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(1)

〈論文〉戦中・戦後期の社会学における中国研究と

「共同体」 : 清水盛光の福武直批判を中心に

著者

穐山 新

雑誌名

社会学ジャーナル

43

ページ

49- 68

発行年

2018- 03- 31

(2)

@戦

j

一一一清水盛光の福武直批判を中心に一一一

Abs t r ac t

Si nce dur i ng t he war t i me a nd pos t war per i ods i n 1940' s, J apanes e hi st ori -ogr aphy a nd J apanes e l egal hi st or y hav e l ong been di scussed whet her t he Chi nes e soci et y c an be gener al l y char act er i zed as “c ommuna l " soci et y or not . Dur i ng t he s a me per i ods, i n J apanes e soci ol ogy, Shi mi z u Mor i mi t s u a nd F uk ut ak e Tadas hi wer e t aki ng oppos i ng vi ews on t he gener al char act er of t he Chi nes e soci et y as “vi l l age c ommuni t y ", a nd t he f or mer cri t i ci zed t he l a t-ter' s hypot hesi s radi cal l y.

Thi s art i cl e ai ms to cl ari f y t he poi nt of t hi s cont r over sy a nd i ts pot ent i al si gni f i cance i n t hi s " c ommuni t y " debat e i n t he J apanes e soci ol ogy at t hat t i me. Dur i ng war t i me per i od

Shi mi z u ar gued t he r eas on wh y t he Chi nes e despot i c r egi me has per si st ed over al ong t er m ist he i nvol unt ar y obedi ence of “vi l l age c ommuni t y " as “s egment al soci et y". Lat er, dur i ng pos t war per i od, Shi mi z u al so cri t i ci zed Fukut ake' s hypot hesi s whi c h ha d concl uded t her e is no

vi l l age c ommuni t y " i n t r adi t i onal Chi nes e r ur al soci et y, a nd i ts r ur al co -oper at i ve act i vi t i es wer e onl y s omet hi ng bas ed on " t he cal cul at i ng rat i onal -i ty". F uk ut ak e al so ar gued s uc h “rat i onal i t y" wa s not i n cont r adi ct i on to t he

pr i nci pl e of reci proci t y" at all. Peopl e ai d ot her peopl e bec aus e of t he expec-t aexpec-t i on f or t he r et ur n. T hus, Shi mi z u ha d posi t i vel y i ncor por at ed Fukut ake' s hypot hesi s about t he “cal cul at i ng rat i onal i t y" i nt o hi s o wn ar思l ment s. Shi mi z u' s hypot hesi s on t he

pr i nci pl e of reci proci t y" ha d t he pot ent i al to ov er c ome t he cont r over sy on t he exi st ence or non- exi s t ence of “c ommuni t y " i n t r adi t i onal Chi nes e r ur al soci et y, whi c h, u p to t he pr es ent, so ma n y J apa-nes e i nt el l ect ual s hav e l ong been i nvol ved.

K e y wor ds : Communit y, Chi nes e St udi es, reci proci t y

社会学における中国「共同体

j

論 争

本稿は, 1940年代前後の日本の社会学における中国研究の中で展開された,特

(3)

に「共肉体

J

の概念をめぐる研究と論争における意義を検討するものである.

Del ant y ( 2003 =2006) は,

i

コミュニティj の 概 念 を め ぐ る 社 会 学 的 な 議 論

を,三つの潮流に整理している. 1つ に は , 近 代 的 ・ 都 市 的 な 「 社 会

J

に対立す

る伝統的・農村的なものとしてのコミュニティという古典的な議論である. 2つ

に は そ れ に 対 し て , 近 代 社 会 の 中 で 形 成 さ れ る 新 し い 地 域 的 な 連 帯 や 結 合 の 様 式

としてのコミュニティである. そして3 つには,文化的コードのシステムによっ

て 象 徴 的 に 構 築 さ れ た 秩 序 と し て の コ ミ ュ ニ テ ィ で あ る ( Del ant y 2003口 2006:

44- 66) .

日本の社会学および社会科学においては,第1 の コ ミ ュ ニ テ ィ は 「 共 同 体

J

して表記され,大塚久雄に代表されるように,資本主義の発展と民主化の進展と

ともに解体されるべきものとみなされていた( 大塚 1955) . そして第2 ,第 3 の

コミュニティは「共同性

J

や「コミュニティ

J

などと表記され,現在では地域に

お け る 社 会 福 祉 や 防 災 を 支 え る た め の , ソ ー シ ャ ル ・ キ ャ ピ タ ル の 担 い 手 と し て

言及されることが非常に増えている. このように,日本における「共同体

J

f

ミュニティj は , 英 語 で は 同 じ

i

c ommunit y

J

で も そ の 意 味 す る 内 容 に は 深 刻

な断絶がある1)

そして中国では,社会主義体制下で長らくコミュニティの概念そのものがほと

んど語られず, 1990年 代 以 降 に 固 有 企 業 の 職 場 組 織 で あ る 「 単 位 j 制度の縮小と

ともに,政府の主導で地域自治の基礎単位として「社区

J

( c ommuni t yの 中 国 語

訳 ) の 建 設 が 急 速 に 進 め ら れ て き た . 日 本 と 中 国 で は 文 脈 が 根 本 的 に 異 な る も の

の,これらの産史的な断結は,岡田において「コミュニティj や「社区

J

の概念

が , 依 然 と し て 学 術 用 語 や 行 政 用 語 と し て の 意 味 合 い を 払 拭 で き て い な い こ と と

おそらく無関係ではない.

以 上 の よ う な , 日 本 と 中 国 に お け る コ ミ ュ ニ テ ィ 問 題 の 歴 史 的 文 脈 を 理 解 す る

上 で 極 め て 興 味 深 い 事 実 は , 戦 中 ・ 戦 後 期 の1940年 代 前 後 に , 日 本 の 様 々 な 分 野

の社会科学の研究者たちが,

i

i

司 体 」 の 概 念 を 手 懸 か り に し て , 中 国 社 会 ( 主

に 華 北 農 村 社 会 ) の 構 造 的 特 性 を 定 義 し よ う と し て い た こ と で あ る2) 特によく

知 ら れ て い る の が , マ ル ク ス 主 義 法 学 者 で あ っ た 平 野 義 太 郎 と ド イ ツ 法 制 史 の 戒

能 通 孝 の 関 の 「 平 野 一 戒 能 論 争j である3) 両 者 と も , 企 画 院 東 亜 研 究 所 と 高 満

州 鉄 道 調 査 部 が1940i : j 三から44年の関に華北農村で実施した,

i

中居農村慣行調査j

( 以下「慣行調査

J)

の メ ン バ ー ( 現 地 調 査 班 で は な く 東 京 で の 分 析 班 ) で あ っ

た . 平 野 は , 村 落 の 自 治 組 織 で あ る 「 会j の存在などを根拠に,中国農村- に行政

村 と は 異 な る 「 自 然 生 活 的 協 同 体j が 存 在 す る と 論 じ た ( 平 野 1945) . それに対

して戒能は,中国の農村には村の境界が明確ではなく,また「会 j の指導層は近

世日本の農村ーのような「高持本否姓 j の規制を受けた村ー落の代表者ではないこと

を根拠にして,村意識そのものの欠如が中国の特徴であると論じた( 戒能 1943).

「慣行調査

J

の 現 地 調 査 班 で も あ っ た 旗 田 識 は , 同 じ 調 査 を 用 い な が ら 対 極 的 な

(4)

つまり,アジアの農村社会に共通して家族を中心とした互助の伝統に基づく「共

同体

J

が存在するという平野の「アジア主義

J

と,西欧における近代国家と法秩

序が,血縁・地縁の論理から自律した村民の自主的な協同組織という封建村落の

存在を土台として形成された考える戒能の「脱亜主義j の違いである( 旗田

1973:

40- 4) .

