 か ら説 き 起 こ して,従 来 の 「婦 人 の 教 養 」 が とか く形 式 的 な もの で あ っ た こ と を批 判 して い る。 そ れ は 同時 に 〈日本 的 な 教 養 の あ り方 〉 に対 す る全 般 的 な批 判 で も あ っ て,旧 来 の 〈形骸 化 した 教養 〉 に よっ て は 今 後 の 〈時 局 の 展 開 〉=〈 戦 線 の 拡 大 〉 に は対 応 し切 れ な い とい う警 鐘 を,三 木 は 静 か に打 ち鳴

ら して い る の で あ る。

な るほ ど,こ こ で 「花 嫁 道 具 の一 つ 」 と言 わ れ て い る教 養 とは,具 体 的 に は,今 日で も 「花 嫁修 業 」 の一 部 と見 な され る華 道 や 茶 道 な どの嗜 み で あ ろ う し,あ る い は ご く少 数 者 だ け に 許 され た 類 の 「卒 業 証 書 」 と い うモ ノで あ ろ う。 だ が,当 時 の三 木 は,硬 直 化 した

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入 試 制 度 や 官 僚 組 織 に,全 般 的 な 〈教 育 の 形 骸 化 〉 の 元 凶 を 見 て 取 っ て い た。 例 え ば前 年 の 「試 験 と学 制 改 革 」(「時 局 と思 想 」所 収,昭 和12年9月 『日本 評 論 』, 全 集 第15巻,174‑181頁)で は,安 井 文 相 が掲 げ る 「入 学 試 験 一 科 目制 」 と 「暗記 試 験 」 の弊 害 を 論 じて,次 の よ うに み ず か らの教 育論 を披 歴 し,フ ァシ ズ ム の台 頭 を椰 楡 して い る。

「精 神 は 暗 記 に よつ て捉 へ られ 得 る も の で は な い 。 精 神 を捉 へ るた め に は 各 自が 自己 自身 の 精 神 を 自 由 に活 動 させ る こ とが 必 要 な の で あ る が,暗 記 は それ とは 逆 の こ とで あ る。 … 我 が 国 に お け る官 僚 フ ァ ッシ ョと云 はれ る もの の 弊 害 も,外 国 の フ ァ シ ズ ム を 暗 記 的 に輸 入 す る こ とか ら生 じて い る。

否,フ ァシ ズ ムそ の もの の 弊 害 は,人 間 の 自 由 な 創 造 的 精神 を高 圧 す る と こ ろ に存 して い る。 安 井 文 相 の 国 史 一 科 目制 は この や うな フ ァシ ズ ム 的 傾 向 を有 す る も の で は な か ら うか。」(第15巻,175‑

6頁)

(昨今 で は,一 方 で は特 に教 養 教 育 を念 頭 に置 い て 「単 位 の 実 質 化 」 が 叫 ばれ,他 方 で は学 術 の進 歩 や 技 術 革 新 に遅 れ を と らな い た め の一 さ らに は 高齢 化 社 会 に も 応 じた一 「生 涯 教 育(学 習)」の重 要 性 が説 かれ て い る。

総 じて 〈教 養 の形 骸 化 〉 を 危 惧 し,「 自分 の教 養 を高 め て ゆ く」 努 力 を促 す,と い う点 か ら見 れ ば,70年 前 の 往 時 も今 日もそ の事 情 に 大 差 は な い と言 え ま い か 。 こ の場 を借 りて 問題 提 起 を してみ た い。)

3.実 際 的技 術 的知 識 の必 要 性 一 「婦人の教養」展 開部

続 く展 開 部 で は,女 性 の 社 会 進 出 に と もな う教 養 の 変 容 が話 題 と され,「 実 際 的 技 術 的 知 識 」の必 要 性 が繰 り返 し説 か れ る。 社 会 的 背 景 と して は,戦 時 体 制 下 で これ ま で 以 上 に 〈女 性 の 自立 〉 が求 め られ る よ うに な っ た とい う事 情 が挙 げ られ る。 実 際,三 木 は こ こで, 大 陸 に お け る戦 線 の 拡 大 と類 比 的 に,「 婦 人 の職 業 戦 線 の拡 大 」 を論 じて い る の で あ る。

④ 近 来 か や うな傾 向 が 次 第 に な くな つ て きた の は 主 と して 社 会 的 事 情 に 基 い て い る。 即 ち 種 々 の 事

情 に よつ て 職 業 戦 線 に 出 て 活 動 す る婦 人 が 多 く な つ て き た 為 で あ る。 こ こで は教 養 は もは や 単 に形 式 的 な もの で な く,ま して 単 な る装 飾 で あ り得 な い。 婦 人 の 教 養 は 実 際 の 必 要 に なつ て き た の で あ る。 わ が 国 の 女 子 教 育 は か や うな変 化 に応 じて な ほ改 革 され て い な い と こ ろが 多 く,こ の 点 につ い て大 き な改 革 を必 要 と して い る。

⑤ と ころ で 支 那 事 変 は か や うな変 化 を 著 し く深 め つ つ あ るや うに思 はれ る。 そ れ は一 般 的 に云 つ て 婦 人 の職 業 戦 線 の拡 大 とな るで あ ら う。 ヨー ロ ツ パ に お い て も,あ の 大 戦 を機 会 と して婦 人 の 職 業 へ の進 出 が 目立 つ て 多 くな つ た とい ふ 事 実 が あ る。

職 業 へ の 進 出 が拡 大 され て くれ ば,そ れ に応 じて 婦 人 の 実 際 的 技 術 的知 識 が 必 要 と され て く る わ け で あ つ て,こ れ ま で の 婦 人 の 教 養 に は この 実 際 的 技 術 的 知 識 の方 面 が欠 け て い た。

