神奈川大学大学院経営学研究科 F研究年報』第11号 2007年3月 3
■ 研究論文
ドイツ企業社会の再評価と CSR R
evaluationofGermanCorporateCommunityandCSR神奈川大学大学院 経営学研究科 国際経営専攻 博士後期課程
山 田 英 俊
EishunYamada
■キーワー ド
CSR、企業の社会的責任、 ドイツ経営経済学、技術の進歩
は じめに
ドイツにおいて、経営に関す る問題 が多 く発生 してい る。特 に失業率 の問題 は、 ドイツ、EUの みな らず、世界 に影響 を与 える可能性 がある大 き な問題 として世界に注 目されている。本稿の問題 意識 は、 こうした状況下で、「ドイツはどの よ う な企業のあり方 をとってい くべ きなのか」 とい う 点にある。
そこで、 ドイツ、シーメンス社の事例 を通 して、
また、 ドイツの近代史 を通 して、現在議論 されて いるCSRを、企業のあるべ き姿の源泉 として ドイ ツ企業の課題 とそれに対す る私見 をまとめるのが 本稿の 目的である。
さて、CSRは最近研究 がな されて きた学問であ り、筆者 は企業倫理、SRI等の論文 に関 して研究 を進 めて きた。 ここで述べ るCSRが示す ものは企 業倫理や社会環境問題、自然環境問題への配慮 を 匂合 した学問である。
まず、 ドイツ経営経済学がCSRへ向か うまでの
発展 につ いて概略的に述べ る。 ドイツにおいて、
商学 または経営学 は 「経営経済学」 と称 され る。
これは実学 としての商学が、 ドイツ独 自の発展形 態 によって生成 されて きたことによるものである。
その独 自の発展形態 とは、一般 に私経済論争 とい うもので、 「商学 は学 問た りえるか ?」 とい うも のであった。経営学や商学 といった学問は今 日学 問 として認知 されているが、その学問が学問た り える背景 には先駆者の努力があった。
ドイツで は1912年 か ら、 ブ レンタ‑ ノとエ ー レンベル クが この経営経済学 に批判 を行 った。彼 らは、経営経済学が学問 とい う名 を利用 して私的 な企業の利益 を代表、弁護す るだけであ り、金儲 けのためだけの もので、学問の生成発展 に有害 で あるとした。 この批判 に対 し、 シュマ‑レンバ ッ ハは 「動的貸借対照表論」 を1926年 に発表、シュ ミッ トは 「有機 観貸借対照表 論」 を1921年 に発 表、そ してニ ック リッシュが 「経営経済原理」 を 1928年 に発表 し、 さらに組織 共 同体論 を提 唱す ることによってこの批判 に答 えた。 これがいわゆ
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る第一次方法論争 と呼ばれ るものであるOそ して 第二次世界大戦後に経済学の学問的成果 を取 り込 むことによって、グーテ ンベルクは 「経営経済学 原理」 を1951年 に発表 し、 ドイツにおけ る経営 経済学 は、その学問的地位 が論争に巻 き込 まれ る ことのない地位 にまで向上 した。現在ではアメ リ カの経営学の影響 を強 く受 け、 さらに発展 してい る。
ドイツにおける経営経済学の特徴 を挙げるとす るな らば、理論性や抽象性 を重視 していることが 挙 げ られ る。 これは経営経済学 とい う学問が、論 争の中でその地位 を獲得す るために実用性 よりも 認識 を明 らかにす る必要 があったことに要 因があ ると考 えられ る。第二に、理論や科学性 を重視 し ていることが挙 げ られ るだろう。 これ も上述の こ とを考 えての ことであると筆者 は考 えている。経 営経済学 は、 日本における経営学 と会計学 を包含
したものであるといわれ る所以である。
ドイツにおける経営経済学の特徴 を考 えるとき、
アメ リカの経営学 と比較するとその違 いが非常に 明 らかであることが理解で きる。アメ リカの経営 学 は 「経営学の父」 と呼ばれ るテイラーの科学的 管理の提唱に代表 されるよ うに、実践的な ものが 要求 され る学問であった。 よって、 ドイツのよう な 「論争」 はな く、工場や生産現場でのプラグマ テ ィズ ムの もとで、企業の経営実践 に役立つ もの を優先 に発展 してきた学問である。従 って、技術 論、経営実践 を重視 し、 ドイツのような理論性や 抽象性 は軽視 された。 ドイツにおける経営経済学 の理論的構築 に対す る努力は、大別 して規範科学 的、応 用科学 (技術論)的、理論科学的な立場か ら行われ ることとなる。 そ して、第二次世界大戦 後 は旧西 ドイツ経営経済学が復興 し、グーテ ンベ ル クの経営経済学 を中心にいわゆるグーテ ンベル ク学派 (理論科学的)経営経済学の発展が中心的 な もの となっている。 こうして現在ではアメ リカ 経営学 を取 り入れた ものが主流 となっている。で は、CSRの定義 か ら、 ドイツにおける企業の現状 までを以下 に述べ ることとしよう。
1 CSRの史的背景
CSRとは 、"CorporateSocialResponsibility"の 略語 セ あ り、企業 の社会 的責任 とい う意 味 を示 すO企業 は営利主体であ り、 よ り良質のサービス を、より安価に提供す ることによって、当該業界 において競争力 を発揮 し、市場調査 によって常に 新 しいニーズに応 えることが要求 され る。そ して、
現代 は、大量生産 ・大量消費社会 であ り、まが 肖 費者は新 しい製品 ・サービスに敏感 になっている。
テ レビ、 ラジオ、 インタ‑ネ ッ ト等、いわゆるIT の発達が これ を さらに助長 してい るとい えよ う。
こうした市場社会に対 し、企業 はその活動によっ て貢献 をしてい くものである。
しか し現代 は、市場 に提供 され るサービスが、
どのような方法によって生み出 されているものな のか、 さらにどのような経営体制の下で生み出 さ れているものなのか とい うことも、重要 な問題 と して社会か ら注 目されている。 日本では公害問題 に端 を発 し、海外で も公害、企業不祥事が、技術 と企業規模の発達によって様 々な問題 になること となった。そこで登場 した概念 がCSRである。倫 理的意思決定 を推奨 し、かつ コンプ ライアンス(演 令遵守等) を貫徹 し、情報開示や環境対応 などに 対 し、積極的に取 り組む企業 を促進す るこの概念 は、米国で発生 したと言 われている。
しか し、 このアメ リカが発祥の地であるとい う 考 え方 に対 して、筆者 は否定す る立場 を取 ってい る。即 ち、「CSRとい う用語 は新 し