終戦産後,後述する福武直や上述の旗田などが,戦時中の中国農村調査に基づ

いて,村落の境界線や共有地の欠如などを根拠に

f

村 落 共 同 体j の存在を否定す

る 研 究 を 発 表 し 共 同 体 不 在 論 が 一 時 期 は 優 勢 と な っ た . し か し ,

1949

年の共産

党政権の成立という歴史的事件に直面したことにより,こうした消極的な中国像

では社会主義革命を生み出したダイナミズムを全く説明できないことが, B本政

府や満鉄の支援の下で実施された戦時中の中富調査の植民地主義的な性格ととも

に,厳しく批判されるようになった( 内山

2012:

185- 6)

. むしろ「慣行調査

J

メンバーでもあった仁井田陸や今堀誠二など,農村における地主・小作関係など

の「封建制 j 的な階級支配関係に焦点を当て,その支配関係を確立させる機制と

しての「共同体j の役割を強調する議論が展開された( 今堀

1953;

仁井田

1963) .

そこでは,平野のような従来の共同体論は

f

村落共同体が平等な共同社会ではな

く,地主・商人の農村支配の道具に過ぎない点を無視した考え方j として否定さ

れた( 今堀

1953:

2

7) 。こうした,階級支配の機制としての「共同体

J

という理 解は,戦後に影響力を持ったマルクス主義の枠組みに適合的で,共産党の主導す

るl宇宙革命の歴史的意味を説明するものとしても説得力を獲得し,終戦車後の共

同体不在論は次第に忘却されていくことになる4)

し か し 文 化 大 革 命 の 混 乱 を 経 て 中 田 革 命 プ ロ セ ス 全 体 へ の 反 省 的 な 視 点 が 生

まれはじめた

1980

年代以降は,仁井田のような「封建制」概念に基づく共同体論

は徹底的に批判され,中国社会で公権力を代表している唯一の存在として「国家

J

の問題が重視されるようになる( 中昌史研究会編

1990)

. その中で最も明快な議

論 を 展 開 し た 足 立

( 1

9

9

8

)

は,

I

非 共 同 体 的 社 会 構 造 と そ の 上 に 存 在 す る 主 権 の

集 中 し た 専 制 国 家 j という枠組みに基づき( 足立

1998: 48)

,中宮では社会的な

流動性が高く基層の「共同体j による合意や自治が不在だ、ったことが,専制的な

政治体制の長期的な持続を可能にすると同時に,近代国家形成のための社会統合

を困難にしたと説明した5) こ う し た 共 同 体 不 在 論 に 必 ず し も 与 し な い 研 究 者 の

間でも,

I

共同体

J

I

共同団体

J

の諾で中国社会の特質を説明することは不適切で

あ る と い う 認 識 が 共 有 さ れ ( 岸 本

1999)

I

慣 行 調 査

J

の 追 跡 調 査 や 福 武 , 旗 国

の共同体不在論の再評価・再検討も盛んに進められてきているω.

以上のように,法制史や歴史学では中国が

f

共同体j に基づく社会であるか否

かをめぐる研究と論争の分厚い蓄積がある. 社会学においても,日中戦争期に満

鉄調査部に勤務していた清水盛光と,興亜脱( 大東亜省) の委嘱で、林恵海が率い

る華中農村調査に参加していた経歴を持つ福武藍が,それぞれ中留農村における

「村-落共同体j の存否をめぐって対極的な議論を展開していた. しかし残念なが

(5)

ら, 1950年代以降に清水も福武も中間研究から離れてしまったこともあり,社会

学における中国社会の「共同体j 的性格をめぐる研究と論争は蓄積されることな

く,完全に途絶えたままになっている.

本稿では,中居社会の「共肉体 j 的性格をめぐる以上の研究・論争において,

相対的には傍流であった,社会学者および社会学的な研究手法の果たした役割と

意義が何であったのかを再検討していく. 特にここでは,現在でも積極的に取り

上げられることの多い福武よりも,棺対的に言及される機会の少ない清水の議論

を中心に検討する. 福武よりも清水を中心的に取り上げるのは,研究の蓄積が乏

しいという以外に,彼が福武の議論を全面的に取り上げて批判を加えたり,ある

いは旗国規からの厳しい批判を受けたりなど,当時の中国研究においては福武よ

りも論争的な存在であったことである. 特に本稿では,社会学における中国「共

i

可体j 論争ーとして清水の福武批判を中心的に検討する.

清水の中国研究に触れている先行研究として,南 ( 1995) は清水の『中国郷村

社 会 論 j ( 1951年) と福武の

f

中国農村社会の構造 j ( 1946年) を詳細に比較検討

し,前者のジェネラリスト志向と後者の地域研究志向という研究上の志向性の違

いを描き出している. また足立( 1 998) や李密慶 ( 2005) は,上述の中国社会の

「共同体j 的性格をめぐる論争史における「共同体j 論者として,清水のi宇宙研

究を扱っている. さらに岸本 ( 2006) は,中国の宗族を利害関係に基づいて形成

される自発的結社としてとらえる社会学者の牧野巽( 福武と向じく戸田貞三の弟

子) との対比で,清水を古来の氏族制や大家族の存在を解き明かそうとした人物

として評価している. 高橋 ( 2012) は清水を平野と並べて,

r

行政村j の背後に

ある「自然村

J

の歴史的な持続性を立証しようとした研究者として位量づけてい

しかし以上の先行研究の中で,清水の福武批判を検討しているものは少ない.

南 ( 1995: 26) は福武の「打算的合理性

J

( 本稿第 4 節参照) の概念をめぐる批判

に,高檎 ( 2012: 25) は 歴 史 研 究 の 立 場 か ら の 批 判 に つ い て 触 れ て い る が , 残 念

ながらごく簡単な言及にとどまっている. 本稿では,清水の福武批判におけるこ

れらの論点について,両者の議論を並列的に比較検討するのではなく,とくに清

水の社会学思想と中国研究の観点から深く掘り下げていく. そして結論として,

社会学における

f

共同体j 論争における独自の争点が何であったかを明らかにし

ていくとともに,清水の関心が必ずしも中国社会における「共同体j の存否それ

自体に重かれていたわけではないことを示していいきたい.

2

清水盛光の社会学と「共同体の理論」

清水盛光は 1904年に広島市に生まれぺ 1924年 に 陸 軍 士 宮 学 校 予 科 を 卒 業 し て

本科に進むも,翌 25年に病気のために「被免 j される. その後,明治大学政治経

(6)

井 口 孝 親 に 師 事 し て 社 会 学 の 研 究 の 道 に 進 む9) 1931年に卒業した後, 1935年ま で社会学研究室で副手および助手を務める.

清 水 は 当 初 は 家 族 研 究 を 専 門 と し て お り , 中 国 研 究 と は 全 く の 無 縁 で あ っ た

が, 1935年に

W

J

満州鉄道調査部に奉職して以降に中国研究者としてのキャリアを

積む. この満鉄調査部時代に『支那社会の研究 j ( 1939年) と

f

支那家族の構造 j

( 1942年) を刊行している.

r

支 那 社 会 の 研 究j の 序 文 に よ る と , 清 水 の 中 国 研 究は自発的な関心に基づくものではなく,完全に職務の一環としての受動的な動

機によるものであった.

i

支那に対ーする私の学問的興味は,今より四年前,生活

の居を大陸に移した偶然を機会に引き起こされたものである. 然るにその後,勤

先きにおける業務の一端として,支那,特に! 日支那社会組織の研究を命ぜられる

に及び,その組織に現れる支JJI)的特性を解明することの必要に気づいた

J

( 1青水

1939: 1) .

ここで、は清水の最初の著作で、あり,また主著として取り上げられことも多い

f

那社会の研究

J

の具体的な内容を検討する( 清水 1939) . 序文によると,この著

作は

i

l

日支那社会構造の支那的特質を明かにする j ことを目的とした( 清水 1939:

1) ,前近代の中国社会の構造的特性に関する包括的な研究である. なぜ現代では

なく前近代の

I

q

J

毘を対象としているのかについては,上述のように満鉄誠査部に

おける職務上の要請によるものと述べられている.

