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自由主義右派の政党組織化

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(1)

国際関係論叢第二巻第二号(二〇一三年)四九

   第一節   単一争点政党からの脱皮    第二節   初期の展開につい

て の分析     

( 1

) 投票者のプロフィール

と 政党支持傾向     

( 2

) 欧州懐疑派と

し て の歴史    第三節   イング ラ ンド南部・東部における拡大     

( 1

) 支持の拡大

と 地 方組織の脆弱さ     

( 2

) 有権者に対

す るアプローチの変化    第四節   産業地帯における拡大     

( 1

) イング ラ ンド中西部における展開     

( 2

) 労 働者層の支持     

( 3

) 競争環境の変化    第五節   批判政党から新たなイデ

オ ロ ギーの核へ

自由主義右派の政党組織化

     ―連合王国独立党(UKIP)の展開 と 政党政治上の意味―

若松   邦弘   

(2)

自由主義右派の政党組織化(若松邦弘)    第一節   単一争点政党からの脱皮

 

〇 年 代 に 入 っ て

、 イ ギ リ ス に

「 リ バ タ リ ア ン

」(

libertarian

) を 自 称 す る 政 党 が 現 れ て い る

。 従 来

、 イ ギ リ スの政党政治における自由主義勢力は

、 自由党から自民党へ

と つ ながる系譜に代表さ

れ る自由主義左派が中心

で あった

。 ヨ ーロッパの中北部諸国に見られ

、 例えば

、 オランダの自由民主国民党

( VVD

) や ドイツの自由民主 党

( F D P

)、 あ る い は 北 欧 の 旧 農 民 政 党 に 類 す る よ う な

( 若 干 の ナ シ ョ ナ リ ズ ム を も 含 む

) 自 由 主 義 右 派 は

、 イ ギ リ スの政党システムのなかに独立した政党

と し て は 場 を 占め てこ なかった

。 こ の点 で

、 二〇〇〇年代になっ

て か ら の 連 合 王 国 独 立 党

( 英 国 独 立 党

United Kingdom Indepencence Party

、 以 下 U K I P

) の 欧 州 議 会 選 挙 や 地 方 選 挙 で の躍進は

、 イ ギ リ ス で もそのような自由主義右派が政党システムのなかに有意な存在

と し て 誕 生 す る可能性

を 予示 す る もの で あ

(1)

。 イ ギ リ スにおい

てこ の種のイデ

オ ロ ギー傾向は

、 サッチャー期以降につい

て 見 る と

、 保守党 の内部 で 拡大し てき た部分 で あ

(2)

。 そ れが独自の独立した政党組織

を 獲得しつつあるように見える

 

本稿 で は

、 イ ギ リ スにおける自由主義勢力の今後の展開

を 占 う可能性

をもつ存在

と し て

、 UKIPの議会勢力

と し て の拡大過程における特徴

を 明 らかに す る

。 UKIPは一九九〇年代前半の設立以来

、 欧州統合へのイギ

リ ス の 関 わ りに留保

を 主 張 す る単一争点の政党

と 見 られてき

。 こ の政党が

、 二〇〇〇年代に入っ

て 国政与党の労働党

と 野党第一党の保守党がそろっ

て 不人気 となった時期に

、 その勢力

を 欧州議会選挙と

いう限定的な形

で あ れ

、 爆 発的 に拡大させた

こと によっ て

、 同党が政党

と し て もつ性格の評価は難しくなった

。 すな わち

、 単一争点政党

で あるの か

、 そ れ を 超 えた既成政党への批判勢力

で あるのか

、 あるいは新たなイデ

オ ロ ギー軸 を イギ リ スの政党システムの なかに確定させうる

、 自称 リ バ タリ アン

( あるいはネ

オリ ベ ラ ル

) の核 となる政党

で あるのか

、 と の判断 で あ る

五〇

(3)

国際関係論叢第二巻第二号(二〇一三年)五一   UKIPの拡大

で は

、 地 域的な傾向

や 社会経済的特徴

を 根拠に

、 その支持が保守党支持者

と 近い層から来

て い る ことが注目さ

れてき た

。 しかし二〇〇〇年代に入っ

て か らの欧州議会選挙

で の支持の大

き さ を 見 る と

、 そ れを 保守 層のみの支持によるもの

と 見 なすことは難しくなっ

て い る

。 実際に二〇〇四年以降

、 次 第に地方政治の場

で も 存在 感 を 示 す ようになる

、 保守党の地盤

で あるイング

ランド南部・東部の農村だけで

なく

、 同 じく中部の産業地帯

で もま と まった数の議席

を 獲 得 す るようになった

 

以下 で は

、 ま ずUKIPの躍進が大

き な注目 を 浴びた二〇〇四年欧州議会選挙をと

り あげ

、 こ の選挙を

中心 とす るUKIPの支持層につい

て の既存分析

を 検討し

、 そ こで 指摘さ れ る投票者の社会的属性

や 政治的支持傾向

を 確 認 す る

。 こ れと 同時に

、 二〇〇四年欧州議会選挙に至る時期

、 す な わ ち 政治勢力

と し て のUKIPの初期の展開

を 見 る

( 以 上 第 二 節

)。 そ の 後

、 二

〇 四 年 欧 州 議 会 選 挙 以 降 の イ ン グ ラ ン ド 南 部

・ 東 部 の 農 村 部 に お け る

、 保 守 党 と の 競 争 の な か で の 勢 力 拡 大 と

、 そ の 過 程 で の 地 方 政 治 へ の 浸 透 を

( 第 三 節

)、 さ ら に イ ン グ ラ ン ド 中 部 の 都 市 部 に お け る 労 働 党 と の 競 争 の 出 現 と

、 続 く 時 期 の 勢 力 の 停 滞 を 検 討 す る

( 第 四 節

)。 本 稿 は こ れ ら の 分 析 を 通 じ

、 U K IPの政党

と し て の性格の変容

を 明 らかに す る

。   

第二節   初期の展開につい

て の分析

 

( 1

) 投票者のプロフィール

と 政党支持傾向

 

U K I P が 政 党 と し て 全 国 レ ベ ル で 初 め て 大 き な 注 目 を 浴 び た の は 二

〇 四 年 の 欧 州 議 会 選 で あ る

。 こ の 選 挙

(4)

自由主義右派の政党組織化(若松邦弘)

で 同 党 は

、 議 席 獲 得 数 を 前 回 一 九 九 九 年 選 挙 の 三 か ら 一 二 へ と 増 や し た

。 二〇〇〇年代前半

、 選 挙におけるUKIPの最大の勝利は

こ の 二〇〇四年欧 州議会選

で あ るが

、 同 選挙を

含 め

、 二〇〇〇年代

、 UKIPの主要選挙

で の 得 票 は

、 選 挙 カ テ ゴ リ ー ご と に 見 る と 段 階 的 に 拡 大 し て い る

( 表 1

)。 な か で も こ の 欧州議会選挙における突然の躍進は大ニュース

で あ り

、 そ れ ま で 同 党に投票し

て い なかった有権者が

こ の選挙 で 大量に票

を 投 じた ことは明らか で あ る

。 同党に投票した有権者はど

のような社会層に属し

、 ま た ど のような 政党支持の傾向

を 示 し て いるの で あ ろうか

 

