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デボラ物語における戦争

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デボラ物語における戦争

著者

佐々木 哲夫

雑誌名

東北学院大学論集. 教会と神学

31

ページ

203-228

発行年

1999-02-25

URL

http://id.nii.ac.jp/1204/00000251/

(2)

佐 々 木 哲 夫

A

.

デボラの戦いは戦争か

戦争を是認していると批評される旧約聖書の戦争の記事をわれわれ はどのように読めばよいのか。また,それは,現代の我々に何を教え ているのか。これらの問いは,旧約聖書の読者が少なからず抱く疑問 である。例えば,

P

.

C

.

C

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i

g

i

e

は,

I

1

日約聖書を読もうとするさいには, 戦争への言及がどうも気になって仕方がない。旧約聖書の主題は,単 なる歴史記述とは到底考えられないからである。旧約聖書は,神の人 類に対する啓示の一部と信じられているからである」と語り,旧約聖 書の戦争の記事を,過去現代を問わず吟味しなければならない課題と 位置づけた。りまた,

P

a

u

l

D

.

Hanson

は,旧約聖書の戦争の記事に対 する現代人の応答を三つに分類した。2) 第ーは,戦争の記事に当惑し, 答えを見出せないまま沈黙してしまう応答である。

Hanson

は,この 応答では,現代における紛争などの武力闘争を黙認してしまう恐れが あると指摘する。第二は,戦争の記事を現代における軍事的行動参加 の正当化に積極的に利用する応答である。米国の聖書学者G.

E

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g

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は,かつてベトナム戦争に反対する平和運動に対し「ヤハ ウェは平和主義者ではなかった。わたしもそうではない

J

と語ったと 言われている。第三は,旧約聖書と新約聖書の聞に断絶を認める応答 203

(3)

である。例えば, Friederich Baumgartelは,

r

旧約聖書の言葉を『理 解』することは,われわれの信何にとって必然的に不可能である」と 語り,信仰の指導書としての位置を旧約聖書に与えることを拒否した のである。これら3つの応答を分類した後に, Hansonは,旧約聖書の 戦争に関する F.M. Crossの考え方を踏襲し,3)エジプトからの奴隷 解放の体験と古代オリエント世界の宇宙論を融合させた初期イスラエ ル人の祭儀に起因する文学作品だと推定した。4) 実存的課題を内包している旧約聖書の戦争の記事は,我々にも議論 するよう聞かれている。なぜ、なら,初代教会は,旧約聖書を信何の遺 産として継承し,新約聖書と共に正典に定め,旧約聖書との継続的対 話を保持したからである。5)議論の始めに,イ戦争」の言葉の定義を確 認しておきたい。今日,

r

戦争」は, 主権国家の政治主体が相当の期間 相当の規模で行う軍事的行動であり,しかも,当初,戦いの勝敗の帰 趨が明らかでないものと定義されている。それ故,厳密に定義するな らば,国家対圏内のグループ聞の軍事衝突は「内戦conflictjや「叛乱 rebellionjと呼ばれ,また,強固と小国の戦闘は「干渉interventionj とか「復仇reprisaljなどと呼ばれ,

r

戦争」と区別される。6) 「国家による国家に対する戦い」と戦争を定義する場合の「国家

J

と は,下記のいわゆる「国家の三要素

J

で定義される。7) (1) 政治単位を構成する国民 (2) 権威執行機関としての政府 (3) 政府が自律排他的に支配する領域 204

(4)

この定義は近代国家を対象としたものであるが,古代イスラエルの士 師時代(カナン定着の指導者ヨシュアの死から王国時代の先駆けとな る人物サムエルの登場までの期間)8)の部族連合組織にも適用し得 る。例えば,エジプトで奴隷となっていたヤコプの商であるイスラエ ルの人々は,単なる群衆ではなく,

I

十戒

J

の授与によりイスラエノレと してのアイディンティティを持つ「国民」になり,また,ヨシュアに 導かれて定着した土地カンナを所有している。政治主体が国家を維持 するためになすべきことは,外敵から国家を守る防衛(外交)と圏内 治安を維持する内政であった。9) この職務を果たしたのが,土師と長 老である。このように,国家としての体制が既に整っていたイスラエ ルの士師たちの行った戦いは,まさに,

I

戦 争jと呼び、得る戦いだ、った のである。

B

.

士師たちの戦いの歴史性

士師記を解釈する立場は,大きく二つに分けられる。第ーは,通時 的立場からの解釈である。即ち,本文 (text)に限定された解釈 (text centered exegesis)ではなく,本文の形成過程や著者の歴史的背景な どの考慮、を含む解釈 (authorcentered exegesis)である。10) 例えば, ユダヤ教の伝統的立場を表わす夕/レムードは,

I

サムエルは,その名を 帯びる書と,士師記とルツ記を記した

J

(Baba Bathra, 14b) と記し, 士師記の著者をサムエルと考えている。恐らく,カナン定着後から王 国成立直前までの時代をサムエルによる著作の時期と考えたのだろ

他方,キリスト教の伝統的立場は,エブ持ス人がエlレサレムにいたと 205

(5)

の記事(士 1:21),カナン人がゲゼ、ルに住んで、いたとの記事 (1:29), ツロではなくシドンがフェニキアの首都になっているとの記事(3:3) などを根拠に王国初期即ちサウル王朝かダビデ王朝の初期に著作時期 を想定する。しかし,著者に関しての特定はしていない。11)

1

8

3

0

節 の「国の捕囚の日まで (n~ワ n;'4

0

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寸!]) J の Yl~ワを竹本ワに読 み替えて「契約の箱が奪われる日まで」と理解し「ペリシテ人による 神の箱略奪事件

(

1

サム

4

-

5

章)Jを想定する説もある。12)捕囚という 事件を前提するにしても,捕囚は歴史的に幾度かイスラエルにおいて 起きており,特に,パビロン捕囚に限定する必然性はないと考える。川 文書資料仮説の立場は,]E資料に申命記資料Dを付加した編集者 の