い
」 ことは否 定 しないが、現在議論 されているCSR概念のほ と んどは、既 に古 くか ら経営者、思想家によって考 えられていたことであ り、特別新 しい内容ではな いとい うことを根拠 に、アメ リカが発祥の地 とは 言 えない とい うことを意味す る。一つ例 を挙げるとすれば、 イタリアのメデ ィチ 家がルネッサ ンスに影響 を与 えたことが挙げ られ るであろう。当時は言 うまで も無 くCSRとい う用 語が無かった。 しか し、企業 (商人) が社会 に貢 献 をするといった例 は、その他 に も多 く見 られ る ことである。筆者 は中国古代史の思想 まで遡 って
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研究 を進 めているが、現段階での私見では、人類 の生活 に物々交換か貨幣交換かを問わず、取引が 行われ るようになったことによって、現在のCSR に関連す る概念 も生 まれたと考 えている。
よって、 これ まで中心的な議論 として、研究 ま たは積極 的に実践 されてこなかったCSRに相当す る概念が、漸 く近現代 になって研究対象 としての 地位 を得たとい うのが筆者の見解である。
さて、CSRの定義 について、筆者 はこれまでそ の定義が困難である為に、不可能であるとい う高 巌氏の主張 を引用 して きた。 それは次のような も のであった。即ち、「CSRとは実際に何 を指すのか、
何 に対応 しなければな らないのか (例 :人権、労 働環境、環境保護、地域貢献など) とい う具体的 な定義 はほとんど不可能であると考 えている。な ぜ な らば、CSRは、社会又は市場 との関係 におい てその内容が決 まって くるものだか らである。つ まり、CSRの指す ところは、市場や地域の人々と の交流や対話 を通 じて、又は相互作用を通 じて何 をや るかを決めてい くことで、その具体的な実践 内容 が決 まって くるか らである」 tとい うもので あった。
そ して、この考 えは、松野弘氏 を中心 とした研 究者 も同様の立場 を取 ってい る。即 ち、「企業 が さまざまな社会環境主体 と相互 に連関す る<オー プン ・システム>である限 り、その行動が私的利 益 (自己利益)だけでな く、公的利益 (社会的利 益) をも考慮 した ものでなければな らない とい う
ことに関 しては共通 した認識が存在 している」 と し、定義づけが困難であることを認めつつ も、共 通認識があることを示 している。
そこで、本稿 においては、CSRを上述の考 えを 踏 まえ、次のように定義する。それは、「オープ ン・
システムを前提 とす る企業が、私的利益 と公的利 益 とに配慮 して企業経営 を行 うよう、企業の経営 業績 と社会的業績 とを有機的に結合 させ るような 経営戦略 を策定 し、遂行す ることであり、反社会 的行為 を排除 し、社会的期待や社会的要請に応 え ること」 とい うものである。ただ し、今後の筆者 の研究 によって、より良い定義 を考案 した場合 は、
筆者のCSRに対す る定義 も変化す るだろう。
さて、CSRに対 して疑問視す る声 もある。例 と して、 ドイツのベル リン自由大学経営学教授であ るギュ ンタ一 ・ドゥル ーゴス氏の講演、「企業利 害 と疑わ しい倫理指針要 因 と しての公共 の福祉
」
'■がある。
同氏 は中央大学商学部 研究会 において、次 の ように述べている。即 ち、「企業活動は、無関心、
補足 的、そ してコンフリク トといった様式の多 く の種 々の利害 の焦点 を形成す る。 コンフ リク ト的 利害 は、経済的な形式的諸 目標への相互の指針に おいて少な くとも潜在的であれ交換関係 に基礎づ け られている。 これ らの利害 は、広 い競争状態か らや、例 えばェ コロジーの ように一方の妨害か ら 生 じるのである。 コンフリク ト的利害 は、別々の 職能の担い手の間ばか りではな く、同一職能の担 い手の間にも生 じる。 そこか ら結果す る諸 コンフ リク トは、正常であ り基本的にはア ンビバ レンツ な社会現象であ り、その発現 は、 また企業領域で は決 して特別 な ものではな く、 ここでは最初か ら 否定的なもの と判断 されてはな らな
い
」 …とい う。さらに、 自由州バ イエル ンの州法では、公共の 福祉 につ いて、 「全体 的経済活動 は公共 の福祉 に 役立 ち、個人の経済的自由は隣人 な らびに国家の 公共の福祉の要求 を考慮す るとき限界 を有す る」 一、と州法151条で定めてい ることも述べてい る。
結論 として同氏 は、「法制化 と判例がこの疑問の 多い設計案 を放棄すべ きなのかの問題 は、法律の 文献での接近方法の論争で論議 され、 これ まで優 勢 なの は否定 的に しか回答 され ていない」、'と し てお り、同氏は企業倫理や企業の社会 的責任 とい った領域 に対 して、法的解釈の視点か ら限界 を有 す るもの として、CSRに対 して否定的立場である。
ではCSRはこうした疑問や否定的解釈 に対 して 明確 な理論的根拠 を示 しているのであろうか。現 段階の筆者の考 えは、否である。 その要 因は、筆 者 自身の研究不足 も多分 にあるが、CSRの理論的 構築 が困難 で あ ることと、 その領域 の広範 さ故 であろう。そ して、 そ もそ もCSRが主張す るのは、
これ までの営利追求型企業 は悪であり、社会指向
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的、慈善事業的な企業 は善 で あるとい うよ うな、
勧善懲悪型の分類 によって企業 を扱 うものではな い。なぜな らば、営利 な くして企業 は存在 しえず、
企業活動 その ものが否定 されて しまう為である。
CSRは、営利 のみ を追求す ることの問題 を指摘 してい るので あ る。即 ち、 これ まで成 功 を収 め て きた営利 追求 志向 が生 み出すい くつ もの弊害 が、現代社会においては、企業経営者 などの個人 のみな らず、組織構成員 も含めた、当該企業の企 業活動全体 を否定す ることに繋がるとい うことを、
CSRは示唆す る。 そ して、 その弊害 を未然に防 ぐ 行動規範の確立の必要性 を主張 しているのである。
今後、特定の企業が倫理的な行動規範 を確立 し得 なかった場合、当該企業の企業活動は停止せ ざる を得ない状況 になるであろう。
