アルゼンチン産業貿易構造(資料)
著者 向阪 浩
権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization (IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名 アジア経済
巻 9
号 11
ページ 64‑75
発行年 1968‑11
出版者 アジア経済研究所
URL http://doi.org/10.20561/00052314
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開史的に−,Iレ七、ンヂンの産業構造の推停をみると,そ の結果は有'~3去のよりにとりまとめられるο19(X)〜:l4年
山II寺別は第117:医業はその比率を争~時;(氏 t-·させつつも終 i
i,{第2次産業よりもi白い比率を示し,他方第2次産業は 20fll:紀初頭から20%と高い比率を11,め1945〜−19作の期間 には;lOo/oをこえて,以来着実に国内総生産の中でそのウ
工 fトをJ‑(q加した。また第I次産業の:阪放性によるT@用 吸収力のなさなどの反映として第3;̲j;:産業は終始大き
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l可内総、生産の45〜50%を占めているc同内総生産の{1!1びを見ると1900年から1%5年ぷ〉間の平 l'1fJ'字は'.l.8%で,こ*1‑を31t月に:kI¥'.Jして考えると1900〜 2'Hf,J〕第11切には4.8%,1930〜49i:下の第2)切には4.2%, I リ川~日年の ,:j'~'.l ~切には R.1% と 1111 次成長不は低減して いるウ
この間第1次産業は第1邦14.0%,第
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化学仁業化の開始のi時期である。阪抗 的にL、えば,第1次産業がグfナミック部門としての機 能をトトUr次弱めるにつれて, 1;fi2次産業の{!IJびもf
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を,~i めている。これらのレベルからは若干低いが,ほか の時期も両大戦の特殊な時期を除くとほぼ加%を占めて おり、かたらずしも投資率は侭くないことがわかり,こ の土\−11,、ろL、乃の委関があって分析か要するが、)も かノJ11 iさ*1,ろと:ろであるJ
201止紀初]頭から現在までのアルゼンチン経済の変化の 慨観l
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以上のJ:'i'‑1管にとどめろ竺ととし、以下ここ数年聞 の了ιドンーFン粁済の動向よとかL、つまんで展望すイ〉m
γル ゼ ン チL経 済 の 現 況1. 概 況
1960年代のアルゼシチン経済は第6表のような推移を たど ,ごいるが, 二の時期は大まかにし・って四つの!日i場j に問分される。すなわち1960〜61年の箸しい成長, 19fi2
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投資を可能とした。れな みに1'州}年の投資水準は 1959年の6,l%瑚である。!'Iii:!、出の rit,i
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1.t,前 2力{fの過大な成長政策の失敗 かんi t a
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えでは税から補助金その他を差Li:11し、たドットのウヱイ 万トンの情)も助けて, fンフレは進行したものの景気 卜が漸吹惰力||すること,および総人のウ:r(、が急速に はi川恒[た。 LかL, 196!)年'I'葉に通貨引締めを行なう れそ下してL、ることかけIJされξi 資本財総人につL、て1. と,,,J{li吃半には段、低下のさ3しを元l'しはじめ,出可に2度の世界大戦による異常H寺の低
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同年一 月の 1%0〜fil行二に資本川恥,i人のウェイ\が増)JllLてし、るのは 事'if:',今if/)によりt t
ペノLの問符が期待されたが、この基調は インフレ進行と為替レートの実体からの遊離によゐ異常 かわらずに推移したの事態に上ろ{のであIJ,後にふれろこととjろコ 19fi7午}こは;ifl n nのパソの大幅切下げ,および三れ 1900再九、じ 59年主?の総需要♂Jtit移は~; s
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主 総 供 給 jJよ ぴ 総 需 要 (単位:億ベソ 1960年価格)I 1960 ,1 1961 f 1962 I 196:3 It 供 給 |
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(出所〕 Informe Econ6mico de Banco Central.
