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[資料] ある不登校児の治療過程

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[資料] ある不登校児の治療過程

その他のタイトル Therapeutic Process of a School Refusal Child

著者 高橋 雅春, 栗田 万記子, 中根 敬子

雑誌名 関西大学社会学部紀要

巻 26

号 3

ページ 137‑147

発行年 1995‑03‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00022532

(2)

関西大学『社会学部紀要』第26巻第3 1995,pp.  137147  資 料

ある不登校児の治療過程

高 橋 雅 春 ・ 栗 田 万 記 子 ・ 中 根 敬 子

Therapeutic Process of a School Refusal Child  Masaharu Takahashi• Makiko Kurita• Keiko Nakane 

Abstract 

ISSN 02876817 

This  report describes the psych̲oth"erapeutic  process of a 14 year old  (2nd‑year junior  high  school  student)  school  refusal  girl, who showed  various  psychotic  states  such as  hallucinationand attempted suicide. 

The psychological treatment was administerd over a period of 16 months  until  her graduation from junior  high  school. 

She had played the  role of  "a  good girl  who helps  her mother" as an  overcompensation in  order to  repress  her serious dependency upon her  mother, which  had begun when her father  left  the family.  However,  she  suddenly manifested herself  as  "a  bad girl  who  is  violent  towards  her  mother", and subsequently became  confused.  She was treated with  a series  of  individual  and group psychotherapy sessions,  in  addition to which  her  mother also  received  counselling.  This  report  shows how the psychother‑

apy allowed  this  girl  to finally  recover her ego‑function through a suc‑

cessful  integration of both her "good'~and "bad" aspec;ts. 

Key words : school refusal child, psychotic state, overcompensation,  dependency, egofun ction, individual psychotherapy, group psychotherapy, counseling, psychological  intervention 

抄 録

本論文は不登校状態とともに自殺企図や幻覚などさまざまな精神症状を示した,中学2年生女児に 対し,中学2年生の12月から高等学校入学までの約16カ月間にわたる心理療法の過程を述べたもので ある。過剰補償の機制によって依存欲求を抑制し「母親を助けるよい子」であったのに,中学2年時 に「母親に暴力をふるう悪い子」という面を表して混乱した女児が`この二つの面を統合して自我機 能を回復するまで,心理療法を行った経過を述べたものである。本児には個人心理療法とともに集団 心理療法を行い,また本児の母親に対するカウンセリングを行ったが,その中でも主として個人心理 療法での本児の状態の変化を中心にして述べた。

キーワード:不登校児,精神症状,過剰補償,依存欲求,自我機能,個人心理療法,集団心理療法,

カウンセリング,心理学的介入

(3)

関西大学『社会学部紀要」第26巻第3

I

は じ め に

これまでわれわれは不登校状態にある中学生を対象とした心理学的援助を行ってきている。改 めていうまでもなく,今日問題になっている不登校の原因,不登校児の治療目的と治療方法はさ まざまである。たとえば不登校の原因の直接の契機だけをみても,家庭内の不和,勉学への興味 喪失,いじめなどさまざまなものがみられる。また治療目的も再登校を目的とするのか,精神内 界の混乱を除去しバーソナリティの機能回復を意図するのかなどの問題がある。さらに不登校児 の援助はたんに心理臨床家からの働きかけのみによるのではなく,学校の教師や家族からの働き かけも必要である。われわれはこれらをじゅうぶん配慮しながら,通常,不登校児に対して,ま ず児童への直接的働きかけとして週に1回の個人心理療法から始め,セラビストとのラポールを 形成し,次の段階で個人心理療法に並行して週に1回の集団心理療法を行い,同時に親を含む家 族へのガイダンスやカウンセリング(時には心理療法)を行っている。

ここでは不登校児によくみられる親への過度の甘え,家庭内暴力以外に自殺企図,幻聴,幻視 などの精神症状を示した児童が,心理療法によって回復していく過程を述べたい。

I l  

対象児童の概要

クライエント:女児 治療開始時中学2年生の12 (13 主訴:不登校

家族構成:母,本児,弟 生育歴:

本児は第一子として生まれたが,両親の関係は母親の妊娠中から不安定なものであった。本児 の誕生した4年後に弟が生まれた。母方の祖母は20年前に精神分裂病を発症している。本児は幼 稚園入園後に一時登園渋りがあったが,その後適応し,やや落ち着きがないが明るい子という評 価を得ていた。本児が小学校2年生の時に父親が突然家を出てしまい,母親と本児で父親の行方 を探しまわった経験がある。原因は女性関係であり,父親は現在もその女性と生活している。そ の後本児が中学生になるまで,父親の所在は不明であった。その間,母親は生計を立てるために がむしゃらに働き,本児もきわめてよい姉として,積極的に弟の面倒をみたり母親の手伝いをし たりして母親を支えて頑張ってきた。

本児が中学1年生の時,父親の会社から偶然本児宅に連絡が入ったことで父親の所在が分か り,本児は中学2年の春に5年ぶりに父親と再会した。その時父親から, 「もうお前や家族と一 緒に住む気はない」と告げられショックを受けた。また中学2年になってから親友が外国に転居 したことや, 「鞄の中に落書をされたり無理に役員にさせられた」など級友からいじめられた事

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ある不登校児の治療過程(高橋•栗田・中根)

態も重なり, 5月中旬から登校を渋り始め欠席が続くようになった。学校を休み始めて本児は母 親にべったりと甘えだすようになり,夜は母親に手を握ってもらって寝たりし始めた。しかしま た同時にイライラした思いを母親や弟にぶつけ,暴力に発展するようになった。また「誰かが見 ている」「誰かが通った」等の幻覚を訴え始め,日中,一人きりになるのを恐れるようになった。

このため夏休みに病院の小児科に約2週間入院し, 2学期の始業式には出席したものの,それ以 降は全く登校できなくなった。そして朝は昼頃まで寝ており,起床後は母親から離れない状態で あった。本児への心理療法を開始した中学2年生の12月頃でも,興奮すると包丁を母親に突きつ けたり,自分の腕を切ったりしたり,扉を電話機で壊すなどのことがあり, 幻覚も続き, 「自分 の本当の母親は別にいる」などと訴える状態であった。

治療形態:本児に対する週11時間の個人心理療法と,週14時間の集団心理療法(ただ し不登校児の常として,他の問題行動や精神障害を示すクライエントと異なり,治療初期にはみ ずから定期的に治療に参加することはかなり困難であった)。 これとは別に勤務している母親の 時間がとれる時に母親へのカウンセリングも行った。

m

治 療 過 程

中学2年生の12月から中学卒業までの約16カ月にわたる治療過程を,その流れの特徴から次の 5期に分けた。

1 不安定期からラポール形成への段階(治療開始後4カ月)

(中学2年時の12月〜中学2年時の3

I期における本児の精神状態は著しく不安定であり,家庭内では母親に甘え,片時も母 親から離れず,わがままにふるまい,気に入らないと母親や弟に包丁を突きつけたり,自殺 すると腕を切ろうとしたり,幻聴や幻視を訴え,母親は途方にくれる状態であった。母親担 当のセラビストは母親を支持しながらガイダンスを行い,本児との治療場面ではセラビスト がラポールの形成を意図して,本児のペースにあわせて受容的に接し,本児にとって意味の ある存在となり,ょうやくラポールが形成され始めたのが第I期である。

既述のように本児には個人心理療法と集団心理療法の場を用意し,これに並行して母親には個 人面接を行った。多くの不登校児がセッションの初めは,個人心理療法の場面に参加し,集団心 理療法に参加するのをためらうのに反し,本児はこの第I期では,個人心理療法には11回中2 しか参加せず,集団心理療法には15回中13回出席した。これは特定の他者と親密になることへの 恐れ,特に年長者への警戒心があったようである。したがってわれわれとしては集団場面におけ る個人心理療法の形をとるように,集団場面においても 1対 1の関係をもってセラビストが密着 するようにしていた。本児の表情はどんよりと暗く,受け答えもワンテンポずれていた。本児か

