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ブレンターノの社會政策的自由主義

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(1)

商業と經濟

ブレンターノの社會政策的自由主義

伊藤久秋

古き形に於ける自由主義は既に過去の迷妄とされる︒誠一に今日はあらゆる方面に於ける統制

の時代である︒産業の統制として経済生活の上にも︑其様相を示しっゝある此傾向登別に︑単

著は既に第二の産業革命をすら云々せんとする周自由主義の故国英膏利に於ける︑今より百年

前の情況は今日l=於て最早一種の.﹃物語的﹄興味を成せしむるこ亡︑甚だ多い︒﹃経済撃の名に

於で﹄労働立法が反対され︑幼年螢働の制限に親の権利の侵害を認めてゐた時代である︒

併し我等はなは考慮をめぐらさねほなら聖自由貿易の使徒コブデソの熟叫1﹃エルサレ

ムが基督敦の費帯地なるが如く︑メッカが二メット教徒の崇敬の中心なるが如く︑後世の歴

史家にごっては︑マンチェスターは印刷術の費明以衆の最大の道徳的運動の費僻地︑中心地ビ

して或るであらっ﹄−1−に潜淋弄る宗教的熱情を︑我等は果して翠なる狂信者の璽冒して斥

け去り得るであらうか︒

Cf. J. M . Clark, Social Control of Business, 1926, Ch. I.

一二四

(2)

定に自由主義は一個の世界観であり︑ 一種の宗殺であり︑信仰である︒人間の自然的舎殿︑

その高き使命︑自然的理性ご自由による其向上の能力︑正義さ真理の勝利││自由主義は是等

に訴する信仰でゐる︒佃人のみなら争︑あらゆる集図︑図民︑階級の解放︑詳

4

一 一

目 す

れ ば

︑ 如

なる人も.集闘も階級も︑之ルパ﹄他の何者かの単なる手段ご認め玄るの原理は自由主義の重要内

容を成してゐる︒自由主義は信仰︑良心の自由であり︑研究︑一一一一口論の自由であり︑出版︑結一肱

の自由︑契約の自由︑濁立自傘︑行動の自由であり︑卒和の熱変であり︑強制さ椛カさ専制に

諒する抗争である︒

自由主義をか︿の如く観十る時︑そはあらゆる善き物の集合である︒ モ

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に至る経済率者︑猫逸の古典涙詩人︑

スピノザよりカントに至る哲卒者︑

ミ 一

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1

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二月革命に至る自由の論客が︑その最善ケ提

供して築き上げたる一大伽藍である︒此華麗の殿堂は然らば何故に庭楼ご化しつ︑

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の る

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否︑住むぺから︑ざる寄屋さ鬼られっ︑あるか︒その原因には種々ある︒

第一に資本主義ぎの不幸なる提携である︒自由主義ざ資本主義さは内面的じ何等の関係もな

ぃ︒自由主義経済的学の至醇なる代表者は決して資本家階級の利盆を擁護した人達ではない︒ア

グム・スー

λ

の図富論の中から非資本家的︑愛峨労働者的一一一一口設を拾ひ出して来るこさは甚だ容易

プ レ シ タ

Iノの祉合政策的自由主義

一 一

(3)

一 一

である︒否︑彼の深き思想的根披よりして︑此一帯は営然である︒ただ彼の自由主義は︑起りつ

¥A あるプ

Y ジヨアジ

1

の階級利盆に利用せられた︒一労働関係に関する一中世紀的観念を具般化

したる徒弟俊例が一入一一四年廃止せられたる時︑プ Y ジヨアジ

1

は如何に之を歓呼したか︒

^ 

ミスは寧ろ労働者の利盆の忽に徒弟俊例の廃止を主張したるに︑労働者は却てその撤疫を喜ば

や し

て ︑

Y ジヨアジーが之に向クて喝釆した︒此事買は何を諮るか︒ スミスの要求ご議論が︑

一入一四年に於ては既じ時代後れさなったこさ子意味する︒勿論彼の精紳は︑永久に生きる︒彼

の自由主義が時代後れざなったのではなく︑彼の要求が︑此自由主義の最後の目的に不充分な

るこごぞ示したのである︒併し階級利盆者は︑その精一紳ぞ汲まぬ︒その形式に固着して︑之

P

延長した︒自由主義は共精紳を失へる形式ごして多くのエピプ

1

ネシの忽に盆々その形なゆが

められて行った︒経済的学は十九世紀中葉までに︑英図に於ける黄金時代子形成したが︑

一 方 ︑

J

十の口にすべからまる﹁陰欝なる科卒﹄ざしての批難を培養しっ︑あったのも此時代であ

る ︒

1

プイペクスキシの攻撃は︑此根強き崎流の汎濫である︒

火に十九世紀後竿に於ける帝国主義の興隆は︑科率的一般合主義の侍播ご共に自由主義におす

る不信守強めて行った︒国際間に於ける信頼さ協調︑商業政策上の向由貿易が自由主義の本質

的の要求である︒然るに十九世紀の後竿は︑

J7y

プライトにあらす︑

Y クの五像

(4)

によって代表される︒図際関係の武装化︑植民︑造艦の政策︑調外商業上の保護政策は︑自由主

義の牙城を侵略した︒ マ Y クス主義の勃興は同じく此傾向子助長し︑時人は自由主義者ぜ表明

するこさに一穂の屈辱ケ成じ︑一此合主義者ご名乗るこごに新人たるの誇り守成十るに至った︒

最後に世界戦争の勃畿は国家主義を摘が上に高騰せしめ︑中央集礎的傾向に於て同一なる赴舎

主義の核行ごならんで︑自由主義に肉薄した︒自由主義はかくして︑今や﹁時代後れ﹄ざなっ

?

