層と記憶─ヴラジーミル・ナボコフの
『スワン家のほうへ』論
鈴木 聡
1. 記憶と想起
2. プリズムとしてのテクスト 3. 多層化される叙述
4. 類似と失意
1.記憶と想起
ヴラジーミル・ナボコフが遺した草稿や覚え書きにもとづいてフレッドソン・バワーズが編 纂した二巻の講義録『文学講義』(1980年)1)と『ロシア文学講義』(1981年)2)は、
1950年秋学期以降、コーネル大学で大人数の受講学生を対象として開講された授業─
「十九世紀および二十世紀の英語、ロシア語、フランス語、ドイツ語の長篇小説と短篇小説」
(Nabokov 1980: vii)を教材とした講義─の大略を示すものとなっている。講義録としては
便宜上、二分冊という体裁にされているものの、ロシア文学にかんする授業は、授業題目名「文 学三一一‐三一二、ヨーロッパの虚構作品の巨匠たち」の一部を構成した年と、それとは別個 に「文学三二五‐三二六、翻訳で読むロシア文学」として開かれた年があったものと察せられ る3)。
1950年四月、のちに『記憶よ語れ─自叙伝再訪』(1951年)4)として単行本化さ れることとなる散文の最終章を執筆中であったナボコフは、次の学年に開講を予定している
「ヨーロッパの虚構作品」の授業で、「少なくとも五人の」ロシア人作家と、「西ヨーロッパの 虚構作品」を代表する「カフカ、フローベールならびにプルースト」以外に、「少なくともふ たり」、イングランド人作家(「長篇小説あるいは短篇小説の」)を取りあげたいと考え、エド マンド・ウィルソンに意見を求めた(四月十七日付書簡)5)
「アイルランド人であるという理由でジョイスを除くならば」、「比類なく偉大な」ふたりのイ ングランド人作家とはディケンズとオースティンであるというウィルソンの推薦(四月二十七 日付書簡)6)にしたがってナボコフが選んだジェイン・オースティンの長篇小説『マンスフィー ルド・パーク』(1814年)とチャールズ・ディケンズの長篇小説『荒涼館』(1852‐
53年)、ならびに、その後、年代順に取りあげられたものと思われるギュスターヴ・フロー
ベールの長篇小説『ボヴァリー夫人─地方風俗』(1856年、1857年)、ロバート・ル イス・スティーヴンソンの中篇小説『ジーキル博士とハイド氏の奇妙な事件』(1885年執筆、
1886年出版)については、すでに別の機会に、ナボコフの着眼点を中心としつつ論じたこ とがある7)。
イングランド人作家の選択を別とするならば、「ヨーロッパの虚構作品の巨匠たち」(あるい は「ヨーロッパの虚構作品の諸傑作」)と題する一連の講義の構想にあたって、ナボコフがまっ たく迷ってなどいなかったこと、とくに三人の文学者の名(「カフカ、フローベール、プルー スト」)を躊躇なく挙げていることは銘記に価するだろう。おそらく彼は、ただたんに自分の 愛読書を学生たちに勧めようとしているわけではなく、自身が一翼を担っている文学的伝統の 系譜を強く意識したうえで、堅実な展望を呈示しようとしているのだ。
しかしながら、そのことは講義のなかであからさまに表明されてはいない。十九世紀に書か れた作品にたいする場合と同様に、ナボコフは、みずからがとりわけ親近感を覚えていたかも しれないマルセル・プルーストの長篇小説『スワン家のほうへ』(『失われた時を求めて』第一篇、
1913年)8)をはじめとする二十世紀に書かれた作品9)にたいする場合も、ひたすら個々の テクストを丹念に味読し、それぞれに特有の魅力を明らかにすることに専念しているのである。
とはいいながらも、象徴主義からモダニズムにかけての時代に文学的テクストがどのような 志向を有するものとなっていったかという問題にナボコフがある程度立ち入ろうとしている点 も見落とすことはできない。「プルーストは青春時代にアンリ・ベルクソンの哲学を研究した。
時間の流れにかんするプルーストの根本的な考えかたは、持続と呼ばれる、直観、記憶、無意 志的な連想の振る舞いによってしか回収し得ないわれわれの意識下の精神の紛れもない豊かさ という相においてとらえられた、人格の恒常的な進化にかかわっている。またそれは、たんな る理性は内的霊感の天才性の下位に位置するものであるということ、藝術こそは世界における 唯一の現実であると見なすことにもかかわっている。このようなプルースト的観念は、ベルク ソンの思想の彩色版なのである。」(Nabokov 1980: 208)
プルーストは、1900年にコレージュ・ド・フランスでベルクソンの講義を聴講し、のち には、ベルクソンの主著のひとつである『物質と記憶─身体と精神の関係についての試論』
(1896年)─学位論文にもとづく『意識に直接与えられたものについての試論』(1889 年)に次ぐ二冊目の著書─の註釈を試みたこともあった。しかし、プルースト自身はみずか らの作品がベルクソンの影響下にあるかのように見なされることにたいしては一貫して否定的 であった。その点は、『スワン家のほうへ』の出版と同じ頃、『ル・タン』紙(1913年十一 月十二日号)に掲載されたインタヴュー記事から窺い知ることができる10)。
そのなかでプルーストは、「私の本」はおそらく「一連の『無意識の小説』[Romans de
l’Inconscient]の試みのようなもの」となるはずだとしたうえで、それを「ベルクソン的な長 篇小説」と呼ぶことは不正確なのではないかと語っている。なぜならば、「私の作品」は、「無 意志的記憶」(mémoire involontaire)と「意志的記憶」(mémoire volontaire)の区別によって 支配されているからである。そのような区別は、「ベルクソン氏の哲学のうちに現われていな いばかりか、それと矛楯するものでさえある」とプルーストは主張しているのだ。
ベルクソンが再認のふたつの様態(自動的なものと注意的なもの)とかかわる記憶のありか たを、それぞれ「習慣記憶」(souvenir-habitude)と「純粋記憶」(souvenir pur)と名づけて 区分したのにたいして、プルーストは、過去の出来事を想起するさいに人間の心のうちで生じ ている事態を重視しつつ、新たな区分を設けている。『スワン家のほうへ』第一部「コンブレー」
で、匿名の語り手(「私」)が幼少期に夏の休暇を過ごしたコンブレーの思い出が、おおむね、
ひとり寝室で眠りに就くまでのあいだ、母がやってくるのではないかと待ち望んでいる時間帯
(「私が寝床にはいるという演劇と事件」)に限られている理由について省察している一節を引 き合いに出してみてもよかろう。
「 コンブレーにはほかのものも含まれていたし、ほかの時間も存在していた 」(Proust 1987:
43)11)ことはじゅうぶん承知していると語り手はいう。「だがそんなふうに思い出してみても、
それは意志的記憶、知性の記憶によって私に提供されたものにすぎず、そのような記憶が与え てくれる過去にかんする情報は、過去のなにものも保存してはいないのだから、私としてはコ ンブレーの残りの部分を思い浮かべようという気になれなかったことだろう。そうしたすべて は、じっさいのところ、私にとっては死んでいるのだ。」そのいっぽうにおいて語り手が強調し、
プルースト自身もまた強調しようとしているものとは、偶発的事象が想起の契機となる可能性 である。
