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Vol.36 , No.2(1988)033根井 浄「浄土僧のキリシタン誨諭活動」

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印 度 學 佛 教 學 研 究 第 三 十 六 巻 第 二 號、 昭 和 六 十 三 年 三 月 一 九 二

肥 前 有 馬 島 原 地 方 に キ リ シ タ ン が 伝 来 し た の は 永 禄 五、 六 年 の こ と で あ っ た。 そ の キ リ シ タ ン 伝 来 を め ぐ っ て 地 元 の 宗 教 界 で は、 大 規 模 な 反 駁 運 動 が 展 開 さ れ た が、 殊 に 島 原 領 の 仏 僧 に よ る キ リ シ タ ン 拒 絶 運 動 は 極 め て 実 践 的 で あ っ た。 し か し、 一 方 で は、 仏 僧 の 説 教 に よ っ て 仏 教 の 教 義 が 論 じ ら れ、 特 に 浄 土 教 の 阿 弥 陀 信 仰 を 人 々 に 説 く こ と に よ っ て キ リ シ タ ン に 反 駁 し た こ と も あ っ た。 そ の 具 体 例 と し て 一 人 の 浄 土 僧 の 動 向 に 注 目 し て み た い と 思 う。 ﹃ 日 本 史 ﹄ 第 一 部 五 一 章 に よ る と、 島 原 の 町 に 別 当 と い う 名 称 を も つ 人 物 が い た。 彼 の 職 掌 は ( 各 ) 町 内 を 見 廻 る こ と で あ っ た。 彼 は 殿 以 上 に ひ ど い キ リ シ タ ン の 大 敵 で、 島 原 で デ ウ ス の 教 え が 説 か れ 出 す の を 見 る や い な や、 都 の 黒 谷 と い う と こ ろ に 行 き、 そ こ か ら 自 費 で も っ て 法 然 寺 と い う 仏 僧 を 連 れ 帰 り、 か の ( 島 原 の ) 地 で 阿 弥 陀 の 教 え を 説 か せ た。 そ こ で は 都 か ら 来 る と い う こ と は、 我 ら ( の キ リ ス ト 教 国 ) に お い て は 誰 か が ロ ー マ か ら 来 る よ う な も の で あ る か ら、 彼 が 都 か ら 来 た (僧 侶 で あ っ た )か ら、 殿 お よ び そ の 地 の 他 の 幾 多 の 異 教 徒 が そ の 宗 旨 に 帰 依 し た。 と み え て い る。 す な わ ち、 別 当 ( Betto)な る 人 物 が、 京 都 か ら 法 然 寺 と い う 仏 僧 を 島 原 に 送 り 込 み、 人 々 に 阿 弥 陀 の 教 理 を 説 か せ る こ と に よ っ て、 キ リ シ タ ン 伝 道 に 対 抗 し た の で あ る。 別 当 と は、 通 説 に よ れ ば 十 七 世 紀 初 頭 か ら み ら れ る 島 原 藩 行 政 組 謙 の 町 支 配 役 人 で、 町 奉 行 下 に 三 名 置 か れ て 数 ヶ 町 を 分 担 支 配 す る も の で あ っ た。 島 原 藩 の 基 本 文 献 で あ る ﹃ 深 溝 世 紀 ﹄ に よ る と、 有 馬 晴 純 ( 仙 岩 )の 時 代 に 別 当 ・隈 部 杢 左 衛 門 な る 人 物 が い た が、 慶 長 十 九 年 ( 一 六 一 四 )、 有 馬 直 純 が 日 向 延 岡 に 転 封 し た あ と に 島 原 に 入 部 し た 松 倉 重 政 の 城 下 町 建 設 に 当 た っ て、 こ の 杢 左 衛 門 が 商 工 業 者 を 率 い て 有 馬 か ら 島 原 に 移 住 し た こ と を 伝 え て い る。 し か し、 別 当 と い う 名 称 そ の も の は、 永 禄 四 年 ( 一 五 六 一 ) の ﹃ 肥 前 之 国 之 記 ﹄ の 大 村 地 方 に ﹁ 別 当 市 野 尉 殿 ﹂、 同 十 年