と 。

併し吾人は認に於て反問しなければならぬ︒十入世紀以来の先究者がその全力を傾注して築

き上げたる自由主義は︑果して﹁時代後れ﹄ざなりたるものか如何︒否︑何時か﹁時代後れ﹄さ

なり符ぺきものであるか如何︒問題ケ限局すれば︑努働関係を規律せんざする時代の一安求は︑

自由主義さ矛盾せ干して︑却て之が炉︑峨の下に於て︑その満足ケ見出すこさを待ぎるものか如

何 ︒

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Y が経過したる精紳的危機より︑新らしき克明ぞ溶びつ﹀現

はれたる所詞粧台改良家︑一腔合政策家は︑前掲の疑問におして或程反の解答を奥へ得たる人々

であるが︑その最も平明透徹せる解答を之に向って奥へ︑その生涯を通じて之が匁に活躍した

る︑否︑活躍しっ︑ある一人は︑之をピ久マ

Y

クの父閥︑科率的一枇合主義の郷里︑加御迩仁於て

ν

シタ

1ノの枇合政策的自由主義

一 一 七

(5)

一 一 入

見るのである︒私が

Y7

プ レ ン タ

1

ノの祉舎政策的自由主義を稀々︑詳細に紹介せんざする

は此故である︒

プレ

y1

ノの一肱合政策的立場は︑彼が赴舎政策的学舎の一員ごして匁したる貫際的活勃に於

て明瞭なる外︑文筆的には其著﹁現代の労働者組合﹄﹀号︒日常任

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﹃現法律による勢働関係﹄

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﹃同盟罷業さ労働契約の継続に

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及び﹃サシヂカ

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ズムさ最低賃銀じ就て﹄

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等に於

て児るこさが出来る︒

今私は主ざして︑﹃現注律による労働関係﹄及び﹃工業労働者問題﹄(森戸辰男氏語勢働者問題)の二

者により彼の思想ぞ窺はんごする︒

7

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(6)

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而し﹃此目的に到達するに二様の道があり︑ 一見相容れぎるこつの傾向によって代表されて

(1) Die gewerbliche Arbeiterfrage, 55. 905‑906;森戸民男氏語『労働者問題』の語文

存用ふ。三頁一五頁。

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が其自由論のモットー

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の此言葉は︑あらゆる純異なる自由主義者が其標語ざし︑旗峨ごすぺき所であらう︒各人の最

高︑究読の目的は︑その有する個性争後揮せしむべく︑ぞのカを最もよ︿︑最も調和的に完成

せじなるこ芯である︒プレンタ

1

ノは自由主義者である︒此の思想は︑彼に於て︑経済問題特

に努働問題批剣の標準ざして︑其﹃工業労働者問題﹄の努頭に掲げられる︒﹃高人最高の完成﹄

印も﹃凡ての個人の天資を能きるだけ充分に後達させ︑凡ての個人の人格宇飽きるだけ自由に

関展せしめるこさが︑人類後展の理想的目的である︒﹄さ仰

居る︒其の第一は一肱舎内部に於ける分化の傾向である︒

各個人が自分の天資ご人格芝を能きる村いけ充分に成政達させゃうごすれば︑文化が内匂的に進

歩するこご含必要ごする︒文化の内包的進歩は一枇舎内部に於ける生存保件の不平等守前提し︑

就中凡ての進歩の主要俊件たる私有財産権さ相緩権どに挨?﹄さが最も多い︒私有財産権さ相

続犠さ及びそれ等に基いて居る一枇曾内部の分化なしには︑文化の内包的進歩を望むこさは能き

ぬ︒﹄例││僚件の不平等を文化的進歩の前提ごし︑あらゆる平等論者に謝する一個の自由主義

V

シタ

1ノの枇合政策的自由主義

(7)

一 二 O

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一 一

一 回

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る ︒

﹃併し此分化の傾向のみが濁り勢力を港うする滋には︑各人を自己目的の者さ認め子︑下居階

級の人々を以て︑単に上層階級の享楽のための一手段に︑過ぎぬざする思想が泊先はれ来り︑蕊に

教化の統一は失はれ︑上層階放の文化は下層階級によって脅されも従って現存文化を其徳存続

させて置くぺきやが問題ざされる設になる︒夫れ故に︑上居階級の天資の能きるだけ充分な関

展を続けて行かうさ思へば︑第二の傾向が必要になって来る︑印ち文化の成果を能きるだけ多

く民衆に普及させ︑彼等をしで盆々文化の徐浮に潤ふこさ多からしめ︑以て彼等の天資の飽き

るたけ充分なる俊一迷子可能ならしめんさする傾向が必要になって来る︒一枇合的平等の賢現を努

むる此傾向に役立つものは︑種々の大なる赴合運動︑現今に於ては特に労働者運動である︒併

し︑若しも私有財産権さ相続格及び之に基く一枇合内部の分化が廃除され︑かくて終来に於ける

プ レ シ タ

l ノによれば︑以上二つの相守ふ傾向は.共通な理想的目的︑印ち﹃寓人最高の完

(3) ebenda, s.  6;

話番五一六瓦。

文化の内包的進歩が全然妨げられ︑之に依って下厨階絞自身が各人の理想的目的︑印も彼等の

天資の能きる行け充分な後蓬ご︑彼等の人格の能きるねんけ自由な開反さに近づくこさが能きな

くなるさ云ふやうなこさが起つてはならぬならば︑此平等の傾向も亦濁りその成を持にしては

な ら

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﹄ 郎

(8)

