目 次 1.はじめに 2.「エイサー」ブランド以前 3.「エイサー」ブランドの創造 4.「 エイサー」はローカル・ブランド、ナショ ナル・ブランド、リージョナル・ブランドを パス 5.「エイサー」、グローバル・ブランド化 6.新たな挑戦 7.おわりに――若干の考察 注
1.はじめに
台湾は 1950 年代以降、工業立国を目指した 経済政策を採用し、アジア NIEs のメンバーの 一員として、経済成長を実現したが、その後の 発展は、ブランドを創造し、展開するマーケテ ィング企業のそれではなく、アメリカ、日本な どの外国企業の下請生産、すなわち、OEM 生 産に特化した独特なタイプのようにいわれてき ている。周知のように 1980 年代後半には外国 資本を積極的に誘致し、電子産業を中心とした 科学技術重視の工業経済を確立した。とりわけ 台湾の I T 産業は独特な生産システムである OEM ‘Original Equipment Manufacturing’( 相 手 先ブランドの委託生産)、ODM‘Original Design Manufacturing’(相手先ブランドの委託設計と 委託生産)、ファウンドリー‘Foundry’(受注 加工生産)に特化することで、主としてアメリ カの大手 I T メーカーからの受注によって積極ケーススタディ:台湾のブランド「エイサー」
*梶原 勝美
的なビジネスを展開し、急速に規模を拡大して きた(注 1)。1994 年のアメリカのフォーチューン 誌が報じたように、アメリカの I T 企業、たと えば、ヒューレット・パッカード社、アップル 社、シスコ社、デル社などが販売しているブラ ンドのほとんどが、実は台湾の企業により台湾 で生産されている。このように多くのアメリカ のI T企業が台湾に生産拠点を築いたため、台湾 はあっという間にアメリカと日本につづくエレ クトロニクス大国になった(注 2)。その後現在まおいても「エイサー」のパソコンの販売を大き く伸ばし、2004 年にはヨーロッパのノートパ ソコン市場で最大のシェアを取るに至った。ラ イバルの‘HP’がヨーロッパ市場において、 ディーラー経由から直販に軸足を移すという失 策を犯したために、HP 社から離れた優秀なデ ィーラーを取り込むことで宏碁社はシェアを伸 ばし、ヨーロッパ市場で‘HP’を追い抜いた のである(注35)。 その後、世界中に工場や合弁会社を設立し、 現地での上場を果たし快進撃を続けた。しかし ながら、1999年、国際化の過程で最大の失敗と もいえるアメリカ市場からの撤退を余儀なくさ れた(注36)。この時期の「エイサー」ブランドの マーケット・ポジションは、ノートパソコンで シェア No.1を占めているのは台湾、イタリア、 インドネシアの3カ国。No.3の位置にあるのは スイス、オランダ、スペイン、ニュージーラン ド、メキシコ。ノートパソコンとデスクトップ を合わせたシェアが No.3 以内に入っている国 は台湾、マレーシア、タイ、インドネシア、フ ィリピン、シンガポール、香港、南アフリカな どであった(注37)。 2001 年に、ブランド・ロゴを‘Acer’から ‘acer’に変更した(注38)。 2002 年に宏碁グループの経営者であった李 焜耀は「ブランドの位置づけを台湾だけのブラ ンドにしてはいけない。世界のブランドとする ことを最終目標とするべきだ。当然、人材の国 際化、資源の分配、国際資本の指示なども、世 界ブランドの販売に成功するカギとなる」と述 べている(注39)。
6.新たな展開
「エイサー」の目標は「新鮮技術をどこでもだ れでも楽しめるように」というコンセプトのも とでの世界ブランドとなることである(注 40)。 「新鮮技術」からスタートし、「エイサー」は 「新鮮な価格」という概念を導いた。「エイサ ー」の戦略は、比較的短い期間で価格を小幅に 下げ続け、消費者の負担を減らそうというもの である。すなわち、消費者へのアピールとコン センサスの形成である(注 41)。「ブランド品は品 質とサービスがいいだけではなく、大量生産に よるコンポーネントコストの低下から、より安 い製品価格を提示すべきである」(注42)。 2007年にはアメリカ市場を中心に‘Gateway’、 ‘eMachine’というブランドを展開していたゲ ートウェイ社を買収し(注43)、2008年には、オラ ンダのパソコンメーカーのパッカードベル社を買 収し(注44)、その結果、「東芝」、「レノボ」を次々 と追い抜き、世界 PC 市場 3 位(注 45)、2009 年に は‘Dell’を抜き、初の2位に浮上した(注46)。 2009年には、新たにCULVプラットフォーム を搭載したノートパソコンを‘Timeline’シリ ーズとしてヨーロッパ、アメリカ、アジアの市 場に同時に投入している(注47)。いるのではない(注49)。」ということになる。