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の ﹃ 日 前 日 記 ﹄ の 有 馬 地 方 に ﹁ 別 当 殿 ﹂、 お よ び、 同 十 一 年 の ﹃ 肥 前 日 記 ﹄ の 伊 佐 早、 小 江 地 方 に も ﹁ 別 当 殿 ﹂ と い う 伊 勢 御 師 の 記 載 が あ り、 中 世 末 期 の 肥 前 諸 地 域 に 置 か れ た も の で あ っ た。 し か も 島 原 に も 別 当 な る 人 物 が い た こ と は、 先 掲 の ﹃ 日 本 史 ﹄ の 通 り で あ り、 フ ロ イ ス は そ の 人 物 に つ い て ﹁ 彼 の 職 掌 は ( 各 )町 内 を 見 廻 る こ と で あ っ た ﹂ と 明 記 し て い る。 し た が っ て 島 原 に お け る 別 当 と い う 職 称 は、 江 戸 時 代 の 島 原 藩 設 置 以 降 で は な く、 そ れ 以 前 か ら 存 在 し て い た 町 有 力 者 層 の 役 人 の 名 称 で あ っ た こ と が 理 解 で き る。 と も あ れ、 こ の 別 当 な る 者 が 都 の 黒 谷 か ら 法 然 寺 僧 を 連 れ て 来 た の で あ る が、 浄 土 宗 の 僧 で あ っ た こ と は 改 め て 指 摘 す る ま で も な い。 ﹁ 一 五 六 七 年 ・十 一 月 二 十 二 日 付 ・口 之 津 発 イ ル マ ン ・ミ ゲ ル ・バ ス 書 簡 ﹂ に、 ﹁ 四 旬 節 の 時、 浄 土 宗 と 称 す る 宗 派 の 坊 主 島 原 に 来 た り し が、 此 地 の 領 主 は 其 家 臣 一 同 と 共 に 従 来 の 宗 旨 を 捨 て て 之 を 奉 じ、 絶 え ず 慰 撫 と 威 嚇 と を 以 つ て キ リ シ タ ン 等 を 其 宗 派 に 入 ら し め ん ﹂ と み え る の は、 こ の 浄 土 僧 の 来 訪 を 報 告 し た も の と 考 え ら れ る。 浄 土 宗 の 僧 侶 が 対 キ リ シ タ ン 謳 論 策 に 一 役 を 担 っ た こ と は、 ﹃ 日 本 史 ﹄ に み え る 長 崎 五 島 列 島 の ﹁ 阿 弥 陀 仏 を 礼 拝 す る 浄 土 宗 の 僧 侶 ﹂ も 知 ら れ、 総 じ て キ リ シ タ ン 伝 来 当 初 は こ れ ら 浄 士 系 の 僧 侶 が そ の 対 策 に 任 用 さ れ た こ と を 示 唆 し て い る。 そ の こ と は 逆 に、 キ リ シ タ ン 伝 道 が 精 神 的 に は 日 本 浄 土 教 の 阿 弥 陀 信 仰 と、 そ の 仏 教 語 を 媒 介 と し て 行 わ れ た こ と を 物 語 つ て い る。 さ て 島 原 に 来 た こ の 浄 土 宗 の 仏 僧 は、 都 の 黒 谷 に あ っ た 法 然 寺 僧 で あ っ た と い う。 