「思い起こそうと努めてみても徒労でしかなく、知性の努力はまったく役に立たない。過去 は知性の領域と範囲の埒外で、私たちが予想だにしなかった物質的対象のうちに(その物質的 対象がもたらす感覚のうちに)潜んでいる。その対象に、私たちが生きているあいだに出会う か出会わないかは偶然によるのである。」(Proust 1987: 44)そうした物質的対象の典型的な例 となるものが、語り手が母に勧められてたまたま口にした、紅茶に浸した「プチット・マド レーヌ」の味─それは、コンブレーで日曜日の朝、レオニ叔母が紅茶か「ティユル」(Proust
1987: 46)12)に浸して与えてくれた「マドレーヌの小さな欠片」の味を甦らせる─であるこ
とはすでによく知られているだろう。
プルーストは、ベルクソンが『物質と記憶』のなかで導入した「意志的記憶」の概念13)を 念頭におきながらも、それと対置されるべき「無意志的記憶」という新たな概念を創出するこ とにより、記憶と想起の理論を独自に定式化することをめざしたといってよさそうである。そ
の意味において彼が、多くの関心事─「たとえば、記憶、時間、習慣、笑い、眠り、夢、道 徳性、宗教、心理学などといった諸問題」14) ─をベルクソンと共有していることは確かだ としても、その思想を忠実に信奉ないしは踏襲して、みずからが創造する虚構作品の基盤に据 えようとしたわけではないことは、心にとどめておく必要があるに違いない。
プルーストが自負するとともに、現にそのテクストの要諦をなすにいたっていると見なすこ とのできる「無意志的記憶」の独創性を鑑みるならば、「プルーストは青春時代にアンリ・ベ ルクソンの哲学を研究した」というナボコフの言葉は説明としてじゅうぶんではないように思 えてくるだろう。しかしながら、おそらくこの言葉は、プルーストに仮託しつつ、ナボコフ本 人の青春時代における読書体験を重ね合わせてみたものでもあるのだ。少なくとも学生たちを まえにした講義のなかで、先人たちがみずからに与えた影響というような個人的な話題に触れ ることはとうてい考えられないだろうが、青年時代のナボコフがプルーストとベルクソンの双 方に親しんだことは疑いようのない事実である。『プレイボーイ』誌1964年一月号に掲載 されたインタヴュー記事(未来学者アルヴィン・トフラーが質問者を務めた)15)のなかでナ ボコフは、「西ヨーロッパ」に住むようになった二十歳から四十歳のあいだ自分が愛読したのは、
「ハウスマン、ルパート・ブルック、ノーマン・ダグラス16)、ジョイス、ベルクソン、プルー スト、そしてプーシキン」であったと語っているのだ17)。
文学者が個別の著者や作品をどのように受容したかが、その文学者の創作のうちになんらか の形で具体的に現われるとは限らない。ベルクソンが初期のナボコフに及ぼした感化について も同じことがいえるだろう。しかし、その痕跡を探り当てようとする試みもけっして無駄では あるまい。たとえば、長篇小説『絶望』(ロシア語版1934年、1936年、英語版1937年、
1965年)18)のなかでブレーズ・パスカルの『パンセ』(1670年)の一節─「個別に はどちらも笑わせることのない、ふたつの似ている顔は、いっしょになるとその相似によって 笑わせる」(ブランシュヴィク版断章一一三)─を引用するにあたり19)、同じ一節がアンリ・
ベルクソンの『笑い─おかしみの意義についての試論』(1900年)第一章第四節におい ても引用されていること20)が、ナボコフの脳裡にあった可能性は否定できない21)。ベルクソ ンの『笑い』はさらに、長篇小説『暗闇のなかの笑い』(ロシア語版[『暗箱』]1932-33年、
1933年、英語版1938年)22)の標題、物語内容、そして登場人物像の性格や言動をか たちづくるうえで、なんらかの着想を与えているのではないかとする見かたもあり得る23)。
それらの例とは異なり、後年の長篇小説『アーダ、あるいは熱情─ある一家の年代記』
(1969年、1970年)においては、中心的登場人物であるイヴァーン(ヴァーン)・ヴィー ンはベルクソンの研究者として設定されている24)。それは明らかに、ナボコフが文章として まとめあげることに心血を注いできた『時間の織物』と呼ばれるテクストを、ヴァーンの著作
として同作品の第四部に組み入れるという構想そのものが必然的に必要としている設定でもあ る。いずれにしても、ここで示されているのは、ナボコフがベルクソンの『意識に直接与えら れたものについての試論』(英語訳の標題にしたがうならば『時間と自由意志』)などによって 触発されて、折あらば考察を深めようとしてきた時間論への回帰もしくはその集大成であると いうことができるだろう。
ベルクソンにかんする言及と比較してみると、ナボコフの作品中におけるプルーストにかん する言及はかなり明示的になされているといえそうだ。ナボコフが最初から英語で執筆した長 篇小説としては第一作にあたる『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』(1941年)では、
セバスチャン・ナイトの蔵書のうちに『失われた時を求めて』の第七篇にして最終篇である『見 いだされた時』(Le Temps retrouvé, 1927年)が含まれている25)。最初ロシア語で執筆された『暗 箱』のうちには 「 マルセル・プルースト 」 の名が明記される箇所(第二十六章、初版にしたが えば第二十五章)があるものの、同じ作品の英語版である『暗闇のなかの笑い』では省略され ている26)。
そのほかにも多くのところで、同一作品のふたつの版であるはずのこれらふたつのテクスト は、完全に別個のものと呼んで差し支えないほどの違いを見せている。あるいはナボコフは、
英語圏の読者の趣味に適応すべく、とりわけ高踏的ないしは衒学的と思われかねない細部を取 り除くことに腐心したのかもしれない。ロシア語版の第二十七章(初版にしたがえば第二十六 章)では、バルザック、ミシュレ、ゴンクール、フローベール、サント=ブーヴ、ルナンなど の文体模写に長けたプルーストそのひとの顰みに倣おうとするかのように、プルースト風の文 体を駆使したパスティーシュが、作中人物のひとりであるディートリヒ・フォン・ゼーゲルク ランツ(英語版ではウド・コンラート)の作品の一部として挿入されている点が読者の関心を 惹くだろう。ところが、残念なことに、この興味深い一節もまた英語版に取り入れられること なく終わったのである27)。
長篇小説『ロリータ』(1955年、1958年)の語り手=主人公ハンバート・ハンバートは、
ロリータの失踪後を描く段階に到達したみずからのテクストをさして「『消え去ったドローレ ス』」(Dolorès disparue)とでも呼んでよいのではないかという感慨を洩らす28)。それは、『失 われた時を求めて』第六篇『消え去ったアルベルチーヌ』(Albertine disparue, 別題『逃げ去る女』
[La Fugitive]、1925年)を念頭においた言葉にほかならない。ある種のパロディのようで
もあり、読者を幻惑する仕掛けのようでもあるけれど、そこにはもう少し深い意味がある。ナ ボコフが、愛する女性の失踪というモティーフをプルーストから借りつつ、その換骨奪胎を企 図したことはたしかだからである29)。
晩年に近づくにつれて、読者の文学的素養をかなり高く見積もるようになってきたというこ
