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保険事業と

ERM

:保険事業における

ERM

システムの構築と課題

⎜⎜ 平成23年度大会共通論題 ⎜⎜

総合司会 羽 原 敬 二

■アブストラクト

ERMは,一般に認められている定義はなく,統一されたとらえ方がある ものでもない。ERMは,保険会社がリスクと資本のバランスをとりながら 継続的に収益を上げていくための管理手法であり,ERMの導入は,企業価 値の安定的な向上が,結果的には保険契約者保護に繫がるという考え方に基 づいている。リスク定量化の技術が不十分であったことが経営破綻の原因と なった保険会社はなく,あくまでリスクの存在を経営者が認識していなかっ たか,リスクについて認識していても有効な対策をとらなかったか,または 経営判断を誤ったことが,破綻の主な原因であるとされる。したがって,リ スク量を正確に計測することよりも,ERMの実施によってリスクを可視化 することに価値がある。ERMの導入または定着を成功させるには,経営者 の理解と主導に基づき,ERMと事業戦略および日常業務が密接かつ直接に 結びついて効果的に実施されることが求められている。

■キーワード

ERM,金融工学,コーポレートガバナンス

*平成23年10月23日の日本保険学会大会(神戸学院大学)報告による。

/平成24年4月13日原稿受領。

ERM

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1.はじめに

保険事業を取巻くリスクは,近年,巨大化・国際化(地球規模化)・多様 化・高度化・複雑化・多発化・多重化・社会化・複合化・連結化・広域化し てきている。保険会社が自ら保有するリスクを適切に把握し,保険契約者お よび資本提供者に対する責任を的確に果たすためには,個別にリスクを管理 するのではなく,リスク全体を統合して管理することが必要になってきてい る。こうしたリスクマネジメントの手法は,ERM(Enterprise Risk Man- agement) と呼ばれている。リスクを軽減するためのリスクマネジメント に加えて,適正な収益確保のために一定水準のリスクをとれるように,リス ク量を上回る利用可能な資本を管理するキャピタルマネジメントを導入する ERMシステムの構築を促進することが重要な課題となっている。ソルベン シー規制においても,保険契約者の保護と保険会社の健全性を維持するため に,保険会社が保有するリスク量を経済価値ベースで評価し,これを上回る 利用可能な資本を保有することによって,ソルベンシーを確保する制度が導 入されている。

とりわけ,2008年9月15日のリーマンショックにより表面化した金融危機 を受け,世界的に金融機関に対して規制強化の動きが活発化しだした。経営 危機に陥った世界最大の保険会社AIG(American International Group) の場合には,本来の保険事業ではないCDS(Credit Default Swap) の取 引で過大なポジションのリスクを保有していたことが問題の発端となったこ とから,こうした金融システム全体を揺るがすようなシステミックリスクを 未然に防止するために,保険事業も銀行規制からの影響を受けることになり,

1) ERMと 同 様 の 意 味 を 表 す 用 語 と し て は,enterprise-wide risk manage- ment, global risk management, integrated risk  management, holistic risk managementなどがある。  

2) 企業が発行する社債などを保有するデリバティブ取引の一種で,リーマンブ ラザーズの破綻などで多くのCDSを引受けていた金融機関やヘッジファンド に損失が発生したことにより,サブプライムに絡むリスク波及の誘因となった。

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今後は保険事業者への規制強化に対応する必要性も生じている。なお,昨年 度(2010年)の早稲田大学で開催された日本保険学会創立70周年記念大会講 演で,東京海上ホールディングス株式会社取締役社長隅修三氏によりERM 態勢の強化と普及が指摘されたことは,共通論題のテーマを決定する契機と なった 。

以上のような事情を踏まえ,平成23年(2011年)度の日本保険学会大会の 共通論題を 保険事業とERM とし,現在の保険業界が直面している課題 において,ERMの整備を推し進めるにあたり,問題点を論議・検討するこ ととなった。

そこで,本稿では,まず報告者4名の論旨を簡潔にとりまとめ,共通論題 の検討の前提となるERMに関する基本的な概念と構造,システムの特徴な どを認識し,今後の展開における課題について述べ,はしがきの代わりとし た次第である。