⑥ 婦 人 の職 業 へ の進 出 は 事 変 の影 響 に よ る男 子 の 手 不 足 に よつ て必 要 とな つ て くる で あ ら う。 そ こ に は 出征 家 族 の生 活 問題 も あ る。 夫 の 出征,親 兄 弟 の 出征 の た め に生 活 が 困 難 に なつ た場 合,婦 人 は働 か な けれ ば な らな い 。 従 つ て そ こに は 婦 人 の 職 業 的 な 再 教 育 の必 要 が 生 じて くる。 更 に こ の職 業 教 育 の 必 要 は戦 死 者 の 未 亡 人 や 戦 傷 者 の 妻 の場 合 に お い て 甚 だ大 き い と云 わ ね ば な らぬ 。 戦 死 者 の未 亡 人 の 問 題 はす で に ぼ つ ぼつ 問題 に な つ て い る。 ひ とは 彼 女 等 に 再 婚 を勧 め る で あ ら う。 そ し て も し再 婚 が 容 易 に で き る も の で あ るな ら ば,こ れ に越 した こ とは な い か も知 れ な い が,わ が 国 に お い て もす で に事 変 前 か ら,結 婚 は次 第 に 困難 に なつ て ゆ く傾 向 が 見 られ た し,ま た事 変 の 影 響 の た め に 更 にそ の 困難 の 度 を加 えつ 々 あ る。 そ れ 故 に彼 女 等 が 再 婚 し得 な い 場 合,彼 女 等 の ま た 戦 傷 者 の妻 た ちの 職 業 教 育 とい ふ こ とが必 要 に なつ て くる。 ま こ と に 『芸 が 身 を助 け る不 仕 合 せ 』 で あ る が,こ れ も致 し方 が な い 。 しか し これ ま で の普 通 の婦 人 の もつ て い た 芸 は 身 を助 け るの に は あ ま り役 に 立 た ない 性 質 の もの で あつ た。 そ こ に 国家 と して も この 際,戦 死者 の 未 亡 人,戦 傷 者 の 妻 な どの職 業 につ い て考 え彼 女 等 の職 業 的 な 再 教 育 に っ い て考 へ ね ば な らぬ筈 で あ る。

(7)

【表3】 三 木 清 の 「教 養(教 育 ・文 化)」 論

・「教 養 論 の 現 実 的 意 義 」(昭 和12年4月 『改 造 』,全 集 第13巻,310‑325頁 〔教 養 論 〕)

・「技 術 と文 化 」(昭 和12年11 .月,掲 載 紙 不 詳,全 集 第13巻,464‑474頁)

・「教 育 の 権 威 」(昭 和12年11月 『教 育 新 聞 』,全 集 第15巻,207‑211頁)

・「戦 争 と文 化(昭 和12年11月 『中 外 商 業 新 報 』,全 集 第13巻,475‑481頁)

・「技 術 と大 学 の 教 育 」(昭 和12年11 ,月 『蔵 前 新 聞 』,全 集 第13巻,382‑487頁)

・「婦 人 の 教 養(昭 和13年1月 『婦 人 画 報 』,全 集 未 収)← 本 報 告 の 対 象

・「文 学 と技 術 」(昭 和13年1 .月 『文 学 』,全 集 第12巻,251‑258頁)

・「再 教 育 の 必 要 」(昭 和13年8 .月 「東 京 だ よ り」,全 集 第16巻,533‑535頁)

と りわ け 末 尾 の一 文 は,戦 時 下 で の婦 人 教 育 とい う 国策 に つ い て,三 木 が 具 体 的 な提 言 を して い る も の と も読 む こ とも で き る。 三木 は そ の後,昭 和13年8月 に は近 衛 内 閣 の ブ レー ン集 団 と され る 「昭 和研 究 会 」(昭 和11年12.月 発 足)に 加 入 して,文 化 部 会 を 引 っ張 る こ とに な る。 そ う した政 治 的 な 関心 も,す で に こ の随 筆 に は色 濃 く現 れ て い る。

だ が他 方 で,後 に 『技 術 哲 学 』(昭 和16年)や 『構 想 力 の論 理 』(第3章 「技 術 」,昭 和18年)に 結 実 す る 三 木 の 技 術 論 が,こ こで の 思 想 的 な地 盤 とな っ て い る (「制 作 的人 間 」 「形 の 思想 」)。ま た,こ の 随 筆 の 前 後 に は幾 多 の 「教 養(教 育 ・文化)論 」 や 「技 術(科 学) 論 」 が 執 筆 され て い るが(【 表3】),そ のい ず れ も が多 少 と も時 局 評 論 とい う性 格 を帯 び て い る こ と も見 逃 せ な い。 な か で も 「技 術 と大 学 の 教 育 」 で は,大 学 教 育 に お け る 「普 遍 的 な教 養 」 と 「専 門 的 な 教 養 」 との一 体 性 が 説 か れ,「 技 術 家 」(専 門家)と 「デ ィ レ ッタ ン

ト」(偽 の 教 養 人)と が 対 置 され る。

「… 大 学 は 或 る意 味 に お い て 普 遍 的教 養 の 場 所 で な けれ ば な らない 。 この 普 遍 的 教 養 は デ ィ レ ッタ ン テ ィ ズ ム と 区別 され る こ と が大 切 で あ る。 何 一 つ 真 に 専 門 的 な教 養 を 有 し ない 者 は真 に 普 遍 的 な 教 養 を 有 す る こ と もで き な い で あ ら う。 普 遍 は特 殊 と結 び 付 き,特 殊 を 通 じて 現 れ る もの に して 真 の普 遍 で あ る。 技 術 家 は デ ィ レ ッタ ン トとま さに 反 対 の もの で あ る。 デ ィ レ ッ タ ン トとは 厳 格 な技 術 的 訓練 を有 しな い者 の こ とで あ る。」(第13巻, 485頁)

そ し て ま さ に こ の 教 養 の 見 取 り 図 〉 を な ぞ る よ う に し て,「 婦 人 の 教 養 」 の 展 開 部 は,さ ら に 後 半 へ と進 ん で い く。 三 木 は そ こ で 今 一 度,「 婦 人 の 教 養 」 が 変 容 す べ き 旨 を,次 の3点([1]〜[3]:報 告 者)に 要 約 し て い る 。