R

Dがヨシュア記士師記サムエル記列王紀をも記した故に,五書の 資料がヨシュア記に連続していると想定した。さらに,ヨシュア記の カナン定着の物語は,五書のクライマックスであり,五書を完結する ものと考えられた。14) この立場は,五書資料がヨシュア記と士師記 l 章まで連続すると考えるいわゆる「六書」の立場である。15)換言する ならば,捕囚期の編集者

R

D

が文書資料をもとにして書き上げたイス ラエル史の中で初めて,ヨシュアからサウルまでの時代が土師時代と 認識されたと想定する立場である。16) 他方, 捕囚期の一人の人「申命記史家 (Dtr)

J

が,一定の史観でモー セの時代からパビロン捕囚までのほぽ

7

0

0

年間のイスラエル史を書い たとの想定もある。即ち,既に存在していた連をなす伝承を編纂して 土師時代の物語を統一体として完成させたとの想定である。17) この説 は六書ではなく四書の立場をとる。この立場の問題は,申命記史家が 用いた史料の同定である。例えば,五書の場合のように土師記の資料 206

(6)

分析ができなかったので, M. Nothは,異なる文書的前史を持つ伝承 の「大士師」と「小士師」の複合体による成立過程を想定した。川また, 申命記史家の編纂および史料の文書的前史に関し,R. G. Bolingは,土 師記の構成を分析し,四段階の編集過程を想定した。即ち, (1)

I

大士師」や「小士師」の物語が編纂された文書として存在し ていた段階

(

2

)

各士師の物語を一つに編纂した段階(紀元前八世紀) (3) 申命記的編集 (Deuteronomic,くDt.>)による追記の段階(紀 元前七世紀) (4) 申命記史家的編集 (Deuteronomistic,<Dtrふ)による追記の段 階(紀元前六世紀) の四段階である。このような編集過程は,最初に存在していた文書を 中核とする漸進的編集によって士師記が結晶化されたと想定するもの である。19) 士師記を解釈する第二の立場は,共時的 (synchronic)立場である。 これは,伝承や編集段階ではなく,特に,旧約聖書の最終形態に注目 する (textcentered exegesis)020)例えば, D 全体を交差構造の視点から分析し,その中心部分 (focalpoint)をギ デオン物語とみなした。21)また, J. Paul Tannerも,交差構造の分析 により,ギデオン物語の中心部分を7章l節から 11節と分析した。22) しかし,テキストだけに集中し,歴史を完全に無視することは困難で ある。23)例えば,R. N orman Whybrayは,ヴェlレハウゼンのJEDP資

(7)

料仮説を「イスラエルが文化的発展のそれほど早い段階において,他 のあらゆる民族に先駆けて,最初にあれほど長大な『歴史的』著作を 構想し,生み出し得た民族なのだというその考え方こそが,この仮説 の主要な欠点の一つなのである」と説き,

I

完成された五書を一つの文 学作品としてより明瞭に示すために文芸理論を用いることが有効かも 知れない」と共時的方法論の可能性を示唆する。24) しかし, Whybray の方法論は,必ずしも通時的方法論を全く排除した議論ではない。彼 は,

r

五書jの著作にさまざまな素材が関与した可能性を示唆するのだ が,しかし,専ら,捕囚期もしくは捕囚期直後の時代の一人の著者に よって一気に記された文学作品だと主張している。彼の説に対する疑 問は,著作時期に至るまで,イスラエル史に関する口頭伝承や記録伝 承が本当に存在しなかったのかである。史料や口頭伝承の問題は,士 師記の記事内容の歴史性と密接に関連する問題である。編集時期をヨ シア王時代や捕囚期に設定する立場でさえ,ギデオン物語を含む中核 部分 (3:7-16・31)の口頭伝承の時期を八世紀と推定しているom他 方,吟遊詩人によって伝承された部族独自の物語が,王国時代の初期 に士師記全体として文書化されたとの想定や,王国時代において段階 的につなぎあわされて形成されたとの説もある。26) これらの説は,い ずれも,土師記の各物語が土師時代に口頭伝承の形態で既に存在して いたと想定している。 通時的方法であれ共時的方法であれ,旧約聖書の記事内容の歴史性 を問わずに研究を完結することは不可能である。問題は,戦争の記事 を文献学的な見地からだけで分析可能かということである。なぜな ら戦争の記事は,戦争の知見から吟味するのがより適切だと考える 208

(8)

からである。例えば,

C

.

von Clausewitzの『戦争論』はわれわれに戦 争を教えてくれる。27) Clausewitz (1780-1831)は,プロシャの軍人で, ナポレオン時代のあまたの戦争を経験した。1815年のワーテルローの 戦役に参加した後,ベルリンの士官学校の校長に任命され1830年ま でこの職にあり,この期間の思索と研究が 『戦争論』として死後発表 された。また,アレキサンドロス時代からワーテルロ一戦役までの 2000年聞は,軍事技術上驚くべき連続性があり,それが絶ち切られた のは,一九世紀および、二O世紀の産業革命の結果だったと説明されて いる。叫即ち,古代近東の騎兵隊中心の戦法と密集方障を中心とした ギリシャ・マケドニアの戦法とを融合させた古典的「鉄と鉄床」戦法 を編み出したアレキサンドロスの戦術が,それ以前の戦争と一線を画 すものであったとしても,なおClausewitzの『戦争論』が,古代の戦 争を理解するための重要な知識を我々に提供してくれることには変わ りがない。刷本論文は, Clausewitzの『戦争論Jを手がかりにして,既 に報告したギデオンの戦いに引き続きデボラの戦いの特質を明らかに しようと試みるものである。30)

c

.