黒 谷 と い う 地 名 は、 ま ず 浄 土 宗 の 開 祖 ・法 然 上 人 (源 空 )が 修 行 し た 比 叡 山 西 塔 の 黒 谷 別 所 が 想 起 さ れ る。 し か し、 フ ロ イ ス は ﹁ 都 の 黒 谷 ﹂ と 記 し て い る の で、 こ の 比 叡 山 の 黒 谷 別 所 を 指 し た も の で は な い で あ ろ う。 法 然 寺 と い う 表 記 を 重 視 す れ ば、 か つ て 京 都 京 極 通 綾 小 路 下 町 に あ っ た 法 然 寺、 お よ び、 左 京 区 鹿 ヵ 谷 に あ る 法 然 院 が 問 題 に な る が、 黒 谷 と い う 場 所 に は 適 合 し な い こ と に な る。 そ こ で 考 え ら れ る こ と は、 黒 谷 と も 新 黒 谷 と も 呼 ば れ た 法 然 ゆ か り の 地 で あ る 現 在 の 金 戒 光 明 寺 が 注 目 さ れ る。 フ ロ イ ス が ﹁都 の 黒 谷 ﹂ と 記 し て い る の は、 こ の 金 戒 光 明 寺 が あ る 黒 谷 附 近 で あ っ た こ と は 疑 い な く、 俗 に 光 明 寺 が 法 然 寺 と 呼 ば れ て い た か、 あ る い は、 フ ロ イ ス が 著 名 な 法 然 ( 源 空 )の 話 を 聞 い て、 そ の 法 然 上 人 ゆ か り の 寺 院 と し て 法 然 寺 と 報 告 し た の か も 知 れ な い。 こ の よ う に フ ロ イ ス が 記 し た ﹁黒 谷 ﹂ の ﹁ 法 然 寺 ﹂ に つ い て は、 今 の と こ ろ 明 確 さ を 欠 く が、 島 原 の 別 当 の 要 請 に よ っ て 島 原 に 来 住 し た こ と は 事 実 で あ っ た。 そ れ は 永 禄 十 一 年 の ﹃ 肥 前 日 記 ﹄ に 島 原 の 寺 院 と し て ﹁ 法 然 寺 ﹂ と い う 記 載 が あ い ん も つ ち ゆ う け い り、 伊 勢 御 師 か ら 音 物 ( 土 産 品 ) と し て 中 啓 ( 扇 ) を も ら っ 浄 土 僧 の キ リ シ タ ン 謹 鉱 劃 活 動 ( 根 井 ) 一 九 三

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浄 土 僧 の キ リ シ タ ン 謳 諭 活 動 ( 根 井 ) 一 九 四 て い る こ と が 判 明 す る か ら で あ る。 し た が っ て、 都 の 法 然 寺 僧 が 島 原 に 来 て、 法 然 寺 と い う 寺 院 を 開 創 し た に 相 違 あ る ま い。 ﹃ 日 本 史 ﹄ の 記 事 は 永 禄 七 年 に 当 た り、 ﹃ 肥 前 日 記 ﹄ は 同 十 一 年 の 記 録 で あ る の で、 年 次 的 に も 何 ら 支 障 は な い。 ま た ﹃ 土 井 覚 兼 日 記 ﹄ 天 正 十 三 年 九 月 二 十 一 日 条 に は、 ﹁ 嶋 原 之 法 然 寺、 愛 元 へ 寺 家 被 賜 候、 祝 礼 と し て 被 来 候、 織 筋 一 被 来 候 ﹂ と み え て い る。 こ れ は 薩 摩 の 島 津 義 弘 か ら 肥 後 に 寺 家 を 賜 っ た そ の 御 礼 と し て 覚 兼 に 挨 拶 し た も の で あ る が、 こ こ に 法 然 寺 僧 が 義 弘 と 泥 懇 を 得 る 契 機 と な っ た こ と を 読 み 取 る こ と が で き る。 