となのか、逆にそうしたものを顧慮してみても仕方がないと達観するようになったということ なのか、ナボコフは、かつてならば差し控えていたであろう好事家的な趣向を、自己の作家性 の証しであるかのように進んで盛りこむようになる。ナボコフの最長の長篇小説である『アー ダ』と、それに続いて執筆された長篇小説としては相当短い『透明な対象』(1972年)30) の双方で触れられている「タンドルの地図」(the Carte du Tendre, a great Carte du Tendre)31) もまた、プルーストとの関連という相においてとらえてみることが可能だろう。それは、『ス ワン家のほうへ』第二部「スワンの恋」でシャルル・スワンが眺めている「コンピエーニュの 森の地図」に喩えられているものなのだ(Proust 1987: 290)。確言することはなかなか困難で あるにしても、こうした例から考えてみて、プルーストがナボコフの霊感と想像力の源泉となっ ている度合いは、一見したよりも大きいということができそうだ。
2.プリズムとしてのテクスト
ナボコフがプルーストの作品に長く親しんできたことは疑念の余地がない。講義のなかで 彼は、主に『スワン家のほうへ』の内容紹介に努めながら、『失われた時を求めて』の最終篇
『見いだされた時』で繰り広げられる瞑想についても多少説明を加えようとしている。「『スワ ン家のほうへ』は、正しい角度から眺められなければならない。プルーストが意図したように 完成された作品との関係においてとらえられなければならない。この第一篇を十全に理解する ためには、私たちはまず語り手を最終篇で開かれるパーティにともなわなければならない。」
(Nabokov 1980: 211)ここでいう「パーティ」とは、『見いだされた時』の山場をなすゲルマン
ト大公夫人が催す午後の会を指している。
『失われた時を求めて』は、語り手が少年時代にコンブレーでよく散策したふたつの散歩道
(Proust 1987: 132-22)─スワン家の地所のあったタンソンヴィルをとおってメゼグリーズ=
ラ=ヴィヌーズのほうへゆく散歩道と、ゲルマント家の別邸のほうへゆく散歩道─になんら かの形でかかわる人びとを語り手が探索するという物語なのだとナボコフは述べる。さらに彼 は、すでに触れた「マドレーヌの小さな欠片」にかんする挿話について、「(といってもこの 思い出がなぜ私をあれほどまでに幸福にしてくれたのかはまだわからず、その理由を発見する のはずっとあとのほうへ先延ばししなければならなかったのだが)」(Proust 1987: 47)とい う告白が挿入されている点に注意を向けなければならないとも指摘している(Nabokov 1980:
226)。
作品のはじめ近くに置かれたこのさりげない言葉のうちに『失われた時を求めて』の全体的 構想が暗示されている点が重要なのだ。こののちも語り手は、過去を想起することよってしば しば幸福感を与えられるが、その想起がなにを意味するものなのかは、最終篇にいたるまで解
き明かされることがない。そのときにいたってようやく、「次から次へと語り手の感覚と彼の 記憶を襲う衝撃が溶け合って、ひとつの重大な理解をかたりづくり、勝ち誇りつつ─繰り返 すならば─語り手はみずからの経験の藝術的な重要性を悟り、かくして『失われた時を求め て』という偉大な報告を書きはじめることができるようになるのである。」「 衝撃 」 というのは、
ゲルマント大公夫人邸の中庭で語り手が舗石の段差に躓いた瞬間、甦ってきたサン・マルコ聖 堂洗礼堂の不揃いな石畳とヴェネツィアそのものの思い出が呼び醒ます喜び(「啓示」といい 換えることもできるだろう)と、その経験を契機としてはじまる、無意識的記憶そのものの意 義にかんする一連の省察を意味している。
『見いだされた時』をも含めた全体的展望が意識されていることからも明らかなように、『ス ワン家のほうへ』一冊だけを講義の対象として取りあげながらも、ナボコフの狙いのうちには、
『失われた時を求めて』という長大な連作長篇小説の全体像に多少なりとも接近することも含 まれている。ただし、『マンスフィールド・パーク』からはじまったこれまでの講義において もそうであったように、それぞれのテクストに固有の魅力を明確化するということが第一の目 的となっていることに変わりはない。そのさいに障碍となってくるのは、以前に取り扱った『ボ ヴァリー夫人』の場合と同じく、フランス語原文ではなく、英語訳を教材として用いなければ ならないという制約であったものと察することができる。
複数の英語訳のいずれも読んだことのなかった『ボヴァリー夫人』について、ナボコフはウィ ルソンによる助言を受けて、エレノア・マルクス・エイヴリングによる英語訳(1886年初 版)を採用した。この翻訳がナボコフの求める水準に合致するものでなかったことは、しばし ば講義録のなかに滲み出る慨嘆から窺えよう。同じように必ずしも手放しで評価できるもので はなかったにしても、『スワン家のほうへ』の英語訳の場合はやや事情が異なっている。『失わ れた時を求めて』全篇の英語訳は、C(チャールズ)・K(ケネス)・スコット・モンクリーフ が第六篇までを担当し、彼の死により、第七篇のみを他の翻訳者32)が受け持ったもの以外に 存在しなかったのだ。選択の余地がなかったこの翻訳についてナボコフは、ウィルソンに宛て た書簡のなかで、「ひどい」という感想を記している33)ものの、講義録のなかにはとくに批判 的な意見はとどめられていない。詳細にわたり原文と照らし合わせる面倒を避けるためであっ たと考えることもできるだろう34)。
そのいっぽうにおいてナボコフは、スコット・モンクリーフの訳文に全幅の信頼をおいてい るわけではないことを暗に表明しておく必要も感じていたらしい。英語訳の標題をわざわざ 全面的に訳し直しているのである。批判めいた言辞はいっさい残されていないにしても、連 作全体の標題が『失われた時を求めて』(In Search of Lost Time)という直訳ではなく、ウィ リアム・シェイクスピアのソネット三十番からの引用である『過ぎ去ったことどもの思い出』
(Remembrance of Things Past)となっている点35)がかりに問題視されているのだとすれば、そ れはある意味で当然のことであろう。そこには原題に含まれていた「探求」─ナボコフに よれば、「偶然によってはじまる探求、訪問、失望が、全篇の主要な主題のひとつをかたちづ くることになるだろう」とされる(Nabokov 1980: 215)─と「時間」という、この作品を 二十世紀文学の典型として位置づけるにふさわしい、いわば鍵となる重要な語がふたつとも欠 落しているのだ。
ナボコフが新たに(おそらくは原題によりいっそう近いものとして)提案している各篇の標 題と、スコット・モンクリーフの英語訳で用いられていた標題は以下のように対応している。
第一篇『スワン家附近の散歩道』(Walk by Swann’s Place)/『スワンの方角』(Swann’s Way)。 第二篇『花咲く乙女たちのかげに』(In the Shade of Blooming Young Girls)/『芽吹きはじめ た木立のなかで』(Within a Budding Grove)。第三篇『ゲルマントの散歩道』(The Guermantes Walk)/『ゲルマントの方角』(The Guermantes Way)。第四篇『ソドムとゴモラ』(Sodom and Gomorrah)/『低地の邑』(Cities of the Plain)。第五篇『囚われの女』(The Captive Girl)/
『囚われたひと』(The Captive)。第六篇『消え去ったアルベルチーヌ』(Vanished Albertine)/
『逃げ去った美しき詐欺師』(The Sweet Cheat Gone)。第七篇『見いだされた時』(Time Found Again)/『取り戻された時』(Time Regained)。