第7ii気 消費および閣内粗投資の動向
(単位:億ベソ 1960年価格)
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消費体)+関内粗投資(同i
B/(A+B)(%) I 9 6 0I 9 6 1 1 9 6 2 1 9 6 3 I 9 6 4 1 9 6 5 1 9 6 6 1 9 6 7
9,534 10,761 10,114 9,445 10,471 11,241 11,060 11,314 (fl\)芳) 第6表より算出。
20.9 23.0 22.0 17.8 19.2 19.4 18.8 18.4
10,751 11,693 12,583 12,500 12,732 9,737 10,516 11,419 11,381 11,602 1,555 1,665 1,767 1,729 1,830 141 143 149 157 173 2,841 3,271 3,687 3,639 3,625 331 333 338 359 390 155 170 194 209 224 574 633 698 697 710
83 87 86 86 37
1,534 1,603 1,758 1,726 1,743 396 402 416 433 442 653 654 676 680 680 670 692 713 732 751 1,014 1,177 1,164 1,119 1,136
一一一一一一一一 10,751 11,693 12,583 12,500 12,738
7,771 8,464 9,0日5 9,086 9,235 1,674 2,007 2,176 1,974 2,079 755 781 819 857 913 335 437 502 460 451 714 698 fi59 694 780
‑mo
91 ]96 ‑37 一71 1,306 1,222 1,342 1,440 1,424一一→一一一一一一一一一一一
た。事実これらの投資は1962年以降遊休化し,ただ単に 国際収支に悪い影響を与えることとなっただけでなく,
以後の年における投資意欲を減殺させるにいたったとさ れている。
日本のように特に工業部門において競争が激しく,ま た競争原理が生かされている国一一特にその投資態度に おいてーーからは類推しにくいことであるので,若干説 明を補足する必要があろう。
アノレゼンチン産業の特殊性のーっとして,老朽設備が 多しこれらが全体としてみれば過剰設備となりながら 廃支はされず,反面新規設備が遊休化していることがあ この間の推移について需要面からの考察,特に国内消 げられる。これは労働組合との関係で配置転換が行なわ 費および園内粗投資の動向をみると第7表のように要約 れ難いことや,外貨資金の不足から新鋭設備の設置が行 される。この表は第6表の総需要の部分を簡素化したわ なわれ難いことももちろん考慮することが必要である けであるが,これでみると全般的に1960年以降の停滞が が,何よりも指摘すべきことは,特に工業において政府 明瞭であるとともに,資料出所が異なるので直接比較す の過剰な保護政策のもとで,競争原理が働かなくなって ることには問題があるが,第5表の投資水準とくらべて, いることである。
いったんは1960〜62年の3年間に投資水準が上昇した 老朽設備で非能率な生産を行なっても保護政策によっ 杭全体として投資水準の低下がみられる。 1960〜63年 て若干の利益が得られれば,なんらそれを廃棄して強力 の投資についてはその多くはインフレ下において,ぺソ に合理化を進める誘因はないわけである。見学したある の過大評価を利用して機械原材料を輸入することにより 工場では全くの老朽設備が稼動している同じキャンパス 行なわれた投資で,資金価値の保全を意図して無計摘に 内に,為私見;i交備が若干の資金不足から稼動寸前の姿でス なされたものであり,適確な生産力・生産性の把握に某 トップしていた。また合理化フ。ランをたてるにあたって,
づく周到な計聞によって資本投下されたものでなかっ 生産の実態をよく知らないで机上プランをたて,そのプ 67
一 一 一 一 坦 一 室 ; 何 一 一 九 一
'iM',='cr.c.c,~守,._.,,..,一一一一一一…一一一一一第 8畿 j ly 際 収 支 の Hf: 移 (1li{立; lOOfiドル)
年 度 l'hdJ1962
I 申命 入 /Jg )J 1,281.6 リfi4.l ス 本JI 7ふ.8
営苦 木 移 動 893.8
H 柏 }.、 額 1,460.4 l ,356.:,
町 内 与 E.7 4.8 i
N ポンド切下げによる調整
V E終 :芹 脱 漏 2.2
‑lモU.7
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6.li ,VI Ill 際 収 支 JR, 32/i.7
VIιr‑rr‑m‑w‑v
(出所) In」かrmeR刊 mimicode BamοCent, al.