⑦ かや うに して婦 人 の 教養 とい はれ る もの につ い て も考 へ 方 が変 つ て こ な けれ ば な らぬ。[1]先 ず 第 一 に,そ の 教 養 の 内容 が 知 識 的 技 術 的 な もの に な る こ とが 重 要 で あ る。 この こ とは婦 人 が 外 に 出 て 働 か な い 場 合 に も大 切 な こ とで あ る。 現 在 外 に 出 て働 く必 要 の な い婦 人 に して も,い つ如 何 な る場 合 に そ の 必 要 が生 じて く るか も分 らな い こ と は, 今 度 の 事 変 にお け る 出征 家 族 の場 合 を 見 て も 明 ら で あ る。 ま た 内 に い る 場 合 にお い て も,婦 人 が知 識 的技 術 的 な教 養 を もつ て い る とい ふ こ と は夫 の 仕 事 を助 け る な ど とい ふ 時 に必 要 な の で あ る。 西 洋 に お い て の や うに婦 人 が 夫 の仕 事 に 協 力 す る と いふ こ とが 我 が 国 に お い て は 稀 で あ つ た 理 由 の一 つ に は,こ れ ま で の 日本 婦 人 の教 養 が 知 識 的 技 術 的 な もの で ない た め に仕 事 に役 に立 た な か っ た と いふ こ と も あ る の で あ る。 教 養 の 内容 が 変 化 す る こ とが必 要 で あ る。[2]次 に これ ま で は,た とひ 教 養 が あ つ て も,そ れ を使 ふ とい ふ こ とが 婦 人 に と つ て は少 な か つ た。 しか る に使 は な い 教養 は真 の 教 養 で は な い 。 それ は使 ふ こ とに よ つ て の み 真 に 身 に っ い た 教 養 とな る の で あ る。 この 点 にお い て も,婦 人 が 職 業 に進 出 す る とい ふ こ とは 自分 の教 養 を 実 際 に使 用 す る こ と を意 味 す る の で あ る が, 職 業 に就 か ない 婦 人 の 場 合 も,今 日の機 会 に 自分

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の教 養 を い ろい ろ な方 面 で 実 際 に使 用 す るや うに 考 へ ね ば な らぬ 。 使 用 す る とい ふ こ とは 誇 示 す る こ とで は な い 。 誇 示 され るの はむ しろ 装 飾 と して の教 養 で あ る。 教 養 を 装飾 の よ うに 考 へ る こ とが な くな れ ば,そ れ が 実 際 に使 用 され る や うに なれ ば,教 養 が 鼻 につ い た り,キ ザ な も の で あ つ た り す る こ とが な くな る の で あ る。[3]更 に附 け加 へ て 云 え ば,教 養 が 実 際 に使 用 され る も の とな れ ば, 教 養 を 求 め る こ とが 単 に 学 校 時 代 に 限 られ る とか 結 婚 前 に 限 られ る とか い ふ こ とが 自然 に な く なつ て くる。 これ は多 くの 男 子 につ い て も云 へ る こ と で あ る が,教 養 を求 め る とい ふ こ とが,た だ 青 年 時代 の み の こ とで あ つ て,結 婚 で もす るや うに な つ た後 に は 教 養 を高 め よ うとす る意 志 が ま るで な くな る といふ こ とは,我 が 国 の 弊 風 の 一 つ で あ る。

かや うな 男 子 の弊 風 を な くす る た め に も婦 人 が 教 養 を 一 生 の 仕 事 と考 へ るや うに な る こ とが 大 切 で あ る。

これ らの うち,[1]「知 識 的技 術 的」な 面 の 重 要性(〈外

=社 会 〉 と 〈内=家 庭 〉 の 両方 で の)と ,[2]そ れ ゆえ 身 に つ け て 「使 う」 こ と(実 用 性)の 大切 さは,す で に前 半 で言 われ た 内容 の敷 衛 にす ぎ な い。だ が,[3]「 教 養 を 高 め よ う とす る意 志 」 の 重 要 性 を述 べ た 付 言 は, 男 性 社 会 の 弊 風(教 養 軽 視)を 正 す た め に,む しろ女 性 に期 待 を 寄 せ る 旨 を表 明 して い る が,こ れ は 新 た な 見 解 で あ る。 そ して この期 待 の 表 明 は,続 く終 結 部 へ の伏 線 とも な っ て い る の で あ る。

4.生 命 と文 化 の擁 護 へ の期 待 一 「婦人 の教 養」 終結 部

と ころ が 終 結 部 で は,論 調 が 一 転 して,婦 人 の 教 養 が文 化 擁 護 との 関連 で よ り積 極 的 に語 られ る。 ま ず 先 行 段 落 で,教 養 の 「普 遍 性 」 が 強 調 され る(展 開 部 で 見 た 「実 用 性 」 と基 本 的 に異 な る視 点)。 だ が,紙 幅 の 制 約 に よ るの か(あ る い は 紙 面 編 集 上 の 止 む を得 な い 措 置 の 結 果 か),最 終 段 落 は 長 々 と1つ に ま とめ られ て い る。 内 容 的 に も十 分 な 展 開 を欠 く恨 み が あ るが, それ は 大 き く3つ に分 け る こ と が で き る([1]〜[3]:

報 告 者)。

⑧ しか し こ こ で考 へ ね ば な らぬ こ とは,右 に述 べ たや うな 事 情 に よ っ て 婦 人 の 職 業 へ の進 出 が 著 し

くな る と共 に,教 養 が 単 に 技 術 的 な もの,職 業 的 な もの,専 門的 な も の の や うに見 られ る危 険 が他 の反 面 に 生 ず る とい ふ こ とで あ る。 教 養 は 普 遍 的 で な け れ ば な らぬ。 普 遍 的 な とこ ろ が な い 教 養 は 真 に教 養 とい ふ こ とが で きぬ 。 そ の 限 り教 養 は ま た一 面 に お い て装 飾 とい っ て も好 い と こ ろ を も っ てお りま た も た な けれ ば な らぬ 。 文 化 に は 多 かれ 少 かれ か や うな装 飾 的 な 意 味 が あ る の で あ って, 教 養 もま た か や うに して 文 化 人 を作 るの で あ る。

た だ そ の 装 飾 の意 味 が 野 蛮 人 の好 み の や うな も の で な くて 真 に文 化 人 に ふ さ は しい もの で あ る こ と が大 切 で あ る。

⑨[1]今 日の社 会 に お い て は 政 治 が 圧 倒 的 な 勢 力 とな り,文 化 に対 して い ろい ろ な圧 力 を 及 ぼ して い る。 これ は 現 代社 会 の 一 つ の 著 しい 特徴 で あ る。