さらに、ここで重要 な問題 となるのは、当該企 業のみの問題解決行動では、社会全体の問題解決 に至 らない とい うことである。具体的に言 えば、
企業における労働者 に対す る問題 ‑労働問題、環 境汚染などの問題 を発生 させたことによる自然環 境汚染の被害 ‑自然環境問題、 自社製品の品質管 理の問題であれば、その製品によって被った消費 者側の被害 ‑対消費者間題、 といった問題 が挙げ られる。 これ らの問題は互いに連鎖 ・増幅 し、後 世 まで尾 を引 くこととなる。即 ち、企業の規模が 拡大 し企業活動が世界規模 に拡大 したこと、そ し て汀の発達等が大 きく関与 し、 こうした問題 をさ
らに拡大 させ ることになっているのである。
そ して、現実的問題 としてCSRは、様 々な問題 を有 している現代 において、必要不可欠な研究領 域であ り、総論的な理論構築が困難であったとし て も、各論的な理論 を展開 し、 それ らを収束 させ ることは可能であると筆者 は考 える。
但 し、CSRは古 くか ら、現代企業 に要求 され る ようになっていることに関連す る要素 を含んでお り、現代では当該企業の業種 ・業態 ・規模 によっ てCSRに関連す るどの要素 に対 し重点的に取 り組 むかとい うことに差異が発生 している。 また、史 的 な観点か ら考察 す ると、時代 によって、「社会 的責任」 とい うもの は変化す るO この ことか ら、
CSRの広 い定義 は可能であるが、厳密な定義 は不 可能であ り、む しろ筆者は厳密な定義 を行な うべ
きではない とい う立場 をとっている。
ここでい う厳密 な定義 とは、いわゆる狭義の定 義 も含むが、国際的な一致 を見た定義、即 ち規則、
規制等になることを意味す る。ある程度の規格 な り規制が必要 で あるが、CSRに関 しては、前述の よ うに時代 ・業種 ・業態 ・規模 によって変化す る ものであるため、規格、規制 を厳格 に決定す るこ とはCSR概念の硬直性 を助長す るとい うのが筆者 の姿勢である。
では、時代 とともに変化す るCSRは現代ではど のような位置づけがな されているのか。 この問題 について考察 を進 める。
2 CSRの現代的意義
まず、本稿 におけるCSRを再確認す る。本稿 に おいてCSRは、第一 に社会 的配慮 を自主的に行 う もので あ る。 この社会 的配慮 には、労働環境 の 問題や雇用 ・人材育成の問題、そ して労働者 それ ぞれに対す る配慮 も包含 され るものである。第二 に、環境配慮 につ いては自然環境の破壊 を未然に 防 ぐ努力 を自社業務に取 り込むことを指 している。
製造業 を例 に とれ ば、製 品の設計 開発段 階 か ら
「 3 R
」、即ち、リユ ース (再利用)、リデュ‑ス (削 減)、 リサ イクル (再利 用) を考慮 して行 い、当 該製品の廃棄後 について も可能な限 り自然環境破 壊 を起 こさないよ う配慮す ることが求 め られ る。当然の ことなが ら、 これ ら社会的配慮 と環境配慮 を法的に、 しか も厳 しく制約 した場合、経済的な 競争力や技術力の強い企業のみが生 き残 ることと な り、いわゆる中小企業は経営活動 を停止せ ざる を得 ない状況 とな る。 そのため、「法的な制約や 契約上の義務 を上回 るものである」 とい う認識の もとで、あ くまで自主的な活動 としてCSRは認識 され るべ きである。
筆者 が考 えるCSRは 「自主的な活動」 として社 会 ・環境配慮 を行 った結果、「経営状況 が好転」
もしくは 「国内の経済状況の好転」 に繋がるとい うものであ り、決 して 「CSRを行 うのは利益のた
「ドイツ企業社会の再評価とCSR」 7
めである」 とい う認識ではない とい うことを強調 して お く。CSRが、「学問」 とい う名 を利用 して 私的な企業 の利益 を代表、弁護す るだけで あ り、
金儲 けのためだけの もので、学問の生成発展 に有 害であるとい うことになってはな らない。
では、現在のCSRはどのような認識の下で研究 がな されているのか。無論、研究者 によって、様 々 な研究 に対す るアプロ‑チがあるために、普遍的 な認識 とい うもの を断定す ることは非常に困難で あ ろ う。 そ こで筆者 は、経済 同友会 の発行 した
「第15回企業 白書」 (以下、「白書
」 )
に基づいて、CSRの現代的意義 をここで述べ る。
csRの認識 と して、現在 まで に多 くの思想家、
商人、企業家、研究者等が文書化 して きてお り、
それ らは非常 に古 くか ら扱われた問題であること は前述の通 りである。そ して、現在では、CSRの 認識が 「自書」の中で以下のようになっている。
「企業の社会 的責任の中には、法規制や社会 で 一般 的に受 け入れ られている規範や習慣 に企業行 動が沿 っているかを問 う、いわゆるコンプライア ンス (法令 ・倫理等遵守)の領域 がある。 ここに 属す る責任 に応 えないことは、株主利益 に も悪影 響 を及ぼす。度重 なる企業不祥事によって この部 分に対す る関心が高 まっているが、 これ は企業 と して最低限の責任であ り、我々が考 える社会 的責 任の一部に過 ぎない。一方、社会的価値、人間的 価値 などの新たな価値創造 を含む前向 きな社会 的 責任の担い方、すなわち社会的責任のポジテ ィブ・
リス トと捉 える領域がある。 この領域の活動 には、
直接 あるいは短期の株主価値増大 に貢献す るもの とそ うでない ものがるが、心ある経営者で長期的 にも株主の利益 につなが らない行動 を考 えること はまず皆無 と言 っていい。企業 として直接 あいは 短期 的に株主利益 につ なが らない行動 を、 その 時々にどの程度 まで拡大す るかは、その企業の経 営資源の能九 株主の理解、企業の ミッシ ョンな
どとの関連で総合判断 され ることとなる。 その際、
重要 になるのはイノベーシ ョンである。一見直 ち には株主利益 につなが らない社会の要請であって も、 それ を技 術 開発、 マーケテ イング、PRな ど
のイノベ‑シ ョンによってブ レークスル ー し、企 業の 目的 との合致点 を見出 してい くことが企業の 役割である。 さらには、企業 は単 にその時々の社 会のニーズに対 して受動的に応 えるだけではな く, 先見性、予測力、そ して創造性 を含む経営者 自身 の構想力におけるイノベ ーシ ョンによって、末だ 顕在化 していない社会のニ ーズや価値観 を積極 的 に先取 りして企業活動 に取 り込む ことや、 また新 しい価値 を社会 に提案 してい くことがで きるので あ り、 それ が競 争優位 につ なが るので あ る。21 世紀 において企業の役割 として最 も求め られ るの