成﹄ご一玄ふ目的に於て其調和黙を見出すのである︒此目的に到達するゑに︑二つの傾向は互に

他ケ・皆川制し︑以て一つの傾向のみが専ら勢力争張るこさケ妨げねばならないのである︒換言す

れば文化の内包的進歩を回るご共に︑之が外延的進歩合も困るが如く︑雨者を調和せしめて行

かねばならない

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プ レ シ タ

I

ノは此立場より労働者問題に面し︑自己の立脚地を名付けて一般合政策的自由主義

ごなした︒彼は其綱領会掲げて臼く﹃一耽ム山口政策的自由主義は︑外延的及内包的文化進歩さ各人の

あらゆる材能の最大変展ごの基礎俊件ざして︑省業の自由さ注律上の平等ごを飽︿まで主張す

る︒同時に一粧台政策的自由主義は承認する︑沓来の工業秩序を撤廃しただけで︑替業の自由さ

こごから排除きれるやうな結果になるさ一一一一日ふこさを︒故に彼等は現在の私有財産制度さ替利秩

(4) ebenda

, 

s. 907;諒書七一入頁。

(5) ebenda, S5

.937‑938

;詩書一回二頁。

法体上の卒佐一寸さの原則を貫生活に貫現するために︑何等積極的施設を行はないならば︑却って

有害なる一粧台波態が持・米され︑そのために自由は絶滅し︑一位合の弱者は文化の進歩や享受する

序の基礎の上に︑立治政策ご任意的組織さの方法によって︑其の目的に到着せんこさ守努め

る︒印ち此の方策によって︑彼等は強者の優越なる勢力の濫用に濁して枇合的弱者ぞ保護し︑

︐弱者をして柏岡給して強者さ経済的利盆の闘争合始め且能く之に堪ふるぞ得しめ︑以て替業の

自由ご法律上の平等三の原則佐賀生活に買現せんざするのである︒﹄さ

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V

シタ

1ノの枇合政銭的自由主義

(9)

一 一

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問予波の思想︑印も替業の自由さ法律上の平等の賞現によりて自由主義の理想︑詩人の才能

の最大なる後展が到達せられ得るものざする一涙の思想に反治するさ共に︑反動家印ち傍業の

自由さ法律的平等を以て病弊の根源ざし︑ぞれ以前に謝する俊古的思想争根祇注する一波の人

々に野立し︑最後に自由の庭菜︑物質的平等の貫現︑私有財産の撤肢を欲する一枇合主義に濁す

る直裁的反謝を表白せるものである︒此最後の黙に関しては其著﹁ M 労働関係論﹄に於ても一式ふ

﹃我等は生存保件の極端なる相違にも将た又所得赤配の平等にも反謝する︒我等は第一のもの

を戚惰統一の一放さして反濁する︑我等は大︑中︑小の所得が相併存するを望むのである︑何故

ならば︑・かくて初めて戚情の進歩さ其多面性さは可能さなるからである

o

之を要約すれば︑労

働者問題なるものは︑我等にさうでは一枇曾誇階級の差別ケ撤廃するの問題にあら歩して︑集合

生活の調和が要求する程度にまで之を留むるの問題である

o :

: :

・生産資料の所有及び相続権 :

の廃止によって赴曾的階級の差別を減歩るの策のみなら子︑勢働者の生活科皮の向上を来さな

い賃銀引上︑印も下居階級の欣態を改善するこさなしに只単に上府階級の波態を悪化する所の

賃銀引上も排斥すぺきものである︒併し上層階級を少しも慶治するこどな︿して︑或は其進歩

を少しも阻害するこぜなくして︑此掲げたる目的を到達するこさは出来ない

G

勢働者に利盆を

(10)

奥ヘ宇有産者?害する所の賃銀引上の排す可きぜ反割に︑有産者を犠牲ざして軌労働者の生活程

皮を引上げる所の賃銀引上は正嘗である︒これなくんば下層階級が文化の進歩に従来よ

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多く干奥するこごは考ムペくもないからである︒﹄

ε

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プ レ ン タ

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ノの根本的立場は以上の所によって︑明にしたりざして︑我等は更に彼が替業の

DasArbeitsverhaltniss gemass dem heutigcn  Recht, ss.  313‑3 14 

自由ご注律的平等の承認により如何なる労働関係が後生したるか︑此鐙化の文化的意義さ︑ヲぞ

の中に合まれたる︑過誌に関して遮る所を一瞥し︑般労働問題の経済的基礎に関する其論議を見︑

以て彼の一枇曾政策家ざしての偉大なる功績︑般労働者国結の主践へさ進みたいさ思ふ︒

中世紀的の般労働関係を漆倖化したる所謂エ

y

ザペユ徒弟俊例は一入一四年七月十四日資本家

方面の代表者の主張によって簡単に‑廃止された︒勿論此度止以前に於て大部分の重要工業に於

ては既に之が遵奉を見歩︑治律上の廃止は単に事賃上の既存朕態を承認したるものである︒或

は徒弟俊例の規定が従来なほ憤 m白ざして行はれたる小数の工業に於て︑一雇主は今や何等の跨路

なく︑之な破るこさが出来るに至ったさ云ふまでいある

o

併し﹃徒弟係例廃止の主たる意義

は︑之が結局労働者は立法による其欣態の改善に謝する一切の希望を奪はれたこさ︑叉労働は一

の商品に過ぎ子︑般労働者は商品販頁者に過ぎや欣労働保件の決定は鼠・に一雇主ご労働者さの自由の

V

シタ

1ノの祉AM財政策的自由主義

一 一

(11)

一 二 四

協定に委せらるぺく︑図家は他の商品販真に干渉せぎるが如く叉労働契約にも一‑叩干渉せ︒さる

ぺきものであるさの観念が之に由て漆律上支配的さなるに至った結に在る︒﹄仰

徒弟保例の廃止は一辰主の主張に基いたものである

o

而して既遁の如く︑彼等は︑此主肢を匁

すに於てアダム・スミスの紘一議争巧妙に利用したるものである︒然らばスミスの率一説ごは如何

なるものであったか︒

﹃ 哲

mA

T

的根本概念に於けるさ同じく五日等は又諸岡民の宮に閲する政治論︑経済論に於ても側関

質現される︒従て先づ第一仁︑ 一切の改良じ反謝する特様階級の利己的努力より波生せしに過

(1) Arbeitsverhaltniss gemass dem hcutigen Recht. s.  73 

四百科僻典編纂者の思想を見るのである︒彼等さ等

L

くアダム・スミスは︑人山首天賦に於て卒

等なる甲}さを数へる︒人類同の相異は天賦の相兵の結果ではなくして︑数百︑立法或は政治に

相見(がある結果である︒なじ戸今︑此干渉+伊良川し︑岡家権力を自然的自由さ財産及一公序の保護

に制限すべきである︒立注者が個人の幸一加に介立するこさは倣慢なる越様である︒何物が最も

幸一臓に寄奥すべきかは利己心が各人に数ふる所ではないか︒而て凡ての人天賦に於て平等であ

り︑同一程︐反に於て利己的努力に満たさる︑が故に︑たい図家が各人子︑自然の彼に奥へたる

一切の力さ天資さ守利用する利己的努力に放任する時は︑凡ての伺入︑従て全般の最大幸福は

ぎぎる現存の経済的立訟を廃し︑以て﹃ゑきしなぺく︑行かしむぺき﹄である︑現存の人結局的

(12)