シセラに対するデボラとバラクの戦い

散文体 (4:1-4:24)と詩文体 (5:1-5:31)の記事から再構成さ れるデボラ・パラク物語の戦争の推移は,下記の通りである。 4:1-3 戦前の状況 4:4-7 防禦から攻撃へ 4: 8-9 しるし -209

(9)

-4・10 結集・本陣形成(パラク軍)

4

:

1

1

-

1

2

偵察行動 4:

1

3

-

1

5

会 戦 4:16 迫撃 4・17-24 戦いの終結(シセラの死・ヤビンの撃破)

5

:

1

ナレーターの言葉

5

:

2

-

3

主への賛美 5: 4-5 しるし 5:6-8 戦前の状況

5

:

9

-

1

2

防禦から攻撃へ

5

:

1

3

-

1

8

結集

5

:

1

9

-

2

2

会 戦 5:

2

3

追撃 5: 24-30 戦いの終結(シセラの死・シセラの母) 5:

3

1

戦後の状況 上記の各場面について以下考察する。 1. く4:1-3, 5: 6-8>戦前の状況 イスラエルによる抑圧の様子は,ギデオンの物語のように具体的に 描写されていないが(土6:1-6),31)イスラエルの人々がヤビンの下 で奴隷状態に置かれていたことは4章2節の動動調「コロ

(

1

売り渡 すJ)から容易に想像される。 「コrJは,士師記において5箇 所(2:14, -210ー

(10)

3:8, 4:2, 9, 10:7)に記されており,それらの文脈から,イスラエ ルが敵との戦いに敗北し (10:7-8),敵の略奪にあい (2:14),敵の 奴隷となった状況 (3:8) が読み取れる。即ち, 900両の鉄戦車を有す るシセラがイスラエルの民を

2

0

年間にわたり抑圧

(

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的 ) し た の で ある (4:3)。特に,

I

抑圧する (

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0'()

J

は,ギデオンの物語にも使 われており (6:9),エジプトでのイスラエルの体験と同様(出 3:9), 劣悪な迫害状態を意味している(土2:18)。主に対するイスラエノレの 悪行が原因とはいえ (4:1),イスラエルの人々に対するシセラの抑圧 は,侵略的で不当な行為だった。 シセラの住んで、いたハロシェト・ハゴイム(ロ:'~つれむjiづ,

4

:

2

)

の 同定は,物語の地理的把握にとって必要でトある。これまで下記のよう な提案がなされきた。 (1) 19世紀の注解者たちは,

Ha

rδsetとel-Hari tiyyeの名前の類 似から,カルメル山の東のふもと,キション川下流の右岸付近に位置 するtellel-' ama,別名el-Haritiyyeと推定した。 (2) アハロニ(Y.Aharoni)は, C'1円と関連するアッシ リ ア 語 hursanu (m), (wooded)を根拠にノ¥ロシェト・ハゴイムをガリアラヤ 地方の森林地帯と推定した。34)同様に, B. MaislerもLXXの“for -ests of the nations"の訳や,シセラが王であったハツォJレがガリラヤ 地方の支配権を握っていた中心の町だ、ったこと(ヨシュア11:10)な どを根拠に,ハロシェト・ハゴイムをイズレエルの平野や下ガリラヤ を含む地域全体だと想定した。附しかし,鉄戦車900台を主戦力とす るシセラの軍勢(士

4

:3

1

3

)

がガリラヤの山岳地帯に軍事展開する -211ー

(11)

ことには地形的に困難であり,ハロシェト・ハゴイムの位置をエズレ エル平野に想定した方が妥当だとの反論もある。36) (3) A. F. Raineyは , イ ザ ヤ 書8章23節の“Gelil-ha-goiim"が 「町」ではなく「下ガリラヤ地方」を意味すると主張する B.Mazarの 説を援用し, Gelil-ha-goiimとHarosheth-ha -goiimのいづれもがイ ズレエル平野南部,特に,メギド・タナク地方 (Megiddo-Taanach area)を指す言葉だと考えた。37) N. Na'amanは,タナクの南2kmの 位置にSilatel-Harithiyehの名前の町が存在すること,シセラがシヌ ア(ケデシュに近いエロン・ベツァアナニム (4:11),即ち,ナフタ リの南端(ヨシュア 19:33)近くまで勢力をのばしていたヤエルの天 幕に逃げ込んだこと,また,キション川下流右岸の町el-Harithiyehを 想定するならば,シセラの軍勢とシセラの敗定方向が逆になると考え, ハロシェト (Harosheth-Hagoiim)が特定の町の名前ではなくイズレ エル平野の東部「地域

J

を指す語と推定した。 以上の3つの説を考慮、に入れながら,士師記が記すシセラ軍とパラ ク軍の行動を吟味したい。両軍の軍事行動展開の概要は,下記の通り である。 -デボラがパラクにイスラエル軍の編成を命じる (4:6-7) -ゼプルンとナアタリの一万人,および,デボラとパラクがケデ シュに上る (4: 10) -シセラは,ハロシェト・ハゴイムからキション川までの九百の鉄 戦車と兵士を招集する (4:13) 212

(12)

-パラク軍一万人がデボラの命令に従ってタボル山から 下る ・両軍が衝突する -会戦場所はメギドの流れのほとりのタナク .シセラ軍が敗北する .キション川が勝敗を決める (4: 14) (4: 15) (5:19) (4:15) (5:21) -パラクは,敵の戦車と軍勢をハロシェト ・ハゴイムまで 追撃し,全滅させる (4: 16) ・シセラは,徒歩でトヤエノレの天幕に逃げ,殺される (4: 17-21) ・パラク軍が到着し,シセラの死を確認する (4:22) ・イスラエル軍は,カナン王ヤビンを断ち滅ぽす (4:23-24) パラク軍が招集された場所ケデシュ (4:10)は,出陣拠点のタボル山 (4: 12,14)に近く,シセラが徒歩で逃げたヤエルの天幕の近く (4:17) に位置すると記述されている。また,シセラ軍の戦車が敗走する記事 (4: 16)は,敗走経路がナアタリ南端のような山岳地ではなくイズレ エ/レ平野であることを連想させる。さらに,徒歩で逃げたシセラが天 幕でヤエルと共に時間を過ごし熟睡し殺害されるには少なからず時聞 が必要であり,叫シセラの戦車や軍勢の敗走したハロシェト・ハゴイ ムの位置とヤエルの天幕の位置が,必ずしも同一方向と想定する必然 性はない。 遁走する軍隊とその司令官とが必ずしも同一方向に逃げるとは限ら ないので,ハロシェト ・ハゴイムが,ナフタリ南端と反対の方向,例 えば,タナク近のキション川付近の会戦地 (4:7)より以西の方面に - 213