UKIPの支持層に関

す る単独の調査は皆無

で あり

、 急 進右派の諸勢力に つい て の研究のなか

、 と くにイギ

リ ス国民党

British National Party

、 以 下BNP

) と の対比におい

て 調べられてき

(3)

。 こ の分野の代表的な研究者

で あるフォード

Robert Ford

) や グ ッ ド ウ ィ ン

Matthew Goodwin

) ら の研究は UKIP支持者の地理的な分布傾向

、 その社会経済的特徴が保守党支持者 に近い ことを 示 唆 す る

 

グ ッ ド ウ ィ ン ら に よ る B N P

、 U K I P

、 イ ン グ ラ ン ド 防 衛 団

English

Defence League

) に つ い て の サ ン プ ル 調 査 は

、 U K I P 支 持 者 の 社 会 経 済 的 プ ロ フ ィ ー ル の 概 要 を 示 し て い

(4)

。 そ れ による と 同党の支持者には男性が多 く

( 七二%が男性

)、 また高 学 歴 者は必ずしも多くない

( 大 学 卒 は二〇

・二%

)。

⾲㸯୺せ㑅ᣲ࡟࠾ࡅࡿ

UKIP

ࡢᐇ⦼

ᚓ⚊⋡ ᚓ⚊ᩘ ⋓ᚓ㆟ᖍ

1999

ᖺḢᕞ㆟఍ 7.0%

696,057 3

㆟ᖍ

2001

ᖺୗ㝔 1.5%

390,563

࡞ࡋ

2004

ᖺḢᕞ㆟఍ 16.1%

2,650,768 12

㆟ᖍ

2005

ᖺୗ㝔 2.2%

605,973

࡞ࡋ

2009

ᖺḢᕞ㆟఍ 16.5%

2,498,226 13

㆟ᖍ

2010

ᖺୗ㝔 3.1%

919,471

࡞ࡋ

㻌 㸨Ḣᕞ㆟఍㑅ࡢᚓ⚊⋡ࡣ໭࢔࢖ࣝࣛࣥࢻᆅᇦࢆྵࡲ࡞࠸ᩘᏐ

ฟ඾㸸BBCࠊThe Electoral Commission

五二

(5)

国際関係論叢第二巻第二号(二〇一三年)五三

年 齢 層 は 高 め で あ り

、 五

〇 代 半 ば 以 上 の 人 が 多 い

( 三 分 の 二 以 上 が 五 五 歳 超

、 三 五 歳 未 満 は 一 割 に 満 た な い

)。 四〇代半ばから六〇代半ばの層に支持者が多いBNP

とはやや

異なる傾向

で あ る

。 職種別 で は 専門職

・経 営者層

( A B、

三 七・

%)

が 多 く、

こ れ に 事 務 職 層

(C 1

、二 六・ 五

%)

を 加 え る と 半 数 を 超 え る。

軍 人 が 多 い の も 特 徴 で あ る

。 こ れ に 対 し て

、 B N P の 支 持 者 に は 半 熟 練

・ 非 熟 練 労 働 者 層

( D E

、 三 二・ 四

) が 多 く

、 サ ン プ ル の 半 数 以 上 は 低い社会階級

( C 2

、 DE

) に属し て お り

、 UKIPの支持層

と 明 らかに異なる

。 またUKIPの支持者は自身の 生活への満足度がBNP支持者ほ

ど に は低くないのも特徴

で ある

 

主 要 政 党 の 支 持 者 と の 比 較 に つ い て は

、 フ ォ ー ド や グ ッ ド ウ ィ ン に よ る 別 の 分 析 が あ る

。 そ れ に よ る と

、 二〇〇〇年代の後半

、 UKIPへの支持には

、 イング ラ ンド南部居住

、 高 齢

、 中位の職業階級

と の特徴があり

、 こ れは保守党のイング

ランド南部居住

、 高 齢

、 上位の職業階級

、 自民党のイング

ランド南部居住

、 若 年

、 上位の職業 階級 と い うそ れぞれ の支持者の特徴

と 対比さ れ

(5)

。 こ こ か らはイング

ラ ンドの南部における保守党

、 自民党

、 U K I P に よ る 三 つ 巴 の 競 争 が う か が え

、 自 民 党 と U K I P の 支 持 者 は プ ロ フ ィ ー ル の 重 な り が 相 対 的 に 少 な い 一 方

、 保 守 党 は 上 位 職 業 階 級 の 有 権 者 を 自 由 党 と

( 自 民 党 支 持 者 は よ り 若 年 層

)、 高 齢 の 有 権 者 を U K I P と

( U K I P 支持はより中位職業階級

) そ れぞれ 争 う図式が想像さ

れ る

 

実 際 の 政 党 支 持 の 状 況 に つ い て は

、 ロ ー リ ン グ ス

Colin Rallings

) ら に よ る 二

〇 四 年 の 欧 州 議 会

・ 地 方 議 会 同日選の分析が参考

と なる

。 こ の分析は自治体内の全選挙区

で 議 席が改選さ

、 かつそ れらの選挙区に主要三党が すべ て 候 補 を 立 て た四五の自治体

を 対象にしたもの

、 欧州議会選

で UKIPに投票した有権者が地方議会選

でど こ に投票したか

を 推 定 す る

( 表2

)。

 

そ れ による と

、 欧州議会選

で のUKIP票におい

て 大 きな割合

を 占めるのは

、 地方選 で 保守党に投票した有権者

(6)

自由主義右派の政党組織化(若松邦弘)

か ら の 票 で あ る

。 こ れ は 欧 州 議 会 選 で の U K I P 票 の 半 数 近 く を 占 め る

( 四 六・ 六

)。 こ れ を 逆 の 側 か ら 見 る と

、 地 方 選 で 保 守 党 に 票 を 投 じ た 有 権 者 の 四 分 の 一

( 二 三・ 一

) が

、 欧 州 議 会 選 で は U K I P に 投 票 し た と 推定さ れ るの で あ る

。 こ の保守党

と UKIPの乗り入

れはグッドウ

ィンら が示 す 南部の高齢者

を 中 心 と した層 と 考 えられ る

 

地 方 選 で U K I P に 投 票 し た 有 権 者 で は

、 そ の 四 分 の 三

( 七 六・

) が欧州議会選

で も UKIPに投票し

て い る

。 しかし こ の 票は

、 地 方選 で の UKIPの得票自体が少ないため

、 欧州議会選挙

で のUKIP票の一割に 満たない

( 八・ 四

)。 興 味 深 いのは

、 これを 上回るUKIP票のそ

れぞれ 二 割 前 後 を

、 地 方 選 で 労 働 党

( 二 三・ 八

)、 自 民 党

( 一 九・ 一

) に 投 票 した有権者の票が占め

て いる と 見 られ る こ とで ある

(6)