経済的秩序に代って︑経済的自然法の支配を来さしなぺきであるご︒

﹁此事物の自然の支配﹄を宣言せしこさよりして︑十八世紀の偽蘭西経済的学者はプイジオクラ

ヅトの名を得た︒而してアイジオクラットの準設を甚しく不明にし︑且︑屡々之さ反おせるも

のご考へらる﹀所のアダム・λ

ミスの設は︑上に説明せし如く︑其根本観念に於てプイグオクラ

ヅトさ同一である︒アダム・スミザハはプイジオクラットの説中比較的重要なら玄る準設を駁撃で

したのみであって︑而も之ご同時に新たなる誤認

Jに落ちたのである︒此等の相異を外にして︑

彼の主たる功績はたい此率一淑の中︑

λ

ミスは白らプイジ才グラットである︒

最も絢 矧たる卒者的労作訟なした‑一ごでゐる︒尤も個々の説明に於ては︑彼は又︑新たなる︑濁特の ものを附け加へた︒特に彼は偽蘭西挙者の抽象的誘惑に代ふるに質際生活の熱心なる研究の結

あらゆる時代に於ける経済生活の鼓動子悦惚ごして聞くの思ひか﹂なし︑恰も永久の

。)

Arbeit5verhaltni55, 55.  62‑63

果を配したる説明を以てし︑

A A

に読者は︑主(亭設が偽蘭西に︑淵源するものなるケ忘れて︑直接

仁実閣の事情より流出したるものさ信十るのみなら子︑一一官に十入世紀の英図ど一宮は歩︑又あら

呉川崎に濁するが如く襟ケ正し首を垂れて作立するに至らんごするのである己的

λさ百科俳此ハ続行疑者乃至プイジオク一フヅトさの関係に就てプvyタ1

A

ては異論があらう︒近来の卒者は一般にスミスの根本思想は抗に彼の偽蘭西訪問以前に於て確

V

シタ

1ノの社合政筑的自由主義

一 二

(13)

一 一 一 六

立されたさ一エふ黙に於て一致してゐる︒併し此庭に必しも此賂ケ深く追及するの要はない︒プ

イジオクラットさユミスに濁するプレシタ

I

ノの債値付けや﹄聞けば足るのである︒

プレンタ

1

ノは更に

4

一 一

口 を

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古 ふ

﹁然るに営時の偽関西に於て︑傍来物を念進的に排尿し︑且之に代はる他の一切の積極的建設

を拒否する所の準設が起ったこどは最も怪しむに足らなかったこごである︒成程十入世紀のす

べての民族は紹謝的座制ご封建的階級及獅占の特権に苦しめられた︒併し世態の険悪なる︑偽

蘭西人に於けるが如きは他の民族に於て見るこざが能きない︑叉一方︑同時に︑此朕態の不正

ご醜惑に謝する成先の偽蘭西人に於けるが如く後達せる民族は他になかったのである︒営時の

座制図の中︑偽関西の如く惑政を施された所はない︒:::民衆の放態これより劣悪なるはなか

った︒斯の如き

m m

態の下に於ては︑腐敗せる幾多の歴史的権利に謝して﹁吾人の生れながら有

する﹂権利営︑絶調主義におして︑個人の自由さ完成ごを︑階級特権に劃しては会人の平等を

ば承認せしむる企以て其使命ざし︑経済成文法の滋用に謝して経済生活上の一切の積極的干渉

の排尿を旗峨ざする準設は必然に起らまる含得なかったのである︒.

﹁特に工業は如何さ一エムに︑十八世紀の初めの七十五年間は工業は仇関西 μ 於ても欧洲の他の

部分さ同じく倫全く小経営の段階にあった︒銃惑の如く精々︑英図に於ける或数種の工業が既

(14)

に大経緯白に漕ぎつけっ︑あったのみである

o

併し︑それも既に述べたこさであるが︑小工業は

ぞれ等の家族は︑家族員ならざる凡て

の者密工業経緯口より嫉妬深く排尽したのである︒偽蘭西でも此墜落は著しい耗皮生じて居つ ツシアトの手によって︑小数家族の猫占どなって居

hJ

之によって妨げられたのみではなく︑或職業に特殊の才能含有する所の優越者すら︑ た︒而て生きんが忽には其爾手の股盆に依頼せねばならない大衆が其能力の最有利なる利用を

その後達

さ利用ごケ妨げられたのである︒俊明者達はツシアトの反抗に合って︑俊明に関する様利守の

匁に忽ちにして破滅してしまった︒各職業皆嫉妬深く他の職業が品物の仕上するこごを禁じた

が匁に︑些細な物の製造ケ求むる結局に消費者は幾つもの類似職業に註文をしなければならない

こさが屡々あった︒ぞれが匁に一公衆は苦痛守成じ︑商品の値は勝負した︒此等の弊由一一日に謝して

y

トは治々の砕ケ揮って︑自然︑不易の個人の権利さ消費者の利盆ざケ擁護した︒

特に労働者に関して云ふ所を聞くに︑チュ Y ゴーは臼く﹃紳は人に慾望企奥へ︑此慾望の必要

なる充足手段ざして努働を指示し︑以て般労働する権利を各人の財産ざした︑而て此財産は最重

大な︑最紳翠な︑最不易なる財産である﹄然るに︑ツンブトが締立の工業経営を困難にせる局

に︑貧民は﹃親方の支配の下に只不安なる生活合後み︑快乏の中に燃悼するか︑或は︑彼等の

施困を利盆し符ぺき工業を外凶に移すか﹄の外はないのである︒故に此不可一一哉の人権に劃する

プ ν ンタ

1ノの枇合政策的自由主義

一 二

(15)

