第
5部
瀬戸内三橋時代のまちづくりの方向を探る
一都市政策の比較整理と検討一
八 十 川 睦 夫
I 井原健雄氏「まちづくりの視点と課題」
1
1 野崎敬三氏「香川県におけるまちづくり実践の動向と課題」
皿 時岡晴美氏「海外のまちづくり実践の動向(その)1 」
w 広田泰孝氏「海外のまちづくり実践の動向(その2) 」
v 総括
V
I 立地3 法について
私の役割は、過去4回にわたって行われた講師の講義をレビューして整理し、それに私なりの観点を加 えてコメントすることだと考えている。基本的、体系的なものは既に4講師の議論があるので、ここでは むしろ文化的、心理的なソフトな側面から考える切り口を提示することとする。
I 井原健雄氏「まちづくりの視点と課題」
「まちづくり」という言葉の定義
論者は、都市を語るには、 1) バーバルな面、つまり言葉を使った面と、 2) グラフィックな面、ある いは空間的構造や視覚的なものを持つビジュアルな面、 3) 数量的な面の三つをきちんと押さえなければ 本格的な理論ではない、と指摘して研究者としての態度を最初に提示した。
そのバーバルな面で、 「まちづくり」という言葉は色々な意味に使われているが、論者の場合「まちづ くり」は都市政策であるということで、まず都市という言葉を出し、地域という言葉と区別する。都市と いう概念を提示し、そのポリシー・メイキングとその実践が「まちづくり」だと定義している。
ここで論者は「まちづくり」の定義を明確にしているが、後に出てくるアメリカ、ヨーロッパの事例を 理解する上でも、言葉を正確に使う態度が重要であると思う。言語が機能している文化と、言語よりもむ しろ人間関係や事実関係等、状況の方が機能している文化がある。基本的にヨーロッパ、アメリカは言語 依存型の文化であり言葉自体の重さが違うことを知れば、そこで行われていることの理解が容易になる。
聖書から「最初に言葉ありき」が引用されていたが、言葉で語られるロジックの重要性を指摘したもので ある。人はロジックによって動かされる。言葉を大事にする態度は、これからの市民参加型まちづくりに おけるベースとなると私は考えている。
2 政策志向の考え方
論者のいう政策志向の考え方とは、まず実態、現状を把握し、将来を予測する。それから目標を設定し、
予測と目標の不一致から政策(作為)のロジックができる。言葉の遊びではない理論的な議論とはこのよ うなものである。政策手段として重要なのは「都市計画」と「都市財政」である。
また論者は単なる運動と政策とは違うことを指摘する。まず都市の実際の状況、現実把握をきちんと行 うことと、将来の予測をすること。それに対して我々が理想とする目標は何だろうか。そこに予測と目標 のギャップがある。それをどうやってマッチングさせていくかというところで初めて政策論議が始まる。
全体目標の設定が一番大事であると言うわけである。これは当然のことだが、現実には、部分的なパーツ の議論が盛んに行われ、都市の全体像やそこにどんな価値が実現するのかという、より大きな話のところ で中心がずれていることが多々ある。そこで論理的な議論、言葉の遊びでないものが欲しいというわけで ある。
また大きくて固い枠組みとして「都市計画」と「都市財政」を押さえておかなければならないことも主 張されている。
3 都市政策の問題点 (1) 地域格差について
「国土の均衡ある発展」の議論では、 「均衡」と「最適化」とが混同されている、 「地域格差の是正」
では、地域の魅力や都市の個性等の異質性を考慮すべきであるとする論者は、経済学者として、政治的な ものに対して常に経済学的な立場からの批判、チェックがなければならないと主張される。 「国土の均衡 ある発展」の議論では地域格差の是正という言葉がよく出てくる。これは言葉の遊びに近いもので、地域 格差の是正は本当にあり得るのだろうか。均衡は、あるものが動いていてどこかのところで停止した状態 である。その結果現れてきたものが空間的に見れば地域格差であるかもしれない。何か最適化するものが あり、それによって生まれた均衡の状態が地域格差であれば、それを是認しなければならないのでないか、
というのが論者の考え方、話の柱である。
地域格差の是正では所得格差以外の物差し、目的関数の中の物差しを持ち込まなければならない。その 場合あれも欲しい、これも欲しいの議論が出てくるが、ある地域としてこんなにいいものがあるんだとい
う認識、地域の魅力、都市の個性等の評価がなされなくてはならない、そう述べている。
(2) 国土の空間構造
地価の下落で東京への一極集中が再び鮮明になり、地方でも05 万人以上の都市圏が続々と誕生している。
また、自治省は最小規模1-2 万人として市町村合併の方針を8月に打ち出した。
都市はあるレベルに達すると自己増殖機能を持つ。その閾値はビジネスチャンスの関係で人口05 万人、
地方中核都市の規模である。都市間競争から都市間連携へという動きがあり、例えば、宮崎市、都城市、
小林市の連携で中核都市の機能を持とうとしている。
東京への一極集中を私なりに商業の立場から見ると、確かにアート、エンタテイメントなどに関連した もの、もっと雑駁に言うとイベント的な機能の東京集中が顕著で、大阪は衰退気味である。東京は価値観 の拡散、消費の多様化に対応できるということであるが、東京への集中は凄まじいものがある。物品販売 についてみても、ある一定規模以上の都市でなければあるグレード以上の商品に関連したビジネスは育た ない。
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ビジネスチャンスの関係で、都市の自己増殖機能、いわゆる本当の魅力が出てくるのは中核都市以上で はないだろうか。そういう点で本当の都市としての整備を論理的に進められるのは、香川県でいえば高松 ということになるではないかというのが論者の意見である。