そ こ で こ の 法 然 寺 僧 の 動 向 を 追 求 し て み た い と 思 う。 ま ず 注 目 さ れ る の は、 ﹃ 三 国 名 勝 図 会 ﹄ ( 薩 摩 加 治 木 ・浄 土 宗 本 誓 寺 の 項 ) に 次 の よ う な 記 事 が み え て い る。 松 月 山 霊 鷲 院 本 誓 寺 (A) 開 山 運 誉 上 人、 初 め 運 誉 上 人 肥 前 国 島 原 法 然 寺 の 住 持 た り し に、 天 正 十 二 年 甲 申 退 院 し て 肥 後 国 八 代 荘 厳 寺 に 来 る。 ⋮⋮同 十 三 年、 松 齢 公 肥 後 の 阿 蘇 氏 を 伐 つ。 時 に 運 誉 九 月 十 五 日 ⋮⋮初 め て 松 齢 公 に 謁 す。 同 十 六 日 運 誉 を 以 て 肥 後 合 志 郡 光 明 寺 に 住 せ し (B) む。 ⋮⋮同 十 五 年 二 月、 運 誉 光 明 寺 を 遵 て 日 州 飯 野 に 来 り ⋮⋮同 十 六 年 正 月、 加 治 木 上 町 へ 小 庵 を 結 ぶ。 願 成 寺 と 号 す。 又 文 禄 四 年、 粟 野 願 成 寺 を 帖 佐 に 移 し 運 誉 を 住 せ し め 如 意 殊 山 と 号 す。 慶 長 元 年 十 一 月、 本 府 不 断 光 院 に 主 た ら し む。 此 前 後 浄 土 の 宗 門 を (C) 所 々 に 建 立 せ ら る。 ⋮⋮同 十 三 年、 本 山 よ り 命 あ り て 筑 後 国 善 導 (D) 寺 第 二 十 二 世 を 継 し む。 右 の 記 事 を 要 約 す る と、 お よ そ 次 の よ う に な る。 (A)運 誉 上 人 と い う 僧 侶 は、 か つ て 島 原 の 法 然 寺 の 住 持 で あ っ た。 (B)そ の 運 誉 上 人 ( 島 原 法 然 寺 僧 )は 島 津 義 弘 と 面 識 を 得 て そ の 計 ら い で 肥 後 に 寺 家 を 構 え た。 (C)そ の 後、 義 弘 に 任 用 さ れ て 薩 摩 に 移 り、 各 地 に 浄 土 宗 寺 院 を 開 創 し た。 (D)そ し て、 そ の 運 誉 上 人 は 筑 後 善 尊 寺 の 第 二 十 二 世 に な っ た。 以 上 の よ う に 整 理 さ れ る が、 こ れ ら の 項 目 に つ い て 少 し 補 足 説 明 し て み た い。 ま ず、 (A)運 誉 上 人 は、 島 原 法 然 寺 の 住 持 で も あ っ た と い う こ と で あ る が、 逆 に 言 え ば、 島 原 の 法 然 寺 僧 は 運 誉 上 人 で あ っ た、 と い う こ と で あ る。 す な わ ち 法 然 寺 僧=運 誉 上 人 説 で あ る。 法 然 寺 そ の も の に つ い て は、 永 禄 十 一 年 の ﹃ 肥 前 日 記 ﹄ に ﹁ 法 然 寺 ﹂、 お よ び、 ﹃ 上 井 覚 兼 日 記 ﹄ に ﹁ 嶋 原 之 法 然 寺 ﹂ と み え て い た の で そ の 実 在 が わ か る。 し た が っ て、 運 誉 上 人 な る 僧 を 他 の 文 献 で 確 認 し、 そ の あ と の 島 津 義 弘 と の 交 渉 が 判 明 す れ ば、 こ の 説 は 有 力 で あ る。 そ こ で、 (B)天 正 十 三 年 九 月 十 五 日 に、 運 誉 上 人 は 島 津 義 弘