は、 こうしたイノベーシ ョンを起 こして短期、長 期の両面 か ら、利潤追求 と社会利益 を両立 させて い くことである」、''としてい る。
「白書」 か らの企業 に対す る要請 には、筆者 自 身の私見 として、主観性 があるものである。一例 として、「心 ある経営者」 とい った言葉 は公文書 としては適切ではないだ ろう。 それ は 「心 ある
」
とい う言葉が株主 を主体に した場合 と、経営者 を 主体 と した場合、そ して消 費者 や第3者 を主体 と した場合 にも 「何 が心 ある経営か」 とい う点で異 な って くるためで ある。 しか しなが ら、21世紀 に求め られ る企業のあ り方 は、十分に文書化 され てお り、 こうした考 え方 がCSRの現代 的な考 え方 であろうと筆者 は考 える。
現在 までにCSRはその源泉 となる多 くの研究 が なされ、そ して今に至 るのである。では、次 に本 稿の考察対象である ドイツ企業社会 について、考 察 を進 める。
3
ドイツ企業社会の変遷 と現状ドイツ企業社会の変遷 を考察す るにあたって、
ドイツの鉄鋼企業であるクル ップ社 に着 目し考察 を進めたい。
さて、クル ップ社の事例研究 といって も、現在 のクル ップ社ではない。 とい うの も、 クル ップ社 は、 ドイツのエ ッセ ンにあ り、400年の歴 史 を持 つ重工業企業 で ある。1999年 にテ ィツセ ン社 と 合併 し、テ ィツセ ン ・クル ップが誕生 しているが、
この新 しい クル ップで はない。本稿 で対象 と し
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てい るクル ップ社 は1812年か ら1900年代 までの、
いわば初期 クル ップ社である。なぜ そこまで時代 をさかのぼ る必要 があるのか。 その理由は、初期 クル ップ社が、現在議論 されているCSRの中で も、
ドイツにおける失業問題 を中心的な考察対象 とし た場合に、 きわめて優秀な企業であったことが挙 げ られ るためである。本稿では田中洋子氏の執筆 した 「ドイツ企業社会の形成 と変容」に述べ られ ているクル ップ社の事例 に着 目し、 この文献 を中 心に考察 を進める。
クル ップ社は、 ドイツのエ ッセンで商業 を行 っ ていた フ リー ドリヒ ・クル ップが、1812年 に鋳 鋼実験所 を設立 したことに始 まる。 しか しこの実 験所 は経営破綻 して しまい、「彼 が1826年病死 し
た時には鋳鋼所 は 「廃嘘」同然であった」、"とい う。
しか し、 この廃嘘 を復活 させたのは、 フリー ドリ ヒ ・クル ップの息子であるアル フレー ト・クル ッ プで あったo彼 は、「手工業のマ イス ターに現場 をまかせず、自らが経験の中で得た技能 と、 自分 が開発 した新 しい技術によって、直接現場 を把握 しよ うと したの で ある。 この ことは、工場 内の 労働秩序 に対す る意識的管理へ もつ ながって
」Y " '
いったのであった。
そ して時は流れ、イギ リスの産業革命以後の近 代化に伴い、クル ップ社 (ドイツの他の大企業 も 含めて) は労働共同体 (AJ・beitsgemeinschaft)と 呼ばれ る関係が形成 されていった。 この共同体関 係 について、田中洋子氏は、次のように述べてい る。 「そこでは、長期勤続の基幹労働者 を中心 と して、職場の管理者 を含んだ密接 な人間関係 ・コ ミュニケーシ ョンが築かれ、企業 が労働者の生活 の面倒 を見 ることを当然 と考 える労使双方の意識 が形成 されてい た。 自分の技能 の形成 か らは じ まって、家族 との生活 ・余暇などの暮 らし方、社 会 的帰属意識や アイデ ンテ ィテ ィにいたるまで、
そこには企業 とそこで働 く人間 との長期的かつ全 人的なコ ミッ トメ ン トが見 られたのである」 とし、
ドイツの経済発展 を支 えたのはこうした大企業 に おける安定的労使関係であったとしている。
そ して、筆者 はこの点、即ち、 クル ップ社 にお
ける労使双方の協調による安定 した雇用関係、そ れ による人材の育成 と、「失業 とい う恐怖」 か ら の解放。 さらには、専門家 (マイスター) による 技術の向上 と企業内での効率的生産 といった経済 的発展性 (企業 内利益) について高 く評価 してい るのである。 こうした企業のあ り方 こそが、企業 内利益 と社会的利益の双方 を両立 た らしめるもの であると強 く信 じている。
しか しなが ら、残念なことに現在の ドイツは失 業問題 に悩 まされている。 なぜか。 これ もクル ッ プ杜の隆盛 と衰退について着 目す ることによって その要 因の一部 を見 ることがで きる。
クル ップ社 はアメ リカなどの先進国における資 本主義の波 に飲 まれ ることな く、マル クスが資本 主義的生産過程 その ものの機構 によって、訓練 さ れ、結合 され、組織 され る労働者階級の反抗 が増 大 し、階級対立的な関係が激化す るとした 『資本 論』 の考 えのようにはな らず、雇用者である企業 と被雇用者である労働者 との労使協調路線によっ て発展 していったが、それ も様 々な労働環境 にお ける事件や対立 によって変化 を遂 げることとなる のである.即 ち、①労働力構成 の変化、(む工場管 理者の変化、③労働者関係の変化、④賃金決定 を め ぐる変化 といった変化によって次第に労使協調 が労使対立へ と移行 してい くことになるLX。
そ もそ も、クル ップ社において、その労使協調 を支 えていたのは、 ドイツにおける伝統 的なマイ スター制 とい うものであった.マイスターは現場 (実地) での地道 な努力の末 に得 られ る称号 であ り、職人である。 この職人が後輩である新任者 に 技術 を伝 え、その技術 を伝 えられた後輩 は さらに 後輩 に技術 を伝 える。 このよ うに して現場か らの、
いわば 「たた きあげ」の職人が主要 な労働力であ る現場の専門技術者の気持 ちを理解 しつつ、管理 を行 っていたのである。
よって、いわゆる資本主義的で非封建的な企業 経営 とは異 なってお り、様々な批判 を受 けてはい た ものの、クル ップをは じめ とす る ドイツの大企 業 は他国 とは異 なった企業の発展経緯 をたどって いった。批判 としては、「家父長的