(3) 都市計画法の改正
都市計画法の改正では、規制を強化する面と緩和する面とがあるが、規制のあり方を行政に任せ切りに せず議論すべきである。線引きの弊害の方が大きいのではないかという主張がなされた。例えば職住の混 在は都市として好ましいのではないか。
都市計画法の主要な改正点は、土地に対する規制の変化であり、実際に実行可能かどうかが問題だが、
自治体が直接用途指定地域について国が示した 1 2のパターンから外れて、地域独自で特殊な用途地域を 設けてもいいというものである。規制を緩和する面と強化する面とがそこから出てくる。様々な権限が地 方へ委譲されるということだけではなく、色々な側面が出てくるということである。
私には、おそらくここが一つの要点かと思われる。今までは市民の議論はいわば色々な施設や便益がど うあって欲しいというものであって、アメとムチでいえば、アメの方をどうすればいいのか、その最適な ものを求める議論が中心であった。これからは規制というムチの方を市民レベルで大いに議論すべきであ ると思う。一つの運動としてのレベルではその議論ができなくても問題はないが、市民が企画段階から発 言する場合、計画策定に参画するときには、規制のレベルの議論がしっかりとなされなければならない。
そうなると、市民の啓蒙という広い意味での教育論になる。新しい都市計画に基づいて都市の全体目標に 取り組む場合、土地は公共のものであるという意識を強化しない限り実効性は期待できないと思われる。
土地所有に対する制限、それを都市全体の大きな観点から市民自体が市民を教育できるかどうか。土地利 用についての市民の教育については、現在まで行政は及び腰であった。市民自体がそれについて議論し、
市民・ 有権者を啓蒙していくことができるであろうか。
論者の中心的主張は、都市計画は大きな不変、確固たるものを造っていかなければならない。枠組みを 固いものにし、その中で市場原理をできるだけ導入するというものである。要するに都市の大きな構造に なるところの交通体系を固めなければならない。高松市では交通体系については今まで大きな枠組みが議 論された痕跡がなく、これは非常に大きな問題である。長期的な視野に立ち、子孫に残すまちをつくると
いうことで交通問題にも思い切ったビジョンを描き、粘り強く取り組むことが必要だというのである。
4 都市経済学への勧誘
(1) 実態に即した都市概念で都市をみよう。
論者は、空間的には、行政的な区画に捉われることなく、現実の都市の“くくり"を把握することと、
個人や企業が都市に集中する原因のうちで、集積の経済に注目して、都市間の交流・連携による多様性、
異質性の実現を固ることを提言している。
経済学的なものの見方をしてもらいたいということである。まず空間的に、現実の都市の括り、本当の 都市の括りは一体どうなのであろうか。ということは都市の構造、目でみたハードな構造以外に生産面・
消費面においてどのような括りができあがっているのか。その実態を把握するために、論者の研究グルー プでは調査研究に取り組んでいるようだ。
都市集中が起きる要因の中で最も重要なものは集積の経済である。移動不可能な生産要素や公共財の存 在なども都市集中の要因であるが、企業間の提携であるとか協力関係という多様な企業間ネットワーク、
消費の多様性を背景にして生活面での色々な施設の集積であるが、そういった集積の経済がさらに集中を みるということである。
最近ではその中で消費の多様性が実現できることが非常に重要な要素になってきている。それが先ほど 述べた東京の一極集中をさらに進行させている要因である。生産、働く側面以外でのわれわれの時間、生 活の中で色々な価値が実現しなければならない。われわれの自由とは自分の価値が自分の意志によって実 現できることであり、それが実現できる条件をわれわれは求める。その条件が揃っているところが都市で あり、それが人を集める。そういう点で最近は消費の多様性が集積の経済のベースになっているという意 味である。
論者は、時間的には、動態的な都市概念を持つことも提唱している。将来予測と目標設定において、都 市がどのように変わりつつあるのかの認識である。これに関しては、市民の資質、価値観ががどう変わり つつあるかも重要な問題ではないかと私は考えている。
(2) まちづくりにおける政策と運動の違い
ここでは政策と市民運動との違いを明確にすることが主張されている。これからは市民が政策に関わっ ていかなければならないが、それは市民が今までの運動とは違った世界に入っていくことであり、政策で は明確なビジョンが議論の出発点になる。全体像、都市像というものを、実態而、機能而、構造而、象徴 面の全てにわたって描き出した明確なビジョンが出発点とならなければならない。
経済政策からみたまちづくりでは、費用・便益を比較した実効性がポイントである。今までの政治の論 理が中心となったまちづくりではなく、経済の論理が働いたまちづくりが提唱されている。そこでの色々 な要素の適正配分が経済学である。
これからのまちづくりでは、市民が常に意識すべきものの一つに「効率」があると思う。効率はコスト に対する効果の割合であり分数で表すことができる。分子と分母の問題で市民のまちづくりとの関わり合 い方を経済学的に分類してみると、まず、分子も分母もあまり考えないレベルがある。要するに自前であ る。お金も労力も時間も全て出しましょうというお祭り的な行事等、効率をあまり意識しない活動である。
次は、分母は意識せずに、分子の効果は何らかの物差で評価している市民参画である。ただコスト面は無 視しているのでその点で効率がいいか悪いかの判断、経済的な効率の考え方が入っていない。最後は、分 子と分母を考慮したレベルもので、このうちでコストや効果が金額で把握されるものは採算性を求めたも ので、効率的に最も厳しいレベルである。