一切の侵害より凡ての者を解放するこぜは最も童英なる正義の命令の一つである︒ M 労働者は自

出でなくてはならぬ︒勢働者三雇主問の従来の接務関係に代って︑純然たる契約関係が︑従来

一 雇

主 の

下 に

M 労働者が屈従したこさに代って︑労働以外の他の商品の買手︑貢手の問にも行はる

る契約者の同継が︑労働契約の締結にあたっても生じなくてはならぬ

oM

労働契約は契約者の同

擦によって法律官爆の一切の干渉から解放されなくてはならぬ︒﹂問

此思想すなはちツシアト制皮の廃止を試みんざする一七七六年二月の勅令の序文に展開

3 る

る 此

チ ュ

Y

I の思想は︑プレシタ!ノによれば︑同年に↓公刊されたるスミスの大著にも共通

なる思想であって︑此議論の中には一反主の利盆ケ特に考慮したる黙は全く之ぞ見るこさが出来

ない︒寧ろ働関西経済亭者及アダム・スミスが此等の論著及彼等一一切の議論に於て最も心せる

所は買に貧乏なる下居階放の金一・稀である︒

一七七六年のチュ Y ゴ!の勅令に濁して雇主は狂的の反抗をなし︑労働者が之を政呼したこ

は︑三十高の英図労働者は徒品川俊例廃止反おの請願に署名し︑

一 方

︑ 一

庇 主

は 此

底 止

や }

熱 烈

に 望

(3) 

ebenda, 5S. 64‑66 

さは︑此思想の傾向を裏書するものであるが︑之を経過する三十八年目の一入一四年に於て

んだ事買は如何に解蒋きるぺきものであるか︒筒躍な考察が此問題に謝し答キ

γ

奥へる︑郎ち一

七七六年には偽関西では小経緯口が一般であり︑英闘でも殆んぜ全くそうであった︒然るに一七

(16)

七六年さ一八一四年ごの問には︑

ρ Y

yl

アーグライト及ワットの俊明が工業の上に

利用されてゐる

o

これが潟に工業経替は一愛された︒んすや必然に大経替が重き会占めた︒而て

徒弟係例に謝する雇主及労働者の立場が既逃の如く縫ったのも之が免である︑徒弟僚例は起り

‑米る大工業者にさつては妨害さなり︑ M 労働者にさつては保護さなったのである o

富論執筆・常時に於て︑未だ大経後の優勢の下に労働者関係が如何に後展するかを知ら宇して︑

蛍時専ちなりし小経勝目親方の樵利の濫用にのみ注目し︑之におして労働者及↓公衆ケ保護すぺ︿

徒弟保例際協止を主張したのである︒すなはも彼は此康止によって猫立工業経後者の増加すぺき

を期待し︑却て大経後の成立さ共に著しい工業資本の必要が︑如何なる徒弟僚例の制限よりも

遂に大なる狗立工業経純白の障害どなるこさを珠想せ子︑

A 1

や徒弟俊例の墜・なる廃止によって

は︑濁立生活者の数を増加するこごは愚か︑般労働者の生活ケ危険にし其紋態ケ悪化するに至る

こさを知らなかったのである︒

勿論︑般労働は他の商品ご何等の区別がな︿︑又凡ての入︑天賦に於て卒等なるが故に︑

の限界を撤

A

厳し専ら自己のカに依頼せしむるこさは︑凡ての人を向上せしむるものでゐるさ云

ふ原則が買施ヶ見るに至ったのは大なる進歩である︒﹁之に由て永久に労働者の人格的自由さ法

律的平等さが州労働関係の秩序の基礎さなされたのである

o

今まで後見された所の労働者は︑之

ν

h F 1ノの社合政筑的自由主誌

一 二

(17)

O

に由て一人前の猪立者ご宣言され︑今まで雇主に制到し被支配者たる関係にあった労働者に︑雇

主さ同一なる権利が奥へられた︒﹄向

Il

プ レ ン タ

1

ノは此原則の文化的意義大なる争認める︒

凡ての自由主義者亦之に唱和すぺきものである︒自由主義の理想は此原則の宣言を必要ざする

からである︒訂正すぺきは︑此原則に合まる﹀快陥であり︑補足すぺきは︑自由主義の理想を

達する上の不充分である

o

V Y l

ノの職務は此訂正さ補足の仕事さなる︒

彼によれば︑ かの原則の第一の誕謬はベ人類の自然的卒等ぞ俄一定したこさである︒印も人類

問の差別は天賦の相違の結果ではなく︑殺育︑法律及び政治の結果である︒故に法律政治の干 沙を廃止すれば︑凡ての個人は︑凡ての経済が均しく到達せんさ求むる目的︑印ち最大の純牧

入 ︒

γ

買視するに必要なる識見さカさを持ってゐるさ一一一一口ふこごが︑明白になって来るさ主張する

のである︒けれざも凡ての人類は卒等なる材能ざ天資どを持って生れ付いて居らぬ︒

一 方

に 天

才がある︑他方に鈍物があ

b

︑比較的少数なる此等雨極端の中間に

4

非常に多数の凡人が居

には必妥なる異常の勤勉︑不携の持久力︑及び経済的利盆の精維なる成知争現はすけれざも︑ る︒経済生活に関しても︑非凡なる経済的天資生ぷけて居る者のみは︑最高の牧入を獲得する.