」
「封建的」
「独「ドイツ企業社会の再評価 とCSR」 9
裁政治」 といった言葉によって形容 されていたが、
実際の ところは ドイツにおいてマ イス ター制は暗 黙の了解 といった精神的な一致 を労使共 に見てい たのである。 しか し上述の4点によって、変質 し てい くこととなる。以下 に4点 につ いて簡単 に説 明す ることとする。
①労働力構成の変化については、労働者の独身 比率 が増大 したことが挙げ られ る。 この ことに加 え、勤続年数の短い労働者の増加 があ り、そ うし た結果、労働者の増加 に対 して、 クル ップ社の家 族的な企業 を支 えていた一つの要 因である「社宅」
の数がその増加に追いつ けず、労働移動 も起 こっ たために、クル ップ社 における労働者全体の性格 を変化 させ ることとなった。即ち、長期雇用、長 期的安定 といった もの を保つ ことが困難 になって
しまったのである。
②工場管理者の変化については、それ までマイ スターか らの管理者への登用が常であったクル ッ プ社において、管理 を上級職員や博士 といった高 学歴 、高資格所有者 に任せ るようになったことに よって、現場 と切 り離 された管理職員層の増大 を 生んだ。 このことは工場の数が増大 したことも要 因であるが、現場の労働者か らは 「現場 と管理の 禿離」、 いいかえれば、「労働者の気持 ちを理解 し ていない管理者の増大」 を意味す ると筆者 は認識
している。 したがって、クル ップ内で培われて き た現場 と管理の協調が維持で きな くなっていった と見 ることがで きるO
③ 労働者 関係 の変化 につ いて は、1891年 に営 業条例が開成 され、 このことで雇用契約 とその解 除の方法が規定 された。即 ち、法的にそれ までマ イスターとい う専門的で尊敬 され る対象 として見 られていたものが、マイスターと職員、化学者の 垣根 を壊す ことにな り、結果的に 「マイス ターの 誇 り」が失われて しまった。 これは法律改正当時 にまだ 「建前」であった身分の法的解釈が、時代 とともにマイスターの地位低下に繋がることとな り、労働 意欲、勤勉 さ等の 「マ イス ターのマ イ スターたるもの」が次第に淘汰 されてい く契機 と なって しまったのである。
④ 賃金決定 をめ ぐる変 化 につ いて は、1890年 の賃金制度の一部改正 によ り、マイスターが賃金 事務所 などとともに賃金の企業 内制度化 を進めて い く主体 として位置づけ られ ることとなったこと を意味す る。そ して、マイスターの個別判断的な 現場 レベルでの賃金裁量権 が減少 し、結果、マイ スターの地位 は低下 してい くことになったo
以上4点 につ いて、 クル ップ社 につ いて否定的 な部分 を除 くと、企業経営の近代化 とい うコンテ クス トで捕 らえることがで きると考 えられ るとは いえ、事実 として、 クル ップ社の生産能力や管理 体制、そ して一番の長所であった 「労使協調」 と いった家族 的企業経営の風土 を失わせて しまう要 因 となったことは皮肉である。企業経営の近代化、
いわゆるイギ リス、 アメ リカ型の市場モデルが導 入 され ることによって、 ドイツ特有の経営が変化 し、それ まで維持 された企業 と労働者 との共同体 関係 に不信 を作 る要因 となったのである。そ して、
この ことに決定 的な打撃 を与 えたのが、1900年 前後の不況であった。 この不況 によって、いわゆ る 「合理化」がな され、一気 に労働者の不満 は頂 点に達す るOそ して結果的に、 アル フレー ト.ク ル ップの後継者であるフ リー ドリヒ .アル フレー ト・クル ップは労働者 との信用 を失 い、彼のスキャ ンダル後の怪死 により、労使協調 は労使対立へ と 移行 して しまう。
こうした中で、2度 の世界大戦 を経験 した ドイ ツは周知のように敗戦国 として経済 的に問題 をか かえることとな り、特に、東西 ドイツの分裂か ら 統合 といった歴史的経緯 によって、西 ドイツへの 東 ドイツ人失業者 の流入、EUの当方拡大 による 安価 な賃金労働力が ドイツ国内の失業率 を上昇 さ せ ることとなった。
では、現在の ドイツではどの よ うなCSRに関す る対応 が採 られ、現状 はどうなってい るのか。
ドイツにおけるCSRの最大の関心事 は失業問題 である。 この ことは、 日本のCSRが環境問題 に端 を発 し、環境報告書か ら環境 ・社会報告書、CSR報 告書 とい う段階 を追 って企業の情報公開がな され ていったことと大 きく異 なるところであろう。 ド
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イツにおいては、CSRとい えば労働問題、失業 問 題 とい うことに重点 を置いて考 えられてい るよ う で ある。 それ は以下 の よ うなことか ら理解で きる。
即 ち、マル チステークホル ダー ・フォーラムの 議長 は雇用社会総局 と企業総局が担当 し、環境総 局 には席 が与 え られ て い ない こ と。2000年 の リ スボ ンEUサ ミッ トで は環境保 護 がいわゆ る持続 可 能 な発展戦 略 に加 え られ たの は2001年 の ヨー テポ リサ ミッ トにおいてで あった こと (それ まで は雇用 と社会 的連帯 ・経済の競争力に焦点が絞 ら れ た)。実 際 に深刻 な失業 問題 が存在 す ることと い った こ とに よってで あ る。無 論企業 の社会 的 責任 と して、CSRは環境保護 を無視 してはいない。
ドイツのCSRもこの点 は共通 してお り、経済 発展、
環境保護、社会 的一体性 の維持 とい う3点 に含 ま れ るものである。 しか しなが ら、 ドイツにおいて はその特殊 な経済の史的発展経緯 によって、失業 問題 を重視 せ ざるを得 ない。 ドイツ統 計ハ ン ド ブ ック2005年版 で は、 図3‑1の よ うに失業者 の 総計 を発表 してい るが、 この図か ら、東西 ドイツ の統合 によっていかに ドイツの失業率 が増加 した かがわか る。現在 では若干減少 してはいるものの、
1993年 頃の急激 な増加 か ら、 ドイツ政府 は決 め 手 となる解決策 を出せず に高 い失業率 が維持 され て しまってい る。
さらに、図3‑2では ドイツ国内で も失業率 に格 差 があることがわか る。 この図によれば、旧東 ド
イツに属 した州の失業率 が高 い ことが うかが える。
図3‑1 i.