論者は効果、便益をどう評価するかについて、今までは政治的な発想が主流であり、効率を無視した開 発も行われていたが、現在それが方向転換しており、まちづくりの考え方が変わりつつあると指摘してい る。私は、それが単に不況や財政の逼迫というだけではなく、 55 年体制の崩壊という大きな社会的背景が あるように思う。合理的なまちづくりにとっては、政治という逆風が弱まり良識という順風が吹き出した。
それに乗り切れるかどうか。行政の中でも心ある人は、その潮流に乗るために市民サポートを期待してい る。そんな状況が今ある。その点が市民活動としてやり甲斐のある面ではないかと思う。
論者は、便益の不明確なものはプロジェクトとしては弱い。単なる運動であると指摘している。ただし、
運動に対して批判的な意見ではなく、むしろ経済学的なチェックを伴っていない運動に対して、それの持 つ大らかさに好感と期待を持っての発言であった。政策と運動とは違う、経済学者の立場から見ると異な るものだというのである。
即地的な面では、香川県には費用対便益の実効性をチェックし、かつ住民の合意を取り付けたプロジェ
瀬戸内三橋時代のまちづくりの方向を探る一都市政策の比較整理と検討ー
クトは存在しない、という見方が提示された。形の上ではプロジェクトはあるが、本当の意味での施策と してのプロジェクトがあるのかという疑問である。便益のチェックによって、利用者側の論理を導入るす ることが必要である。今までは供給者の論理で動いていたという批判である。
供給者の論理を補正する動きは出てきている。例えばサンポート高松も高松市民の方で少なくとも便益 の方、市民の生活における価値、効果があるかどうかのチェックをどんどん入れだしている。今の時代の 大きなエネルギーを私は感じる。
I
I 野崎敬三氏「香川県におけるまちづくり実践の動向と課題」
最初に香川県内の青年会議所の概要説明があり、それに次いで合併推進運動における各青年会議所の取 り組みについて講義があった。
1 東香川青年会議所の合併推進運動
・15 年前に設立されたが、設立の動機が東諧に市をつくろうということにあった。
成 7 年、東讃 8 町の商工会、ライオンズ、ロータリー、青年会議所のメンバーが集まって「大川合併協 議会・美しいまちつぐりの会」を結成。住民にも参加してもらい8町の合併に取り組んできた。
「美しいまちづくりの会」総会で住民発議を議決。 5月、青年会議所で意志統一。 6月、
「美しいまちつぐりの会」に署名運動を依頼、その会を母体として060 人のボランティアを動貝。
.署名活動の期間は平成01 年01 月81 日から11 月61 日の 1カ月間。結果は、有効署名数1753,1 、有権者に帯 する割合は平均17.4% 、最高は大川町の31.2% 、最低の長尾町が6.3% であった。
・合併協議会設置の請求に対する町識会の議決は、可決6町、否決2町で、請求は無効になった。
・全国で621 市町村に合併推進の動きがあるが、本年4月現在住民発議を行ったのは17 件、四国では東香 川が初めてである。
(コメント:東香川青年会議所の合併推進運動は、中讃でもそれに関連したものがあるのだが、そこでは 目標、到達点が具体的に見えている。そういう意味で何を実現するのかが明確であり、そこにこの運動の 特徴がみられる。粘り強く息の長い運動が、順風、追い風が吹いてきた形で実現に向かっておりおり、そ のストーリーが理解できたと思う。実際に具体的な運動の中での企画運営の苦労等、その事実の積み上げ はまさに実践例である。改めて青年会議所の活動を再認識したのが正直なところである。
この合併推進運動で重視すべきは、四国で初めての住民発議を推進したことである。全町での議決は成 功せず住民発議は白紙になってしまったが、その波及効果が出てきているのではないかとのことであった。
小豆島3町での住民発議実施の決議、三豊青年会議所による合併を視野に入れたフォーラムの開催、徳島 県吉野川流域での合併シンポジウムの開催等は、東香川青年会議所による連動の波及効果であると評価さ れている。)
2 青年会議所によるその他のまちづくり運動 (1) 手づくりカヌーレース
・東香川青年会議所が01 年程前に始め、今年が01 回目。地域の資産である津田の松原と海を使うイベント
づくりと 8町の町長が集まる機会づくりが目的。
・総予算008 万円で協賛を募って毎年行っている。予算の捻出が困難で、今年限りで終わる。
(コメント:手づくりのカヌーレースは8町の町長が集まる機会づくりを一つの目的に置き、広域合併の 意図が含まれていた。残念ながら予算面の都合で今年限りで終わるということである。やはりコストの問 題かと思われる。運動の進め方の難しさがここに表われている。)
(2) どてかぽちゃ日本一
・小豆島青年会議所が毎年開催していて、本年で31 回目。ジャイアントパンプキンという種類のカボチャ の重最を競う大会。北海道、山形、秋田、長崎、岡山では日本の地方大会が開倣されているが、小豆島 のは全国大会。
・アメリカにある「国際カボチャ協会」の公認開倣地であり、サンフランシスコの世界大会へは小豆島の 大会で発行する計量証明書で参加する。
. 1回の開催費用が003 万円。公認地の資格を維持するために財政的には苦しいが継続している。
(コメント:アメリカに国際カボチャ協会があり、日本支部の候補地を探しているという偶然の機会が あった。青年会議所の老人に生き甲斐を与えるイベントづくりの実践という流れの中で、情報をキャッチ し実行していったというストーリーである。ただ、 1回の開催費用が003 万円ということや、資格の維持 のために財政的には苦しいようだが、頑張っている。)
(3) 三豊プロジェクト
. 3年前に観音寺青年会議所から三豊青年会議所と名称変更。