清水はこの本の冒頭部分で,この著作が「支那社会に対する社会学的考察の新

な試み

J

であることを明言している( 清水 1939: 1) . ここで言う「社会学的 j と

は,

i

社 会 組 織 を 観 察 し つ ¥ さ ら に 個 々 の 現 象

i

習の聯関の仕方を追索する

J

と,それを通じて「支那社会の基礎的構造に迫らんとする

J

ことと説明されてい

る( 清水 1939: 1- 2) . この開題関心に基づいて,この著作ではギルドにはじまり,

専制権力,村落自治,家族という 4 つの「社会組織

J

を取り上げて,それらの関

に共通する

f

基礎的構造j の探究が進められている. 研究対象としている資料と

しては, A. H. スミスや

c

.

D . ギャンブル,根岸信,橘撲などの英語圏や日本語

の中国研究,正史や会典,実録などl宇冨歴代王朝の史書: ・文書などが扱われてい

る.

ここでは紙数の問題もあり,

i

共 同 体

J

をめぐる論争で最も取り上げられてき

た部分である,第二編「支那に於ける専

f

l

i

l J 権力の基礎j を中心的に検討ーする. ま

ず清水は中国の政治が[ 絶対専制主義 jを根本的な特徴としていると述べた上で,

マックス・ヴェーパーにおける

f

官僚制 j と「カリスマ的支配

J

( 清水は「天威

的支配j と表記する) の議論を参照しつつ,官僚制とカリスマによる専制への服

従を可能にしている「被治者階級の社会構成j および「主観的基礎」を解明する

ことの必要性を論じている( 清水 1939: 87- 90) .

次に清水は「国家 j に つ い て の 学 説 を 検 討 し 選 択 意 思 に 基 礎 を 置 く 「 利 益 社

会的結合 j の産物と見るテンニースと,政治的機能を実現するための結社ととら

えるG. D. H. コールらの「多元的国家論j を取り上げて,いずれも国家が村落

(7)

のような,社会的な慣習,習俗,権威などを要素とした「人間生活の全相面を包

摂 す る 如 何 な る 共 向 体 と も 異 な る j こ と を 示 す も の と 述 べ て い る ( 清 水

1939

1

1

0

)

. この理解の上で,清水は中国における専制権力の特徴は,軍事と徴税とい

う狭くて単純な( しかし極めて強力な) 機能に依存していることにあり,それゆ

えに「扉怠的態度への沈論を余儀なくされ

J

1

民 衆 的 自 治 を 可 能 な ら し め る 泊 極

的条件となる j ことで,逆説的に「村落共肉体j やギルドの自治が発達するに至

ったのだと説明している( 清水

1939:

113- 4) .

さらに清水は,大規模濯獄事業が中国における専制権力を生み出したという,

ウイットフォーゲルの「アジア的生産様式

J

および

f

水の理論」をめぐる議論を

検討し,それに対して

f

共同体の散在性が専制権力の第一義的基礎 j であるとい

う「共同体の理論j を提示する( 清水

1939:

120- 9) .

清水は,中国における

1

1

業的共同体の分散的存在

J

は「デュルケムが環節社会とi呼んだ! 日時代の社会構造

そのもの j であると定式化した仁で、( 清水

1939: 129)

,これが専制権力の基礎に

なっていることを社会学の理論を用いて論証しようとした.

清水は『社会分業論j に加えてデュルケム学派であったセレスタン・ブーグレ

やジンメルなどを引用しつつ,近代ヨーロッパでは,都市の市民階級の勃興に加

えて,生産力の発展による人口の密度と流動性の増大によって社会の分化が進み,

環節社会が崩壊していくプロセスのなかで「個人の個性

J

が顕在化したことが,

f

平等思想の社会的地盤j となったことを論じている( 清水

1939:

131- 4)

1へ 清

水の社会学的な仮説によれば,

1

環節社会の存続する関,平等思想、は,民衆の一

般的心意としても発生の可能性を持たず,一歩進めていえば,社会的環節の小な

る 程 度 に 正 比 例 し て , 平 等 思 想 、 の 蓋 然 性 も 亦 少 く な る の で あ る

J

U

青水

1939:

1

3

6

) .

この社会学的な仮説に基づき I宇留において専制権力が続いてきた理由が以下

のように説明されている.

然るに支那は,平等思想の地盤たる社会形式をもたないと共に,平等思想

を革命的標語として取り上ぐべき都市の

m

畏階級をも欠いてゐた. 第一に注

意すべきは,

I

日支那の社会構造が環節的であるといふことである. 市もそれ

は,狭協なる村落自治体を単位とする広大なる環節社会であって,環節社会

そのものの発展段階から見ても,なほ極めて低度の社会状態に停頓してゐる.

か、る構造の存続するかぎり,支那の民衆には,政治意識を発生せしむべき

社会的条件が欠けてゐると見なければならない. … 偶人格が村落の共同体生

活に吸収せられ,国家に対しては僅かに階級的支配の対ー象のみとなり,政治

はたc被治者の服従の中にあると観念せられる. 政治的暴風雨が常に民衆の

生活環境やその生活意識と無関係な上層圏に発生し,市もか〉る暴風雨の収

まるところ,絶えず専制権力の樹立を招来した理由は,以上の如き社会事情

(8)

於ける被支配者の承認の上に立ち,純専制国家に於ては,この承認が黙従と

して存在するといふ見方がある. この見地よりすれば,支那に於ける被治者

階級の政治的態度は, [ 琵よりこの黙従以上には出ない. (清水 1939: 137- 8,

下線引用者) .

このように,狭小の分散的な「環節社会

J

=

I

村 落 共 同 体

J

が解体して分業社

会へと展開した西洋とは異なり,中国ではそれが歴史的に解体されることなく社

会の基礎的条件であり続け,こうした「共同体j の消極的な服従の上に,中国の

専制国家の持続性が可能になった,というのが清水の下した社会学的な結論であ

った. この「共同体の理論j は,デユルケムの

f

社 会 分 業 論 j の構図を下敷きに,

ヴ、エーパーの官僚制論とウイットフォーゲルの「水の理論

J

を接木して中国の専

制国家権力の由来を説き明かそうとした,かなり大胆な議論であったと言うこと

ができる.

l

査が詳僻する通り,以上の清水の「共同体の理論j は,内容的には当時の中

居研究の通説的な理解を超えるものではないが,理論的な解釈と枠組みを施すこ

とによって,問題の焦点を明確化したことに独創性とインパクトがあった( 旗回

1973: 12- 3) 11) .

r

支那社会の研究j を著した後の清水は,自らの

f

共同体の理論

J

の正しさを証明すべく,

I

i

可体

J

の 存 在 を 実 証 す る た め の 研 究 に 取 り 組 ん で い

くことになる.

3

農村の協同的慣行と「地縁共同態

J

敗戦後の清水は,1947年まで満鉄解体後の中国長春鉄路公司の研究員を務める.

同年に帰国すると京都大学人文科学研究所の教授となり,満鉄時代の研究の整理

を進めて,

r

中国族産制度孜. ] ( 1949年 ) と 何1国郷村社会論. ] ( 1951年) を著し

ている. ここでは,福武重の中国社会論が直接的な批判の対象となっており,そ

れゆえに「共同体j をめぐる論争において重要な位置づけを有する『中国郷村社

会論j を取り上げて検討する.

1951年に著された『中国郷村社会論 j は,序文によると満鉄調査部時代に既に

執筆を終えており,全部で3篇に分かれていた. 第1篇では中国における郷村統

治の原理と「自然村

J

について,第2 篇では郷約など農村における「郷党道徳

J

について,第3篇では農耕や葬礼をはじめとした協同( 通力合作) の事例を取り

上げ,終章で揺武直の中国社会論を批判的に取り上げている. 研究対象となって

いる資料は,

r

支那社会の研ー究』と同様に,正史や会典,実録,地方誌のほか,

中華民国政府が作成した商' 慣習に関する調査報告が一部活用されている.

