No.20 明星大学社会学研究紀要 March 2000
《研究ノート》
内発的発展論に関するノート(1)
泉 館 智 寛
目次 はじめに
1.社会学における内発的発展論 1.1.鶴見和子の内発的発展論の特徴 1.2.内発的発展における創造性 1.3.内発的発展における担い手(主体)
1.4.内発的発展論における地域 1.5.鶴見の内発的発展論の問題点
2.地域経済学の内発的発展論 2.1.宮本憲一の内発的発展論 2.2.宮本の内発的発展論における地域 2.3.「内発的」 とはイ可か
2.4.保母武彦の内発的発展論 3.小括(内発的発展論の課題)
3.1.内発的発展における住民参加の意義 3.2.地域社会分析の問題
3.3.「内発的」とは何か
はじめに
地域社会のあり方を規定する重要な要因とし て国や自治体による地域政策がある。戦後日本 の場合、地域政策は「外来型開発」と呼ばれる ように開発政策が多くとられてきたが、その結 果は、福武直編『地域開発の構想と現実』(1965 年)や宮本憲一『地域開発はこれでよいか』
(1973年)をはじめ、問題点が数多く指摘され てきた。このような外来型開発への反省、そし てalternativeな地域社会のあり方・理念とし
て注目されるようになったのが内発的発展論で あった。この内発的発展論は社会学(地域社会 学)のほか、地域経済学や国際開発論などで論
じられ、現在においてもしばしば引用される。
しかしその引用の仕方は、「内発的であること が望まれる」などのようにあるべき方向性は述 べられているが、どのような状態に至れば内発 的発展であるといえるのか、その具体的な展開 過程について明確に示されているとはいえない。
そこで本稿では、社会学(鶴見和子)及び地
域経済学(宮本憲一、保母武彦)の内発的発展
一 78一 明星大学社会学研究紀要
論について、内発的発展の担い手(主体)に着 目して、担い手(主体)の主体性の問題にっい て検討し、それを通じて内発的な発展の過程は どのような過程であり、どのような状態に至れ ば内発的発展であるといえるかの問いについて 考える手がかりとしたい。なお、内発的発展論 は国際開発論の立場からも諸論が展開されてい るが、国際開発論における地域の定義は社会学 及び地域経済学におけるそれとは異なること、
また国際開発論が国レベルの経済発展・社会開 発を中心に論じられていることから、本稿の考 察から除外した。
1.社会学における内発的発展論
1⊥鶴見和子の内発的発展論の特徴
社会学の立場から内発的発展論を提唱してき たのは鶴見和子である。鶴見は日本における内 発的発展論の最初の提唱者であり、内発的発展 論を理論面で大きくリードしてきた。鶴見
(1974)は、T.パーソンズに代表される近代 化論、すなわち「先進国=内発的発展(en−
dogenous development)、後発国=外発的発展
(exogenous development)」という考え方から 脱皮し、非西欧社会の立場から、また後発国お よび発展途上国の立場から、内発性を重視した 新たな社会変動のパラダイムを構想しようとす
る。
鶴見(1980)は、シアズ、カルドゾ、シワラ ク、ハマーショルド財団が示している発展の解 釈を紹介しながら、内発的発展を次のように定 義した。
「内発的発展とは、目標において人類共通で あり、目標達成への経路と創出すべき社会のモ デルについては、多様性に富む社会変化の過程 である。共通目標とは、地球上すべての人々お よび集団が、衣食住の基本的欲求を充足し人間
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としての可能性を十全に発現できる条件をっく り出すことである。それは、現存の国内および 国際間の格差を生み出す構造を変革することを 意味する。
そこへ至る経路と、目標を実現する社会の姿 と、人々の暮らしの流儀とは、それぞれの地域 の人々および集団が、固有の自然環境に適合し、
文化遺産(伝統)に基づいて、外来の知識・技 術・制度などを照合しっつ、自律的に創出する。