『 ス ワ ン 家 の ほ う へ 』(Du côté de chez Swann) と『 ゲ ル マ ン ト の ほ う 』(Le Côté de
Guermantes, 1920-21年)の英語題名にはいささか違和感があるとはいえ、『花咲く乙女たちの
かげに』(À l’ombre des jeunes filles en fleurs, 1919年)の英語題名は、近年、ナボコフの案に近 いものが採用され定着するようになってきている36)。『ソドムとゴモラ』(Sodome et Gomorrhe,
1921-22年)や『消え去ったアルベルチーヌ』の場合は、原題を逐語的に英語に置き換えたも
のであるし、『囚われの女』(La Prisonnière, 1923年)の原題が女性形であることも英語題名の なかに生かされていることがわかるだろう。スコット・モンクリーフ訳のうち『低地の邑』は 旧約聖書『創世記』十九章二十九節に由来するもので、原題にあるソドムとゴモラを指してい ることはたしかだが、とくに『逃げ去った美しき詐欺師』のような、原題からほど遠い英語題 名は、ナボコフにとってまったく許容しがたいものであったに相違ない。
講義の冒頭で『失われた時を求めて』の各篇の標題を示したのちにナボコフは、簡単な書誌 情報と歴史的背景の概略を示す。「フランス語版では1913年から1927年にかけて十五 巻に分けて出版されたこれら七篇は、英語版では四千ページ、別のいいかたをするならばおよ そ百五十万語をなしている。作品が扱っている範囲は1840年から1915年、第一次世界 大戦中にいたるまでの半世紀以上に及び、二百人を超す登場人物の配役がある。一般的にいっ て、プルーストがつくり出している社会は1890年代初頭37)に属すものである。」(Nabokov
1980: 207)
多彩な人間たちを立ち現わさせ、屈折を生じさせて 「 回想のうちにひとつの世界を再創造す
る 」(Nabokov 1980: 208)プルーストの作家としての特質は、プリズムに擬えられる。その世
界にしろ、その世界の住人たちにしろ、どのような種類の「社会的ないしは歴史的な重要性」
をも有していないとされる。語り手が作者本人と似かよっていて、ほぼ同じような環境に身を 置いているとしても、語り手はプルーストではないし、登場人物たちは「作者の心」以外のと ころには存在していない。『失われた時を求めて』は、「風俗を映し出す鏡でもなければ、自叙 伝でもなく、歴史的記述でもない」(Nabokov 1980: 210)とナボコフが繰り返し強調している 点に留意しておくべきであろう。彼は、この作品の特質を説明づけるにあたり、いくつかの光 学的な仕掛けを思い浮かべながら、鏡よりはむしろプリズムや「クリスタル」のうちにこそプ ルースト的テクストとの類似を認めているのだ。
みずからの存立のために現実的なまことしやかさを帯びることを必要としながらも、虚構作 品とは徹底して自律的な存在なのだいうことを忘れるべきではないとする姿勢は、講義にあ たってナボコフが一貫して堅持し続けているものといえよう。そのことと関係するように、ナ ボコフは、『ボヴァリー夫人』にかんする講義のなかで、自分が取りあげようとしている作品 を「お伽噺」という呼びかたによって性格づけていた(Nabokov 1980: 125)。おそらくはそれ と同じような観点から、『失われた時を求めて』の物語について彼は、「その全体が宝探しであっ て、宝とは時間、その隠し場所とは過去である」(Nabokov 1980: 207)と述べているのだ。「感 覚から感傷への変質、記憶の満ち引き、欲望、嫉妬、藝術的な幸福感といった情感の波─そ うしたものが、膨大ではあるけれども、奇妙なくらいに軽やかで透き通ったこの作品の素材な のである。」
「軽やかで透き通った」という形容が、プリズムやクリスタルに似たテクストの素性を指す にふさわしいものとして選ばれていることはいうまでもない。では、そのテクストが生じさせ ているとされる屈折や変質と呼ばれている事態は、じっさいいかなるものなのだろうか。ひと つには、テクストそれ自体が多面的かつ多層的に構成されている点が挙げられよう。『スワン 家のほうへ』の読者(あるいは『失われた時を求めて』全篇の読者)が容易に気づかされるの は、単一の視点的人物を据えているにもかかわらず、多彩な登場人物のひとりひとりが表象さ れるさいに視点となっているものはじつは単一ではないという事実なのである。
この作品をことのほか印象深いものとしているものとは、スワンならスワンというひとりの 人物を造型するにあたり、それぞれに齟齬を来している複数の情報の束として、パリとコンブ レーではまったく異なっている彼の評判のように、喰い違いをそのままにしつつ呈示する手法 にほかならない。そこにあっては語り手は、ひとりの登場人物にかんして話された他の登場人
物たちの言葉を逐一、注意深く記憶し、それを記録にとどめるという役割を果たすこととなる。
語り手(ナボコフはしばしば「マルセル」という仮の名前で呼んでいる)は、「非常に風変わ りなシャーロック・ホウムズであって、たいへん幸運にも人びとの身振り手振りを垣間見たり、
会話の断片を耳にしたりする。」(Nabokov 1980: 231)
プルーストによる人物造型の方法を分析しようとするとき、ナボコフはジョイスと比較して みることを提言する。「登場人物に肉迫することにかんしてプルースト的方法とジョイス的方 法のあいだには本質的な差異がある。ジョイスはひとりの完全で絶対的な登場人物、神のみが 知り、ジョイスのみが知っている人物を取りあげたのちに、その人物を解体して断片化し、み ずからの書物の時空全体にわたってそれらの断片を撒き散らす。」(Nabokov 1980: 217)ここで ナボコフが想定しているのは、講義のなかでのちに取りあげることが予定されている『ユリシー ズ』のことであろう。そこにプルースト的な語り手の存在がないという点がもっとも大きな違 いであることはたしかである。なんらかの意味で語り手が介在していることを匂わせる叙述が 随所に配置されているにしても、それとは異なるいくつかの層や局面がかたちづくられること により、単一的、一元的な焦点化をつうじて得られる種類の暫定的な現実把握とは完全に正反 対の方向性が模索されているところに、『ユリシーズ』の特徴がある。
そこでは挿話ごとに、伝統的、因襲的な長篇小説とは大幅に趣を異にするかずかずの文体的 実験が演じられ、場合によっては複数の叙述様式が組み合わされて、内面と外面、主観と客 観、現実と非現実との表裏一体化と落差が同時に際立たされることになる。ことに顕著なのは、
一定した叙述のようなものが「脳によって書き留められた一連の短いメッセージ」(Nabokov
1980: 297)によってしばしば中断されることだ。一般に中心的登場人物たちの「意識の流れ」
と呼ばれる心理描写がそのような局面にあたっている。「よい再読者38)はそのようなジグソー パズルの一片一片を拾い集めて徐々に組み合わせることになる。」(Nabokov 1980: 217)
そのようなジョイス的方法にたいして「プルーストは、ひとりの登場人物、ひとつの個性と はけっして絶対的なものではなく、つねに相対的なものとして認知されると主張するのだ」と ナボコフは説く。すでに若干触れておいたように、語り手の祖父やその他の家族が思い描くス ワンがつねに「息子のほうのスワン氏」(Proust 1987: 15)であり、コンブレー在住の堅実な 中産階級の一員であるのにたいして、パリでは彼が「フォーブール・サン=ジェルマンの上流 社交界でもっとも重宝がられている男のひとり」であることが一例となるだろう。「彼[プルー スト]は登場人物を細切れにしたりはせず、登場人物がその人物にかんする他の登場人物たち の考えをとおして存在していることを示す。そんなふうにして彼が望んでいるのは、そのよう なプリズムや影の系列を提供したのちに、それらを結合してひとつの藝術的現実をつくり出す ことなのである。」