第9畿 主 獲 品 目 別 輸 出 入 額 f単位: 1倒万,,凡)
‑ ‑ ‑
年f f l :
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附|川川附
占
百 円
輪 ,, さn: I ,49:f Jう,9:l 牧 菅j 産 11'/, 665 590 56:1! 日9 農 昔て2 1¥i', fi26 fi95 82Ji 791 {'!J !7,1 12λ 109: J:lO 中
由 入 、' Fご仁 1, 12,1 食料品・飲料・タパっ 38 571 70 のl 議 書長 1'11'1
: I , ,
51 52 :17 化 ・.''' 1V1 77 115 135 132紙 、ノ レノ ブ 50 7白
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190 1G8 議 l{古 :1391 277 :1:,0 ゴド 鰐L 金 Iii! 109, 日:!
燃 料 57 自4 115 j();! そ ↑ii!
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所〕 F.conomicS11n1ey of J,ati11』11111'/'li'l/,ランで投資をしたとしか思えたし、fグハケな習さもはかけ じれたコこれらは実態を現実的に把採すろ行政能力の欠
!
日1と,工業国への道を芥,.I:するふFりi局長lj/(
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』tdc:授を とり,とれが産業の機能減退占どもた「》しとし、るこど身不と してヤる η そのほがに仁段資の九 J-~ド併をはげむ要 I ,.、!とし ては,高金利が象徴する社会全体のW
{,‑Jll!fL 1 ユ7レ グ)進行力士多少の投資の欠陥はカ.:ーして! Eう小、ヲイノ.,l‑−・メン'/ 1)デ1
ハ (
11¥J題があけ,,;hにう,ごのよりな実態をふまえてアノレゼンFンの投資水準を
¥るとf,数:'
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l二のみカ、:「の投資ア!く準が::o",に高いにもかかわらず,実質的にその投資によって生ず る効果は相当f引を低い1
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のと考えるべきCある。t
.t:実 質投資水準を考慮するにあたって,もうーつの大きい間 同点付,物価ft,:宗一一決・高産品雪中心坐する治郎t ‑ t i J ,
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J,.[際的にかてfi\械にすえ
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かれ口、る}'i(.iili,機械臥1‑t料 などの資本財の価格水準がきわめて芹1J高に,;安定されてい1 9 :(i l 1 9 ,; 4
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l 9 6 5I
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l 9 6 7 1,13(>.'l 1,( 刷 川 1,246.3 1,165.8 1,528.0 1 .,l65.ら [,,lJ0.5 1,488.0 1,59:1.2 1,485.0← 150白K ヰジ7.2 I ‑98.3 ‑213.2 ‑181.2 一日4.4 19.:~ : ‑143.4 ‑214.3 224.2 91‑¥0.7 1,077.4 l ,195.0 1,124. :3 l, 120.0 (I 2 2.3 12.4 .そ,.っ 3.0 1.6
‑‑6.5 一1.0 7.1 ‑4.0 iιιりi lri. f '.19.リ :n. 2
i
,]()7 .4るこ土一一ーである。
2. 貿易構造と貿易環境
(l) きそ・荷停品輸出への依存と輸入代替の限界,相手