地球的規模で内発的発展が進行すれば、それ は多系的発展となる。そして、先発後発を問わ ず、相互に手本交換がおこなわれることになる であろう」[鶴見1980:193−194]。
この定義はその後一部字句が修正されている が[鶴見1996]、考え方そのものには変化は見
られない。
鶴見の内発的発展論で特徴的なのは、政治権 力の奪取を目指さない運動として内発的発展を 位置づけている点である。鶴見は、ネルファン の「第三システム」の考え方を紹介しながら、
政治権力や経済権力の奪取を目的としないこと によってかえって運動の有効性を持続させるこ とができると述べる[鶴見1980]。
鶴見のこの考え方にっいて権力奪取を目指さ ないことの限界が指摘されるが、この点に関し て「政策としての内発的発展という表現は、矛 盾をはらんでいる。地域住民の内発性と政策に 伴う強制力と緊張関係が、多かれ少なかれ存続
しっづけないかぎり、内発的発展とは言えない。
たとえ政策として取り入れられた場合でも、そ れが内発的発展でありっづけるためには、社会 運動の側面がたえず存続することが要件となる」
と述べ、社会運動の側面を有することを強調す る[鶴見1989:55−56]。
ただし、宇野重昭・清成忠男との鼎談の中で、
権力奪取の意味を限定して考え、時代の流れの
中でよりよき部分をさらに促進していくという
ACarch 2000 内発的発展論に関するノート(1)
意味であれば、批判を堅持しつつ権力奪取につ いて積極的姿勢をとることに賛成している[宇 野・鶴見編1994:233−234]。
1.2.内発的発展における創造性
内発的発展では内発性(自律性ともいえる)
が重要視されるわけだが、この内発性とは鶴見 の言葉でいいかえれば文化遺産(広い意味での 伝統)の(再)創造であるといえる。鶴見は文 化遺産として、①意識構造の型(考え、信仰、
価値観など)、②社会関係の型(家族、村落、
都市、村と町の関係の構造等)、③技術の型
(衣・食・住に必要な全てのものをっくる技術)
を挙げている[鶴見1989:63]。では、この
(再)創造とは何であろうか。
鶴見は創造性について「これまで結びっかな いと思われていたものを、結びっける新しい場 を発見することによって、異質なものを統合し て、新しい価値、考え、行動の様式、人間関係 を創り出すこと」と説明している。そして内発 的発展を、「人間生活のさまざまな側面におけ る創造的構造変化の過程」[鶴見1980:199]で あるとも述べる。そして創造の過程について、
科学・技術のほかにも、産業構造、統治機構、
入間関係の構造、生活様式、教育、宗教など様々 な側面にっいて仔細に調べていく必要があると 述べる。
鶴見は当初、内発的と外発的を対立するもの として捉えていた[鶴見1980]。しかし鶴見が 費孝通と交流する中でその考えを変えた。費は 鶴見が外発的とみなしていた珠江モデルにっい て、内発的であると述べた。すなわち費は、外 国の資本、技術、人材、設備が導入されても、
内発的な郷鎮企業が主体となって、外国資本を 地域の住民のために役立てるなら内発的である と説明する[費1991、大和田訳1993:263−276コ。
この費の説明を受けて、鶴見は内発型と外発型
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(外向型)の中間を設定する[鶴見1993:106]。
このことは、主体性(イニシアチブ)がどこに あるのかということが問題であることを示して
いる。
1.3.内発的発展における担い手(主体)
内発性の問題を考えてゆくと、内発的発展の 担い手(主体)の問題に行き当たる。
鶴見が1980年に内発的発展を定義したときに 参照した文献は、国際開発論における内発的発 展を述べたものであった。それ故内発的発展
(変革)の担い手として挙げられたのは、ネイ ション、民族運動と社会運動、そして国をこえ た草の根の人々の連携であった。これらの担い 手の関係にっいて鶴見は「重層的であって、排 除しあうよりはむしろ、相互補完的に、構造変 革への役割をになう」と述べる。
先にも述べたように、伝統の再創造とはいい かえれば文化遺産(広い意味での伝統)をつく
りかえることである。鶴見は、この文化遺産