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( 松 齢 公 )に 謁 見 し た と い う の は、 既 述 の よ う に 同 月 二 十 一 日 に、 肥 後 国 に 寺 家 を 贈 与 さ れ た そ の 謝 礼 に 覚 兼 と 面 会 し て い る の で、 お そ ら く こ の 十 五 日 に 寺 家 を 賜 っ た こ と を 指 し て い る の か も 知 れ な い。 こ の 天 正 十 三 年 九 月 十 五 日 は、 ﹃ 上 井 覚 兼 日 記 ﹄ に よ る と、 島 津 氏 の 阿 蘇 氏 討 伐 に 当 た っ て、 有 馬 晴 信 が 遅 参 な が ら 肥 後 の 島 津 氏 陣 中 に 合 流 し た 日 で あ る。 ﹃ 島 津 義 弘 譜 ﹄ に も ﹃ 有 馬 氏 錐 日 渡 海 来 格、 使 両 輩 糾 遅 参 之 故、 而 未 遂 対 面 也 ﹂ と あ り、 晴 信 が 遅 参 を 答 め ら れ、 義 弘 と 対 面 で き な か っ た こ と を 伝 え て い る。 こ の ﹃ 三 国 名 勝 図 会 ﹄ に み え る 運 誉 上 人 の 義 弘 謁 見 と、 ﹃ 上 井 覚 兼 日 記 ﹄ に み え る 有 馬 氏 の 肥 後 着 陣 の 九 月 十 五 日 は 単 な る 偶 然 で は な く、 お そ ら く 運 誉 上 人 と 晴 信 は こ の 日 に 一 緒 に 義 弘 に 謁 見 す る こ と に な っ て い た の か も 知 れ な い。 し か し、 運 誉 上 人 は こ こ に 義 弘 の 庇 護 を 得、 肥 後 国 に 寺 家 を 贈 与 さ れ た こ と は 事 実 で あ ろ う。 当 初 運 誉 上 人 は、 島 原 の 法 然 寺 を 退 院 し て 肥 後 八 代 の 荘 厳 寺 に 来 住 し た と い う。 そ の、 荘 厳 寺 は 文 明 年 間 の 第 七 世 ・英 檀 上 人 よ り 時 衆 と な り、 八 代 道 場 と も 呼 ば れ、 江 戸 時 代 に は 雲 谷 山 光 明 院 と 号 し、 筑 後 善 導 寺 の 末 寺 で あ っ た。 肥 後 の 戦 国 武 将 ・相 良 氏 の 記 録 で あ る ﹃ 八 代 日 記 ﹄ に よ る と、 享 禄 五 年 ( 一 五 三 二 )十 一 月 に 二 十 六 代 遊 行 上 人 空 達 が、 天 文 十 八 年 ( 一 五 四 九 )十 一 月 に は 二 十 八 代 遍 円 上 人 が 当 寺 に 巡 錫 し、 盛 ん に 連 歌 会 を 催 し て お り、 荘 厳 寺 は 人 吉 領 内 に お け る 時 衆 の 拠 点 で あ っ た。 ま た 義 弘 の 家 臣 で あ っ た 新 納 旅 庵 は こ の 荘 厳 寺 の 住 持 で も あ っ た。 一 方、 ﹃ 肥 後 国 誌 ﹄ ( 巻 二 ) に よ る と、 運 誉 上 人 は 肥 後 飽 田 郡 横 田 に あ っ た 阿 弥 陀 寺 の 第 十 五 世 で も あ っ た と 伝 え、 確 か に 運 誉 上 人 は 肥 後 国 内 の 浄 土 系 寺 院 の 各 所 に 留 ま っ た 形 跡 を 伝 え て い る。 次 に、 ◎ 運 誉 上 人 は、 肥 後 か ら 薩 摩 に 移 り、 領 内 に 浄 土 宗 寺 院 を 開 創 し た と い う こ と で あ る が、 そ の 運 誉 上 人 を 開 基 と す る 寺 院、 ま た は 住 持 で あ っ た 寺 院 を ﹃ 三 国 名 勝 図 会 ﹄ で 整 理 す る と、 次 表 の よ う に な る。 左 の 表 の よ う に 十 一 ヵ 寺 を 挙 げ る こ と が で き る。 こ の う ち、 願 成 寺 は 山 号 を 如 意 珠 山、 本 尊 を 阿 弥 陀 如 来 と す る 大 隅 浄 土 僧 の キ リ シ タ ン 講 諭 活 動 ( 根 井 ) 一 九 五