・広域合併研究委員会とまちづくり研究委員会とが共同して「まちづくり三豊プロジェクト99' 」を開催 した。 「三豊プロジェクト」はイベント型フォーラムであって、今年で8年目ぐらいになる。テーマは ゴミ問題で、環境を重視した買物をしようという消費者運動の旗を振ることが目的。
・93 年からは、合併の下地をつくろうということで、毎年開催の市町を移している。
(コメント:ここでは 1市8町の広域的な合併を頭に置きながら「まちづくり三農プロジェクト99' 」と いうイベント型のフォーラムを催している。テーマは環境だが、この辺りが時代的背景の中で重要かと思 われる。環境に悪い消費生活をできるだけ環境に優しいものに変えていこうという消費者啓蒙運動の旗を 振ろうというものである。)
(4) ツールド中譜
・讃岐青年会議所は、合併に取り組んでいる丸亀青年会議所と善通寺青年会議所が、合併はまず青年会議 所からということで統合して名称変更したもの。
・ 「ツールド中諧」は5991 年から開催しているイベントで、香川県中部の2市町を一つにまとめることを 目標にした合併推進運動の一環である。住民に自転車で走ってもらい、地域の自然や景観を再認識して もらうのが目的になっている。
• このイベントには次のような経緯がある。
8
4 年 丸亀青年会議所が中諧交流暫定交渉を始め、 「広域行政シンポジウム」開催。
8
5 年丸亀合併推進協議会の発足。
8
6 年 02 万都市合併のパンフレットと実現キャンペーンシールを作成。
瀬戸内三橋時代のまちづくりの方向を探る一都市政策の比較整理と検討一
8
7 年 02 万都市推進キャラバンカーの運行。
8
9 年 02 万都市提言地圏を作成、署名運動も実施したが議会の協力が得られなかった。
(コメント:単なる人集めではない。4891 年から始まった青年会議所の取り組みの延長上にあり、中設の 広域合併という明確な目的のためのイベントである。自転車で走ることで中讚という地域を体験してもら い心理的連帯を育てようというものである。結局は住民に対する広い意味での教育に当たるものである。
自分たちが持っている理想を言葉で説くのではなく、体験型学習で住民に理解してもらっており、コンセ プトがしつかりしているイベントだと評価できる。)
(5) 高松青年会議所の活動
・6919 年、献血運動がスタート。 07 年代から、若者と協力し合う社会貢献ということで「02 歳の献血」と なり、成人式の会場で毎年行っている。イベント型の活動としては、 01 数年前から、 「ダウンタウン ボックス」を始め、中央公園、玉藻公園で数多くのイベントを開催している。
・サンポート計画との関係では、昨年から、工事現場の外壁に絵を描く事業を企画・運営している。協賛 は四国旅客鉄道で小学校、高校、事業団等の人達の参加制作を得ている。
(コメント:地域の人たちを巻き込んだ活動であることが評価される。サンポートで外壁に絵を描く事業 についても小学生や高校生、その他の人たちを横に繋いでやっている。また灯台のネーミング募集もそれ に参加するということで市民を横に繋いでいる。行政や企業、住民、住民の中の色々な立場の人たちの連 携が重要になってきているのが今のまちづくりの一つの潮流である。そういった連携、連帯、連結という
まちづくりのポイントがここにきちんと出ているように思う。)
(6) 高松まちづくり協議会の発足
• 本年6 月「高松まちづくり協議会」として組織化、設立総会と設立式典を行った。目的は、行政と市民 とを連携させて地方主権を獲得することと、市民相互の水平対等な関係を繋ぐことである。
・活動の実態を伴った独立性を確保するため、組織は肩書のない個人の自由参加であり、団体の代表者が 集まる連合体とはしない。また、青年会議所と全く別の組織として活動する。自立するまでは青年会議 所が事務局を支援する。
・スローガンは「行動し、発言し、地球の未来に対して自ら責任を負う」であり、行政に陳情したり提案 するのではなく、自分たちで行動し、成功事例を積み上げることで発言できる市民団体を目指している。
• これまでの活動は、太田中央公園における環境保全活動(地元の高校や公園愛好会と連携)松島公園の 花壇の美化(松島小学校の地域エコクラプと提携)、文学と歴史の散歩道の史跡や石碑の分布地図作成、
自転車の似合うまちづくりの企画である。
(コメント:時代の背景があると同時にボランティア活動の実体験もベースになっている。行政、市民、
企業を一つに合わせる水先案内人の役割を担うということと、自分自身の手でやれることはやっていく。
いわゆる提言活動ではなく実行活動を行う組織にしようというものである。私は協議会発足時の議論に参 加しているが、まちづくり協議会というのは色々なグループの代表者が集まった形式的な連合会になりか ねない、それを避けるための議論に時間をかけていた。多くの団体と関係を持てば持つほど、独立性と活 動性が失われる恐れがある。独立性・ 活動性を確保するために組織は肩書のない個人の自由参加となって いる。
将来のプログラムはOPN のような独立した法人にしていくことである。日本では今、 OPN に対する寄付を
所得から控除することは殆んど不可能である。まちづくりにとって大きなマイナスなので是非とも法的な 制度は整える必要があると考える。その点で所得から控除できるアメリカの場合、寄付を集めるためのダ イレクトメールが非常に多い。寄付したい人は小切手に金額を書き、サインして郵送する。銀行を通して 帰ってきた小切手は確定申告にそのまま使える。これが日常の生活の中に当たり前のように染み込んでい る。簡単に寄付がてきる仕組みが社会的に整備されており、慣習も根づいている。日本の場合は税法上の 阻害要因を取り払っていかなければならない。これが今後のまちづくりにおける一つのポイントかと思わ れる。)
皿 時岡晴美氏「海外のまちづくり実践の動向(その 1)
」
1 まちづくりに関する研究歴