(広い意味での伝統)をっくりかえるときに、
キー・パースンが重要であるという。このキー・
パースンは市井三郎により提示された概念であ り、「不条理な苦痛を軽減するために、自ら創 造的苦痛を選び取り、その苦痛をわが身に引き 受ける人間」である。そして、キー・パースン は「発想的キー・パースン」と「実践的キー・
パースン」に分類でき、両者が同一人物によっ て代表される場合があるという。指導者(リー ダー)という言葉を使わずにキー・パースンと いう言葉を用いたことは、少数のリーダー(エ リート)と多数のフォロワーというような関係、
すなわち何らかの政治的支配を避けるという意
味を持ち、内発的発展の定義に見られるように
主体間で相互に影響を与えあうような関係の下
での「キーパースン」を重視するという鶴見の
考え方が展開されている。
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1.4.内発的発展論における地域
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鶴見は1989年において、内発的発展の単位と して地域を位置づけ、考察を行っている。鶴見 は、内発的発展論は従属論と異なり、地域を分 析の単位とする点に独自性があるとする。ここ でいう地域は、国家よりも小さい区域をさすが、
必ずしも一っの国家の下位休系に限定されない とされ、限定された小地域の概念を基礎としな がら、他の地域との関係を考慮に入れて地域を 捉えようとする。
限定された小地域の概念について、鶴見は、
バーナードが提示したコミュニティ概念の3要 素(限定された場所10cale、共通の紐帯com−
mon ties、社会的相互作用social interaction)
を次のように置き換えることができるとする。
「場所」は定住地、定住者、定住性、「共通の紐 帯」は、共通の価値、目標、思想等、「相互作 用」は、定住者間の相互作用、定住者と地域外 からの漂泊者との相互作用との双方を含む関係 性。この「定住者」「漂泊者」「一時的漂泊者」
とは、柳田国男から摂取した概念である。
鶴見は、柳田の「漂泊者」について次のよう に説明する[鶴見1977]。
①支配者に属さないもので、農民でないすべて の職業人をさす。
②定住者の漂泊者に対する感情は、差別・蔑視 と渇望が表裏一体となっている。
③漂泊者は、定住者にとって交易者としての性 格を有す。
④具体的には、信仰の伝播者、技術者集団、芸 能者集団、山人、旅人、職業としての一時漂 泊、および職業を求めての一時漂泊(行商、
出稼ぎ、国内外の移民)などが挙げられる。
さらに鶴見は「一時的漂泊者」(定住者が定 住地を離れて他の場所へ移動し、再びもとの定 住地へ帰ってきた者)という概念も用い、その
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上で「地域とは、定住者と漂泊者と一時的漂泊 者とが、相互作用することによって、新しい共 通の紐帯を創り出す可能性を持った場所である」
と述べる。
この「定住者」「漂泊者」「一時的漂泊者」は、
ある場所では「定住者」であった者が別の場所 では「一時的漂泊者」となる。場面によって相 互転換するといってよいだろう。社会移動が激
しい現代社会において厳密な意味で「定住者」
はいない。この鶴見の「定住者」「漂泊者」「一 時的漂泊者」は、実態としての定住・漂泊より
も、ある地域に対しアイデンティフィケーショ ンを有するか否か、立脚点をどこに置いている のかによって分類されると考えるのが適切であ
ろう。
内発的発展においては単に担い手(主体)が いることだけではなく、主体性をどのように確 保できるのかが重要になってくる。しかしこの 主体性とは何か。それは担い手(主体)が置か れている状況を抜きに論じることはできない。
内発的発展の分析単位として地域が挙げられた が、地域レベルで内発的発展(主体性)を問題 にする場合、地域が置かれている地域間関係
(国内・外)がどのようになっているかが分析 されなければならないだろう。