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浄 土 僧 の キ リ シ タ ン 謳 諭 活 動 ( 根 井 ) 一 九 六 一 国 の 浄 土 宗 の 本 寺 で あ っ た。 当 初、 文 禄 元 年 ( 一 五 九 二 )、 義 弘 の 御 願 に よ っ て 栗 野 城 下 に 建 立 さ れ、 同 四 年、 帖 佐 餅 田 の 松 本 寺 跡 に 移 建 し、 運 誉 を 住 持 と し た と い う。 義 弘 は そ の 本 堂 に 自 作 二 体 を 含 む 阿 弥 陀 如 来 千 体 を 奉 納 し、 世 に 千 体 仏 と 呼 ば れ て い た。 ま た ﹃ 義 弘 公 譜 ﹄ に は 次 の よ う な 慶 長 二 十 年 の 鐘 銘 を 載 せ て い る。 隅 州 帖 佐 郷 願 成 寺 者 前 薩 隅 日 三 州 大 守 惟 新 尊 君 所 草 創 之 精 盧 而 運 誉 上 人 修 念 仏 三 味 之 道 場 也 不 断 光 院 は 養 泉 山 無 量 寺 と 号 し、 か つ て は 時 衆 の 本 寺 ・ 浄 光 明 寺 の 西 側 に 隣 接 し て い た 寺 院 で あ っ た。 永 禄 五 年、 京 都 の 不 断 光 院 の 住 持 ・清 誉 上 人 が 下 向 し て 開 基 と な り、 島 津 貴 久、 義 久 は 大 い に 帰 依 し た と い う。 先 掲 の ﹃ 三 国 名 勝 図 会 ﹄ に み ら れ る よ う に、 慶 長 元 年、 義 弘 は 運 誉 上 人 を こ の 不 断 光 院 の 住 持 と し た と 伝 え て い る の で あ る。 二 方 法 光 寺 は、 海 室 山 清 水 院 と 号 し、 江 戸 時 代 に は 相 州 藤 沢 遊 行 寺 末 の 時 衆 寺 院 で あ っ た が、 ﹁ 往 古 は 浄 土 宗 に し て 運 誉 上 人 住 持 た り し こ と あ り と い ふ ﹂ と ﹃ 三 国 名 勝 図 会 ﹄ は 伝 え て い る。 最 後 に、 (D)運 誉 上 人 の 筑 後 善 導 寺 第 二 十 二 世 説 は、 ﹃ 筑 後 善 導 寺 志 ﹄ の 歴 代 住 持 の 項 に 第、 ﹁ 二 十 二 世 徳 蓮 社 運 誉 是 頓 上 人 ﹂ と あ り、 そ の 信 愚 性 を 伝 え て い る。 ま た ﹃ 肥 後 国 誌 ﹄ 阿 弥 陀 寺 村、 来 迎 院 の 項 ﹁ 運 誉 導後 住 寺善 ﹂、 お よ び、 ﹃ 三 国 名 勝 図 会 ﹄ 願 成 寺 の 項 ﹁ 開 山 運 誉 上 人 第筑 二後 十善 二導 世寺 ﹂ と い う 割 書 の 記 事 も、 後 世 の 地 誌 文 献 と は い え 無 視 で き な い。 以 上 の よ う に ﹃ 上 井 覚 兼 日 記 ﹄、 ﹃ 三 国 名 勝 図 会 ﹄、 そ の 他 の 記 録 か ら 浮 か び 上 が っ て く る 法 然 寺 の 僧 は、 運 誉 上 人 と 呼 ば れ る 僧 で あ っ た。 