 

UKIPへの支持には保守党支持

と の乗り入

れが多いものの

、 こ の よう に労働党・自民党支持

と の相乗りもみられ

。 こ の 点 で

、 これら二つの選 挙におい

て 労 働党 と UKIPに票

を 分 割した有権者が一定数存在

す る こと は注目さ

れ る

。 地 方選 で 労 働党に投票した有権者に

と っ て

、 UKIPは欧 州議会選

で は 労働党に次ぐ第二の選択肢

となっ て おり

、 自民党 と の選択 を 大 き く 上 回 っ て い る

。 ま た 地 方 選 で U K I P に 投 票 し た 有 権 者 に と っ て も

、 欧州議会選

で 労 働党 と の選択肢はUKIPに次ぐもの

で あ り

、 こち ら

⾲㸰

2004

ᖺ㑅ᣲ࡟࠾ࡅࡿ᭷ᶒ⪅ࡢᢞ⚊ඛ(࣮ࣟࣜࣥࢢࢫࡽࡢヨ⟬)

༢఩㸣㻌

ᆅ᪉㑅

Ḣᕞ㆟఍㑅 ಖᏲඪ ປാඪ ⮬Ẹඪ UKIP ィ㻌 ಖᏲඪ 90.6㸭73.7 3.2㸭2.7 5.0㸭4.4 0.4㸭4.8 100㸭 ປാඪ 1.4㸭1.1 66.9㸭58.8 20.0㸭18.3 1.3㸭12.5 100㸭

⮬Ẹඪ 0.4㸭0.2 11.6㸭6.8 82.2㸭49.7 0.3㸭2.4 100㸭 UKIP 46.6㸭23.1 23.8㸭12.2 19.1㸭10.2 8.4㸭76.0 100㸭 ࡑࡢ௚ 㸭1.8 㸭19.5 㸭17.4 㸭4.3 㻌 㻌 ィ㻌 㸭100 㸭100 㸭100 㸭100

ฟ඾㸸Rallings and Thrasher (ᕳᮎト㸲), Table 12 ࡼࡾ➹⪅సᡂ

五四

(7)

国際関係論叢第二巻第二号(二〇一三年)五五

も自民党

と い う選択 を 大 き く上回っ

て いるの で あ る

 

こ の ように数字の上

で は 保守党支持

と 相乗りの傾向が示さ

れ るUKIPの支持層

で あ るが

、 これらはど

のような 人 々なの で あ ろうか

。 本稿 で は 地方政治の分析からそのプロフィール

を 明 らかに す る こ とを 試みるが

、 以下 で は そ の前提 と し て

、 UKIPの拡大初期における特徴

を 概観し て お き た い

 

( 2

) 欧州懐疑派と

し て の歴史

 

UKIPの党

と し て の歴史は一九九〇年代初めにさかのぼる

。 同 党は一九九〇年代半ば

、 欧州懐疑派の政党

と し て より後発ながらも

、 富豪のジェームズ・ゴールドスミス

James Goldsmith

) を スポンサーに豊富な資金力

を 有 す る レ フ ァ レ ン ダ ム 党

Referendum Party

) の 後 塵 を 拝 し て き た

。 当 時

、 イ ギ リ ス に お け る 欧 州 懐 疑 派 の シ ン グ ル イ シュー政党

で は

、 EU と の関係につい

て イ ギ リ ス で の国民投票の実施

を 主 張 す る こ のレファレンダム党が

、 その宣 伝活動の大

き さ や 保守党からの離脱者の加入に助けられ

筆頭格 で あ り

、 そ れ に比べUKIPは有権者への浸透に難 を 抱 え て き た

 

U K I P は 一 九 九 一 年 成 立 の 反 連 邦 主 義 者 連 盟

Anti-Federalist League

) を 経 て

、 L S E の 歴 史 学 者 ア ラ ン

・ スキ ッド

Alan Sked

)によっ

て 一九九三年に設立さ

れて いる

。 結党以来各地の下院補選に候補

を 立 ててき た ものの

、 一九九七年総選挙より前の時期に顕著な得票

を 得たのは

、 サ ウ スイ ーストスタッフ

オ ードシャーの補選のみ

で あ る

( 一 二 七 二 票

、 得 票 率 二・ 九

)。 こ れ は 同 党 候 補 者 が 地 元 の 地 方 議 会 議 員 で あ っ た こ と に よ る 例 外 的 健 闘 と 考 え ら

(7)

、 そ れ 以 外は一〇〇〇票に満たない惨敗

を 繰り返し

てき た

。 総選挙への初め

て の 挑戦となった一九九七年選挙

で は

、 全 国 に 一 九 四 人 の 候 補 を 立 て

、 得 票 率 一・ 二

% を 記 録 し た も の の

、 同 じ 選 挙 で 五 四 七 の 選 挙 区 に 候 補 者 を 立 て

(8)

自由主義右派の政党組織化(若松邦弘) たレファレンダム党の得票率

( 三・ 一

) の半分にも届い

て いない

 

UKIPの場合

、有権者への浸透が自他

と もに認める課題

で あった

。 と くに同党のローカルレベルの基盤は弱く

、 選挙区組織は一九九四年一〇月の段階

で 全 国に二〇程度

、 一九九五年六月の段階

で 同 じく五〇程度

で あった と さ れ

(8)

。 一九九七年の総選挙

で も

、 そのほ と ん どは

、 党員のデレッ

・ ガードナー

Derek Gardner

) が その著書

で 認 め るように

、 急 ごしらえの

、 政治の素人

で あった

。 支 持は白人の年金生活者にほぼ限定さ

、 若者 や 民 族的マイノリ ティの支援者はなかった

と い

(9)

 

同党に と っ て の転機は一九九七年の総選挙後

す ぐに訪 れて いる

。 こ の年の七月にレファレンダム党創設者のゴー ルドスミスが病死したの

で あ る

。 これ により

、 リ ーダーを

失ったレファレンダム党は解散し

、 そ のメンバーの多く がUKIPに合流

す る こととなる

10

。 こ こ か ら欧州懐疑派における代表的政党

と し て のUKIPの歴史が始まっ

て い   る。

地方 で のUKIPの活動基盤の弱さは

、 同党が欧州懐疑派のシングルイシュー政党

と し て 短期間に成長したため に

、 選挙 で の候補者がさまざまな政党からの転向組の寄せ集め

で あった こと による

。 こ のような政党に

と っ て 相 対 的に有利な選挙は

、 中央からの選挙キャンペーンが相応の効果

をもたらしうる比例代表制

で あ ろう

 