清水はこの著作の序文で,この研究が「社会学的立場に対するふかい信頼感 j

に基づくものであり,

I

この種の研究に社会学的見地を欠きえないといふ認識は,

我 々 に と っ て 絶 対 的 な も の

J

であるとして,

I

社 会 学 的

J

な 研 究 で あ る こ と を 繰

F

h

J

V

h

J

(9)

り返し強諒している( 清水 1951: 1) . ただし,何が「社会学的

J

であるのかにつ いては「単なる郷村社会の構造を知ることを超えて,さらに郷党的人間をも至近

の距離に於て捉へるものでなければならぬ jと述べるにとどめ( 清水 1951: 1) ,

詳しくは説明されていない. ここでは特に,福武批判で主な論点となっている農

村における協同慣行の問題に焦点を当て,第三篤の「通力合作と郷村の共同性j

を中心にこの著作の内容を検討する.

この第三篇は,農耕,冠婚葬祭,金融などの「相互援助

J

i

諮問に関する第1

章と,治水,農作物泥棒の予防,外敵からの防符の協向に隠する第2 章に分かれ

ている. まず第1 章では,

1

換 工 j や

1

1

半工 j と呼ばれる農耕上の労力交換によ

る互助慣行の存在を,様々な地方誌の記述を引用して明らかにしている. 清水に

よれば,換工や伴工は単なる労力交換に止まらず,共同の飲食や土穀ネI11の祭礼を

伴うものであった( 清水 1951: 400- 1) . それらは労働の対価を求めるものではな

1

共働者間jの友好の感情

J

に基づくものであり,

1

主として郷村の

i

凶弾性に根

ざしたもの

J

である( 清水 1951 : 406) . そうした互助が大規模に行われた事実を

傍証するものとして,清水は李景漢が河北省定県で、調査・収集した「秩歌 j など

の農耕: 歌の存在を取り上げている. 農耕歌についての記述は, ドイツの新歴史学

派を代表するカール・ピュッヒャーの経済人類学的な研究である

f

労働と1) ズム

J

から着想を得ている12) 同 時 に 清 水 は , 現 在 で は 秩 歌 が 農 耕 の 現 場 で は な く 祭i

の戯劇として残るのみとなっていること,近年の誠査報告で「現在の郷村・に行は

れる換工が普通二三家のみの間で行はれ,

I

日時代のものに比してその規模が一般

に小さくなっている

J

ことを指摘しているが,農耕歌の存在は「農耕上の互助合

作が中国の農民の関で古くから行はれj ていたことが「疑ひない事実 j であるこ

とを示すものと述べている( 清水 1951: 416) .

清水は換工や伴工について,

r

労働とリズム jで言及されている

f

招請労働( Bi t

-t arbei t )

J

の概念やIへ ク ロ ポ ト キ ン の

f

相 互 扶 助 論

J

の 中 で 取 り 上 げ ら れ て い

る農耕上の相互扶助慣行に通じるものと評儲している( 清水 1951 : 430- 1) . そし

て,この招請労働が「交換性の原理

J

という互掛性のメカニズムに基づくもので

あることを,ヴェーバーの文章を引用しながら以下のように論じている.

労力の交換即ち労力による相互援助は,文字の示す如くあくまで相互性の原

理,より厳密にいへば交換性の原理の上に立ってをり,援助の提供は援助の

返還を条件とし,好意の表示に対しては好意の返しが期待されなければなら

ない. lEJIち,労力の交換は本来好意にもとづく援助の相互供与でありながら

も,その援助の相互供与は一般に,マックス・ウェーパーが,招請労働と招

請通具 ( Bi t t l ei he) とについて,

1

汝の我に対する如く,我もまた汝に対す j

( Wi e d u mi r, 8 0 i ch di r) 14)と述べたやうな,合理的な態度を離れては成り

立つことのできないものであった. 労力の交換に現はれる援助の供与は,こ

(10)

このように清水は,

I

無 条 件 的 と 見 ら れ る 一 方 的 援 助 に も , 実 は 交 換 性 の 原 理

が作用してゐるj と,援助は本来的に一方向的な贈与ではなく双方向的な互掛

i

の メ カ ニ ズ ム に よ る も の で あ る と 理 解 し て い た ( 清 水 1951: 432) ω. さらに清水

は , 返 還 へ の 期 待 に 基 づ く 「 交 換 性 の 原 理j はt !

P

I l 寺的なものではなく,冠婚葬祭

の よ う に 「 長 い 期 間 を と っ て 考 へ れ ば , 一 方 向 的 な 援 助 と い へ ど も , 相 互 的 援 助

喚起の一項を成しているj という事実ついても指摘している( 清水 1951: 433) .

この

f

交 換 性 の 原 理

J

を説明するために,清水はドイツの形式社会学者で、ある

ア ル フ レ ッ ド ・ フ ィ ア カ ン ト に お け る 「 相 互 主 義

J

の概念を批判的に取り上げて

い る . つ ま り , フ イ ア カ ン ト が 「 相 互 主 義

J

を「人間に生得の援助本能 j で説明

し て し ま っ て い る こ と に 対 し て , 清 水 は 「 援 助 の 相 互 主 義 は , 援 助 の 期 待 を 伴 ふ

援 助 の 用 意 " 援 助 の 返 還 を 条 件 と す る 援 助 の 供 与 の あ る と こ ろ に の み 成 立 す るj

と,互醐

i

性のメカニズムに基づくものという認識に立っていた( 清水 1951: 434) .

こうした互酬性を可能にしている社会的条件が何かについて,清水はヴ、エーパー

の言う「近隣関係のもつ「兄弟の如き親しさ

JJ

を挙げ,具体的には村落問の「非

連続的立つ閉鎖的

J

な 関 係 と , 村 落 内 に お け る 「 近 隣 を 中 心 と し た 親 疎 の 段 階 的

排列j の 人 間 関 係 の 構 造 が 指 摘 さ れ て い る ( 清 水 1951:436) .

第 3 篇の第 2 章では,

I

共 同 体j 論 争 の 中 で も 中 心 的 な テ ー マ で あ っ た 「 看 青

J

の 慣 行 が 取 り 上 げ ら れ て い る ( 清 水 1951:560) . 看 青 と は 農 村 住 民 が 「 看 青 会

J

と呼ばれる会を組織して,農作物の盗難を共

i

可で監視する慣行である. 看青につ

いては地方誌だけではなく,由民政府: の商慣行調査や

f

翠 城 村 誌j などの地方誌

お よ び 李 景 漢 の

f

定 県 社 会 概 況 調 査jl へ そ し て 「 慣 行 誠 査

J

の 報 告 書 な ど , 同

時代の資料も活用されている. 清水によると,看青会は作物の監視を会員で担う

こ と も あ れ ば 監 視 員 を 雇 用 す る こ と も あ る が , い ず れ に し て も そ の 費 用 は

f

全会

員の共同負担

J

に 基 づ く も の で あ り , 監 視 だ け で は な く 盗 人 へ の 処 罰 を 行 う 権 眼

も有していた. 看青の範閣には,一村単位のものと数村ー連合のものとの二種類が

あ る が , い ず れ も 「 看 青 の 会 を 限 定 す る 基 本 的 な 要 素 は , ど こ ま で も 土 地 の 坐 落

の共同j に 基 づ く こ と を 原 知 と し て い た ( 清 水 1951:588- 90) . ま た 清 水 は , 看

青が土地利用者階級による

f

土 地 な き 貧 民 大 衆j の 盗 取 か ら の 防 衛 と い う , 階 級

的な性格も併せ持つものであることも指摘している( 1青水 1951: 565- 7) .