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関西大学「社会学部紀要」第26巻第3

ら積極的に会話を始めることは少なかったが,セラビストの方から話しかけると物怖じせずに話 していた。ただし話題は狭く,ほとんどがアニメーションの話であった。集団の中での発言は状 況にそぐわないものが多く,他児の気遣いを気に止めなかったり,他児にさそわれても「幼稚っ ぽい」ときつい言葉で答えたり,男子児童の前で性的な話を臆せずにしたりして,周囲が一瞬静 まりかえるようなこともあった。他児は本児のこれらの言動に戸惑いを隠せない様子で,本児と どのように接したらよいのか分からないとセラビストに訴えていた。第I期の終わり頃になる と,ようやく本児は担当セラビストに親しみのある態度を取るようになってきた。しかし 2月末 に本児は,集団場面で「友人がみな自分にだけ冷たくあたるから行きたくない」といいだし,ま た幻覚と暴力行為が続き,落ち着いた時は「このままでは何をするか分からないから,入院した い」と話すこともあり,母親は本児を精神病院に入院させた。入院している病院では「よい子」

としてふるまい,個人心理療法には参加しなかったが,集団心理療法には病院から通ってきた。

第直期 ラポール確立の段階(治療開始後5カ月から7カ月)

(中学3年時の4月〜中学3年時の6

第Il期には第I期に形成されつつあったラポールが強化され,本児はセラビストヘの信頼 感をもち,集団心理療法とともに個人心理療法の場面にも出席するようになり,セラビスト

との会話で家庭での出来事を話して浄化を行ったり,自分のこれまでの行動について話す脱 感作をしたりしながら,次第に精神状態が安定してきた。しかし,完全に自己を統制できる ほど自我機能が回復してはいなかった。

中学3年生になった4月の初めに精神病院を退院した本児は,個人心理療法にも参加するよう になった。久しぶりの個人心理療法の最初の日は,本児の希望でファミコンを行った。後半は,

引いたトランプのカードの数字が低い方が自分の性的な体験を告白するというゲームを本児が提 案し,そのゲームをしたように,性的な話題への関心は依然として続いていた。しかし第I期と 異なり,本児の表情はやや明るくなり,応答も適切になり,個人心理療法での話題もかなり広く

なり,自分の不登校,友人, そして過去の自傷行為や家族への暴力行為についても話すように なった。暴力行為や自傷行為については自分では覚えていないといって,他人ごとのように話す のが特徴的であった。また漫画を描くことが好きで,何種類ものスクリーントーンを使った本格 的な作品を家で描いていた。特に格闘シーンを好んで描き,作品を持ってきてはセラビストに見 せた。セラビストはアートセラビーも考慮にいれて描画をさせて,本児の解説を聞き,それらの 作品について互いに話しあうようにもした。家庭ではやはり母親とともにいないと混乱し,夜は 母親が手を握っていないと眠れないし,母親と一緒に出かけては買物を強要する(月に10万円ほ

ど)行動は続き,母子分離ができない状態であった。

集団心理療法には従来どおり参加していたが, 4月の初めの治療場面ではセラビスト 5人に対 して児童は本児だけという状況のため,本児の依存欲求をかなり満たすことができた様子で,毎

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ある不登校児の治療過程(高橋•栗田・中根)

回セッションの終わる午後まで出席していた。この頃も本児はセラビスト達に性的な話をした り,性的体験を告白するゲームをしたりしていた。性的な話を照れもせずに平然とするという本 児の特異な行動は,本児の状態が落ち着く中学 3年の秋頃まで続いた。やがて集団心理療法に参 加する児童が増えるにつれて,本児は第I期と同じように集団活動に参加しているとはいえ,他 児との交流を楽しむことは全くなく,セラビストに密着している状態であった。

第 I1期の初めは,以前よりも少なくなったものの,母親への暴力行為は続いていた。 5月には 再び包丁を持って母親を殺すといって暴れ,翌日にまた「このままでは本当に母親を殺してしま う」と本児から希望して,約1カ月間,前回と同じ病院に入院した。入院中も週1回の外泊が許 可されていたため,集団心理療法にだけは全回出席していた。