4

4

大多数の民衆は其会勢力を替利に集中するこごなしに︑先づ第一に充分確貫旦締立なる所得を

希望するのである︒経済の領域に於ても亦︑﹁治律は人間合偉大にしなかったよさの文句が静岡

(18)

山吹り︑完全なる自由は経済的天才のあらゆる力を後展せしなる生活保件であったけれーとも︑経

法的凡席者である多数者は︑国結のカに挨つ‑︺さなくしては︑平凡なる開展診すら遂げ得ない

の で

あ る

︒ ﹄

第二の誤謬は︑勢働が他の商品さ同様なる商品であり︑労働者が他の商品の貢手三宅も援り

なしご云ム忠惣である︒プレシタ

1

ノが材労働問題の経済的基礎ざして最も力守注ぎ︑力説する

ものは︑此結であって︑以下私は労働問題脱税生の理論ざして最も模範的さ稗し得べき彼の論旨

を彼の﹁労働関係論﹄より紹介するであらう︒

プレンタ

1

ノの労働商品性質論の出愛知を成すものは︑労働さ枇労働力さの区別である

o

彼は

一玄ふ︑労働さは労働力の用盆である︒而て労働力は人自身に外ならなレ

戸 経

済 財

の 鼠

待 の

佐 川

人は必十陸ご智さ心さを協働せしなる限り)故に努働は人自身の用盆に外ならないぜ︒向

労働が人自身の用盆であるさ一式ふ貼から︑ プレンタ

1

ノは他の凡ての商品さ労働さの重大相

連企引き出して来る︒﹁併し此相違は

Y 1

ントジの主張した如く︑労働力の用盆されゴる各瞬間

は永久に失はれて佼復され子︑労働するか﹂件ぺかりし時間の損失さ共に労働も損失さるる貼︑

従て時間の産物ざしての M 労働は貯成3れ得な

ν

駄に存するのではない︒何さなれば此事は労働

V

ンタ

1ノの枇合政策的自由主お

(5) Arbeiterfrage, 55.  920‑921;

詩書五十入一五十九頁っ

(1) Da5 Arbeitsve

altnis5

5.  183 

(19)

さ他の多くの商品ごの区別ではあるが︑これは例へば︑家︑馬の用盆等凡ての用盆ぎは共通な

る性質である

o

勢働さ他の凡ての商品さの相遣は遂に重大である︒之を見んが忽に我等は労働 缶︑同じく用盆なるが故に勢働さ至大の類似駄をもっ商品ごしての資本用盆さ比殺しなければ

な ら

ぬ ︒

﹃資本用盆を見るさ︑直に解るこさは︑これが資本さ密接︑不可離の関係に立ち︑資本の運命

は全く其用盆の淫命によって定められ︑買に此用盆は資本を完全に支配するにあら︑ざれば全く

不可能なるこさである︒労働力三の関係亦全く帥絞りである︒他人に其労働を震る者は︑

業労働力の支配争賃貸するものである︒併し労働さ資本用盆の同じいのは此彪までに過ぎな

い︒次に共相違が始まる︒印も共用人命が商品たる所の資本は自ら亦商品である︑その所有者さ

は全く分離せるものであり︑之を所有せる者︑或は前に之を所有せし者より︑ 一定の目的を達

する匁に初めて任意に生産されるものである︒従て其所有者は被用盆物の存在におして︑叉そ

の用盆の提供に謝するさ同じく︑責任子有するものである︒

﹁然るじ労働力に付ては会︿迷ふ︒労働力は商品ではなく︑人自身に外ならない

v

︒又ぞの所有

者によって任意に生産されるものではなく︑従て所有者は自ら其存在に責任あるものではな

く︑雨者は不可離の一位ごして現はれ︑自己の意思さ濁立に世界に生れる︑而て人は自己以外

(20)

の目的の必に来るにはあら十して自己目的である

o

抹て一方の場合に於ては︑販寅者自身は用盆

が頁られる其被用盆物ごは別物であり︑被用盆物郎も資本は自ら商品であり.他方の場合に於

ては販究者自身は用盆が頁られる其被用盆物さは同一であ b ︑此一被用盆物は商品ではなく︑自

己目的であ︑り︑会経済組織の中心である勃に労働ぜ他の商品さの金相述︑印ちヨ

y

重大なる相

惑が存在するのである

o

荷も或物の用盆ぞ買ふ者は︑これによって必然に用盆争奥へる物の上

に支配力を得るのであるから︑労働の購買者は英購買によって亦︑般労働力の上の支配力︑印ち

入金位︑従て其享楽力︑其享楽︑共全肉睦的︑智的︑道徳的︑一枇合的存在の上の支配カを得る

の で

あ る

︒ ﹄

プレンタ

l

ノは︑従て︑持働さ其販究者の人格さが絶調不可離の結合をなせる結に努働ケ他

の凡ての商品よ

b

分つ枚本的標準を認 hu るものである︒此相思(に基いて幾多の結果が殺生する

のであるが︑支に一つ︑商品販究者ざしての

‑ M

労 働

者 の

一 性

質 が

M 労働者の地伎を不利盆ならし

は貧乏である︒

j i ‑ ‑

労働者は如何なる賃銀︑如何なる労働僚件にも︑且つ又彼の商品が彼自

‑ M

(2) ebcnda, ss.  184

なるに役立てゐる︒プレンタ I ノ之を説明して臼く﹃労働者の商品の此特質よ

b

離れて︑労働自

身さは関係ないが.労働の商品ごしての特質さ関聯せる諸影響の後生を容易にし︑且.此影響

そのもの守強くする所の一性質が︑普通︑般労働者の個人に件うてゐる︒郎ち原則さして M 労

働 者

プ レ シ タ

1

ノり祉

A wu

政策的自由主義

(21)