清水は看青と

f

駆! 建

J

( 鎧害の防止) の協

i

司的慣行とを伺特に検討した上で,

結論として看青と駆蛙における「その主要なる形式が,一村ー全体の協力にあるj

こ と , そ し て 「 協 力 の 範 囲 を 地 域 的 に 限 定 す る も の が , こ こ で も 村 落 の も つ 強 い

地縁的共同関係に他ならないことを教へる

J

ものであることを論じている( 清水

1951: 608- 9) . つまり,看青などの農村- における協同的慣行の存在は,

I

共同態、

を共同態たらしめる本質的契機j で あ る 「 内 部 に 於 け る 統 一 性 と 外 部 に 対 す る 封

鎖性

J

を示すものであり,

I

村 落 は こ の 点 に 於 て 勝 れ た 意 味 の 地 縁 的 共 同 態 を 形

成してゐるj というのが清水の結論で、あった( 清水 1951: 608- 9) 17) .

(11)

以上のように,清水は換工や看青などの農村ーの協同的慣行の検討を通じて,そ

れ が 返 済 の 期 待 に 基 づ く 援 助 を 貫 く 「 交 換 性 の 原 理

J

に よ る も の で あ る こと を論

じた. そうした「交換性の原理 j が 成 立 し て い る 事 実 は , 清 水 に と っ て 村 落 が 居

住 の 近 接 性 と 対 外 的 な 閉 鎖 性 に 基 づ く 「 地 縁 共 同 態

J

であることの根拠に他なら

なかった.

r

中国郷村社会論j で清水は,

r

支 那 社 会 の 研 究

J

では極めて重要な位

置づけを与えていた「共同体j の諾を避け,それに替えて「共向性

J

や「共同態

J

の 概 念 を 用 い て い る が , そ の 理 由 に つ い て は 再 び 結 論 部 に お い て 検 討 す る こ と に

したい.

4

r

打算的合理性」と「交換性の原理

J

4. 1 福武直の中国農村調査と「打算的合理性」

清水盛光は

f

中国郷村社会論』の終章で,福武重の

l

r

: p 国農村社会の構造

J

(1

946

年) を取り上げて批判的に検討している.

こ の 批 判 を 検 討 す る 前 に , 福 武 の 刊:lj君農村社会の構造 j の内容について,特

に 争 点 と な る テ ー マ に 絞 っ て 簡 単 に 紹 介 し て お き た い . 福 武 は 東 京 帝 国 大 学 を 卒

業後に

1940

年から

43

年 に か け て , 林 恵 海 の 誘 い で 興 亜

i

( 1942

年 に 大 東 亜 省 に 改

編 ) か ら 委 嘱 さ れ た 中 国 農 村 調 査 に 助 手 と し て 参 加 し ペ 全 部 で 5 度 に わ た り 江

蘇省の蘇ナ1'1近郊の農村調査に携わっている1ペ こ の 興 亜 慌 の 農 村 調 査 を 元 に , 単

な る 調 査 報 告 と は 別 に , 福 武 自 身 が 中 国 社 会 の 一 般 論 と し て 戦 後 の

1946

年 に 刊 行

したのが

f

中国農村社会の構造』である.

この著作では,

r

理 論 と 実 証 の 相 郎 を 重 視 す る

J

と い う 実 証 主 義 社 会 学 の 立 場

から( 福武

[ 1946J

1976: 38)

, 中 国 農 村 社 会 の 特 殊 性 を 描 き 出 す こ と に 関 心 が 置

かれている. 例えば福武は,自ら諦査した華中農村を分析した第一部の結論部で,

アメリカの農村社会学者で、あるD. サ ン ダ ー ソ ン の , 共 有 地 を 有 す る 血 縁 者 の 集

団という「村ー落共同体j の 定 義 に 依 拠 し て , 彼 の 調 査 し た 華 中 農 村 で は 村 の 共 有

地 も 明 確 な 境 界 も 不 在 で , 生 活 が 村 落 内 部 で 閉 鎖 さ れ て お ら ず 外 部 の 市 鎮 と の 結

びつきが極めて多面的であることから,

r

村落共同体」ではなく「町村ー( 郷鎮)

共 同 体j と呼ぶべきだと論じている. この認識の上で福武は 中国では「村。落共

同体j による自治ではなく,より広域的な範囲で行政村を上から組織化していく

ことが,農村再建の課題であると主張した( 福武

[ 1946J

1976: 262- 4) .

さらに華北農村を扱った第二部では,

r

慣 行 調 査j の メ ン バ ー か ら 福 武 に 貸 与

された報告書が活用され,看青や換工,搭套( 家畜や農具の融通) などの農村eに

おける様々な協同的慣行を記述している. しかし,福武はこれらは村‘ 落全体で組

織された事業ではなく,

r

積極的に村- 民の福祉を増進するという面に乏し

J

く,

臨 時 的 で 消 極 的 な 「 打 算 的 合 理 性 j の 性 質 を 示 す も の で あ る と 評 価 し た20) つま

r

我 国 農 村 の 協 力 形 態 と し て 普 遍 的 な ゆ ひ の 如 き も の が 中 国 農 村 で は 見 ら れ

(12)

れは村落民の協同が打算的合理性に基づくのではないかという考察を立証するも

のj であるというのが,福武の結論であった( 福武

[ 1946J

1976: 493) .

この「打

算的合理性j の背景として,福武は家族制度における均分相続制の存在を繰り返

し指摘している( 福武

[ 1946J

1

9

7

6

: 4

8

9

) 2

1

) .

4. 2

清水の補武批判と「交換性の原理」

福武の

f

村落共同体

J

不在論に対する清水の批判の焦点は,まさにこの福武の

「打算的合理性

J

という解釈・評価に向けられていた.

まず清水は,福武の挙げた事例が「私が棺互援助のための合作の事例として挙

げたものとほぼ一致してゐる」と認めている. その上で,

I

古 い 時 代 の 換 工 は 概

ね数家乃至数十家前後の陪で輪流的に行はれ,二三家に止まるといはれる今日の

換工よりも,その規模が大きし

)

J

事実をあらためて強調し,そこでは当然ながら

「打算的合理性を超えて行はれる不等部

i

的労力交換の形式

J

が存在していたはず

だと反論する( 清水

1951:

6

4

7

) .

清水によれば,この事実は換工が「規模の比較

的大なるものから小なるものへ移ると共に,友好性のより支配的なものから打算

性のより支配的なものへと発展したj ことを示すものに他ならない( 清水

1951

6

4

8

) 2

2

).

さらに清水は,中国農村における協同的慣行が「交換性の原理j という意味で

f

合理主義 j に基づくものであることを,以下のように論じている.

ところで婚喪時その他における郷村の私的協同は・・・一方に於て合理的な交換

性の原理に基きながらも,その協同は原則として近隣若くは隣呈の間で行は

れるのであって,そこで交換される労力や財物は,つねに友好感情の表現た

る一面を有し,この点でそれは,非合理的な援助性の原理によっても支へら

れてゐる. 交換性の合理主義は,援助性の非合理主義と必ずしも矛盾しない.

つまり交換性の原理は,援助の返還を条件として援助を与え,また援助の供

与に対して必ず援助が還へされるといふ意味の援助交換の原、理に他ならない

の で あ る 一 郷 村 に 見 ら れ る 援 助 交 換 の こ の 合 理 主 義 は , ひ と り 中 国 の み で

はなく,他のあらゆる民族にもひろく見出される世界的な現象であって,中

富農民の連帯精神が他に比して弱いために,その協同が特に合理的な授受的

性格を幣びるのではない. (清水

1951:

649- 50

,下線引用者)

ここでは,先に検討した清水における「交換性の原理j に隠する議論が,福武

への批判に応、用されていることを見ることができる. すなわち,

I

村 落 共 同 体

J

における協同的な慣行には「打算的合理性

J

の入り込む余地がないという前提に

立つ福武に対して,清水は「交換性の原理

J

としての互糊性は,援助に対する返

済の期待という形で,そうした「合理主義

J

のメカニズムを内に含むものである

と十比判したのである.