す な わ ち 天 正 十 二 年、 島 津 ・有 馬 氏 連 合 軍 と 龍 造 寺 氏 の 沖 田 畷 で の 一 戦 が 決 着 す る と、 島 原 の 法 然 寺 僧 は 島 津 氏 に 扶 持 さ れ た 可 能 性 が あ り、 そ の 島 津 氏 の 肥 後 移 動 と と も に 島 原 を 去 り 同 道 し た も の と 考 え ら れ る。 先 掲 の ﹃ 三 国 名 勝 図 会 ﹄ ( 本 誓 寺 の 項 ) に、 ﹁ 初 め 運 誉 上 人 肥 前 島 原 法 然 寺 の 住 持 た り し に、 天 正 十 二 年 甲 申 退 院 し て 肥 後 八 代 荘 厳 寺 に 来 る ﹂ と あ っ た の は、 そ の 時 間 的 動 向 を 伝 え て い る、 と い っ て よ い。 そ し て 島 津 義 弘 の 外 護 を 得 て 薩 摩 に 移 り、 領 内 に 多 く の 寺 院 を 開 創 し て い っ た と 理 解 で き る。 こ う し た 義 弘 と 運 誉 上 人 と の 関 係 は、 慶 長 二 年 ご ろ、 秀 吉 の 命 に よ っ て 朝 鮮 の 地 に 出 陣 し て い た 義 弘 が、 運 誉 上 人 に 再 会 を 求 め る 書 簡 を 認 め て い る と こ ろ か ら も 窺 わ れ、 義 弘 帰 朝 後 に も 多 く の 寺 院 が 建 立 さ れ た。 ﹃ 三 国 名 勝 図 会 ﹄ に、 ﹁松 齢 公 征 韓 の 役 に 赴 き 給 ふ 時、 御 誓 願 の 旨 あ り て 帰 朝 の 後、 建 立 し 給 へ る と 云 ( 法 禅 寺 の 項 ) ﹂ ﹁ 松 齢 公 朝 鮮 の 役 に 許 願 あ り。 御 帰 朝 の 後、 運 誉 に 命 じ 浄 土 寺 を 本 藩 に 若 干 建 立 せ ら る ( 西 安 寺 の 項 ﹂ ﹂ な ど と あ る の は、 こ の 間 の 事 ・情 を 物 語 っ て い る。

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こ の よ う に 島 原 の 別 当 の 要 請 に よ つ て 都 か ら 島 原 に 下 向 し、 キ リ シ タ ン の 謳 諭 活 動 と し て 民 衆 に 阿 弥 陀 の 教 理 を 説 い た 法 然 寺 僧 と は、 実 は の ち に 筑 後 善 導 寺 第 二 十 二 世 と な っ た 運 誉 上 人 で あ っ た の で あ る。 そ の 運 誉 上 人 は、 有 馬 領 島 原 に 進 出 し た 島 津 氏 に 功 績 が 認 め ら れ、 や が て 薩 摩 に 移 り、 義 弘 の 庇 護 を 得 て 浄 土 宗 寺 院、 特 に 鎮 西 派 の 教 線 を 領 内 に 伸 展 さ せ た の で あ っ た。 と こ ろ で 島 原 領 内 で は、 慶 長 十 八 年 ( 一 六 一 三 )、 江 戸 幕 府 の キ リ シ タ ン 禁 教 令 に 伴 い、 江 戸 か ら 浄 土 僧 の 幡 随 意 白 道 上 人 が 下 向 し、 キ リ シ タ ン 教 徒 を 講 諭 し た こ と は よ く 知 ら れ て い る。 た と え ば ﹃ 耶 蘇 天 訣 記 ﹄ は、 慶 長 十 八 年 癸 丑 年、 有 馬 左 衛 門 佐 直 純 力 領 内、 肥 前 高 来 郡 ノ 村 々 ⋮⋮吉 利 支 丹 宗 門 ノ 制 止、 日 々 間 断 ナ ク、 穿 墾 ア リ ト イ ヘ 共、 ト カ ク 旧 染 改 リ 難 ク、 動 ス レ ハ、 違 犯 ノ 奴 原 ア リ テ、 静 誰 ナ ラ ナ ル 間、 直 純 此 旨 ヲ 公 聞 二 相 達 シ 関 東 ヨ リ 幡 随 意 和 尚 ト 云 ル 浄 土 宗 門 ノ 学 碩 ヲ 請 待 セ ラ レ、 郡 中 所 々 二 於 テ、 数 日 説 法 ア リ。 