同社は、ゲートウエイ社、パッカードベル社 といったパソコンメーカーを傘下に収め、マル チ・ブランド戦略を推進してきた(注 50)が、その
者のブランド評価・支持を得なければならない といえる。 同社は買収した企業のブランドをそのまま使 用するという多ブランド戦略を採用し、それら の多ブランドの展開を外部企業に一任するとい うビジネス・モデルのもとにあるが、それを修 正することから、ブランド・マーケティング企 業への道が開けると思われる。それにはまず同 社の創業者から現経営者のブランド理解が単な るブランド名であり、マーケティングの理解が 販売に近いものであり、さらにまた、これまで ライバル・ブランドより消費者へ低価格訴求を 行ってきたのは事実であり、これらをどう転換 するのか、今まさにターニング・ポイントにさ しかかっているものと思われる。というのは、 このままでは同社はブランド・マーケティング 企業からますます遠ざかり、パソコンの総合商 社に近づくばかりで、宏碁社の企業ブランド 「エイサー」はバラバラで統一のないものとな り、「 エイサー」の将来は風前の灯となるかも しれない。 *本研究は、ブランド・マーケティング体系(Ⅴ)、 「ブランドの展開モデルと事例研究」、3.「ブラ ンド展開の事例研究」専修大学商学研究所報第 41 巻第 号、2009 年 10 月――に追加する事例研 究である。 注1 李右 「台湾におけるモノづくりの特徴と 人的資源管理の変化―エイサー(Acer)社の 事例を参考に―」p.5、月間経営労働2009年 月号、経営労働協会、2009年。
注 2 B.C.Lynn, END OF LINE THE RISE AND
COMING FALL OF THE GLOBAL CORPORAION,
Doubleday, 2005:岩本孝子訳『つながりす ぎたグローバル経済』p.71、オープンナレ ッジ、2007年。 注3 「編集長インタビュー 産業空洞化を恐れ るな 施振榮 台湾宏碁(エイサー)グルー プ 創 業 者 」p.100、「Nikkei Business」2008年 12月22日・29日号、日経BP社、2008年。 注4 M.Kotabe and K.Helsen, Global Marketing
Management 4th Edition, John Wilery & Sons, Inc.,
2008:栗木契監訳『国際マーケティング』p.5、 碩学社、2010年;横井弘海「台湾を代表する 国際ブランド『acer』」p.14、「外交=Diplomatic relations」 第21巻 第2号、 外 交 知 識 普 及 会、 200年。 注5 小林守「台湾 I Tメーカーの雄 宏碁(エ イサー)の発展とビジネスモデル」p.1、「ア ジアクラブマンスリー」9号、200年月。 注6 荘幸美『台湾I T産業の経営戦略』p.142、 創成社、2004年。 注7 スタン・シー(施振榮)『エイサー電脳の 挑戦』p.142、経済界、1998年。 注8 同上、p.。 注9 同上、p.4。 注10 荘幸美、前掲書、p.142。 注11 佐藤幸人『台湾ハイテク産業の生成と発 展』pp.198-199、岩波書店、2007年。 注12 スタン・シー(施振榮)、前掲書、pp.-7。 注1 同上、pp.-78。 注14 同上、p.4。 注15 同上、p.5。 注1 同上、pp.90-91。 注17 佐藤幸人、前掲書、pp.204-205。 注18 スタン・シー(施振榮)、前掲書、p.15。 注19 佐藤幸人、前掲書、pp.205-207。 注20 スタン・シー(施振榮)、前掲書、pp.12-17。 注21 荘幸美、前掲書、p.149。 注22 佐藤幸人、前掲書、p.207。 注2 同上、pp.204-205。