確かに欧州議会選だけを

見 れば

、 同党の躍進は顕著

で あ る

。 一九九四年の選挙

で は全国 で の得票が一五万

、 得 票 率 一

% に も 満 た な い 泡 沫 政 党 で あ っ た 同 党 が

、 レ フ ァ レ ン ダ ム 党 解 散 後 の 一 九 九 九 年 選 挙 で 得 票 率 を 七・

% ま で 伸ばし て 三人 を 当選させ

、さらに二〇〇四年の欧州議会選

で は

、先に見たように得票率一六

・一

、当選者一二人

、 イギ リ ス の全政党のなか

で 三位に躍り出るの

で あ る

 

選挙分析

で 名高いジョン・カーティス

John Curtice

) は 二〇〇四年欧州議会選挙

で のUKIPの躍進につい

五六

(9)

国際関係論叢第二巻第二号(二〇一三年)五七

イメージの面

を 要 因 と し て 指摘 す る

11

。 と くに

、 テ レビ司会者

と し て よく知られて

いたロバート・キルロイ=シル

(Robert Kilroy-Silk

) が 党の顔 と し て 選 挙選の先頭に立った

ことが大

き い と い う

。 当時

、 保 守・労働の両大政党に 対 す る国民の人気は低迷し

て お り

、世論の支持は他政党に流

れ る傾向があった

。第三党の自民党はも

ち ろ んの こと

、 そ れ 以外にもUKIP

や BNPが新興勢力

と し て 注目さ れて いた

。 キ ルロイ=シル

クは

、 労 働党の下院議員

を 務 め た後

、 一九八八年から一五年以上もBBC1

で 朝のニュースショーに続く時間帯に自身の名前

を冠 した視聴者参加 型のワイドショーを

担 当し て いた人物

、 イギ リ ス で は 知らぬ人のないお茶の間の顔

と し て

、 と く に女性層から幅 広い支持

を 得 て い た

。 こ の 点 で 彼は選挙戦におけるずば抜けて

効果的な媒体

で あ り

、 BNPの強面の党首

と の対比 におい て も UKIPにメリ

ットをもたらし

て いた と さ れ る

12

 

二〇〇四年選挙の結果

を さ らに地理的な観点から見る

、 UKIPへの支持がと

くに高かったのは

、 イング ラ ン ド南西部のデボン地方

やコン ウ ォール地方

で ある

13

。 ロ ンドンから西に向かい

、ド ーセ ット

、デ ボン

、サ マーセ ッ ト

、 コン ウ ォ ールなど

「 ウ ェストカントリー

」 と 呼ばれ る諸地方は

、途中の拠点都市ブ

リ ス トルに向かう幹線から外

、 ロンドンと

つ ながる鉄道の高速化に遅

れ た 地域 で あ る

。 コン ウ ォ ール半島の背骨

で ある丘陵地に産出

す る鉱物 を 除 く と

、 産業地帯は南岸のボーンマス

、 プ リ マスなど

一部の都市に限定さ

、 全体 と し て 交通の やや 不便な

、 牧畜中 心の土地柄

で あ る

。 他方 で

、 イギ リ ス で は 最も南に位置し

、 気 候が温暖なため

、 海岸部は保養地

や 別荘地 と なっ て いる ことも少

なく ない

 

これらの地方

を 含 む

、 サ ウ ス ウ ェ スト地域におけるUKIPへの高い支持

を 説 明 す る要素 と し て

、 カ ーティスは 地域人口の特徴

を 以下のように指摘

す る

14

(10)

自由主義右派の政党組織化(若松邦弘)

 ①

イギ リ ス がEU と 衝突しが

ち な 牧畜業・漁業に従事し

て いる人口が多い

 ②

人口構成が全国平均より高齢者に偏っ

て い る

 ③

「イ ン グ ラ ン ド の リ ビ エ ラ

」(

English Riviera

) と よ ば れ る ト ー ベ イ を 中 心 と し た 海 岸 リ ゾ ー ト 地 に は

、 引 退 後 に 移 住 し て く る 人 々 が 多 く

、 そ れ ら の 人 々 は

、 下 層 ミ ド ル ク ラ ス

、 大 学 に い っ て い な い

、 強 い イ ギ リ ス

(British

) アイデンティティ

をもつ と のプロフィールによっ

て 代表さ れ る

 

サ ウ ス ウ ェ ス ト 地 域 に お け る 選 挙 選 の 構 図 は 労 働 党 を 欠 く 典 型 的 な パ タ ー ン で あ り

、「 保 守 党 対 自 民 党

」 あ る い は

「 保守党対自民党対その他の保守系

」 と いうもの

で あ る

。 こ の 地域 で は

、 一九九〇年代の初めま

で 保守党の優位 が続い て いた

。 しかし二〇〇〇年代に入る

、 その優位も部分的に崩

れて いる

。 サ ウ ス ウ ェ ストはUKIPに大

き な支持 を 与える最初の地域

と なったの

で あ る

。   

第三節   イング ラ ンド南部・東部における拡大

 

( 1

) 支持の拡大

と 地 方組織の脆弱さ

 

欧 州 議 会 選 挙 の 検 証 は

、 U K I P が 比 例 代 表 制 の も と で 保 守 党 寄 り の 票 を 呼 び 込 む 傾 向 が あ る こ と を 示 唆 す る

。 二〇〇四年欧州議会選挙の躍進が保守党支持

と の乗りい

れで ある ことは上記のように確認さ

れ る の で ある

 

加えて

、 ローカルな政治過程の観点からもUKIPへの支持拡大過程の特徴

を 明 らかにしようとすれば

、 鍵 と な

五八

(11)

国際関係論叢第二巻第二号(二〇一三年)五九

る の は

、 イ ギ リ ス 各 地 で 二

〇 年 代 初 め に 生 じ た ブ レ ア 労 働 党 政 権 に 対 す る 批 判 で あ ろ う

。 こ の 批 判 は 農 村 部

、 都市部の双方におい

、そ れ ぞれ 固有の相互に異なる背景から生じ

て いる

。本節 と 次 節 で は これらを

順に検討

す る

 

UKIP

と の関係 で は まず

、農 村部におい

て 生 じた不満が注目さ

れ る

。イング

ランドの南部から東部にかけて

、 産 業 革 命 期 以 来 の 顕 著 な 産 業 都 市 の 集 中 が 相 対 的 に 少 な く

、「 労 働 者

」 と い う 歴 史 的 に は 都 市 固 有 の 社 会 層 が 局 所 的にしか存在しない

。 こ の地域の農村部

で は労働党の組織的な展開も伝統的に弱く

、 地 方政治 で は労働党

を 欠いた 政党間競争が展開し

てき た

。 と り わけ一九九〇年代以降は

、 メージャー政権

、 続くブレア政権による自治体制度改 革によっ

、 地方自治体の一層化に向けた動

き がイング

ランドの全域

で 大都市圏のみならず地方の都市圏にも拡大 した ことで

、 都市 と 農 村 で 異なる政党支持の様相が自治体の形態

と より直接的に結びつく

こととなった

。 す な わ ち 大都市圏以外の都市部にも労働党の強い一層制自治体

( ユ ニタリーオーソリ

ティー

) が誕生し

、 そ れを労働党の弱 い郊外・農村地帯の二層制自治体

( ディストリクトと

カ ウ ン ティ

) が 地理的に取り囲

むと の状況が各地に見られ

る よう にな った

 