自営業世帯の実態調査を、琴平町、備前市、城崎温泉、京都で実施していて、京都の調査では、地域を どうしていくのかという都市計画や景観整備の領域と関係を持っている。
(コメント:論者はまず最初に自分の研究歴について語っているが、生育歴などの実体験が根っこにある ことが、生き生きとした話の中にうかがえる。全体として、物事の実体を自分できちんと確かめながらい こうという姿勢がずっと流れている。また、ヨーロッパの事例を報告しながら、日本のまちづくりとの観 念的な比較を避けているのも面白い。)
2 まちづくりの実践例としての歴史的都心地区
ヨーロッパのまちづくりでは、都市の長い歴史と時代を経た建築物の存在が大きい意味を持つ。イタリ アでは8691 年に「橋渡し法施行令」が施行されている。それに基づき、歴史的、芸術的価値ある都心地区
「チェントロ・スチリコ」が、各自治体ごとに法定の基本計画で指定され、その地区を維持、保存する計 画が策定されている。
チェントロ・ストリコの手法がそのまま日本の都市で使えるものではないが、歴史的な都心地区を維持 保存することで、 “まちづくり"を推進してきた海外の先進事例として参考になる。ただ、日本で一番古 い歴史的地区は京都であるが、京都でもチェントロ・ストリコの要件に当てはまる街区は多くない。
(コメント:ここにも論者の手触りを大事にする研究姿勢があらわれている。実際にヨーロッパの現地に 行き、視覚的なものや町の音、建物の素材感などに肌身で接して、日本との違いの感覚や感触を抱いたよ うだ。面白いのはヨーロッパ文化圏に含まれる人達は、物質、素材そのもののオリジナル性にこだわる。
その時代のその物質がそのままそこに残っていることを非常に重視する気分が、まちづくりにおけるコン センサスのベースになっていると思われる。それに対して日本の場合は素材に対するこだわりが弱く、形 や様式を重視する。形として同じ形のもの、同じスタイルのものがそこに残っていればいいということで、
伊勢神宮も02 年ごとに更新している。そこに文化的な相違がある。素材そのものが力を持っており、それ が人間に大きな影響を与えるようだ。これがヨーッロパの特徴であるが、いまだにこだわれる素材が残っ ていることは羨ましい限りである。)
3 ヨーロッバにおける都市の中心市街地と小売商業
基本的にはヨーロッパでも日本と同様に都市の空洞化が起きており、都市機能回復の対策の中で小売商
瀬戸内三橋時代のまちづくりの方向を探る一都市政策の比較整理と検討ー
業が重要視されている。
(1) 全般的な状況
・戦後、ヨーロッパでも中心市街地に業務地化と人口空洞化が起こり、小売商業が劇的に衰退した。どの 都市でも中心市街地の活性化では、小売商業の振興が位置づけられている。
・6091 年代に大型店の郊外進出があり、 07 年代に入るとスーパーマーケットとの価格競争で近隣商店街で 空き店舗がさらに増加。
・07 年代、規制緩和しアメリカ型を取ったのがベルギー、フランス、西ドイツ等、規制を続け市街地への 大型店の立地を誘導したのがイギリス、オランダ、スカンジナビア諸国。
(コメント:ただ、イギリスでは一時期、サッチャー首相が規制緩和を進め、大型店が郊外に進出した。
が、イギリスには歴史的な特殊性がある。ローマ人は都市経営の天才でイギリス人は農村経営に熱心だと よく対比される。イギリスでは農村に本拠を置いている貴族階級のリーダーシップが依然残っている。大 型店の進出により農村の景観が変わる。そういった目に見えた変化に対してイギリスの指導者たちは敏感 に反応し、農村の自然を守る形で規制が再び入り、 09 年代には規制はもとに戻ったという経緯がある。そ の辺りにも一つの歴史、伝統の重みがあるような感がある。)
・80 年代に入り、各国ともに出店規制を強化、都心型の小売機能確保の方向に動きだした。
(コメント:これらを見て、一体日本は何をしているのかと考える。ヨーロッパでは規制が厳しくなって いるのに対し、自由化や規制緩和で、資本の論理を放置しているのが今の日本の現状のような気がする。
しかし、資本主義の論理で本当に都市が守れるのかどうか。その点を我々はしつかりと考えなければなら ない。イデオロギーの議論ではない。資本主義という社会システムを多数決で採用している現状を前提に、
その中で都市をどうすべきかを考えなければならないわけである。また、今の日本は土建政治の欠陥が現 れている状態であることも否定できない。ヨーロッパの多くのリーダーには見識を持った貴族や準貴族が 多かったということがプラスになっていると思われる。世界の先進国で大衆民主主義の実態を持っている
は日本だけであるといわれている。アメリカでは制度としては大衆民主主義をとっているが、指導者層に よる巧みな大衆操作が行われている。大衆社会をコントロールして国益を実現しているわけである。
まちづくりではトップダウンとボトムアップという言葉がよく使われるが、私はその言葉の使い方には 慎重であるべきだ考えている。行政が上にあり、市民が下にあるトップダウンの時代が終わりつつあるの で、行政と市民が手を結んだときのトップダウン、ボトムアップの意味を考えて欲しい。行政と市民が連 携したとき、市民の中のトップ、市民の中のボトムが問題となる。市民レベルのまちづくりでは、中心に なっている人達、イノベーターやオピニオンリーダーは市民の中のトップ層である。価値観、思考能力、
自由時間等から考えて、市民レベルではトップダウンでなければ物事は動かないようである。)
(2) 小売り商業施設の具体例
・ミュンヘン市
市所有の建物(例、市庁舎)の1階部分を小区画に区切りテナント方式で零細小売業者にリース。
・ローマ等、イタリアの自治体
都心で路上仮設店舗による生鮮食料品の販売を促進している。ローマでは時間帯を決めて仮設テント。
(コメント:ここで論者は鋭く観察しておられるが、イタリヤの小売商業では親子代々の世襲は少ない、