(13)

-位置する可能性もある。また,ハロシェト・ハゴイムが特定地域を意 味しているとしても,

4

1

6

節の 「ハロシェト・ハゴイムまで」の表 現に使われている前置詞「まで

(

1

!l)

J

の記述に「移動の目的地の意 味 (thesense of movement up to)

J

が含意されていると考え,ハロ シェト・ハゴイムがタナク・メギドを含む広い範囲ではなく,シセラ 軍が敗走してゆく方向に位置する目的地としての町や地域を暗示して いるとも推定される。43)少なくとも,ハロシェト・ハゴイムをナアタリ 南端近郊に設定する必然性はない。

2

.

4

:4

-

7

5

:

9

-

1

2

>

防禦から攻撃へ

2

0

年間に及ぶシセラの侵略的抑圧に対し,イスラエルは,ギデオン 物語と同じように防禦から攻撃へと戦略を転換させる。イスラエル軍 の指揮官としてパラクが百命をうける記事の 4章 4節から 7節は,ギ デオン物語と類比的である。例えば,主の使いが現れギデオンを選ん だように

(

6

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1

-

2

4

)

,女預言者デボラがパラクを選び,兵士の動員を 命じている (4:4-6)。また,ギデオンが召命 (6:17-18)と勝利のし るし (6:34-40)を求めたように,パラクは,デボラの同千子をしるし として求めている(4:8-9)。ギデオン物語において,人が自らの力で 勝利したと者らないように (7: 2) 300人の精鋭に兵数を絞ったよう に (7:1-18),デボラはパラクに対し「あなたの栄光は,あなたの歩 む道にない。なぜなら,主がシセラを女に渡すからだ (4:8-9)Jと 語っている。ギデオン物語では,預言者,主の使い,士師(統帥権者) の役割がそれぞれの別々の登場人物によって担われているのに対し, デボラ物語では,女預言者のデボラが主の使いのようにパラクを召し 214

(14)

出し,同時に,自らは土師の立場を担っている。パラクは単にイスラ エル軍を指揮する者として記述されている。 防禦から攻撃への戦略転換を特徴づける記事が, 5章11節である。

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そこで,彼らは,主の正義を口 ずさむ H A ・ ﹃ i E ・同μ 1 円 u n d ﹃ i '

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} 句 lJ . ー

-句 j E U

﹃ i γ M m , ﹄ / イスラエルにおいて,彼の村々 の正義を叫 交差並行で表現されている「主の正義

J

(町内出p寸ミ)と 「村々の 正義

J

(iJtl弓れ

P

寸:,;)が,特に,イスラエル兵の参戦意識を意味して いる。コンストラクト形の町内

m

p

l

:

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;

は,旧約聖書に

3

箇所記され ている。叫「主の正義

J

の表現は,力をもって敵の軍勢を打ち破りイス ラエルを救い出す記事,例えば,出エジプト(サム上12:7-8)や シ ティムにおけるピネハスの事件(ミカ 6:4-5)に使われている。即ち, イスラエル軍が,この軍事行動を「主の正義」であり正当な行為だ、と 認識していたことを示している。「正義の戦い」の認識は,単に,パラ ク軍の認識だけでなく,当時のイスラエル各部族が抱いていた思想、で あった。パラク軍が解放しようとした地域は,パラク軍兵士の故郷の 村々のみならず, 20年間ヤビンに支配されていたイスラエルの全地域 の村々であった。

(

1

村々の正義J

)

は,イスラエルの村々 が,ヤビンのものではなく主のものであり,解放のための戦いが,主 の業であることを表明している。ギデオン物語と同様,消極的な戦略 の防禦から積極的な戦略の攻撃へ転換することは,必然的な選択で 215

(15)

あった。重要なことは,この戦いが主の御旨を第一原因として戦われ る戦いであるという「正義の戦い」の認識をパラク軍兵士が持ってい たことである。

3

.

4

:

8

-

9

5

:

4

-

5

>

しるし パラクは,何故,

I

もし,あなたが,私と共に行くのなら,私は行く。 もし,あなたが私と共に行かないのなら,私は行かない

J

(士4:8)と 語るまでにデボラの同行を求めたのか。また,デボラは,何故,

I

私は 必ずあなたと共に行く。しかし,あなたの栄光は,あなたの歩む道に ない。なぜなら,主が,シセラを女の手に渡す

J

(4:9)と返答したの か。それを解く鍵は,ギデオン物語にあると考える。ギデオンは,主 が共にいる (6:16, 18)という百命の確信のしるし(6:17)と戦いの 勝利を確信するしるし (6:37)の二つを主に求めた。前者に関し,ギ デオンは,岩から起きた火が供えの肉とパンを焼き尽くした現象や人 物が消え去ったことから,主の使いが語ったのだと悟り, 召命の言葉 の真実性を悟っている(6:22-24)。戦いの勝利を確信するしるしとし て,ギデオンは,羊毛のしるしを求めている(6:36-40)。しるしは与 えられたが,しかし,自らの力を誇らないように(7:2),ギデオンの 兵数は300人に絞られた。同様の展開がデボラ物語にも読 み 取れる。 例えば,召命