3.多層化される叙述
プリズムやクリスタルを思わせるプルーストのテクストの特性は、当然のことながら、そ のテクストが過去をいかにして現前させようとしているかにもかかわっている。この点にか んする議論を進めるにさいしてナボコフは、『失われた時を求めて』は「過去の叙述」ではな く「過去の喚起」であるとするフランスの批評家アルノー・ダンデューの所見に依拠している
(Nabokov 1980: 208)。過去の喚起は、「一連の例証、イメージの系列」にほかならない「巧緻
に選び取られたいくつかの瞬間」を明るみに出すことをとおして可能となる。その結果として、
巨大な作品は、その全体が「かのように」という語句のうえに展開される、「拡張された比較[比 喩]」そのものと化すにいたるのだ。
ナボコフは、プルーストの文体には三つの特徴があるとして、(1)比喩表現の多用、(2)
単一の文のうちにいくつもの従属節や挿入句を詰めこむ傾向、(3)地の文と会話の融合を挙 げている(Nabokov 1980: 212-14)。「 隠喩的なイメージ表現の豊富さ、幾層にも重なり合う比 喩。私たちがプルーストの作品の美を展望するのは、このようなプリズムをとおしてなのであ
る。」(Nabokov 1980: 212)ここでいささか問題となってくるのは、プルーストが「隠喩」と
いう語を必ずしも厳密な意味では用いていないという点であろう。「プルーストの場合、隠喩 という用語は往々にして漠然とした意味で、たとえば、混成形式39)の同意語として、あるい は比喩全般を指すものとしても用いられている。」
ナボコフはとくに実例を挙げていないが、『スワン家のほうへ』の本文を参照するならば、
「慣用的に使われた結果、摩滅して現代語では薄れてしまった隠喩が見て取れるような古風な いいまわし」(Proust 1987: 40)や、「『カトレアする』[faire catleya]40)という隠喩」(Proust
1987: 230)や、「 スワンは……わざわざサン=トゥーヴェルト夫人に先ほどの言葉は隠喩にす
ぎなかったと説明してやろうという気にはなれなかった 」(Proust 1987: 335)などという箇所 を、プルーストにおける隠喩という語の用例として指摘しておくことができるだろう。
たんに用語法に混乱が生じているだけの話で、隠喩ではないもの(たとえば直喩や換喩)の ことを便宜的に隠喩と呼んでいるだけなのではないかという疑念が浮かびそうなところであ る。だがナボコフは、プルースト独特の隠喩という言葉の用いかたのうちに、彼の比喩表現の 独創性と革新性を見て取っているかのようなのだ。「というのも、彼[プルースト]にとって は直喩は隠喩のほうへと絶えず近づいてゆくし、逆に隠喩のほうも直喩のほうへと近づいてゆ くのだが、そこで優位を占めているのは隠喩的な局面のほうだからである。」
「長いあいだ、私は早い時間に寝床にはいることにしていた」41)(Proust 1987: 3)という冒 頭の一文からはじまり、語り手の就眠を主要な主題とする『スワン家のほうへ』の英語訳の「は じめの六十ページ」(Nabokov 1980: 221)についてナボコフは、それはそれ自体で完結してい
るとともに、そこに「この長篇小説の全体をとおして見いだされる文体的要素の大部分が含ま れている」という。ナボコフのいう「文体的要素」とは、すでに触れておいた三つの特徴を含 意しているはずである。とはいいながら、彼が主に着目しているのは、物語内容にせよ、技法 にせよ、プルーストのテクストが読者に差し出している多くのところが比喩を中心としている という点であるように思われる。
プルーストとの比較対象としてナボコフが、ニコラーイ・ゴーゴリの長篇小説『死せる魂』
(1842年)とレーフ・トルストイの長篇小説『戦争と平和』(1865-69年)を選んで いるのは、授業の全体的な組み立てと関連した配慮であったのかもしれない。プルーストの作 品からナボコフがまず引いてくるのは、「 私は、列車の汽笛があるときは遠く、あるときは近 く、森のなかで一羽の小鳥が囀るように距離感を際立たせ、旅行者が次の駅へと急いでいる人 気のない野原の広がりを描き出してくれるのを耳にした……」 という一節である。汽笛が鳥の 囀りのように聞こえ、風に乗って伝わってくるその囀りのように距離感を強調するという種類 の「追加される直喩、内的な比喩」42)(Nabokov 1980: 214)こそは、「イメージに可能な限り の色彩と力を加える典型的にプルースト的な方法」なのだとされる。
さらにプルーストは、「列車の観念、旅行者とその感覚」を論理的に展開させている。この ようにしてひとつのイメージを拡大させることもまた「典型的にプルースト的な方法」のうち に数えられてよいだろう。それは、「その論理とその詩情」という特筆すべき美点によって、ゴー ゴリがとりとめもなく続ける比喩とはまったく別個のものとなっているとナボコフはいう。「ホ メーロスのパロディ」を連想させるゴーゴリの比喩が「グロテスクな誇張」(Nabokov 1980:
220)を身上としているのに引き比べて、プルーストの比喩はあくまでも詩的である。「彼の[ゴー ゴリの]隠喩が悪夢であるのにたいして、プルーストのそれは夢なのだ。」
ナボコフが引用するのは、母に手紙を書くという策を講じてまで、母が寝室にきて口づけし てくれることを確実にしようとしたのに、「返事はできない」という母の伝言を料理女のフラ ンソワーズから伝えられるという挿話を締め括る、語り手が窓を開けたあとに続く「月光と静 寂の描写」(Nabokov 1980: 219; Proust 1987: 32-33)である。それは、「隠喩のうちにさらに隠 喩を組みこむというプルーストのやりかた」を例証するものとなっている。ただ、それに先行 するものがまったく存在しなかったというわけではないとナボコフは付け加えている。
ここで例として挙げられるのは、同じように月光の描写が行なわれている『戦争と平和』第 六部第二章の一場面である。ナボコフは、トルストイとプルーストのあいだに共通するもの を、(1)待ちかまえられている(あるいは待ちかまえている)月光という「感傷の虚偽」43)、
(2)借り物ではない、肉体の眼によって眺められた正真正銘の風景の描写、(3)視覚と聴覚 の融合─月光がつくり出す明暗や濃淡の対比、静寂と遠さの印象を強調する「最弱音」、「音
楽院の管弦楽団」が弱音器をつけて巧みに奏でるモティーフ─という三点に整理している
(Nabokov 1980: 220-21)。「プルーストにおける月光、箪笥の抽斗のように光のなかから引き出
されてくる影、遠さと音楽といったものの精緻な描きかたに注目してほしい。」
「隠喩のうちに組みこまれた隠喩」の例としてはそのほかに、語り手が、シャンゼリゼ公園 での遊び仲間となったジルベルト(スワンとオデットの娘)と会えるかどうかについて、雨の 日には外出を許してもらえないのではないかと心配するという、『スワン家のほうへ』第三部「土 地の名─名」の挿話が取りあげられている(Nabokov 1980: 241-42)。そこに見られるものとは、