2.報告者の論点と見解

大城裕二(岡山商科大学)報告では,ERM展開の経緯と保険事業者の立 場について,ERMは,企業経営環境を大きく動かす社会経済局面のなかで,

合理的意思決定を探る洗練された経営視点として捉えられ,保険事業経営に 展開されるべきERMは,リスク処理問題の重要な手段で,企業統治(cor- porate governance),社会的責任(CSR),および法令遵守(compliance) への取組みが確保されていることを基盤要件としている。

杉野文俊(専修大学)報告では,ERMの多様性について,ERMの構成 要素(コンポーネント)が,内部統制やコーポレートガバナンスなどからな る多様なものであることを明らかにし,それらコンポーネント間の有機的な 関係を表すものとして,三次元のERMモデルが提示されている。

長谷川俊明(長谷川俊明法律事務所)報告では,ERMとガバナンスにつ

3) 隅修三 新しい時代の損保経営 保険学雑誌 第613号,日本保険学会,平 成23年6月,1‑9ページ。

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いて,内部統制およびガバナンス体制を一体化させなければ,保険会社の ERMは実効性を期待できないとし,保険契約者保護の視点からも,保険会 社のERMに不可欠なガバナンスの向上策を明らかにしている。

植村信保(金融庁)報告では,保険会社のERMと監督当局の関係につい て,ERMの目的は,会社自らの健全性を確保しつつ,企業価値を持続的か つ安定的に向上させることとし,保険会社の自発的な行動を最大限に尊重し ながらも,より適切なERMの構築を促す金融庁による様々な取組みを検証 している。

3.ERM の概念と展開

ERMは,新しいリスクマネジメントの考え方であるが,全社的リスクマ ネジメントや統合リスクマネジメントなどと呼ばれ,非常に広い範囲を対象 とする管理手法である。一般に認められている定義はなく,統一されたとら え方があるものでもない 。

ERMに関して,IAIS(International Association of Insurance Super- visors:保険監督者国際機構)が策定している国際保険監督基準では, 保 険会社がリスクを認識,評価,測定,監視,コントロール,および軽減する プロセス と定義されている。金融庁の 保険会社等向け監督指針 には,

4) ERMの定義例

・COSO  Enterprise Risk Management-Integrated Framework

ERMは,事業体の取締役会,経営者,およびその他のスタッフによって 

実施され,事業体全体で戦略策定に適用される過程である。事業体に影響を 及ぼす潜在的な事象を特定して,事業体のリスク選好の範囲内でリスク処理 を行うように設計され,事業体の目的達成に関して合理的な保障を提供する ことが目的である。

・経済産業省

統合的な事業リスクマネジメントは,リスクを全社的視点で合理的かつ最 適な方法で管理して収益を最大化することにより,企業価値を高めることを 目指すものである。そのためには,リスク情報の集約や全社的な管理体制が 非常に重要になり,これにより,全体最適かつ機動力の高いリスク対応が可 能となり,さらに対外的な説明責任を果たす土台が整うことになる。

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2009年から 保険会社のリスク管理の高度化の推進 の項目が追加され,

各保険会社において,経営陣による主導性と強い関与の下で,会社や規模 やリスクの特性等に応じた適切な統合リスク管理態勢が整備されているかを 検証する と記載されている。2011年に改正された保険検査マニュアルでも,

保険会社が直面するリスクを統合的に管理するシステムを検証するための 統合的リスク管理態勢 の項目が追加された。

ERMは,保険会社がリスクと資本のバランスをとりながら継続的に収益 を上げていくための管理手法であるといえる。ERMの導入は,企業価値の 安定的な向上が,結果的には保険契約者保護に繫がるという考え方に基づく ものである。したがって,このような保険監督の取組みは,2013年に欧州の 30か国で実施されるソルベンシーⅡにも共通するものである。

ERMを実施・推進するためには,以下のような認識・理解の下にシステ ムを整備する必要がある。

①ERMは,保険会社の収益目標およびそれに向けたリスクマネジメント戦 略を定めた戦略目標を達成するために有効にシステムを機能させることが 重要である。

②複雑かつ高度なリスク評価方法が,必ずしもすべての保険会社に求められ ているわけではない。保険会社の実態を踏まえず単一の指標やモデルによ る判断に依存したり,資産および負債の経済価値に基づく評価またはリス クの計量化自体が目的となったり,実質的に特定の部門のみがリスクマネ ジメントにかかわるなどの形式的なシステムとならないようにすることが 不可欠である。