入院して2週間ほどたつと, 治療場面で「家に帰りたい」としきりに訴えながら, 「まあいい ねんけどな」とさびしそうにつぶやいていた。セラビストが, 「暴れてしまうのが心配?」と尋 ねると「恐い,ものすごく恐い」と答えていた。 6月初めに退院したが,翌日に再び家で暴れ,

それを境に母親は「一家3人の生活のために本児のみにかかっておれない。弟が姉を殺してやり たいというなど,弟もかわいそうだ」と考えて本児への態度を変え,本児を車で迎えに来なくな った。したがって本児は自分でバスで帰らざるをえなくなり,迎えにこない母親への不満を口に することが多かった。しかしバス停で一緒にバスを待つセラビストに「ありがとう」といって気 遣いを見せることもあり,本児にとってセラピストはさらに重要な心理的位置を占めるようにな った。さらにこの頃から,集団心理療法の場面で他者にも関心を持ち始め,他児を観察して思う ことを個人心理療法の場面でセラピストに話すようにもなった。こうして中学212月から参加 した集団心理療法の21回目で,初めてスポーツ活動に参加し,他児とともに卓球をすることがで きたし,集団心理療法終了後に,他児と一緒にファミコンで遊べるようにもなった。

第直期 母親との分離と本児の葛藤(治療開始後8カ月から10カ月)

(中学3年時の7月〜中学3年時の9

第皿期は本児のターニングポイントになる重要な時期であった。母親は第II期の末頃から 本児への態度を変えたが,弟のことや家計を考える時,本児と一緒に生活できないと思い,

本児を施設に入れようとした。本児は母親から見捨てられるという不安を抱きながら,この 問題を契機に,セラビストの援助によって自己理解をすすめ,第II期に回復してきた自我機 能をさらに発展させた。

本児は7月初めに弟との喧嘩がもとで母親と口論になり, また母親に暴力をふるってしまっ た。母親はこのことを契機にして,家計と弟のことを考え,本児を全寮制の不登校児の施設へ入 所させることを希望し,手続きを進めだした。この時,本児は母親にかつて父親が本児に答えた ように「もう一緒には暮らせない」といわれ,見捨てられる不安から数日間,食事もほとんど摂 れなくなった。そして個人心理療法において,これまでのように他人ごととして話すのではな

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関西大学『社会学部紀要』第26巻第3

く,初めて「つらい」「悲しい」という感情を見せて自分の不安をセラビストに語った。第皿期 になってからは個人心理療法への出席も安定し,これまでのようにファミコンで遊ぶよりも,セ ラビストとの会話を中心にするようになった。なお母親は精神科からの薬が逆効果をもつのでは ないかと,本児に服用させなくなった。この頃からこれまでの活気がなくどんよりしていた表情 が次第に明瞭な表情となり,行動もやや活発になってきた。

母親は施設への入所手続きを進める一方で,本児の過大な要求への対応に限界を定め,一貫性 のある態度を取るようになった。また本児の暴力や暴言を前にしても,以前のように泣いたりは せず毅然とした態度をとるようになり,本児もそのような母親を見ると安心するとセラビストに 告げていた。さらに父親がいてくれたら,自分はこんな状態にはならなかったと思うとも語った。

その後2カ月間本児の暴力行為はみられなかったが,施設に入所させたいとの母親の意志は変わ らなかった。本児は施設へ行きたくないということを母親に伝えることができないまま,自分の 暴力行為に対する自責の念や母親の期待に応えなければいけないという思いを先行させ,母親と 一緒に施設を見学に行ったり,施設への入学に同意したりしていた。また見捨てられる不安のた めに,本児は感情を抑制しビクビクして母親に対応していた様子で,一時的に離人感を訴えてい た。セラビストにもその施設へ行きたくないとはなかなかいえずに,「行かないと仕方がない」

という表現をしていた。

母親への強い依存欲求をもつ本児は,この欲求をわがままな過度の甘えという形に表現する (満たされない時に)母親を攻撃する罪責感から入院して依存欲求(甘え)を抑圧するか,