文 化 も政 治 化 され,文 化 と して の独 自性 を失 ひ つ つ あ る。 か や うな状 態 が 続 け ば,文 化 は 次 第 に滅 び て しま は ね ば な らぬ か も知 れ な い。 政 治 の 圧 力 は そ ん な に強 い の で あ る。 そ して大 多数 の 男 子 は 全 く政 治 に熱 中 して い る。 か や うな状 況 にお い て 婦 人 に 対 して 希 望 され る こ とは 真 に文 化 を 理 解 し, 文 化 を愛 し,文 化 の 味 方 に な る とい ふ こ とで あ る。

これ ま で 比 較 的 に或 ひ は む しろ殆 ど全 く政 治 に 関 係 の な か っ た 婦 人 に対 して,か や うな 文 化 の 純 粋 な愛 を期 待 した 〔い?〕 の で あ る。[2]も とよ り私 は婦 人 が政 治 に 関心 し,政 治 に進 出 す る こ とす ら, 決 して悪 い とい ふ の で は な い 。 今 日,世 界 的 に 云 っ て,政 治 が 支 配 的 な位 置 を 占 め て文 化 を圧 迫 し て い る とす れ ば,文 化 を ま も る た め に も政 治 につ い て認 識 を もつ こ とが 必 要 で あ る。 政 治 につ い て の教 養 が 大 切 で あ る こ とは 云 ふ ま で もな く,特 に わ が 国 の 婦 人 は こ の政 治 的 教 養 につ い て 考 へ ね ば な らぬ もの が あ る の は確 か で あ る。 ま た 今 後 にお け る社 会 の 変 動 はす べ て の 婦 人 に対 して 政 治 的 知 識 の,政 治 的 活 動 す らの 必 要 を益 々 高 め るで あ ら

う。 政 治 的 関 心 と政 治 的 教 養 とを もっ こ と は要 求 され て い る。[3]し か し政 治 主 義 に は文 化 に とっ て の危 険 が あ る。 こ の 点 に お い て 婦 人 は 文 化 擁 護 の 立 場 に 立 ち,政 治 主義 の 危 険 か ら文 化 を衛 る とい

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ふ こ とに 比 較 的 好 都 合 な位 置 にお かれ て い るの で は な い か と思 ふ 。 もち ろん,文 化 を 防衛 す るた め に は先 ず 文 化 を理 解 しな けれ ば な らぬ。 従 って 婦 人 の 教養 の 高 め られ て ゆ く こ とが要 求 され て い る の で あ る。 婦 人 は子 供 を 産 む といふ 生 理 的 な,自 然 的 な仕 事 を負 は され て い る。 こ の こ とは 婦 人 を

して本 能 的 に ヒュー マ ニ ズ ム の立 場 に 立 た せ る も の で あ り,ま た 婦 人 が 自覚 的 に ヒュ ー マ ニ ズ ム の 立 場 に 立 た ね ば な らぬ とい うこ とに とっ て 極 め て 象 徴 的 な 事 実 で は な い で あ ら うか。 そ して 真 の ヒ ュ ー マ ニ ズ ム の うち に は 生 命 に対 す る 愛 は も とよ り,教 養 とか 文 化 とか い ふ も の に対 す る愛 が 含 ま れ ね ば な らぬ 。 なぜ な らば 人 間 は ま さに そ れ に よ っ て動 物 とは 区別 され,人 間 の名 に値 す る人 間 と な る の で あ る。 ヒュ ー マ ニ ズ ム は先 ず 生 命 の 愛 か ら出発 しな けれ ば な らぬ 。 そ して それ は 真 の 生 命 とは何 か,真 に人 間 的 とい はれ 得 る 生命 とは 何 か とい ふ こ と に対 す る深 い認 識 に よ っ て発 展 して ゆ くの で あ る。 か か る真 の 生 命 の獲 得 に よっ て 完 成 され る の で あ る。

まず 短 い第8段 落 で は,〈 普 遍 的 な 教 養 〉と 〈技 術 的, 職 業 的,専 門 的 な教 養 〉 とが 区別 され,〈 真 の教 養 は普 遍 的 で な けれ ば な らな い〉 と言 わ れ る。 そ して 「教養 」 は 「文 化 」 と等 置 され,そ れ らの 「装 飾 的」(非 実 用 的) な意 味 が 部 分 的 に認 め られ る。 だ が,そ れ ら2つ の教 養 が どの よ うに 関係 し合 うか につ い て は,何 ら具 体 的 な説 明 が な され て は い な い 。 ち なみ に,先 の 大 学 論 で は,「 何 一 つ 真 に 専 門 的 な教 養 を 有 しな い 者 は真 に普 遍 的 な 教養 を有 す る こ と もで き な い で あ ら う。 普 遍 は 特 殊 と結 び 付 き,特 殊 を 通 じて 現 れ る もの に して 真 の 普 遍 で あ る」 と語 られ て い た 。 そ の先 で の 説 明 に よれ ば,こ うした 〈普 遍 と特 殊 の 結 び 付 き〉 は 次 の よ うに

して実 現 され る の で あ る。

「彼 〔真 の 技 術 家 〕 は 自 己の 特 殊 の仕 事 の 意 味 を 普 遍 の うち にお い て 自覚 し な けれ ば な らぬ 。 か や うな 自覚 に も種 種 の もの が 考 へ られ る。 即 ち一 つ の技 術 を 全 体 の技 術 との 関 連 にお い て認 識 す る こ とも そ れ で あ る,ま た 技 術 と理 論 との 関 連 を認 識 す る事 もそ れ で あ る。 そ れ ら は いつ れ も重 要 で あ

る 。 し か し 今 日最 も 重 要 な こ と は,自 己 の 特 殊 な 仕 事 の 意 味 を 社 会 の うち に お い て 自 覚 す る と い ふ こ と で あ る 。」(第13巻,486頁)

この 「自 己 の特 殊 な仕 事 の 意 味 を社 会 の うち にお い て 自覚 す る とい ふ こ と」 は,さ らに 「責 任 」 とい う概 念 に よ っ て説 明 され て い る。す な わ ち,「 人 間 はす べ て 自己 の行 動 の 結 果 に つ い て 社 会 に対 して 責任 を有 す る とす れ ば,技 術 家 と して 自己 の 技 術 そ の もの に対 して 責 任 を 有 す る こ とは勿 論,彼 は 社 会 人 と して 自 己 の技 術 の 結 果 に つ い て 社 会 に 対 して 責 任 を 有 し て い る 」