(

4

:

6

)

と勝利

(

4

7

)

を告げるデボラに対し,パラク は,主の代理者である預言者デボラが彼と共に行動してもらいたいと の 「しるし」を求める。デボラは,その要望に応えるが,勝利の栄光 が究極的にパラクではなく主に帰せられるべきことを言明する

(

4

:

9)

-216

(16)

-5章 4-5節をパラクの戦いと直接関係のないカナン侵入時の天地鳴 動を想起した表現と解釈されてもいるが,46) しかし,

r

地の震え,雨の 滴り」の表現は,召命や勝利のしるしの記事と密接に関連している。例 えば, 汁

r

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)

が並記されいている記事は,旧約聖書では士師記 5章4節と詩編 68編 9節だけである。 詩編68編9節 mcpJ ロ:~r:;-l~ 汁r:;iiつ n~ 'd句。パ?白『市総 'J9~

うおっ0/:ヵう明白『約怒っ宇司

地は震え,天もまた雨を降らす シナイにおける神の御前で イスラエルの神である神の御前 で 詩編68編9節は,神に逆らう者たちが打ち破られ滅ぽされると描写 する出エジプトの出来事(詩68:

2

-

5

)

とカナンの地を与えられた出来 事 (68・10-11)の文脈の聞に置かれている。即ち,敵を打ち破りイス ラエルに勝利をもたらす主の姿が,

r

地は震え,天もまた雨を降らす」 と表現されているのである。類比的に,土師記5章 4節の「地は震え, 天もまた雨を降らす

J

(1::J

C

P

J

CJ:~r:;一口3 汁守れ了づぷ) の表現も,防禦 から攻撃に召されるイスラエルの兵士に与えられた勝利の「しるし

J

であると考えられる。 217

(17)

4. く4:10, 5: 13-18>結集・本陣形成(バラク軍) 戦争の記事における

π

Dは, 文字通りの意味でなく,進撃の戦闘行 動を比目前的に意味する言葉と解釈されている。47)しかし, デボラの戦 いにおける

π

Uは,ギデオン物語における

π

pの用例(士 6:1-6) と同様,地形の起伏を文字通り反映しての描写だと考えられる。 例え ば,イスラエルの民がエフライムの山中のデボラに裁きを求めて上る との表現 (4:5)は,具体的に山に登っている。 同様に,パラクの招 集に応じケデシュに集結したゼブルンとナアタリの兵士一万人は,ケ デシュから移動してタボル山に登った(4:10-11)。他方,標高の高い 地点から低い地点への移動は「下る(寸寸,)

J

と表現されている。例え ば,イズレエノレ平野でシセラ軍と戦うためにパラクの軍勢がタボ/レ山 から下ると描写されている (4:14)。同様に,戦いに向かうイスラエ ル軍の移動を表現する 5章の動詞「ヤ (5:11, 13, 14)は,会戦場所で あるイズレエル平野の標高が低いために用いられた表現だと考えられ る。 以上の考察からも明らかなように, パラク軍は,敵の戦車が攻める に困難で,かつ,敵軍の動きを的確に把握できる場所であるタボル山 へ本陣をケデシュから移したのである。ギルボア山脈の山腹に陣を敷 いたギデオン軍のように (7: 1),タボル山に陣を敷いたパラク軍は, イズレエル平野の西域に位置するハロシェト・ハゴイムから進軍する シセラ軍の戦車の動きを充分に把握できたと考えられる。 218

(18)

5. <4:11-15, 5:19-22>偵察行動と会戦 ギデオン物語では,パアル祭壇の破壊を契機として侵入してきたミ ディアンの軍勢に対抗して,ギデオン軍が編成され,偵察行動をもっ て会戦に備えたが,デボラ物語では,逆に,シセラ箪がへベルの通牒 によってパラクの軍勢に対し出陣している(4:11-13)。ギデオン物語 におけるミディアン軍兵士の夢の話がギデオンに勝利の確信を与えた ように (7:13-15),デボラの言葉「シセラをあなたの手に与えるのは 今日だ。主があなたの前を進まないだろうか?

J

(4・14)の章句は,パ ラク箪に勝利の確信を与えている。 会戦の様子は「主は,シセラと戦車,剣を帯びた軍勢をパラクの前 で混乱させた

J

(4:15)と驚くべき簡素な記述になっている。ロロパは, ギデオンと戦ったミディアン軍が同士打ちをしたような (7:22),敵 が勝手に自滅する状況を説明するものではない。パビロニアの王ネブ カドレツァルが武力をもってユダを滅ぽした出来事を聖書は,

I

私を 混乱させた(ロロ円)

J

(エレ51:34)と記述し,また,イスラエルを追 撃するエジプト軍の戦車の車輪を脱落させるという具体的な出来事を 「エジプト軍を混乱させた(ロロ円)

J

(出14・24)と記している。それ 故, 4章15節の承句に,シセラ軍を軍事的敗北に導く決定的で具体的 な出来事が意味されていると考えられる。その出来事を5章19←21節 からも推測できる。即ち,

I

地の震え,雨の滴り

J

(5:4)に始まる具 体的天変地異である嵐がシセラ軍に打撃を与え

(

5

2

0

)

,増水し氾濫 したキション川の急流がシセラ軍を流し去った (5:21)ことである。 超自然的に戦いに介入する神の姿の表象として星が用いられる例は, 219

(19)

「トトメス3世讃歌」の中の 「雷電たる汝」叫の記述にも見られる049) このような文学表現法は,古代オリエントの用語が「化石化」され,聖 書で隠目前表現として利用された結果であり,類似例として「ラハブ」 の用語が挙げられる。デボラの歌における天変地異の描写は,予想、を はるかに越えた自然現象のために敗北したシセラ軍を表現する聖書の 文学的技法であると考えられる。叫 自然現象が原因で大軍が劣勢の敵軍に大敗する歴史的出来事とし て,日本と蒙古・高麗連合軍の戦い(文永の役,弘安の役)が例とし て挙げられる。蒙古 (モンゴル)のフビライ ・ハンは,日本の通好を 求め,

1

2

7

4

年(文永

1

1

年)に

2

5

0

0

0

人の兵士と

9

0

0

の艦船をもって 日本に攻め込もうとした。しかし,台風が原因で

1

3

5

0

0

人の兵を失い 退却している。

1

2

8

1

年(弘安

4

年)フビライは再度日本を侵略しよう とした。蒙古・高麗連合軍

1

4

万人の大軍と

4

4

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0

の艦船をもって出兵 したが,この時も台風の大風雨(神風)によって蒙古軍は一夜のうち にほぽ壊滅状態になり,敗走している。51)

6

.