段階的に層をなすように構成された内的な比喩である。(1)空模様を気にする語り手が、窓 のまえのバルコニーに灰色から少し明るい色に向かおうとする「努力」(Proust 1987: 389)の ようなものを察知し、(2)「みずからの光を解き放とうとする」躊躇いがちな光線が脈打って いるのを感じているうちに、(3)いつしかバルコニーは「朝の水面」のように光を照り返す ようになり、手摺りの金具の影がそこにそっととどまるようになる。
そのような前半部に引き続いて、内的な比喩はさらに積み重ねられ複雑化されることになる。
後半部をなすきわめて長大な一文の内容は、だいたい以下のように要約することができるだろ う。風が吹くと影はいったん吹き飛ばされるが、(1)「飼い馴らされたように」ふたたび舞い戻っ てくる。(2)バルコニーに敷かれた陰鬱な石は、音楽でいえば「序曲の終結部」にありがちな、
これ以上ない最強音をめざして高まる連続的なクレシェンドのように徐々に黄金の色に達して ゆく。(3)その黄金の石のうえに、手摺りの影が、「勝手気ままに生い茂る植物」のように黒々 と浮きあがる。以上のような一連の比喩を締め括るものは、日だまりのうえに広がる「繁みの 影」が具現化しているように思われる「静穏と幸福の誓約」である。
そこまで続いた一文が終わったあと、原文では段落が変わるのだが、ナボコフは新たな段落 の冒頭部分も先行する比喩の系列の一部をなすものと解釈している。壁を這い、十字形の窓枠 を飾る植物としてはもっとも地味で、悲しげな植物である壁かべ蕁いら麻くさが、その時点ですでにシャン ゼリゼに到着しているかもしれない「現し身のジルベルトの影そのもの」であるように語り手 には思えてくる。この箇所を読むとき、読者が思い起こすのは、第一部「コンブレー」で語り 手がジルベルトとはじめて出会ったさいに、タンソンヴィルの屋敷の生垣を彩る花盛りの山査 子の鮮烈な印象とジルベルトが結びつけられていたことであろう(Proust 1987: 136-40)。
見かたによっては、このように植物と女性が関連づけられるというイメージ表現の機構がテ クスト内に一貫して伏在しているものと想定してみてもよさそうだ。だがナボコフの着眼点は、
いささか異なっている。前段落において手摺りの影が黒っぽい植物に喩えられていたことを受 けて、壁や敷石の隙間から生えているじっさいの植物の描写として理解される可能性のあるも のを、「細工を施した手摺りの影」の隠喩として解釈しているのである(Nabokov 1980: 242)。
その手摺りの意匠は、もしかするとじっさいに植物をモティーフとしたものであったとも考え られようが、明確に結論をくだすことは困難である。
いずれにしても、このようにひとつのイメージや主題を段階的、連続的に─入念に、手間 暇をかけながら─発展させてゆくことは、プルースト特有の隠喩あるいは比喩の用法の特徴 となっていると見なしてよさそうである。さらに視野を広げてみると、それと同様の手法が、
比喩ととくに関係していない箇所においても用いられていることがわかるだろう。「感覚の多 様な層とレヴェル」(Nabokov 1980: 221)は、たとえば、語り手の祖母が贈り物を選ぶさまが 綴られる場面(Proust 1987: 38-40)において実体化されている。祖母は、孫の誕生日に贈る品 物を選ぶにあたり、「知的利点」が備わっていることをなによりも重視した。そうした観点か ら選ばれたものとしては、たとえば、「ジョルジュ・サンドの四冊の田園小説」─『魔の沼』
(1846年)、『フランソワ・ル・シャンピ』(1847年)44)、『愛の妖精』(1849年)、『笛 師の群れ』(1853年)─があった。
祖母による贈り物の選択がどのような紆余曲折を辿るものであったかは、四つの層をなす叙 述によって呈示されている。「第一の層」─現代生活の利便に益するよりはむしろ昔の生活 を偲ぶよすがとなるような品を好ましいと考える祖母は、孫の部屋を飾るものとして、「とり わけ美しい記念碑的建築物や風景の写真」を買い与えたいと願うが、じっさいに購入する段に なると、被写体そのものにかりに「美的価値」が備わっていたとしても、「複製という機械的 様式」ゆえに俗悪さと実用性が目立ちすぎるような気がしてくる。「第二の層」─そのため 祖母は、「商業的な俗っぽさ」(Proust 1987: 40)をたとえ全面的に排除することはできないに しても、それを減少させ、代わりに藝術の「幾層もの『厚み』」(plusieurs 《épaisseurs》)を多 少なりとも感じさせるようなもの、シャルトル大聖堂、サン=グルーの大噴水、ヴェスヴィオ 火山の写真ではなく、できればだれか大画家がそうした場所を描いた絵はないか、スワンに問 い合わせて、その絵画を写した写真を語り手に与えることにしたいと考える45)。
「第三の層」─けれども、傑出した建築物や美しい風景を直接的に複製することにかんし ては写真家の介入を排することができたとしても、大画家の作品が写真に写されることにより、
ふたたび俗悪さが混入する恐れが生じてくるため、祖母は写真ではなく版画で絵画を再現した ものはないかとスワンに尋ねる。「第四の層」─可能であれば、なにか特別に興味を惹く連 想をともなう古い版画のほうがよいので、今日ではもはや眼にすることのかなわなくなったも の、たとえば、修復によって損なわれる以前のレオナルド・ダ・ヴインチの『最後の晩餐』を 写したラファエルロ・モルゲンの版画46)のようなものが望ましいというのが、祖母が最後に 到達した考えであった。
逡巡、懸念、再考、予想といったものが累加されてゆく手順によって、読者は、祖母の人柄
と孫に注がれる愛情に涙ぐましさと微笑ましさすら感じさせられるのではなかろうか。ただ注 意しなければならないのは、この箇所でこのように丹念な叙述の積み重ねがなされている理由 であろう。いうまでもなく、贈り物の選択にかかわる祖母の憂慮について、幼年期にあった語 り手が与り知るはずはない。そのような不自然さを生じさせながらも、語り手は(というより も作者は)、美的感性の陶冶─それは当然のことながら、美術作品や音楽作品にたいする夥 しい言及と繋がってくる─が人間性形成に甚大な影響を及ぼすというメッセージを、作品全 体に一貫するものとして打ち出し、維持してゆこうとしているのである。その意味からいえば、
すでに一端を見てきたようなイメージや主題の連続化、系列化は、ひとつの出来事やひとつの 挿話という狭い範囲に限られるものではなく、テクスト全体の構造と結びつけて把握されなけ ればならないということになるはずである。
4.類似と失意
祖母が語り手の誕生日の贈り物を選ぶという挿話は、母が語り手を寝かしつけるために、祖 母が贈り物として用意していた本の包みのなかから一冊、『フランソワ・ル・シャンピ』を手 に取り、読み聞かせるという一連の経緯が語られる途中に余談として挿入されたものである。
とはいっても、『スワン家のほうへ』(ならびに『失われた時を求めて』全篇)におけるすべて の挿話がそうであるように、外見上、単独で完結しているように思える挿話は、じつはそこで 完全に終わってしまっているわけではない。そこにこめられているのは、ひとつには、語り手 の周囲にあらかじめ醸成されていた藝術愛好の気風が、後年における彼の趣味、嗜好、世界観、
理想など、ありとあらゆるものを育む素地となったという含意である。