という極端な二元的行動を取っており,適切に依存欲求を表現できなかったといえる。われわれ は本児をこの状態で施設に入所させることは,暴力行為の背景にある自分の心の問題を未解決の ままにして,本児の罪責感を高めるだけであり,これまでの入院時と同じパターンになると思わ れた。そこで個人心理療法においてこれまでの暴力をふるった場面を回想させ,なぜ暴力をふる ったのかを考えさせた。暴力をふるった原因を本児に考えさせようとすると,初めは「自分が悪 いから」の一点張りであった。セラピストは母親への暴力に対する本児の罪責感に共感しなが ら,暴力をふるってしまう原因をよく考えるように励ました。すると自分が母親に要求した時,

母親が自分をばかにしたような態度で取りあってくれない場合,興奮して暴力をふるってしまう と本児は語った。本児が暴れないと,本児の要求がどれほど切実なものであるかを母親は分かっ てくれないと説明も加えた。セラピストは本児の母親に対する要求については答えず,怒りの感 情に共感しながら,再び施設への入所に対する本児の気持ちを尋ねた。そこでやっと本児は,母 親には絶対に話さないとセラビストに約束させてから, 「本当は行きたくない」ということがで きた。そこでセラビストはその気持ちを母親に伝えてはどうかと提案した。しかし暴力をふるっ て親不孝をしてきた自分が,母親の期待を裏切って母親のそばで暮らしたいというのは,あまり にも甘え過ぎた許されない行為だと本児は感じ, 「親の期待どおり施設に入所するのが親孝行だ と思う」とセラビストに語った。セラビストが「今無理をして親の期待に応えるよりも,これか

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ある不登校児の治療過程(高橋●栗田・中根)

らゆっくり親孝行をしていけばよいのでは?」と提案すると,施設へ行かないという選択が本児 の心の中で現実味を帯びてきた様子で「そんなふうにいわれると真剣に(施設へ行くかどうか)

迷ってしまう」と答えた。そこでセラビストは本児が母親の期待に応えようとしている気持ちを 伝えた上で,施設に行きたくないことを話してみてはどうかと提案した。しかし本児にはそれを 攻撃的な口調にならずに母親に話せるだろうかという不安があった。そこで本児とセラビストは その不安について何度も話しあった。施設入所について話しあいを始めてから7回の個人心理療 法を経て,本児は9月末に母親に「実は(施設へは)あんまり行きたくないねん」と暴力をふる

うことなく穏やかに自分の気持ちを告げることができた。

なお母親は面接で,第II期まではもの分かりのよい母親として,感情を抑えている印象であっ たが,この第皿期には率直に本児への感情を表現したり,家庭の状況を訴え,涙を流すこともみ

られた。

1V期 母親との関係の改善と再登校(治療開始後11カ月 13カ月)

(中学3年時の10月〜中学3年時の12

w

期は母親が「落ち着いてきたし,進歩もした。赤ん坊を卒業してやっと幼稚園児にな った」というように,混乱していた心の状態も回復し,中学校への再登校が始まった段階で ある。家庭での暴力行為もなくなり,本児は家庭で「今は悩みもストレスもなく,いちばん 幸せだ」というようになった時期でもある。

施設へ行きたくないという本児の気持ちを母親が受け入れたこともあり,本児の精神状態はか なり安定した。それまでは母親と一緒に寝ていたが,この頃には一人で2階の自分の部屋で寝る ことができるようになった。またこれまで母親が同伴しなければ通所できなかったが,一人で来 所することが可能となった。個人心理療法の20回目のセッションで,母親が本児との会話の中 で,本児が「これからお母さんに迷惑をかけたくないから一人で生活したい」といった時, にやるまで(本児を)離さない(一人暮らしをさせない)」と答えてくれたと, 本児が非常にう れしそうにセラビストに話すことがあった。母親が本児の依存欲求を受容したことが本児の心を 安定させ,それが本児の自立的な行動を促したと思われる。

また第

w

期では,昔の自分の家庭を回想しはじめ,母親が仕事で遅くなるため,本児がまだ当 時幼稚園児だった弟を迎えにいったことや,夜遅くまで一人で弟の世話をしていたことなどを話 すようになった。また父親は家を出ていく以前から帰宅時間が遅かったため,もともと存在感が 薄く,当時の本児にとっては父親はいつのまにかいなくなった感じだったと話した。とはいえ,