と み え て い る。 そ の 他 ﹃ 幡 随 意 上 人 伝 ﹄ ﹃ 藤 原 有 馬 世 譜 ﹄ ( 直 純 譜 ) な ど も 同 様 な 記 事 を 伝 え て い る。 周 知 の よ う に、 江 戸 時 代 の 初 頭、 い わ ゆ る キ リ シ タ ン 禁 教 時 代 に な る と、 仏 教 界 の キ リ シ タ ン 反 駁 運 動 が 活 発 と な る が、 右 の 幡 随 意 上 人 も そ の 反 駁 僧 の 一 人 で あ つ た。 そ の 他、 元 和 七 年 ( 一 六 二 一 )に は 信 誉 と 伝 誉、 同 九 年 に は 転 誉 と い う 浄 土 僧 が 長 崎 に 出 向 い て キ リ シ タ ン 転 宗 の 促 進 を 計 っ た。 信 誉 と 伝 誉 は そ れ ぞ れ 法 泉 寺 を、 転 誉 は 三 宝 寺 を 構 え て キ リ シ タ ン 反 せ つ そ う 駁 僧 と し て 活 動 し た。 ま た、 豊 後 多 福 寺 ( 臨 済 宗 ) の 僧 ・雪 窟 宗 崔 の ﹃ 対 治 邪 執 論 ﹄ や、 も と 三 河 武 士 で あ っ た 鈴 木 正 三 ( 臨 済 僧 )の ﹃ 破 吉 利 支 丹 ﹄ な ど は、 い わ ゆ る ﹁ 排 耶 書 ﹂ と し て 有 名 で あ る。 特 に 宗 崔 の ﹃ 対 治 邪 執 論 ﹄ は、 ﹃ 制 蛮 録 ﹄、 ﹃ 契 利 斯 督 記 ﹄、 水 戸 藩 編 の 排 耶 叢 書 ﹃ 息 距 篇 ﹄ な ど に 収 録 さ れ て い る が、 島 原 の 乱 を 活 写 す る ﹃ 原 城 紀 事 ﹄ ( 巻 四 )に も 全 文 が 収 録 さ れ て い る。 ま た 鈴 木 正 三 の 弟 ・重 成 は、 天 草 の 代 官 で あ っ た が 島 原 の 乱 後 の 領 内 ﹁ 亡 所 ﹂ の 復 興 に 尽 力 し て お り、 島 原 半 島 社 会 経 済 史 を 構 築 す る 重 要 な 人 物 で も あ る。 こ の よ う に、 キ リ シ タ ン と 仏 教 の 交 渉 史 を 一 瞥 す る と、 フ ロ イ ス の ﹃ 日 本 史 ﹄ に み え た 法 然 寺 僧 H 運 誉 上 人 は、 日 本 宗 教 史 上 に お け る キ リ シ タ ン の 反 駁 僧 ・排 耶 僧 と し て、 そ の 先 駆 的 功 績 を 果 た し た 僧 侶 で あ っ た、 と い う こ と が で き る。 し か も 島 津 氏 が こ の 運 誉 上 人 を 抱 え こ み、 薩 摩 領 内 に 浄 土 宗 寺 院 を 開 創 さ せ て い つ た こ と 鳳、 島 原 に お け る 対 キ リ シ タ ン 対 抗 策 が 契 機 に な っ て い る こ と も 合 わ せ て、 注 意 を 払 わ な け れ ば な ら な い。 < キ ー ワ ー ド > キ リ シ タ ン 反 駁 運 動、 阿 弥 陀 信 仰、 運 誉 上 人 ( 神 戸 常 盤 短 期 大 学 教 員 ) 浄 土 僧 の キ リ シ タ ン 講 諭 活 動 ( 根 井 ) 一 九 七

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