(13)

そもそも清水は,

1

中国の村落を・・・氏族の解体後各氏族に成立し,一部の地方 では近世にまで存続したといはれる村落共同体に比較することは,もとより圏難

であらうと思ふ j と( 清水 1951: 656- 7) ,現代の中国農村' に「村落共同体j が欠

如しているという福武の観察と認識それ自体は正しいことを認めていた. ただし,

清水自身が検討した

I

1

日い時代の村落 j の事例については,

1

そ の 有 効 性 と 統 一

化の程度に於て,現代のそれにまさる

J

ものであり,福武の所説は中密の「民族

的j な偲性を示すものではなく

f

単に歴史的なものにすぎない

J

可能性があると

釘 を 刺 し て い る ( 清 水 1951: 657) . 以上のように清水の福武批判は,

1

打 算 的 合

理性

J

f

交換性の原理

J

の厳然たる一つの要素であるだけではなく,それが「歴

史的 j な変化の産物であって中国社会に由有の特徴ではないことを示そうとする

ものであった.

清水は福武直が何コ国農村社会の構造 j の簡易版として出版した『中国村落の

社会生活j に対する書: 評でも( 清水 [ 1948J 1951) ,同様の批判を展開している.

清水はこの本を要約した上で,

i

論旨明快,理路整厳,着想もまた卓抜であって,

その所論は全体としてみれば客観性と説得力とを十分に有ってをり,読者は本書

によって比類例のない中国村落の鳥! 椴鴎を与へられたといってよいj と激賞しつ

つ( 清水 [ 1948J 1951: 50),以下の三点について批判を加えた.

第 1 に,均分主義は中国に古くから存在するが,清代以前には農耕上の協力が

大規模に行われており,今日に至って「打算的

J

になった理由が説明できないこ

と. 第2 に,協力組織は均分主義による「合理的打算

J

というよりも貧国を原因

とするものと解釈すべきであること. そして第3には,好意に基づく援助が援助

の返還や交換を条件とする「合理的 j な側面を持っていることは「世界的な現象 j

であって中国に特有のものでは決してないことである. そうして清水は,福武の

論じる均分相続主義の社会的作用は家格の発生を抑止するという程度にとどまる

と批判して,

i

中 国 農 民 心 理 の 合 理 的 一 面 の み を 必 要 以 上 に 誇 張 し て 伝 え ら れ る

ところがなければ幸いである jと文章を締めくくっている( 清水 [ 1948J1951: 51) .

4. 3 社会学における

f

共同体j 論争の終息

福武は

f

中国農村社会の構造j の中で,

i

村・落共同体j 概念の例としてサンダー

ソンとともに清水の「共同体の理論

J

を取り上げているが( 福武 [ 1946J 1976: 258) ,

その議論全体を取り上げて批判することはなかった. 福武は1951年に刊行した

f

国農村社会の構造』の増補版に,数多くの書評のーっとして上述の清水の書評を

掲載しているが,その後特に反論を寄せることはなかった.

清水の中国研究に対して徹底的な批判を加えたのが,

i

慣 行 調 査j のメンバー

で福武とほぼ同様の村落共同体不在論を展開していた旗田識である. 旗田は1950

年 に 著 し た 「 中 屈 に お け る 専 制 主 義 と 「 村 落 共 同 体 理 論

JJ

という論文で( 旗回

1973vこ所収),清水の

f

支那社会の研究 j ( 1939年) を取り上げている. そこで

(14)

作ろうとする画期的企てj として評価しつつ( 旗田

1973: 6)

,西洋も中国も「環

節社会 j であったのにどうして中国だけ「専制主義

J

となったのかが理解できな

いことを批判した. その原因として旗回は,

r

村 落 の 共 同 性 ・ 集 団 性 ・ 環 節 性 を

抽 象 的 一 般 と し て と ら え , そ の 震 史 的 内 容 を 捨 て 去 っ た j と,

r

共同体」の説明

が 抽 象 的 で 具 体 的 内 容 を 欠 い て い る こ と に 求 め た ( 旗 田

1973:

1

1

) .

さらに,村

落の内部が必ずしも平等ではなく「階級分化

J

が存在していることは,清水も具

体的な論述の中で触れているが,これは閉鎖的な「共同体j が「専制主義j の基

礎 で あ る と い う 理 論 的 枠 組 み と の 根 本 的 な 矛 盾 で あ る と 指 摘 し て い る ( 族 自

1973: 1

0

) .

f

中思郷村社会論j への書評においても,旗

i

丑の清水に対する批判は辛練であ

った. 旗田は, r=j : : T国村落の共同関係についての資料を収集した清水の「不屈な努

力j を称えつつ,その内容については「せいぜい村落の共同性が現代よりも! 日代

に強かったという点が述べられるだけで,共同関係の質についての歴史的発展に

はふれていないj ことを批判している( 旗田

1953: 234) .

その上で,以前の

f

那社会の研究j では

f

共向関係

J

を「階級的・権威的関係との関連において統一

的に把握する

J

という理論的な方向が少なくとも存在していたにも関わらず,

r

書 で は そ の 方 向 が 見 失 わ れ て い る 感 じ が す る

J

と指摘した上で,

r

清 水 氏 に こ の

問題の解明を期待してやまない j と呼びかけている( 旗田

1953: 234) .

しかし,結局のところ清水は旗田の呼びかけに応えることはなく,

r

中国郷村

社 会 論j を最後に中国研究から完全に離れていくことになる. 周知のように,福

武は中国農村調査の経験を活かして日本の農村社会読査を精力的に展開していく

が,それに対して清水はおそらく本来の関心である,

r

集 団 」 に つ い て の 社 会 学

の一般理論研究に取り組んでいく( 清水

1971)

. こうして 日本の社会学におけ

る中国社会の「共同体

J

をめぐる論争は,さらなる蓄積と発展を見ることなく終

息していくことになった.

5

おわりに

本稿では,中国社会の「共同体j 的性格をめぐる長く分理い蓄積のある論争史

のなかで,これまであまり着自されてこなかった社会学における論争として,主

に清水盛光の福武直に対する批判を取り上げて検討- した.

清水は

1939

年の

f

支那社会の研究 j において,マルクスやウイットフォーゲル

のアジア的生産様式論やデュルケムの『社会分業論j の枠組みを縦横無尽に組み

合わせて,中国社会における「村ー落共同体j の消極的な服従によって,長期にわ

たる専制的な国家体制が成立したという確信を得ていた. 中国農村ーにおける自然

村の存在と協同的慣行の実態を探究した

1951

年の『中国郷村社会論j も,この確

信を補強するための実証的な根拠を,歴史資料の中から求める研究として理解す

ることができる. しかし,この著作の終章における福武直批判は,そうした理解

(15)

には素藍に収まらない要素を多く含んでいる.

事実,清水の福武批判の論点は,農村における「村落共同体j の有無それ自体

をめぐるものでは必ずしもなかった. 現代中国の農村が「村落共同体j と定義で

きないことは,消極的にではあるが,清水自身も認めていた. 清水が批判を加え

た の は , 福 武 が 農 村 の 協 同 的 な 活 動 に お け る 「 打 算 的 合 理 性j の要素を,

I

村落

共同体j が不在であることのメルクマールとしたことであった. すなわち,他者

に対する援助は必ずしも個人の損得勘定を超えたものではなく,常に何らかの返

礼に対する期待という「打算的合理性

J

に基づいて行われるのであり,そうした

「交換性の原理

J

は世界で普遍的に見られるものであって,仁) =1思農村に固有の特

徴では決してない,というのが清水の批判の論点であった. このように清水は

f

算的合理性

J

という解釈を否定するのではなく,むしろ自らの「交換性の原理j

の議論の中に積極的に取り込むことで,福武を批判したと言うことができる. 清

水 が

f

中国郷村社会論

J

において,

I

共同体j の諾を避けて「共同態

J

I

共向性

J

を用いているのは,旗田らの批判に消極的に対応したことも一つにあると思われ

るが,彼が中国の村落を単なるスタティックな住民の集合体ではなく,多種多様

の ダ イ ナ ミ ッ ク な 互 酬 性 の 諸 活 動 に よ っ て 構 成 さ れ る も の と 認 識 し て い た こ と

も,その理由として考えられる.