地域社会は「歴史的・制度的に設定された地 域の上に複雑に錯綜する社会関係・社会集団の 組み立てる構成」[蓮見1991:16]と定義され
るように、地域社会にはさまざまな社会関係・
社会集団が累積・錯綜している。それらの関係 は対等関係にあるものもあるが、企業の本一支 社関係や下請に見られるように権力=支配関係
にあるものもある。これらの関係を適切に分析
しないと、すべての活動が地域レベルで見たと
きに「内発的」と括られてしまい、地域内の矛
盾関係、権力=支配関係、などと言った問題を
見えなくさせてしまう恐れがある。チッソは公
March 2000 内発的発展論に関するノート(1)
害病を発生させたという点で批判されるわけだ が、地域レベルで考えた場合に、チッソという 企業も水俣という地域社会を構成しているので
ある。これをどのように分析するのか、この点 についての理論的展開が弱いといわざるをえな い。このように書いて急いで書き足さなければ ならないのだが、鶴見らの報告「水俣の啓示』
が、地域社会分析が不充分であるというのでは ない。鶴見が参画した水俣調査は合同調査であ り、鶴見は水俣病多発地区における社会構造の 変容、また水俣病患者と同行者たちの個人史を 通じて内発的発展の担い手たちの人間像を描い ている。そして他の報告者が行財政や経済、チッ
ソや地域内の有力者の動きなどを明らかにして おり、地域社会の構造は充分明らかになってい るといえるだろう。問題なのは、「水俣の啓示』
において採用されたアプローチをどのように連 関させ説明していくのかという点で、内発的発 展論では方法論が構築されていないということ であり、内発的発展論にとっての課題ではない だろうか。
1.5.鶴見の内発的発展論の問題点
鶴見は「近代化論が『価値中立性』を標榜す るのに対して、内発的発展論は、価値明示的で ある」と述べるように[鶴見1989:22]、内発 的発展論は目標への運動(道筋)を論じようと する運動論としての性格を有するわけだが、こ のことは事例(地域)レベルで内発的発展が実 現することを保証するものではない。理論的な
レベルでの可能性の言及と事例(地域)レベル での内発性の有無は区別して考える必要がある。
理論は常に事例レベルへのリフレクションがな ければならないのはいうまでもない。鶴見がケー ススタディとして取りあげたもののうち、鶴見 自身がフィールドに入り調査を行ったものは水 俣と中国だけである。タイの仏法社会主義に関
一
81 一しては、文献からの引用のみである。事例の解 釈がどの程度まで正しいのか、このことは社会 学として内発的発展論を構築する場合に強く求 められるだろう。
鶴見が充分にフィールドサーベイを行ったと 考えられるのは水俣の報告であるが、その中で 鶴見が「徐々に立ちあらわれた再生への試み」
として挙げられたのは、水俣病患者の自己回復・
機能訓練や自給的な生活、反農薬生産者連盟な どいずれも個人レベルもしくは小さな集団にお ける取り組みであった。鶴見はこのような取り 組みを「小さき民の創造性」と呼び、これを重 視した。確かに内発性を重視するならば、これ らの取り組みに着目することは重要である。し かし、水俣調査を終えて行われた座談会におい て指摘されたようにくこれらの活動が水俣とい う地域の再生とどのように関わるのかの記述が 弱いといわざるをえない。西欧化としての近代 化のみが唯一の社会変動の方向ではないことを 示したことは確かに高く評価される。しかし、
内発的発展を実現するための道筋、必要なこと が不明なままなのである。
また内発性(創造の過程)にっいて、鶴見は 科学・技術のほかにも、産業構造、統治機構、
人間関係の構造、生活様式、教育、宗教など様々 な側面があることを主張しているが、科学・技 術にっいては創造の過程が容易だとしても、文 化遺産(広い意味での伝統)は再生産されると いう側面も有している。変革という場合、その 再生産のシクミを変えていかなければ創造性た
りえない。鶴見が科学・技術以下列挙していっ た順に、再生産のシクミを考慮せねばならず、
新しく結びっける内容が既存の文化追産とどの
ように結びっくのか、論理性、感性など他の部
分との整合性が求められるようになってくるの