7ahlder顔,rt・C.;tsbsen
言 .、∴ ∴ ・、、、.:'、.l・: .i,了 ヾ 十 一. ・ SldhslisChesTaSChenbuchdesBrJIGS2C・05
出所 :ドイツ統 計ハ ン ドブ ック2005年HTML版 よ り抜粋 図3‑2
出所 :http://ww .bmkberlin.com/Germany/germany̲Arbeitslos.htm1 2006年12月30日検索
「ドイツ企業社会の再評価 とCSRJ ll
この よ うに、 ドイツでは失業率 が非常に深刻 で ある。 こうしたことに関連 して、 ドイツ国内では 決定 的な解決策 を出せず にい るのが現状 で ある。
しか し、 ドイツにおける個別企業の中には、 こ う さいた問題 に対 し積極 的に対応 を行 うことで、短 期 的な利益 ではな く、長期的利益 を見込んだ経営 計画 を実施 している企業 もある。本稿 では、 ドイ ツ企業 において、CSRに積極 的に取 り組 んでい る 企業 と して シーメ ンス社 を取 り上 げ、考察 を行 う。
4 ドイツ企 業 にお けるCSRに関す る取 り組み
本稿 で事例 と して挙 げた クル ップで はマ イス ター制 による共同体の維持 によって、長期 的、安 定雇用 を実現 していたが、それ は時代の流れ とと もに変質 し、失敗 して しまった。 そ こで、現 在 csRの中の雇用 につ いて意欲 的な企業 として、 ド
イツの総合電気 メ‑カーであるシーメ ンス (ドイ ツ語ではジーメ ンス と発音)社 に着 目してみ よ う。
シーメ ンス社 は、CSRに積極 的に取 り組 んでい る企業 として、経済同友会 の報告書 に取 り上 げ ら れてい る企業である。 その報告書の中では次の よ
うにまとめ られてい る。
シーメ ンス (ドイツ)x
・組織概要
総合 電機 メ ーカ ー。 世 界190カ国以上 で事 業 を展開 し、売上高 は約870億ユ ‑ロ (約10兆円)、
従業員数約45万人。環境、企業市民等のCSR推進 に積極 的。 フォーチュ ン誌 「最 も尊敬 され る企業」
ドイツ企業第4位、主要 なSRIファン ドやSRI株価 指数の構成銘柄 になってい る。
・面談者
M s・Carmen E・Kuehnl,Corporate Personnel,PoliciesandLegalIssues
(人事部政策 ・法務問題担 当/コーポ レー ト・シ チズ ンシップ ・シニア ・コンサル タン ト)
・主 な内容
(1)長 い伝統の中で培 われて きたCSR
当社 は、長い伝統 の中で様 々な国々の経済の‑
部分 と してその繁栄 に貢献 して きた。世界中に多 くの従業員 を抱 え、多 くの製 品 を製造 ・販売 して い る。 その影響 力 は世 界 の約10億 人 の人 々 に及 ぶので、CSRについて も他社 よ りも進 んだ考 えを 持 ってい る。
(2)独 自の行動規範 を自社 ・関連企業 ・取引先 に 適用
例 えば、 独 自の 行 動 基 準 (CodeofConduct) をつ く り、社 内 で実 践 す る と と もに、すべ ての 関連企 業 ・取 引先 に対 して その実 行 を求 めてい る。 なぜ な らば、最終製品 は当社 の責任 となるの で、部 品や材料 にCSRの観点か ら見て問題 があれ ば、当社 が責任 を負 うことになるか らである。今 後、CSRに関す る要求水準 は高 まるだ ろう。 当社 ではそれ を先取 りしてい ると言 っていい。
(3)企業理念 において重視す る7つの価値
創立150周年 を機 に、社員 ア ンケー トを実施 し、
当社 の企業原則 (corporateprinciples)で重要 な 価値 を抽 出 した。 その結果、①顧客、(ヨイノベー シ ョン、③優れた リーダーシ ップ。(彰協力、①利 益 の連鎖 (利益 が さらに利益 を生 み出す)、①学習、
(うコーポ レー ト・シチズ ンシ ップ、が挙 げ られ た。
(4)「コーポ レー ト・シチズ ンシ ップ」 の推進 CSRについては、 「コーポ レ‑ ト シチズ ンシ ッ プ」 とい う考 え方 に基 づ き、(∋我 々の知識 とソ リューシ ョンによって よ り良い社会 を生 む、⑦環 境 を保護す る、③人々の未来 を訓練 と教育 によっ て築 く、④ ビジネス ・パ ー トナーに対 し、 イ ンテ グ リテ ィ (誠実 さ) を持つ、①文化の多様性 をプ ラスに してい く、 ことをめ ざしてい る。
(5)我 々はすでにベス トプ ラクテ ィス を実践 我 々は、各国にある事業所 を通 じて、各国の文 化 に合 ったCSRを推進 してい る。すでに我 々はベ ス トプ ラクテ ィスを実践 してい るので、 これか ら CSRを推進 してい こ うとす る企業 が集 まる 「CSR
ヨーロ ッパ」 に加盟す る必要性 は感 じていないO (6)業績 が悪化 して もCSRを推進す るか
この問 いに対 して は、 「我 々 は社会 の将来 に関 与 してお り、社会 の将来 の繁栄 がなければ長期 的 利益 を得 られ ない。苦 しい時期 だか らこそ、 よ り
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長期的な視点 を持つ ことが重要であ り、短期的に 利益 をあげたとして も、それは自分の首 を絞 めて いるだけの結果にな りかねな
い
」 と答 える。以上 が経済 同友会 欧州調査報告書2003年版 に よる調査結果である。
このように、 シーメンス社はコーポ レー ト・シ チズ ンシ ップ とい う考 え方 に基づいたCSRを、明 確な担当部署の下実施 してお り、 さらに、業績悪 化について も、従来CSRの推進 といった言葉が持 つ 「否定的な考 え方」 を長期利益のための投資で あるとい う考 えによって実施 している。 また、当 該企業のCSR報告書 には、 「我 々は家族 を持つ従 業員に対 して様 々な支援 を提供 してい る、 (子育 てがひ と段落 して)再度働 き出す ことが容易にな るよう、パ ー トタイムで働 くことを認 めてい る。