③保険会社の規模やリスクの実態に応じたERMが整備されることにより,

企業全体の戦略目標策定の基盤となることが求められる。

④従来のリスクマネジメントにおいて処理されていたものは,保険会社にと って利益を生み出さない事務ミスやシステムの不具合などのリスクが中心 であったが,保険引受や資産運用に関するリスクは,利益を生じる源泉と なるリスクであるため,このリスクをいかに効果的に負担するかというこ

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とが問題になる。したがって,各リスクの収益性を分析し,事業方針や戦 略を考慮に入れながら処理し,いかにリスクを保有するかという意思決定 をしなければならない。

⑤ERMでは,保険会社が抱えるすべてのリスクを対象として,全社横断的 に集約し,一元的な管理が行われる。すなわち,保険会社の経営者が,ど のようなリスクをとるのか,どれくらいの自己資本を確保するのか,各リ スクに対してどれくらいの収益を求めるのかなど,事業の基本的な方針を 決定する内部統制システムを構築することが必要となる。

以上のように,わが国保険業界の特徴であった,いわゆる護送船団方式に よる事業運営では,保険料の増加は企業全体の収益向上に直接寄与し,収入 保険料およびキャッシュフローを重視した業務評価が実施されていたが,今 後ERMにおいては,リスクベースの業績評価または収益管理に変更してい く必要がある。

これまでに,リスク定量化の技術が不十分であったことが経営破綻の原因 となった保険会社はなく,あくまでリスクの存在を経営者が認識していなか ったか,リスクについて認識していても有効な対策をとらなかったか,また は経営判断を誤ったことが,破綻の主な原因であるといわれている。したが って,リスク量を正確に計測することよりも,ERMの実施によってリスク を可視化することに価値がある。ERMの導入または定着を成功させるには,

経営者の理解と主導に基づき,ERM と事業戦略および日常業務が密接かつ 直接に結びついて効果的に実施されることが求められる。

COSO(Committee of Sponsoring Organizations of the Treadway Commission)のERM統合的枠組み では,企業戦略とリスクマネジメン 

5) 2004年9月に“Enterprise Risk Management-Integrated Framework”の 確定版が公表された。従来のCOSOの目的は,①業務の有効性と効率性,② 財務報告の信頼性,および③関連法規の遵守の3つの目的達成であった。②財 務報告の信頼性と③関連法規の遵守は,法律で規制する必要があるが,①業務 の有効性と効率性は,本来,経営にとって重要であるにもかかわらず,企業の 自主性に任せ,あまり重視されてこなかった。そこで,ERMは,企業目的の

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トが一体のものとして位置付けられたことに大きな意義がある。ERMにつ いては, すべての企業はステークホルダーの価値を高めるために存在する。

経営者はリスクマネジメントを通じて不確実性に効率的に対処し,企業価値 を高める能力を向上させることができる。どの程度のリスクを受入れるかを 決定することは経営者の任務である としている。すなわち,経営者は,単 にリスクを回避するのではなく,ステークホルダーの価値を高めることを目 標として,どの程度のリスクを受入れるかを決定する必要があるが,リスク マネジメントを適切に行えば,ステークホルダーの価値を減じるリスクをう まく処理できることを明示的に述べている。

ERMは,単にリスクを軽減したり,対象を特定のリスクに限定したりせ ず,リスクを総合的に管理して,あらゆる種類のリスクに適用可能なより統 合的な基盤を構築することの重要性を示している。したがって,内部環境,

目的の設定を踏まえつつ,事象の識別,リスク評価,リスク対応,統制活動,

情報と伝達,監視活動という包括的なリスクマネジメントのプロセスが提示 されている。

COSOは,ERMの実施によって,企業価値を高めることに役立つとして いる。具体的には,経営者は,企業の成長や目標とする利益の水準と関連す るリスクとの関係において最適な均衡をとり,企業の目標を達成するための 経営資源を効率的かつ効果的に活用する企業戦略や目的を設定するときに,

企業価値は最大化するとしている。ERMの利点としては,①企業戦略のリ スク選好・許容方針への適合,②リスク対応の意思決定への寄与,③予期せ ぬ事件・事故や損害の削減,④多数の業務横断的なリスクの認識・管理,⑤ 収益機会の確保,⑥資本配分方法の改善,などが挙げられている。