一 三

身さ密接に結合せるが魚︑彼自身に謝する如何なる支配にも従はなくてはならないのである己

J

o m

商品ざしての労働︑商品販資者ざしての労働者の此二つの性質︑印も労働さ其販貢者の人格

さが不離に結合せるこさ︑及び此販頁者が原則ごして食なるこさから︑然らば如何なる結果が

生れて京市るか︒プレンタ

1

ノは進んで此結果の黙検に入る︒彼の此論惑は︑労働契約が他の商

口問責貝契約さ同一視すぺから.さるケ愈々明瞭に指摘するものであって︑労働者問題の危機が如

何にして殺生せるかを‑説明し︑以て︑図結の主張に至る直接のリンクを成すものである︒

﹁労働以外の他の商品の販寅者を観察するに︑彼の人格ご彼の商品ごは全然締立してゐるがた

めに︑彼は何等購買者ご個人的関係に立つを要しない・﹄ぜが明である︒販頁を矯すがためには

他人の力守滞りるこども能るのでゐる︒叉購買者さ個人的関係に入つでも︑

' }

れ は

永 続

的 で

ないのである︒物の所有権を移す販貞者にあっては這は勿論の事である

o

併し資本用盆の販寅

でも同様である︑此場合も販賞者さ購買者さの関係は瞬間的に過ぎなじ︒雨者相合うて債格は

﹁然るに労働の奴頁者につレては全く趣を異にする︒彼はその用盆を頁る調象物さ別物ではな

3)ebenda.186 

支那はれ︑買手は用盆物を占有する︑而して買手の人格に謝する関係はこれで終結するのであ

る 。

(22)

いのである︒其用盆を貝ふ者は同時に彼の人格を占有し︑主︿行結局を定める

o

而て此関係は瞬間

的関係ではないのであるo:;:・:般労働者さ他の商品販貢者さの此重大相具︑印も︑彼の人格が

購買者に従属するこさは︑購買者が M 労働者の人格の滞在所全決定し︑又般労働者の時間診使用す

る方法含決定する時に忽もにして現はれるのである︒

﹃すなはも他の如何なる商品の販責者も︑

Ay

ソンの正常に指摘した如く︑自ら其商品の在る

土地に行くこさなくして販頁が能きる︒少額づ

kA

の販貢をする小貢底に於てすら主人は葉商品

の販貨に自ら臨むの要はない︒大商人に至つては其帳場からして︑数本の手紙を以て世界の或

部の財買を他の部分に移すのである︒工業者や卸責商は郵便や注文取伝道じて︑其商品の見本

伝送り︑静かに家に座しながら︑同時に数百の町に於て販寅の締結含匁すのである︒併し主人

が個人的に凡ての販真を一々指揮する場合でも︑彼が買手を待つのであって︑その反謝ではな

︿︑寄せ来る多くの人が此場合彼に代って商ロ仰を一地より他の地じ移すのである

o

従て商品の

販貨は彼の人格の滞在所さ︑従て又其環境ぎの決定に何等の干渉をなさないのである︒

﹃然るに労働の販寅者についてはさう

t

はない︒其商品ご不離る可から玄る放に︑彼は其見本

訟法るを件ぬ︒彼が労働の購買者全求なる甲}さは︑此の彼ケ求なるよりも甚しさがため︑購買

者は彼の商品争﹂買はんが忽彼の小屋守訪れはしない

M

労働を資らんが匁には彼自らが何庭にも O

V

シタ

lノの枇合政策的自由主誌

一 三

(23)

一 一 ニ ム

出て行かなければならない︑ さうして彼が其労働力の用盆の買手を見出す時は)彼は其買手に

従って︑その者が彼の商ロ仰を要求するその場所に赴かねばならない︒彼の峡労働カ用盆の地は亦

彼の人格の滞在の地である︒而して此場所を定める者が労働者の今一存在に及ぼす所の支配たる

や甚しきものである 0 ・

﹃更に般労働者が共商品ご結令せるこさは雷に閣の一定の地に於ける其人格の滞在を決定するの

みならや¥又一定の場所に於ける其滞在を定めるのである

o

従て彼は必要の場合には通風の惑

い︑病源の充満した︑或は一辰主が︑例へば建築物を支へるのに不蛍なる節約をし︑これが結局じ

危険に瀕せる場所に其生命ケ賭せねばならない︒

﹃最後に仕事場ご共に又同時に労働者の環境も決定される︒印ち般労働者が何人の脇に於て其商

ロ 仰

を 寅

る か

v 決定される︑而て此決定は枇労働者にさつては至大の意義があるのである︒何故な

らば︑彼の隣人の不熟練或は不注立は彼の仕事を妨げ︑或は無駄にし︑谷川に彼の稼高ケ少くす

るこさがゐるのみなら子︑隣人の無経験は彼の身位︑生命をも危険にするこさがある︒.

アダム・スミスの既に逃ぺたるが如く︑

M

労働者?極て優

良の者の脇に置くこどもあるが︑又容易に︑極て不良の者に}近づけるのである︒かくて販究者 而て最後に此労働者の環境の決定は︑

さ商品さの不離の結合が如何なる道徳上の危険を読すかは︑瞭ざして明である︒あらゆる罪惑

(24)

ケ績んだ大浮浪人の脇にゐる若い祭働者を考へて見さへすればよい︒

. .  

﹁而て商品ごしての労働の特質は其販責者の時間の消費に謝し

τ

特殊の影響を及ぼす結にも表

はれる

o

凡て他の商品の販寅者は之が販寅に自ら臨む必要がないからして︑勿論彼の時間の上

じ完全に自由なる彪分力をもって居り︑好むま︑に︑之を消費するこごが出来る︒:・

﹃之に反して労働者は︑その商口仰を責る以上︑肉世的︑精紳的に拘束せられ︑荷も寅らんが匁

には︑常に一定の長さをもった時間について責らねばならぬ︒而て此時間の決定︑郎も何時間

働くべきか︑伶分の時間働くか︑一化業ケ匁すかの決定は又同時に努働者の肉睦的疲労の程度を

決定する

o

ニれによって軌労働者が︑其精紳的︑道徳的修養にさ︑げられる機舎を利用し得る

か︑或は其疲労せる︑過労の身憾の慰安をば︑全然︑不健全なる宴楽に求なるかが定まる︑又

これは労働者の家族生活︑其子弟の殺育の監督︑其政治的義務の履行︑約一一一一目すれば︑彼の金生

活の如何を︑決定する己的

以上は労働の特質より来る倫理的結果ごも云ふぺきものであるが︑プレ

γ

タ l

ノ は

一 史

に 経

(4) ebendi, ss.  187‑193 

関係に於ける結果をも説明する

Q

般労働が主(販貢者の人格さ不離の結合を有せるこ芝︑及び原則

ご し

M 労働者の貧なるこさは各勢働者より︑販士見係件に謝する一切の勢力を奪ひ去る︒これは

︑ ︑

各個の場合に於ける保件の決定についてのみならす︑般労働者が賂来此係件の上により大なる勢

Vンタlノの祉合政策的自由主義

一 三

(25)