また、子供の保育 について も、様 々な方法で支援 をしている。オ ランダでは、幼稚園の費用の半額 を会社が負担 している。 ドイツでは、地元の幼稚 園 との協力に加 え、外部機 関 と協力 し、従業員が 子供の面倒 を見て くれ るヘルパ ーを探す ことを支 援 しているo さらに、ドイツでは、ベ ビーシッター を探す ことの支援、学校 が休みの間子供が参加で きる様 々な活動 を組織す ることも行 ってい る。ベ ルギーでは従業員の子供が病気 になった際の治療 費負担の支援 を してい る
」
xiとしてお り、積極 的に 社会貢献活動 をしていることが理解で きる。 また、このCSR報告書における文章 は、クル ップ杜が企 業内において行 っていた医療負担 とも重 なるもの があり、 まさしく、クル ップ社の企業のあ り方 を、
さらにグローバルに展開 してい るもの として、筆 者 も高 く評価で きるものであると考 えている。
このよ うに、現在で も ドイツではCSRに対 して 積極的に取 り組む企業 が存在す る。そ してその源 泉 をたどれば、決 してCSRの考 え方 は、新 しい も のではな く、 クル ップ社の事例 を見てわかるよう に、CSRとい う専門用語が無 かった時代か らも存 在す るものであった。
5 ドイツ企 業社 会 にお け るCSRに関 す る課題 と展望
ドイツ企業社会 は1800年代 か ら1900年代 に大 きな変貌 を遂 げ、そ して二つの大戦における敗戦 を経験 している。 こうした中で、多 くの優秀な人 材が失われていったとい う歴史的経緯がある。
現在の ドイツ企業社会 におけるCSRの課題 はど の ような ものがあるであろうか。 これ まで再三に 渡 り述べてきたように、 ドイツでは失業率の問題 が重要 な問題 となってい る。 この問題の要 因は、
企業 による経営政策が要 因だ といった単純 な もの ではない。現在の ドイツ政府の政策 と、 ドイツ国 民の意識 に も要因があるとい う見解が存在す る。
Fドイツ病 に学べ』 の著者熊谷徹氏 は、同書の中 で様 々な批判 を行 っているO 「ユーロ高によって、
かろうじて世界の 目か ら覆い隠 されているものの、
ドイツ主導で作 られた安全装置 を、 ドイツが自ら の手で壊 す とい う、傍若無人の振 る舞いは、 この 国が財政赤字や公共債務 を、十分 コン トロールで きな くなってい ることを示 してい る」xjiと ドイツ 政府 の体制が現在EU内で問題 となってい ること を示 し、 さらに国民意識 につ いては、「ドイツ人 は個人主義的な性格 が強いので、自分 を曲げてま で他の仕事に就 こうとは しない。 日本 とは違 って
「恥の感覚」 が弱 く、「周囲の 目」 を気に しないの で、 「仕事が見つ か らないのは自分 が悪 いのでは な く、社会 が悪いのだ」 と開 き直 って しまう人が 多いのだ。 さらに、旧約聖書 には、アダムとイブ が禁断の実 を食べたために、神 によって楽園か ら 追い出 され るとい う話 が出て くる。彼 らは、楽園 では働 く必要 がなかったが、追放 された後は、罰 として、労働 によって 日々の糧 を自分で得 ること を命 じられ る。 このため、 ヨーロッパでは 「労働 は、神 か らの罰であ り、 しないに越 したことはな い もの」 とい う潜在意識がある。 日本 とは違 って、
他人が働 いている時に休んでいると良心が とがめ た り、労働 を手放 しで肯定的に見た りす る人 は少 ないのだ。 この ことも失業者 が開 き直 る原因の一 つだろう
」 x
iiiとしている。「ドイツ企業社会の再評価 とCSRJ 13
無論 、 こ うした見解 には主観性 が強 い ものが多 いが、 しか し同氏の ドイツ滞在 の経験 、 そ して体 験 か ら得 られ た貴重 な情報で あることは確 かで あ
る。
ドイツでは、 これ まで 日本人が考 えて きた 「ド イツ人 は勤勉 で実直 で ある」といった 「一般論」が、
価値観 の変化 が要 因 とな り、様 々な問題 を惹起 し てい るので あ る。 よって、CSRに関 して も同様 に、
今後 の ドイツ企業 が、 ドイツ企業社会独 自にCSR の基本路線 を設定す ることは困難 であ り、 ドイツ のCSR優 良企業 、 そ して海外 のCSR優 良企業 と さ れ る企業の技術 を援 用 しつつ、発展 させ ることが 重要 で あろ う。
おわ りに
ドイツにおいて、 クル ップ社 は、CSRとい う用 語 の無 か っ た時代 か ら現 在CSRと呼 ばれ て い る もの につ い て実 施 し、一 時 的 な成 功 を収 めて い た。 しか しそれ は時代 の流れ についていけずに衰 退 して しま う。 その主 な要 因は企業経営の近代化 によって、封建 的、家父 長的な経営 が 「良 くない もの」 とされ、 いわゆ るイギ リス ・アメ リカ型 の 市場 モデル が台頭 して きた こと、 さらに労働者 の 価値 観 の変容 、 そ して不 況 に よ る企 業 の 変化 で あった。企業 は人 間の組織 で あ り、かつ社会 との 双方 向の影響 を受 け る生物 と言 い換 えることもで きるオ ープ ン ・システムであるO様 々な影響 を受 けつつ、企業 はその内容 を変化 させ てい く。 しか し、変化 しないのは、企業 が社会 的な存在で あ る とい う点で あ る。CSRはそ うい った 「至極 当た り 前」 の ことを再認識 させ る概念 で あろ う。