父親が弟より自分の方をよく可愛がってくれたことや,父親がおしゃれな男性だったことなどを 母親から聞いた話としてセラビストに語ることもあり,無意識の面では父親への愛着が強いと感

じられた。

w

期では集団心理療法の集団活動にも積極的に参加し,他の児童との交流を楽しみ,治療場

‑143‑

(9)

関西大学『社会学部紀要』第26巻第3

面以外での交流もみられるようになった。そして性的な話題もほとんどなくなり,ボーイフレン ドなどの話題となった。

こうして11月には, 1年半ぶりに登校し,ほぽ連続して2週間ほど登校した。この頃から本児 は高校進学について話すようになり,昨年度の集団心理療法で知りあって以来,交流のある児童 が通学している高校に進学することを希望するようになった。そして本児はこの意思をみずから 学校の担任教師に伝えた。

V 自己理解の深化と治療の終了(治療開始後14カ月 16カ月)

(中学3年時の1月〜中学3年時の3

本児が精神病院を入退院していた頃,過食のために64キロあった本児の体重は,第V期に は標準体重内の53キロになった。これは本児が愛情欲求の問題を解決し,精神的に安定した ことで,食物への過度の執着を解消したとも考えられる。第V期では,本児は自分の性格や 行動を過去の経験と結びつけて,さらに自己理解を深めていった。 3学期になって本児は再 び登校しなくなったが,母親も本児も学校に行くことが人生の目的ではないと認識し,いら だっことは全くなくなった。そして高校への進学を転機にして, 定期的な心理療法を終了

した。

受験シーズンになり,本児は勉強についていけないこともあり,学校へは再び登校しなくなっ た。しかしこの頃から,自分が登校しなくなった原因を,生い立ちに触れながら深く考え,セラ ビストに話すようになった。本児によると不登校の直接の原因は,一人のクラスメイトによるい じめと,いやがるその生徒を本児宅に連れてきて謝らせるという形ばかりの担任の解決の仕方に あった。しかしまた学校の勉強が分からなくなったことも自分の不登校の原因だろうと話したり もしていた。そして幼稚園時代にも登園渋りがあったことや,言葉が遅かったことなどを,これ までの自分の心理状態に関係づけながら話すようになった。われわれとしては,不登校の直接の 原因は父親が「もう一緒に住めない」といったこと,親友との別離,クラスメイトのいじめなど が複合しており,その基底に成長過程における家族関係や自立と依存の問題が未解決であったこ

となどが存在していると考え,本児がこれらを洞察して解決していくことを治療目的にしていた が,中学の卒業を契機にして,徹底操作がふじゅうぶんなまま定期的な心理療法を終了にした。

なおわれわれは不登校児の集団心理療法の一つの方法として,キャンプなどを実施している が,本児は1月になって初めて家庭を離れて12日のスキーに参加することができた。それは 本児にとって小学校の林間学習以来,初めての集団での 1泊旅行であったが,予想以上にリラッ クスして過ごせたことに満足し,「うれしい」と繰り返し語っていた。こうして対人関係にも自信 がもてるようになった本児は,集団心理療法の場面の一つの陶芸教室にも参加し,治療場面に週 3回出席するようになった。また中学への登校を止めたものの,高校にいくためにも勉強しなく てはならないと,集団心理療法の一つの場面の学習にも積極的に参加するようになった。

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ある不登校児の治療過程(高橋•栗田・中根)

さらに2月頃から治療の終了を意識するようになり,どこかの部屋に置いてほしいと,自作の セル画を持ってきたりした。そのセル画は女の子がにこやかに青空を見上げてVサインをしてい るもので,治療初期に描いたり持参してきた攻撃的な絵とは全く異なる絵であった。そして個人 心理療法の場面では, 「先生に会えて本当によかった。私も将来福祉の仕事をしたい」と話した り,治療を終えセラビスト達と離れるのが悲しいとしきりに訴えていた。中学校の卒業式への出 席については迷っていたが, 「この集団心理療法の仲間との卒業式が自分の卒業式だから, 学校 にはいかない」と最終的には欠席した。そして集団心理療法の仲間とわれわれセラビスト達での 終了の会合では,涙を見せながら,別離と独立の気持ちを体験していた。