政治的観点から重要なのは

、 経済社会状況から来る農村部

で の不満が

、 こ の ような政党支持の地理的構造

を 下敷 き に政権への反発

と し て 政治問題化した

ことで あ る

。 農村部 で は二〇〇〇年代に入る頃から

、 農村関係の政策対応 におい て た びたび後手に回っ

て いる政府への反発が

、 断続的に直接行動

と し て 生 じるようになり

、 これは政権の全 般的な人気低下

と 結 び付い て

、「 カントリーサイド

( 田 園

) イシュー

」 と し て 注目さ れ る ようになった

 

こ の ころ

、 す な わ ち ブ レア政権第一期の末から

第 二期の初めに噴出した出来事には

、 自動車依存型の生活に痛手 となったガソリン小売価格の高騰

、 生産・観光の両面

で 地 域経済に打撃

をもたらした口蹄疫の発生

、 地 方税

( カ ウ ンシル税

) 上昇の背景

となった地方財政改革への反発が並ぶ

15

。 い ずれも農村部のガバ

ナンス と 関係 す る もの で

、 政

(12)

自由主義右派の政党組織化(若松邦弘) 治的・社会的に農村の生活に大

きな影響

を 残 し て いる

。 と り わけ口蹄疫は

、 二〇〇一年の総選挙を

延期させる

こと となり

、 また政府のその後の農村に対

す る政策姿勢に変化

を 促 すもの と なった

16

 

そのなか二〇〇二年九月には

、超党派の国会議員が名

を 連 ねる

「 カ ントリーサイド連合

Countryside Alliance

)」

と い う団体によっ

、 伝統文化

と し て の キツネ狩りの存続

を 訴 える形 で 企画さ れ た

「 カ ントリーサイド行進

」 がロ ンドンの中心街

で 実施さ れ

、 ここ には十万人

を 超 える人 々 が参集した

と さ れ る

17

。 集まったなかには

、 キ ツネ狩りの 存続以外にも各種の農村の不満

を 代 弁 す る声があった

と い う

。 農村に住

む 人 々が固有利害の認識のもと

政治的に覚 醒した こ の 時期は

、 UKIP躍進の最初の鍵

となる

 

カントリーサイドイシューが政治問題化した背景には

、 ブレア政権のもとで

の政策の優先順位に農村部の有権者 の不信が生じ

て いた ことを 指 摘 で き よ う

。 と くにブレア政権第一期の施策

で は

、 重点課題

と し て

「 社会的排除

」 の 克服が掲げられ

、 都市における経済・社会的課題への取り組み

を 優 先 す る姿勢が強調さ

れて いた

。 社 会的問題への 対処は各種の都市再生

urban renewal

)プログ

ラ ムに重 きがおか

、そ れ らは都市部への資金投下

を 促 すもの で あっ た

。 さまざまな要素

を 含みつつ進められ

た地方への分権も

、 地域の拠点都市

を 核 に労使の経済界が主導

す る経済振 興モデルの構築

を 目指し て 進 められて

いた

18

 

確かに農村部

で も

、 社会サービス面

で は

、 ブ レア政権が最

も重視し中央政府が全国的観点から一定の資金

を 担 保 した教育

と 医療につい

て は

、 相 対的にサービスの劣化

を 免 れ た と い えよう

。 他方 で 地 域の経済振興モデルは

、 補助 金 を 呼び水に大規模な民間資金

を 地方経済に引

き 込 もうとす

るもの で

、 商 業施設の整備など

に依存 す る こ のような モデルが地域経済全体の再生につながる余剰

を 生み出 す 例 は必ずしも多くない

。 む し ろ高齢化した農村部の有権者 に と っ て は

、 地 元 の 小 売 店 や 郵 便 局 の 閉 鎖

、 公 共 交 通 網

( バ ス 路 線 の 縮 小 や 廃 止

)、 清 掃

、 ご み 収 集 と い っ た 身 近

六〇

(13)

国際関係論叢第二巻第二号(二〇一三年)六一

な公共サービスの劣化が経済の再生に優先

す る 喫緊の課題

で あ り

、 これら生活利便性の低下に対

す る歯止め策の方 がより重要

で あった

 

政府の再生モデルが非都市部の有権者の意向

と かみ合 わ な い こ とは想像に難くない

。 政策に対

す る批判は農村部 へ の 政 府 の 支 出 不 足 と の 認 識 を 背 景 と し

、「 小 さ な 政 府

」 に 対 す る 地 方 の 懸 念 に 基 づ く

。 こ こ で 生 じ た 政 治 的 な 批 判は

、 そのような政策

を 清新さ と 革新性 を 演 出 す る装いのもとトップダ

ウ ン で 推 進しようとす

る中央への嫌悪

、 地 方の自主性の浸食に対

す る抵抗

、 地方からの反エ

リート主義と

の性格 をもつ

。 こ の 点 で

、 反 発は単に経済的なもの のみならず

、 ラ イフスタイル

と いった伝統文化的・環境的なもの

とも関係し

て い る

。 農村の不満は

、 都市型の

「 新 しい労働党

New Labour

)」 によるイギ

リ ス の

「 現代化

modernisation

)」 の推進が農村的な生活には意味

を 持たず

、 む し ろそ れを 破壊 す る の で はないか

と の

、 農 村部の有権者の懸念に共鳴

す る 形 で 蓄積した

と 考 えられ る の で ある

 

こ の ようにUKIPの台頭は

、 まさにサッチャー政権に対

す る一九八〇年代の政治的反発が産業都市のインナー シティの荒廃

を 背 景 と し て 生じたの

と 並 列 す る形 で

、 一九九〇年代以降の農村における荒廃への急速な認識の高ま りに後押しさ

れて いるもの

で あ る

。 イング ラ ンド南部におけるUKIPへの支持拡大は

、 一義的には経済的に疲弊 した農村部に固有な

こ の状況 を 背 景 と す る

。 カ ントリーサイドの不満はと

くに経済的観点の問題

を 抱 えた地域

で 噴 出 し た が

、 そ れ は 純 粋 に 経 済 的 と い う よ り は

、 む し ろ 文 化 的 な 位 相 を も っ て 台 頭 し た も の で あ る

。 そ れ は 農 村 的

、 保守的な伝統

・ 環 境の擁護

を 求 める志向

で あ り

、 同じ環境擁護の主張

で も 例えばグ

リーン

Green Party

) の も つ 都 市的な志向

と は異なる

。 UKIPはそのような農村の意識

を 吸収した

と 考 えられ る

 