ERMシステム構築の基本となる考え方は,西口健二氏によれば,大きく 次の3つの特徴的な管理要件に集約される。

達成を妨げる要因を除去するために行うものであるという観点から,新たに戦 略が高いレベルの目的として追加された。

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⑴統合管理

個々のリスクを別々に捉えるのではなく,全体として把握し,適切な資源 を投入することが必要となる。ある特定のリスクには十分に対応しているが,

関連するリスクを全く関知していないという事態を避けねばならない。いわ ゆる脱サイロまたは脱蛸壷といわれるように,縦割りの組織処理の中で陥り やすい周囲や他部門,他領域,または他分野の変化に関する盲目的状況から 脱することが重要である。

⑵リスクの計量化管理

リスクを計量化し,定量的に捉えることにより,全体のリスクの規模・大 きさがわかり,相互のリスクの大きさを比較することが可能となる。ただし,

計量化の前提に関する条件を認識し,限界を把握しておくことが不可欠であ る。計量化は,複雑なリスクを可視化することであり,可視化は,一定の前 提の下で機能する手法である。すべての理論モデルは,高度化されても,常 に前提に伴う限界が存在することに留意する必要がある。

⑶経営戦略との整合性

経営戦略との整合性を確保することは,どの程度までリスクを受入れるか を明確にし,それに適合する管理を行うことである。すなわち,安全性と効 率性の均衡を認識した事業経営を実施することが目的である。

4.ERM システム構築の基本概念

4‑1.リスクの把握と再認識

リスクについて,金融工学 を用いたリスク処理手法は,必ず一定の仮定 や前提を設定した上での計算値であり,それらの仮定または前提が成り立つ 保証は全くないという当然の認識が欠けていることが多くみられる。不確実

6) 丸山真佐雄 リスク に関する重大な誤解と勘違い インシュアランス 第4295号,平成20年(2008年)9月18日㈭,9月号第3集〔損保〕,4‑7ページ。

7) 金融工学は,資本の有効的利用の立場から,金融の機能的効率性と資本の効 率性にかかわる思考・知識・技術体系を創造する学際的学問であり,デリバテ ィブ(金融派生商品)だけを対象とするものではない。(刈屋武昭)

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な事象は,実際には,それが確率事象であるということも保証されていない。

たとえ高度な数理計算をしても,当該の仮定や前提が崩れると,意味をもた なくなる。したがって,想定外の事象は想定しようがないことになる。リス クの把握には,自ずと限界があることを承知し,常にリスクへの対応を是正,

修正し,見直す必要がある。

リスクの処理において,本質的に難しい問題は,金融工学などの複雑な計 算式の展開自体ではなく,それらの適切な使用方法,つまり,仮定や前提の 設定方法または実効性の限界について的確に認識することであり,想定外の 事態が発生した場合の対処方法である。

4‑2.リスクの概念と誤解

⑴リスクの定義

リスクが大きいまたは小さいということも正しく理解されていないことが 多くある。リスクが大きいとは,すでに発生した損害の規模が大きいことで はない。ある人の立場で将来の損失発生の可能性が高いと同時に発生した場 合の損害額が大きいことが推測されることである。

⑵リスクの評価方法

リスクの評価は,当事者によって異なる。つまり,置かれた立場や環境が 違えば,同じ事象でも異なった評価がなされるべきである。仮に同一の保険 の引受けであっても,その保険を引受ける場合のリスク評価は,その引受け 保険会社の経営構造によって異なるべきである。したがって,保険会社の財 務に関しては,比較可能性は求めるべきではない。同じリスクであっても,

それにより受ける影響は,企業または人によって異なる。

⑶リスク評価の限界

リスクを量的に評価するには,自ずと限界があることを正しく認識すべき である。不確実性のある事象を確率事象として捉え,当該リスクを確率変数,

すなわち損害の発生確率と損害額の分布関数で表すことのみで把握するとす 8) 丸山真佐雄,前掲論文。

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れば,問題を生じることになる。将来の不確実な事象は,確率事象として取 扱うと便利ではあるが,あくまでも不確実なものであって,確率事象という 仮定に基づく推測による発生確率と損害額の分布関数を用いた議論の展開で あることに留意する必要がある。

リスクの量的な評価に関しては,本来,現在および将来に通じる絶対的な 考え方や手法が存在するわけではなく,時々の状況に応じて最適と考えられ る方法で処理することしかできないといえる。

4‑3.ブラックスワンの概念と認識

1697年にオーストラリア大陸でブラックスワン(Black Swan:黒い白 鳥)が発見されて以来,ブラックスワンは,ありえない事態が現実となるこ との隠喩として使われるようになった。特徴としては,①異常であること,