援助と協同における固有の合理性を概念化した清水の「交換性の原理j は,ヴ

ェーパーの断片的な文章の拡大解釈によるもので,決して洗練されたものとは言

えないが,マルセル・モースの贈与論やカール・ポランニーの互酬性の概念と共

通した要素を持っているω. これらの経済人類学的な研究が日本ではまだ一部で

し か 注 目 さ れ て い な か っ た 当 時 に お い て ペ 清 水 の 着 想 は 独 創 的 な も の で あ っ た

と評価することができるだろう. しかし,清水は自らの研究で「交換性の原理j

の存在を十分に実証しておらず,彼が膨大に紹介している換工や看青などの中留

農村ーにおける協同的な慣行の事例とエピソードは,結局のところ閉鎖的で統一的

な「共肉体( 態)

J

の例誌という位置づけにとどまっている. 清水の提示した「交

換性の原理j についての議論は,彼のl宇田研究を紹介している先行研究の中でも

重視されてこなかったが,その責任の一端はこの議論を讃極的に展開することが

できなかった清水自身にもある.

清水の中国研究が多くの矛盾や問題点を抱えていることは,先に取り上げた旗

回の批判においても尽されている. 本稿の論点について言えば,

I

打算的合理性 j

が「共同体( 態 ) J の 内 在 的 要 素 で あ る と い う 認 識 を 示 し つ つ , 同 時 に そ う し た

合理性が「共同体( 態

)J

の 衰 退 ・ 縮 小 し て い る 現 在 に お い て 現 れ て い る も の と

論じているなど,清水の議論はおよそ首尾一貫したものとは言い難い. また「歴

史的

J

な研究と言いながら,古代から近代に至るまでの幅広い資料が,その時代

の 間 有 の 特 質 や 発 展 段 階 を 考 慮 す る こ と な く , 均 し く 「 共 同 体 ( 態

)J

の実証的

な根拠として扱っていることも,清水の中国研究における致命的な欠格としてこ

(16)

しかし,その後も旗田をはじめとする歴史学者の多くが中富社会の「共肉体j

的性格の有無という論点に国執し続けたのに対して,社会学者である清水が「交

換性の原理

J

に基づく「共向性」という,それとは異なる論点を不十分ながらも

提示しようとしていたことは,正当に評価されるべきであろう. 日本の社会学に

おける中国研究において,

I

共 同 体

J

の 存 否 と い う 評 価 軸 を 超 え た , 中 毘 に 固 有

の共同性と社会的結合の探求は,費孝通の農村調査と「差序格局j 論が再評価さ

れる 1980年代以持のことになる.

[ 注]

1)

I

コミュニティ j 概念を最初に日本に広める役割を果たしたとされる 1969年の

国民生活審議会の報告書では,個人の埋没した古い「地域共同体j の形骸化や

崩壊と,生活の場における

f

市民としての自主性と責任 j による信頼感に基づ

く「コミュニティj とが,明確に分断された形で定義されている( 渡謹 2015:

238- 9) .

2)

I

共 同 体j を 含 む 戦 後 日 本 の 中 国 中 間 団 体 論 の 系 譜 に つ い て は , 岸 本

( 2006, 2012) の整理に詳しい. ただし, 1980年代以蜂の共肉体不在論のリバ

イバルについては触れていない.

3) いわゆる「平野一戒能論争j については,評儲の高い旗田 ( 1973: 35- 49) の整

理 の ほ か , 張 思 ( 2005: 30- 7), 李 思 慶 ( 2005),内山 ( 2009:223- 5) な ど を 参

照. 中富社会が自律的な能力を持つ中間団体を欠いた「自由j な社会であると

いう認識は,戒能が最初ではなく清末の梁啓超の議論にまで遡ることができる

(足立 1998: 21- 6,岸本 2012: 106,穐山 2014).

4) 戦 後 日 本 の 学 界 で は 共 同 体 不 在 論 が 支 配 的 だ っ た と い う 評 価 が し ば し ば 見 受

けられるが( 祁 2006: 14),少なくとも 1960年 代 前 後 の 時 期 に つ い て は 明 ら か

に事実とは異なる.

5) この枠組みを応用した奥村・笹川 ( 2007) および笹川 ( 2011) などは,日中

戦争期の「総力戦

J

のための資源動員が,村落共同体の不在のために「土豪劣

J

の暴力的な徴集に依存することになり,そこで蓄積された農民のルサンチ

マンが国共内戦における共産党の地すべり的勝利を生み出す要国となったこと

を論じている.

6)

I

横 行 調 査j の追跡調査を含む,

I

平 野 一 戒 能 論 争

J

の 系 譜 に 連 な る 近 年 の 研

究として,もちろん全てが明確に二分できるものでは必ずしもないが,相対的

に共同体論の立場をとるものとして内山 ( 2003,2009 , 2014) ,張思 ( 2005),

共 向 体 不 在 論 の 立 場 と し て は 足 立 ( 1998) の ほ か 祁 ( 2006),三品 ( 2010) な

どを挙げることができる.

7) 清 水 の 中 国 社 会 論 を 枠 組 み に 用 い て い る 研 究 と し て は , 近 世 中 国 の 宗 族 に つ

いての歴史研究である井上 ( 2000) がある. また田原 ( 1999) も,清水の

f

然村z 生成的自治j と「行政村立構成的自治

J

の二分法の枠組みを採用して,

(17)

中国共産党の農村統治を分析している.

8) 清 水 の 略 歴 は 「 清 水 感 光 教 授IIr各歴および主要著作

J

r

関 西 大 学 社 会 学 部 紀 要 j

第26号 ( 1973年) を参照.

9) 戦 後 に 著 し た 『 家 族 j ( 1953年) の序文では,

1

私 は な お 学 生 の 頃 , 井 口 孝 親

先 生 か ら 比 較 研 究 の 必 要 を 教 え ら れ , ま た 高 田 保 馬 先 生 に よ っ て , 理 論 社 会 学

へ の 深 い 関 心 を 受 植 え 付 け ら れ た

J

と述べられている( 清水 1953: 4) . 井口は

東京帝国大学で吉野作造に師事し,卒業後は朝日新聞社での勤務を経て,アメ

リカに渡ってコロンピア大学でジョン・デューイの講義を聴講している. さら

に文部省の在外研究員としてドイツのベルリンに滞在して社会学を学び, 1929

年 に 九 州 帝 密 大 学 に 奉 職 し て 社 会 学 の 講 座 を 開 講 し て い る . 社 会 学 者 と し て は

デユルケムの影響を強く受け, 1932年 に 死 去 し た 後 に 遺 稿 集

f

自殺の社会学的

研 究

J

が 刊 行 さ れ て い る ( 梶i鳩2013) . 井 口 の 講 義 に 出 席 し て い た フ ラ ン ス 文

学 研 究 者 で あ る 大 塚 幸 男 の 国 想 に よ る と , こ の 遺 稿 集 を 編 集 し た の が 井 口 の 助

手 を 務 め て い た 清 水 盛 光 で あ っ た ( 大 塚 1973: 4) .

10) 清水が引用している

f

社 会 分 業 論j の該当笛所では,原始的な社会において

個 人 が 集 団 に 全 面 的 に 服 従 し て い た 「 集 合 的 な 専 制 主 義 j を,一首長が集団そ

のものに代わって代表かつ組織化したところに,専制的な権力が成立したこと

が 論 じ ら れ て い る ( Dur k he i m 1893 =1971: 189- 90) . こ の よ う に , 閉 鎖 的 な

環 節 社 会 の 持 続 性 が 専 制 の 基 盤 で あ る と す る 清 水 の 議 論 は , 集 団 の 一 体 性 が 解

体 す る 過 程 で そ う し た 一 体 性 を 代 替 的 に 表 象 す る も の と し て の 専 制 が 生 ま れ

た,というデユルケムの理解とは正反対である.