こ の 点 で 農村 で のUKIPの支持者はカントリーサイド連合に名

を 連 ねた主要政党のエスタブ

リ ッシュメントと も異なる

。 UKIP支持の重要な基盤は

、 サ ウ ス ウ ェ スト地域

で の台頭に見られ

る ように

、 地元に基盤

を 置く経済

(14)

自由主義右派の政党組織化(若松邦弘) 活動に依拠

す る 人 々

、 そ れ ま で の経済基盤

を 脅かさ れ つつある社会層

( 自 営業主

、 中小企業主

、 年金生活者

) で あ る

。 経済の構造転換のあおり

、 社会階層

を 下 方に移動しつつあり

、 そ れ に 対 す る懸念 を

、 中央・地方関係の構図 に照らし

、「 中央

」 の無策に対

す る批判 と し て 政 治的に表出し

て い る

 

UKIP支持者の核の一つは

、 従来から指摘さ

れて いる と お り

、 保守党の支持者

とも重なる

、 こ の い わ ゆる旧中 間層 で あ り

、 彼らが当初の支持者

と 考 えられ る

。 これらの支持者は政治的にみる

、 保守党の固定的な支持者

と い うよりは

、 地 方政治 で はそ れ 以外の政党にも投票しうる戦略投票者

で あ る

 

歴史的に見

て も

、 イギ リ スの地方政治

で は保守党に投票しない

、 しかし保守党支持者

と プロフィールの重なる有 権者の存在が

、 と くに農村部につい

て 指摘さ れて いる

。 レ イトペイ

ヤー

ratepayer

) と 呼ばれてき

た伝統的な

「 プ チブルジョワ

」 層 で あ る

19

。 こ れはその名の通り

、 地 方税

( レ イト

) の課税対象

となる不動産

を 所 有 す る中間層

で あ り

、 イギ リ スにおける政党の分権的な発展過程

を 背景に存在し

てき た有権者層

で あ る

。 イギ リ ス で は

、 二〇世紀前 半

、 ローカルレベル

と 国政の政党システムが相互に独立した発展

を 見 せた こと から

、 中央政党によるローカルな有 権者の組織化が本格的に進展

す るのは

。 そ れ が早かった労働党

を 除く と 一九七〇年代

を 待 たねばならなかった

20

。 そ れ 以前の時期

、 ロ ーカルレベルには国政

と 異なる政党間競争が見られ

、 そ のなか と くに農村部

で 力 をもっ て いたの がレイトペイ

ヤー で あ る

。 一九七〇年代に入る

と 地 方政治の

「 国政化

」 が 全体的には進行したものの

、 人口稠密地 域の都市部に比べる

、 農村部には以後も無所属

や 独自の政治勢力が多く残さ

れて いる

21

。 こ のような地元の中間層 を 支持者 とす る政治団体は各地に存在し

、 イシューごと

に とき おり地方議会

を 席巻 す る

22

。 の ち ほ ど 見 る よ う に

、 U KIPは

こ のような政治勢力・支持者の関係

を 局 所的にまるごとリク

ルートす

る こ ともある

 

他方 で

、 UKIPの拡大初期に見られ

る特徴は

、 先に指摘したように

、 欧州議会選の成功が他の選挙レベルにほ

六二

(15)

国際関係論叢第二巻第二号(二〇一三年)六三

と ん ど 及 ん で いない こ とで ある

。 欧州議会選以外

で の存在感の欠如

と 欧州議会選

で の 成功 とはバ ラ ンス を 欠 い て お り

、 UKIPは事実上

、 欧州議会のみの政党

と い う奇妙な存在

で あった

 

選挙区選挙

で の極端な弱さはUKIPの組織内

で も早い段階から課題

と し て 認識さ れて いたよう

で ある

23

。 先 に も 挙げたガードナーによ

れば

、 折 からのカントリー

サイドイシューへの関心の高まり

を 背景に

、 UKIPは二〇〇二 年初頭に始めた次の欧州議会選の準備のなか

、 ローカルレベルの組織づくりにより一層

、 力 を 入 れ る ようになっ て い た と さ れ る

24

。 ま た こ の年九月に行

われ たカントリーサイド行進の場

で も

、 UKIPの積極的な働

き か けがなさ れ た ことは指摘さ

れて いる

25

。 党 と し て 直接つながり

を もたない

、 そのように一回限りの企画がローカルレベルへの アピールにおい

て 具 体的な成果

を もたらした

わ け で はな い

。 とはいえ

、 そのアピールが

、 農村部における高齢者

と いう

、 保 守的な

、 しかし地方政治

で は独自の支持傾向

を 示 す 有権者に響いた

ことは疑いない

 

UKIPは二〇〇四年の欧州議会選挙

で の余勢 を 駆 っ て

、翌二〇〇五年の総選挙

( 二〇〇一年の四二八に続

) 全国六四六議席の四分の三にあたる四九六選挙区に候補

を 立 てて いる

。 その結果は全国

で 六〇万票

を 獲 得

、 得票率 は 二・ 二

% と

、 前 回 よ り も 支 持 を 拡 大 し

、 ス コ ッ ト ラ ン ド 国 民 党 や グ リ ー ン を 上 回 っ て

、 全 政 党 の な か で 主 要 三 政 党に次い

で 四位につけた

。 こ れは確かに小政党のなか

で は 最高の成果

で あったが

、 UKIP自身の期待には届かな いもの で もあった

。 議席の獲得はならず

、 また欧州議会選直後

、 ガ ーディアン紙

と I CMの世論調査はUKIPの 総選挙 で の得票 を 四

% と 程度 と 予想し て いたの で あ る

 

こ の 選挙 で も UKIPに

と っ て 最 良の結果はサ

ウ ス ウ ェ スト 地域

、 続 い て イーストミッドランド地域

で あ り

、 特 に沿岸部

、 お よび高齢有権者の比較的多い選挙区

で の得票が見られ

26

。 UKIPは

こ の選挙 で

、 党 首のロジャー・

ナ ップマン

Roger Knapman

) を その出身地

クレディトンに近い

、 デボン南

部のトットニス選挙区に立

てて いる

。 こ

(16)

自由主義右派の政党組織化(若松邦弘) こ は

、 豊 かなミドル

ク ラ ス

、 農 家

、 漁師

、 年金生活者

と いった多様な人

々を 含 む 選挙区 で あり

、 第 二次大戦後ほぼ 一貫し て 保守党の地盤

となっ て いる

27

。 ナ ップマン自身は

、 他の選挙区

で は あるが

、 保守党の下院議員も歴任し

て お り

、 全くの無名候補

で は なかった

。 その選挙戦

で は

、 漁 業 や 漁獲量割り当

て に国の権限

を 求 めるUKIPのキャン ペーンに漁業関係者からの支持も生じた

と さ れ る

28

。 しかし結果は

、 保守党 どころか主要三政党の牙城

を 全 く崩せず 四位に終

わ っ て い る

 