終了後の状況

約16カ月にわたる心理学的援助によって,本児には著しい心の成長がみられたものの,われわ れが期待していた治療目的を完全に達成できたとは思えないこともあり,その後,経過銀察をか ねて毎月 1回の個人心理療法のセッションをもつことにした。

4月に志望校であった高校へ合格してからは学校にも順調に適応してゆき,治療終了後の最初 の面接では学校での友人が 5人に増えたことや,バスケット部に入部した話をし,学校生活に積 極的に参加し始めた様子であった。そして友人と過ごす時間が増え母親と一緒に週末を過ごすこ とも少なくなってきたが,もう以前ほど母親と一緒に過ごしたいとは思わなくなったと語った。

その後,伯母に頼んで父親には予告せずに2年ぶりに父親と会い,その後 3週間続けて父親と会 ったことを,喜びで興奮しながら話すこともあった。再会した父親は中学 2年生の時と違って,

優しく本児に接した様子で,その後も本児は父親と月に数回会っている。父親との交流が実現し てからは,本児の表情にさらに明るさが増し,話し方にも落ち着きがみられるようになった。父 親が同居している女性とも会ったり,夏には3人で一緒に旅行に行ったりもした。母親も当初は 父親に会いにいく本児を快く見送ってくれていたが,母親の転職とも重なり,母親がいらだち,

本児につらく当たったので,本児は友人の家に3週間ほど滞在した。しかし母親が何度も電話を して帰宅を促したので家に戻り,以後は母親と安定した関係を持っている。またその後,祖父が 末期の肺癌と分かったが,自分をとてもかわいがってくれた祖父の病気に対する本児のショック は大きく,自分の悲しい気持ちを涙を見せながらセラビストに話した。さらにまた祖母の精神状 態が悪化し,かつて本児が入院していた病院に入院した。本児が祖母を病院に見舞った際に,患 者だけでなく本児の主治医までもが,本児が見違えるほど元気になっていたため,入院していた 本児だと気づかなかったことをセラビストにうれしそうに話した。他方,学校での生活は全く問 題がなく,友人との折り合いもよく,行動が活発になっていったが,学習面には問題を残してい た。しかし母親は何年かかってもかまわないから,卒業するようにと本児を励ましているし,本 児も必要以上にあせりを覚えることはないようである。

(11)

関西大学『社会学部紀要」第26巻第3

v

考 察

本児が不登校,暴力などの問題行動を示したのは,父親の家出後の生活で母親を助けようと,

本児が年齢相応の依存欲求を抑圧して過剰適応をしてきたことに起因していると考えられる。し かし,かいがいしく弟の面倒をみたり母親の手伝いをしたりする本児の心の底に隠された,年齢 相応の依存欲求や父親に見捨てられたショックは,同じように傷心の自分を奮い立たせて生計を 立てていたであろう母親にはあまり省みられなかったようである。本児は父親の家出の原因は自 分にあると無意識のうちに考え, 「よい子」にしていれば父親が帰ってくるだろうと思い,小学 生ながら母親や近隣の人がほめるほど,無理をして一所懸命に頑張っていた。ところがやっと再 会した父親に, 「もう一緒に住む気はない」といわれた時, それまで無理をして支えてきた本児 の精神状態が大きくバランスを失ったと思われる。この時期に親友が海外へ行き別離を体験した こと,それにいじめという要因も加わり,自我機能が著しく低下し,さまざまな精神症状を伴う 不登校状態におちいったと考えられる。したがって本児の不登校の場合,再登校そのものより も,本児の発達段階で必要であった依存欲求を充足し,混乱した精神状態を回復することが第一 の目的と考えられた。

そこで心理療法の基盤となる本児とのラポールを形成するため,セラビストは本児の依存欲求 をじゅうぶんに受容し,集団にとけこめなかったりその場にそぐわない行動がみられても,非難 することなく本児の状態を考慮しながら,根気よく受容と支持を繰り返していった。