l
司りIJ:コンス二戸:数午におけろ外貨収支については第8':i交のとおり で,トピスおよび資本干I]子の項目は構造的に{f相
1 2
億ドル将J設の赤字であり,資本移動はその時点ごとにートーと して政府の経済政策のけ外信用にか
T i
され,:生 !・r
土資問。〉終済環境に影轡されているの
セ/t
t R ( [ i
をなす商品の輸出入に/》いては, 19削年にぺ L、ていI I '
!支/Ji'.I (立
705(1万ドルの布、宇で灯、徐1961、62{fーと, J , , ・ ・ t
をJj、
L,19:i日;r以後黒字に転じ,特に1966年はf!li"Pの核物の大智frに上ど》輸出土持か,', 4億川7,1万Iご'"jヲの禁1
・;ぞを示しているの
綿1/1'1人貨物売l:要占/iii分 類Lごみると第9表のどおり で,! 9fi主ff℃にはいっても依然として輸出に占める喪・
所持品のヴエイトが圧倒的であることが知られろ。
ち!,1, iと19日 午iこi始/Ii全体の9:1%, 1%年iごいロ%を r
1,める僕・斎藤品のft:rt11先をみると次のとおりであるη
1965>!の小麦そ刊にとると, プラジルi犯万トン,イキ、
I
Jス50Ti7州)OI、ン, イタリア47万1(ゆ{)トン, ドイツ21万 三i州}トJなどの伝統的市場に加えて,特にそのif地1ノj、支 あ領内ijの軽
f r(
l 12ffJjトン)であった〜ことにともない,中共14(γlf40(~)トン, ソ連101万5000トンとなってU、るo
t
たftl勾については1966年の冷凍冷却+1+‑1をみるE,イ ギリス日29万F'1,レ EEC合計4861万ドル(イタリア2991 万jご1[,j,スベイン:350:'i万r 1
レ,ラフタ(IλFTA)各国合;)Iー10917]ドノレ(チリ833万 わ け で あ る 。
j支mi,輸入幣f茂をみると,機械・鉄鋼・化学品などの 資本財および燃科のウ工イトが高い。 1%6年は全体的に は停滞の干干であ円たことを考えあわせると,経済活動水
F
………一… 料 … … , , …竺
,,m準の上昇にともない,これらの主要輸入1¥111は必然的に総 入水準を上昇させるだけに問題がある。これらのうち斡 入を国内生産に転換して国際収支出lにゆとりを作るnf能 性のあるものは,」ミとして鉄鋼.石油である。鉄錦は現 在!玉延段階が生産の中心となつてL ることを)又11)1とし 鏑材竿.製品の輸入が多く(ビレツ卜,スラフ),またj{1J級
自動車:用鋼板・ブリキなどの輸入が多L、。後者につ」、て はソミサ(SOMLSA)の連続ブリキ設備などの完成をみ ているので転換ははやいが,古11j者につU、ては銑主将〜・,t体 制で400万トン生産に達するのは政府の,
t h
由l
で1974年 度 であり,またこのためには大量の機械総入が必要である ので輸入の転換は谷易でない。石油にっし、てはY.P.ド(国営石油公社)を中心とする石油開発のj隼}J/i,
t ' I
給牛iの 1,,j J二がi可能かどうかにかかっており,燃料動力J i
士吉1\(/)ゴチジの新開発表によると,今後自給水を高めてゆくた めには, 1968年の投資予定2億5000万ドルからー 191:2{1: の約 4億ドルまで順次投資水準を上げてゆく必要がある とのことで,平手劾な問題ではないことが推ぶされる。他 の111111刊のうちでは,食料輸入につL、ては,その内作がバ ナナ・コーヒーなど熱帯産食料のウエイトがi白jし こ れ
「jは従来当
l
過でも北辺諸州で生産されてレるが,制栴お よび国内プレートの割高があり,ラブタの関税づIH
!の 影響で輸入は璃加こそすれ減少の目途は全くなし、。これらの点で輸入の姿はきわめて窮屈な形をしてお り,経済活動水準の
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昇のためには,檎H l
のf明j笠,外資 の導入が必要であるといわざるをえない。輸入を国日jlに見るとアメリカ,ブラジノレ, ドイツ, イ タリア,イギリスの)I偵に多く, 1967i1二の総入金額をあげ るとEEC;れ12億7010万ドル,ラフタ各