ローカルなイシューは政権選択

を 前 に抹消さ

れが ち と の総選挙の特殊性

を 割 り引い て も

、 全 国の得票率

で は 下回 る政党

( ス コットランド

、 ウ ェールズ

、 北アイル

ランドの地域政党など

) が 議席 を 獲 得 す るなか

、 UKIPは選挙 区レベル

で 勝 負 で きて いない こ とが明らか

で あった

。 こ れは

、 支持者が局所的に存在

す る 地域政党のみならず

、 グ リーンと

比較し て も UKIPに特徴的な要素

で あ る

 

こ の 時期のUKIPの選挙区における弱さは

、 総選挙以外の選

、 い わ ゆる第二

オーダーの選挙同士

を 比較 す る と さ らに明瞭に確認

でき る

。 先に挙げた二〇〇四年の同日選

を 対 象 と したローリングスらの推計は

、 地方議会選

で のUKIPの成績も欧州議会選

で の 成績に遠く及ん

で い ない ことを 確 認 す る

。 こ の年の地方選挙

、 労 働党

、 保 守 党

、 自民党の主要三党

と UKIP

とが自治体内の全選挙区に揃った例は二つある

。 い ずれもロンドンから近いメド ストンと

ミルトンキーンズ

で あ るが

、 そのいずれで

も UKIPの得票率

( そ れぞれ 一

〇・ 九%

と 一 三・ 七%

) は 欧州 議会選のそ

( そ れ ぞれ 一九

・五

% と 一八

・一

) を 大 き く下回っ

て い る

29

 

グ リ ーンの場合は

こ れと 逆 で ある

。 同 じく選挙区

す べ て で グ リーンと

主要三党の候補が戦った自治体は五つあり

( バ ーミンガム

、 ケンブ リ ッジ

、 オ ッ ク スフォード

、 シェフィールド

、 ウ ェイブニー

)、 こ のう ち

、 グ リ ーンの得票 率が欧州議会選のそ

れを 下回ったのは

、 オ ッ ク ス フォードだけで

あ る

30

。 他 は地方議会選の得票率の方が高い

( そ の

六四

(17)

国際関係論叢第二巻第二号(二〇一三年)六五

差は三

・七~五

・五ポイント

)。

 

そ の 後 の 地 方 議 会 選 を 見 て も

( 表 3

)、 例 え ば イ ン グ ラ ン ド で の 擁立候補数が一千台に乗った二〇〇七年の選挙

( 総改選議 席数一万五百

) で は

、 UKIPの当選者は五人

で ある

。 こ れ に 対し一四〇〇人の候補

を 擁 立したグ

リーンは六二人

( う ち 一 二 が ブ ラ イ ト ン

)、 七 五

〇 人 を 立 て た B N P は 一

〇 人

( う ち サ ン ドウ ェル四

、 ス トークオントレント三

) を 当選させ

て いる

31

 

こ の 差 に つ い て は 選 挙 区 に お け る 組 織 の 差 が 大 き い で あ ろ う

。 小政党に

と っ て

、 選挙区選挙

で の議席獲得にあたっ

て は 全 国向けのキャンペーンより

、 局 所的なローカルのネットワーク が重要なのは言うま

で もない

。 すで に一定数の地方議員

を 擁 す るグ リーンや

BNPはローカルな草の根の選挙活動

を 展開 でき る

。 やや 性格は異なるが

、 レスペ ク ト党による各種団体

を 動 員 す る集中的なローカルキャンペーンも有名

で ある

。 これらに対 し

、 二〇〇〇年代半ばの時点

で UKIPはローカルレベルへの 定着が見られない政党

で あった

。 地 方議員の数は他より極端に 少なく

、 地方政治の有意なア

ク ターとなっ

て いない

。 選挙区組 織の弱い

、 い わ ば

「 風頼み

」 の政党 で あった と い えよう

⾲㸱 ᆅ᪉㆟఍㑅ᣲ࡛ࡢ⋓ᚓ㆟ᖍ

㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌

㻌 㻌 2004ᖺ 2005ᖺ** 2006ᖺ 2007ᖺ 2008ᖺ 2009ᖺ**

ᒃఫ⪅༠఍* 37 8 35 67 43 9

(+14) (-3) (-13) (-19) (-11) (+2)

BNP 13 0 32 10 37 3

(+4) 0 (+27) (+1) (+10) (+3)

ࢢ࣮ࣜࣥ 24 8 29 62 47 18

(+9) (+6) (+20) (+17) (+5) (+8)

UKIP 2 0 1 5 8 7

㻌 㻌 (-1) (-1) 0 (-1) (+3) (+7) ᣓᘼෆࡣᙜヱ㑅ᣲ࡛ࡢ⣧ቑᩘ

* ྛᆅࡢࣞ࢖ࢺ࣌࢖࣮ࣖ⣔㆟ဨ࣭ㅖὴࡢ㐃ྜయ

** 2005ᖺ࡜2009ᖺࡣ୺࡟࢝࢘ࣥࢸ࢕㆟఍ࡢ㑅ᣲ

ฟ඾䠖BBCࠊUK Political Info (http://www.ukpolitical.info/)

(18)

自由主義右派の政党組織化(若松邦弘)

 

( 2

) 有権者に対

す るアプローチの変化

 

選 挙 区 組 織 が 弱 い と の 特 徴 に は

、 二

〇 年 代 半 ば 以 降 少 し ず つ 変 化 が 生 じ て い る

。 そ の 変 化 が 進 む と と も に

、 UKIP

を 支 持 す る社会層の特徴はローカルレベルの分析からも明瞭になっ

て く る

 

二〇〇四年の欧州議会選挙を

経 て

、 UKIPへの所属変更がローカルレベルの一部

で 保守党のみならず労働党

を 含 む 多様な政治勢力から生じ始め

て いる

。 こ の動 きと 並行し て

、 UKIPは地方議会

で 議席獲得

を戦略的に追求し 始め

、 反EUの言説のみならず

、「 リ バタリ ア ン

」 と のイデ オ ロ ギー的観点から他党

と の差別化

を 図るようになる

。 UKIPは従来

、 ヨーロッパ問題

を 焦 点 と し て 欧州議会選に重点

を 置 い て き た が

、 二〇〇〇年代後半には

、 各地域 のローカルな問題

を くみ上げ

、 地方組織

を 形 成 す る傾向 を 強 め て いくの で あ る

 

こ の変化のなか

、 UKIPの活動

で 注目さ れ る ようになったのは

、 従来のサ

ウ ス イースト地域

で は なく

、 ロ ンド ンから北東の方角に位置

す る イーストと

呼 ばれ る地域 で ある

。 こ こ も 伝統的な農村部

、 労 働党 や BNPの組織は 弱く

、 保守党 と 自民党の対決が基本構図

で あ る

 