通常考えられる想定外の事象であること,②大きな衝撃・影響があること,

③事後的には予測が可能であったとされること,が指摘される。ナシム・タ レブ(Nassim  Taleb)は,影響が甚大で,予測困難であり,通常の予想範 囲を超える極めて稀な事象を表現するために,ブラックスワンという言葉を 用いている。この例えは,多くの人は白鳥が白いものと思っているため,黒 い白鳥の出現は,不測の出来事であり,ありえない事象が発生したと認識さ れることを意味している。

ブラックスワンは,これまで歴史上に頻繁に表れている。近年では,9・

11の米国同時多発テロリズムや米国のサブプライム問題,東日本大震災など が挙げられる。これらの事象は,予見可能であったといわれるかもしれない

9) ナシーム・ニコラス・タレブ著,望月衛訳 ブラック・スワン[上]・[下]

―不 確 実 性 と リ ス ク の 本 質 ダ イ ヤ モ ン ド 社,2009年(Nassim  Nicholas Taleb, The Black Swan, Random  House,  2007),国 際 ア ク チ ュ ア リ ー 会

保険業界における資本とソルベンシーにかかわるエンタープライズリスクマ ネジメント(ERM)に関する報告書 2009年3月31日,45ページ,Nassim Taleb, ʻLearning to Expect the Unexpected,ʼThe New  York  Times,  April8,2004.

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が,現実に事態が発生すると驚かされる。ただし,プラックスワンは一度現 れると,同様の出来事が繰り返し発生することを予防しようとするが,不測 の出来事の再発を防止することはほとんどできていない。

今日では,ブラックスワンの発生源は,非常に増大している。天候や自然 災害により発生する災害事象は,この1,000年の間変わっていないが,これ らの事象が与える社会・経済的な影響は大きく変化している。近年,地震や 風水災が経済に与える影響は,以前よりも深刻になっている。経済主体間の 結びつきが強くなり,現在は大きな衝撃を与えるようになった。

なお,極めて高い可能性で発生する事象が起こらないこともブラックスワ ンである。すなわち,ほとんどありえない事象が起こるのは,ほとんど確実 に発生するはずの事象が起らないのと同じことである。

したがって,不測の出来事は常に発生するが,適切なERMを通じて不測 の出来事を適切に管理し,影響を軽減するシステムを構築する必要がある。

ただし,ERMは,不測の出来事を防止し,あらゆるリスクによる影響を完 全に軽減するものではないが,全く予防するシステムがない場合よりもはる かに優れた結果を得られることは明らかである。

5.ERM システムの主要な構成要素と課題

5‑1.リスク計量化における VaR

経営者や利害関係者は,リスクに関して標準化されたリスク測定の単位ま たは共通の手法に基づき,事業のリスク特性を見出し,個別企業のリスクと リターンの結果を他社と比較することが可能となる。これまでVaR(Val- ue at Risk)は,一定の期間内に一定の確率で発生する最大の損失額とい う市場リスクの標準化された評価基準として広く受け入れられてきた。しか しながら,VaRには,次のような問題点もあることが指摘されている 。

10) 西口健二 金融リスク管理の現場 一般社団法人金融財政事情研究会,平成 23年11月,102‑104ページ。

11) ジェームズ・ラム著・林康史監訳 統合リスク管理入門 ダイヤモンド社,

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①VaRは,めったに起こらないが,起きれば破滅的になりうる事象につい て,テールリスク(極めて稀にしか発生しない突発的なリスク)をとらえ られない。

②VaRは,テールリスクをとらえることができないために,信用リスクと オペレーショナルリスクまたはオプション性の高いポジションの市場リス クに対する評価基準としては,適切な手法ではない。

③VaRは,どのようなリスク・ポジションに関してもリスクを測定できる が,リターンを測定できない。

リスク管理を定量的に行う場合に核となるVaRの概念は,株,債券,為 替レートなどの市場価格について,上昇または下落の方向性については予見 できないが,どの程度の変動のばらつきがあるかを推定し,その分散度合い を計測しようとするものである。VaRによる市場リスク管理は普及してい るが,前提となる金融工学の手法には限界がある。すなわち,VaRは,市 場が安定的に推移しているときには有効な指標であるが,次のように障害を 生じる場合もある。