l
司合計2億5:JGO 万ドソレ,アメリカ2億4290万ドル, EドTA合計1億25,lO )iドノレとなる。輸出入パランスではEEC緒同とイギリス,スペインに対し4億7(附O)jドルの出起を不L' Fメ リカからの
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患2400万ドルの入超である。7
千年金額はも ちろん異同があるが,この傾向は構造的なものであり,アメリカとのバランスは, アメリカ自体がノ
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、交およびJ イズの輸出国であり,"t
二肉はfプトーサの関係で力|口:|ムl のみしか輸入しないこと,工業製品につレては大きい技 術隔差があるとともに,強力なl愉出金融力なヤし資本投 下により輸出合強行していることによるものである。、' i 地の経済誌『コンペテンシア』に米州開発銀行(JDB)の 副総裁が述べているところでは,アメリカの1ドルの投 資に対してヨーロッパでは4tン卜,カ7ダでは18セン トの輸出増加があるが,ラテン・アメリカでは42セントの輸出増加をみるとしている(その他地域の平均は19セ ント)り
(:n 長近におけゐ輸出環境
1%7年はポンド切下げとドル防衛に象徴される国際的 通貨不安の年であったが,この影響からかアルゼンチン が構造的に輸出超過をたもJFて国際収支ノ〈ランスのより どこんとしてきたスペイン, ( IJリア,イギリスなどの 各
I
吋カ らアルゼンIンに対し,各国産品の輸入璃加によ る貿坊ベランス込」Eの申入れが強力に行なわれてきた。スベインを例にとると, 1967年10月に経済計画次官 M・ F・イルロスキを団長として:姉人のミッションが訪れ,
fザリアは1968年1月トロイ通商相以下のミッション,
末たごく最近では輸出入規模は小さいが当国の構造的出 超国で、あるユーゴスラピアが 7JJ米にマリン・セトニツ ク無任所相以下を派遣してきた。これらは表現は多少異 なるが、骨子とするところはし、ずれもアルゼンチンの輸 入矯進の要請であり,これが不能ならば, (表面には出 なし、が)場
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に上・oてはアルセ、ンチンからの輸入の削減もべ むをえないとする場合もあるほどである。
( i) I, ぺ f シ
、
'1地の経済誌[i'J::Jノミァク・リーベf・寸プ・ j'‑j‑ LアJリカ川にkpてスペfンとの主として1967年の貿 易p交渉の経緯を追ってみると概要つぎのごとくである。
ベベfンの主
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f貿めは19611cf.以来輸入合計2億;B21万 ドノL,輪山s20:mドルで差i}Jき赤字1億8118万ドルと大 11
1同な入超をつぺけ,しかも1966年度に大幅に貿易収支尻 が悪化したので,アルゼンチン側のしかるべきカウンタ ー・オファーがなくては食肉の輸入は不可能であると主 娠してきた。他‑Jiアルゼンチンとしてはスペインとの間 に7〜お万トンの食肉輸出協定を作ることは輸出市場確 保の,,:,(で是ell'とも必要であるが,スペインかじの輸入を
汚えると,スペfンの主要輸出品であるブドー澗などの ブドー製品は凶内むも過剰生産の現状で,当国自体が輸 1111 したい実状であり,反面工業製品についてはスペイン のl:業発展段階がアルゼンチンど大差なく,{也の工業先 進国に比し』て品質・価格ともに問題があり,輸入できるも のがきわめてとぼしい実状であった。けっきょく工業製 品のうち国鉄用貨車を輸入する方向で検討が行なわれた が,この場介にも(1)技術的にみてアルゼンチン国鉄使用 Jj難li‑がある。(同日本製貨車に比して,かなり割高であ る。村国鉄赤字の縮減が最大の政治問題である現状にお いては,タイミングが悪くないか,などの問題点があマ》
たι1967年2月中旬,スペイン・ミッションの訪アとと 69