子どもの情操教育をめぐる悩みと試行錯誤という、ある意味では卑近な話題は、じつは未来 において生み出される巨大な長篇小説群のような知的創造行為のあまりにもささやかな発端で あったということにもなるだろう。だが重要なのは、そのような伏線ばかりではない。語り手 はいう。「贈り物を贈るという技術にかんするこのような理解のありかたは必ずしも眼醒まし い成果をもたらすものとは限らなかったといわなければならない。潟を背景としたものと思わ れるティツィアーノの素描47)から私が思い描いていたヴェネツィアの観念は、平凡な写真が 与えてくれたものに比較してみると遥かに不正確だったのである。」このようなアイロニーが けっしてその場限りのものでないことに読者は気づかされることとなる。語り手がなんらかの 対象にたいする想念を形成して、期待や予断をいだいくという第一の段階と、じっさいに五感 をつうじてその対象を知覚するという第二の段階があるとするならば、その第二の段階におい てある発見がなされた結果、必ず失望、幻滅、落胆などと呼び得る心境に立ちいたるという状 況は、テクストの全体をつうじて反覆されるパターンのようなものとなっているからである。
単純化していってしまうならば、おそらくそのような反覆こそは、語り手がしばしばいだく 無力感の源をなすものなのだ。繰り返される無力感に立ち向かい、それを乗り越えて、新たな 発見(あるいは過去の再発見)に自己を対峙させることこそが彼の生涯にわたる課題となって くるだろう。だが見逃されてはならないのは、思いこみや思い違いと関連する主題の系列が、
ひとり語り手のみに託されたものではないという点である。プルーストのテクストは、多彩な 登場人物を描き出すことをとおして、(一例を挙げるとすれば)スノビズムと呼ばれる心性の 圏域に認められる微細にわたる差異を活写し、ひとつの社会を多面的、多角的に形象化するいっ ぽうで、それぞれの登場人物の人間性や、登場人物相互の影響関係もまたけっして単純なもの ではないこと、ひとりひとりの考えかたや言動が思いも寄らぬ余波や共鳴を生じさせ得ること を示そうとしている。
スワンとオデット・ド・クレシーの馴れ初めから、人目を忍ぶ恋愛関係と愛の衰えまでを記 述する『スワン家のほうへ』第二部「スワンの恋」48)のなかで、世慣れた男性であるはずの スワンが示す行動や心理は、しばしば語り手のそれらを予兆するものとなっているのだ(「オ デットにたいするスワンの情熱はアルベルチーヌにたいするマルセルのそれを理解する助けと
なる」[Nabokov 1980: 238])。スワンがオデットの住む家とまちがえてほかの家の鎧戸を叩い
てしまうという場面(Proust 1987: 270-71)について、ナボコフはこう述べている。「このスワ ンの錯誤は、語り手がコンブレーのセクションの結尾で、ひたすら記憶だけを頼りに、暗闇 に煌めく光を目印として自分の部屋を再構築しようとして、夜が明けてみると、すべての配 置がまちがっていることに気づくという、あの錯誤49)と比較してみることができるだろう。」
(Nabokov 1980: 240)
他者の記憶が物語のうちに取り入れられることの意味について、ナボコフは、プルーストが 記憶を三つの類型に分類していることを踏まえながら考察している。「プルーストはここで[第 一部「コンブレー」の結尾で]、印象の三つの層について記述している。(1)意図的な行為と しての単純な記憶、(2)過去のある感覚を現在において反覆する感覚によって搔き立てられ た古い記憶、(3)又聞きで得られたものであれ、他人の人生にかんして記憶化された知識。
要点となるのは、ここでもまた過去を再構築するためには単純な記憶だけに頼ることはできな いということだ。」(Nabokov 1980: 238)
そのような意味において、「スワンの恋」の実質上の主人公であるスワンが、『スワン家のほ うへ』の全体をつうじて、他の登場人物に勝る重要性を有していることは疑いない。といって も、語り手とのあいだになんらかの共通性が認められるという点にかんしていえば、そのよう な登場人物は、スワンひとりには限られないだろう。病身であることを理由として部屋に閉じ こもっているにもかかわらず、(主に料理女のフランソワーズとユーラリという近隣に住む老
嬢をつうじて)コンブレーの噂という噂を集めることのできるレオニ叔母─「書物のこの部 分全体を支配しているある種の家庭内の守護女神」(Nabokov 1980: 228)─は、ある意味に おいては、「蜘蛛の巣を紡ぎ出して、ぶんぶんと音を立てながら自分の周囲を飛びまわってい る生をその巣のなかにとらえる病弱な作者さながらの能力を有する、マルセルそのひとの一種 のパロディ、グロステスクな影なのである。」50)
このように、世代や立場の異なる人びとが互いに類似した行動や思考によって結び合わされ るというのは、あまりにも都合のよい設定であるようにも映るであろう。だが、虚構上の論理 構成としてここで求められているのは、便宜上の類似性ではなくむしろ普遍性である。このテ クストにおいては、なにか普遍的な真実のようなものがつねに追求されている。レオニ叔母に かんしていえば、この人物をとおして表象されるものとは、無力さという限界と、それを引き 替えとして得られる知識だということになるだろう。ただひたすら受動的であることによって、
ひとはみずからと対極にある存在にかんしてもなんらかの知識を獲得することができるのでは ないか。そのことを証すために語り手は、自分自身にとってはとうてい理解しがたいところの あるシャルリュス男爵やアルベルチーヌ・シモネのような人物についても語り得る限りのこと を語ろうとするのだ。
語り手をとりあえずの中心点(というよりも消失点であろうか)となすことにより、幾人も の登場人物たちの個性、それぞれの類似と差異を徹底的かつ網羅的に描き出すことをとおして、
プルーストのテクストは、それ自体がいわば現実世界の複雑さそのものを縮約し精製する装置 のようなものとなり果せている。各登場人物の描写にあたって、視覚的要素も言語的に再現し ようとするのは、長篇小説の表現方法としては常道というべきであろう。ただ、ここでそのよ うな表現の主たる媒体となっているのは、他の登場人物による評言である。とりわけ美術品の 鑑識に長けたスワンが、その豊富な知識を人物観察に反映させる場面が目立っている。
彼は、フランソワーズから嫌がらせを受けている下働きの女中とジョット・ディ・ポンドー ネの寓意画のひとつ『慈愛』のあいだに容貌の類似を認め(Proust 1987: 80)、語り手がベルゴッ トという(架空の)作家を愛読するきっかけを与えたアルベール・ブロックという少年の顔に ついて、ジェンティーレ・ベルリーニの描いたメフメト二世の肖像画に似ているという(Proust
1987: 96)。スワンは、語り手に与える贈り物にかんして語り手の祖母に助言したのみならず、
みずからもジョットの寓意画四点を写した写真を語り手に贈っていたのだった。
語り手はそれらの寓意画を好きになれなかったものの、幼年期に受けた薫陶はけっして無駄 に終わらなかったというべきであろう。ナボコフの言にしたがうならば、「作品全体をつうじ て語り手あるいはスワンがしばしばあれこれの人物の肉体的外見を、著名な巨匠、多くはフィ レンツェ派の巨匠の絵51)に擬えて見ているのは注目に価する。この方法のかげには、主要な
理由がひとつと二次的な理由がひとつある。主要な理由とはもちろん、プルーストにとっては 藝術こそが生の本質的現実であったということだ。」そして二次的な理由とは、とくに男性の 容姿を賞美するときには、傑作として知られた絵画への連想を口実として利用して同性愛的な 嗜好を隠蔽し、逆に女性の容姿にたいする興味が欠如しているという不備も、絵画の描写によっ て補うことができるという利点があることだろう。