本児とのラポール形成後の治療目標は,本児がそれまでの母子の行動の悪循環,すなわち,際 限のない本児の要求(依存欲求の表現)→阻止された結果からの本児の暴力→母親の分離欲求と 本児の罪悪感→入院(依存欲求の抑圧)という行動の繰り返しから抜け出し,母親に対して適切 な自己表現を可能にすることであった。不登校が始まった頃の父親との再会後の本児の状態は,

もはや母親を助けるよい子としてふるまうエネルギーを失ってしまい,長年抑圧してきた依存欲 求がコントロールできないまでに膨張していた。そのため不登校初期に本児が母親に対して甘え を示し始めると,依存欲求をコントロールできなくなり,母親に対して際限なく過大な要求をし 始め,母親が応じないと暴力をふるった。この暴力は本児の自我機能が低下し,自分の依存欲求 を明確に認知し受容できないため,それを適切に表現できず,母親を脅したり暴力をふるうこと で母親の関心(注目)を得ようとしていたと考えられ,われわれは本児にこの心理機制を理解さ せることを意図した。全寮制の学校への入学の問題を契機に,本児は自分の感情と考え方,依 存欲求と母親への不満をよりよく理解し,母親への依存欲求と罪悪感に気づくようになった。セ ラビストは,これまで本児が暴力をふるって母親を困らせてきていても,母親の期待にそむいて 全寮制の学校へ行きたくないと思うことが悪いことではないと支持し,その気持ちを穏やかに伝 えるように励ました。これに成功してからの本児の変化は既述の通りである。母親の期待を裏切

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ある不登校児の治療過程(高橋•栗田・中根)

っても母親とは一緒に暮らして甘えていたいという等身大の自己を表現し,それを母親が受け入 れてくれた経験は, 本児が分裂したふたつの自己像, 「母親を助けるよい子」と「母親に暴力を ふるう悪い子」の両方を受け入れ統合するという大きな成長をもたらしたのである。

心理療法の開始時,本児は他者との親密な関係を避けるためか,他者との関係をもとうとしな いにもかかわらず,個人心理療法よりも集団心理療法の場面を好んでいた。しかしセラビストと のラボールが形成されるにつれて,個人心理療法への出席が定着していった。施設の入所問題に あたり,それまでの本児の暴力行為を含めて,セラビストが本児と話しあうことによって危機を 乗り越えることができたのは,本児とセラビストの間の信頼関係が形成されていたからである。

一般的にいって,長く家に引きこもり対人経験の技能が不足している不登校児にとって,集団心 理療法はセラビストの適切な援助のもとで他児と触れあうことのできる場面であり,ここで体験 される相互作用は社会性の回復や発達の速度を早めるようである。本児も治療開始後6カ月頃か らセラビストを媒介として,他児と一緒にスポーツをしたりファミコンで遊んだりできるように なった。そして施設入所の問題が解決した中学3年の10月頃からは,他児に自分から働きかける ことができるようになっていった。集団心理療法において徐々に培った自尊心と社会性の回復 12月の再登校に結びついたと思われる。

他方,不登校児の親との面接は,子供を取り巻く家庭状態や家庭での子供の状態を知るために 必要であり,時には親自身の不安定な精神状態の回復を援助したり,親の子供への対応や家族カ 動の変化を促す目的がある。特に不登校児の場合,子供の不登校が親にとって大きなストレスと なっている場合が多く,親自身への適切な心理学的援助に配慮することが大切である。本児の場 合も,母親面接からの情報は,セラピストにとって本児の状態の全体像の把握に欠くことのでき ないものであったし,母親の本児への対応に母親面接が大きく影響を与えたと思われる。さらに 本児が依存欲求に関連する問題を一応解決し,現在適応した生活を送っているのは,本児への個 人心理療法と集団心理療法,そして母親へのカウンセリングの3つの援助が効果的に作用したと いえる。しかしまた既述のように本児の父親との関係の修復が本児の状態を変化させる要因とな ったことも否定できない。

(付記:本事例については,対象児のプライバシーを配慮して,本質をそこなわない範囲内 で事実を省略・修正した)

参照

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