⑴VaRショック

極めて低変動な時期が続くと,VaRが小さく計算されるため,より多く の市場取引が可能となる。しかしながら,売りが増えて市場が一旦変動を始 めると,VaRは大きくなり,限度を超過することから,市場参加者全員が 持高を減少させるために売却を行う同じ行動をとり,市場がさらに下げる悪 循環を作り出すことになる。

⑵LTCM(Long Term  Capital Management)の破綻

VaRの算出には各市場変動間の相関関係を織り込んでいるために,分散 効果が算入されて効率的な資産運用が可能となる。しかしながら,この分散 効果の推計は,基本的には過去のデータであり,市場が過去と違う動きをみ せるときには,予測力を失うことになる。この相関関係の安定性がよくない ことから,流動性が消失するときには,大きな変化が発生するため,これに

2008年9月,400‑401ページ。

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依拠したヘッジファンドは多大な損失を被ることとなる。

LTCMの破綻がこの典型的な事例である。LTCMは,流動性が高い債券 間のスプレッドのボラティリティが低い点に着目した債券の相対価値取引に 特化していた。しかし,1997年のアジア通貨危機,1998年のロシア通貨危機 の発生により,LTCMのコンバージェンス・アービトラージ型投資戦略は 破綻した。原因は,ノーベル経済賞受賞者2人を含むスタッフによって作ら れた独自のVaRモデルに基づき,過去に起きなかった価格変動は将来も起 きることはありえないと考えていたことにある。

多くの市場参加者が同じポジションを保有し,一斉にそれを処理したため に市場が崩落する構造は,サブプライムの場合と同様である。通常の市場環 境の下で成立する静態的なVaRモデルは,混乱した市場では有効に機能し ない。市場価格の変動は,客観的な確率計算で把握できず,常に不確実性を 伴うものであることを表している。

5‑2.リスク資本の概念

保険会社のリスクマネジメントは,所定の保有期間と信頼水準のもとで,

発生しうる損害を補うのに十分な剰余であるリスク資本(risk capital)

(economic capital:経済資本と同義),法定資本要件,財務資源を考慮し た基準に基づかなければならない。

リスク資本は,1年以内に極端に厳しい事象が発生した場合の潜在的な非 期待経済損失を処理するために必要な資本であり,企業が保有するリスクに 対処するために自ら備えておくべき資本をいう。経済的損失は,損益計算上 の損失,および貸借対照表上の資産価格の下落と負債価格の上昇による損益 計算に示されない損失の合計である。リスク資本の基本は,市場の変化によ る種々のリスクを数値化し,必要な資本量を計算することにある。

リスク資本は,資産の市場価値と負債の市場価値との差で表わされる。保

12) 岩瀬泰弘 企業価値とリスクキャピタル 千倉書房,2010年7月,13‑14ペ ージ。

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険事業の資産は,株式,債券,不動産,現金などの市場価値から成立ってお り,負債の市場価値は,保険会社が契約者に支払いを約束した金額の現在価 値と等しい。ただし,実際には,資産,負債,および資本の市場価値は,会 計上の価値と必ずしも一致しない。

保険事業のリスク資本算定は,どのくらいの資本を保持するべきかという 最適資本構成の問題である。最適資本構成は,資産の内容を精査することに より,資産のリスク負担を算定できるため,それに基づきリスク資本が求め られる。資産および負債は社会経済情勢や自然災害の発生などによって影響 を受けるが,その影響の範囲をどの程度まで対応すべきか,そのためのリス ク資本をどのように計算して準備するかが課題となる。

5‑3.オペレーショナルリスク計量化の課題

オペレーショナルリスクは,狭義には事務リスクとシステムリスクを指し,

広義には市場リスク,信用リスク,および流動性リスク以外のリスクとして 捉えられる。すなわち,オペレーショナルリスクは,金融機関にとって必ず しも最大のリスクではないが,一旦顕在化すると壊滅的な影響をもたらし,

組織の存続を危うくするリスクでもあり,計量化の難しいリスクである。こ のリスクの特徴と原因は,自然災害,テロリズムや犯罪行為などの外部事象 を除けば,技術不足やモラルの低さという人的要因によるものである。した がって,顕在化した損失事象を統計的に処理することにより,VaR的な指 標を得ることは可能であるが,個別事象の要因を分析して感応度的な指標を 得ることは困難である。