『失われた時を求めて』ののちの各篇においてしだいに重要性を増してくる同性愛52)の主題 は、『スワン家のほうへ』においては、音楽家ヴァントゥイユの娘と同居しているその女友だ ちとの関係にかろうじて察知し得るにすぎない。ふたりの間柄にかんする噂が広まっている ことに心を痛めていたヴァントゥイユが亡くなったのち、メゼグリーズに向かう途中のモン ジューヴァンにあるヴァントゥイユ邸で、ふたりの女性が故人の写真にたいして冒瀆的な振 る舞いをしているところを、語り手は、偶然、開け放たれていた窓越しに目撃する(Proust 1987: 157-63)。
第一部「コンブレー」においては軽侮か同情のまととなるだけであったヴァントゥイユの名 前は、第二部「スワンの恋」において別の意味合いを帯びることとなる。スワンは、ある夜会 でたまたま耳にしたピアノとヴァイオリンで演奏される曲の楽節─それはのちに「小楽節」
(Proust 1987: 233)と呼ばれるようになる─に魅了され忘れられずにいるが、ヴェルデュラ
ン夫人のサロンではじめてそれがヴァントゥイユが作曲した『ピアノとヴァイオリンのための ソナタ』のアンダンテ楽章であることを知る(Proust 1987: 209)。しかし彼は、はじめのうち、
その作曲者が自分の知人であった老音楽教師そのひとであるとは信じることできない。同じ姓 をもつ別人であろうと思いこんでいたのである。
スワンは、超自然的なものを地上にもたらすことのできるヴァントゥイユの天才的技倆に驚 嘆する。「小楽節」はやがてスワンとオデットの恋を表徴する「国歌」(Proust 1987: 215)と なる。愛の成就が困難になってくるにつれて、「小楽節」は幸福だった過去の喜びを思い起こ させるようになるが、それと同時にスワンは、そのかげに潜んでいる苦悩をも察知するように なってゆく。彼は、ヴァントゥイユはどのような生涯を送ったのか、どのような辛酸を嘗め たのかについて思いを馳せる(Proust 1987: 233)。ヴァントゥイユという個人の人間像につい て、生前の断片的な言動以上のことはいささかも明らかにされることがないにもかかわらず、
肉体の死後もなおその人格が他者に及ぼしている影響─「人間関係のなかで変化し続ける価
値」(Nabokov 1980: 231)─は、このようにして劇的なまでの転変に晒されることとなるの
だ53)。
ヴァントゥイユの「小楽節」は、語り手とスワンがともに繰り返し経験しなければならない 失意や落胆のちょうど対極に位置するものを表象しているといえるはずだ。そのことは、今後
さらに『失われた時を求めて』を読み進むことによりいっそう明らかとなってくるはずである。
「 書物の中盤を占めているスワンの恋にかんする論攷は、スワンと自分自身とのあいだに類似 したところを見いだしたいと願う語り手の欲望54)を明示している。スワンが経験する嫉妬の 苦しみは、全篇のなかほどの篇において、語り手のアルベルチーヌとの恋愛に関連して反覆さ れることになるだろう。」(Nabokov 1980: 244)そのようにして読み進むとともに『スワン家 のほうへ』を再読し再-再読すること─それこそは、われわれがプルーストのテクストを最 初に開いたときからあらかじめ定められていた読みの様態であったに違いないのである。
註
1) Vladimir Nabokov, Lectures on Literature, ed. Fredson Bowers (New York: Harcourt Brace Jovanovich / Bruccoli Clark, 1980). 引用箇所は括弧内のページ番号によって示すこととする。
2) Vladimir Nabokov, Lectures on Russian Literature, ed. Fredson Bowers (New York: Harcourt Brace Jovanovich / Bruccoli Clark, 1981).
3) 学年によっては、たとえば、秋学期のはじめにジェイン・オースティンの長篇小説『マンスフィールド・
パーク』(1814年)を取り扱った直後にアレクサーンドル・プーシキンの短篇小説「スペードの女王」
(1835年)が続くことがあった。春学期の授業は、レーフ・トルストイの長篇小説『アンナ・カレー ニナ』(ナボコフ独自の表記にしたがえば『アンナ・カレーニン』、1877年)からはじまるというパター ンが定着するようになった。Cf. Boyd 1991: 171.
4) Vladimir Nabokov, Speak, Memory: An Autobiography Revisited (1967; New York: Vintage International,
1989). 1951年にアメリカ合衆国で出版された初版の標題は『決定的な証拠』(Conclusive Evidence)
であった。イギリス版(ヴィクター・ゴランツ社)の標題は『記憶よ語れ』であり、改訂版において もそれが踏襲された。
5) Karlinsky 2001: 262-63. Cf. Boyd 1991: 166.
6) Karlinsky 2001: 265.
7) 鈴木聡「虚構と構造─ヴラジーミル・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論」(『東京外国語 大学論集』第84号、2012年)。鈴木聡「霧と変化─ヴラジーミル・ナボコフの『荒涼館』論」(『東 京外国語大学論集』第86号、2013年)。鈴木聡「移行と停滞─ヴラジーミル・ナボコフの『ボヴァ リー夫人』論」(『東京外国語大学論集』第88号、2014年)。「変身と併存─ヴラジーミル・ナ ボコフの『ジーキル博士とハイド氏の奇妙な事件』論」(『東京外国語大学論集』第90号、2015年)。 8) Marcel Proust, À la recherche du temps perdu. Tome I: Du côté de chez Swann; À l’ombre des jeunes filles en fleurs (I), édition publiée sous la direction de Jean-Yves Tadié avec la collaboration de Florence Callu, Francine Goujon, Eugène Nicole, Pierre-Louis Rey, Brian Rogers et Jo Yoshida (Paris: Gallimard, 1987).
引用箇所は括弧内のページ番号によって示すこととする。
9) プルーストの作品のあとにフランツ・カフカの中篇小説『変身』(1912年執筆、1915年発表)
とジェイムズ・ジョイスの長篇小説『ユリシーズ』(1922年)にかんする講義が続く。
10) Proust 1971: 558. Cf. Baldwin 2013: 78-79; Tadié 2000: 128, 372. アントワーヌ・ビベスコに宛てた書簡の なかでもプルーストは同様のことを述べている。Proust 2006: 271-74.
11) 『スワン家のほうへ』からの引用にあたっては、既存の複数の日本語訳を参照したが、いずれもフラン ス語原文から相当かけ離れているところがあるため、より直訳に近いものとした。
12) 科の木の花と苞葉からつくられたハーブ・ティーを指す。
13) Bergson 1903: 85, 119.