11) ウイットフォーゲルの「水の理論j そ れ 自 体 に お い て も , 官 僚 組 織 に よ る 専

制 的 な 統 治 に よ る 全 面 的 に 社 会 統 制 が 現 実 に 不 可 能 で あ る 以 上 , 専 制 国 家 の 権

力を補完する役割を果たすものとして,

1

村 落 共 同 体 」 の 役 割 が 重 視 さ れ て い

た( 石井 2007: 90- 9) . また

f

共 同 体 の 理 論j そ れ 自 体 も , 満 鉄 調 査 部 の

i

可僚

で ウ イ ッ ト フ ォ ー ゲ ル の 翻 訳 も あ る , 横)11次 郎 の 議 論 か ら 直 接 的 な 着 想 を 得 た

ものである( 清水 1939:127- 8) .

12) 社 会 政 策 志 向 に 基 づ く 歴 史 段 時 論 の 提 示 と い う , ピ ュ ッ ヒ ャ ー お よ び ド イ ツ

新歴史学派の思想、については,牧野 ( 2003) および森 ( 2009) を参照.

13) ここで言う「招請労働j とは,ピュッヒャー自身の記述によると「野良仕事

や , 家 屋 の 建 築 や , 或 る 造 作 を す る 際 や , 殊 に 収 穫 と 関 係 し た 一 刻 の 猶 予 も 許

さ ぬ 仕 事 の 捺 に は , 憐 人 か ら 自 発 的 な 助 力 を 乞 は れ る

J

もので,

1

相 互 性 に 基

礎 を 置 い て ゐ る

J

も の を 指 し て い る ( Buc her 1896 =1944: 300) . 他 方 で ピ ュ

ッヒャーは,招請労働が村の支配者や富裕層に対する「奉仕j や

I

J

賦役j とし

て要求されたという ( Buc her 1896 =1944: 300- 1) , 強 制 牲 の 側 面 に つ い て も

指摘しているが,清水の論述にはこの側面についての言及はない.

14) この言葉の出典は,

r

経 済 と 社 会j 第2 部 の 第 3 章 2 節 「 近 隣 ゲ マ イ ン シ ャ

(18)

近 隣 に お け る 経 済 的 な 互 助 の 原 理 を 説 明 し て い る 笛 所 で あ る ( Weber 1978

361) . なお

f

儒 教 と 道 教j に も , 儒 教 に お け る 朋 友 関 の 互 酬 的 な 社 会 倫 理 を 説

明するものとして,同じ言葉が引用されている( Weber 1922 =1971: 270- 1).

15) ウェーパーも註14 と同じ笛所で,招請労働が「非感情的 j な倫理に基づくも

のであることを述べている ( Weber 1978: 361) . た だ し ヴ ェ ー バ ー に お け る 招

請 労 働 は , ピ ュ ッ ヒ ャ ー と 同 様 に 大 土 地 所 有 者 の 経 済 的 権 力 関 係 に よ る も の も

含 ま れ て お り , 必 ず し も 互 酬 性 と い う 意 味 で の 「 交 換 性 の 原 理 j に基づくもの

ではない.

16) 翠城村の「村宇治

J

運 動 と 李 景 漢 の 定 県 調 査 に つ い て は , 李 景 漢 編 ( 1933) お

よび穐山 ( 2016,2017) を参照.

17)

r

支那社会の研究』では,

r

血 縁 村 落

J

が統一的・閉鎖的かつ民主的な傾向を

持つのに対して,

r

地縁村e落

J

f

異 姓 対 立 の 結 果 た る 分 裂 の 契 機 を 含 む j と

い う 図 式 が 提 示 さ れ て い る ( 清 水 1939: 271) . しかし,ここで言及されている

「地縁的共同態

J

についての論述では,

r

分 裂 の 契 機j に つ い て は 全 く 触 れ て

いない.

18) 興 亜 院 は 日 中 戦 争 後 の1938年12月に設立された,中国占領地行政を推進する

ための,省庁と

i

可 格 の 地 位 と 権 限 を 有 す る 国 家 機 構 で あ り , そ こ に お け る 調 査

は「重要因坊資源自給

J

の 必 要 と い う 白 的 を 持 っ て い た ( 久 保 2002: 76)

19) 福 武 の 中 国 農 村 調 査 の 経 緯 に つ い て は , 福 武 の 自 伝 ( 福 武 1976) の ほ か 蓮

見 ( 2008: 32- 9) に詳しい.

r

中国農村社会の構造j 全 体 の 内 容 に つ い て は , 既

に南 ( 1995: 21- 4) および高橋 ( 2012: 22- 4) による優れた要約がある.

20) 福 武 と 清 水 の 文 章 で は 「 打 算 的 合 理 性 j と

f

合 理 的 打 算 性

J

の二つがランダ

ムに用いられているが,引用文ではそのままにし,地の文では「打算的合理性 j

で統一する.

21) こ う し た 福 武 の 立 論 に 強 い 影 響 を 与 え た 存 在 と し て , 閉 じ 戸 田 貞 三 門 下 の 先

輩で中国の家族構造を研究していた牧野巽がいる. 牧野は,中国では一般にイ

メ ー ジ さ れ る 大 家 族 は 稀 で 小 規 模 家 族 が 一 般 的 で あ り , 宗 族 集 団 も 伝 統 性 は 弱

く「結社 j 的 性 格 を 有 し て い る こ と を 論 じ て い た ( 岸 本 2006: 272- 5) . 牧野は

f

中 留 農 村 社 会 の 構 造 j の書評で,

r

大 体 に お い て 著 者 と 類 似 し た 考 え を 有 し

旦 っ こ れ を 口 に し て き た

J

r

福 武 氏 の 大 体 の 傾 向 に つ い て は 双 手 を 挙 げ て 賛 成

する j として,共同体論に対するアンチテーゼとして高い評価を与えている( 牧

野 [ 1947J 1951: 43 ,47) .

22) この笛所だけではなく,清水は中国農村の協│ 奇慣行や家族関係が縮小の趨勢

過 程 に あ る と い う 認 識 を 持 っ て い た . こ れ は 実 証 分 析 に 基 づ く も の で は な く 理

論的なものであり,特に高田保馬の社会学理論の影響によるところが大きい( 清

水 1942: 568- 9) .

23) こ れ ら の 経 済 人 類 学 の 知 見 に 比 べ る と , 清 水 の 「 交 換 性 の 原 理j に対する理

解 は , 援 助 が 中 長 期 的 な 返 礼 の 期 待 に 基 づ く も の と い う レ ベ ル に と ど ま り , 道

(19)

徳 的 な 負 債 と し て の 贈 与 ・ 援 助 や , 市 場 交 換 と は 異 な る 毘 有 の 経 済 原 理 と し て

の 互 掛 , そ し て 交 換 と 援 助 が 偲 別 性 を 超 え た 全 体 的 な シ ス テ ム に 基 づ く こ と な

ど に 対 ー す る 視 点 に は 欠 け て い る . モ ー ス の 贈 与 論 に つ い て は 重 田 ( 2010:

215-32) お よ び 糸 林 ( 2014), 社 会 学 お よ び 社 会 政 策 論 に お け る 互 酬 性 研 究 の 系 譜

に つ い て は 平 野 ( 2012) を参照。

24) 有 賀 喜 左 衛 門 は1936年 の 段 階 で , 婚 姻 に お け る 結 納 や , 農 業 労 働 に お け る 親

方 一 子 方 の 関 係 を , モ ー ス の 「 全 体 的 相 互 給 付 関 係

J

の 枠 組 み を 用 い て 分 析 し

て い る ( 佐 藤 2011).

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参照

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