ドイツのCSRにつ いて研究 を行 う場合 、筆者 は 日本 との比較 を常 に頭 に思 い描 いて い る。 とい うの も、 日本 のCSRと ドイツのCSRの相互補完 に よって、新 しい、且つ、 よ り水準 の高 いCSRの基 盤 が構 築 で きるので はないか と考 える為 で あ る。
日本 も ドイツ も第二次世界大戦での敗戦 によって、
価値観 が大 き く変 わ った とい う共通点 をもってい る。 この価値 観 の変化 の中の大部分 は良い変化で あ り、 さらに高度 な技 術発達 を促 した とい う側面
は 日本 ・ドイツに とって有益 な ことで あった と思 われ る。 しか しなが ら、残 念 な ことに、両 国 とも に、 「過去 の もの は悪 」 で あ る とい う風 潮 が強 い よ うに思 われ る。
CSRの遂行 に伴 い、組織 内においては全体 的 な 精神 的一致や団結、即 ち全社 的 な共通認識 が必要 で あるとい うのが筆者 の見解 で あ る。 しか し、 こ の全社 的な共通認識 の元 とな る一致 団結 とい った ことは、いわゆ る全体主義 とい ったマ イナスの イ メージを惹起 させ ることもあ る。筆者 は ドイツに おけ るナチズ ムや、 日本 にお け る帝 国主義 といっ た全体主義 を肯定す る もので はない。 だが、 その 全体主義 の中に も、人 間 に必要 な何 かがあったの で はないだ ろ うか。
筆者 は、頭 ごな しに過去 を悪 と し、戦後 を善 と す る価値観 では、人類 の発展 はない と考 える。今 回事例 と したクル ップ社 は、有名 な軍需産業 の担 い手 で もあった。 それ はクル ップ とい えば、大砲 といわれ た時代 が あ った こ とで も知 られ て い る。
しか しそ う した企業 の中で、従業 員満足 を叶 えて いた時代 もあったので あ る。即 ち、現代 の企業 も 学ぶべ きところが多い ことを意 味す る。今後の筆 者 の研究 において もこ うした 「温故知新」 とい う 姿勢 での研究姿勢 は重要 で あ る と考 え られ る。
CSRの研究 は、過去 の偉大 な企業 家達 の遺産 か ら、現代 の新 たな価値観 を有機 的 に結合 させ て こ そな りたち、 この ことは、他 の研究 に も同 じこと が言 えると筆者 は信 じて い る。
参考文献
大橋 昭一編 著 『ニ ック リッシュの経営学』 同文 館 1996年
ギ ュ ンタ一 ・ドゥル ーゴス講演 高橋 由明訳 『企 業利害 と疑わ しい倫理 指針要 因 と しての公共 の福 祉』 商学 論 纂 第32巻4号 中央 大 学 商 学研究会
高 巌 他 者 『企業 の社会 的責 任
』
日本規 格 協 会 2004年田 中照純 著 『現代 ドイ ツ経営 経済 学』 税 務経理
14 神奈川大学大学院経営学研究科 F研究年報』 第11号 2007年3月
協会 1997年
田中洋子著 『ドイツ企業社会 の形成 と変容』 ミ ネル ヴァ書房 2001年
藤井敏彦著 『ヨーロ ッパ のCSRと日本 のCSR』
日科技連 出版社 2005年
松野弘 ・堀越 芳明 ・合 力知工編著
F
r企業の社会的責任論」 の形成 と展 開』 ミネル ヴ ァ書房 2006年
EuropeanMultistakeholderForumonCSR2004 HorstSteinmann/AlbertLoehr"Einleitung:
GrundfragenundProblembestaende einerUnternehmensethik " in "
Unternehmensethik"HorstSteinmann/
AlbertLoer(HRSG)
HorstAlbach"Betriebswirtschaftslehreohne Unternehmensethik!"zfB2005
HorstStienmann "Unternehmensethik‑Zur Geschichteeinesunge】iebtenKindesder Btriebswirtschaftslehre" 明治大学学会冊子 2002年
ドイ ツ統 計ハ ン ドブ ック2005年HTML 2006年 12月6日検索 (URIj肖失)
http://www.arbeitsamt.de/hst/services/statistik/
2006年12月6日検索
脚 注
i高巌 他著 F企業 の社会 的責任j pll 日本規 格 協会 2004年
"ギュ ンタ一・ドゥル ーゴス講演 高橋由明訳 『企 業利害 と疑 わ しい倫理指針要 因 としての公共の福 祉
』
商学論纂第32巻4号 中央大学商学研究会■1】『上掲書』pp92‑93
1、ギュ ンター・ドゥル ーゴス講演 高橋 由明訳 『企 業利害 と疑 わ しい倫理指針要 因 としての公共の福 祉』 商学論 纂 第32巻4号 中央大学 商学研究会 p94
、'『上掲書』p98
、′■経済 同友会編 『第15回企業 白書』pp23‑24
r‖田 中洋 子 著 『ドイ ツ企 業 社 会 の形成 と変 容』 p50 ミネル ヴ ァ書房 2001
、'
…
『上掲書』 p51】Ⅹこの4点 は田中洋子 氏の書籍 の 中で詳 しく述べ られてお り、筆者 はその項区分 による区分に倣 っ て区別 した。 よって、筆者 独 自の 区分 で はな く、
田中氏の区分である。 この区分は筆者 も同調す る ものであ り、適切 な もので あると判断 してい る。
Ⅹhttp://ⅥW .doyukai.or.jp/whitepaper/articles/ pd〝no15/030326ー10.pdf 経済 同友会欧州調査報 告書2003年 2006年12月6日検索
xiシ‑メ ンス社のCSRR2003の文章 で あ るが、筆 者 は本書 を入手 で きなか ったため、 『ヨーロ ッパ のCSRと 日本 のCSR』p27よ り抜 粋 したいわ ゆ る 二次資料で ある。一次資料 につ いては、最新版 を 今後入手予定
xii熊谷徹著 『ドイツ病 に学 べ』 p32 新潮選書 2006年
xiii『上掲書』pp58‑59