(同書,487頁)の で あ る。 これ を現 代 の学 問 的状 況 に 引 き つ け 理 解 す れ ば,例 え ば 〈普 遍 的 な 教養 〉 を 〈応 用 倫 理 学 的 な 見 識 〉 と して 捉 え る こ と もで き よ う。 だ が,そ れ は あ く ま で も 大 学 教 育 の場 合 で あ っ て,普 遍 的 な意 味 で の 「婦 人 の教 養 」とはや は り別 物 で あ ろ う。

実 際,今 日で あ っ て も,〈 応 用 倫 理 学 的 な見 識 〉 を 「装 飾 」 と して 身 につ け る こ とな ど,本 来 的 に は 是 認 され な い で あ ろ う。

結 局 三 木 は,次 の第9段 落 で 明 言 され る よ うに,あ くま で も 〈ジ ェ ンダ ー(性 差)〉 の 見 地 に 立 っ て 〈普 遍 的 な教 養 〉 を説 い て い る の で あ る。 つ ま り,こ こ で の 教 養 は,「 普 遍 的 」とは 言 っ て も,男 女 の 間 で 「特殊 的 」 な もの に 止 ま っ て い る。 そ れ は 所 詮 「婦 人 に と っ て普 遍 的 な教 養 」 で あ っ て,「 男 子(と りわ けイ ンテ リゲ ン チ ャ)に とっ て普 遍 的 な教 養 」 とは別 物 で あ る。だ が, そ れ は何 も,婦 人 に とっ て 不 名 誉 な こ とで は な い 。 三 木 は 最 後 に,〈 婦 人 こそ が ヒ ュー マ ニ ズ ム の 推 進 者 で あ る〉 とい う期 待 な い し願 望 を表 明 して い る。 そ の さ い に は,も は や 現 実 の 「社 会 」(あ るい は 政 治)と の 関 わ りは 断 ち切 られ て,も っ ぱ ら 「文 化 」 や 「生 命 」 と い う抽 象 的 な 理 念 へ の 「愛 」 が 繰 り返 し語 られ る だ け で あ る。 だ が,こ の 随筆 の 持 ち味 は,そ して ま た 「三 木 清 の婦 人 論 」 の真 骨 頂 は,ま さに そ う した 言 説 に認 め られ よ う。

もち ろ ん,こ う した 終 結 部 に対 して は 各 種 の 批 判 が 向 け られ る こ とで あ ろ う。ま ず 思 い 浮 か ぶ の は,「 婦 人 は子 供 を 産 む と いふ 生理 的 な,自 然 的 な仕 事 を負 は さ れ て い る」 とい う文 言 の 問 題 性 で あ る。 そ れ は女 性 を

「産 む 性 」 と して 固 定化 す る こ とで あ り,「母 性 の神 聖 化 」 で は な い か,と い う疑 念 が 湧 い て こ よ う。 だ が,

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文 脈 に 即 し て 理 解 す れ ば,三 木 は ヒ ュ ー マ ニ ズ ム の 立 場 か ら,〈 生 殖 を も 含 め た 人 間 存 在 の 全 体 〉 を 積 極 的 に 評 価 し よ う と して い る の で あ る 。 そ の と き,男 性 に は ど う し て も 引 き 受 け られ な い 妊 娠 ・出 産 と い う 「自然 的 な 仕 事 」 が い か に 重 要 で あ る か を,三 木 は こ の よ う な 直 接 的 な 表 現 に よ っ て,素 直 に 綴 っ た と い うま で の こ と で あ ろ う。

ち な み に,三 木 は こ の 随 想 の 少 し前 に 「一 夫 一 婦 制 論 」 と い う歴 史 的 研 究 を 公 表 し て お り(昭 和12年10 月,『 家 族 制 度 全 集 』 第 一 部 史 論 篇 第 一 巻 『婚 姻 』,河 出 書 房,三 木 清 全 集 第17巻,97‑125頁),そ こ で 一 夫 一 婦 制 を め ぐ る 論 争 史 を 辿 り な が ら

,次 の よ うな 私 見 を 述 べ て い る 。

「婚 姻 は 人 間 の感 情 を 訓 練 し向上 せ しめ る とい ふ 倫 理 的 意 味 を有 して い る。 そ れ は男 女 間 の 本 能 的 な愛 情 を共 同 の 目的 の た め の思 慮 あ る,永 続 的 な, 責 任 あ る結 合 へ 変 へ る とい ふ 意 味 を 有 して い る。

婚 姻 の か くの 如 き倫 理 的 意 味 は一 夫 一 婦 制 にお い て の み 完 全 に実 現 され る こ と が で き る。 そ して 子 供 の教 育 は そ のや うな 共 同 の 目的 の最 も重 要 な も の に属 して い る。 然 る に 子 供 の教 育 に 対 して 最 も 適 当 な もの は 一 夫 一 婦 制 家 族 で あ る。 … 子 供 の な い婚 姻 は失 敗 で あ る と云 は ね ば な らぬ。」(第17巻, 121頁)

た しか に,こ う した言 説 に も,何 が しか 「母 性 の神 聖 化 」(理 想 化)が 働 い て い る こ と は否 定 で き ない 。今 日で は,「 子 供 の な い 婚 姻 は 失 敗 で あ る」 は,間 違 い な く禁 句 に 属 して い る。 だ が,女 性 を 「産 む 性 」 と して 固 定化 す る こ とは,ま して 「産 め よ殖 や せ よ」 とい う 国家 イ デ オ ロ ギー は,〈 婦 人 の 社 会 進 出 〉の重 要 性 を説 い た先 行 部 分 の 立 論 一 そ れ も また 国家 イ デ オ ロ ギー の 片 棒 を 担 ぐ もの で は あ る が一 と も矛 盾 す る こ とに な り, 三 木 の本 意 とは思 われ な い。(な お,和 辻 は 『倫 理 学 』 の 「二 人 共 同 体 性 愛 と夫 婦 」 と題 す る節 で,戸 坂 も 1936年 刊 『思 想 と風 俗 』 所 収 の 「現 代 青 年 子 女 の結 婚 難 」 とい う評 論 で,そ れ ぞ れ に一 夫 一 婦 制 を 論 じて い る。 彼 ら立 論 を相 互 に 比較 検 討 して女 性 観 の 異 同 を衆