ERMの視点からは,他のリスクと比較可能なVaR的指標が望ましいが,

VaRは,あくまでもある一時点またはある期間におけるリスクの局面を示 したものであるため,どのようにすればリスク量を増減させることができる のかに関する情報をもたらさない。そのために,個別リスク管理の観点から

13) 三菱信託銀行オペレーショナル・リスク研究会編 オペレーショナル・リス クのすべて 東洋経済社,2002年3月,39‑42ページ。

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はリスクコントロールに役立つ指標が必要となる。つまり,リスク量を変化 させる要因の特定とリスク量に対する変化率が必要となる。オペレーショナ ルリスクの計量化が困難である理由は,①計量化のモデルが確立されていな いこと,および②計量化のためのデータが入手困難であることによる。

5‑4.モンテカルロ法の留意点

リスクの計量化においては,モンテカルロ法を用いることが多いが,モン テカルロ法の算定結果をそのまま正式計数として用いる場合には,実運用に 入ってからの混乱を避けるために実務上次の点に注意する必要がある。

モンテカルロ法は,乱数を擬似的に発生させ種々の事例を作り出してシミ ュレーションするものであり,算定された結果はその発生させた乱数に依存 する。特に信頼水準を99.9%と高くとった場合には,算定結果が変動するよ うになる。したがって,シミュレーション回数を増やすことにより,安定的 な算定結果が得られることを検証する必要がある。さらに,算定結果の変動 が1%未満で許容範囲となり,安定的であることが確かめられた場合にも,

そのなかで変動する可能性がある。そこで,一意的に算定結果をえるべく,

乱数の擬似発生のためのパラメーターを固定することが方法として考えられ,

そのための恣意性を排除した規則をあらかじめ定めておくべきである。

6.おわりに

日本生命保険相互会社の元会長宇野郁夫氏が指摘されるように,リスクを 認識しているはずの世界最大の保険会社AIGも,リーマンショックにおい て企業の倒産を売買する金融商品で大規模な損失を生じ,米政府に救済され るような失敗を来した理由は,対象とする事業が破綻しないという前提のも とに,自己の保有可能な量をはるかに超過するリスクを負担したためである。

米国でもノースウエスターン・ミューチュアルやニューヨーク・ライフな ど,短期の利益追求に走らず,保険会社本来の経営を堅実に行ってきた企業

14) 西口健二,前掲書,34ページ。

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は,まったく金融危機の影響を受けていないという。金融工学の理論や格付 けのみに依存するのではなく,やはり基本的には,経営者の経験に基づいた リスクに対する的確な判断が必要となる。投資先の分散など,鉄則を守るこ とが基本で,リスクは数式だけでは計れない。金融事業の本質は,製造事業 などに資金を供給して生産性を向上させ,社会に富をもたらすことであり,

多額の収益を上げることではないということを再認識しなければならない。

2010年IIS(International Insurance Society Seminars)マドリー ド で の宇野郁夫氏の基調講演において述べられた下記の指摘は,金融事業におけ るリスクマネジメントに対する今後とも不可欠かつ普遍的な考え方であると いえる 。

金融危機は10年から20年に一度の頻度で確実に繰り返し起きており,市 場は本来自己安定的に動くまたは市場主義は効率的に機能すると言い切るこ とは困難である。金融工学は,リスクとリターンを計測する究極の手法であ るとみなされてきた。しかしながら,現実の社会で生じるリスクの全てを計 測し,管理することは不可能である。金融危機からは,リスクを分散すると 称された複雑な金融商品が,実際にはリスクを隠すだけであったということ が明らかにされた。すでに1998年にはLTCM破綻の苦い経験をしたにもか かわらず,金融工学の成果として複雑な取引や金融商品が創り出され続けた。

金融危機で破綻していった金融機関には共通する問題点がみられる。すな わち,短期的な業績と利益を最大化し,名経営者の評価を得ようとしたもの がほとんどであった。バブル経済の影響で,必要以上のリスクを経営者がと るようになっていた。それに対し,数少なく生き残った企業を支えた経営者 は,あくまで長期的視点を見失わず,愚直なまでに地道で堅実に基盤を固め,

持続可能性のある企業を目指して,危機を乗り越えた賢者であった。

保険事業は,金融業に比べて,対象とするリスクの大きさ,責任期間の大

15) ʻThe Aftermath of the Financial Crisis Living in a New  Era with Transformation of Values,ʼ東洋経済 2010年7月10日号,110‑111ページ, 