4

:1

6

5

:

2

3

>

追撃 シセラ軍は,本戦敗北直後に退却を始めた。シセラは戦車から下り て,ヤエルの天幕を目指して東方に逃げ,戦車や軍勢はハロシェ ト・ ハゴイムへと退却した。指揮官が別方向へ逃げたので,戦略としての 退却ではなく,遁走状態で逃げたことになる。開平坦地を敗走する敵 を追撃し,さらに大きな損害を敵に与えて潰走状態に至らしめること は,容易である。悶確かに,パラク軍がシセラの追撃ではなく敵の本隊 を追撃し,一人残らず剣で倒し,壊滅状態にさせていることから (4: 220

(20)

-16),追撃戦は徹底的に行われたと考えられる。 馬のひずめの響きと激しく突き進む様子を描写する

5

2

2

節 の 記 事は,追撃するイスラエル軍の馬ではなく,キション川の氾濫で混乱 する戦車の馬を描写していると考えられる。なぜならば,イスラエル 軍の戦車はロパが号│いており (5:10),しかも,戦車ではなく歩兵主 体の軍構成となっているからである(4:10, 5: 8)。詩文におりる追撃 の描写は

5

2

3

節のみと考えられる。追撃戦に非協力なメロズが,ギ、 デオン物語におけるべヌエルやスコトと同様,厳しく叱責されている (5:

2

3

)

7

.

4

:

1

7

-

2

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:

2

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戦いの終結(シセラの死・ヤピンの撃破) 戦いの勝敗が決定する時,即ち,相当な戦力をもった援軍をもって しでも形勢を挽回できないと判断される瞬間とはどのような時であろ うか。クラウゼヴィッツは,以下の三項目を挙げている。54)

(

1

)

可動的物件の占有が戦闘目的である場合には,それが失われた 時 (2) ある地方の占有が戦闘目的である場合には,それが失われた時 (3) 敵戦闘力の壊滅が主要目的である場合には,勝者が乱戦状況か ら脱却し,兵力の逐次的使用の必要性がなくなった時 パラク軍とシセラ軍の戦いの場合,パラク軍は,シセラの支配地域を 奪還するだけでなく,彼らの戦車と兵力とを壊滅させている。シセラ 軍と戦ったパラク軍は,クラウゼ、ヴィッツの勝利の定義に全て適合し 221

(21)

ており,シセラ軍に完勝したと評価できる。しかし,増援軍が対抗し てくるならば,勝利は必ずしもその時点で確定的でなくなる。即ち, 軍の精神的指導者でもある指揮官シセラが生存している限りにおい て,カナン王ヤビンのイスラエル抑圧の状況が解決されたことになら ないのである。戦争の責任者であるシセラの死 (4:17-22) とヤビン の蟻滅(4:23-24)の記述があってこそ,デボラの戦いが終結する。こ の乙とは,ギデオン物語におけるゼパフとツアルナムの死の結末と類

i

以している (8:13-21)。

8

.

ギデオンの戦いとの比較 デボラ・パラクの戦いとギデオンの戦いの記述構成を比較すると下 記の通りになる。 ギデオン物語 (6章一8章) 戦前の状況 6: 1-10 4: 1-3 (4章 散文) デボラ・パラク物語 、 , ノ 円 ノ μ

3

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撃 , 文 1a , 戸 り 、 A カ 禦 防 結 集 ・対時 6: 33-35 しるし 6: 36-40 本陣形成 7・ 1-8 偵察活動 7: 9-14 会 戦 7: 15-22 援軍による追撃 7: 23-25 同盟問題 8: 1-3 222-(5章詩文) 5: 6-8 5: 9-12 5: 1-3,13-18 5: 4-5 5:19-22

(22)

本隊による追撃 8・ 4-12 4: 16 帰還 8:13-17 5: 23 戦いの終結 8: 18-21 4: 17-24 5: 24-30 戦後の状況 8: 22-35 5・31 デボラとパラクの戦いは,ヤビンの不当な抑圧を排除するための戦い であった。主から与えられた命令に従って志願したイスラエノレの兵士 は,主の義のために戦おうとした(5:11)0 55)ギデオンの物語における 敵の自滅という会戦の結果と異なり,パラク軍は自然の力の助けに よって勝利を得ている。会戦の記事は全く簡略的で,主の摂理の故に 与えられた勝利という信仰的意義が強調されている。追撃戦は,ヤエ ルによるシセラ殺害によって終結した。ケニ人とイスラエルが契約を 結んでいた故か,56) もしくは,ケニ人にとってシセラが通商の障害と なっていた故かは明確ではないが,m ケニ人ヤエルによって戦争の最 終目標は達せされた。このように,デボラ ・パラク物語において,ギ デオン物語と同じように通常の戦いが戦略として期待し得ない展開が 観察される。即ち,デボラとパラクの戦争は,侵略戦争や聖戦などで はなく典型的な主の戦い・正義の戦争の特徴を有している記事と考え られる。 、 迂

1) Peter C. Craigie, The Problem01War 0η theOld Testament (Grand Rapids, Michigan: Eerdmans, 1978), 9-10. [P.C.クレイギ 『聖書と戦争J(すぐ書房, 1990年)8頁。]