り出す 試 み は,他 日に譲 りた い。)

次 に 「政 治 主 義 」 に対 す る批 判 で あ る が,こ の 点 に

つ い て も,当 時 の い わ ゆ る 「婦 人 運 動 」 の 高 ま りを全 面 的 に否 定 す る も の で は な い 。 む しろ 三木 は,世 の男 た ち の よ うに易 々 と政 治 に 絡 め取 られ て も らい た くは な い,と い う想 い を語 っ て い る の で あ る。 三 木 はそ の さい,「 政 治 主義 」 と 「文 化 擁 護 」(文 化 主 義)と の抗 争,と い う図 式 を 下敷 き に して い る。 もち ろん 三 木 自 身 は,若 い 頃 か ら一 貫 して 「文 化 主 義 」 の 立 場 を守 っ て き た。 だ が 三 木 は,こ の 随 筆 が 書 かれ た 当時,す で に そ の敗 北 を予 感 して い た の か も知 れ な い 。 そ う した 絶 望 感 と背 中合 わせ の状 況 下 で,三 木 は か ろ う じて婦 人 た ち の 自覚 に期 待 を 寄 せ,も はや 女 性 た ち を通 じて の社 会 変 革 に未 来 を託 す しか 道 は残 され て い な い,と 考 え始 め てい た よ うに思 われ る。(見 方 に よっ て は,三 木 はす で に そ こ ま で 弱気 に な って,厳 しい 現 実 か ら 目 を背 け るか の よ うに 「無 い もの 強 請 り」 を して い た と も言 え よ う。 少 な く と も,楽 観 的 な気 分 に 浸 りな が ら 夢 想 してい た,と い うわ け で は あ る ま い。)

小 括

本 報 告 の 狙 い は,冒 頭 で も述 べ た よ うに,ま ず は全 集 未 収 の 随 筆 「婦 人 の 教養 」 の 全 体 像 を,本 文 に即 し て紹 介 す る こ と に あ っ た。 そ の 途 中 で 三木 の 思 想 的 背 景 と時代 状 況 に も若 干 は 言 及 した が,進 歩 の 著 しい 女 性 史 や 社 会 史 の最 新 の研 究 成 果 に照 ら して そ の 言 説 を 批 判 的 に 吟 味 検 討 す る に は 至 らな か っ た。 そ れ らはす べ て報 告 者 の 今 後 の課 題 とな る。 だが,他 方で また, 当該 分 野 の研 究 者 た ち が この 随 筆 に着 目 し,そ う した 課 題 に取 り組 ん で くれ る こ とも期 待 した い。

そ して 包 括 的 な 日本 思想 史 研 究 と関連 させ て 言 え ば, 西 田や 和 辻 にせ よ,そ して 三 木 や 戸 坂 にせ よ,そ れ ぞ れ に 実 生 活 の 上 で最 も 身 近 な 女 性(配 偶 者)を 通 じて 人 生 の核 心 的 な 問題 に直 面 した経 験 を有 す る。 しか し, 彼 らの 女性 観 が 正 面 か ら取 り上 げ られ た こ と は,こ れ ま で ほ とん ど な か っ た よ うに 思 う。 と もす る と一 あ く ま で も私 的領 域 に属 す る 事 柄 と して一 不 当 に 倭 小 化 さ れ か ね な い テ ー マ で は あ るが,思 想(哲 学 ・倫 理 ・宗 教 な ど)の 研 究 が一 定 の 広 さ と深 さを 目指 そ うとす る とき,当 該 の 男 性 た ち が 女 性(異 性)の 存在 を ど の程 度 ま で意 識 して い た の か,そ の検 証 が 不 可 欠 とな ろ う。

不 十 分 な が らそ の緒 に就 い た とこ ろ で,本 報 告 を 閉 じ る こ とに したい 。

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【報 告2】 三 木 清 編 『現 代 哲 学 辞 典 』 と そ の改 訂

は じめ に一 《哲学 辞典 成立 の現 場》 を訪 ね て

奇 妙 な こ と に一 般 に哲 学 辞 典 に は 「哲 学 辞 典 」 とい う項 目が な い 。 哲 学 とい う知 的 な営 み が 絶 え ざ る 自己 反 省 に 定位 す る以 上,そ れ を多 様 に記 録 した 哲 学 辞 典 に は,直 接 的 な 自己言 及 で あ る 「哲 学 」 と併 せ て,媒 体 と して の 「哲 学 辞 典 」 に つ い て も説 明 が 欲 しい も の で あ る。 な る ほ ど 『百科 全 書 』 や 『百 一新 論 』 につ い て は記 載 され て い る が,そ う した 特 権 的 な位 置 を 占 め る作 品 は,ま さに例 外 中 の例 外 と言 わ ね ば な らな い。

た しか に どの 哲 学 辞 典 を 繕 い てみ て も,そ の 冒頭 に は格 調 高 い 「序 〔文 〕」 が 掲 げ られ て い て,当 該 書 が歴 史 上 の,あ るい は 同 時代 の 「哲 学 辞 典 」 を どの よ うに 理 解 して い るか は,そ うした 序 文 か らあ る程 度 は窺 い 知 る こ とが で き る。 もち ろん,そ こ に は 編 集 上 の 労 苦 や 改訂 の 必 要 性 な ど,そ の 辞 典 が辿 っ て き た 苦 難 の道 筋 が記 され て い る こ と も少 な く な い。 当 事 者 た ちが 実 際 に 直 面 した 困難 は,言 語 を絶 す る こ と もあ っ た に違 い な い。

以 下 で は,編 者 の一 人 が 後 年 「かず か ず の 秘 め られ た事 」(5)を示 唆 した 一 冊 の 哲 学 辞 典,す な わ ち三 木 清 編

『現 代 哲 学 辞 典 』(日 本 評 論 社,1936/1947年)と そ の 新 版(同 前,1941年)に ス ポ ッ トを 当 て る。 柴 田 隆行 氏 の 労作 『哲 学 史成 立 の現 場 』 に 倣 い,《 哲 学 辞 典 成 立 の現 場 》 を,敢 え て そ うした 〈謎 に満 ち た 哲 学 辞 典 〉 に即 して瞥 見 してみ た い。