λ

力争振ひ得るか否かや左右する関係の規律に就ても同様である︒他の商品の販頁者は︑場所上 或は時間上有利なる市場ケ捜し得べき地位にある︑印ち供給を常に需要に趨合するこさが能き

る︒貧乏なる孤立労働者は︑之に反して︑共生活の維持の結局︑絶え子販貨を強ひられてゐる︒

終米に於ける有利なる市場守安閉ざして待つこごは出来ないし他地方の有利なる只手を確か めんざするも︑その費用がないし︑又別れた家族ぞ如何にするかの問題がある︒彼じ申出され

たる保件に従ふ外はないのである︒然るに此係件は雇主の決定せる所である︒雇主は般労働者の

商品の債格を一方的に定なる者である

o

のみなら?此債格を貨併で支梯ふが︑貨物で支抑ふか

を定め︑般労働者が之を好みのま︾消費し得るか︑或一は雇主の応又は酒場で消費すべきかを定

め︑幾何時間勢働すぺきか︑如何なる場所で︑如何なる仲間さ勢働すぺきか含定める︒

砂 田 り ︑ 而して孤立せる労働者が努働を資桧へせ宇供給するこさは︑彼等をして︑労働契約の締結に

一定の瞬間︑直に一居主の係件に従はしなる影響をもつのみではなくして︑叉需要減退の

際︑他の商品の販資者の如︿︑商品の供給者を減じ︑主一債格を高く保も︑更に上勝せしむる'︺

さを不可能にするのである︒孤立的労働者は其商品の供給を減少し得ない︒然るに需要減退の

場合仕事や見出し得る労働者の数は従来よりも少い︒従て彼等の問の競守

‑ u b

然に大ざなり︑職

を得ぎりし者の臨時迫によって賃銀を盆々低下せしめる︒而て賃銀の沈下し得ぺき限界・は︑或労働

(26)

者階絞に習慣上︑生活の維持及び繁殖の忽に要する生活費である

o

困窮さ死は此限界以下に賃

銀 の

下 降

す る

か ﹂

妨 げ

る ︒

需要増加の場令に於ても労働者は他の商品販貢者ご同様なる利盆を引し出すこさが出来な

レ︒これは需要の減少に応じてい前口仰の供給を減少し待なかったが結局である︒需要が増加する時

第一には︑長に臓を失った航労働者印も珠備軍が再び臓を見出し得るに過ぎない︒需要が非常に

増加して︑此珠備軍を以て其充足ケ結局し得ない時にのみ︑労働の債格は騰貴し得るのである︒賃

銀の上騰が久しきに互

h J

︑且つ労働者が其所得の増加を其家族の増加に費さ守して︑其慾望の

向上に裂すならば︑其生活程反は高められ︑賃銀の最低限も移動するであらう︒併し賃銀の上

勝が短期間

r

け緩︿に過ぎない M

な ら

ば ︑

ll

騰貴の視はれるこさが遅れるために業期間は短縮

される

ll

賃銀騰貴の起った工業は他の峨業から新らしい労働者ぞ吸引するのみで再び需要

の減退が起った時には︑失職者の数ケ増加せしなるの結果ごなる︒か︿て職ケ求むる魚市場に

於て互に相勺ふ多数般労働者の競争により︑賃銀は速に低落して生計上不可侠の程度に到り︑上

越の生存競争は益々激烈さなるのである︒延代の生産方法に於ては熱帯地植物に見る様な急速

な成長ご悲惨な凋落どが逮じ交代して︑材労働者に謝し︑(之が図結せ︑ざる時)各工業に﹁除剃人

口﹂を生十るの影響ケ来すがために︑

ν

ンタ

lノの枇合政筑的自由主義

l y

Y グスは﹁資本主義的生産方治の人口法則﹂を

一 三

(27)

一 四

O

云々してゐる

o

併し之は勢に乗った誇張の言葉である︒蓋し努働者に謝する此影響は近代の生 産方法さ必然に結付いてゐるものではないからである

o

併し労働者が孤立せる時は︑工業の活 躍ど生産恐慌ごの循環は勿論労働者に大なる不利盆を醸す︒活躍の期間は原則ざして短かくし

て︑鼠・に生計の向上ヤ来きしむるにも足らないのであるが. 一方凋落の生じた後に労働の供給

ケ増加せしなるには不充分なのである︒需要の一時的に増加するこさは他の商品の販頁者にな

‑ら常に利盆ケ輿へるのであるが︑労働者以孤立せる時︑これが忽に永久的には只出品目を受げるに

過ぎないのである︒向

次じ他の商品販資者は生産を制限して賂来の市場を好制作せしむるこさが出来る︒労働につい M

ては之に相蛍する手段は産児制限のみである︒併し孤立せる労働者にその事を求なるこさが出

‑米るであらうか︒又︑産児制限じよって彼等は其殺来診獲得し得るであらうか︒プレンタ

1

は之に答へて一玄ふ︑労働者がかの自制の勧奨に従ふ第一の僚件は︑明に︑彼等が勝家に於ける

る努働者は市場を洞察するこさが能き宇︑・来るぺき将来は彼の結婚ケ許すか否かの剣町聞が出来

(5) ebenda, SS. 194‑207 

共地位の改善のゑには︑此の如き数の制限が必要なるこごみ

3

認識するこどである︒併し孤立せ

ない︑叉買に彼の最も頼れる人︑印ち般労働者指導者は︑常に彼等に殺へて︑プロレタリアート

のカさ M M 2 は実数の増加に在︒ご云ひ︑彼の手近の経験は彼に示すに︑結婚の直接の影響は其地

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