2) PaulD. Hanson,“War and'Peace intheHebrew Bible,"Intertreta

(23)

-tion38(1984) : 341-62.[ポール・D・ハンソン「旧約聖書における戦 争と平和J

r

インタープリティションJ(1993年)5-47頁。]

3) Frank Moore Cross, Canaanite11今thand Hebrew Epic(London Harvard Univ.Press, 1973), 91-111. 4) ハンソン「旧約聖書における戦争と平和J46頁。 5) John Riches, The World 01 Jesus:F;口古t-C印 tuηJudaismi招Crisis (Cambridge: Cambridge Univ. Press, 1990), 6.[ジョン・リチッズ Iイエスの世界一危機に直面する一世紀のユダヤ教

-

J

(新教出版社, 1996年)13-15頁。]

6) “The Theory and Conduct ofWar,"The NeuノEηのcloρaediaBri句 作 nica, 1994, 29: 628.,猪口邦子 『戦争と平和』現代政治学叢書17(東 京大学出版会, 1989年)8頁。

7) 山川雄巳『政治学概論[第2版JJ(有斐閣, 1994年)93頁。 MaxWeber,

PolitikalsBerul(Oktober1919) (Tubingen: ].C.B. Mohr, 1971), 506.

8) Arthura E. Cundall, Judges, Tyndale Old Testament Commentaries nO.7(Downers Grove, 11.:Inter-varsityPress, 1968), 29-30.

9) 根岸毅「政治学とは何かJ

r

国家の解剖学J(日本評論社, 1994年)96

-98頁。

10) Tremper Longman III, Literaη Approachesto Biblical lntertr官ta tion, Foundations ofContemporary Interpretation, no. 3 (Grand Rapids, Michigan: Zond巴rvanPublishing House, 1987), 13-45. 11) R. K. Harrison, lntroductionto theOld Tesfament(Grand Rapids,

Michigan: Eerdmans, 1969), 689-690

12) G.L.Archer, J.,r A S乙f仰の 01 Old Testamenf lnfroductio悶 (Chicago: Moody Press, 1964), 275.

13)

r

朝貢Jと「捕囚」は, アッシリアでもパビロニアでも征服国に対する 常套的政治手段として用いられていた。ANET,274-5, 2843, 291.,ティ

グラト・ピレセルIIIは,征服地の叛乱を防ぐために積極的に捕囚政策 を採用した。GeorgesRoux, Ancient lraq, 2nd. ed.(Harmondsworth, England: Pelican Books, 1980), 283-4. 14) R. H.ファイファー『嘗約聖書緒論第二巻J(新教出版社, 1956年)255 頁。同『奮約聖書緒論第三巻J(新教出版社, 1962年)8-9頁。 15) 石田友雄「第四章歴史文学

H

総説旧約聖書J(日本基督教団出版局,1984 年)217頁。フォン・ラートは,土師記は,救済史という包括的な枠組 みに中で記された文学作品であるが故に,自立性を持たず,事実報告と

(24)

-224-して読むことの出来ないものであると考えている。 G.フォン・ラート

『旧約聖書神学1J(日本基督教団出版局, 1980年)414-5, 438頁。 16) ファイファ-

r

奮約聖書緒論第三巻

J

37頁。

17) W. H.Schmidt, Old Testament 1ntroduction (N.Y.: Crossroad, 1984).[邦訳『旧約聖書入門j上巻(教文館, 1994年[1989年J)200頁。J, M・ノート『旧約聖書の歴史文学J(日本基督教団出版局, 1988年[1967 年J)108頁。ノートは,

r

土地取得伝承jが,その主題に関心のない祭 司文書によって消し去られたと考え「四書」説を主張している。同『モー セ五書伝承史J(日本基督教団出版局, 1986年 [1948年J)35貰。 18) ノート

n

日約聖書の歴史文学J108頁。

19) R. Boling, Judges, The Anchor BiblenO.6A (N.Y.:Doubleday, 1975), 29-31

20) 例えば, LilleyやGaleは,士師記の導入部分(1・1-3:6)や結語部分 (11-21章)を本体部分と同一著者による作品と考え,内容の連続や進展 に注目している。J.P.U. Lilley,“A LiteraryAppreciation ofthe Book ofJudges,"TyndaleBulletin18(1967), 94-102., Gale A. Yee, “1ntroduction:Why Judges?," inJudges & Method: Neω Approaches in Biblical Studies, edited by Gale A. Yee (Min

-neapolis: Fortress, 1995), 1-16.

21) D

.

w

.

Gooding,“The CompositionoftheBook ofJudges,"Eretz -Israel 16(1982), 70-79.

22) J.PaulTanner,“The Gideon Narrative astheFocalPointof J udges,"BibliothecaSacra149(1992): 146-61

23) J.Barr,“The Synchronic, the Diachronic and the Historical:A Triangular Relationship?"inSynchronic or Diachronic?: A Debate0叩 Methodin Old Testament Exegesis.,ed.J.C.DeMoor

(Leiden, N.Y.: Brill, 1995), 1-14

24) R. Norman Whybray, 四t:1 roductionto thePentateuch, (Grand Rapids, Michigan: Eerdmans, 1995), 26-27.[ワイプレイ 『モーセ五 書入門J(教文館, 1998年)36頁, 54頁。]

25) RobertG.Boling, Judges, The Anchor Bibleno.6A (N.Y.: Doub leday, 1975), 30

26) Harrison, 1:目troduction,685., J.Gordon McConville“,The Old Testa

-ment Historical Books inModern Scholarship,"Themelios22 (3, 1997), 3-13.