1.三 木 清 編 纂 代 表 『現 代 哲 学 辞 典 』 の誕 生

1)「 序 」 に謳 わ れ た 編 集 理 念 『現 代 哲 学 辞 典 』 は, 三 木 清 を 代 表 と して,甘 粕 石 介 ・樺 俊 雄 ・加 茂 儀 一 ・ 清 水 幾 太 郎 の4者 が 「現 代 哲 学 辞 典 編 輯 部 」 の メ ンバ ー に名 を 連 ね て い る。 した が って,連 名 で 掲 げ られ た 序 に っ い て も,そ れ を 三木 自身 が書 い た とは 言 えず, 彼 らの共 通 認 識 と受 け止 め る しか な い。そ こで は ま ず, 過 去 半 世 紀 余 りで 日本 の 哲 学 界 が先 進 諸 国 と比 肩 し得 る ま で に発 達 し,「 日本 的 な る哲 学 建 設 の 声 も周 囲 に 聞 かれ る程 で あ る」 こ とが 指 摘 され る。 だ が,そ う し た活 況 を冷 静 に 考 え る よ うに 注 意 を促 し て,「 殊 に 学 問 の発 達 とい ふ が如 き こ とは 一 二 の 専 門 家 の 研 究 の深 度 に拠 っ て 計 り得 る もの で は な く して,そ れ の 決 定 的

な規 準 は 学 問 が 如 何 程 大 衆 の な か に普 及 し彼 等 の生 活 の うち に 生 きて い る か とい ふ こ とで な け れ ば な らぬ と す れ ば,こ の 問 題 の 判 定 は否 定 的 で あ ら ざ る を得 ぬ 」(6)

と結 論 づ け る。 こ の辞 典 が 〈大 衆 の啓 蒙 〉 とい う役 割 を重 視 して い る 旨 が,ま ず この よ うに 暗 示 的 に告 げ ら れ る。

そ の先 で は,「 現 代 哲 学研 究 会 」の会 員 を 中心 と して

「優 越 な る意 味 に於 て ま た 現 代 的 で あ らん こ と に努 め た」 と して,「 哲 学 に 隣接 せ る文 化 諸 学 科 を も取 り入 れ た広 義 の 哲 学 」 を対 象 と した こ と,お よび 項 目をす べ て 「大 項 目」 と した新 機 軸 を誇 り とす る こ とが 述 べ ら れ る(そ れ はVierkandtの 砺 η伽 δ鉱 θz加oカ ゴθr 50Z∫0108∫θ に倣 っ た とい う)。 さ らに は,こ う した 編 纂 方 針 は,「 項 目の選 定 に 当 つ て 当 代 の わ が 哲 学 界 で 最 も問題 と され る こ との 多 き幾 多 の項 目を 取 り容 れ た こ と と相 侯 っ て こ の辞 典 を 単 な る字 句 の詮 索 以 上 に読 物 の対 象 ともす る特 色 を有 たせ る こ と と思 ふ 」 と して,

「読 む 辞 典 」 とい う側 面 を強 調 して い る。

と ころ で,同 辞 典 の編 纂 を仕 切 っ た と 自任 す る樺 俊 雄 は,同 書 の 項 目 「日本 の 哲 学 」 で大 正 末 期 か ら昭 和 初 期 の 日本 哲 学 界 を 概 観 し(三 大 戦 以 降 の 哲 学),

「この 時 代 に至 っ て わ が 国 の 哲 学 上 の啓 蒙 運 動 はそ の 頂 点 に達 した と看 イ故す こ と が 出来 る 」(7)と記 して い る。

そ して 哲 学 辞 典 は 「哲 学 の 学 問 的 水 準 の 一 規 準 」 と考 え られ る との 観 点 か ら,そ の 出版 史 に言 及 して い る。

す な わ ち,宮 本 和 吉 他 編 『哲 学 辞 典 』(岩 波 書 店,1922 年)と 伊 藤 吉之 助 編 『哲 学 小 辞 典 』(同 上,1930年)に 対 して,「 こ れ らの辞 典 の 示 す 内容 は蓋 しわ が 国 哲 学 界 の水 準 を示 す も の と云 つ て 差 支 へ な い で あ ら う」 と

して,高 い 評 価 が与 え られ て い る。 こ う した 記 述 を考 え併 せ て み れ ば,三 木 た ち に よ る 『現 代 哲 学 辞 典 』 は これ らの 哲 学 辞 典 を 多 分 に 意 識 しな が ら,そ れ らに は な か っ た 斬 新 な編 集 方 針 を 打 ち 出 した もの で あ る と見 る こ とが で き る。 それ が 上 の 序 で 言 われ た 「現 代 性 」 で あ り,「 大 項 目主 義 」や 「学 際 性 」 に ほ か な らな か っ た。

2)戸 坂 潤 の 書 評一 進 歩 性 と物 足 りな さ そ れ で は, こ の斬 新 な 哲 学 辞 典 の評 判 は ど うで あ っ た か 。 執 筆 者 の一 人 で も あ る戸 坂 潤 は,同 書 を書 評 で 取 り上 げ て い る。 これ は い わ ゆ る 手 前 味 噌 で あ り,む し ろ 同書 の 宣 伝 とい っ て も よ か ろ うが,管 見 の及 ぶ 限 りで 同書 を扱

(12)

っ た唯 一 の書 評 で あ り,検 討 に値 す る。

戸 坂 は ま ず,同 書 の 一般 的 な紹 介 か ら始 め る。 す な わ ち,新 鋭 を含 む 編 集 執 筆 陣 の 充 実 ぶ り,大 項 目主 義 とい う特 色,索 引 の充 実,そ して 「読 む 辞 典 」 と して のユ ニー ク さな どで あ る。そ の うえ で 戸 坂 は,「 之 は単 に辞 典 で あ る ば か りで な く,又 一 つ の総 括 的 な 単 行 本 と考 え られ て い い の だ。 現 代 哲 学 に就 い て の 総 括 的 単 行 本 で あ る」(8)と畳 み か け る。内 容 上 の 特 色 に つ い て は, 戸 坂 自身 の 関心 に 引 き付 け て,次 の よ うに 敷 街 され る。