また持ち家での商売も少なくテナントが多いということである。だから計画的なテナント・ミックスが可
能なのである。日本でも空き店舗をミュンヘン市のような形で何らかの組織で買い上げ、ベンチャー的な 商業を育てていければ、というようなことを連想させられた。
ローマでは都心の路上仮設店舗で生鮮食品を販売しているそうだが、高松三越新店舗の基本的な欠陥は 生鮮食品の売場にある。生鮮食品の売場で人を呼び込むことが非常に重要である。しかも生鮮食品の商圏 は非常に広い。都市が商業として魅力を持つには生鮮食品部門がしつかりしていなければならない。大型 店の場合は特にそうである。ゆめタウンの強さの一つは生鮮食品部門にある。三越の生鮮食品部門と比較 すると大きな違いがある。中心市街地の片原町辺りには豆腐や餅、餞頭、惣菜、かまぼこ等の美味しい店 がたくさんあるが、そういった機能を都心の小売商業は強化しなければならない。
ローマの話で、もう一つのポイントは仮設店舗である。ビッグ・プロジェクトとして、長期間かけて減 価償却しなければならな固い建物を建てるのではなく、仮設店舗によって商業を強化、振興するという観 点を提供してくれる。 「仮設店舗」は「テナント」とともに、高松の商業の活性化、中心市街地の活性化、
両方の活性化のキーワードであろう。テナント方式で次々と意欲ある商店に入れ換えていく柔軟性が大切 な気がする。)
(3) イタリアにおける商業施設と中心市街地活性化
・中世のギルドの影響があり、つくる側の論理が優先する文化であり、 0291 年代になって小売商業法が制 定され、営業許可等を制度化した。
・1930-40 年頃大型店が登場。全国統一価格で営業のものについて県が許可をする。
・1950-60 年代、スーパーマーケットの出店が始まり、県による営業許可。
・1791 年に小売店舗立地規制が出され、小売業者の自治体への登録を義務づけた。
・自治体は「地域商業計画」をつくり、その計画に基づいて営業許可を出す。
・1980-90 年代になると自治体の裁量権が大幅に認められるようになり、各自治体が都市基本計画と商業
施設の量的側面に関する計画も策定するようになった。州政府が調整の役割を持つ。
• しかし、多くの都市が商業を規制する手段を持ったのはごく最近のことであり、巧く機能している地域 は数えるほどである。
・中心市街地の整備と小売業の高度化は、歴史的な資産を有効に活用しながらというのが主流であるが、
チェントロ・ストリコを持っていない都市では将来像を描くところから始めなければならず、インナー シティにおける小売商業の衰退が著しい。
4 中心市街地活性化の手法と組織(事例)
ヨーロッパ、イタリアでは自治体が大きな権限を持っており、計画を策定して誘導する。ただし、商工 会議所が自治体に提案して計画を変えたり、自治体の研究所を使って調査する等の参加。
(1) エミリア・ロマーニャ州
・州商工会議所が交通規制と個店配置の関係を調査して計画変更を市に提案。会議所は路上営業と各種イ ベントの年間計画を商店に提示。
・市は交通規制の細かい変更と駐車施設の配置計画の見直しをした。大規模都市では合わせて景観整備を 計画。 (建築と彫刻がセットになっている。)
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(2) フィレンツェ市
• 早くから都心部の交通規制に着手。観光都市としての長い伝統。
・歴史的都心部を高度商業集積地区と周辺地区(複数)に分け、地区ごとに特色ある専門店街にする店舗 配置。
・8991 年、 「ヨーロッパ文化都市」事業を進め、伝統産業を含む商工業と観光産業が合体して歴史的都心 部を一大ショールームとして整備する政策。
(3) ローマ市
・商店街の要望で08 年代から商業計画を定めている。
・49 年以降は歴史的都心部では街路別の細かさで営業許可業種が定められた。生鮮食料品店は路上仮設店 舗営業や路地襄に移り、都心では専門店街、飲食店街中心に変化している。
・店舗誘導は商店会が家主に働きかける。市は指導しない。
(コメント:伝統的なストックのない地方都市は空洞化が進行し、衰退が著しいとのことであり、ヨー ロッパでもままならぬ現実を抱えている都市が多いことが指摘されている。自動車社会と都心活性化はど うやって両立させるのか。歴史的にみると都市はいいものを独占していた。それが自動車という移動手段 を庶民が獲得したことにより、空間的な民主化が起こったといわれている。、都市機能の拡散、真ん中に 盛り上げていた砂が平らになることであるが、高松でもそれが目に見えて進んだ。政策的にも、太田の区 画整備事業などは盛り上がっている砂を平らにしている。スプロールをコントロールするには規制が必要 であるが、日本では規制の議論抜きで都市を語っていた面がある。規制のない施策に実効性があるかどう かが疑問視されている。)
5 スライドによる事例の紹介 (1) シッジョ・エミリア
モールを利用して大人のプティック街と若者が歩ける街路。広場で仮設店舗。
州商工会議所がモールのデザインや空間整備に提案。
(2) ミラノ
・歴史的ストックの利用。ガレリア、建物等。
(3) ローマ
(コメント:ガレリアのスライドに出ていたが、建物と建物が前面の壁を共有することによって構造的に 強度を保っている街区がある。それがヨーロッパの街の特徴であり、その長い伝統がある。個別の建て替
えが簡単でない。そういう点でも日本とは全く事情が異なっている。)
w 広田泰孝氏「海外のまちづくり実践の動向(その2)
」
(コメント:論者は中央で行政政策レベルに関与されたり、アメリカの生活も長い方でり、歴史的、伝統 的なものを始め、文化人類学的なものも考えられているようだ。視野の広さや真実を見通す洞察力のよう
なものが随所に感じられた。)