27) Carl von Clausewitz, Kru!gstheorieund Kη忽sgeschichte(Frank

(25)

furt: DeutscherKlasseker Verlag, 1993)., [On War (Princeton, N.Y.: Princeton Univ. Press, 1976).,邦訳 『戦争論』淡得三郎訳(徳

間書底,1997年),篠回英雄訳『戦争論』上・中・下 (岩波書!吉, 1968

年)0 ]

28) ArtherFerriI,l The Origi河s01War (London: Thames and Hud.

son, 1985). [邦訳 『戦争の起源.1(河出書房新社, 1988年)14頁, 315 316頁。] 29) フェリル『戦争の起源j294-295頁。 30) 拙論「ギデオンの戦いは聖戦か

H

東北学院大学キリスト教研究所紀要』 第15号 (1997年)13-25頁,拙論「ギデオン物語における戦略と戦術」 I東北学院大学キリスト教研究所紀要』第16号(1998年)21-37頁。 31) 拙論「ギデオンの戦いの背景 土師記6~ ]-6節

J

r

東北学院大学宗教 音楽研究所紀要』第2号 (1998年)5-8頁。 32) B. Lindars, ]udges1-5: A Neω れF仰 slatio河 andCommentaη (Edinburgh: T & T Clark, 1995), 177179

33) G.F. Moore, ]lIdges, ICC (N.Y.:Charles Scribner's Sons, 1895),

11,.1 B. Maisler,“BethShe'arilll, Gaba, and Haroshethofthe People,"HebrewUnion College A刀nual24(1953), 81-82

34) Y Aharoni, The La日d01 Ihe Bible: A Historical Geogr

.

a

戸hy (London, 1966; Philadelphia, 1967), 200-205

35) Maisler,“Beth She'arilll, Gaba, and Harosheth of thePeople,"83.

36) J. AlbertoSoggin, ]udges, OTL (London: SCM Press, 1987), 63., 37) A.F. Rainey,“The MilitaryCamp Ground at Taanach by the

Waters ofMeggid,"ErefzIsrael15(Jerusalem, 1981), 64

38) Na'aman,“Literary and Topographical Notes,"428.

39) “It seelllstherefore thatHarosheth ( ha-goiim) was the name of the westernJ巴zreelplainand thattheold name hassurvived on the

margins ofthe plain." Na'aman,“Literaryand Topographical Notes,"432.

40) ハロシェ ト・ハゴイムは,13世紀にイズレエルの平野に居留したエジプ

ト人の町を意味するとの説もあるが,旧約聖書にそのことを暗示する

言及はない。 M.Hunt,“Harosheth-Hagiim,"Anchor Bible Dictio件

ly,1992, 3:62-63

41) Na'amanは, 5章 13節を“Thendown to Sarid he marched towarcls th巴mightyones; the peopleofYHWH marched down for him withwarriors"と解し,イスラエル軍がサリデに進軍したと考えてい

(26)

る。 Na'aman,“Literaryand Topographical Notes," 424-5

42) Yair Zakovitch,“Siss巴rasTod,"Zeitschriftfur die altestamentliche

Wisse押schajt93(1981) : 364-74

43) B. K.Waltke and M. O'Connor, An Introduction

ω

Biblical Hebrew Synt

αx

(Winona Lake, Indiana:Eisenbrauns, 1990), 215. 44) 主な邦訳英訳は下記の通りである。 「主の救いを語り告げよ。イスラエルの村々の救いを。J (新共同訳) 「かれらはそこで主の救を唱え,jイスラエルの農民の救を唱えてい る。J (口語訳) 「そこで彼らは主の正しいみわざと,イスラエルの主の農民の正しいわ ざを唱えている。

J

(新改訳) “therethey repeat the triumphsofthe Lord, the triumphsofhis peasantry in Israel." (NRSV) “They recite the righteousacts of the Lord, therighteous acts ofhis warriorsin Israel." (NIV)

“Let them chant the gracious acts of the Lord, His gracious deliver -ace ofIsrael." (JPS) “There let them retellYahweh's victori巴sjVictoriesby hisown

prowess in Israel!" (R.c. Boling) “There praise ye the righteousacts of theLord,/The righteous acts in His villagesin Israel." (K&D) 45) 士5:11,サム上 12:7, ミカ6:5。

46) ジャン・ボテロ『神の誕生j(ヨルダン社, 1998年)196頁。

47) Lindars, Judges1-5, 1,1.Soggin, Judges, 20-21.

48) 屋形禎亮訳「トトメス三世讃歌

J

r

古代オリエント集

J

(筑摩書房, 1978

年)629頁。 JamesB. Pritchard, ed. Anαient Near Eastern Texts: Relati河'gto the OldTestament(Princeton:PrincetonUniv. Press,

1969), 374.

49) M. Weinfeld,“They Fought from Heaven: Divine Intervention in War inAncientIsraeland in the Ancient Near East."EretzIsrael

14(1978), 122-123(English Summary)

50) A. Gibson, Biblical SemanticLogic(Oxford: BasilBlackwell,

1981), 20-29.,拙論「隠喰表現としてのコ円寸(詩篇 89篇 11節)J

(27)

rExegetica(旧約釈義研究)J 7 (1996) 19-29頁。 51) I元冠J

r

プリタニカ国際大百科事典』第六巻(ティビーエスプリタニ カ,1994年)652-655頁。 52) クラウゼヴィッツ『戦争論

J

255-7頁。 53) クラウゼヴィッツ『戦争論

J

252頁。 54) クラウゼヴィッツ『戦争論

J

223-4頁。

55) P. C. Craigie,“A Note on JudgesV 2,"VetusTestamentum 18 (1968)・397-9.

56) F. Charles Fensham,“Did a Treaty Between theIsraelitesand the KenitesExist ?,"Bulletin

0

1

the A meげca四 Schools

0

1

Oriental Research175 (1964): 51-54

57) ].David Schloen,“Caravans, Kenites, and casus beIIi:Enimityand AIIianceinthe Song of D巴borah,"CatholicBiblicalQuaγterly55

(1993) : 18-38

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