「現 代 哲 学 とい う意 味 は 併 し,単 に現代の哲学 を 指 す だ け で は な い。 現 代 に と っ て生 き た 意 味 を持 つ 処 の 哲 学 を指 す の で あ る。 そ して哲 学 と云 っ て も学 校 式 な 意 味 に於 け る所 謂 哲 学 だ け を 指 す の で は な く,一 切 の文 化 ・思想 ・学 術 ・の根 抵 を一 貫 す る 統 一 的 な 脈 絡 物 を 意 味 す る。 そ うい う意 味 で の広 義 の 哲 学 だ 。 で例 えば 階 級 論 とか イ ンテ リゲ ン チ ャ とか,経 済 学 ・言 語 学 ・考 古 学 ・ジ ャー ナ リズ ム ・新 聞 ・政 治 学 ・戦 争 ・地 理 学 ・民 俗 学 ・ 及 び 土 俗 学 ・其 の 他 其 の 他 の 項 目 が 含 ま れ て い る。」(同 前)

戸 坂 に よれ ば,こ う した 編 集 上 の 見識 は 執 筆 者 た ち に も共 通 の も の で あ っ て,「 一 つ の 哲 学 的 態 度 を 意 味 して 」 い る。 そ こ に 「この 辞 典 の もつ 哲 学 的 意 義 の要 点 」 が あ り,こ の哲 学 的 態 度 は 「諸 分 科 に 分 れ た 文 化 を総 括 し組 織 づ け得 る処 の エ ンサ イ ク ロペ デ ィス ト的 な能 力 」 を意 味 す る。そ れ は 「日本 の哲 学 界 ・思 想 界 ・ 乃 至 文化 圏 ・が 今 日相 当発 達 した とい う事 情 に照 応 す る も の と推 定 す る こ とが 出来 る だ ろ う」 し,「 学 術 の技 術 的 な ア カ デ ミ ック な水 準 と思 想 的 な水 準 と を能 く接 合 し得 た」(同 書434頁)証 左 で もあ る とい う。

だ が,戸 坂 の 書 評 は 手放 しの 賛 辞 で 終 わ るわ けで は な い。 彼 は 最 後 に,自 分 自身 の 立 場 か ら見 て この 辞 書 が ま だ 物 足 りな い点 を,極 めて 穏 や か な 表 現 に よ っ て 付 言 して い る。

「云 うま で も な く各 執 筆 者 も編 集 委 員 達 も客 観 的 公 正 を厳 守 して い る。 そ れ は辞 書 と して 当然 で あ り,又 思 想 ・学 術 ・の建 前 か ら して も当 然 な こ と だ。 見解 の 客 観 的 公 正 を厳 守 す る が 故 に,進 歩 的

見 地 に 立 た ざ る を得 な い わ けだ 。/だ が 進 歩 的 見 地 に 立 っ と云 っ て も そ の進 歩 の 段 階 に は 色 々 あ る。

こ の 書物 を貫 く進 歩 性 は 云 わ ば 自由 主 義 的 乃 至 社 会 民 主 主 義 的 な も の の そ れ に近 い だ ろ う。 そ の こ との 良 し悪 しは別 問題 だ が,と に か く今 は こ の進 歩 性 は尊 重 され ね ば な らぬ。」(同 前)

一 方 で 「辞 書 と して の客 観 的公 正 」が厳 守 され て お り, だ か ら こそ,他 方 で ま た 「進 歩 的 見 地 」 が採 られ て い る とい う。 だ が,戸 坂 が 綴 っ た の は,そ の進 歩 性 は 中 途 半端 な 段 階 に と どま っ て い る,と い う不満 で あ る。

な る ほ ど社 会 主 義 とい う最 終 段 階 に 向 け て ま だ 道 半 ば で は あ るが,こ の哲 学辞 典 は 先 駆 け と して 一 定 の意 義 を有 す る,「 現 に こ うした 「進 歩 的 」 な 辞 典,総 合 的見 地 のハ ッキ リ した 而 も翻 読 され るべ き性 質 を持 っ 進 歩 的 辞 典 は,日 本 で最 初 の もの な の だ か ら」,と 彼 は言 う の で あ る。

2.辞 典 編 集 者 と しての 三 木 清 一理 念 獲 得 の 足跡 三 木 清 は 久 し く哲 学 辞 典 の 理 想 像 を描 き続 けて きた 。 そ の足 跡 を ざっ と辿 っ てお こ う。す で に30代 の前 半 か

ら,三 木 は 『岩 波 哲 学 小 辞 典 』 『社 会 科 学 大 辞 典 』 『世 界 文 藝 大 辞 典 』な どの仕 事 に 関 与 した 実績 を持 ち,「 ジ ャー ナ リス トとエ ン サ イ ク ロペ ヂ ス ト」 と題 す る短 文 も残 して い る(『 読 売新 聞 』,1931年5月)。 そ の一 年 前 に検 挙 され た の を機 に,三 木 は 法 政 大 学 を 辞 任 し,ジ ャー ナ リス トと して の活 動 に 軸 足 を置 か ざ る を得 な く な っ て い た 。 つ ま り,も は や 狭 義 の哲 学 とい う枠 組 み に 囚 わ れ る こ と な く,む し ろ社 会 や 文 化 の 全 般 に わ た る 百科 全 書 的 な仕 事 に携 わ る必 要 に迫 られ て い た 。 そ う した な か で三 木 は,「 ア ンシ ク ロペ デ ィ」の基 本 精 神 と活 動 形 態 を次 の よ うに捉 え た の で あ る。

「そ こで は 公 平 な,無 理 の な い 定 義 や 学 説 が 求 め られ た の で は な い。 博 識 で は な く,批 判 が そ れ の 内容 で あ った …。 理 性 の 進 歩 に よ っ て 人 類 社 会 を 改 善 せ ん とす る熱 烈 な 意 図 の も とに,一 般 人 の 関 心 す る事柄 につ い て の伝 統 的 な知 識 を破 壊 す る こ とが そ れ の 目的 で あ っ た の で あ る。 … 百 科 辞 書 は こ の場 合 ポ レ ミ ック の 堆 積 で あ り,ま た 様 々 な題 目に つ い て の 随 筆 集 で もあ った の で あ る。 ヴ ォル

参照

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