日本経済新聞朝刊,2010年6月8日。

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きさにおいて,比較にならない規模である。さらに,保険の本質は相互に支 えあう事業であり,すべての分野において短期的な取組みを禁じ,持続可能 な成長という基本に徹する必要がある。保険業界は,契約者に対する約束を 全うすることが最も重要な役割である。したがって,基礎料率の設定,アン ダーライティング,諸準備金,自己資本の積上げなどによる堅実な長期的視 点に立った経営が基本である。保険事業は社会の基本的なインフラストラク チャーとして大きな役割を担わなければならない。今後とも予想を超える大 災害の発生,新たな疾病の流行など,これまでにないリスクが生じうるが,

新しい課題への挑戦はとどまることはない。

現在のリスクマネジメントは,とりわけ計量的なリスクの処理においては,

金融工学に大きく依存し,当該の前提条件が満たされている限り,複雑な市 場メカニズムの中でリスクを高い精度で分析できる。しかしながら,一旦前 提条件が変化した状況下では,モデルの複雑な論理構成に依存しているため,

判断を誤る深刻な事態に陥る可能性がある。リスクマネジメントの限界を認 識し,未経験のリスクへ備えるために,枠組みやシステムの構築を再検討す ることは,自己革新的な取組みの第一歩である。リスクマネジメントは,常 に新たなリスクに対応していくシステムとして機能すべく,自己革新的でな ければならない。ERMは,単純にリスク処理に関する1つの解決策を示す ものではない。リスクをどのような範囲で評価しているかが明らかにされて いない場合,リスクマネジメントは本質的に機能しないものとなる。リスク をどれくらいの時間軸でとらえられるのか,どの程度古い過去の事象まで把 握できるのか,どれくらい発生頻度の少ないリスクまで対象とするのか,な どの条件によって,リスク対応の結果は大きな違いを生じることに留意しな ければならない。

リスクマネジメントは,発生しうるあらゆるリスクをなくすことではない。

リスクマネジメントの目的は,事業体が許容可能なリスクの範囲を決定し,

リスクとリターンの計測に基づき,リスク処理の意思決定をすることである。

(筆者は関西大学政策創造学部教授)

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参考 献(順不同)

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欧州の先進的な保険リスク管理システムに関する研究会報告書 金融庁金融研究 研修センター,2008年9月。

ピーター・クラーセン,イドザード・ファン・イーゲン著,三浦良造 住友信託銀 行統括部訳 考えるリスク管理 の実践―不確実性下における経済資本の活用 に向けて― 一般財団法人 金融財政事情研究会,平成23年7月。

樋渡淳二・足田浩 リスクマネジメントの術理 社団法人金融財政事情研究会,

平成17年7月。

ミシェル・クルーイ,ダン・ガライ,ロバート・マーク著,三浦良造訳 リスクマ ネジメントの本質 共立出版。

土方薫 リスクをヘッジできない本当の理由 日本経済新聞出版社,2009年3月。

刈屋武昭 金融工学とは何か 岩波書店,2000年5月。

田進二監訳・中央青山監査法人訳 全社的リスクマネジメント フレームワーク 編 東洋経済新報社,2006年3月。

津森信也・大石正明 経営のためのトータルリスク管理 中央経済社,平成17年 2月。

ベリングポイント戦略・業務改革チーム トータルリスクマネジメント 生産性出 版,2006年8月。

竹谷仁宏 トータル・リスクマネジメント ダイヤモンド社,2003年9月。

財団法人損害保険事業総合研究所研究部 ソルベンシーⅡ枠組指令に関する調 査・研究(解説編) 財団法人損害保険事業総合研究所2011年3月。

後藤和廣 第4章 保険と金融の融合 の動向と規制改革 ,田端康人・岡村国和 編著 人口減少時代の保険業 慶應義塾大学出版会,2011年5月。

監査法人トーマツ編 リスクマネジメントと内部統制 税務研究会出版局,平成 15年8月。

林良造,㈱損害保険ジャパン,㈱損害保険ジャパン・リスクマネジメント編 ケー スで学ぶERMの実践 中央経済社,2010年3月。

松岡順 損害保険会社社員のためのERM⎜保険引受リスクの収益管理を中心 に― 損保総研レポート 第96号,2011年7月。

西口健二 金融規制とリスク管理実務 金融財政事情 ,2011年9月26日,38‑42 ページ。

参照

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