1 わが国のまちづくり
・従来は、まちづくりが行政の公共事業と公的サービス中心であった。
・中心市街地活性化計画では、行政と地域とが一体となった推進が課題になっている。
2 "サスティナブル"というキーワード
(コメント:アメリカとヨーロッパに共通する考え方では、 “サスティナブル"がキーワードとなってい る。 ‘‘サスティナブル”には二つの意味合いが含まれている。一つは環境との関係で、 12 世紀に向けて、
或いは子孫のために地球環境をこれ以上悪化させないような環境負荷の小さい都市づくりという意味であ り、もう一つは経済的な意味で、都市間競争の中での“サスティナブル"であるかどうかである。ヨー ロッパの場合は環境との関係でサスティナプルであることが非常に重視されており、それが前而に出てく るようである。)
3 ヨーロッパのまちづくり
(1) 「欧州サスティナブルシティ」に関する報告書におけるまちづくりの基本方針 a) 都市経営は、明確な政策に従って行わなければならない。政治が決める。
(コメント:市場原理の比重においてアメリカとの差があるようである。そこに一つのフイロソフィがあ る。)
b) 政策相互間、地域相互間の総合性 c) エコシステムヘの配慮
d) 種々な主体、団体との協力連携
(2) ヨーロッパの特徴
a) 環境問題が国家間紛争の種であり、森林の回復力が弱いという共通の問題を身近に抱えているので、
ェコシステムが特に強調されている。
(コメント:環境に対する意識が市民レベルでも日本人とかなり異なっているのではないだろうか。コン センサスが形成されやすい条件があるということである。)
b) 都市の文化遺産の保全が検討項目に入っている。
(コメント:都市の持っている文化遺産の厚みが違う。時岡教授は建物=彫刻であり、彫刻=建築物であ ると指摘しているが、そのような伝統は人の意識を支配する文化である。たとえばイサム・ノグチの先生 でプランクーシという)レーマニア出身の彫刻家がいるが、彼の祖先はギリシャの建築家で、その血筋の延 長線上の彫刻家である。建築家が芸術家として社会的に尊敬されていた、そんな文化の違いを重く感じ る。)
瀬戸内三橋時代のまちづくりの方向を探る一都市政策の比較整理と検討一
4 アメリカのまちづくり (1) アメリカの基本的な考え方
a) 最小限の廃棄物発生と低環境負荷による持続可能で高水準の生活を目指す。 「サスティナプル・アメ リカ」
b) 市民参加による計画づくり(自治体が統合するがコミュニティ計画が重要)
C) 政策相互間の統合、整合性の保持
(2) アメリカの特徴
a) 市場原理、経済原則を重く見ている。
「サスティナブル」という言葉においても、都市のレベルでは、都市間競争で自分の地域をどう守って いくかという意識であり、コミュニティのレベルでは、自分の不動産価値をどう維持するかの関心が強い。
アメリカの市民は自分の所得と財産に対して非常に厳しいのである。
(コメント:高水準の生活を維持し、発展することが、国家レベルで至上命令である理由は、アメリカの 歴史が移民の国であるということにある。祖先あるいは自分がアメリカという国を選択したわけであるか ら、彼らにとってはアメリカは世界で一番豊かな国でありでり、一番強い国であり、常に正義の国でなけ れば立つ瀬がないのである。世界一の生活水準は国民的共通の要求であり、この点では日本とは全く異な る。また、モビリティが高いアメリカでは不動産の換金価値が全てであり、しかもコミュニティの平均的 不動産価値が社会的な成功のシンボルとなっている。
b) まちづくりと環境問題の54 度線
アメリカでは54 度線を境にして、意識の地域差が非常に大きい。
(コメント:スプロール現象の防止、郊外緑地帯の維持などアメリカのまちづくりを理解する上で重要な ことはコミュニティ間格差である。例えば、アメリカのある町では都市計画・地域開発のための全体委貝 会があり、それがコミュニテイ単位の委員会に分かれている。視察などでは、全体の運営を勉強すること よりは、各地区がそれぞれにどんなことをやっているかの実態の方が重要である。忘れてならないのはア メリカはモザイクの国、パッチワークの国だと言うことである。モザイクでは、一つ一つのパーツの中は 均質である。アメリカは多様性の国だと言われてはいるが、一つ一つのコミュニティの内部は同じ所得層、
同じ人種、同じ宗教宗派、なかには(移民のときの)同じ出身地、というのもある。それに対して、コ ミュニティ間の差異は非常に明確である。日本では想像できないことである。日本では一つのコミュニ ティの中に多様な人が住んでいるが、アメリカではそういうことは少ない。まさにコミュニティ内の均質 性とコミュニティ間の異質性が現実にある。それらの個別事情が分からない限りアメリカの都市政策を誤 解する可能性が高い。また、アメリカ人は移動性、モビリティが高く、自分たちのコミュニティの不動産 については資産価値として受け止めているという論者の話があったが、これも非常に大事なポインドであ る。常に転売価格が幾らかを考えている。要するにドルで考えているわけである。以上の二つが都市を理 解する上での重要なベースになる。都市対策の組織をみた場合、均質な各支部があり、その上に本部が あって取り組んでいるのではなく、一つ一つの地区のばらつきは極めて大きい。アメリカ人はそれを巧く マネジメントしている。その点はアメリカの素晴らしいところである。アメリカには多様性の上に成り立 つ国家であり、多様な人種や多様な能力を組織として使ってきた伝統がある。)
5 ヨーロッパでのまちづくりの実践例 (1) 環境への配慮
重要な共通点は、環境問題への取り組みである。廃棄物の再利用、環境負荷の小さい交通体系等、ス トックホルム、コペンハーゲンではまちづくりの最終的所管は環境庁である。
(2) 文化的ストックの内部経済化 a) ストックホルム