二〇〇〇年代後半の地方選挙におけるUKIPの成績

で は

、 欧州議会選

と のダブル選挙となった二〇〇九年の選 挙が注目さ

れ る

。 こ の年の地方議会選は

、 欧州議会

と の同日選

で あ る こ とや

、 国政与党の労働党が不人気

で あった ことを 背景に

、 小政党の躍進

を 特徴づける選挙となった

32

 

まず欧州議会選

で は

、 メ ディアの注目は急進的な性格の強いBNPが二名

を 当選させた

こと に集まった

。 しかし U K I P の 成 果 は そ れ を は る か に し の い で い る

。 同 党 は 全 国 平 均 一 六・ 五

% の 投 票 率 で 一 三 人 を 当 選 さ せ

、 得 票 率 で は 労働党 を 上回っ て 保守党に次い

で 二 位

、 議席数 で も 保守党に次い

で 労 働党 と 並 ぶ二位 と なった

 

また地方議会選につい

て は

、 こ の年は四年に一度実施さ

れ る カ ウ ンティ議会の選挙が中心

で あった

。 カ ウ ン

ティ 六六

(19)

国際関係論叢第二巻第二号(二〇一三年)六七

はイング

ランドの中部から南部の非都市部

を 中心に広がり

、 その議会は全国的に保守党が強く

、 選挙 で の獲得議席 で は 保守党が他政党

を 圧 倒的に凌駕

す る傾向がある

。 先述の通り

、 自治体の一層化が政策的に誘導さ

れ る なか

、 都 市部のディストリクトがカ

ウ ン ティの機能

を 吸 収 す る一方

、 農村部 で は保守党の優勢

を 背景にカ

ウ ン ティが維持さ れてき た

。 そ のなか

、 こ の カ ウ ンティ議会選

で は

、 ブ ラウ ン労働党政権の不人気

を 背景に

、 も ともと 農 村部に弱い 労働党の票がさらに

どう動くかに注目が集まっ

て い た

 

全 国 で の 結 果 は 予 想 さ れ た と お り

、 全 二 七 の カ ウ ン テ ィ 議 会 の う ち

、 保 守 党 が 過 半 数 を 占 め る 議 会 が 改 選 前 の 一 九 か ら 二 六 へ と 拡 大 し

、 唯 一

、 北 部 の カ ン ブ リ ア の み が そ れ 以 外 の 勢 力 分 布

( 過 半 数 政 党 な し

) と し て 残 っ た

。 と は い え 獲 得 議 席 数 で 見 る と

、 全 国 二 千 強 の 改 選 議 席

( 同 日 実 施 の 若 干 の ユ ニ タ リ ー オ ー ソ リ テ ィ 議 会 選 も 含 む

) につい て

、 労働党は改選前より二九一議席

を 減 らす 一方

、 保守党の増加も二四四に

とど まっ て い る

( 自民党は二の 純減

)。

 

先にも触

れ た ように

、 メディア

で は

、 BNPがイング

ランドのカ

ウ ンティ議会

で 初の議席

を 獲得した

こと に関心 が集まった

。 北部の ランカシャー

、 ロ ンドンに近いハート

フォードシャー

、 中部のレスタシャー

で そ れぞれ 一 つず つの計三議席

で あ る

。 グ リ ーンも東部のノフォークで

、 拠点都市ノリ

ッジのいずれも中心部に近い選挙区から七人 が当選

( 純増五

) す る など 議席 を 増 や し

、 ま た ウ ェストカントリー

で 初 め て の地方議員

を トットニス内陸部の選挙 区

( トットニス・ルーラ

ル選挙区

) で 獲得した

33

 

これらの小政党

と 並 ん で

、UKIPもカ

ウ ン ティ議会

で 初の議席

を 獲得し て い る

。中西部のスタッフォードシャー におい て 四議席

、 東部のサフォークとノフォーク

、 中部のノッティンガムシャーにおい

て 各 一議席の計七議席

で あ る

。 また同日に実施さ

れ たニューカッスル・アンダー・

ラ イムのディストリクト議会補選

で も 一議席 を 獲得し て い

(20)

自由主義右派の政党組織化(若松邦弘)   る。

こ の 選挙 で UKIPに関連し

て 注目さ れ る 点は二つある

。そ れぞれ 本 節 と 次節 で 分 析 す るが

、ま ずその一つめは

、 UKIPが従来から支持

を 得 て き た イング ラ ンドの南部

、 そ し て 東部に関

す る もの で あ る

。 北海に面

す る イング ラ ン ド 東 部 の サ フ ォ ー ク と ノ フ ォ ー ク は 二

〇 四 年 の 欧 州 議 会 選 で も U K I P が 高 い 得 票 率 を 記 録 し た 地 方 で あ り

、 そ こ から 内陸へ と つながるノッティンガムシャーも比較的

大 き な支持が見られ

る ところ で ある

。 こ のため これらの 地方がUKIPによる選挙区議席獲得の口火

を 切ったのは

、 特段に驚く

ことで は ない

 

注目さ れ る のは

、 こ の日の選挙

、 UKIPに

と っ て 初 め て とも言える戦略的な選挙戦が展開さ

、 成功に至っ た事例が生じた

こ とで ある

。 こ れはカ ウ ンティ議会

で は なく

、 ケ ンブ リ ッジシャー北部の

ラ ム ジーと い うタ ウ ン 議 会 で の出来事

で ある

。 サ フォーク

、 ノ フォーク

に隣接 す るケンブ

リ ッジシャー

で は

、 こ の日の選挙

で UKIPのカ ウ ン ティ議会議員は誕生し

て い ない

34

。 しかし同日に各地

で 実施さ れ た タ ウ ン議会の選挙

で は

、 UKIPがラ

ムジー を 中 心 と す る集落群から構成さ

れ る ラ ム ジー議会におい

、 ローカルイシューを

強調 す る 選挙戦を

展開

、 全 一七議 席のう ち 過半数の九議席

を 獲得したの

で あ る

。 通常タ ウ ン議会の議員はBBC等メディアの地方選の集計

で も 地方 議員の数に含ま

れないが

、 タ ウ ン レベル と はいえ

、 全国 で 初 め て UKIPが過半数

を 占 める議会

、 そ し て 初め て の UKIPの自治体長

mayor

)が 誕生 す る

。 しかし選挙結果もさる

ことながら

、ラ ム ジー で の 選挙はUKIPがメディ ア で はなくローカルレベル

で 草の根のキャンペーンを戦略的に行い

、 初 め て 画期的な成果

を 残した点におい

て 注 目 され る

 

タ ウ ンと し て の ラ ムジーは

、 フ ェンランドと

呼ばれ る イング ラ ンド東部の広大な低地牧草地帯に点在

す る集落群 から構成さ

れ る人口五千ほ

ど の自治体

で あ る

。 周辺には

、 幹線の鉄道駅が所在

す る最も近い都市

と し て

、 元首相の

六八

参照

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