であり、創造することは難しくなっていくので
はないだろうか。
一
82一2.地域経済学の内発的発展論
明星大学社会学研究紀要
財政学・地域経済学の立場から、内発的発展 について述べているのが宮本憲一や保母武彦で ある。また、内発的発展という言葉は用いてい ないものの、佐々木雅幸によって提示された
「創造都市」は隣接する考え方であるといえよ う(注1)。ここでは宮本と保母の論を中心に 問題を検討することにしたい。
2.1.宮本憲一の内発的発展論
宮本は財政学・地域経済学の立場から、戦後 日本における地域開発の実態にっいて検証を行っ てきた。すなわち、高度経済成長期におけるコ
ンビナート誘致に代表的に見られるように、巨 大な資本や国・自治体の公共事業によって地域 を開発し、地域の住民福祉の向上・発展を図ろ うとするような開発のあり方(外来型開発ex−
ogenous developlnent)では、進出する企業の 資源利用が優先されるので、地元住民を主体と
した環境保全や公害防止の計画は後回しになる こと、そして地域社会にとってみれば、公害対 策など社会的損失が大きいのに対し、雇用や産 業連関など地元経済に寄与する社会的便益が少 ないということなどを指摘した[宮本1977;宮 本1989a;宮本1989b]。
そして宮本は、このような外来型開発とは異 なるもう一っの地域社会のあり方として提示し たのが内発的発展論であった。宮本が内発的発 展論の定式化をはじめて行ったのは1982年であ る。宮本は、日本各地で取り組まれ、そして独 創的な成果をあげた事例の考察を通じて、①外 部の企業、とくに大企業や政府の補助金に依存 せず、住民みずからの創意工夫による産業振興、
②地域内需給に重点を置き、全国市場や海外市 場の開拓を最初から目指さない、③個人の営業 改善からはじまって、全体の地域産業への改善
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へと向かい、できるだけ地域内産業連関を生み 出すこと、の3点を内発的発展の特徴として指 摘した[宮本1982]。このように1982年時点で は、産業振興に重点が置かれた定義であった。
この定義はその後さらに検討され、1989年に
「地域の企業・組合などの団体や個人が自発的 な学習により計画をたて、自主的な技術開発を もとにして、地域の環境を保全しっつ資源を合 理的に利用し、その文化に根ざした経済発展を
しながら、地方自治体の手で住民福祉を向上さ せていくような地域開発」と定義している[宮 オ91989b:294]o
宮本は、内発的発展は持続的発展sustain−
able developmentと同じであるといってよい
[宮本1990:362]と述べている。この持続的発 展の考え方は、1984年日本の提唱により発足し た賢人会議「環境と開発に関する世界委員会」
の報告書「我ら共有の未来』(1987年)におい て提唱された、地球全体の開発原則である。そ こでは意思決定における効果的な市民参加、生 態学的基盤を保全しながらの開発、などが示さ れている。
宮本は、内発的発展の原則を次の4項目に整 理している[宮本1989b:296−303]。
1.地元の技術・産業・文化を土台にして、地 域内の市場を主な対象として地域の住民が 自発的に学習し計画し経営するものである こと。だが、地域主義ではない。大都市圏、
政府との関連を無視して地域の自立ができ るものではない。
2.環境保全の枠の中で開発を考え、自然の保 全や美しい町並みをっくるというアメニティ を中心の目的とし、福祉や文化が向上する ような総合され、何よりも地元住民の人権 の確立をもとめる総合目的を持っていると いうこと。
3.産業開発を、特定業種に限定せず、複雑な
March 2000 内発的発展論に関するノート(1)
産業部門にわたるようにして、付加価値が あらゆる段階で地元に帰属するような地域 産業連関をはかること。
4.住民参加の制度をっくり、自治体が住民の 意思を体して、計画にのるように資本や土 地利用を規制するような自治権をもっこと。
このように、宮本の内発的発展論の特徴は、