ストックホルムではデザイン産業を振興するために都市のデザインガイドラインをつくっている。都市 そのもののあり様が、そのまま産業になっている。
b) コペンハーゲン
歴史的な建物修復による雇用拡大、手工業の活性化、技術の継承、見本市
歴史的な建物の修復により、産業が起こり、左官や石エの技術、金具の技術等が継承されていく。
(コメント:物の古さと物質そのものにこだわるというヨーロッパの特徴があるが、例えば、古物商で家 具のパーツやドアー・窓の把手の金具等を売っている。そういう金具ばかりを扱う古道具屋もあり、それ が成り立っているのは市場があるからである。文化に根ざした庶民レベルのニーズがあるからである。)
(3) 都市型ビジネスの振興
ハーグでは都市改造による都市型ビジネスの呼び込みが行われている。
6 アメリカにおけるまちづくりの実践例 a
) クリープランド
アミューズメント施設、演劇活動を重視した都市型産業の立地。
b) ポートランド
環境と景観に配慮した厳格な都市計画。アクセス改善による中心部活性化。
C) シアトル
アメニティ、楽しさ、生活の質の高さを住環境整備と産業集積形成の柱に。
ポートランドとシアトルでは、公共交通機関を中心部で無料化している。
7 わが国に対する示咳 a
) 行政間、行政、市民、企業、大学間の協力と連携。まず議論の場をつくる。
(コメント:今後は連携をますます強めていかなくてはならない。そして本当のデイスカッションをし、
生活の文化のようなものを育てる必要がある。)
b) まちづくりの目標の明確化。
(コメント:市民のトップレベルから行政に働きかける。或いは行政との連携で目標を明確にしていく計 画づくりが大切である。)
C
) 広域連帯の重要性。
d) まちづくりと産業政策の一体化。
e) 空間計画と交通計画の一体化。
瀬戸内三橋時代のまちづくりの方向を探る一都市政策の比較整理と検討一
V 総括
まちづくりには住民のものの考え方が重要であり、メンタルな面から見ると、これからの都市問題は広 い意味の教育問題であるというのが私の基本的な考えである。
まちづくりに参加してもらうためには都市への帰属感、帰属意識がベースになるが、帰属意識は生活の 様々な局而において都心(中心地)とどう関わっているかというレベルに出てくるものである。例えば、
郊外に住み、郊外の職場で働き、郊外で買物を済ませている人たちはメンタルな面で高松市民としての意 識は希博であろう。人はそれぞれ自分のメンタル・マップというものを持っているが、都市問題、都市政 策を考えるとき、都市の括りとして住民に共通するものは、中心地市街地との繋がりではなかろうか。そ れがなければ、個人個人の生活圏が一部重なりながら連続した郊外の広がりがそこにあるだけであり、そ れは都市とは呼べないものであろう。アメリカでは、住民共通の心の拠り所として、メインストリートの 保全復元がまちづくりの目標になっている場合が多いとのことである。
都市経営に市民を参加させる要素は何かというと、言い古されたことだが、ものに対するパプリックな 考え方であり、これを浸透させなければならない。しかし現状をみる限りでは、市民の中でのパプリック な意識格差がますます拡大していく傾向にあるように思われる。市民を消費者として観察しても、身体的、
精神的な負担を最少にするという選択基準、優先順位の尺度しか持っておらず、便利さと安楽のみ追求す る軟弱な消費者層と、コンビニエンスやコンフォートを犠牲にしてもプレジャー(本当の喜び)を求める 根性ある消費者層があり、両者の差は大きい。パプリックな意識は自己実現要求と深く関わるもので、軟 弱な市民層と根性のある市民層とでは大きな差があるようだ。
それに加えて思考力の差もある。まちづくりにおける思考力の差は、具体的には、まず、空間的・時間 的に自分の思考を飛ばす距離の差として表れる。ものを考えるのに、広域的に考えられるか、長期的に考 えられるかということである。これが大衆社会におけるまちづくりに影響する。また、都市には実体、機 能、構造、象徴という抽象化のレベルが違った問題がある。個々の実体や機能という具体的なレベルにつ いては、当否はともかく大抵の市民は意見を持てるだろうが、機能と機能との相互関係や機能の空間的配 置などは構造の問題であって抽象度のレベルが高く、意見の出せる人は限られてくる。さらに抽象度が高 くなると象徴の問題となってくる。つまりシンボルとしてどういう意味を持ち、人々にどんな影響を与え るかの議論に参加できる市民はごく少数であろう。
まちづくりで市民が企画に参加する際、構造や象徴を語れるかどうか、その個人差は大きい。例えば、
東京タワーとパリのエッフェル塔とを比較して、東京タワーの方が3メートル高いという実体の面では、
すぐにコンセンサスが得られるであろう。しかし、シンボル価値がどう違うかという議論で、多数派が相 違を認めなければ議論はそれまでである。都市政策においてはシンボリックなものが大きな意味を持つこ とが多い。市民の中のそういったことを考えられる人たちを巧みにオガナイズして、その人たちが他の市 民に影響を与えていく、そういう教育のプロセスを考えなければならない。例えばカッコ良さも一つの社 会的規範として人の行動を拘束する。そういったもので意識の基準を変えていく。よい言葉ではないが、
洗脳という一つのプロセスが必要である。その辺りが私は都市政策における教育論だと受け止めている。
とくに規制、なかでも都市の整備に関しては土地との関わりが出てくる。とにかく土地の所有権の概念を 変えていかなけれはならい。そういう広い意味の教育も、これからの市民のリーダー達の役割になってく る。今まで高度成長時代に国のリーダーたちが避けて通ってきたことを、市民のリーダーたちが背負って いかなければならない、大変な時代だと感じている。基本的なところで人々のメンタリティを変えていく