①環境に配慮した地域開発のあり方を論じてい る点、そして②住民の意思を重視し、住民参加 の意義を指摘した点、さらに③住民の学習・計 画・運営などの展開が求められている点、など に特徴があるといえるだろう。
2.2.宮本の内発的発展論における地域
さて、宮本の内発的発展論において、地域は どのような位置にあるだろうか。
宮本の場合、地域とは、基本的に自治体(都 道府県あるいは市町村)を範域として考えてい るといってよいだろう。これは地域経済の分析 単位であるからという理由もあるが、それだけ ではなく、宮本が自治体の活動(地方財政、地 方行政、地域開発・地域計画など)が、地域経 済(構造)の矛盾や地域問題の解決にあたって 一 定の役割を果たす存在であると位置づけてい
るからである。
地域経済という視点に関していえば、宮本の 地域経済学は、(1)地域経済(構造)、(2)地域 問題、(3)地域政策、の3局面構成をとる。そ して(1)の地域経済(構造)に関して、次の9 っを挙げている。①人口の動態(自然的社会的 増減)と構成(性別年齢別)、②資本形成と所 有構造、③土地所有とその利用形態、④産業構 造、⑤所得分配の構造とその動態、⑥交通・通 信体系、⑦人口その他経済の地帯構造(都心と 衛星都市における人口配置、ドーナッ化現象な ど)、⑧財政金融、⑨階級構造。これら①〜⑨ については、まず①人口の動態と構成が基礎的
一 83一 なものとされ、次に④産業構造が、そして第三 に⑨階級構造を⑦人口その他経済の地帯構造と クロスさせて見ることが重要とされている[宮
オsc1990 :20]o
また、地域政策にっいては、地域経済(構造)
の矛盾と地域問題を解決するための公共的手段 として位置づけられており、自治体の活動(地 方財政、地方行政、地域開発・地域計画など)
の意義を宮本が認めているといえるだろう。そ こから、地方自治における住民参加という視点
(課題)が生まれてくるのである。
2.3.「|ヲ寸発的」 とは何か
宮本は、内発的発展を外来型開発と対置する ものとして位置づけている。しかし、内発的発 展において、外来の資本や技術は拒否するもの ではないという。地域の企業・労組・協同組合 などの組織・個人・自治体を主体とし、その自 主的な決定と努力のうえであれば、先進地域の 資本や技術を補完的に受け入れることを拒否し ない、と述べる[宮本1989b:294コ。このよう に、内発的発展においては、内発的発展の担い 手(主体)の自主的な決定と努力が重要な要素 を占めるとされる。
さて、宮本(1990)は、経済のグローバリゼー ションによる地域の編制が進み、世界の都市の 動態が国民経済とは異なる動きをはじめている
ことを述べている。このような動きの中で、
「内発性(内発的)」にっいてどのようなことが
いえるだろうか。中村剛治郎(1990)は、多国
籍企業段階の下では、単に外部から空間構造が
支配・従属されるという側面だけではなく、世
界(国内・外)の都市間で相互に浸透しあって
おり、このような相互浸透過程について、動態
的な構造分析が必要であると述べる。このこと
を内発的発展論と関わらせると、企業活動は他
の都市(地域)との相互浸透過程の中に置かれ
一 84一 明星大学社会学研究紀要
ているのであり、地域という視点から見たとき に、単純に内発的であるか否かと評価すること が難しくなるということを示しているのではな
いか。
2.4.保母武彦の内発的発展論
保母の内発的発展論は、宮本のそれと基本的 に同じであるといってよい。そこでここでは、
保母の独自の考えが示されている部分について 見ていくことにする。
保母は、地域経済にっいて、地域にあるハー ドとソフトの資源を活用して、地域の主体的な 創意によって経済的自律性を高め、共同性を拡 大する振興のあり方を内発的発展と呼ぶ。そし て、この内発的発展のための外的な条件として、
①平和であること、②大企業に対する規制、③ 分権と地方自治の確立、を指摘する。また同時 に、①住民の自発的参加に基づく民主的な政治 と行政、②環境保全の社会計画とこれを枠組み とする地域経済計画、③これを支え推進するに 足る住民の文化水準の向上、社会教育と自己学 習、を基礎条件として指摘する[保母1989:
339−340]o
内発的発展論への系譜について、保母は、次 のように述べる。外来型開発に対する問題点や 限界が指摘されるようになり、新しい開発理論 への模索が行われ、その中で注目されるように なったのが、地域主義や一村一品運動であった。
これらは、地域住民が担い手となって主体的に 地域形成をすすめていく方向性を示した点は評 価できるものの、地域経済の現状認識や政策論 に欠陥が見られた(注2)。それらの問題点を 克服する開発理論として内発的発展論がある
[保母1989:333−337]。
保母の内発的発展論では、内発的発展論を政 策へ適用する時のポイントについて発言をして
いる。保母は、日本の農山村の維持発展を図る
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ために必要な政策論として、①自前の発展努力、
②都市との連携、③国の支援措置の結合を提案 する[保母1996:143−147]。また、内発的発展 を進める上でのチェックポイントとして、①完 成度の高いグランドデザイン、②地域住民の参 加・理解・協働作業、③リーダーの存在、④運 営資金、の4っを挙げている[保母1996:155−
162]。保母のこれらの提案は、日本各地の農山 村で取り組まれている事例を踏まえた論となっ ている。
3.小括(内発的発展論の課題)
以上、社会学(鶴見)と地域経済学(宮本・
保母)における内発的発展論にっいて、内発的 発展の担い手(主体)とその主体性の問題にっ いて焦点を当てて考察を行ってきた。これまで に明らかになった点にっいて整理しよう。
3.1.内発的発展における住民参加の意義 内発的発展論では、住民参加が重要な意味を 持っ。鶴見の場合、「小さき民の創造性」を重 視し、社会運動としての性格を有することを強 調していた。また宮本・保母の場合では、自治 体が重視されているが、その自治体の活動への 住民参加にっいて論じていた。これらは強調点 に多少違いがあるものの、内発的発展論として の共通性はあるといえるだろう。
さて、この住民参加にっいて、どのようなあ り方が望ましいのだろうか。鶴見の場合、内発 的発展の定義において「それぞれの地域の人々 および集団が、固有の自然環境に適合し、文化 遺産(伝統)に基づいて、外来の知識・技術・
制度などを照合しっっ、自律的に創出する」と
記されているように、地域住民の活動が重視し
ていることが伺えるものの、「目標達成への経
路と創出すべき社会のモデルについては、多様
性に富む社会変化の過程」であるとされ、その
)4arch 2000 内発的発展論に関するノート(1)
具体的なあり方にっいての言及はない。宮本の 場合、内発的発展の定義において「地域の企業・
組合などの団体や個人が自発的な学習により計 画をたて、自主的な技術開発をもとにして、…
… 地方自治体の手で住民福祉を向上させていく ような地域開発」とあるように、地域住民の活 動を基礎としながらも、自治体の活動(地方行 財政、地域開発・地域計画など)について意義 についておいており、住民の活動が自治体の活 動に結びっくことが望ましい姿であるといえる。
このような内発的発展における担い手(主体)
の活動形態にっいて、遠藤宏一(1999)は、内 発的発展における「主体」の類型として、住民 主導型、行政主導型、中間組織主導型の3類型 をモデル化した。この3類型は、主体のあり方 を分析する際の参考になるだろう。遠藤は、行 政主導型の場合、住民の参加のあり方や経済効 率ないしアカウンタビリティが問題点としてあ り、また住民主導型や中間組織主導型では、参 加者立ちの学習や意識改革といった点で運動論 的効果は大きいが、地域社会(地域経済)への 波及という点で限界があり、自治体の行財政力 をいかにして活用できるかが課題であるという
[遠藤1999:205−206]o
3.2.地域社会分析の問題
3人の内発的発展論においては、分析の単位 として地域が位置づけられていた。
鶴見の場合、地域の範域は明確ではなかった。
地域といった場合、様々な範域の地域が併存し 重層化している。であるから、担い手(主体)
の活動のあり方によって、様々な範域の地域の 中から、ある特定の地域(範域)が焦点化され るということになる。これに対し宮本や保母の 場合、自治体の範域に視点が置かれている。
鶴見のところで指摘したように、地域内の関 係を適切に分析しないと、すべての活動が地域
一 85一 レベルで見たときに「内発的」と括られてしま い、矛盾関係や権力=支配関係などといった側 面を見えなくさせてしまう恐れがある。また、
内発的発展においては、地域間の関係は対等を 目指すものと考えられているが、地域間の階層 序列は存在しており、これを無視して内発的発 展は構築しえないだろう。
内発的発展論が理論として深化させるために は、地域社会分析の方法論を内在化させる必要 がある。この地域社会分析の方法論については、
地域社会学や地域経済学などにおけるそれを検 討し、摂取する必要があるだろう。具体的には、
地域社会学におけるいわゆる構造分析の手法や、
矢田俊文らの地域構造論、空間論などが検討の 中心となるであろう。
3.3.「内発的」とは何か
「内発的とは何か」という点にっいて、内発 的発展論では主体的な決定があれば、外来から の資本や技術の導入にっいて否定しないわけだ が、このことは内発性が、主体のあり方によっ て影響を受けることを意味する。
現代の地域社会を考える場合、グローバル化 による地域の編制を無視できない。世界の都市
(地域)の動態が国民国家や国民経済とは異な る動きをはじめており、地域の「内発1生」といっ ても、この点を考慮しないわけにはいかないだ ろう。グローバリゼーションの中でどのような 内発性を発揮することが可能なのか、この点に ついてはさらに検討する必要があるだろう。
以上、小括ではあるが、内発的発展論の課題
にっいて見てきた。これらの問題にっいて、引
き続き検討していくこと、また本稿では言及し
なかった国際開発論における議論について見て
いくことが、本研究の次の課題である。
一 86一 明星大学社会学研究紀要
《}王》
(注1)『創造都市の経済学』を著した佐々木は、
創造都市を「一般的に、科学や芸術における創造 性に富み、同時に技術革新に富んだ産業を備えた 都市」「産業のイノベーションとインプロビゼー ション(即興演奏のような改良)を得意とする都 市」と定義する。
佐々木は、現代の地域社会を、グローバリゼー ションとローカライゼーションの2っのベクトル が交錯し、「世界都市」を頂点とする垂直的な地 域統合の動きと「創造都市」間の相互の水平的ネッ
トワークとの綱引きが演じられようとしていると
見る。
創造都市の要件としては、文化的多様性、独創 的な人間が自由にアイデアや知識を創造するとと もに、新しいアイデアや技術を都市における生産、
文化、技術、芸術に結びっける人間が存在するこ と、都市の内部・外部を結びっける優れたコミュ ニケーションを有していることを挙げている。
(注2)保母は、地域主義の問題点を次のように 指摘する。(1)大企業体制が後退し、ネットワー
ク型の企業間系が支配的になると経済構造変化を 甘く予測したため、大企業体制改革への能動的ア
プローチを欠くことになった、(2)階級主義の後 退、都市型社会の到来、所得の伸び悩んでいる地 域が問題なのだ、などといった表層的な現状把握 のため、政策課題の設定が不十分なものとなった。
また、一村一品運動にっいては、(1)意図は別 にしても、一村一品を特産品の単品開発に終わら せる理論構造があり、地域経済全体を対象とする 産業政策論としては限界がある、(2)域内産業連 関の追求や域内経済循環の拡大策が理論的に用意 されていないため、地域経済振興政策として完結 しないこと、(3)都市と農村を連結・連帯させる 理論に欠けていて、地域発展の展望を必ずしも与 えないこと、という点が地域振興の経済理論とし て問題があるとする。さらに、県や中央省庁が乗
No.20
り出して官制運動化し始め、これに救いを求めて 内発的な取り組み姿勢を後退させるという弱点も 現れた、と述べている[保母1990:334−335]。
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